伝統板・第二

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臨死体験~木内 鶴彦さんの場合 - 夕刻版

2015/10/13 (Tue) 19:56:34

日本に、木内鶴彦という、彗星探索家、また臨死体験者として有名な人がいる。

彼は、1992年9月27日に、行方不明になっていたスウィフト・タットル彗星の
再発見をした他に、彗星を3つ発見して世界から一躍注目を浴びた。

このスイフト・タットル彗星は、2126年8月14日に地球衝突の可能性があるとして、
映画『アルマゲドン』や『ディープインパクト』のモデルともなっている。


木内さんは《死後蘇生》が医師のカルテに記録された国内唯一の人だ。

22歳のとき病気で心臓・呼吸・脳波が完全に停止したが、約30分間後に息を吹き返した。
死んでいた間、時空を超えて、過去や未来を自由に行き来する不思議な体験をした。

その臨死体験(死後体験)から知り得た宇宙創世の話と、
木内さん自身の人生観の変化が非常に興味深く、

このスレッドにて、
木内さんの著書『「臨死体験」が教えてくれた宇宙の仕組み』から
その要点を紹介してまいります。



今回は、この著書の目次を示し、その概略を掴んでいただければと考えています。


<目次>

◆はじめに ― いま、新たなる旅立ちのときを迎えて


【第一章】あの世はどうなっているのか ~ 最初の臨死体験

(1)宇宙と向き合えば向き合うほど、よみがえる不思議な体験・・・p14
(2)助かった人がいない重篤な腸閉塞で死の淵に・・・・・・・・・p18
(3)トンネル、花畑、亡くなった人たち…・・・・・・・・・・・・p20

(4)肉体を離れた「意識」に「自分」がある・・・・・・・・・・・p26
(5)幼い自分に声をかけたのは誰だったのか?・・・・・・・・・・p32
(6)未来に行って見てきた映像は現実に起こった!・・・・・・・・p35

(7)友人の意識に入り込み、試してみたこと・・・・・・・・・・・p40
(8)歌集に残した「つる」の文字・・・・・・・・・・・・・・・・p45
(9)珍しい症例として学会でも報告される・・・・・・・・・・・・p48

(10)第一次臨死体験と第二次臨死体験がある・・・・・・・・・・・p52


【第二章】あの世はどうなっているのか ~ 2度目の臨死体験

(1)宇宙が私に生き方を示してくれた・・・・・・・・・・・・・・p60
(2)皆既日食の瞬間だけ雲が晴れる奇跡・・・・・・・・・・・・・p63
(3)心肺停止で運び込まれ、ふたたび臨死状態に・・・・・・・・・p69

(4)過去に戻って北斗七星を岩に刻む・・・・・・・・・・・・・・p73
(5)中国語で話しかける医師に通訳なしで返答する・・・・・・・・p76


【第三章】「膨大な意識体」と宇宙が生まれたわけ

(1)あの世は五次元でできている・・・・・・・・・・・・・・・・p82
(2)「膨大な意識体」で共有されるとてつもない情報・・・・・・・p88
(3)宇宙は「膨大意識体」のひずみから生まれた・・・・・・・・・p88

(4)死は意識が形を変えるだけのこと。恐れることではない・・・・p90
(5)輪廻転生や前世の記憶はひずみによってもたらされる・・・・・p93  


【第四章】宇宙の誕生で見えてきた世界

(1)惑星は太陽が収縮するたびに産み落とされた塊だった・・・・・p100
(2)電子のスパークがアミノ酸を生命に変える・・・・・・・・・・p103
(3)原始の地球では放射線をえさとする生命があった・・・・・・・p106

(4)意識はミトコンドリアの中に存在する・・・・・・・・・・・・p110
(5)一万五〇〇〇年前まで地球に月はなかった・・・・・・・・・・p114
(6)月を見ると、すべての生物は不安になる・・・・・・・・・・・p118

(7)人間は自らテレパシーの回線を遮断した・・・・・・・・・・・p121
(8)私たちはもうすでに未来に行っている!・・・・・・・・・・・p123
(9)自分を「気配」に変えると第六感が覚醒する・・・・・・・・・p126


【第五章】私たちの使命とは何か

(1)私たちはゲームの中に行きるキャラクター・・・・・・・・・・p132
(2)人間が一番新参者であるわけは…・・・・・・・・・・・・・・p135
(3)人間は過去三度、文明崩壊の危機に瀕している・・・・・・・・p138

(4)未確認飛行物体(UFO)は本当にあるのか? ・・・・・・・・・p141
(5)宇宙のかなたにある謎の宇宙ステーションを発見?・・・・・・p145
(6)肥沃な土地が砂漠になり、二度目の破滅が訪れる・・・・・・・p149

(7)三度目の破滅で滅んだエジプト文明・・・・・・・・・・・・・p152
(8)環境循環のサイクルを守るのが人間の役割・・・・・・・・・・p154
(9)かつての人間は循環型の社会をつくっていた・・・・・・・・・p159

(10)世の中にいらない人など一人もいない・・・・・・・・・・・・p162
(11)自分の役割を見つける近道と一人一品持ち寄りシステム・・・・p165
(12)新しい村づくりの構想とは…・・・・・・・・・・・・・・・・p167


【第六章】未来へ。新たによみがえる臨死体験の記憶

(1)「最良の未来」と「最悪の未来」、どちらを選択するのか・・・p174
(2)波動を使う未来の医療・・・・・・・・・・・・・・・・・・・p177
(3)昔の人はすでに波動医療を行っていた!?・・・・・・・・・・・p182

(4)彗星が地球にぶつかる日・・・・・・・・・・・・・・・・・・p185
(5)宇宙ステーションは彗星の軌道をずらすためのもの・・・・・・p189
(6)新たによみがえる臨死体験の記憶・・・・・・・・・・・・・・p192


◆おわりに ― 四度目の破壊は避けられるのか・・・・・・・・・p196

           <感謝合掌 平成27年10月13日 頓首再拝>

臨死体験~木内 鶴彦さんの場合~その2 - 伝統

2015/10/15 (Thu) 19:18:16


第1章 あの世はどうなっているのか ~ 最初の臨死体験  の要点


(1)肉体を離れた「意識」に「自分」がある。


(2)この世界が縦、横、高さの三次元だとすると、時間軸を加えた
   (つまり過去も未来も自由に行き来できる)空間が四次元、そして「意識」が
   加わった(つまり意識が自由に移動できる)世界が五次元だと思います。


(3)一番必要なときに、未来の自分が助けに来る。


(4)未来に行って見て来た映像は現実に起こった!


(5)写真が二重写しになったように、二つの場面が重なって同時に登場したのです。
   おそらくこの未来はまだ定まっていないのではないでしょうか。


(6)臨死状態では意識が鮮明だったことも大きな発見です。

   肉体は死に瀕しているのに、意識だけは生きているときとまったく変わらない。
   むしろもっとクリアになって、普段以上に緻密に物事を考えられるように
   なっていたのは驚きでした。

(7)友人の意識に入り込み、試してみたこと。

  ①すると驚いたことに友人が三人ともいっせいに反応を見せ始めました。
   イメージの連鎖が起きたようです。

  ②思いの強い意識体が誰かの意識に入り込み、何かをイメージさせた時、
   一緒にいた人まで意識が連鎖していくのです。


(8)二次臨死体験の特徴は、脳波がほとんど停止していることです。

           <感謝合掌 平成27年10月15日 頓首再拝>

臨死体験~木内 鶴彦さんの場合~その3 - 伝統

2015/10/17 (Sat) 19:27:00


第2章 あの世はどうなっているのか ~ 2度目の臨死体験 の要点

 ①おそらく、臨死状態になって、意識だけの存在になると、
  すべての情報を含んでいる「膨大な意識体」とアクセスするのではないでしょうか。

 ②中国で、2度目の臨死体験をしたが、
  中国語で話しかける医師に通訳なしで返答する。

 ③意識だけの存在になると、言葉がわかるというより、
  テレパシーでその人の思いが汲み取れるのかもしれません。


           <感謝合掌 平成27年10月17日 頓首再拝>

臨死体験~木内 鶴彦さんの場合~その4 - 伝統

2015/10/18 (Sun) 19:06:05


第3章 「膨大な意識体」と宇宙が生まれたわけ の要点

 ①あの世は五次元でできている。

 ②一次元の世界は点、二次元の世界は縦と横の平面でできています。
  一次元の世界は二次元の世界が見えませんし、二次元の世界からは三次元が見えません。

  すべての物質は三次元で構成されている。

  したがって、縦、横、高さの三次元の世界に時間を加えた
  四次元の世界があることまではわかります。

 ③三次元や四次元の世界をさらに取り込む「意識」の存在が全体のもとになっている
  五時元としかいいようがない世界です。

  その「意識」とは三次元の世界で私達が感じている自分の「意識」とは違う、
  もっと高次元のものです。

  個々の意識や感覚などどうでもいい。
  それらを超えた大いなる「我(われ)」という感じ。

  すべてが大きな「我」としてつながって、一つの意識体を構成しています。
  その中には過去から未来にいたる生きとし生けるもののあらゆる記憶、経験が
  集まっているようでした。

 ④「膨大な意識体」で共有されるとてつもない情報。

 ⑤人は死に際して、まずはトンネルや光、お花畑など第一次臨死体験を経験します。
  どこか懐かしい感覚もありました。

  おそらく人は「膨大な意識体」から生まれてきて、
  ふたたび「膨大な意識体」に戻るのではないでしょうか。

 ⑥その瞬間、私は「膨大な意識体」に保管されている
  あらゆる情報を一瞬にして共有することができました。

  ちょうど「木内鶴彦」というPC端末が、「膨大な意識体」という
  スーパーコンピューターに接続し、スーパーコンピューターが持っている
  すべての情報が一気に流れ込んだといってもいいでしょう。

  そこにはあらゆる生命が生まれてから死ぬまでに得た情報はもちろん、
  宇宙誕生から終焉にいたる莫大な情報が記憶されていました。

  私達が死ぬと、私達が生きている間に経験した情報はすべて
  この「膨大な意識体」に吸収されるというわけです。

  過去や未来に一瞬にして移動できたと感じたのも、
  「膨大な意識体」の中ですべての情報はつながっていたからです。

 ⑦宇宙は「膨大な意識体」のひずみから生まれた。

 ⑧五次元の世界ではすべてを「膨大な意識体」が満たしており、
  バランスがとれた完全な世界をつくっています。

 ⑨ひずみができてから、五次元に戻るまでの間が三次元の世界です。
  つまり三次元の世界は五次元の世界に変化を与え、
  波立たせるために生まれているのではないでしょうか。

 ⑩死は意識が形を変えるだけのこと。恐れることではない。

 ⑪宇宙の最初は五次元という空間でした。
  空間は「意識」というガスのようなもので満たされています。

  そのガスがひずみを起こすことで、大きな渦が生まれ、爆発して物質ができました。
  つまり「意識体」が変化して物質が生まれたという説明です。

  水蒸気が冷えて水になったり、氷になったり、雪になる。
  それと同じように、「意識体」が変化して、三次元のいろいろな物質が生まれたのです。

  雪や氷や水の形(=肉体)をしていた私たちは、
  死んで目に見えない水蒸気(=意識)になり、空間を満たす。
  死は意識が形を変えるだけのことですから、怖いことでもなんでもないというわけです。

 ⑫輪廻転生や前世の記憶はひずみによってもたらされる。

 ⑬意識が肉体から離れたとき、私は自分の意識を過去や未来に飛ばしてしまいました。
  そうやって意識を「今」からずらしたために、意識の空間に微妙なひずみが生まれたのです。

  ひずみの存在が、五次元の中にあっても三次元の物質がそのままでいることを
  保証するキーワードになっているわけです。

 ⑭自分の肉体はなくなっても、他人の肉体を借りることはできる。
  また未来に行って、新しい生命体に入ることができるようです。
  ただしそれはまだ胎児の状態で、脳細胞が完成されていない生命体に限ります。

 ⑮でも、もし自分の肉体が確実に死んでしまうのなら、
  「自分」という意識の“ひずみ”を持ったまま、未来において
  新しい生命に生まれ変わることは可能なようです。

  ただし、新しい生命体に入ったとたん、記憶は一度リセットされてしまうので、
  何も覚えていない状態になります。

  そのまま赤ん坊として誕生し、成長していくわけですが、
  このときひずみが潜在的な記憶としてよみがえってくるだろうと想像できます。

 ⑯わたしは同じようなひずみがあちこち生まれているのを感じました。
  それぞれのひずみで渦ができて、物質が生まれ、三次元の世界が誕生している
  ことは十分考えられます。

  おそらく「パラレルワールド」というよく似ていても、
  実は違う三次元の世界が同時に存在しているのではないでしょうか。

 ⑰そして時空のわずかなずれによって、私達の世界ではなく同時に存在している
  別の世界に入ってしまうことも論理的にはあり得ます。

  昔からある神隠しなども、
  時空のずれから別の世界へ入り込んでしまったのではないでしょうか。

  ひずみ同士が接している場所では、そんなことも起きている可能性があります。

           <感謝合掌 平成27年10月18日 頓首再拝>

臨死体験~木内 鶴彦さんの場合~その5 - 伝統

2015/10/19 (Mon) 19:34:33

第4章 宇宙の誕生で見えてきた世界 の要点

 ①惑星は太陽が収縮するたびに産み落とされた塊だった。

 ②太陽は最初は青白い大きなガスの塊でした。
  水素ガスの巨大な渦がものすごい勢いで、くっつき合い、高熱を発していました。
  あまりにエネルギーが高すぎで、最初は青白く光って見えるくらいでした。

  それがそのうち冷えて赤いガスに変わっていきました。
  ガスの渦が回転しているうちに、鉄のような重い物質が中心部に集まり、
  赤く見える星雲をつくったのです。

  そしてさらに大きくなって自分の重さで臨界量を超えてしまうと、
  回転運動を始めたのです。

  その後が面白いのですが、回転しているうちに回転速度が速まり、
  その速度によって太陽が収縮してきたのです。
  持っているエネルギーは同じなのに、容積だけが縮んできたわけです。

  すると何が起きるのかというと、太陽の外側に鉄分を多く含むガスの塊が取り残されて、
  それがまた回転しながら徐々に冷却されて星ができるのです。
  つまり子供の惑星が生まれるというわけです。

  太陽に近ければ近いほど、鉄分の多い赤くて重い惑星になります。
  たとえば火星は鉄のガスの塊になっていて、内側のほうまで鉄が凝縮して冷えているので、
  硬い殻ができています。

  太陽から遠い木星はまだガスが集まって回転しているだけで、殻ができていません。

  地球はというと、表面だけしか冷えておらず、
  中はドロドロの溶岩のようなマントル対流の表面に浮いている薄皮のような状態です。

  熱した牛乳には表面には薄い膜が張ります。
  地球の地面はあんな感じと想像してみてください。
  ですから地球の地面は非常に流動的です。

  例えば大きな惑星が近づいてくると、その重力に引き寄せられて、
  薄皮の大陸がぐにゃりと動いてしまうでしょう。
  大規模な大陸移動などもあるかもしれません。

 ③電子のスパークがアミノ酸を生命に変える

  太陽の中では物質の核が激しくくっついたり、破壊されたりを繰り返しながら、
  だんだんに惑星のもとである重い物質の塊を形成していったと考えられます。
 

  つまり核分裂や核融合によって惑星ができていくのですから、
  初期の惑星には放射性物質がひじょうに多いわけです。

  そんな地球に水やアミノ酸などの高分子を含む彗星がぶつかって、
  生命のもとがもたらされました。


  ちなみに彗星とは、宇宙空間を漂う塵や水分(氷)雪だるまのように固まったものです。

  初期の地球は、彗星によってもたらされた氷が溶けて、海になり、
  その中にアミノ酸や地中から流れ込んだナトリウムなどのミネラルが豊富に溶けていた
  と考えられます。

  すなわち電気を通しやすい電解液の海ができあがったというわけです。
  その海でアミノ酸が生命に変わるためには、
  何かきっかけになるような刺激が必要だったはずです。

  わたしが臨死体験で見てきたのは、電子的なスパーク(刺激)でした。
  電解液の海に雷のようなスパークが見えたのです。

  すべての物質は原子と呼ばれる小さな粒子でできています。
  そして原子は原子核とその周囲を回る電子で構成されています。

  それらの原子がくっついて分子となり、さらに分子が結合し合って、
  さまざまな物質が形づくられていくわけです。そこに電子的な刺激を与えると、
  安定していた原子核と電子の構成が崩れ、不安定な世界が生まれます。

  五次元の世界にひずみによって三次元の物質の世界ができたように、
  電子的なスパークにより電子のゆがみが生じて、
  そのゆがみから生命が生まれたのではないでしょうか。

  放射線物質からは常に放射線が放出されています。
  その放射線がアミノ酸に電子的なゆがみを与えるスパークになったのではないかと思います。

  放射線は電子エネルギーでもあり、その放射線が発生することにより
  弱い磁界が発生して生命反応が促進された。

 ④原始の地球では放射線をえさとする生命があった。


  エネルギーの正体は電気です。

  放射線を浴びると生物が死んでしまうのは、安定していた原子核と電子の間に、
  余計な電子エネルギーが入り込むことによって過電流になり、細胞が破壊されたり、
  異常な増殖が始まるからです。

  逆のことをいうと、がんのように細胞が異常に増えてしまう状態は、
  電子エネルギーが多すぎるわけですから、
  どこかで放電してやればいいということになります。

 ⑤つまり地球という星は、生体反応の連鎖によって、
  好気性(酸素を好む性質のこと)の生命が住みにくい環境から
  住みやすい環境に変化していったのだと考えられます。

 ⑥意識はミトコンドリアの中に存在する

  ミトコンドリアは初期の細胞が誕生した頃、
  その生命と共生していた好気性の細菌だったといわれています。
  つまりミトコンドリアは、外からやってきた存在です。

  その重要な働きはエネルギーの創出と情報伝達です。
  単細胞から多細胞へと生命が進化するとき欠かせないのが情報です。
  ミトコンドリアは情報伝達をコントロールする役割も果たしています。

  細胞内にあって、細胞をコントロールする。
  いわば細胞を支配する存在といってもかまいません。

  もしミトコンドリアこそが「膨大な意識体」につながるものであり、
  私達の意識をつなぐもの、ミトコンドリアが「膨大な意識体」が形を変えたものであれば、
  ミトコンドリアは「意識」ですから、お互いがテレパシーのようにつながっていて、
  情報が共有され、交換されるのは当然です。

  だからたった一つの細胞から人間のような複雑な生命体を作ることができるのです。

  そして脳はミトコンドリアから提供された情報をしまっておいたり、演算したり、
  計算処理をして、体の各部署に命令を飛ばすところに過ぎません。(CPUですね)

  理屈の上では、ミトコンドリアを通して、自分以外の他人とつながることはもちろん、
  時空を超えてよその天体からの情報をもらうこともできるはずです。
  過去や未来とつながることもできるでしょう。

  現実に宇宙人とやり取りしている人もいるかもしれないと私は思います。

 ⑦一万五千年前まで地球には月はなかった。

  月がない時代、地球の大陸は今よりずっと大きく、
  海は地球の三分の一くらいしかありませんでした。
  当時、人間はすでに高度な文明を築いていました。

  地球の環境を破壊しないよう、
  自然と共生しながら知恵と哲学と技術を持って暮らしていました。

  ところが今から一万五千年前に巨大彗星が太陽に近づくという恐ろしいことが起きました。
  巨大彗星の内部には圧力によって結晶化された大量の水や氷が蓄えられていました。
  それが太陽の熱で一気に溶かされたために、莫大な水蒸気が発生したのです。

  地上の多くは海の中に沈み、高度な文明も滅びてしまいました。
  アトランティス大陸の消失やノアの大洪水などの伝承が残っているのも、
  この時の洪水が物語として伝えられているからではないでしょうか。

  そして軽くなった巨大彗星は軽石のような塊となり、
  地球の重力に引っ張られて、地球の周りを周回する衛星になったのです。
  それが月の正体です。

  月は地球の環境を激変させ、多くの生命を滅ぼした巨大彗星の名残だったわけです。

  かつて、人間も含め、地球上の生き物が持っている体内時計はみな25時間です。
  地球が月の引力を受けなっかたら、1日はちょうど25五時間になります。
  生き物が持っている体内時計と見事に一致します。

  また地球上で、月の通り道に当たる白道(太陽の通り道は赤道)上に
  砂漠が点在しているのも偶然とはいえません。
  月の軌道上では、大量の水が降り注いだに違いありません。
  石や岩は細かく砕け、山は平坦になり、木々はなくなって、砂漠になってしまいました。

  さらに決定的事実があります。
  さまざまな検証から恐竜のティラノサウルスは時速60キロ以上の速度で移動し、
  獲物をしとめたといわれています。

  なぜあれだけの巨体で、そんなスピードが出せたのでしょうか。
  それは地球の質量が今よりずっと軽かったからです。

  つまり月の出現による大洪水によって、地球の3分の2は海になってしまい、
  その分の水の質量が地球を重くした原因になったのです。

 ⑧月を見ると、すべての生物は不安になる。

  月がない時代、女性の生理現象は年に1回だけだったと考えられます。
  というのは、地球は1年かけて太陽の周囲を回りますが、このとき、
  射手座方向から来る巨大なエネルギーを最も多く受ける日に、体に変調をきたすからです。

  銀河系は射手座あたりを中心に大きな渦を巻いています。
  宇宙にはさまざまなエネルギーが飛び交わっていますが、
  渦の中心から放出されるエネルギーが一番強いのです。

  生き物は不安や恐怖を感じると、本能的に子孫を残そうとします。
  それが女性の生理となるわけです。

  ところが月ができてからは、
  地球に近い月からのエネルギーによる影響が強く現れるようになりました。
  月には28日の周期で地球の周りを一周します。

  すると月のエネルギーが最も強くなる満月や新月の日に、
  人間は何ともいえぬ不安に襲われるのです。
  女性の生理も年1回から、月1回に変わりました。

  それまでは年1回だったものが月ができてからは、
  毎月1回、不安感から情緒不安定になったり、イライラするようになったわけです。

  月の影響を受けるのは人間だけではありません。
  サンゴなど海の生き物も満月の後産卵します。
  猫に急にさかりがつくのも満月や新月の時が多いようです。
  動物たちの異常行動は、その多くが満月や新月の時起こります。

  さらにいえば、地球自体も月の影響を受けているふしがあります。
  実際、地震や火山の爆発は満月の前や新月のあとが多いのですが、
  それは最も月のエネルギーが高くなる前に、
  先行して地球のエネルギー放出が起きるからではないでしょうか。

 ⑨人間は自らテレパシーの回線を遮断した。

  月の出現というインパクトによって地球の環境はダイナミックに変わってしまいました。
  月の重力によって地軸が傾き、地球の1日は25時間から24四時間になりました。
  地球の3分の2は海に覆われてしまい、地球の重力も変化しました。

  さらに大洪水により、多くの生命が絶滅し、
  高度な文明を築いていた人間もほとんど死んでしまいました。
  残された生き物は人間も含めて少なくなった食べ物をめぐって殺し合いを始めます。
  弱肉強食の時代が始まったのです。

  この時人間が失ったのはテレパシーの能力です。
  食べ物が少なくなると、自分だけが知っている食べ物の情報や隠し場所を
  他の人に知られては困ります。

  そこで意図的に意識の回線を遮断し、
  情報の共有を避けたのが、今の人間たちではないでしょうか。

  その代償として、人間は厄介な「自我」を抱え込むことになります。
  自分さえよければいい、自分を守りたいという「自我」は、損得の世界へと
  人間を追いやり、お互いに疑い合い、殺し合う殺伐とした世界を招いてしまいました。

  テレパシーを失った人間は互いの情報を伝え合うために語言や文字を発明します。
  人間は自分でも御しきれない厄介な「自我」と、思いを伝えきれない孤独の中で、
  恐怖や不安、ねたみや猜疑心と戦いながら、生きていかなければならなくなったのです。

  しかし生まれたばかりの赤ちゃんや幼い幼児はまだテレパシーの回線が遮断されていません。
  「自我」を持っていないのです。

 ⑩私達はもうすでに未来に行っている!

  私たちは肉体の中に意識があると思っていますが、違います。
  意識と肉体は別々にあるのです。

  自分=意識であることがわかれば、意識は時間や空間を超えていけるので、
  私達も容易に時間と空間を超えていくことができます。

  私達が体を動かす前に、必ず意識は1億分の1秒だけ未来に飛んでいます。
  それを1億分の1秒から少しずつ伸ばしていったらどうなるでしょう。
  この訓練をしていくと、時間のコントロールができるようになると思います。

  これができるようになると、過去にも未来にも行けるので、
  予知や予言が当たり前にできるようになります。

  また動物や植物と意思の疎通ができたり、
  よその国の人と言葉に関係なく会話ができるでしょう。
  つまりテレパシーの能力が復活できます。

 ⑪自分を「気配」に変えると第六感が覚醒する

  訓練のヒントになるのが、自分を「無」にすることです。
  気配が研ぎ澄まされるのではなく、自分自身が「無」になって、気配と同化してしまう。

  本当の「無」は意識が肉体を離れてしまうので、
  肉体がそこにあっても、あるという気配がありません。

  つまり自分が気配そのものになっているため、その人がいるという気配がしないのです。

           <感謝合掌 平成27年10月19日 頓首再拝>

第五章 私たちの使命とは何か からの要点~その1 - 伝統

2015/10/21 (Wed) 19:00:35


 ①私達はゲームの中に生きるキャラクター

  五次元の世界は「膨大な意識体」で満たされていて、無の状態です。
  そのひずみからできたのが三次元の世界であり、私達人間です。

  人間は生き物の中で一番最後に生まれたキャラクターです。
  つまり一番新参者です。

 ②人間は過去3度、文明崩壊の危機に瀕している

  最初の破滅は今から一万五千年前。月が現れて、地球に大洪水をもたらした。
  また、当時の人間は今の人間より遥かに身長が高かったと推測されます。

  まだ地球の質量が軽かった時代ですので、
  恐竜たちと同じように体が大きくても環境に適応できたからです。

  私の説を裏付けるように、身長が2メートル50センチもある
  モンゴロイド系の女性の化石がボリビアやメキシコで発掘されたりしています。

  またペルーのクスコの近くにあるサクサイワマンという遺跡はスペイン人によって
  1500年頃徹底的に破壊され、地中に埋められてしまいましたが、最近になって、
  高度な複雑な仕組みの建造物や、宗教施設などの興味深いものが
  次々と発見されているそうです。

  超古代文明はそのほとんどが大洪水のため、海底に沈んでしまいましたが、
  地上にわずかに残っているサクサイワマンのような遺跡を徹底して調査すれば、
  かつて栄えた高度な文明や巨人の骨の化石なども発掘されるのではないでしょうか。

  原始時代から始まって、生き物たちと共存しながら地球環境を整えてきた人類は、
  文明が高度になるにしたがって、本来の自分の役割を忘れ、自我に走るようになりました。
  すなわち人間が一番偉い人と錯覚し、欲望のために自然を破壊するようになったのです。

  当然、ゲームのキャラクターとしての役割りを果たさずに暴走を始めたわけですから、
  ゲームは一度リセットされます。

  最初のリセットは、月となる巨大な彗星が地球襲い、大洪水が起きた時です。
  高度な文明は水没し、ほとんどの生き物は壊滅的な被害を受けました。

  ヒマラヤクラスの高い山の上に逃げる事ができた一部の人間と生き物だけが
  生き延びることができたのです。私はこの時地位の高い人間や技術を持った人たちは
  飛行体に乗って地球上脱出したのではないかと思います。

  彼らは宇宙での生活を送っているうちに、人間とは似ても似つかぬ姿に変化していきました。

 ③未確認非行物体UFOは本当にあるのか
  実は光学レンズを使って自分の目で天体観測をしている人間の間では、
  UFOが存在することはほぼ常識となっています。なぜなら、宇宙を観測していると、
  いやでもUFOを目撃してしまうことがあるからです。

  もしUFOらしき物を目撃した時は必ず光学鏡を通して見てほしい。
  それも7倍以上の倍率の双眼鏡や望遠鏡で、しっかり姿勢を固定して
  (座った姿勢がいいでしょう) 覗いてほしいのです。

  そうすれば、ぶれずに対象をしっかり見ることができます。
  うまくすれば窓の形や回転の有無までわかるでしょう。

  そしてもしそれがUFOもしくは見たことがない物体だったら、
  必ず自分がいる場所と時間を記録しておいてほしいのです。
  できればそのバックにある星座までわかれば完璧です。

  そのデータが少なくとも同時刻に3人の人たちが集まると、
  UFOが出現した位置が特定できます。   
  さらにより多くのデータが集まれば、UFOの軌道やどんな形状まで追跡できます。


           <感謝合掌 平成27年10月21日 頓首再拝>

第五章 私たちの使命とは何か からの要点~その2 - 伝統

2015/10/23 (Fri) 20:13:44


 ④肥沃な土地が砂漠になり、2度目の破滅が訪れる

  人間が経験した2度目の破壊は今から1万2000年前頃起きています。
  もちろん彼らは高度な文明を一生懸命後世の人々に伝えようとしたでしょうが、
  それらは年代を経る事に変質し、やがて神話やオーパーツ(その時代や技術に合わない
  出土した古代の工芸品のこと)としてしか残らないことになります。

  やがて彼らが子供たちに伝えた話や残した文字は
  伝説や神話、古代文字となって残っていくわけです。

  いま私たちが目にして入るピラミッドなどの遺跡や古代文字も、元を辿れば
  消滅した超古代文明の生き残りが必死に伝えようとしたものの名残なのかもしれません。

  そして3000年くらいかけて、ようやく文明らしき形で復活しかかります。
  やがてそれらは肥沃な大地を耕し、豊かな穀物を栽培するメソポタミア文明へと
  発展していきます。

  しかし人間は再び自我の欲望を暴走させてしまいます。
  穀物の栽培し、それらを金儲けの手段に使い始めるのです。
  人間はどんどん土地を耕し、必要以上に大量の穀物を作り続けます。

  肥沃な大地はどんどんやせて砂漠化が進むみました。
  やがて土地をめぐって、部族同士の争いが生まれました。

  より多くのテリトリーを独占しようと、人間同士が争ううちに、
  土地をますますやせて砂漠化し、植物が育たなくなって、文明は衰退していきます。
  これが2度目の破滅です。

 ⑤3度目破滅に滅んだエジプト文明

  3度目の破滅はそれから3000年後に起こります。
  この時は宗教的な対立が破滅の引き金を引きました。
  人々は宗教や教えを巡って殺し合いを始めます。

  特に強大な文明を築いていたエジプトでは、
  ヘブライ人に対する弾圧が熾烈さをきわめていました。
  ここに現れたのが預言者モーゼです。

  彼はエジプトに住むヘブライ人を率いて、エジプトを脱出し、
  神に示された「約束の地」を目指します。

  ヘブライ人を追い払ったエジプトは、その後急激に力を失い、
  しばしば他民族からの侵入や征服を受けることになります。
  ついには紀元前300年頃、アレキサンダー大王に征服され、クレオパトラの死をもって、
  事実上のエジプト王国終焉を迎えるのです。

  これが宗教対立による文明の破滅の3回目です。
  いずれも高度に栄えた文明が破滅してゆく歴史ですが、
  破滅を繰り返すたびに、文明が低下していくのが特徴です。

           <感謝合掌 平成27年10月23日 頓首再拝>

第五章 私たちの使命とは何か からの要点~その3 - 伝統

2015/10/25 (Sun) 19:21:06


 ⑥循環型のサイクルを守るのが人間の役割

  実は海水に住む魚にとって、海水から淡水に入るのは非常に危険なことです。
  淡水は毒の水の中に入るようなものです。

  それでも陸地の奥の方まで、体を傷だらけにして溯上していく魚がいるのは、
  それが彼らの役割だからです、深い海溝に集まった栄養を自らの体でふたたび陸地に
  運んでいるのです。

  そして産卵を終えて役目をまっとうした魚の死体はきつねやたぬき、クマなどがくわえて、
  さらに山の上まで運ばれます。

  そこで糞となり、ほかの動物や植物の死骸とともに、微生物に分解され、雨に打たれて、
  川に流れ、海に行く。再び海溝に沈殿した豊富な栄養分は魚の形に姿を変え、
  海から川を通って山へ、そして再び山から川、海へと見事な循環を形作ります。

  その循環を守るのが人間の役割です。
  山はほうっておいたらやぶになります。
  やぶの中には動物はあまり入りません。

  たぬきやきつねなど動物が動きやすいように、そして山のてっぺんまで登って
  糞ができるよう、人間が山の木を整えてやる必要があります。
  しかし本能だけの動物に頼っていてはバランスが崩れることもあります。

  だから新しい若い木を育てるために、人間が時々頃合を見て、
  木を切り出してやったり下草を刈ってやったりする必要があります。

  そして切り出した木でつくったのが神社です。
  いまは木に防腐処置をした朱塗りの神社が多いのですが、昔の神社は皆白木でした。
  神社にお供えされる榊はその名残です。
  榊は生態系のバランスが上手にとれているという証拠です。

 ⑦かつての人間が循環型の社会を作っていた。

  日本の場合最初に循環型の「ムラ」を作ったのは「スサ」という人物でした。
  おそらくこの人が須佐之男命(スサノオノミコト)だったのではないかと思います。
  今から3500年前の日本にいた人間です。
  とにかく今から3500年も前の日本で既にもう鉄を使う「多々良」の文化が生まれていたのです。

           <感謝合掌 平成27年10月25日 頓首再拝>

第五章 私たちの使命とは何か からの要点~その4 - 伝統

2015/10/27 (Tue) 19:26:52



 ⑧世の中にいらない人など一人もいない

  人は「お金のため」「名誉のため」「社会的地位のため」に生まれて来たのではありません。
  もっと言えば「生活するため」「家族を養うため」に生まれてきたのでもありません。

  私たちは地球環境のバランスを保つために生まれてきたのです。

  この「見返りはいらない」という気持ちが大事です。
  それこそが本当の役割だからです。

 ⑨自分で自分をほめてあげてください。
  愛ある言葉を自分自身に与えるのです。
  すると愛の波動に細胞の中の意識ミトコンドリアが反応します。

  愛とはbalance、harmonyですから、愛の波動を受けることで、
  地球のバランスをとるために生まれてきた自分の使命に無意識に気がつくでしょう。

  「意識」は、借りた肉体の能力を引き出す使命があるのです。
  最初は誰もほめてくれないので、自分で自分を褒める。
  そのうち能力が活性化されてくると、人がほめてくれるようになります。

  そうすれば死ぬときも後悔は残りません。
  「楽しかったね」という思い出を胸いっぱいにして、
  「意識」は肉体を離れることが出来ます。

  できるかできないかではなく、やってみることが大事です。
  そうしなければ、未来への道は開けません。

 ⑩新しい村づくりの構想とは......

  今の時代は通貨という抽象的の概念が世の中を支配しています。
  そのシステムがひっくり返ったら、私たちの生活は一体どうなるでしょう。

  私たちが生きるために本当に必要なのは食べ物です。
  農作物を育てていれば、自分たちの食料が確保できますから、
  たとえ株が下がったり、通貨が暴落しても、とりたてて困ることはありません。

  これこそが保証された安心な生活であり、進化した文化的な暮らしです。

           <感謝合掌 平成27年10月27日 頓首再拝>

第6章 未来へ。新たによみがえる臨死体験の記憶~その1 - 伝統

2015/10/29 (Thu) 19:16:14


 ①波動を使う未来の医療

  波動とは物が振動することで起きる波のことです。
  すべての物質は振動しています。
  なぜなら物質を構成する原子の周りを常に電子が回っているからです。

  ですから病気の人を元気にしようと思ったら、
  波の振幅を高くしてやるような働きかけをすればいいわけです。

  これを細胞に用いたのが、未来の医療です。

  人には一人ひとりその人のサイズに合わせた固有の波動があります。
  さらに肝臓を作っている細胞、心臓作ってる細胞など臓器によっても固有の波動があります。
  それらを調べて、悪い箇所に同じ波形の波動を近づけてやればいいのです。

  すると、音叉の時と同じように、弱った細胞の振幅が高まって、再び活性化してきます。

  未来の医療では、体の悪い箇所ごとに焦点を合わせて
  振動を与えていく仕組みになっていました。

  その人の本来の振幅をあらかじめ機械にインプットしておいて、
  悪い部位に同じ波動を与えると、振幅が大きくなって、元気になるという仕組みです。

  波動による医療のメリットは副作用がないことです。
  波動を与えて反応するのはあくまで同じ波動を持った細胞だけです。

 ②薬のルーツは食べ物や植物でした。

  しかし科学が発達するとともに、動植物に含まれる成分から
  病気に効くものを抽出して精製する技術が生まれてきました。
  これが薬です。

  しかし薬として精製するとき、
  肝臓に効く成分以外は余計なものとして排除されてしまいました。
  それらの「余計な成分」が、実はほかの細胞に悪さをしない緩和剤として働いていたのです。

 ③波動医療が確立するのにはあと100年くらいかかりそうです。

  昔の占星術が波動を用いいた医療に近いのです。
  占星術は元々は高貴な人の医療に使われていたものです。

  人は自分が誕生した時の星のエネルギーの影響を強く受けます。
  というのも、この地球には宇宙のあらゆる方角から様々なエネルギーが飛んできて、
  細胞に影響を与えるからです。

  銀河の中心、射手座方向からは強烈なエネルギーがやってきますし、
  巨大な質量を持つ太陽のエネルギーもあります。
  さらに地球のすぐ近くを周回する月のエネルギーも見逃せません。
  そのほか様々な惑星や天体からエネルギーがこの地球に降り注いでいます。

  昔の人は身体が弱った時は受精したときと
  同じ星のエネルギーの場に置けば再び元気になると考えました。
  その環境が、一番細胞が活性化するからです。

  おそらく何月生まれの人は、この時期になると体が活性化して元気になる、
  というような生体バイオリズムと星との関係が感覚的にわかっていたのでしょう。

  各地の山の上には磐座と呼ばれる巨大な岩が残っています。
  今の人たちはそれが何に使われたのか分からないので、しめ縄を張って、
  神様のように扱っていますが、私はこの岩は高貴な人の治療に用いたものだと思います。

  なぜなら、多くの磐座は岩の表面を凹面鏡の形に磨き上げ、
  パラボラアンテナのようにしてあるからです。

  そしてたいていエネルギーの強い射手座の方角か、
  太陽エネルギーを一番受ける南の方向に向けられています。

  受精して細胞の活動が最も盛んだった時の星のエネルギーの状態を再現してやれば、
  その人にとって最もいいエネルギーの場がつくり出されて、体が癒されるのでしょう。
  それが昔の治療法でした。

  磐座には医療用以外に、暦として用いたものがありました。
  こちらは凹面鏡の形ではなく、サークルのように並んでいたり、
  岩に東西南北に切れ目が入っていたりします。

  その地区でいつ頃種まきをするのがいいのか、この暦を使って計算していたのでしょう。
  その場合、生まれた日ではなく、あくまで受精した日が重要です。
  受精した瞬間こそが、細胞が最も活性化するときだからです。

           <感謝合掌 平成27年10月29日 頓首再拝>

第6章 未来へ。新たによみがえる臨死体験の記憶~その2 - 伝統

2015/10/31 (Sat) 19:16:06


 ④彗星が地球にぶつかる日

  どうやらスウィフト・タットル彗星は
  2126年に地球にぶつかるかもしれないというのです。(計算上は、2126年8月5日)
  かなりの接近になりますが、理論的には地球への衝突はありませんが、
  彗星のコマの部分が地球の大気圏に入ったら、
  おそらく2000度くらいの高熱の塵や灰が地上に降り注ぐことになります。

  彗星が通りすぎるまで2時間ぐらいかかりますが、その間じゅう、地球には2000度の
  灼熱の火の玉がシャワーのごとく降り注ぎます。
  地球という星がなくなることはありませんが、その表面は様相を変えてしまいます。

 ⑤宇宙ステーションは彗星の軌道をずらすためのもの

  これと同じようなことが1994年、木星でも起きています。

  彗星の軌道をずらすため、不要になった核兵器を宇宙で使って、
  彗星の軌道を変えてやるということが検討されています。
  例、太陽に核兵器を打ち込む、彗星の軌道上に核兵器を設置する・・・

  太陽はものすごい量の放射線を出しているので、地球にある核兵器を全部まとめて
  打ち込んで爆発させたところで、太陽自身はもちろん、地球にもまったく影響はありません。

  今のところ、100年後に訪れる彗星の衝突を避ける希望はそれしかありません。
  今、宇宙で宇宙ステーションを建造しているのは、そのためです。

  宇宙ステーションから地球の環境の観測も行い、彗星が近づいた時は核兵器を曳航して
  彗星の軌道上に設置することも検討されているようです。

           <感謝合掌 平成27年10月31日 頓首再拝>

「はじめに」と「おわりに」 - 夕刻版

2015/11/05 (Thu) 19:08:34

《はじめに ―― いま、新たなる旅立ちのときを迎えて》


私はアマチュアの彗星捜索家( コメット・ハンター) です。
宇宙を観察して新しい彗星を発見し、世界に発表しています。

その一方で、私の体は20代のとき、死亡するという特異な状態に置かれたことがあります。

心肺停止、脳波もなくなり、医学的には死亡した状態で、私は驚くべき臨死体験を経験しました。
そのとき見たもの、感じたことのすべてを、私は数十年たったいまでも鮮明に記憶しています。

これまでの長い時間、私はつねに、
「なぜ、私はあのとき死なずに、ここに戻らなければならなかったのか」、
「なぜ、私だったのか……?」という思いにとらわれてきました。

そしてその答えを求める旅は、おそらく一生続くのでは……とも思っていたわけです。

しかし、ある出逢いにより、その答えを求める旅は終わり、
新たに自分がなぜその経験をしなければならなかったのか……、
私の役割……、使命に目を向け、一歩を踏み出すときが来たことを悟りました。

私はこの人生の中で私らしく生きたいと思っています。
私らしさ……。

私の人生は死ぬことでしか行けない旅をしたこと、その旅で見たもの、感じたことを
正直にお話しすること、私の経験を必要としてくださる方々の元へ行き、お伝えすること。
この在り方こそが私、木内鶴彦なのです。

この地球もいつかは星としての生命を終えるときが来るでしょう。
そのときまで、私たち地球上で生きるすべての生命が、その存在理由である生態系を維持すること、
そのためのメッセージをこの本でお話ししたいと思います。


          ・・・


《おわりに ―― 四度目の破滅は避けられるのか》

歴史が進化しているというのは大きな間違いです。

エジプトのピラミッドを見てください。大型重機やコンピューターもないあの時代に、
人力だけであれほど巨大で精緻なものがつくれたのは奇跡だと思いませんか?
いま、私たちがあの時代に戻ったら、とてもあんな素晴らしい建造物はつくれないでしょぅ。

でも彼らはつくってしまいました。
なぜなら私たちよりはるかに進んだ文明を持っていたからです。
 だからピラミッドは奇跡でも何でもありません。
それをつくることができる能力や知性を、あの時代の人たちが持っていた証拠です。

しかし人間たちの間で損得の世界が広がり、
その考えが日常生活のほとんどを占めていくうちに、
人間の心は偏った価値観へと進んでいきました。

また、争いのために国土は荒れ、自分たちの生活圏も侵されていきました。
 
その結果、いま、世界中で生きることさえ困難な状況の人々を、
同じ人間がつくりだしてしまうということになったのです。

人間は高度な文明を発達させると、
きまって私利私欲と倣慢に走り、自らを破滅させてきました。
かつて人間は3度の破滅を体験しています。
3度破滅してもまだ懲りないのが愚かな人間です。


いま、地球上に自分たちの本当の使命を自覚している人が果たしてどれだけいるでしょう。
 
私たちは暴走を始めています。
どうすれば自分の得になるかといった損得だけの価値観が社会を支配し、
強欲な資本主義が地球環境を破壊しています。

その先にあるのは4度目の文明の破滅です。
 
いまから100年後には、私が再発見した「スウィフト・タツトル彗星」が
地球に衝突する危険性をはらみながら近づいてきます。
人類は100年後にはその危機に立ち向かっていなくてはなりません。

どうすれば、この地球の環境を守って行けるのでしょうか。
自然は美しい。恐ろしいほど美しい。

その地球に生きる生命がさらされる危機はとてつもなく多く、
我々地球上の生命は時にはその運命に翻弄されながら、
それでも各々の種の保存をかけ、力強くしたたかに生き残ってきました。

地球に生きるということは厳しいことですが、とても素晴らしい経験なのです。
この壮大な生命の営みを、エゴを持った人間が原因で滅ぼしてしまうのはとても悲しく、
また恐ろしいことです。

今回は自然の営みの中で消えていくのではなく、
まさに人類の手でこのすべてを滅ぼそうとしているのです。
4度目の破滅が避けられるのか。
私たちに残された時間はそれほど多くありません。

「私の使命とは何ですか? 」
多くの人々は、必ずこの質問にたどり着きます。

その答えはただ一つ。
「4度目の破滅を回避すること」

人間の体を借りて生きている生物の、反省と修整の使命にあなたは気づいていますか。

この本を読むことができない地球上のすべての生命体に捧ぐ。


2014四年 天秤座が美しく輝く季節に
                          木内鶴彦

           <感謝合掌 平成27年11月5日 頓首再拝>

死後、過去と未来を見た - 伝統

2015/11/10 (Tue) 20:15:48

以降については、木内鶴彦氏の他の著書を含む多くの著書等から、臨死体験に関する
情報を中心に紹介してまいります。


         *Web彗星探索家・木内鶴彦さんは死後、過去と未来を見た。(2013/04/21)より

《木内さんは「臨死体験」と「死亡体験」で、なにを見たか?》

木内さんは《死後蘇生》が医師のカルテに記録された国内唯一の人だ。

22歳のとき病気で心臓・呼吸・脳波が完全に停止したが、約30分間後に息を吹き返した。
死んでいた間、時空を超えて、過去や未来を自由に行き来する不思議な体験をした。

その臨死体験(死後体験)から知り得た宇宙創世の話と、
木内さん自身の人生観の変化が非常に興味深かい。


わたしは、おどろおどろしい心霊の話は苦手なのだが、木内さんは理科系のひとだけに、
その「臨死体験」の話には、夢や幻覚や気の迷いだとは言い切れない論理性がある。

ほとんどの「臨死体験者」と言われる人たちは、心臓と呼吸が停まっても、みんな記憶がある。
だから意識があったはずなので、《仮死状態》で生き返っているそうだ。

だが、心臓と呼吸と脳波の停止まであったときは話は別で、
脳に血液も何も行かなくなると脳組織が崩れてしまい、二度と再起できない。
たとえ再起できても記憶がない。


木内さんの場合、22歳のときに、ひと晩で体重が30キロも激減するほどの
奇病(腸閉塞)になり、その約2週間後に心臓・呼吸・脳波が停止し、
カルテに「死亡」と書かれた。

その完全に死んでいた間、木内さんは「意識」だけが、
他の場所や過去や近未来のあちこちへと行き、
それから約30分後に奇跡的に息を吹き返した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《木内さんは「臨死体験」と「死亡体験」で、なにを見たか?》

人は仮死状態のとき、国や宗教によって多少違いがあるが、
きれいなお花畑や光や川を見ることがある。
神やキリスト、守護霊・天使、亡くなった親・親戚に会うこともある。


木内さんが病床で意識不明の際、そのような第一段階の、
いわゆる《あの世》の情景を見ていたら、
すうっと意識がベッドの上にいる現実の自分に戻った。

しばらくしたら、トックントックンと打っていた心臓の拍動が停まったのが分かった。
息ができなくなるはずだが、痛みも苦しみもない。

母親が、「死んじゃった!」と叫んで、ナースセンターに飛んでいった。

父親は、唖然とした顔で木内さんを見ている。

木内さんは「俺は大丈夫だから」と言ったが、父は反応してくれない。
上半身を起こしたが、父の目線は木内さんを通り越してベッドの枕元を見ている。
おかしいなと思って振り向くと、ベッドの上に横たわっている自分の体があった。

木内さんは目に映った情景が理解できず、パニック状態になった。
意識は連続しているので、自分は生きていると思っていたのだ。

呼べど叫べど父親が反応しないので、父の耳元で言おうと思って近づいていったら、
なんと、視界が父の目で見えている。
いま父の肉体に入り込んで、父の目を通して見ているのだと気づいた。

看護士たちが自分の体にまたがって心臓マッサージや人工呼吸をしているのも見た。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《木内さんは、考えるだけですぐに瞬間移動できることに気づいた。》

ふと母親がいないことに気づいたら、その瞬間、
病院の玄関で公衆電話を掛けている母のそばに立っていた。

電話が当時普及し始めたばかりのプッシュホンだったために、
母は電話番号をうまく押せず、何度も震える指で掛け直していた。

兄にも自分が生きていることを知らせたいと思ったら、その瞬間、
今度は病院へ向かう兄の体の中にいて、視線が車を運転する兄のものと重なっていた。

木内さんは、考えるだけで空間を瞬時に移動できることに気づいた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《好奇心が頭をもたげてきて、まず「過去」に行ってみようと思った。》

木内さんは考えた。「今の自分は肉体を持たない、いわば意識だけの存在だ。
意識だけの存在になると、空間や時間の制約を受けなくなるかもしれない。
もしそうならば、過去や未来にもいけるかもしれない」。

そこで迷うことなく、自分が6歳だったときの《ある夏の日》をイメージした。

その日、千曲川の土手で遊んでいたら、「危ない!」という声が後ろから聞こえた。
視線を上げると、姉が足を乗せようとしている大きな石が転げ落ちそうだった。

とっさに姉の背中を押したら、石は下に落ちて行ったが、
姉は突き飛ばされたせいで、足の親指の爪をはがしてしまうほどのケガをした。

兄たちからは、木内さんが悪ふざけをして押したと思われ、拳骨を食らって叱られた。

危ない!  という声が聞こえたんだと弁明をしても、
どこに声を出した奴がいるんだと言われて信じてもらえず、
木内さんはそのときの悔しい思いをずーっと引きずっていた。


その犯人扱いされた《あの夏の日》に行きたいと思った瞬間、
木内さんは、6歳のときの幼い自分と姉の姿を上から見下ろしていた。

見ていたら、あのときの瞬間がだんだんと近づいてきた。
姉がまさにその石に足を乗せようとする。
それを見物客のように見ていた木内さんは思わず叫んでしまった。

「危ない!」

そうしたら、幼い自分が木内さんのほうをパッと向いて、姉の背中を押した。

木内さんは大きなショックを受けた。
なんと、あのときの声の主は、未来の自分だったのだ。

もちろん、普段でも夢の中で声を出すことがあるように、
木内さんが臨死体験の中で過去を振り返っているうちに、内的に声を発した可能性もある。


木内さんは確証を得るために、意識だけで瞬時に長野県の星仲間の所に行ってみた。
(そこで見聞きした光景は、退院した後で仲間に確認したら、符合していて事実だった)



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《過去に行けるのなら、「未来」にも行けるはずだ。》

少し冷静さを取り戻したところで、木内さんは「未来」ということだけを強く思ってみた。
すると、三十畳ほどの大広間で、中年の男性が30人ほどの若者を相手に話をしていた。

その場所はとても風格があり、床の間には幅1メートル・高さ1.5メートルぐらいの
掛け軸が掛けられている。絵は建物の見取り図のように見えた。

近づいて、その男性の顔を見たら、少し老けてはいたが木内さん自身だった。
天文学の話を中心に地球環境の大切さを訴えている。
木内さんは、中年の自分が存在しているならば生き延びられるのかもしれないと思った。

これは18年後の1994年10月、高野山の《将来世代フォーラム》の会場で現実になった。
最初、木内さんは、臨死状態で見たとき見たあの光景とは少し違うと思ったのだが、
実は講演場所は隣の部屋だった。そしてその隣りの部屋は、すべてが昔見た通りだった。

臨死体験中のことは幻覚かもしれないし、
後でひとから聞いた話が記憶に混入した可能性もある。

6歳の時のことは客観的に証明できない。
だが未来は違う。未来は知るよしもない。
この高野山の講演が現実となって現れたことで、木内さんの確信は強まった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《もっと未来をと強く思ったら、初老の自分が現れた。》

先ほどのように鮮明なものではなく、二重写しの写真のように重なって見えていた。

一つは廃墟になった土地で愕然としている自分の姿。まわりには人が倒れている。
もう一つは、より不鮮明な情景だが、緑の多い場所で星を見ている自分。
二つのビジョンが同時刻の同じ場所ということは、自分の容貌と星の配置で分かった。

異なる二つのビジョンが見えたとは、未来がまだ確定してないことを示している。

どちらの未来を手にするかは自分の選択によって決まる、と木内さんは考えている。

さて、時空を自由自在に動き回れることが分かると、
木内さんの好奇心は大きくふくらみ、
《宇宙の始まり》を確かめたいという衝動に駆られるようになった。

   (http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-102.html

           <感謝合掌 平成27年11月10日 頓首再拝>

宇宙の始まりはビックバンか。木内鶴彦さんの臨死体験。 - 伝統

2015/11/13 (Fri) 20:09:44


         *Web彗星探索家・木内鶴彦さんの見た宇宙の始まり。(2013/04/28)

では宇宙創成の瞬間に行ってみようと思った。

《はじめに、膨大な意識ありき。》

そもそもの初めにあったのは「膨大な意識」だった。
膨大な意識を形成しているものが何なのか、空間なのか物質なのかということは分からなかったが、
ただそこが膨大な意識の中だということだけは分かった。

そのとき、木内さんは、自分は「膨大な意識」の一部であり、
すべては自分でもあるという不思議な感覚を感じた。


《膨大な意識の中に一つの「ひずみ」が生じ、そのひずみから宇宙が始まった。》

ひずみが生まれると、その瞬間、ひずみを解消してバランスを取ろうとする動きが始まる。
その動きこそが、宇宙に満ちているエネルギーだった。


《太陽系は、最初は星間ガスの渦から始まった。》

エネルギーは細かい回転をして渦のようになり、ガス状になり、水素元素になる。
ガスの塊は自重で集まり、互いに押したり引き合ったりしていくうちに成長し、臨界量を超え、
光り出し、爆発を起こし、それを繰り返していくうちに最終的に鉱物になった。

ガスの渦は回転し、軽い物質は渦の外側に吹き飛ばされ、重たい物質は渦の中心に集まり、
それが太陽の元になった。
太陽を中心に、さまざまな重さの物質の塊が惑星となり、円軌道を描くようになった。

地球が出来立ての頃、大量の水を含んだ物凄い数の彗星が次々に衝突し、
やがて一つの海が出来た。

当時の標高0メートル地帯は、現在より深さが2000メートルぐらい深い所。
大地はほとんどが赤褐色で、二酸化炭素に覆われていた。平均温度は30度位。


《原初の海で、最初の生命が生まれた。》

最初は藻のような植物性プランクトンが生まれ、それが光合成で酸素を生み出し、
酸素が十分増えたところで動物性の微生物が誕生した。

海の中で腐った植物を動物性の微生物が分解し、新たな栄養分を生み出し、
それを元に別の植物群が成長していき、こうして生命の循環が始まった。

植物は海岸から少しずつ陸上に進出し、
大気や土壌を生命体が生活するのに適した状態に変化させていった。
そのようになっていく期間は8億年ほど。

地球が緑に覆われるのにともない、さまざまな動物も海から上陸し、
水圧から開放された動物は重力の弱い陸上で巨大化していき、
こうしてさまざまな生物が地球に誕生。


《約500万年前。大陸の端と端に2種類の人類がいて、立派な文明があった。》

人類が存在しているのは、「進化論」の弱肉強食の原理に適応した結果ではなく、
たった一つの目的、すなわち、地球の環境バランスを整えるためだった。

緑を増やさなければ生命の住める環境が維持できないので、
人間は知恵を持つようになり、どんどん山のほうへ木を植えたり植林したりする作業をしていった。


《約1万5千年前、大量の水分を含んだ巨大彗星が地球に大接近した。》

巨大彗星が放つガスの大部分が地球の引力に引き寄せられ、冷えていき、
大雨となり地球に降り注ぎ、こうして大地の三分の一が水底に沈んだ。
彗星の核が現在の月。

人類は天文知識もあったので高い山に避難したが、大多数の命は失われた。
そのようにして当時の文明は滅び、生き残った人々により新しい文明が始まった。
超古代文明の痕跡が残ってないのは、このときの大洪水ですべて流されたから。


大洪水による大量の水により、地球の質量は急増し、地球の重力が増大した。
当時、人間と共存していた恐竜が絶滅したのも、この天変地異が原因。



木内さんは蘇生後に、この人生はとても素晴らしいと気づいた。

木内さんは言う。

「死ぬ瞬間に、やったね! と死んでください」。 

 (http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-103.html

           <感謝合掌 平成27年11月13日 頓首再拝>

1万5000年前の人間は巨人 - 伝統

2015/11/20 (Fri) 19:30:03

1万5000年前の人間は巨人、生理は年1回だった

        *あの世飛行士(タイムジャンパー)は見た!?《歴史の有名なあの場面》
         (著・木内鶴彦/長典男)(P56~p64から抜粋)より
 
木内 

生死をさまよって見たんですが、大洪水が起きたのは、
多分1万5000年ぐらい前だと思っています。
これを言うと怒られてしまうけれども、あくまでも見てきた話ですから。

大洪水が起きたときに、皆さんが避難した場所があります。
今のような大陸は想像しないでください。全部1つの塊だった。
ほとんどが平たんなところで、高地をつくっていたところに避難したわけです。

避難した場所は、今でいえばアフリカの北部あたりの地域です。
大洪水の後、いろいろ散らばっていきますが、
そこから生き残った人たちが生きていくというのはすごく大変でした。

文明も文化もすごく発達したけれども、すごく大変だったというところから始まって、
私たちの先祖は東を目指して旅をするわけです。
 
あのころは気圧の変動などがありますので、体のバランスが崩れています。
あのころの身長は男で3メートルぐらい、女で2メートル50センチぐらいで
寿命は大体300歳ぐらいでした。

でも、月が地球の周りを回ることによるストレスで、寿命も身長もだんだん弱くなってくる。

調べてみたら、明治の初めごろか江戸時代の末期に
世界中の人類の身長が小さくなっているんです。
そこから、現在は伸びてきている。

だから多分そこら辺がストレスの根本的な原因になったんじゃないか。
環境適応が終わるまで、そのくらい時間がかかったということです。



長 

月がちょっと離れ始めた時期ですよね。



木内 

そういうことになります。そこから、今は加速度的に身長も戻り始めています。
 
昔は生理は1年に1回の現象でした。
地球が太陽の周りを公転しているときに、今の私たちの銀河系というか、
いて座の方向から来るいろいろなものはストレスというか、
生き物に対しては恐怖心があって、種の保存を促した。

生理は1年に1回の現象だったのです。
ところが、月が回るようになってから、月の潮汐運動に振り回されて、
大体1カ月に1回になっているから、体にものすごいストレスがかかるわけです。

それを改善するために、体の中にたまっている電気を放電させようとした際、
一番必要だったのは金(キン)です。だから山ほど金塊をほじくり回した。

 ・・・(中略)・・・


《金が体を癒すものから貨幣へと変化した顛末》 


木内 

キリスト教という宗教はずっと後にできます。
そのころの教えなどでそれぞれの文化があったけれども、
例えば王様になる人たちは、人間をこき使うだけこき使う。

それを見ていた人たちが、「何か1つの基準点をつくろう。同じ働きをした者に対しては
同じ価値のものを与えよう」と言ったのが、金貨の始まりです。

地位のない貧しい人であろうが、位の高い人であろうが、金(キン)の価値は一緒です。
公平感を持たせるということから始まって、それがいつの間にか、
体を癒やすものから全然違うものになっていきました。今の通貨の始まりです。



長 

通貨という意味では銀貨が最初です。
それは金の量が絶対的に少なすぎて通貨には適さなかったからなのです。

金そのものが使われ始めたのはさっき木内先生がおっしゃっていたとおり、
人間の体にたまってしまう電気エネルギーを放電する道具としてで、
要は健康を保つためだったんです。

素足で地面に立っていても放電はできるのですが、金を使えば効率よく放電できるのと、
金が太陽光を反射したときには人間に有害な紫外線は吸収し、遠赤外線を主体とした
波長の光だけを反射するので、健康を保つためにはいいんです。

お話の中で木内先生がおっしゃっていた部分と私が見せられたものとの違いは、
古代人の身長が3メートルから2.5メートルぐらいというのは一緒ですが、
寿命が大きく違っていて、おおよそ600歳から800歳だということです。

変な言い方ですが、女性の生理が年に1度ぐらいしかなく、
できる子どもの数も限定されていたから人間の寿命も長かったということなんです。
そういう形で寿命が延びていた。

木内先生が見てきたのは300歳、自分が見てきたものは800歳で、
2倍ちょっとの違いはありますが、それ以外はほぼ同じでした。

つまり金は体の健康を保つために必要なものですが、
逆に言うと金がなければ300歳ぐらいしか生きられないということなんです。

金を上手く使う人は最長で1200歳ぐらいまで生きることができたので、
寿命にすごい差が生じることがわかったから金の価値が非常に高くなった。

ただ、金はマントルには多く存在するものの、地表で採れる金はあまりにも少ないので、
非常に貴重なものであることから通貨の中心的な存在とはなり得ませんでしたが、

それに代わるものとして、金と同じような作用のある銀が見つかったことから、
これを代用品として使うようになり、これが銀貨の始まりで、
貨幣経済の始まりだと自分たちは教えられています。



木内 

「金行」じゃなくて「銀行」だものね(笑)。


           <感謝合掌 平成27年11月20日 頓首再拝>

イサヤ - 伝統

2015/11/24 (Tue) 19:27:17

        *あの世飛行士(タイムジャンパー)は見た!?《歴史の有名なあの場面》
         (著・木内鶴彦/長典男)よりp189~p197から抜粋

以下は、少し、飛んだ話ですが、
個人的には面白い話なので、あえて紹介してみます。
小説を読んでいるという思いで、目を運んでいただければと思っております。


《イサヤ(イエス・キリスト)はホントに日本に来ていた!?》

木内

「実は、2001年10月に、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に招待を受けてバチカンに行きました。
自由に見てもいいよということで、壁画とかそういうものを見たときに、
私が生死をさまよって見た時代のその人の風体とは当然違うものがあるわけです。

キリストと言われる人が髭を生やしているのが気になりました。
“あれ、髭は剃っていたはずなのに”とひとり言をぶつくさ言った。
ディティールの部分、細かいことですが、そういうことを考えていました。

たしか刺されたけれども生き返って、死んでいないよなとか、その後はああだった、
こうだったというのがありますが、それはまた後ほどお話しします。

日本に来ているよなということもありました。数年前にそんなことをバーっと想像していた。
温泉に入っているんです。ちょっと待てよ、この温泉ってどこだという話になります。




「九州ですよね」


木内

「そうです。夕日が沈んでいく。前に海があって、半島が突き出していて、湯煙が立って、
向こうには火山が見える。ここはどこだと思って、ずっと考えながら、船でやってきて、
向こうから見える世界を想像したら、どう見てもこれは長崎県の島原半島の胃袋みたいな
格好をした、そこの近くらしい。

そんなところに温泉があったかなとか、いろいろ調べてみたら、
確かに温泉は2400年前からあったといわれています。やっぱり入ったんだ。
ということは、日本に来ているんだ。

まず第一に、生きていたということがつながったんです。
記憶って、いったんつながり始めると、思い出せなかったことがバババッとつながり始める。
本当に怒らないでくださいね。

今のは生死をさまよって見てきたことだけの話ですから、そう思ってくださいね。
参考になるかどうかは別として。

そこにイサヤという人がいました。
お母さんは高貴な家の奥さんだったけれども、昔は戦乱の世で、
負けたところの女性たちは勝ったほうの兵士たちに好きなようにされてしまうということで、
普通ではあり得ないような懐妊をしてしまった。

でも、それは言えない。
言ってしまうと自分は罰せられたりするので、誰かのお子様ですということにしなければいけない。

自分の身の回りを見ていてくれた男の人が
旦那の代わりになると宣言してくれたので、産むことになりました。

彼はちょっと変わっていました。
当時のユダヤ教というのか、あの当時の人たちの考え方は少し腐敗している部分がありました。

彼は自然界とかということをすごく考えたけれども、結局は人間のことだけなんです。
人間とはどうであるべきかという哲学的なこと。

そう言いつつも、キブツというものがあって、村をつくるとモーゼから申し送られて、
砂漠を緑地化するという話に傾倒している人たちもいました。

人々が一生懸命つくった作物を彼らは食べていた。
彼らは偉そうなことを言っても何もしていない。
しかも、何もしていない人たちが、一生懸命働いている人たちを下に見ていた。

納税だとかいって、取り立てるようなことばかりやっている。
これはものすごい理不尽で、イサヤは人間とは本来、平等でなければいけないのではないか
という立場からいろいろやり出すんです。

彼がそういうことを考えて多くの人に伝えていくうちに、
それが厄介だという人たちも当然出てくるわけです。

そのころ、そこを治めることになっていたローマから来ていた人たちがいました。
その人たちの中にも彼の話に傾倒する人たちがふえてきました。

要するに、ユダヤ正教の人の中にも彼に傾倒してくる人たちがいる。
基本的な理念は同じところです。
生きていくために働いて、緑をふやしていかなくちゃいけない。

砂漠を緑地化するところから始めなきゃいけない。
教会でもそうですが、必ず畑とか何かをつくって自給自足みたいなことをやって、
困っている人たちが来たら分け与えるというのが本来の形に今はなっているんです。

でも、昔からそれを唱えていかなくちゃいけない人が唱えなくなって、
働いている人たちを使うようになってくる。それに対して、どうも違うんじゃないか
ということを唱え始めたら、やはり異端と見られていきます。


一緒に歩いているときに、ある女性がいました。
これは奥さんになる人です。
昔は別に結婚式とか宣言するとかではなくて、奥さんという形があって、子どもができました。

今いわれているように、確かに捕まることは捕まるんですが、
その前に自分の嫁さんだけは、髪の毛を短くして男性の格好をさせて、逃げしやるんです。
ユダヤの男みたいにして、ユダという名前にして追い出した。

イサヤはいろいろ情報を知っているので、これから起きる未来の出来事を書けるんです。
こういう時代が訪れるから、最悪な状態にならないようにするためにはどうしたらいいか
ということを、皮に書きました。

それを最終的には油でなめして腐らないようにして、
丸めてレバノン杉でつくった箱に入れました。

みんなで最後に飲み干したときのスズでつくったワイングラスはそんなに大きいものでは
ありませんが、そこに一筆書きで描ける八芒星があります。両方がへこんで、へこんで、へこんで、
十字架みたいな格好になるんですが、それは彼の紋所です。

それを持たせて“ヘラクレスの足元に埋めておいてくれ”という約束をしました。
ヘラクレスの足元というのは、ジブラルタル海峡のスペイン領寄りの先端のところに山が
ありますが、それがヘラクレスの足と言われていて、その足元です。
今はイギリス領になっています。

そこに置いておいてくれという話になっていました。
そういうことをしながら別れ別れになってしまった。

その後、彼はどうしたか。
まず、気を失うぐらいの痛みで刺されるんですが、血が流れただけで終わっているんです。
周りで刺す人たちも彼に傾倒していますから、傷をつけただけです。
傷をつけておけば亡くなったと思ってくれるだろうと。

たしか、すごい雨が降ったんです。
わずかな血でも、雨が降って水に濡れるとすごい血の量に見えるんです。
亡くなったことにして、石棺の中に入れて、蓋をずらしておいた。

彼には双子の弟がいて、双子の弟は髭を生やしていました。
別々に育てられていたので、本人もわかっていませんでした。
当時、片方は必ずどこかにやられてしまうので。

顔つきは同じだけれども、髭を生やしているか生やしていないかの違いはあるんです。
彼はイサヤの言っていることに傾倒していたので、亡くなるときに服毒自殺をしてしまいました。
周りの人たちは、服毒自殺をした遺体とこっそり入れかえたんです。

石棺をあけたら傷が消えていたという1回目の奇跡。それはそうですよね、入れかえたんだから。
そういうことかと思ったけれども、一緒に行った人たちは敬虔なるクリスチャンですから、
こんなことはそこでは言えないですよ。

でも、私は1人でワクワクしていました。そうだったのかと。

体が治って傷も癒されて3ヶ月から半年以上経ってからだと思いますが、
今度はペトロと会おうということで行きました。
当然、ペトロと会ったときには傷がありました。

“俺は助かった”と言おうとしたら、彼はその姿を見たら振り向いて逃げていっちゃった。
あそこには復活したと書いてあるけれども、そういうことなのかと。

彼は砂漠の緑地化の大切さを訴えてずっと歩いて、日本まで渡ってきた。
台湾から渡って、最終的には宮古島から船に乗ってくるので、
宮古島に滞在したことがあるはずです。

そこから船に乗って、船が流されていくと海流の流れとちょうどぶつかるんです。
後で調べました。ちょうどいいあんばいにあそこに入っていく。絶対ここに来ているはずだ。
彼はイサヤという名前だったので、昔からの言い伝えとして何か残っていないか、
みんなで調べました。

例えば、ヘブライから来たから戸来村(へらいむら)とかあるように、
何かあるんじゃないかと思ってずっと調べていました。

そして気がついたのが、諫早(いさはや)です。
諫早というのはもしかしたらと思ったら、はっきりとした意味はなくて、語音だけがあって、
後で漢字が足されているらしい。
あれをローマ字で書いて、Hは読まなければ、イサヤになりませんか。

そうすると、キリスト教が来る前からずっと、
キリスト教と似たような話はあそこに広まっていた可能性がないか。
これは試したわけじゃないですよ。

私の中で今調査しているだけの話ですが、でも一応、真実は真実で知りたいなと思っているんです。
最終的にはどこに行ったのかと思ったら、四国です。剣山で・・・」



長 

その前に青森へ行っているでしょう。


木内 

青森へは行っていない。あれは違う。
キリスト教になってから。後の人たちです。


それから200年ぐらい経ってから、ローマがキリスト教という制度をつくった。
それ以前の話しか私はわからないんです。
キリスト教はローマ帝国がつくったもので、あれの話とは大分違うんです。
 
彼が行っていた痕跡も意外とあったりします。
栗枝渡(くりしと)神社とか。
でもそれはキリスト教のにおいがするよな。
イサヤとかイサ何とかとか、何かそういう形で残っているんじゃないかと思って、
今、調査中です。

いろいろな神社とかそういうのがあったりするとおもしろいかなという気がしています。

           <感謝合掌 平成27年11月24日 頓首再拝>

木内鶴彦さんの臨死体験。『生き方は、星空が教えてくれる』。 - 伝統

2017/07/18 (Tue) 19:36:19


        Web:「バーソは自由に」(2013/04/15)より

木内さんは《死後蘇生》が医師のカルテに記録された国内唯一の人だ。
22歳のとき、病気で心臓・呼吸・脳波が完全に停止したが、約30分間後に息を吹き返した。
死んでいた間、時空を超えて過去や未来を自由に行き来するという不思議な体験をした。

      (http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-101.html

            ・・・

彗星探索家・木内鶴彦さんは死後、過去と未来を見た。

        Web:「バーソは自由に」(2013/04/21)より

木内さんの場合、22歳のときに、ひと晩で体重が30キロも激減するほどの
奇病(腸閉塞)になり、その約2週間後に心臓・呼吸・脳波が停止し、
カルテに「死亡」と書かれた。

その完全に死んでいた間、木内さんは「意識」だけが、他の場所や過去や
近未来のあちこちへと行き、それから約30分後に奇跡的に息を吹き返した。


《木内さんは「臨死体験」と「死亡体験」で、なにを見たか?》

木内さんが病床で意識不明の際、そのような第一段階の、いわゆる《あの世》の
情景を見ていたら、すうっと意識がベッドの上にいる現実の自分に戻った。

しばらくしたら、トックントックンと打っていた心臓の拍動が停まったのが分かった。
息ができなくなるはずだが、痛みも苦しみもない。
母親が、「死んじゃった!」と叫んで、ナースセンターに飛んでいった。


父親は、唖然とした顔で木内さんを見ている。
木内さんは「俺は大丈夫だから」と言ったが、父は反応してくれない。

上半身を起こしたが、父の目線は木内さんを通り越してベッドの枕元を見ている。
おかしいと思って振り向くと、ベッドの上に横たわっている自分の体があった。

木内さんは目に映った情景が理解できず、パニック状態になった。
意識は連続しているので、自分は生きていると思っていたのだ。

呼べど叫べど父親が反応しないので、父の耳元で言おうと思って
近づいていったら、なんと、視界が父の目で見えている。

いま父の肉体に入り込んで、父の目を通して見ているのだと気づいた。

看護士たちが自分の体にまたがって心臓マッサージや人工呼吸をしているのも見た。


《木内さんは、考えるだけですぐに瞬間移動できることに気づいた。》

ふと母親がいないことに気づいたら、その瞬間、
病院の玄関で公衆電話を掛けている母のそばに立っていた。

電話が当時普及し始めたばかりのプッシュホンだったために、
母は電話番号をうまく押せず、何度も震える指で掛け直していた。

兄にも自分が生きていることを知らせたいと思ったら、
その瞬間、今度は病院へ向かう兄の体の中にいて、
視線が車を運転する兄のものと重なっていた。

木内さんは、考えるだけで空間を瞬時に移動できることに気づいた。


《好奇心が頭をもたげてきて、「過去」に行ってみようと思った。》

木内さんは考えた。「今の自分は肉体を持たない、いわば意識だけの存在だ。
意識だけの存在になると、空間や時間の制約を受けなくなるかもしれない。
もしそうならば、過去や未来にもいけるかもしれない」。

そこで迷うことなく、自分が6歳だったときの《ある夏の日》をイメージした。

その日、千曲川の土手で遊んでいたら、「危ない!」という声が後ろから聞こえた。
視線を上げると、姉が足を乗せようとしている大きな石が転げ落ちそうだった。

とっさに姉の背中を押したら、石は下に落ちて行ったが、
姉は突き飛ばされたせいで、足の親指の爪をはがしてしまうほどのケガをした。

兄たちからは、木内さんが悪ふざけをして押したと思われ、拳骨を食らって叱られた。

危ない!という声が聞こえたんだと弁明をしても、
どこに声を出した奴がいるんだと言われて信じてもらえず、
木内さんはそのときの悔しい思いをずーっと引きずっていた。

その犯人扱いされた《あの夏の日》に行きたいと思った瞬間、
木内さんは、6歳のときの幼い自分と姉の姿を上から見下ろしていた。

見ていたら、あのときの瞬間がだんだんと近づいてきた。
姉がまさにその石に足を乗せようとする。
それを見物客のように見ていた木内さんは思わず叫んでしまった。

「危ない!」

そうしたら、幼い自分が木内さんのほうをパッと向いて、姉の背中を押した。
木内さんは大きなショックを受けた。
なんと、あのときの声の主は、未来の自分だったのだ。


《過去に行けるのなら、「未来」にも行けるはずだ。》

少し冷静さを取り戻したところで、
木内さんは「未来」ということだけを強く思ってみた。

すると、三十畳ほどの大広間で、中年の男性が30人ほどの若者を相手に話をしていた。
その場所はとても風格があり、床の間には幅1メートル・高さ1.5メートルぐらいの
掛け軸が掛けられている。絵は建物の見取り図のように見えた。

近づいて、その男性の顔を見たら、少し老けてはいたが木内さん自身だった。

天文学の話を中心に地球環境の大切さを訴えている。
木内さんは、中年の自分が存在しているならば
生き延びられるのかもしれないと思った。

これは18年後の1994年10月、高野山の《将来世代フォーラム》の会場で現実になった。

最初、木内さんは、臨死状態で見たあの光景とは少し違うと思ったのだが、
実は講演場所は隣の部屋だった。
そしてその隣りの部屋は、すべてが昔見た通りだった。


《もっと未来をと強く思ったら、初老の自分が現れた。》

先ほどのように鮮明なものではなく、二重写しの写真のように重なって見えていた。

一つは廃墟になった土地で愕然としている自分の姿。周りには人が倒れている。

もう一つは、より不鮮明な情景だが、緑の多い場所で星を見ている自分。

二つのビジョンが同時刻の同じ場所ということは、自分の容貌と星の配置で分かった。

異なる二つのビジョンが見えたとは、未来がまだ確定してないことを示す。

どちらの未来を手にするかは自分の選択によって決まる、と木内さんは考えた。

さて、時空を自由自在に動き回れることが分かると、木内さんの好奇心は
大きくふくらみ、《宇宙の始まり》を確かめたいという衝動に
駆られるようになった。

     (http://barso.blog134.fc2.com/blog-entry-102.html

           <感謝合掌 平成29年7月18日 頓首再拝>

私が死ぬことができない理由 - 伝統

2017/07/23 (Sun) 19:36:51

        *「臨死体験で明かされる宇宙の「遺言」 」木内鶴彦・著(はしがき)より

新しい星を発見するのには、季節、時間、年代にそれぞれの星と
そのときの天体の状況を総合的に判断するという緻密な計算が必要になります。

膨大な仮定、それを一つずつ検証していくという地道なデータ作業の積み重ねです。
根気を必要とする地味な作業が続きます。

しかし、もともと理系の人間である私にはそれは苦ではなく、
むしろ、科学的に一つずつ積み上げて検証していく、解明していくということは
当然のことであり、それができないことは口にしてはいけないと考えていました。

ですから、「臨死体験」という自分に起きたことは、
自分の理解の範ちゅうを超えるものであり、自分の中でそれをどう受け止めて
消化すればいいのか、途方にくれるものでした。

ところが3度も臨死体験から生還すると、さすがに「私はなぜ死〇ないのだろう?」
と不思議に思うようになりました。

   *〇:ね

臨死状態になるたびに体験してきた知見は膨大なものになり、
いまなお、それは記憶の底から無意識のうちに蘇り、
日々新しい気づきや発見につながっているほどです。

あまりにも膨大なものを見てしまったために、
私の小さな脳の容器に入りきらなったものが、
いまだによみがえってきて、更新され続けているのです。

私が3度も臨死状態を体験した(させられた?)のは、
もしかしたら私が経験したことを広く世間に伝えよ、
という意味ではないのか。

私は一人悶々とするようになりました。

幸いある時期から、私のよき理解者となる仲間たちと出会うこともできました。
そして、私は、臨死体験者「木内鶴彦」として、私が見てきたすべてを
あきらかにして伝えようと決意するにいたったのです。

じつは私は昨年、助かる確率が25%という重篤な病いに倒れました。
初めて臨死体験をともなわない重篤な病でした。

今度こそ、自分でも死ぬのではないかと思いましたが、
ふたたび生還することができました。
幸運でした。

この状況に際して、私は死ぬのは少しも怖いと思いませんでしたが、
自分の肉体がもうボロボロであることを知りました。
肉体にはかぎりがあります。

私が見てきたこと、わかったこと、伝えるべきことはすべて伝えていかなければ、
という思いが日々強くなっていくのを感じました。

(中略)

いま、地球は危機的な状況に向かっています。
世界の各地で起こっている大洪水や火山の爆発、地震、スーパー台風といった
天変地異はその現われでしょう。

地球の天候が荒ぶっています。
それだけではありません。
世界各地で紛争や思いもよらない政治的抗争が勃発してもいます。

それらは宇宙からのメッセージです。

でも、未来には希望はあります。
破滅に向かうのか、喜びに向かうのか。どちらの方向に向かうのか。
選択するのは私たちです。

人類のエゴはさまざまな生命を絶滅に追いやり、
地球を危うい状態にしかねない勢いです。

(中略)

この本の中で登場する歴史認識や科学などに関する内容は、あくまでも
私が臨死体験をしたときに見たり、感じたりした事柄に基づくものです。
その確証は定かではありません。

私はメッセージを受け取ったものとして、そのままをみなさんにお伝えしながら、
自分のできるかぎりは検証していきたいと思っています。

 2016年 天馬ペガサス座が輝く季節に      木内鶴彦

           <感謝合掌 平成29年7月23日 頓首再拝>

1万5000年前に起きた大洪水が人類を変えた - 伝統

2017/08/17 (Thu) 20:11:40


      *「臨死体験で明かされる宇宙の「遺言」 」木内鶴彦・著(P126~128)より

臨死によって、私は宇宙や地球の歴史だけでなく、人類の歴史も見てきました。

するとどうもいままで教書で習ったものとは違う事実が出てくるのです。

歴史はときに権力者や後世の人々によって都合よく書き換えられてしまいます。
私たちが真実だと思っているものも、本当は誰かによって書き換えられた
フィクションかもしれません。

歴史の新解釈がつねに話題になるように、後世の人間には検証できないところもあります。
私はここで私の体験で得てきた知識の一つとして、自分が臨死体験で見てきた歴史を
そのまま明らかにしたいと思います。


まず私が臨死体験で見てきたのは、1万5000年ほど前に起きた大洪水です。
当時、地球はまだいまのような五大陸にわかれておらず、
1つの大きな大陸のように見えました。

しかしあるとき巨大彗星が太陽に近づくという、
とんでもないことが起きてしまったのです。
彗星の内部は氷や水分が結晶になって固まっています。
そしてそれらが太陽の熱によって一気に蒸発してしまったようです。

地球が太陽の軌道に近づいたとき、周辺にあった大量の水蒸気は、
地球の引力に引っ張られて膨大な量の雨となり、地上に降り注ぎました。

その量は大陸のほとんどを水没させ、地球全体の3分の2をおおうほどの
広大な海を出現させてしまうほどでした。
それによって大きな陸地は、5つの大陸に分断されてしまいました。

ほかの生き物同様、人類も多くが滅びてしまい、
助かったのは現在の北アフリカ周辺の高台に逃れたわずかな人たちだけでした。
そこから人類の苦難の歴史が始まるのです。

それまで人類は高度な文明を築いているように私には見えました。
現在エジプトやマヤの遺跡に見られる、UFOや宇宙人だといわれている絵は、
恐らく大洪水前の人間たちの様子を描いたものだと思われます。

当時の人たちは、互いにテレパシーで交信し合っていたので、
1つにつながっていて、争いもありませんでした。
地球の生態系を守るという役割に基づいて、平等で平和な世界を築いていたのです。

しかし大洪水が世界を一変させてしまいました。
少ない食料をめぐって奪い合いが起きたのです。

人間はテレパシーの回路を閉じてしまいました。
なぜならテレパシーでつながっていると、
他人に食料がある場所を悟られてしまうからです。

自分だけが食料を独り占めしたいという欲望が、
敵対心や猜疑心を生み、やがて差別や偏見へと変わっていったのです。

戦いに敗れた人々は、
アフリカから新しい新天地を求めて世界各地に散らばっていきました。
そして五大陸のさまざまな場所に住みつき、
それぞれの気候や環境に合った進化を遂げていくのです。

           <感謝合掌 平成29年8月17日 頓首再拝>

体内時計が25時間なのは月不在時代の証? - 伝統

2017/08/18 (Fri) 19:03:38


      *「臨死体験で明かされる宇宙の「遺言」 」木内鶴彦・著(P128~131)より

大洪水が起きる前の人間は、いまよりずっと身長が大きくて、
男性で3メートルくらい、女性だと約2メートル50センチくらいあるように
私には見えました。

寿命も300歳くらいあったと推定されます。
これはまだ、月が存在していなかったために、
月によるストレスを受けていなかったからだと私には思えます。

大洪水が起きる前、月はまだありませんでした。

「そんなばかなことはない」と科学者や天文学の専門家からは指摘されて
しまいますが、私が見てきた過去の地球には、確かに月が存在していなかったのですから、
しかたありません。

月は太陽に近づきすぎたために蒸発してしまった巨大彗星のなれの果ての姿なのです。
巨大彗星は、水分をすべて蒸発させて軽石のようになり、
地球が近づいたときに地球の引力に引っ張られて、地球の周囲をまわる衛星になったのです。

月が現れると、月の引力が地球にも影響を与えるようになりました。
その1つが潮の満ち引きです。月が現れる以前の海は静かで波がありませんでした。
けれども地球をまわるようになった月の引力によって、海はかきまわされるようになったのです。

また、月は地球の自転に影響を与えました。
それまで地球は1日が25時間の単位で自転をしていました。
しかし月の引力によって地軸がわずかにずれたため、
自転の時間が1日24時間になってしまいました。

人間の体内時計が25時間というのをご存知ですか?
私は若いころからずっと、私たち人間の体内時計がなぜ25時間なのか
不思議でたまりませんでした。

でも月の引力を計算してみて、初めて納得できる答えがわかったのです。
月が存在しない場合を想定して地球の自転時間を計算してみると、
25時間ぴったりだったからです。

私たちがいまだに25時間の体内時計を保持しているのは、
月がなかった時代の名残にほかならないのです。

また、地球の重力も重くなりました。
これは広大な海の出現によって地球の質量が重くなり、
質量に比例する重力が大きくなったからです。

大洪水前までは人間も3メートルほどありましたが、
このような巨大な体では、重くなった重力のもとで自由に動くことができません。
人間は3メートルの体を維持するのが難しくなり、小型化していきました。

巨大な恐竜が滅びたのも同じ理由だと私は思います。
彼らが滅亡した理由は、大きな隕石が落下したせいでも、
気温が下がったせいでもありません。
地球の重力が変化したからにほかならない、と私は考えています。

さらに人類は月の引力に引っ張られるストレスで、寿命が短くなりました。
その危機感から子孫を残そうという生殖本能が働いて、
本来なら1年に1回だった女性の生理が毎月11回訪れるようになったのです。

大洪水とその後の月の出現が、地球の生き物と人類に、
はかり知れないほどの影響を与えたわけです。

           <感謝合掌 平成29年8月18日 頓首再拝>

過去の人物目線を借りて、リアルタイムで体験する - 伝統

2017/08/31 (Thu) 21:00:49


        *あの世飛行士(タイムジャンパー)は見た!?《歴史の有名なあの場面》
         (著・木内鶴彦/長典男)(P40~44から抜粋)より


木内 実は過去へ行っていろいろな人の体をお借りしています。
   非常におもしろいです。空海さんという人も知っています。

   そこでは過去とか未来とか、空間は関係ないのです。
   だから同時に情報が入って来る。

   私が生死をさまよった話をさせてもらっているとき、
   自分の意識はここにいながら、もう一方の自分はあちこちをのぞいて歩いて
   実況中継をしているような状態です。

   ですからあんなに長い間、しゃべりっ放しでいられる。
   文章にする必要もなく、見たまま、ありのままをしゃべれば一番いいのです。
   そうすれば皆さんも共有できるじゃないですか。
   おかしいと思う点があれば、それぞれがまた考えてくれればいいのです。

   いろいろ試してみたいと思うことがあります。
   例えば、本能寺の変などの話がありますが、あれはひどい話ですよね。

   本物の信長はどういう人だったのか。
   死んだはずだけど、でも遺体が見つかっていないとも言います。
   それで私は、信長が死んだといわれている本能寺の変が起きた、
   5日後くらいに行ってみました。

   5日後くらいに行ってみて、何も見えないようなら死んだということなので、
   「死んだはずだよな」と思って見ていました。

   そこでぼーっとしていたら、海が見えるのです。
   私は何回も行っているから知っていますが、
   「あれ、この海はどこかで見たことがある。これは福井県の小浜だ」と気がつきました。

   リアス式のあの海の感じは昔から変わらないのです。
   つまり昔の風景のままなわけです。

   「なんで小浜にいるの。ここにいるこの人は何なの?」と思って、
   またちょっと時間を飛ばして見ていたら、中年のいい男が来ます。

   織田信長がどんな顔をしていたかよく知りませんでしたが、
   向こうから歩いてくる人は凛々しくてカッコいい男でした。

   その人が言った言葉は、「光秀、何をしていた?」です。
   「エッ、この人は明智光秀?」 

   これは戯言(ざれごと)ですよ。あくまでも私が見たことですからね。
   本気でとらないでくださいね。でもちょっと気になりませんか? 

   そこで「ちょっと待てよ」と思ったのが、西山先生という方が現在いて、
   信長と犬養元首相のデスマスクを持っている。
   「見せてあげるからおいで」と言われて見に行きました。

   織田信長のデスマスクは、なるほど、こういう感じかと。
   犬養さんのは、ここがぶち抜かれているから、この辺がちょっとへこんでいる。

   そして2つを見比べたときに、犬養さんのほうのは皮膚がさらっとしているけど、
   織田信長のは毛穴が開いている。毛穴が開いているということは、
   「生きている時に型をとったということだよな」と思って、ずっと気になっていました。

   そうこうしているうちに、何となく彼らの企みがわかってきました。
   実はそれより3ヶ月ぐらい前に、
   信長は少年使節団か何かに長男を入れて出航させていたのです。
   その引率を長男にやらせていると言っていました。本当かどうか知りませんよ。

長  信長は、建前上は、本能寺の変で長男も一緒に亡くなったことになっていますからね。
   でも死体は一切見つかってはいません。

木内 2人で何をしゃべっているのか黙って聞いていたら、
   「日本の天下取りはつまらぬ」と信長。
   彼はキリスト教を信仰していました。

   さらに信長はこう言いました。「私はこれから世界へ行く。バチカンへ行く」と。
   今、それをまさに追いかけようとし始めているのです。

   まだ言いたいことはありますが、このへんでやめておかないと、
   答えを言ってしまうと、皆さんに先に行かれてしまうと困るので(笑)。

長  それで(バチカンに)行った人に確認してもらったら、
   「ああ、なるほど」というのがいっぱいありました。
   しかも怖ろしいくらいに。

   これは実際にバチカンに行く人がいたので頼んだのです。
   そしたら実際にそれがあったのです。

           <感謝合掌 平成29年8月31日 頓首再拝>

信長は生きてイタリアで修道士になっていた!?  - 伝統

2017/09/01 (Fri) 17:37:56


        *あの世飛行士(タイムジャンパー)は見た!?《歴史の有名なあの場面》
         (著・木内鶴彦/長典男)(P41~43から抜粋)より


木内さんは、臨死体験中、信長が死んだと言われている本能寺の変から5日後くらいに
現場に行ってみる事にしたそうです。

過去に飛んだ所は、福井県の小浜でした。

すると、りりしい格好の良い男が向こうからやって来て、
「光秀、何をしていた!」と言ったそうです。

本能寺の変より3ヶ月ほど前に、信長は少年使節団のようなもので
長男を出航させ引率をやらせていたのも見えて来ました。

さらに、信長とおぼしき人は「日本の天下取りはつまらぬ。
私はこれから世界へ行く。バチカンに行く。」と話していたそうです。

          ・・・

◆明智光秀も一緒にイタリアへ渡っていた!? P112~115

明智光秀と言えば、織田信長の重臣の一人で、本能寺の変を起こし
信長を自害させたという事になっております。

しかし、本能寺の変の最大の謎は、
光秀が信長を討った明確な動機が見当たらない点にあるのです。

なので、光秀は死なずに南光坊天海になったという異説まであります。

けれど、木内さんは天海説は否定しており、バチカンで亡くなっているとしています。

木内さんと対談されている長典男さんも、
最澄が嵯峨天皇から預かったとされる秘宝を持って
信長らはバチカンに行ったと言っています。

秘宝を手に入れるのが比叡山の焼き討ちの目的のひとつだったようです。

さらに、日本は狭くこれからの相手は世界だと「世界制覇」の野望を抱いたことと、
次第に神のように振る舞い始めた影武者の始末のために、
本能寺の変は信長が計画した事だと言います。

信頼のおける後継者として信長が選んだのが、徳川家康だったそうです。

ところが、この計画を台無しにしたのが豊臣秀吉で、
信長の影武者を逃すふりをして殺してしまったのが秀吉の配下の者だったそうです。

そればかりか、秀吉らは家康をも亡き者にしようとしていたそうです。

ちなみに、第六天魔王・波旬を名乗っていた影武者を、
そのまま葬るのでは心配だという事で、高野山に運び封印したそうです。

今は、そこは信長の墓となっていますが、中は空っぽのようです。

木内さんには、信長ら3人はバチカンに行ったけれど、
最終的には法王にはなれず枢機卿か何か止まりだったと言うことまで見えていたようです。

           <感謝合掌 平成29年9月1日 頓首再拝>

金(きん)が体を癒やすものから貨幣へと変化した顛末 - 伝統

2017/09/02 (Sat) 18:25:02

金(きん)が体を癒やすものから貨幣へと変化した顛末 (P61~64)


木内 キリスト教という宗教はずっと後にできます。
   そのころの教えなどでそれぞれの文化があったけれども、
   例えば王様になる人たちは、人間をこき使うだけこき使う。

   それを見ていた人たちが、「何か1つの基準点をつくろう。
   同じ働きをした者に対しては同じ価値のものを与えよう」と言ったのが、
   金貨の始まりです。

   地位のない貧しい人であろうが、位の高い人であろうが、
   金(キン)の価値は一緒です。

   公平感を持たせるということから始まって、それがいつの間にか、
   体を癒やすものから全然違うものになっていきました。
   今の通貨の始まりです。

長  通貨という意味では銀貨が最初です。
   それは金の量が絶対的に少なすぎて通貨には適さなかったからなのです。

   金そのものが使われ始めたのはさっき木内先生がおっしゃっていたとおり、
   人間の体にたまってしまう電気エネルギーを放電する道具としてで、
   要は健康を保つためだったんです。

   素足で地面に立っていても放電はできるのですが、
   金を使えば効率よく放電できるのと、
   金が太陽光を反射したときには人間に有害な紫外線は吸収し、
   遠赤外線を主体とした波長の光だけを反射するので、
   健康を保つためにはいいんです。

   お話の中で木内先生がおっしゃっていた部分と私が見せられたものとの違いは、
   古代人の身長が3メートルから2.5メートルぐらいというのは一緒ですが、
   寿命が大きく違っていて、おおよそ600歳から800歳だということです。

   変な言い方ですが、女性の生理が年に1度ぐらいしかなく、
   できる子どもの数も限定されていたから人間の寿命も長かったということなんです。

   そういう形で寿命が延びていた。
   木内先生が見てきたのは300歳、自分が見てきたものは800歳で、
   2倍ちょっとの違いはありますが、それ以外はほぼ同じでした。
 
   つまり金は体の健康を保つために必要なものですが、
   逆に言うと金がなければ300歳ぐらいしか生きられないということなんです。

   金を上手く使う人は最長で1200歳ぐらいまで生きることができたので、
   寿命にすごい差が生じることがわかったから金の価値が非常に高くなった。

   ただ、金はマントルには多く存在するものの、
   地表で採れる金はあまりにも少ないので、非常に貴重なものであることから
   通貨の中心的な存在とはなり得ませんでしたが、

   それに代わるものとして、金と同じような作用のある銀が見つかったことから、
   これを代用品として使うようになり、これが銀貨の始まりで、
   貨幣経済の始まりだと自分たちは教えられています。

木内 「金行」じゃなくて「銀行」だものね(笑)。

           <感謝合掌 平成29年9月2日 頓首再拝>

私たちはこうして、火山の噴火を予測しています - 伝統

2017/09/03 (Sun) 18:21:37


    *『あの世飛行士は見た!? 歴史の有名なあの場面』(P77~81)より

木内 日本人だったらみんな気がついていると思いますが、
   琵琶湖と淡路島って似ていませんか。どうも気になってしょうがない。

   竹生島(ちくぶしま)というところは、拳銃の撃鉄のような感じです。
   何か起きるとしたらすごい出来事があったのではないかというのが1つと、
   なぜアトランティスが沈んだといわれているのか気になったんです。
 
   アトランティスとはいったい何か。
   エジプトとかギリシャですごい大津波があって、海の底に流されたという話や、
   クレオパトラ何世だか忘れましたが、彼女がそのころにアレクサンドリアにいて、
   大地震と大津波でやられたという話がありますね。

   断層があるので地震は起きてもおかしくないのですが、
   あんなところで大津波が起きたのか、
   どうも信じられないなというのがありました。
 
   そこで、もし限石が落下したらという話になりました。
   たまたま私の知り合いがNASAにいたので「隕石が落下したとしたら、
   クレーターがあるんじゃないか」とか、バカなことをしゃべっていました。

   そうしたら、ありました。
   ちょうど沖合、西側に300キロぐらいのところにクレーターがあって、
   そこにアトランティス大陸があったと思われます。

   ちょうど地球を挟んでほぼ真後ろの北半球、地球の地核を
   かすめるような形で反対側に行くと、なんと竹生島に当たるんです。
   あとは年代だよねという話になりました。

   年代を調べたら、今から1万2000年前で、両方とも一致していました。
 
   そうすると最初にドーンと落ちたときに衝撃波でストーンと抜けた。
   一番気になるのは、
   その後マントルがじわじわと波のように押し寄せてこないだろうか、
   あるいは磁界のようにして押し寄せてこないだろうかということです。

   押し寄せて、こちらの近くまで来るのにどのくらいかかるか。
   年に10メートルぐらいだとすると、計算的には1万2000年前
   というのはちょうど合うんです。
 
   一番考えたのは、
   竹生島の周りあたりで温泉が湧き出てきたらおもしろいなと。
   お湯が湧き出てくると気泡ができます。そういうことを言っていたら、
   3年か4年ぐらい前から湧き上がってきたんです。
 
   だとすれば、そのくらいの速度で来たのだとしたら、
   そのエネルギーというか磁界のドリフトはどこに行くのだろう
   と話をしていました。

   ドリフトというのはエネルギーに対して90度でドリフトするので、
   今後はチリのほうか、ネパールのほうに出るという話をしていたら、
   その週のうちにチリで噴火がありました。

長  噴火はついこの間ですよ。

木内 あのころあったんです。2月。チリだよね。すごい大噴火です。
   一応、計算しました。

長  「そろそろ危ないよね」「そうだよね。ならなけりゃいいね」と
   言っていたら、本当に起きちやった。

木内 僕が生死をさまよって見ていた中では、そのエネルギーが外に放り出されて
   日本が大変なことになっているというところまではいっていなかったから、
   回避はしたんだろうと思いますが、ただ、結果を見てきたわけではないから。

   そのポイントは竹生島でしょうね。
   あと、竹生島が芯だとしたら、周りに相当肥大したものが出てくると思います。
   そうすると、当然、地殻などに変動が起きてくるんじゃないかと思います。

長  ちょうどそれがフォッサマグナの西の端にありますから、
   あれにひっかかってしまうんです。

木内 別の見方をすると、要するに地球内部にそういうものがあると
   エネルギーがどこかに放出されるんでしょうから、何か動きが出てきて
   地殻(プレート)を押し上げたりして、火山活動や地震活動が活発に
   なっているんじゃないかなんてバカなことを言ったら、
   本当にバカなことになってきた。

   別に僕らは予測しているわけでも何でもなくて、
   ただ物理的に考えたらというお茶飲み話をしていただけだけれども、
   何かありそうだなとは思っていました。

長  去年の11月ぐらいに、
   霧島がそろそろ危ないけれども桜島のほうが嫌だよねとか、
   そういう火山の話をしていて、「噴火するならこの順番だよね」と言ったら、
   その順番どおりになった。

   最後は浅間になるけれども、その手前で箱根がぼちぼち危なくて、
   もしかしたら来年の駅伝は中止になるかもねと言っていたら、
   本当に危なくなっちやった。

           <感謝合掌 平成29年9月3日 頓首再拝>

腐らない人間って? - 伝統

2017/09/04 (Mon) 17:44:05


ついに腐らない人間も登場した!?
このやり方でホントにいいのかな!?   (P103~105) 

(なぜ具合悪くなったり、病気になるのか?)

木内  やはり、自分たちの体は自分たちで守ることを
    考えなければいけないですね。

    農業のあり方も、露地物でなんとか放射能を減らそう
    という努力をしているけども、それよりもハウスや建物の中で栽培し、
    循環できるような形にしていくなど、
    いろいろ考えていったほうが安全ですね。

    人間というのはおもしろくて、
    皆さん、一体何のために働いているんですか?

長   食べるためでしょう。

木内  食べるためだったら、食べるものをつくったほうがいいんじゃないですか?
    これはすごい皮肉になりますが。でも自分の体にいいものをつくって、
    それを食べて人生が送れたら、それが本当は一番いいのかしれませんね。

    でも何だか知らないけれども、おカネを払わなければいけない
    ということに皆が追い回されている。
    それが税金であったり、いろいろ買わされたりしています。

    こういう世の中に誰もが縛られていくと、いつの間にか、
    おカネがないと生きていけないという社会構造になってきます。

    農家がすごいですよ。
    一生懸命つくって、出荷して、売って、
    「そのおカネで何を買うのですか」と聞いたら、
    「スーパーに買い物に行く」と。

    驚きますよね。そういうふうにみんなが洗脳されている。
    完全に、おカネがなかったらダメだという考え方です。

    しかも売るためには、長持ちするものをつくらなきゃいけない。
    そのために何が必要か。消毒ですよ。


    (窒素は赤血球を破壊し、発がん性物質になる)

長   日本人のキレイ好きは病気ですよ。
    何でも滅菌するので、菌に対する耐性がなくなってしまうだけじゃなく、
    必要な菌まで排除してしまう。

    それが、病気に対する抵抗力や体質に
    影響を及ぼしているように思います。

    それはさておき、その中でも特にひどいのが野菜だと思います。
    みな形のいいものとか色の鮮やかなものを好んで買います。

    それが健康な野菜で、体のためにいいと思っているようですが、
    実はそれが一番怖ろしいんです。

    たとえば葉物野菜を買う時は、色が鮮やかで濃いもの、
    形がきれいなものを選ぶでしょう。

    実はあの色の濃さは、野菜の三大要素の1つである「窒素」が
    多量に含まれていることを示しているのです。

    野菜に含まれる窒素が人間の体に吸収されるときには、
    硝酸態窒素という物質に変化しているのですが、これが問題なのです。

    硝酸態窒素は赤血球を壊す働きをするだけではなく、
    実は発がん性物質でもあるのです。

    健康にいいと言いながら野菜を食べて、貧血になってぶっ倒れたり、
    最悪、がんになる場合もあります。

    そういう意味では日本人は変です。

    きれいで見栄えがいいものは体に良いと思い込んでいて、
    結果、病気になりやすいものを好んで選び、
    みな一生懸命そういうものを買っているのです。

    (略)


(P106~112)

木内  最近、子どもたちにもわけのわからない病気があります。
    アトピーの原因もよくわからない。
    何だかわからない病気があること自体、おかしな話ですよね。

長   おっしゃるように、
    最近はわけのわからない病気がふえているように感じますが、

    その原因なんですが、日本人にいつのまにか定着してしまった
    キレイ好きにあるように思います。

    人間の体内には1000兆個の細菌がいると言われていて、
    人間はいわば細菌の塊なんですが、

    除菌、除菌と言って必要以上に消毒するもので、
    バイキンだけでなく人間に必要な細菌まで排除してしまっている。

    その結果、バイキンに対する抵抗力が薄れてしまい、
    わけのわからない病気や免疫異常になる人が多くなっています。
    本当にそれでいいのかと思いますね。

    (塩素は発がん性物質)

    そして、人間にとって大切な細菌を活性化するために必要不可欠なのが
    ミネラル豊富な水ですが、

    日本の水には水道水に代表されるように、
    ほとんどの水道水は塩素による滅菌処理がされており、
    場合によってフィルターによってミネラル分も除去されています。

    先進国で1リットル当たり1ミリグラム以上の塩素が
    入っていないといけないという国は日本だけなのです。

    (略)

    塩素による除菌が蔓延していることに、多くの人々が無意識のうちに
    不安を抱いているのに、これはお役所の責任逃れなのかはわかりませんが、

    何でも塩素によって消毒すれば細菌の繁殖は防げるとして、
    塩素消毒を義務付けています。

    公共の水道水はもちろん、プールや温泉施設などもそうです。

    ですが塩素は人間の肌をはじめ、あらゆる人体組織から内部に
    取り込まれることになり、それも瞬時にです。

    これによって免疫細胞も影響を受け、
    ウイルス性の病気に罹りやすくなりますが、

    それだけにとどまらず、塩素は発がん性物質となり得るので、
    がんになるリスクを残します。

    それでは本末転倒ではないかと思います。

    (略)

    ちなみにファミレスなどでは、生野菜をざっくり切って、
    ざるにいれて塩素水につけて引き上げたら、そのまま盛るのです。

    (たとえばレタスなど)切った野菜は
    すぐに酸化して茶色になるのが普通ですが、
    塩素が残っていると切り口が酸化しません。

    そういうふうに塩素濃度を高くすれば食中毒にはならないでしょう。

    でもそれって、本末転倒ですよね。

木内  そうか、それで最近は腐りづらい人間が増えてきたんですね。

長   人間はもう火葬にしないとダメですからね。
     ですからとうとう、天皇家まで火葬になったでしょう。

木内  でも(今の人間の体には)塩素が含まれているので、
    燃やしたらダイオキシンがいっぱい出ますね。
    余計なことを言ってはいけませんが、あの煙はダイオキシンだらけですよ。

    モンゴルなどは鳥葬です。
    この前あちらへ行ったのですが、
    「最近は鳥も食わない」と言っていました(笑)。

長   某ハンバーガーなどの影響でしょう。

木内  それに最近、下水工事がなされていますね。
    最後に残った物質に菌を入れて分解させるらしいですが、
    菌を入れたら菌がみな死んでしまった(笑)。これは本当の話です。

    やはり私たちは、自分で食べて出たものがまた土に戻るような、
    体づくりをして行くのが一番いいんでしょうね。

    食べて生きていかなければならないということを考えたときに、
    食べるものが体にとっての処方箋というか、薬である
    という考え方が必要かもしれません。

    食べて体を癒すのが目的なのに、
    食べたら余計具合が悪くなったというのはおかしな話です。

    (食べ物が)体を癒していくものであるということを想像した、
    未来の村づくりをやってみたいと私は思っています。

    多分周りからは、「あいつらバカじゃないか」とかいろいろ言われる
    かもしれないけど、体は健康かもしれない。

長   きっと健康になりますよ。
    そういうのをやりたいと言って、いろいろ動いている人たちもいるので、
    皆さんがもしそれにひっかるようでしたら、協力してみてください。

木内  送電線がなく、それぞれの電化製品自体がエネルギーを持っているという、
    理想的な形ちの村が未来にあったので、想像してみてください。
    私たちもいろいろ実験してやっていこうと今思っています。

           <感謝合掌 平成29年9月4日 頓首再拝>

日本の神代文字で世界中の文字が読めてしまう!? - 伝統

2017/09/06 (Wed) 19:40:06


(P116~118)

長  歴史上のことは、どこまでが本当で、どこからがつくり話か、
   よくよく見ないとわからないのです。

木内 その時の政権とか勢力によって、書き換えられることが多いですから。

長  一番典型なのは漢字です。
    学校で教える日本の歴史としては、
   平安時代に中国から漢字が入ってくる以前の日本には、
   文字が存在しなかったことになっています。

   そのために伊勢神宮に納められている藤原不比等や源頼朝による奉納文は、
   伊勢神宮が捏造したニセモノとして扱われているのです。
   伊勢神宮がそんなことをしても何の得にもならないし、その必要もない。
   それなのに、何でそんなことをする必要があるというんでしょうか?

   それを言ったのがこともあろうに、神宮皇學館の元学長である山田孝雄博士なんです。
   神宮皇學館は神社庁に入れる資格を得られる唯一の大学で、
   神主になれる資格も取れるし、日本神道の何たるかを教えている大学ですよ。

   その大学の元学長がよりによって、神社の総元締めのような存在である
   伊勢神宮を貶めるような発言をしているんです。これって何か変でしょう。
   そこまでして、神代文字を隠さなければならない何かがあるのだと思います。

   その1つが、世界中の遺跡に残されている解読不明の文字のほとんどは、
   アイヌ文字やアヒル文字といった神代文字を使えば解読できるということです。

   そして10世紀ごろに、モンゴルから中国東北部と華北の一部にまたがって存在した、
   遼王家の史書「契丹古伝」(きったんこでん)の中に、太古のいつのころか
   「スサダミコ」なる王がいて、インドの畢識耶(びしや)の都から
   世界を統治していたと伝えていることです。

   スサダミコなる王って、たぶんスサノオノミコトのことだと思うんですが、
   これっておもしろいですよね。

   この神代文字について検証したいと思っていたら、
   詳しく書かれた本にめぐり合ったので、その本を紹介させていただきます。

   興味のある方はぜひお読み下さい。
   『太古、日本の王は世界を治めた』ヒカルランド
   (高橋良典+日本学術探検協会著)

           <感謝合掌 平成29年9月6日 頓首再拝>

世界中の人種のDNAがそろう日本人 - 伝統

2017/09/08 (Fri) 17:36:55

 (P120~123)

木内 「昴」(すばる)という曲がありますね。
   昴というのは日本語ですが、どういう意味かわかりますか? 
   あれはプレアデス星団の日本名を昴といいます。

   スバルというのは実はヒバリ星というんです。
   六連星(むつらぼし)とも言います。

   ちょうど明け方に細かい星がチカチカ見えて、
   ヒバリがホバリングしているように見えることからヒバリ星と言うのです。

   津軽のおばあちゃんに「ヒバリ星をなまって言ってみてください」と頼んだら、
   「すんばるぼす」と言いました。つまり「すんばるぼす」が昴になったのです。
   昔は東北が標準語でしたから。

   実は沖縄にも「すんばり」というところがあります。
   端っこなどという意味で、「すんばり」ですが、同じような意味だと聞いています。

長  古代の日本においての中心が東北だったときもあるのですが、
   そうするとどこからが東北なのかということなのです。
   一般的な見解では白河が境になると思われますが。

木内 あと、日本海側です。

長  この東北のアイヌ民族が純日本人と呼べる種族だと言われていて、
   それ以外では沖縄の琉球民族だけだといいます。

   その理由ですが、ムー大陸が沈んだ時にムーの人々は環太平洋地域に逃げたそうです。
   その中でも距離や海流の関係から日本や台湾(そのころは日本の一地域)を
   経由して逃げた人が多く、それに次ぐのが南米だったようです。

   その経路で逃げたムーの人々の中で日本に留まった人々がいて、
   それが今は北海道だけになってしまったアイヌ民族と沖縄の琉球民族だと言われています。

   そのようにしてムー大陸を脱出した人々は、
   分散しながら世界中に広がりその人々が再集結したのが
   トルコからイスラエル、エジプト、北アフリカの地域だったといわれており、
   その中で生まれたのがユダヤの12支族だったそうです。

   その12支族も時間が経つにつれてうまく行かなくなって来て
   10支族が袂(たもと)を分かち、バラバラな方向から日本を目指したそうです。
   そのようにしながら長い時間をかけて、また再び日本に戻って来ているのです。

   その結果として、変な言い方ですが、純潔を守っていたアイヌ民族と琉球民族を除いた、
   本島の東北から九州に住んでいる人々のDNAを調べると、
   世界中の人種のDNAが揃ってしまうというのが日本人です。

木内 みんな網羅されているんですね。
   逆に言うと、たどっていくと北アフリカになるでしょう。
   避難していた場所があそこだから。
   長いこといると大体一緒になるというのは想像つきますよね。

長  それはこちらから行って避難した場所ですが、日本は日本で残ったのです。

木内 要するに、大洪水の時に沈まなかった。

   最近、南米のメキシコとかボリビアあたりで、
   モンゴロイドの2メートル50センチの女性の骨が発見されたりしています。
   メキシコでは、向こうで研究している日本人の学者がそれを発掘しました。
   しかしそういうのが出てくると、それはなかったことにされるらしいです。

長  西海岸のワシントンで見つかった人骨も、調べたら日本人の縄文人と
   そっくり一緒だったのですが、それもなかったことにされて、
   発見された事実すらなかったことにされています。

   DNAから何から全部調べて、理由が見つからないということで、
   一応新種の人種にしたのです。

木内 失礼なことを言っちゃいけませんけども、どうしても
   白人系の進化論という話にさせられてしまうんです。
   まあしょうがないですけれども。

長  無理やりつくられてしまうんですね。

           <感謝合掌 平成29年9月8日 頓首再拝>

石のオーラを読める人もいる - 伝統

2017/09/10 (Sun) 17:38:09


この空間はパラレルワールド、石のオーラを読める人もいる
(P124~126)

   出雲の海岸のところに日御碕(ひのみさき)神社があります。
   そこは須我さんの一族が港をつくって貿易をしていた場所です。
   すぐ近くの高台に、昔住んでいた家があります。

   それは当時の神殿を呈している立石というところにあり、
   ちょっと下に下りていくと大きな岩があり、
   手前にも岩があって拝み場所があります。

   それが本来の場所ですが、今は木が生えていたりいろいろあって、
   ばらばらになってしまっています。

   でも一応そういうものを醸し出していて、
   今でもお祀りしているようなところがあります。

   それらは当時からあるもので、
   手入れがされていなくて、ちょっと寂しいかなと思います。


   実はそこの大きな石と手前の石との間の、
   石の真ん中辺りの横っちょを見ていると、
   人間の手でも同じようなものがあるのですが、
   もやっとした、かげろうのようなものが
   見えるところがあります。

   それをオーラと言いますが、石にもそういうものがあって、
   そこにずっと焦点を合わせて見ていると、
   バックに何となく映像が浮かんできます。

   それがいろいろなことを伝えてくるということで、
   巫女さんとか、神様を拝んでいる人たちは、そこから情報をもらう
   ということを昔はやっていました。その痕跡があります。

   これは誰もがすぐできるわけではありませんが、見える人がいるのです。
   ですがどなたでも、鍛えるとできるようになります。
   鍛えるというか、慣れるということで、「あら?」という形で見えるのです。

   なぜかというと実はこの空間は、
   さまざまに重なり合っているパラレルだからです。

   だからそういう考え方を持ったほうがいいでしょう。
   そうすると過去も未来も関係なく、実は重なり合っているのが見えてくる。
   それは見えて当たり前なのですが、
   私たちの普通の生活の場では絶対に見えません。

   ですがそういう空間があるということを、昔の人々は知っていたようです。

長  イメージするとすれば、三面鏡を直角に置いて、
   真ん中に自分が立っているのを想定してみてください。
   正面に映るのが現在の自分ですが、両側に順番に、無限に映っていきますよね。
   これが時間の流れであり、パラレルワールドの世界です。

   その中で自分が手を動かすと、全員が一緒に動かします。
   ところがわずかなずれが生じてくる。
   それが時間のずれみたいなものです。
   そういうイメージです。

           <感謝合掌 平成29年9月10日 頓首再拝>

出雲大社は裁判所、処刑場だった!? - 伝統

2017/09/12 (Tue) 17:19:42


(P126~128)


長  話は代わりますが。出雲大社で長い階段を上がると、
   上にお社(やしろ)がありますね。
   あれは裁判所だと聞きました、真ん中に穴が開いています。

   処刑するときには上まで上がって行って、刑を言って、そのまま突き落として、
   真ん中からドンと落ちて、人柱になる。

   あれはお社じゃないから壊れても別に関係なくて、あの高いところは、
   人柱にするために床に穴を開けてあって落としたのです。

   ですが木内さんが行った場所は(別の場所で)、実際のお社があって、
   お祀りされていたところで、裏が八雲という山です。

   一般的にお社だと言われている構造のものは、
   今でいうと裁判所、処刑場として用いられていた
   という言い方のほうがいいかもしれない。

   つまり人柱に立てる、落とすということをやっていた場所なので、
   その辺は勘違いしないようにしてください。

木内 そういうことを聞いて見に行くとおもしろいかもしれませんね。
   あそこから突き落とされたやつがいると。

長  だからちゃんとお社のほうを見に行ってくださいね。
   落としたほうを見に行っちゃいけません。

           <感謝合掌 平成29年9月12日 頓首再拝>

世界人口は実際には100億を超えている! - 伝統

2017/09/14 (Thu) 17:59:55

世界人口は実際には100億を超えている!  P128~131

Q、 今年の終わりとか来年のことですが、
   このあたりの近未来はどのように変わっていくのでしょうか?

木内 未来に関しては選択ができます。
   そうした最悪と最良の状態を、私は見ることができます。
   ですが実際には、この中間を動いていきます。

   例えば日本について、あるいは政治経済であれば、
   地球にいる人々がどの辺を動くかによって決定されます。

   いい方向に行った場合には、先に述べたエネルギーの問題や、
   地球の生態系の環境を取り戻すことを目的とした産業構造や経済システムを構築する。
   ですから我々人間が目覚める方向に行くならば、進化の過程を進みます。

   ですがそうなったときは、今の価値観とは違ってくるので、
   それを変えるためにもの凄く苦労することになります。
   つまり苦労して、自分たちで意識の改革を行なわなければいけないわけです。

   これを私たちはアセンションと言っているのですが、
   それは宇宙人が来て助けてくれるとか、そうした波が来たら助かるとか、
   そういうことではなくて、

   アセンション(次元上昇)は私たちの努力の中にしかないのです。
   これはよく承知しておいてください。


   一方で、悪くなる方向があります。
   最悪な状態はとりあえずは避けられたようですね。
   だけど悪い方向に向かって行くこともあります。

   これは余り言いたくないけれども、今の世界人口は多過ぎます。
   有機物の量で考えたときに、動物が占める量と植物が占める量の
   バランスが大切なのです。

   ところがこのバランスが今、すでにものすごく逸脱しており、人間が非常に多いのです。

   ということはどこかで必ずしっぺ返し来るということで、
   (人間が)土に戻るというか、栄養素に戻らなければならなくなる可能性があります。

   その現象として、人類の精神性が荒れてくるのか、疫病が流行るのか、
   あるいは何か火山が爆発するなどの災害で多くの人々が亡くなるのか、
   それはわかりません。ただきな臭いのは確かですね。

   いずれにしても、人間がどのくらい多いのかということになると、
   これもちょっと言いづらいのですが、人類の約3分の2が余剰なのです。
   つまりそれだけ植物や動物など、他の世界を破壊しているわけです。

   いずれにしても、そのバランスはどうしてもとる必要が起きてきます。
   仕方がないのです。それは選ばれたとか選ばれないとかではなく、
   (自然の摂理として)どうしようもないのです。私だってその犠牲になるかもしれない。

   ですがそれは犠牲ではなくて、地球の生態系を残すために必要な役割でもあるわけです。
   ですから死ぬことがすべて悪いということでもなくて、
   またこれもそれぞれに役割があるので、その時期が来たら必然的にそうなるはずですから、
   あえて率先していく必要はありません。

   私が生死をさまよっている中でわかったことは、
   体を借りた以上は意地でも長く生きるということです。
   その中で指定されたものとして死を迎えたなら、それがこの肉体での限界点です。

   それは寿命が長いとか短いとかではなくて、
   その肉体とともにどこまでやり遂げたかが重要なことです。

   死ぬことは間違いなく保証されていますから、このことは忘れないでください。
   (私たちの本来の姿である)意識という立場からすると、体は借り物です。
   それを3次元の地球というところから借りて、この世界に生きているわけなので、
   体を最後の最後までしっかり使い切って返していくことなのです。

           <感謝合掌 平成29年9月14日 頓首再拝>

人口調節 - 伝統

2017/09/16 (Sat) 18:52:47


植物の持つ体を癒す素材は消毒で破壊されている (P132~137)

木内 本当は、途中で病気になったりしたらいけないのです。
   私たちをいい形で生かしていくことも植物の役割ですから、
   植物には体を癒したり、病気を治すことを目的とした素材が
   全部入っているはずなのです。

   つまり病気にならないためにバランスをとりながら食べていくことが、
   私たちにとって一番いいということです。

   ですから今のような産業構造とか商品構造の中で、
   消毒したり化学肥料を使っていることがいいことかどうかというのは、
   皆さんが考えてみればわかることです。

   これから未来はハウス栽培になってきます。(略)

長  覚えておいてほしいのですが、
   例えば野菜は、一番健康な野菜は虫が食べないのです。
   腐りかけやちょっといいやつには虫がつきます。
   もっと悪くなると食べなくなる。

   だから虫が食っていないのは、思いっきりいい野菜か、
   思いっきり悪い野菜かのどちらかだと思ってください。

   先ほどの余剰人口が3分の2で、
   残りの3分の1というのはどのくらいでしょうか。

   裏社会の話をしますが、大体30億から35億といわれています。
   そうすると3分の1でその数になるわけなら、
   今の人口は100億を超えていなければなりませんね。

   そして現在の世界人口は、実際には100億を超えているといわれています。

   なぜかというと中国は1人っ子政策をやってきて、2人目からは戸籍がない。
   戸籍がない人たちが結婚して子どもが生まれたとしても、その子も戸籍がない。
   ですから中国が言っている12億は、戸籍が在る人が12億で、
   戸籍のない人は数えていないのです。

   中国と同じように、人口の把握ができないのがアフリカです。
   アフリカは欧州諸国の植民地だったので、
   国境を決める際に欧州諸国が話し合って、
   地図上に線を引っ張って国境線を決めたのです。

   そうすると山や川で別れているわけではないので、
   国境はあってもないに等しく簡単に行ったり来たりしています。
   その結果、人口把握ができていない。

   今、世界人口は戸籍のある人が72億ですが、
   戸籍のない人を入れると100億を超えるだろうといわれています。

   そのような地域は貧富の格差が大きいので、
   飢えに苦しんでいる人も少なくありません。
   そのような人々を援助する際に、人間淘汰のための仕掛けがされるのです。

   例えばアフリカで飢えて死にそうな人とかに、
   ビタミン剤などいろいろ送っています。
   助かる人もいますが、中には水銀とかいろいろなものが入っていて、
   子どもができにくくなったりします。
   つまり自然に子どもをつくれなくしていく。

   ワクチンにもそんなものがいっぱい入っているので、
   自然にどこかで淘汰されるという木内さんの話もありますが、
   裏社会では強制的に淘汰します。

   また戦争も起こすんです。
   戦争を起こしたり、食べ物とか医薬品で、現在人口調節をやっています。

木内 どこら辺から始まるかです。
   一番不安定なのは、中東もそうですが中国もそうですね。

長  中国とインドは今伸びている最中なので、
   そうすると経済的にいろいろ問題が起きるので、
   この2つは今のところ手を出さないんだそうです。

木内 そうではなく今、貧富の差で内乱が起きそうですよね。
   アフリカも教育が行き渡っていないので、損得だけで動いてしまう。
   本当はそういうところに、
   新たなものの考え方を入れていかなければいけないと思います。

   これからの私たちの生き方は、やはり地球の生態系のバランスを
   とることを目的とした、産業構造や経済システムを構築する方向へ
   向けて提案していくことだと思います。

   そうした中で自然淘汰されていく人たちがいても、
   それは私たちにはどうにもならない。
   それは皆さんも何かしら感じていると思います。

   食べ物ひとつをとっても、非常に危険がいっぱいです。
   だからこそ私たちは自分の目が行き届いて、
   体に安心で安全なものをつくって食べる。

   そのようにして食べて生活できるという生態系の循環の中の一員として、
   自分の身が置けるかどうかなのです。

   そこに本当におカネが必要か必要ではないか、
   あるいは私たちの今の価値観がこれでいいのかどうかということを
   自分に問いかける必要があると思います。

   そして未来は、そういう方向で動いていくのです。

           <感謝合掌 平成29年9月16日 頓首再拝>

江戸時代の三くだり半 - 伝統

2017/09/18 (Mon) 18:03:46

江戸時代の離婚率2割超えと三くだり半 (P152~154)

木内 昔は三くだり半というのがあったらしい。

長  江戸時代の離婚率は2割を超えています。
   単純な言い方をすると、今よりもはるかに離婚率が高いんです。
   三くだり半があったからです。

   江戸時代は不義密通といって、浮気で捕まると死刑でしょう。

   三くだり半とは何かというと、再婚許可書です。
   3行半で「おまえはもう自由だから、誰と一緒になってもいいよ」
   と書くから三くだり半です。

   だから、頭のいい女性は、結納に三くだり半がないと結婚してくれないんです。
   その三くだり半を女の人が懐に持っていれば、何をしようと
   「はい」と見せればオーケーなんです。

   それを乱発した。
   北町奉行所、南町奉行所といって、月ごとに順番になりますよね。
   三くだり半の発行業務があまりにも煩雑になってきて、
   公平な風紀を保つために1人5回までしか認めない。

   両方で10回まで構わない。
   三くだり半というのは離縁状じゃないんです。
   あれは再婚許可書ですからね。
   勘違いしないでください。

木内 これは女性たちのほうが有利ということですか。

長  そうです。
   女性がそれを以って、勝手気ままに何でもオーケーしたいな。

木内 ある意味、男な使い捨て。
   言わなきゃよかった(笑)。

           <感謝合掌 平成29年9月18日 頓首再拝>

見てきたことを言うことは、時には怖い - 伝統

2017/09/20 (Wed) 19:14:37

見てきたことを言うことは、時には怖い p187-189

木内   

意識の中の世界では、たとえば死んだ時というのは
時間と空間は関係ない世界ということになる。

そうすると、現在の体を持っていながら、
しかも人の目線を借りるという変なことができてしまう。

私は一応、天文学という科学をかじっている人間として、
あまり言いたくないことなんですが、でもこれも私が経験した話なので、
本当に戯言(ざれごと)として聞いてください。

いずれ皆さんも経験すると思いますが、人の体を借りて、
今の世界で言われている過去の出来事などが、つまり歴史に書いてある言葉などが
本当のことなのかどうかというのが気になってきます。


長   

木内さんが言っていることは本当にあります。
肉体を離れて霊体になると、そこは意識体の世界なので
シンクロを起こしやすいんです。

そうすると時間も空間もなくなってしまうので、
その時代に入って行ってその人とシンクロしてしまう。
でもそれは乗り移るんじゃないですよ。

そういうのをよく憑依などと言ったりするけども、
そうではなくてシンクロしてしまう、一体となってしまうのです。


木内   

生死をさまよって(肉体を離れて)見て来たものと、
現在の世界で言われているものが一致するかしないかということは、、
たとえば今、それがある人々にとって信仰の対象となっていたりすると、
そうした人々にとってはもし違っていたりすると怖ろしいわけです。

ですから私が見て来たことを言ってしまうと、
そうした人々からあるいは石をぶつけられたり、殺されるかもわかりませんが、
真実を知りたいというのがどうしてもあるのです。

ですからその前にお聞きしておきたいのですが、
まずこの中にキリスト教を信仰されている方はいますか? 

そうでないと後で石を投げられたり、それは違うと文句を言われても困る。
私はあくまでも生死をさまよっている間に、見て来たことだけの話ですから。

           <感謝合掌 平成29年9月20日 頓首再拝>

イサヤ(イエス・キリスト)はホントに日本に来ていた - 伝統

2017/09/22 (Fri) 20:00:47

イサヤ(イエス・キリスト)はホントに日本に来ていた(P189~191)

実は2001年10月に、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の招待を受けて、
私はバチカンに行って来ました。

自由に中を見ていいということで、壁画などを見たときに、
私が生死をさまよっている間に見た、その時代の人々の風体とは
全然違うものがあるわけです。

キリストと言われている人物が、ヒゲを生やしているのも気になりました。
「あれ、ヒゲは剃っていたはずなのに」と独り言を言いました。
そうしたことは細かいディティールですが、たしか刺されたけれども生き返って、
死んでいないよなとか、

その後はああなって、こうなってというのがありましたが、
それはまた後ほどお話します。

「日本に来ているよな」、ということもありました。
そんなことをその時想像していた。で、温泉に入っているんです。
あれ、ちょっと待てよ、この温泉ってどこだということです。


長   

九州ですよね。


木内   

そうです。ちょうど夕日が沈んでいく時、前に海があり、
突き出した半島があって、湯煙が立っており、向こうには火山が見える。
ここはどこだろうと思いながらずっと考えながら、船でやって来て、
向こうから見える世界を想像したら、どう見てもこれは長崎県の島原半島の、
胃袋みたいな形をしたその近くらしい。

そんなところに温泉があったかなとか、いろいろ調べてみたら、
確かに温泉は2400年前からあったと言われています。
やっぱり入ったんだ。ということは、日本に来ているんだと。

まず第一に彼は生きていたということがつながったんです。
記憶というのはいったんつながり始めると、
思い出せなかったことがバババっとつながり始める。

ですが本当に(キリスト教を)信じている人たちは、怒らないでくださいね。
   
私が言っているのは、生死をさまよっている間に(肉体を抜けて)見てきた
だけの話ですから、そう思ってくださいね。それが参考になるかどうかは別として。

           <感謝合掌 平成29年9月22日 頓首再拝>

イサヤ(イエス)の出生 - 伝統

2017/09/24 (Sun) 20:06:11

イサヤ(イエス)の出生(P191~193)

   そこにイサヤ(イエス)という人がいました。
   彼のお母さんになる女性は高貴な家の婦人だったけれども、
   その時代は戦乱の世で、戦いに負けた方の女性たちは
   勝ったほうの兵士たちに好きなようにされてしまうわけで、
   その女性は普通ではあり得ないような懐妊をしてしまった。
   でもそのことは人には言えない。

   言ってしまうと自分が罰せられたりするので、
   誰かの子どもですということにしいなければいけない。

   自分の身の周りを見てくれていたある男の人が
   旦那の代わりになると宣言してくれたので、産むことになりました。

   イサヤ(イエス)はちょっと変わっていました。

   当時のユダヤ教というのか、あの当時の人々の考え方は
   少し腐敗している部分がありました。

   彼は自然界とかいうことをすごく考えたけれども、
   結局は人間のことだけなんです。
   人間はどうあるべきかという哲学的なこと。

   そう言いつつも、キブツというものがあって、
   村をつくるとモーゼから申し送られて、
   砂漠を緑地化するという話に傾倒している人たちもいました。

   人々が一生懸命つくった作物を彼らは食べていた。
   彼らは偉そうなことを言って何もしていない。

   しかも、何もしていない人たちが、
   一生懸命働いている人たちを下に見ていた。
   納税だとかいって、取り立てるようなことばかりやっている。

   これはものすごい理不尽で、
   イサヤ(イエス)は人間とは本来、平等でなければいけない
   のではないかという立場からいろいろやり出すんです。

   彼がそういうことを考えて多くの人に伝えていくうちに、
   それが厄介だという人たちも当然出てくるわけです。


   そのころ、そこを治めることになっていた
   ローマから来ていた人たちがいました。
   その人たちの中にも、彼の話に傾倒する人たちが増えてきました。
   要するに、ユダヤ正教の人の中にも彼に傾倒する人たちがいる。

   基本的な理念は同じところです。
   生きていくために働いて、緑をふやしていかなくちゃいけない。
   砂漠を緑地化するところから始めなきゃいけない。

   教会でもそうですが、必ず畑とか何かをつくって
   自給自足みたいなことをやって、困っている人が来たら分け与える
   というのが本来の形に今はなっているんです。

   でも、昔からそれを唱えていかなくちゃいけない人が唱えなくなって、
   働いている人たちを使うようになってくる。

   それに対して、どうも違うんじゃないかということを唱え始めたら、
   やはり異端と見られていきます。

           <感謝合掌 平成29年9月24日 頓首再拝>

イサヤ(イエス)とマグダラのマリア - 伝統

2017/09/26 (Tue) 19:35:11

イサヤ(イエス)とマグダラのマリア(P193~194)

   一緒に歩いているときに、ある女性がいました。
   これは彼の奥さんになる人です。
   昔は別に結婚式とか宣言をするとかではなくて、
   奥さんという形があって、子どもができました。


   今言われているように、(彼は)確かに捕まることは捕まるのですが、
   その前に自分の嫁さんだけは、髪の毛を短くして男性の格好をさせて、
   逃がしてやるんです。
   ユダヤの男みたいにして、「ユダ」という名前にして追い出した。

   イサヤ(イエス)はいろいろ情報を知っているので、
   これから起きる未来の出来事を書けるんです。

   これからこういう時代が訪れるから、最悪な状態にならないようにするためには
   どうしたらいいかということを、皮に書きました。

   それを最終的には油でなめして腐らないようにして、
   丸めてレバノン杉で作った箱に入れました。

   みんなで最後に飲み干したときのスズでつくったワイングラスは
   そんなに大きいものではありませんが、
   そこに一筆書きで描ける八芒星があります。

   その形は両方がへこんで、へこんで、へこんで、十字架みたいな格好になるんですが、
   それが彼の紋所(もんどころ)です。
   彼はそれを奥さんに持たせて、「ヘラクレスの足元に埋めておいてくれ」という
   約束をしました。

   ヘラクレスの足元というのは、ジブラルタル海峡のスペイン寄りの先端のところに
   山がありますが、それがヘラクレスの足と言われていて、その足元です。
   今はイギリス領になっています。そこへ置いておいてくれという話に
   なっていました。そういうことをしながら別れ別れになってしまった。

           <感謝合掌 平成29年9月26日 頓首再拝>

その後の、イサヤ(イエス) - 伝統

2017/09/28 (Thu) 18:31:36

その後の、イサヤ(イエス)(P194~204)

木内 その後、イサヤ(イエス)はどうしたか。
   まず、気を失うくらいの痛みで刺されるんですが、
   血が流れただけで終わってるんです。

   周りにいて彼を刺している人たちも彼に傾倒しているので、傷をつけただけです。
   傷をつけておけば死んだと思ってくれるだろうと。

   たしか、その時、すごい雨が降ったのです。
   そうするとわずかの血でも、水に流れると凄い量の血に見えるのです。

   亡くなったことにして、彼の体を石棺の中に入れて、蓋をずらしておいた。

   彼には双子の弟がおり、双子の弟のほうは髭(ヒゲ)を生やしていました。
   別々に育てられていたので、本人もわかっていませんでした。

   当時、片方は必ずどこかにやられてしまうので、顔つきは同じだけれども、
   髭を生やしているかいないかの違いはあるんです。

   彼(弟)はイサヤの言っていることに傾倒していたので、イサヤが亡くなるときに
   彼は服毒自殺をしてしまいました。

   それで周りの人たちは、服毒自殺をした弟の遺体と
   イサヤの体をこっそり入れ替えたのです。

   石棺を開けたら、体の刺された傷が消えていた、というのが1回目の奇跡。
   それはそうですよね。入れ替えたんだから。そういうことかと思ったけれども、
   一緒にイサヤの石棺を見に行った人たちは、イサヤを信じる敬虔なクリスチャン
   ですから、そんなことはそこでは言えないんですよ。

   でも私はそれを見て1人でワクワクしていました。そうだったのかと。

   体が治って傷も癒されて、2ヶ月から半年以上経ってからだと思いますが、
   今度はペトロと会おうといこことで行きました。
   当然、ペトロと会ったときには傷がありました。

   「俺は助かった」と言おうとしたら、ペトロは彼の姿を見たら
   振り向いて逃げていっちゃった。

   あそこには復活したと書いてあるけれども、そういうことだったのかと。

   彼はその後も、砂漠の緑地化の大切さをずっと訴えて歩き続け、日本にまで渡って来た。
   台湾から渡り、最終的に宮古島から船に乗って来るので、宮古島に滞在したことが
   あるはずです。そこから船に乗って、船が流されていくと海流の流れと
   ちょうどぶつかるんです。

   後で調べました。ちょうどいいあんばいに、あそこに入って行く。
   彼は絶対にここに来ているはずです。

   彼はイサヤという名前だったので、土地に昔からの言い伝えとして
   何か残っていないかと、みんなで調べました。

   例えば、ヘブライから来たから戸来村(へらいむら)とかがあるように、
   何かあるはずだと思ってずっと調べていました。

   そして気がついたのが、諫早(いさはや)です。
   諫早というのはもしかしてと思っていたら、はっきりした意味はなくて、
   ただ語音だけがあって、後で漢字が足されているらしい。

   あれをローマ字で書いて、Hを発音しなければイサヤになりませんか。

   そうするとキリスト教が来る前からずっと、キリスト教と似たような話が
   あそこに広まっていた可能性はないかと。これは試したわけではなく、
   私の中で今、調査しているだけの話ですが、でも一応、
   真実は真実で知りたいなと思っています。

   最終的にはどこに行ったかと思っていたら、四国です。剣山(つるぎさん)で・・・。

長  その前に青森に行っているでしょう。

木内 青森へは行っていない。あれは違う。
   あれはキリスト教ができてからのことで、その後の人たちです。
   それから200年くらい経ってから、ローマがキリスト教という制度をつくった。

   私にわかるのは、それ以前の話だけなんです。
   キリスト教はローマ帝国がつくったもので、実際の話とはだいぶ違うんです。

   彼が行っていた痕跡も意外とあったりします。
   栗枝渡(くりしと)神社とかありますが、これはキリスト教のにおいがする。
   だけどイサヤとかイサ何々など、何かそういう形で残っているんじゃないかと、
   今、調査中です。

   いろんなそういう神社があったりするとおもしろいかなという気がしています。

   いろいろ旅をしてくるとそういうものが見えてきたり、
   そこから何が広がってくるかというのがまたおもしろい。
   みんなでそういうところに行って調べて、その裏づけが出てくるとおもしろいです。

   ただこれが真実かどうかについては言えませんが、
   今の状況ではあくまでも戯言(ざれごと)、
   お笑いにしておかないとまずいというのがあります。

   ただ将来、気がついた人たちが、ちょっとたどってみようかとするうちに、
   何か解けてくるかもしれない。(今のこの世界には)そういう形にして
   おかないとまずいかな、ということがいっぱいあるんです。

長  ありますね。
   その口車に乗って、この間行ったのがスペインとポルトガルです。
   そこを回った時に感じたのは、聖母マリアとマグダラのマリアとが
   ごちゃ混ぜになっていることなんです。

   教会や美術館に飾られている絵とか彫像を見ると、
   どうしても疑問が湧いてくるんです。

   全部が聖母マリアといわれているけど、これとこれは別人にしか見えないとか、
   子どもの顔も違えば、男の子が描かれているのと、
   女の子が描かれているのとがある。(略)

   聖母マリアが子どもを抱いている絵画や彫像で、気になったものがあったので、
   その下にあるプレートを現地のツアーガイドに読んでもらったら、
   何と、サラと書いてあると言うんです。

   聖母マリアが抱いている子どもが本当にイエスだとしたら、
   そこに書かれている名前はイサヤじゃなくちゃいけないはずです。

   サラはイサヤ(イエス)の子どもなので、抱かれているのがサラだとすれば、
   抱いているのは聖母マリアではなく「マグダラのマリアだよね」という具合に、
   スペイン・ポルトガルでは聖母マリアよりも、
   マグダラのマリアだと思われるものが多かったんです。

木内 そのイサヤ(イエス)の娘(サラ)がやがて結婚して、3人の子を産みます。
   末っ子がおじいさん(イサヤ)の後を追いかけて日本に来ているらしい。
   でもその後、どうなったかよくわかっていない。

長  順番に歩いてきてわかったマグダラのマリアの足跡なんですが、
   どうも南フランスの港か、スペインであればバルセロナまで船を使い、
   ヘラクレスの柱と呼ばれるジブラルタル海峡を目指したようです。

   しかしその当時のスペインは、南半分がモロッコ領だったようで、
   マグダラのマリア一行は途中から進路を変えてポルトガルへ行き、
   しばらくナザレというところに滞在し、このときにサラが生まれたようです。

   その後、ポルトガルからもう1回スペインに戻って来て、
   多分それからフランスに入っているんだろうなということまでは確認してきました。

   今マグダラのマリア一行と言いましたが、
   マグダラのマリアに付き従った者たちがいるらしく、
   その人たちはローゼンクロイツと呼ばれていたそうです。

木内 彼女たちをずっと警護というか、ガードして歩いている人たちがいて、
   その家柄はずっと継承されてきていると思います。
   最終的にはテンプル騎士団とかがそうなんですかね。

長  おっしゃっていた通りで、それは多分テンプル騎士団だと思います。
   マグダラのマリアはその人たちに、イサヤ(イエス)から預かった
   預言書と聖杯を渡して、

   イサヤとの約束どおり、ジブラルタルに埋めてほしいと頼んだけれども、
   ジブラルタルは争いの耐えない場所なので、埋めることができずに
   モロッコ領に渡った後、そのままエジプトまで戻っているのではないかと思われるんです。

   ヨーロッパはキリスト教が支配する世界なので、
   あまりキリスト教に反したことを言うとどうなるかわからないので、
   静かに、静かに、とりあえず木内さんが言ったことだけは、
   できるだけ確認しようと思って行ってきました。

           <感謝合掌 平成29年9月28日 頓首再拝>

ノアの箱舟の木っ端、これが世界規模の葵の御紋となる - 伝統

2017/09/30 (Sat) 20:54:17


P220~231

長  信長がバチカンに行ったことに関連して、どうしても気になっているのが
   「比叡山の焼き討ち」なんです。歴史はいい加減な部分があるので、
   確かなことはわかりませんが、

   信長は比叡山を焼き討ちした際、比叡山にあるすべての寺を焼き、
   老若男女と問わず数千人を焼き殺したことになっています。

   しかし最近の発掘調査で、寺を燃やせば大量に出るはずの炭や灰、
   木材の燃えカスといったものがごく少量しか発見することができず、
   検証の結果、多くの施設は比叡山焼き討ち以前にすでに廃絶されていた
   可能性が高いとされています。

   また数千人が殺されたはずなのに、人骨もまったく出土しなかったというんです。
   これをどう考えるでしょうか?(略)

   その当時の比叡山のお寺はほとんどが荒れ寺だったようですが、
   その中にもちゃんとしたお寺がいくつかあって、その1つが、
   平安の頃からずっと守られている寺だったようで、
   嵯峨天皇から預かった秘宝を守る場所だったといわれています。

   このお寺は代々、智慧と勇気と力を象徴するような僧侶が座主によって選ばれ、
   そこだけを専従で守っていたようですが、決して荒くれた僧兵のようではなく、
   あくまでも天台宗の僧侶を名乗るのに相応しい者たちだったようです。

   信長の狙いは、軍事拠点化した比叡山を潰すことと、
   嵯峨天皇から最澄さんが預かったという秘宝を奪い取ることだったようです。

   しかし実際には比叡山の焼き討ち以降に、そうした秘宝の所在が
   わからなくなったと言われていて、寺門派と山門派は互いに
   そんなものは知らないと主張し合って争っています。

   その辺のところを木内さんが見て来ているんじゃないかと思うので、
   ちょっとつついてみます。どうでしょうか?

木内 日本国がずっと前からあって、最初のころは出雲に都をつくり、
   須佐之男(スサノオ)さんたちにとっては、
   今の上賀茂神社と言われているところが
   昔の政(まつりごと)をする場所でした。

   農耕民族ですから、囲いをして集落をつくるんです。
   昔は囲いをしないと、いろいろなものが入ってきたりするので
   非常に怖いわけです。それを「八重垣」とも言います。


   

   須佐之男(スサノオ)さんたちは3500年ぐらい前にいた人たちです。
   そのときに預かっていたものがあるのですが、それはいわゆる大洪水が起きたときに、
   生き延びて東を目指した時に持って行ったという、「ノアの箱舟の木っ端」です。

   ノアの箱舟は1艘だと言われているけれども、実は50艘つくってありました。
   形も今のような格好ではなく、笹の葉のような形で中が回転するようになっており、
   そこにボールがついていてこのボールが船室になります。

   つまり船がどんな格好に傾いても、
   この船室は必ず同じ向きを保つことができるという形です。

   津波ですよ。
   そうしたとんでもないものが落ちてきた時でも、どんな格好になろうが、
   乗っている部分に変化がないようにつくらなければならないわけで、
   昔も当然そのことを考えたわけです。

   それの残骸がアララト山にあるということで、
   笹の中の豆みたいな「こぶ」があるかどうかを確認しに行ったら、
   やはりありました。だからそれが笹型だというのがよくわかりました。

   それを見て、私が見て来たことは間違いないと確認しましたが、
   ですが皆さんが聞いているノアの箱舟とは全然違う話なのです。

   それが50艘つくられていて、そのうちの1つに乗って東を目指した人たちが、
   その根拠として、太平洋のど真ん中に大きな国をつくっていた
   という証拠のものを持ってきたけれども、その後そこは沈没して海になってしまった。

   それでとりあえず、自分たちのところに置いておきました。
   これを言うと怒られるかもしれないけれども、
   天皇家がやって来たのは、おそらく1500年くらい前だと思います。

   「けいはんな学園都市」というのが、
   京都、大阪、奈良にまたがるところにつくられました。
   それは筑波研究学園都市と同じようなものです。

   この完成が1994年10月で、生意気にも、その完成記念式典の講演を
   させてもらったのが、私が40歳のときでした。

   そのときに、ここは星が落ちたところだとか、天の川があるとか
   いろいろ聞いて、私も調べてみてわかったのですが、
   その近くにクレーターがありました。

   今そこは神社になっており、それが星田妙見宮です。
 (参考Web~http://www.katano-times.com/archives/37427049.html 
           http://murata35.chicappa.jp/meisho/myoken/index.htm )

   そこから調べていって、クレーターをつくった隕石の大きさなどを
   調べようとしていて、隕鉄をいっぱい見つけた。
   しかもそこでは鉄が取れないにもかかわらず、鍛冶屋さんが山ほどあったのです。

   つまり、そこで隕鉄を集めて刀をつくったわけで、それが妙見に伝わる剣なのです。

   当時、そこへ誰も人が近寄らないようにするために、
   ここに疫病が流行ったとされて閉ざされていました。

   そして、そこでつくられた刀は、普通の鉄をも切ることのできる刀だったのです。

     (参考Web:「宇宙(そら)の記憶」
            → http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm )

   それは「ルパン三世」に出て来る斬鉄剣のような強い刀だった。
   これはすごい武器ですから、当然、誰にも教えないですよね。

   ではそこにクレーターをつくるほどの隕石が落ちたら、
   どのくらいの範囲がどういう影響を受けるだろうか。

   そこで過去に遡っていくと、キリスト教にベツレヘムの星というのが出てきますが、
   それは彗星か小惑星だと言われ、星座の間を移動していくといわれていました。

   それで軌道を計算したら、その星と、ここに落ちたもののかけらと、
   皆さんが見る8月に流れる流れ星とが全部一致するのです。

   そしてその母天体を発見したのは、実は私です。
   これ、厄介な話でしょう。

   「なんでこんなになるわけ」みたいな世界になりますが、
   それが見つかったことで全部つながったのです。
   その彗星のかけらが、そこに落ちてクレーターになったのです。

   星田妙見宮には、当然、あの当時の北斗七星が描いてあります。
   それは今の北斗七星と違って、ひしゃくの格好は四角いです。
    (参考Web~http://www.katano-times.com/archives/47813720.html )

   あれを計算すると西暦535年になります。

   535年に何が起きたかを調べたら、世界的規模で疫病が流行っています。
   それも隕石落下によって、死んだ人たちの死骸から出る疫病です。
   それが地球規模でタン、タン、タン、タンと落ちていて、
   その最初だったどこかに星田妙見宮があるわけです。

   都(みやこ)は1回滅んだ。
   ではなぜ復活したか。当時の都というのは今の奈良市と、
   生駒山と東西になっていますね。

   その中間の学園あたりのところに都というか朝廷というか、
   そのようなものがありました。

   須佐之男(スサノオ)の時代は朝廷も天皇もないわけで、
   長(おさ)がいたところです。
   しかしそこに隕石が落下して、一瞬にして蒸発してしまった。


   (天皇家は〇〇〇〇年前に朝鮮半島からやって来た王族)

   これはどういうことかと思って調べていたら、
   その隕石落下の2~3年くらい前に、朝鮮半島の王家が兄弟喧嘩をしています。
   そして敗れたほうは日本に隠れ住んでいました。

   今の福井県の白山の麓に隠れ住んで、
   都をつくり始めている最中だったという遺跡が今もありますね。

   そんな中で隕石が落下した。そして都(みやこ)というか日本国というか、
   倭の国の長というか、つまり治めている人がいなくなってしまったわけです。

   そうなると、この人たちは何を思ったか。

   隕石の落下というのは凄い音がしたと思うのです。
   何かわからないけれども、凄い音がしたので見に行ってみたら、
   えらいこいとになっている。

   そこでこの人たちは多くの人々の前で、
   「この前ここに落ちた岩舟に乗って私たちは天から降りて来た」と宣言したのです。

   その結果、彼らは国を預かることになったけれども、出雲に本家があるし、
   そちらは被害を受けているわけではないので、
   とりあえずご挨拶に行かなきゃいけない。

   だけど(亡くなった)長(おさ)だった須佐之男さんのみ霊のことを考えると、
   (自分たちのものにしてしまうのは)ちょっと気が引けるので、
   この国をお借りしようという話になったのです。

   「お借りする」というと、餅や何かを納めて、
   要するに土地代とか使用料などを払わなければいけない。

   実際に出雲では10月15日あたりに、あちこちに散らばった神様が
   出雲大社に集まるので、その時にお米やいろいろ採れたものを持ち寄って、
   要するに家賃じゃないけど土地の使用代を払うという儀式があります。

   そして使用代を払いに行くところが出雲にある熊野大社です。

   ですが毎年怒られるそうです。
   「これだけ土地を借りていながら、これだけしかとれないのか」と
   さんざん文句を言われて、1回は喧嘩しそうになったというぐらいのことをやって、
   それでも仕方ないから来年も頑張りなさいと言われて借りて来る。

   今、それが神事として残っています。

   しかも天皇が毎年、1年に1回、必ず上賀茂神社にお参りに行かなきゃいけない。
   それは葵祭の頃で、天皇陛下は身を清めて、新しい服にすべて着替えて、正装で、
   しかも歩いていかなくちゃいけない。

   そういう儀式が今でもあり、それをやるところは下鴨神社で、
   槍が降ろうが何が降ろうが、そこから夜な夜な歩いて行く。

   そういうご挨拶がなぜあるのか。

   その理由はさっき言ったけれども、須佐之男一族の最初の拠点があったところに
   ご挨拶に行くということなんでしょうね。詳しいことはわかりませんが、
   そうなってくると辻褄(つじつま)が合ってきますよね。

   そういうことで天皇家は、さっき言ったノアの箱舟の木っ端を出雲から借りてきて、
   自分たちが預かることになりました。ずっと預かるんですが、
   それは当然、信長が見つけます。

   私はそれがずっと気になって仕方なかったので、
   伊勢にある神社が須佐之男さんたちがつくった神社なのかどうか見に行きました。
   そうしたら神様が余分にいる。

   つまり一般に言われる神様のほかに、神様が一体増えているのです。
   なぜなのかわかりませんが。
   その木っ端は今の伊勢神宮の内宮あたりに多分祀られているはずです。

長  なくなった宝物は、それ1個あれば世の中を治めることができて、
   世の中を変えることができると言われています。

木内 それはそうでしょう。
   だってノアの箱舟の乗組員だったという根拠ですから。

           <感謝合掌 平成29年9月30日 頓首再拝>

世界の共通語は日本語だった? - 伝統

2017/10/03 (Tue) 21:19:59

一言主(ひとことぬし)とは何者か?
世界の共通語は日本語だった?

(恣意的につくられている歴史や人類学の嘘) P232~235

木内 一番気になるのは、一言主(ひとことぬし)です。
   つまり、今の世界にはいろいろな言葉があり、宗教があり、
   いろんな文化の違いがあるけれども、

   実は一言(ひとこと)でそれらをまとめることのできる言葉があり、
   謎の言葉がつくられているのです。

長  一言主が残したその言葉、それを知りたいと思っています。
   なぜ一言で、世界をまとめることができるのか。
   古文献をいろいろ研究されている方がいて、その中には
   イズモ文字やトヨクニ文字など数種類の文字があり、
   それらが一般的に神代文字と呼ばれているものです。

   そしてそれらの文字を使うと、世界中に残されている解読不明な文字が
   すべて読めてしまうというのです。

   その典型だと思えるものが、漢字を発明した蒼頡(そうけつ)という人が残した碑文です。
   中国の西安郊外に碑文の林と呼ばれるところがあり、そこに残されているのですが、
   中国の学者がそれを解読しようとしたけれど、未だに未解読です。

   伊勢神宮には、時の為政者であった藤原不比等や源頼朝などが書いた
   とされる奉納文が収められているのですが、それに使われている文字が漢字ではなく、
   すべて神代文字なのです。

   これらの人々は漢字が伝わった以降の人たちなので、
   本来であれば漢字で書くのが普通と思われますが、
   それをあえて神代文字で奉納部を書いている。

   それは奈良時代以前に、日本には文字が存在していたことをあらわしており、
   伊勢神宮へ収める奉納文は、それを使うのが古来からのしきたりだった
   のではないかと思います。

   しかも日本古来の文字である神代文字を使うと、
   不思議なことに世界中の未解読文字がすべて読めてしまうという。

   おまけに解読した言葉は、すべて日本語になってしまうというのです。
   そうすると神代文字が世界中に浸透していたようにも思え、
   極端な言い方をすれば、日本語が世界の共通語だったのではないかと思えてしまう。

   そうすると一言主の言葉というのは、もしかしたら日本語じゃないかと
   勝手に想像が膨らんでしまうのですが、それを(木内さんに)つついているのですが、
   なかなか出てこないのです。

木内 そうなると、今の標準語とされている日本語はこれでいいのかということになります。
   昔は津軽弁だったわけですから、そこら辺がややこしくなります。

   意味がわかっても、それを津軽弁で言うとどういう言葉になるのかとか、
   いろいろ考えます。いずれにしても、未来においては多分何とかなります。(略)

   そうなると、地球にいるさまざまな権威ある人たちとか、王家、天皇家とか、
   いろいろ絡みのある中から1つの答えがまとまり始めてきて、
   世界が統一されていくというか、本来のワンワールド化してくるのです。

   そういう時代がいずれ訪れますが、私はそのための下働きを楽しみたい。
   私が上に立つとか、そういうことは一切ないと思うし、
   人の知らないことを見てきて知っているからといって、
   そういう大それたことは考えません。

   私はただそうした下働きとして、その準備として、
   未来に必要なエネルギー問題とか、いろいろなものやものの考え方を伝えていくだけで、
   私には何の力もない。

   私はただ、見て来たことがすごく理に叶っているから言うわけで、
   地球人としての1人1人の価値は、本来みんな一緒でしょうという話です。

           <感謝合掌 平成29年10月3日 頓首再拝>

たたら衆を連れて歩いたヤマトタケルの東征 - 伝統

2017/10/06 (Fri) 19:12:35


(恣意的につくられている現在の歴史や人類学の嘘) P236~237

長  先ほどの「隕鉄」(隕石が落ちた場所から採れる鉄)でつくられた宝剣ですが、
   隕鉄のことをオリハルコンと言います。

   ヤマトタケルという人は1人だとよく勘違いされていますが、
   ヤマトタケルの「タケル」というのは「勇者」という意味で、
   大和の国の勇者という意味です。

   彼らは実際に東征を行なっていて、一番有名な「白鳥になった」という
   ヤマトタケルは、実は隕鉄を探していたのです。
   つまり隕鉄を取るためにはそこを征服しないといけない。

   だから、「たたら」という人たちを連れて日本中を歩いていました。

   ではどうやって隕鉄を、つまり隕石が落ちたところを探したのかというと、
   白鳥を観察したそうです。

   白鳥は、隕鉄がある磁場では変な飛び方をするらしいです。
   白鳥が変な飛び方をした時に、そこに隕石が落ちたということで探したのです。
   そうやってつくった宝剣はいろいろありますが、それは全部朝廷に送られました。

   そうした流れがあります。
   ですから歴史で言われている東征については、建前と本音のようなものがあり、
   書かれている歴史というのはどこまでが本当で、
   どこからがつくられているかがよくわからないのです。

           <感謝合掌 平成29年10月6日 頓首再拝>

金属を体外に出す《太古の水》のひみつ - 伝統

2017/10/09 (Mon) 20:26:07

金属を体外に出す《太古の水》のひみつ(P34~39)

木内 見てきた海の広さと、恐竜たちが走って歩けるような環境で大ざっぱな
   計算をしてみたら、今よりわずかに引力が弱くなるんです。
   わずかですよ。

   気圧は、水分とかそういうのが降ってきて低くなっていますから、
   今の気圧と比べても大した差はない。
   2000メートルの深いところは、逆に言うと気圧は若干高くなります。
   1気圧高い状態になる。

   そんな状態で水はどんな振る舞いをするのか気になりました。
   例えば、コップに水を入れて、温度は20度で、標高2000メートルに
   行ってお砂糖を溶かすとどこまで溶けるのか。

   もう少し圧力を加えたところで、同じ20度にしてお砂糖を溶かす。
   どれが一番溶けたと思いますか。
   圧力が高いほうが溶けるんです。

   ということは、やはり性格が違うのだと。

   そういう状態でお水の振る舞いはどうかと思ったら、
   わずか1気圧高い水というのは金属に吸着しやすいんです。

   それで、濃度と関係なく金属を抱え込んで外に引っ張り出すのか。

   この水が活性水である状態であればいいけれども、
   老化したり病気をしたりして、一番内側の細胞の水が濁り出すと、
   引っ張り出しにくくなってくる。

   だから残ってしまう。

   病気だったり、寿命だったり、細胞機能不全が広がると
   機能不全になるのは、そういうことかなと思いました。


木内 そういうふうに引っ張り出してくるということは、
   循環が整ってくることになります。

   私の知人ががんの専門家だから、私の考えを話してみたら、
   「おまえ何を考えているんだ。素人はそういうことを考えるから
   いけないんだ」と、ボロクソに言われました。

   ところが、3年ぐらい前に会ったとき、
   「ところで、おまえの水(太古の水)は何なんだ」という。

   「えっ、何ですか」

   「親戚のおばにその水を飲ませたら、おしっこの中から
   金属イオンが出てきた」と、わけのわからないことを言い出した。

   してやったり、これは勝ったぞという思いがありました。

   「あの水は何で金属イオンを出すんだ」と言うから、
   さっき言った説明をしたんです。

   すごく感動してくれました。
   「それはすごい水なのか」と。

   意図的につくったんですが、水というのは暴れるので、
   普通の水に戻ってしまう。

   ルルドの水というのがありました。
   飲んでいるといろいろな病気が改善されということで、
   神がかり的だと。

   日本にもあります。
   お寺の裏から湧き出る水とか。


長  一番は海洋深層水です。
   海洋深層水は、汲み上げてから1時間以内に飲むと
   効果がめちゃくちゃ高いんです。

   木内先生が言ったように、要は気圧の高い水なので汲み上げたから
   時間が経つと常圧(1気圧)に戻ってしまうため、
   汲み上げて1時間以内という前提があるんです。

   1時間以内ならすごい効能があるんですが、ペットボトルに入った
   海洋深層水はただの美味しい水です。

   これを言ってしまうと営業妨害になるので、
   あまり大きな声では言えませんが。

   不思議だったのは、木内先生がつくった水は気圧が保たれている。
   なぜ保たれているのか教えてくれと言っても教えてくれない。

木内 教えないよ、それは。それは無理。
   それが研究で一番苦労したんだから。

   僕は勝手に「固着」という名前をつけているんですが、
   変化しない状態をつくり上げたわけです。ずっと長いことやって、
   その状態にしていくまで1年半かかるんです。

   何か機械を通してすぐに水が変化するというのは多分違うと思うんです。
   僕もさんざん磁界をかけてみたり、セラミックを通してみたり、
   いろいろやったことをみんなにぺらぺらしゃべったら、
   それが広がってしまった。

   しまいに、名古屋大学にいた先生でしたが、
   「木内君、ヒントだけ教えてくれ」と言ったから
   「海から湧き出る水もそうじゃないですか」言ったら、
   それを使ってうまくいった。

   1996年には「海洋深層水でがんが治りました」と新聞にも載りました。
   それからいっぺんに広がったんです。

   植物の中にもそういう状態があります。
   実は、生き物はみんな持っています。

   ブロッコリーとか、アブラナ科の植物のかたいところの細胞の膜の中に、
   まだ活性した水がある。

   ハワイ州立大学医学部の元教授テリー・シンタニ先生という日系3世の方が、
   それを使った研究を始めました。

   キャベツをすったものを蒸留して裸にしていって、調べてみたら、
   水素の振動が若干高かった。しかし時間が経つと戻てしまうから、
   再現性はない。

   そうやっているうちに、僕の水到達しました。
   僕のはいつになっても活性している状態で、変わらない。

   「あれはいったい何なんだ」 と言われました。

   「先生もそこに気がつきましたか」 という話になって、
   「じつは」と説明したら、先生もびっくりした。

   キャベツの内側の水も活性しているので、キャベツをジューサーにかけて
   そのまま飲むと、いい青汁で飲めるんです。
   本当はこれが一番いいんです。

   うちのかみさんは、最近青汁のパウダーを買います。

長  それでは意味がないでしょう。

木内 そして、僕のつくった水を入れるからいいんだと。
   何かよくわからないんですが(笑)。
   何か勘違いしているよね。

   細胞などにもどうだろうかといろいろ実験している時に、
   いろいろ変化が出てきました。

   けがをしたとき、自分でも再生能力が強いなどというのがわかってきた。
   クリームや化粧品みたいなものにも入れてみたら、
   いろいろな効果があるのじゃないか、そういったものを
   商品化させていただいています。

   いずれにしても、そういうものを開発してみました。

   生死をさまよって見てきたものは、
   ちゃんと分析するといろいろ出てくるんです。

           <感謝合掌 平成29年10月9日 頓首再拝>

生命が誕生したときの水を製品化してみたのです - 伝統

2017/10/11 (Wed) 22:00:50

生命が誕生したときの水を製品化してみたのです。(P212~219)

木内 ヒカルランドのセミナールームの後ろに、
   太古の水とか、太古のクリーム、ジェル、ローションなどあります。

   これは、アトピーの方々の症状が少しでも軽減されたらということで、
   最初、クリームがいいかなとやったら、いろいろな体質があったので
   いろいろつくっているうちに、3種類になってしまった。

   ほかのものに使っても非常のおもしろいというか、いいので、
   ぜひ使ってほしいと思います。

   薬用クリームは、傷口の治り方が非常におもしろい。
   当然、うちの太古の水が入っていますが、内側から治って
   傷口が追い出られるというか、おもしろい治り方をしますよ。

   私ごとですが、腹水がたまったときに、塗ることによって
   腹水がかなり出るんです。
   普通、なかなか出ないと思いますが。

   姉が肺がんになったとき、肺の中にたまった水を抜き取ろうとして
   いたんですが、そんときのレントゲンを見ると肺のエッジがきれいに
   出ていなくて、もわ~っとしていたんですが、

   これを塗ることによって水が抜けたのか、エッジがきれいに出るように
   なって、この水はおもしろいねという話になっています。

   そういう意味では、クリームが非常におもしろい。
   試してみたら非常にいいかと思います。

   こういうのは約束があってあまり変なことを言えませんが、
   非常に効果があります。

   茶の実油は、ものすごく精度の高い状態の低温で取り出しています。
   普通に圧力をかけて熱が加わると酸化してしまうんですが、
   それをさせないようにしています。
   これは食用にしても非常においしいし、非常に体にいい。

   あと、小さな石けんがあります。この水が入った石けんです。
   これも何となく不思議だけれども、非常にしっとり感があったりします。
   本当に量産したいと思っているんですが、非常におもしろい。


   なぜその水が必要かというのも、実は生死をさまよったことから学んでいます。
   地球上で生命現象がどうして起きるのか。
   地球で生命が誕生したころは今の地球と大分条件が違っていて、
   地球の周りに月がなかったころに人類は誕生しているわけです。

   天文をやっている私としては言いづらいんですが、
   臨死状態で学んできたということで言います。

   月がなかったら、地球の自転は25時間周期になります。そうすると、
   人類まで含めた生き物の体内時計はみんな25時間でないかなと思っていたら、
   調べてくださった方々がいっぱいいて、今、いろいろなデータが出ています。

   それによると、人類を含めてみんな体内時計は25時間でした。
   ところが、今は24時間ということで、1時間のストレスがかかった状態で、
   私たちは生かされています。

   気圧も、昔と今とでは大分違います。昔はティラノサウルスみたいな
   大きなものがすっ飛んで歩いた時代でした。ところが、今の地球では走れません。
   この間、NHKの教育テレビを見ていたら、今の地球上では、ティラノサウルスは
   時速15キロしか出せない。

   ところが、足跡の化石の歩幅からすると、
   時速60~70キロで走ったということです。
   昔のほうが引力が若干弱かった。


   そういう条件の中で水を考えたときに、
   今の地球上の水とわずかな違いがあります。
   水にはいろいろな性格があることがわかってきました。

   生死をさまよってからこの水を開発するときに、
   生命が誕生したときと同じ水を再現できないかと考えました。

   例えば、水の温度は全部20度にします。
   標高2000メートル、標高ゼロメートル、もう少し圧力の高いところで、
   それぞれ20度にしてお砂糖を溶かしてみます。

   どれが一番溶け込むか、環境によったり、圧力(気圧)によって、
   水にはいろいろな性格が出てくるということがわかってきました。
   圧力が高いと、当然のことながら大量に溶けます。

   計算上、昔の地球は今よりも1気圧高いだろうと考えています。
   その条件で水をつくって計画を調べたら、この水は金属に吸着しやすい
   というか、金属を追い出すというか、引っ張り出すというか、
   そういう性質がやたら出てきました。

   例えば、上新粉に水を入れるときに、うちの水を1滴垂らしてかきまぜると、
   金属の泡立て器だとみんなくっついてしまいます。

   普通の水でやった場合は全然くっつかないのに、うちの水を1滴垂らした
   途端に変わってしまう。

   昔、自動的にお団子をつくる機械があって、これは普通の水でやるんですが、
   うちの水を入れると体にいい団子がつくれるかなと、バカな実験をしました。
   押し出す場所が金属だったんです。やってみたら、みんなくっついて、
   機械が壊れてしまいました。


   この水をつくって注射器で吸わせます。この水は表面張力がやたら強いんです。
   普通の純粋より強いかもしれない。だから、入ってこないんです。
   同じ純水状態にしても、普通の純水とはちょっと違う。

   精度的には同じなのに、なぜここに差があるかというのがずっと気になります。
   これはものすごく微妙なことで、表面張力というのは非常に難しいところが
   あるんですが、わずかですが、あります。

   NMRという水の分子を振動させる機械があります。その水素を振動させる
   データの中で、地球上の水はみんな61ヘルトになる。
   それを一応基準とします。

   南極の水だろうが何だろうが、溶かして純粋にしてやったほうがいい。
   同じような条件にして、同じ温度ではかった場合は61ヘルツ。

   ところが、例えばルルドの水とか海洋深層水は62ヘルツぐらいになる。
   わずかな差で、どうも病気を治すらしいという話がありました。
   でも、それを再現することは非常に難しい。
   時間が経つと普通の水に戻ってしまう。

   僕の水は人工でつくっていますが、原液といわれているものは96.4ヘルツ
   あります。そんな水はあり得ないそうです。
   でも、はかれば96.4ヘルツがあって、安定しているんです。

   これを1000倍に希釈すると62.2ヘルツになる。

   かつて、海洋深層水で病気がよくなったらしいということが新聞記事に載りました。
   1996年、名古屋大学の医学部が発表しています。
   そういうものと大体同じくらいの数値になる。

   そういうことで、飲むときは1000倍希釈してくださいと
   お願いしています。

   そういうものが入ったクリームだとすると、水そのものも、クリームにして
   塗ったときに、外から体内に入るわけではないんです。
   違うのは振動だと思います。

   分子振動によって共鳴して、細胞が再生するとか、あるいはその細胞水が
   同じ働きをするようになるとか、そんな気がするんです。

   これはまだ実験したわけではないので何もわかりませんが、結果として
   改善されている部分もあるという人が多いということは、
   そうも確かなようです。

   そういうことで、もしよかったら試してください。
   いい宣伝をしてしまいました。

長  水は、いいものでも悪いものでも転写します。
   その転写の仕方によって違ってくる。

   毎朝、起きたときにコップ1杯の水を飲みましょうと昔から言われています。
   お茶でもコーヒーでもないですよね。
   なぜ、朝、コップ1杯の水なのか。

   要は、新陳代謝の中で水分がなくなっているんですが、
   同時に細胞の中に老廃物が一番たまっているんです。

   それを引き出して排泄させるためには、
   どうしてもちゃんとした水でないとダメ。
   白湯でも何でもダメなんです。水でなくちゃいけない。

   もともとの水というものに対して、
   白湯にすると振動数が変わってしまうんです。
   だから、それだけの効果が得られない。

   そういった意味で、水を飲みましょうという。

   だから、いい水にはそれなりに価値があるし、海洋深層水だったら
   汲み上げているところへ行ってガバガバ飲むと効果があるんですが、
   そこに住むわけにいかないので、ちょっと難しいかなと思います。

   そういった意味で、水はちょっとおもしろいんです。

           <感謝合掌 平成29年10月11日 頓首再拝>

Re: 臨死体験~木内 鶴彦さんの場合 - rhonmtviMail URL

2020/08/29 (Sat) 22:01:54

伝統板・第二
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