伝統板・第二 2507710

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楽しい神社参拝記

1:夕刻版 :

2015/09/23 (Wed) 18:22:54

<楽しい神社参拝記~その1「神田神社」>


スレッド「日本の神さまと上手に暮らす法 」の今日の記事に、
神田明神が紹介されておりましたので、(http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6599821

このスレッドでは、日本の神さまが祀られている神社について紹介してまいります。
(個人的にも、神社の神々さまとつながりを強めることは有益と感じております)


《おもな「ご祭神」》

  一之宮 大己貴命(大国主命・だいこくさま)

  二之宮 少彦名命(恵比寿・えびすさま)
 
  三之宮 平将門(まさかどさま)


《ご利益》家庭円満、縁結び、商売繁昌、事業繁栄、勝利など

     (http://www.kandamyoujin.or.jp/profile/jintoku.html


《特徴》境内には、日本最大規模の石造りのだいこく様が鎮座する。

    日本三大祭のひとつとされる「神田祭」が有名。
     (→ http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/2842/Default.aspx

    なお、明日(9月24日)は、将門塚例祭が予定されております。


《社殿裏の摂末社》(向って左から右へ)

 ①魚河岸 水神社 弥都波能売命 (みつはのめのみこと)
        ~築地魚河岸の守護神、水の神です。

 ②江戸神社 スサノオ命
      ~神田明神より古い江戸最古の地主神です。
       必ずご参拝を。

  三之宮:小舟町 八雲神社、
  二之宮:大伝馬町 八雲神社、
  一之宮:江戸神社、 

 ③浦安稲荷神社
 
 ④三宿 金刀比羅神社

 ⑤末広稲荷神社

 ⑥籠祖神社


《碑》

 ①彰忠碑
 ②国学発祥の碑
 ③銭形平次の碑

 
《神田神社創建の由来》~20年ほど前の由来書より

 社伝によると聖武天皇の天平2年(730)の創建という。
 はじめ武蔵国豊島郡芝崎村―現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に宮殿が定められた。

 年移り約200年後、桓武天皇六代の皇胤なる平将門公が俵藤太に討たれ、
 その御首は京都に運ばれ東の市に晒された。

 やがて党類がこれを奪いかえり塚を築いて葬った所が、当社を離れること百歩の地であったという。

 次いで延慶2年(1309)当社には将門公の霊を相殿に祀り、
 神田明神と名付けこの地の守護神にされた。

 (中略~戦国時代・江戸時代を経て明治に入り)

 明治元年には勅祭社に准ぜられ、明治7年には明治天皇が御親拝された。

   (参考Web:http://www.kandamyoujin.or.jp/profile/rekishi.html )


             <感謝合掌 平成27年9月23日 頓首再拝>
2:伝統 :

2015/10/05 (Mon) 17:44:48



今日のニュースより

杏&東出昌大が愛宕神社で挙式!渡辺謙、南果歩、山里亮太ら出席

サンケイスポーツ 10月5日(
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151005-00000023-sanspo-ent

画像 http://gossip1.net/archives/1041845703.html

杏は、2012年6月にオンエアされたニッポン放送
「杏のAnytime Andante」で、
愛宕神社をお勧めのパワースポットとして紹介。

さらに、本殿は「変わらぬ愛」などの花言葉を持つ胡蝶蘭で彩られていることから、
同神社での挙式を決めたようだ。


・・・

そこで、今回の神社参拝は「愛宕神社」です。

  (http://www.atago-jinja.com/about/  より)

【主祭神】

火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉

【配祀】
罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉


【境内末社】
太郎坊神社、(猿田彦神---->天狗さん)
福寿稲荷神社、(宇迦御魂神)
弁財天社   (市杵島姫命)
恵比寿大黒社 (大国主命、事代主命)


*20年ほどまえの神社栞での【境内末社】は次のようになっておりました。
太郎坊神社、(猿田彦命)
福寿稲荷神社、(宇迦御魂神)

勝軍地蔵尊 (勝軍地蔵菩薩)
普賢大菩薩


【創建】

1603年、慶長8年、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。



【「出世の石段」】

http://www.atago-jinja.com/trivia/

愛宕神社に上がる急な石段は「出世の石段」と呼ばれています。

http://www.atago-jinja.com/virtual/

その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の
故事にちなみます。

時は寛永11年、江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺に
ご参詣のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が満開。

家光公は、その梅を目にされ、 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられました。
しかしこの愛宕山の石段はとても急勾配。
歩いてのぼり降りをするのすら、ちょっと勇気が必要なのに、
馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにありません。

下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落としそう。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。

家光公は、みるみる機嫌が悪くなり、もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、
この石段をパカッ、パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。

家光公。その者の顔に見覚えがありません。

「あの者は誰だ」

近習の臣に知る者はありません。

「おそれながら」

「おう」

「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者でございます」

「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」

平九郎は見事、山上の梅を手折り、
馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を献上いたしました。

平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、
その名は一日にして全国にとどろいたと伝えられております。

この故事にちなみ、愛宕神社正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼び、
毎日多くの方が、この男坂の出世の石段を登って神社にお参りしておられます。

http://www.asahi-net.or.jp/~gx8r-mtok/meisyo.html


【ご利益】

①火に関するもの、防火、防災
②印刷・コンピュータ関係
③商売繁盛
④恋愛、結婚、縁結び

【招き石】
 愛宕神社の境内には、「招き石」と呼ばれる霊石があります。
 この石を撫でると、福が身につくといわれる不思議な石です。


【愛宕神社・千日詣り(ほおづき縁日)】

東京都港区の愛宕神社で毎年 6月23日、24日に行なわれる千日詣り(ほうずき市)、
ほおづき市といえば・・・浅草ですが、愛宕神社の方が歴史は古く江戸時代から続いている行事、
浅草の市も元々はこの愛宕からはじまったのものです。

(江戸時代、ある人が神託によってほおずきが薬であることを知り、
家族や隣人に飲ませたところ、子どものカンの虫が治まり、
夫人の癪(しゃく:胃痛)が治ったという。) 

この両日に社殿前にしつらえた茅の輪(ちのわ)をくぐりお参りすれば平日の千
或いは四万六千日分の分の御利益(ごりやく)があると伝えられいます。

  「ほほづきの丸薬を売る愛宕山」

と狂句に詠まれる程の名物です。



【江戸名所俗謡】

「お伊勢七度び 熊野へ三度び 芝の愛宕へ月まいり」



【港区の愛宕山[天狗裁き]】

物語は、隣の旦那がヘビをまたいだ夢をみたところ、商売が大繁盛。

熊さんの女房は「お前さんも夢を見な」と、亭主を無理に寝かせる。
ニヤリと笑う寝顔を見てゆすり起こすと、熊は夢を見ていないと言う。
「女房に隠し事をするのかい」と夫婦喧嘩。

仲裁にはいった兄弟分が
「女房に話せなくても、俺になら話せるだろう。どんな夢を見た」と大喧嘩。
今度は家主が来るが、家主にも夢を話せず奉行所へ。
白州で「奉行にならば言えるであろう」と問い詰められても口を割らない。

そこへ一陣の風が吹き、愛宕山のてっぺんに運ばれる。
見ると天狗が仁王立ち。またまた天狗までが夢の話を聞きたがる。

元は上方噺で、天狗の現れる山は鞍馬山になっている。



【尊攘義軍十二烈士女碑文より】

 天なるや 秋のこだまか とこしへに 愛宕の山の 雄たけびのこえ


             <感謝合掌 平成27年10月5日 頓首再拝>
3:伝統 :

2015/10/06 (Tue) 18:07:10



今日のスレッド「日本の神さまと上手に暮らす法 」において、
「大神神社」と「天河神社」がありましたので、
Webから以下に紹介させていただきます。


(1)「大神神社」

  ①ご祭神

   【主祭神】 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

   【配祀】  大己貴神(おおなむちのかみ)
         少彦名神(すくなひこなのかみ)

      (http://oomiwa.or.jp/about/gosaijin/#linktop

  ②ご由緒

   ご祭神がお山に鎮しずまるために、当社は古来本殿を設けずに直接に三輪山に祈りを
   捧げるという、神社の社殿が成立する以前の原初の神祀りの様を今に伝えており、
   その祭祀さいしの姿ゆえに我が国最古の神社と呼ばれています。
  
      (http://oomiwa.or.jp/about/goyuisho/#linktop

  ③三輪山と大神神社

   ブログ「山ちゃん1952(2013年11月13日)」にてご確認ください。
    → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1078558.html



(2)「天河神社」

  ①ご祭神

   【主祭神】市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
        ※市杵島姫命は辨財天様としても信仰されております。

   【配祀】 熊野坐大神
        吉野坐大神
        南朝四代天皇の御霊
        神代天之御中主神より 百柱の神

  ②ご神徳

   ○水の大神
   〇弁舌・才智の大神
   〇音楽・芸術・芸能の大神
   〇財宝の大神

  ③ご由緒~http://www.tenkawa-jinja.or.jp/top/index.html

  ④天河を訪れるにあたっての10の心得

   1.天河に超常現象を期待してはいけない。
   2.天河には雑念と雑音を持ち込むな。
   3.縁のない人間は行きたくても天河には行けない。

   4.天河に集まる人間は、必ず使命を持っている。
   5.天河では素直になる。
   6.般若心経は暗誦できるようにしておく。

   7.玉串奉納の手順を知っておく。
   8.天河では思索にふけるのではなく、気を受ける。
   9.天河は三回来て初めてそのパワーがわかる。
   10.天河行きは他人に強制しない。

   (http://www.geocities.jp/tatsu_jpn2005/spiritual/spot/tenkawa/kokoroe.html

  ⑤「天河神社」と「地球交響曲」

   「天河神社」と「地球交響曲」は縁が深いようですが、
   今年公開の「地球交響曲第八番」では、

   「樹の精霊に出会う──能面「阿古父尉(あこぶじょう)」の復活」
   として、能面と現在の「天河神社」が大きく取り上げており、
   個人的には印象深く捉えることができました。

   → http://gaiasymphony.com/no8/akobujo

   天河大弁財天社「地球交響曲第八番」
   → http://gaiasymphony.com/2015/0821_170251.php

             <感謝合掌 平成27年10月6日 頓首再拝>
4:伝統 :

2015/10/12 (Mon) 19:09:39

スレッド「日本の神さまと上手に暮らす法 」において、
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6599821

山形県の出羽三山、和歌山県の熊野三山、奈良県の大峰山・金剛山が
がありましたので、それぞれの神社を、順次、紹介させていただきます。

出羽三山

  ①霊場出羽三山の御由緒

   推古天皇元年(593年)、遠く奈良の都からはるばる日本海の荒波を乗り越えて
   一人の皇子がおいでになられた。

   第三十二代崇峻天皇の皇子・蜂子皇子、その人である。
 
   イツハの里・由良(ゆら)の八乙女浦(やおとめうら)に迎えられ、
   三本足の霊烏に導かれて、道なき径をかき分けたどりついたのが
   羽黒山の阿古谷(あこや)という、昼なお暗い秘所____。
 
   蜂子皇子はそこで、来る日も来る日も難行苦行の御修行を積まれ、
   ついに羽黒の大神・イツハの里の国魂「伊氏波神(いではのかみ)」の御出現を拝し、
   さっそく羽黒山頂に「出羽(いでは)神社」を御鎮座奉られた。
 
   今を去ること、千四百年前の御事である。
 
   出羽三山神社では、この時を以て「御開山の年」とし、
   蜂子皇子を「御開祖」と定め、篤く敬仰している。

   そもそも、出羽三山は、祖霊の鎮まる“精霊のお山”、人々の生業を司る
   「山の神」「田の神」「海の神」の宿る“神々の峰”にして、五穀豊穣、大漁満足、
   人民息災、万民快楽(けらく)、等々を祈願する“聖地”であった。
 
   加えて「羽黒派古修験道」の“根本道場”として、
   「凝死体験(ぎしたけいん)・蘇り(よみがえり)」をはたす山でもある。
 
   すなわち、羽黒山では現世利益を、月山で死後の体験をして、
   湯殿山で新しい生命(いのち)をいただいて生まれ変わる、という類いまれな
   「三関三度(さんかんさんど)の霊山」として栄えてきたお山である。

    (http://www.dewasanzan.jp/publics/index/6/


  ②ご祭神

   月山(がっさん)神社       月読命(月山権現)
   出羽神社(いではじんじゃ) 伊氏波神・稲倉魂命(羽黒権現)
   湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ) 大山祇神・大己貴命・少彦名命(湯殿山権現)


  ③湯殿山神社本宮には社殿はなく、熱湯の湧き出る「それ」が御神体そのものになっている。
   「それ」と書いたのは、この山で体験したことは
   「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められているからだ。

   ほら貝を吹く山伏や五重塔で有名な羽黒山は、現世利益の御神徳にあずかる宮。
   夏スキーのメッカ、標高1984mの月山では、山頂で大神を参拝して死後の浄化を受ける。

   そして湯殿山に至り、その大神より新しい生命を賜って生まれ変わるというのが、
   出羽三山信仰のストーリーとなっている。


  ④出羽神社への約2kmの登拝参道、多くの摂社末社が鎮座している。
   両側には巨杉が林立、森厳さに人を誘う。

   平将門建立の国宝「五重の塔」があります。
   (個人的には、こんな所に、五重の塔があるなんて不思議?と感じた記憶があります)

    (http://kamnavi.jp/it/higasi/dewa3.htm

   末社 
   磐裂神社・根裂神社・五十猛神社・大歳神社・天神社・豊玉姫神社・祓川神社・下居神社・
   子守神社・保食神社/天満神社・・大直神社・葉山祇神社・植山姫神社・
   尾崎神社/八幡神社・津速玉神社(厳嶋大神)・蜂子神社・天宥社(羽黒山中興)・
   八坂神社・思兼神社・白山神社・稲荷神社・健角身神社・大雷神社・羽黒山東照宮・
   吹越神社(蜂子皇子)・・・


  ⑤聖徳太子と蜂子皇子

   蜂子皇子は、崇峻天皇(32代)の皇子。
   崇峻天皇は、聖徳太子の母(穴穂部間人皇女 あなほべのはしひとのおうじょ)の同母弟です。   
   よって、聖徳太子と蜂子皇子はいとこ同士、ということになります。

   崇峻天皇、かなり珍しい天皇です。なぜかというと、臣下に暗殺されたからです。
   そのため、蜂子皇子も殺されかねません。ここで登場するのが聖徳太子で、
   彼は蜂子皇子を匿い、飛鳥の外へと逃がします。

   そしてその際、皇子に仏門の修行を勧めるのです。
   仏門に入った皇子は「弘海」と名乗り、諸国を旅します。

   東北地方、現在の山形県のあたりまで来たとき、皇子の前に三本足の大ガラスが現れます。
   このカラスに導かれてどんどん山に入っていき、厳しい修行により、とてつもない霊力を
   持つに至り、西の役行者(えんのぎょうじゃ)と並び称されるほどになった皇子は、
   能(よ)く人の苦を除く、ということで能除太子とあがめられるようになりました。

   その後、信仰を集めつつ羽黒の地で没します。
   羽黒山には能除太子こと蜂子皇子の墳墓があり、現在では宮内庁が管理しています。

             <感謝合掌 平成27年10月12日 頓首再拝>
5:伝統 :

2015/10/13 (Tue) 19:52:10


「熊野三山」

   熊野三山(くまのさんざん)は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の
   3つの神社の総称。熊野三山の名前からもわかる通り、仏教的要素が強い。
   日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である

(1)御由緒

  ①【熊野本宮大社】

   崇神天皇六十五年に熊野連〔くまののむらじ・又くまののあたえ〕大斎原(旧社)において、
   大きな櫟(いちい)の木に三体の月が降りてきたのを不思議に思い「天高くにあるはずの
   月がどうしてこの様な低いところに降りてこられたのですか」と尋ねましたところ
   その真ん中にある月が答えて曰く、

   「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚大神)であり両側の月は両所権現
   (熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」

   との神勅がくだされ、社殿が造営されたのが始まりとする降臨神話となっております。

    (http://www.kumano-sanzan.jp/hongu/yuisyo.html

  ②【熊野速玉大社】

   今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に
   降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、
   これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。

    (http://www.kumano-sanzan.jp/hayatama/yuisyo.html


  ③【熊野那智大社】

   社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に御上陸されたとき、
   那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としておまつりになり、
   その御守護のもとは、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」

   と記録されております。

    (http://www.kumano-sanzan.jp/nachi/yuisyo.html



(2)ご祭神

  ①【熊野本宮大社】

   上四社【本社鎮座】       熊野牟須美神・事解之男神・速玉之男神・
                   伊邪那岐大神・家津美御子大神・天照皇大神

   中四社【大斎原(旧社地)鎮座(左祠)】
                   忍穂耳命・瓊々杵命・彦穂々出見命・鵜葺草葺不合命

   下四社【大斎原(旧社地)鎮座(左祠)】
                   軻遇突智命・埴山姫命・弥都波能売命・稚産霊命

    (http://www.kumano-sanzan.jp/hongu/saijin.html

    <摂末社>

     産田社(伊邪那美命荒魂)  
     滝姫神社(湍津姫命)  
     八咫鳥神社(武角見命)  

     大国主神社(大国主命)  
     須勢理姫神社(須勢理姫命)
     祓戸天神社(天児屋根命)  

     海神社(底津綿津見命・中津綿津見命・上津綿津見命)  
     高倉下神社(高倉下命・穂屋姫命)
     御所開神社(天手力男命)  

     市杵島神社(市杵島姫命)  
     真名井社(天村雲命)  
     月見岡神社(天照大神・月読命)  
     音無天神社(少彦名命) 

     (http://www.mitene.or.jp/~hayamine/file2/kumahongu.htm


  ②【熊野速玉大社】

   第一本社 結宮  熊野結大神(いざなみの命)
   第二本社 速玉宮 熊野速玉大神(いざなぎの命)

   第三殿 証誠殿 家津美御子命・国常立命
   第四殿 若宮 天照大神
   第五殿 神倉宮 高倉下命
     以上 上三殿


   第六殿  禅地宮 天忍穂耳命
   第七殿  聖宮  瓊々杵命
   第八殿  児宮  彦火々出見命
   第九殿  子守宮 鵜葺草葺不合命
   第十殿  一万宮十万宮 国狭槌命・豊斟渟命
   第十一殿 勧請宮 泥土煮命
   第十二殿 飛行宮 大斗之道命
   第十三殿 米持宮 面足命
     以上 八社殿


   第十四殿 奥御前三神殿  天之御中主神
                高皇産靈神
                神皇産靈神

   第二本社と上三殿の間
   第十五殿 新宮神社    新宮町内の末社の神々を合祀
   第十六殿 熊野恵比寿神社 蛭児大神
     以上 境内社

     (http://www.genbu.net/data/kii/hayatama_title.htm

  ③【熊野那智大社】

   熊野那智大社の主神は、正面向かって左から二番目の第四殿にまつられている
   熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)で、結宮(むすびのみや)とも呼ばれ、
   伊弉冉尊(いざなみのみこと)と同体とされます。

   他に、次の神々が祀られております。

   大己貴命、家津御子大神、国常立尊、御子速玉大神、伊弉諾尊、天照大神、
   忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火火出見尊、うか草葺不合尊、国狭槌尊、とよくむぬのみこと、
   泥土煮尊、大戸道尊、面足尊

   (http://www.mikumano.net/meguri/nati.html
 

(3)ご利益

   熊野速玉大社を参詣すると「現在」のご利益、
   熊野那智大社は「過去」のご利益、
   そして熊野本宮大社は「未来」のご利益がそれぞれあると言われています。

   熊野那智大社は、無病息災、長寿、所願成就などにご利益があるとされます。

   熊野速玉大社の天然記念物の梛(なぎ)の大樹は、梛の木の葉の切れにくさや
   二つ並んで実を結ぶことから、夫婦円満・縁結びのご利益があるとされます。

   熊野本宮大社は、商売繁昌、開運招福、衆災消除、無病息災、交通安全、
   大漁満足、特に心願成就にご利益があるとされます。

             <感謝合掌 平成27年10月13日 頓首再拝>
6:伝統 :

2015/10/15 (Thu) 19:14:00


大峰山

   大峰山とは、山上ヶ岳、稲村岳、大普賢岳、弥山(みせん)、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳、
   行者還岳などを含む大峰山系の山々の総称です。
   一般的に修行の御山としての大峰山(おおみねざん)は山上ヶ岳(1719m)を示しています。

   大峰山は、古来より修験道の聖地です。
   修験道の祖「役行者(えんのぎょうじゃ)」が開いたと言われており
   大峰山は、修験道の発祥の地です。

   大峰山は、修行により徳を積み重ねる修行の道場です。

   大峰山の山頂には大峰山寺(奈良県吉野郡天川村大字洞川494)が在り、
   ご本尊は蔵王権現・不動明王・役行者神変大菩薩の三尊です。


<参考>

(1)「大峯千日回峰行」
    → http://matome.naver.jp/odai/2135745075096037601

   千日回峰の中でも、とりわけ過酷なのが「大峯(おおみね)千日回峰」。

   1300年の歴史の中で、その行の2人目の成功者となったのが、
   塩沼亮潤(りょうじゅん)大阿闍梨(おおあじゃり)。

   往復48キロ、高低差1300メートル以上の山道を16時間かけて1日で往復。

   9年の歳月をかけて4万8千キロを歩く。



   「大峯千日回峰行」の2人目の成功者となった、慈眼寺住職・塩沼亮潤氏の講演
    → http://logmi.jp/41508

(2)一般人の登拝

  ①『大峰山寺(山上蔵王堂)』へ登拝
    → http://small-life.com/archives/12/08/1618.php

  ②大峯山登山の案内

   → http://www5.kcn.ne.jp/~seiroku/newpage-oomine.html

             <感謝合掌 平成27年10月15日 頓首再拝>
7:伝統 :

2015/10/16 (Fri) 19:05:45


金剛山


   金剛山の由来

   「この山は古来、葛城山または高天山とも呼ばれていました。
    天智天皇四年(今から焼く一千三百年前)役の小角16才の時(後の山岳宗教の開祖 
    役の行者 又は 神変大菩薩と称される)この山に登られ霊気を感得、長い修業の後、
    頂上に法起菩薩をご本尊とする金剛山転法輪寺を建立され、ご自身の祖神、一言主神を
    祀る葛木神社を鎮守としてあわせ祀られ、神仏混淆の霊峰とされました。

    以後、真言密教の霊場として信仰を集め転法輪寺のお寺の山号である『金剛山』が略称
    の様に使われ、葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。」



   【葛木神社 (かつらきじんじゃ)】

   ご祭神:[主祭神] 葛木一言主大神
      :[配祀]  建角身命、大山祇命、豊受比売命、素盞嗚命、
            大国主神、少彦名神、玉依比売命、健御名方富命、
            後醍醐天皇、護良親王、楠木正成、楠木正行

   http://blogs.yahoo.co.jp/kazuki133/54442860.html

   http://www.genbu.net/data/yamato/hitokotonusi_title.htm


《昔話 一言主神と役小角》 

その昔、雄略天皇は長谷(はつせ)の
朝倉宮(あさくらのみや)(現在の奈良県桜井市)で天下を治めていらっしゃいました。

ある時雄略天皇は大勢の臣下をひきつれて奈良と大坂の境、葛城山に登ります。
お供する臣下の人々は、紅の紐のついた青摺りの衣を着ていました。

すると、葛城山の向うの裾をのぼってくる人がありました。
その姿は、天皇そっくりでした。
また引き連れている人々の格好や規模も、こちらとそっくりでした。

「はて。大和に吾以外に王はいないはずだが…
そのほう、何者じゃあ」

すると返事が来ました。

「そのほう、何者じゃあ」
「なっ…マネをするなあーッ」
「なっ…マネをするなあーッ」
「マネをするなと言っている!」
「マネをするなと言っている!」
…話になりません。

怒った天皇は、お供の者達に命じて矢をつがえて構えさせます。
すると向うの峰でもお供の者達が同じ格好で矢をつがえて構えます。

どうも変だと思って、天皇は尋ねます。
「そのほう、名は何と申すのだ。
まず互いに名乗ってから、矢を放とうではないか」

すると答えが返ってきました。

「聞かれてまず吾が答えよう。
何事も一言でキッパリと言い放つ神。
葛城山の一言主神である」

一言主神。
一言で、キッパリとお告げをしました。
いさぎよいことですね。

「私、結婚できますか」「無理」
「金ほしいです」「働け」
こんな感じでしょうか。

あなたなら、何を尋ねますか?
「おおっ! 一言主神さまであらせられましたか。これは失礼いたしました!
こらっ、お前たち、馬から降りろ。頭を下げぬか。…なにか差し上げるものは無かったか。
無い?では衣を脱げ。太刀と弓矢もはずせ。ほらほら、今すぐにだ!
…失礼いたしました。この者たちの衣と太刀と弓矢を献上いたします」

「ほほほ、殊勝な心がけじゃ。感心感心。
そちの治世は、とてもよいものになるであろう」

一言主神は手を叩いて喜び、天皇が帰っていくとき
山の峰を行列でいっぱいにして長谷(はつせ)の山の入り口まで見送りました。

これが一言主神が人前に姿をあらわした

はじめての記録です。

                ・・・

しかし雄略天皇の時代には尊敬された一言主神も、
大和王権の力が強くなるにつれて、落ち目になっていったようです。

飛鳥時代。

文武天皇の御世に葛城山に役小角(えんのおづぬ)という人物があらわれました。

生まれながらに賢く、頭のよさで並び立つ者はありませんでした。

また仏法を心から信じ、修行につとめていました。

「願はくは五色の雲に乗ってはるかの空に飛び、
仙人の宮の客となり、霞を吸って生きていきたい」

そんなことを言って40歳を過ぎて結婚もせず、岩屋に暮らしていました。

周囲には、有名な前鬼・後鬼をはじめ、
多くの鬼神をはべらせて、身の回りの世話をさせていました。

「小角さま、肩をおもみします」
「小角さま、洗濯しときましたよ」
などと、鬼たちは従順でした。

ある時、役小角が鬼たちに命じます。

「金峰山(きんぷせん)と葛城山との間に橋をかけよ」

ざわざわ…
いかな従順な鬼達も、今回はざわめきました。

「小角さま、あっしらは、そりゃあ、やれと言われればやりますが…
金峰山と葛城山との間に橋なんかかけて、どうなさるおつもりで?」

「どうって別に…何となくほら、
おもしろそうじゃん」

「……」

こうして鬼神たちは、昼夜関係ない突貫工事に駆り出されることになりました。
ふうふう…えらいことになっちゃった。
鬼たちは大変な重労働ですが、よく飼いならされたもので、
文句を言えるものはありませんでした。

「おうおう、だいぶ出来てきたな」

金峰山と葛城山間にじょじょに出来ていく
橋を見て、役小角は満足げにアゴをなでます。

こき使われている鬼神の中に、あの一言主神もいました。
雄略天皇の昔には天皇から尊敬を受けた一言主神も、
いまや役小角にこき使われるまでに落ちぶれていました。

ところで一言主神はとても醜い姿をしていたということです。
その醜い姿を恥じて、昼の作業には参加せず、夜だけ働きました。

一方、他の鬼たちは昼夜突貫作業で、働いていました。
こんな、ちっこい鬼たちが、ヘルメットをかぶって、安全帯をして、毎朝朝礼があって、

はい。本日の安全確認事項。葛城建設さん。葛城建設です。
土砂崩れに注意して作業します。人数15名。うち1名遅刻。はい。
それでは本日も安全第一でがんばりましょう。ラジオ体操~はじめっ。
おいっちに、おいっちに…

おい、一言主の奴どうした。
あいつまた来ないのか。いいご身分だな。
お前何日家に戻ってない。もう一ヶ月だよ。俺なんか半年だ。
だんだん、鬼たちの不満が高ぶってきます。

「ズルいです小角さま!みんな昼も夜も働いてるのに
一言主だけ休むなんて。だったら私たちも休ませてもらいますよ」

「ぐぬぬ」

鬼たちは、今にもストライキを起しそうな勢いでした。

(ちぇ。こいつら鬼のクセに
根性はサラリーマンだなあ。でも組合でも
造られたらメンドウだ)

そこで役小角は一言主神を控え室に呼び出します。

「あんたねえ、そりゃ昔はえらかったのかもしれないよ。
たくさん部下使ってさ。さぞかしえらかったのか、まあ私は知らんけど。
今はウチで働いてんでしょ。じゃあウチのやり方に従ってもらわないと。」

「………」

ねちねち、クドクド続く説教。
まるでリストラされた元大企業の部長が仕方なくコンビニでバイトしているのを、
若いコンビニ店長がアゴでこき使っている図です。

きりきり胃を痛める一言主神。

「若造が調子に乗りおって。もう我慢ならん」

ついに一言主神の怒りはバクハツします。
人間の姿に乗り移って葛城山を降り、当時の都、藤原京へ降りていき、役人に訴えます。

「葛城山の役小角が、労働基準法違反です!」

「なんじゃと?」

「…もとい
天皇を滅ぼそうとしています!」

「なに!それはまことか」

時の文武天皇は、すぐに捕縛の役人を役小角のもとに遣わし、
役小角を捕らえてしまいました。
役小角は伊豆大島に島流しとなります。

それでも役小角はこりず、毎晩伊豆大島を抜け出しては
富士山に登り降りして、朝までには伊豆大島に帰ってきたと伝えられます。

一言主神は、役小角の呪法によって葛城山に捕らえられ、
現在までその縛めが解けないままだそうです。

    (http://yomukiku-mukashi.com/hitokoto.html


             ・・・

《別の言い伝えでは》

小角は、しばしば吉野から熊野までの大峰奥駈道を往来しており、
葛城山から吉野までは登り下りに難儀していましたが、
葛木山には難所が多く、小角は吉野の金峯山と葛木山との間に岩橋を架けようとしました。
(岩橋というのは川に石を投げ込んで、その石を伝わって渡れるようにする事です。)

橋を架ける工事の為に、小角は、一言主神や鬼神を呼び集めて橋を架ける仕事を命じました。
鬼神たちは仕方なく嫌々ながらも仕事にかかりましたが、工事の進み具合が悪いので
様子を見ると、鬼神たちは昼間は作業をせずに夜だけしか働いていなかったのです。

何故かと問うと、自分たちの顔と格好が醜いので里の人に見られたくないというのです。
でも、小角は日中も働くようにと言いつけ、それでも工事の進みが悪いので調べて見ると
一言主神が鬼神と示し合わせて怠けている事がわかりました。

小角は大変怒り、呪術をつかって一言主神が身動きできないように金縛りの刑にしました。
一言主神は恐い顔に似合わず大きな声を出して泣き叫びますが、
小角は藤のツルでぐるぐる巻きにして谷底に投げ込んでしまいました。

それからというもの一言主神の大きな泣き声が峰中に響きわたり、
一言主神は恨みが積もって、その魂を賀茂の社の神官の身に乗り移らせ、
神官は気が狂ったようになってしまいました。

社の前を人が通る大人にでも子供にでもかまわずに叫び続けました。

「賀茂の役の優婆塞(役 小角)が国を傾ける。謀反だ! 早く捕まえて牢屋へ入れろ! 
今に国が滅びるぞ」といって叫び、一言主神の魂が乗り移った神官たちの言葉を
そのままにしておく訳に行かず、役人が小角を捕える為に立ち上がりました。

大勢の役人が小角を取り押さえようとしても、金縛りの術などをつかったり
空へ飛び上がったりしてなかなか捕まえられず、小角の評判はいっそう高くなり、
役 小角の母を捕らえると、出てて来て捕まり、伊豆の島に流されたとの言い伝えがあります。

そのとき、体が海上を浮かび走ること陸を歩くがごとく、
高い山にいて飛ぶごとは鳳がかけるようで、島に流されてからは、
昼は天皇の命に従い島で修行し、夜は富士の山で修行したそうです。


一言主神は、大国主神の子であり葛城の土地神でした。
「古事記」には460年、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、
紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの
尾根を歩いているのを見つけ、天皇が名を問うと

「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答え、
天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて
一言主神に差し上げたとあります。

その名から「一言で物事の善悪を判じる託宣神」と言われ、
その神様を使用人のようにした、役 小角は、真言密教の空海より約100年ほど前の人物で、
活躍したのは7世紀頃だそうです。

ところで皇位継承をめぐって、天智天皇の子・大友皇子と対立した
大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反乱者である
大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱「壬申の乱」(じんしんのらん672年)のとき、
小角は大海人皇子に味方して勝利に導いたとされています。

   (http://blog.goo.ne.jp/mimiri87/e/85af6651957410b91f83c96266d3a2f9

             <感謝合掌 平成27年10月16日 頓首再拝>
8:夕刻版 :

2015/10/22 (Thu) 20:00:01


スレッド「樹の精霊の声~地球交響曲第八番」で紹介の「室根神社」を
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6631215

Webにて検索すると、種々の不思議なことが浮かんできて、
「地球交響曲第八番」の映画の内容と奇妙にフラッシュしてまいります。


<室根神社>

海抜895・4メートル、室根村、大東町、千厩(せんまや)町、気仙郡に渡って
山裾を広げる室根山の8号目に鎮座。

室根山は別名「桔梗山」「卯辰山」と呼ばれ、日本武尊が鬼退治をしたという伝承から
「鬼首(おにかべ・又は、おにこうべ)山」とも称された。

養老2年(718年)に鎮守府将軍・大野東人(あずまんど)が蝦夷征討祈願の為に
紀州・牟婁郡本宮村から熊野神勧請を元正天皇に願い出て、
紀州から船団を組んで5ケ月を経て宮城県本吉郡唐桑町の鯖立(しびたて)に到着、
舞根神社(瀬織津姫神社)を仮宮とし、のちに神託により現・室根山に勧請されたという。

<参考Web:業除神社→瀬織津姫神社→熊野神社
       → http://blogs.yahoo.co.jp/tohnofurindo/30413407.html >


瀬織津姫は、古事記編纂前に消された神々の一神ですが、大祓祝詞に残っている祓神です。


この勧請以来室根山は「牟婁峯(むろね)山」となり、
安元元年(1175年)に「室根山」と改めたといわれている。
正和2年(1313年)に葛西清信により熊野新宮を勧請。


現在残っている室根神社の由来によると、

(1)室根神社本宮の由来・・・
   養老二年(718)元正天皇の勅命を受けた鎮守府将軍大野東人(あずまんど)が、
   蝦夷降伏の祈願所として、紀州(和歌山県本宮町)から熊野大社の御神霊(伊弉册命)
   を迎えまつったものである。

(2)室根神社新宮の由来
   正和二年(1313)陸奥の守護職葛西清信が、奥七郡(磐井、江刺、胆沢、気仙、本吉、
   登米、牡鹿)の鎮守として、紀州(和歌山県新宮市)から熊野速玉大社神霊
   (速玉男命、事解男命)を迎えまつったものである。


<室根神社特別大祭>

室根神社特別大祭(国指定重要無形民俗文化財)・・・
奈良潮時代の遠い昔から古式を守り、継承されてきた室根神社の特別大祭は、
東北三大荒祭の一つとして名高く旧暦閏年の翌年九月十七、十八、十九日の三日間、
近隣二市五町村にまたがる神役の子孫外、村民総出で行われている。


天下の奇祭 室根神社特別大祭
 → http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/18,45714,172,525,html


<室根神社と瀬織津比咩>
 → http://dostoev.exblog.jp/22211944


<スレッド「樹の精霊の声~地球交響曲第八番」で紹介の「室根神社」と「森は海の恋人」>

(1)室根神社と「森は海の恋人」
    → http://www.iwakura-stone.jp/jinja/murone/

(2)人間の心の中に木を植える - ARDEC
    → http://www.jiid.or.jp/files/04public/02ardec/ardec30/peoples_life.htm

(3)命の水を再生する「森は海の恋人」

  ①(前編)
    → http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/080617_kaki01/

  ②(後編)
    → http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/person/080624_kaki02/

             <感謝合掌 平成27年10月22日 頓首再拝>
9:伝統 :

2015/12/25 (Fri) 19:17:29


「品川神社御由緒」

後鳥羽天皇の文治3年(1187)に、
源頼朝公が安房国洲崎明神の「天比理乃咩命」をお迎えして、
海上交通安全と祈願成就を祈られたのを創始とします。

鎌倉時代末期の元応元年(1319)に、
当国守護二階堂道蘊公が当社の神威を感じて本社を新たに造立すると
「宇賀之売命=稲荷神」を勧請しました。

長禄年中(1457)太田道灌公は江戸城に入ると文明10年(1478)6月、
「牛頭天王=素盞鳴尊」を勧請して神事を怠慢なく続けました。

明治元年(1868)には、明治天皇が新都東京の安寧と国家の繁栄を祈願されるため、
「品川神社」を含む十社が「准勅祭神社」と定められました。
 
 (http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/syoukai/09_shinagawa/9001.html

・・・

主祭神の天乃比理刀咩命(天比理刀賣命=あめのひりめのみこと)は
天太玉命(ふとだまのみこと)の后神で、岩戸隠れのに登場する芸能の女神であり、
日本最古のヌードダンサーでした。

岩戸隠れでは天照大神(あまてらすおおみのかみ)が天岩戸に隠れて世界が暗闇になったとき、
神々は大いに困り、天の安河に集まって相談をした結果思兼神(おもいかね)の発案により、
岩戸の前で様々な儀式を行いました。

このとき天乃比理刀咩命は槽の上に乗ると乳房をあらわにし、裳の紐を股に押したれ
腰を落して足踏みで音を立てて音頭をとり、「日本書紀」では千草を巻いた矛、
「古事記」では笹葉、を振りながら腰を振って踊って神々を大笑いさせました。

その「笑ひえらぐ」様を不審に思い戸を少し開けた天照大神に宇受賣命(天鈿女命=うずめ)が
「あなたより尊い神が生まれた」というと、天手力雄神(あめのたぢからお)は
天照大神を引き出したのです。

世界に光が戻った瞬間でした。


天孫降臨のときでした。瓊瓊杵尊(ににぎ)が天降ろうとすると、
高天原から葦原中国までを照らす神がいました。

天乃比理刀咩命は天照大神と高木神(高御産巣日神=高皇産霊神=たかむすびのかみ)に
「顔を合わせても気後れしないからおまえが問いなさい」と促されて名を訊ねる、
その神は国津神の猿田彦と名乗り「道案内をするために迎えに来た」といいました。

天乃比理刀咩命は天児屋命(あめのこやね)、太玉命(ふとだま)、玉祖命(たまおや)、
石凝姥命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人として瓊瓊杵尊(ににぎ)に随伴して天降りしました。


名を訊ねた天乃比理刀咩命は国津神の猿田彦に仕えることになり猿女君の祖神となったのです。
妻となったとされる説もあります。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/pokochino6324/63942023.html


「品川神社」には「一粒萬倍の泉」というのがあります。

「米は一粒の種より萬倍の稲穂となる」から、「一粒萬倍」。

http://bennybebad.hatenablog.com/entry/2013/08/17/230401
http://www.d-laboweb.jp/special/sp258/

             <感謝合掌 平成27年12月25日 頓首再拝>
10:伝統 :

2016/01/03 (Sun) 19:22:45


         *Webより

猿と縁がある神社は全国に数多くあります。

(1)山神、神の使いとして猿を祀る山王系神社

   まず、国内に3800社あると言われる日吉神社、日枝神社、山王神社などの
   山神(猿)を祀る「山王系神社」

   なかでも山王系神社の総本宮、滋賀県大津の「日吉大社」は、
   狛犬に代わる神猿像だけでなく、「本物のお猿さん」にも会うことができる、
   申年(さるどし)一押しの神社です。

   烏帽子をかぶり、正装して御幣・鈴などを持った「神猿(まさる)」にちなみ、
   お猿さんは「まさるさん」と呼ばれています。

   縁結びなら、夫婦の猿神様の妻猿をなでると恋愛運がアップするという
   東京都千代田区の「山王日枝神社」がおすすめです。


(2)「庚申の使い」はお猿さん! 庚申塚

   また、猿は「庚申の使い」でもあるので
   庚申塔、庚申塚(堂)、庚申神社も申年にぴったり!

   福岡県直方市の「庚申社」には、
   「見ざる聞かざる云わざる」など石像の猿が数百体もあり、圧巻です。


(3)猿といえば東照宮「見ざる聞かざる云わざる」

   見ざる聞かざる云わざる、といえば思い浮かぶのが
   世界遺産「日光東照宮」の三猿ですね。
   日光東照宮も申年の初詣の人気スポットです。

(4)「猿丸大夫」が祭神「癌封じ」の猿丸神社

   三十六歌仙の一人、猿丸大夫を祀る京都の「猿丸神社」には
   「身代わり猿」という一刀彫のお猿さんやお守りがあります。

   猿丸神社は、昔から「できもの」に霊験があるとされ、
   「癌(がん)封じ」でも有名です。

   狛犬(こまいぬ)ならぬ「狛猿(こまざる)」もあり
   申年の健康祈願にぜひ参拝したい神社です。

(5)方位除け・交通安全の猿田彦神社

   国津神の猿田彦大神を祭神とする神社も、猿の字つながりで申年の初詣におすすめです。

   猿田彦(サルタヒコ・サルタヒコノカミ)は天孫降臨の際に道案内をした
   ということから、道の神・旅人の神となり「交通安全・方位除け」
   にご利益があるとされています。

   猿田彦大神を祭神とする神社は、お伊勢参りの「みちひらき」の神社として
   有名な三重県の「猿田彦神社」「椿大神社」滋賀県の「白鬚神社」はじめ、
   各地にあります。

             <感謝合掌 平成28年1月3日 頓首再拝>
11:伝統 :

2016/02/19 (Fri) 21:02:45


スレッド「神武天皇(2)」(http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6765219

で、出て来ている「久米御縣(くめのみあがた)神社」へバーチャルで参拝いたしました。

・・・

       *Web:久米御縣神社に祀られる大来目命(2015年6月16日)より         

(1)久米御縣神社の御祭神

   高皇産霊神(天地開闢の時、高天原に出現した神)、
   大来目命(大久米命、大和朝廷の軍事を掌った久米氏の祖神)、
   天櫛根命(久米氏の祖神と関係の深い神)の三柱が御祭神として祀られています。

(2)大来目命(おおくめのみこと)

  ①神武天皇の家臣だったと伝えられるオオクメは、
   記紀にみえる久米直(くめのあたい)の祖とされます。

   大和朝廷で軍事的役割を担った久米部。その出自は隼人系の海人とされ、
   「魏志倭人伝」に倭人の特徴として描かれた入れ墨をしていたことで知られます。

   神武天皇のお后選びの際、
   三輪山麓に住むイスケヨリヒメを推薦した人物こそがオオクメなのです。

  ②神武東征の際には、
   幾多の困難を神武天皇と共に乗り越えていった大来目命(オオクメノミコト)。

   神武天皇即位後、その論功行賞として、畝傍山の西に当たる川辺の地を賜り
   「来目邑(くめむら)」と称しました。

(3)神武天皇の皇后探し

  ①大久米命を連れて野遊びに行った神武天皇。
   その向こうから、7人の乙女がやって来るのが見えました。

   オオクメはかねてより美人の誉れの高かったイスケヨリヒメがその中にいることに気付きます。
   ちなみにこのイスケヨリヒメは、三輪山に鎮座する大物主の娘に当たる姫神です。

   さっそく和歌で、神武天皇にそのことを伝えるオオクメ。

   神武天皇は、7人のグループの先頭に立っていたイスケヨリヒメを娶りたいと
   オオクメに伝えます。オオクメは天皇の仰せをイスケヨリヒメに伝えに行きます。

   この時に、大来目命の外見が一役買うことになります。

  ②目にアイラインのような入れ墨をしていた大来目命。

   イスケヨリヒメはオオクメの目を見て、不思議に思って歌を歌います。

   「飴色のセキレイ、チドリ、ホオジロのように、
   どうしてあなたは入れ墨をして鋭い目をしているのですか?」

   それに対してオオクメは答えます。

   「娘さんに会いたいと思い、目が裂けるほど見開いて鋭い目をしているのですよ。」

   オオクメの当意即妙の答えが気に入ったイスケヨリヒメ。


  ③神武天皇の求婚を快く受け入れ、三輪山の麓の狭井川の畔で二人は結ばれることになります。
   大神神社に伝わるささゆり伝説(→http://www.narayado.info/oomiwa/oomiwa-shrine.html
   ですが、大来目命(オオクメノミコト)が見事にその橋渡しをしています。

   (http://www.narayado.info/nara/kumenomiagata.html


・・・
         
             *Web:橿原市久米町 久米御縣神社

(1)創建はあきらかではないが、来目(久米)に関わる伝承は『古事記』『日本書紀』も
   神代までさかのぼり、神武東征の伝説に八咫烏やたがらすの導きで大和入りする時に活躍し、

   その功により、「大来目シテ、畝傍山、以西ノ川辺かわのへノ地に居はべラシム、
   今、来目邑と号く。」との記載がある。

(2)『日本書紀』(第十一代天皇)垂仁二十七年記」に「屯倉みやけを来目邑に興す」とみえ、
   久米村の地に王家の米倉がもうけられており、久米氏の祖神として奉斎されたこの神社は
   かなり古い時期にまでたどることができる。

(3)久米氏の退潮により神社も衰えたが、のちに同地に建立された久米寺くめじの寺域の一画に、
   鎮守として天神社(てんじんじゃ)または久米宮(くめみや)が創建された。

   以後、平安時代から江戸時代まで、西座・東座・九月座の宮座が中心となり奉斎されてきた。

(4)明治元年(1868)寺社の混同が厳禁となり、全面的に神社は久米村により奉斎され、
   創建当初の久米御縣神社くめのみあがたじんじゃと改めた。


   (http://www.xhotzone.net/vh/29a/vh16101301.php

             <感謝合掌 平成28年2月19日 頓首再拝>
12:伝統 :

2016/02/20 (Sat) 18:17:10

スレッド「神武天皇(2)」(http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6765219

で、今日の記事で出て来ている「溝咋(みぞくい)神社」へバーチャルで参拝いたしました。

・・・

            *Web:溝咋神社 より

(1)御祭神

   五十鈴媛命(いすずのひめみこと)
   玉櫛媛命(たまくしのひめみこと)

   (相殿)
   溝咋耳命、天日方奇日方命、素盞嗚命、天児屋根命


(2)溝咋神社はもともと、上の宮と下の宮に分かれていましたが、
   現在あるのは下の宮で、上の宮は、安威川を隔てた北側にありました。
   (旧上の宮は、明治42年に現在の社に合祀される)

   日本書紀神武天皇記によると、主神の一人である五十鈴媛命は、
   わが国初代天皇である神武(じんむ)天皇の皇后になられた人と記されています。

   また、玉櫛媛命は五十鈴媛命の母で、
   父は、この三島溝咋耳命(みしまみぞくいみみのみこと)で、広くこの地域を治めていた人です。

(3)元来、溝とは“水”が命であり、耳は“長”を表すことから、
   溝咋耳とは、農業神の意味を持っています。

(4)神社に伝わる「暁の御鏡」は天長年間の旱魃の際に祈雨して霊験のあったことを伝えている。

   (http://www.geocities.jp/engisiki/settu/bun/st060512-01.html

            ・・・

境内社

(1)手力雄神社(境内社/末神)

   祭神:手力雄神(タチカラオノカミ) 力の神

(2)事代主神社(境内社/摂社)

   祭神
   事代主命 (コトシロヌシノミコト) 神武天皇皇后父(えびすさん)
   阿遇突知神 (カクツチノカミ)   火の神
   沖津彦神 (オキツヒコノカミ)    かまどの神
   沖津比賣神 (オキツヒメノカミ)   かまどの神
   弥都波能賣神(ミズバノメノカミ) 水分の神
   波通夜須毘古神(ハニヤスヒコノカミ) 陶磁器の神
   波通夜須毘賣神(ハニヤスヒメノカミ) 陶磁土の神

(3)天照皇大神社(境内社/末神) 

   祭神
   天照皇大神
   猿田彦神
   應神天皇

(4)保食神社(境内社/末社)

   祭神:保食神(ウケモチノカミ) 食物の神

   (http://www.h3.dion.ne.jp/~miyachan/mizokuijinnja.htm

(5)木花開耶姫神社

   祭神:木花開耶姫神、級長戸辺神、市杵嶋姫命、菅原道真

            ・・・

           *Web:エナガ先生の講義メモ より


主祭:玉櫛媛(五十鈴姫の母)、媛蹈鞴五十鈴媛(神武天皇の皇后)
相殿:溝咋耳(五十鈴姫の祖父)、天日方奇日方  (五十鈴姫の兄)

http://blog.livedoor.jp/myacyouen-hitorigoto/archives/38370435.html


            ・・・

古事記と日本書紀の記述

         *Web:溝咋神社(みぞくいじんじゃ)

『古事記』神武天皇段では、
大物主神が勢夜陀多良比売(玉櫛媛)を見染め、丹塗矢に化して比売の陰部を突く。
そして比売は驚いたが、その矢を床に置いたところたちまち壮夫となり、
比売との間に富登多多良伊須須岐比売命(媛蹈鞴五十鈴媛命)が生まれたという。


『日本書紀』神代巻では、
媛蹈鞴五十鈴媛命が大三輪神の子と記すとともに、
事代主神が八尋熊鰐となって三島溝樴姫(玉櫛媛)のもとに通い、
生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の后になったと記す。

『日本書紀』神武天皇即位前庚申年8月16日条にも同様の記載があり、
ここでは玉櫛媛は三島溝橛耳(溝咋耳命)の娘と記されているようです。

http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1480.html

・・・

<参考Web>

(1)ミゾクイ・ミゾクヒ・ミシマミゾクヒ
   http://gejirin.com/src/Mi/mizokui.html

(2)大阪府、隠れパワースポット、溝咋神社
   http://yaplog.jp/nyannmama/archive/70

(3)茨木市 溝咋(みぞくい)神社
   http://blogs.yahoo.co.jp/rsjjr083/27720798.html?_

             <感謝合掌 平成28年2月20日 頓首再拝>
13:伝統 :

2016/09/30 (Fri) 18:15:33


       *Web:ライフスタイルマガジン~神社で過ごす真っ白な時間(2016.7.6)より

(1)「出世の石段」

   江戸時代に愛宕山の下を通った三代将軍・家光公が、
   山頂に咲いている梅をとってこいと家臣に命じたところ、
   曲垣平九郎(まがき へいくろう)という男だけが
   急な石段を恐れず馬でのぼって梅をとり、
   馬術の名人として名を馳せたといわれている。

   そんな故事が、「出世の石段」の由来。

(2)夏江紘美さんの神社参拝

   休日に限らず、仕事前や仕事帰りにも現場近くの神社に寄って
   1時間ほど境内でのんびり座って過ごすのが日課だ。

   「ただ座っているだけなんですけど、真っ白になれる感じがするんです!
   自分にとって生活をリセットする大切な時間ですね」

   *夏江 紘実(かえ ひろみ)プロフィール
    → http://www.sunmusic.org/profile/kae_hiromi.html

(3)今回巡った、夏江紘実さんおすすめの神社はこちら

   愛宕神社
    東京都港区愛宕1-5-3
    社務所受付時間 午前9時~午後5時まで
    駐車場あり:6台
    HP http://www.atago-jinja.com/

・・・

(4)愛宕神社 ヴァーチャル参拝
    → http://www.atago-jinja.com/virtual/

  ①大鳥居
  ②「出世の石段」。別名男坂~かなり勾配がきつい階段です。
  ③一の鳥居

  ④手水舎
  ⑤丹塗りの門~神門~
  ⑥社殿

    【主祭神】火産霊命(ほむすびのみこと)〈火の神〉

    【配祀】 罔象女命(みずはのめのみこと)〈水の神〉
         大山祇命(おおやまづみのみこと)〈山の神〉
         日本武尊(やまとたけるのみこと)〈武徳の神〉
         将軍地蔵尊・普賢大菩薩

  ⑦社殿の少し手前、左側にある「招き石」~この石をなでると福が身につくといいます
  ⑧お賽銭箱

  ⑨社務所

  ⑩境内社

   ・太郎坊社~猿田彦神(天狗様)が祭神。

   ・福寿稲荷社~宇迦御魂神を祭神。

   ・大黒天社~大國主命、事代主命を祭神。

             <感謝合掌 平成28年9月30日 頓首再拝>
14:伝統 :

2016/10/01 (Sat) 18:03:05

今日は10月の月始めとして、やや近くの2つの神社を参拝してまいりました。

そして、家に戻ると、朝のニュースで、
「山田神社」が再建され、遷座祭が催されたとの紹介があり、
映された真新しい社殿にも、ヴァーチャルで参拝いたしました。


  NHKニュースおはよう日本
  2016年10月01日放送回
  戻れないふるさと・神社再建にかける想い
  放送時間: 2016/10/1 06:46 ~

  NHK総合
  福島県南相馬市で東日本大震災の津波で流された「山田神社」の再建が行われた。
  再建された場所は災害危険区域定となり住民が住む事はできない。
   【声の出演】柏瀬利之
   【コメント】田中憲一(山田神社)、森幸彦(山田神社・宮司)

             ・・・

<再建までの関連記事>

(1)再建途上での仮社殿
   http://ameblo.jp/idjericho/entry-12076390181.html
   http://hukushimaniumarete.blog.fc2.com/blog-entry-255.html

(2)熊本の高校生再建支援 南相馬・山田神社、熊本地震義援金募り恩返しへ
   http://this.kiji.is/146421125113480696



御祭神は大年神(おおとしのかみ)。

<参考:大年神>

(1)大年神(おおとしがみ)は素戔嗚神と神大市姫神(大山祇神の娘)との間の子で、
   稲荷神社の御祭神である宇迦之御魂神の兄に当たります。

(2)一般には、竃の神(三宝荒神)の一神ともいわれております。

(3)年末になると子供の御年神(おとしがみ)と共に、
   各家庭を訪れ、祝福をもたらすとされます。

   またその性格から穀神とも考えられています。

(4)本居宣長の『古事記伝』では、「年」は田寄の義であるとし、
   宇迦之御魂神、そして大年神の御子である御年神とともに、
   穀物の守護神であるとされております。

   (http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/ootosi.htm

             <感謝合掌 平成28年10月1日 頓首再拝>
15:伝統 :

2016/10/25 (Tue) 18:47:28


       *Web:時事ドットコムニュース より

京都市を訪問中の天皇、皇后両陛下は10月25日、
下鴨神社(左京区)と上賀茂神社(北区)に参拝された。

両陛下の参拝は、両神社が世界文化遺産に登録された1994年以来、22年ぶり。
 
午前中、滞在先の京都大宮御所から車で下鴨神社に到着した両陛下は、
小雨が降る中、宮司の先導で白砂の敷かれた参道を進み、本殿の前で拝礼。

一度大宮御所に戻った後、午後は上賀茂神社に参拝した。


   *お写真:下鴨神社に参拝する天皇、皇后両陛下=25日午前10時41分、
     → http://www.asahi.com/articles/photo/AS20161025001402.html


               ・・・

【下鴨神社】

 → http://www.shimogamo-jinja.or.jp/

 【ご祭神】

  賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿
  玉依媛命   (たまよりひめのみこと) 東殿

  賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです。
  山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。



 【ご神徳】

  賀茂建角身命は、農耕をひろめ民生の安定につとめられたことによって
  世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除。

  また、『古事記』『日本書紀』には、賀茂建角身命を
  金鵄八咫烏(きんしやたからす)として表わされた御功績が伝えられているとおり、
  導びきの神、勝利の神、方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、
  操業の安全等多方面に御神徳を顕わしておられる。

  御子神、玉依媛命は、『風土記』に御神威が伝えられている。
  婦道の守護神として縁結び、安産、育児等。
  また、水を司られる神として著しい御神徳を発揚せられている。


・・・

【上賀茂神社】

 → http://www.kamigamojinja.jp/


 【ご祭神】

  賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)
  賀茂氏の祖神。
  「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味である。


 【御神徳】

  厄除

  雷(いかづち)の御神威により、
  厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)明神・落雷除・
  電気産業の守護神として広く信仰されています。


  方除

  桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、
  皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められ、
  今日も建築関係等の方除祈願が多くあります。


             <感謝合掌 平成28年10月25日 頓首再拝>
16:伝統 :

2016/11/29 (Tue) 18:29:42


        *Web:産経新聞(2016.11.29)より


伊勢、出雲、諏訪、高千穂、熊野…神々つなぐ「陽のみちしるべ」のナゾ 

伊弉諾神宮(兵庫県淡路市多賀)に「陽のみちしるべ」と記された石碑がある。
春分、秋分の日の太陽が通過する北緯34度27分23秒の緯度線に
伊勢神宮(三重県伊勢市)、伊弉諾神宮、対馬海神神社(長崎県対馬市)が一直線に並び、
冬至、夏至の日の出、日没の方角にも伊弉諾神宮ゆかりの神社が並ぶと説明されている。

伊勢から対馬まで約680キロ。はるか昔、緯度や太陽の運行が分かったとは信じがたい。
このことを“発見”した伊弉諾神宮の本名孝至宮司に「陽のみちしるべ」のナゾを尋ねた。


《夏至は諏訪から出雲、冬至は熊野から高千穂》

各地の神社には伊勢神宮の方角に向かって拝むための「遥拝所」があり、
伊弉諾神宮では真東を向いている。

淡路は昔から伊勢信仰が篤いこともあり、
太陽神の天照大神をまつる伊勢神宮と「何か縁があるのでは」と感じていた本名宮司は、
設計や測量を行っている会社に正確な位置関係の計測を依頼した。

その結果、伊弉諾神宮を中心に東は伊勢神宮内宮、西は対馬の海神神社
が同緯度に並ぶことが分かった。

それだけではなく夏至には諏訪大社(長野県諏訪市など)
の方角から日が昇り、伊弉諾神宮を通過して出雲大社(島根県出雲市)の方角に日が沈み、
冬至には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)から日が昇り、
高千穂神社、天岩戸神社(いずれも宮崎県高千穂町)に日没することが分かった。


《伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行ルート》

「調べた方がビックリした」とは本名宮司。

宮司によれば、春秋分の緯度線に対し、夏至は29・30度、冬至は28・30度と
角度が1度違うが、それも合っているという。

国内には8万以上の神社があり、地図に長い線を引けばどこかで神社にあたるだろうが、
伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行ルート上にこれだけの社格の高い神社が並んでいる
ことを単なる偶然と片付けるのは難しい。

古社の創建年代ははっきりしない。
古事記や日本書紀ではイザナギノミコト、イザナミノミコトが国生みのあと、
伊弉諾神宮に祀られ、その子である天照大神が伊勢の地に遷座したのは
11代垂仁天皇の時代としている。

出雲大社も大国主命が天照大神に国譲りしたあとに創建されたことから、
いずれも伊弉諾神宮よりも後に建てられたことになる。

神話を実際の年代に当てはめるのは無理があるが、
本名宮司は「何もないところから書かれたわけではなく、
日本書紀の最初に国生みが描かれ、淡路が登場することには意味がある」
と伊弉諾神宮の古さを強調する。

記紀の伝承を西暦にあてはめると、伊勢神宮創建は紀元前5年ごろ、
諸説ある研究では5~7世紀とされることが多いようだが、
少なくとも1300年以上前に太陽の運行ルートを知り、
遠く離れた地に宮を建設できたのはいったい誰なのか。


《ピラミッドやストーンヘンジの「知恵」日本でも…》

本名宮司は今年日本遺産に認定された《『古事記』の冒頭を飾る
「国生みの島・淡路」~古代国家を支えた海人(あま)の営み~》にも登場する
「海人」に注目する。

大陸と交流して航海や製塩技術にすぐれ、太陽や星の位置で航海していたであろう海人族。
天文に通じていた可能性は否定できない。

「古代人をバカにしてはいけない。現代人は地図を見てどうやって線を引いたかと考えるが、
方角を決めて狼煙(のろし)をあげて距離を伸ばしていったのかもしれない。
世界にはピラミッドやストーンヘンジなど太陽の運行に合わせたと思われる遺跡が
たくさんある。日本人ができなかったと考える理由はない」と本名宮司は語る。

果たして誰がどうやって何のために巨大な“線”を引いたのか。
「淡路島のナゾ」というよりも、日本史のナゾといえるかもしれない。

  (http://www.sankei.com/west/news/161129/wst1611290019-n1.html )


<参考Web>

(1)神話を訪ねて(第10回) 伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)
   http://www15.plala.or.jp/kojiki/izanagi_jingu/izanagi_jingu.html

(2)パワースポット好き必見!日本最古の神社「伊弊諾神宮(いざなぎじんぐう)」
   https://retrip.jp/articles/27466/

(3)伊弉諾神宮のレイラインー「陽の道しるべ」の由来
   http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=208

             <感謝合掌 平成28年11月29日 頓首再拝>
17:伝統 :

2017/01/24 (Tue) 18:37:30



学問の神様の菅原道真公は、生まれた日(6月25日)も、
大宰府にお移りになった日(1月25日)も、
お亡くなりになった日(2月25日)もすべて25日であることから、
毎月25日は天神様の日として様々な神事が行われます。

明日25日は今年最初の天神様の日(初天神)で、
全国の天神社で天神祭が行われ、大勢の参拝者でにぎわいます。


不遇のうちに亡くなった菅原道真公は死後、
厄災をもたらす荒ぶる神となりましたが、

荒ぶる霊を鎮め、禁裏守護の神として京都に神殿を建立し、
菅原道真公を祀ったのが北野天満宮と天神信仰のはじまりです。

学問・至誠の神として菅原道真公を祀る神社(天満宮、天神社、菅原神社など)は、
全国で稲荷神社、八幡神社に次ぐ数で、その多くは北野天満宮から勧請された
お社(やしろ)です。

初天神の日、お近くの近場の天満宮や天神社にお詣りすると、
1年の災難除けになるとも言われております。

                ・・・

<参考:荒ぶる神~菅原道真の怨霊>

幼い頃から聡明で数々の難関試験に合格し、異例の早さで朝廷の要職につきました。


菅原道真公は、宇多天皇の信頼も厚く、トントン拍子で出世していくことになり、
逆に藤原氏たちからは恨まれていくことになります。

そして道真が右大臣に昇進した後、宇多上皇が出家したことで、
その後ろ盾が無くなった道真は非常に危険な立場になりました。

藤原氏たちの陰謀により無実の罪を着せられ九州大宰府へ左遷させられてしまいます。

宇多上皇は処分の停止を醍醐天皇に訴えようと駆けつけますが藤原菅根が取り次がず、
そのまま左遷の処分が下ることになりました。

もともと健康では無かった道真は左遷された2年後、
再び京都に戻ることなく59年の生涯に幕を閉じることになりました。(903年)

奇怪な現象が起こるのはこれからです。

「北の天神縁起」(北野天満宮の由来が、菅原道真の生涯と深いかかわりをもって
伝えられている巻物。国宝)などによると、道真の死去した数年後のある夏の夜、
道真の霊魂が比叡山の座主・法性房尊意の前に現れて、これから都に出没し、
怨みを復讐ではらす決意を述べ、邪魔をしないようにお願いに来たとのこと。

そしてまずは、菅原道真を追いやった首謀者の一人である中納言・藤原定国
(ふじわらのさだくに)が41歳の若さで急死。(906年)

さらには、醍醐天皇に直訴するため裸足で駆けつけた宇多上皇の行く手を阻んだ
藤原菅根(すがね)が雷に打たれて死亡。(908年)

この頃には菅原道真の祟りだと一様に恐れ始め、左遷に追いやった張本人、
藤原時平は39歳の若さで加持祈祷の甲斐なく病気が悪化し、
菅原道真の祟りに怯えながら狂死してしまいます。(909年)


時平の命を奪ったと噂された道真の霊は、その後ますます激しさを加え、
時平の子孫たちを次々と死に追いやり、遂に醍醐天皇の皇太子の命まで奪うに至ります。

源光(みなもとのひかる)が狩りの最中に底なし沼に乗っていた馬ごとハマって行方不明。(913年)

醍醐天皇の皇子で皇太子でもあった保明親王(やすあきらしんのう)が21歳の若さで急死。(923年)

保明親王の死後、醍醐天皇の皇太子となった慶頼王(よしよりおう・保明親王の子)が
今度は5歳で死亡。(925年)。

保明親王・慶頼王ともに藤原時平と繋がりが深かったことから、
両者の相次ぐ薨去は菅原道真の祟りによるものとの風評が立ちました。

これを受けて醍醐天皇は道真を右大臣に戻し正二位を追贈する詔を発し、
道真追放の詔を破棄することにします。

しかし、なおも、台風・洪水・疫病と災厄は収まりません。


延長8年(930年)6月にはなんと、内裏の清涼殿に落雷が発生する事件が起き、
多数の死傷者が出ます。(清涼殿落雷事件)
 
特に死亡した藤原清貫(きよつら)は、かつて大宰府に左遷された
菅原道真の動向監視を命じられていたこともあり、これはもう、完全に菅原道真の祟りだと、
益々恐れられることになります。

落雷の惨状も凄まじく直撃を受けた清貫は衣服を焼損し胸を裂かれた状態で即死。 

醍醐天皇はこれを見てショックに打たれたのでしょうか、病に臥し、
3ヵ月後寛明親王に譲位、7日後崩御してしまいます。


こうして菅原道真を左遷を企てたもの加担したものは
天皇といえどもその祟りから免れることはできなかったと噂されます。

しかし藤原家では唯一、藤原時平の弟である藤原忠平(ただひら)だけは、
菅原道真に同情の思いを寄せていて、励ましの手紙などを送っていたこともあり、
祟られてはいません。

ライバル達が全滅してしまって藤原忠平はこの後、
摂政・関白となって藤原北家を支えていきます。

忠平は、寛大で慈愛が深かったので、その死を惜しまぬものはなかったといいます。
(『栄花物語』)正に「情けは人の為ならず」ですね。
 
 
これだけ関係者が死亡してしまうと、因果関係がやはりあるのではないかと
思ってしまいますが、菅原道真公自身が実際に呪いの言葉を残した事実はありません。

不運の死を遂げた菅原道真公の祟りに違いないということになっていくのです。

理不尽な処置で人を死に追いやれば、
その怨霊はその罪を犯した人すべてに報復を加えるのだという認識が
当時の人々の間にすっかり定着してしまいました。
 
 
この菅原道真の怨霊を鎮めるために、北野天満宮が建てられ、
御霊、雷神として祀ることになり、その後「学問の神様」として祀られるようになります。

恨みは晴らしたという感じなのでしょうか。

今度は神様として活躍するようになる訳です。


http://tasogarekowai.blog.so-net.ne.jp/2014-07-04 より)

             <感謝合掌 平成29年1月24日 頓首再拝>
18:伝統 :

2017/01/26 (Thu) 18:38:29

御祭神  大山咋神(おほやまくひのかみ)

「古事記」に『大山咋神(おほやまくひのかみ)。
又の名は山末之大主神(やますゑのおほぬしのかみ)。


相殿に鎮まります神々

     国常立神(くにのとこたちのかみ)
     伊弉冉神(いざなみのかみ)
     足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)

御神徳

大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ、
山・水を司り、大地を支配し万物の成長発展・産業万般の生成化育を守護し給う御神徳は
広大無辺です。

近年は厄除け、安産、縁結び、商売繁盛、社運隆昌の神として崇敬されています。

  → http://www.hiejinja.net/about/



末社は、左に「山王稲荷神社」右に「猿田彦神社」「八坂神社」が並びます。

( https://asoview-trip.com/article/7571/ )



まだまだ寒さ厳しい季節ですが、
千代田区永田町の日枝神社の境内の紅梅と白梅は見頃を迎えています。
( → http://akasaka.keizai.biz/headline/2451/ )


             <感謝合掌 平成29年1月26日 頓首再拝>
19:伝統 :

2017/01/27 (Fri) 18:02:53



       *Web:「ジモトのココロ」(2016.11.23)より

鎮座地 島根県松江市玉湯町玉造508
    (旧八束郡玉湯町大字玉造508)

主祭神 櫛明玉神(くしあかるだまのみこと)、大名持神、少毘古那神

配祀神 同社ニ坐ス韓国伊太弓神社 五十猛神


玉作湯神社は、奈良時代の『出雲国風土記』[天平5(733)]に記された古社で、式内社でもある。
ご祭神は、玉作りの神の櫛明玉命、国造りと温泉療法の神 大名持命(大国主命)、
温泉守護の神 少彦名命の3神。

   (http://www.7kamado.net/tamatukuri.html


世界でたったひとつのMyお守りを作ろう!玉作湯神社の楽しみ方5選
 → https://retrip.jp/articles/43257/

願いが叶うと話題の島根「玉作湯神社」は、温泉の神がおもてなし?
 → http://jimococo.mag2.com/chugoku/shimane/matsueshi/13221/2?l=ciu003d3c9


             <感謝合掌 平成29年1月27日 頓首再拝>
20:伝統 :

2017/01/29 (Sun) 19:14:33


葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は後醍醐(ごだいご)天皇の忠臣として
鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社です。

   (http://www.kuzuharaoka.jp/ )


俊基卿自身は、その目で『建武の中興』を見ることなく、悲劇のご最期を迎えられましたが、
明治天皇は俊基卿の足跡を明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、
明治17年勅旨をもって従三位を追贈され、同20年にご最期の地であるここ葛原岡に
俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省よりの下賜金をもって御社殿を造営、
鎮座祭が執り行われました。


以来、鎌倉由比ヶ浜の総鎮守として、
また「建武の中興」への道を開かれたことから「開運の神様」、
また文章博士として優れた能力発揮されたことから「学問の神様」として、
今日でも広く全国各地より篤く崇敬されております。


《俊基卿の辞世》

辞世とは、人が死に際して和歌、漢詩等に思いをこめて詠み残すものです。
『太平記』によれば、俊基卿は最期を迎えるにあたり、
京都より俊基卿の夫人の使いとして鎌倉まで来ていた、従者の後藤助光に辞世を託した、
という場面が描かれております。

京都から鎌倉へ向かわれるとき、天皇の御身を守る為、
我が身を犠牲にする覚悟を決めておられた俊基卿の辞世は、次のようなものでした。


   秋をまたで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらむ

   古来一句 無死無生 万里雲尽 長江水清


意訳

『古来より「死もなく生もない」という言葉がある。

自分も精一杯頑張ったが、残念ながら、万里の果てに雲が尽きる様に、今は万策尽き果て、
この様な結末となったが、理想の為に力尽きたのだから、生や死はもはや問題ではなく、
少しの恨みもない。

今は、長江の水が清らかな如く、自分の心は一点のけがれもなく、さわやかである。』

従者の後藤助光は涙ながらに俊基卿を葬り、再び京都へ上って遺骨と遺髪、
辞世と形見の手紙を夫人に届けました。

その後、夫人は尼となり、助光もまた高野山に入って俊基卿の菩提を弔らわれた、といいます。

    ( http://www.kuzuharaoka.jp/about.html )


明治天皇と後醍醐(ごだいご)天皇、皇子の大塔宮護良親王との繋がりを感じる神社
のように私的には捉えております。


             <感謝合掌 平成29年1月29日 頓首再拝>
21:伝統 :

2017/02/03 (Fri) 19:29:52


烏森神社の御祭神と御神徳

 主神  : 倉稲魂命

 相殿の神: 天鈿女命・瓊々杵尊

1.生命を守り育てる       =主神

2.商売繁盛 商取引成就   =主神

3.一年中の幸福守護      =主神

4.不浄・穢れを祓い清める   =主神

5.家内安全・諸事円満     =相殿の神

6.福貴繁栄          =相殿の神

    (http://karasumorijinja.or.jp/ )

    (http://iwalkedblog.com/?p=8289


由緒

社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、
鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、
白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。

その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、
それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、
秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。

秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、
そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。

https://matome.naver.jp/odai/2136056878658026201

(さらに詳しくは → http://www.tesshow.jp/minato/shrine_shinbashi_karasumori.html )



住所:東京都港区新橋2-15-5
          
最寄り駅:
JR新橋駅 西口・日比谷口より徒歩2分/烏森口より徒歩3分
地下鉄(銀座線・都営浅草線)新橋駅 徒歩2~3分

             <感謝合掌 平成29年2月3日 頓首再拝>
22:伝統 :

2017/02/28 (Tue) 19:29:03

最強の陰陽師・安倍晴明を祀る京都のパワスポ「晴明神社」のご利益

        *Web:MAG2NEWS(2017.02.17)より

《平安時代のスーパースター陰陽師・安倍晴明》

(1)平安時代、月や星の動きなどから読み取る天文現象は
   天からのメッセージとされていました。

   国を治める天皇は、天災などを回避する方法として
   その意味を陰陽師から聞いていたのです。

   陰陽師はいわば権力者に大事な助言をする重要な立場だったのです。
   その陰陽師の中でも歴史上最も有名だったのが、安倍晴明だったのです。

(2)晴明が生きた平安時代には朝廷に陰陽寮(おんみょうりょう)という役所がありました。
   この役所で晴明は役人として働いていたのです。

   天文陰陽博士として星や雲の動きから宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当て、
   天皇に報告するといった仕事をしていたのです。


《晴明神社》

(1)晴明亡き後、邸宅があった場所に晴明神社が建てられました。
   今でも「魔除け」「厄除け」の神社として人気があります。

   清明神社 → https://www.seimeijinja.jp/

(2)晴明神社の境内には五芒星(晴明紋)が描かれた井戸があります。

   この井戸は晴明が霊力によって湧き出すようになり、「晴明水」と呼ばれ
   無病息災にご利益があると伝えられています。

(3)境内には「厄除桃」が置いてあります。
   古来、陰陽道では、桃は魔除け、厄除けの果物といわれてきました。

   参拝者は自分の厄をこの桃に撫で付けて厄を除くというものです。
   「桃太郎」もこれに由来するものです。


   (http://www.mag2.com/p/news/239812 )

             <感謝合掌 平成29年2月28日 頓首再拝>
23:伝統 :

2017/05/31 (Wed) 18:35:07

明日6月1日は、京都貴船神社で、【貴船祭】が催されます。

  京都・賀茂川の源流・貴船川に位置する貴船神社の例祭。
  水に感謝し、五穀豊穣を願う祭で、午前は神事、午後は神輿が出されます。
  
  同社は古来から雨を司る龍神信仰と結びつき、
  雨乞いの際には黒馬を、雨止めの際には白馬を献じたと伝えられています。

            ・・・

(1)貴船神社の創建年代は不明なほど古く、
   1300年前の社伝に御社殿造替の記録が残っているそうです。

   ご祭神は高龗神(たかおかみのかみ)という水の神様。
   古事記や日本書紀にその記述があることからも、
   いにしえより続く由緒正しき御社であることがわかります。

(2)歴代の朝廷からの御尊信も篤く、嵯峨天皇が生馬を捧げて
   雨乞いや雨止みを祈願したことから、絵馬の発祥になったとも言われています。

(3)名前の由来は諸説あります

   「貴船」(きふね)と書きますが、元々は「気生嶺」「気生根」と書かれていました。
   「大地のエネルギー”気”が生じる山・根の場所」という意味です。

   だから、気力がない(気が枯れた”気枯れ(けがれ)”)人にとっては良い!
   ということで、古来から参拝者が絶えない神社でした、


   また、神武天皇(初代天皇)の母:玉依姫が、第18代反正天皇の時代に現れて
   「国の繁栄に水はめっちゃ大事。で、これから船で川を上るから、
   船を止めたところに祠を建てて祀れよな(意訳)」

   と言って建てられたのがこの貴船神社。

   そのときに玉依姫が「黄色い船」に乗っていたので「黄船→貴船」に転じたそうです。


(4)貴船神社で祀られている神様は

   ・本宮:高龗神(たかおかみのかみ)
   ・奥宮:高龗神(たかおかみのかみ)、もしくは闇龗神(くらおかみのかみ)
   ・結社(中宮):磐長姫命(いわながひめのみこと)

   です。

   高龗神と闇龗神は同じ、もしくは一対の神様とも言われており、
   両方共「龍神様」で水を司っています。

   そのため日照りや長雨の年は、
   天皇が生きている馬を捧げて雨乞い・雨止めを祈願しました


   一方、結社の磐長姫命。
   天照大御神の孫で日本人の祖先的な神である「邇邇藝命(ににぎのみこと)」のもとへ、
   妹(木之花咲耶姫:このはなさくやひめ)と一緒に嫁入りしようと思ったら、
   妹はOKだけど自分は断られてしまった(注)・・・という神様です。

   磐長姫命はひどく己を恥じ、
   「だったら、今後はここ(貴船)で他人の良縁成就にはげむわー(泣)(超意訳)」
   ということで、貴船神社で祀られることになったそうです。

   有名女流歌人「和泉式部」も参拝していることから、
   平安時代から既に有名だったそうです。

   ※注:磐長姫命の正体は「(岩のように)長命・永遠」を司る神様なので、
      その後のエピソードとして、長命の磐長姫命をことわった邇邇藝命は
      その恩恵をうけることができず、子孫である我々人間の寿命は
      花のように短くなってしまった…とあります。


    (http://kifunejinja.jp/history.html

<参考>

貴船神社は京都どころか日本最強の神社かもしれない
http://chidori-seitai.com/blog/2015/01/24/2284.html


             <感謝合掌 平成29年5月31日 頓首再拝>
24:伝統 :

2017/09/11 (Mon) 19:16:56


「伊勢に行きたい、伊勢路が見たい、せめて一生に一度でも」

という歌が残されていますように、江戸の頃もお伊勢参りは大変盛んでした。

 
江戸から伊勢までは片道15~20日間の行程で、庶民にとってその旅費は
相当な負担です。旅費は一家の生活費の1年分にも相当しましたが、有志の者
でお金を出し合い、順番に伊勢神宮に参拝する「請(こう)」という仕組みが
あったため、当時でも多くの人がお伊勢参りに行くことができました。

 
それでも伊勢神宮まで参拝に行けない人は、
芝大神宮(東京都港区)に参拝しました。

芝大神宮は、伊勢神宮の内外両宮の主祭神(天照皇大御神と豊受大御神)を
祀ることから 「関東のお伊勢様」とも尊称される由緒ある神社です。

 
そんな芝大神宮の例大祭が本日から始まりました。
17日には神輿の渡御が行われ、21日まで続きます。(日本一長い 例大祭)

 
昔は同宮の周辺が一面の生姜畑で、例大祭の時には参道や境内に生姜売りの
屋台が並んだことから、例大祭は「しょうが市」とも呼ばれます。

 
また、関東周辺で伊勢神宮まで行けない参拝客を一手に引き受けていたため
参拝客がいつまでも途切れることなく続いたことから、あるいは各種神事が
長期間続いたことから「だらだら祭り」との別名もあります。

 
講談や歌舞伎の演目にもなった町火消し「め組」の鳶職と江戸相撲の力士たちの
乱闘事件、いわゆる「め組の喧嘩」は芝大神宮の境内での騒ぎが発端と
なっています。

 
ちなみに、同宮では白と黒のオリジナルの御守り「商い守」を販売しています。

白い御守りは「白星、土つかず」、黒い生地の御守りは「黒字」を表すとして
営業職に人気だそうです。


<参考Web>

(1)芝大神宮 由緒
   http://www.shibadaijingu.com/html/goyuisyo.html

(2)だらだら祭り
   https://hatena-style.com/4373.html

(3)錦絵
   http://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/shibadaijingu/

(4)「商い守」「め組の喧嘩」
   http://www.d-laboweb.jp/special/sp360/

             <感謝合掌 平成29年9月11日 頓首再拝>
25:伝統 :

2017/09/22 (Fri) 20:12:17

《天皇・皇后両陛下、私的旅行で埼玉へ 渡来人ゆかりの神社を初参拝》

      *Web:毎日新聞、朝日新聞(平成29年9月20日)より

天皇、皇后両陛下は20日、私的な旅行で埼玉県を訪れた。
2013年に始まった私的旅行は今回で8回目。

朝鮮半島からの渡来人ゆかりの地として知られる
高麗(こま)神社(日高市)を初めて参拝した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170920-00000067-mai-soci


<参考Web>

(1)「高麗神社」HP
   → http://www.komajinja.or.jp/

(2)高麗神社のご利益
   → http://ookuni.info/11_saitama/005.php

(2)「高麗神社」の出世・開運実績
   → http://guide.travel.co.jp/article/13252/


<参考:「天皇生前退位と神国・日本の秘密」中丸 薫・著(P133~134)より>

西暦2世紀半ごろ、多くの高句麗人が日本海を横断して日本列島に至り、
定住しています。さらに、4世紀になると、北アジアの騎馬民族が
高句麗と新羅を征服します。

騎馬民族の支配者が、高句麗人の兵力をともない、新鋭の武器と馬によって
日本海沿岸から列島に侵入しました。

『日本書記』に
「高麗(こま)の使人(つかい)・・・越(こし)の岸(ほとり)に到れり」
とある「越」は新潟や能登半島のことで、高句麗人は北九州経由ではなく、
日本海を渡ってきたことを示すものです。

新興の騎馬民族と高句麗人は半島や沿海州から日本海を横断して列島に入り、
今日の岐阜県・長野県・山梨県などに強固な基盤を築くに至ったのです。

波状的に到来した高句麗勢力は、668年に高句麗自体が唐・新羅祇連合軍に
滅ぼされた後も日本に数多く残り、西日本とは異なる東国文化圏を形成
したのです。

高句麗人との関係がとりわけ深いのが長野県で、
駒ヶ岳の「駒」は、高麗(こま)のことです。

武蔵の国に置かれた「高麗郡(こまのこおり)」は、高句麗から亡命した
貴族や要人とその家族1800人が、信濃から移されてできた場所です。

               ・・・

*(「高麗郡(こまのこおり)」に入植した人々が、後に「高麗神社」を創建します)

             <感謝合掌 平成29年9月22日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/05/31 (Thu) 18:55:28


     *「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」八木龍平・著(P33~34)より

(1) 住所・氏名を伝える

   「私が誰であるのか? 」を最初にお伝えします。

   この「個人の特定」は、神さまにとっては重要です。

   たとえば、「家族の無事」を神様に祈ったとします。

   でも一言に「家族の無事」と言っても神様には誰の家族のことなのかわかりません。

   だから、私が誰であるのかと住所と氏名を
   神さまにお伝えしましょう。

   名乗るのは神さまへの礼儀でもあります。


(2)神社にお参りできたことへの感謝を伝え、願い事を一言お伝えする

   「参拝させていただき、感謝申し上げます」 などと感謝を伝、
   願いごとを伝えます。

   あれもこれもとお願いするのではなく、ひとつだけです。


(3)祝詞(のりと)とよばれる神道の祈りの言葉を唱える

   「はらいたまえ きよめたまえ かむながら まもりたまえ さきわえたまえ」

   この祝詞は、おさいせん箱の横や後ろに、よく書かれています。

   意味は

   「罪・けがれをとりのぞいてください。神さま、どうぞお守りお導きください」

   です。

   さらに短く「はらいたまえ、きよめたまえ」だけでもよいでしょう。



これが祈りのキホン構造です。

順番は前後してもよいです。自然にお伝えください。

この祝詞を唱えると、神さまがあなたに入れるスキマを自動的につくってくれます。

祝詞は神さまが入れるスミマをつくるスイッチなのです。


・・・

(以下は、Web「KOYOMI_Tsubo[Jun-1] 2018 」より)

 6月1日、京都市の北部、賀茂川の源流・貴船川沿いにある貴船神社で、
 水に感謝して、雨(水)に左右される農業の五穀豊穣を願う例祭「貴船祭」
 が行われます。

 当日は本宮での神事からスタートし、奥宮で子供たちが神石「船形石」の
 千度詣りを行った後、スサノオのヤマタノオロチ退治神話を再現した
 出雲神楽が奉納されます。

 水神を祀ることから、古くから雨乞いの神として信仰されてきた貴船神社。
 最近では縁結びのパワースポットとしても有名です。

 そして、貴船神社でもうひとつ有名なものが「丑の刻(うしのこく)参り」。
 そう、丑の刻(午前2時前後)に神社の木に五寸釘で藁人形を打ち付けて、
 相手を呪い殺そうとするアレです。

 貴船神社の丑の刻参りの原型のひとつとなったのが、
 『平家物語』の異本で描かれた「宇治の橋姫」。

 恨みを抱いた娘が、貴船神社に7日間籠って得た神託に従い、
 宇治川に21日間浸かって鬼になる話です。

 これが貴船神社の神託で男を恨む鬼となった女を安倍清明が鎮めるストーリーの
 謡曲『鉄輪』へと姿を変え、貴船=丑の刻参りのイメージが定着しました。


 ただし、もし実際に丑の刻参りをするとなると、白装束を着て、顔に白粉を塗り、
 頭に五徳を逆さにかぶって、そこに3本のロウソクを立てて火をつけ、
 一本歯の下駄を履き、胸には鏡を吊るすというコスプレが必須。

 これで7夜連続、人に見られず木に藁人形を打ち付ける必要があるって、
 ちょっとハードル高すぎです・・・(笑)

               ・・・

 *貴船神社のご祭神等については、本スレッド内「貴船神社 - 2017/05/31」
  にて確認ができます。

             <感謝合掌 平成30年5月31日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/06/20 (Wed) 18:23:29

(1)ご祭神

   猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)

   宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)

   綿津見大神(わたつみのおおかみ)竜宮社

   (http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/

(2)伊勢神宮の前に済ませたい「浜参宮」

   → https://www.travel.co.jp/guide/article/3866/

(3)二見興玉神社~お伊勢参りの禊ぎの場

   二見興玉神社~『夫婦岩』で有名!お伊勢参りの禊ぎの場
   → https://kimagurefamily.com/futamiokitamajinja/

(4)夏至祭
   → http://ii-nippon.net/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A5%AD/79.html

             <感謝合掌 平成30年6月20日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/12/05 (Wed) 18:54:20


         *Web:毎日新聞(2018.12.03)より

「映える」ご神木で復活 女性・若者を意識 境内にカフェも 熱海・来宮神社

国内有数の温泉地・静岡県熱海市にある来宮(きのみや)神社の参拝者が急増している。
ご神木となっている樹齢2000年以上の大楠(おおくす)で知られるが、
熱海への観光客が減った時期もあり、一時は運営難に陥った。

(来宮神社~http://kinomiya.or.jp/top/top.html

しかし、2017年度の参拝者数は約68万8000人と、
08年度(約15万7000人)の約4倍に伸びた。

約7割は20~40代で、若い世代にも人気という。その理由とは――。

「トトロの世界みたい」「すごい」。
草木のトンネルのような参道を抜け、高さ26メートルの大楠が現れると、
女性たちが歓声を上げた。



本殿近くのオープンカフェで参拝者がお茶を楽しみ、
お札場には独自に開発したクスノキベースのアロマの香りが漂う。

大楠や鳥居などの近くにはスマートフォンを置いて
「自撮り」や記念撮影ができる台を設け、「インスタ映え」も意識した。


「伝統や由緒を後世につなぐための進化」。
20代目宮司の雨宮盛克(もりかつ)さん(49)はこう話す。

バブル崩壊後は熱海への観光客が減少。
参拝客も少なくなり、社殿は老朽化で雨漏りなどに悩まされるように。

雨宮さんが宮司に就任した12年ごろも運営状態は苦しかった。
「厳粛な雰囲気を残しながら、『訪れたい』と思ってもらえる空間にしよう」
と雨宮さんは建て替えを決意。「

祭事や神事など変えてはいけない部分を大切にし、何が変えられるかを考えた」
と振り返る。

雨宮さんは「神社は心も体も再生できる場所。
多くの人が神社との関係が希薄になっている今だからこそ、
魅力を幅広い世代に発信できるチャンス」と話す。


              ・・・

愛知県犬山市の三光稲荷神社は12年に始めたハート形の絵馬が人気を呼び、
女性の参拝客が急増した。

水谷守宮司は「社殿の修繕などには多額の資金が必要で、
ある程度は自立した運営ができないと厳しい時代だ」と指摘する。

(三光稲荷神社
https://matome.naver.jp/odai/2148308252228586001 )

              ・・・

奈良県御所市の葛木御歳(かつらぎみとし)神社は
インターネットを活用した情報発信に力を入れており、
15年にはクラウドファンディングで資金を募り、
隣接する空き家を改修して、カフェ兼サロンをオープンさせた。

(葛木御歳神社
http://www.mitoshijinja.jp/yuisyo.htm )

             <感謝合掌 平成30年12月5日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/12/30 (Sun) 17:26:59


        *Web:朝日新聞(2018.12.29)

来年の干支(えと)、亥(い)をかたどった「ジャンボ干支」が29日、
津市美里町の辰水(たつみず)神社に奉納された。

1986年から毎年、地元有志でつくる「ふるさと愛好会」が地域振興のために制作。
鉄骨と発泡スチロールで作られたイノシシは全長4メートル、高さ2・3メートルで、
重さは約200キロ。

子どもたちにひかれて集落を練り歩いた後、「干支潜り門」として
神社の鳥居の前に設置された。2月いっぱい見られるという。(戸村登)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181229-00000028-asahi-soci.view-000

・・・

辰水(たつみず)神社

辰水神社(たつみずじんじゃ)は、三重県津市美里町家所にある神社。
近代社格では村社。

毎年12月29日から2月11日まで「干支潜り門」として、
その年々の干支を潜り抜けることにより
「家族円満、万民和楽、五穀豊穣」を願って行われる。

その年の干支を農業後継者達が次々と完成させ、山村の文化振興と地域活性のため、
また地域のシンボルとして、参拝者に期待され好評を博している。

子どもたちが町内1.5キロをジャンボ干支を引いて練り歩く。
恒例行事として定着している。

毎年1月1日にはその「ジャンボ干支」前で、
美里龍神太鼓が新春初打ちを行うことも定番になっている。


奉納動画 
https://www.asahi.com/video/articles/ASLDY4H4NLDYOQIP00W.html?iref=com_video_02


《ご祭神》

御祭神は下記の通り、極めて多い。
様々な神社を合祀した結果だと考えられる。

鵜草葦不合尊・多紀理毘売命・多岐都比売命
市寸嶋比売命・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
天之菩比能命・天津日子根命・活津日子根命
熊野久須毘命・大山津見命・須佐之男命
火之迦具土命・菅原道真公・大日霊貴命
木之花佐久夜比売命・品陀和気命
彦火火出見命・八衢比古命・八衢比売命
鳥之石楠舩命・天児屋根命・宇気持命
大山並命(三座)・猿田彦之命
伊邪那岐命・伊邪那美命・大国主之命
埴山姫命・天熊人之命・稚産霊之命

http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1065299563.html



《由緒》については、次のWebにあります。
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63313

             <感謝合掌 平成30年12月30日 頓首再拝>
30:伝統 :

2019/01/02 (Wed) 18:42:27


      *Web:読売オンライン(2019.01.01)より

新年を迎えた1日、北海道地震の被害が大きかったむかわ町の鵡川神社には、
町民らが次々と初詣に訪れ、一日も早い復興と災厄のない一年を祈った。

 
鵡川神社の本殿は、地震の影響で外壁がはがれ落ちたり柱が傾いたりして、
復旧のめどは立っていない。

町民から「初詣はできるのか」といった声が届いていたが、
ご神体を社務所の玄関に移して、初詣客を受け入れた。

宮司の三上剛さん(46)は「形はどうあれ、初詣客を迎えることができてうれしい。
早く再建して、また町民の心のよりどころにしたい」と話していた。

   (https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/region/20190101-567-OYT1T50069.html

・・・

鵡川神社 (むかわ町)

【祭神】

天照大神(あまてらすおおかみ)

大己貴大神(おおなむちのおおかみ)

少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)

天ノ御中主大神(あめのみなかのぬしおおかみ)

  (http://www.hokkaidojinjacho.jp/data/12/12024.html

             <感謝合掌 平成31年1月2日 頓首再拝>
31:伝統 :

2019/01/04 (Fri) 17:34:12



住所

滋賀県蒲生郡日野町村井705
0748-52-0131


●御祭神
天穂日命(あめのほひのみこと)
天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)
武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)

御由緒
 
当社の起こりは神武天皇の御代、近江日野の東方に気高く聳える「綿向山」に
出雲国開拓の祖神を迎え祀り、欽明天皇6年(545)その頂上に祠を建てたのが
始りと伝える。

その後、平安時代の初期延暦15年(796)に里宮として現在の地に遷し祀られたという。
以来、延喜式神名帳にもその名が見え、蒲生上郡の総社、日野の大宮として、
何時の時代も当地の産土神として人々の信仰の中心となってきた。

殊に鎌倉時代から安土桃山時代にかけて、この地の領主であった蒲生氏一族は
氏神として当社を尊び庇護し、更に江戸時代に全国に名をはせた近江商人の中の
日野商人達の財力に支えられ、出世開運の神として崇敬が集められた。

明治9年郷社、同42年県社に列せられ、
そして今の世も氏子人等の心の拠り処と崇め親しまれている。
 
その始めを嘉応2年(1170)とする春季例大祭(5月2~4日)は日野祭と称し、
3人の神稚児や3社の神輿、16基の曳山車を中心に、
古式ゆかしく絢爛豪華に繰り広げられる祭礼は県下にも有名で、
県の無形民俗文化財に指定されている。
 
なお、綿向山山頂(標高1110m)に祀る奥之宮(大嵩神社)は古来より
20年毎に社殿を建て替える式年遷宮の祭事が、今も絶えることなく続けられている。


《イノシシが神使い》

土地の豪族が狩りの折、猪の足跡に導かれて山頂に導かれ、
綿向大神の御託宣を受けたのが神社のはじまりといわれ、
猪が綿向大神のお使いとされています。

境内には奉納された大猪像も。


http://www.ex.biwa.ne.jp/~j-watamuki/


猪と綿向神社(案内板より要約)

社伝によると、欽明天皇6年(545)蒲生野の豪族二人が、
綿向山麓に狩りに来ていたが、4月〈新暦の5月)だというのに吹雪となり、
岩陰で休んでいるとやがて雪は止んだ。

外に出たところ大きな「猪」の足跡を見つけ、その足跡を追って行くと
山頂に導かれ、綿向大神(天穂日命)の化身である白髪の老人から
「この山頂に祠を建てて私を祀れ」とのご託宣があった。

ご神託に従い、山頂にご社殿を建てて祀った。

平安時代初期に里宮(現在地)に遷祀したが、以降、このお宮を、
当神社の奥宮として20年毎に社殿を造り替えて(式年遷宮)きた。

この謂れをもって、「猪」が綿向大神のお使いとされている。



<参考Web>

威風堂々とした社!馬見岡綿向神社は、力強い開運の守護神様。滋賀県
https://ameblo.jp/tomo-chupi/entry-12377628692.html

             <感謝合掌 平成31年1月4日 頓首再拝>
32:伝統 :

2019/01/05 (Sat) 20:38:33


(昨日の、NHKのニュースで紹介がありました)


【ご祭神】

主祭神

   和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)
   和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)

配 祀
   藤原百川公命(ふじわらのももかわこうのみこと)
   路豊永卿命(みちのとよながきょうのみこと)


【御由緒】

護王神社は京都御所の西側、烏丸通に沿いに鎮座する神社で、
平安京の建都に貢献された和気清麻呂公(わけのきよまろこう)をお祀りしています。

確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に
清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。

 
江戸時代末の嘉永4年(1851)、孝明天皇は清麻呂公の歴史的功績を讃えて
正一位護王大明神の神階神号を授けられ、明治7年(1874)には「護王神社」と
改称して別格官幣社に列せられました。

明治19年(1866)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった
京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。

後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。

 
その後、崇敬者により境内の霊猪像(狛いのしし)が奉納され、
「いのしし神社」とも呼ばれ親しまれています。


【和気清麻呂といのしし】

奈良時代・称徳天皇の御代のこと。
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)という僧が法王となって絶大な権力を振るっていました。

やがて道鏡は、天皇の位も奪おうと考え、「『道鏡を天皇にすれば天下は平和に治まる』
と宇佐八幡よりご神託(神様のお告げ)があった」と天皇にウソを言います。
 
天皇は、ご神託が本当なのか迷いました。

そこで、和気清麻呂公を呼び、九州の宇佐八幡へ行って確かめてくるよう命じました。
清麻呂公は宇佐八幡へおもむき、ご神前に出て「真意をお教えください」と叫びました。

すると、光り輝く宇佐の大神が現れ、

「天皇の後継者には必ず皇族のものを立てなさい。
道鏡のような無道の者は早く追放してしまいなさい」

とご神託を下されました。

清麻呂公は都へ戻り、大神のご神託を天皇に報告しました。

野望をくじかれた道鏡は激しく怒り、清麻呂公の足の腱を切った上、
大隅国(鹿児島県)への流罪(るざい)としてしまいます。
さらには、大隅国へ向かう清麻呂公を襲わせるために刺客を放ちました。
 
足の腱を切られ、立つことすらできなくなった清麻呂公ですが、
皇室を守った大神に感謝するため、宇佐八幡へ立ち寄ることにしました。

そして、一行が豊前国(福岡県東部)に至ると、
どこからか三百頭ものいのししが現れました。

いのししたちは清麻呂公の輿(こし=乗り物)の周りを囲み、
道鏡の刺客たちから守りながら、十里(約40km)の道のりを案内してくれたのです。

清麻呂公が宇佐八幡での参拝を終えると、いのししたちはどこかへ去っていきました。
不思議なことに、清麻呂公の足の痛みは治り、再び歩けるようになっていました。


1年後、称徳天皇の崩御(ほうぎょ=亡くなること)によって、
道鏡は関東へ左遷(させん)されます。

都へ呼び戻された清麻呂公は、時の天皇の信頼を得て活躍し、
晩年まで世のため人のために尽くしました。
 
清麻呂公の立派な人柄と、彼を守ったいのししのお話は、
後世まで語り継がれることとなりました。

清麻呂公を祀る護王神社には、狛犬の代わりに狛イノシシが建てられ、
今も清麻呂公を護り続けています。

    ( http://www.gooujinja.or.jp/ )

             <感謝合掌 平成31年1月5日 頓首再拝>
33:伝統 :

2019/01/06 (Sun) 19:01:12


(1)深川初ゑびす七福神行列~招福 七福神と初笑い

   1月5日の初ゑびすの日に、深川神社周辺の地元商店街主催で、
   より良い1年を祈願し、七福神行列を行います。

   七福神が各商店街から深川神社に向かって「初笑い」を行い、
   一緒に大きな声で笑うと福を招きいれると言われています。
   七福神役は、毎年一般から募集します。
 
     ( 瀬戸の深川神社 HPより)

   平成31年

   七福神と初笑い、明るい一年祈願 愛知・瀬戸の深川神社
   
   https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190105001505.html?ref=yahoo

   https://www.asahi.com/articles/ASM154R7JM15OQIP008.html?ref=yahoo

   愛知県瀬戸市で5日、七福神たちが市内を練り歩いた。
   市内の深川神社の初えびすに合わせ、地元商店街が毎年催している。

   七福神に扮したのは「ミスせともの」の3人と、公募に応じた市民4人。
   深川神社の境内に姿を現すと、参拝客らと初笑いをして明るい一年を祈願した。

   その後は商店街へ移動し、財布に入れるとお金に縁ができるとされる
   「福銭」を配ったほか、記念撮影にも気軽に応じていた。

(2)愛知・瀬戸の深川神社

   ご祭神

   五男三女神 天照皇大神の八人の御子

   天之忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)
   天之菩卑能命 (あめのほひのみこと)
   天津日子根命 (あまつひこねのみこと)
   活津日子根命 (いくつひこねのみこと)
   能野久須毘命 (くまぬくすびのみこと)
   多紀理毘売命 (たぎりひめのみこと)
   多岐都比売命 (たぎつひめのみこと)
   市寸嶋比売命 (いちきしまひめのみこと)

 
    アマテラスとスサノオとの間で交わされた誓約
   (事の吉凶、是非などを神意に伺う行為)で生まれた五男三女神。

   ( http://seto-fukagawashrine.com/# )


             <感謝合掌 平成31年1月6日 頓首再拝>
34:伝統 :

2019/01/07 (Mon) 19:20:01


(1)猪子石神社(いのこしじんじゃ)

   この神社は非常に小さい神社ですが、
   この神社がある地域の昔の名前の
   猪子石(いのこし)村の由来になった、猪子石という石があります。

   この石はなめらかな形をしており、
   そのカーブの形状が猪の背に似ていることから
   猪子石と呼ばれるようになったそうです。

   この石は別名、牡石(おいし)とも呼ばれ、
   猿田彦大神を祀っているそうです。

   しかし、この牡石に触ると祟りがあるとされるので、
   お賽銭を入れて拝むだけにしておきましょう。

   ちなみに、この牡石の対になる牝石(めいし)を祀っている
   大石神社が近くにあります。

   そちらは安産の御利益があるとされ、
   子宝を授かりたい新婚さんや妊婦さんに向いています。

   なお、冒頭でも書きましたが、
   猪子石神社は非常に小さい神社で、
   駐車場は無く、社も存在しません。

   どうやら、石を祀っているだけのようです。

   参拝するなら、猪子石神明社に行くといいでしょう。

   <住所>愛知県名古屋市名東区香坂515番地


   http://www7b.biglobe.ne.jp/kanaregawa/inokoisijinnjya.html

   http://www7b.biglobe.ne.jp/~sisekiannnai/inokoishijinnjya.html

   https://jouhou.nagoya/inokoshi-jinja/


(2)大石神社 (おおいしじんじゃ)

   猪子石公園のすぐ隣(北西)にある、とても小さな神社です。

   この神社も猪子石神社と同じく、
   石を祀っているだけで社がありません。

   この神社に祀られている石は牝石(めいし)と呼ばれ、
   先ほど紹介した猪子石神社の牡石と対になっており、
   猿田彦大神の妻である天宇受賣命(アメノウズメ)を祀っているとされています。

   この牝石には小さな石がいくつも付いており、
   それ故に、子宝に恵まれるとされ、安産の御利益があるとされています。

   なお、冒頭でも書きましたが、
   大石神社は非常に小さい神社で、駐車場は無く、社も存在しません。

   参拝するなら、猪子石神明社に行くといいでしょう。

   <住所>愛知県名古屋市名東区山の手1丁目707

   https://ganbarustars.info/nandemo/archives/1073


(3)猪子石神明社(いのこいししんめいしゃ)

   猪子石と書いて“いのこいし”と読む神社です。
   地元では、猪子石を“いのこし”とも呼んでいます。

   平安時代初期から続く、歴史が深い由緒ある神社です。

   元々は、神明社の南にある香流川のすぐ近くにあったそうですが、
   香流川が幾度も氾濫したため、江戸時代初期(1622年)に
   現在の場所へ遷座されたそうです。


   猪は神の化身であり、
   その猪に因んだご利益(足腰守護・子孫繁栄)などがあるそうです。

   そのため、干支が亥年の年は、
   参拝客が大勢訪れます。

   なお、御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)で、

   須佐之男命(スサノオノミコト)
   菊理姫命(ククリヒメノミコト)
   日本武尊命(ヤマトタケルノミコト)
   豊受大神(トヨウケノオオカミ)
   大山祇命(オオヤマヅミノミコト)
   の五柱を合祀しているそうです。

   <御利益>子孫繁栄・五穀豊穣・足腰守護・耳の守護
   <住所>愛知県名古屋市名東区神月町602番地
   <TEL>052-771-3244
   <HP>https://inokoishishin.jimdo.com/


   猪子石(いのこいし)神明社
   https://letuce.at.webry.info/201812/article_4.html


・・・
<参考Web:香流川歴史散歩
       → http://www7b.biglobe.ne.jp/kanaregawa/index.html >

             <感謝合掌 平成31年1月7日 頓首再拝>
35:伝統 :

2019/11/11 (Mon) 04:34:36


   内原町鎮座の有賀神社のご神霊を迎えて行なう秋の大祭、
   当神社の特殊神事です。

   当地にはこの祭に関するおもしろい話が伝えられています。
   有賀さん(有賀神社)は大洗さまの側室の娘さんで、
   気立てがよく1年に1度親孝行のためにおみやげをたんと持って
   大洗に里帰りしてくるというのです。
 
   有賀の里を朝6時にご出立、水戸市内各所のお旅所をご巡幸して、
   午前11時に法螺貝を吹き鳴らしてお越しになります。

   御神前には有賀の里の米・柚子・里芋をお供えし、
   大洗の海で獲れた海の幸(鯛・鰯)をお返しします。
 
   昔から子供の虫切り・虫封じに霊験があるといわれ、
   わが子の健やかな成長を願う赤ちゃんや小さいお子さんを抱いた人々で
   賑わいます。

   http://oarai-isosakijinja.or.jp/matsuri/1111.html


茨城県にある最強パワースポット…大洗磯前神社
https://uratte.jp/posts/oaraiisosakijinjya-powerspot


参拝
http://energycounselor.jp/jinjya-oaraiisosakijinjya/


有賀祭 -2019年-
https://matsuri-no-hi.com/matsuri/18890

有賀神社の「お磯下り」
https://www.youtube.com/watch?v=asviyDK_tlY


こんなWebもあります。

▼パワースポット映像でエネルギー送信中
https://forestpubafc.net/ad/14775/1020958/

             <感謝合掌 令和元年11月11日 頓首再拝>
36:gzyxqjrxyj:

2020/08/29 (Sat) 03:51:16

伝統板・第二
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gzyxqjrxyj http://www.g85nx46xq116414a7s3zkagg14c84drfs.org/
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