伝統板・第二

2529969
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

大和言葉 - 夕刻版

2015/10/24 (Sat) 19:51:25

日常使う言葉の乱れが進行しております。

このスレッドでは、日本の真の言葉「大和言葉」を中心に、
種々の情報を紹介してまいります。



《言葉にも「お化粧」しましょう ~どうせなら、より美しく》

        *Web:ことばマイスター(2015年07月22日)より

……と言っても、女子学生のみなさんへ向けたメイクの話ではもちろんありません(笑)。
「ことばの」お化粧についてです。

先日、家でビールを飲みながらボーッとテレビを見ていました。

テーマは「ヨーロッパ野菜」。今まで輸入が大半だったものを日本国内で生産して、
地域活性化に利用する……という、なかなか興味深いものでした。

銀座にある山形県のアンテナショップに並ぶきれいな野菜。
そこのレストランで出されるおいしそうな料理にも、
もちろんその「国産」ヨーロッパ野菜が使われていました。

番組中、女性リポーターがさいたま市の農家を訪れていました。
「花ズッキーニ」を収穫する様子をリポートしていたのですが、
その人がたくさん並ぶ花ズッキーニの前で、

 「すごいにおいですね~!」

と一言。

それを耳にして私は「んん?」と、思わずビールを飲む手が止まってしまいました。
「え?そんなにくさいの?」と。

もちろん彼女は「良いにおいだ」と言うことを伝えたつもりなのです。
映像を見ればすぐに分かりました。
満面の笑みで胸いっぱいに空気を吸っている彼女が映っていましたから。

においを漢字で書く場合「匂い」と「臭い」の2種類があります。
前者が主に「良い/心地よい」におい、であるのに対し、
後者は「不快な/くさい」においを指します。
実際「臭(くさ)い」とも書きますよね。

リポーターの発した「すごいにおい」という言葉。
これを耳で聞いただけでは、どちらの意味にも取れてしまいます。
文字なら正確に伝わったかもしれません。

「すごい匂い」「すごい臭い」。
前者なら「芳香」におい、後者なら「悪臭」ですね。

 
音だけで誤解されないためにはどうすれば良かったのか。
「すごい」というあいまいな(というか、正直言って「やや貧困な」)表現ではなく、
もっと価値判断をはっきり示してみましょう。

「良いにおいですね」「すてきなにおいですね」。
こうすれば、文字に起こしても「臭」ではなく「匂」だ、と伝わります。

 
ただ、そもそも最初の言葉の選択にもう少し気を使って欲しかったな、とも思います。
「におい」というニュートラルな言葉を使うのではなく、明らかに良い意味でしかない言葉。
そう……例えば「かおり」という言葉ならどうでしょう。

「かおり」はまさにそれだけで「よいにおい」を表す言葉です。
言葉そのものに価値判断が入っている、と言ってもいいでしょう。
先ほど「やや貧困」だ、とけなした「すごい」を使っても、

 「すごいかおりですね」(あるいは「かおりがすごいですね」)

これを耳にして悪臭だと感じる人はいないでしょう。
「良いかおりですね」「すてきなかおりですね」と言えば更に誤解なく伝わります。
何より言葉の選択が美しい。好感度が上がりますね。

いつもいつも、耳にタコができるほど書いてきたことですが、面接であれESであれ、
それこそ例えば「かおり」という言葉を使わずに「におい」を選んだからと言って、
あからさまに不利になることはありません。

ただ、横一線で並んだ人がいた場合、どちらを取りたいと思うか、という話です。
最後のひと押し。

 
同じような例をもうひとつ挙げてみましょう。
原因・結果を表す言葉「~のせい」「~のおかげ」「~のため」。
ESや面接でもよく出てきますね。マイナスの意味で使う「~のせい」はさておき、

 「水泳を10年間続けたために、持久力がついた」
 「水泳を10年間続けたおかげで、持久力がついた」

前者は「ニュートラルな」結果しか伝えていないのに比べて、
後者は「前向きな」結果が伝わってきます。

ささいな差ですが、あなたならどうですか? 
後者の言葉遣いを選べる人と一緒に働きたいと思いませんか?

「美しい言葉を選ぶ」ということは、真意が見えないほど飾ったり、
ましてや虚飾(ウソ)を意味するのではありません。

あなたの思っている(伝えたい)意図を、よりダイレクトに相手に届ける。
その意味では女性のお化粧も一緒ですよね。
素顔の良さを「より」際だたせるのが良いメイクのはずですから……
(ってこれ、先日とりあげた「ジェンダー」的にアウト、ではないよね?汗)。

次回ももう少し、この「美しい言葉」の話を続けます。

<今週のおまけ ~正誤を言うのはやぼってもんです~>

「シクラメンのかほり」という歌ををご存じですか。
1975年に布施明さんが歌って大ヒットとなり、その年のレコード大賞も受賞した曲です。
さすがに20代の皆さんは知らないか(苦笑)。
むしろ皆さんのご両親がドンピシャ世代でしょうか。

作詞・作曲は小椋佳さん。シンガーソングライターであり、作詞・作曲家でもあります。
売れっ子になってからも、第一勧業銀行で(今のみずほ銀行です)働きながら音楽活動を
していたという、変わった経歴の方でもあります。

この歌が出たとき、「『かほり』とは何だ。
古語の仮名遣いからすれば『かをり』が正しい!」としたり顔で言う人がいました……というか、
今でもごろごろいます。

確かに語源(かおる=香+居る)を踏まえると、その指摘はもっともですし、

明治時代に編纂(へんさん)された日本最初の近代的な国語辞典(とされる)
「言海(げんかい)」にも

「かほり」=「かをりノ誤」

と書かれています。

しかし、更に掘り下げて調べてみると、鎌倉時代の歌人・藤原定家が、
平安時代の文献などを参考にして仮名の使い分けを定めた「定家仮名遣い」では
「かほり」となっているのです。

その後時代を経て「標準」が「を」になったのは、確かに紛れもない事実ですが、
それをもって「『ほ』は間違い」と言い切ってしまうのはどうなのでしょうか。

言葉は生き物です。常に揺らいでいる存在です。

だから私もこれまで、なるべく「正しくない」とか「間違っている」という言い回しは
しないできました。「ふさわしくない」とか「望ましい」とかは言ってきましたが……。

ちなみに小椋さんの奥さんの名前は「佳穂里(かほり)」さんと言います。
これを元に「そうか! 名前とタイトルをかけたから、やっぱり『ほ』でいいんだ!」
と言う人もいるようですが、小椋さん自身はこの説をお気に召していない
(というか否定している)らしく、これまたそこにこだわりすぎるのも妙な気がします。

そもそも、現代(と言っても40年前ですが)の歌のタイトル、
しかもその一部の「を」と「ほ」、どちらかが「正しい」と決めつけることに
意味があるのでしょうか。それって無粋ですよね(苦笑)。

  (http://asahi.gakujo.ne.jp/common_sense/meister_nakahara/detail/id=1351




<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「「日本語脳」を育てることを通して、日本人となる (7334)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1492 

(2)光明掲示板・伝統・第一「「日本語が日本人を作る」 (52)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=33

(3)伝統板・第二「日本語が日本人を作る」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457818

            <感謝合掌 平成27年10月24日 頓首再拝>

うつくしい「やまとことば」で相手の心をつかむ - 伝統

2015/10/25 (Sun) 19:16:57


        *Web:ことばマイスター(2015年08月05日)より

今回も前回に引き続き「美しい言葉」について話します。
そもそも皆さんの(そして私も)使っている日本語は、
大きく分けると3種類から成ります。

(1)外来語。
   いわゆる「カタカナ語(要は横文字)」で、中国以外の外国に由来するものです。

   江戸時代の鎖国が解け、文明開化した明治時代以降に入って来たものが大半ですが、
   「かるた」「天ぷら」のように、実は江戸時代から(主にオランダ・ポルトガル由来)
   使われているものもあります。

(2)漢語。「唐言葉(からことば)」とも言います。
   当然ながら中国から「輸入」された言葉が中心。

   しかし日本で作られたものも多数あります。
   特に明治以降、当時の知識人や作家が横文字の概念を苦心して漢字に置き換えました。
   今では我々が普通に使っている「経済」や「哲学」がその代表です。

(3)大和言葉。
   (1)と(2)を除いた、いわゆる「日本固有の」言葉。
   ものすごくざっくり言うと、皆さんが高校の古典で習ってきた、
   平安朝で使われていたあの言葉をイメージしてもらえばよいです。

   柔らかな響き、雅な表現。いわゆる「日本らしさ」の象徴です。

 
「日本人だから、大和言葉を使うのが当然でしょ? 」と皆さんは思うかもしれません。
しかし実際のところ、(1)と(2)が我々の会話(や文章)に占める割合はとても高く、
大和言葉は意識しないと使われない(いや、使えない)のが実情です。
 
そんななか最近、大和言葉を見直し、積極的に使おうという動きが出てきました。
例えば昨年11月に出た「日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現」
(高橋こうじ著・東邦出版)という本は、発売2カ月で15万部を超えるヒットとなりました。

同じ事を伝えるにしても、漢語ではなく大和言葉で言い換える。

ついとげとげしくガツガツしがちな就活の場面で、あえて柔らかな大和言葉を使うことで
「お、こやつ出来るな?」と思ってもらえるかもしれません。特にこれまでも書いてきたように、
マスコミや広告など「ことば」を大事にする業界では一目置かれるでしょう。

 
具体例を挙げてみましょう。

 ・非常に → このうえなく、こよなく

 ・意外と → おもいのほか

 ・感動した →胸を打った、心にしみた

 ・恐縮です → 恐れ入ります

 
どうですか。できれば声に出して下さい。
そして自分の耳で聞いて下さい。

平板化した漢語表現より、響きが軟らかく、
そしてほんのりと知性を感じさせますよね。


もちろん外来語や漢語を使うな、と言っているわけではありません。
ESや面接の中で、一つか二つだけでもいいのでこういった大和言葉をそっと挟み込む。
そうすることでまさにさりげなく、ものごとをとらえる気持ちのゆたかさ(←→センスの良さ)
をきわだたせる(←→アピールする)ことができるのではないでしょうか。

    ・・・

<今週のおまけ ~トイレと言わずに「ワシントンクラブ?」~>

「物事を直接的に言わない」というのは日本人の長所でもあり、同時に短所でもあります。
特にビジネスシーンでは「まあまあ、分かるでしょう」と「暗黙の了解」で済ませていては
成り立たない(どころか後で問題になる)のが昨今でしょう。

昔のように日本の中だけならそれでも通じたのでしょうが、
今は世界を相手にする時代ですしね。

とは言えこの「はっきりさせない」美しさも大和言葉の特徴のひとつです。
それこそわざわざ口にするべきではない場面でこそ、その威力を発揮します。

一例を挙げましょう。トイレの話です。

 ……食事中なら許して下さいね(苦笑)。「トイレ」、
 ましてや「便所」という身もフタもない表現に比べ、大和言葉ではどう表すか知っていますか?

 「はばかり」と言います。まさに「人目をはばかる」からですね。

ちなみに「大和言葉」とは少しずれますが、
登山用語で「トイレに行く」ことを女性は「花摘み」、
男性は「雉(きじ)撃ち」と言ったりします。

女性は腰を下ろして、男性は立って……というわけです(笑)。
後者はさておき、女性版は飲食店などで耳にしたことのある人もいるのではないでしょうか。
これまたはっきり言わず「ほのめかす」日本語の表現力の豊かさの表れでしょう。

 
そう言えば、私が学生だった1990年代前半には、
トイレのことを「ワシントンクラブ」と言い換えるのが少しはやりました。

なぜかって? 

英語で書くと「Washington Club」。
そして水洗式便所は英語で「Water Closet」。
よくW.C.と書いてありますよね。

つまり頭文字に引っかけたおふざけですが、
今思えばこれも「トイレ」と言うより生々しくなくていい、
という慎みの一種だったのかもしれません(本当にそうかなあ?苦笑)。

   (http://asahi.gakujo.ne.jp/common_sense/meister_nakahara/detail/id=1368

            <感謝合掌 平成27年10月25日 頓首再拝>

《古来の「大和言葉」に根付く、日本人のスピリチュアリティー》 - 伝統

2015/10/26 (Mon) 19:30:36


           *Web:Trinity(2013.12.20)より

「いきる」の大和言葉は「いき(息)する」こと

「志(こころざし)」という漢字は小学校5年生の時に習うけど、
習った時にふと、このように思った人が多いのではないでしょうか。

――「こころざし」って、心で目指すわけだから、「心指し」と書いてもいいんじゃないの? 
なのに、わざわざ「志」という一文字があるんだ……、と。

きっと古代の日本にもともと、大和言葉としての「こころざし」という言い方があったのでしょう。
そこに、大陸から漢字が伝わってきた。そして「こころ」という言葉には「心」の漢字を充てた。

一方で「こころざし」には、その意味に対応する「志」という漢字があったものだから、
その字を充てるようにした――、といったいきさつなのだと思います。


同じような例は、ほかにも色々と挙げられます。
例えば「獣(けもの)」は、シカやイノシシなど毛に覆われた生き物ということで、
もともとの大和言葉では「毛物」ということだったのでしょう。


さらに、「醜(みにく)い」は「見にくい」、「象(かたど)る」は「形取る」――。
これらも、大和言葉と漢字とを対応させる過程で、今のような書き方になったといえます。



大人になったら、前述の「志」のような疑問なんて気にも留めなくなり、
誰も当たり前に使っています。

でも、現代でも口にしている大和言葉をちょっと意識して考えてみると、
「へぇ、昔の日本人はそんなふうに考えていたんだ!」と気づいて感心することもあります。

たとえば「いきる」は、漢字では「生きる」と書くけれども、
もとの大和言葉は「いき(息)する」から来ています。
つまり「生きる」とは「息をする」こと――。

古代人は、呼吸をまさに命が活動しているあかしとしてとらえ、そのように言ったのでしょうね。


また「おそれ」という言葉には、「恐怖」の意味とともに、
「大雨のおそれがある」とか「おそらく」とか、将来の予想とか自分の推測の意味もあります。

ふだん口にする時には何も考えずに使い分けているけど、もとは同じ「おそれ」です。
つまり大和言葉では、「予想や推測」イコール「恐怖」であるという、
心理的な事実がきちんと把握されていたわけです。


さらに「あやまる」も、「ハンドル操作を誤る」と「ごめんなさいと謝る」の
2種類の漢字と意味があるけど、これも大和言葉はどちらも同源だそうです。

つまり「誤ったら謝る」ということ。
論語に「あやまちては、改むるにはばかることなかれ」とあるけれど、そ
んな教えが入ってくる前から、日本人はその通りに考えていたともいえるでしょう。





極めつけなのが、古い詩文に出てくる「うつせみ」という言葉――。
「うつせみ」とは、「この世の中」とか、そこに「生存している身」の意味です。

この言葉のもとは「空蝉」すなわち「セミの抜け殻」とか、
映った影を表す「映し身」だといわれます。
これって、ズバリ言い当てていますよね……。

古代の日本の人々は、仏教とかプラトン哲学とかを知る前から、
人の本質が肉体ボディーでないことや、この世界が投影された幻であることを分かって、
言葉の上に表していたわけです。これは、なかなかすごいことだと思えませんか――。

だから、そうした世界観や文化を言葉の中に引き継ぐ日本人は、
最近のスピリチュアルな考え方にとてもなじみやすいのだろうな、とも思います。

       (http://www.el-aura.com/201312201230/

            <感謝合掌 平成27年10月26日 頓首再拝>

大和言葉を美しく話す - 伝統

2015/10/27 (Tue) 19:29:35


         *」日本の大和言葉を美しく話す」高橋こうじ・著(はじめに)より


  うさぎ追いし 彼(か)の山  こぶな釣りし 彼(か)の川
    夢はいまも めぐりて  忘れがたき ふるさと


唱歌「ふるさと」(高野辰之作詞、岡野貞一作曲)は、日本人の心に染みます。

その理由の一つは、歌詞がすべて大和言葉であることです。


大和言葉とは、太古の昔に私たちの先祖が創り出した日本固有の言葉。
また、その伝統の上に生まれた言葉です。

「山(やま)」「川(かわ)」「夢(ゆめ)」「ふるさと」、
みんな大和言葉です。


日本語の単語は3種類在り、残る2つは漢語と外来語です。

漢語は中国語から取り入れた言葉で、「山地(さんち)」「河川(かせん)」など。
つまり、感じの読みで居れば、音読みで発音されるのが漢語、訓読みが大和言葉です。

外来語は中国以外から来た言葉で、多くはカタカナ表記です。
たとえば、この文書の表題は「はじめに」ですが、「はじめる」は大和言葉で、
同じ意味の漢語は「開始」、外来語は「スタート」。

私たちはこんなふうに3種類の日本語を日常的に使っています。


大和言葉が日本人の心に染みるのは、日本の風土の中で生まれた言葉だからです。

たとえば「地面が盛り上がったところ」は、先祖たちにとって「や」「ま」という
2つの音で表すのが一番しっくり来るもの。だから「やま」になりました。

つまり、大和言葉はその一音一音が先祖たちの感性の投影なのです。

もちろん漢語や外来語も大切な言葉ですが、たとえば漢語の「故郷(こきょう)」を
考えても、私たちはその単語を一つのユニットとして認知し、意味を理解するのに
対し、大和言葉の「ふるさと」は「ふ」「る」「さ」「と」の一音一音が心に響きます。

冒頭に挙げた歌詞の最後を「こきょう」にしてみると、その違いがよくわかりますね。


大和言葉には、このように「心に染みる」特性があります。


ところが最近は、造語能力に富む漢語や一見おしゃれな外来語に押されて、長く愛され、
用いらてきた美しい大和言葉があまり使われない、という現象が生まれています。

これは本当にもったいない話。

大和言葉をもっと知ってもらいたい、日ごろの会話やスピーチ、手紙やメールなどに
生かしてもらおう、ということで生まれたのが本書です。

・・・

<参考>


「故郷」(ふるさと)    高野辰之

一、
  兎(うさぎ)追ひし か(彼)の山
  小鮒(こぶな)釣りし かの川
    夢は今も めぐ(巡)りて
    忘れがたき 故郷(ふるさと)

ニ、
  如何(いか)に在(い)ます 父母(ちちはは)
  恙(つつが)なしや ともがき(友垣)
    雨に風に つけても
    思ひ出(い)づる 故郷(ふるさと)

三、
  志(こころざし)を はたして
  いつの日にか 帰らん
    山はあを(青)き 故郷(ふるさと)
    水は清き 故郷(ふるさと)


(昭和8年(1933年)『新訂尋常小学唱歌 第六学年用』)
 原文は平仮名だが、かえって読みづらいので漢字まじりにしたもの。


            <感謝合掌 平成27年10月27日 頓首再拝>

大和言葉~「このうえなく」「いたく」「こよなく」 - 伝統

2015/10/28 (Wed) 19:03:26

現代語の「ちょー」に代わる言葉として、「このうえなく」「いたく」「こよなく」


         *」日本の大和言葉を美しく話す」高橋こうじ・著(P10~11)より

「街で○○さんを見かけたけど、チョー素敵だった」
「このお菓子、チューおいしいよ」

この ごく短い背頭語「チョー」はとても便利な言い方ですが、
最近は、聞く人の心に響いている印象がありません。

そこで、大和言葉を使うと上品な香りをまとわせます。


おすすめ、その1「このうえなく」

  この言葉は、大和言葉特有の柔らかさと穏やかさを持った言葉です。
  人や作品などを評価する際に使うと言葉です。

  「このうえなく素敵だった」

  「このうえなくおいしい」

  といった形で使ってください。

  「それより上のものがない」という意味ですから、
  要するに「最高に」「最上に」という漢語にあたりますが、
  漢語では表せない「あふれる思い」が伝わります。

            ・・・

おすすめ、その2「いたく」

  「心を打たれた」「感激した」と言いたいときには、
  より優雅な言い方があります。「いたく」です。

  漢字にするなら「痛く」。つまり、痛みを感じるほど強く心を打たれた、ということ。

  少し古めかしい言葉ですが、だからこそ、友だちが親切にしてくれたときなどに
  「いたく心を打たれた」と言えば、照れくさいほどの深い感情を表現できます。

            ・・・

おすすめ、その3「こよなく」

  「懐かしむ」「愛する」という語の前に、その度合いを強調する際に使います。

  「ふるさとをこよなく懐かしむ」

  「家族をこよなく愛している」

  このように使うと、懐かしさや愛情の奥行きがぐっと増します。


  ・・・

「このうえなく」「いたく」「こよなく」・・・
こうした美しい大和言葉は、あなたの発言に上品な香りをまとわせますが、
使いすぎは禁物です。

2度、3度と続くと、上品さが鼻についてしまいます。

一度口にしたら続けて使わないことが大事、
その間は「とても」や「非常に」といった当たりまえの言葉を使うことにしましょう。

            <感謝合掌 平成27年10月28日 頓首再拝>

言葉遣いを変えて「美人」に? - 伝統

2015/11/20 (Fri) 19:25:01


           *Web:うさぎ手帖(2015.08.05)より

大和言葉の良さとは、
「声に出して読むと、どちらも耳に優しく響き、なぜか心に染みる」ことで、
初めて耳にした単語も、どこか懐かしく、美しい。

そう感じるのは、やはり日本の風土のなかで生まれ、
大切に育まれてきた日本固有の言葉だからなのではないか


(「日本の大和言葉を美しく話す」著 高橋こうじさん)、より。

例えばその幾つかをここに。

(1)「このうえなくすてきでした」
    ~〝このうえなく〟:最高に、最上にという意味。


(2)「感動した」と言う代わりに「胸に迫る」
   ~ビジネスの場面で・・・


(3)(すこし時間がかかります)と言う代わりに

   「しばしお待ちいただけますか? 」


(4)(だいたい)と言う代わりに

   「おおむね」


(5)(手が空いたら、お暇なときに)と言う代わりに

   「お手すきのときに」


(6)(妥協する)と言う代わりに

   「折り合う」



大和言葉のポイントは

(1)丁寧に話す。
(2)要点をまとめて話す。
(3)言葉を略さない。
(4)単語止めで話を終わらせない。(です。ます。で終わる) …など。


最終的には相手を「思いやる心」を大切に、
相手を気遣いながら話すのが何よりだそうです。

話し言葉だけでなく、メールなどの文章でも言葉選び・言葉運びを大切に。

すてきな〝言葉美人〟になりたいものです。
きっと相手に与える印象がこのうえなくすてきなものに変わるでしょう?

      (http://maeda-fujinka.com/archives/226


            <感謝合掌 平成27年11月20日 頓首再拝>

「お買い被りを」「おからかいを」「お戯れはもうそれぐらいで」「恐れ入ります」 - 伝統

2015/11/25 (Wed) 19:19:01


         *」日本の大和言葉を美しく話す」高橋こうじ・著(P12~13)より


褒められたときには、素直に「ありがとうございます」と礼を言うのが基本。
でも、そこで話が終わらず、さらに褒められると、対応に困るものです。
そのときには、

おすすめ、その1「お買い被りを」

  言葉遣いや能力や性質について褒められたときには
  「お買い被りを」を言ってみてはいかがでしょうか。

  意味するところは「あなたは私を買い被っている」、
  つまり「過大評価だ」ということなので、まさに謙遜の言葉」ですが、

  この表現を使えること自体が、社会人としての総合力を磨いているいることの
  証明、洗練された対応です。




おすすめ、その2「おからかいを」

  「美人だね」「イケメンだね」などと顔やスタイルを褒められたときには、
  これも、初めは素直に「ありがとうございます」と礼を言うのが自然。

  でも、相手がさらに「女優さんかと思った」「モデルになれますよ」などと
  続けたら、「おからかいを」と言ってみましょう。

  相手は、上手な受け答えをするあなたの頭脳にも関心を持ってくれるはずです。



おすすめ、その3「お戯(たわむ)れはもうそれぐらいで」

  例えば、酒の席などで、からかい半分に褒めれる場合、
  「いなかでは神童と呼ばれていたんだよね」「全社員の憧れの的だよな」
  などとしつこく褒めてくる人には、

  「お戯れを・・・」あるいはもう少しきっぱりと「お戯れはもうそれぐらいで・・・」
  と言ってみましょう。

  よく使われる「ご冗談を」という言い方より一段階上のインパクトを持つ言葉です。



おすすめ、その4「恐れ入ります」

  褒められて感謝する言葉としては「ありがとうございます」以外に
  「恐れ入ります」があります。

  漢語を使って「恐縮です」と言っても同じことですが、
  大和言葉の「恐れ入ります」はより和やかに相手の心に染み入ります。


            <感謝合掌 平成27年11月25日 頓首再拝>

大和言葉を美しく話す - 伝統

2017/01/14 (Sat) 17:33:09


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015-01-18)」より

   (高橋こうじ氏の心に響く言葉より…)

   大和言葉とは、太古の昔に私たちの先祖が創り出した日本固有の言葉。
   また、その伝統の上に生まれた言葉です。

   「山(やま)」「川(かわ)」「夢(ゆめ)」「ふるさと」、みんな大和言葉です。


   日本語の単語は3種類あり、残る2つは漢語と外来語です。

   漢語は中国語から取り入れた言葉で、「山地(さんち)」「河川(かせん)」など、
   つまり漢字の読み方で言えば、音読みで発音されるのが漢語。

   訓読みが大和言葉です。


   外来語は中国以外から来た言葉で、多くはカタカナ表記です。

   たとえば、「はじめる」は大和言葉で、
   同じ意味の漢語は「開始」、外来語は「スタート」。

   私たちはこんなふうに3種類の日本語を日常的に使っています。


   大和言葉が日本人の心に染みるのは、日本の風土の中で生まれた言葉だからです。

   たとえば、「地面が盛り上がったところ」は、
   先祖たちにとって「や」「ま」という二つの音で表すのが一番しっくり来るもの。
   だから「やま」になりました。


   つまり、大和言葉はその一音一音が先祖たちの感性の投影なのです。

   たとえば漢語の「故郷(こきょう)」を考えてみても、
   私たちはその単語を一つのユニットとして認知し、意味を理解するのに対し、
   大和言葉の「ふるさと」は「ふ」「る」「さ」「と」の一音一音が心に響きます。


   大和言葉には、このように「心に染みる」特性があります。

   ところが、最近は、造語能力に富む漢語や一見おしゃれな外来語に押されて、
   長く愛され、用いられてきた美しい大和言葉があまりに使われない、
   という現象が生まれています。

   これは本当にもったいない話。


   たとえば、「街で○○さんを見かけたけど、チョー素敵だった」

   いまや老若男女を問わず口にする「チョー」。

   でも、あまりに頻繁に使われるため、最近は、聞く人の心に響いている印象がありません。


   「チョー」と言いたいときには、むしろそれを避けて、別の言葉で言ってみましょう。

   一番のお勧めは「このうえなく」。

   大和言葉特有の柔らかさと穏やかさを持った言葉です。


   人や作品を評価する際に、「このうえなく素敵だった」「このうえなくおいしい」
   といった形で使ってください。

   「それより上のものがない」という意味ですから、
   要するに「最高に」「最上に」ということ。

   漢語では表せない「あふれる思い」が伝わります。


   また、「心を打たれた」「感激した」と言いたいときには、
   より優雅な言い方あるので紹介しましょう。

   「いたく」です。

   漢字にするなら「痛く」。

   つまり、痛みを感じるほど強く心を打たれた、ということ。

   友達が親切にしてくれたときなどに「いたく心を打たれた」と言えば、
   照れくさいほどの深い感謝を表現できます。


   もう一つ、「チョー」に代わる言葉を。

   「懐かしむ」「愛する」という語の前に、その度合いを強調する言葉をつけたいときは、
   「このうえなく」よりも「こよなく」が似合います。

   「ふるさとをこよなく懐かしむ」「家族をこよなく愛している」言ってみてください。

   懐かしさや愛情の奥行きがぐっと増します。


        <『日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現』東邦出版>

                 ・・・

高橋氏は本書の中でこう語る。

「われらがご先祖たちは、日本を『言霊(ことだま)の幸(さき)わう国』と呼んでいました。

言霊が栄えさせている国、ということです。

たとえば万葉集には、柿本人麻呂のこんな歌が収められています。

『しきしまの大和の国は 言霊の幸わう国ぞ ま幸(さき)くありこそ』

この日本の国は、言霊、すなわち言葉が持つ霊的な力によって幸せになっている国です。

これからも平安でありますように」


日本は、古来より言葉には力があると信じてきた。

大和言葉を美しく使うことは、幸せを招くことにつながる。


言葉の乱れは、心や生活の乱れ。

大和言葉を美しく話したい。

            <感謝合掌 平成29年1月14日 頓首再拝>

『雪転ばし』(ゆきまろばし) - 伝統

2017/01/18 (Wed) 18:00:50


       *メルマガ「夢の言の葉(2016年1月16日)」より

 ☆------雪をころがし丸めて、大きいかたまりにすること------
 

 雪が積もった日の定番は、雪だるま作りですね。
 
 
 まずは、雪をころがして、大きな雪玉を用意するわけですが、
 ころがすだけでも、古くからある遊びです。
 
 
 「雪まろげ」「雪まるげ」「雪まろめ」「雪まるめ」あるいは、
 『雪まろばし』「雪まろがし」「雪まろがせ」など、
 さまざまな名前で呼ばれてきました。
 
 
 
 そのうち、まろげ、まるげ、まろめ、まるめは、
 どれも「丸」を当てます。
 
 
 雪を丸めることをあらわしているわけですね。
 
 
 
 それに対して、まろばし、まろがし、まろがせは、「転」と
 書きます。
 
 
 つまり、雪をころがしていくことに、重点を置いた呼び方です。
 
 
 
 『源氏物語』にも、その様子が描かれていますが、
 『雪まろばし』と呼んでいます。
 
 
 
 「まろばす」は、ころがすという意味の古語。
 
 こう言うと、なんだか優雅に聞こえますね。
 
 
 
 もちろん、雪をまろばすのであって、くれぐれも、
 雪にまろばされないように、お気をつけください。
 
            <感謝合掌 平成29年1月18日 頓首再拝>

「~ございます」 - 伝統

2017/01/20 (Fri) 18:52:58


         *「日本の大和言葉を美しく話す」高橋こうじ・著(P14~15)より

楽しゅうございました

(1)目上の人を相手、できるだけ丁寧な敬語を使って話す中で、
   楽しい思いや、過去に楽しかった気持ちを表現するときに使います。

(2)最近は、「楽しいです」や「楽しかったです」のような、
   形容詞に「です」を足す言い方をしますが間違いではありません。

   しかし、これは伝統的には誤りとされてきた言い方で、
   ぎこちなさは否めません。

(3)できることなら、より端正な表現を用いたもの、
   「ございます」を使いましょう。

   「あの旅、本当に楽しかったです」

   → 「あの旅、本当に楽しゅうございました」

  *「楽しゅう」は「楽しく」が変化した言い方。
   あとに「ございます」がつく場合には、必ずこの形になります。

・・
嬉しゅうございます

(1)嬉しい気持ちを伝えたいとき、「嬉しく存じます」でもいいのですが、
   よりソフトで美しく響くのは「嬉しゅうございます」です。

(2)尊敬する人々が集まる場に自分も招待された、といったときには、
   「このたびのお誘い、嬉しゅうございます」と礼を述べましょう。

・・・

後ろに「ございます」がつくときの、
形容詞の語尾の変化には3つのパターンがあります。

(1)「うれ《し》い」のように、《》部が五十音のイ段の場合は、
   その文字に小さい「ゅ」と「う」がついて「うれしゅう」の形になります。

(2)「ありが《た》い」のように、《》部が五十音のア段の文字の場合は
   その文字をオ段に変えて「う」をつけ、
   「ありがとうございます」のようになります。

(3)「さ《む》い」「ほ《そ》い」のように、そこがウ段やオ段の場合は、
   そのまま「う」をつけて「さむうございます」「ほそうございます」と
   なります。

            <感謝合掌 平成29年1月20日 頓首再拝>

気持ちの機微(きび)を伝える言葉 - 伝統

2017/01/25 (Wed) 19:33:48


         *Web:キナリノ より


大和言葉では、心を動かされた時の思いを「胸」を使って表現することが多くあります。


ぐっと来た感じなら、「胸に迫る」

ずしんと来たなら、「胸を打つ」

じわじわ来たなら、「胸に染みる」

ひと口に「感動した」といっても、その程度や感じ方は人それぞれ。
その繊細な表現を伝えられるのは、わびさびを大切にする大和言葉だからこそなんです。

安心した時には「胸をなでおろす」という言い方もあります。

胸に手を当ててホッとしている様子が、言葉ひとつから目に浮かんできますね。

            <感謝合掌 平成29年1月25日 頓首再拝>

あふれる想いを伝える言葉 - 伝統

2017/01/29 (Sun) 19:09:58


         *Web:キナリノ より

日常会話でしょっちゅう出てくる「すごく」「ものすごく」、
砕けた言い方だと「超~」なんて言いまわしも、
大和言葉にすると印象がガラリと変わります。


たとえば「このうえなく」という大和言葉。
「このうえなく美味しい」「このうえなく綺麗」など、
これより上がないという意味の、最上級の想いが込められます。


また愛情表現をする際は、「こよなく」という言葉が似合います。
「こよなく愛している」「こよなく親しんだ」などという使い方をすると、
想いに深みが出ますよね。

            <感謝合掌 平成29年1月29日 頓首再拝>

コミュニケーションを柔らかくする言葉 - 伝統

2017/02/01 (Wed) 18:48:13


         *Web:キナリノ より

「待っています」よりも「心待ちにしています」の方が、
言われた相手は嬉しく感じられるもの。

言葉ひとつでさりげなく気遣いを表現できるのも、大和言葉の特性です。


また「相手に不快感を与えない」言いまわしも、大和言葉は得意です。
たとえば、「妥協する」と言いたい時は「折り合う」、
「暇があれば」は「お手すきの時に」に変換。


ビジネスでよく耳にする「恐れ入りますが・・」「不躾(ぶしつけ)ではありますが・・」
も実は大和言葉なんですよ。
自分を下げて相手を敬うという、日本人らしい丁寧な言いまわしです。

            <感謝合掌 平成29年2月1日 頓首再拝>

「ようこそお運びくださいました」 - 伝統

2017/02/05 (Sun) 19:08:29

「ようこそお運びくださいました」 もてなしの思いを表す 大和言葉


         *「日本の大和言葉を美しく話す」高橋こうじ・著(P18)より

お越し頂いたお客様に、感謝の気持ちを伝えたい時、
「ようこそ、いらっしゃいました」 「ようこそ、おいでくださいました」
「ようこそ、お越し下さいました」 など、様々な言い方があります。

どれも、美しい言葉遣いですが、私はよくこの 「大和言葉」 を使います。


「ようこそお運びくださいました」

「お運びと」 とは、「足を運ぶこと」なので、客が来てくれたことだけでなく、
それに費やした 体力と時間にも目を向け」、感謝する言葉。

したがって、遠くからきてくれた人や雨の日の客などに対して使えば、
まさに心のこもった歓迎の挨拶になります。


「お運び」は名詞として使うこともできます。

招待状の文言ならば「お運びを願いたく存じます」。

パーティーの会場で主催者として挨拶するならば、
「多くの皆様のお運びを頂戴し、感謝に堪えません」といった使い方です。
より畏まった印象を醸します。

「お運び」だけでなく「ようこそ」まで名詞のように用いるユニークな言い方が
「ようこそのお運び」です。
「ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます」といった形で使います。

            <感謝合掌 平成29年2月5日 頓首再拝>

もてなしの思いを表す 大和言葉の数々 - 伝統

2017/02/12 (Sun) 17:40:23


         *「日本の大和言葉を美しく話す」高橋こうじ・著(P18~21)より


(1)「お待ちしていました」

   より丁寧に言うなら「お待ち申し上げておりました」

   さらに、「心待ちにしておりました」と言うと、
   相手に「とても期待している」いう感じがより強く伝わります。


(2)「お上がりください」

   「お入りください」も立派な敬語ですが、
   「お上がりください」は、個人宅に来てくれた人への親しみを表現できます。


(3)「ごゆるりとおくつろぎください」

   よく使われる「ゆっくり」「ゆったり」はどちらもゆとりを表わす副詞ですが、
   「ゆっくり」は主として時間、「ゆったり」は空間のゆとりが想起されます。

   その点、重宝なのが、
   「ゆるり」という大和言葉に「ご」をつけた「ごゆるりと」。

   広い意味でのゆとりを表現する言葉なので、
   「ごゆるりとおくつろぎください」はどんな場でも使えます。

   目の前の客に対して「どうぞごゆるりと」とだけ言って
   あとを略するのも、柔和で美しい表現です。


(4)「お心置きなく」(ご遠慮なく)

   「ご遠慮なく」は、場面によっては、嫌味に響くこともあります。
   「お心置きなく」は、嫌味に響きません。

(5)「お口に合いますかどうか」

   作った料理に自信があっても、味覚は人それぞれ。
   「お口に合いますかどうか」と謙虚に差し出す。

   そんなもてなしなら、たとえ嗜好の違いがあっても、
   客の心を幸福感で満たすはずです。

(5)「ほんのお口汚しですが」(少量のお菓子やつまりを出す時に使う) 

   「お口汚し」とは少量という意味です。

            <感謝合掌 平成29年2月12日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」 - 伝統

2017/09/20 (Wed) 19:16:52


鼻と花が同じ音なのは偶然? 語源をたどって見えた「大和言葉」

        *Web:MAG2NEWS(2017.09.18)より
             ~『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《大和言葉の世界観》

目と芽、鼻と花、歯と葉、耳と実(み)、頬と穂(ほ)。
顔と植物の各パーツが、まったく同様の音を持つ言葉で呼ばれているのは、
偶然だろうか?

万葉学者の中西進氏の説によれば、これらは語源が共通しているからだと言う。
漢字にすれば、まったく別の言葉のように見えるが、

古代の日本人は、顔のパーツも植物のパーツも、
「め」「はな」「は」「み」「ほ」と同じように呼んで、
同じようなものと考えていたようだ。

たとえば、鼻は顔の真ん中に突き出ている
。同様に「花」も、植物の枝先の先端に咲く。
そして岬の端も「はな」と呼ぶ。
薩摩半島の「長崎鼻」がその一例である、

さらに「かわりばな」「しょっぱな」「寝入りばな」など、
物事の最初を表す意味も持つ。


「からだ」とは、幹をあらわす「から」に接尾語の「だ」がついたものである。
「から」が植物にも使われた例は、稲の茎の「稻幹(いながら)」、
芋の茎の「芋幹(いもがら)」などの言葉に残っている。

古くは手足のことを「枝(えだ)」と呼んだ。
「手」「足」と呼び分けるようになったのは、奈良時代あたりからである。

もう明らかだろう。
我々の先祖は、植物も人体も同じものだと見なしていたのである。
すべては「生きとし生けるもの」なのだ。

こうして古来の大和言葉の源を辿っていくと、古代日本人の世界観が見えてくる。

            <感謝合掌 平成29年9月20日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その2 - 伝統

2017/09/21 (Thu) 18:02:02


        *Web:MAG2NEWS(2017.09.18)より
             ~『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《咲く、幸い、盛り、岬、酒》

花が「咲く」のと、人の「幸い」も同根である。
「幸い」は「さきはひ」で、「さく」と「はひ」に分かれる。

「さく」は「咲く」である。
ものがそのピークの状態になることを意味する。
ちなみに「花盛り」の「盛り」も、「さか」+「り」で、
花が咲きあふれているピークの状態を意味する。

岬も「み(美称)」+「さき」で、海や湖に突出した形状の土地を指す。
お酒の「さけ」も、酒を飲むことで、気持ちが高揚し、幸福感を抱く。


「はひ」は「延ふ」で、ある状態が長く続くことを指す。
「味はひ」は、「あの人の言葉には味わいがある」と言うように、
「長く続く味」を意味する。

とすると、「さきはひ」とは
「咲く」という花の満開状態が「延ふ」、長く続く、ということになる。

心が花開くような嬉しさが、持続的に続く状態と考えれば、
古代人がこの言葉に込めた語感がよく伝わってくる。

現代人は「幸福」とは何か、などと抽象的に考えるから、訳が分からなくなる。

「さきはい」とは「心の中に花が咲きあふれて、長く続く状態」と知れば、
それはお金や地位などの外的物質的なものに関わりなく、
純粋に心の有り様であることが分かるだろう。

            <感謝合掌 平成29年9月21日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その3 - 伝統

2017/09/22 (Fri) 19:58:11


        *Web:MAG2NEWS(2017.09.18)より
             ~『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《人と草木の一生》

草木が春に芽ぐむことを「萌える」と言う。
「萌える」は「燃える」と同じで、火が盛んに起こった状態を指す。

「仕事に燃える」「燃える恋」などと、
人が心の中で情熱を燃やしている状態にも使われる。

人が最も燃える時期が「青春」だが、
同様に春に草木の生命力が盛んに燃えて、新しい芽を出すのが「萌える」である。


この後に、前述の「花盛り」を過ぎて、実が「なる」時期が到来する。
「なる」は人にも使われて、現在でも「大人になる」「人となり」などと使われる。
「なる」とは、そのものの生命力が発現された状態を指した。


やがて人も草木も老いて、生命力を失っていく。
植物では水分を失ってしおれる事を「しなゆ」と言った。

「ゆ」は自然にそうなる事をいい、「しぬ」は「萎(しな)える」、
水分を失って、くたっとなった状態を指す。

「しぬ」は、人間の「死ぬ」にも使われているが、
本来の意味は命が絶えた状態ではない。

植物の命が絶えるのは「枯れる」である。
完全に水分が失われた状態を指す。

「枯れる」の古語は「離(か)る」と言い、
人間で言えば、魂が体から離れることを言った。

体から離れた死者の魂は、「ねのくに(根の国)」に戻ると古代日本人は考えた。
「ね」は母なる大地である。

そこから、人も草木もまた「たね」を育み、「め」を出し、
「はな」を咲かせていくのである。

            <感謝合掌 平成29年9月22日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その4 - 伝統

2017/09/24 (Sun) 19:57:14


        *Web:MAG2NEWS(2017.09.18)より
             ~『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《「生きる」「息」「命」》

「生きる」「息(いき)」「命(いのち)」は、どれも「い」で始まっている。
「いきる」の古語は「いく」であるが、これは息(いき)と同根である。
息をすることが、生きることである。

だからこそ、息をする器官である「鼻」が、顔の中心だと考えられたのである。


「いのち」の「い」は、「生く」「息」と同じである。
そのほかにも、「い」は「忌(い)む(慎んで穢れを避けること)」
「斎(いつ)く(神などに仕えること)」など、厳かな意味を持つ。


「いのち」の「ち」は不思議な力を持つもの、すなわち霊格を表す言葉で、
「おろち(大蛇)」「いかづち(雷)」「ちち(父)」などに使われている。
生けるものの体内を流れる「血」も、不思議な力の最たるものであった。

この「ち」に「から(そのもの)」を合わせた言葉が「ちから(力)」である。
「ちち(乳)」も、生命を育む不思議なちからを持った存在である。

したがって、「いのち」は「忌(い)の霊(ち)」とでも言うべき、
忌み尊ぶべき霊力である。

そのような尊厳ある「いのち」が、草木や人間に宿っていると、
古代の日本人は考えたのである。

            <感謝合掌 平成29年9月24日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その5 - 伝統

2017/09/25 (Mon) 19:50:12


        *Web:MAG2NEWS(2017.09.18)より
             ~『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《たまきはる命に向う》

『万葉集』の相聞歌に、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈った、
次のような歌がある。

  <直(ただ)に逢(あ)ひて見てばのみこそたまきはる命に向うわが恋止(や)まめ>

お便りだけでなく、じかにお会いしてこそ、
「たまきはる命に向う」私の恋心も安らぐでしょう、という意味である。

「命に向う恋」とは、諸説あるが、ここでは、
自分の生命力の根源である「いのち」に相対して、それを苦しめている恋心である、
とする説をとる。

「いのち」が人を生かしめている不可思議な力である、とすればこそ、
それをすら苦しめる恋心の強さが感じ取れる。

「たまきはる」とは何か。

「たま」とは霊魂である。
「きはる」は「きわめる」の古語「きはむ」で、
極限(きは)を求めることを意味する。

わが魂の根源にある「いのち」、それが「たまきはるいのち」だと考えられる。

「命に向かうわが恋」を「命を賭けた恋」とする解釈もあるが、
それでは「成就しなければ命を捨てよう」という、
迷いも苦しみもない意志的な生き方となる。

「魂の根源にある生きる力を苦しめている恋」に比べれば、
きわめて平板な人間観になってしまう。

            <感謝合掌 平成29年9月25日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その6 - 伝統

2017/09/26 (Tue) 19:36:47


        *Web:MAG2NEWS(2017.09.18)より
             ~『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』

《「恋ふ」「思ふ」「悲し」》

「恋い」とは、「魂乞(たまご)い」であり、恋人の魂を乞うことだ、
というのが、国文学者で歌人であった折口信夫の説である。

「恋い」と「乞い」は、古代の発音は多少異なっているが、
だからこそわずかな意味の違いを持つ仲間語だとも言える。

「乞ふ」とは離ればなれとなっている恋人同士が、互いの魂を呼び合うことだった。
魂の結合こそが、恋の成就だったが、それがなかなか実現しない切なさ、
それこそが「こひ」だった。

そう考えれば、「わが恋止(や)まめ」とは、
「あなたの魂を乞う思いが、ようやく止まるだろう」という切なさが伝わってくる。


「恋ふ」と同様な言葉に「思ふ」がある。
現代語でも「あの人を思っている」と言う。

「おもふ」の「おも」は、「重い」の「おも」であり、
心の中に重いものを感じとることが「思ふ」である。

「あの人を思ふ」「国の行く末を思ふ」とは、大切なものの重みを
心の中に感じながら、あれこれと考えることである。


「悲し」という言葉もある。
「妻子(めこ)見れば かなしくめぐし」とは大伴家持の長歌の一節である。

「かなし」の語源は「かぬ」で、今日でも「その仕事はできかねる」というように、
力が及ばなくて、果たすことができない、という意味である。

「会いたいのに会えない」「幸せにしてやりたいのにできない」、
そのような愛するものに対する、切なる悲哀を表す言葉が「悲し」であった。

            <感謝合掌 平成29年9月26日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その7 - 伝統

2017/09/27 (Wed) 17:21:36


《「ねがふ」「いはふ」「のろふ」》

求婚することを古代の日本語では「よばふ」と言った。
「よばふ」とは「呼ぶ」+「ふ」で、「ふ」は継続を意味する。
恋人の魂を「呼び続ける」ことである。

同様に「妻子の幸せを願う」などと言う時の「願う」は
「ねぐ」に「ふ」がついた言葉で、「ねぐ」とは「和らげる」という意味。
神様の心を和らげて、何度もその加護を願うことだった。


神職の一つに「禰宜(ねぎ)」があるが、
これは神の心を和ませて、その加護を願う仕事を指す。


同様に、「いはふ」は「言う」を続けること。
神様を大切にする気持ちを繰り返し言うことで、
これが「斎ふ」という言葉になった。


「のろふ」は、「のる」+「ふ」で、「のる」を続けることである。
「のる」は「祝詞(のりと)」、「名のり」などに、残っているように、
「重大なことを告げること」を意味する。

転じて、神様の力を借りて、
相手にわざわいをもたらそうとするのが「のろふ」である。

日本の神様は、それぞれに支配する範囲が決まっていて、時おり、
その地に降りてきて、人間の「ねがひ」「いはひ」「のろひ」などを聞いてくれる。

その神様に出てきて貰うために、笛を吹いたり、囃したりして、
「待つ」ことが「まつり」だった。
その動詞形が「まつる」である。

古代日本人にとって、神様とはそのような身近な具象的な存在であった。

            <感謝合掌 平成29年9月27日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その8 - 伝統

2017/09/28 (Thu) 18:26:04


《「天(あめ)」「雨(あめ)」「海(あま)」》

そうした神様の元祖が「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」である。
「天(あめ)」の「御中(みなか)」にいる「主(ぬし)」である。

「天(あめ)」は「海(あめ)」でもあった。
「天」は「海」のように青く、そこからときおり「雨(あめ)」が降ってくる。
そんなことから、古代日本人は天には海と同じような水域があると考えたようだ。

水が大量にある所を「海(うみ)」と言う。
「うみ」は、昔は「み」とも言った。
「みず」の古語は「みづ」だが、これも同じく「み」と言った。

一面にあふれることを「みつ(満つ)」と言う。

この「みつ」から「みづみづし」という言葉も生まれた。
「瑞穂(みずほ)の国」とはわが国の古代の自称であるが、
水を張った水田に青々とした稲穂が頭を垂れている姿は、
古代日本人のふるさとの原景なのだろう。

            <感謝合掌 平成29年9月28日 頓首再拝>

語源をたどって見えた「大和言葉」~その9 - 伝統

2017/09/29 (Fri) 21:06:27


《和歌は日本人の固有な韻文に対する自負と誇り》

以上のような大和言葉で歌われるのが、和歌、すなわち「日本の歌」である。
和歌は神様を褒め称えたり、恋人に思いを伝える時に使われる特別な形式であった。

「いのち」という言葉に根源的な生命力を感じたり、
また「恋」という言葉に、相手の魂を乞う、そのような濃密な語感を込めて、
和歌は神や恋人に思いを伝えるものであった。

そのような和歌を集めた歌集として、現存する最古のものが万葉集である。
雄略天皇(第21代、5世紀後半)の御歌から始まり、農民や兵士など
一般庶民の歌まで収められたまさに「国民歌集」であるが、
その中に使われた外来語は16語くらいしかない。

当時の語彙の数は、「古代語辞典」で解説されているものだけでも8,500語ほどあるが、
そのうちのわずか16語である。それもこれらのほとんどは、「法師」「餓鬼」「香」
などの仏教用語で、巻16の戯れの歌などに使われているのみである。


万葉集は、歌い手としては天皇から一般庶民に至るまで区別なく登場させているが、
外来語は排除し、「大和言葉」で表現された思いを集めようとする意図が
徹底されているのである。

現存する日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』は、
万葉集とほぼ同時期に編纂されている。

その時期に我が先人たちは中国から入ってきた漢詩に対抗して、
外来語を排して大和言葉だけの和歌集を編んだ。

この点について、中西進氏はこう語る。

   <このいきさつを考えると、和歌は日本人の固有な韻文に対する
   自負と誇りを示すものと思われる。漢詩とあい対立せしめつつ、
   わが国の韻文を対等に位置づけようとしたものであった。
              (『日本語の力』中西進 著/集英社)>

日本語は歴史的に中国や西洋の概念用語も積極的に取り入れつつ、
最先端の科学技術論文にも使われている現代的な論理的言語となっている。

と同時に、その根源にある大和言葉は太古の日本人の世界観・人生観を
そのままに伝える詩的言語である。

これは世界最古の皇室を戴きながら、世界の経済大国・技術大国である
というわが国の姿に良く似ている。

言葉と国柄とは、お互いに支えあうもののようだ。

「祖国とは国語」という言葉が改めて思い起こされる。

    (http://www.mag2.com/p/news/265289

            <感謝合掌 平成29年9月29日 頓首再拝>

ビジネスメールにちょっぴり知性を。仕事に使える「大和言葉」~その1 - 伝統

2018/01/27 (Sat) 17:48:15



        *Web:MAG2NEWS(2018.01.16 )より

(1)仕事に使える大和言葉 伝えそびれたときに

   「遅ればせ」

   遅れて馳せ参じること。

   「遅ればせながら」は、肝心なときに人より遅れて駆けつけることを意味します。
   最も良いタイミングは逃してしまったけれど、
   相手に気持ちを伝えたいときに用いるとよい言い回しです。

   例えば、年賀状を出しそびれた相手に今年最初のメールを送るとき

   遅ればせながら、新年のごあいさつを申しあげます。
   本年もどうぞよろしくお願いいたします。

   といった具合に使います。


   お祝いを相手に直接言うタイミングを逃してしまったときも、メールでやりとりする際に

   このたびはご結婚おめでとうございます。
   遅ればせながら、お祝い申しあげます。

   と、ひと言添えておくこともできます。


   お礼を伝えそびれた場合も、相手への感謝の意をメールやはがきに書き、
   結びに「遅ればせながらお礼まで」として送れば、たとえ短い文でも相手に伝わります。

            <感謝合掌 平成30年1月27日 頓首再拝>

ビジネスメールにちょっぴり知性を。仕事に使える「大和言葉」~その2 - 伝統

2018/01/28 (Sun) 19:32:03


(2)仕事に使える大和言葉 決して特別ではない、と伝えるときに

   「ご多分に漏れず」

   「例に漏れず」と言い換えることができるように、
   ほかと同様に、例外でなく、という意で使う言い回し。

   例えば、他社と同様の課題や問題を抱え、自社も同じ状況である、と伝えたい場合

   ご多分に漏れず、当社も人手不足に悩まされています。

   のように使います。

   自分の例を挙げ、それが特別なことではないと伝える場合も
   「ご多分に漏れず」を下記のように使うと説得力が増します。

   私もご多分に漏れず、仕事のストレスから体調を崩した時期があります。

   私もご多分に漏れず、メタボと診断されてから運動を始めました。

   「ご多分に漏れず」は、
   思わしくない状況が他と同様であるというときに用いる言い回しです。

   「カープ人気の影響でご多分に漏れず、関連グッズがよく売れる」
   といった好調で、良い状況のときには使いません。

   また、表記するときは「ご多聞」ではなく「ご多分」と書くので、注意が必要です。

            <感謝合掌 平成30年1月28日 頓首再拝>

ビジネスメールにちょっぴり知性を。仕事に使える「大和言葉」~その3 - 伝統

2018/01/29 (Mon) 19:05:03


(3)仕事に使える大和言葉 断るしかないときに

   「やむなく」

   やむを得ない、仕方がないという意味の言葉で、
   どうしようもない状況に使うことが多いのが「やむなく」です。例えば……。

   都合や事情があり、参加や人からの誘いを断らなければならない。
   そんなとき、「どうしてもだめで」では説得力がなく、
   かといって「ちょっとその日は…」という曖昧な断り方もすっきりしません。

   そのようなときは、参加できない理由を挙げたうえで、
   「やむなく」を使うと、相手にも断る事情が伝わります。

   社内行事と日程が重なっており、今回はやむなく欠席いたします。

   「やむなく」を用いることで、
   「どうにも都合がつかないので、やむを得ず諦めた」という心情が伝わります。


   断りを入れる場合も「やむなく」を使うことで、
   「残念ながら」という意味合いを添えることができます。

   早々に定員に達し、やむなく申込みをお断りした次第です。


   いろいろ事情があり、なんとかしたくてもどうにもできない状況を伝えるときに
   適した言葉が「やむなく」です。

       ( http://www.mag2.com/p/news/346650 )

            <感謝合掌 平成30年1月29日 頓首再拝>

「おとうさん」ってどういう意味ですか - 伝統

2018/04/08 (Sun) 16:42:18


        *『致知』2018年5月号(P58)より

例えば、「おとうさん」「おかあさん」という言葉が、
大和言葉からきていることはご存じでしょうか。

そもそも「おとうさん」とは、そのうちの「とう」が
大和言葉の「尊(とうと)し、貴(とうと)し」という意味で、
それに敬語と敬称の「お」と「さん」がついて
「おとうさん」となりました。

また、「とう」とは和語の数え方「ひ、ふ、み……この、とお」のうち
「とお」という数字的に満ち足りている様子も表していることから、
心身ともに統合された、尊い人のことを「おとうさん」と呼んでいるのです。

次に「おかあさん」の「か」は、大和言葉で
「火(か)、日(か)」という意味で、カッと熱く輝く様子を指しています。
日の光はその字が示すように、力(パワー)であって、
万物の命の元でもあるのです。また、「あ」は大和言葉の
「生(あ)れ」から取られたもので、愛のエネルギーで命を生み出すことを指します。

そこに「お」と「さん」がつくことで、太陽のように明るく輝く、
子供を産んだ女性のことを「おかあさん」と呼ぶようになったのです。

            <感謝合掌 平成30年4月9日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.