伝統板・第二

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天長節(天皇誕生日) - 伝統

2015/12/23 (Wed) 05:00:42

今日(12月23日)は天長節(天皇誕生日)です。

天皇陛下の満82歳を寿ぎ申し上げます。

 天皇誕生日一般参賀
  → http://www.kunaicho.go.jp/event/sanga/sanga02.html


   ☆天皇誕生日と天長節
 
     天皇誕生日は、「天長節(てんちょうせつ)」と呼ばれていました。
 
     天長節の「天長」は、老子の第七章の

      天は長く地は久し(天長地久)。
      天地の能(よ)く長くかつ久しき所以のものは、
      その自ら生ぜざるを以てなり。

     からとられました。
 
     意味は、

      天は永遠であり地はいつまでもある。
      天が永遠で地がいつまでもあるのは、
      自身の命を育てようとしないからである。

 
     天が永遠であるように、天皇の治世が末永く続くようにという意味。
     明治以降は一世一元ですので、天皇の治世が末永く続くということは、
     同時に天皇陛下の長寿を祝うことにもなります。

     ちなみに、もととなった老子の「天長地久」から、
     天皇陛下の誕生日を天長節と呼んだように、
     皇后陛下の誕生日は地久節と呼ばれました。

        (http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlwa/200812230.htm

          ・・・

<参考 Web>

(1)光明掲示板・第一「天皇誕生日 (4962) 」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=937

(2)光明掲示板・第二「12月23日は、天皇誕生日 (3871)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=812

(3)光明掲示板・第三「天皇陛下の祈り (1084)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=226


天皇陛下、82歳の誕生日 記者会見 - 伝統

2015/12/23 (Wed) 08:20:23

天皇陛下82歳に、皇居で会見 「戦争知り、考え深めて」

          *共同通信 / 2015年12月23日 5時0分 より

82歳の誕生日を迎えられた天皇陛下と皇后さま=皇居・宮殿(宮内庁提供)
 
天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた。

これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、戦後70年の節目となった今年を
「さまざまな面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だった」と振り返った。

戦争を知らない世代が年々増えていく中で「先の戦争を十分に知り、
考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と述べた。

多くの戦争犠牲者に思いを巡らせ
「平和であったならば、社会のさまざまな分野で有意義な人生を送ったであろう人々が
命を失ったわけであり、非常に心が痛みます」とも語った。

     (http://news.infoseek.co.jp/article/23kyodo2015122201001859

 ・・・

<天皇陛下>82歳に 戦後70年「先の戦争を考えた1年」

        *毎日新聞 12月23日(水)5時0分配信 より


天皇陛下は23日、82歳の誕生日を迎えられた。
これに先立ち皇居・宮殿で記者会見し、戦後70年の今年を
「先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います」と振り返り、
「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって
極めて大切なことと思います」と述べた。


【動画】天皇陛下 82歳に
   → http://mainichi.jp/movie/?id=913352187002


天皇、皇后両陛下は4月、太平洋戦争の激戦地のパラオを訪問し、日米の慰霊碑に供花した。
陛下は、周辺の海に不発弾が多く残っていることに触れ「島々に住む人々に
大きな負担をかけるようになってしまったことを忘れてはならない」と話した。

また、戦時中に民間船員が、軍に徴用された輸送船に乗り、多数が亡くなったことについて
「輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、輸送業務に携わらなければならなかった
船員の気持ちを本当に痛ましく思います」と語った。

 
日本人2人のノーベル賞受賞については
「長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います」と話した。

また、国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)が
11月に初飛行に成功したことを「うれしいことでした」と述べ、
皇太子時代の1962年12月、戦後初の国産旅客機「YS11」の完成披露式に
出席したことを「懐かしく思い起こされました」と振り返った。

 
自然災害では、5月の鹿児島県の口永良部島の新岳噴火について
「避難生活が続いていることに心を痛めています」と述べた。

また、9月の関東・東北豪雨で大きな被害を受けた茨城県常総市を見舞い、
多くのボランティアが活動していることなどを

「困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが日本人の中に
豊かに育っていることを非常に心強く思います」と話した。

 
82歳を迎えたことについて

「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」

と述べた上で、

「一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、
少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」

と語った。【高島博之】

    (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151223-00000005-mai-soci

 ・・・



82歳の誕生日 記者会見の全文


記者 

今年は自然災害などいたましい出来事があった一方、日本人2人がノーベル賞を受賞するなど、
明るい話題もありました。

天皇陛下は戦後70年の節目に当たり、新年のご感想で
「満州事変に始まる戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えることが極めて大切」
と述べられ、パラオをはじめ、国内外で慰霊の旅を重ねられました。

また、全国戦没者追悼式では「さきの大戦に対する深い反省」という表現を新たに用いて
お言葉を述べられたほか、玉音盤の原盤や、御文庫附属庫の公開もありました。

年明けには、フィリピンへの公式訪問が予定されています。

戦争や平和への思いに触れながら、
この1年を振り返るとともに、来年へのお考えをお聞かせください。

 

天皇陛下 

今年の自然災害としては、まず5月に鹿児島県の口永良部島の新岳が噴火して、
海岸まで達する火砕流が発生し、全島民が島から避難したことが挙げられます。

火砕流は雲仙岳の噴火災害のお見舞いに行った時に見ましたが、
海岸まで達する火砕流は本当に恐ろしい光景だったと思います。
島民は幸い皆無事でしたが、まだ避難生活が続いていることに心を痛めています。

 

9月には豪雨により鬼怒川などが氾濫し、8人が亡くなる大きな災害となりました。
氾濫により多くの人々が家々に閉じ込められ、どんなにか不安な時を過ごしたことかと思います。

自衛隊を始めとするヘリコプター等の救助活動により、
人々が無事に救出されたことは本当に幸いなことでした。
危険を伴う救出活動に携わった人々に深く感謝しています。

水につかった家屋や田畑の復旧作業には多くの労力を必要とするもので、
多数のボランティアが協力してくれていることをうれしく思っています。

困難に遭遇している人々を助けようという気持ちが
日本人の中に豊かに育っていることを非常に心強く思います。

後日、常総市の被災地をお見舞いしましたが、泥水につかった田畑が広がり、
苦労して作物を育ててきた人々の気持ちはいかばかりかと察せられました。


 
今年の喜ばしい出来事としては、まず二人の日本人がノーベル賞を受賞されたことが挙げられます。
大村博士の生理学・医学賞は、アフリカや南米で、人に感染すると盲目になる危険をもたらす
オンコセルカ症を治す薬を地中の菌から作り出されたことなどの業績によるものです。

私は以前、オンコセルカ症を患って盲目になった人々が連なって歩いている痛ましい映像を
見ていましたので、この病気を治す薬が出来たということを本当にうれしく思いました。

一方、梶田博士の物理学賞は、神岡鉱山の地下にあるスーパーカミオカンデにおける
ニュートリノの研究で、ニュートリノに質量があることを見出されたことに対する授賞でした。
11年前、スーパーカミオカンデを訪問したことが思い起こされました。

お二人の長年にわたる地道な研究を誠に尊いものと思います。

 

また、日本製のジェット旅客機が完成し、試験飛行が行われたこともうれしいことでした。
かつて日本で戦後初めてつくられたプロペラの旅客機YS11の試験飛行を、
羽田の空港で関係者と共に見守ったことが懐かしく思い起こされました。そ
れから50年以上がたったわけです。

 

今年は先の大戦が終結して70年という節目の年に当たります。
この戦争においては、軍人以外の人々も含め、誠に多くの人命が失われました。
平和であったならば、社会の様々な分野で有意義な人生を送ったであろう人々が
命を失ったわけであり、このことを考えると、非常に心が痛みます。

軍人以外に戦争によって生命にかかわる大きな犠牲を払った人々として、
民間の船の船員があります。将来は外国航路の船員になることも夢見た人々が、
民間の船を徴用して軍人や軍用物資などをのせる輸送船の船員として働き、
敵の攻撃によって命を失いました。

日本は海に囲まれ、海運国として発展していました。
私も小さい時、船の絵葉書を見て楽しんだことがありますが、それらの船は、
病院船として残った氷川丸以外は、ほとんど海に沈んだということを後に知りました。

制空権がなく、輸送船を守るべき軍艦などもない状況下でも、
輸送業務に携わらなければならなかった船員の気持ちを本当に痛ましく思います。
今年の6月には第45回戦没・殉職船員追悼式が神奈川県の戦没船員の碑の前で行われ、
亡くなった船員のことを思い、供花しました。

 
この節目の年に当たり、かつて日本の委任統治領であったパラオ共和国を皇后と共に訪問し、
ペリリュー島にある日本政府の建立した西太平洋戦没者の碑と
米国陸軍第81歩兵師団慰霊碑に供花しました。

パラオ共和国大統領御夫妻、マーシャル諸島共和国大統領御夫妻、
ミクロネシア連邦大統領御夫妻もこの訪問に同行してくださったことを深く感謝しています。

この戦没者の碑の先にはアンガウル島があり、
そこでも激戦により多くの人々が亡くなりました。
アンガウル島は、今、激しい戦闘が行われた所とは思えないような
木々の茂る緑の島となっています。

空から見たパラオ共和国は珊瑚礁(さんごしょう)に囲まれた美しい島々からなっています。
しかし、この海には無数の不発弾が沈んでおり、今日、技術を持った元海上自衛隊員が
その処理に従事しています。

危険を伴う作業であり、この海が安全になるまでにはまだ大変な時間のかかることと知りました。

先の戦争が、島々に住む人々に大きな負担をかけるようになってしまったことを
忘れてはならないと思います。

パラオ訪問の後、夏には宮城県の北原尾、栃木県の千振、長野県の大日向と
戦後の引揚者が入植した開拓の地を訪ねました。

外地での開拓で多大な努力を払った人々が、引き揚げの困難を経、
不毛に近い土地を必死に耕し、家畜を飼い、生活を立てた苦労がしのばれました。
北原尾は、北のパラオという意味で、パラオから引き揚げてきた人々が入植したところです。

 

この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。
年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、
考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います。

 

私はこの誕生日で82になります。
年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました。
したがって、一つ一つの行事に注意深く臨むことによって、
少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです。

 
今年もあとわずかになりました。来る年が人々にとって少しでも良い年となるよう願っています。

http://mainichi.jp/articles/20151223/k00/00m/040/131000c

天長地久 - 伝統

2015/12/26 (Sat) 04:59:49


折角の機会ですので、天皇誕生日から離れて、谷口雅春先生の著から
老子の言葉「天長地久」のご解釈を紹介させていただきます。

          *「老子を現代に生かす」(P24~26)より


(原文)

天長地久、天地所以能長且久者、以其不自生、故能長生。


(書き下し)

天長く地は久(ひさ)し。
天地の能(よ)く長く、且(か)つ久しき所以(ゆえん)の者は、其(そ)の自(みずか)ら
生(しょう)ぜざるを以(もつ)て、故(ゆえ)に能(よ)く長(とこしなえ)に生(い)く。


(解釈)

誰も天が滅びたのを見たことはあるまい。
誰も地が亡(ほろ)びたものを見たことはあるまい。

天は長く、地は久しいのである。

何故に天は長く地は久しく続くのであるか。

それは自分で生まれたのではない。
その《まま》あるからである。
そのままのものが長生きするのである。

人間でも、やれ滋養物だ、やれ栄養剤だ。ビタミンがどうだ、冷たい風が恐ろしいとか
何とか云って人間巧者で長生きしようとするものは却って短命である。

そのまま素直に何でも有難く受けている者が長生きする。

生長の家の誌友で大陸へ聖戦に従った者の実例で見ると、その人は病気上がりの
虚弱な体質の人であっても、不思議に大陸の風土病である赤痢や、マラリヤには
罹らずに済んでいるいるのである。

みずから生じたものは滅びるが、みずから生じないところの其のままのものは滅びない。

財産でも自ずから生じた富、無理に策略を弄して作った富は間もなく滅びてしまう。
実際日露戦争や、第一次欧州大戦で生じた多くの成金どもは、一時は非常な巨富を擁した
けれども、大抵はその後の恐慌(パニック)に滅びてしまっているのである。

                  ・・・


(原文)

是以聖人、後其身而身先、外其身而身存。非以其無私耶、故能成其私。


(書き下し)

是(こ)れを以(もつ)て聖人は、其(そ)の身(み)を後(うしろ)にして、
而(しか)も身(しん)先(さき)んじ、其の身(しん)を外にして而も身(しん)存(そん)す。
其の私なきを以(もつ)てに非(あら)ず耶(や)、故に能くその私(わたくし)を成す。


(解釈)

自(みずか)ら生じようと思い、自ら上にあがろうと思い、自ら達者になろうと思い、
自ら富者になろうと思うのは人為であって人為は偽(いつわ)りであるから一時は栄える
ように見えても滅びるのであるが、聖人は自らそのまま其処に處(お)るのであって、
自然にまかせて、大自然の発展力をわがものとするのである。

自分の身の栄達を先にせずして、他(た)を生かそうとするから、
自然に自分が押し上げられて自分が高い位置に上がることになる。

自分の身を『外(そと)にする』すなわち無視して、
他(ほか)のために捧げるからそのような人は是非ともいて貰わなければならないと、
人々から貴(とうと)ばれて却ってその身が安全となるのである。

聖人の生活には『私(わたくし)』がない。
『私』がないから却って『私』が生かされることになるのである。

みずから生きようと思ってもがいたり、作為したりしないことが肝要である。

            <感謝合掌 平成27年12月26日 頓首再拝>

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