伝統板・第二

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ひかりの一日一言⑩ - 伝統

2016/01/01 (Fri) 04:38:48

ひかりの一日一言《1日》

《1日 輝く主人公》

人間は環境の奴隷ではなく、その主人公である。
主人公は自主性をもって、周囲を支配し、リードする。
そのようにあなたはあなたの環境を自由自在に変化し、
あなたの好みに変えて行くことが出来るのだ。
 
しかしこの場合「あなたの好み」が、あなたの本心の好みでなく、
あなたの真実の願望ではなく、単なる一時的な欲望であれば、
あなたは周囲から非難される不利な立場に追い込まれる。

ところが愛ふかく、神意に叶った主人公は、
周囲の一切の人やものから支持され、応援される。
全てのものが彼を尊重し、協力してくれる。

こうなってこそ真の「主人公」であり、
「欲すること好ましきことが自ら集り来る」のだ。

主人公たることをことさら言い立てなくても、たといどのような地位や立場にいても、
あなたは押し上げられ、尊ばれ、称讃される。
 
そのあなたが下座の行を行えば、主人公の座を失うどころか、
ますます人格が光を放ち、なすことことごとく神意に叶い、
万民に救いと悦びとを与えることが出来る。

こんなあなたであってほしいし、こんな友を沢山作り上げよう。


谷口清超著『人生の主人公となるために』より


<関連Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

           <感謝合掌 平成28年1月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2016/01/02 (Sat) 04:49:32


《2日 明るい心は人生を輝かしいものにする》

明るい日射しが人の心を明るくするように、
明るい心は人生を輝かしいものにする。

あなたの運命は、あなたの心の明るさ如何で、どのようにでも左右される。

心の明るさは、言葉の明るさや、表情の明るさとなって現われる。
それ故言葉や表情を明るくすると、自然に明るい心になるのである。


谷口清超著『理想国へのご招待』より

           <感謝合掌 平成28年1月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2016/01/03 (Sun) 04:19:00


《3日 今あなたに与えられてある幸福の数々に感謝せよ》

今あなたに与えられてある幸福の数々に感謝せよ。

いま与えられている幸福や供給の数々を、
いちいち名前を挙げて、その一つ一つに感謝して見よ。
どんなに多くの恵みをわたしたちは既に受けていたかに気がついて驚くであろう。

そして自然に感謝の念が湧くであろう。


谷口雅春著『如意自在の生活365章』より

           <感謝合掌 平成28年1月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2016/01/04 (Mon) 04:33:36


《4日 春の息吹を聴く》

高慢な現象のたかぶりに便乗して、自分も一緒に高く上がって行くものは危い。
それは過去も現在も通じて同じことである。

そういう激しきもの高ぶるものよりも、静かに眼に見えぬところに、
眼に見えても何らの野心なく、黙々と動いているものが真に強いのである。

太陽は黙々として唯照っている。
夜の露は黙々と降り、黙々として消え、
そのうちに黙々と春がめぐり来り、万象が生命に輝き出す。

黙々の力、「静」の力、「寂」の力、それこそが真に神の力であり、神に近き力である。

いつのまにか天地全体を春にするような力は、人工の激しく荒れ狂うの力では得られない。
激しい力は、獰猛に、勇敢に、目立って勇ましいか知れないが、
それは破壊する力であって建設することは出来ない。

台風も、暴風も、地震も、しずかに忍び寄る春の力には敵わない。
春がこの世に蘇生って来たのに、人々は争っていて春の悦びを感ずることは出来ない。
それは悲しいことであるけれども吾等の周囲の現実である。

愛こそ、春とともに日本の国に蘇生れ。
やさしい心のうちにこそ一切の生かす力、生み出す力、
癒やす力が秘められているのである。

日本は今、もっとも神に癒やされなければならぬ時ではないか。
静けさのなかに、平和の中に、優しさの中に、温かさのなかに、
愛の中にこそ神の春が訪れるのではないか。
 
人々よ、互いに相愛せよ。
悲しみは無いのである。
憎みは無いのである。

天地は今、春である。
永遠の実相の春が、静かに静かに音もなく世界の底から湧き上がって来つつある。

それは歓喜の声である。
声なき声である。
いのちの声である。

迷いの日本は激しい音を立てて倒れた。
本当の静かなる日本が、平和の日本が、今春とともに蘇生って来つつある。
みんなを春の心にする平和の心こそ日本の心ではないか。

「白鳩」は平和のシンボルである。
私はすべての人々に平和の心、春の心、光の心を伝えるための、
伝書鳩でありたいと願っている。


谷口雅春著『新版 叡智の断片』より

           <感謝合掌 平成28年1月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2016/01/05 (Tue) 04:17:45


《5日 「天才」はすべての人々の中にすでにある》

「天才」はすべての人々の中にすでにある。
しかしそれは、「努力」によって、はじめて引き出されるのである。

偉大なる画家は、一枚の絵を仕上げるまでに、何枚もの習作をつくる。

多くの小説家は、「天才」と言われるまでに、
何回も何回も文章を書き連ねてきたのである。


谷口清超新書文集10『人生の断想』より

           <感謝合掌 平成28年1月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2016/01/06 (Wed) 03:40:50


《6日 一切のものは神の生命・智慧・愛の実現である》

一切のものは神の生命・智慧・愛の実現であるのである。
一枚の木の葉、一輪の草花、日光、空気、水、その他、
ことごとく神の生命・智慧・愛・・・などの実現ならざるものはないのである。

あなたは神の生命に包まれ、神の愛にいだかれ、
神の智慧に導かれて生活しているのである。


谷口雅春著『如意自在の生活365章』より

           <感謝合掌 平成28年1月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2016/01/07 (Thu) 04:40:48


《7日 与えよ、さらば与えられん》

「与える」というのは単に物を与えるだけではない、放ち去る心を行ずるのだ。

自分の立場や将来の収入や、その他諸々の執着を放ち去って、
神意に従い、真理を行ずる。

するとその時、あなたは、あなたの団体は、あなたの愛する祖国は、
必ず「神の国」の栄光を全宇宙に光り輝かすにちがいないのである。
  

(谷口清超著『限りなく生きる』より)

           <感謝合掌 平成28年1月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2016/01/08 (Fri) 04:39:09


《8日 人はみな、それぞれの人格にあった家庭に生まれて来る》

人はみな、それぞれの人格にあった家庭に生まれて来る。
それ故、父となり母となる人は、生まれ出る子供にとって、
最もふさわしい父であり母である。

「とんでもない父の所に生まれた。とんでもない母に育てられた」と言う人もいるが、
それはとんでもない間違いである。


谷口清超著『無限の可能性がある』より

           <感謝合掌 平成28年1月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2016/01/09 (Sat) 04:39:58


《9日 今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう》

今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。
大いなる仕事が見つからなかったら、目の前にあるさ細な愛行や、
親切な言葉や、奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

このようにあなたの日常生活を浄めることによって、
あなたは神の霊波と波長が合うことになるのである。


谷口雅春著『神と偕に生きる真理365章』より

           <感謝合掌 平成28年1月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2016/01/10 (Sun) 04:38:43


《10日 相手を癒すには非ず、自分の心を癒すなり》

“祈ってあげる人” も “祈ってもらう人”も、赤の他人で、
何の関係もなかった人間同志だと思えるのであるけれども、
そのような人達は “類業” “類縁” によって“一体” に結ばれているのであって、

その祈ってあげる人が、相手の実相完全な姿を真に悟ったら、
相手と共に自分自身が救われ、相手が癒され、自分が癒されることになるのである。
 
もっと広義に考えるならば、地上のすべての人類は
“類業” “類縁” によって 一体なのである。

だから、ある最高の聖者は
「世界の人類が一人でもまだ苦し んでいるのは、私ひとりの罪である」
と言い切ったのである。

“罪”とは“包み”隠していることであり、一人でもまだこの世に苦しんでいる人がある
のは、自分がまだ、全人類が皆神の子・完全円満であることを真に観る境地に達していない
その罪のあらわれだという意味である。


さて、その後、1年半ほどして坂本さんが再び飛田給を訪ねてこられて、
次のように言われたのであった。

「練成会から帰りまして、その後現象的には色々のことがありましたが、
その度に、あの祈り合いの時本当に自分を忘れて祈ったあの気持を思い出し、
そうだ、あの気持でやれば、どんなことでも解決するんだと進んできました。
本当に、祈り合いの、あの体験は、私の生涯を永遠に導く光です」

祈り合いをして、祈ってもらう方にも体験がでるが、それ以上に、
祈った人の方に、より多くの感激と悦びの体験が出るのである。
しかし、坂本さんの体験を単に実験心理学上の出来事だと考えると間違いなのである。

吉田講師が唯あれだけの発言をしたのに、坂本さんが非常な感激をして嗚咽がとまらず、
さらに深い真理の体験を得たことは、この練成会を指導してい給う神の指導と加護とが
加わっていることを見のがしてはならないのである。

 
谷口雅春(著) 吉田武利(編)「新版 人間苦の解放宣言」より 

           <感謝合掌 平成28年1月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2016/01/11 (Mon) 04:43:04


《11日 善い行いは、必ずいつか、あなたの宝物として返ってくる》

大切によい言葉を使い、それを形や行いに、
どんどんあらわす努力をして行くことがとても大切である。

ほんの一言の挨拶が、相手にどんなよろこびを与え、はげましになるか分からない。

その善い行いは、必ずいつか、あなたの宝物として、あなたにも返ってくる。

谷口清超著『「人生学校」はすばらしい』より

           <感謝合掌 平成28年1月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2016/01/12 (Tue) 04:26:19


《12日 わたしと神とは一体である》

一刻一秒一瞬といえどもわれは神から離れるということはあり得ないのである。

毎日毎日、わたしの周囲にあらわれる事象は、
ことごとく神の愛と智慧と生命とのあらわれであり、われを祝福し、われを活かし、
われを愛し、あれを悟りに導くために現われて来るのである。


谷口雅春著『聖経版 続 真理の吟唱』より

           <感謝合掌 平成28年1月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2016/01/13 (Wed) 04:43:03


《13日 人生修行とは、正しく把住し放行することである》

魂の成長にとって、「執着」は大敵である。
人生修行は、把住したものを放行することを学ぶことだ。

人は何事かに熱中し、それを根かぎり極めつくして、
しかもそこから解脱して行かなければならぬ。

その過程において、魂は「神性」を発揚し、無限に拡大し、
偉大なる「神の子」の実体を現わすのである。


谷口清超著『困難に戯れよう』より

           <感謝合掌 平成28年1月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2016/01/14 (Thu) 04:52:43

《14日 よい“雰囲気”は、よいコトバ、ほめるコトバ、感謝のコトバで作られる》

人間は、“雰囲気”を大切にしなくてはなりません。

よい“雰囲気”がよいものやよい運命を作り上げて行く。
そしてよい“雰囲気”は、よいコトバ、ほめるコトバ、感謝のコトバで作られるのです。

だから、コトバの力は実に大きな働きをすることになります。


谷口清超著『親と子の愛について』より

           <感謝合掌 平成28年1月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2016/01/15 (Fri) 04:49:07


《15日 神は吾々に不必要なものを与え給わない》

如何にその出来事が、一見耐えがたく苛辣なものに見えようとも、
神は吾々に不必要なものを与え給わないという信仰にしっかりと掴まって居るならば、

耐えがたき苦き杯が、いつの間には甘き葡萄酒にかわっており、
まことにあの体験があってよかったと、歓喜する時が来るに相違ないのである。


谷口雅春著『新版 叡智の断片』より

           <感謝合掌 平成28年1月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2016/01/16 (Sat) 03:20:08

《16日 自分の実相を観ずる》

健康を追求するために、いろいろと体操をしたり、滋養物を食ったり、
まあ、いろいろしても悪いことはないけれどもですね、

その前にすべき事がある。それは何かというと、
自分の実相を観ずることであるわけですね。

実相即ち如来なる諸相荘厳なるところのですね、
諸々の相が完全に壮厳極まりなき、極まり無く備わっているところの
自分の実相身というものをですね、如来身というものをそれを観ずる。


講話:谷口雅春「真・善・美の生活」より

           <感謝合掌 平成28年1月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2016/01/17 (Sun) 04:11:26


《17日 転んでも、ニッコリと笑って立ち上がれ》

夜の最も暗い時に、朝日がすでに海の彼方では昇りつつある。
人生の最も困難な時、そでに勝利の栄光が点火されるのだ。

それ故、あなたは表面的な現象に心を惑わしてはいけない。

見せかけの困難や失敗に打ちのめされるな。

転んでも、ニッコリと笑って立ち上がれ。


谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成28年1月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2016/01/18 (Mon) 04:21:31


《18日 どの花も、やがて美しく花咲く時が来る》

満開の花もあれば、半開の花もある。
ふくらんでいる蕾もあれば、固い蕾もある。

しかし、どの花も、やがて美しく花咲く時が来る。

どの花が何時咲くか、その早い遅いによって花の値打ちがきまるわけではない。

総ての花にはその花夫々に、割り当てられた特殊の時節があるのである。


谷口雅春著『新版 叡智の断片』より

           <感謝合掌 平成28年1月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2016/01/19 (Tue) 04:02:15


《19日 自分の実相身を観ずることが、即ち「祈り」です。》

祈りね。
祈りというのは命をもって宣言する、ノリというのは本居宣長の宣という字ね。
宣言の宣という字。

で、自分の命をもって、自分の実相というものは、
こういう素晴らしいものだ ―― ということをですね、
心の内で深く宣言をすると、これが神想観なんですよ、ね。
 
「吾れ今、五官の世界を去って、実相の世界に入る」と、

五官でみた姿は老衰もあれば、病気もある、いろいろ衰弱した格好もあるし、
あるけれどもですね、そんなものに目を閉じて、五官の世界を去って、

そして実相の世界に入って、実相の輝ける、輝かしい自分をですね、

ジーッと観ずる、これが祈りなんですがね。

講話:谷口雅春「真・善・美の生活」より

           <感謝合掌 平成28年1月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2016/01/20 (Wed) 05:02:12

《20日 いかなる時にもまず自分が自発的に明るく深切になろう》

周囲の条件が良好で、人々が自分に好意を示すときだけ明るく深切になるのではなく、
いかなる時にもまず自分が自発的に明るく深切になることである。

たとい環境がどんな条件であろうとも、それをのりこえ自分が“主体性”を発揮する。

その時、吾々の周囲の環境は、吾々の心に従って変化する。


谷口清超新書文集10『人生の断想』より


           <感謝合掌 平成28年1月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2016/01/21 (Thu) 04:28:01


《21日 生きているもののすべては美しい》

神は大生命であり、一切の存在と凡ての“生ある者”とは、
その大生命を承け継ぐものである。

神は善であり、美であり、完全なる叡智であるから、醜は存在しないのである。

生き生きと生けるものは植物でも、魚でも、鳥でも、獣でも
みなそれぞれ美しいのである。


谷口雅春著『如意自在の生活365章』より

           <感謝合掌 平成28年1月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2016/01/22 (Fri) 03:53:10


《22日 祈りの後、行動を起こす》

祈りだけじゃ駄目だっていう、徳久博士が言われるからね、祈りだけじゃ駄目だ。
それで祈った後でですね、自然にこう動き出すものがある、ね、動き出すものが。
これが「祈りの行動化」となって現われてくるわけです。

この祈って神様の智慧と一致し、神様の愛と一致し、神さまの命の自然の動きと
こう一致してですね、そして何を食べようかと、自然に食べるものはその食事の道に叶う
ということになる。

それで、「何を食らい、何を飲まんと思いわずらうことなかれ」と、
ま、キリストは教えておられるんですね。「野の百合を見よ、努めずつむがざるなり」と、ね、
まあ、そういうように教えておられるんですね。

それは、どんなもの食べてもいいんだというわけではないんです。
それは本当に神様の智慧とこう一致したらですね、自然にその人に必要なものが食膳に
またのぼることになるし、また自然に、そういう物が欲しくなってくるわけであって、
適当にですね、この自然の働きで調節されてくるわけです。

講話:谷口雅春「真・善・美の生活」より

           <感謝合掌 平成28年1月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2016/01/23 (Sat) 04:47:22


《23日 人は、口に出す言葉によって人生を作り上げる》

すべて吾々は、口に出す言葉によって人生を作り上げるのである。

「私は幸福だ、うれしい」と言えば、そのようになって行く。

しかもこのコトバは一回では駄目だ。
何回も何回も繰返す。

そうすれば必ずそのような人生が、あなたのものとなるのである。


谷口清超著『幸せへのパスポート』より

           <感謝合掌 平成28年1月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2016/01/24 (Sun) 03:17:41


《24日 “今”が時なのである。機会は毎日の中にある》

“今”が時なのである。
機会は毎日の中にあるのである。

“明日からやろう”などと実行を次にのばしているような事では、
永遠に、あなた自身の“心”を改善することが出来ず、過去の惰力に押し流されて、
過去の低い状態の生活を惰力で繰り返しているに過ぎなくなるのである。


谷口雅春著『聖経版 続 真理の吟唱』より

           <感謝合掌 平成28年1月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2016/01/25 (Mon) 04:44:31


《25日 真理がさながらに動きだして、そして動くのです》

だから、「神があらわるれば、善となり、義となり、調和おのずから備わり」と、
調和おのずから備わりで、そのおのずからの動きというのが、
この「自然法爾」というんですね。

よくあの僕が書を書いてくれといわれるので、えー、こんな字を書いてあげるとですね
[黒板に書く]いったいこれは何ですかといって聞かれることがあるんだけれども、
「自然法爾」と、自然そのままにですね、真理がさながらに動きだして、そして動くのであって
、自然に欲しくなるのをやめるというんじゃないんですよ。

やめるというんじゃなくて、自然にこう動き出すそのままがですね、
調和自ずから備わりというわけです。
 
孔子の言われた「心の赴くところに従って矩を踰えず」ということになるわけであってですね。
つまり、心が整えば形の世界は心の蔭でありますから、我々の行動もですね、
その心の蔭として、自然にいい活動が自ずからできるということになるんです。

講話:谷口雅春「真・善・美の生活」より


           <感謝合掌 平成28年1月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2016/01/26 (Tue) 03:39:07


《26日 どんなに小さくてもいい。生き甲斐のあることをやろう》

どんな小さな仕事でも、意義あることをコツコツやればよいのである。
仲間をつくり、この人達とも一つの心になって、共通のよき目的のために奉仕するのだ。

どんなに小さくてもいい。
生き甲斐のあることをやろう。

誠実に、自己をいつわることなく、明るく、そして真剣に。


谷口清超著『人生の主人公となるために』より

           <感謝合掌 平成28年1月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2016/01/27 (Wed) 04:40:30

《27日 わが家庭には神の愛が充ち満ちている》

神の完全な愛がわが家庭に充満しているのである。

わが家庭には神の愛が充ち満ちているがゆえに
平和と調和とが充ち満ちているのである。
如何なる精神的摩擦も反感も不調和もないのである。

まことに天国が地上に映し出された楽園がわが家であるのである。


谷口雅春著『聖経版 真理の吟唱』より

           <感謝合掌 平成28年1月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2016/01/28 (Thu) 04:41:13


《28日 総ゆる善は神より来ると知ること》

神が善であり、一切創造の本源であると云うことを知るならば、
「敵」も「悪」も存在しないものであり、かく見えることは
唯、仮相に過ぎないことが解るのである。

が、それと同時に、我々は、「自分」と云う自我(自力、肉体我、分別我)の力によって
「善」なるものを創造出来ると考えることは間違である。

「自分」と云うものは無く、ただ「神」のみ実在し給うのであるから、
皐月の鯉の吹き流しのように、自分と云うものが空っぽになり、
そこに大生命の生きる力を吹き流し入れるならば、
あたかも空中を翩翻としてひるがえる吹き流しの鯉の如くに生々として来るのである。

「自分」と云うものを、「神」に対する別物として対立せしめ、
自分の力で何事かを成そうとすることは、「神」を信じているとは云いながら、
いつか二元論におちているのである。

尤も「自分」と見えるものは本来ないのであるから、その「自分」の力でやることも結局、
神の力でやることではないかと云うような議論も成立ち得るのであるが、それは議論であって、
実際上、自分の心の中では、「自分」と云うものを立て、全体我(大生命)としての
神をわすれて生活し、計画し、行動しているのである。

だから、そのような「我」の行動、計画、生活によって、一時、一見「幸福」や善や繁栄が
持ち来たされたかのように見えようとも、それはやがて果敢なく消ゆる陽炎の様な「幸福」であり、
「善」であり繁栄に過ぎないのである。

ハンブリン氏は云っている、「神が植えないところの凡ての植物は根のない植物であり、
神の築かないところの凡ての建物は、礎なき建物である」と。

まことに偉大なる業績は、イエスの所謂る
「われ、みずからにては成し得ず、天の父我にいまして成さしめ給うのである」
との自覚よりして得られるのである。


谷口雅春著「新版 善と福との実現」より

           <感謝合掌 平成28年1月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2016/01/29 (Fri) 04:38:36


《29日 あなたの肉体が死んでも、あなたは永遠に生き続ける》

肉体は本当のあなたではなく、あなたの“洋服”のようなものだ。
洋服は時にすり切れるが、中身は永続する。

そのように、たとえあなたの肉体が傷ついて死んでも、あなたは死なずに永遠に生き続ける。
その人生の繰返しの中で、あなたは「無限の可能性」を、美しく展開するのである。


谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

           <感謝合掌 平成28年1月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2016/01/30 (Sat) 04:38:15


《30日 愛念は生命を長寿に保つ秘訣である》

常に愛念を起こして、人に対して憎しみを知らず、慍りをしらざる人は、
その愛念が自己の肉体に影響を及ぼして、
肉体を常に柔らかく弾力をもたせて老衰を防ぐのである。


愛すれば、植物でも、動物でも、更に無機物である時計でも、万年筆でも、
長くその生命を保つのである。


谷口雅春著『愛はかくして完成す』より

           <感謝合掌 平成28年1月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2016/01/31 (Sun) 04:53:23


《31日 先ず神をわがものと為せ》
 
此の世の中に悪しきもの、暗きもの、病い、不幸、災禍等があると思うな。
かくの如き暗き観念をあなたの心の中より一掃せよ。

ただ、明るきもの、健康、幸福、祝福のみがあると信ぜよ。
そして常に心の中に「神は光にして少しの暗き所なし」と念ぜよ。
この言葉を心の中に繰り返せよ。

やがてあなたの周囲に光の世界が、
神の国の肖像なる世界が現実世界にあらわれて来るでありましょう。

天地晦冥の世界に必要なのは「闇」ではないのです。
天地をゆすぶり撼かす明るき笑い、明るき心なのであります。
「光の自分」を生きることによって、あなたの周囲に光の世界があらわれて来るのであります。

次には「肥料を与える」と否とによって、種子の中の「花の理念」は異らないでも、
それが現実世界にあらわれた場合の花の大きさには相異が生じます。

吾々の神性は如何に完全であっても放送局の放送する大交響楽は如何に偉大であっても、
それを実現するセットの材料が貧弱であっては、あたら大交響楽も、
小さき貧弱な雑音多き音楽にしか聞えないでありましょう。

「肥料」は生命の世界に於いては、外から与えられるものを単に受動的に受けるのみではなくして
自己みずから創造し、あらゆる機会をつかみ、あらゆる環境から自己を肥やし富まし、
魂の栄養となる悉くを吸収する事であります。

どんな経験も、どんな環境も、どんな周囲も、交友も、家族も、世界も、諸君自身の
完全なる神性を、仏性を、仏の種子を、実相を此の世に顕現する材料となるものなのです。

その材料の無限供給の世界こそ、
何よりもあなたにとっての無限供給の世界ではありませんか。

かくて、霑いと、日光と、肥料とが完全に揃うとき、
あなたは本当に神を吾がものとすることが出来るのであります。


谷口雅春著「新版 幸福生活論」より

           <感謝合掌 平成28年1月31日 頓首再拝>

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