伝統板・第二

2519066
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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉④ - 夕刻版

2015/12/10 (Thu) 19:12:25


《悪意をもって迫り来る者に対して》

            *『理想世界』(昭和47年新年号)より

意識的に悪意をもって迫って来るものは、
無邪気に昂奮して腹立てて迫って来る者よりは、非常に扱いにくいのである。

こういう人に論争は無用である。

真理を与えても、いたずらに真理を侮辱するばかりである。

しかしながら、どんな人間にも“神性”〈仏性〉は宿っているのである。

“人間”対“人間”では相手を善導することはできなくとも、神なら善導できるのである。

神に祈って、瞑想の中に彼を、神の慈悲の掌中にあずけるがよいのである。

そして、あとは忘れてしまうがよい。

“忘れる”とは、その相手に自分の“心の紐”をつけないことである。

自分の“心の紐”をつけている限りは、
神に全然まかせたのではないから、充分、神が働けない訳である。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/a180561efc98ba8832215db9b142c3ef より転写)

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6582228


          <感謝合掌 平成27年12月10日 頓首再拝>

昭和4年12月13日 『今起て! 』 の神啓 - 伝統

2015/12/13 (Sun) 19:41:23


            *『生命の實相』自傳篇 より
 
盗難、それは他の人にとっては何でもない、あり勝ちな人生の出来事に過ぎないのであった。 
併し、私にとっては重大な意義があった。 

と言うのは、私の悟りを発表して人類を光明化するため雑誌を発行するのは、
月々の月給の一部を貯蓄して、それが発行維持費に達した時に始めようと
思っていたからであった。

併し関東震災後、これで私の盗難は2度目であって、
いつも幾らか平常の衣服などが揃うたと思う時分に、
全部ソックリそれを持って行かれるのであった。 

こんなことを続けていたら、何日私の使命感を完うする仕事が出来る時が来るか判らない。 
永久に、私の使命感を果さずにこの肉体は死んで了うかも知れないと思った。 

その時、

 『今起て!』

と言う声が、覚えず私の頭の中で、どこからともなく降るように聴こえて来たのだ。 

 『今起て!』  とその声は言った。

 『今のほかに時はない。 「今」 の中に無限があり、無尽蔵がある。 
  軍資金が出来てから、時間の余裕が出来てから、身体の余裕が出来てから、
  光明化運動を始めようなどと言うのは間違いだ。 

  三界は唯心の現れだ。 
  力が出ると知れば、その時既に無限の力は汝の有である。 

  実相のお前は久遠の神性であり、既に無限の力を持っているのだ。 
  既に無限の力を有っているのだ』


 『だけど、それは実相のことです。 
  私はまだ現象としては無力であり、現象としては資力がありません』  私は心の中で抗弁した。

 『無力なことはない。 力は与えてある。 資力も与えてある』

 『実相はそうでも、現象の自分は ・・・・・ 』

 『現象は無い! 無いものに引っかかるな。 無いものは無いのだ。 
  知れ! 実相のみがあるのだ。 お前が実相だ、釈迦だ、基督だ、無限だ、無尽蔵だ!』

 大きな降雹のたばしるような声が私の頭の中でした。 私は全身の痺れを感じた。

 久遠の今、既に無限力であり無限智であり、仏である自覚が自分に蘇生って来た。



もう、私は何の懸念するところもなかった。 
私は早速ペンをとって、雑誌 『生長の家』 の原稿を書き始めた。 
盗まれて貧しくなって私は以前よりも大きな家に引移った。 

何故なら私は現象的には盗難に罹って貧しくなっていたが、もう無尽蔵の富者だったからである。

       (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18925181.html より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月13日 頓首再拝> 

神想観から立つ“いのち” - 伝統

2015/12/15 (Tue) 19:26:34

           *『生長の家』誌 40年新年号より
            ~福島正俊
 

元住吉神社の社前に坐して祈る時、
いつも反省させられるのは、自分にはまだまだ、力みがあることだ。 

人類光明化運動、 などと言って力んでしまっては、もう人はついてこられないのである。 
自然に、淡々として行じきってゆくところに偉大なる力があるのだ。 

それにはやはり 『神想観』 を行じなければならない。

力むのは相手の欠点をつかむからである。 
相手の欠点をつかんで伝道をやっても、神の “いのち” はあらわれない。 

伝道とは、人々を拝む行なのである。 

理窟をかなぐり捨てて相手の “いのち” を拝みきるのである。 
拝みきったとき、自分の “いのち” が相手に伝わって、
相手の “いのち” とピタリと一つになるのである。 

これが伝道である。

伝道は生命の礼拝の直接体験である。 
伝道にたつと、理窟で人を拝もうなどと考えているのが、かなぐり捨てさられるのである。 
だから伝道にたつと謙虚な心になるのである。 
そこがどうしても拝まなければならない場であるからだ。

職場において、本当に職場の人々の “いのち” を拝みきっているか。
本当に拝みきっているか、特に思想を異にする職場ではともすれば対立の心がおこりやすい。 
だからますます 『神想観』 が大切になってくるのである。

『神想観』 から立つ “いのち” になって始めて
周囲の人々に貴い御教えを納得させることができるのである。 
伝道は先ず職場から、家庭から始めなければならないのだ。 

 
徒らに法則によって人を批判してはならない。 
法則による批判は相対の世界にたつもので厳としていましむべきである。 

法則は “いのち” のあらわれんがための自壊する姿なのであって、
軽々しく口にすべきものではない。 

あくまでもいついつまでも “いの”ち をみつめ、 “いのち” のあらわれんことを祈る、
これが 『神想観』 なのである。

この 『神想観』 を行じきってこそ祖国は救われるのである。 
祖国が救われる、とか祖国を救うなどの言葉自体がもう、相対の言葉である。

祖国の “いのち” を生きるのだ。

唯々生きぬいてゆくのだ。

これからは、いろいろなことが起る。 
祖国の内外にいろいろなことがおきてくる。 

この中で吾々は 『神想観』 の中から立つ “いのち” を
生きて生きて生きにてゆくより他に道はないのである。

光明化実践行動隊が結成されたが、
この隊の根本は、何と言っても “いのちの自覚” 以外にはないのだ。 
“いのち” が自覚されたとき自然に行動となってあらわれているのである。

吾々は今、街頭伝道にたっている。 

それは止むに止まれぬ “いのち” の自覚からである。

今日一日、本当に 『神想観』 を生ききったか。 
『神想観』 を行ずるのではない。 
『神想観』 を生ききるのである。 

行するのはまだ手ぬるいのである。 
『生長の家大神』 よ、我れを導きたまえ。 

一日一日が真剣なる 『神想観』 だ。

    (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24592030.html より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月15日 頓首再拝>  

宗教家の現代的使命 - 伝統

2015/12/19 (Sat) 19:32:46


            *『叡智の断片』(P75~77)より

宗教が一切衆生を救済し得るためには時代応現の姿がなければならないのである。

しかし現代の神学者や宗教家は果して其の尊き任務を果しているのであろうか。
ハードマン博士は、彼らは心の内で次の如く呟いているのだから駄目であると云う。

「一体何故私は、更に探求をつづけるそんな厄介な事をしなければならないんだろう。
私の信条や教理や教義は神について窮極の真理を述べているのじゃないか。

たとい人間がまだ、苦難や罪や貧窮に苦しみ躓きながら進んでいるとしても、
それが彼らが『信じて救われ』ることを気嫌いしているからである。

私の仕事は未来の天国のために魂を救済することにある。
我々の超自然的神示、世を救い悪魔を征服するための一人の人間の犠牲 
(編者註、基督の十字架) ――  そのことだけで沢山なのだ。

私は説教する。
しかし心の法則、精神の法則を探求するなんて事はまっぴらだ。
何故かだって?

そんな事をすれば、私が神について
完全には知っていないと白状すると同じようなものではないか。

私が肝腎な所で眠り込んでいたかもしれないとか、
或は全然まちがっていたかもしれないと云うような、ほのめかしの侮辱はもう沢山だ」 と。

これが現代の宗教家の考えではたまらない。

 
これでは、科学的頭脳をもった近代人には宗教の救いは何の縁もないものとなる。

宗教家が真に現代を救おうと思うならば、
もっと科学的に宗教が語られなければならないのである。

この点、ハードマンの神学の如きは、質に宗教の科学的解説と云うべきものである。
尤(もっと)も博士も云う。


「我々が物質の秘められたる特性を究明する事によって、
”未知なるもの、神”を顕わす事が出来なかった事は事実である。

私自身、神を求めて物質世界を凝視した。
種子や花の内部を克明にしらべたが、その構造はわかっても、
神を見出す事は出来ない。

岩を割って見た。
結晶は見出されたが神を見出すことは出来ない。

天体も研究したが、星の輝きを見る事は出来たが、
《輝ける一つなる者》を見る事は出来なかった。


そして遂に、私は、私自身の魂の内部に《かくれたるにいます一つなるものの存在》を
求め、そして『世にある凡ての存在(もの)を照らし給う《光》』を見出したのである。

この時、全世界は、かの《永遠なる光》によって輝きわたったのである」と。


ここに到って博士の神学は、法華経の「唯佛与佛乃能究盡」の境地まで入ったと
云うことが出来る。

そして博士は云う。
「《神の子は》、わが大我(Greater Self)であり、《主》であり、
それは凡ての者の魂に住み、かつ認められん事を希っている」と。
    (引用文は同博士著”Youer Menntal Radio”による。)

          <感謝合掌 平成27年12月19日 頓首再拝> 

『萬物一元萬教帰一成就燈』 点灯 - 伝統

2015/12/22 (Tue) 19:20:42


           *『生長の家』誌(昭和59年3月)より
            ~ 生長の家本部教務局長  岩田 安雄

生長の家宇治別格本山 宝蔵神社発行の体験談集に掲載されている、
広島市にお住いの沢さんの内容に心ひかれました。


       『霊牌祭祀の功徳 海を越えアメリカへ』

「次男は、3年程前からアメリカのロスアンゼルスにあるM・F社に派遣されております。 
従業員500人ぐらいで、社長の重役も一般従業員も全てアメリカ人で、
次男がその中に日本人としてただ一人派遣されました。

斜陽した会社を発展させるための使命を担ってですが、
最初はわざわざ日本から何しに来たかという態度で坐る机も無いという具合でした。

昨年の6月23日でした。 電話があり、ロスの次男からでした。 
そのとき、日本では夕方7時でしたが、ロスでは早朝であると言っておりました。

電話をかけてきた目的は、『今日これから会社の運命を決定する重要な会議がある。 
ところが人間智でどうにもならないほど混乱している。 お父さん、お母さん祈って下さい』

とのことでした。 

その時、私は無我夢中でしたが 『霊牌』 を書きなさい、
『霊牌』 を書いて御先祖様からのお力添えを頂き、円満解決することが先決だと指導しました。  
〈霊牌による祭祀は、どの宗教の方でもできる萬教帰一の生長の家独特の祀り方です〉

実は昨年5月の宇治別格本山対策部研修会に参加させて頂きましたが、
群馬の方の体験談を拝聴し、『霊牌』祭祀の素晴らしさを改めて認識させて頂きました。 

それで、次男のアメリカでの苦労を知っておりましたので、
これは御先祖様の御力添えを頂かねばと思い付き、
早速次男のもとへ『霊牌』を送ってあったのでございます。 

それがこの電話の時にすぐ『霊牌』を書いて送り返すように決意させました。
  〈生長の家では有縁の方の愛行として、誰方でもできるのです〉

また私は私で、その夜一人で、会議出席者7名の方々のアメリカ人の御先祖様を『霊牌』に書き、
聖経 『甘露の法雨』 の読誦を3回、一所懸命に行じさせて頂きました。

翌日、気になって私の方から電話をかけてみましたところ 
『会議は最初から大調和のうちに進み、ただ一人の傷つける人も無く、無事終了することが出来た』 
とのことでした。

それから少しして、オートネルとか、リチャードとか片仮名で書かれた『霊牌』が
次男のもとより送られて来ました。 それで私の書いた『霊牌』と共に、
宝蔵神社に祭祀して頂くべく、教化部へ届けさせていただきました」

          ◇           ◇

この体験で共感されますのは、アメリカ人の御先祖様を有縁の方として『霊牌』に浄書し、
聖経 『甘露の法雨』 を読誦、感謝行に励みましたら、遠隔の地、しかも4次元世界に
転移されている諸霊に感応し、現実界の人々が大調和の念に満たされ、
なごやかな雰囲気の中に、会議が終ったと言うことです。

それは当然あり得ることなのです。


前回でも触れましたように、萬教帰一の真理に目醒めたブラジル人は祖先霊供養に非常に熱心で、
キリスト教の真意義とともに、神の普遍の霊性について、一層自覚が深まると同時に、
個人の生命もまた永遠であり、具体的な感謝生活が大切であることに気付き、
祖先霊の供養に励むことが日常となったのです。

このブラジル人の、“人間は永遠に死なない”という自覚から滲みでる
歓喜(よろこび)の姿こそは、世界の宗教界の現状と、将来をふくむ問題を、
反映していると言ってさしつかえありません。

広島市の沢さんの報告は、キリスト教徒であるアメリカの人々の信仰のなかにも、
祖先霊を供養することによって、新たな活力を与える機縁となることを、示唆していると思います。

           ◇          ◇

最近のニュースでは、日本のカトリック教会の行事に祖先崇拝をとり入れるようにと、
カトリック諸宗教委員会代表からの提案があり、伝統的な信仰実践の場で、
意見が交されているとのことです。

混沌のなかにも光はあります。 
共産主義国のソ連は、第2次大戦中、スターリンが国民の精神を鼓舞するために、
キリスト教の再興を許し、無宗教政策の弾圧を、一時的にも緩めたことがあったのですが、

本来のロシア人の魂の故郷は、今も依然として、修道院や、ロシア正教会や、
荒廃していない古い農村生活への記憶にその基礎を置いていることは事実です。

ソ連にも、共産主義のイデオロギーに束縛されない霊性の高さと、魂の自由を求め、
内在の神性を堅く信じている人達が数多くいるのです。 
 〈ロシア語による 『生命の實相』 宣布の機会をつくりたいものです〉

前回、顕幽一如であると知らずに去った多くの未発達の霊魂のため、
進んで浄化のはたらきを捧げる必要があるであろうと述べたわけですが、
人類の憎悪感の具象化として、いま現実的に迫っている、大国間の対立は深刻です。

核戦争の恐怖を解消する手だての中に、
高次元世界に対する修正浄化の働きを期待することは根拠があり、
超宗教の立場からも充分ゆるされることと思います。

『萬物一元萬教帰一成就燈』点灯の意義を明らかにし、
人権を超え、国境を越え、萬教帰一運動への、機縁の熟すことをひたすらに祈る日々です。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/f680430b74ceb3fa955ca7b29622dfd6 より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月22日 頓首再拝> 

生長の家入信後の生活  ―  祝福と浄化の火 - 伝統

2015/12/26 (Sat) 19:46:46


         *「愛はかくして完成す」(P53~56)より

《自然法爾の生活から来る”富”の実現》

「内部神性の催しに素直に従う生活」を「自然法爾の生活」というのである。 

その生活になるとき利他を行じながら自利が自然に成就するのである。 
それは“欲張る意識”の集積として“富”がつくられるのではないのである。 
“無我”のはたらきそのままが“富”という形で報いられて来るのである。 

“何らかの得を獲よう”としての働きに、多くの現代人は心を集注しているように
見えるけれども、それらの生活は“神の子”の霊的生活にとっては
低次元別世界の出来事なのである。


《入信数年間の調和生活》

それにしても不思議なことに“生長の家”の説く真理に触れて、
物質的世界観から霊的世界観に一転した当座の数年間は、すること為す事、
万事が都合よく往って、家庭は調和し、家族は皆健康となり、事業は発展し、
自然に富が生成せられるのである。 

富を求めずして自然に富が成就するのである。

それは何故かというと、物質的法則に縛られていた過去の唯物論的人生観から来る
相互断絶や相互衝突や、利害の相反から来る反感や対立感情によって、
人間の行動がゆがめられていて調和が得られなかった状態が、

神一元の霊的人生観によって、あらゆる点に摩擦や、相反や、矛盾が無くなり、
大調和が得られる結果、すべての行動が順調に棹さす帆船が、追風に吹かれて進むように、
何の障(さわ9りもなく善き結果が得られるからである。

 
《入信後の”祝福”と”浄化の火”》

入信数年間の大調和生活が生涯つづいて行く人もあるが、
そういう長期の祝福を受けることが出来ないで、入信数年間の「数年」の意味が、
1、2年である人もあれば、4、5年である人もあり、

そして、その頃から、或る人にとっては、何らかの不調和が家庭生活や、経済生活や、
健康状態に忍び入って、「信仰もやはり駄目だ」と信仰を投げ出したい気持になることもある。

これがその人の魂にとってのテストの時であり、浄化の時期であり、
魂の鍛えの浄化をくぐりつつあるのである。

 
その人がそのような浄化の火をくぐらなければならなくなった原因は、現象的な御利益が
あらわれて来たときに、その御利益というものは“物質的”な形をもって顕れて来るものだから、
物質を得ることが楽しみとなり、

いつの間にか、霊的人生観に転向した筈であった“自分の心”が物質的人生観に逆戻りして
しまっていて、而(しか)もそれに気がつかないで、今では“霊”の本源を忘れてしまって、
物質が人生の目的の先に立って、

“真理を知る”ということは物質的利益を得るために「心の法則」を駆使することだと
いう風な考え方に逆戻りしているのである。


入信後しばらくの間に得られた如き祝福が近頃あらわれて来なくなったという人は、
自己の心境を振り返り顧て、再び完全に霊的人生観に還ることが必要である。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/6bc7e5319dc684f70da0c85f4e52336a

          <感謝合掌 平成27年12月26日 頓首再拝> 

「もののふ」の自覚 - 伝統

2015/12/28 (Mon) 19:06:36


             *昭和34年5月 生長の家青年会全国大会
              ~ 生長の家青年部次長   仙頭 泰


「生長の家各員の運動心得13ヵ条」の第4条には次のような事が書かれております。


「生長の家の各員は『人間神の子』の自覚とは、
そもそもどの様な自覚を根本とするかを明らかにしなければならない。 

神の無限生命の当体といい、神の最高の自己実現であると云う自覚、
『一切はすべて自分の責任であり、自分以外の他のなにものの責任ではない』 
という覚悟に徹しその覚悟を徹頭徹尾生き切る事である。 ・・・ 」


「神の子」の自覚はこのように、自分はすべての力を有っているかわりに、
又すべての責任も自分で背負うという覚悟をもつことが、
「真の人間」の解放であり、本当に勇気ある人の生きる道であります。

この真理を生活に行じ、運動に挺進する人こそ、
真根の夫であり、本当の‘もののふ’であるのです。

今までの唯物的な「観」で固っている世界に、
唯神実相論の立場からの「観」を注入すれば其処に色々のケミカライゼーションとして、
起きてくる事もあります。 

然しその時の私達の態度が大変大切になります。

 
谷口雅春先生から 『青年の書』 の中で次の様にお教え頂いております。

「『汝高邁であれ。 汝気高くあれ。 汝正しくあれ。 汝尊くあれ』 と
神の『完全理想』は中より吾々に向って常にささやきかけているのである。 
真の人間はこの地上の王国に属する者ではないのである。 

地上の王国の人達が如何に汝を毀誉褒貶しようともそんなことは問題ではないのである。 
地に属する群衆の批評や、移り変る時代思想に迎合した批判が如何にあろうとも、
そんなことは真に自己の内に宿る所の『完全理想』の批判に比ぶればとるに足らないものである。 
吾々は、自己の内なる『完全理想』が満足して賞揚するものとなった時に
本当の生き甲斐を感ずることができるのである。」


新しいだけのものは、年月を経てやがて古くなって、消え去って行くのです。 
今、私達の住む社会に於ては「封建的」という言葉の烙印によって幾多の立派な
日本的伝統を抹殺せんとしておりますが、これは大いに憂慮すべき状態であります。

私達が信じ、そして実践している 「生長の家」 の御教えこそは 
「古くして新しきもの」 であり、「新しくして古い」 ものなのであり、
永遠に変ることなき人類の歩むべき大道なのであります。

ここまで考えを及ぼした時、「もののふ」の自覚のもと不惜身命、
断固として真理の宣布に邁進し、真理を晦ますものあらば断固として論破し、
この雄大にして尊厳なる人類光明化運動の粛々してまでも具体的に生き続ける人こそ
真の勇者であり、かくてこそ久遠の生命を生きぬく真の勇者の歩む道であると
信ずるものであります。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ebbf4a70bbd78a9e8afce889a49dac52 より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月28日 頓首再拝> 

安心安眠 - 伝統

2015/12/30 (Wed) 19:29:12

           *『幸福生活論』 より

安眠するには、心が安らかでなければならない。 
先ず金又は財産に対する執着を捨てることだ。
安らかな眠りは、内部の安らかな心の外的表現であると云うことが出来る。 

また他に対して敵意をもっている限りは安眠はその人を訪れない。 
恐怖不安をもっている限りにはその人に安らかな眠りは来ないのである。

安眠を得る最大の方法は、自分にとっての利害の問題を寝床にいて考えないことである。 
利害の問題には必ず敵意か恐怖か不安かが伴うものである。 
利益を奪うもの、又は利を失わしめる者は其の人にとって敵であり、
敵があらわれるかも知れぬと云うことは一種の恐怖であり、不安である。 

恐怖と不安は、それに対する反撃の心にかり立てられる。 
反撃するには精神が緊張していなければならないし、緊張していては眠れない。 
眠っていては反撃が出来ないからである。 

兎も角こう云う精神状態になっている人は、
たとい眠れていても、其の眠りは極めて浅いのが常である。

 
だから安眠したいと思うものは、少くとも就眠数十分前から、
無敵の心境になっていることが必要である。 自分にとって利益を奪い、
又は利益を失わしめる者は誰も存在しないと云うことを思念すべきである。

安眠は心の安らかさの反映であり、心が天国的な状態の投影であるから、
ここが既に天国極楽で、利益を追求する必要もなく、

利益を奪うものに反撃的な心構えもする必要がない、
すべてのものが既に満ち足りた世界を心に描いて
平和の心境に入ってから寝床に入るべきである。 

これは不眠症の人に於いてのみならず、
すべての病いを治すには是非必要なことである。

 
寝床に入ってから平和の心境に入るべく努力するよりも、
あらかじめ平和の心境に入ってから寝床に入る方が一層好い。

吾々がまさに眠りに入ろうとする瞬間、突然深い陥穽に墜落したような気持になって、
片脚又は両脚がピクリと激しく痙攣して目が覚めてしまって、
又々眠るまでに手数を要することがある。 

これは生理的には肉体の緊張が、〈肉体の緊張は心の緊張であるから、心の緊張だとも云える〉
ゆるやかになり切っていないときに急に睡眠への移行によって肉体の緊張が解除されるときの
突発変化の急激さに起るものと考えられる。

 
心霊学的に睡眠と云うものを霊魂の霊界遊行であると考える場合には、
霊魂が急激に霊界へ移行するときの急激な肉体の弛緩が墜落のような感じを与えるのである。 

いずれにせよ、肉体を完全に弛緩せしめて置いたら、
今更急激な弛緩がおこらないから、睡眠移行時のあの墜落感は起らずに済むのである。

 
それでは、どうして肉体を弛緩せしむべきか。 

それにはウースター博士はこんな方法を推薦している。  
一方の手で他方の手を支え、完全に一方の手を他の手にまかせ切ったように‘倚りかからせる’。 

支えている方の手を急激に取除くと、支えられていた側の手は
ぶらりと物を抛げ出したように急激に下に落ちるであろう。 
もし落ちなければ、支えられている手に何程かの緊張が残っている証拠である、 

何回もくり返して、全然何の抵抗もなしにその手がまるで生(せい)のない物体を
抛出したようにブラリと落ちるようになれば、その手は完全に緊張がなくなったのである。 

その全く緊張のない感じを会得して置いて、寝床に仰臥してから
それの感じる通りに先ず左手に「弛緩せよ」と命ずる。 
そして左手を完全に投げ出した気持になる。 

その次には右手に「弛緩せよ」と命ずる。 
その次には左足に、右足に、そして胴体に、最後に頭部に、「弛緩せよ」と命ずる。 

そして自分の力は全身の何処にもなく、ただ死骸か物体かのように、
全然自分の力なしに投げ出されているような気持になるのである。 
これが無我放棄の心境の実修である。

次に自分の身体が投げ出されている床又は蒲団を、
「神の慈手」又は「宇宙大生命」であると観ずる。 

そして 「自分は完全に神の慈手の上に自分の全身をまかせ切っている」 
と心の中で数回唱えるのである。 

そして次に 

「神の慈手は私を支えてい給うのだ。 何ら自分にとって心配もなく、不安もない」 

と念ずる。 

その通りの言葉でなくても、その意味であれば好いのである。 
これが神への全托の実修である。

真に神に全托し得るならば、肉体に眠る必要があるならば自然に眠りを催して来るものである。 
「眠ろう」と焦慮する必要はない。 
「眠ろう」と焦慮するとき却って反対観念が起って眠れなくなったりすることがある。

 
更に右に追加すべき最もよい方法は 

“Lord fill me with Thyself” 〈神よ我れに流れ入りたまえ〉 

と念じつつ、しずかに息を鼻より極々ゆっくり吸いながら、
その息を空気と思わず神が流れ入ると観じならが、
全身が神に満たされつつあると念じ、信じて眠ることである。

これは就寝前に潜在意識に健康の念をつぎ込む最もよき方法なのである。 

日本語で右の言葉をとなえても好いが、
人によっては 「ロード・フィル・ミー・ウィズ・ゼイセルフ」 
と英語でとなえる方が却って心が落着くこともある。 

それは 「アラビウンケンソワカ」と云う意味不明な梵語の陀羅尼をとなえる方が
何だか感銘が深く、意味にとらわれないために心が一層落着くと云うのに似ているのである。 

意味に捉われ過ぎると心は覚醒状態になる。 
意味曖昧な語を心にとなえつつその音韻に従って 
「神流れ入りたまう」 と思える方が一層好い。

憎んでいる人があるならば、その人と心の中で和解して眠らなければならない。

ただ彼を忘れようと思っても、忘れようと思えば思うほど思い出すのが心の神秘である。 

それよりも相手が仮に自分を侮辱したとするならば、
何故彼はあんなことを言い又はしたのであるか、
自分の方に何か悪いところはなかったか、それは自分の心の反映ではないだろうか。 

そうだ、彼がこんなことを仕向けたのは無理がないことなのだと、
心の中で理性的に調和を見出し、彼を心の中で完全にゆるして眠ることである。

憎みは相手を傷け縛る心であるから、また自分をも傷け縛る、そのために眠られないのである。 
眠りは心の完全なる弛緩であるから、弛緩を妨げる一切のものを避けなければならないのである。

 
周囲がやかましくて眠れないのは、その喧噪に自分の心が和解していないからである。 
或る旅館に泊ったとき、隣室で商人が徹夜で商談を戦わしているので
眠れなかったと云う人がある。

その時にはその人は商人の言葉をウルサイと思ってそれに和解していなかったのである。 
その同じ人が喧騒なオーケストラを聴きながらでも、
午後9時のラジオニュースを聴きながらでも平気でスヤスヤ眠ってしまうこともある。 

これはその音を憎んでいないで、むしろ心をひらいて聴いてやろうと
その音に和解し調和しているからである。

茲に於いて 

『汝ら天地一切のものと和解せよ ・・・ 
汝が何者かに傷けられるのは天地一切のものと和解していない証拠であるから
顧みて和解せよ』 

との神示の適確さが明らかになるのである。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/65e8e2bfc54336f600897dffdae1797c より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月30日 頓首再拝> 

除夜とは、無明の闇(夜)を除くと言う意味 - 伝統

2015/12/31 (Thu) 19:20:59


          「静思集」(P101~102)より

「愈々除夜の鐘を聴きつつ、今年最後の手紙を認(したた)めます。
あの除夜の百八の鐘の音は、百八の煩悩は波動であって、
響きの如く消え去り行くものであることを表しているのであります。

除夜とは、無明の闇(夜)を除くと言う意味でございましょう。
煩悩本来無しであります。

無い煩悩を作り作りして来ましたが、今更自分が造らねば、
悪もなければ煩悩もない、業障もない。
天空海濶(てんくうかいかつ)自由自在の自分であり、
世界であることが判るのであります。

煩悩は無い! 煩悩は無い! 
業は無い! 業は無い! 
悪は無い! 悪は無い! 
無明は無い! ・・・

除夜の鐘を聴いていると、こう言うふうに聴こえて来るのでございます。

無明が消えたとき、光明があらわれてまいります。
一陽来春であります。
陰きわまれば陽転するのであります。

1年間いろいろの事で心悩まし、あるいは憤り、あるいは悲しみ、
あるいは呪いしことも、今は無いのであります。

一切の悪は消えてしまいました。
ただ光が、光のみがあなたの前途に輝いているのでございます。
ただ幸福が、幸福のみがあなたの前途に輝いているのでございます。

よろこびの新年よ、よろこびの新しき年よ。

輝く日本国の将来を、輝く日本人の将来を、歓喜に満ちて迎えましょう。

          <感謝合掌 平成27年12月31日 頓首再拝> 

霊的実在としての富 - 伝統

2016/01/02 (Sat) 20:14:03


             *『精神科学』(昭和58年11月号)より
              ~日本教文社取締役  別府 正大

産業人の繁栄能力開発研修会で人間は尊い存在であり、かけがえのない絶対存在であり、
絶対価値の無限繁栄者であるという話をしたら、質問がありました。

「人間は何故尊いかということの証明がありますか?」

そこで私は、

「“あなたはつまらない人だ、くだらない人だ” と軽蔑されたら、
嬉しいですか、それとも腹が立ちますか」

「そりゃ勿論、いい気持なんかはしませんよ。 腹が立ちますよ」

「そうでしょう。 それはあなたの内に “自分はすばらしい尊い存在である” 
という先験的な自覚があるからなんですよ。 自分の本質が尊い存在であるという
神性仏性の自覚があるから、それを否定されたら怒るんです。 
それがあなたが尊い存在である証明です」

「なるほど、そうですね」

これは富の場合も同じです。 
人が豊かな富を実現したいのは、人の本質実相が無限の富者であり、
実相宇宙には無限の富が実在しているからです。

また、こんな質問があります。

「よく、人間は神の子だとおっしゃいますが、どうして人間は神の子なですか」

「それは、人の生命は神の生命であるという生命の事実から来ます。 
従って人間は神の子だから神の子なんですと答えるしかありませんね。 
これは無原因の原因、第一原理であり根本因です」

生命のみが生命を生み出します。 
私たちが今此処に生きているということは、宇宙普遍の神のいのちが
今此処に個生命として顕現しているということであります。

私たちが、無限の愛、無限の智恵、無限の生命、無限の供給、無限のよろこび、
無限の調和の世界を願い求めるのは、既に私たちが其の世界に、実相として、
無限の可能性として、現にその世界に住んでいるからです。

この根源世界、霊的実在、生命の本地の世界を、
『古事記』 では高天原とも龍宮海とも表現し、
『仏典』 では、如来蔵の世界とも極楽浄土ともいい、
『聖書』 では、神の国、御心の天に成れる世界と言っています。 

成り成りて無限の創造の本源世界であり、何一つ失われたもののない世界であり、
衆生劫尽きて此世が大火に焼かれても安穏にして天人常に充満する金剛不壊の
実相浄土であり、人とライオンが相たわむれる天国であります。

 
この霊的実在の山川草木国土悉皆成仏の風光が、谷口雅春先生の 
『秘められたる神示』 の 「実相金剛身の神示」 に、こう記されてあります。


「実相世界と云うのは神が創造せる唯一の実在世界であって、
此の世界のみが実在であり、此の世界に住む人間が実相人間であり、
至美至妙完全円満金剛不壊の実相身を備えているのである ・・・ 

実相世界は一つの神に創造られ一つの神の叡智によって支配せられているから、
秩序整然たる相である ・・・ 

其処には山もあれば川もあり、植物もあれば、動物もある。 
獅子も羊もあるが皆仲よく相戯れている。 
一切の人間、動物、諸霊悉く調和して相食むものはない。 

従って病気の人間は一人もない。 
山の形や、川の形や、植物の形や乃至動物の形なども、
仮に現象界のそれに似ていると思えば好いが、一層精妙なのが実相世界の姿である。 

それは既に完成された世界であるが、完成したと言えば
静止の世界のように思うかも知れぬが、不断の創造の世界である。 
不断の創造を続けながら完成した世界である」


さて、あなたの富と繁栄は、どちらの上に築かれていらっしゃるのでしょうか。

神の智恵と愛と生命と一体になり神の国、龍宮無限供給の壊けない世界に
壊けない富を築きましょう。 
これが本当の繁栄であります。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/2b821256aaf5ce0332cf9758387db0ab より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月2日 頓首再拝> 

全国の誌友に感謝の涙する - 伝統

2016/01/03 (Sun) 19:29:14


          *『近況通信』 昭和13年1月号
              〈『明窓浄机』 発展篇 8頁~〉


静かに眼を瞑って全国の誌友を思い浮かべる。

すると湧いて来るものは感謝の涙である。 

新しき年の新生は国の新生と共に人間の新生すべき時である。 
日本国はついに東洋の一島国であると云う仮相を脱却して、新しき自己を発見したのである。 

そして諸君もついに自己が肉体であると云う仮相を脱却して、
新しき自己  ―  不死久遠の霊的実在としての自己  ―  を発見したのである。

諸君は不死の人となり、わが国家も、不死久遠の国家である『実相』を呈露しました。


皆さん、本当に、本当に、お目でとう。 お目でとう。


再び静かに眼を瞑って全国の誌友を思い浮かべる。

そして諸君がまた新しき年も幸福であらんことを祈るとき、
浮んで来るのは、またしても感謝の涙である。

諸君がいてくれたればこそ世の多くの人々が救われたのである。

生長の家は私一人の事業ではない。 
諸君なしには何事も出来なかったであろう。


『生長の家』を創刊して満8年。 
9年目の正月を迎える事は諸君の喜びであり、私の喜びである。

それは私だけが第9年を迎えたのではない。 
諸君の家が第9年を迎えたのである。

尤も創刊以来落伍せずに今日まで続いていてくれた誌友は割合少ない。 

お蔭信心の人たちは、お蔭を得たら去る。 

併し諸君が今日まで続いて誌友でいて下さったことは自分の救いのためだけでなしに、
人々の救いのために、吾々の団結を強くせんがために最後までいて下さった人である
ことがハッキリして心強く思い感謝します。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/70decf58b2ba86a608bb909e8f01dd59 より転写)
 
          <感謝合掌 平成28年1月3日 頓首再拝> 

本物の生長の家は神の啓示にはじまり神示に始まる - 伝統

2016/01/05 (Tue) 19:26:07

お人良しだけの集団じゃない、本物の生長の家は神の啓示にはじまり神示に始まる


           * 昭和37年新年号 より
             ~生長の家本部教化企画局  佐脇  久
              日本教文社第一編集部長  別府  正大  

別府

皆さん、おめでとうございます。 
生命の實相のいともすばらしい真理を頂いていらっしゃる皆さんは
御すこやかに新年をお迎えのことと思います。

天地の開くる音がきこえます。 
今、あらたに神の子が誕生したのでございます。 
ただありがたい、ただただ、天地一切のものが光輝いて見えるばかりでございます。

今年1年また、誌友の皆様と偕に求道し勉強し生かされて生きたいと思います。 
生長の家の真理をいただき、神想観の中に神の生命を豊かにいただき、
神をこよなく愛するが故に神の御言葉に従い、神の生き給う如く生きんことを願い、
隣人を愛し國を愛し、人類を愛して  ―  生かされ合って生きたいものでございます。



佐脇

今年一番、私が感激しましたのは、未発表の神示とその講義が
『生長の家』誌に発表されたことですね。 《※註:『秘められたる神示』》 

それまで、生長の家は大きいものだ、日本と世界の実相を顕現するんだ
ということを知っておるんですけどね。 

あの未発表の神示を次々に拝読しているうちに、何だか、ゆるんでいる脳味噌を、
万力かなんかでしめ上げられて、変貌したみたいな、そんな感じに打たれたんですよ。

つまり、生長の家の真実の正体というか、規模(スケール)の雄大さというか、
今迄の理解の尺度では到底はかり包みきれないようなものが、
ぐっと出てきたような気がするんですよ。 
神様の御心がひどく激しく逞しく力強く打ち出されているわけですね。

だから、お人良しだけの集団じゃとても本物の生長の家になり切れぬとね。 
そんな気がとてもしましてね、私の立っている自覚の場を根底からゆすぶり、
更にぐーっと自覚の場を高く飛躍させざるを得ないような、決断をせまられるような、
そんな大事件だったんです。



別府

それはすばらしい開眼でしたね。 
それでね、今、神示のお話が出ましたけれど、
宗教は人間がこしらえられるもんじゃないと思うんです。 

本当の宗教は、神の啓示にはじまり、神示に始まる。 
だから神示の御文章でも、『生命の實相』の御文章でも、
実にそのものズバリで、さわやかで、生き生きしている。 

何か風をはらみ雲をまき起すような、圧倒的な権威ある力で、ぐっと迫ってくる。 
しかもね、“汝これをなせ” とか “〇〇せよ” とか命令形で出てくるでしょう。 
精神修養者や処世術と宗教との違いは‘ここ’だと思うんですね。 

この‘いのち’の親なる神の詔命に、子なる我々が全身全霊をもって、
従いうるか否かによって、刻々瞬間の信心が決定(けつじょう)すると思うんです。 
信仰とは神なる父への子なる人間の帰投である。 

神の説き給う真理を素直にハイと従う態度、これが一人一人の心にしっかり確立されたら、
さっき佐脇さんがおっしゃった 「お人良しの集団じゃ本物の生長の家になれない」 
という心配もふっ飛んじゃうじゃないかと思いますね。

何としてもここでね、生長の家が地上に天降った神意に思いをめぐらし、
『神示』を『生命の實相』を魂をこめて拝読し直して、
大いなる神の生息にふれなきゃならんと思うんですよ。

私も、近頃特に、神示を無条件に拝受し、
これに従うところから、本当の信仰生活は始まると痛切に感ずるんですね。 

そして、新しい年は信仰の態度、教えの受け取り方の
姿勢の正しい確立から始めようと思います。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/398309731e23c53012bb8d35653c475c より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月5日 頓首再拝> 

現実の“悪”はどう改善するか - 伝統

2016/01/07 (Thu) 19:12:39


          *『生命の實相』第14巻(頭注版) より

他(ひと)の暗黒面を見ることはその相手の人を暗黒の谷底に突き落してしまう
ことになるばかりでなく、同時に自分自身を暗黒の谷間に墜落せしめることに
なりますから注意しなければなりません。

しかし、“悪”が現にここにあるのを見ないでもよいのでしょうか。 
“悪”をそのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせない
でもよいものでしょうかとは、わたしがしばしば質問を受けることであります。

しかしわれわれは“悪”に執着しないでも“悪”を改めることは可能であります。 

それが“悪”であるとわれわれが知るのは、そこに“善”がないということであって、
悪が積極的にあるということではないのであります。
 ―  これは実に大切な真理であります。

“悪”は無でありますから、“悪”を除かずとも
善をつけ加えれば“悪”はおのづから消尽してしまうのであります。

“善”をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。

どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。 

なぜなら人間の実相は神の子であり無限の善さを備えているかであります。
   
   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/6b2cd40d691fcf235083389128562a17 より転写)


          <感謝合掌 平成28年1月7日 頓首再拝> 

近頃思うこと“脚下照顧”  ―  み教えを忠実にお伝えしているか - 伝統

2016/01/09 (Sat) 19:19:30


           *『生長の家』昭和40年8月号 より
            ~生長の家徳島教区教化部長  鈴木 忠弘

『神は実在のすべてを蔽う。 存在するものにして神によって造られざるものなし』

と巡礼の途次、御聖経の一句を何度も何度も繰返し唱えていることがある。 

ふと吾にかえって見ると、路傍の名もなき一木一草まで生々育々と繁茂し、
それぞれに独特の持味を表現して 「人見るもよし見ざるもよしわれは咲くなり」 
という花の心、その内奥から押し出され、

催されるがままに、少しの我もなく、素直に表現している実相を凝視しつつ、
生長の家のみ教えの深遠な、尊く、有難い一言一句をかみしめて深く思いにひたる。

吾は神のいのち也。 

自分は内在無限の御計画通りに生きているのであろうか? 

今与えられた職責の使命を御心のままに生き切っているか、とその都度反省し、
反省する度に少しづつ、自我の汚れが浄まって行くような感じがするのである。

祖父母が生前、よく草花を愛し、庭先で鉢植の手入れをする時、
私はよく土運びや散水の御手伝いをしたそのせいか私も自然と草花を愛するようになった。

昨年4月現任地に赴任して1年2ヶ月。 
庭を工夫して好きな草花を集めて、
今は30種類もの草花がそれぞれに咲いて楽しませてくれる。

よく訪ねて来られる方々の御相談にも、この庭の草花を引用して
尊師の訓し給う、観の転換、実相と現象の区別等々のみ教えのお取次をさせて頂く。

遅速の差こそあれ、皆それぞれに心の眼が開き、
神に一切を全托して愛他行の実践をするとき、
忽然と又は徐々に救われて来るのである。

教えの根本原理は、如何に知り覚えているかではなく、如何に生活に行ずるかにある。 
知信行  ―  神想観の実修、聖典神誌の拝読、愛他行の実践、
この3つの行こそ先ずしなければならないと、つくづく思うのである。


或る日、老人が訪ねて来た。

2、3年来の神経痛で悩んでいるという。 
「まあ、上ってゆっくりしなさい」と招じ入れると、
右足を投げ出して高らかに苦痛を訴える。

「あなたは死んだ方がよいとおっしゃいますが、生きる方はやめますか? 
どちらかに決めて下さい。 その決心の上で如何様にも御相談にのりましょう」 
ときめつけたことでした。

老人は眼をパチパチさせて、しばし無言  ―― 。

ややあって、「先生、生きる方にきめました」 と改まった態度です。

「よかったねえ、おじさん。 人間はね、自分で生きて来たんじゃないんですよ。 
神様のいのちに生かされているんです。 あなたの生命(いのち)も私の生命(いのち)も、
又あなたの御家族の生命(いのち)もみんな根元は一つなんですよ。 
だから、皆が仲良く、拝み合って、感謝し合って暮すのが、神様のお計らいなんですよ」

とローソクの火を生命(いのち)にたとえ、
人間に宿る円満完全な実相をお話しますと、

老人は大きな声で、

「わかった、わかりました。 この歳までこんなことは知らなかったよ。 よくわかりました」 
と連発。

投げ出していた脚を正座して、顔面は生気溌剌、喜んで帰って行かれました。

1ヵ月後にお会いした時は、

「あれから、すっかり神経痛もなくなり、
家族からも悦ばれ、隠居もやめて今働いていますのや」 
と如何にも嬉しそうに、御報告して下さった。


人間・神の子、如何なる人にも神性仏性が実在するが故に、
み教えが次々と点火されて行く。

真理の火を点火するのは愛と智慧と真理のコトバ
 ―  汝、愛深くあれ、み教えを忠実にお伝えしているかと脚下を照らして。

神のみ榮えの現われんがために、神さまのお使いとしてみ教えをお伝えする
  ―  この使命の重大さを想いつつ、みわざの現われるたびに、
神に感謝し、生き甲斐を感ずる今日この頃である。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/48721877f74ae73e268595fe70a39765 より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月9日 頓首再拝> 

『明窓浄机』 を皆さんに読んで頂きたい - 伝統

2016/01/10 (Sun) 19:49:00


         *昭和59年2月16日
          生長の家総本山に於ける団体参拝練成会での御講話
          (『生長の家』誌  昭和59年5月号 より)

私の若い時代に巡錫旅行をして、伝道に一人で走り廻っておった、
その時代の私の伝道紀行文が 「明窓浄机」 と題して神誌 〈編注:『生長の家』誌〉 
の欄に掲載されていたものですが、
それが私の随筆集の 『明窓浄机』 の各巻に収録されています。

最近、その続篇が纏められて出たのが “昭和29年から31年” までの 
新生篇 でありますが、それを読んでみると、生きて動いている伝道紀行という感じがして、
若い時代の私が羨ましいほど中々よく活動している有様がよく出ておる。

老境に入ってから総本山にいて地方から来る人の話を聞いたり、
こちらから何か話してあげているというだけでは、
活動的な巡錫紀行の面白さや地方信者の貴い心境を語ることが出来ない。 
誠に残念です。

『明窓浄机』 の 新生篇 を読んで頂くと、宗教家にとって巡錫することが  ―  
みずから歩いて伝道することが、どんなに愉快で楽しくて、健康で、行く先々で歓迎されて、
その感激の波に自分も感激いっぱいで、相手の聴衆も感激で、次々と個人指導で生きた体験が
語られて、生き生きと伝道しておったことが浮き彫りにされて出て来るんです。

この 『明窓浄机』 の最近の続篇の単行本を、皆さんに読んで頂きたい。

私は自分で読んだのですが、読むに従ってその時分の若い時代に活動した、
その若々しい喜びの感じが、一節一句の文章の中に溢れているのであります。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=3210 より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月10日 頓首再拝> 

何を以て報いん - 伝統

2016/01/11 (Mon) 19:33:21


       *昭和57年9月8日 生長の家栄える会 第10回九州ブロック大会 
        ~生長の家鹿児島県教化部長  木牟禮 民男


この鹿児島県には沢山の特攻基地があります。 
知覧、鹿屋、串良、出水、指宿、鴨池 ・・・ 中でも、
あの知覧特攻基地には零戦が飾られ、特攻隊の銅像が刻まれております。 

初めてお参りしたとき、礼拝させて頂いてからつぶさに境内をみせて頂きましたら、
大迫亘さんの 「少年航空兵の霊に捧ぐ」 という一篇の詩が刻まれておりました。

 『一死殉国護国の鬼となり国恩に報いん  
  血潮は梯悟(でいご)の花に似て真紅の花片(はなびら)散乱し珊瑚礁を色彩(いろど)る
  国の彼方に鳴くや鴎か群れ千鳥
  年去り年を迎えて30年
  玉と砕けし勲功(いさおし)を顧る人も今は無し
  日本人の心頽廃し泥濘(ぬかるみ)の如し慙愧深甚たり
  少年の心に何を以て報いん』

山岡壮八さんも 『小説太平洋戦争』 の中で書いておられます。 
あの鹿屋特攻基地に従軍記者として勤めていたときに、わずか15、6歳の少年が
片道だけの燃料と爆弾を積んで、「行って来まーす」 とまるで遠足に出掛けるような気持で
毎日毎日、飛び立ってゆき、再び帰ってはこなかった
  ―  そういった少年たちの心に何をもって報いたらいいのであろうか。

知覧特攻基地からは3千名以上の若人たちが散ってゆきました。 
それを見送った人の中に、
あの有名な “特攻お婆さん” といわれた鳥浜とめさんがおられます。 

この間お会いしましたら、生長の家に入っておられまして、
激動の中を通ってこられた人にしては余りにも和やかな顔をされていたのをみて安心しました。

知覧にはたくさんの逸話が残されております。 
一人の特攻隊員が鳥浜とめさんに久しぶりに会ったために、
トラックから飛びおりて左腕を折ってしまった。 

出撃の日が近づいているのに風呂にも入れない。 
鳥浜さんは風呂をわかして入れてやった。

 「そういう手で出撃することはできないでしょう。 
  早くよくなって、それから出撃しなさいよ」

 「そういう訳にはいかないんです。 
  私がゆかなければ、日本はどうにならないんです」

そう言って、その隊員は操縦桿に腕をしばりつけて、その翌る日、出撃していった。 
わずか18歳の少年でありました。

 
鴨池には “貴様と俺の碑” というものがあるそうですが、
私はまだ行ったことがありません。 
偶々乗りあわせたタクシーの運転手さんに訊いてみました。

 「知っています。 私が小学校6年生のときでした。 
  B29の編隊がここへやってきて、間違いなく落とされると知りながら、
  あの赤トンボという練習機に乗って、15、6歳の少年たちが飛びあがってゆきました。 
  そして死んでいったんです。 
  そういう少年たちの霊を弔うために、碑がたてられているんです」

 
そういうような特攻基地が沢山あります。 
そして、それら若人たちにも、恋人もあり、
兄弟もあり、親もあり、夢もあったはずであります。 

おそらくそういった霊(みたま)たちが、 「生長の家さん、頼みますよ」  と、
霊界から声援を送っているような気がしてならない。


谷口雅春先生の御教えを奉ずる私たちこそが、陛下の御心を知り、陛下の御心を心として、
祖国救済の難に飛びたっていった若人たちに何をもって報いたらいいのか、
ということを考えたときには、やはり、生長の家の御教えを拡げるほかに、
その方法はないと思うのです。

皆様方が、それぞれの場にありながら、生長の家の御教えを拡げていただいて、
国と共に栄える栄える会になっていただくよう心からお願いいたします。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/7a7cc2c9a6d47125df506ac504da9a61 より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月11日 頓首再拝> 

大懺悔  ―  今此処天国浄土 - 伝統

2016/01/12 (Tue) 19:37:12


           *『生長の家』(昭和38年11月号)より

わたしたちの生命の中には“無限の可能性”が宿っているのである。 
それは科学的計算を超えた“可能性”であって、
それは私たちが自覚した程度に内部から外部へと展開して来るのである。

その“無限の可能性”は単なる可能性として遠く遥かなる彼方に存在するのではなく、
今・此処に、わたしたちの内に存在するのであり、時々刻々多少ともそれが顕現しつつある
のであるが、それが完全にあらわれた時には、その人はまことに釈迦の如く、
キリストの如くなるのである。

その“無限の可能性”をわたしたちは “実相” と称するのである。 
それを仏教では“仏性”と呼び、キリスト教では“神の国”又は“天国”又は
“内在のキリスト”と称するのである。

キリストが 「悔改めよ、天国は at hand 〈手の届くところ〉 にあり」 と訓えたのは、
吾々の心が一転して“仮相”の現象から去って、“実相”に振向くとき、此処に今直ぐ
“天国”又は“神の国”があることを見出すことができるという真理を訓えられたのである。

此処に今直ぐ天国を見出すことができるということを仏教的にいうならば、
「至心廻向して阿弥陀仏を念ずれば、即得往生」ということになるのである。

仏教もキリスト教も根本に於いては“救いの原理”は同一であるというのは此処のことである。

“悔改め”ということが“至心廻向”に当るのである。 
“至心”即ち“最高の真実の心”をもって、クラリと自己の実相である“如来”の方に
振向くとき、肉体の死を待たずに、今此処天国 〈浄土〉 に往いて生れるのである。

“悔改め”にも色々の段階があるのである。 
観普賢菩薩行法経には、それを小懺悔と大懺悔とに分けている。 

小懺悔というのは、日常生活中の色々の小さな間違った行為や思いについて、
「ああ、あれは間違っていた。 すみませんでした。 今後、決してあのような
間違った行為はいたしません。 またあんな間違った思いを決して起しません」 
と悔改めることを指すのである。

しかし、このような小懺悔では、生活にあらわれて出た“過ち”を一つ一つ改める決意をする
のだけれども、根本的に心の向き方が実相の方へ振向いていないで、現象面だけで修正しよう
とするのであるから、謂わば球根のまま残しておいて水仙の花を摘んだようなものであるから、
再びいろいろの“過ち”が芽を吹いて来ることになるのである。

 
“大懺悔”と称うのは、根本的に、心が“実相”の方に振向くことで、
そのとき“実相”の完全なすがたがそのまま、
現象界のあらゆる面にあらわれて来ることになるのである。 
これによって人間が一変してしまうことになるのである。

過去に非常に自分自身を引きつけていた肉体的快楽に引きつけられなくなり、
嗜好が全然かわるのである。 肉食のような濃厚な食物は好まなくなり、
酒や煙草に対する嗜好が剥落する。 

今まで“人生”というものが自分の肩に重くるしく懸っていた感じが消え去り、
心が何となく楽しくなり、見るもの聴くもの悉く光輝いてみえるようになり、
全くここがこのまま天国浄土の実感を得るのである。

 
これが本当に“悔改め”た状態  ―  大懺悔を経た状態であって、
これを称して“悔改めよ、天国は今此処に在り”ということである。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/2902a76a333d8688b486ef67e607e6a9 より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月12日 頓首再拝> 

合掌は神の子の生命を礼拝する感謝行  ―  合掌三昧の生活を - 伝統

2016/01/13 (Wed) 19:20:32


         *『生長の家』誌(昭和60年8月号) より
          ~生長の家千葉教区教化部長  深田 保

私が生長の家にふれたのは、昭和15年の春だった。 
それから大東亜戦争や、終戦直後の混乱もあって、9年近く生長の家から遠ざかっていた。 

そして昭和25年の暮、兄に連れられて赤坂の生長の家仮本部を訪れた。 
そのとき、先ずびっくりしたのは、事務室に入るとすぐ入口に居られた方が 
「ありがとうございます」 と合掌された事であった。

入信当時、谷口雅春先生の御講話も何回か聞かせていただいて感激したが、
その頃は御講話に入る前に、谷口先生が合掌されていたことは鮮明に覚えていた。 

しかし会う人毎にお互いが合掌していただろうか? 
と一瞬何年かの空白の時間を感じて、合掌されているその方に合掌しなければ悪いような、
しかし恥かしくて合掌なんか出来なかったのである。 

第一、手の合せるのは神社や仏様を拝むときとか、御葬式の時じゃないか
という常識的な反発もあって、掌が上へ挙らないのである。

その時、私は失業中で兄に相談したところ 
“私は今、相愛会の東京都連合会長を拝命しているんだが、仕事が忙しくて、
中々思うように奉仕が出来ない。 しばらく手伝ってくれないか” ということで、
生長の家につれてこられたのである。 

これから当分ここで手伝うんだなあ  ―  という気持と、
会う人毎に合掌するのは嫌だなあ  ―  という気持が、心の中をかけめぐった。

紹介もすみ、連合会事務局の主事をしておられた、竹内実次先生にも引き合わされたが、
この時も矢張り合掌されて又びっくり、とにかく明日から出勤というみとになって、
生長の家に接する第一印象は “合掌” ということになったのである。

合掌すること  ―  なれてしまえば何でもないが、
しかし又それだけに、何の意味もない合掌では形だけに終ってしまうのである。

 
『人間苦の解放宣言』 という御本の中に、最初に出てくるのが 
「拍手および合掌の意義」(11頁) である。


「生長の家の練成道場へはじめて参加する人達が第一に驚くことは、
玄関の入口に一歩入ると、道場の職員たちが、その人を合掌して 
“ありがとうございます” と唱えながら礼拝してくれることである。 

初めて参加した人のなかには、色々の悩みをもっていて、
少しもありがたくないと思っている人たちもたくさんある。 

そのような人達は、“ここは瘋癲病院とちがうか。 
何が一体ありがたいんだろう。 

このありがたくもない自分を拝んでいやがる” と思ったりするのであるが、
やがて数日たつと、その合掌礼拝の意義がわかってきて、自分もまた、
合掌礼拝する人間になってくるのである。 

そこからその人の幸福生活が始まる。

玄関で先ず “ありがとうございます” といって拝まれる  ―  
その時、既に魂の試練が始まっているのである。 
それが道場の練成第一課なのである」


私はこの事がわからず、唯はずかしいから嫌だ、いうことで
この尊い姿を心で否定してしまって 「私は納得するまで合掌しない」 と決心した。

しかし、その私の決心はそれから何日もたたないうちに見事に砕けた。 
理屈も何もない。 気がついたら “合掌” していたのである。

 
昭和26年の1月2日、3日と新春特別講習会があり、
4日から7日までは指導者特別教修会が開かれ、私は下足番の役を与えられた。 

来る方も来る方も、皆下足を出しながら合掌される。 
「ありがとうございます」 の声と、合掌の美しい光景である。 

その中で、私だけは合掌に抵抗して、
ただ 「ありがとうございます」 だけを繰り返しながら下足を預っていた。

3日目の朝、参加者が一番多くて混んで来たときに、一人の中年の御婦人が、
非常に美しい合掌で 「ありがとうございます」 と下足を差し出されたとき、
思わずつり込まれるように合掌して 「ありがとうございます」 と
言っている自分を発見してびっくりしました。 

しまった! と思ったが、下足を預ける人々は後から後から続いている。 
それからは考える暇もなく、合掌しながら下足を御預かりしている自分がしばらく続いた。

一度だけの合掌では、はずかしい気持はなくならないかもしれないが、
次から次へと合掌しているうちに、納得しないうちは合掌しない、と決心していた心が、
だんだん変って、折角 “合掌” するなら一所懸命の合掌をしようと思うようになって来た。

心が変ったのである。 
合掌を否定していた心が、合掌を肯定する心に変ったのである。 

その日から私は嬉しくてたまらなかった。 
抵抗を感じていた “合掌” から解放されたからである。 

すると実にのびのびと自然に合掌して 
「ありがとうございます」 と言えるようになって来た。 

合掌して 「ありがとうございます」 と拝んでいる自分も、相手の方も、
そのとき一つの‘いのち’になって、地上天国が実現するのだ、
という谷口先生の御言葉が今更のように心にしみ通ってくる。


 谷口雅春先生は、『人間苦の解放宣言』 の中で、

「わたしは人間をただの “肉の塊” だとも物質だとも見ないで、
皆 “神の子” であり “霊的実在” であるという人間観に立っているから、
自分が教祖で他の人は一段下の弟子であるというような差別観をもたないで、
“法華経” にある常不軽菩薩のように、すべての人間を合掌して拝むのである。 

その拝むのは、形を真似て拝むのではなく、
心底から礼拝して拝むのであるから、相手の心を打つのである」 (19頁)

とお説き下さっている。 

私はこの御文章に接して、一度合掌しないと決めながら、
反転して今度は合掌しようと思って努力して来たことが正しかったと安心した。 

合掌しないと決めたのは、形だけで合掌したくない、
皆がやっているから自分もやらなければならない、そんな御義理な、中途半端では 
“合掌” した意味がないのではないかと考えていたからであった。

私が東京都連合会の事務局長をさせていただいた時の事である。 

幹部研修会を飛田給道場で開催するため、事務局総出で準備に来ていたとき、
受付の準備をしていた女子職員が、何か興奮して話をしているので側に行き、
「何かあったの?」 と聞くと、その中の一人が、

「今私達の前を徳久先生が “合掌” して “ありがとうございます” 
と言われて通られたんです。 
あんな偉い先生が、私達に声をかけられ “合掌” して下さるなんて感激です」

と喜びを満面に浮かべて報告してくれたのである。 

私はそのとき、この練成道場が総裁先生の御愛念によって始められ、
その責任者となられた徳久先生が 「合掌行」 を道場生活の目標と
されていた事を思い出した。 

そして事務員に対しても合掌される徳久先生を手本にしなければと深く反省したことがある。


「それは “合掌” という形が尊いのではないのである。 
合掌から “光” が出るようでなければならないのである。

それは対者に宿る神性・仏性の光を心の眼で観て拝むのであるから、
“光を観る心” からは “光が射す” のである」  〈『人間苦の解放宣言』 12頁〉


私が戦後始めて赤坂の仮本部に行ったときに体験した “びっくりした合掌” は、
昭和23年3月16日から10日間開かれた飛田給道場の第1回練成会から始まっていた
ということを、あとで知らされたのである。 

それまでは一部の信徒の間では “合掌” の行持があったが、
まだ一般的ではなかった “合掌” を、全国的な信徒の “合掌” にまで発展させたのは、
実にすばらしい事だと思う。

もう昔の事であるが、といっても昭和43年の参議院議員選挙の際、重宗雄三議長が
生長の家の推薦を受けて活動をしているとき、我々信徒が合掌している姿をみて、

「合掌は“心”の握手だね。 実に素晴しい。 
しかも、遠くにいる人とも握手が出来るのがうれしい」

と言われた事があった。

合掌が心の握手であると直感された重宗議長のように、
私達も合掌をもっと深く考えてみることが大切なのではないだろうか。 
もっと自覚する必要があるのではないだろうか。


「人間は猿属の子孫ではない。 人間は “人間” という “神の子” たる 
“理念” の実現として出現したところの別種の種族である ・・・ 〈中略〉 
つまり類人猿から人間に進化する以前に既に人間があったのである 〈中略〉 
人間は本来 “合掌種族” として生れたので ・・・ 」 〈『人間苦の解放宣言』 14頁〉

と御教示されている通り、
私達は最初から合掌していた、ということを自覚しなければならない。

 
東南アジアなど世界の国の中には、
今でも日常生活の中に “合掌” が生きている民族がある。 
しかしその生活は貧しいことが多い。 
それは合掌が形だけになってきているからではないだろうか。 

心の底から拝み合掌しているのならば、
必ずそこには、真の世界、実相が、顕れてくるはずである。

谷口雅春先生は 『古事記と現代の預言』 の中で、古代の私達の先祖は、
お互いを神の子と直感把握し、その自覚から命と呼び合い拝み合いの生活をしていた民族
であり、神の子なるが故に宇宙創造の神と一体となるための祭祀を第一の行持として行い、
その伝統を正しく護持して来られたのが歴代の天皇陛下であるとお説き下さっている。 
正に拝み合う “合掌生活” を垂範されているのである。

今上陛下 〈※昭和天皇〉は、御践祚されてから60年の長き御在位の中で、
第一に行じられているのは祭祀であるとお聞きしている。 

この陛下の御祭祀が日本国家を繁栄させている源泉であることを思うとき、
天皇陛下に限りない感謝の誠を捧げそれをかたちに顕わしてゆきたいと思うのである。

 
そして合掌の真の意義をお説き下さった谷口雅春先生に深く感謝し、
我らの日常生活を “合掌三昧” の生活に徹しようと決意するこの頃である。

合掌

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/132e51c30ad05bc21566829266a1e4ea より転写)


          <感謝合掌 平成28年1月13日 頓首再拝> 

聖経読誦は生長の家の神を招ぶ精神的リズムを作る - 夕刻版

2016/01/15 (Fri) 19:48:05


             *『生命の實相』第20巻 より 

わたしは霊感のあったそのころから妙に詩がポッカリと頭に思い浮かぶことが多くなった。

わたしが道を歩いている時に突然浮かんで来たものがある。 
『生きた生命』 のごときはそれだ。

詩が妙に書きたくなって、詩を書こうとして机に倚ったとき、
夢中になって霊感的にズンズン書いていったのもある。 
『甘露の法雨』 や 『或る日の生命の国』 などはそれである。

『或る日の生命の国』 の印刷の校正刷を読んでいるとき、
その読める者 〈わたしではない〉 に神が懸り給うて、はじめて 
『生長の家の神』 が天空高く詩中の 『生命の長老』 に相応しいような
白き衣を足まで垂れ、白髯胸まで至る姿にして神姿を現わし給うたのであった。

これでこの詩を誦することが生長の家の神を招ぶに相応しい
精神的リズムを自己の内に作るものであると察せられる。

爾来この同じき神姿は異なる場所、異なる人々によって見られ、
ある時には一座の数人が同一神姿を見たような事実もあって
生長の家の神の存在が幻覚ではないことが第三者から立証された。

『甘露の法雨』 は自然に 『生命の實相』 が縮約して歌われいるので、
単に現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、
霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となり。
霊前で読誦することによって難治の諸病が無数に癒えている。

これこそ神仏礼拝の際その祭壇に対いて読誦すべき生長の家の聖経である。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/79ada03c38ec45c946da5c998a4c4ffc より転写)


          <感謝合掌 平成28年1月15日 頓首再拝> 

天慈照照  ―  萬教の帰一するところ天皇信仰にあり - 伝統

2016/01/16 (Sat) 19:17:46

            *『光の泉』(昭和59年8月号) より
             ~ 生長の家鳥取教区教化部長  岩崎 時久

山陰の一小村の農家に生れた私は“おしん”とまではゆかないが、
まあ似たような貧しさのうちに生れた。 
父は病身であったがとても厳格であった。 

兄弟は男3人、その末っ子が私である。
末っ子の甘えん坊でいつも母と寝たものだが、たまたま父と寝ることもあった。 
父は昔話をよくしてくれたが、今でも心の底にしみついているのは、

 「日本で一番えらい方、尊い方は ・・・ 天皇陛下である」  と語ってくれた言葉である。

尊いという意味がわからないので聞き返すと、
「それはなあ、ありがたいお方というこだ」  と言う。 
その父の顔を見ると何となくわかるような気はして“ふん”といって寝たものだ。

小学校では “紀元節” “天長節” “明治節” など、国の祭日はすべて天皇陛下中心で、
校長先生からありがたいお話をきき、“紅白”のお餅をもらってふところに入れ、
落ちないように手でおさえて家路を急いだ。 

歴史も “神代時代” の天照大御神から始まり、天孫降臨、
神武東征、神武建国、八紘為宇 と、血の湧く思いで学んだものだ。


天皇陛下の御玉姿を私が初めて拝したのは、「山陰路行幸」 のおりであった。 
当時、村の消防士が各駅、踏切等を警備したものだが、私もその一員として、
知井宮駅に近い踏切りで唯一人御警備申しあげた。

お召し列車の音が‘ごうごう’と近づいてくると、
何か緊張感が増してきて、鼓動が高鳴ったことを今でも覚えている。

 “ ・・・ 日本で一番えらい、尊い方、ありがたいお方の御姿を
   拝することが出来るかも知れぬ ・・・ ”

駅に近いせいか、お召し列車は速力をおとして通過した。 
私は目を皿のようにして、お召し列車の窓を一心に見つめた。 

と、一瞬、菊の御紋章があざやかに目に映じたと思うと、
“あっ!” 何と陛下は直立不動の姿勢をされ、こちらを向かれ敬礼されているではないか!! 
そこには私一人しかいないというのに ・・・ 。 

私は胸の底から熱いものがこみ上げてきて、流れる涙をどうすることも出来なかった。

あとで人の語ったところによると、天皇陛下は、お召し列車の中では殆どお坐りにならないで
お立ちになり、窓外にお向きになっていらっしゃるという。 

それは、田圃の中で作業をしている人は手を休めてお召し列車にお辞儀をする、
踏切りなどでたとえ一人でも陛下を拝している者があるかも知れぬ、
それらに対してこたえねばならないとの大御心からであるという。 

まことに勿体ないことである。 
あの時、天皇陛下は、唯一人の私に敬礼をして下さったのだ。


2回目に御玉姿を拝したのは、特務講師として生長の家本部勤務を命ぜられていた頃、
4月29日の天皇誕生日に、本部の誰かにつれられて皇居に参賀申した時である。

手に手に日の丸の小旗を持った沢山の人波の中で待つこと暫し、
天皇陛下、皇后陛下を始め各殿下が玉台にお立ちになった。 
私はこんなに沢山の皇族の方々を御一緒に拝するとは思わなかった。

何か大きな感動が身をふるわせた。 誰からともなく 「天皇陛下万歳」 の絶叫があがった。 
それに合わせ日の丸の小旗が一斉にあがり、「万歳 万歳」 の大合唱となった。 
私も一所懸命 「天皇陛下万歳」 「天皇陛下万歳」 と叫んだ。 

“ああよかった、日本人に生れて本当によかった” ・・・ 涙がとめどなく流れた。

その夜本部で床についた時、霊界から父の声を聞いたような気がした。 

「日本で一番えらいお方がわかったか」。 

知らず知らずのうち、涙が頬を伝わった。


昭和34年春、立教30周年記念のよき日、
尊師・谷口雅春先生より本部講師の大任を拝し、大いに感動した。 

私は心の底に誓った。 
『生長の家は “萬教の帰一するところ天皇信仰にあり” ここに我が本命あり』 と。 

それから各地に於いて講演をする時は、必ずといってよいほど 
「天皇陛下」 の御話を謹んで申しあげている。

昭和53年5月、第1回徳島練成会の時、首が廻らないという島田さんが参加された。 
聞いてみると、何と1週間ぶっつづけてマージャンをやったあげく、首が動かなくなったという。
まさにマージャン連続世界記録ともいえよう。

この島田さんは生長の家は初めての方。 3日目の夜の浄心行の時、

「お父さん、ありがとう ・・・ 」 とみんなで言うのがどうしても言葉に出せない。 

同化出来ない自分がなさけない、と一段と大きな声で 
「お父さん、ありがとうございます」 と誰かが叫んだその声に、
思わず島田さんも大声で 「 ・・・ お父さん!」 と呼ぶことが出来、
しかも後から後から涙が溢れて仕様のない島田さんになっていた。 

まさに神性が開発されたのである。

さて、練成会4日目、画竜点睛の日。 愛国心と天皇陛下中心帰一の講話である。 
島田さんは一心こめて聞いた。

 
「天皇陛下がマ元帥に会見された時、陛下が “我が身はいかようになろうとも ・・・ ”
 と、臣の助命願いをされた時、陛下の龍顔には流れる涙とめどもなく床に落ちた」

 
ここのところまで話が進んだ時、島田さんは熱い涙が溢れてきた。 
そして心底から、「ああ、我れ過てり、我れ過てり。 
我れは国家のダニであった。 

天皇陛下のこの暖かい御恩徳の袖に包まれて今日の自分があったのに、
その事を少しも知らず、毎日家業を捨ててマージャンにうつつをぬかしていた。 
全くもって申訳ない! これから心を改めて家業に勢出して、世の為、国の為に尽さねばならぬ」
と、深く深く誓ったのである。

その夜ぐっすり眠り、練成会5日目〈最終日〉の朝、何ともよい気分で起きた島田さんは、
早朝行事後のラジオ体操の時、大きな声で叫んだ。 

「あっ! 首がまわる! 首がまわる!」 

練成員一同も島田さんの手をとって共に悦んだ。 
島田さん曰く、「首がまわることが、こんなにありがたいことであることが初めてわかりました」


尊師は 『天皇信仰』 の御言葉の中で次の如く教示されている。


「 ・・・ わたしの 『生命』 を愛護すること勿れ。 
生命が尊きは天皇の大御いのちの流れであり、岐れであるが故に尊きなり。 

寸時も 『天皇のみたまのふゆ』 なることを忘るべからず。 
『天皇のみたまのふゆ』 なることを忘れるとき、人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり」


私達は皆神の子であり、勿体なくも天皇様の御慈光の現れであったのだ。 

「日本で一番えらい方は ・・・ 」 と言った父も、幼心に‘ふん’と聞いた子も、
御召し列車を拝して感激した涙も、やっぱり天皇陛下がよかったといった女性徒も、
首のまわらなかった島田さんも、すべて “真心” に於いて一つであり、
天皇陛下に於いて一つであったのだ。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/5b2f6bb283dc758a3ce132073df95edc より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月16日 頓首再拝> 

エホバ神と天之御中主神とはいずれが先か?  ―  『ムスビの原理』 - 伝統

2016/01/17 (Sun) 19:38:57


          *『生長の家』(昭和46年11月号)より

◇宇宙を貫く法則としての神

日本では宇宙の本源神を “天之御中主神” と称するのである。 
「天地の初発の時、高天原に成りませる神の名は天之御中主神」 
と古事記に書かれているのがそれである。

“高天原”というのはどこか宇宙の一角にある場所の名称であり、
そこにお生まれ遊ばしたのが天之御中主神である  ―  という風に解釈する人もあり、
天之御中主神が御出現せられた其の以前に既に、天地があり、高天原があるので、
天之御中主神は宇宙本源の神様ではない。 

旧約聖書の巻頭にある 「はじめに神、天地を創造り給えり」 というエホバ神こそ
宇宙本源の神であって、エホバ神の方が天之御中主神より先であり、エホバ神のつくり給うた、
高天原に天之御中主神が生じたのであるから、天之御中主神の方がエホバ神よりもズッと
後である  ―  こんな理論を書いて投書して来た人もあるが、それは間違っているのである。

この投書家は、「成りませる」という語(ことば)を誤解して「生(な)りませる」
 ― 「生(しょう)じた」という風に解しているが、実は“成りませる”は、
“神のコトバ”であるから、“鳴りませる”なのである。

 
天之御中主神は、高天原に生じたのではなく、天之御中主神の御‘いのち’そのものが
高天原に‘成り’給うたのである。 「神が高天原に成った」のであり、
神のいのち(コトバ)の展開が高天原なのである。


「神、天地を創造り給えり」という考え方は、西洋的思惟であって、
創造主と被造物との相対的関係をあらわすのであるが、

「高天原に‘成った’神」というものは、‘神そのものが高天原に成った’のであって、
神と高天原、創造主と被造物との対立はないのである。 
このような考え方が日本的思惟なのである。

天之御中主神が、天地をエホバ神が造ってから生まれた神でないのは、
それが絶対神であるから固有名詞をもたないことである。 

天之御中主神とは、固有名詞ではなく
その神の御本質を表現するために人間がつくった名称である。 
老子が「道は無名である」と説いたように本源神には名前はないのである。 

“天之”というのは“宇宙の”という意味である。 
“天”は“天球”即ち宇宙そのものを指すのであり、その「宇宙‘の’」という意味で、
あまり名前らしくない「之」の字がついているので“御中”というのは、
“宇宙を中(つらぬ)く”という意味で、宇宙を中(つらぬ)いて主なるところの神
という意味で、

宇宙の本源神には名は無いが、名を言わねば、次に生まれてくる神々との区別がつかないので、
その本質を表現する語(ことば)をもって仮に人間が、宇宙を貫いて存する主なる神
という意味で、天之御中主神という神名をつけて、あとあとの神々との混同を防いだ訳である。

天之御中主神が、絶対神であるのは 「独り神なりまして」 と古事記には、
この神が独一絶対神であることを表現し、この神が無相にして一定の姿をもたない事を 
「御身を隠し給ひき」 という語(ことば)をもって表現されていることでわかるのである。


天之御中主神の次にタカミムスビノ神、カミムスビノ神の名が掲げられて、
いづれも独り神すなわち “唯一絶対神” と書かれている。 

唯一絶対神が三柱ある。 
これは唯一者たる神をわれわれから見た場合の三つの面を神の名として表現して
造化の三神としたのであって、絶対神が三神もあるというわけではないのである。

ムスビノ神は結合(むすび)の原理であって、
結びということが可能なのは“本来一つ”であるからなのである。 

本来「陽陰不二」の“中(みなか)”の原理が、
内に陽陰の原理を孕んでそのままに一体なのである。

それは一筋の紐に“左”と“右”の両端が、そのままに含まれているようなものである。 

その“左”と“右”との両端が両方からムスビ合わされると、
子供その他新たなる生命の発展があるのである。 

この“結びの原理”というものが絶対神のなかに、既に内包されているのであって、
“天地の創造”とか、“国生み”とかいうのも、絶対神の内に内在する“結びの原理”の展開
としてあらわれて来るのであって、日本的思惟においては、神のほかに何か他物がり、
その他物に神がはたらきかけて、天地を創造するというようには解しないのである。

 
すべて“一”をもって“創造の本源”とするのである、
そこに“中心帰一”の大和(やまと)の日本的思想の根元が見出されるのである。

タカミムスビノ神は“陽”の原理神であり、カミムスビノ神は陰の原理神である。 
そして陽の原理神が人格的にあらわれたのがイザナギノ神であり、
陰の原理神が人格的にあらわれたのがイザナミノ神である。 

《※私は今ここに古事記の講義を順序を追って書くのは紙面が足りないので、
それは既に 『限りなく日本を愛す』 の後篇 及び 『古事記と現代の預言』 
という本にまとめてあるから読んで頂くとよい。 

なお最近、影山正治氏 の 『神話に学ぶ』 という本が大東塾出版部から出たので、
これも神話の内在的意義を解明した好参考書であるから一読をお薦めする。》

 
◇「ムスビの原理」に背く者は結果が悪い

天地の運行及び人間生活は、このムスビの原理に基いて行われるものであるから、
ムスビの原理に随って生活するものは榮え、
ムスビの原理に背いて生活する者は、衰退したり、破局したりすることになるのである。

ムスビには一定の秩序があるのである。 
近頃、男女陽陰のはたらきの倒錯が当り前の如く行われて、
ウーマン・トップ〈女性上位〉などということが平気で行われ、

そういう性交渉の体位の図解まで書いた書物や雑誌が、「言論の自由、表現の自由」 
〈日本国憲法〉 という占領軍の日本弱体化政策にのって、
平気で書店で売り出されているけれども、

そのようなムスビの秩序を無視した行動が平気で行われるようになると、
その国が衰退して来ることになるのである。 

アメリカ自身が今や衰退の傾斜道を辷り降りつつあるし、
それに引きずられて、日本も将に衰退の前夜である。

 
“ムスビの法則”とは陰陽が互いに結び合って、次なる発展を行わんとするときに、
どちらが、先行し、どちらが後続するかという問題である。 

ウーマン・トップに於いては女性が男性に先行し、男性が後続して女性に従うのである。 
そのような行事又は行動が天意〈ムスビの法則〉に背いているものであることを、
古事記は、このことを次の如く述べているのである。

 
  『ここにイザナギノ命詔りたまひつらく、「然らば吾と汝と是の天之御柱を行き廻り逢ひて、
   美斗の麻具波比せな」と。 かく斯りて、乃ち詔りたまひつらく、
   「汝は右より、我は左より廻り逢はむ」と。 

   約り竟へて廻ります時に、イザナミノ命先ず「あなにやし愛‘をとこ’を」と言したまひ、
   後にイザナギノ命「あなにやし愛‘をとめ’を」と言したまひき ・・・ 
   子水蛭子を生みたまひき。 

   此の子は葦船に入れて流し捨てつ。 
   次に淡嶋を生みたまひき。 是も子の例に入らず ・・・ 』

 
“あなにやし”というのは、“ほんとにまあ”というような感嘆の語であるが、
女神のイザナミノ神の方が先行して、男神のイザナギノ神の方が後続してムスビに入ったために
「ムスビの秩序」に反するので、善き子即ち善き結果が得られなかったのである。 

これは男性が先ず進み、女性がこれに随って受け入れるべき
「ムスビの原理」を説明した象徴的神話なのである。

この「ムスビの原理」を“夫唱婦和”又は“夫唱婦随”というのである。 

決してこれは封建時代の男が女を自分の奴隷にするためにつくった人造の法則ではないのである。 それは天地自然の法則なのである。 

“天”は高く“地”は低く、“地”は“天”を載せて“陽(ひ)”の徳を受けて
万物よく実るのである。 その原理を古事記神話は物語っているのである。 

もし天に“陽(ひ)”が輝かず、地が天に優先したならば、
地は陰暗が内に籠って万物は枯死してしまうのである。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/34959b374cb043e9351e348668f3e6e6 より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月17日 頓首再拝> 

迷わす人々 - 夕刻版

2016/01/19 (Tue) 19:34:39


         *『生長の家』 昭和56年6月号 巻頭言 より
          ~ 生長の家副総裁  谷口 清超 先生

迷いとは何か。

それは「思い全相に達せざる」をいう。
つまり心が一部分に引っかかって、全相が分らないのである。 

例えば人を見ても、その人の顔ばかり見ていると、
その人がどんな色の服を着ていたか分らない。 
どんな下駄をはいていたか、とんと記憶がないというようなものである。

そんな状態で「この人はどんな人だ」とのべたてても、
本当ではないといわなければならない。

そこでこの世から「迷い」や「間違い」をなくすためには、
できるだけ人々にかたよりのない真実を知らせるようにしなければならない。

ごく一部だけのことを知らせて、あとは隠しておくようなことをすると、
その当座は何とかなるにしても、やがて彼らの判断は、とんでもなく狂い始めるのである。

かつての大戦中、わが国民はほとんど何も事実を知らされずにいたため、
「勝った」と思いつつ、負けていたのであった。

ところが戦後、折角自由な社会になったにもかかわらず、
多くの事実がわざとマスコミによって隠されてきていたのである。

 
その一例が中国革命の実状だ。

当時の新聞は 〈ことに『朝日新聞』は〉 口を極めて中国革命を美化して伝えた。 

当時の新聞を取り出して見れば一目瞭然であろう。 
今でこそ悪名高い文化大革命も、その批判記事を絶対のせなかったものである。 
「非友好的態度」として“自粛”したのであった。

もし新聞社の特派員が、わが国の公式接待係か何かなら、又何をか言わんやだが、
ニュースを公平に伝える使命を持った人たちが、勝手に筆をねじ曲げたのでは、
どうにも仕方がない。

国民は強制的に「迷わされ」て、真実から遠ざけられるのだ。 
しかもこの傾向はまだ続いている。

中国の実状はバレたから、もう隠しようもないが、
この傾向は又別の所に現われるであろう。

現に中学、高校の教科書には、明らかにあの当時の“進歩的文化人”の
「社会主義国礼讃口調」がそのまま残っている。

これを教科書として教え込まれた生徒たちは一体どうなるのか。

いうまでもなく「迷う」のだ。 

しかもなおかつ一握りの先生たちは、その社会主義イデオロギーを
「何ものかに憑依された」かの如く話すのである。 すると迷った生徒が、
さらに輪をかけて迷うから、もう何をしでかすか分らない。

こうしてとうとう「先生をぶんなぐる生徒」という、
文化大革命の紅衛兵まがいのものが出現する。

考えて見ると、人が「迷う」ということほど憐れなことはない。

さらに又 「人を迷わす」 ことほど間違った行ないはないと
言わなければならないのである。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/40af39d066efc2292022e92070f12a08 より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月19日 頓首再拝> 

山も信仰により動くという絶対真理を知れ - 伝統

2016/01/21 (Thu) 19:09:15


           *『希望実現の鍵』 より

吾々自身の信仰は如何なる大いさをもてる信仰か、完全な絶対的なものであるか、
或いは実際いと小さきものであって、芥子種にも比すべきものであるか、
又如何にその種を培いつつあるのであるか、

吾々は消極的な理念や否定的な言葉の雑草をとり除いて水と日光とを豊富に潅ぎかけ、
積極的な明るい想念を以てその緑地を耕し、イエスの教え給いし
神の法則に最後まで従っているのであろうか。

吾々は内部的な喜びの感情を以て吾が中にある芥子種程の信仰を培って毎日毎時間、
その信仰の種が成長し、やがて如何なる大いなる山をも動かし得る信仰まで、
それが成長することを静かに心を落ちつけて待つべきであります。


吾々はこの信と喜びとの資格を与えられているのである。 

なぜならわが中にある種は、如何に小さくとも、その信仰は必ずや速かに成長して
やがて山を動かす一大信念になるに違いないからである。 

信仰の力に抵抗し得る何ものもないのである。 
信仰の前には山もくだけて無に帰するのであります。

 
諸君の魂の中には少なくとも今、芥子種にも比すべきいと小さき信仰はあるのである、
その信仰の種は金剛不壊のものであって、それが一度、植えつけられて居れば、
決して抜き捨てられることはないのです。 

それはやがて成長して、輝かしき完全な信仰にならずにはおかないのであります。 
かくならしめるためには、諸君は毎日毎時毎瞬真理の法則に従って生活すればよいのである。


此の真理の法則とは如何なるものであるか。 
それに就いてイエス・キリストは詳しく説明しているのであります。 
彼は山上の垂訓に於てそれを説いて。

「されば、わが言葉をききて此れを行うものは、巖の上に家を築く賢者にたとえられん。 
雨降り、水溢れ、風吹きすざび、その家をうつとも倒るることはなけん。 
なんとなれば、それは、巖の上に築かれておればなり」

芥子種程の信をもちてさえ、イエスの教えを忠実に遵奉し築き上げて行く時に
巖の上に堅固な家を立てることができるのである。 
かかる人は目の前に迫る現象に惑わされはしないのであります。 

なぜなら諸君の信仰の種は巖の上に建てられる家の如くに必ず成長する。 
何ものをもってしてもその成長を阻むことはできないのであります。 

やがて時が来ると驚くべき短時日の中に山が崩れて、
山が海にまで入るときが来るでありましょう。


諸君、このことを汝の肝に銘ぜよ。 
汝の前に未だ動かざる山を見て、嘲り笑うこと勿れ。 
諸君は今や絶対に、その山が動いて海に入り得るものであることを知っていただきたい。 

斯くならしめ得るとは山も信仰により動くという
絶対的真理の認識に依って始まるのであります。 

これを知り認めるならば如何にそれは僅かであろうとも、
目の前にある山は既に動き出しているのであります。 

諸君の内奥の切実なる魂は之を知っているのであります。 
なぜならば、諸君の魂の奥殿には、芥子種にも比すべき
信仰の種が必ず蔵されているからであります。 

時々刻々、この瞬間にも成長しつつあるのです。 
時々刻々あなたに幸福が近づいて来つつあります。 
それを信ずるものは幸いなるかな。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/bfea819a25cee2a90d8d714788888ef2 より転写)


          <感謝合掌 平成28年1月21日 頓首再拝> 

「人間みな神の子」と信じて - 伝統

2016/01/23 (Sat) 19:14:07


            *『心の持ち方一つ』徳久克己・著 より

新教育者連盟の野木(清司)先生が、精神薄弱児童の教育をしておられる時、
『生命の實相』 を読んでおられたら、

 「人間はみな神の子であり、天才である」

と書いてありますが、精神薄弱児童は例外である、とは書いていなかったということに、
気づかれて、

「今まで、この子たちを精神薄弱児童である、とみていたのは、間違いであった。 
この子たちも神の子であったのだ。 私の“みかた” がまちがっていた」 

と気づかれて、子供たちを神の子として、観、そして、取扱うようにしたら、
子供たちが変わってきたという話を聞きまして、私は感動しました。

 
現象の姿は、どのように現れていようとも、その人の実相は神の子であるという、
生長の家の根本真理は、厳然として、存在しているのであります。 

しかし、その真理も、それを、そのまま観じなければ、
現れてこないのが、心の法則であります。

 
私は、野木先生のお話を聞いて、人間はみな神の子であり、天才である、
と心から信じられ、それを観じられた、その心境に心うたれたのであります。

 
『生命の實相』 を何回も読み、講習会で何回もお話を聞き、しているのですが、
心からなんの疑いもなく信じ、観ずることだできない私でした。 

いくらそこにあっても、認めなければ、現れてこないのですから、
すべての人に内在する “神の子” も、認めなければ、現れないのですから、
無いと同じです。 

そのような場合は、無いのではなく、あるのに現れていないのです。

本当はあるのに、それを無い、と思ってしまうのですから、間違いないのですが、
私たちは、そのような間違いをしやすいのです。 

それは、生長の家の教えで説いている、実相と現象との問題です。 
本当のものと、現れとの、差なのです。 

私も、このことで、最初はずいぶん悩みましたが、『生命の實相』 を
くりかえして読んでいるうちに、だんだんと理解できるようになりました。 

病気はない、と言われましても、病院があり、病人もいるのです。 
ですから、病気はない、といわれましても、
なかなか素直にハイと納得できませんでした。

 
同じように 「みな神の子である」 と言われましても、
ハイと、そのまま、受け入れることができませんでした。 

野木先生が精神薄弱児童をみても 「彼らは神の子である」 と観ることができた
ということは、どんなに現れいる人のなかにも、神の命が宿っていると観ることで、
なかなか難しいことです。

しかし、観ずるものは現れる、という心の法則があるのですから、
観ずれば現れてくるのです。 

逆に、あっても、観じなければ現れないのですから、あっても、無いと同じことなのです。 
この 「心の法則」 を知ることが、とても大切なことなのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19596652.html より転写)
                 

          <感謝合掌 平成28年1月23日 頓首再拝> 

『継承者である』と云うこと - 夕刻版

2016/01/25 (Mon) 19:08:31


          *『生長の家』(昭和39年5月号) より

人間は“神の子”である。

“神の子”であるということは
神のもち給える一切の善きものの継承者であるという意味である。

神の無限の善きものは悉く
それを継承し利用し役立てる力と権利と義務とを与えられているのである。

あなたはその権利と義務とを履行しなければならないのである。

あなたは神想観して、自己の実相が“神の子”なる実際を充分自覚して、
本当に神の万徳を継承しなければならない。、

『継承者である』ということと『実際に継承する』ことは異るのである。

放蕩息子も親の財産を継承する権利を本来もっているけれども、
実際に継承させて貰えないかも知れないし、
継承しても、それを正しく使用しないで却って不幸をもち来すかも知れないのである。

即ち『継承者』であることと、実際に継承して、
親に喜んで貰えるようにそれを使うこととは別なことが判るであろう。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/d/20160123 より転写)
       
          <感謝合掌 平成28年1月25日 頓首再拝> 

「神様の眼」 - 伝統

2016/01/27 (Wed) 19:10:55


            *『白鳩』(昭和48年)より
             ~ 生長の家ゆには練成道場  村田 圭介


 伝道には肩書は要らない

 通用しない

 信仰の深浅も区別もない

 演説も個人指導も役立たない

 そんなものは皆

 一軒の前に立つ時

 泡のように消えて逝く

 ただ無我

 夢中

 一所懸命で言葉を探している

 相手にふさわしい

 神の言葉を探している

 相手から引き出す事は

 自分から出す事であった

 無から有  ―  「神」を出す事であった  

 一軒、また一軒

 農家、商家、サラリーマン、

 アパート、学校、病院、役場

 ××党、△△学会、〇〇教

 自分の眼、相手の眼

 周囲の眼、眼 ・・・・・

 ゴマカシの効かぬ

 神様の眼がそこに光っている

 一軒一軒の価の払い方

 払われ方 ・・・・・

     (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19735591.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月27日 頓首再拝> 

「秘れたる聖所にて祈る」 ということ - 伝統

2016/01/29 (Fri) 19:12:14


           *『白鳩』(昭和40年7月号)より

すべての人間の内には神の宿り給う秘(かく)れたる聖所(きよきところ)があるのである。

私たちの潜在意識の奥底に這入って行くと、人類共通の潜在意識 〈略称、人類意識 ―  
Race consciouseness〉 があり、更に深くそれを掘り下げて行くとき、
宇宙の霊的基盤となっている 「宇宙意識」 (Cosmic consciousness) があり、
更にその奥深いところに超在意識 〈神の意識 ― Super consciousness〉 がある。

この超在意識が「神の宿り給う秘れたる聖所」なのである。

この聖所に入って行くのは、物質的方法によるのではなく、神想観を修して、
現在意識を静かにして雑念妄想の生ずることを防いで、ただひたすら、
神を憶う想念のみに心を沈潜せしめて行くのである。

これがイエスが「密室にて祈れ」と教えられた真の意味であって、
密室とは心の密室であって物質の密室ではないのである。

心が惑うとき、心が騒ぐとき、恐怖の湧くとき、すべて斯くの如きとき、
私たちは“心の密室”に入って、神と対面して、神から平和の心境を授けられなければならない。 

即ち、「心を鎮めて、神想観を修せよ」ということである。

これは観普賢菩薩行法経にあるところの、

「一切の業障は妄想より生ず、懺悔せんと欲せば、端坐して実相を観ぜよ。 
衆罪は霜露の如し。 慧日よく消除す」

に当るのである。

キリストの教えも法華の三部経の教えも全く同一である。

     (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19740000.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月29日 頓首再拝> 

『家』の真理 - 伝統

2016/01/31 (Sun) 18:36:22


          *『生長の家』(昭和46年6月号 巻頭言)より
           ~生長の家副総裁  谷口 清超 先生

イエス・キリストは家庭生活をなさって伝道されたわけではなかった。 
キリスト御自身は結婚生活もされなかったということになっているのである。 

又、釈尊も、家庭生活をすてて出家なさり、悟りをお開きになった。 
それ故、一旦結婚されたとはいえ、その結婚生活は伝道生活とは一応無関係であったわけである。

しかし、人類の大多数は、結婚し、子供を育て、家庭を持っている。 
家族を支えながら悟道を得、大道を行ずる方法が、どうしても明示されなければならない。 
こうして、谷口雅春先生は、家をすてず、家を成就する道としての
『生長の家』を唱道されることになったのである。

従って‘この道’は、万人のためのものである。 
一部の僧侶や、伝道生活者、聖職者のためのみのものではない。 
悩める者も、悟れる者も、悦ぶ者も、悲しむ者も、みなこの道によって、救われる。 

家を成就しつつ、親兄弟に訣別することなく、夫婦相和合しつつ救われるのである。 
老いも若きも、病者も、強者も、皆救われる道である。

しかも、まだ家庭を持たぬ者も、一生家庭生活らしい生活を送らなかった人々も、救われる。 
何故なら、この万人のための真理は、神を父とし母とし、
人類を兄弟とするところの教えであるからである。 

全宇宙が一つの『家』である。 
これを『生長の家』というのだ。 
その雛型が、各個人の家庭としてあらわれている。 

それ故、家庭は決して消滅し去る過渡期的存在ではない。 
永遠不滅の『家』である。

さらに又国家も、ある意味でのより大いなる『家』である。 
国家を単なる組合組織や、神託会社のようなものと観る者もいるが、
宇宙は決してそのように単細胞的に出来てはいない。 

『家』の理念が、凡ゆるところを貫流していることを知れ。 
それ故、『国家』というのだ。 
それは国という『家』なのであり、中心者を必要としている。 
その中心者が、普通元首と呼ばれる。

しかも、国家の元首は、大宇宙に於ける神の如く、家庭に於ける父性者の如く、
‘不滅の存在’であるのが正しいのである。 

勿論、肉体人間として寿命のあること故、肉体としての元首はたとい死滅しても、
その国家の中心者としての理念は、永久に嫡々相承されなければならない。

即ち、そこには、武力や陰謀による「革命」があってはならないのである。 
又、単なる選挙で選ばれる中心者であっても不充分である。 
何故なら、吾々は神を選挙で選んだか。 
父を、母を選挙したか? いや、子を兄弟を、どのようにして選んだかを思うがよい。

それは、すべて「生命」によって生み与えられた。 
それ故、国家の元首も、生命によって生来的に、本源的に、生み与えられた中心者が、
嫡々として国家理念を伝承され続けるのが最も理想的である。 

即ち、万世一系の天皇陛下の御すがたこそ、
もっともすぐれた『国家』の中心者であり給う。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ad87f64691227ce4a6f9edfa8a475eea より転写)

          <感謝合掌 平成28年1月31日 頓首再拝> 

唯物的アニマルとなる勿れ - 伝統

2016/02/02 (Tue) 21:04:22


            *『理想世界』(昭和47年新年号)より
 
ある賢人の言葉に 

「人間の価値を定めるものは、彼か何を有っているかでもなければ、彼が何を為したかでもない。 
彼が如何なる人であるかということである」 

という警句がある。

 
これは国家でも同じであるのである。 

その国が価値あり、立派な国であるかどうかは、
その国が何を有っているかではなく、その国が何を為したかではなく、
その国が如何なる理想をもち、如何なる道徳を生きる国であるかということである。

 
悲しいかな、今、世界の現状を観るに、概ね、節操を失って、
その領土の広さ、資源の大きさ、人口の多さ等に魅せられて雪崩のように、
その大国に傾斜して行きつつあることである。


     (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19733607.html  より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月2日 頓首再拝> 

「谷口雅春先生について行きなさい」 と母は言った - 伝統

2016/02/04 (Thu) 18:44:58


            *『白鳩』(昭和62年9月号)より
             ~生長の家白鳩会会長  君塚 須三子

私の母は、昭和33年4月17日、突然昇天いたしました。 
その時の有様は、生涯、私の人生観を変える程の衝撃を、私の心に与えました。

キリスト教カソリックの信者であった母は、
臨終の時、無言のことばを、子供達に残して逝ったのでした。 
それは正座したまま亡くなったのです。 
「坐亡」と言って、めったにない珍しい死に方だということでした。

キリストの復活による永遠の命を信じていた母は、
「死とはこんなに楽で、有難い事ですよ」という姿を、目前に見せてくれました。 

死に顔は美しく、生前の皺はのびて、69歳とは見えない程、若々しい30代の顔になっていました。 唇はいつまでたっても赤い色で、体はやわらかく、生きているようでした。 
実際に見た人でないと信じられない、うそのような出来事だったのです。

 
亡くなる日の朝、私の姉に書いた手紙が最後の言葉となりました。 
それには、人生に於て最も大切な事は、大いに大いに正しい信仰をもつことである
と書かれてありました。 

最も大切と言うだけでは足りなくて、「大いに大いに」というところに、
〇印がついて特別に大きな文字となっておりました。

母の残したこの言葉、そして、見事な臨終の有様に、心を衝き動かされた私は、
1ヵ月後の5月17日から、私の家で白鳩誌友会を開催するようになりました。 
もっとしっかり 『生長の家』 を勉強し、多くの人に伝えなければと決意いたしました。

どなたでも、人それぞれに、母は偉大な人にちがいありません。 

私が生長の家に入信してまもなく、『甘露の法雨』 を母に贈った時、

「まあ、何と素晴しい聖経! 谷口雅春先生は神様だね。 
あなたは、谷口先生について行きなさい。 
私は、イエス・キリストさまについて行きますから」

と語った母は、とうとう自分の信仰を貫いたのでした。

どんなに苦しい時、つらい時、悲しい時でも、あのイエスさまの十字架にかかられた事を思うと、
今ある苦労など何でもないことに思えて来て、心が安心するのよ、と母は言っておりました。 
十字架がとても気に入っているようでした。

人はそれぞれの縁によって救われるのであるならば、母は母で、幸福でした。 
“あれでよかったのだ”としみじみ思うことです。

私が今、この重大な任務を神様よりいただいて、皆様のお役に立つように、
どうしたら神の愛を、もっともっと多くの人々にお伝え出来るだろうかと思いめぐらす度ごとに、
霊界から母が喜んで 

「しっかりおやりよ、あなたは、日本一良い子だからネ」 と、
かつて幼い時枕元でとなえてくれた声が、私の魂の底にかすかにきこえて来るのです。 

その声に励まされて、今日もまた元気よく、人類光明化運動に励んでおります。

「母の愛」は「神の愛」と言われます。 
この「無条件の愛」を生きる時、白鳩会運動は、どんどん盛んになって行くのではないでしょうか。 
今も未来も、神の愛で美しくこの世界を満たすことを楽しみにして、一日を出発したいものです。

    (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19730506.html より転写)
       
          <感謝合掌 平成28年2月4日 頓首再拝> 

『實相』の掛軸 - 伝統

2016/02/07 (Sun) 19:00:24

             *『光の泉』(昭和40年7月号)より
 
生長の家本部に 『實相』 の軸がかかっておりますけれども、
あの 『實相』 と、紙に墨で漢字で書いてあるのは、
あの紙や墨を拝むんだと思うと間違いなのであります。

 
『實相』 というのは皆様の生命の“本当のすがた”というものであります。 
それを現象界のコトバで説明するのは大変むつかしいのです。 
禅宗などでは長い間坐禅をしてそれを悟る。

「一切の諸法は空にして所有なし」と法華経に書いてある。 
紙や墨や樟の木の「板まんだら」も、皆さんの肉体も諸法の中に属する。 
そんな「空なるもの」を拝んでも役に立たないというのが「空にして所有なし」ということです。

 
諸々の現象  ―  肉体なる現象も、「板まんだら」も本来‘ない’と知る。 
そして肉体も物質も本来ないということが分ったら、それでも、
‘ここに生きている生命がここにある’ということが分るでしょう。

 
その生命の実相のことが書いてあるのが、法華経の方便品と如来寿量品である。 
それを現代語で詳しく説いてあるのが 『生命の實相』 の本であります。

『生命の實相』 第1巻の2頁の 『七つの光明宣言』 の第1ヶ条に、
『吾等は宗派を超越し“生命”を礼拝し“生命”の法則に随順して生活せんことを期す』 
と書かれていますが、“生命”というものは、宗派によって、
人間の生命が異なるということはないでしょう。

あの人は日蓮宗だから、日蓮宗系統の“生命”が宿っておるとか、
この人は真言宗だから、真言宗系統の“生命”が宿っておるとか、
あの人はキリスト教だからキリスト教系統の“生命”が宿っているとか、

いうことはないのであって、みんな同じき一つの神様の生命(いのち)が宿っているわけです。

 
法華経の『薬草喩品』にあったように、

『一雲の雨降らすところ、其の種性に称いて生長することを得て、華果ひらけ実る。 
一地の所生、一雨の潤おす所なりと雖も、而も、諸々の草木各々差別あるが如し』

でありまして、皆なに同じ生命が宿っていながら、
現象を見れば異う花が咲き、異う実がなるというようになっているけれども、
しかしその奥の 「実相」 を見れば、みんな神の生命が宿っているのであります。 

それが生命の実の相(すがた)である。 

それを法華経は教えており、その如く、生命の本当の相(すがた)を如来として
吾々は拝むというわけなであります。 

それを実際に拝んでいるのが、生長の家であります。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19715281.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月7日 頓首再拝>

『聖使命』 - 伝統

2016/02/09 (Tue) 20:02:52


            *『明窓浄机』(昭和38年4月)より
             ~生長の家副総裁  谷口 清超 先生
 
「高天に舞い上るかと思うと、深淵に潜入する  ―  しかし現金を払わぬ者」  

とエマソンは言った。

それは理屈ばかり堂々としていても、一向に実行力のない人のことである。

このような人は、何でも知っているような顔をしているし、
勿体ぶって賢者らしく、知識人らしく、平和論者らしく、
もっともらしく説教するのであるが、

家族が仲よくすることを実行せず、隣人を心から愛したこともなく、
国に忠誠をつくしたこともない人々である。

日本の発展は、いまだかつてこのような人々によって支えられたことはない。

彼らは 「穀潰し」 であり、 「国家の汚穢」 である。


諸君は、このような人々になってはならない。

それどころか、かかる人々を、愛行実践へと救い上げるところの 
“聖使命” をもつ者が皆さんである。


 ※谷口雅春先生の世界御巡錫中の留守を託され、『明窓浄机』の執筆も代行された。

 (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19675254.html より転写)


          <感謝合掌 平成28年2月9日 頓首再拝>

日本建国の理想 - 伝統

2016/02/11 (Thu) 20:17:51

日本國體を護持し、日本国民の自尊心を護持し、大和の理念を展開する精神的基礎
 ― 日本建国の理想


            *『生長の家の全貌』(16頁 ~19頁)より

神武天皇建国の歴史物語は、戦後の日本の各学校の教科書では、それが神話であって、
歴史的事実ではないと否定せられて来ましたけれども、これは日本建国の理想を
抹殺するものでありまして、誠に由々しき大事なのであります。

神武天皇が歴史的事実上、地上に存在したか存在しなかったと云うことは、
実証的な歴史家の研究に任せておいて好いのでありまけれども、
それよりも尚重大なことは、何故、日本民族が、そのような日本建国の歴史 
〈それが神話であるにせよ〉 創作したかと云うことであります。

凡そ創作と云うものはその作者の性格、理想、人間観、人生観、世界観等とが
その作中の人物にあらわされているものであります。 

そうすれば、その神話には、神武建国の歴史物語を創作した作者 〈それは個人ではなく、
日本民族であります〉 の性格、理想、人間観、人生観、世界観等があらわれているのであります。 

第一その天皇の御名を 「神武」 と呼び奉ったところに、日本の「武」は、
決して私利私欲のために動かされない、神威発揚の稜威顕現のためにのみ動かすものである
と云う理想が既に其処にあらわされているのであります。

 神武天皇、即位建都の大詔には次の如く書かれているのであります。

『 ・・・ 夫れ大人の制を立つる、義必ず時に随ふ。 苟も民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。 
且当に山林を披き払ひ、宮室を経営りて、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。 
上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫正を養ひたまふ心を弘めん。 
然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇を為むこと。 亦可からずや。 
夫の畝傍山の東南、橿原の地を観れば、蓋し国の墺区か、治るべし。』
 
これを略解して見ますと、

『思うに大人が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い制度を立てなければならぬ。 
苟も人民の利益になる事であったならば、たとい聖人の制定したものであっても、その制度を
変更するに何の妨げがあろうや。 
〈註:ここに日本天皇の民主主義的性格があらわれているのであります。〉 

朕は、いま山林をひらき伐採して宮殿を築造経営し、恭しい心持で天皇の位に即き、
人民の安寧と幸福とをはかるであろう。 そして上は、神が国を授けたもうた其の御神徳に
答え奉り、下は皇孫以下が正しい心を養成するよがとし、そして天下を治める為の都をひらき、
その徳をひろめて、世界の八方の荒れたる隅々までも一つの家庭として人類は皆兄弟として
互いに手をつなぐべき目的を実現するために、畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるであろう。』


この詔勅には何処にも侵略的な精神は見られないのであります。

世界を一家族として、人類を兄弟とする其の中心地として畝傍山の東南の橿原の地に
都をつくろうと仰せられたのでありまして、まだ此の詔には「大和国(やまとのくに)」と云う
国号はあらわれておりませんが、

此の橿原の地を中心に「大和国(やまとのくに)」と称せられることになったのでありまして、
「大和(だいわ)」の国号そのものにも全世界の人類が一つの家族として和合すると云う
建国の理想があらわれているのであります。 
〈私の記憶によりますと、文書として日本の国号がヤマトと称せられている最初は
日本書紀の神功皇后の件であります。〉

兎も角、斯うして、日本の歴史は形の世界の歴史に神武天皇があろうがなかろうが、
日本民族の魂の歴史に於いては、その建国の精神の擬人化として神武天皇がましますのであります。

神武天皇と大和(やまと)の理想は日本民族の魂の中に儼然として存在するところの理念
でありまして、形の世界はその理念の具象化として、徐々に展開して行くものでありまして、
途中に色々の消長や停頓がありましても、

この「神武」の理念と「大和(だいわ)」の理念とを骨子として、それに具体的歴史が
肉付けられて行くのでありますから、神武建国の事実は歴史中の歴史なる一大事因縁の
「因」をなすものとして、日本の歴史より決して抹殺し去るべきものではないのであります。

 
生長の家は斯う云う説き方によって、日本の國體を護持し、日本国民の自尊心を護持し、
現代の日本が「大和(だいわ)」の理念の展開として国際的に世界各国と手をつないでゆく
精神的基礎を与えるのに努力しているのでありまして、そのことは、戦後私の書いた 
『新生の書』 及び 『限りなく日本を愛す』 の本を読んで頂ければ詳しくわかるのであり、
ここにはその一端を書いたに過ぎないのであります。

これらの事は、すべて理念の世界は現象世界に先立つのであり、
現象世界は理念の世界を模倣して展開すると云う、根本教義から来ているのであって、
取って付けたように、愛国精神に迎合したものではないところに注目せられたいのであります。

http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ab182326f4f21c5b181df984f908b9de  より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月11日 頓首再拝>

生長の家だからこそ天皇陛下をお護りできる - 伝統

2016/02/13 (Sat) 20:26:57

生長の家だからこそ天皇陛下をお護りできる ― 戦後、御巡幸の御召列車に乗務


          *『生長の家』 誌
           ~ 北海道上川郡 田村 正醇


『旭川車掌区 田村正醇  ―  昭和29年 天皇・皇后両陛下北海道御巡幸時の
お召列車に乗務することを命ずる  昭和29年8月7日  旭川鉄道管理局長 舟津敏行』

この辞令を手にした時、当時30歳だった田村さんは
得も言われぬ喜びの中でしみじみと来し方をふり返った。 
まるで夢を見ているような気がした。 
“こんな栄誉に浴することができる半生ではなかったのに ・・・ ” と。

 
田村さんは、お父さんが肺病で寝ているときに生まれたためか、
非常に内気で陰気な子として育ってしまった。 

近所の大人たちの「肺病病みの子とは遊ぶな」と言う無神経な言葉の中では、
大人に対する反発心、父母に対する反抗心がつのったのは無理もなかった。 

小学校を卒業する頃には、もうチンピラグループを作って、先生も手を余すほどになった。 
中学を受験しようにも受付けてくれず、益々ひねくれていくばかり。 
高等小学校を出るころには、街の不良仲間に入っており、酒、煙草はのむ、家から金を持出すなど、
両親もほとほと困りはてていた。

父親はそんな息子を何とか立直らせたいと、自分が元いた鉄道に就職させるべく奔走した。 
こうした周囲の努力で、昭和15年4月、旭川駅に就職した田村さんだったが、
それも半年とはもたなかった。 

だんだん仕事を怠けて休む日が多くなり、いつの間にか元の仲間に足を踏み入れてしまっていた。 
その結果、遥か留萌の駅にとばされた田村さん。 

そこで否応なくやくざ仲間から引きはなされ、下宿先の良い雰囲気に恵れ、
やっと立直りのきっかけをついかんだという。 
少しずつ職場の信用も得て、車掌試験にも合格した。 

しかし、父母への反抗心は解消されておらず、やくざの世界からは足は洗ったものの、
心の根本問題は残ったままだった。


間もなく日本の敗戦とともに労働組合が結成された。 
田村さんは、今度はそちらに足を踏み入れた。 

最初の委員として選出され、組合活動をする内に世の中の矛盾、
自分たちの生活が如何に資本家連中に支配されているかという事実を痛切に感じたといわれる。 
それはまた、子供の時から染みついた大人や父母への反抗心と連動した。 

世の中の矛盾を解決するのは政治以外にないと考えた田村さんは、
自由、平和、独立をスローガンに掲げている共産党に魅力を感じ、
ついに入党、党活動の戦列に加わった。 

環村、工場、職場、さらに仕事を利用しては委員会内のレポ 〈秘密連絡〉 を行ない、
専ら党活動に没頭し、2年後には幹部教育を受けるまでになった。


一方それとは別に、田村さんは一つの印象があった。 
丁度共産党に入党した頃のこと。 

乗務の時に見かけた一人の人の雰囲気だった。 
その人は白い詰襟を着て旭川から名寄まで乗った。 
どちらの駅でも何人かの見送りと出迎えの人々が合掌していた。 

しかし、その白い詰襟の人に感じた不思議な安らぎは、
田村さんの潜在意識の深くにしまい込まれたまま、党活動は続けられた。 

 
ちょっとした不正でも徹底的にあばき、自分達の主張が正しくないというものは皆反動として憎み、
党員同士でも互いに批判的であり、まるで自分たちの同志さえ敵としているような毎日を過した。 

それは、なぜか理想とはほど遠い殺伐とした日々であり、
あの日見かけた人の雰囲気とはまれで対極にあった。

 
こうして、党活動も壁にぶつかってしまった田村さんは、ある日祖母の家に行った時、
何気なく本棚に 『生命の實相』 という本を発見したのである。 

取り出して開くと、そこには “汝の敵をも愛せよ” という言葉があった。 
田村さんは‘ぼんやり’としてしまったと言われる。 
その言葉が気になって、党活動にファイトも出ず、何となく日が過ぎていった。

 
間もなく、昭和24年9月27日、祖母の家で法事があった時、田村さんの手は自然に本棚にのびた。 『生命の實相』 を開くと、そこには 「深切の生活を生きよ」 と書いてある。 


「2、3頁読んで行くと、今迄自分の行っていたことは、
どんなに間違っていたことかを思わせられたんです。 

“光を見る者は自分が明るくなり、闇を見る者は自分が暗くなる” 
“人間は本来神の子であり、言葉は創造者だ” と書いてあるんです。 

このへんまで読んだ時、急に全身が電気にかかったような感じになって、
なぜか涙が出てきて1頁も読めなくなってしまったんです。 
その時、何処からともなく “今起ちなさい” という声が聞こえて来たんです。 

“そうだ! これをやろう” と。 
今まで経験したことのない心の底からの気持になりましたね。 
この生長の家をやって行こうと ・・・ 」


もともと、田村さんは行動力があった。 
それが今まではマイナス面にばかり働いていたのが、いよいよプラスに転回した。 
早速脱党届を書き、それまでのことを父母や職場の幹部の人々に心からお詫びし、
毎日を感謝の生活にきりかえたといわれる。

 
その頃職場ではレッド・パージが始まり、
それまでの実績から言っても田村さんは馘首を覚悟していた。 
しかし、心は安らかだった。 

そして、馘首どころか、田村さんは指導車掌という要職に引き上げられたのであった。

こうして昭和29年になった。 

   戦のわざはひうけし国民をおもふ心にいでたちて来ぬ

との大御心で、終戦直後から、くる年もくる年も日本全国巡幸の旅にあられた天皇陛下が、
8月にはいよいよ北海道にもおこしになることになった。

「お召し列車に私も乗ってみたいなあとは思いました。 しかし、現実は乗れるはずもない。 
元やくざでその上共産党員だった者ですからね。 

それでも、神想観を続けました。 
すると、私は生長の家なんだ、生長の家青年会の委員長、道の副支部長まで拝命して、
霊の選士として人々の光明化に一所懸命働かせて頂いているんだ、乗れないことはない。 

こういう思いがして来まして、み教えの “過去無し” が実感になって、
“既にお召し列車に乗務できました。 有難うございます” という祈りに、
いつの間にか変ってしまったんです。 
生長の家だからこそ、天皇陛下をお護りできるんだと思ったわけです」

 
そして、冒頭の辞令である。 正直、田村さんは驚いた。 
厳しい競争率だったことは言うまでもない。

「その時、滝川から旭川までの乗務員4人が選ばれたうち、
私を含めて2人が生長の家の人だったんです。 もう1人も、後に生長の家に入られました。 
私は思いました。 生長の家を真剣にやればすべては最高に順調に展開する、
そういう教えなんだなあと ・・・ 」

 さて、その当日のこと ――

「よく人から感激したでしょうかときかれるんですが、
感激などしている場合ではありませんしたよ。 
不思議な緊張感なんですよ。 

この一番大事な仕事を精魂こめて努めなければという思いだけでした。 
警備の方は別にちゃんといるわけで、自分は車掌室に入って乗務するだけのことですが、
乗っていても自然に招神歌を唱えていましたね。 

一言で言えば、点呼があって、歩いていって、乗って降りた
 ― 何かフワーッと目に見えない強い力につつまれて、一瞬のうちに時が過ぎたという感じでした。 ところが、えらいことに気がついた。 

一所懸命、天皇をお護りしなければ、何かあったら自分一身が責任をとらなければ ・・・ 
と思いつめていたけれど、実は、お召し列車ぐるみ、私たちが天皇に守られていたということです。 
実感でした。 

天皇陛下の御本質を、谷口先生がお説き下さる意味が、体験の中でわかったように思いました。」

 
こうして翌日は、旭川から先行列車に乗務した田村さんは、遠軽の駅で両陛下に拝した。

「正直なところ、身近な人という感じでした。 一人一人のぞき込むような御目の暖かさ、
視線の合った瞬間、スーッと体から何かが抜けていくような涙がこみ上げてくるような感じでした。 

後に昭和36,7年頃、青森駅のホームで御巡錫中の谷口雅春先生にお目にかかりましたが、
窓越しに合掌されたその合掌が何とも言えず、“ああ、この合掌の中に生かされているんだ” 
と思った時、ハッと、その時の天皇陛下の目の暖かさを思い出しましたね」


因みに、田村さんの印象から離れなかった昭和22年に出会ったあの白い詰襟の人は、
終戦直後からすぐに全国を巡錫して歩かれた谷口雅春先生の尊いお姿であったことを、
田村さんは後年になって知ったと言われる。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/5e6b594ac1e5e8a21dbbe93f6b207f0e より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月13日 頓首再拝>

生き通しのいのち - 伝統

2016/02/16 (Tue) 18:44:50

生き通しのいのち  ―  高橋淳一君、高き霊界より助力をたれ給え

             *『生長の家』(昭和59年2月号) より
              ~生長の家本部教務局長  岩田 安雄


高橋淳一君、君は今を去る13年前、青年会北海道ブロック担当中央執行委員として
活躍しながら、後輩を生長の家の中堅として育てようと決意、会員同志の真心で経費を負担、
曲りなりにも一軒の家を借りうけ、 顕誠塾 と名付けて自ら責任者になり
信念のままを行動に移しました。

夜は屋根のスキ間から月の光が差し込むという風流な建物でしたが、
優秀な人物の魂を磨く場所が与えられた事を喜び、颯爽としたあの頃の
君の姿を忘れることができません。

その後設備の整った場所に恵まれて移転、入塾の後輩も10名を越え、
いよいよ希望の輪を広げつつあったのですが、突然、まったく突然、
今から9年前の秋、塾開設4年目、交通事故のため、
29歳で現実界を去ったのは、惜しんでもあまりあることでした。

しかし 「顕幽一如」 「永遠生き通しのいのち」 を自覚している君です。 
霊界では、今も変らずその情熱を捧げつくし、使命感に燃えていること確信しています。


         献 霊 詞

 第8回慰霊祭を迎え、霊界に於いて人類光明化のために
 縦横無尽の働きをしている貴君に一文を捧げることをよろこびます。

 現実界はいよいよ混沌として 「真(まこと)」 なるものは、
 おしなべて所在をくらまされています。

 しかしその反面、より一層 「実」 を求める声もしきりです。

 生長の家の同志は、今こそ自我放棄に徹し、
 「日本国実相顕現」 のために歓喜邁進しています。

 このときに当り、切に思うのは、共産主義、とりわけ、
 ソ連という唯物論の妄執に呪縛された国が、この地上に存在することの意味であります。 

 この妄念によって来るところ、嘗て、帝政ロシア時代のリューリック王家、
 ロマノフ王朝の専制政治に反抗し、いわゆるロシア革命を招くに至った歴史上の事実と、
 それに伴う浄化作用が欠けているのを、看過すことはできません。

 ロシア革命に至るまでの惨酷無類の血の粛清、無慮千万人の革命の犠牲者の霊魂は、
 いまだに浮浪霊として、救いを求めていると思います。 

 ために連鎖反応的に執念は執念を呼び、無神論者の行動は飽くなく物欲に支配され、
 現在の世界はこの恫喝に怖れ戦いているのです。

 4次元世界では時間観念が異りますから、200年前も 「今日」 に通ずるのです。

 ここで 「七つの燈台」 点灯の意義として、「三界萬霊悉皆實相開顕成佛燈」 の照射する処、
 その妄執を解き放ち、真の公平な社会実現のときが至っていることを監督させなければなりません。

 ブラジル人が萬教帰一の真理に触れ、祖先霊供養を熱心に行ずることによって、
 魂の原点に回帰、感動の日々を送っているのを見て、やがてソ連人の少数でも、
 宗教心のある人々に、訴える機会が訪れることを祈念するものです。

 貴君よ、高き霊界より何分の助力をたれ給え。   合掌



谷口雅春先生は 「共産党員も実相に於いては等しく神の子であるから、
それを拝みきらなければならないのです」 と訓えていられます。

差別のない普遍平等の世界は神のものです。 
形のある有限界は、人間の内面生活が向上しない限り、矛盾が繰り返されます。

常識的な教養の域を超え、速かに大調和生活 「今ここにあり」 を、
実際に示さなければならないのです。 

日々の生活の充実感は、すべて此処から発するのです。

このことは、生と死を超えて生きる者の、最重要事なのです。

新選谷口雅春選集第16巻 『人間死んでも死なぬ』 と
谷口雅春先生著 『霊供養入門』 を精読、「生き通しのいのち」 を自覚して、
霊界に転移しら盟友(とも)の消息を偲び、
人類の未来が無限の愛に輝いている事を確信しました。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19503095.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月16日 頓首再拝>

悲しい時には泣きなさい - 伝統

2016/02/18 (Thu) 19:34:02

悲しい時には泣きなさい  ―  『いのちの道』

           *『行』(昭和16年6月号)より

 
(昭和16年3月2日 大隈会館に於ける軍人遺家族慰安大講演会 より)


皆さん雨の降る中をわざわざ来て戴きまして有難うございます。 

実は、白鳩会連合会で遺族の方を御慰問したいから、そういう風な講演会を開きたいから、
私にそう云う問題を話して欲しいと言われたのでありますが、私にはそれだけの力がない、
と云って最初お断り申上げたのであります。

何故私にそれだけの力がないかというと、私は遺族ではないのであります。 
本当に自分の夫が死んでいないし、自分の妻が死んでいないし、自分の子が死んでいない。 

従って極めて幸福に平安に住んでいる私に、遺族の悲しみを和らげるために、
私がどれだけの話が出来るかというような、そういう自信がないのであります。

自信がないけれども、併し白鳩会でその種類の講演会を開くに就いて、
今までの遺族の慰問講演会というものは、万歳(まんざい)のような、掛け合い話のようなものや、
或は音楽などでその場は好い気持にしているけれども、

併し後で本当に魂が根本的に救われたと考えるような慰安会はなかったのだから、
是非とも私に出て戴きたい、そして魂の底から何か安心の出来るような話をして戴きたい
というような、そういう註文があったのであります。

そこでやむを得ず承諾いたしましたが、どれだけのことが私に出来るか、
私には分らないのでありますけれども、皆さんに少し話して見たいと思うのであります。

       (中略)


・・・ 不幸にして私は自分の家族を戦場に於て失っていない。 
だから皆さんを慰める資格がないのであります。 

此の間も、遺族の一人の方が私の前に出て来て、そして私の夫はなくなったのです。 
と言われるかと思うと、ハラハラと涙をお流しになったのです。 

何とか私の心を平和にする言葉を言って下さい、私は泣かずにはいられないのです
と云われたのでありますが、私は言う言葉を知らなかったのであります。


 『悲しい時に泣かないのが悟りでありませんよ』  と私は言ったのです。


 『大いにお泣きなさい、それが人間だ。 それが神の子なんだ。 
  親に別れ、子に別れ、妻に別れ、或は夫に別れ、それで泣かずに知らぬ顔して
  悟り澄ましているなんていうのは、それは嘘だ。 

  それで好いのだ、泣きなさい。 哭いて、哭いて、哭いたら、
  そこから泣かずにいられる本当の生命が出て来るのですよ』  と申上げたのであります。


 『その本当の生命は泣いてはいないのですよ。 
 陛下のために献げることが出来た生命を悦んでいられるのですよ』  と云いました。

 
その方は私の書いた 『生命の實相』 という本をお読みになりまして、
人間は生き通しということはよく知っていると言われる。 
「知っているのに私は悲しいのです」 斯う言われた。 私は言いました。

 『そうです。 それはそれが当り前なんです。 いくら生き通しと知っておっても悲しいのです。 
  家族の一人が、何時も同じ家で寝ている家族が、どこか1ヶ月でも旅行して、
  家の中に暫くその人の寝床が敷いていない、そんな時に夜目をさますと淋しい気がする。 

  実際その人は死んでいやしないで、旅行したという事をハッキリ知っている時にさえも
  人間は淋しいのです。

  必ずしも死んだから淋しいのではない。 愛する者に別れる、是が淋しいのです。 
  その淋しさを淋しいとする  ―  それは人間の真情です。 
  あなたが悟を開いていないのじゃないのです。 それは肉体人間の当前の感情なんですよ。 
  あなたもそれでいいのですよ。 哭けるだけお哭きなさい。 

  悲しみというものは泣いて了ったならば、そうしたらもう後はみんな消えてしまうものですよ。 
  それは空気中の水蒸気見たいに雨になって落ちてしまったら、後はカラリ晴れて
  晴天白日になります。 悲しい時には泣けるだけ泣いたら、それでいいのです』  

  と私は話したことでありました。

 
朝鮮軍総司令官の中村大将は生長の家の熱心な方でありますが、
その方の夫人が自分の娘を喪ったといって、悟の法話に来られたことがあります。 

その方は生長の家の誌友でありますからよく読んでいらっしゃる。 
よく悟っていらっしゃって、 「人間には霊魂のあるということもよく分る。 
人間は生き通しであるということもよく分る、それだのにどうしても悲しくて仕方がないのです。」

 ―  斯う言われまして、 
「此の悲しみを無理に抑えようと思ったら余計悲しくなるのです」  
と云われました。 是は本当です。

酒でも飲みたいのに無理に抑えて、飲むまいと思うと余計飲みたくなるのです。 
煙草でも廃(や)めようと思うと中々廃まらない。 

悲しい時には泣けばいいのです。 
大いに泣くことです。 
泣いている内に次第に雲が晴れる。 

そして明るい世界がそこから生れて来るのであります。

人間の‘いのち’は本来明るいのであります。 
明るいから、自然と明るさが湧いて来るように出来ているのであります。 
雨が降って来ても自然に雨が晴れて来るようになっているのであります。 

空は雨が自然に晴れて来るように出来ている。 
無理に雨を止めなくても自然に止まるように出来ている。 
それがそのまま当前なのであります。

生長の家の生き方というものは無理の生活は一つもない。 
はからいの生活は一つもない。 そのままなのですね。 

そのままを生きた時に、そのままそこから道がひらけて来るのであります。 
悲しみを受けて悦びにかえる受け方は、私にはそれ位のことしか分らないのです。

 
ただ生命は本来楽しいように出来ている。 
雨が降っていても、雲の上は青空が本当にあるように、
人間は悲しんでおっても本当は幸福な生命であることを知って頂きたいのであります。  

こんな話をしたのであります。 ・・・・・

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/738cc23a91bd75a1de6faeb957956988 より転写)


          <感謝合掌 平成28年2月18日 頓首再拝>

久遠の尊師と歩いた人類光明化の道  ―  中林政吉 - 伝統

2016/02/20 (Sat) 18:24:45


             *『精神科学』誌(昭和63年1月号)より
              ~ 柴田 達成

忠犬ハチ公でおなじみの渋谷から吉祥寺までを結ぶ “井の頭線” の途中に、
「池ノ上」 という小さな駅がある。 歩いて5分もすると閑静な住宅街に入るが、
この一角に中林政吉先生の家があった。 

筆者は、言葉を交したことはないが、中林先生と会うのは初めてではない。 
東京へ出てきて、渋谷青年会を結成(つく)り、原宿の本部へ足繁く通っていた頃、
中林先生をよく見かけたものである。 

端正な顔立ちと、もの静かな威厳にただ遠くから合掌していたのは、
もう、ふた昔も前の話であったが ・・・ 。

「エエ。 あなたの名前は存じていましたよ。 しかしお会いするのは初めてですね」

開口一番、中林先生はそうおっしゃってニッコリされた。

晩秋のやさいい日差しが部屋の中を包んでいた。 
先生はその日差しに心地良く身をゆだねながら、過ぎ去った人生をたぐり寄せてくれるのだった。 
それは色彩も鮮やかな一幅の名画であった。

 
「僕は明治36年7月に越後川口で生まれました。 1年の半分は豪雪に埋まる山間部でした。 
耕地が少ないので貧しい農家が多くて、出稼ぎで生計を建てるような生活でした」

中林先生の家は22代も続いた古い家柄であったが、不運にも家運は傾斜していて、
大学進学も断念せざるを得ないような状態であった。 

普通こういう場合、青雲の志をいだいて東京へ出てくるものだが、
中林先生は北海道へ渡り、札幌のデパートの店員になった。

弱冠18歳の青年であったが、この地で文学と絵画に関心を深めていった。 
文学をかじると、思想的な模索が始まった。 
左翼思想にひかれて行くのはごく自然であった。 
郷里(くに)の貧しい農民たちを見てきた精神的背景もあったのかもしれない。

「当時、“種蒔く人” という社会主義文芸誌のグループがあって、
そこへ傾斜していったわけです。 
金子洋文、佐木孝丸、小牧近江といった人たちがいました。」 

社会的矛盾に立ち向かおうという正義感もあったのだろう。

「まず、僕の働いているデパートの職場で婦人解放運動を始めたのです。 
いわゆる実践活動です。 
しかし途中から左翼の事件にかかわって、札幌から東京出てきたわけです」

東京へ出てきた中林先生は、上野の下谷に 「リリオム」 という喫茶店を開店した。 
昭和8年のことであった。 
知人の紹介で結婚もしていたから、店は奥さんとふたりできりもりした。 

近くに現在の芸大や、太平洋美術学校があったから、客は若い芸術家のサロンであった。 
中林先生もその雰囲気に酔っていた。

その当時は、画家とか芸術家は、世間一般からは理解させなかった。 
貧乏という名前がついてまわったのだ。 これは日本だけの偏見ではない。 
西洋の、後年、名を残した画家たちも生前は押しなべて不遇であった。

奥さんと中林さんは、若い芸術家たちの最もよき理解者であり、
精一杯の支援をしてはばからなかった。 
それが彼等を歓喜させたのだ。

「小さい頃、画家になりたかったこともあって、店の中は美術書や、演劇関係の本、
文学書、クラシックレコードも集めて環境を演出しました」

客の中に鶴岡政男、麻生三郎、難波田龍起といった後年、洋画壇で大成した人がいた。 
そして忘れることの出来ないのが 佐藤俊介氏 であった。

「ある日、彼が 『生命の藝術』 という雑誌を寄贈(くれ)たのです。 
僕はまだ唯物論者でしたから、たんなる観念論の雑誌だと思って気にも止めなかったのです。 
ところが彼はその後も 『生命の藝術』 を寄贈(おい)ていくわけです。 

ある日その裏表紙に 『生命の實相』 の広告が出ていたのです。 
目次を読んで行く内に 『生命の實相』 が読みたくなったのです」

これが神縁であったのだ。 
初版黒革表紙三方金の 『生命の實相』 を佐藤氏が快く貸してくれた。 

それまで進歩的で新しいと思っていた共産主義思想が、
音をたてて自分の中で崩壊して行くのがわかるようであった。 

「『生命の實相』 を読んで、社会を改造する本当の道を教えられたのです。 
谷口先生が生長の家の真理を宣布する出版会社 〈光明思想普及会、現・日本教文社〉 
を発足するというので、社員募集があったのです。 
僕は真先に駆けつけて第1号に採用されたのです。 
そう、あれは昭和10年2月のことでした」


ここで佐藤俊介氏こと 松本俊介氏 を少し紹介したいと思う。 
実兄の彬氏は谷口雅春先生に共鳴して 「生命の藝術社」 を設立して 
『生命の藝術』 を創刊した人であった。 

父親の勝身氏は岩手の盛岡で生長の家の支部長の要職にあったが、
後に一家をあげて上京して、光明思想普及会の編集部に入社している。 

松本家に入籍した俊介氏であったが、妻・禛子さんの父親・松本肇氏 〈慶応大学英文学教授〉 
も熱心な生長の家の幹部であった。

こうして光明思想の感化に恵まれる環境にあったが、
13歳の時、流行性脳髄膜炎にかかり聴覚を失っていた。

「僕との会話はすべて筆談でした。 
お金を貸してくれといえば、その日の仕入れ分だけ残して貸してやりました。 
勝れた評論と絵画に才筆をふるいながら36歳の若さで夭逝したのです」

しかし、中林先生にとっては生涯、忘れることの出来ない友人だった。 
何よりも生長の家との出会いの橋渡しをしてくれた恩人であったのだから。 

そして、生涯もうひとり忘れることの出来ない恩師がいる。

「谷口雅春先生です。 先生とは10年違いますが、思い出もずい分あります。 
僕が満州から引き揚げてきた時、先生はお祝だといって3千円くださったのです」

いきなり満州といっても困惑される読者諸兄もいらっしゃるだろう。 
谷口先生は、「真の民族協和生長の家の信仰と、その精神をもって初めて達成される」  
と教示されて、次々と講師を大陸に派遣された。

中林先生も昭和15年6月、満州国駐在講師として赴任する。 
奥さんと子供には、あとから来るようにといって、とりあえず単身赴任であった。 

鞍山昭和製鋼を中心とする工場、会社、奉天の工業地帯、さらに新京の中央官庁、
満鉄社員会の光明化に努められて、昭和17年には、「満州国建国10周年慶祝講習会」 
が開かれた。 

谷口雅春先生が初めて国外出張された記念すべき講習会であった。

「奉天、新京、ハルビン、大連等から集った聴衆は2500名を数えたのです」

しかし20年8月8日、ソ連軍の参戦を知らされて、
1週間後に天皇陛下の玉音放送を聞いて茫然自失の状態になったという。

それから地獄絵図が展開された。 
ソ連軍がソ満国境より雪崩のごとく侵攻してきて正視できない暴威を振ったのだ。 
混乱は続いた。 

今度は新京に進撃してきた、八路軍の市街戦が展開された。 

この時、中林先生は左下顎部に銃撃を受けている。

「しかし民族協和の実証がまもなく示されたのです。 
新編中国軍の下士官たちから、同居がゆるされたのです。 
彼等5人と家族同様の生活が引き揚げまで続いたのですから ・・・ 」

 
昭和20年10月に佐世保に上陸すると、
不思議なことに、手もとにあった新聞に生長の家の広告が出ていたのである。

「もう、取るものもとりあえず、引き揚げのままの姿で一家で谷口先生の所へ駆けつけたのです。 
今でも思い出します。 先生はモンペをはいて畠仕事をされていました。 
そうして、お祝いだといって3千円と、着物一揃いを下さったのです。 

その時の3千円といえば大変なお金です。 
裸一貫で帰って来て、国から支給(いただ)いたお金は一人に付き1千円でしたから」


中林先生のお宅には、故林武氏の赤富士の絵が飾ってある。 
林武氏も生長の家の信徒として、あまりにも有名であったが、
中林先生は、この絵を林さんから贈られたという。 

小さい頃、絵描きになりたいと思ったという中林先生の夢は実現しなかったが、
こうして高名な洋画家と出会えたのも、生長の家の奇しき縁であったと思うと、不思議な気がする。 
筆者は、林さんの絵の中に、中林さんの魂も共存して生きているような気がしてならなかった。

今、中林先生は静かに航海の余韻をかみしめている。 
思えば長くて、短い航海であった。

 
「谷口雅春先生とご一緒させて頂いた僕の50年は、
神さまと、雅春先生に生かされてきたのだと、しみじみと感じています。 
僕の心の中に生きている雅春先生に、今はただ合掌する日々です ・・・ 」

思えば、かつて一緒に人類光明化運動に魂をうち込んだ生命の友だちも
今は鬼籍の人となってしまった。

「吉田國太郎、服部仁郎、辻村彦次郎、高橋直治くんたちのことも思い出すなあ ・・・ 」

頭髪はめっきり白くなったが、血色のいい顔は明日をみつめて青年の覇気があった。

ふた昔前に初めて筆者がお会いした時の威厳も健在であった。 

そして高貴な風貌に、仏像にも似た気品が輝いていた。


  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/e0adcf0049910ddc55386a84ee2f0f03 より転写)


          <感謝合掌 平成28年2月20日 頓首再拝>

行持堅固、天地と倶に立つ - 伝統

2016/02/22 (Mon) 20:46:47


             *『生長の家』(昭和15年3月号)より


『仏祖の大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心修業、菩提涅槃、
しばらくの間隙あらず、行持道環なり。 このゆえに、みずからの強為にあらず、
他の強為にあらず、未曾染汚の行持なり。 

この行持の功徳われを保任し、他を保任す。 
わが行持、すなわち十方の布地漫天みなその功徳をかうぶる。 
他もしらずわれもしらずといえどもしかあるなり』  〈道元禅師 「正法眼蔵行持」 上〉

 
上の一節を数回くり返し繰返しお読み下さい。 
そして『行』の尊きことをお知り下さいませ。 

『行』とは必ずしも苦行のことではございません。 行いです。 
その行いが道に載ったときに、『無上の行持』となるのでございます。

発心と修業と菩提涅槃と、これは三つではなく、
一つの環の如く連り‘ひとつ’のものなのでございます。

発心〈みちにこころざす〉も自分がするのではない、
修業をするのも自分が修業するのではない、また他にせられるのでもない。
 即ち『行持道環なり。 みずからの強為にあらず、他の強為にあらず』と道元は云う。

では何が発心し、何が修業し、何が悟りをひらくのであるか。

種から自然に芽が出て茎がのび花をひらくように、
本来清浄の仏種が内より催して来て発心し修業し菩提〈さとり〉を得るのである。 
だから『未曾染汚の行持なり』と道元禅師は仰せられたのであります。

自分の行〈おこない〉が完全であるなどと力〈りき〉んでいる人には頂門の一針でございます。

吾々の行持はそのままに天地の道の周行するところの行持であって、
天地の道を倶に立つところのものなのでございます。 

ですから『わが行持、すなわち十方の匝地漫天みなその功徳をかうぶる。 
他もしらず、われもしらずといえども、しかあるなり』
と道元禅師は仰せられたのであります。

神想観をしても、坐禅をしても、我が行持は天地と共に立ち、
天地と共に周遍〈あまねくゆきわたる〉するのでありますから、

今更、‘自分の’病気が治るとか、
‘自分の’何々の功徳が得られるとか、
そんな‘ちっぽけ’な功徳のことではないのであります。

 
『他もしらず、われもしらずといえども』天地と倶に立つところの吾々の行持が、
天地全体に影響を与えない筈がないのであります。 
だから『この行持の功徳われを保任し、他を保任す』と仰せられたのであります。

われわれが今道に志すのは我が一身のはからいに非ず。 
皇恩、諸仏諸祖の恩、父母の恩、夫又は妻の恩、兄弟の恩、衆の恩  ―  
それらの行持がここに一環をなして生きているのであります。

ここに皇恩が生きているのであります。 
ここに父母の恩、夫又は妻の恩、兄弟の恩が生きているのであります。 

忠の心を起すも、‘自分が’『忠』の心を起すのではない、
皇恩が茲に循〈めぐ〉り来って『忠』の心が必然的に起るのであります。 

孝の心を起すのも又そうです。 
父母の恩が自然に循り来って『孝』の心が必然的に起るのであります。 
ここに皇恩が生き、ここに父母が生きているのでございます。 

 ただ合掌でございます。 

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/b7035e8246c33e960e974e6d912835bd より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月22日 頓首再拝>

神のこころを咲く梅の花 - 伝統

2016/02/23 (Tue) 19:25:32


             *『光の泉』(昭和13年2月号)
              ~生長の家  有留 弘泰

紀元節は時恰も梅花の馥郁〈ふくいく〉としてかほる2月の頃に当りますので
一名「梅花節」などと申しまして、菊花の真盛りでもある明治節を一名「菊花節」と
申しますのと好一対とされているのであります。

 【明治天皇御製】

   ふりつもる雪をしのぎて咲く梅の花はいかなるちからあるらむ
   
   梅の花さけるを見れば降る雪にふゆごもる身の恥しきかな


霜の剱や雪の弾丸〈たま〉、或は征矢〈そや〉のように吹きつける朔風〈きたかぜ〉を
ものともせず、万(よろず)の花に魁けて、人は斯くこそ力強く生きよとばかり咲き匂う梅こそは、
正に花の兄の名に背かないのであります。

愈々天の時が参りまして、神の無限の力が働きかける時、霜何物ぞ雪何物ぞと力強く、
神々しく清々しく亦なつかしい、日本精神そのままを咲く梅は、
非常時日本の相〈すがた〉そのままであり、非常時国民の心の鑑として
此の上もないものであります。

私共はこの梅の花に向います時、直ちに雪の広野に大和心の花を開いたように、
必勝報国の信念に燃ゆる皇軍将兵の御苦労を偲び、感謝と感激にうち震うのでありまして、
寒さにおじ恐れて冬籠りしたり、避寒、静養するなどは、まことにこの花に対しましても
恥しい事であるといわねばなりませぬ。

古人の句に 「一輪の梅花天地の心」 というのがありますが、
梅の花は天地の神の心を顕わし天地の神の力そのままを咲き香るものと
いうべきものであります。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/d05f61fdaa728dac0fe81999c8ecff0a より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月23日 頓首再拝>

真理を利己心満足の資料とするな - 伝統

2016/02/26 (Fri) 18:11:57


           *『生長の家』(昭和35年新年号) より

生長の家の人類主義は、普遍なる神性が、特殊なる日本国土に、特殊なる日本民族として
顕現したことに、「天」 の御意志をみとめ、普遍的神性による人類兄弟観を失わざると共に、

普遍者の特殊的顕現として吾らが日本国土に日本民族として生れたる光栄と使命とを
充分に自覚し日本人としてこの国土に誕生したることを悦び、日本民族の特殊性と、
二千六百年来吾らの祖先が築き上げて来たる日本民族及び国家の伝統を尊び、

その特殊性と深遠宏大なる伝統を護持し、「特殊」 を抹殺することなくして普遍に生き、
日本国家と日本民族のその特殊性ある発達を遂げることこそが、
同時に人類社会に新たなる価値を加えるものであることを信じ、

「天地八紘は人類兄弟の家庭なり」 との世界国家モデルとしての神武建国の理想を
宣揚実現するために尽すことが日本民族としての使命であると信ずるのである。

 
生長の家人はこの方向にむかって地上天国建設のために実際運動を起すべきであって、
決して、自分一個の病気が治ったらそれでよいとか、家庭が調和して経済状態が楽になったから
それでよいとかいう風に、個人だけの福祉の上に晏如してあぐらをかいていてはならないのである。

 
実際生長の家の真理を悟れば、病気も治る、家庭も調和する、経済状態も豊かになる。 
台風にも洪水にも‘めげぬ’不死身無限の内在の神性を自覚し得る。 

しかしながら、その自覚を他に及ぼすことがなければ、
折角生長の家で受けた恩沢(おかげ)も
ただ利己主義満足の道具になったに過ぎないのである。

今や、地球の一周期の終りが近づき、
遊星人がどの人を救うべきか監視している時代だと
言われている時代である。 

それゆえに私たちは、この生長の家の説く真理を
ただ利己心満足の資料にするだけであってはならないのである。

講演会、座談会、街頭宣伝、民族意識を通しての人類光明化運動としての
国旗掲揚運動、日の丸行進、気の毒な人たちのため及び光明化運動のための慰問及び募金、
天災救援及び光明拠点建設のための作業奉仕活動、
マスコミの左右いずれへもの偏向を是正するための批判活動及び投書活動等々

 ・・・ 私たちの為すべき仕事は山積みしているのである。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/164b3825ccb47d6fa52754e899d9d19b より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月26日 頓首再拝>

谷口雅春先生の信者ですから - 伝統

2016/02/28 (Sun) 19:06:52


           * 『み教えにいのち捧げて』 より
            ~ 生長の家長老  長村 婦美子

信徒の方々は、谷口雅春先生の大切な信者様ですから、
私が指導するというような不遜な気持が少しでもあってはならないと思います。

相手はみな観音様ですから、
何としても 『生命の實相』 をお伝えする以外は何もないのです。 
私はそれしか知りません。

私は神に導かれていますのか、なさしめられているのでしょうか、
お話をさせてもらっている間に、私の知らない間に、
痛みが消えたり、高熱が下がったりします。

生命の實相は神様ですから、どこまで相手の実相を見つめる得るか、
如何に相手に実相を知って貰うか、如何に自分は 「神の子」 であったかを
納得して貰うかということだと思います。

この現象世界は現世(うつしよ)ですから、神の世界の完全円満な実相の表現の場ですから、
「実相を観じたら実相が顕われる」 というみ教えの通り、常に実相を観ることだと思います。


生長の家の 「信徒行持要目」 の中に 
「毎日1回は必ず神想観を実修して、心を光明化すべし」 とありますように、
一般の信徒さんでも1日1回の神想観をしていますのに、
講師が祈らない日があってはならないと思います。

 
尊師 谷口雅春先生 は 『ヨハネ伝講義」 の179頁に、祈り方を説いておられます。

「この(ラザロ)復活の奇蹟を喚び起したイエスの祈りの順序こそ、
後世の祈りの模範とすべきものなのです」  と、
正しい祈り方の順序を5カ条で示されています。

その5条目は、ラザロの死や病気を見ないで 
「『ラザロよ、出て来たれ』 と言っているだけで、病気が治ったとも、治すとも言っておらず、
病気を全然心から離してしまって、ただ 『健康で生きている者』 として
ラザロに呼びかけていることであります」  とお説きいただいております。

私はこの祈り方を手本として、個人指導をさせて頂いて来ましたが、
個人指導はイコール講師のお勉強だと思います。 
そして相手の神性をどこまで拝みきれるかということだと思います。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/0a1a37313b7af422456a4934f0dc9c23 より転写)

          <感謝合掌 平成28年2月28日 頓首再拝>

吾ら聖使命会員の使命 - 伝統

2016/03/03 (Thu) 18:37:26


        *『聖使命』二十九年十月一日号に「聖使命特信」として掲載されたもの

~~中略~~~

尚、近頃、各地を巡講いたしておりますと、私のことを余り「教祖先生」
としてあがめ過ぎるきらいがあります。

「教祖先生が休む暇もなく光明化に専念して居られ、その収入の全部を、
その光明化に献納して居られるのを見ると、吾々として申訳ない」
というような言葉が度々各地で発せられるのでありますが、
私は決して教祖ではないのであります。

生長の家の人類光明化運動の教祖は神であり、
台風さえも自由になし得、原爆さえもその神啓の『甘露の法雨』によって防ぎ得る
偉大なる全能力をもちたまう神であります。

教祖は決して「私」ではないのであります。

このことは重大なことであり、『生命の實相』の第一巻に「生長の家と私」と
題してハッキリ書いてあるのであります。

その神からインスピレーションによって『生命の實相』の真理を伝えられ、
それを私が個人企業的に小規模に経営して居たのを、前述の如く今回、聖使命会に
そのパテントを譲り渡したのでありますから、
私は教祖ではなく「前任経営者」と謂うべきところであります。

従って今後は、私を教祖と呼ばないようにして戴きたい。

そして「教祖先生に申訳ないから光明化運動を大いにやろう」というのではなく、
「聖使命会の結成せられるこの聖業を遂行することは吾ら聖使命会員の使命であり
聖嘱である」という自覚で、

みずからが霊の選士として聖使命に招請された者であるとして、
この聖使命遂行のために協力願いたいのであります。

吾ら(複数に注意して下さい)の聖使命なのであります。

数は力でありますから、
一人でも多くの同志を獲得して下さらんことを希望するのであります。

常に今が「時」であります。

 谷口雅春 先生

  (http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1416738867/6565 より転写)


          <感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>

白鳩 創刊の辞 - 伝統

2016/03/11 (Fri) 19:49:09

白鳩 創刊の辞 ~ 谷口雅春 先生

          *「白鳩」(昭和11年3月7日)より

生命の在るところ必ず道がある。
生命とは道であるからである。
 
それは一切所に満ち充ちているからコレだと云って凝縮して見せ得るような形はない。
 
併し生命を吾々が宿しているとき、各々の生命の顕現の位置に従ってその道の
 顕れかたは異なる。

亭々たる松の樹の伸び方には松の樹にあらわれたる生命の道がある。
?牙として磐屈する梅の古木には梅の古木としての道がある。

或いは絢爛なる桜の花、或いは純潔なる百合の花、
或いは触れば散らんばかりの芥子の花、
或いは濃艶情趣をしたたらす牡丹の花、皆それぞれに道がある。
 
道は形なく一つなれども、その顕れは無限である。
 
男性には男性の道があり、女性には女性の道がある。
ひっくるめて人のみちを守ればその儘で人生は幸福だと云うことはできないのである。
人のみちも一つにして同時に多くに分れているからである。

私は『生長の家』に 於いて、男性にも女性にも子供にも大人にも老人にも当て嵌まる
総括的な人の道を説いて来た。
 
男性にも女性にも子供にも読まれる一般の雑誌に於いては
特に女性にのみに関する特殊の道を説くことが出来なかった。
『白鳩』に於いては特に女性のみに読まれる女性の道を説いて行きたいと思う。

人生は男性と女性によって成っているから、女性の天分が発揮せられないとき、
不幸となり暗黒となるほかはないのである。
これを指導し補導し育てて行くことは人生光明化の偉大なる仕事である。
 
この意味に於いて吾らの婦人部白鳩会から、
女性専門の『白鳩』が発行されると云うことは意味あることである。

女性の天分は、愛と美と優しさと純潔とですぐれている。
その意味に於いて、『白鳩』は女性のシンボルである。
併しこの雑誌はただの知識や教養を与える単なる雑誌としては終らせたくない。
 
日本に於いて最初に起った真の女性運動の
(今迄の女性運動のように男性の圧制に対する反動的ではない)
機関として、

女性的天分の愛と美と調和と平和と優しさとを拡大していく
實際運動の機関として連絡者として此の雑誌の使命を持つものである。
 
男性の専制に立ち上がっても、女性は真に幸福にならないのである。
吾らの使命は女性がより多く女性であるが故に、男性が専制になろうとしても
専制になり得ないような大調和の世界の創造にある。

数は力であるから隣近所のすべての婦人の参加と協力とを薦めて頂きたい。

  
  昭和11年3月7日  光明思想普及会発行   定価二十銭

  (http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1416738867/6534 より転写)

          <感謝合掌 平成28年3月11日 頓首再拝>

『生長の家50年史』の読み方 - 伝統

2016/03/13 (Sun) 19:12:11



            *『生長の家』(昭和55年11月号)より
              ~生長の家本部文化局  阪田 成一


巻頭には、今回新しく頂戴した谷口雅春先生御夫妻のカラー写真が飾られ、
生長の家の全神示が収められています。 
また“目で見る生長の家50年”ということで、写真史のページもあります。

次に首部として、『住吉本宮建立の本義』 と題する谷口雅春先生の御原稿、
『燈をかざして50年』 の谷口輝子先生の御原稿、
さらに谷口清超先生御夫妻に談話取材させて頂いたもの、
そして両先生御夫妻の御題詠進つまり御歌ですね、これらが収録されています。

続いて第1部 『谷口雅春先生と生長の家50年の軌跡』 と題された、いわゆる通史。 
第2部はその海外篇です。 第3部に、生長の家各光輪会員の方々の 『立教50年に寄せて』 
の御原稿が入り、第4部は渋谷晴雄基礎文化研究所所長執筆の 
『生長の家“唯神実相論”の世界史的意義』 という論文です。 

そして最後第5部は、先生方の御巡錫記録、著作一覧、
50年史年表を始めとする資料篇となっています。

編纂委員会で十分に検討した結果、この生長の家人類光明化運動50年の歩みの全貌を
総合的に把握しなければならないということで、各組織の歴史や関係団体、道場等の歴史も
組み入れて、光明化運動の一貫した流れを見失わないように留意して編纂執筆させて頂きました。

何よりもまず、生長の家50年の歴史は、谷口雅春先生の50年にわたる光の進軍の歴史であり、
住吉大神の宇宙浄化の働きの展開であり、天之御中主神の具体的顕現であるという認識に立って、
谷口雅春先生が、激動する国内国外の様々な状況の中で、何を求められ、何をめざされ、
何を願われ、何を為さんとされたかを、その時々に発言され、執筆された御言葉を通して、
先生の御心を正しくとらえ、それを正しく後世に伝えるべく編纂するということでした。

と同時に生長の家出現とその展開としての人類光明化運動を、近代史、現代史との関わりの中で、
日本及び世界の歴史と文化の中で正しく位置づけするということです。 

解りやすく言えば “何故生長の家が昭和の御代の初めに谷口雅春先生を通して
出現しなければならなかったのか” を明らかにするということです。

読んで頂ければ、谷口雅春先生という方がどれほど大きな存在であるか、
また、その弟子たる信徒一人一人の使命が如何に尊く大きいかということが
きっと分って頂けると思います。

谷口先生は 「歴史を把むことによって“今”を知り“久遠”を知り“未来”を知ることが出来る」 
と教えて下さいましたが、歴史が正しく記されれば、それを読む人は、
その‘歴史の中にいる自分’に気づくのではないでしょうか。

 〈ところでもう一つ、この通史では谷口雅春先生が神啓を受けて立教されるまでの前史が、
  初めて編纂されたということですね。 そのために尊師御生誕から立教までの求道の証し
  となる埋もれた新資料を、輝子先生のも同様に随分蒐集されたのでしょ?〉

ええ、それはこの“50年史”の一つの特徴と言えるでしょう、 
先程言った基本態度から当然出てくることです。 

谷口雅春先生が“時代”と“人々”の苦悩を‘一身に摂取’されつつ、
「生命の実相」の福音を説き続けられた50年はこの前史を知らなければ、
本当には解らないのではないかと思います。

生長の家内外を問わず、可能な限り多くの方々を取材させて頂いて、本当に勉強になりましたし、
先生に関わる資料は出来得る限り集め、その資料を読み込んで行くうちに、
資料の方から自ずと編纂の仕方を教わりました。

歴史を編纂するということは、あるべきものをあるべき所にあらしめるということで、
尊師米寿の最高の佳き日に、この 『生長の家50年史』 が刊行されるということは、
まさしく “御顕斎” の一つの現れであると思います。

その大きな潮流の中での出来事としてこれをとらえ繙いて頂ければ 
“住吉大神の全身全霊である” と谷口雅春先生から言われた私たちの、
今為すべきことがハッキリと、一人一人に映って来るのではないでしょうか。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/53837721137e04ea2c5354fbada35bd6 より転写)


          <感謝合掌 平成28年3月13日 頓首再拝>

生命の全的把握としての 『國』 と 『家』 - 伝統

2016/03/15 (Tue) 19:06:56


           *Web:「『生命の實相』哲學に学ぶ」(2015/12/1)より

『家』を尊ぶという場合の『家』は、決して『建物』という意味でもなければ、
個人の生命を縛るところの『封建的制度』でもないのである。

『家』とは『宗祖』の生命と『個』の生命との『一連続』を表現する言葉である。 

戦後の日本人は『個』の生命には目覚めたけれども、概ね唯物論であるから、
『祖孫一体・親子一体』の“連続体としての生命”の自覚を欠く傾向が非常に強いのである。

人間の生命は『個』だけで忽然と地上に生れたのではない。 
祖を通じ、父母を通じ、その生命の一連続の地上への顕現として此処に在る。 
それを自覚しないことは、人間生命の部分的自覚に過ぎない。

私たちは生命の部分だけで生きるだけで満足してはならない。 
私たちは生命の『全』を生きなければならない。 
それこそが自己の『全』を真に愛する道である。 

それゆえに真に自己の『全』を愛するためには
祖先の生命が其処に生きている『國』を愛しなければならないし、
『家』を愛しなければならない。

私たちは憲法にどうきめてあるから『國』を愛するというのではなく、
法令で『家』の制度がなくなり『戸主』がなくなったからとて『家』を愛しないというのではない。 

『國』と『家』とは私たちの『個』のいのちが其処に生きている本源であり、
単に本源であるばかりでなく『祖』の生命が自己と家族の生命として分化して発展して
その空間的広袤としてあらわれたものが『國』であり『家』であるから、

『國』を単に『人民』に対立してそれを束縛する存在と見たり、
単に人民が住むための土地の面積だと思ったり、
『家』を単に『個人』の集団の場に過ぎぬと思ったりするのは誤りであるのである。

 
『國』と『家』こそは、祖孫、親子一体の生命の具体的表現であり、
過去と未来を『今』の一点に把握するその生命の展開であるのである。 

この生命把握の認識が欠如して、ただ唯物論的に孤立せる『個』としての
“肉体”のみを『人間』だと感ずるがゆえに、一切の過ちと
わざわいとはむらがり生ずることになるのである。

 
私が憲法復元を高唱するのはこの意味における祖孫・親子・一体の
生命の宗教的心霊的把握の上からであって、
『現行憲法が単に、占領中に押しつけられたものであるから、その内容は良いけれども排斥する』
というような、そんな根拠の薄弱なものではないのである。

真の民主主義は『個』としての生命が祖孫一体に拡大してのみ完成し得るのである。 
しかし前述せるが如くジャーナリズムの大半は言葉の利剣をもって現行憲法の改定を
ただ『改悪』として『斬捨御免』的に葬り去ろうとしているのである。 

 
かくの如き一方的な言葉の暴力で日本の大衆は欺瞞されつつあるのに
われらは黙して好いものであろうか。 

ああ、われらに協力して、真に日本を愛する人は出でざるか。 
愛国者協力して運動化しなければ、國を救うことはできない。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19738538.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年3月15日 頓首再拝>

運命の転換 - 伝統

2016/03/19 (Sat) 18:26:14


         *昭和63年2月 「第14回 繁栄特別ゼミナール に寄せて」 より
          ~ 生長の家鳥取教区教化部長  原田 昭

今日に至る迄如何に多くの人々が、生長の家の説く真理によって救われ、
繁栄を実現し、運命を好転させていることであろうか。 
それは数々の体験が物語っている事実である。 

運命を好転し、無限の繁栄を得るには、神意を展開することである。 
神意に叶った繁栄でなければ、一時は栄えても、結局は長続きするものではない。 
神意ですべてを行ずるとき、無限の繁栄が得られるのである。

 聖経 『甘露の法雨』 に、

「神があらわれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、
苦しむものなく、乏しきものなし」

 と示されている。

乏しきものがないのが、神の創造された世界である。 
それは、繁栄のみの世界である。 
即ち “神は愛なり” であり、愛を実践するところ必ず、
無限の繁栄が展開されるのである。 

今や世界には数知れず宗教があるが、ほとんどが、現象論であり、“人間は罪の子”と言っている。 
我が国では宗教団体が18万4千あるそうであるが、わが生長の家の教えは唯神実相哲学である。 

実にすべての繁栄も人間の運命の転換も、ここから始まるところの大真理である。 
神と神のみ実在であり、神ならざるものは無いという哲学である。


さて、富とは人のお役に立つ働きを最大限に行ずることである。 
人の為になる働きが、愛であって、愛を行ずるところ富に変るのである。 
即ちとの貢献度の高いものほど繁栄しているのは事実であり、栄えている企業皆然りである。

生長の家の説かれている繁栄の原理の

第1に父性原理  ― 奉仕し与えること、 
第2に母性原理  ― 受けて感謝する、

との2大原理が説かれている。 
この原理は古今天地の法則であり、永遠に変らざる大真理である。

“蒔かぬ種は生えぬ” という言葉とおり、
真に繁栄を享受しようと願うならば、繁栄の種を蒔かなければならない。 
真に幸福を願うならば、幸福の種を蒔かなければならないのである。 

人の幸に貢献する。 
如何にすれば人が喜んでくれるだろうか、
如何にすれば人類が幸福になってくれるだろうか、と。 

即ち、愛を実践するところに、神の力、神の智慧が天降り、凡てに於て好転し、協力者があらわれ、
“不思議”という妙智力が、展開するのであり、たちまち此の世は光明浄土となる。 

経済の原則は 「自然、労働、資本」 であるが、自然即ち神は、ただ与えているのみである。

 
さらに、清貧礼讃の心は人間を貧乏にする、と 
『生命の實相』 第8巻〈※頭注版〉 に示されてある。 

貧乏でいることが高徳であると思い、富んでいることを恰も罪悪の如く考える。 
そして宗教家が富んだりすると悪評が渦巻く。 
しかし、宗教家が富まなければ、一体誰が富むのか。 

宗教家こそ常に神の国の無限の愛と、無限の智慧と、無限の創造力に直接触れているのであり、
宗教家こそ富んで当り前の筈である。 にも関わらず、宗教家が自ら富んでみせることが
出来ないようでは、その教えは空理空論であり、その信仰は実を結ばない信仰と
言わなければならない、

と説かれているのである。

運命の好転も結局、「人間・神の子、円満完全」 であり、
既に富んでいる、という自覚から展開するものである。 

吾々は大いに無限の繁栄の実を上げ、天下に生長の家の説く真理を素晴しさを、
展開し実践して参りたいと思う次第である。

国と共に栄え、教えと共に栄え、中心帰一の真理をしっかりと行ぎ、
無限力を発揮して繁栄の実を上げて参りたいと熱願する次第である。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/644f2a938f87263347f34bee8114c692/ より転写)

          <感謝合掌 平成28年3月19日 頓首再拝>

國に尽す方が正しいという倫理的根拠 - 伝統

2016/03/25 (Fri) 18:22:21


           *『行』(昭和15年9月号  7頁 ~)
 
あなたは御意(みこころ)の中に苦難とか災難とか、病気とか、貧乏とか
いろいろの悩みとかがあると思っていらっしゃるその考えをすっかりお捨てなさねばなりません。

自己犠牲とか自己虐待と云うことは一寸見ると中々立派そうに見えるのでございます。 
快楽を追求する人よりも苦行をして、自分で断食をしたり水行をしたりして
他の幸福を願っているのは、崇高な感じ清浄な感じが伴うものでございます。

それは感覚的快感を追求する心は、感覚は『物質』に隷属しますから、
『物質』に隷属する感じですから、『物質』を超えた感じに比べると
低卑な感じがするのでございます。

併し、その低卑な感じがする『物質』を他人(ひと)に与えて他人を幸福にし、
自分だけは『物質』ならざる一層上位の霊的幸福を得ようとするのでしたら、
新たに別の利己主義が顕れていると云わねばなりません。

ですから吾々は、『我』とか『他(ひと)』とか云う区別を捨てて、
ただ神のみの世界を観なければなりません。

『我』と『彼』との差別が消えたときに、『我』には貧しく『他』には豊富にしてやる
と云うような順序顛倒はなくなるのでございます。 みんな平等でございますね。

そして手近なところから始めてみんなを幸福にしてやるのです。 
この時はじめて自己のためを計って次第にその幸福を他に及ぼす、平等にして同時に
‘位置の順位’を無視せぬ正しい生活が出来るのでございます。

大抵これまでの立派な人は『他』を愛して『自己』を憎んだのでございます。 
併しこれは是正せられなければならない謬見でございます。

『我』とか『彼』とか差別を設けるのは
矢張りまだ『我』と云うものがまだ残っている考でございます。 

そう云う『我』と云うものを捨てて了って本当に一視同仁の平等の見地に立てば、
神の見地に立つ訳でありますが、そう云う神の見地に立つとき、自己に与えられたものを
先ず衛(まも)る  ―  何故ならそれは神が其処にそれを置いたのであるから  ―  
のが御心であると云うことが判るのでございます。

ここに他国に尽すよりも、自国に尽す方が正しいと云う倫理的根拠があるのでございます。

それは利己主義ではないのでございます。 
自然が与えた侭に従う自然的根拠、又は法爾的根拠に於ける善なのでございます。

在来の倫理観の如く自己を衛ることが利己主義ならば、
自国を衛ることは国家的利己主義として軽蔑しなければならないことになり、
忌むべき反戦主義を生ずるのでありますが、

生長の家的倫理観になったとき初めて平等にして同時に差別あるところの法爾的根拠が、
先ず自国を幸福にすることによって他国を幸福にすることを得るものであると云う事実より生じ、
それが神意(みこころ)であると云うことが肯定され、利己主義が揚棄されて、

自国防衛が即ち全世界を幸福にするものであることが明かにされ、
トルストイの童話『イワンの馬鹿』に現れたような利敵行為が神意(みこころ)である
と云うような愚かなセンチメンタリズムがなくなるのであります。

国家の問題では大抵の人は自国を傷つけ他国を利する利敵行為が悪であると云うこと位は
知っていますが、個人の問題になると忽ち吾々の判断は朦朧として来まして自己を傷け
他を利する自己虐待利他行為が善であると思おうとするのであります。

利他行為は無論善でありますが、自己虐待行為は善ではありませぬ。

今の日本の経済学者は在来の陳腐な利他自己虐待行為を善であると
思い過ぎているように見受けられるのであります。 

無暗に自己を他国の犠牲にすることを善であると思い過ぎてはいますまいか。

      (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19651542.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝>

われらが起つとき - 伝統

2016/03/28 (Mon) 20:32:43


               *『生長の家』(昭和56年9月号)より
                ~生長の家静岡県教化部長  高森 晴雄


   花散らふこの向つ峰の平那の峰の洲に漬くまで君が齢もがも
                         (『萬葉集』巻14“東歌”)


谷口雅春先生は  

『諸物の根元に 「中(みなか)」 をみとめ、それを 「主」 として仰ぎみて、
常にそれに還元するところの日本民族の特殊精神があらわれているのであります。 

天照大御神の神勅即ち御言葉によって出来たところの日本国の根本的設計は 
「理念日本国」 の実相そのものであって、これは永遠不滅の存在であります。 

昔の日本国は 「天皇」 が国家理想の表現体であった。 
天皇の大御心の中に 「神意」 を日本民族は見たのであった』  (『私の日本国憲法論』理念篇) 
 とお教え下さっているのです。


『万葉集』 には、日本の神話、民族の精神、国家の理念を詠まれた和歌がしるされ、
然も収められた4千5百首以外に、はるかに多く詠まれたと思われる歌から取捨選択されている
ことからしても秀歌が集められているのではないかと考えますとき、
そのような平板な解説では心動かされないのであります。 

和歌、短歌に素人の私ですが、これまでに谷口雅春先生によって眼を開いて頂いた
私なりに解釈を試みました。

 
『花散らふ』 は咲いた花が散るのではなく、 “我々の現象生命が終るとも” の意、 

『この向つ峰の平那の峰の洲に漬くまで』 というのは、ここ尾奈の山の周りの山々は
2百米位の高さの中で一番高いのが尾奈山であることから、
その山が湖につかってしまうほどに長い歳月、つまり “永遠に” の意、 

『君が齢もがも』 は “天皇さまの御生命が続きますように” の意で、

歌の大意は 

『我々の現象生命が終るとも、天皇の御生命、日本なるものは永遠に変ることなく続きますように』 
という 『日本民族の “天皇信仰” の心と “熱祷” を詠まれた歌』 なのではないか
と思うのです。

このようにして 「平那の峰の歌」 を知り、かく解釈したとき、咄嗟に思い浮かべたのが 
国歌 『君が代』 の元歌と言われている有名な 『古今和歌集』 に録されている  
『わが君は千代に八千代にさざれ石の巖となりて苔のむすまで』  という “賀歌” 
と同義の歌である点です。

醍醐天皇の勅命によって紀貫之、紀友則らの手で撰集された 『古今和歌集』 の時代から遡ること
150年近くも前に、すでにここ 「遠江の国の “尾奈の山”」 の歌を通して、
日本民族の真情が詠まれていたことは、郷土を愛する人々の誇りであることにとどまらず、
日本民族共通の誇りであることに気付いたのでありました。


谷口雅春先生は  

『日本国は天照大御神の神勅によって “理念の日本国” が設計され、
その理念が現実化したのが “神武天皇の建国” である。 

実相妙有の世界とは “中心帰一の世界” であって、天皇中心の日本国は、
実相宇宙の荘厳なる構図のさながらなる展開である。 

国民全体が、天皇を本当に愛し敬し、その円満なる叡智と至仁なる政治を信ずるとき、
天皇には神ながらの叡智が発揮されるものである』  (同前掲書)  

とお説きになられました。

 
更に昭和55年11月22日、谷口雅春先生米寿祝賀記念式典の際に  

『生長の家が出現したのは、この現代の日本を救うためであって、その目的のためには、
どうしてもこの生長の家の形で出現する必要があった、というわけなんであります』

という御言葉でありました。

 
この御言葉に先立ちて 「住吉大神」 の御顕斎の後、 

『皆さんは住吉大神の全身全霊である』 と、また  

『皆さんが谷口雅春で、皆さんが救世主である』  

との大宣言を賜り、感涙滂沱われらが大使命の遂行を深く心に期したときのことが思い出されます。

 
『今、人類に福音の火を点ずるために起つべき “時” が来た』 
との師の御決意を自らの決意として、生長の家の御教を生活の全面に実践する家々を 
「まんさくの花」 のように “黄金色” に輝かしめ、

住吉大神の宇宙浄化、天皇国日本の実相顕現の巨歩をすすめることをもって、
尊師の大恩におむくいいたし、われらが先人の熱願にお応えしたい。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18423316.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年3月28日 頓首再拝>

いつの間にか墜落している - 伝統

2016/03/29 (Tue) 20:02:49


             *『真理』第9巻 生活篇 より
 
光明思想を常に生活から外してはなりません。

多くの読者が、既に 「生命の實相はわかった!」 と言って墜落しました。

併し、白隠禅師さえも 「大悟18回、小悟は数知れず」 と言われました。

「もう悟った」 などと増上慢の心を起してはなりません。

いくら頭に光明思想を理解したからと云って、
それを単に記憶していることと、
実際に光明思想を生きていることとはちがうのです。

光明思想はよく憶えているが、忽ち暗黒な気持に襲われたり、
イライラした感情の虜になったり、利己的な心を起したり、
荒々しい語調で人に話したりするのでは、光明思想を生活してるのではありません。

しかも日常そんな生活を送りながら、「自分は光明思想を知っているのだ」 
と思って反省がないので救われる道がありません。

毎月の雑誌は、その反省を与え、知っていながら
暗黒思想にいつの間にか墜落している人々を救い上げるための言葉の力として
是非読まねばならない魂の糧なのです。

  (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19639956.html より転写)

          <感謝合掌 平成28年3月29日 頓首再拝>

真理を知る時、吾々は神の恩寵を見る - 伝統

2016/03/31 (Thu) 19:13:11


            *『生活改善の鍵』 より

もし吾々が欠点を拾い上げてそれを問題にする心があるならば、
欠点はいくらでも自分の目の前に現れて来て自分の魂を掻き乱すより仕方がないのである。 

それは 「類は類を呼ぶ」 の法則によってそうならずにはおれないのである。 
それはどこに吾々が生活していようと、誰と生活していようと如何なる仕事をしていようと、
結局は 「類は類を呼ぶ」 ことになるのである。 

自分の目の前に何か不完全なことが現れて来るのは、
結局自分自身の中にそれと同じものがあるからである。 

もし吾々が豊かな、調和せる、楽しい生活を欲するならば
不完全を見ない心にならなければならないのである。 

不完全を一つ一つ見つけてそれをとりあげている限りは、
その不完全さはいくら捨てても捨ててまだ新しいものがでてくるのである。

もし吾々が他をさばき、他に憤激し、他を誤解して悪く考えることがあるようでは
吾々の住んでいる環境はますます紛糾するばかりである。 

なぜならその人の心は天地一切のものと和解していず、批評や憤激や誤解等によって、
凡ゆる人と凡ゆる事物とに対立的な関係に立つからである。 

そして何かこの世の中に害を与える不調和な存在があるのだという信念を
ますます強めることによって、その信念の反映として不調和の現象はいよいよますます
吾々の周囲に現われて来るのである。


これを避けるためには、吾々は真理を知らなければならない。 

ただこの世界には神と神の子のみとが存在する、
という真理を知る時吾々は凡ゆる人々の中に観世音菩薩の示現を見、
凡ゆる環境に神の恩寵を見ることができるのである。 

この心境に立到った時に於いてのみ、吾々は凡ゆる人と事物と環境とに対して
しばられない所の完全なる自由を獲得することができるのである。

クリスチャンはこれを 「愛」 といい、仏者はこれを 「慈悲」 という。 
愛と慈悲のみが自分自身を完全なる自由にまで解放することができるのである。 
愛とか慈悲とか必ずしもセンチメンタルに人の欠点に同情することではないのである。 

それは欠点に気がつかないで、ただ美点のみを見る事ができる心である。 
悪をどうこうするのではなくして、「悪を見ない」 のである。 

不完全なものは自分の前に現れたと見える瞬間、それを追放する事である。 
その 「悪想念」 に立ちのきを命ずることなのである。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/eff7c68cae4fcdeb6a940cbbd53cc04b より転写)
         

          <感謝合掌 平成28年3月31日 頓首再拝>

Re: 谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉④ - dpdzrlonlbMail URL

2020/08/29 (Sat) 21:59:29

伝統板・第二
dpdzrlonlb http://www.g82xryaeie6164t1hi3551km6yy5559qs.org/
<a href="http://www.g82xryaeie6164t1hi3551km6yy5559qs.org/">adpdzrlonlb</a>
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