伝統板・第二

2540908
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一陽来復 - 伝統

2015/12/22 (Tue) 08:42:07


今日12月22日は冬至で、「一陽来復」ともいいます。


   「一陽来復」は、五経の一つ「易経」に出てくる言葉。

    → http://ameblo.jp/kokorokeiei/entry-11912438831.html


冬至の翌日から日が延びるため、中国や日本では、
この日は陰の極みで、翌日から再び陽にかえると考えられてきました。

それを「一陽来復」といい、この日を境に運が向くとされています。

つまり、みんなが上昇運に転じる日なのです!

「復」を幸福の「福」に置き換えて、「一陽来福」と表現する処もあります。



《運盛り》

冬至には「ん」のつくものを食べると「運」が呼びこめるといわれています。
にんじん、だいこん、れんこん、うどん、ぎんなん、きんかん......など。
「ん」のつくものを運盛り といって縁起をかついでいたのです。

かぼちゃは、なんきん! 
運盛りは縁起かつぎだけでなく、栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵でもあります。

また、「いろはにほへと」が「ん」で終わることから、
「ん」には一陽来復の願いが込められているのです。



《柚子湯》

「一陽来復」の運を呼びこむ前に、厄払いするための禊(みそぎ)として身を清めました。
冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもありました。
端午の節供の菖蒲湯も同じです。

また、柚子(ゆず)=「融通」がきく、冬至=「湯治」に通じて縁起もよいため、
冬至には柚子となりました。

もちろん、柚子湯には血行を促進して冷え性を緩和したり、体を温めて風邪を予防したり、
果皮に含まれるクエン酸やビタミンCによる美肌効果があります。

さらに、芳香によるリラックス効果もありますから、
元気に冬を越すためにも大いに役立ちます。

     (http://www.i-nekko.jp/meguritokoyomi/nijyushisekki/touji/

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第三「一陽来復」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=489 

(2)光明掲示板・伝統・第一「一陽来復 (15)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=11

           <感謝合掌 平成27年12月22日 頓首再拝>

《新鮮なる生命感に満ち溢れよ》 - 伝統

2016/01/18 (Mon) 04:31:21


          *「光明法語」(P24~25)より

新しい環境は新しい飛躍を生むのである。
新しい環境がなければ生命は溌溂として生きて来ないのである。

新しき環境に於いて新しき夢は描かれ、
新しき経験は始まり新しき事物は発生し
幸福と新しき文化は構成される。

今汝の心を開いて新しき世界に対処せよ。
新しきものを拒絶する勿れ。

新しきものは汝を新しく生かさんが為に
神から遣わされたところの天の使いである。

如何なる変化が起ろうとも木枯らしが吹荒(ふきすさ)ぶとも
春は旋(やが)て来るであろう。

満目霄壤(まんもくしょうじょう)、荒涼たる風光の中に
一陽来復の桜花爛漫たる春が用意されているのである。

           <感謝合掌 平成28年1月18日 頓首再拝>

一陽来復(冬至) - 伝統

2016/12/21 (Wed) 17:45:24


今日12月21日は冬至で、「一陽来復」ともいいます。


「一陽来復」は中国の「易経」に出てくる言葉。

「冬至」は一年中で昼が一番短く、夜が一番長くなる日ですが、
この日を境に太陽が出ている時間が次第に長くなることから
『一陽来復』(いちようらいふく)、「陰極まって陽に転ず日」と言われています。

ずっと昔はこの日が一年の始まりと考えられており、世界各地に残る冬至祭は、
太陽の力が最も弱まった日が無事に過ぎ去り、太陽の復活を祝う日でした。


中国の昔の暦では10月はすべて陰の気で覆われ、
11月になると陽の気が復活し、冬至を境に長くなっていくとされています。

つまり、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるというわけ。

そのため、新年が来るという意味の他に、
悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味も込められているのです。

良くないことが続いている人も、
冬至が来たら「さあ、これからは良いことがどんどんやって来る」と
気持ちを切り替えましょう。

そういうきっかけを与えてくれる日でもあるのです。

辛いことや悪いことが終わり幸運がやって来る、
すなわち、冬が去って春が訪れることを告げる日となります。

よって、冬至を指す「一陽来復」は「冬が去り、春が来ること」を意味すると同時に
「悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方に向かうこと」でもあります。

この日に「ん」がつく物を食べて、一陽来復の運気上昇にあやかり、
無病息災を願う風習が各地に残ります。

ちなみに、「ん」がつく食べ物とは、大根や蜜柑(みかん)もそうですが、
よく言われるのは下記の7つです。

   南瓜(なんきん)かぼちゃ
   人参(にんじん)
   蓮根(れんこん)
   金柑(きんかん)
   銀杏(ぎんなん)
   寒天(かんてん)
   饂飩(うんどん)うどん


 上記がいわゆる「冬至の七種(ななくさ)」です。

           <感謝合掌 平成28年12月21日 頓首再拝>

令和元年冬至~一陽来復 - 伝統

2019/12/22 (Sun) 12:50:21



今日は年間を通して夜が一番長く昼が最も短い「冬至」です。

ずっと昔はこの日が一年の始まりと考えられており、
世界各地に残る冬至祭は、太陽の力が最も弱まった日が無事に過ぎ去り、
太陽の復活を祝う日でした。

(参考Web
 :https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/1a7e89aa968a9b18f9d59465dd87b83d )

 
冬至を指す「一陽来復」は「冬が去り、春が来ること」を意味すると同時に
「悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方に向かうこと」でもあります。

 
また、冬至には「ん」がつく物を食べて、一陽来復の運気上昇にあやかり、
無病息災を願う風習が各地に残ります。

「ん」がつく食べ物とは、大根や蜜柑(みかん)もそうですが、
よく言われるのは下記の7つで、いわゆる「冬至の七種(ななくさ)」です。

    南瓜(なんきん)かぼちゃ
    人参(にんじん)
    蓮根(れんこん)
    金柑(きんかん)
    銀杏(ぎんなん)
    寒天(かんてん)
    饂飩(うんどん)うどん

「ん(運)」がつく食べ物は「いろはにほへと・・・ん」で一陽来復、
また最初に戻る縁起物。

柚子を融通、冬至を湯治にかけて柚子湯に入るのは願掛けでもあります。

歳の暮れと新年を迎える準備が合わさった忙しさの中でも守られてきた
こうした習慣には、家族の健康への気遣いとこれからの無病息災への願い、
そして新しい年を迎える前の禊ぎの意味合いがあったとされています。

                ・・・

《落葉と見える中に本当は百華爛漫が既に隠れているのである》

         *「神と偕に生きる真理365章」(P43)より

疲労は疲労のためにあるのではなく、疲労回復のためにあるのである。
それは、樹木の落葉と同じように生命のエネルギーが内に沈潜して自己を養い
一陽来復の春が来たとき爛漫たる百華を咲かせんがための下準備を成しつつあるのである。

不景気や事業の停頓もやがて景気来復の下準備に経済界がエネルギーを内に沈潜しつつ
力を養いつつあるのだということを知らねばならぬ。
どんな経済界も永久に沈滞して、景気が再来しなかった実例などはないのである。

神は現象の奥に、常に向上一途の不屈の力を携えて常に前進をつづけつつあるのである。
悲観したり、絶望したりすることを止めよ。

百華爛漫の春が来ることを神は保証し給うているのである。

一粒(いちりゅう)の種子を見ても、その外観の小ささを見ないで、
その現象の微小なる姿の奥に、既に亭々と伸びる巨樹の原型があつのである。

常に、現象の奥にある常住の繁栄を見る者は、”智慧ある者”である。

           <感謝合掌 令和元年12月22日 頓首再拝>

令和2年冬至~一陽来復 - 伝統

2020/12/21 (Mon) 06:47:12


寒さが厳しくなってきましたが、本日は「大安」。
そして、冬が至ると書く「冬至」です。


「冬至」は一年中で昼が一番短く、夜が一番長くなる日ですが、
この日を境に太陽が出ている時間が次第に長くなることから
『一陽来復』(いちようらいふく)、
「陰極まって陽に転ず日」と言われています。


ずっと昔はこの日が一年の始まりと考えられており、
世界各地に残る冬至祭は、太陽の力が最も弱まった日が無事に
過ぎ去り、太陽の復活を祝う日でした。


中国の昔の暦では10月はすべて陰の気で覆われ、
11月になると陽の気が復活し、
冬至を境に長くなっていくとされています。

つまり、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるというわけです。

そのため、新年が来るという意味の他に、
悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味も込められているのです。

良くないことが続いている人も、
冬至が来たら「さあ、これからは良いことがどんどんやって来る」
と気持ちを切り替えましょう。

そういうきっかけを与えてくれる日でもあります。

辛いことや悪いことが終わり幸運がやって来る、
すなわち、冬が去って春が訪れることを告げる日となります。

よって、冬至を指す「一陽来復」は
「冬が去り、春が来ること」を意味すると同時に
「悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方に向かうこと」でもあります。

           <感謝合掌 令和2年12月21日 頓首再拝>

『新陽』(しんよう) - 伝統

2020/12/21 (Mon) 13:10:56


        *メルマガ「夢の言の葉」( 2020年12月21日
                      ---旧暦11月7日---)より

 ☆--------------旧暦11月、または、冬至のこと--------------
 
 
『新陽』は、新年という意味でも使われました。
 
たしかに、初日の出の情景が重なります。
 

とはいえ、古くは、旧暦11月や冬至をさした言葉です。
 
そもそも、暦ができた当初は、冬至が一年のはじまりでした。
 
元日が、冬至ではなくなってからも、旧暦の暦作りは、
冬至を基準として、作成されました。
 
 
そして、11月に冬至がくることから、『新陽』は、
月名の異称としても使われるようになったのです。
 
 
太陽の照らす時間が、一年で最も短くなり、高度も最も低くなる冬至の日。
 
ですが、この日を境に、少しずつ、日が長くなり、
太陽も高くのぼるようになっていきます。
 
 
 太陽が復活する……そう感じて、『新陽』と呼んだのでしょう。
 
 
一つの「陽」が、ふたたび戻ってくるという意味の、
「一陽来復」も、冬至をあらわす言葉です。
 
 
やがて、悪いことが続いた後、ようやく好転することも、
「一陽来復」と呼ぶようになりました。
 
 
どうか、よみがえる太陽とともに、
明るい兆しが見えてきますように……。
 
祈りをこめて、『新陽』を迎えたいと思います。
 
           <感謝合掌 令和2年12月21日 頓首再拝>

春を待つ心 - 伝統

2020/12/21 (Mon) 21:23:11


      *メルマガ「大和し」(令和2(2020)年12月21日)より


今日は冬至です。

二十四節気では、1月5日の小寒までとなります。

冬至は、一陽来復です。
つまり、太陽が蘇ってくる時であり、陰から陽へ転じる節目の時です。
新たな年を迎えるためのエネルギーが増してくるのです。

「春を待つ心」というのはとても大切なことだと思います。

冬至のころは冬の最中です。
寒いからと言って、何もせずに暖かくなるのを待っているのではありません。

「静かさ」を楽しむというのでしょうか。
自分の歩んできた過去は自分が一番よく知っています。
その過去をゆっくりと振り返るためには、静寂という「静かさ」が必要です。

冬至の時は、自分の過去と向き合うよい時間です。
たった1時間でもいい、静けさの中に自分を置いてみます。

過去は消すことができません。
そして、すべての過去は「今」につながっています。

もしあの時、違う決断をしていたら・・・と奇跡のような偶然に驚きます。
その時はその偶然に何も気がついていなくても、
数年たってみればそれが「奇跡」だと気がつきます。

もしかしたら後悔することがあるかもしれません。

しかし、あの偶然があったからこそ今があり、
今ここに自分がいるのは後悔するものではなく、
それが正解だったと言えるのではないでしょうか。

過去を振り返ると、やはり人生は自分が決断して作ってきています。
どんな環境に置かれても、自分で決めて自分で行動してきた結果です。

そのように考えると、
「自分とは何か」ということが少しずつ見えてきて、
そうか! と思うことがあります。

自分の弱さや強さ、そして自分の考え方や行動パターンなど、
気がつくことが多いのです。

実は、この「自分に気がつく」ことが
最もエネルギーが湧いてくることなのです。

過去を振り返っていると様々な奇跡に出会ったことに気がつきます。
そしてそれは、自分で起こした奇跡的な偶然ばかりです。

そうすると、次は「未来はどうか」と考えるようになります。
今があるということは、当然これから来る「未来」もあるということです。

自分の未来に思いをはせる時、未知の力が蘇ってきます。
これから来る、奇跡的な偶然が楽しみになってくるのです。

新たな年はこんなこともしてみたい、挑戦してみよう・・・
未知の自分に出会う楽しみがどんどん沸いてきます。
夢が広がるのです。
自分で創る新たな人生の夢が開けてきます。

21日から1月5日は、静寂の中に自分の身を置いてみる時です。

心が穏やかになって、一歩前に進めようという
「あらたな魂」の声を聴くことができます。

自然(あめつち)の約束は、冬の次には春が来ることです。
春になれば自然(あめつち)は動き出します。

過去と向き合い、未来の夢を創る・・・これが「春を待つ心」です。

たった1時間でもいい、「静かさ」を楽しんでみよう。

「春を待つ心」を感じるはずです。

           <感謝合掌 令和2年12月21日 頓首再拝>

令和3年冬至~一陽来復 - 伝統

2021/12/22 (Wed) 18:15:18


きょうは年間を通して夜が一番長く昼が最も短い「冬至」です。

ずっと昔はこの日が一年の始まりと考えられており、
世界各地に残る冬至祭は、太陽の力が最も弱まった日が無事に過ぎ去り、
太陽と生命力の復活を祝う日でした。

冬至を指す「一陽来復」は「冬が去り、春が来ること」を意味することから
「悪い事が続いたあと、ようやく物事が良い方に向かうこと」と捉えられ、
従って冬至は運気が上向く吉日でもあります。

・・・

冬至で大逆転が始まる

      *メルマガ「大和し」(2021.12.22)より

冬至は「一陽来復」の日。復活の日。

一年には季節の区切りとなる時が4回あります。
夏至、冬至、春分、秋分を「二至二分」といって、
終わりと同時に始まりの日になります。

その中で、冬至は夜が最も長い日です。
従って、太陽の力が最も弱まる日として、暦の元ともなっているのです。

寒さが最も厳しくなるのは、「大寒」で
来年は1月20日ですから、約1ヶ月後です。

そして、そこを過ぎると、2月4日はいよいよ立春正月です。
5日が大安吉日になるので、寅年が幕を開けることになります。
春の到来は、立春からです。

冬至は太陽の力が最も弱まる日なのですが、
それと同時にこの日から新たな一年が始まります。

陰陽でいえば、陰の暗いイメージから
陽の明るい世界への折り返し地点こそが冬至の日です。

気分も陰から陽へうまく展開していくことができるのです。

悪いことも、良いことも長く続くことはありません。
全てに始まりがあって、終わりがある。
リセットすることで運は向いてきます。

しかし、リセットしてもすぐには状況が転換するわけではありません。
冬至から立春までの厳しい寒さの期間を過ごさなければならないのです。

そのためには、体力の維持と
勢いの継続が大切なのは言うまでもありません。

(中略)

寒さが厳しいと、体力が減退しがちですから、
体の中にエネルギーを蓄え、力を生み出すためには、
効果の高い食べ物が必要です。


冬至は始まりの日、復活の日です。

物事の始まりには、「縁起よく」始めなければなりません。
難を振り払って福を呼び込む秘訣は「力」です。

力はどうしたら出てくるかといえば、声です。
声を大きく出すことで、古いエネルギーが吐き出されて、
新たなエネルギーが入ってきます。

体の中の迷いや不安、そしてイライラや不満・・・は
声を出して一気に吐き出します。

そうすることで、心の持ち方が変わってきます。

「なんでこんなことに悩んでいるのだろう」と
悩んで止まっていることがバカバカしくなってきます。

前回のメルマガでは「挨拶」についてお伝えしましたが、
元気の良い挨拶ほど運気を転換できるものはありません。
特に「朝の挨拶」は体に不思議なパワーを生み出してくれます。

朝日に向かって、「おはよう!」と大きな声で、
元気よくそして明るく、笑顔で挨拶してみます。
そして、左足から大きく一歩を踏み出していきます。
するとどうでしょう、昨日までとは全く違う、
新しい一日が始まったことを実感できると思います。

新しい一日を生きること、その一日を貰えたことが貴重なのであって、
その一日こそ最良の一日です。

「ん」を食べて、声を出して、ここから大逆転の人生を始めよう!

           <感謝合掌 令和3年12月22日 頓首再拝>

《新鮮なる生命感に満ち溢れよ》 - 伝統

2022/01/17 (Mon) 04:51:58


        *「光明法語」(1月17日)より

新しい環境は新しい飛躍を生むのである。
新しい環境がなければ生命は溌溂として生きて来ないのである。

新しき環境に於いて新しき夢は描かれ、
新しき経験は始まり新しき事物は発生し
幸福と新しき文化は構成される。

今汝の心を開いて新しき世界に対処せよ。
新しきものを拒絶する勿れ。

新しきものは汝を新しく生かさんが為に
神から遣わされたところの天の使いである。

如何なる変化が起ろうとも木枯らしが吹荒(ふきすさ)ぶとも
春は旋(やが)て来るであろう。

満目霄壤(まんもくしょうじょう)、荒涼たる風光の中に
一陽来復の桜花爛漫たる春が用意されているのである。

           <感謝合掌 令和4年1月17日 頓首再拝>

春の新芽は冬できる - 伝統

2022/02/26 (Sat) 05:00:16


       *『人生読本』(P33~34)より

うまくズンズン伸びる時には、楽しそうで元気が出て、
愉快に勉強したり、仕事をしたりしますけれども、

一つ好(よ)い具合に行かなくなるとしょげてしまって、
いじけてしまって、ふさぎ込んで何もできなくなる人がありますが、
そんなことでは本当に伸びることはできません。

うまくズンズン伸びる時には、
その伸び方がしっかりしていないものです。

植物でも、暖かい楽な季節に伸びたところは、
柔らかく伸びていてしっかりしていません。

冬の寒い季節に伸びたところは、
堅(かた)くシッカリとしているのです。


人間も楽に伸びたところと、
困難と闘ってシッカリと伸びたところとが、
互いに入れちがいに波のようになっているので、
いろいろの美しさが生まれてくるのです。

植物でも、横に切ってみると、
年輪といって、渦巻きのような木目の美しさがあるのは
そのためです。

樹木はそうして一様に堅くあるよりも、
一様に柔らかくあるよりも、
美しくて強くて弾力があるのです。

           <感謝合掌 令和4年2月26日 頓首再拝>

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