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稲荷神社

1:夕刻版 :

2015/11/05 (Thu) 19:03:23

スレッド「日本の神さまと上手に暮らす法」において、
直近の記事(2015/10/31)において、「稲荷神社」が紹介されております。
  (→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6599821

そこで、このスレッドでは、「稲荷神社」について、紹介してまいります。



《「伏見稲荷」の秘密》

金閣寺、清水寺を抑え…外国人人気No.1「伏見稲荷」の秘密

        *産経新聞(2014) 7月5日(土)16時0分配信

世界最大の旅行口コミサイト「トリップアドバイザー」(米国)の
「外国人に人気の日本の観光スポット」部門で、
京都市伏見区の伏見稲荷(いなり)大社が2014年の第1位に輝いた。

約1300年の歴史を持ち、「千本鳥居」など1万基以上はあるといわれる
朱の鳥居で知られる「お稲荷さん」の総本宮だ。

毎年正月には西日本随一の初詣客でにぎわうが、
意外なことに世界文化遺産「古都京都」を構成する17件の文化財には含まれていない。

数年前から急激に増えたという外国人観光客たちは、いったい何に魅せられているのか。
稲荷大神様が鎮座する稲荷山(標高233メートル)を訪ね、秘密を探った。

                           (京都総局、北崎諒子)


《口コミで人気は世界的に拡散》

『ここは外せません。なぜならここは旅行中に見たどんなところにも似ていない、
唯一無二の場所だからです』

トリップアドバイザーのサイトをのぞくと、
豪州人旅行者が伏見稲荷大社について書き込んだコメントがあった。

トリップアドバイザーは、世界40カ国でサイトを展開している世界最大の旅行口コミサイトだ。
400万件以上の宿泊施設や観光名所などが紹介され、
1億5千万件以上もの口コミ情報が寄せられている。

「外国人に人気の日本の観光スポット」は、4年前からスタートした。
2014年のランキングは、昨年4月から今年4月までに投稿された
外国人たちの5段階評価や投稿数などをもとに、同サイトが独自に集計した。

伏見稲荷大社は、2011年6位、12年3位、13年2位と着実に順位を上げ、
今年(平成26年、2014年)ついに1位を獲得した。

ちなみに、2014年の2位は「広島平和記念資料館」(広島市)で、
3位は「厳島神社」(広島県廿日市市)。
京都からは、「金閣寺」(北区)が4位、「清水寺」(東山区)が7位にランクインした。

世界遺産を押しのけて伏見稲荷大社が1位になったことに、
トリップアドバイザー日本法人の広報担当者は
「朱色の鳥居が山の上まで連綿と続く光景に神秘さを感じる人が多い」と分析する。


《数年前から外国人トラベラーが急増》

伏見稲荷大社の岸朝次禰宜によると、「変化」を感じ始めたのは3、4年前から。
「アジア系だけでなく欧米の観光客も増え、平日もにぎやかになってきました」という。

 
実際に外国人観光客たちの声を集めるため、伏見稲荷大社を訪ねてみた。
取材で使うにはあまりにも語学力が心許ないため、
質問項目を英文で大きく書き込んだノートを持参した。

まず稲荷山頂上まで同行取材させてもらおうと声をかけたのが、
米ハワイから来たというホテル従業員、コレイ・キャンベルさん(35)だ。

コレイさんは8年前に秋田県で英語教師をしていたころに初めて伏見稲荷大社を訪れ、
今回が2回目だという。

「山頂に行くにつれて人が少なくなって穏やかな気持ちになる。
朱い鳥居と山の緑の色合いに日本の平和の心を感じる」

コレイさんは、伏見稲荷大社の魅力を語ってくれた。

確かに、平日に中腹の四ツ辻あたりを過ぎると、人はまばらになって朱と緑の世界に包まれる。
小さな帽子を被った神様のお使い・キツネの像を参道脇に見つけたコレイさんは、
気に入った様子で熱心にカメラを向けていた。

頂上まで30~40分ほど。

下山する途中では、鳥居が木漏れ日で鮮やかなオレンジに染まり、
コレイさんは「きれいな色・・・」と感激した様子でまたカメラのシャッターを切っていた。


《京都駅から近く、フリーも高評価》

四ツ辻の茶屋で休憩していたドイツのエンジニア、ダニー・ハネスさん(42)にも質問してみた。
「山頂まで登るのはきつくて大変だけど、景色もよくて鳥居がきれい。
伏見稲荷大社は他の京都の観光地と違って、自然が豊かで建物が建て込んでいないところがいい」
と笑顔を見せた。

 
トリップアドバイザーで鳥居の写真を見て来たという豪州人も、
「森の色とのコントラストがきれい」と語った。

他にも、「鳥居が印象的で、不思議な気分になる。山を登るのも楽しい」(スペイン人、フランス人)、
「色がカラフル。きれいで広い」(クロアチア人)、
「建物が少ないところや自然があるところが気に入った」(ドイツ人)といった声を聞いた。

 
JR京都駅からわずか2駅で、駅前から歩いてすぐに参道につながるという絶好の立地条件も、
人気の要因の一つになっているようだ。

「JR京都駅に近く、独特の雰囲気がいい」(タイ人)。
ネット上では、「フリー(無料)」という点も高く評価されている。


《自由な芸術感覚でまつられる庶民の神様》

米国の東洋文化研究者で、著述家のアレックス・カーさんは著書「美しき日本の残像」
(新潮社、平成5年)で、伏見稲荷大社の魅力をこう紹介している。

『何千、何万の鳥居の列が山の上まで永遠のように続き、人もほとんど来ないので
あたりは静かな朱の世界になる。中国から伝わった道教の神の色の朱は伏見稲荷大社では
圧倒的な存在力を放ち、道教のマジックを醸し出している。さらに、無秩序に並んだ
さまざまな形の塚が雑然と並んでいる光景には、日本人の自由な芸術感覚が表われている』

 
伏見稲荷大社の1万基以上の鳥居は、願い事がかなったことへの御礼に鳥居を奉納する習慣が、
江戸時代以降に広がったことがはじまりとされる。無秩序で、決して計画的とはいえなくても、
日本人の信仰心と感謝の積み重ねが、今のお稲荷さんを形作ってきた。

 
外国人トラベラーたちがその伏見稲荷大社に不思議な魅力や美しさを感じるのだとすれば、
確かにこれほど面白い場所はない。

 
中村陽宮司は、公式サイトでこう綴っている。

「伏見稲荷大社は人々が幸せを求める『庶民の信仰の社』であり、
『神様と自然と人とが共生する社叢(しゃそう)・稲荷山』であるということを大切にし、
次の世代へと護り伝えていく使命が我々にはあります」。

その思いはいま、国境を越え世界に広がっている。

世界遺産ではないにもかかわらず、世界中の人々を魅了し続けている伏見稲荷大社。

岸禰宜は「もちろん、世界遺産登録を目指したい気持ちはありますが、
登録申請の体制が整ってこなかった。まずは申請の基準になる国宝指定を目指したい」と話している。

            <感謝合掌 平成27年11月5日 頓首再拝>
2:伝統 :

2015/11/07 (Sat) 19:25:37

明日(11月8日)は、【伏見稲荷大社 火焚祭、鞴祭(ふいごまつり)】が行なわれます。


(1)秋の収穫後、五穀の豊饒を感謝する祭り「火焚(ひたき)祭」は、
   万物を育てたもう稲荷大神のご神恩に感謝する祭典で、
   古来より伝統ある行事として広く知られます。


(2)「伏見稲荷火焚祭」は、俗に「鞴(ふいご)祭り」と呼ばれ、
   各地で行われる火焚(ひたき)の中でも特に有名です。


(3)稲荷神社は鍛冶の守護神とされ、
   鍛冶屋・鋳物屋など火を使う職業の人々の信仰をも集めます。

   もともと御火焚(おひたき)は江戸時代から京都を中心に行われてきた神事で
   「ほたけ」「おほたけ」ともいいます。

   陰暦11月に社前において火を焚き、祝詞や神楽でもって神意を慰めるものです。
   平素の罪や穢れを祓い、心身を清めるため、参拝者は火焚串を奉納します。

   本殿で神事が執り行われたのち、神苑斎場にて全国崇敬者から奉納された
   数十万本の「火焚串」を焚きあげます。

   火の持つ霊力によって願いが叶うといわれます。

   宮司以下神職をはじめ参列者一同、大祓詞を奉唱して、罪障消滅、万福招来を祈ります。


   (http://www.e-kyoto.net/saiji2/610


            <感謝合掌 平成27年11月7日 頓首再拝>
3:伝統 :

2015/11/11 (Wed) 18:51:51


          *Webより

全国に32000社あり、日本の神社の中で最大の勢力を持つのが稲荷神社で、
その総本社は京都の伏見稲荷です。

この稲荷の由来について、山城国風土記に次のような記述があります。

秦中家忌寸らの祖先である伊呂具は稲梁を積み上げるほど裕福だったが富におごり、
餅を的として矢を射たところ、餅は白い鳥に化して飛び去り、山の峰に止まった。
そこに稲が実ったので、ここの神社を「いなり」と呼ぶのである。

その子孫の代になると前の伊呂具の非を悔い、その社の木を家に持ち帰り神を祭った。
今でもその木を植えて根付けば福があり、枯れると福がないと言われている。


この物語について伴信友らは元々の形としては、餅を的にするようなことをしたために
穀霊が逃げてしまい土地が荒れ家も衰えたのを、子孫が悔いてきちんとお祭りしたため
元どおり豊かになったという話だったのではないか、と考察しています。

これからすると稲荷はやはり「稲生り」あるいは「稲成り」だったようです。
現在でも全国でほんの何社かだけ「稲生」とか「稲成」と書くいなり神社があります。

この神社の具体的な始まりの時期について
鎌倉時代の「年中行事秘抄」や室町時代の「二十二社註式」では和銅年間に
伊奈利山の三つの峰に神が示現したのでこれを祭ったとされています。

          ・・・

    創建は和銅四年(711)で、平成23年(2011)は創建1300年にあたった。


          ・・・

もともとこの三つの峰には同じ神が祭られていたのではないかと考察されているようですが、
文徳実録に天安元年(857)に「稲荷神三前に正四位下を授ける」という記事があり、
これが神の数が3柱になっている最初のようです。

また、この3柱の神が一体何かということについては諸説あったようですが現在は

  下社(中央座) 宇迦之御魂大神
  中社(北座)  佐田彦大神
  上社(南座)  大宮能売大神

          ・・・

   ①宇迦之御魂大神

    古事記では「須佐之男命」と「神大市比姫(かむおおいちひめ)」との間に生まれた神様
    と記されており、この両神様の間には兄弟神として「大年神(おおとしのかみ)」という
    神様もおられます。

    この大年神様の「年」と言う字は「稲」を意味しており
    宇迦之御魂之大神様の「宇迦」も稲を中心とする食物を意味しているようです。


   ②佐田彦大神様は降臨してくる天孫を先導する為、その道の途中に待機していた
    道開きの神「猿田彦神」に同一とされております。

    つまり、「サルタ」が「サタ」に変化して
    「佐田彦」となったかと考えられているようです。

    「サルタ」と言う語は「先導」とか「先端」を意味するとも考えられるようですが
    「日本書紀」によると、猿田彦神は伊勢の狭長田に降り立ったとされており、
    この「サナダ」も「サルタ」も神聖な田を意味するとも言うそうです。

   
   ③大宮能売大神

    『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命(あめのうずめのみこと)とも申し
    神祇官に祀られた八神のうちの一柱として朝廷で重視された女神です。

    大宮能売神は「延喜式」祝詞の大殿祭(おおとのほがい)に宮殿内が平穏である様、
    守護する働きを持つ神と称えられました。

    又、「古語拾遺」では、太玉命(ふとだまのみこと)の子で
    女官が善言美詞(にぜんげんびし)よって君臣のあいだを和らげる様な働きをする
    と説明されております。

      <Web:ご神仏さまの部屋 より
           http://anitanchuchu.blog.fc2.com/blog-entry-99.html
           http://anitanchuchu.blog.fc2.com/blog-entry-110.html >

          ・・・ 

とされ、これに

  田中社(最北座)  田中大神
  四大神社(最南座) 四大神

          ・・・

   ④田中大神さまや四大神の御名は、平安時代末の藤原頼長の日記である
    「台記(たいき)」に見られ、「神祇拾遺」によれば弘長三年(1263)に
    この二座を加え五座とされたという記述があります。

    伏見稲荷大社では「元は稲荷神と何らかの深い関わりがある地主神、
    あるいは土着神的傾向が濃厚であるようです」としております。(伏見稲荷大社HP)

    様々な資料や専門家諸氏のお話しをお聞きしても本当に謎だらけの田中社でございます。

  
   ⑤四大神(しのおおかみ) 

    紀朝臣(きのあそん)に代わり、秦氏一族が稲荷山一帯で勢力を誇る様になり
    稲荷山の三が峰に稲荷大神がご鎮座されました。

    秦氏に信奉されてくるにつれて紀氏の人達は荒神峰に鎮めた別雷神を祀る
    大八嶋神社を改めて山裾の藤尾(ふじのを)の地に遷しました。

    そして、別雷神と紀氏の祖先である武内宿禰、宿禰と縁深い八幡神(応神天皇)と
    その御母であられる神功皇后とを併せて四大神という名で呼ぶようになったそうであります。

    御本殿最北端座に奉祀されている田中社に相対して
    大八嶋社は御本殿最南端に御奉祀されております。

    そして田中社のご鎮座の由来が定かではないのと同様に伏見稲荷大社の境内の禁足地に
    「大八嶋社」は四大神が社殿を持たない神として祭祀されております。

      <Web:ご神仏さまの部屋 より
           http://anitanchuchu.blog.fc2.com/blog-entry-121.html 
           http://anitanchuchu.blog.fc2.com/blog-entry-126.html >

          ・・・

を加えて5座を祭っています。

この5座の中で一般に稲荷の神の中核と考えられているのは、宇迦之御魂(うかのみたま)神で、
この神は古事記によれば須佐之男神と神大市姫との間の子供で、
大年神の妹であるということになっており、

また延喜式では伊勢神宮外宮の神豊受大神と同体であるとされ、
また一般に五穀の発祥の元の保食神、そしていざなぎ・いざなみが産んだ
阿波国の神大宜都姫とも同体であるとされます。いづれにしても穀物の神です。


稲荷は比較的新しい世代に属する神ですが、この神を奉じていたのは秦氏の一族です。
秦氏ではこの神社の神官を完全な世襲ではなく、一族の中で最も霊的な力の大きな人が継ぐ形で
祭祀を続けていたと言われます。

そしてこの神社を全国的な神社に発展させたのは弘法大師空海でした。

色々な伝説があるようですが、空海が東寺を作るとき、稲荷の山の木を勝手に切り出したため
稲荷の神が怒って害をなしたため、空海が謝って、その後逆にこの神社をよく崇敬し、
空海の人気が全国に広まるとともに稲荷神社も全国に広がったとも言われます。

   (http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/miya/inari.htm

<参考Web>

(1)大社マップ
      http://inari.jp/trip/map01/

(2)ガイドブックス(伏見稲荷大社)
      https://gbooks.jp/article/18380

            <感謝合掌 平成27年11月11日 頓首再拝>
4:伝統 :

2015/11/13 (Fri) 20:13:25


              *Web:寺社関連の豆知識「お稲荷さま」より

(1)稲荷社は全国四万社、小さな祠堂まで含めると百万あるといわれる。

(2)稲荷五社大明神

   伏見稲荷大社の祭神は、(宇迦之御魂大神(下社)、佐田彦大神(中社)、
   大宮能売大神(上社)、田中大神(下社摂社)、四之大神(中社摂社)の
   稲荷五社大明神である。

   これらの神々は渡来氏族である秦氏の氏神、
   あるいは空海に東寺の守護を約束した土地の神などと伝えられる。

  ①宇迦之御魂大神の「宇迦」は「うけ」(食物)の古形で、
   食物を主宰する神の保食津神、御饌津神とも混同されているが、

   須佐之男命が大山津見の娘、大市比売を妻にして生んだ神の名であり、
   漢字で倉稲魂と表わされることもある。
   稲に宿った神であり、「稲を荷う」「稲の成る」神、つまり五穀豊穣の神とされている。

  ②佐田彦大神は、海陸の道路を守る神であり、
   通商貿易の事にも万事を善き方に導く神とされる。

   皇城巽(京都の東南)方向にある鎮護神(都を護る神)
   また熊野御幸の道中守護の神として、朝廷からも尊崇されていた。

  ③大宮能売大神は神座舞踏の始祖であり、歌舞音曲の神として、さらに寿命の延長を守り、
   愛敬の神として一家の和合商売繁盛を守護する神とされる。

   稲荷社は、愛法の神、女性の出世栄達の神としても崇敬された。
   「愛法」とは、元来は真理に対する愛、つまり執着のことだが、
   転じて愛を獲得する呪法の神とされた。
 
  ④田中大神、四之大神は後年に加えられた神で由来は不詳であり
   土産神でないかと推測されている。


(3)「いなり」の由来

  ①「山城国風土記」の「紀伊郡の伊奈利社」の由来によれば、和銅四年(711)
   秦伊呂具(または伊呂巨)は、ある日お餅をこねて矢を射る的を作り、矢を射かけたところ、
   お餅は白い鳥に姿を変え、かなたの山の峰に飛び去った。

   白い鳥の舞い降りた峰には稲がたわわに実り、伊呂具はこの出来事を
   神様のなされたことと思い、そこに社を建てた。
   これがおいなりさんのはじめとされる。
   (この物語は祭神は相違するが全国に分布する白鳥伝説とも類似している。)
 
  ②京の地では、西北の愛宕山付近でよく雷が発生し、東南にあたる稲荷山へ抜けることが多い。
   稲荷山は雷の「稲妻」を多く受けていることから、「稲も成る」と考えられてきたようだ。


(4)東寺との関係

   淳和天皇の御代・天長4年(827)、天皇の健康がすぐれないために占いをしたところ、
   東寺の塔をつくる材木として稲荷社の樹を伐った祟りであるということで、
   内舎人の大中臣雄良を遣わして従五位下の神階が授けられたとある。

   空海(弘法大師)が東寺の造営を委ねられたのは弘仁14年(823)で、
   伽藍構築途中での事で、その後、東寺の守護神として祭られた。

   その後、神階が進み最高位の正一位になった。
   なお、正一位は稲荷が有名だが多くの神々が授けられている。


(5)初午

   平安時代から、京洛の人々が行楽気分で初午(2月に入って初めての牛の日をいい、
   通常は2月下旬から3月中旬の間であり、春めいた頃)に稲荷大社を詣でる風習があった。


      きさらぎや けふ初午の しるしとて 稲荷の杉は もとつ葉もなし
                               新撰六帖   光俊朝臣

   「初午に参詣した人々が、そのしるしとして、各々が杉の小枝をとっていくものだから、
   この日の稲荷山の杉はすっかり葉がなくなってしまった」とあるように、
   “初午”と“しるしの杉”が切りはなせない関係にあった。

   しかし「しるしの杉」は必ずしも「初午」とだけ結びついたものではない。
   その後、初午の風習は全国に広まり、稲荷社の祭礼として有名になった。


(6)狐と眷属

   お稲荷さんの狐は、眷属といって神様の一族のような資格を与えられており、
   そのため狐は稲荷神そのものだという誤解をあたえている。

   お稲荷さんと狐の関係は、いくつかの説がある。

  ①稲荷の神が「食物の神」つまり御饌神(みけつかみ)なので、その「みけつ」が
   いつか三狐(みけつね)さらに御狐(おけつね)に転じたことにより
   「狐神」の信仰が生じたという。


  ②あるいは、稲荷神がのちに密教の保食津神、荼枳尼天(仏教では夜叉の類で女性の悪鬼)
   と本迹関係を結んだことを重視し、荼枳尼天のまたがる狐がそのまま稲荷神の眷属と
   されたのだという説も一般に流布している。


  ③また、空海の弟子・真雅僧正の著といわれている「稲荷流記」には、
   平安初期の弘仁年間(810~24)のこととして、平安京の北郊・船岡山の麓に棲む
   年老いた白狐の夫婦の話が記述されている。

   この狐夫婦は、心根が善良で、常々世のため人のために尽くしたいと願っていたが、
   畜生の身であっては、所詮その願いを果たすことはできない。
 
   そこで、狐夫婦はある日、五匹の子狐をともなって、稲荷山に参拝し、
   「今日より当社の御眷属となりて神威をかり、この願いを果たさん」と、社前にお祈りした。
   すると、たちまち神壇が鳴動し、稲荷神のおごそかな託宣がくだった。

   「そなたたちの願いを聞き許す。されば、今より長く当社の仕者となりて、
   参詣の人、信仰の輩を扶け憐むべし」

   こうして、狐夫婦は稲荷山に移り棲み稲荷神の慈悲と付託にこたえるべく日夜精進に努めるた。
   男狐はオススキ・女狐はアコマチという名を明神から授けられたという。

   稲荷社の眷族神として命婦(白狐)社が祀られるようになり、
   稲荷山で狐に仕える祈祷師や巫女が活躍した。

   この白狐は、美女に化けると信じられていた。
   こんなことから「おいなりさん」と白狐は切っても切れない関係となった。


(7)稲荷信仰の隆盛

  ①稲荷はまた、鍛冶神でもある。
   稲荷の化身である白狐が、三条小鍛冶宗近(平安末期に刀匠)を助けて
   勅命の剣を製作したとされ、毎年十一月の火焚祭(吹革祭)が始まったといわれている。

  ②伏見の稲荷の神は、その土地柄ゆえだろうか、
   その後、農業神としてよりも「商売繁盛の神」へと次第に発展していった。

  ③京都で隆盛とともに、商業の発達する江戸時代には爆発的な人気が出て、
   鍛冶業者をはじめ、各種の同業者組合が「稲荷講」を結び、
   屋敷神としても盛んに勧請されていった。

   この結果、江戸市中では「伊勢屋稲荷に犬の糞」といわれるまでに増えた。

      (http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/inari.html

            <感謝合掌 平成27年11月13日 頓首再拝>
5:伝統 :

2015/11/14 (Sat) 19:24:43


              *Web:寺社関連の豆知識「お稲荷さま」より

(1)稲荷と朱

  ①神社には一部に丹塗りを施した建物は珍しくないが、稲荷社は本殿まで朱塗りで、
   とりわけ朱のイメージが強く、朱は稲荷神の徳を表わすともいわれている。

  ②なぜ朱がシンボルカラーになったのかはっきりしないが、稲荷山に火の行者がいたという説や、
   鍛冶あるいは落雷によってよく山火事が発生することからの火焔のイメージからかもしれない。
   ともあれ、中世には火焔の玉と白狐は稲荷のシンボルとなった。


(2)稲荷と千本鳥居

  ①稲荷山にある千本鳥居の起源は意外に新しい。
   稲荷の人気が高まった江戸中期、日本一の大鳥居を造立しようと「肝煎講」が結成され、
   朱の鳥居が建立された。

  ②19世紀になると、「奥宮(命婦谷)」が整備され、山の神蹟(お塚、すなわち
   稲荷山中の祠のこと)で民間習俗の「狐下げ」(狐つきの病気を祓うこと)が盛んとなり
   信者個々人による朱の鳥居建納が陸続として始まった。

  ③しかし明治になり、お塚は前近代的な怪しい宗教活動だとしてたびたび禁止されたが、
   熱心なお塚の信者たちは「稲荷講社」を設立、普及活動は一層盛んとなり、
   朱の鳥居はどんどん増え続け、稲荷山全域に朱いトンネルとなって広がっていった。

   (実業之日本社「神社と神々」井上順孝監修、智恵の森文庫「欲望を叶える神仏・ご利益案内」
    小松和彦他監修、伏見稲荷大社ホームページ等から転載)

      (http://www.geocities.jp/mitaka_makita/kaisetu/inari.html


(3)伏見稲荷大社の鳥居の数を数えよう

   3381基 です!! (※2010年2月21日現在)

   → http://fleshwords.web.fc2.com/jikken/ji25/ji25_1.htm


            <感謝合掌 平成27年11月14日 頓首再拝>
6:伝統 :

2015/11/15 (Sun) 18:21:03


            *Web:稲荷神社 より

稲荷の中には豊川稲荷(曹洞宗)や最上稲荷(法華宗)のように
ダキニ天を祀る仏教系の稲荷もあります。

ダキニは胎蔵マンダラにも描かれていますが
カーリー女神の侍女で、人間の肝を食う夜叉でした。

しかし肝を食われては食われた人間が死んでしまうではないかとお釈迦様に叱られ、
お釈迦様からもう命運の尽きた人を見分ける力を与えられて、
そういう人の肝だけを食うようになったと言われます。

ここからダキニ天の外法が派生しており、この外法では自分の肝をダキニ天に捧げる密約をすると、
ダキニ天がその人の願いを何でも叶えてくれると言われ、
徳川家康はその外法によって天下を取ったという俗説があります。

一方では財福を招く次のような観念法もあります。

ダキニ天の種字「カン」を念じ、その字が心臓となり、ダキニ天に変化し、
更に文殊菩薩に変化して再びダキニ天に戻る様子を観想するのです。
これがうまく行けば、ダキニ天はいつもその人に財産や福徳をもたらしてくれるとされます。

このダキニ天は平安時代末期~室町時代頃から狐の精と考えられるようになり、
そこから稲荷と結び付いたようです
。剣と宝珠を持ち白狐にまたがった姿で、三面二臂の像や、天女の姿の像などが作られています。

      (http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/miya/inari.htm

            <感謝合掌 平成27年11月15日 頓首再拝>
7:伝統 :

2015/11/17 (Tue) 18:24:13


         *Web:人に内在する良心神(神言会)(2015.07.29)より

2年連続、外国人達の行ってよかった場所の一位が京都になりましたが、
そうした外国人さん達に人気がある場所の一つが「伏見稲荷大社」です。

しかし、ほとんどの方は「千本鳥居」で帰ってしまわれるようです。

私の別HPに「あなたの知らない伏見稲荷山」がありますが、
伏見稲荷山で検索しても何故かこの「あなたの知らない伏見稲荷山」が出て来ません。
たぶん、「あなたが知らないが」先にあるからでしょう。


伏見稲荷山に行く時に、どこを参ったらいいのかとの質問をよく受けます。

伏見稲荷大社に参拝される方は、お山一周はあったとしても
「ほとんど御存知無い無い場所」があります。

私は伏見稲荷山で数年間に渡って修業をさせていただきましたので、
奇跡の数々や摩訶不思議を体験・見聞して来ました。

本質的に伏見稲荷山は、外国の方が物見遊山に来られる場所ではなくて、神聖な信仰のお山です。
信仰が篤い方達が登って来られることから「奇跡の摩訶不思議」も見られましたが、
そうしたこともこれからは消えて行くかと思われます。


このブログにリンクさせてはありますが、
ここで、私の別HP「あなたの知らない伏見稲荷山」を出しておきますので、
伏見稲荷山にお参りされる方は参考にしてください。
     ( http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=371 )


あなたの知らない伏見稲荷山
  → http://inariyama.com/shasinn/

            <感謝合掌 平成27年11月17日 頓首再拝>
8:伝統 :

2015/11/19 (Thu) 20:01:58


         *Web:稲荷信仰/稲荷神顕現伝承 より要点を抜粋

(1)伏見稲荷大社、創建伝承

  ①延喜式・神名帳(927撰上)に
   『彼の社の禰宜(ネギ)祝(ハフリ)らが申状にいふ、この神、和銅年中(708~14)、
   始めて伊奈利山の三箇峰にあらはれ在したまふ』とあることなどから、
   8世紀初頭というのが一般の認識である。

  ②その創建に関する伝承には大きくみて秦氏系と荷田氏系のふたつの流れがある。
   ここでは、前者を「伊奈利伝承」後者を「稲荷伝承」と区別して記す。
   なお、どちらもイナリと読む。

(2)「伊奈利伝承」

  ①伊奈利伝承に類するものとして、豊後国風土記・冒頭に
   『景行天皇の頃、豊国の長として派遣された菟名手(ウナテ)が豊前国・中臣村に宿ったとき、
   翌日の明け方多くの白い鳥が飛来して村に舞い降り、見ている間に餅となり、
   更に数千株の芋草(イモ)となった。その花葉は冬になっても枯れなかった。

   ウナテは不思議なことと思い天皇に報告した。
   これを聞いた天皇は喜び、ウナテに豊国直(トヨクニのアタイ)の姓(カバネ)を与えた。
   ここから豊国と呼ぶようになった』(大意)との一文がある。

   風土記に多い地名起源説話のひとつだが、その因となった白鳥は穀霊そのもの、
   あるいは穀霊を運ぶものとして記されている。

  ②一方、同風土記・田野の条には
   『昔、田野の野はよく肥えていて食べ物が有り余るほどだった。農民たちは富み奢り、
   ある時、餅を的として弓を射たところ餅が白鳥となって飛び去った。その年のうちに
   農民は死に絶え、水田を耕す人もなくなり田畑は荒れはててしまった』(大意)

   との一文があり、ここでは、餅が白鳥となって飛び去った後に破滅がもたらされている。
   豊かさをもたらす穀霊が飛び去ったためである。

  ③伊奈利伝承での餅は“穀物の霊=穀霊”であり、白鳥は穀霊あるいはその運搬者である。
   食物である餅を弓の的としたために、餅に潜んでいた穀霊が白鳥となって飛び去った
   というのは風土記・田野条と同じである。

   ただ、それが破滅をもたらすのではなく、
   近くの山に留まって稲と化したというのが異なっている。

  ④わが国には古くから、年の初めに四方の邪気を祓い天下泰平・五穀豊穣を祈って弓を引き、
   併せてその年の豊凶を占う『射弓の神事』が広くおこなわれてきた(今も残っている)。
   伊奈利伝承でイログが弓を射たのも正月の予祝儀礼だったのかもしれない。

   ただ、餅を的にしたのが誤りで、
   そのため本来豊饒をもたらしてくれるはずの穀霊が飛び去ったともいえる。

(3)稲荷伝承

  ①伊奈利伝承に対して、イナリ神の顕現を“稲を荷なう老翁”に求める伝承がある。
   伏見稲荷で秦氏とともに神官を勤めた荷田氏系の伝承という。

  ②稲荷大明神流記(南北朝時代)によれば、
   『弘仁7年(816)4月の頃、弘法大師が紀州田辺の宿で、身の丈八尺あまりの
   異相の老翁に遇った。

   (これを神と知った)大師は、鎮護国家のため密教紹隆の道場・東寺において
   神の加護を待つと告げると、老翁はそのみぎりには必ず参会して大師の法命を守るであろう、
   と答えた。

   降って弘仁14年(823)4月13日、彼の紀州の老翁が、稲を担い杉の葉を提げ、
   二人の女性と二人の童子をともなって東寺の南門にやってきた。
   大師は喜んでこれを歓待し、道俗もこれに習った。

   老翁は、しばらく柴守の家に寄宿していたが、
   その間大師は東寺の杣山に勝地を定めて17日間鎮壇し、稲荷の老翁を神として祀った』(大意)
   とあり、これによれば、伊奈利伝承より約100年ほど遅れての顕現となる。

  ③また東寺に伝わる稲荷大明神縁起には、

   『100年の昔から、当山の麓には「竜頭太」(リュウトウタ)という山の神が住んでいた。
   その面は龍のようで、光り輝き、昼は田を作り夜は薪をとっていた。
   稲を荷づくことから、姓を「荷田」といった。
 
   弘仁のころ、弘法大師がこの山で修行していると、竜頭太が現れて
   「吾は当の山の神である。仏法を守護しようと願っているので、真言の妙味を説いてほしい。
   そしたら、当山を大師に譲りわたそうと思う」といった。

   大師は喜んで法を説き、その面を写してご神体として東寺の竈殿(台所)に安置した。
 
   大師は、竜頭太から稲荷山を譲り受けた後、稲荷明神をこの地に勧請した。
   その時、山麓には藤尾大明神が鎮座していたが、嵯峨天皇に奏上して深草に遷座せしめた』
   (大意)

   との伝承が記されている。

   竜頭太とは自ら名乗るように山の神で、その龍のような姿からみて
   雷神・水神的神格をもつ田の神すなわち穀霊である。
   山の住む精霊あるいはカミの初現の姿ということもできる。

(4)2つの伝承からの考察

   このふたつの伝承を合わせると、秦氏のいう伊奈利神の鎮座以前から、
   稲荷山には竜頭太なる山の神が鎮座していたが、
   弘法大師の来山を機に稲荷山を大師に譲渡した。

   その後、稲を荷づく翁=稲荷神の来訪をうけた大師は、譲り受けた稲荷山に齋き祀った。
   その際、山麓にあった藤尾大明神を深草に遷し、その跡に社を建立した、ということになる。
   稲を荷づく翁=稲荷神とは、山の神・竜頭太の化身とみることもできる。


(5)秦氏と荷田氏
   前述のように、伏見大社の神官(社家)には秦氏系と荷田氏系がある。

  ①秦氏

   新撰姓氏禄(815撰上)では、「応神天皇14年に127県の百姓を引き連れて帰化した
   弓月王の子孫とされる氏族で、秦始皇帝の後裔」とするが、始皇帝云々は
   中華思想によって祖先を中国に結びつけたもので、
   実態は朝鮮半島からやってきた渡来人だろうという(新羅国に波旦-ハタ-の地名があったという)。

   秦氏は、多くの渡来人の中の有力氏族で、京の太秦を根拠に絹織技能・稲作技術などを
   もって朝廷から優遇された。聖徳太子に仕えた秦河勝が有名。
   伊奈利伝承にいう秦伊侶具は、松尾大社を祀った本家筋・秦忌寸都理の弟との説がある。

  ②荷田氏

   伝承では、雄略天皇の皇子・磐城王の後裔というが出自不明。
   秦氏進出以前から深草辺りにいた有力氏族とも、秦氏の傍流との説もあり、よくわからない。
   この系譜から、江戸中期の国学者・荷田春満(アズママロ、1669~1736)が出ている。


(6)イナリ(鋳成)伝承

   イナリを稲荷ではなく鋳成と解すれば、イナリ神は“鍛冶の神”とみることができる。

  ①一条院の命により三条小鍛治宗近が御剣を打とうとしたとき、相槌を打つ者がおらず、
   困った宗近が稲荷明神に祈願したところ、童男に化したイナリ神が顕れて相槌を勤めたこと
   により名刀を打ちあげたという伝承。
   (伏見稲荷大社/お山巡りを参照 → http://www.y-tohara.com/inari-sankeiki.html

  ②伏見稲荷では、毎年11月8日(午後)に火焚祭が行われ、
   稲荷大神に五穀の豊穣を感謝する祭というが、本来は、
   和漢三才図会(1712)に

   「稲荷神社 祭礼 御火焼(オヒタキ)は11月8日、今の世、鍛冶この日を
   鞴祭(フイゴマツリ)と称す。古、三条小鍛治宗近と云ふ者刀剣を作りて有りしが
   未だ如意ならず。是に於て当山の埴土を以て銘刃に堪ふことを覚へて名誉を得たり。
   以て当社の加護となり、今に冶工・釘工に至るまで総て稲荷を尊信す」
  
   江戸年中行事(1851)に
   「11月8日鞴祭 此日鍛冶・鋳物師・白銀細工 すべて吸草(フイゴ)を使う職人 
   稲荷の神を祭る。俗にほたてと云、ほたては火焼く也」
   とあるように、鍛冶職人等が鍛冶作業の安全と家業繁栄を感謝する祭で、
   全国から鍛冶関係の人々が集まったという。

   (http://www.y-tohara.com/inari-densyou.html

            <感謝合掌 平成27年11月19日 頓首再拝>
9:伝統 :

2015/11/22 (Sun) 19:03:52


            *Web:Misuzu Official Site より


日本には、昔から、自然霊などを操る術師が存在していました。

(現在でも、少数存在します)

私の実家の近くにも、稲荷のエネルギーを利用して人や物の捜索や、
霊との交信をしていらしたお婆ちゃんが住んでおられました。

とても、小柄で可愛らしいお婆ちゃんで、私の師匠とも親しい関係でした。

相談者が来られると、「ちょっと待っちょってな~」と、
巫女の衣装にお着替えされて、祝詞を挙げられる姿が、チャーミングで大好きでした。


そのお婆ちゃんは、稲荷のエネルギーを、捜索対象物に飛ばして、
その現状を視る・・・という術の使い手でした。

毎朝、稲荷神社へ参拝し、お掃除をして祝詞を挙げ、
御揚げさんをお供えしてから、相談者を受け入れていました。


自然・動物、神仏、ご先祖、お稲荷さんを敬って、大切に大切にしておられました。

しかし、そのお婆ちゃんが亡くなってからは、後継者が無く、
お婆ちゃんのお家の周りで、稲荷の障りが多く見られるようになりました。


師匠と、そのエネルギーを鎮め、治めるとき、大きなお稲荷さんが、

「人間は、我々の里を壊し、山を汚した・・・。
今まで、人間に時と力を授けてきたが、ここまでとしよう・・・。」と、仰いました。


お稲荷さんは、田畑の恵みや、自然の恩恵を司るエネルギー。。

そのエネルギーが宿るべきモノが無くなってしまったら、
そのエネルギーは何処へ宿るのでしょう?


霊能者の中には、

簡単に狐憑きとして除霊してしまう方も多くいらっしゃるようですが・・・

なぜ、狐憑きが起こったのか・・・

原因を理解すべきなのです。


食べ物を粗末にしたり、嘘や大風呂敷を広げがちな人に、多く憑依します。。

(支配霊としてのお稲荷さんと、狐憑きのエネルギーとは、別格として考えてください))



全国どこでも、悲しいかな・・・
管理されていないお稲荷を多く視ます。

殆んどが、昔、人の為に人に使われたお稲荷・・・。。

もっと、農作物や山・川・海の恵み・・
自然に感謝して生きなければ・・・。

大変なことになっています・・・。




最近、家に大量の狐のエネルギーが入ってきました。
勿論、メッセージを届けに来てくれたのですが、
私が管理しきれなくて動けなくってしまいました。


体が動かずに困っていると・・・

そこへ、正義の味方サスケマンが登場!!!

大きな(オデブな?)体で威嚇して、私の体から狐さんを出してくれました。


その後も、クンクン部屋中を嗅ぎまわり、出ていった窓をカリカリ・・・

強いぞ!!サスケマン!!

ヨモギ姫は、怯えていました;あらま・・・。。



「狐が憑いて災いを起こしている!」と言われたら・・・

まず、原因を考えましょう!

傲慢・カネゴン・欲張り・食べ物を粗末に・・・していませんかぁ~??(笑)



無理に高いお金を出して、除霊しなくても、狐さん結構、
人霊より聞き分け良いかも・・

(稀に、聞き分けの悪い奴もいますが・・・;本当に、稀です;)



気付き、反省することで、セルフ浄霊出来るんです。

セルフの方が、断然お徳です♪

「敬う心」忘れちゃいけないんです・・・何事も。。

       (http://misuzu-message.com/modules/tinyd0/index.php?id=113


            <感謝合掌 平成27年11月22日 頓首再拝>
10:伝統 :

2015/11/24 (Tue) 19:31:16


         *Web:豊受稲荷本宮 より

稲荷神社には稲荷大神が祀られているが、単一の神ではなく、
稲荷五社とも言われているように複数の神が奉祀されている。

しかし、その中核を形成しているのは佐田彦大神(又の名はサルタヒコ)と
大宮能売大神(又の名はアメノウズメ)と宇迦之御魂大神の三柱の神である。

古伝では、ニニギノミコトが天降りしようとしたとき、
天の八衢(やちまた)に立って高天原から葦原中国までを照らす神が迎えに来ていた。

その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、
またホオズキのように照り輝いているという勇姿であったという。

天照大神と高木神がアメノウズメに命じて、一体誰であるかと尋ねると、
その神は国津神のサルタヒコと名乗り、ニニギノミコトらの先導をしようと
迎えに来たと述べたのであった。

サルタヒコは天津神による葦原中国への降臨に先立ち、その土地をくまなくまとめ上げていた
国津神の偉大な棟梁であった。その神が天孫降臨を率先して受け入れたことで、
葦原中国は、たちまちまとまった国として誕生することができたのである。

それまでは氏族集合体であった地域が一挙に国として生まれ変わる接点に
サルタヒコの存在が大きかったことが、この神話から伺える。

二十一世紀の今日でも、アフガニスタンあるいはアフリカ諸地域で氏族集団の話し合いが進まず
国家の体をなさないところがある中で、日本ははるか古代いち早く国としてのまとまりを
形成できたのも強力なサルタヒコの率先指導力によるところが大きい。

サルタヒコが一戦も交えず、降臨したニニギノミコトの案内役を進んでかって出る前に、
アメノウズメが言葉ではなく女性的魅力を前面に押し出して説得したことも重要な意味を持っている。

男性たるサルタヒコに理屈を超越した説得を試みたアメノウズメノミコトの見事な手並みが、
この神話から明らかに読み取れる。

くどくどと説明説得したわけでも、脅かしでもなく、サルタヒコが即座に態度を変え、
ニニギノミコト一行の中津国の誕生の尖兵を務めたのである。

サルタヒコの最初のサという音は、サッとかわる身替わりの早さを表すとも言われる。

サルタヒコはアメノウズメノミコトとここで結婚したのである。
この二柱の神が仲良く手を携えて道標の神として立つのが道祖神である。
この神話を語り伝えてきた日本人は、古くから稲荷社の横に道祖神を添えてきた。

サルタヒコはアメノウズメノミコトと結びつくことで、
高天原へのホットラインを得たことになった。
つまり神々と直接話のできるシャーマンに変貌することになったのである。

昔も今も稲荷社にシャーマン的素質を持つ人間が集まってくるのは、
この神話の影響によるものであろう。
神話の力は、単なる昔話ではなく、今も健在なのである。


《砂澤たまゑ著『霊能一代』》

これは昨年まで伏見稲荷を中心に活躍した希有のシャーマン、
砂澤たまゑ師の一代記を記した本です。
彼女は伏見稲荷大社講務本庁で最大の支部、三丹支部の支部長を長年つとめました。

お寺の鐘を造る鋳物師を父に、稲荷教教会の娘を母に大正十一年兵庫県に生まれました。
父も母も熱心な稲荷信者でしたが、彼女は生まれつき霊能があり、
七歳の頃には、どこからか不思議な声が聞こえ、他の人がわからないことが
、霊感ですぐ分かるようになっていたといいます。

この本には彼女の予知力、透視力、治癒力や神との交流の実例のほか、
厳しい滝行修行のことも記されています。

たまゑ師が確信していたことは、お稲荷様が、施しの神であるということです。

人間の特徴は昔も今も欲深いことです。
この欠点を克服するには他者に施しをすることだと、彼女は繰り返し説いています。

稲荷行者としてたまゑ師が特に勧めたのはお塚の建立です。
稲荷山には数万を超える塚が林立していますが、
これは個人の信ずる自分の守護神の拠り所です。

彼女自身七基も建立していますが、信徒にもお塚の建立を勧めましたが、
中にはお不動様のお塚もあり、そこでは声高々に般若心経を唱える信徒がいます。
神仏習合の伏見稲荷大社にして初めて見られる光景でしょう。

稲荷行者としてたまゑ師が強調したのは、白狐と蛇とお不動さんを大事にすることです。
特に巳さん(蛇)、龍神系尊重を勧めています。

本書を丁寧に読むと、現実社会でいろいろな悩みを抱える一般信徒への接し方に
大きなヒントが得られると、当宮の坂寄総務も本書を絶賛しています。

総務の読後感を記しておきます。

「私も最近、先代の声が聞こえたり、仏像に祈ると、分かったというサインをもらったり、
ときどきいたずらする狐の姿を見かけたりするようになりましたが、小さいときから
八十歳を越える時まで修行し続けて、霊能一筋に生きたたまゑ師には遠く及びません。

一世を風靡した稲荷行者にならい、信徒の幸福を願いつつ、
私もなお一層の修行に励みたいと願っています。」

 (http://www.yutakainari.jp/index.php?FrontPage → コラム欄をチェック)

            <感謝合掌 平成27年11月24日 頓首再拝>
11:伝統 :

2015/11/27 (Fri) 19:39:33

上の記事「佐田彦大神とシャーマン」で触れてありました「霊能一代」より
参考として、要点を以降何回かに分けて紹介してまいります。

            *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

著者の砂澤たまゑさんは
伏見稲荷大社直轄の講社の三丹支部の支部長を長年つとめられたという方。

<この書の目次>

   神さまと不思議

   希有な霊能力者が語る神秘体験の数々……。

   稲荷信仰の験力と奇瑞。

   予知力・透視・透聴・霊視・治癒力、神との交流……、

   宗教本来の力を身をもってよみがえらせ、

   厳しい修行と人助けに一生を捧げた宗教家の

   心豊かな無私の人生。

            ~新元社 HPより引用


(1)死にたくても自分の意志に反して助かってしまう。
   ほかの原因で死にかけてもいつも助かってしまう。

   こんな経験を何度もして、人間の寿命というのは決まっており、
   おいそれと変えられるものではないということを身をもって悟りました。

   その人の定められた寿命が尽きるまでは、神様が死ぬことを許されないのです。
   寿命は神様がお与えになられたものであり、
   人はその時が来なければ○ねるものではないのです。
   *○:死

(2)(砂澤さんの)の守護神である稲荷神から
   「◯◯年◯◯月◯◯日に大変なことが起こる」と告げられ、

   現実その日に(砂澤さんは)自動車で鞭打ち事故に遭ってしまう。

   ただそれも神仏から見れば「大惨事が起こることの身代わり」であるという。

   何がしか背負わないといけない宿命があって、
   その宿業を操れる範囲内において、裏で神仏が上手に働いていく。

   なるべく被害は最小限度に、善きカルマは最大効率で顕現させていく、


(3)鳥取に来て間がない頃に、胃がんにかかりました。
   この時は手術しろと医者に言われました。でないと助からないと言うのです。
   手術をするかどうか迷いました。

   するとお稲荷さんが「アロエを飲め」とおっしゃいました。
   今のように健康雑誌でアロエがブームになるよりずっと前の話です。
 
   そこで私は、アロエを絞ってコップに毎日三分の一ぐらいずつ飲みつづけました。
   そして六か月ほどして病院に検査に行きますと、なんとガンはきれいに治っていたのです。
   医者が驚いたといったらありませんでした。
   理由を聞かれましたが言うわけにもいかず黙っていました。

(4)話は戦後のことに戻りますが、
   戦後は食糧事情が悪かったので、胃を病む人がたくさんおりました。
   薬も今のようにいいものがありませんでした。

   このときもお稲荷さんは「キャベツの芯を煎じて飲むと良い」とおっしゃったのです。
   それで信者さんに奨めましたが、なるほどよく効きました。

            <感謝合掌 平成27年11月27日 頓首再拝>
12:伝統 :

2015/11/28 (Sat) 18:42:01


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より


(5)今では世界的な企業に成長したN電器の創業者さんも、
   若き日にここ(伏見)で行をされました。
   お滝に打たれていたとき、明け方、上空に輪のような形のものが見えたのだそうです。

   それをヒントにして最初の発明がなされて、今日の大発展のもとが築かれたと言います。
   私も生前、何度かお目にかからせていただきましたが、それは立派な方でございました。

   お稲荷さんの信仰の篤い方でしたが、
   虚弱体質にもかかわらず、大過なく九十過ぎまで長命を保たれました。P205


(6)お稲荷さんがほどこしの神様であることは私の場合も同様です。
   神様が「衣食住のことは一切心配しなくてもよい」と言われましたので、
   私はすべてを神様にお任せして生きてきました。

   おかげで一度も不自由したことはありませんでした。
   すべて与えてくださいました。
   神様は信じてもたれきっていれば、必ず力を貸してくださいます。

   例えば、結婚式があるのにお金がないなと思っていても、知らぬ間に作ってくださいます。
   家も用意してくださいました。

   けれども物やお金は無闇にため込んではいけません。
   余れば他の人に施すことが大切です。
   施しをすればするほどまたそれに勝るおかげがいただけるのです。P212

            <感謝合掌 平成27年11月28日 頓首再拝>
13:伝統 :

2015/11/30 (Mon) 19:33:52


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

(7)霊には憑依霊と先祖霊があります。
   憑依霊は払えますが、先祖の霊はなかなか浄化できません。

   先祖の霊は各家でお祭りしていただかねば、
   私にはすぐさまどうこうすることはできないのです。
   ですから、私は先祖の供養は大切だと常々言っているのです。


(8)神様にも好き嫌いはあります。
   素直でない人、感謝のできない人、欲の強い人、信じない人には
   そっぽを向いてしまわれます。はっきり嫌いだとおっしゃいます。

   ですから、私はそんな人にはお帰りくださいとはっきり申し上げます。
   あるとき、ある方の紹介で、ホテルの経営者が黒塗りの車で来られました。
   指にいくつもダイヤの指輪などをした、見るからにいやらしい人でした。

   身内の相続争いで来られたことはすぐにわかったので、
   お話をうかがわずに即座にお帰りいただきました。


   逆に、素直で神様のおっしゃることをよく聞く人、感謝の心を持っている人は好かれます。
   そういう人には神様が憑かれます。
   そうなりますと、いいほうへいいほうへ人生が向かうようになります。

(9)人間、欲を持ってはいけません。
   お金や物はため込んだりしてはいけません。

   すべての物は自然からいただいたものですから、持ちすぎてはならないのです。
   一日一日を真面目に生きていくことが大事です。

   お金は天下の回り物。身分不相応に持ってはいけません。
   貯め込まないで、余った分は撒いてしまわなくてはいけません。
   各人この世で使う分は決まっています。

   私は欲を持たないことにしています。
   欲を持つと本当の信仰はできないのです。
   神様からも固く禁じられています。

            <感謝合掌 平成27年11月30日 頓首再拝>
14:伝統 :

2015/12/01 (Tue) 19:16:12

               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

(10)私は人の三倍も四倍も働いてきましたが、
   信者さんの置いて行かれたお金や物は、全て撒いてきました。

   私のいただいたお金は、神様が稼がれたものですから、
   それは神様にお返しするのが当たり前です。

   ですから、伏見稲荷にお参りするときは、たくさんのお金を持って出ますが、
   すべて撒いてしまい、帰る時にはすっかりなくなっています。

   修行時代には、京都駅に着くと、汽車賃を除いて一銭も残ってはいませんでした。
   そして帰るとまたゼロから働きました。
   するとまたどこからともなくお金が入ってきます。

   それをまた神様にお返しに行くのです。
   今もこのことは変わっていません。

(11)人間は自然なしには生きていけません。
   自然に感謝しなくては生きていけないのです。

   神様は手を合わせてもたれきったものには必ず応えられます。
   ですから信じてもたれきることが大切です。
   それが信仰というものなのです。 
 
   信仰とは、自分がお願いをしたらまかせきることです。
   そうしていれば奇跡も起こるのです。
   ただ無理なお願いはしてはいけません。

   宝くじで一千万円当てたいとか、そういった類いのことは当然のことですが
   応えて下さいません。それはたんなる欲にすぎないからです。

   (中略)
 
   神様にも好き嫌いはあります。
   素直でない人、感謝のできない人、欲の強い人、信じない人には
   そっぽを向いてしまわれます。はっきり嫌いだとおっしゃいます。

            <感謝合掌 平成27年12月1日 頓首再拝>
15:伝統 :

2015/12/02 (Wed) 19:51:20


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より


(12)伏見稲荷に参りましても、年々お参りする人の数が少なくなっています。
   それを見るたびに私は一抹の淋しさを禁じ得ません。

   (中略)
 
   今の時代は物質的にも豊かで満ち足りていますから、
   信仰心はますます廃れていくように見えます。
   しかし、このつけはいつの日にか回ってくるでしょう。
 
   思えば私の人生は人様のためにあるような人生でした。
   自分のことなど考えている時間はありませんでした。
 
   こんなにも厳しくて苦しい修行の道はもう御免だと思うことも、数限りなくありました。
   でも、なんとかそれに負けずに生きて参りました。
 
   人はこの世に修行に来ています。
   どのようにこの世で生きてきたのかによってあの世での価値が決まります。

   大神様は、どなたがどのように生きてきたのかみんなご存知なのです。
   それがわかっていただければ、今のようなひどい世の中も、
   少しはよくなると思うのですが・・・・。


(13)神さんはわたしにすべてのことを忘れろ、何も考えるなとおっしゃりました。 
   バカになれとも言われました。

   無にならなければ、神さまは動かれようがないのです。

   とまれ、私のような御神示が受けられるものは珍しく、
   教師の資格を持つ人でも少ないでしょう。


(14)行は和田山で日々積むだけでなく、京都の伏見稲荷のお山でも行いました。 
   ここには頻繁に通いました。 
   これもすべてご命令でした。 それは今日に至るまで続いております。

            <感謝合掌 平成27年12月2日 頓首再拝>
16:夕刻版 :

2015/12/03 (Thu) 19:24:04


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

(15)何度も申しますが、自然が神様です。 
   自然の中に霊があり、それが肉体に宿るのです。 
   神様仏様はみな自然の中におられます。 

   だから私たちは先祖を祀り、神さまに手を合わせてきたのです。
   自然の中の霊と先祖が神さまで、一番力があるのです。


   形のないものが一番力があります。

(16)霊の世界も複雑です。 
   私のような霊能者には、霊の世界が分かります。 
   だから霊能者なのです。


(17)霊には悪い霊もあります。 
   死後に供養されなかった霊です。

   そういう霊は、ポンとたたくだけで払えるものもありますが、
   除霊しなければ払えない霊もいます。 
   除霊するにはする側の霊力が強くないとできません。 

   霊能者の力が高くなければ負けてしまうからです。 
   つまり霊能者にりっぱな強い神さまがつかなければ負けてしまうのです。 

   そのためには霊能者が修行を積んだ能力の高い人でなければなりません。 
   そうでないと立派な神様がつかれないからです。

            <感謝合掌 平成27年12月3日 頓首再拝>
17:伝統 :

2015/12/04 (Fri) 19:44:29


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

(18)百日断食中もお山を巡り、すでに述べましたようなさまざまな行を行いました。

   食べていないからといってじっと座っているわけではないのです。 
   ですが、食べていませんから、八十日を過ぎるころには、
   山道を登ることなどできなくなってしまいました。 

   それでも手に草履をつけ、ひじや膝にも草履をあてがって、這ってでも昇ろうとしました。

   でも、ついに力尽きてしまい、歩けなくなってしまいました。 
   すると神様が迎えに来てくださり、白いお馬に乗せられて
   清明舎まで連れて行ってくださりました。

   こうした苦行の果てに、わたしは百日断食を満願達成いたしました。 
   私の他にも何人かがこの荒行に挑まれましたが、
   私の他はだれも成し遂げることができませんでした。 

   これはわたしの中でひときわ大きな意味をもつ出来事でした。

   生死を掛けた激しい行の中で、生死の境をさまよっていると、神さまが見えてきました。 
   それが私の信仰心を確かなものにしました。
   命をかけなければ何も見えてこないということを悟りました。

            <感謝合掌 平成27年12月4日 頓首再拝>
18:伝統 :

2015/12/05 (Sat) 19:39:45


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

(19)人はすべて神の子です。 
   人間は、自分で何でもでき、すべて自分で決めてやっていると思いあがっていますが、
   実は神様がそうさせておられるだけの事なのです。

(20)神さまは姿形がなく目には見えませんから、何も知らない人たちに
   それを信じろと言っても、なかなか難しいと思います。 

   そういった人たちが、神さまを信じられるようになるためには、
   何らかの奇端があったり、不思議なことを体験したり、言われたことを信じて
   やってみたらうまくいったり、助かったりと言った経験をすることが
   必要なのかもしれません。

   こう言った経験を積み重ねながら、人間は信仰の道に入っていくのですが、
   そういうことを人に体験させるためには、私にその能力がなければなりません。 

   そうでなくては、たくさんの人が信じてついてきてくださらないからです。 
   その能力を身につけるために、私は激しい修行を積んできたのです。

(21)私はすべてのことを断言しますが、それは神様がそうおっしゃっているからです。

   神さまがおっしゃっていることはすべて正しいということを私自身が身を持って
   体験してきたからこそ、自信を持って断言できるのです。


   しかし、力のない霊能者にはそれができません。 
   ですから当たることもあれば外れることもあるとなってしまうのです。 

   多少霊感があると言う人は時々おられますが、そういった人と
   修行を積んだ本当の霊能者とは霊力が違うのです。

            <感謝合掌 平成27年12月5日 頓首再拝>
19:伝統 :

2015/12/06 (Sun) 19:12:34


               *「霊能一代~稲荷神に仕えた女性霊能者」砂澤たまゑ・著より

(22)お稲荷さんも人間が一番怖いとおっしゃっておられます。
   人間の心が一番怖いとおっしゃるのです。

   ですから、最近はどんな目にあわされるか分からないので、
   隠れておられ、なかなか出てこられません。

   普通の人には、神様がお山にたくさんおられることは見えないでしょうが、
   実はたくさんいらっしゃるのです。
   魂に姿形はありませんから普通の人には分からないだけのことなのです。

(23)お滝はだれが入ってもいいというものではありません。
   そんなに簡単なものではないのです。
   修行のできてない人が入ると飛んでもないことが起ります。

   まちがって入ってしまったために金縛りにあっている人や、
   のたうち回っている人、宙に浮いている人などを見かけたことがありました。

   お滝では憑いた霊を落としますので、落ちた霊がたくさんいます。
   ですから心の弱い人が勝手に入ると、そういった霊が憑きます。
   まただめな人はいくらお滝を受けても霊は落ちません。


(24)神様ごとは迷ってはいけません。
   「本当かな」と言ったり「できるかな」と言ったりしていると、聞いて下さいません。

   素直に従うことが大切です。
   するとできないんじゃないかと思っていたことでも実現してしまうのです。

            <感謝合掌 平成27年12月6日 頓首再拝>
20:伝統 :

2015/12/09 (Wed) 19:24:44


       *『神ひとに語り給う』(P128~P129)より

稲荷(いなり)といわれるのは「稲生り」で、
五穀豊穣の天地の生成化育の働きをする普遍的な神のお働きを人格化して、
祭祀したのであります。

だからこれは実相の普遍的な創造神の方に入るわけであります。

五穀が自然に伸びるのは、人間が外から引っ張るのでも霊が引っ張るのでもない。
実在の"神なるもの"が中からの生命が伸びて行くのであって、
そういう働きをするのが稲荷なのでありますけれども、

稲荷の眷(けん)族として、稲荷を中心にして集っているところの霊界のグループがある。

これが伏見稲荷のグループとか、豊川稲荷のグループとかいう風にあります。

その眷族の神々の中には、色々の階級や種別の霊がいるんです。
何某大明神、何々大明神とか、色々の名前の神々がある。

その神々の中には、天狗もおれば、武士の霊などもあります。
正神邪神の中間階級の親分みたいな霊たちが稲荷の眷族となっております。

そういう霊たちに願をかけるときいてくれます。
丁度侠客なたいな性格をもっている個性霊の神様であります。

もっとも、伏見稲荷のグループは、正神界に属しておりますが、
多分に侠客的性格をもっていて、頼まれたら何でもきいてやるんだというような
親分的性格があります。

だから善悪に拘わらず、「金を儲けさして下さい」と頼むと、
時としては大いに儲けさしてくれることもあります。
だから、稲荷の信者には、芸妓や相場師が多いのであります。

            <感謝合掌 平成27年12月9日 頓首再拝>
21:伝統 :

2015/12/15 (Tue) 19:22:03


       *『あの世を味方につける生き方』美鈴・著(P152~154)より

(1)お稲荷さん(狐)を祀った稲荷神社は全国各地にありますが、
   稲荷神社でお願いするときは、お礼参りを忘れないことが大切です。


(2)稲荷神社のご神体である高級稲荷(高級狐霊)は崇高なエネルギーを持つ神界の
   エネルギーですが、その周りには低級稲荷(低級狐霊)も集まっています。

   低級稲荷はいわゆる自然霊の中での低級なエネルギー、人間のエネルギーに近く、
   物質的な執着があるのでお願いされるとイヤと言えない性質を併せ持っています。

   ですから、物質執着の強い波長の低い人がお願いすると、周りにいる低級稲荷が
   「よ~しわかった! その願いを叶えよう」と人間の願いを受け止めて、
   さまざまなご縁をつなげてくれるのですが、頑張った分の見返りを求めてきます。

   ですから、「あんなにしてやったのに、お礼ひとつないなんて! 」と、
   今までのご縁を根こそぎ持ち帰ってしまったり、
   成果を台無しにするような出来事を引き起こしたりするのです。


(3)どうしても叶えたい願いがあれば、どこかの神社でお願いするよりも、
   お稲荷さんにお願いしたほうが強力な効き目があることは確かなのですが、
   まずは他力本願ではなく、自分で限界まで努力して後でお参りするように心がけましょう。


(4)安易にお願いばかりをするのではなく、感謝を伝えるためのお参りにしたいものです。
   何かを得れば、何かを失うというカルマも発生することをお忘れなく。


(5)ちなみに、私は稲荷神社では、決してお願いはしません。

   するとすれば、毎日ご飯を食べられることへの感謝と、

   「ご飯を食べたくても食べられない人たちが、一人でもおなかがいっぱい
   食べられるようになりますように・・・私も努力してまいります」 

   という祈りでしょうか。

          <感謝合掌 平成27年12月15日 頓首再拝>
22:伝統 :

2015/12/19 (Sat) 19:27:02


         *Web:宇治別格本山(末一稲荷神社「教勢発展・繁栄祈願」)より

末一稲荷神社は昭和5年3月、谷口雅春先生が『生長の家』誌を創刊された折り、
谷口輝子奥様が近所の婦人にすすめられて神誌の拡大を祈願されるため
伏見稲荷大社より末一稲荷大神の神霊を受けられ、
以来45年間谷口家の御私邸に祭祀されて日夜神誌の拡大を祈願されていたものです。

昭和49年10月19日、立教45周年を機に
神霊を宇治別格本山の聖域に遷座、地祭申し上げ、
その御神徳を広く一般に公開されました。


谷口輝子先生が神誌拡大を祈願されたことを機縁として、
稲荷大神の不思議な御導きを受けて宇治別格本山が開山されたことを顧みれば、
その御神徳は誠に大なるものと言えましょう。

護法の神である末一稲荷大神の御神徳を仰ぎ、
国と共に栄え、教えと共に栄える為、
皆様方には真心からの「教勢発展・繁栄祈願」をお申し込み頂きますよう
ご案内申し上げます。

(毎年2月最初の午(うま)の日には、「初午祭」(はつうまさい)が執り行われ、
宮司祝福祈念のあと、祈願書を神殿内に奉安し、
毎日聖経『甘露の法雨』を読誦して、尊き諸願の成就を願うものであります。)】

    (http://www.uji-sni.jp/suekazu-kigan/suekazu-kigan.htm

<参考Web:山ちゃん1952(2014年12月21日)心の拠り所
       → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/19099701.html >

          <感謝合掌 平成27年12月19日 頓首再拝>
23:伝統 :

2015/12/21 (Mon) 19:42:35


       *『神の真義とその理解』(第三篇第二)龍宮住吉本宮建立に至る神々の系譜 より

生田神社の祭神および住吉神社の祭神に導かれて発祥した生長の家の運動は、
次第に世界各国、各民族の守護神の協力を得て、全世界にひろがろうとしつつあるのであります。

昭和49年10月、宇治別格本山に新祭殿を造営して祭祀申上げた稲荷(いなり)大神は、
『生長の家』誌発行後、私の家内が、私たちが入浴に行く”勇湯(いさみゆ)”へ
無代進呈誌を持って行った時、風呂屋のおかみさんが、

「そんな雑誌をひろめなさるなら、伏見の稲荷さんをお祀(まつ)りになれば、繁盛しますよ」
と教えられたので、それを教えてくれるおかみさんも天の使いであると思い、

家内が稲荷本社に参拝して、その分霊をお受けして帰って、自宅に祭祀した御神体であります。
家内はその頃、

「この『生長の家』誌が1万部年極(ねんぎめ)誌友が出来るようになりましたら、
貴神(あなた)さまを地祀(じまつ)り致します」
 
といって祈ったというのであります。

この事は数年前、家内が『白鳩』誌に書いたことがあったが、
看過(みのが)していた人が多いらしい。

今や『生長の家』誌をはじめとして、
各誌合計240万部(昭和49年当時)も出るようになっているので、

この御分霊を聖地の大地に地祀りして、分霊をお受けして来た時の神約束を果して、
感謝の実を挙げたいというので、宇治別格本山の聖域に新祭殿をしつらえて、
この稲荷大神を御祭祀申上げることになったのであります。


《真理出版守護の神として》

生長の家本部から、信徒諸賢にお送りした稲荷神社奉祭の通知には、
右に述べた最初に家内が授かった稲荷大神の分霊のことが書いてなくて、

日本教文社の横手に地祀りしてある稲荷社(いなりやしろ)を、
移転するように書かれていましたが、

あの日本教文社の横手に祭祀してある稲荷社は、

あの下方にある敷地に誰が祭祀したか、多分その敷地の前の持主であろうが、
祭祀した稲荷の祠(ほこら)があったのであるが、それが戦災で焼けたのでした。

伏見稲荷の本社へ分霊をお授(さず)かりに赴(おもむ)くと、
その稲荷に「××稲荷」と名称を付けて授けて下さるのであるが、
その焼けた稲荷社の神名はわからない。

 
私の家内は、神誌の普及には稲荷大神の神助をお願いしていたので、
この際、その焼けた稲荷社を復興してあげて御礼にかえたいと思い、

日本教文社の横手の空地に、焼けた祠よりも多少大きな社殿をつくって、
家内が伏見の稲荷からその祭祀するための分霊を、新たに伏見本社からお受けして来て、

あの場所にお祀りして、真理出版の御守護、神誌普及および
末には万教を帰一して下さる使命をもち給う大神として、

最初に稲荷本社から分霊を授かった時の御神名なる
「末一(すえかず)稲荷大神」とあがめ奉ってお祀りしたのであった。
その際、いろいろの奇瑞(きずい)があったのは、本部からの通知にある通りである。

この社殿は、日本教文社の出版の御守護としてそのまま安置するのであって、
その社殿の稲荷を宇治にお移し申上げるのではなく、

家内が最初に祈願してお迎え申上げて以来、私の自宅に祭祀してある分霊の神霊を、
最初の神約束通り、大地の上におろして、お祀りすることにしたのでありました。


《 世界平和の大使命は諸教の一致点を明らかにしてのみ得られる》

かくの如くわたしはこの地上にうまれて、神功皇后の新羅征伐に神助を与えられた、
生田神社の稚日女神(わかひるめのかみ)を産土の神として導かれ、
住吉大神の稜威(みいつ)の中につちかわれ、真理を教えられて
ついに82歳(本稿執筆当時)の今日に至るのであります。

その間、稲荷大神の繁栄の神霊の守護を受けて、既に神誌の普及二百四十万に及ぶも、
尚われら力足らずして、参議院選に敗れたれども、これ永久に敗れたるに非ず。

捲土重来(けんどじゅうらい)、更に神誌の普及を五百万、一千万に増加し、
実力を涵養(かんよう)して、やがて国会に百以上の議席を確保し、
真に国の護りの実を挙げんとする素志は決して挫(くじ)けないのであります。

 
友よ来れ、同志よ集まれ、われを助けよ。
祖国を守れ。

世界平和はこの万教帰一の真理によって、各民族各宗の教祖達の聖言を引用し、
それぞれの経典(きょうてん)を真理によって判釈(はんじゃく)して、
一致点を明らかにすることによって、

真理は一つ、人類は一つ、世界は一つ、の大事実が示される、
これによってのみ人類皆具(かいぐ)の平和親睦は成就することが出来るのであります。

これこそ生長の家出現の大使命なのであります。

http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1882 より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月21日 頓首再拝>
24:伝統 :

2015/12/23 (Wed) 19:27:14


           *『白鳩』誌  昭和47年2月号 より
            ~ 世界聖典普及協会理事長  亀井 潔人

戦災で焼き尽くされた広場の片隅に60㎝四方余りの黒ずんだ石が立っていた。 
平たくなった上側に塩とお米とが小皿に盛られ、コップに入れたお水が並べてあった。

其処は、赤坂の生長の家の本部の隣りの乃木坂会館という大きな宿の焼け跡である。 
地主から買ってほしいとの申出があって、生長の家が買い取った所である。 

乃木坂会館の入口左側ん、お稲荷さんの小さなお社があったが、
母屋と共に焼失して台石だけが残っていたのである。

お社が無くても、神様は在られるのだから、買い主は挨拶をせねばなるまいと考えて、
お祭りの準備にかかった。 

お社に御祀りしたいと思って探して見たが、闇市は繁昌しているようでも、
食料や衣類の店ばかり多くて、お社は遂に調えることが出来なかった。 
祝詞には “本宮へお帰り下さい” と申上げたように思う。

お祭りをしてからは、近くの人は花を供えたり、油揚げを供えたりするようになり、
お姿も無く、お社も無いのに、存在を石一つに示しておられた。


また、生長の家光明寮から道場へ行く石段の上にも、お社の土台だけが残っていた。

そこにもお稲荷様がお祀りしてあったが、3階建の生長の家本部を軍が使っていたので、
攻撃目標になったのか、集中的に焼夷弾を投下され、本館と共に焼失した。

この建物から3mほど離れたところに、光明寮の一棟があったが、そこにも焼夷弾が落ちた。 

加えて隣の乃木坂会館と本部道場の火焔に双方から攻められたが、
女性の舎監と女子寮生の軍人を凌ぐめざましい防火の大活躍によって焼夷弾を消し、
類焼をも防ぎ止めたということである。

それらの方々は、どこか今も光明化運動に活躍しておられるであろう、
と古い建物を見ていて、ふと思った。


日本教文社の2階左側は道場になっていて、右側が事務所だった。 
清都理門先生 を中心に、布教のこと、出版のこと、社会事業団のこと
一切の事務が進められていた。

隣の2階には編輯室があって、よく見えた。

2つの机が向い合っていたが、一方は何時も片づいていて、
片方は印刷物が山積みになっていて、対照的だった。 
ここで、終戦後の 『生長の家』 誌 が編輯された。

 
谷口清超先生が、道場で初めて講話をされる日に、
「心臓に百貫の鉛を吊るした思い」 と 中嶋與一先生 に言われたと聞いて、
その日は皆が聴き耳を立てて拝聴したのも懐かしい思い出である。

その頃、事務所の掃除は寮に住む者が、毎日交替ですることになっていた。

当番の日には、拭き掃除は家内に任して、私は便所の掃除に専念した。 
便器が白く光ってくると、自分が磨かれた感じがしてきて、親しみと愛着を感じるようになる。 

これは誰しも味あうものらしく 
清都理門先生が 「便器が可愛くなったか」 と聴かれたこともある。


新規採用や復員者で職員も増え、道場も工場を移築して造られた。 
そして、道場と並んで本部事務所が建築された時に、
古いお社跡の台石の上に、新しいお社が立派に新築された。

昭和27年5月1日に、総裁・谷口雅春先生 から 「末一稲荷大神の神霊」 を受け、
新しい社殿にお祀り申上げた。

 左記の 「授与の証」 が添えられていた。


          證

     正一位末一稲荷大神霊
     右今般依請願大斎祀式
     令授與畢崇敬不可怠者也 
      
      昭和27年4月28日
             伏見稲荷大社

      谷口輝子殿

毎日と月次祭の祝詞も頂いたが 「信徒たちの家にも身にも」 
と信徒の皆様の幸福を願われる文章で埋まり、御愛念に貫かれたものである。

8月中ばには、住吉大神、塩釜神社の御神霊を合祀するための御神霊を賜り、合祀申上げた。


末一稲荷の月次祭は、毎月15日の早朝に、関係団体の職員が参列して行われる。 
大祭は、総裁先生御夫妻、副総裁先生御夫妻をお迎えして、毎年初午の日に執行われる。 

総裁先生が斎主になられて、祝詞を奏上される。 
麗らかな日もあるが、積雪の日もあり、寒風吹きすさぶ日もある。 

年毎に天気は変るが、総裁先生は変りなく社前に立ち給いて 
『宗教の異い民族の相違、国家の境域を越えて、末はすべて一つに』  
と願の全を奉られる。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19230094.html より転写)


          <感謝合掌 平成27年12月23日 頓首再拝>
25:伝統 :

2016/02/06 (Sat) 19:09:05


《稲荷大神遷宮鎮座祭の祝詞》

掛巻も畏き末一稲荷大明神と讃へ奉る護法、先導、真理広宣の大神に 斎主谷口輝子敬って白す。

過ぐる年、わが夫谷口雅春兵庫県兵庫郡住吉村にありて 
住吉大神より神示を受け『生長の家』の神誌を発行し、

もって日本国の実相を顕現し 人類全体を光明化し
全世界を平和と繁栄の地上天国ならしめんとの高邁なる理想をもって奮起せし頃 
その妻輝子夫の助けを成して一日も早く 広く多く神誌普及をはかりて 

その聖なる理想の普及実現を達成せしめんと希(ねが)ひたる折しも 
稲荷大神の神徳いやちこなることを聞き知り奉り 伏見の稲荷大神の御座所に詣(いた)りて 
稲荷大神の分霊をこひねがひて われらの私邸にお祀り申上げてより早や 四十五年を経ぬ 

その間、稲荷大神の神通神助を得て われらの機関誌
『生長の家』『白鳩』『光の泉』『精神科学』『理想世界』本誌及びジュニア版を合して 
その発行部数二百三十万部を超ゆるに至りぬ。

まことに人々繁栄の大神として称えまつる稲荷大神の御徳いよいよ明らかとなりぬ 
今や 大神を単に谷口家の私邸にわたくしすべきに非ず 

大神の神徳を人類全体に公開し ひろく全ての人々が大神の神徳を拝受して 
各々その従事せる家業が繁栄し 互ひに和顔愛語をもって睦び合ひすべての人々を健康にして 
この人類光明化 世界平和の基礎となるべく真理の普及に協力し 

相ともに国の柱となり人類の光となるべき機縁を分たんが為に 
この宇治別格本山の浄域に新しく宮造りして 公けにこの新殿に稲荷大神を奉斎し奉らんとす

ねがはくば この願ひを諾(うべな)ひたまひて 
この神殿(みあらか)に遷(うつ)り鎮まりまして 

いやちこなる神の神徳をここで詣でる 
すべての人々に分ち与へ給へとひたすら希(こいねが)ひ奉る。


これより後は人間・神の子の真理を知るもの急速に殖えまつりて 
地上の人類の大多数が 神の世嗣(よつぎ)たることを悟りて 

大神たちの生命(いのち)の流れをゆたかに受け容れることを得 
知慧の流れを豊かに感受することを得 
愛の泉を滔々と魂の中に環流せしめることを得て 

今より後 病む者なく 荒(すさ)み暴(あら)ぶる者なく 
各々相互扶助の繁栄の道を進み 人々互ひに相睦みて
地上に天国の建立せられること必定なり。

 こひ願はくは この真心に応へ給へと敬って拝み奉る 

 頓首合掌再拝して感謝し奉る ありがとうございます


  昭和四十九年十月十九日

・・・

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱「初午について 末一〈すえかず〉稲荷」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=26 より転写)

・・・

宇治別格本山 初午祭
http://www.uji-sni.jp/suekazu-kigan/suekazu-kigan.htm


          <感謝合掌 平成28年2月6日 頓首再拝>
26:伝統 :

2016/07/17 (Sun) 19:44:14


           *「続々甘露の法雨講義」(P54~56)より

伏見の稲荷神社に祭祀されている神々があります。
そして「金が儲かりますように」と祈ると、或いは儲かることがあります。

稲荷の本体は「稲生(いねな)り」でありまして五穀豊穣のはたらきをする
宇宙造化の神秘力を「稲生りさま」としてお祭りしたのでありますが、

伏見の稲荷にはいろいろの霊がその“お使い”即ち眷族(けんぞく)として
末社に祀られておりまして、普通、何々大明神といいますけれども、
“霊魂(みたま)の神”でありまして

いろいろの霊魂が修行しておりまして中にはいろいろの動物の霊もおれば、
古代の衣冠束帯の服装をした霊や、侍の姿や姫君の姿をした霊もあります。

霊眼で見ればいろいろの霊がいるんです。

伏見の稲荷系の霊はもっぱら日本系の諸霊であって、
豊川系の稲荷の霊は印度のダキニ天といわれる霊であります。

兎も角、これら眷族(けんぞく)は大抵動物又は人間の霊魂で、
現実界に於ける修行の程度も色々あり、神通力の相当あるのもあります。

白狐(びゃっこ)の霊や金毛の霊狐(れいこ)などは、驚くべき神通力を発揮するので、
仏教護持の霊となっているのもあります。

弘法大師が、高野山を修行の霊場として開拓なさるときに白狐の霊があらわれて
弘法大師を案内したというので、高野山へお詣りしますと、本社殿の隣りに脇社(わきしゃ)
として稲荷人社がお祀りしてあるのは、そのためだと承っております。

宇治の別格本山の地を生長の家の道場をつくる地と定めたのは、
私の家内が伏見の稲荷に参拝しての帰りにあの地に導かれたのであって、
伏見稲荷の神々が、この場合は護法の神として御活動下さっているのであります。

永い間霊界で修行を積んでいるというような霊魂は、
時には非常に神通力が発達しておりまして、中にはいろんな予言も出来るし、
いろんな奇蹟的なことも行(や)れるわけであります。

          <感謝合掌 平成28年7月17日 頓首再拝>
27:伝統 :

2019/01/29 (Tue) 20:02:41


     *メルマガ「大和うるわし」(2019.01.29)より

2月の行事と言えば、初午祭があります。
稲荷大社のお祭りで、2月の最初の午の日に行われます。

稲荷神社の総本山は京都・伏見稲荷大社です。
今日本で、最も参拝者が多い神社で、私たちは今年も正式参拝をすることができました。

破魔矢を手に、稲荷山を登ります。
千本鳥居は、ビクトリーロードです。
これだけの鳥居が奉納されている伏見稲荷は、相当なご利益があったのでしょう。
この勝ち組の中を通ることで、パワーを感じることができます。

伏見稲荷大社のご祭神は、宇迦御魂大神です。
五穀豊穣、商売繁盛、家業繁栄を守護する神様として、
千年以上多くの方の信仰を集めています。

1300年以上の間、信仰を集めているということは、
この場所には勝ち神が宿っているしるしです。

この場所に身を運ぶことで、勝ち神の力を宿すことになるのですが、
あまりにも人が多すぎて、観光地化しているのが残念です。

神社に参拝する時は、誰と、いつ、どこを、どのような順序で参拝するかが重要です。
自分勝手な我流のやり方で参拝すれば、
勝ち神どころか、貧乏神、疫病神の神様が寄り付きます。
私たち一行の参拝する正式参拝は、貧乏神、疫病神をすり抜けて、
勝ち神宿る参拝をしています。
それなりに、積み重ねたからこそわかる世界です。

伏見稲荷大社の初午祭は、さらに多くの参拝者でにぎわいます。
豊臣秀吉公によって寄進された楼門を抜けると、あふれるばかりのお供物です。
宇迦御魂大神様の信仰の篤さを感じます。

そもそもこの初午祭は、
大神が和銅4年2月の初午の日に稲荷山に鎮座されたことにちなんでいます。

「いなり」とは、「稲成り」と書きます。
もともとは、稲の豊作を祈願していたものが、
商売繁盛に結びついていったということです。

「いなり」も「意成り」として、思いや願いなど、
心に念じたことが達成するという意味にもなっていきました。

初午祭には、「しるしの杉」を拝受することができます。
杉の木は伏見稲荷にとってとても大切なもので、参拝者にとっても、
杉を身につけることで、信仰のしるしとしていました。

今年の初午祭は、2月2日です。
立春前に初午祭があるので、かなり早い日に行われます。
このように、初午祭が早い年は、火事に注意の年なのです。
特に、火の元には細心の注意をしなければなりません。

立春の前の初午祭。
商売繁盛と豊作祈願に是非訪れてみるのもいいと思います。

亥歳が摩利支天神の支配する年回りですから、
伏見稲荷大社の神様とむすぶことで、ご利益を受けることができます。

          <感謝合掌 平成31年1月29日 頓首再拝>
28:伝統 :

2019/02/04 (Mon) 18:59:30


  → 宇治別格本山 http://www.uji-sni.jp/

    宇治の四季 をクリック

    2月2日第45回初午祭 をクリック


<関連>

(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱
   「 初午について 末一〈すえかず〉稲荷」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=26

(2)宇治別格本山 初午祭
   → http://www.uji-sni.jp/suekazu-kigan/suekazu-kigan.htm 

          <感謝合掌 平成31年2月4日 頓首再拝>    
29:nxeobcgpr:

2020/08/29 (Sat) 03:50:45

伝統板・第二
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