伝統板・第二

2536776
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

ちょっとした「いい話」 - 夕刻版

2015/11/19 (Thu) 19:56:53

《大きな愛をもって愛するということ》

          *『マザー・テレサ 愛の花束』中井俊已・著より

大きな愛をもって愛するということは、 どういうことでしょうか。
いきなりこんな風に書き出すと、 難し過ぎると思われる方もいるかもしれませんね。

しかしマザー・テレサは、それをカルカッタに住む4歳の子どもから 教えてもらったと言います。

まだ、マザー・テレサの活動が今ほど人々に知られていなかった頃の話ですが、
一時期、マザー・テレサのところに砂糖がまったく入らなくなったことがありました。

そのため、毎日お世話をしている何千人もの孤児、病人、貧しい人たちにも
砂糖を分け与えることができませんでした。
その四歳の子どもは、学校で先生から話を聞くと両親に言いました。

「ぼくは、今日から3日間砂糖を食べないよ。  ぼくの分をマザー・テレサにあげるんだ」
子どもの両親はそれまでマザーのところへ行ったことはなかったのですが、
子どもにせがまれ、3日後に子どもを連れて訪ねて行きます。

その子は、マザー・テレサの名前を正しく発音できないくらい幼く小さい子どもでした。
しかし、手にしっかりと砂糖の入った小さなビンを握りしめていたのです。
そして、おずおずとそのビンをマザー・テレサに差し出しました。

それは、男の子がマザー・テレサや貧しい人たちを助けるために、
3日間自分を犠牲にしてためたものだったのです。

マザー・テレサは、この話を世界中至るところでしました。
もちろん、日本でもしました。
彼女は次のように語ったものです。

「その小さな子どもがくれたものは、それを私たちが貧しい人々に分け与える時に、  
計り知れないくらい大きなものとなって、  彼らの手に渡ることでしょう。
私は、その子どもから本当に大切なことを学びました。  

この幼い子どもは大きな愛で愛したのです。  
なぜなら、自分が傷つくまで愛したからです。  
この子どもは私にどのように愛するかも教えてくれました。  

大切なことは、いくら与えたかではなく、  
与えることにどれだけの愛を注いだか、であると」

さらに言いました。

「あなたもそれを実行してください。  
年老いた両親のために一輪の花を持っていったり、ふとんを整えてあげたり、
仕事から戻ってきた夫を  微笑んで迎えてあげるだけでいいのです。  

学校から帰ってきた子を迎えてやり、 声をかけてあげてください。  
今、こういったふれあいが失われてきています。  
忙しすぎてほほえむ暇も、愛を与えたり、受けとめたりする暇もない、
そういう生活になっていませんか」

              <感謝合掌 平成27年11月19日 頓首再拝>

おしぼり物語 - 伝統

2015/11/27 (Fri) 19:34:10


            *Web:ちょっといい話(第881号)より

愛知県豊橋市のある食品メーカー(本社は東京)にお勤めの
ペンネーム・フラワーさんからの投稿です。

フラワーさんが、会社の配送所を通りかかると、
運送会社のドライバーさんがぐったりとしてしゃがみ込んでいました。
猛暑の中、荷物の積み下ろしで全身汗だく。
フラフラになってしまったのでした。

フラワーさんは、ドライバーさんに、おしぼりと飲み物を提供しようと思い立ちました。
フラワーさんは、まず、リサイクルショップへ行き、冷蔵庫を買いました。
1万数千円で買うことができました。
次に、100円ショップで布巾30枚を買いました。

濡れた布巾と、朝、大目に淹れたお茶のポットや、スポーツドリンクも冷蔵庫へ入れました。
全部、自腹です。そして、ドライバーさんたちの控室に貼り紙をしました。

「ドライバーさん、いつもありがとうございます。  
冷たいお茶とおしぼりをご用意してありますので、ご利用下さい」

きっと、ドライバーさんたちに感謝されたに違いない。 そう思って、
「ありがとう、って言われるでしょ」 とフラワーさんに尋ねました。

すると、フラワーさんからは意外な答えが返って来ました。

「いいえ、一度も『ありがとう』って言われたことがないんです。
というのは、私は人事課で働いているので、仕事中にドライバーさんと接する機会がないのです。
でも、夕方に、使い終わったおしぼりを入れておくカゴを見ると、山盛りになっています。
それを見るたびに、『ああ、喜んでもらっているんだなぁ』と嬉しくなるんです」

率直に尋ねました。 「相当、お金がかかるんじゃないですか?」 と。
少しでも節約するために、スポーツドリンクの粉末を買ってきて、
水に溶いて作っているそうです。
毎日、2~3リットル。月に4千円くらいかかるといいます。

ご主人もお子さんもいらっしゃるとのことなので、心配になり、
「ご主人は反対されませんか?」 と尋ねました。
「実は主人も同じ会社の社員なんですが、何も言いません。  
たぶん、私が言い出したら聞かない性格だということを知っているからでしょう」 とニッコリ。

その後、ドライバーさんたちが喜んでいる様子を見て、
会社の同僚たちが自宅からジュースを持って来て
黙って冷蔵庫に入れておくようになったそうです。

「私は、三日坊主のことが多いのですが、もう何か月も続いています。  
これができるのは、人に喜んでもらうことの嬉しさを知ったからだと思います。  

こういう気持ちから沸き起こるエネルギーは、計り知れないと自分でも驚いています。  
『人のために』ということの味を知ってしまいました。今後も続けていまきす!」

・・・とういうお話です。

それから3か月ほどが経ったある日のこと。
再び、フラワーさんから手紙が届きました。

それを読んで、小躍りしそうなくらい嬉しくなりました。
そこには、こんなことが書かれていました。

「スポーツ飲料のお金を会社が負担してくれることになりました。  
それまでは、少し意地を張っていて、『自分でやる!』と思っていましたが、  
本当にドライバーさんたちのことを考えると、ずっと続けていくことが大切。  
これで、懐具合のことを心配しないで続けられます」

と。

フラワーさんも素晴らしいけれど、
その行動を陰で見ていて認めてくれた会社も素晴らしいですね。

この会社の名前は、有楽製菓株式会社という会社です。
この会社名をご存じなくても、作っているお菓子の名前を聞いたら、
「ああ!」 と言われる方も多いかもしれません。

「ブラックサンダー」 というチョコレート菓子です。
たぶん、全国どのコンビニでも扱っている、知る人ぞ知る人気商品。

体操の内村航平選手が大好きで、ロンドンオリンピックで個人優勝したときには、
母親が花束の代わりに贈ったというエピソードでも知られています。

人気ヒット商品の陰に、「おもいやり」のある社員さんがいる。
ぜひ、社長さんに会いたくなってしまいました。

  (http://www.giveandgive.com/iihanashi_top/nagomi/vol_0881.html

              <感謝合掌 平成27年11月27日 頓首再拝>

だいすき - 伝統

2015/12/03 (Thu) 19:15:58


            *Web:「ちょっといい話」(2015.06.12)より

あるとき、私どものセミナーに参加した三十半ばくらいの女性がいました。
その人は、どちらかと言うとああでもない、こうでもないと文句の多い人でした。

実際、セミナーが終わったあと、よくなかったという人が2%くらい いるものなのですが、
彼女はその中の一人でした。
で、よくなかった、時間の無駄だったと、散々悪態をついて、帰っていきました。

なにしろ、2週間くらいして、
やっぱりよくなかったとわざわざ電話をくれるような人でしたから。

その女性から、セミナーが終わってちょうど3週間目に、
スタッフのところに電話がかかってきました。

「どうしたんですか? 」
「セミナー、良かったと思うようになりました。」

「何がよかったんですか? 」
「わたしはあなたもよくご存知のとおり、誰にも愛されていないと言うことに関しては、
自信を持って生きてきた人間です。」

「で? 」
「それがどうも違ったようなんです。」

「何がどう違ったんですか? 」
彼女は、次のような話をしてくれたそうです。

セミナーを終えて少したったころ、いつものように台所に立っていると、
3歳になる娘が寄ってきて、
「ねえねえ、おかあさん」 と、エプロンにしがみついてくるんです。

まあ、いつものことですので、台所仕事を続けたまま「何よ」と聞くと、
「あたしねえ、いま、あること思ったの。」と言います。

またか、と思い、「セーラームーンのおもちゃは、この間買ってあげたでしょ。
もうだめよ。」とか「おやつの時間はまだでしょう? 」とか、適当に答えていました。

すると娘は「そんなんじゃないのよ。あたし、あることを思ったの。当ててよ。」と、
得意そうに言います。

「当ててよ」は、最近娘の十八番なので、少々うんざりして適当にあしらおうとしたんですけど、
あんまりしつこいので、とうとう根負けして、
腰を屈めて娘の目の高さになって聞いてあげました。

「なに思ったのよ。」
「あること、思ったの。」

「何思ったの?おかあさん、降参。」
「じゃあ、教えてあげる。あたしね、こう思った。」

「何? 」
「おかあさんのこと好き、って思ったの。」

「へー・・・」
「何回、思ったかわかる? 」

「え? 1回じゃないの? 」
「ううん、もっと。」

「じゃあ、3回。」
「ううん、もっと。」

「じゃあ、5回。」
「ううん、10回。あたし、お母さんのこと好きって、10回、思ったの。」

最後のほうで、電話の向こうの彼女の声は、涙ぐんでいました。

その日、その娘の上の、5歳になる娘のあとでお風呂に入ったら、
湯気で湿った鏡に、 ハートが書いてあって、その中に、
「おかあさん、だいすき」と書かれていたそうです。


                伊藤 守 著「こころの対話 25のルール」 より

   (http://kobayashi777.web.fc2.com/Goodstory/goodstory162.htm

              <感謝合掌 平成27年12月3日 頓首再拝>

「無限の力」 - 伝統

2015/12/08 (Tue) 19:40:00


          *『致知』2004年7月号「致知随想」より
           ~ 尾崎まり子(主婦、喫茶店勤務)


 突然、それは本当に突然でした。
 4年前になります。
 
 お正月を過ぎてほどない日の午後、息子の功が意識を失って倒れたのです。
 
 不整脈から心肺停止状態に陥ったのでした。


 小学生から野球に熱中し、中学生になると浦安リトルシニアに入り、
 やがては甲子園出場、巨人入団を夢見ていました。
 
 そんな作文を小学6年の時に書いています。
 
 中学3年で身長176センチ、体重63キロ、
 鍛えた筋肉質の身体は頑健で、
 学校は無遅刻無欠席、病気らしい病気を知らずにきた子でした。


 それだけに突然の異変は驚きでした。

 それから4か月、何度も訪れた危篤状態を驚くような生命力で乗り越え、
 平成12年5月20日、功は天国に旅立ちました。
 15歳8か月の人生でした。


 振り返ると、1日24時間ではとても足りないような毎日を過ごした子でした。
 
 中学生になると、土日は野球の練習や試合でいっぱい。
 
 学校では生徒会役員を1年生からやり、3年では学級委員長も務めました。

 それだけでも手いっぱいなのに、部活動ではバスケット部に入りました。
 
 苦手の英語も、英会話で進める授業の面白さに引かれ、
 その勉強もしなければなりません。
 
 野球の仲間、クラスメートとの遊びもあります。


 あれもやりたい。
 これもやりたい。
 でも、功はこだわりの強い性格なのでしょうか。
 

 中途半端が大嫌いで、どれ一つとして疎かにはできません。
 徹底してやるから、時間がいくらあっても足りないはずです。



「ああ、時間が欲しいよォ」


 いまでも功の声が聞こえるような気がします。
 あんなふうに生きたのも、自分に与えられた
 時間の短さを予感していたからなのかもしれません。


 といって、功は特に才能に恵まれた子ではありませんでした。
 いささか恵まれているといえば背の高さぐらい。
 

 まず運動神経も人並み、頭脳のほうも人並みというのが率直なところです。

 だから、何かを達成しようと思えば、努力しなければなりません。
 

 野球でレギュラーになるのも努力、
 生徒会役員の務めを果たすのも努力という具合です。

 そして、目標を立て努力すれば夢は叶うという確信を、
 小さい営みの中で功なりにつかんだのでしょう。

 
 いつごろからか、功はそのことを
 「無限の力」という言葉で表現するようになりました。


「誰にでも無限の力があるんだよ。
 無限の力を信じれば目標は必ず叶うんだ」


 お母さん、これだけはちゃんと聞いてくれよという感じで、
 夕餉(ゆうげ)の食卓で功が言ったことを、
 昨日のように思い出します。


「無限の力」で忘れられないのは、
 やはり中学3年の時の校内合唱祭でしょうか。

 
 音楽が得意というわけでもなく、楽譜も読めない功が、
 自分から立候補して指揮をすることになったと聞いた時は驚きました。
 

 それからは楽譜と首っ引きで指揮の練習です。
 

 腕を振りすぎて痛くなったり、クラスのまとまりの悪さに悩んだり、
 いろいろとあったようですが、
 功は「無限の力」を学級目標にかかげ、みんなを引っ張っていったのでした。


 そして、クラスは最優秀賞、自身は指揮者賞を受けたのです。
 名を呼ばれ、周りにピースサインを送り、はにかんだ笑顔で立ち上がった功。
 「無限の力」は本当だと思ったことでした。


 その2か月後に功は倒れ、帰らぬ人になりました。
 しかし、私が「無限の力」を実感するようになったのは、
 それからかもしれません。


 一緒に野球をしてきた親友は功の写真に、
 「おれがおまえを甲子園に連れてってやる」と誓い、
 甲子園出場を果たしました。
 

 「功が言っていた無限の力を信じて、看護師を目指すよ」

 と報告してくれた女の子もいました。


 出会い、触れ合った人たちに何かを残していった功。
 それこそが「無限の力」なのでしょう。

 私も、と思わずにはいられません。
 自分の中にある「無限の力」を信じて、
 自分の場所で、自分にできることを精いっぱい果たしていく。
 
 そういう生き方ができた時、
 功は私の中で生き続けることになるのだと思います。


 先日、用事があって久しぶりに
 功が通っていた中学校を訪れました。

 玄関を入って私は立ちすくみ、動けなくなりました。
 
 正面の壁に功の作文が張り出されていたのです。
 それは功が倒れる数日前に書いたものでした。

 あれから月日が経ち、先生方も異動され、
 功をご存知の方は3人ほどのはずです。

 それでも功の作文が張られているのは、
 何かを伝えるものがあると思われたからでしょう。

 これを読んで一人でも二人でも何かを感じてくれたら、
 功はここでも生きているのだと思ったことでした。


 最後に、拙いものですが、功の「友情」と題された作文を写させていただきます。



《私にとって「友情」とは、
 信頼でき助け合っていくのが友情だと思う。

 そして、心が通い合うことが最も大切なことだと思う。

 時には意見が食い違い、言い合う事も友情のひとつだと思う。

 なぜなら、その人のことを本気で思っているからだ。
 
 相手のことを思いやれば、相手も自分のことを必要と感じてくれるはずだ。

 私には友が一番だ。

 だから、友人を大切にする。

 人は一人では生きられない。
 
 陰で支えてくれている人を忘れてはいけない。

 お互いに必要だと感じることが、友情だと思う。

 尾崎 功》

   (http://mugikiri.exblog.jp/

              <感謝合掌 平成27年12月8日 頓首再拝>

閉めない戸口 - 夕刻版

2015/12/12 (Sat) 19:14:31


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P25~28)より

最近読んだとても感動する本があったので、ご紹介したいと思います。
『世界でいちばん大切な思い』(イ・ミエ著、パク・インシク著、笛木優子訳)
という本の話の一つに「閉めない戸口」という話があります。
 

   小さな村の小さな家に母親と娘が暮らしていました。
   母親は日が暮れると、泥棒が来るかもしれないと鍵をきっちり閉める人でした。

   娘は母親のように田舎でうずもれてしまう生活にがまんできなくなって、
   ある朝、『お母さんへ 親不孝な娘のことはどうか忘れてください』と
   手紙を残して都会へ行ってしまいました。
 
   10年後、都会の生活に疲れた娘は、
   田舎に帰ってお母さんに会いたいと思い故郷へ向かいます。
   10年ぶりの帰郷でしたが、家は昔のままでした。


   10年ぶりの帰郷でしたが、家は昔のままでした。
   周りはすっかり暗くなっていましたが、
   窓のすきまからはかすかな光が漏れていました。

   ずいぶんと迷ったあげくに、娘はようやく戸口をたたきました。
   けれども返事がありません。

   取っ手に手を掛けると戸口の鍵が開き、部屋に上がってみると、
   やせ衰えた母親が冷たい床の上に一人で寝ていました。

   思わず娘は母親の寝顔の横にうずくまると肩を震わせ泣きました。
   その気配で気づいた母親は、何も言わずに娘を抱きしめました。
 

   しばらくたって娘は母親に、
   『今夜はどうして鍵をかけなかったの。誰か入ってきたらどうするの』
   とたずねました。

   母親は優しい笑顔で娘に、

   『今夜だけじゃないよ。もしお前が夜中に帰ってきたとき、鍵がかかっていたら
   どこかに行ってしまうんじゃないか、そう思ってこの10年間ずっと鍵をかけられなかった』

   と応えました。

   その夜、母娘は10年前に時を戻し、鍵をきっちり掛け、
   寄り添いながらゆっくり眠りにつきました。


読んでいて思わず涙があふれてきました。

幸い私の母親は元気です。たまに喧嘩もしますが、
もっと親孝行をしなければいけないと思いました。

今よりももっといい環境があるかもしれないと思うことがあります。
確かに新しい事に挑戦するためには、環境を変えることも必要です。

でも、以前の環境でお世話になった人を悲しませたのでは
新しい環境でも成功しないでしょう。

会社を辞めるとき新しい夢を見つけてみんなに応援されてやめる人がいれば、
何もいわずに逃げるように辞める人もいます。

環境を自分の不幸の言い訳にするのは簡単ですが、
その前に本当に環境だけが原因なのかを考える必要があります。

幸せは環境にあるのではなく、心のありようで決まると思います。

              <感謝合掌 平成27年12月12日 頓首再拝>

【一番大切な十円玉】 - 伝統

2015/12/15 (Tue) 19:13:55


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P18~19)より


知的障害がある女の子が両親と暮らしていましたが、
お母さんが病気でなくなってしまいました。

本当は親子で一緒に暮らしたかったのですが、
周りの人の勧めもあり女の子は施設にあずけられて、
お父さんと別々に暮らすことになりました。



施設では、社会に出ても通用するようにお金の訓練を行います。

この女の子も、1円から500円までの硬貨を順番に並べてお金の価値を勉強していました。

試験のときに先生が、

「一番大切なお金はどれですか?」

と女の子に聞くと、

女の子は笑いながら十円を指しました。


何度も先生が、

「500円が一番大事だよ」

と教えても、

女の子は繰り返し十円円を指しました。



困り果てた先生は、

「どうして十円が大事なの?」

と聞くと、女の子は、


「だって、この十円をあの公衆電話に入れたら、大好きなお父さんの声を聞けるから…」
と答えました。



自分でも気づかないうちに、
お金の価値を考えてしまうことがあります。

本当に大切なものはお金では買えないものです。

              <感謝合掌 平成27年12月15日 頓首再拝>

「カタカナの手紙」 - 伝統

2015/12/21 (Mon) 19:25:04


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P45~48)より

先日、コンサルタントをしている友人から、
福岡県にものすごくサービスの良い美容院があるから参考にしたほうが良いと言われて、
『愛と感動の美容室 バグジー』(田原実著、インフィニティ)を読みました。


お客様とのきずなが強くて、
遠くからピザの差し入れが届くこともあると書いてあって驚いたのですが、
あるお客さんとのエピソードを呼んで納得しました。



この美容室に、28歳のダウン症の女性が来店しました。
彼女の知能が5、6歳程度であまり話すこともできなかったのですが、
スタッフ全員が明るく接したのでとても喜んでいました。

その対応がとても気に入った彼女は、
毎日のようにお店に遊びに来るようになります。

しかし、ある日スタッフが忙しく、誰も彼女の相手ができませんでした。
そして、それ以来、彼女は店に来なくなってしまいました。

心配した担当のスタッフが、彼女に手紙を書こうと思いつきました。
このスタッフは、彼女が手紙の内容を自分で読めるようにと考えて、
宛名を含めてすべてカタカナとひらがなで書きました。


彼女はご両親と一緒に住んでいたのですが、
16歳の頃からずっとポストの郵便物を取りに行くのが、家での日課でした。

ポストに取りに行くときに、毎回彼女は、
密かに自分宛の手紙が来ないかを楽しみにしていました。

しかし、漢字が読めない彼女は、自分宛の手紙に一度も気がつきませんでした。

この美容室からの手紙が届いたとき、
彼女はひらがなで書かれた名前に気づいて驚きました。

そして、急いでお母さんのところに戻ると、

「これがきた!」

と喜んでお母さんに手紙を見せました。


喜んだ彼女はいつもなら早く寝てしまうのですが、
夜遅くまで働いているお父さんに報告したくて、
お母さんと一緒に寝ないでお父さんの帰りを待っていました。

お父さんが帰ってきたとき、

「これがきた!」

と喜んでる娘の姿を見て、お父さんは涙が出ました。

気がつくと家族3人で泣いていたそうです。


後日、お父さんが、

「娘が不憫で人前に出さないようにしていました。
 でも、こんな出会いがあるんだったら、もっと人前に出すようにすれば良かった」

と話していました。


本当にお客さんのことを思っているサービスは、
その人の人生も変えることができるのだと思いました。

真心を売るお店は素晴らしいですね。



真剣に相手の立場になって考えることが大切ですね。
そうすれば、相手のためにできる工夫が見つかると思います。

ほんの少しの工夫が相手の心に響くことが多くあります。

このお父さんのように、考え方を変えさせられてしまう人もいます。



買い物をしたときに、目を合わさず、下を見ながらお礼をするお店もあります。
ひどいお店になると、お店の中に入ったときに誰も挨拶をしてくれません。
お店で売ってるものは、商品やサービスだけではないと思います。


「私たちは美容師ですが、私たちに売り物は美容ではなくて真心なんです」

バグジーの社長さんの言葉です。

              <感謝合掌 平成27年12月21日 頓首再拝>

『電球』 - 伝統

2015/12/23 (Wed) 19:12:18


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P49~51)より

松下さんが、工場でつまらなそうな顔をして電球を磨いている従業員に

『あんた、いい仕事してるでぇ~ 』

と言ったそうです。

『毎日、同じように電球を磨く退屈な仕事ですよ』

愚痴をいう従業員に、松下さんは

『本を読んで勉強している子供らがおるやろ。
そんな子供らが、夜になって、字が読めなくなって勉強したいのにできなくなる。

そこであんたの磨いた電球つけるんや。
そうしたら夜でも明るくなって、子どもらは夜でも
読みたい本を読んで勉強できるんやで。

あんたの磨いてるのは電球やない。
子どもの夢を磨いてるんや。

暗い夜道があるやろ。女の子が怖くて通れなかった道に、
あんたが磨いた電球がついたら、安心して笑顔で通れるんや。
もの作りはもの作ったらあかん。その先にある笑顔を作るんや』

と言いました。
毎日が忙しいと、

「なぜ、この仕事やっているんだろう? 」

と思うことがあります。

私の場合は、お金を稼ぐためにテニス用品を売ることだけが
仕事の目的になってしまっていると思います。

本当は、テニス用品を買っていただいた方がテニスを
楽しんでいる笑顔を作るために働いているんだ、
と気づかせてくれる話でした。

人の笑顔を作る仕事ができたときに、自分も笑顔になれるのだと思います。

              <感謝合掌 平成27年12月23日 頓首再拝>

「勇者の印」 - 伝統

2015/12/25 (Fri) 19:14:32


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P67~69)より


先日、『社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった』(こう書房)
の著者で有名な香取貴信さんから話を聞きました。

香取さんが自分の仕事に対する態度が変わったのは、
一通の手紙と先輩の言葉だったと話してくれました。

ある日、適当な笑顔で接客していた香取さんに先輩が、

「今から読む手紙に、お前に必要なことが書いてあるから、
目を閉じてよく聞いてくれ」

と言いました。

あるお母さんからの手紙でした。


「半年ほど前、親子3人でお世話になりました。
シンデレラ城ミステリーツアーに参加したときのことです。

最後の悪者を倒す勇者に、5歳のたかしを選んでいただきました。
たかしは怖がりながらも悪者を倒して、とても喜んでいました。

実はたかしは、生まれたときから難病にかかっていて、
もうこのときには残りわずかしか生きられないと医師に宣告された状態でした。

いつも、ディズニーランドに行きたいと言っていたので、思い切って連れて行きました。


アトラクションの最後に、

『これが勇者の印です』

とキャストのお姉さんからもらったメダルを、病院に帰ってからもいつも身につけて、

『ぼくが悪者を倒したんだよ』

とみんなにうれしそうに話していました。


残念ながら、たかしは亡くなってしまいましたが、
この日の出来事は、本当に家族にとって大切な思い出になりました。

ありがとうございます」


と先輩が読んでくれた手紙には書かれていたそうです。

香取さんは、

「もしかしたら、たかし君は自分のジャングルクルーズにも乗っていたかもしれない」

と思って、適当な接客をしていた自分をとても後悔したそうです。



仕事はお金を稼ぐためにすることですが、それだけでは寂しいと思います。

多くの人に大切な思い出をあげたいですね。


              <感謝合掌 平成27年12月25日 頓首再拝>

犬の十戒 - 伝統

2015/12/28 (Mon) 19:01:18


          *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P29~31)より

先日、「犬と私の10の約束」という映画を観に行きました。
本当に良い映画で、人の命と一生について考えさせられました。

内容を簡単に説明すると、お母さんが入院した時に、
主人公の14歳になる少女が子犬を飼うことになって、
お母さんから犬を飼う時の10の約束を教えてもらいます。

その後、お母さんが病気で亡くなった悲しみを乗り越えて、
医師のお父さんと犬と一緒に成長する少女の様子が表現されています。

犬との約束は、

①「私の話をがまん強く聞いてください」

②「私を信じて。私はいつもあなたの味方です。」

③「私とたくさん遊んで。」

④「私にも心があることを忘れないで。」

⑤「ケンカはやめようね。」

⑥「言うことを聞かないときには理由があります。」

⑦「あなたは学校もあるし友達もいるよね。でも私にはあなたしかいません。」

⑧「私が年をとっても仲良くしてください。」

⑨「私は10年しか生きられません。だから一緒にいる時間を大切にしようね。」

⑩「あなたとすごした時間を忘れません。私が死ぬときお願いします。そばにいて。」

という10個で、家族との約束にもあてはまるような内容です。

24歳になって、恋や仕事に忙しくなった主人公は、
「犬がいると旅行にも行けない」などと犬に冷たく当たります。

しかし、犬を久しぶりに抱きしめた時、犬の体が小さく、軽くなったことに気付いて
この約束を思い出します。犬と一緒にいられる時間が少ないことにも気がつきました。

主人公は犬が亡くなる時、この約束を守れていたかどうか思い出します。
もっと、大切にしてあげれば良かったと反省します。

当たり前のように一緒に暮らしていると、その状況が永遠に続くように錯覚してしまいます。
それは犬だけではなく人の場合も同じです。

どんなに大切な人とも、いつかはわかれるときが必ず来ます。
だから一緒に過ごせる時間を大切にしたいですね。


              <感謝合掌 平成27年12月28日 頓首再拝>

キッチン - 伝統

2016/01/01 (Fri) 19:15:29


         *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P79~81)より


あるご主人が病気で奥さんを亡くされて、初めてキッチンで家事をしたそうです。

そのときにキッチンで食事を作る大変さに、ご主人は初めて気がつきました。
料理を作るためにはメニューを考えたり、買い物をしたりすることも必要だとわかりました。

奥さんが元気だった頃、仕事から帰ってきたご主人は奥さんに、

「まだ、食事ができていないのか? 」

と怒鳴っていましたが、奥さんは何の文句も言わずに、

「ビールを飲んで待っていてください」

と言って、ビールを出してくれていたそうです。


そのときの奥さんの姿を思い出して、ご主人は涙が出たそうです。

奥さんが亡くなって初めて洗濯をしたときには、水の冷たさに初めて気がついて、
なぜ、奥さんの手が荒れていたのかがわかりました。

寒い日に、笑顔で洗濯物を干していた奥さんの姿を思い出して、
こんな大変なことを毎日笑顔でしてくれていたのかと思ったそうです。

どうして、

「毎日、一生懸命に家事をしてくれてありがとう」

と一言だけでも、ねぎらってあげられなかったのだろうかと、とても後悔したそうです。

              <感謝合掌 平成28年1月1日 頓首再拝>

筆箱 - 伝統

2016/01/07 (Thu) 19:05:59


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P83~85)より


地球村という環境団体を作って活動されている高木善之さんの話です。


彼の家では、子どもにあまり新しいものを買い与えないそうです。

娘さんが使っている筆箱も、お母さんが小学校時代に使っていた古い革製の筆箱でした。

この筆箱を娘さんにあげるときにお母さんが、

「これはお母さんが小学校の時から大切に使っていた宝物なの・・・。
これを買ってくれたお父さん、あなたのおじいさんは、お母さんが小学生のときに亡くなったの。
お母さんは、これをお父さんの形見としてとても大切にしていたのよ。
あなたが大切に使うのならあげようか? 」

と娘さんに話したそうです。


ある日、娘さんが使っていた筆箱がクラスで話題になりました。

ある男の子が娘さんに、

「お前の筆箱、古いやないか、僕のはこんなやで」

と娘さんの筆箱をばかにしました。

ほかの子も一緒になって娘さんの筆箱を指差してからかいました。

そのとき、娘さんが、

「ねっ、古いでしょ! いいでしょ!
これはお母さんが子どもの頃から大切に使っていたんだって!
おじいちゃんの形見なの。
私も大事に使って、私の子どもにこれをあげるの」

と言ったそうです。

周りの子ども達は一瞬シーンとなりました。

しばらくして男の子達が、

「ふーん、ええな」

と言ったそうです。



新しいものはいつでも手に入れることができます。
でも、思い出がつまったものは二度と手に入りません。

簡単に物を捨てないで、大切にしないといけないですね。

              <感謝合掌 平成28年1月7日 頓首再拝>

【水色と赤】 - 伝統

2016/01/09 (Sat) 19:13:35


          *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P88~94)より

産婦人科で、ある女性が泣いていました。

理由は3度目の流産のせいでした。

「もう、私、がんばれない・・・・・・」

泣いている女性を、一緒に来ていたご主人がなんとか元気づけようとして、

「こればかりは運だから・・・・・・」

と慰めていました。

そのとき、隣にいた5歳ぐらいの男の子が、

「これあげるから、もう泣かないで」

と水色と赤の2つのおもちゃの指輪を女性に差し出しました。


男の子は、

「水色は泣かないお守り、赤いのは願いがかなうお守り、
ぼくはもう、泣かない強い子だからいらないの」

と言って女性に指輪を渡そうとしました。

女性が、

「願いがかなう指輪はいいよ」

と言うと男の子は、

「これは2つ一緒じゃないとパワーが出ないから2つともあげるよ。だから泣かないで」

と説明しました。

そのとき、少し離れた場所にいた男の子のお父さんが、

「ゆうき、帰るよ」

と呼んだので、男の子は指輪を置いて去っていきました。


その後、このご夫婦は、
「もしかしたらこの指輪が本当に願いをかなえてくるかもしれない」
と思って宝物のように大切にしました。


それから2年半後、ご夫婦に女の子の赤ちゃんが誕生しました。
名前は指輪をくれた男の子にあやかって、有紀(ゆうき)にしたそうです。

男の子からもらった指輪は、赤ちゃんのへその緒と一緒に大切に保管されました。



男の子の優しさがこの家族を幸せにしたのだと思います。

幼い男の子から、自分のことばかり考えないで、
人に対する優しさが大切なことを教わったような気がします。

自分の幸せに気づいたら、この男の子のように周りの人に幸せを分けてあげたいですね。

              <感謝合掌 平成28年1月9日 頓首再拝>

「お父さんのお弁当」 - 伝統

2016/01/12 (Tue) 19:04:17


          *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P92~94)より

日本全体が貧しくて食べ物に困っている頃、
ある中学生の男の子が自分のお弁当と間違えて、
お父さんが山仕事に持っていくお弁当を学校に持って来てしまいました。


男の子はお昼に、お父さんのお弁当を食べるのが楽しみでした。

家が貧しかったので、いつもご飯が少なめのお弁当をがまんして食べていた男の子は、

「お父さんは山で激しい仕事をするのだから、いつもの自分のお弁当よりもご飯が
ぎっしり入っているに違いない」

と考えていたからです。


昼休みに男の子は、期待を込めてお弁当のふたを取りました。

中身を見た男の子は、

「あっ」

と思わず叫んでしまいました。

お父さんのお弁当は、自分のお弁当よりもはるかにご飯が少なかったのです。


「お父さんは、これっぽっちのご飯であんな激しい仕事をしているのか・・・・・」


男の子は驚きました。

しかも、いつもの自分のお弁当には、干し魚がおかずに入っているのに、
お父さんのお弁当は生味噌と梅干が1個入っているだけでした。


「これがお父さんのお弁当だ」


男の子は胸がつまりました。

そして、一粒も残さないようにお父さんのお弁当をきれいに食べました。

その晩、お父さんが帰ってきて、


「お前、お弁当、間違えただろ、お腹すいたんじゃないか? 」


と言って、

自分の茶碗からご飯を分けてくれました。

この日、男の子はたまらない気持ちで眠れませんでした。



この男の子はお父さんの姿を見て、自分よりも大きな人の存在を感じたと思います。


子供を育てるには、言葉ではなくて態度で伝えることが大切だと思いました。

              <感謝合掌 平成28年1月12日 頓首再拝>

「過去と現在」 - 伝統

2016/01/14 (Thu) 19:17:07


          *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P117~119)より

アテネオリンピックの男子マラソンで、2位と40秒以上の差をつけてトップを走っていた
ブラジルのデリマ選手のお話。

36キロ地点であるアイルランド人がコースに乱入してデリマ選手を歩道に押し出し、
それからペースを乱したデリマ選手は他の2選手に抜かれてしまい、3位でゴールしました。

ゴール後、「誰かを責めることはありますか? 」と事件について聞かれたデリマ選手は、
「それはない、今回のような事件は、どこでも起こり得ること。

ただ、それがマラソンレースの最中に起こったというだけだ」と答え、
ブラジルがもう一つの金メダルを贈るように提訴しようとしても、
彼はそれを望まなかったそうです。

そして笑顔で3位でゴールした彼は、重要なのは自分だけでなく、
母国の為にメダルを獲得したことだ、と言い切っていました。

あの時あの出来事さえなければ・・・
あの失敗がなければ・・・
あの人がいなければ・・・

人はうまくいかなかった時、どうしても過去を後悔したり、他人を恨んだりしがち。
でもいくら嘆いたって過去は変わらない。

デリマ選手のように、起きたことは試練として受け止め、
それをただ黙って乗り越える、前向きに考えて生きたいものです。

              <感謝合掌 平成28年1月14日 頓首再拝>

羽田空港、世界一導く 清掃職人 - 伝統

2016/01/18 (Mon) 19:29:39


       Web:yahoo ニュース(2016年1月17日(日) )より

《NHKの凄腕ディレクターが「一目ぼれ」した凄腕清掃員とは?》


イギリスにある世界最大の航空業界格付け会社・スカイトラックス社が公開している
格付けランキングで、2013年、14年の2年連続“世界で最も清潔な空港”に選ばれた羽田空港。

その栄誉の裏に、ひとりの女性の長年の努力が存在していることをご存じだろうか。

彼女の名は新津春子。
羽田空港国際線ターミナル、第1ターミナル、第2ターミナル清掃の実技指導者だ。

彼女の名前は、NHKのドキュメンタリー番組「プロフェッショナル仕事の流儀」の
弱冠30歳のディレクター・築山卓観氏の「一目ぼれ」をきっかけに世の中に知れ渡る
ことになる(築山氏は2014年・2015年と第一制作センター賞を受賞している
凄腕ディレクターでもある)。

その「一目ぼれ」は、のちに2015年の「プロフェッショナル仕事の流儀」の中で
最高視聴率をとった「心を込めて あたりまえの日常を」という番組に
結実することになったのだ。

少し長くなるが、築山氏自身が記した文章を全文紹介しよう。

その新津さんの姿勢に、私たちは背筋を伸ばさないわけにはいかないからだ。

*  *  *

●新津さんのこと

「誰がやったから、じゃないのよ。キレイですねってお客さまが思ってくれる、
それで十分じゃないですか。お客さまが喜んでくれれば、それでいいんです」

密着ロケの終盤。深夜3時、誰もいない羽田空港のトイレでこの言葉を聞いた時、
思わず熱いものがこみ上げてきたのを今も鮮明に覚えています。

ビル清掃のプロ・新津春子さんが教えてくれた仕事の流儀。
私にとっても今、仕事に向き合う時の大切な指針です。

 
2014年10月。私は「プロフェッショナル仕事の流儀」というドキュメンタリー番組の取材で、
羽田空港にいました。企画していたのは「清掃のプロ」。

日本の清潔さは、まさに世界屈指、
ならばその美しさを支えている凄腕清掃員もいるはずだと考えたのです。

そして幾人もの清掃員の方を取材していく中で耳にしたのが
「羽田空港に、日本一の清掃員がいる」という噂。

こうして人づてにたどり着いたのが新津春子さんでした。

「待たせたねー、場所わかりにくかった? ごめんなさいね! 」

人懐っこい笑顔で迎えてくれたのは、想像よりも小柄で細身の女性。

体力勝負の清掃で技能日本一と聞き、勝手に大柄でたくましい女性を
イメージしていた私にとって、終始ニコニコ顔で全く凄みを見せない新津さんは、
正直意外でした。

そして、その半生はもっと意外。
少し片言の日本語だったのでお話を聞くと、第2次世界大戦の時に
中国に取り残された日本人を父に持つ、中国生まれの残留日本人孤児2世だというのです。

「17歳で日本に帰ってきたんだけど、家族みんな日本語できないでしょ?
だから仕事もなくて。でも言葉できなくても清掃はできるから、
それから20年以上、ずっと清掃の仕事をしてるの」

さらに新津さんは続けました。
「清掃の仕事は確かにきついです。3Kって言われてる。まだ社会的地位も低いと思う。
でも、だから何? 私は気にしてない、だって私はこの仕事が大好きだから」。

そう言ってにっこりとほほえんだその笑顔に一目ぼれし、その場で出演をお願いしました。

こうして始まった密着取材。

現場での新津さんは、とにかく生き生きとして、清掃を心底楽しんでいる、
まるで少女のようでした。

普通なら見逃しそうなわずかな汚れを数十メートル離れた所から見つけ、
「あった!」と叫ぶと、嬉嬉として落としていくのです。

そのために使う洗剤は80種類を超え、
自ら清掃道具を開発してまでキレイにしようとするこだわりぶり。

しかも新津さんは、ただ目に見える汚れを落とすだけでは満足しません。

たとえばトイレに設置してある手の乾燥機。
ぱっと見てきれいになったので、撮影クルーが「きれいになりましたね」
などと言ってもどこか不満げ。

「臭いが残っているとだめだから」と、乾燥機を分解して中を清掃し始めたのです。
その徹底ぶりは、床、ガラス、鏡、便器、あらゆるものに及び、
まるで空間そのものを清掃しているかのようでした。

どうしてそこまでするのか。新津さんは笑って答えました。

「仕事をしている以上プロですよね。プロである以上そこまでやんないと。
気持ち。気持ち。別に誰に言われてるわけでもないけど。
でもこうすると全体がきれいに見えるでしょ。
やっぱり、全体をきれいにすると気持ちいいじゃないですか」

そして自らの“仕事の流儀”を、こう表現しました。

「心を込(こ)める、ということです。心とは、自分の優しい気持ちですね。
清掃をするものや、それを使う人を思いやる気持ちです。
心を込めないと本当の意味で、きれいにできないんですね。

そのものや使う人のためにどこまでできるかを、常に考えて清掃しています。
心をこめればいろんなことも思いつくし、自分の気持ちのやすらぎができると、
人にも幸せを与えられると思うのね」

 
衝撃を受けました。

掃除は誰もが常日頃していると思いますが、少なくとも私は
水回りや汚れた所を掃除する時、面倒くさがってしまいます。
嫌な気持ちになり、汚れに見て見ぬふりをしてしまうこともあります。

汚れたものを思いやることや、優しさを持つなんてできないかもしれない。
それを新津さんは自分のためではなく、自然と、そこを使う誰かのためにしている。


「人に評価されるからやってるわけではないんですよね。そこまで私は思ってないんです。
自分がどこまでやれるか、自分を清掃の職人だと思っているんです。

あくまでそれをやった上で、人がこう感じました、喜ばれたというのが人の評価ですから。
すべてが人に褒められるということを目的にしていないんです」

 
そのどこまでも優しい心は、清掃の域に留まりませんでした。

ロビーで電車の磁気カードを拾えば、持ち主を探しに空港中を駆け回ります。
道に迷った人がいれば、率先して道案内。
荷物で手がふさがっている人がいれば、先回りしてドアを開けて待ちます。

それがたとえ夜勤明けでふらふらであっても、絶対に疲れた顔を見せませんでした。
それどころか、もっとお客さまのためにできることはないか、
どこまでも奥深く自らの仕事を突き詰めようとする姿がありました。


「空港は家と思っているんですよ。
自分の家だと思っているんで、おもてなしでないといけないんです。
自分の家に、いつもきてくださいよって、リラックスしてくださいよって。
リラックスっていうのが、きれいでないといけないんですよ」

 
新津さんは、決して順風満帆な半生を送られてきたわけではありません。
残留日本人孤児2世というだけで中国でも日本でもいじめにあい、
自らの居場所を見いだせずにいたそうです。

さらに日本に帰国した際は十分な蓄えもなく、
一時はパンの耳を食べて過ごした日々もあったと聞きました。

それでも、決して後ろを振り向くことはしない。
誰に気づかれなくてもいい。
誰に認められなくてもいい。

ただ、この場を使う人がキレイだって喜んでくれるだけで救われる。
新津さんは、いまは十分幸せな人生を送っている、と言っていました。

そして朝6時、夜勤を終えへとへとの姿でゴミ拾いを続けた新津さん。

「今日も、お客さまにとって幸せな1日になるといいね」

私は、胸が一杯になりました。


「プロフェッショナル仕事の流儀」はこれまで、さまざまな分野で活躍中の
まさに一流のプロの方にご出演頂いてきました。一流と呼ばれる人の多くはすでに
メディアに注目され、社会的に高い評価を受けておられる方も少なくありません。

でも今回改めて感じたのは、プロ中のプロは地位や名誉とは別の所にもいるということ。
気づかないだけで実はもっと身近にいらっしゃるのかもしれません。

そしてそういう方々が、人知れず誰かのために全力を尽くしている姿にこそ、
私をはじめ、多くの人が心動かされるのではないでしょうか。

新津さんに密着した1カ月、私も取材者としての姿勢を見つめ直し、
まるで心が洗われていくような、充実した時間を過ごさせて頂きました。

 
ロケの最終日。別れ際に、ひとつの質問をしました。

「あなたにとって、プロフェッショナルとはどんな人だと思いますか?」

返ってきたのは、懸命に自らの仕事に向き合っているすべての人の背中を押す言葉。
仕事に悩んだとき、困ったとき、つまずいたとき、いつも私を支えてくれます。


「目標を持って、日々努力し、どんな仕事でも心を込めることができる人が、
プロフェッショナルだと思います」


*  *  *


そんな新津さんは、子どもが大好きだという。
理由を尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「大人はずるい方に考えたり、ラクをしようとするでしょ。
でも、子どもはやりたいことをただ素直にやっているだけ。
自分が立ち止まっているな、ラクをしようとしているなと思うときは、必ず童心に返ります。
私のお手本は子どもたちなんです」

 
番組がきっかけになり、新津さんはセミナーや講演会にも呼ばれるようになり、
大好きな子どもたちに清掃の仕事を教える機会も増えてきた。
先ごろ初の書籍も出版した(『世界一清潔な空港の清掃人』新津春子著)。

 
そして新津さんは、今でも笑顔できっぱりとこう言い切る。

「私は、清掃の仕事が大好きです。
自分にとって大事なことがはっきりしていれば、
誰が何を言っても、左右されることはありません」

 (http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160117-00000001-sasahi-peo

・・・

<参考Web>

2015年6月1日OA NHK プロフェッショナル 仕事の流儀
http://www.nhk.or.jp/professional/2015/0601/

http://keieikanrikaikei.com/nhk-professional-20150601


              <感謝合掌 平成28年1月18日 頓首再拝>

高い目標を掲げ、挑戦することの大切さを伝えた、ある校長先生のお話 - 伝統

2016/03/25 (Fri) 18:01:11


        *Web:神奈川新聞 より


《今の子供たちは、成功体験や達成感が少ない。
高い目標を掲げ、挑戦することの大切さを伝えたい》

横浜市立北方小学校の角野公利校長は、2011年以来、毎年4月の始業式に、子供たちに

「学校はできないことができるようになるところだから、
1年の最初に目標を立てて、それに向かって努力しましょう。
1年後には、今とは違う自分に出会いますよ」

と話し、自身も

「皆さんと同じく目標を立てて、1年間努力します。
そして、今と違う自分に出会いたいと思います。
今日から一緒に、それぞれの目標に向かって競争しましょう」

と、毎年違う目標を立てて達成してきました。

そして今年度の初め、全校児童に湯飲みを1個ずつ作る約束をしたのですが、
すべてが完成に至るまでの道のりは、想像以上に困難なものでした。

ゴールデンウィーク、夏休み、シルバーウィーク、冬休みと長期休暇のほか、
毎週土日も学校の図工室に籠もることになり、夏場、クーラーのない図工室での作業は
地獄のような暑さだったそうです。

冬も水が冷たく、地獄のような厳しさだったとか。

こうして休みという休みは欠かさず学校に来て、図工室で湯飲み作りに明け暮れた1年。
途中、製作途中の約200個が割れてしまうというハプニングに見舞われたこともあり、
あまりの大変さに、もう二度とこのような約束はしないと心に誓いながらも、
子供たちの喜ぶ姿を思い浮かべて一生懸命に作ったそうです。

そして、ついに先月2月下旬、631個の湯飲みを完成させ、
3月の朝会で全校児童に手渡されました。

今までにも、1年かけて10万メートル泳ぐ、フルート演奏、
箱根駅伝で走る総距離の約220キロメートルを走破するなど、
児童たちと交わした数々の約束に挑戦してきた角野校長。


なぜ先生は、これほどまでに目標に向かっていくことの大切さを子供たちに伝えているのでしょう? 

それは、先生自身が、学生時代は家庭の事情でアルバイトに明け暮れ、大学を卒業後、
いったん違う職種に就いたものの、教員になることを諦めきれず、通信教育で教員免許を
取得したという体験があったからなのです。

そんな貴重な体験に基づいた人生哲学を教育現場で伝えてこられた角野校長は、
今年3月末をもって定年退職されますが、先生が目標に向かって邁進する姿は、
湯飲み茶碗とともにずっと子供たちの心に残ることでしょう。

http://www.kanaloco.jp/article/157606

              <感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝>

看護エピソード - 伝統

2016/05/13 (Fri) 18:37:45


         *第6回「忘れられない看護エピソード」より
          (日本看護協会)

(1)日本看護協会は5月8日(日曜日)、日本看護協会ビルJNAホールで、
   第6回「忘れられない看護エピソード」表彰式を開催。

(2)最優秀賞

  ①看護職部門~「専属ナース物語」
         → http://www.nurse.or.jp/home/event/simin/episode/pdf/2016/01.pdf

  ②一般部門 ~「静かな勇気」
         → http://www.nurse.or.jp/home/event/simin/episode/pdf/2016/02.pdf

         → (動画)https://www.youtube.com/watch?v=hgvryyb3tdc


(3)特別審査員・内館牧子さんの講評

  ①「看護職部門」の最優秀賞『専属ナース物語』は
   選考委員からほぼフルマークで選ばれました。

   厳しい闘病生活を送る父親と、看護する看護師の娘。
   父と娘の互いのプライドがぶつかり、不思議な夢が交錯し、
   とてもいい一編の物語になっています。文章も構成もみごとです。

  ②「一般部門」の『静かな勇気』も、選考委員のほぼフルマークでした。
   短い文章で、これほどまでに「逝くことと生まれてくること」を
   鮮烈に描ききった作者に感服しています。

   再び明日のために奮闘を始めたラストが生きています。


   (http://www.nurse.or.jp/home/event/simin/episode/index.html

              <感謝合掌 平成28年5月13日 頓首再拝>

財布を落とした人、拾った人~ちょっと考えさせられるイイ話! - 伝統

2016/09/09 (Fri) 18:17:58


財布をなくしたお金持ち+それを拾ったホームレス=ちょっと感動するイイ話!

            *Web:MONEY VOICE(2016年9月8日)より

(このお話は、日本ではなく、仏教国「タイ」での出来事です。)

(1)タイに暮らすホームレス男性のワラロップさん。
   いつもと同じように地下鉄の駅で横になっていたときに、
   通行人の1人が財布を落とすのを目撃しました。

   すぐさま持ち主を追いかけて落ちた財布を返そうとしたワラロップさんでしたが、
   結局その人を見失ってしまいました。。

(2)ワラロップさんが財布の中を確認すると
   2万バーツ(約6万円)もの大金とクレジットカードが!

   そのときのワラロップさんの所持金は
   わずか9タイバーツ(約26円)しか持っていませんでした。

   しかし、すぐに彼は、その財布を届けに警察へ。

   警察が持ち主であるニッティさんに連絡を取り、財布は無事に彼の手元に戻りました。

   ニッティさんは財布を落としていたことにすら気づいておらず、とても驚いたそうです!


(ここからが、この話が素晴らしい展開をし、日本でもあまり聞かない展開になります)

(3)謝礼としてニッティさんは所持金の1割である2000バーツ(約6000円)を
   渡そうとしましたが、ワラロップさんがホームレスであることを知り
   ニッティさんの考えが変わりました。

   とある工場の経営者だったニッティさんは、正直者のワラロップさんに
   住む場所を提供するので、ぜひとも自分の所で働いてほしいとオファーしたのです!


(4)今では月11000バーツ(約3万2000円)の給料をもらい、
   ホームレス暮らしから脱出することができたワラロップさん。

   ワラロップさんはニッティさんに感謝の気持ちを言葉にしていました。

   「人生を180度変えるチャンスを与えてもらったことにとても感謝しています。
   清潔なベッドで眠ることができて、本当に幸せです」

(5)生活が豊かなニッティさんでも、このようなことを言っています。

   「もし自分が彼の立場なら、たぶんそのまま返さないだろう」


   ニッティさんのガールフレンド、タリカさんも、
   ワラロップさんの誠実さを賞賛しました。

   「親切な行動が必ず報われるということを示すよい例だと思います。
   誰かに親切にすれば、その人も親切にしてくれるのです」

              ・・・

(6)ワラロップさんのとった行動は『当たり前の行動』だけど、
   当たり前のことを当たり前にできない人は多いと思います。

   彼が最終的に仕事や住む場所を得られたのは、
   どんな状況でも誠実にいようと努めた彼の行いの結果ではないでしょうか。

   彼がそのまま目先の欲に眩み、
   お財布を自分のポケットに入れてしまっていたら、
   今の状況はなかったでしょう。


           (http://www.mag2.com/p/money/22033

              <感謝合掌 平成28年9月9日 頓首再拝>

信号待ち - 伝統

2016/09/20 (Tue) 18:43:27


           *Web:「感動する話~まとめvpl.3」より

今日、近所の交差点で車に乗って信号待ちをしていると、
前方の右折車線でジリジリ前進している車がいた。
明らかに信号が青になった瞬間に曲がっちまおう、っていうのが見え見え。

この道路は主要幹線(って言っても所詮田舎のだが)で交通量も多い。
確かにこのチャンスを逃したら、右折信号が出るまでの数分は足止めを食らうだろう。

俺は「ほんの数分も待てねーのかよ。やらせっかよ、このDQNが」と毒づきながら、
信号が変わる瞬間を待っていた。当然譲る気は無い。
昼飯前の空腹感と暑さが俺を少々苛立たせていた。


すると、いきなり、俺の左の車線の車から中年の男性が降りてきた。
自分の車を放っておいて。その車には誰も乗っていない。
もうすぐ信号が変わる大通りで信じられない出来事。

そのおっさんは、俺の車の前に背を向けて立ち、
『止まっとけ』のサインを出しつつ、右折しようとした車に『早く行け』と手を振った。

右折車が結構なスピードで右折していく。しかし、俺の目にははっきりと見えた。

苦しそうな顔の女性が。
助手席の窓にまで達した大きな腹。
明らかに妊婦。

俺は、咄嗟に助手席の窓を全開にし、小走りで車に戻ろうとしていたおっさんに叫んだ。
「ありがとう! 全然気づかなかったよ!」

おっさんは、ちょっとびっくりしたような顔をすると、
「仕事が交通整理なんでな!」
と、笑いながら言い返してきた。

その顔の誇らしげなこと。とても眩しく見えた。

後続車の猛クラクションの中、俺たちは慌てて発進した。
ハザードを2回焚く。多分、隣の車も。

結果的に俺は何も出来なかった訳だが、
あそこで「ありがとう」と言えた自分に感謝したい。


素直な感謝の気持ちをそのまま言葉にする。

自分が本当に思っていることを口にして言うだけなのに、
それが恥ずかしくて出来なかった、愚かな俺。

いままで、本当に言いたいことも言えず、
へらへら生きてきただけの自分を後悔する毎日だったから。

それがちゃんと出来ることを教えてくれたおっさん、本当にありがとう。

そして、あのときの妊婦さんが、
元気な子供を生んでくれることを、心からお祈ります。

http://kandou-mania.doorblog.jp/archives/26340737.html

              <感謝合掌 平成28年9月20日 頓首再拝>

「一本の傘」 - 伝統

2016/09/25 (Sun) 18:20:16


        *「雄大感動伝説 30年分の感動から生まれた30の素敵な物語」より

雨の土曜日。

当時、私が務めていたカラオケボックスは、中高生のお客様で賑わっていました。

夕方になるとフロント付近は帰宅するお客様でごった返し、
対応にてんやわんや、その波がひとしきり去りふと入口に目をやると、
中学生の女の子がぽつんと一人で立っていました。

親が迎えにくるのかなと思っていましたが、
十分、二十分経っても、外を見つめたままです。

私は彼女に声をかけました。

「迎えを待っているなら、中に入れば? そこじゃ濡れちゃうでしょう」

彼女は頷いてフロントにやってきましたが、どうも元気がない様子。

「どうしたの? なんだか元気ないね」

少しの間を置いて、彼女は小さな声で言いました。

「傘を盗まれちゃったみたいで・・・」

私は事務所から自分の傘を持ってきて、彼女に渡しました。

「じゃあ、これ使って。安いものだから返さなくていいよ。
傘くらいで、クヨクヨしないで。元気出して帰りなよ」

少女は軽く頭を下げ、無言で店を出て行きました。

「なんだか変わった子だなぁ・・・」


その翌々日。

店に一通の手紙が届きました。
宛名は私になっていますが、差出人は知らない女性の名前。
キャラクター模様の封筒には、丸っこいかわいい文字が並んでいました。

同僚から、ファンレターじゃないのかと冷やかされましたが、
中身はまったく違いました。

手紙の主は、一昨日、傘を貸した少女でした。

「実は私、友達からいじめられています。
あの日もカラオケの部屋でポップコーンを投げつけられたり、殴られたり・・・。
その子たちと別れた後、もう死んでしまおうと思って、店の入口に立ちすくんでいたんです。

そんな時、平野さんに傘を貸してもらって。
優しい言葉をかけてもらって、本当にうれしかった・・・」


便箋四枚にびっしりと綴られた彼女の告白を読み進むうちに、私の表情は硬くなり、
「なんとかしなくちゃ」という気持ちになりました。

手紙に記してあった彼女の電話番号に電話をかけ
「何としても生きてほしい。何かあったら、いつでもここに来ればいいからね」と。

電話の向こうで、彼女は泣いているようでした。


その後、私は部署の異動でその店を離れました。
彼女も高校生になって行動範囲が変わったようで、
店に来ることはなくなったと聞きました。


そして、時は流れて・・・。

つい先日、その彼女と偶然再会したのです。

街中でベビーカーを押す女性とすれ違った際に、
その若いママが私に声をかけてきました。

「もしかして、ラジオシティー(カラオケ店)の平野さん? 」

「はい、平野ですけど、どちらさまでしょう? 」

「中学生の頃、お店で傘を貸してもらった○○です。あの頃はお世話になりました。
私も大人になり、今は子どもがいるんです」

明るい笑顔で話す女性の横顔に、
沈んだ面持ちで夕暮れの店先に立っていた少女の顔が重なりました。

「あ、いやいや。全然変わっちゃったから、わからなかったよ。何年ぶりだろう? 」

「あの時、平野さんが貸してくれた傘、今も大切に持っています。
どしゃぶりだった私の心に、傘を差し出してくれて本当にありがとうございました」

会釈して去っていく彼女に手を振りながら、私も自然と口元がほころんでいました。

あの日、一本の傘がつないでくれた私と彼女の縁。
私にとっても、かけがえのない宝物になっています。

              <感謝合掌 平成28年9月25日 頓首再拝>

幸せに気づかない99%・・・ - 伝統

2017/01/15 (Sun) 18:42:26


       Web:「幸せになるためのちょっといい話し(2005年03月22日)」より


あなたにとっての幸せってなんですか?


高い山に登ると息が苦しくなる。
酸素が薄いために
激しい頭痛や吐き気
眩暈に襲われる。


高山病の症状を経験して
山を降りてきた人達は
例外なくこう思うそうです。


「ああ、普通に呼吸できることが
 こんなにも幸せなことだったとは」



日本人の99%は
「足りないものを手に入れることに幸せを感じる」
そうです。

つまり、焦点が常に、
足りないものに目がいくように
いつのまにか教育されてきたのだそうです。


では残りの1%の人はどんな人たちなのか。


大病をした人。
災難にまきこまれた人。
子供が病気をもって生まれてきた人。
障害者になってしまった人、など。

この1%の人たちは、
普通であることが既にどれだけ幸せか、知っている。


たんたんと過ぎ去っていく日々がどれだけ幸せか

それを知っている人達です。

1%の人たちはふつうの日常が
どれだけ恵まれているのかに気づいている。

捻挫した人は普通に歩けることが、どれだけ幸せなことか知る。

不幸と思われる現象を通して、
私達は、実はすでに恵まれていたんだということに気づく。


そうなんです。

私達はもうすでに幸せなのです。


それに気付かないだけなのです。



目が見えることの幸せ

耳が聞こえることの幸せ

普通に歩けることの幸せ

不自由なく体を動かせることの幸せ


愛する家族が傍にいてくれることの幸せ


数え切れないほどの幸せに、私達はつつまれているのです。


今生きていることに感謝です。


.....................................................

●おまけの話し


明石屋さんまさんのお子さんの名前を知っていますか?

「いまる」と言うのですが、

どうしてこの名前をつけたか、知っていますか?


かなり有名な話しなので知ってる方も多いと思いますが


さんまさんの大好きな言葉に

「生きてるだけで丸もうけ」

と言う言葉があるそうです。


ここから「いまる」とつけたそうです。

http://mugikiri.exblog.jp/2325343/

              <感謝合掌 平成29年1月15日 頓首再拝>

「五粒のイチゴ」 - 伝統

2017/04/22 (Sat) 17:14:06


        *Web:いい話の広場
             『アレルギーへの思いやり』志賀内泰弘 より
             (ホテル目黒雅叙園の広報誌「雅」)

ブッフェが好きだ。食が細いので、たくさんは食べられない。
でも、「どれにしようかな」と料理の盛られたプレートを見てぐるぐると見てまわる。
それがブッフェの楽しみの1つである。

目黒雅叙園の西欧料理「クラブラウンジ」の、ランチブッフェでのこと。
若い母親が、三つくらいの男の子と一緒にデザートの辺りをうろうろしていた。

その日、シェフのIさんは、ショーキッチンで鉄板焼きやパスタなどを
お客様の目の前で作っていた。出来立ての料理を提供するためだ。

ふと、その母子に目がいった。
その瞬間、「もしやと」思い母親に尋ねた。
「どうかなさいましたか?」 「この子にアレルギーがあるので・・・」 という。

思った通りだった。
仕事柄、お客様の食物アレルギーには気を遣っている。
そのアレルゲンはソバ、卵、牛乳、小麦、エビ・カニなどの甲殻類など多岐にわたる。

度合いによっては生命の問題にも関わることもある。
重度の人は、卵を溶いたボールや泡だて器の隅に、
微かに付着していた量だけでもアレルギーが出てしまう。

それだけに、料理人としては気が抜けないという。
聞けば、その男の子は、卵と牛乳がダメだとおっしゃった。
Iさんは「気の毒に」と思った。

ケーキはもちろんのこと、パン類やアイスクリームにも卵や牛乳は用いられている。
一見、大丈夫そうに思えるシャーベットにも含まれている。
ほとんどのデザートが食べられない。

子供にとってみれば、目の前にあるデザートがなんと残酷なものに映ることだろう。
悲しそうに席に戻っていった。

Iさんは、ふと思いついて厨房に走った。
「たしか少し残っていたはず・・・あった!」 小皿にイチゴを乗せて、
先ほどのご家族のテーブルにそっとお持ちした。

とっさの機転だった。
ほんの五粒だけだけど。
テーブルに、パッと笑顔が広がった。

「機転」。見えないものに価値がある。

「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動の理念は、ギブアンドギブのです。
そのためには、与えて与えて、それでも与えて、見返りを期待しない心を養うことだと。

さらに、
「与えられるものは、どんな人にでもたくさんあるから、安心してください」 と、
月刊紙「プチ紳士からの手紙」や当メルマガなどで述べてきました。

「与える」というと、ついつい「お金」や「モノ」だと思いがちです。
でも、他に「目に見えないけれど価値のあるもの」があります。

例えば、美味しいお店の情報を教えるのも「与える」ことの一つです。
つまり「情報」ですね。
その情報は、映画でも、本でも、遊園地でも、ホテルでもいい。

そこからスタートして、その人に「役に立つ」人を紹介するようにする。
いつも、 「何か役に立てることはありませんか」 と言い続ける。

世間では、こういう行為を「おせっかい」と呼ぶことがあります。
あるいは、「親切の押し売り」とも。
この二つの言葉には、あまり良い印象はありませんね。

「おせっかい」をすると、反対に嫌われるんじゃないか。
そう思われる方もいるでしょう。まさしく・・・。

私も、「ああ、たぶん、押し付けだと思われているなぁ」
と感じたことが何度もあります。
それでは逆効果です。

では、どうしたらいいのか。


ここでこんな話をさせていただきましょう。
以前、ホスピタリティあふれるサービスで有名な
ザ・リッツ・カールトンホテル大阪に 泊まったときのことです。

数々の伝説的なサービスのエピソードがあるホテルで、
スタッフが企むサプライズを期待して泊まるお客様も多いそうです。

例えば、予約時にさりげなく誕生日などのお祝いの日であることを告げておく。
すると、「何か」が起きる。

でも、「サプライズ」というくらいですから、
びっくりし過ぎたり、 お客様に喜んでいただこうという気持ちが行き過ぎてしまい、
反対に、「そっとしておいてくれないかなぁ」と眉をひそめられる恐れもあります。

そんな疑問を、不躾ながらザ・リッツ・カールトンのスタッフに尋ねてみました。
すると、苦笑いして、 「はい、おっしゃる通りです」 と言われました。

「ときには、戸惑われたりすることもあります。
でも、私たちは、そのサプライズを止めたりしません。
いつも、何かお客様が喜ぶことができないかを考えて実行します。
もちろん、サプライズだけが有名になってしまうのは困ります。
普通のおもてなしが基本ですから」

なぜ、「おせっかい」だと思われることがあっても「実行」するのか。
それは、たくさんの「おせっかい」をしないと、
何が喜んでいただけるのかがわからないからです。

また、1のトラブルを恐れて、9の「お客様の喜び」を諦めるのか、
という思いにも繋がります。

トラブルを省みず、「おせっかい」を続けることで、
どこまでがギリギリの「やってもいいサプライズ」のラインなのかが、
体験を持って肌でわかるようになるのです。


さて、話を戻しましょう。
相手がホテルのお客様でなくても同様です。

出逢った人に、「おせっかい」だと思われることを恐れていては何もできません。
最初のうちは、「親切の押し売り」と思われることもあるでしょう。

しかし、「おせっかい」を続けるうちに、
喜んでもらえるポイントがわかってきます。
それは、「おせっかい」の訓練をすることでだけ身に付くものです。

すると、だんだん「ありがとう」と言われる機会が増えてきます。

すると、いつの間にか、ギブアンドギブの達人になっています。
だから、恐れずに、どんどん「おせっかい」をしましょう。

http://www.giveandgive.com/iihanashi_top/nagomi/vol_1248.html

              <感謝合掌 平成29年4月22日 頓首再拝>

また会えて良かった・・・ - 伝統

2017/05/06 (Sat) 17:57:50


         *『大切なことに気づく24の物語』中山和義・著(P90~92)より

結婚をして3年になるご夫婦がある朝、ご主人の出勤前に、けんかをしました。
ご主人が奥さんに、

「もう、お前の顔なんて見たくない! 」

と捨て台詞を残して、玄関のドアを荒々しく閉めて出かけました。
奥さんも負けずに、

「大嫌い、帰って来なくていいから! 」

と言い返しました。

それから1時間後、病院から奥さんに電話がかかってきました。
ご主人が事故に遭ったと説明されて、あわてて病院に向かいました。
向かっている途中、奥さんはけんかをしたことをものすごく悔やみました。

「けんかでイライラしていたのが原因で事故に遭ったんじゃないか・・・」

と思って、自分を責めました。

病院に着くと、ご主人は緊急手術の最中でした。
手術が終わっても、ご主人の意識はなかなか戻りませんでした。

2日後、ご主人の意識が戻って、
心配そうに見つめている奥さんに気が付きました。

「けんかしたまま会えなかったら、
どんなにお前が後悔するか・・・。会えて良かった」

と涙を浮かべて奥さんに話しました。

けんかをしたらすぐに仲直りした方がいいですよ。
本当はあなたにとって大切な人なのですから・・・。

              <感謝合掌 平成29年5月6日 頓首再拝>

我々はたくさんの美しいものを見過ごしている・・・ - 伝統

2017/05/18 (Thu) 19:15:34


         *Web:「幸せになるためのちょっといい話し」(2013-01-17)より

ある寒い1月の朝、
一人の男がワシントンD.C.の駅で座りながらバイオリンを弾き始めました。


彼はバッハの曲を1時間程演奏しました。
その時間帯は通勤ラッシュだったため、
約1100人がその男の前を通りました。


3分後、ある中年の男はバイオリンを弾いている人がいると気づき、足を止めました。
しかし、結局止まったのはほんの僅かな時間で、数秒後にはその場を離れました。


1分後、バイオリニストはやっとお金を稼ぐことができました。
ある女性がケースに1ドル札を投げ入れましたが、
彼女は止まることなく歩き続けました。


少しした後、壁に寄りかかって彼の音楽を聴く者が現れましたが、
腕時計を見るとすぐに歩き始めました。
会社に遅刻しそうだったのです。


一番彼の音楽が気になったのは、3歳の男の子でした。
彼のお母さんは急いでいて、男の子の腕を強く引っ張りました。
それでも男の子はバイオリニストを聞こうと足を止めます。

お母さんは男の子の背中を強く押し、無理やり歩かせました。
それでも男の子はずっと後ろのバイオリニストを見ながら去って行きました。
他の子供も同様でしたが、親は全員例外なく止まることなくその場を去りました。


彼が演奏した1時間内で、足を止めて彼のバイオリンを聞いたのはたった6人でした。
お金を入れてくれたのは20人程でしたが、止まった人は誰もいませんでした。
稼いだお金はたったの32ドル。

彼が演奏をやめ、駅が沈黙に包まれた時、気付いた人は誰一人いません。
拍手はなく、このバイオリニストを認める人はいなかったのです。


バイオリニストの名前はジョシュア・ベル。

彼は世界で最も才能のあるミュージシャンの一人です。
彼はたった今、歴史に残る傑作を演奏したのです。
それも3億円のバイオリンを使って。


彼の駅での演奏の二日前、彼のボストンでのコンサートのチケットは、
1枚1万円するものの全て売り切れました。



これは実際にあった話です。


ジョシュア・ベルが素性を明かさず行ったこの演奏は、
人々の視覚・嗜好・優先順位を研究するための実験として
ワシントン・ポスト紙によって行われました。



私たちは本当に「美しさ」を理解しているのだろうか?

それをちゃんと足を止めて味わっているのだろうか?

予想していない状況でも、才能を感じ取ることはできるのだろうか?


一つ結論として言えるのは、

もし私達は世界で最も才能のあるミュージシャンが、
歴史上一番の傑作を演奏してさえ気付かないのであれば、
私達は他にもきっと多くの「美しいもの」を見過ごしているのではないか?

  (http://mugikiri.exblog.jp/19852211/

              <感謝合掌 平成29年5月18日 頓首再拝>

【トントンという音】 - 伝統

2017/10/25 (Wed) 18:10:25


      *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年10月25日)」より

   (医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…)

   生きるって大変なこと。
   これまで、たくさんの生と死に関わって生きてきました。

   73歳のおじいちゃんの話をしましょう。

   徐々に痩せてきました。
   背中が張ると言って、外来にやってきました。

   血液の検査や超音波検査、CTの検査をしました。
   後腹膜に腫瘍が見つかりました。

   すい臓がん。
   リンパ腺にも転移がありました。

   ご本人と優しい奥さんと、
   何度も治療法について話し合いをしました。

   東京の息子さんも話し合いに参加しました。

   おじいちゃん自身は、

   「もういいな。手術はしたくない。抗がん剤が少しでも期待
   できるなら、苦しくない範囲で1回試してもいい」

   これがおじいちゃんの自己決定でした。

   自分の行く道を自分で決めたのです。
   奥さんも息子さんも賛成しました。

   僕自身がこの人の立場だったら、僕もこの選択をしたかなと思いながら、

   「全力で支えさせていただきます」

   と何度もの話し合いをまとめました。


   ご本人の希望で緩和ケア病棟に入院しました。

   「やるだけのことはやった。もういいな。とにかく苦しいのは嫌だな」

   緩和ケアが始まりました。

   痛みが取れると、彼は再びニコニコし始めました。

   それでもご飯は食べられません。

   「匂いを嗅いだだけで食べられなくなる」
 
   「でもね先生、もう1回ご飯が食べたいな」

   横についている奥さんが黙ってうなずきました。

   「先生、1回外出させてください。気分を変えてあげたい」

   根拠はないけどいいことだと思いました。

   賛成、賛成と背中を押しました。

   おじいちゃんもニコッと笑顔を見せました。


   翌日、息子さんは東京の会社を休み、飛んできてくれました。

   お昼から半日、家に帰りました。
   夕方7時頃、おじいちゃんが病室に戻ってきました。

   病室へ伺うと、おじいちゃんはニコニコしていました。


   「先生、トントンがよかった」

   「トントンって何ですか? 」

   「家に戻って、いつも自分が座るところに座って、
   夕陽が落ちるのを見ていました。

   先生、夕陽がきれいでね。
   目を奪われていたんです。
   この庭も見納めかなと思っていました。

   その時です。

   お勝手からトントンという音が聞こえだしたんです。
  女房のまな板の音です。

   こんな音、何十年も聞き続けていたはずなのに、
   一度も意識したことがありませんでした。
   女房もきっと意識していないんです」


   奥さんが言葉を受け取った。

   「何も意識していません。でも、この人が家に帰ってきてくれて、
   私はうれしくて、無意識の中で心が躍っていたんです」

   おじいちゃんが続けた。

   「まな板のトントンという音を聞きながら、
   生きてきてよかったと思ったんです。

   シューッとご飯ができあがる音も聞こえてきました。
   匂いも伝わってきたんです。

   食べ物が運ばれてきても、その匂いだけで吐き気が出て
   たべたくなかったのに、音も匂いも心地がいいのです。

   先生、食べれたよ。

   お茶碗に3分の1ぐらいだけど、うまかった。
   もう思い残すことはありません」


   奥さんと息子さんが下を向いて泣き出しました。

   このおじいちゃんは間違いなく生きている。

   死は近づいているかもしれない。
   けど、そんなことはどうでもいいんだ。
   いま生きているという実感が大事。

        <『1%の力』河出書房新社>

            ・・・

富山県の砺波市という町に、
ガンで亡くなった井村和清さんという方がいた。

彼は医師だった。

右膝に巣くった悪性腫瘍の転移を防ぐため、右脚を切断したが、
その甲斐もなく、腫瘍は両肺に転移してしまった。

そして、昭和54年1月に亡くなったが、その時の遺書がある。


「ただ、ようやくパパと言えるようになった娘と、
まだお腹にいるふたり目の子供のことを思うとき、
胸が砕けそうになります。

這ってでももう一度と思うのです。
しかし、これは私の力では、どうすることもできない。

肺への転移を知った時に覚悟はしていたものの、
私の背中は一瞬凍りました。

その転移巣はひとつやふたつではないのです。

レントゲン室を出るとき、私は決心していました。

歩けるところまで歩こう。

その日の夕暮れ、アパートの駐車場に車を置きながら、
私は不思議な光景を見ていました。

世の中がとても明るいのです。

スーパーへ来る買い物客が輝いてみえる。

走りまわる子供たちが輝いてみえる。

犬が、垂れはじめた稲穂が、雑草が、電柱が輝いてみえるのです。

アパートへ戻ってみた妻もまた、手をあわせたいほど尊くみえました」

『いま、感性は力』(致知出版社)より


人は、死を意識し、覚悟を決めた時、世の中が輝いて見えるという。

いいも悪いも、全ての存在を肯定し、認めるからだ。

そして、いままで何でもなかった当たり前だったことが、
この上なく愛(いと)おしく、幸せに感じる。


二度とない人生、この一瞬一瞬を大切に大切に生きてゆきたい。

       <感謝合掌 平成29年10月25日 頓首再拝>

高度1万メートルの涙 - 伝統

2017/11/08 (Wed) 19:56:51


        *「感動3.0 自分らしさのつくり方」平野 秀典・著(P49~54)より

雲間から現れたJTA562便の白い機体が、宮古空港に到着したその瞬間、
空港の待合室全体に、盛大な拍手が湧き起こった。

沖縄本島の離島、宮古島に家族と夏のバカンス旅行に行っていた私は、
帰宅日の間際に、大型で強い勢力を持つ台風8号の直撃を受けていました。

私たちが帰る前日から、ほとんどの飛行機の便が欠航し、
当日も、午前中の便と午後の便のほとんどが欠航の予定。

しかし、不思議なことに、私たちが乗る午後1番の便だけは、
前日からなぜか出発予定になっていました。

キツネにつままれたような感覚でホテルをチェックアウトし、
幸運の女神に感謝しつつ、手荷物検査を通過し待合室へ。

ホッとしながら、家族と出発を待っていると、ふいに空港からのアナウンス。

「到着予定の飛行機が上空天候悪化のため、着陸できずにおります。
着陸できない場合、欠航になりますので、予めご了承ください」


一転して、私の心は天国から地獄へ垂直落下。

私と同じように不思議に幸運を自画自賛していたであろう他のお客さんたちも、
窓にへばりついて空を見上げ、沖縄からやってくる機材(飛行機)を祈るように
待ち続けていました。

その姿はまるで、漂流して到着した無人島で、救助の飛行機を待つ遭難者。

出発時間5分前になり、いよいよあきらめかけたその時、窓の方から歓声が!

1時間ほどの上空旋回を試みていた飛行機が、見事雲の隙間をぬって宮古空港に着陸したのです。


その後、JTA562便は、30分遅れで、無事宮古空港を離陸しました。

そして、素敵なドラマのエンディングは、この後の機内で待っていたのでした。

離陸してしばらくした頃、緊張からの解放と疲れでぐったりとしていた乗客たちに向けて、
機長から機内アナウンスが始まりました。

「本日は、悪天候のため、出発が遅れまして大変ご迷惑をお掛けしました。
心からお詫び申し上げます」

いつもの型どおりの挨拶が済んだ後、機長がさらに話し始めました。


「飛行機が遅れた上に、誠に個人的なお話で大変恐縮なのですが、
実は、今回のフライトを担当いたしております客室乗務員のTが、
本便を最後に退職いたします。

Tとは、同期として入社し、共に歩んできた仲間でございます。

彼女は上司に恵まれ、仲間にも恵まれ、一生懸命仕事に取り組んで参りました。
最終の便をご一緒させていただきましたご縁に甘えて、
皆さまに一言ご報告させていただきます。

ありがとうございました」


数秒の間をおいて後、機内に小さな拍手の音が響きました。

はじめは、遠慮がちな拍手が、やがて機内全体へ広がっていきました。

前日からの不安と緊張で疲れていた乗客たちでしたが、このアナウンスで、
私と同じように多くの人が、あることに気づいたことでしょう。

Tさんの最後のフライトを飾ってあげたいという機長の想いが、
上空を何度も旗回し、諦めずに雲の隙間を抜けて着陸させたのだろうということを。


飛行機は、皆の想いを乗せて、順調な飛行で無事沖縄に到着した後、
客室乗務員のTさん本人が普段通りの到着のアナウンスをし、最後に簡単な挨拶をされました。

「機長からお話しいただいたTでございます。
これまでの一便一便、心を込めて搭乗させていただきました。

本日この便をもちまして、JTAを卒業させていただきます。

皆様が私の客室乗務員としての最後のお客様となりました。
本当にありがとうございました」


その挨拶の声と言葉は、短いながらも、一言一言に心からの想いがこもった、
それは素晴らしいスピーチでした。

聞いていた私は、不意に涙があふれてきて、困りました。

宮古島と沖縄を感動で結んだJTA562便の機長とTさんに、
乗客たちは思いがけない素敵な空の旅をプレゼントしていただきました。

           ・・・

もちろん、機長の判断は私の推測ですので、実際のところはわかりませんが、
安全を最優先させた上で着陸したことは想像に難くありません。

・・・

YouTube では
 → https://www.youtube.com/watch?v=0FuuGRrpOe4

       <感謝合掌 平成29年11月8日 頓首再拝>

【小さな歌声】 - 伝統

2018/01/16 (Tue) 20:31:00


      *メルマガ「人の心に灯をともす(2018年01月12日)より

   (ジャック・キャンフィールド氏の心に響く言葉より…)

   メアリーは5歳の患者。

   台車に載せた彼女を、MRI(磁気共鳴装置)の検査室に運びながら、
   この子はいまどんな思いでいるのだろうと思った。

   メアリーは卒中で倒れて半身不随となり、
   脳腫瘍の治療のために病院生活を送ってきた。

   そのうえ、最近父親を、続いて母親を亡くし、帰る家もなくなってしまった。

   そんなメアリーがこの検査をいやがるのではないかと、
   私たち医療スタッフは気がかりだった。

   MRIの装置の中に、メアリーは文句も言わず、素直に入れられた。

   検査が始まった。

   初めの5分間、患者は完全に静止していなくてはならない。
   これは、誰にとってもかなり苦痛だ。

   とりわけ不幸の連続だった5歳の幼い少女にとっては。

   撮らなくてはならないのは、頭脳の画像だった。
   だから、どんなにわずかでも、喋ったりして顔が動くと画像がブレてします。

   2分たった。

   と、モニターにメアリーの口が動いているのが映った。

   何かモゴモゴと喋っているのも聞こえてくる。

   スタッフは検査を中止し、メアリーに優しく注意した。


   「メアリー、いい子だから、お喋りやめましょうね」

   メアリーは微笑むと、二度とお喋りしないと約束してくれた。

   スタッフはふたたび装置を作動させ、初めからやり直した。

   ところが、また顔が動いている。
   声もかすかに聞こえる。

   なにを言っているのかはわからないが、みんなイライラしてきた。

   ほかの患者も待っている。
   メアリーのために、予定をやりくりして検査しているのだ。

   私たちは検査室に入っていき、メアリーを装置から出した。

   メアリーはいつものひしゃげたような笑顔で私たちを観たが、
   いっこうに悪びれた様子がない。

   検査技師はやや不機嫌になって言った。

   「メアリー、またお喋りしていたね。お喋りすると画像がブレちゃうんだよ」

   メアリーは笑顔のまま、答えた。

   「お喋りなんかしてないわ。歌ってたの。お喋りしちゃダメっていうから」


   私たちはあっけにとられた。

   「それ、どういうこと? 」スタッフの一人が尋ねた。

   「“主われを愛す”」蚊の泣くような声だった。

   「幸せなときはいつもこの歌を歌うの」


   検査室の誰もが言葉を失った。

   幸せ?

   まさか?

   どうしてこの幼い少女が幸せだなって言うのだろう?

   検査技師と私は、思わず涙ぐんでしまい、
   涙を見せまいとしていったん部屋を出た。


   それ以来、私は気持ちが滅入ったり、落ち込んだりするたび、
   メアリーのことを思い浮かべるようになった。

   メアリーのことを思えば、謙虚になれる。

   そして勇気が湧いてくる。

   逆境にあっても幸せを感じ取る心こそ、神からの贈り物なのだ。

   進んで受け取る気持ちさえあれば、誰にだって与えられる贈り物なのだから。

     <『こころのチキンスープ12 みんなが誰かを愛してる』ダイヤモンド社>

            ・・・

石川洋氏に「自戒」という詩がある。


   つらいことが多いのは 感謝を知らないからだ。

   苦しいことが多いのは 自分に甘えがあるからだ。

   悲しいことが多いのは  自分のことしか分らないからだ。

   心配する事が多いのは 今をけんめいに生きていないからだ。

   行きづまりが多いのは 自分が裸になれないからだ。


まわりの誰がみても不幸せだと思える状況で、その中から幸せを見つけ出せる人がいる。

そんな人に出会うと…

謙虚になれる。

自分に甘えがあることに気づかされる。

自分勝手なことに気づかされる。

今ここ、に生きなければと思う。

自分をさらけ出せないことに気づかされる。


毎日を、謙虚に、感謝の気持ちで生きてゆきたい。

       <感謝合掌 平成30年1月16日 頓首再拝>

起き上がり小法師(おきあがりこぼし) - 伝統

2018/01/29 (Mon) 19:19:51


              *Web:勢蔵の世界(2008/2/10)より
                   ~ 青山俊董尼
                           
人生という一枚の着物の一針には、いろいろな一針がある。
予定通りにはいかない。
こんなはずではなかったということも起きてくる。

そのいかなることも"さいわいにと受けとめてゆく"という生きざまを、
もう一つ心に刻んでおきたい。


K寺でお話をするべく京都駅からタクシーに乗った。
「ご出家さんですね。お話をさせていただいてもよろしゅうございますか」
と運転手さんが語りかけてきたので、「どうぞ」というと、こんな話をしてくれた。

「私は高校3年のとき、両親を一緒に亡くしました。
町会でフグを食べにゆきその毒に当たって一晩で亡くなりました。
その朝はお弁当をいただいてゆく日で、いつもなら母が早く起きて
お弁当を作って下さるのにその朝はいつまで経っても物音一つしない。

おかしいなと思い、そっと両親の部屋の戸を開けてみると、
さんざん苦しんだあとを残して、2人とも息が絶えておりました。

親戚の者が駆けつけ葬式は出してくれました。
借金こそなかったけれど、一銭の貯えもありませんでした。

父が出征していたために、ずっと年の離れて五歳の妹がおりました。
子供二人では家賃がとりたてられないであろうというので、家主が追い出しました。

私は妹を連れ、最小限度の荷物を持って、安い六畳一部屋のアパートを借りて出ました。
とにかく両親に代わってこの妹を育てなければならない、と思いまして、私は働きました。

さいわい就職が決まっておりましたので、朝は新聞配達、昼は勤め、夜はアルバイト
と働き、二十二、三歳のときには、小さなアパートを買うほどの金はつくりました。

しかし考えて見ますとこの間私は働くことしか考えず、
台所も掃除も洗濯も何もしませんでした。
五歳の妹が全部したことになります。

「おしん」というドラマがありましたね。
私の妹だって「おしん」をやりました。
人間、そういうところにおかれるとやるもんですね。

考えて見ますと、私などもし両親が生きていてくれたら、
今頃、暴走族か突っ張り族かろくな人間にしかなっていなかったと思います。

両親が死んでくれても、財産を遺してくれたら、
甘えてしまって今の私はなかったと思います。
一人ぼっちだったらやはり駄目になっていたでしょう。

両親が死んだ、金はない、家主が追い出した、幼い妹がいる。
私は本気にならざるを得ませんでした。
私を本気にしてくれ、男にしてくれ、大人にしてくれたのは、
両親が一緒に死んでくれたお陰、財産を遺してくれなかったお陰、
家主が追い出してくれたお陰、幼い妹をつけてくれたお陰と感謝しております。

妹には勉強机ぐらい買ってやりたいと思いましたが、
六畳一部屋に食卓と勉強机と二つおいては寝る場所がなくなるので、
食卓と勉強机を兼ねてもらいました。

新聞一枚散らかしておいても寝るところがなくなりますから、
妹は整理の名人になりました。

今幸いに大きな家に御縁を頂いて嫁いでおりますが、
きれいに整頓されております。

妹がよい御縁を頂いて花嫁衣裳を着たときだけは泣けました。
両親に見せたかったと思いましてね。
何もかもありがたいことであったと、
朝晩に両親の位牌にお線香をあげさせてもらっています」

どんな方のお話よりもすばらしいお話を聞く思いで、
「よいお話をありがとう」と、私は心からの礼を述べて車を降りた。

私が好んでサインする言葉の一つに

      「投げられたところで起きる小法師かな」

というのがある、

起き上がり小法師は、どこにほうり投げられても、
たとえば泥んこやごみための中であろうと、コロンと起き上がり、そこに腰をすえる。

ちょうどそのように、授かった場所や授かったことが、
わが心にかなうことであろうとなかろうと、追わず逃げず、
そこを正念場として、そこに腰をすえる。

むしろ"ようこそ"と受けて立ち、"さいわいに"と勤め上げてゆけというのである。
人生という一枚の着物のどんな一針に対してもそんな姿勢で運びたいものと、
切に思うことである。

  (https://blogs.yahoo.co.jp/seizoh529/30176304.html

       <感謝合掌 平成30年1月29日 頓首再拝>

4歳児救った「スパイダーマン」 - 伝統

2018/05/29 (Tue) 17:16:29


        *Web:朝日新聞デジタル(2018年5月28日)より

パリ北部で、マンション5階のベランダで宙づりになっていた4歳の男の子を
通りがかりの不法移民の男性がよじ登って助ける救出劇があり、話題になっている。

マクロン仏大統領は28日、男性に対し特別に滞在許可を与えると約束。
男性は消防士として働くことになった。

AFP通信などによると、男性は西アフリカ・マリ出身のマムドゥ・ガサマさん(22)。

26日夕、男の子が5階ベランダの手すりにしがみついて
落ちそうになっているのを見つけた。

地上から各階のベランダに飛びついては、懸垂の要領で体を引っ張り上げ、
するすると5階へ到達した。

様子を撮影した動画がインターネット上で拡散し、
高い身体能力と危険を顧みない行動に「スパイダーマンだ」
などと称賛が相次いだ。

ガサマさんが滞在許可を持たないことがわかると、
「ぜひ受け入れを」などの声が上がった。

当時マンションに両親は不在で、子どもを監督せず放置したとして、
父親が警察に拘束されたという。

ガサマさんは2017年9月にフランスに入国したが、
その後、認められた期間を過ぎて不法に滞在していた。

マクロン大統領は28日、大統領府でガサマさんと面会し、
滞在許可を与えることと、消防士の仕事を約束。

ガサマさんは仏メディアに

「何も考えずに子どもを助けた。救出後は(怖くなって)体の震えが止まらなかった」

と語った。(パリ=疋田多揚)

  (https://www.asahi.com/articles/ASL5X65PYL5XUHBI01K.html?ref=newspicks

       <感謝合掌 平成30年5月29日 頓首再拝>

女子大生、線路転落の男性救出 背負って走る - 伝統

2018/06/25 (Mon) 18:37:23


       *Web:朝日新聞デジタル(2018年6月24日)より

無人駅の近鉄二上神社口駅(奈良県葛城市)で先月、男性がホームから線路に転落。
居合わせた大学生が背負って踏切まで運び、事なきを得た。

大学生を駅まで迎えに来ていた母はその間、駅の非常通報ボタンを押して、手助けした。

 
大阪大谷大学人間社会学部4年の金崎真衣さん(22)=同県香芝市=は
5月13日午後10時半ごろ、近鉄二上神社口駅のホームで、
改札口と逆方向に歩く男性(71)とすれ違った。

千鳥足でお酒のにおいがするので、金崎さんは心配になった。
改札まで迎えに来た母のまゆみさん(51)に
「おじいさんが危ないかも」と話して振り返ると、ホームから落ちる男性が見えた。

 
当日は雨で、無人駅の乗客はまばら。「自分しかいないと思いました」と金崎さん。
とっさに男性のもとへ駆け寄り、線路に飛び降りた。
「大丈夫ですか」と男性をゆすって声をかけても返事がない。

まゆみさんが駅の非常通報ボタンを押し、警報音が鳴り響いた。
そのなかを金崎さんは男性を背負って、ホームの端にある踏切まで
約60メートルを走った。

大学のバスケットボール部で主将を務める金崎さん。
身長162センチと部内では小柄で、男性は自身と同じぐらいの体格。

「体力には自信がありますが、背負って走るのは大変でした」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00000009-asahi-soci

           ・・・

(以下は、この記事を読んだ方々の反応です)

・この世の中、いやなニュースも多いですが、
 こんなニュースを目にするとまだまだ捨てたもんじゃないと思います。
 この学生さんの将来に何かいいことありますように!

・美人ですね。。。しかも素晴らしい行動力。尊敬します。

・凄い!素晴らしい!
 普通はすれ違ってもふり向いて見ないよね?
 この様な学生さんもいる、大人も見習って欲しいね!

 お母さんも機転が働きやはりお母さんの血筋か?

 最近、嫌な事件事故が多いがその分、子供たちが
 よいニュースを知らせてくれるし行動にも移してくれるね。

 今時代、もっと大人は世間の常識を子供に見習うべき!

 政治家もこの様なニュースを言われる様にして欲しいね。
 ゲスな事が多過ぎる!

・危険云々以前に酔っぱらいを気にかける意識が凄い。

・素晴らしいですね、でも避難場所が踏切まで無いのも問題ですね、
 60mを背負って走る体力は見事です。
 自分の危険も考えないといけませんね、
 他に誰も居ない中での救出、本当にご苦労様でした。

・鍛えている自信があってこその救出ですね。お見事でした。

 (http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/9859292.html

       <感謝合掌 平成30年6月25日 頓首再拝>

一粒のぶどう - 伝統

2018/08/25 (Sat) 18:04:40


      Web:いい話の広場(第13号)より

ある不治の病の女の子の話です。

一歳の時から入退院を繰り返して、五歳になりました。
様々な治療の甲斐もなく、ついにターミナルケアに入りました。

もはや施す術もなく、安らかに死を迎えさせる終末看護、
それがターミナルケアです。

冬になり、お医者さんがその子のお父さんに言いました。

「もう、なんでも好きなものを食べさせてやってください」

お父さんはその子に、何が食べたいか、ききました。

「お父さん、ぶどうが食べたいよ」と、

女の子が小さな声で言いました。

季節は冬、ぶどうはどこにも売っていません。
でも、この子の最後の小さな望みを叶えてやりたい。
死を目前に控えたささやかな望みを、 なんとか、なんとかして叶えてやりたい。

お父さんは東京中のお店を探しました。
思いつく限りのお店、あのお店も、このお店も、、、、、、
足を棒にして、探し回りました。

でも、どこのフルーツ売場にも置いていません。  
最後に、あるデパートのフルーツ売場を訪ねました。

「あの…、ぶどうは置いていませんか? 」

祈る気持ちで尋ねました。

「はい、ございます」

信じられない思いで、その人のあとについて行きました。

「こちらです」と案内されたその売場には、
きれいに箱詰めされた、立派な巨峰がありました。

しかし、お父さんは立ちすくんでしまいました。
なぜなら、その箱には三万円という値札が付いていたのです。
入退院の繰り返しで、そんなお金はもうありません。
悩みに悩んだ末、必死の思いでお父さんはその係の人に頼みました。

「一粒でもいい、二粒でもいい、 分けてもらうわけにはいきませんか?」

事情を聞いたその店員は、黙ってその巨峰を箱から取り出し、
数粒のぶどうをもぎ、小さな箱に入れ、 きれいに包装して差し出しました。

「どうぞ、二千円でございます」

震える手でそのぶどうを受け取ったお父さんは、 病院へ飛んで帰りました。

「ほら、おまえの食べたかったぶどうだよ」

女の子は、痩せた手で一粒のぶどうを口に入れました。

「お父さん、おいしいねえ。ほんとにおいしいよ」

そして間もなく、静かに息を引き取りました。

*     *     *     *

有名な話なのでご存知かもしれませんが、
聖路加病院に入院されていた患者さんと
高島屋の店員さんの実話であることを最近知り、 深い感銘を受けました。

     (http://www.giveandgive.com/iihanashi_top/nakeru/vol_0013.html)      

       <感謝合掌 平成30年8月25日 頓首再拝>

「言葉は大事じゃぞ」 - 伝統

2019/01/14 (Mon) 19:33:07


        *「珠玉編 心にしみるいい話」(P210~213)より
         ~「全国新聞連合 シニアライフ協議会編」
           高知県中村市の主婦、和田静恵さんの心にしみるお話

昭和11年、和田さんが小学校4年生の秋、運動会も済んだころのことです。

「今、戻りました」 の声を待っていたかのように、

「静よ、藁(わら)を打ってくれんかのう」と祖父に言われ、

「ちっくと、行ってくるきに・・・」と言うと、

「戻ったら打ってくれよ」と言う祖父の言葉に、

「うん・・・わかった」と、返事はしていたが、仲良しの友達と、
つい遊び過ぎて帰った。

待ちかねたように母が言いました。

「静よ、おじいさんと約束しちょらせざったかね。
藁を打って貰うと言って、おじいさんは待ちよるぞね。早う行きなさい」

”しまった”と思い、母屋から離れた稲納屋へと走った。

祖父は横槌で、小さい藁束を一人でコツコツと、打っていたのです。

「戻ったか。お前は友達と遊ぶ約束をしていて遊んで来た。
お前は”うん”と返事をしてくれた。おじいさんは、お前の言葉を
信じて待ちよった。打ってくれるか・・・」

と、掛矢を目の前に差し出されました。

きれいなハカマを取った藁の大きな束を、50センチ四方のカズラ石に乗せ、
おじいさんは、ひざをついて構えている。私は自分の頭より大きいと思う
掛矢を振りだした。

明治3年生まれの祖父は、藁束をクルリ、クルリと回しながら、
遅く帰って来たことを怒りもせず、今だに忘れることのない話をしてくれました。
私の降り下ろす掛矢に合わせて、ゆっくりと、語りかけるように、

「静よ、人間はのう、うんと言葉を大切にせよ、よ。
人との出会いも大切じゃが、言葉はもっと大切じゃぞ。・・・えいか」

――言葉にも、ちゃんと足があってねや。
  言うて良い足、言うて悪い足の、言葉の足がちゃんと二つついちゅうぞ。

  その言葉の足を前後にしっかり踏まえて、言うてよいか、言うて悪いか
  ようく考えて、腹の底からしっかりと、ものを言え。

一度、口から出した言葉は、元には戻らん。
一度、口から出した言葉には必ず責任を持て。
責任のない言葉は信用を失うぞ。

――言葉の足は、信用という大きな、大事な体を支えちゅうがぞ。わかるか?
  何によらず、言葉には必ず責任を持てよ。

――事を頼まれて、出来ないことは安請け合いをせずに、はっきり丁寧に断れ。
  断ることも信用の一つぞ。

――言う口の下、尻からはぐれる出まかせの嘘を言うな。
  人間を見下げる。

――人を笑うな。指を指すなあざけるな。情けを掛けよ。
  情けと意地悪は後日必ず返って来る。

――今、言うた話は、子供の時も大事じゃが、大人になったらなおさらのことぞ。
  よくよく心しちょけよ、えいか。

  (さらに女性としての心構えも諭されます)

――それに、人と出会った時に頭だけコックリするな。
  荷物は必ず左手に持ち替えて、右手を膝の上まで下げよ。自然に頭は下がる。

  それに、人と目が合ってすぐ横を向くな。
  ちょっと首を傾げて笑顔を見せよ。女らしい。


話の合間に、藁の軟らかさを確かめながら、
ゆっくり時間を掛けて話してくれました。

藁の元も穂先も布のように柔らかくなりました。
軟らかさをごつい右手で確かめていた祖父は、

「もうよかろう。静も約束を果たしてくれた。わしも明日は約束の草履を持って行ける」

やれやれち、ほっとしている私に、

「だれた(疲れた)のう。おおきに、おおきに。
秋の日は早いのう」

と、夕焼けの空を見上げて、ニッコリしていました。
少し寒く暗くなりだしました。

布のように柔らかく打たれた藁で、お爺さんの作った草履は、出来あがりもきれい。
丈夫で長持ちすると評判で、近所の漁師さんの注文がよくありました。

言葉の責任を教えてくれた祖父は「自分のことは自分でせよ」と言って、
八十歳を過ぎても、布団の上げ下ろしを自分でやっていました。

南国市浜改田で、両親より以上に世話になった祖父母を思い出します。
事あるごとに思い出し、言葉の責任は、私と共に生きるでしょう。

・・・

(この記事は、以前、先代の掲示板にて、”コスモス さま”が投稿された
 ものを、伝統板・第二「言葉の力①」にて紹介したことがあります。
 http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6459722 <2015/06/17>

 今回は、「珠玉編 心にしみるいい話」から全文の紹介となります)

          <感謝合掌 平成31年1月14日 頓首再拝>

お坊さんの後ろ姿 - 伝統

2019/01/15 (Tue) 17:09:33


          *メルマガ「人間力メルマガ(2019.1.15)」より

中古車販売業界を変える。その志を持って
ガリバーインターナショナル(現・IDOM)を創業した
羽鳥兼市さんですが、若い頃は苦労の連続でした。

多額の借金を返済しておな、厳しい税金の取り立てにあって、
やりきれない気持ちでいた羽鳥さんを救ってくれたのは、
真摯に祈りを捧げてくれたお坊さんの後ろ姿でした。

───────────────────
羽鳥 兼市(IDOM名誉会長)
   ×
村上 和雄(筑波大学名誉教授)

※『致知』2017年3月号
※連載「生命のメッセージ」P114
───────────────────

【村上】
羽鳥さんはお母様の影響も強く受けられていますね。

【羽鳥】
実はおふくろに助けられたことがあって、
倒産で背負った借金3億円を3年間で
全部払い終わった半年後のことでした。

突然、国税局が入り込んでくると、根掘り葉掘り聞かれた上に、
数億円の税金を取り立てると言ってきたんですよ。

(中略)

もう毎日のように、これはどうなった、この帳簿を
見せろとか言われても、こっちは納得できないじゃないですか。

やっとの思いで義兄の借金を全部払い終わってほっとしていたのに、
何でまた税金を何億円も払わなくちゃならないんだって。
そう思うとイライラして、彼らの言うことに逆らってばかりいたんです。
 
やっぱりそういう感情って、顔に出るんですね。
ある晩、おふくろが車に乗せてほしいと言うので、
言われるままに運転すると、着いたのは
30キロくらい先にある山中のお寺さんでした。

既に11時近くだったと思うのですが、おふくろがお坊さんを起こして、
「最近、息子がイラついて、おかしな状態に
なっているようだから祈祷してください」とお願いするんですよ。

【村上】
真夜中の祈祷ですか。

【羽鳥】
ええ。自分も訳が分からなかったのですが、
しようがないので黙って本堂について行くと、
すぐに護摩焚きが始まってお坊さんが拝み始めました。

おそらく1時間以上続いたと思うのですが、
とにかく手を抜かないで一所懸命拝んでくれる。
そんなお坊さんの後ろ姿を見ているうちに、
この方は何が楽しみなんだろうか、
そもそも人の幸せって何だろうかって、ずっと考えていました。

そうしたら、ふと、お金がすべてじゃないんだと気がついた。

それよりも、人に喜んでもらうために一所懸命やる。
それが生き甲斐になるんだって。

一方、自分はというと借金を払った上に税金まで
取られるのが嫌だから、何でもかんでも逆らってばかりでした。
 
でも、もういっそのこと徴収されるだけ徴収されるのも、
面白いじゃないかと。また何億円払えと言われたって、
返すのをゲームのように捉えて、一日でも早く
完済していくのも楽しいかもしれない、ということに気づきました。

【村上】
開き直ったわけですね。

【羽鳥】
ですから次の日に国税局の方が来た時に、
開口一番「何でも言ってください。
何億円でも何十億でも言われるだけ払いますから」と言った。

「もう覚悟を決めました」って。そうしたら、その日の午後2時頃に、
「状況は分かっていた。でもあまりに逆らうから
徹底的にやろうと思っていたけど、きょうで終わります。
あんたが心を開いてくれたんで、もういいですよ」と言って、
数億円かかるところを最終的には
1,000万円ちょっとくらいで解決してくれたんです。

こちらが心を開いていないと戦争になる。
でも開くと、サッと解決する。
そう気づかせてくれたのがおふくろであり、お坊さんの後ろ姿でした。


【『致知』キーワード】

・こちらが心を開いていないと戦争になる。
 でも開くと、サッと解決する。

          <感謝合掌 平成31年1月15日 頓首再拝>

アメリカの夫婦にみる養子縁組 - 伝統

2019/01/16 (Wed) 19:11:15

『絶対この子がいい!』
夫婦が一目ぼれをし、養子に決めたのはダウン症の中国人少女 しかしその後

(偶然見つけた動画ですが、魂レベルの高さを感じます。)

  → https://www.youtube.com/watch?v=YSp94IFDLSk

          <感謝合掌 平成31年1月16日 頓首再拝>

【ペルーに蒔かれた一粒の種の物語】 - 伝統

2019/02/23 (Sat) 18:48:46


~ ○ ~○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ ~ ○ 

加藤明(アキラ)は、母校の大学バレーボールチームを
学生日本一にした実績が認められ、

南米ペルーの女子バレーボールチームに
監督として招かれることになった。

ペルー各地から有望な18人の選手が集ると、

「練習は、土曜、日曜を除く毎日、夕方から5時間行う」

アキラは選手たちにそう言い渡した。

それまで、1日1時間程度の練習
しかしてこなかった選手たちは、
口々に不満を言い始めた。

家族と過ごす時間を持てなくなった選手の中には、
練習場まで家族を連れてくる者さえいた。

厳しい練習を見つめていたある父親は、

「うちの娘は、もっとやさしくされる権利がある。
この国ではそうだ。おまえの国とは違うんだ」

と、怒鳴るように言い、
選手を連れて帰ってしまったことさえあった。

毎晩、ランニングやレシーブなどの厳しい練習が繰り返され、
何人かの選手は、耐えられず辞めていった。

新聞にも、

「日本人監督が栄光の選手たちをやめさせた」

などと書かれた。

がっかりしたアキラを支えてくれたのは、
残った選手たちの明るさだった。

ペルーの娘たちの笑顔に接するたび、

「ペルーの選手たちと一緒に汗を流そう。
そして、いつかは世界のひのき舞台で活躍して、
一緒に喜び合おう」

そう心に誓った。

アキラはペルーの選手たちの素直さや快活さを、
もっと練習に採りいれられないだろうか、と考えた。

そのために、
いつも選手たちの父親のような存在でならなければ、
と思うようになっていた。

自分が教えた「上を向いて歩こう」や「さくら さくら」、
そしてペルーの唄などを一緒に歌った。

そうするうちに、選手たちは
アキラと家族のような結びつきを感じるようになっていった。

アキラも明るく純粋な
ペルーの選手たちにますます惹かれていった。

選手たちからペルーの歴史や文化、
習慣などを教えてもらい、

自分も次第に、
ペルーの人になっていくように感じた。

練習場では、キャプテンがペルーの言葉で
「オーレ」(がんばろう)と声をかけると、
日本語で「ハーイ」と答え、ボールを追いかける、

そんな風景が当り前になっていった。

練習場では、選手たちの
いつも元気な声が響きわたった。

・・・もう、辞めていく選手は
一人もいなくなっていた。

1967年、東京で、
世界女子バレーボール選手権が開かれた。

ペルーにとっては、
南米代表としての初めての大舞台。

アキラにとっては、
祖国での凱旋試合となった。

結果は、おしくも4位に終わった。

表彰式では、3位までのチームに
メダルが授与された。

4位だったペルーチームには、
拍手が送られただけだった。

それは、表彰式が終わり、
観客が席を立とうとした時だった。

突然、場内に
思いがけない歌声が響いた。

♪♪上を向いて歩こう。涙がこぼれないように――♪♪

ペルーの選手たちが、
鮮やかな日本語で歌い始めたのだった。

その姿は、悔しいけれど、泣くまいと涙をこらえ、
アキラのために一生懸命に歌っているようにも思えた。

そして、1位となった日本の選手たちが
歌声を響かせたペルーの選手たちのもとへ駆け寄り、

自分の首から金メダルをはずすと、
ペルーの選手たちにかけはじめた。

会場からは、われんばかりの拍手が起こった。

ペルーの選手たちは、
嬉しさと涙でくしゃくしゃになった顔で、
日本の選手たちと抱き合った。

アキラの目からも、
泪があふれそうだった。

そして・・・・

選手たちはこのとき、
アキラを本当の父親のように感じた。

「ペルーは泣いている」

1982年3月、ペルーの新聞は、
早すぎたアキラの死を大々的に報じた。

葬儀は、いつも使っていた練習場で行われ、
アキラの棺は、選手たちに担がれた。

数千人のペルーの人々に見送られ、
アキラは荼毘(だび)にふされた。

お骨は2つの箱に。

一つは、故国・日本に、

もう一つは、第二の故郷・ペルーで

アキラを埋葬するためだった。

それから9年たった1991年。

ペルーのアテ市に、
アキラの名前が付けられた小学校と中学校
【AKIRA KATO】が建てられた。

アキラの蒔いた国際親善の種は、
しっかりペルーの地に根付いたのだった。

(『心の物語 -これが最新 みんなのどうとく』より)

          <感謝合掌 平成31年2月23日 頓首再拝>

素晴らしい話3つ - 伝統

2019/04/04 (Thu) 19:46:02

中谷彰宏さんから聞いた 素晴らしい話3つ

         *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/08)より

超人気作家の中谷彰宏さんのご本は、
これまでたくさん読ませていただきました。

中谷さんの本は、読みやすいし、面白いし、元気になれます。

わたしは中谷さんの本を読んでいなければ、
本を書くことはなかったかもしれません。

中谷さんの本を読んでいると、
自分にも一冊くらい書けそうに思えてきました。

で、書いてみたら書けたのです。

中谷さんは、ものすごいスピードで書かれます。

年間、50冊~60冊くらいのハイペースで出版されているのではないでしょうか。

これまでに、1000冊以上の本を出版されています。

これだけ書いているのに、書きたいことはいくらでもあるそうです。

簡単に書いてあるのに、内容は深い。

達人です。


そんな中谷さんでも、20代の頃は、どん底だったそうです。

サラリーマンをしながら、ひたすらボツ原稿を書いていた時期です。

最初の本が出版されたのは、30歳の誕生日の前日でした。

それまでは、書いても書いてもボツの山。

その最初の1冊目も、編集長から4回の書き直しを言われたのです。

当時はワープロ原稿でなく、すべて手書きです。

それを4回書き直しの清書をさせられました。

結局、最初の原稿が一番いいということで、
最初の原稿が本になったのです。

人生においてこういう時期は必要なのでしょう。

ひたすらボツ原稿を書いていた時期があり、
それを乗りこえたから、いまの中谷さんがあるのです。


以前、中谷彰宏さんの講演を聴くことができました。

とてもよかったです。

テーマは、『人生の素晴らしさに気づく』

その中のひとつのお話です。


《人生に北側に感謝しよう》

   人生はゲタである。

   ゲタは木の幹の、北側の部分を使って作る。
   北側は、太陽が当たらない分、年輪の幅が狭い。
   年輪の幅が狭い分だけ、強い。

   人も、陽の当たらない時期に、強くなる。

   だから、人生の北側に、感謝しよう。


「人生はゲタである」

「人生の北側」

中谷さんは、こういうキャッチ〇ピーがうまいのです。

     *〇:コ

ところで、あなたは、いま人生のどちら側でしょうか。

もし、陽の当たらない「人生の北側」にいるのなら、
まさにいま、どんどん強くなっているのです。

そういう時期が過ごせたことを、あとで感謝できるほどに強くなるのです。


2つ目のお話です。

《「どん底」の人は人生を変える言葉と出合える》

   本当にやりたいことは、「どん底」まで行ったとき、見つかる。

   どん底にいる人は、詩人になる。

   だから、どん底にいる人は、
   何気ないけれど、人生を変える、素晴らしい言葉にめぐり合う。


必死に生きている人は、すごい感性をもっています。

何気ない言葉にも、鋭く反応できます。

豊かにその意味を味わえます。

ですから、人生を変える、素晴らしい言葉にどんどん出合えるのです。


では、最後に、『人生の素晴らしさに気づく』というテーマで、
中谷さんが最初にされたお話をご紹介しましょう。


《命のレンタル料はお金では支払えない》

   わたしたちは、命を神様からレンタルしている。

   そのレンタル料は、お金では支払えない。

   命のレンタル料は、人を幸せにすることで支払える。

   世界中の人を助けなくてもいい。

   誰か1人でも幸せにできればいい。

   そうすれば、レンタル料を払ったことになる。



この考え方は面白いです。

こんなふうに考えている人は、自分の命を決してムダにしないでしょう。

自分の幸せだけでなく、人の幸せを願って生きていけるでしょう。

神様は、わたしたちの幸せを望んでおられ、
わたしたちに幸せになってほしいから命を与えたのです。

わたしたちは、お礼に感謝をこめて、
「命のレンタル料」を払っていかなればなりません。

自分の幸せを追求することもできますが、
もっと価値ある「命のレンタル料」は、人を幸せにすることなのです。

まわりの人を1人でも、幸せにしてあげよう。

自分にできる小さなことを通して・・・ (^.^)

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/03/08/story-36/  )

          <感謝合掌 平成31年4月4日 頓首再拝>

おばあさんと郵便局女子職員のいい話 - 伝統

2019/04/06 (Sat) 18:42:49


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/19)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

おばあさんと郵便局女子職員のいい話

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

心温まるいい話、ある山村の郵便局に勤めている女子職員さんの話です。

見知らぬおばあさんが郵便局にやってきて、
「この手紙を読んでくださいよ」と葉書を差し出しました。

(おばあさんは、高齢のため細かい字が、読めなくなっていたのかもしれません)

女子職員は、やりかけの仕事をすばやくすませて、読んであげました。

(遠い都会に住む息子からの滅多に来ることのない音信だったのかもしれません)


すると、おばあさんは、「ありがとうございました」と礼を述べてから、
窓口で葉書を一枚買い、
「すみませんが、これにさっきの手紙の返事を書いてくだされや」と頼みました。

(おばあさんは、何かの事情で思うように文字が、書けなくなっていたのでしょう)


女子職員は少し驚いたものの、「ちょっと待っててね」と仕事を片付け、
おばあさんの言うのを聞いて返事の葉書を書いてあげました。

月日が過ぎました。

女子職員は、おばあさんのことをすっかり忘れていました。


とある晴れた秋の日のことです。

例のおばあさんが、また突然に姿をあらわしました。

背中に負っていた風呂敷包みを
「近くの山で拾った栗ですよ。この間のお礼です」と、
窓口にボンと置きました。

「おばあちゃん、郵便局はお礼を受け取るところじゃないのよ」
と女子職員が言うと、「なあに、山で拾ったんだから、よかんべさ」と笑います。

結局、栗は頂戴することにして、仕事が終わってから、職員皆で食べました。

それは、それはおいしかったこと。


女子職員は、ホカホカの栗を口にしながら、
人の「親切」ということついて思い巡らしました。

自分のしたささやな親切が、
時を経ても、おばあさんが忘れずにいてくれたこと。

おばあさんの親切返しが、自分や職場の同僚にも、
ささやかな幸せのぬくもりを広げたこと。

満ち足りた思いは、いつしか彼女の心からあふれでて、次のような言葉になりました。


   「私は女に生まれてきました。

   であるからには、やがて結婚し、妻になり母になるでしょう。

   そこで考えたのですが、人にとって大切なのは、
   “親切”ということだから、私はこの世でいちばん親切な妻、
   いちばん親切な母になろうと思います」


これは、以前NHKの「青年の主張」で語られた女子職員さんの体験談です。

この女子職員さんは今頃どうしていらっしゃるでしょうか?

私の勝手な想像ですが、
このような素敵な人をまわりの若い男性がほっておくわけがありません。
(でしょう?)

その後、彼女はお似合いの心優しい青年にプロポーズされ、
いまは幸せな妻、そして幸せな母となっているでしょう。

たぶん、いやきっと・・・。

親切にする人、親切を返す人は、祝福され、高められ、愛されるのだと思います。


   自分の仕事を通して人が喜ぶことをしてみよう。


そのささやかな親切が幸せを広げます。 (^.^)

出典:草柳大蔵著『25歳までのマナーの本
男女職業を問わずさわやかに生きる方法』(大和書房)

  ( https://lucky.t-nakai.work/2019/02/19/story-28/ )

          <感謝合掌 平成31年4月6日 頓首再拝>

見方を変えると希望が見える~ある病院での話 - 伝統

2019/04/08 (Mon) 20:25:32


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/09)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

見方を変えると希望が見える

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

ある病院に勤めている方から聞いた感動的な話です。


   寝たきりで首も動かせない男性が病室に運びこまれたとき、
   もうひとりの患者が窓際のベッドに横たわっていました。

   しばらして、お互いに親しくなると、
   窓際の患者は窓から外をながめて、
   外の世界についてくわしい話をしだしました。

   「今日はいい天気ですよー。青空にぽっかり雲が浮かんでいます。
   向かいにある公園の桜が咲き始めたところですよ」

   別の日には、

   「今日は風が強い日ですから、木の葉が揺れて、
   まるでダンスをおどっているようですよー」

   などと、寝たきりで首さえ動かせない彼に語って聞かせてあげたのです。

   彼は窓際の男性が語るその光景を想像することで、
   毎日毎日、心が慰められました。

   そして、ああ自分も外の世界が見えるように、
   早く病気を治そうと思うのでした。

   しばらくして、窓際の男性は退院することになりました。

   もう一人の男性は喜びました。

   「やった。これで、自分が外の世界を見ることができる。
   これからは、自分が窓の外の世界を見て、
   新入りの患者に話して聞かせてやろう」

   ナースにベッドを窓際に移すように頼むと、すぐに聞き入れてくれました。

   しかし、心躍らせて窓の外に目をやった彼は、愕然としました。

   窓は壁に面しており、外の世界など何も見えなかったのです。

   元、窓際の男性は、いったい何を見ていたのでしょう。

   彼の見ていたのは灰色の壁でしたが、
   その向こうにあるものを見ようとしていたのです。

   そして、彼はただ天井を見ることしかできず、
   いつも辛そうにしているルームメートのために、
   自分の思い描いた壁の向こうの世界を愛をこめて、
   話して聞かせてくれていたのです。



同じ壁を見て、ある人はその壁だけを見ます。

別の人はその先にある「希望」を見ます。

状況は同じであっても、見方によって見得るものは違います。


辛い困難な状況にいるとき、辛い困難な状況だけを見るは簡単です。

しかし、もう少し前向きに、もう少し積極的な見方をすることによって、
希望を、明るい局面を、私たちは見ることができるのです。


   見方を変えて、明るい局面も見よう。


壁の向こうに希望はありますから。 (^.^)

参考:

今日のエピソードと似たような話が、次の本にも載っていました。

ロビン・シャーマ著『3週間続ければ一生が変わる あなたを変える101の英知』

ベストセラーになっている、とてもよい本です。

●関連するいい言葉

「悲しめる心よ、落ちついて悔いるのをやめよ。
雲のうしろには太陽が輝いている。」 ロングフェロー(アメリカの詩人)

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/03/09/story-38/ )

          <感謝合掌 平成31年4月8日 頓首再拝>

人に伝えたくなる いい話「坊や、ありがとう」 - 伝統

2019/04/12 (Fri) 20:21:40


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/30)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆

「坊や、ありがとう」

★☆★☆★☆★☆★☆★☆

読み返すたびに感動する話です。


   知的な障害をもつ兄をもつ小学1年生の子(弟)の話です。

   入学式の日、その子の席のとなりに、
   小児麻痺で左腕が不自由な子が座りました。

   お母さんの心は揺れました。

   この子(弟)は、家では知的な障害をもつ兄がいるために
   いろいろ苦労して、学校では、小児麻痺のお友だちが横にいる。

   なんてかわいそうなことだ、
   いっそ学校を転校させようかと夫婦で悩みました。

   最初の体育のときでした。

   手が不自由な小児麻痺の子は、
   着替えるのに30分もかかってしまいました。

   でも、時間がかかっても、
   先生は、何も言わずこの子を放っておくことにしました。

   でも、二度目の体育の時間には、
   この子も他の子といっしょにきちんと並んで待っていました。

   どうしてだろうと思った先生は、
   次の体育の前の休み時間に、そっと陰から見ていました。

   すると、隣の子(弟)が、一生懸命に
   手の不自由な子が着替えるのを手伝ってあげていたのです。

   そして、その子が着替え終わると、
   二人で校庭に元気よく駆け出していったのです。

   先生は、やはり何も言わずに見守ることにしました。


   七夕の日のことです。

   ちょうど授業参観日でした。

   先生は子どもたちに願い事を書かせて、
   それを教室の笹に下げておきました。

   お母さんたちが集まったところで、
   先生は、一枚一枚、短冊を読んできました。

   一年生ですから、「あのおもちゃかってちょうだい」
   「おこずかいちょうだい」というようなことが書いてありました。


   その中に一枚だけ、こう書かれていました。

   「かみさま、ぼくのとなりのこのうでをなおしてあげてください」

   あの弟が書いたのものでした。


   先生は、この一途な祈りを読むと、もう我慢できなくなって、
   あの体育の時間のことを、お母さんたちに話しました。

   小児麻痺の子のお母さんは、
   子どもがどんなに教室で不自由しているのだろう、
   迷惑をかけているのだろう、申し訳ないことをしてしまったと、
   教室に入れずに、廊下からじっと様子を見ていました。


   が、先生の話を聞いたとき、突然、廊下から飛び込んできました。

   教室に入るなり、ぺったりを床に座り、
   この弟の首にしがみついて絶叫しました。


   「坊や、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう。
   ありがとう、ありがとう、ありがとう。・・・・」


   その声がいつまでも教室に響き渡ったそうです。


これは、鈴木健二さんのご本に載っていた話を要約したものです。

これまで何回も読みました。

その度に感動します。

まず、手の不自由な子のお母さんの心情に感動します。

お母さんが我を忘れて絶叫するほど感激したのは、
きっとそれまでに自分の子どものことで、
辛い思いをいっぱいされてきたからでしょう。


また、あの弟の態度に感心します。

あの弟が誰かに言われたわけでもないのに、
隣の子を手伝ってあげられたのは、
何かと不自由な兄とこれまで生活してきたからではないかと思います。

実は、彼はもっと幼い頃は、兄をバカにしていたのです。

でも、自分より弱い兄といっしょに生活することで、
人間として何よりも大切なことを学んでいったのでしょう。

弱い人には、力になってあげる。

困っている人には、助けてあげる。

簡単なようで難しいことを、当たり前のようにやって誇りもしない。

わたし自身は決してそんな人ではありません。

だから、余計にそんな人に接すると心から尊敬します。

あの子のもつ思いやりの心を、
わたしも含め、一人一人が持てれば、どれだけ素晴らしいことでしょうか。


    思いやりの心を行いにあらわそう。


人にあげられるものは、わたしたちの優しさです。

【出典】鈴木健二著『続 気くばりのすすめ』(講談社)

  ( https://lucky.t-nakai.work/2019/03/30/story-45/ )

          <感謝合掌 平成31年4月12日 頓首再拝>

人を幸せにする才能は誰にでもある - 伝統

2019/06/23 (Sun) 20:10:25


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/27)より

教職についていたとき、子どもたちに度々紹介した、
感動的な話があります。(泣けます)

NHKの元人気アナウンサー鈴木健二さんの『気くばりのすすめ』から、
「ある薄幸な少女」のエピソードです。

久しぶりに読んでまた泣けてきました。

本の6ページ分くらいを短く要約してご紹介します。


   ある薄幸な少女

   私(鈴木健二さん)は、津軽の弘前の旧制高校に行った。

   時代はちょうど戦争の最中。

   戦争が終わったときは、18歳だった。

   ある日、一人のアメリカ人牧師が、私を訪ねてきて言った。

   「いま日本には孤児がたくさんいます。
   私たちだけではとても手がまわりません。
   あなたも、子どもたちの面倒をみてもらえませんか」

   私は快く引き受けた。

   翌朝、牧師さんがやってきた。

   私はその姿を見て、腰をぬかさんばかりに驚いた。

   牧師さんは、下は3歳から上は13歳までの浮浪児を
   68人も連れてきたのである。

   18歳の私は、こうして68人の父親代わりになった。

   与えられたのは、窓ガラスが割れ放題の兵舎。

   私は毎朝3時に起きて68人分の朝食と
   学校に通う30人分の昼の弁当を作った。

   そして夕食も作った。

   そのうち津軽に冬が来た。

   粗末な兵舎は想像を絶するような寒さだった。

   私が板張りの上に寝具をしいて大の字に寝ると、
   そのまわりに小さな子どもたちが何人も集まって寝た。

   肌を寄せ合い、そうして寒さを凌いだ。

   私が毎日、必死に面倒を見なければならない
   68人の子どもの中に、一人の少女がいた。
   その子は精薄児だった。

   名前も年齢も、両親の名も、どこから来たかもわからない。

   たぶん、12、3歳くらいだったろうが、
   やせていて背も低く、おまけに耳が聞こえず、
   ほとんどしゃべれなかった。

   しかし、この少女は68人の中で誰よりも素晴らしい能力を
   発揮してくれたのである。

   それは洗濯だった。

   68人分の洗濯をこの少女は、毎日、朝から晩まで黙々とやってくれた。

   洗濯機などない。すべて手洗いである。

   彼女の手はしもやけとアカギレで饅頭のようにふくれあがり、
   しかも血だらけだった。

   私はこの少女にに何かお礼がしたいと思った。

   しかし、アメ一つ、せんべい一つない生活である。

   私が「ありがとう」、
   小さな子たちが「おねえちゃん、ありがとう」と言うと、
   おそらく態度でわかるのだろう、かすかに微笑してくれた。

   それが、その子にしてあげられるただ一つのお礼だった。

   その後まもなく、孤児院を世話する後継者が何人か現われ
   私はその孤児院を去った。

   その1週間後、少女は、施設の門の前で車にはねられて即死した。
   耳が不自由だったあの子は、クラクションの音に気づかなかったのだろう。


   だが、私はこの幸薄い少女との交友を通して学んだことがある。

   それは神様は、どんな人間にも、
   1つだけは、他人にない素晴らしい才能を与えてくださっている
   ということである。

   あの子は洗濯をすることで自分のもっている才能を発揮した。

   あの子はその才能を自分のためにも生かし、
   67人の子どもたちにも分け与えて死んでいった。

   私はいまでも、あの子は、今日も天国のどこかできっと
   皆の洗濯をしてやっていると信じている。


鈴木さんは書いています。

「人間の価値とはどのように生きたかの質の問題である。
その意味であの子は実に素晴らしい価値ある人生を送ったのである」

才能は誰にでも与えられています。

その才能で早くに活躍する人も、晩年になって開花させる人もいます。

世間の人が誰もが注目する才能の持ち主も、
世間の人が誰もが注目することのない才能の持ち主もいます。

才能の多い、少ないはあります。

でも、人の役に立たない才能などない。

才能を使って自分を生かし、人のためにもなるようなことができると思います。


人のために洗濯をする。

人のために食事を作る。

人のために何かできる。


それは素晴らしい才能です。


そんな才能を与えられているのであれば、
素晴らしい価値ある人生を送る可能性を私たちはもっているのだと思います。


   自分に与えられた才能を役立てよう。


人を幸せにする才能があなたにもあります。(^.^)

【出典】鈴木健二著『気くばりのすすめ』

  ( https://lucky.t-nakai.work/2019/03/27/story-44/ )

           <感謝合掌 令和元年6月23日 頓首再拝>

人は変われる ~「ヤクザさん」のお話 - 伝統

2019/06/25 (Tue) 18:59:55


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/02)より


山元加津子さんという養護学校の先生のお話CDを聴きました。

そのプロフィールには、

「愛称「かっこちゃん」。
主婦、母親、作家の四役を日々笑顔でこなしている女性。

「好き、すき、大好き」を基本においた出会いを大切にして、
「生きているとうれしいことがいっぱい」の毎日を追及している。

子どもだけでなく、心をとじていた大人たちの心を開き、
奇跡のような出来事に驚きの声があがっている」

とありました。


お話を聴いて、私も驚き、感動しました。


今日はそのなかで「ヤクザさん」のお話をご紹介します。

山元さんが、ご自身の講演会で東京に行ったとき、
初めて乗る山の手線の中でのことでした。

扉が開いて、電車に乗ると、車内に異様に緊張した空気が漂っていました。

電車の真ん中で、五十歳くらいの大きな黒い服の男性が、
大きな声で怒鳴りながら、高校生の胸元をつかんで殴っていたのです。


ふつうなら、こんなとき、まわりの人はどうするでしょうか。

ヘタに関わり合いにならないように見てみぬふりをする。

自分は怪我をしないようにやや遠ざかる。

そういうものではないでしょうか。

実際、その場に居合わせた人の態度とはそうでした。

または、急いで車掌さんか警察に知らせる。

あるいは、腕力に自信があれば、相手がヤクザでも、
自分で止めに入れる人がいるかもしれません。


その時、腕力にまったく自信のない山元さんが
どういう行動をとったか、と言いますと、これが驚きなのです。

今から考えると、どうしてそんなふうにしたのか、
ご本人にもよくわからないのだそうですが、

山元さんは、その大きな男の人の心がとても辛そうで、さびしそうに思えて、
その人を抱きしめながら、

「大丈夫だから、怖くないから、大丈夫だから」

と言っていたのです。


なんていうことでしょう。

頭がゆがむ思いです。

相手は初対面の、しかも誰もが怖れる男(ヤクザ)です。

暴力をふるっているのはこのヤクザ、
怖いのはまわりの人でしょう、と言いたくなる場面です。


それを「大丈夫だから、怖くないから、大丈夫だから」と
そのヤクザを抱きしめて、慰めてあげているのです。


このヤクザも他の乗客も、一瞬、信じられなかったでしょう。

しかし、現実に山元さんは本能的にそう行動していたのです。

「ね、怖くないです。大丈夫」

そう繰り返して、顔をのぞきこんだそのとき、
最初は鋭くにらみつけていたそのヤクザさんの目からぽろぽろ涙がこぼれてきました。

(ああ、やはり、この人にはとても辛いことがあるのだな)

山元さんはそう思ったそうです。

それにしても、なぜ山元さんはそんなことができたのでしょうか。

たぶん山元さんが日々接している障害をもつ子どもたちの辛さと、
その男の人が辛さがどこか深いところでつながっていることを
山元さんの心が感知したからではないかと私は思います。


養護学校でいっしょに生活して女の子が、
何かの理由で、とても辛くて仕方なくなるときに、
突然暴れることがあったそうです。

その子の身体を抱きしめていると、
体中の怒りや辛さが少しずつ薄らいでくるような経験が
毎日あったからかもしれないと山元さん自身おっしゃっています。

その後、ふたりはその場で「お友達」になり、別れては文通をするようになります。

そして、このヤクザさんは次第に変わっていくのです。


「人は変われるものですね。こんな僕がかっこさんと会って、
虫にも気持ちがあると知りました。こんな僕が本を読んでいる。
そして人の気持ちを思いやろうとしている」

そう手紙に書いてきたこともあります。

もしからしたら今頃は、別の世界で働いているかもしれません。


やさしさは、人の心を開くものだなと思います。

そして、やさしさは人の心を変えていくのだなと思います。

人の辛いことや悲しいことに共感しないで、
その人を変えようと思っても、おそらくダメでしょう。


でも、やさしく包みこんであげることができれば、
その人は自分で変わっていくのです。

山元加津子さんの「ヤクザさん」の話を聴きながらそう思いました。

でも、皆様は電車で人に抱きつくなんてことはしないでくださいね。

かのヤクザさんも、後で、

「もうそんなことしちゃダメだよ。
僕はたまたまやさしい極道だけど、そうじゃない人も多いのだから」

と、今さっき人を殴っていたのを忘れたみたいに言っていたそうです。(笑)

     【 人にやさしさをもって接しよう。  】

やさしさは人の心を変えていきます。(^.^)

【出典】山元加津子著『好き好き大好きの魔法』

今日の話は、この本の「ヤクザさんのお人柄」という話にもっと詳しく出ています。

    ( https://lucky.t-nakai.work/2019/05/02/story-59/ )


<参考>

「ヤクザさんのお人柄」(山元加津子)
  → http://sarabatabako.cocolog-nifty.com/sbt/2008/03/3_3bfa.html

           <感謝合掌 令和元年6月25日 頓首再拝>

志は受け継がれる(ある神学生が死を前にして願ったこと) - 伝統

2020/03/12 (Thu) 14:12:28


         *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/23)より

▼あるメキシコ人の神学生の感動的な話です。

この神学生とともに同じ神学校で学んでいた日本人の神父さん(当時は学生)から
先日、直接にお話を聴きました。


   スペインのパンプローナ市にある国際神学校で勉強していた、
   一人のメキシコ人神学生の話です。

   母国メキシコの小神学校(中学高校)を優秀な成績で卒業して、
   百人近い生徒の中から選ばれて、18歳でスペイン留学に送られて来ました。

   司祭になるという堅い決意と誇りが言葉や行いに溢れ出ていました。

   ところが、2年目に腸に癌が発見されました。

   母国に帰って腸を摘出する手術をして、一命を取り留めて、
   再びスペインに戻って来ました。

   下腹部には消化・排泄の器具を取り付けた辛い生活が始まりました。

   でも、本人は楽天家で笑顔を絶やさずに頑張りました。

   そんなある日、突然に彼の母親が亡くなったという知らせが届きました。

   それでも、彼は涙を見せることはありませんでした。

   悲しみに耐え、聖堂の一番前列で膝付いて
   長く祈っている後姿が目に焼きついています。

   ところが、ある日の朝食に彼の姿が見えませんでした。

   異変を感じて部屋に行くと、痛みで苦しんで動けなくなっていました。

   癌が全身に転移していたのです。余命数ヶ月でした。

   彼は、その時も人前で涙を見せませんでした。

   寿命を知った彼は、たった一つことを願いました。

   それは、一緒に生活していた神学生130名全員と一対一で話すことでした。

   一人ずつ呼ばれて彼の病室に入って行きました。

   「自分はもう神父になる夢は叶わない。
   自分の分まで神父になって頑張ってほしい」

   話を終えた神学生は一人残らず涙を流して部屋から出てくるのですが、
   本人は相変わらず快活でした。

   彼の目は輝いていました。

   けっして希望を失った悲しい顔ではありませんでした。

   それどころか、誰よりも幸福そうでした。


▼このメキシコ人の神学生は、間もなく亡くなります。

しかし、彼は自分の運命を悲しむ様子を、最後まで見せませんでした。

母の死や自分の死に直面して、
彼は自分の人生の意味や自分の使命を誰よりも真剣に考えたはずです。

現実は、自分が夢みたこととは、少し違ったのですが、
彼は自分に神が望まれていることを悟り、安らかに受け入れたのです。

自分の使命は神父になって多くの人のために働くことではない。

自分の出会った友たちを一人ひとりを励まし、天国から応援し続けることだと。


▼彼の遺言のような励ましを受けた神学生たちは、
その後、神父になり、それぞれの国に帰り、多くの人々のために働いています。


私に話を聴かせてくださったY神父もそうです。

彼は高校を卒業して、すぐにスペインの国際神学校に行き、
その後、ローマやエルサレムで、語学や哲学・聖書学・神学を修めた人です。

言葉も習慣もまったく違う異国の地で、
ひとり勉強を続けていくのは苦しい時期もあったそうです。

しかし、志を見失わずに、神父になって帰国することができたのは、
あのメキシコ人神学生のおかげでもあると言っています。

神にすべてをゆだねたメキシコ人神学生の志は、
世界中に散った友たちに受け継がれているのです。


▼今日のお話は、カトリックの神父さんのお話なので、
ちょっと理解しがたいところがあったかもしれません。

ただ、宗教を抜きにいえることもあると思うのです。

人を幸せにしたいという志は、人を動かすということ。

そして、人に受け継がれるものだということです。

時間や空間を越えて、人の思いは受け継がれていきます。

それが気高く尊いものなら、なおさら。

私たちも、誰かのそんな大切な思いを胸に秘めて、
日々、歩み続けているのではないでしょうか。


   人を幸せにしたいという志は受け継がれるものです。 (^.^)

・・・・・・・・・・・・・・・

【出典】 Y神父さんのお話

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/05/23/story-71/ )

           <感謝合掌 令和2年3月12日 頓首再拝>

名言タクシードライバー - 伝統

2020/04/05 (Sun) 23:31:42


       *メルマガ「名言セラピー」(2020.04.04)
        ~「この星にSpark JOY その19」

さて
昨日に引き続き、ひすいの最初で最後の師範代
まことさんが、今、タクシードライバーの体験をまとめて
書籍化に挑戦しています。


まことさんは、
ただのタクシードライバーではないんです。

お客さんを背中で感じて、
そのお客さんに感じたことを言葉にして
赤信号の時に書いて、プレゼントするという
伝説の名言タクシードライバーになったんです。

その名言カードに 感動して
泣き崩れるお客さんも現れ始め、
いろんな物語が生まれて
それをまとめた書籍です。



まことさんが今、執筆中の中から一話ご紹介しますね。


-------------------

曇り空の早朝、
まだ静かな街で女性が手を挙げ、タクシーを拾おうとしていた。

髪の短い女性が細い腕を伸ばし、
横には大きなキャリーケースとバッグが。

その女性の雰囲気からは、どうもただの旅行などではなく、
何かを断ち切り、故郷に帰ることにした、
そんな強い決断をしたあとのような印象を受けた。


微かに風で揺れている街路樹の前で立っているその女性の前に
減速してタクシーを停めてゆっくりとドアを開けると、
そんな印象とは裏腹に、うつ向いて弱々しく掠れた声で、



「新大阪へ……」



その女性はそう行き先を告げると、
もう力が抜け落ちたかのようにゆっくりと深くシートにもたれかかった。
かなり涙を流したのか、頬のあたりもはれていた。

もしかしたら、彼女にとってはこれが最後の大阪なのかな。
もしそうなら、新大阪駅へ向かう僅かな間、
このタクシーの中だけでも楽しんでもらえたらと、
そんな思いを巡らせながらクルマを走らせていた。


暫くすると桜橋の交差点で赤信号になった。
信号待ちをしている間に、僕はペンと名刺サイズの「名言カード」なるものを
胸ポケットから取り出して、彼女の何かを感じて、
浮かんできた言葉を、一筆、カードに綴った。

そして、その「名言カード」を「どうぞ」と彼女に手渡した。




「雲の向こうはいつも青空」





その女性はずっとうつ向いていたので、
一瞬でもいいから上を向いてほしい。
そんな思いが浮かんできて、曇り空、雲、雲の向こうには青空があるはず、
そんな気持ちを込めて書いた。
それに上を向くと自然に明るいことを考える、と聞いたことがあったから。


その女性は、うつ向いていた顔を少しだけ上げると、
不思議そうに、けど両手で、僕の差し出した名言カードを受け取ってくれた。
その後も、車内は沈黙のままだった。
やがて、新淀川大橋が見えてきた。
この橋を渡ると、まもなく新大阪駅だ。


スロープを降り、降車レーンに入り、やはりまだ静かな駅にタクシーを停めて、
再びゆっくりとドアを開けるとそのお客さんは初めて口を開いてくれた。


「大阪へ来て、いい思い出は何もなかったけど、
 最後にひとつ、いい思い出ができました」


そして乗車した時の、か細い声とは違ってしっかりとした口調で、
「ありがとうございます」
と言って降りて行かれた。


タクシーの仕事は、もちろん乗客さんを目的地へお送りするのが仕事だ。

安全と経路を気をつければ、それだけでいいのかもしれない。
もちろん名言カードなんて、必要のないことだ。

でも、こんな「サプライズ」でもあったら喜んでもらえるかな、
暗い顔の乗客さんには、少しでも笑顔になってもらえたらと
名言カードをプレゼントさせてもらっている。


彼女の後ろ姿を見送りながら僕はこう思った。
大丈夫、あなたは運がいい。

これだけタクシーがあふれている中で僕のタクシーに乗ったのだから……。

その時、曇り空の隙間から、ほんの少し光が差してきた。

やっぱり、雲の向こうはいつも青空だ。
ありがとう。

まこと

---------------------「名言タクシードライバー」より。


           <感謝合掌 令和2年4月5日 頓首再拝>

笑いたい奴には笑わせておけ - 伝統

2020/04/07 (Tue) 23:24:00


      *Web「「魂が震える話」ブログ」(2016-05-03)より

一生懸命にやっている人を小馬鹿にするのは、
自分がかなわないから笑うことで逃げているのだ。

そうすることによって、己のちっぽけな自尊心を満足させているに過ぎない。

俺の場合のみならず、この世の誰も、
一生懸命に物事に打ち込んでいる人間を馬鹿にすることは許されざる行為だ。

格好をつけて、泥臭く頑張る人間を馬鹿にする奴もいるが、
そんなことをする権利は誰にもない。

特にその経験をしていない奴、行動を起こす気もない奴が、
無責任に勝手なことをいうのは言語道断だ。


結局、笑いたい奴には笑わせておけばいいのである。


いつか誰かが認めてくれるかもしれないし、もしそうならなくても、
「俺はやり通した」という充実感がそこにあれば、それはそれでいいのだ。

_______


「花が咲こうと咲くまいと 生きていることが花なんだ」

アントニオ猪木 著

経済界より

_______


俳優の杉良太郎さんによる復興支援の時のインタビューが、
インターネット上で話題になっています。

「偽善とか売名と言われることもあると思いますが…」

と聞かれた杉さんが、


「ああ、偽善で売名ですよ。
 偽善のために今まで数十億を自腹で使ってきたんです。

 私のことをそういうふうにおっしゃる方々も
 ぜひ自腹で数十億出して名前を売ったらいいですよ」

と語ったそうです。


また、「寄付したくてもできない」という方々に向けられた言葉もあります。

「福祉をやるには確かに時間とお金がかかる。
 特にお金がないと見栄えのいい福祉はできません。

 でも、お金がない人は時間を寄付すればいい。

 お金も時間もない人は、福祉に対する理解を示し、
 実際に活動をしている人に拍手を送るだけで十分。

 それでもう立派な福祉家なんです。
 福祉ってそういうもんです」


あんまり言いたくはありませんでしたが、
熊本に救援物資を運んだとき、往復で約3日かかったのですが、
そのときの睡眠時間は3日で45分でした。

賛否もあるし、色んなご意見もあると思いますが、
自分はそれでも構いませんでした。

被災されている方を思えば、その位なんてこと無い!
自分に出来ることをするだけだ!

って気持ちしかありません。

今なお苦しみと闘っている方や、支援している人も沢山います。

自分も継続的に支援の形を変えながらも、支援していきます。

偽善かもしれないし、笑われることも、馬鹿にされることもあるけれど、
自分は自分のしたいようにしていきます♪


そんなとき、坂本龍馬の言葉が身にしみるのです。

「世の人は我を何とも言わば言え 我がなす事は我のみぞ知る」

   ( https://ameblo.jp/and-kei/entry-12156365268.html )

           <感謝合掌 令和2年4月7日 頓首再拝>

奥さんの足の裏をもんで気づいたこと(東井義雄) - 伝統

2020/05/23 (Sat) 22:57:24


        Web:今日も良いことがあるように(2019/05/16)より

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

「すまんのはこっちだ」

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

兵庫県の養父市での講演に三重県から来られた,
メルマガ【心の糧】読者の安田和弘さんから、1冊のご本をいただきました。

神渡良平著『孤独になる前に読んでおきたい10の物語』

この本には、様々な素晴らしい方の物語が取り上げられています。

その中の一人、兵庫県の但馬地方の教育者、
東井(とおい)義雄先生のことをご紹介します。


▼東井義雄(1912~1991)先生は、食べる物も欠く貧しい生活のなかで、
教職を志し、寺の住職でありながら、小学校教師として、
子ども、親、村を育てる素晴らしい教育を実践。

「教育界の国宝」と言われ、ペスタロッチ賞、平和文化賞、小砂丘忠義賞、
文部省教育功労賞受賞などを受賞されている方です。

東井義雄記念館もできています。


▼本の中には、東井義雄先生のこんな物語がありました。

短く要約してお伝えします。


東井先生が、講演先で尊敬する方から、

「ぜひ足の裏をもませてください」

と頼まれ、恐れ多くも、そうしていただきました。


そして、その方から宿題を出されます。

「先生が留守の間、お寺を守っていらっしゃる奥さんに
同じことをして差し上げてください」と。

東井先生は、寺に帰ると、
訳を話して奥さんに足の裏をもませてくれるように頼みました。

無論、奥さんは嫌がります。

しかし、尊敬する先生と約束したことだからと頼み込んで、足袋をぬがせました。

愕然としました。

現れたのは、熊の足のようなゴツゴツした足の裏だったのです。

(気づかなかった。ちっとも気づかなかった)

自分が教職者としてチョーク一本をにぎって教えているときに、
妻が寺を守るために、重い薪(たきぎ)や農作物を背負って、
岩角がゴツゴツした山道を歩いてきた長年の苦労に、思いが至りました。

奥さんの足をもませてもらいながら、東井先生は目頭が熱くなりました。

(自分は、先生、先生とあがめられて、ついついいい気になっていた。
教育の世界では何かを成し遂げたかもしれないが、
人間的には、家内のほうがずっとすぐれている。

そんな家内に自分は感謝してきただろうか・・・)


▼そんな経緯から、次のような詩が生まれたそうです。

「何もしてあげることができなくてすみません」

ポツリとそんなことを言う妻

「何もしてあげることができなくてすまん」のはこっちだ

着るものから、食べるものから、

パンツの洗濯までしてもらってばかりで、

「何もしてあげることができなくて」いるのはこっちだ

しかも妻に「すみません」といわれるまで

「すまんのはこっちだ」ということさえ気づかなかった

こっちこそ

ほんとうにすまん


▼東井義雄先生は、謙虚で誠実で、物事への気づきが深く、
人間ひとり一人を大切にした素晴らしい教師でした。

こんな詩を書かれ、信条とされていました。

    どの子も子どもは星

どの子も子どもは星

みんなそれぞれがそれぞれの光をいただいて
まばたきしている

ぼくの光を見てくださいとまばたきしている

わたしの光も見てくださいとまばたきしている
光を見てやろう

まばたきに 応えてやろう

光を見てもらえないと子どもの星は光を消す

まばたきをやめる

まばたきをやめてしまおうとしはじめている星はないか

光を消してしまおうとしている星はないか

光を見てやろう

まばたきに応えてやろう

そして
やんちゃ者からはやんちゃ者の光

おとなしい子からはおとなしい子の光

気のはやい子からは気のはやい子の光

ゆっくりやさんからはゆっくりやさんの光

男の子からは男の子の光

女の子からは女の子の光

天いっぱいに

子どもの星を
かがやかせよう

『東井義雄詩集』より



私たちも間違いなく誰かに支えられています。 (^.^)

【出典】神渡良平著『孤独になる前に読んでおきたい10の物語』
これまで神渡良平さんが講演やご本で紹介された感動的な話を取り上げた素晴らしい本です。

私の講演会を主催してくださった西村徹先生の話も取り上げられています。
西村先生は、東井先生の校長時代の最後の教え子。
そして、その教えを継ぎ素晴らしい教師になっておられます。

『東井義雄一日一言 いのちの言葉』の編著者でもある方です。

  (https://lucky.t-nakai.work/2019/05/16/story-66/ )

     ・・・

<参照>

  * 東井義雄さんの言葉

     (1)こころの教えー東井義雄
        http://denhichi.blog105.fc2.com/blog-entry-102.html

     (2)名言
        http://www.meigennavi.net/kw/t/toui-yoshio.htm

     (3)本流宣言掲示板「お母さんの偉大な力 」
        http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=943

           <感謝合掌 令和2年5月23日 頓首再拝>

Re: ちょっとした「いい話」 - gikewxhmtkMail URL

2020/08/29 (Sat) 22:01:53

伝統板・第二
[url=http://www.gyi108i930x2js73f0dw0e2p7s3c0s5cs.org/]ugikewxhmtk[/url]
<a href="http://www.gyi108i930x2js73f0dw0e2p7s3c0s5cs.org/">agikewxhmtk</a>
gikewxhmtk http://www.gyi108i930x2js73f0dw0e2p7s3c0s5cs.org/

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.