伝統板・第二

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「運命の神秘」 - 伝統

2015/09/21 (Mon) 04:57:16

谷口雅春尊師特別御講話「生命の實相講義」第二集第一巻を拝聴して、
谷口雅春先生は、「運命の神秘」と題して、「生命の實相:第一巻實相篇
第4章 心の世界における運命の形成」をもとにご講話をされております。

そこで、このスレッドでは、「心の世界における運命の形成」を中心に、
「運命の神秘」に関する情報を紹介してまいります。

       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P113~118)より
         

第4章 心の世界における運命の形成

運命のケミカライゼーションという話がでましたので、
ここにちょっとわれわれの運命は「心の世界」でいかにして形成され、
現実界へいかにして出現するかの問題をのべておきたいと思います。

昭和5年11月14日午後零時半のことでした。

私は用事があって私の先輩、今井楳軒氏を神戸に訪ねたのでした。
その日の午前9時浜口首相は東京駅において愛国社の某青年のためピストルにて狙撃され
腹部に重傷を負うたというので、往来はその号外でにぎわっていました。

わたしは今井楳軒氏にお目にかかると、
すぐ「浜口首相は大変な目に会いましたね」といったものです。

今井氏は「実に人間の運命は不思議で、感慨ぶかいものがある。
それで今ある人に手紙を書こうと思っていたのだ」といってわたしに話しだされた
ところによりますと、田中前首相がとつぜん急死された時、

今井楳軒氏はある霊媒を使って、ある霊界の霊人よりその後の政界の推移について
聞かれたそうで、そのさいの霊告によれば、浜口首相の運命だって平和ではない、
不慮の危害を加えられる恐れがある。

その時期は昭和5年の秋の終りか冬の初めということだったそうであります。

こういう予言はみだりに他人に口外すべき性質のものではないので
今井氏は他の人には少しも口外せられませんでしたが、
王子製紙株式会社の取締役堀越寿助氏にだけはこの予言をあらかじめ話しておかれたので、
堀越氏も今ごろその事を思い出して感慨深いものがあろうとのことでした。

堀越寿助氏は『生長の家』の誌友であられましたが、浜口首相の令甥水口出世氏が
王子製紙淀川工場長をしていられた関係上、水口氏と親しい間柄でありますので
今井楳軒氏は堀越寿助氏にだけ、その当時すでにこの予言を発表しておかれたのでありまして、

この事実によって田中前首相逝去の当時すでに霊界では浜口首相が何者かに
狙撃されるということが明らかになつていたという生きた証人があるわけであります。

 
予言の的中した実例は、他にいくらもあるのであります。

ここにも欧州大戦の予言的霊告の実例を挙げることにいたします。
この時使われた霊媒はレイヌというフランスの一少女、立ち会い人たる審霊者は
コルニリエというフランスの画家、霊告者はヴェッテリニという霊人であります。

それは1913年2月14日の降霊会にあらわれた霊示であって
欧州大戦は1914年に始まったのでありますから約1年半前の霊示であります。

次に掲ぐるはその当時のコルニリエ氏の手記であります。

「1913年2月14日。午後3時。われわれはテーブルにあい対してすわった。
長時間霊媒の休養の後なのでテーブルは激しく、猛烈な運動を始めた。
レイヌは大喜びだ。
彼女は今までこんな激しいテーブルの運動を見たことはなかったのである。

午後4時、われわれは小さな暗室にはいった。
採光はほとんど理想的というほどの暗さである。

赤いランプをともしておく。
自分は正式に順序をふんだレイヌを遊魂状態に導く。
ばんじ都合よくゆくらしい。

レイヌはすぐに深い遊魂状態にはいる。
例のように体温が冷たくなってくる。

自分は彼女の椅子の周囲をまわりながら霊的流動体を送り
彼女の霊が完全に肉体から遊離するように命令を繰り返す。

突然、彼女は身体をのけぞらして驚いたように両腕をひろげた。
何か恐怖すべき光景を見たかのような所作である。

赤いランプと、かすかにさしこむ昼間の光で
自分は彼女の身ぶりと表情とを読むことができた。
彼女は恐怖にみちた金切り声で叫びだした。

「ア・・・ア!・・・大変です、大変です。恐ろしい光景です!
・・・まあ、ごらんなさい、みんな戦っています。

軍人、騎馬の軍人 ―― オオ、なんという恐ろしい戦いでしょう!
・・・血、どこもかしこも、そして火の海です! オオ恐ろしい、恐ろしい皆殺し!
なんという虐殺・・・どこもかしこも死骸だらけです。

数千の死体、数千の怪我人。四方八方火の海です ―― 死と火とばかり。市街は崩壊しています!
・・・天井からも炎、大空からも弾丸が降って来ます!
・・・アア・・・たくさんの軍人が列車に乗っています。

戦場へ行く軍人です。
・・・ああ、このたくさんの馬・・・数千の馬が列車に積み込まれます。
列車・・・列車・・・数限りがない、数えきれません・・・。

どの列車も軍人ばかりです・・・みんな殺しに行くのです。・・・いたるところ、炎の海です! 
森といわず、町といわず、国中荒れ果てています・・・殺人と劫掠とのほかには何もありません。
オオ、なんと恐怖すべき光景! なんと恐怖すべき光景! オオ・・・オオ・・・オオ!・・・」

こういうと少女レイヌは椅子の後に身体をドシンともたらせた。
恐怖すべき光景を見せられたので烈しい息をしてあえいでいるのだ。
彼女の縮めた手は、私を探しているかと思うと、自分の眼をおおった。

しかし、恐るべき光景はなんの容赦もなしに彼女の前に展開するもののようだ。

時々、彼女は自身の叫び声を止めて、眼の前に展開する光景を説明する。
彼女の説明では、実際それは活動写真のように見えるらしい。

「眼路(めじ)のとどく限り、戦争がつづいています・・・地上全部、空まで、
砲煙弾雨・・・すべては殺戮(さつりく)と破壊です。それはフランスだけではありません、
ヨーロッパ全土です。・・・フランスは長い間戦争に参加しませんが、ついに参戦します
・・・それは避けがたいのです・・・」

霊示の光景はまた変わる。また別の恐ろしい光景、いな、いっそう凄惨な光景といってよい。

「だって・・・パリです・・・燃えているのはパリです・・・オオパリ!・・・全市が戦っています。
どこもかしこも殺し合いばかりです・・・そのほかに何もありません! 
全市が破壊されました・・・廃虚、ただ廃虚です・・・建物の壁の一部があちこちに
まだ残って煙を吹いています・・・死屍が山とつんでいます・・・血の河、血の洪水・・・それに
飢餓が迫ってきます。パンさえない・・・殺戮を免れた人々も飢餓のために死んでいる!」

以上はその一部にすぎませんが、ともかく1913年2月14日において
すでに約1年半後において起こるべき欧州大戦を、少女レイヌがありあり見たということは、
実に意味深いことだといわなければなりません。

どういう点で意味深いかと申しますと少女レイヌのように、まだ物質的世界に現われていない
未来に属する事件を眼に見ることができたり、あるいはそのほか今井楳軒氏のあげられた予言
のように、未来の出来事を予め知ることができたりするのは、

世界の事件は物質世界に出てくるまでに、
「物質とは異(ちが)う世界」ですでに形造られていると
考えるほかに説明することはできないのであります。

よくこの点をお考えください。
ぜんぜん無いものは見ることも知ることもできないはずであります。
また物質世界にすでに出て来たものが見えるのも当然であります。

しかし物質世界にまだ出ていない事件を見たり知ったりできるのは、
その事件がすでにどこかになければならないのであります。

そのどこかというのも、物質世界にはまだその事件は起こっていないのですから、
物質世界のことではむろんありません。そうしたらその「どこ」かは「心の世界」とか
「念の世界」とかいうものだと断定しなければならないのであります。

じっさいいろいろ最近の研究の結果によりますと、すべての地上の事件は
「物質世界」にあらわれて来る以前に「念(こころ)の世界」でできあがるのでありまして、
「念(こころ)の世界」でできたとおりが、物質世界に映ってはじめて地上の事件となって
あらわれて来るのであります。

(次に続く)

          <感謝合掌 平成27年9月21日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その2 - 伝統

2015/09/22 (Tue) 04:53:33


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P118~121)より

この「念の世界」でできあがるという事件は、すでに永劫の昔からできあがっていて、
もうちょっとも変えることができないものであるかといいますと、
決してそうではないのであります。

「念の世界」でできあがる事件も、宇宙に満ちているいろいろの生物の
心の働きの組み合わせにしたがって、時々刻々作られてゆくのであります。

大きなあらすじの事件は、多くの「念」の働きを成立要素としてこまかい事件よりも早く、
いわばむしろ、多数の「念」の多数決で決ってゆくのでありますが、
それとて「進行中」のものであって、できあがってしまったものではありませんから、
ある事件を起こしている「念の要素」の変化によって、またその事件は変わってゆくのであります。

ここにわれわれの運命を支配しうる自由があるのであります。

レイヌの霊視した状態とはしだいに少しずつ変化しているのでありまして、
後に霊視した状態ほどけっきょく物質世界にあらわれた時の状態に近いのであります。

つまり、これは最初に「念の世界」にできた事件が「物質世界」に顕われて来るまでには
或る時間がかかる、その時間のうちに「念の世界」に起こった事件を修正するようにしたら、
「物質世界」にはその修正したとおりに事件が変わって顕われて来るという事実を示している
のであります。

 
われわれの災難とか不幸とか病気とかいうことも最初は「念の世界」に造られるのでありますが、
これも「物質世界」に顕われてくるまでに「念の世界」にまだ事件があるうちに、
修正(なお)しておいたら、災難が災難にならず、不幸が不幸にならず、病気が病気にならずに
「物質世界」にあらわれてくるのであります。

 
つまりメタフイジカル・ヒーリングというのは「念の世界」における事件を修正しておいて、
こん後「物質世界」へそれが映って現実の事件として出て来るさいに不幸や不健康を
なるべく出さないようにする方法だということがいえましょう。

しかし多勢の「念の総合的力」で強く決ってしまった事件、たとえば災難は、
われわれがいかに精神統一をして、その反対の思念をしましても、
その事件を起こらなくさせるということはできないのであります。

そういう場合には、われわれ自身の心がその災難の渦中にひきつけられないような
健全な信念をもっていさえすれば、災難は起こりましても、「類で無いものは反発する」
という心の法則によりまして、たとい災難を受くべきもののみがその災難の渦中に
巻きこまれましても、自分は、その災難の渦の外へ放り出されことになるのであります。

 

米国カリホルニア州ロスアンゼルスの心霊治療家ピー・ハワード夫人の手記には
次のような一節があります――

「ある日わたしは朝食後の皿を洗っていました。その時わたしは数マイル隔たったところに
住んでいる友だちを訪問したいという気が起こりました。
わたしは仕事を簡単にすませて外出の服装をととのえました。

その時とつぜんわたしの気分が陰欝になり、何者かに押しつけられるようで、
外出がとてもいやになりました。
どうしてそんな気分になったのかわたしには判りません。

わたしは服装を整えながら、気分を引き立てようと努力しました。
とうとうわたしは帽子をかぶって片手に手袋をはめながら戸口のところまで出ました。

しかしどうしたことだか、とても耐えられない憂鬱に襲われてわたしは
部屋へ舞い戻らざるをえませんでした。

わたしは部屋へ戻るとひざまずいて、『神よ、いったいこれはどうしたことですか』と尋ねました。
とつぜん、その答えが強いシッカリした声で聞えました。

 『家にとどまれ!』

わたしはその声にしたがって家にとどまることに決めて、
帽子を脱ぎ、手袋もケープもかなぐり捨てると、
わたしの気分は晴れやかに明るい気分になってきました。

わたしは『家にとどまれ!』という声だといいましたが、
声というほかに説明のしようがないので声と仮にいったのであります。

誰かがわたしを尋ねて来ようとしているので家にとどまっているように
神から命ぜられたのだと思いました。

ちょうどそれはわたしが宗教家として、また霊的治療家としてたった最初の年でした。
しかしその日は誰も訪ねて来ませんでした。夜になってもいぜんとして誰も来ません。

それでわたしは『なんのことだ、ばからしい。友だちのところへ訪問したらよかった』
という気がして来ました。

ところが、ちょうどわたしの乗るはずになっていた列車に大事変が突発して
多数の死傷者ができたのでありました。……これはわたしの多数の経験中の一つです。
わたしはわたしの直覚に従って失敗したことはありません。」

          <感謝合掌 平成27年9月22日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その3 - 伝統

2015/09/23 (Wed) 04:58:13


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P121~124)より


また、高橋正雄さんの雑誌『生』の第2巻第11号に三輪栄子さんの火事にあったときの
実話の筆記がのっていますが、それにも似たようなことが書いてありますから、
その一節を次に抜粋させていただきます。


   「後から考えてみますと、神さまのご都合はおそろしいものと思いますが、
   わたしは子供に小さい時分から、夜分寝る時にはすっかり着物を着替えさせる
   習慣にしておりますが、その日に限って頭が痛くて、どうも気分が悪くて、
   シャツもズボンも着たまま寝させました。
 
   わたしも頭が痛くて寝つかれないので、うつうつしておりましたが、
   その時にパチパチという音がしましたので、雨が降って雨だれが落ちる音か
   と思っておりましたが、

   そうするとなんともいえない音がしますので、何かひっくりかえったのかしらんと
   思っておりましたが、ひょっと起きて障子を開けて工場に出ますと、
   上一面に燃え上がっておりました。・・・」

 
三輪栄子さんは、その夜、頭が痛かったために、自分は寝つきが悪かったし、
子供を寝巻に着かえさせずにいたので、いざ火事だという急の場合にすみやかに
子供をつれて避難されることができたのであります。

おそらく、三輪さんのお宅が火事にあうということは「念の世界」ではあまりにも確定的に
できあがってしまったので、これを止(と)めることはできなかったのでありましょう。

しかし、火事が起こるということは避け難かったにしても、焼け死んだり怪我をしたりする
ような不幸と、信心深い三輪さんの心とは「互いに類でないものは反発する」という
「心の法則」によって、互いに反発して、三輪さんは焼死と火傷との渦巻きの圏外へ
放り出されざるをえなかったのです。

そのためそこに起こるはずになっている火事をそれとなく予知して、
三輪さんの潜在意識(おくそこのこころ)は、その晩、三輪さんを眠らせないでおき、
子供も避難しやすいように寝間着を着せず常着のままで寝かしつけてあったのであります。

 
三輪栄子さんはまたつぎのようにいっておられます――

   「保険に入ります時にも、信心のお陰で、神さまのお引き立てが多いように
   思われたのであります。最初ある保険に入っておりましたが、その保険会社が
   新聞に出ましてどうも噂が悪くて不安でしようがないので、

   これではまさかの時にもらわれぬかもしれないと思いまして、
   ほかに替りたいと思っておりましたが、その時ちょうど東京火災なれば
   社長さんも安田さんであるから、まさかの時にはもらえるであろうと思いまして、
   葉書を出して来てもらいました。

   ちょうど主人の留守の時に来ましたので保険は捨て金でありますけれども、
   1万円ぐらい入っておかなければまさかの時には半分もとれませぬからね、
   などと冗談をいいながら1万円入りました。それは7月のことであります。
   そうして最初の保険会社の方は解約ということにしました。

   そうして主人が帰られましたからこの事を申しますと、1万円は多い、
   みすみす捨て金である、こういう一軒屋でうちより火を出さなければ類焼する
   ということはない、気を付けさえすれば火は出ない、

   1万円も入らなくてもよいといわれましたがわたしは何を始末しておいても、
   入っておきさえすれば心配がないからといって、ちょうど7月に1回かけましただけで、
   もらうようになりました。

   それが唯1回の掛金だけで9千円もらいました。
   そうしてそれを得意先の方に、全部お渡ししまして、あとはどうにかこうにか
   切り抜けさせていただきました。

   こん日(にち)こういうようにご贔屓(ひいき)になりましてやらして
   いただいておりますのは、まことにありがたいことだと思っております。・・・」

 
この話でもわかりますように、火事が他のいろいろな関係上、
ある場所に避けえられないような場合でも、神によって護られているという強い信念のある人は、
護られていないという事実(怪我をしたり損をしたりするような事実)と「心の法則」によって
互いに反発しますから、

怪我さすような事件や損さすような事件がいかに近くに出てきましても、
まるで自分だけは油と水とが混じらないように、自分の身体とその不幸とが別々になっており
決して自分の運命にまで不幸がしみこんで来ることがないように自然になるのであります。

          <感謝合掌 平成27年9月23日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その4 - 伝統

2015/09/24 (Thu) 04:01:12

       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P124~125)より


誰でも「災難にあった」というような時には、外から「災難」という
とんでもない乱暴な奴がやって来て、自分にはなんの罪もないのに、
ぶっつかったと思うのでありますが、

われわれが災難にあって自分が傷つくのは、その災難と自分の心の状態とが、
類似性をもっていて、互いに「類をもつて集まる」ようになるからであります。
 
自分の心が招(よ)ばない物は何一つ、
この世で自分に近づいて来ることはできないのであります。

自分の心の状態が、災難や不幸とは全然似つきもせずかけはなれた明るい信仰状態に
いましたなら、われわれは災難や不幸のまっタダ中にいてさえも、災難や不幸から
鰻(うなぎ)のようにぬるぬる滑り出して傷つけられるということはないのであります。

 
誰でもこの三輪さんや、ピー・ハワード夫人のように火事が起こっても自分も焼けず、
家は焼けても保険金がおのずからはいって来て焼けないと同じ結果になる。

汽車が転覆するような時には、その汽車に乗る予定であっても、どうしても
その汽車に乗れないような事情になってきて、そのために危害から助かる、
こういうふうになるとわれわれは運命から不死身になってしまうのであります。

運命に対して不死身になってしまったら、われわれは何一つ恐れるものはこの世に無くなる、
こんなけっこうなことはないのであります。

 
むろん、火事も起こらず、汽車の転覆も起こらなければ多勢の人が助かって、
いっそうけっこうではありますが、火事でも戦争でも汽車の転覆でも多勢の人々の運命
に関係して起こって来るのでありますから、それを起こらなくするにはそれに直接間接関係のある
多勢の人々が皆、念を変えねばなりません。

多勢の人々の念を変えることができない以上は、その念の力が集まって火事でも汽車の転覆でも、
まず「念(こころ)の世界」に組み立てられます。

するとわれわれ個々の人の心はラジオの受信機のようなものでありますから、
誰でも「念の世界」にできあがった火事や汽車の転覆をそれとなく感ずることができる。

Aの磁石の付近にBの磁石がおかれると、すぐ互いに感じ合うようなものであります。
しかし、Aの磁石とBの磁石とは互いに側に置かれるとすぐ吸いつくかといいますと、
吸いつく時もあれば、吸いつかぬ時もある。

かえって、磁石の向き方で、Bの磁石をAの磁石に近づければ近づけるほど、
Aの磁石が逃げ出してしまうこともある。

これと同じくわれわれの心は一個の磁石で、その向き方一つで、
どんな悪い運命が近づいて来てもズンズン反発して、悪い運命の手の届かない所へ
逃げてしまうことができるのであります。

三輪さんもピー・ハワード夫人も、信仰によって不幸というものとは水と油とのように
一つになれないような心の状態になっていられたのであります。

          <感謝合掌 平成27年9月24日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その5 - 伝統

2015/09/25 (Fri) 04:58:45


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P126~128)より

ピー・ハワード夫人が出発の間ぎわに不快になって、その日乗ろうと思っていた汽車に
乗り込むことができなかったその同じ日に、外出がとても愉快になって、
わざわざその転覆する汽車に乗り合わすようになった人も多勢あったことでしょう。

ちょうどそれは一つの大磁石(運命)が近づくと他の小磁石(人間)がそれを感じ、
その小磁石の向き方によっては近づいて来た大磁石の方向へまっしぐらに突進していって
大磁石にぶっつかるのと同じであります。

人が不幸な運命にあうのは、その人の心が不幸な運命を予知することができないからではない
のでありまして、われわれが「心」をもっている以上は、まず「念(こころ)の世界」に
自分自身に関係するほどの近さで起こっている事件は、皆それとなく感ずるのであります。

感じてもそれが肉体の意識にハッキリ判ると判らぬとは肉体の霊化の程度によるのでありますが、
それが肉体の意識に判ると否とにかかわらず、われわれの「潜在(おくそこ)の心」はわざと
予知したその不幸めがけてまっしぐらにその人の身体をぶっつけてゆくこともあります。

それは念(こころ)の親和力によるのでありまして、
念(こころ)の向き方が不幸な事変に吸いつけられるようになっている以上は、
どんなにもがいても反抗しても、不幸な事変に吸いつけられてゆくのであります。

関東大震火災のような大事変は一人の人間の念(こころ)の向き方を変えるだけでは、
それを起こらないようにとどめることはできないけれども、念(こころ)の向き方が、
その当時幸運の方へ吸いつくようになっている人は、
あの震災にあってちっとも不幸になりようがない。

あの震災にあったために逃げ出したり職業を変えたりしたためにかえって
幸福な運命が開けてきているのであります。

ところがその当時念(こころ)の向き方が不運の方へ吸いつくようになっていた人は、
ここなら広場で大丈夫助かるだろうと思って本所の被服廠跡などに避難していると、
あにはからんや、おりから吹き起こった旋風のために火炎が渦巻き襲いかかってきて
悲惨な焼死をとげたのであります。

これは一方から考えますと、本所の被服廠跡のようなところへ避難していたら、
かえって火炎が襲ってきて逃げ路を失うということをその肉体の意識が予知しなかったからで、
それは霊的直覚力がたりなかったためだといえるのでありまして、

もっと平生から霊的修行をしていたならば、
ピー・ハワード夫人が汽車の遭難の危禍からのがれたように、
この危難からのがれられたかもしれないのであります。

けれども霊的修行を積み霊的直覚力が養成されていましても、
念(こころ)の向き方がやはり不幸に吸いつけられるようになっている人は、
霊的直覚力がいくらあっても、不幸が近づいてくると、アレヨアレヨといっているうちに
不可抗的に小舟が魔の淵の渦に吸い寄せられ、吸いこまれて沈んでしまうように、

その不幸な事変がハッキリ眼の前に見えていながら、
その不幸の渦巻きの方へグングン吸い寄せられ、
不幸の渦巻きに身をさらわれてしまうのであります。

神信心をする人のうちには、霊的直覚の発達した人が時々あって、なんでも予知することができる。
株式や米の相場でも実験的に神示をあおいで予知してみるとずいぶん当たる。

そこで、これなら大丈夫だろうと思って、いよいよ本気になって資金を調え
相場でも実際にやってみると、実際にやる時だけはいっこう予知力が的中しないで
「買い」と出れば下がる、「売り」と出れば上がる、めちゃめちゃに損をする
というような実例がたくさんあるのであります。

これなども、その人は霊的直覚力は発達していながら「自分」の念(こころ)の状態が
「損失」というものに引きつけられ親和するようになっているから「損失」の渦巻が
その人に近づいてくると、グングン容赦もなくその損失の方へ引きつけられていって、
平常の霊的直覚力が役にたたなくなるのであります。

          <感謝合掌 平成27年9月25日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その6 - 伝統

2015/09/26 (Sat) 04:55:24


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P128~129)より

心霊学者たるW・T・ステッド氏の著書『幽霊実話(リアル・ゴースト・ストーリー)』中には
次のような話がのっているのであります。


  「この話の主人公は或る製造工場に勤めている鍛冶職である。
  この製造工場は動力を水車から得ているのであったが、彼はその水車が破損しながら
  運転しているのに気がついていた。ところが或る晩、彼は夢を見たのである――

  その夢の中の時間は翌日の仕事が終ったときになっていた。

  工場の支配人がその水車を修繕するように彼に頼んだ。
  彼は修繕中脚をすべらして二個の水車の間に巻きこまれて怪我をし、
  その後外科医の施術を受けて脚を切断することになった。

  彼はその朝目を覚ますと、この夢を自分の妻に話した。
  そしてその晩、もし水車を修繕するように頼まれたなら逃げ出そうと決心していた。
 
  その日工場へ行くと支配人が彼を呼んで、今晩職工たちが仕事を終って帰った後で
  水車を修繕してくださいと命じた。彼はいよいよ夢の事件が来たなと思った。
  で彼はその時間までに工場を逃げ出そうと決心した。

  そして彼は本当にその付近の森の中へ逃げ出していった。
  彼は今やその森の窪地へはいりこんで身を隠そうとしていた。

  その時、彼の眼についたものがある。
  それは一人の若者がその工場所有の材木を盗み出しているのだ。
  で彼はその若者から材木を取り返さねばならぬと思って若者を追いかけた。

  彼は興奮していて、さきの決心を忘れて工場へ帰って来た。
  ちょうど職工の退出時間、水車を修繕すべき時間になっていた。


  支配人が彼の眼の前に立っていた。
  彼は支配人の命令に従わねばならなかった。
  彼は鍛冶の工長であったので水車の上へあがらねばならなかった。

  注意に注意をかさねようと彼は決心した。
 
  しかし、彼が注意に注意をかさねたにもかかわらず、彼は脚をすべらして墜落し、
  二個の水車の間へ脚を挟まれた。
  それは夢に見たとおりの光景であった。
  脚はひどくグジャグジャに挫折していた。

  彼はブラッドフォード病院へ担ぎこまれて、そこで膝の上から施術して切断した。
  それで彼の予言的夢は完全に実現したのだった。」

          <感謝合掌 平成27年9月26日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その7 - 伝統

2015/09/27 (Sun) 04:47:04


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P129~132)より


また文豪メーテルリンク氏の著書『未知の賓客』の中には
これと同様な実話が掲載されているのであります。

  「或る若い機会職工は11月はじめに次のような夢をみた。
  すなわち彼が午後の5時半に家に帰ってみると、姉の小さな娘が
  家の入口の前の街路を横切ろうとして電車に轢(ひ)かれているのを見た。

  彼は非常に心配して、その夢を家人に語った。
  しかるに同月13日に、できるだけ警戒をしていたにもかかわらず、
  その少女は予言された時刻に避けがたく電車のためにひき殺された。」


 また同書には次のような事件ものっています。

 
  「5月4日にテスト博士は彼女の夫の眼の前でホルタンス・M――夫人を催眠させた。
  夫人は催眠状態に入るやいなや、彼女は自分は2週間前から妊娠している。
  臨月まではもたぬ、5月12日に、自分は何事かに驚く、そしてその場に卒倒した結果、
  流産するということを述べたてた。

  彼女はさらに付言して、この512日には3時半に何かに驚いた後で気絶し、
  その気絶は8分間続くといい、次いでその病気の経過を各時間にわたって詳しく語り、
  その病気の結果は3日間精神錯乱となるが、自分はそれから回復すると述べたのだった。

  「催眠状態から覚めると同時に、彼女はすべてを忘れてしまった。
  彼らは催眠中に起こった事柄をM――夫人自身には秘密にした。
  テスト博士は、彼が当時書きとめた手記をアメデー・ラチュール博士に送っている。
  これが証拠になるわけである。
 
  予言された5月12日になると、テスト博士はM――夫人とその良人とを訪問した。
  博士はM――夫人を催眠状態に導くと、彼女は8日前に言った事を一語一語繰り返した。
  彼女は催眠状態から覚醒状態に戻された。
 
  予告された危険な時刻が刻一刻近づいてきた。博士と良人は、想像しうるあらゆる用心をして
  鎧戸(よろいど)さえも閉めてしまった。

  M――夫人は自分は全然理解することのできぬ、この異常な警戒ぶりを見て、
  かえって不安の念にかられ始めた。
  そして『いったいあなたたちはわたしに何をなさろうとするのです』と尋ねた。

  その時、あたかも時計が3時半を打った。M――夫人は掛けていた長椅子から立ちあがって、
  戸口の方へ行こうとする。博士と良人はそれを妨げた。

  「『けれどいったいあなたがたはどうなさるんです? わたしはどんな事があっても出て行きます』
  とM――夫人は抗弁した。

  『いいえ、奥さん、部屋を出ては、あなたの健康のために悪いのです』

  『それなら大丈夫です。先生、わたしの健康のためならいっそう外へ出る方が
  よいじゃありませんか』 夫人は笑いながらこう答えた。
  その理由はいかにももっともであり、それ以上抵抗することができなかった。

  だが、良人(おっと)は、運命と最後まで戦ってみようと思ったので、
  妻についてゆこうと言い出した。博士はこの事件がやや滑稽な経路をとって展開して行く
  にもかかわらず、かなり心配して部屋にひとり待っていたのだった。

  と、とつぜん耳をつんざくような叫び声が聞えた。博士が急いで行ってみると、
  狂乱したM――夫人が瀕死の状態で良人の腕に抱かれていた。

  わずかの間良人のそばを離れて、彼女が自分の行こうと思っていた場所の扉を開けた
  刹那(せつな)、二十年来一度も出たことのない場所で、一匹の鼠(ねずみ)が彼女に
  跳びついて、非常な驚愕を彼女に与えたので驚きのあまり彼女は仰向けに倒れてしまった。

  そして予言の残りの部分も、
  一刻もたがわず、一事もあやまたずしてすべて的中したのであった。」

 
ここにあげたこれら数々の不幸の運命の予言は、できるだけ注意して逃れようと焦りながらも
どうすることもできないで、不幸な運命に吸い寄せられて行った人々の実例であります。

せんこく申しましたように、われわれの心は未来において物質世界に映し出さるべき事件を、
それがまず「念(こころ)の世界」にあるうちに感ずることができるのでありますが、

この感じ知った事件に、或る心の向き方の人は、どんなに巻きこまれまいと反抗しながらでも
必然的にその不幸な事件へグングン磁石的な力で引きつけられて行くのであります。

そうかと思うと、三輪栄子さんや、ピー・ハワード夫人のような人は、
不幸な事件が自分の付近に、あるいは自分の住んでいる家にさえ起こってでも、
その事件には引きつけられないでちょっとも危害を受けないですむのであります。

なぜ、人によってこんなに結果が相違するかということは、
われわれがぜひ考えなければならないことではありますまいか。


          <感謝合掌 平成27年9月27日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その8 - 伝統

2015/09/28 (Mon) 04:47:13


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P132~135)より

わたしが常にいうことでありますが、
誰も自分の心で招(よ)ばない不幸には出くわすことはできないのであります。

どんな事件でも、最初は「心的存在」であって、自分の心もまた「心的存在」である。

そしてこれらの「心的存在」は「心の法則」すなわち「類は類を招ぶ」という法則と、
「類でないものは反発する」という法則とに支配されて、
互いに牽引し合ったり反発したりしているのであります。

それで不幸な事件にあう人々は、誰を恨むこともない。
自分の「心」のうちにそんな不幸を引きつける不幸の種を必ず宿しているからであります。

だから昔から「泣面(なきつら)に蜂」とか「悪いことは三度ある」とかいいまして、
人間の運が傾いて来ると各方面から悪いことばかりが引き続いて起こるようになるのであります。

運命が傾くというのは、その人の「心」の中に不幸な事件を吸い寄せる磁石が
できているわけであって、こんな磁石を「心」の中から取り出して捨ててしまわないかぎりは、
その人の運命が善くなる気づかいはないのであります。

 
では、この不幸な事件を吸い寄せる「心の中の磁石」とはなんであるかと申しますと、
その根本的なものは、神と一体でない、神と離れた心であります。

心の内に神という無限力に生かされているという自信がなく、
自分の生命(せいめい)は物質の偶然的集合でつくられていて、外から加わる偶然の力で
すぐ破壊してしまうであろうというような誤れる生命観がわれわれの心の奥底の大部分を
占領していると、それが磁石となって不幸を引き寄せる、病気を引き寄せる、
そのほかさまざまの人生苦を引き寄せる。

だからこの「磁石」を取りのけるためには、何よりもまず、
自分は大生命の無限力に生かされているという徹底した大信念を心の奥底に築きあげて、
自分の生命(せいめい)は決して物質の偶然的集合でつくられたものではなく、

常に大生命の無限力で護られているという真理を心の底深く信ずるように
ならなければならないのであります。

 
われわれを生かさずにおかない、無限の大生命のお力、
それは神とも顕われ、仏とも顕われ、名前のつけようがないので、
或る教えではこれを「妙(みょう)」といいます。

ともかく、宗派によって名前が異なっているにしてもみんな一体である。
この霊妙な無限力に生かされていることを信ずる者には力が与えられ、
どんな不幸な事件が近づいて来ても、その人を傷つけることができないのであります。

 
むかし或る刺客(せっかく)が高僧を暗殺しようとして、毎日つけ狙っていたけれども、
どうしてもその高僧と道が行き違いになって刺すことができなかったというような話も
あります。

自分の心の中に、自分を刺す剣(つるぎ)をおいとかないものは、
外から刺そうとおもっても刺すことができない。


或る高僧を斬罪(ざんざい)に処そうとしたら
その刃がかえってきれぎれに折れてしまったというような話は作り話のようであっても、
真実それは起こりうる事実であります。

 
ともかく、自分の心のうちに病気や死がなければ
われわれは病気に罹ることも死ぬこともできない。
自分の心のうちに刃(やいば)がなければ、われわれは刃にかかって死ぬことがない。

人を審判(さば)く心のある人は審判かれる。

ピストルの弾丸(たま)にあたるような人の心には、
必ずどこかにピストルの弾丸と同じような、一徹な鋭い性質があって
その心の引力はピストルを引き寄せているに相違ないのであります。

 
柳生但馬守(やぎゅうたじまのかみ)のような剣道の名人でも
全然心の中に剣をもたない人を斬ることはできない。
その証拠に但馬守は沢庵禅師にうち込むことができなかったといいます。

剣(けん)でもピストルの弾丸(たま)でも外からわれわれにうち込んで来るものだと
思ったらそれこそ大まちがいで、われわれの心の内にそれを引き寄せる磁石があって、
周囲から剣(けん)でもピストルでも災難でも病気でも失業でも引き寄せるのであります。

 
ここの道理がおわかりになりますと、どんな災難にあっても病気にかかっても
外に対して恨んだり小言をいったりする必要がなくなって、

自分の好まない事件が起こってきたならば、自分の心の中にその好まない事件と
同じものがあるということをかえりみて、そのよろしくない性質を心の中から
取り去るようにすればよいのであります。

そうすると自分の周囲、境遇、肉体の健康状態などが自分の改善された心を映して
改善されてくるのであります。

          <感謝合掌 平成27年9月28日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その9 - 伝統

2015/09/29 (Tue) 04:35:14


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P135~138)より


先日ある読者から霊感が養成されて未来の事件があらかじめ判るようになれば、
金儲けもできるだろうと思うから、神想観によって未来の透視力をえたいから、
どうぞ指導をお願いしたいという意味を書いてよこされたのであります。

どうもこういう方には返事に困るのであります。
 
多少とも霊媒的天分のある人は催眠術によっても、鎮魂によっても、坐禅によっても、
神想観によっても、その他の霊術によっても、おそいか早いかの差はあれ、
未来を透視したり予感したりすることができるようになります。

しかし未来の透視能力があるということと、
その人が幸運になるということとは全然別であります。
 
多くの人はいわゆる未来の予知能力がなくとも幸運なのであります。
 
これに反して、いかに未来の不幸が予知されても、
先刻述べた鍛冶屋さんは水車に巻き込まれて脚を折り、
少女は電車に轢(ひ)かれて死に、M――夫人は鼠に驚いて倒れて流産したのであります。

本当は、「予知される未来」というものは、念の世界ですでに起こっている現在であって、
ある事が「念の世界」に起こってしまった以上は、その映しである「物質世界」に
その事件は必然的に起こってくるのであります。

これはとても避けられない。
これを避けるには「念の世界」に自分の好まない事件を全然起こらせないようにするほかはない。
 
不幸が起こってそれを予知できるよりも、
予知できなくともなんの不幸も起こらぬにこしたことはない。

だいたい、未来の予知的能力を獲得しなければ、自分は不幸にあろうであろうというような、
自己を信ぜず、神を信ぜざる心的態度そのものが、すでに「念の世界」に
自分の不幸の種子をまいていることになります。

そのような心であればこそ未来を予知したくもなれば、予知しながらでも、
その未来の不幸にグングン不可抗的に吸い寄せられて行く。
 
だいいち、予知してから避けようと思うのではすでに遅い。
 
未来を予知する、すなわち「未来を見る」ということは
現在すでに「念のフィルム」にできている事件を心の眼で見ることであります。
 
それが未来の事件のように思われるのは「念のフィルム」を自然力と称する「活動写真機」に
かけて「物質世界の舞台面」に映し出すのに、今しばらく時間がかかるだけのことでありまして、
その避けたいと思う事件はすでに「念の世界」に起こりずみの事件であります。

起こりずみの事件を避けようと焦るだけがばかな話であります。

で、われわれが避けられる不幸な事件はその不幸な事件がまだ
「念(こころ)の世界」においてさえもハッキリした形をとっていない場合だけであります。
 
「念の世界」においてさえまだハッキリ形をとっていないその不幸な事件は、
それは形がないから、心の眼でも霊眼でもハッキリ見ることはできないのであります。

ただそれは、ばくぜんとわれわれがそれを感じ、自分自身の念の性質によって、
ある人はその事件の起こるところに近づきたくなり、
ある人はその事件に近づきがたくなるほかはないのであります。
 
しかしその時こそわれわれがその起こるかもしれぬ
その不幸から逃れることができる唯一の時であります。
 
ある不幸な事件が「念(こころ)の世界」で造られる順序を見ますに、
それは多勢の「心」の想念(おもい)が因子(たね)となって、
「類をもって集まる」の心の法則により、類似した想念ばかりが
モヤモヤとガスのようにまだ形が定まらないで集まります。

それが大きく集まって一団となって来るにつれて、
類似している「心」を引きつける磁石的引力も増加してきます。

ちょうどそれは、月よりも地球の方が引力が強い、
地球よりも太陽の方が引力が強いようなものであります。
 
それはまだ事件としてのハッキリした形を備えていないけれども、
その「類」を引き寄せる力はかなりな遠方までも及ぶのであります。
遠くにいる人もその引力を感じて近寄って来て、その事件を構成する一人物となります。

しかし一方、その起こるべき事件とは「心の波長」において一致しない人は、
その事件の波及する距離以内にいることなんとなく、不快な落ち着かない気分を感じて、
その距離以外に遠ざかって行くか、あるいはその距離以内にいても何物かの庇護によって
その不幸な事件に巻き込まれない位置に身を隠していることになるのであります。


          <感謝合掌 平成27年9月29日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その10 - 伝統

2015/09/30 (Wed) 04:58:55


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P138~140)より

関東の大震火災の時でも、わざわざその前日、地方から上京して
震災の洗礼を受けて死んだ人もあれば、その前日関東から地方へ移転して
罹災を免れた人もあります。

震災で丸焼けになった人で再び起つことができない経済的不運にあった人もあれば、
一時は丸焼けになったけれども、それが当時あまり香ばしくなかった過去の職業をなげうって
将来大いに成功する新事業を始める動機となった人もあります。

一つの事件に対してでも人それぞれの念の磁石的性質によって、
その事件の圏外に飛び出す人と、その事件の圏内にいて危害を受ける人と、
その事件によってかえっていっそうの幸福を受ける人があるのであります。
 
だから単に未来に起こる事件が予知できたからとてそ
の人は必ずしも幸福になるとは決っていないのであります。

「だって、ピー・ハワード夫人は汽車が未来に転覆するということを予感して
助かったのではないか」という人があるかもしれません。

ピー・ハワード夫人は、「念(こころ)の世界」において起こってしまった事件を
予知したのではありません。夫人は唯、そこに起ころうとしつつある事件の「心的雰囲気」を
感じて、夫人自信の心的性質がその「雰囲気」に引きつけられずその雰囲気に近づこうとすると
なんとなく不快になるので、旅立ちをやめてその危険に近づけなかったのであります。

もし誰でもこういうふうに念の世界でまだ漠然とした雰囲気だけあって、
ハッキリと形を備えていない間に念の反発を感じて避ければ避けられるのであります。

もしピー・ハワード夫人がその汽車に乗って汽車の転覆にあって重傷を負うているような事件を
正確な霊覚とか霊夢によってハッキリ目撃したのでありましたら、
その事件は「念(こころ)の世界」ではすでに起こりずみであるからこそ見えたのでありますから、

夫人がいくら、それを避けようと努力しても、どうしても拒まれない事情が発生して
その汽車に乗ることになり、その汽車は転覆して予知したとおりの危害を避けることは
できないのであります。

 
ここがわれわれにとって最も注意を要する肝要な所で、
われわれが未来の不幸を避けるためには、その不幸を予知する霊感などを
いくらもっていてもなんの役にも立たないのであります。

予知された未来はすでに起こりずみであるからそれを取り消す道がない。
それを取り消そうとあせるのは活動写真の映写機に一定の事件のフィルムをかけて
活動写真を映しながら、舞台面の映画を消しゴムで消そうとするのと同じ愚であります。

 
現実世界という舞台面にこんな事件が映ってはいかぬと思うならば、
「念のフィルム」にそんな事件を撮影しておかぬがよろしい。

他のひとびとが集まってそういう事件の「念のフィルム」を合作しそうであったら
自分だけ「類でないものは反発する」という法則によって、
そのフィルムに入らなければよろしいのです。

 「類でないものは反発する!」

これこそわれわれが悪運を避ける唯一の法則であります。
 
悪い事件が映っている「念のフィルム」に自分だけ映るまいと思うならば、
自分の生命に、その悪い事件と親和し、互いに引き合うようないろいろの心持ち
――暗い心持ちとか、鋭い心持ちとか、心で人を刺す性質とか、窮屈で人をいれない性質とか、
恐怖の感情とか、取り越し苦労の感情とかを捨てて

朗らかな、明るい、愛深い、人を咎めない、赦しの深い、寛大な、平和な、落ちついた、
角のない、円満な、自信のある、自分を神の子として神と一体であると信ずる心を
養成すればよいのであります。

これだけの心の準備ができるならば、自分の周囲にどんな不幸な事件が起こって来ても、
自分だけはその不幸な事件の映画俳優の一座に加えられず、
一緒に不幸の分け前を味わわねばならぬようなことはなくなるのであります。


          <感謝合掌 平成27年9月30日 頓首再拝>

「運命の神秘」~その11 - 伝統

2015/10/01 (Thu) 04:45:11


       *「生命の實相」第一巻實相篇
        (第4章 心の世界における運命の形成)(P140~142)より

こう申しますと、なかなか繁雑な種類の心の修養をしなければならぬようで、
この忙しい世の中に、とてもわれわれには実行できそうてでないと思われる方も
あるかもしれませぬが、これを一つの根本原理に還元しますと、
決してこの修養は皆さんの想像されるほどは繁雑なものではないのであります。

この修養の根本原則とは、

「自己が神の子であって、自己の生命は神の霊である」

との事実に目覚めることであります。

この事実に目覚めるとき、われわれは心の根本において
神の無限力に生かされていることを感じますから、おのずから心が朗らかになり、
明るくなり、寛大になり、愛深くなり、円満な、平和な、恐怖心のない、
取り越し苦労をしない人間になり、

したがってどんな不幸も自分の側(そば)を素通りして近づかず、
幸福ばかりが引き寄せられて来る心的磁石となるのであります。

では、「自己が神の子であって自己の生命は神の霊である」という事実に目覚めるには
どうしたらよいかという一つの秘訣を申しますと、常に言葉の力で「わたしは神の子である」
という思想の種子(たね)を自分の心に植えつけるようにするのであります。

道を歩く時にも「神の子が今歩いていると低声(こごえ)でいって、
その言葉のとおりに思って神聖な罪にけがれない「本物の自分」を心に印象するようにします。

往復の電車に乗っている小さな暇を利用しても

「私の神性は神である。神こそ本当のわたしである。だからわたしは恐れない」

と自分だけに聞える声で自分自身にいって聞かせます。

 
人に面会する前にも

「わたしは神である。神がわが父である。父と子とは一体であるからわがなすは父がなし給うのだ」

と言葉に出して数回繰り返して自分にいって聞かせて心に自信力を植えつけてから会うようにします。

すると、その一回の面会には失敗してもだんだん人に面会するのに自信ができ、
やがてはすばらしく成功するようになれます。結果を急いではなりません。

要するに

「神と我とは父と子との関係であって自分は神の無限力に後援されている」

という意味のことばを、暇あるごとに、機会あるごとに、言葉の力で、
自分自身の心の奥底にたたみこむようにするならば、

この自覚の深まるにしたがって運命が開けてくるようになり、
神我一体の真理がいよいよ深く心の底に目覚めて、心全体が照り輝くようになりますと、
「類をもって集まる」の心の法則によって、

どんな時にも明るい運命ばかりが自分に吸い寄せられて来るようになり、
もう前途の予感力が欲しいなどという欲望も全然なくなってしまうのであります。

なぜなら、もうその人は運命に対して不死身となり、何事が起ころうとも
自分にとって悪いことは一つとして起こらないとの大確信に到達するからであります。

 
確信は「念(こころ)の世界」における運命のひな形で、この世の出来事はすべて、
このひな形のとおり出てくるのであって、悪い確信をもては運命が悪くなり、
善い確信をもてば運命が善くなることは免れがたい事実なのであります。


「第4章 心の世界における運命の形成」謹写の完了。

          <感謝合掌 平成27年10月1日 頓首再拝>

《人間運命の弱小は自己欺瞞に過ぎぬ》 - 伝統

2016/05/03 (Tue) 03:14:57

(ここからは、「運命の神秘」に関連した情報を紹介してまいります)

         *「光明法語」(5月3日の法語)より

神の子であるところの人間が、
そんなに弱小なる運命に定められていると思うのは自己欺瞞に過ぎないのである。

自己欺瞞を去れ。
汝は神の子ではないか。

人間は自分自身の運命を斯くの如く限ってはならないと同時に、
他の人の運命も限ったり縛ったりしようと望んではならないのである。

誰をも害しない、誰をも束縛しない
自分の伸びる道があると云うことを信じなければならない。

自己の運命をよくするためには、悪は存在すると云う人類の通念に縛られず、
現象の形に惑わされないようにせねばならぬ。

          <感謝合掌 平成28年5月3日 頓首再拝>

《運命は課せられた労役ではない》 - 伝統

2016/07/21 (Thu) 03:17:27


         *「生長の家」(昭和51年6月6日の法語)より

   運命というものを他から課せられた労役だと 思ってはならない。
   ”運命”を物質でつくった 革輪(ベルト)が回転させている
   「物質の歯車 」であるなどとは考えてはならない。

   ”運命の 原点”は”自分の心”にあるのである。
   ”心” が運命の原点である。

   ”運命の原点”である”自分の心”が明るく 輝けば、
   明るい運命が自分に向ってやって来る のである。
   何よりも大切なのは”自分の心”を明るくす ることである。

   部屋が暗いと思っていたが、実 は自分が自分所有の電燈を
   ともさなかったから だと気がつく人は幸いである。

   誰でも自己の内に無限燭光(しょっこう)の ”霊の灯(ともしび)”が
   決意を以てスイッチ を入れれば輝くような霊の実相の霊源を
   もっているのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

          <感謝合掌 平成28年7月21日 頓首再拝>

《運命の3種類について》 - 伝統

2016/08/04 (Thu) 04:24:57


         *「生長の家」(昭和51年6月20日の法語)より

   現在の不幸や病気を運命だなどと考え、自らの考えによって、
   その不幸や病気を現象 面に固定させてしまってはならないのである。

   だいたい運命には3種類あるのである。

   (1)根本運命

   (2)中間運命

   (3)未来運命

   の3つである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

          <感謝合掌 平成28年8月4日 頓首再拝>

運命は、磁石に喩えられる - 伝統

2016/08/13 (Sat) 03:38:02


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<8月13日>(P50)より

一つの結婚に破れて、「惜しいことをした。あそこまで進んでいたのに。
あの人が要らぬ口添えをしたからだ」などと後悔する者は愚かなる者である。

成らない結婚は、それは成らないことによってそれは良かったのである。
だれかの少しの口添えくらいで破壊するような結婚は砂の上に建てられた家のようなもので、
結婚してからも少しの風波に揺られると破壊したかもしれないのである。

結婚してから、夫婦関係を破壊するのは遅すぎる。
破壊するなら婚前のちょっとした問題で破壊したが良かったのである。

物の成ると成らざるとは、「誰かがどう言った」などのことに原因があるのではない。
不思議なその人おのおのの「心」の中にある運命が招(よ)び寄せる力が、
ある運命を反発し、ある運命を磁石のように吸い寄せるのである。

         <感謝合掌 平成28年8月13日 頓首再拝>

《人間の根本運命には不幸も病気もない》 - 伝統

2016/08/24 (Wed) 04:37:26


         *「生長の家」(昭和51年6月21日の法語)より

   だいたい”運命”の”命”という字は
   イノチとも ミコトとも読む字である。

   ミコトとはミコ トバ(御言)のことであって、
   人間のイノ チは神のミコトバが宿っていて、
   それがわ れわれの人体に運(めぐ)り循環しているので、
   われわれは生きているのである。

   新約聖書の『ヨハネ伝』に、

   「言(ことば)は肉体となりて我らの中 (うち)に宿りたまえり。
   我らその栄光を 見たり」(第一章十四節)

   とある。

   根本運命とはこの一節に録(しる)されている
   われらの内に宿るところ の”栄光”であるのである。

   この栄光ある”神の子”としての実相を、
   ”根本運命”又は”根本業”として 、神の像(かたち)の如く、
   不可視の神の像(かたち)が、可視的像(か たち)をもって
   生まれて来たのが人間であるのである。

   この”根本運命”として授かって来た”命”をそのまま
   歪めることなしに運 行せしめて来たならば、人間はいつまでも
   本来の完全の相(すがた)にあらわれて、
   病気や不幸はあり得ない筈なのである。

    ”根本運命”というのは、「人間は”神の子”であり、
   あらゆる方面に於いて完全円満無欠である」ということである。

   これは変わることなき人間の享けた根本の運命であ る。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年8月24日 頓首再拝>

《中間運命について》 - 伝統

2016/09/04 (Sun) 04:30:01


         *「生長の家」(昭和51年6月22日の法語)より

   第二の中間運命というのは、人間が自己の肉体的顕現を見て、
   自己を物質的存在であり、有限の存在であり、他より奪わなければ
   その”有限”を何とか”やり繰り”できない 不完全な存在だと

   誤認することによって、 実相の完全な顕現の上に、
   ”迷い”のヴェー ルを着せられ、実相が眩まされて
   不完全にあらわれて生活が狂って来た、その狂って来た生活に於いて

   いとなんだ”間違いの業”の運行が中間運命として、
   現 世の生活にあらわれているのを指すのである。

   その中間運命の現在の運行の轍から大抵の人は免れることができない。

   それは自分自身が造った業であり、その業の轍の運行に今も自分が関与して、
   それを運(めぐ)らす”心の力”を それに加えつつあるからである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年9月4日 頓首再拝>

《あなたの根本運命に超入せよ》 - 伝統

2016/09/17 (Sat) 03:43:08


         *「生長の家」(昭和51年6月24日の法語)より

   あなたが、もし”過去の業”を”心の力”( 意 業)や
   ”口業”(言葉の力)によって後押し をしているならば、
   即刻、今それを止めなさい。

   つまり言葉や呟よって、「自分には 悪い業がつきまとっている」
   とか「業は果たさねばならない」とかいうことを表現することを
   止めなさい。

   そして、「人間・神 の子」の
   地上誕生の” 原点”に心を振り向けなさい。

   あなたは決して、”過去の業”を”誕生の原点”として
   この世に生まれてたのではなかったのです。

   ”心”を 一躍させて、”神のコトバ”によって創造られて
   完全な自性をもって生まれた其の原点に還るのです、

   『創世記』が示すところの「神の像(かたち)の如く人を
   創造(つく)り」と神が仰せられて、人間をつくり給うた
   ”人間の根本運命”に立ちかえるのです。

   根本運命だけが、青空のように常住なのです。

   ”中間運命”に心を 引っかからせて現実の不幸や病気を
   悩んではなりません。

   ”中間運命”は、青空の上に途中から湧き出た”雲”の
   ようなものであり、それは根本実在ではないから、 あなたが
   ”心の力”でそれを握って、消えるのを妨げない限り
   必ず消えるのです。

   あなたの”心”の中から”中間運命”に過ぎない不幸や病気を、
   今直ぐ放ち去って、常住の存在である青空の如き、
   あなたの根本運命「人 間・神の子の実相」に想いを馳せ、

   その根本運命こそ実在だ、そのほかに何もないのだと、
   「実相」の中に超入するのです。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年9月17日 頓首再拝>

《自己の実相たる神の根本業を観よ》 - 伝統

2016/10/01 (Sat) 04:19:12


         *「生長の家」(昭和51年6月25日の法語)より

   わたしは人間の運命を「根本運命」 「中間運 命」「未来運命」
   という語で説明して来ましたが、それを次の如くを言い換えれば、

   人によっては 一層理解し易いかと思います。
    ”運 命” という語を”業”という語におきかえるのです。

   一、根本業(根本運命)
   二、中間業(中間運命)
   三、未来業(未来運命)

   「根本業」というのは、神のコトバによって 、
   天地一切のものを支配すべき「神の代表」( 神の像(かたち))
   としてつくられたところの 、あなた自身の存在の根元たる
   神のみ業 (わざ )のことであります。

   ”神のコ トバ”が「汝、わが像(わが代表)として
   天地一切のものを支配せよ」と 仰せられた。

   その「コトバ」が我らの内に宿り給うて地上に誕生した
   自己 の実相の 尊厳さと栄光とを”自覚”の内に観るのであります。

   「ここに神の御業によって誕生 た”神の子 ”たる自分がある」と、
   今直ちに自分の実相の完全さを観、
   ”神の子”の完全さを繰り返しコトバに唱 、繰返し心で念じなさい。

   また毎朝神想観のときに念じなさい。
   病気なんていう中途に出来た”迷いの雲”は吹っ飛んでしまうでしょう。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年10月1日 頓首再拝>

《神の根本業こそ本当の実在である》 - 伝統

2016/10/15 (Sat) 03:37:55


         *「生長の家」(昭和51年6月26日の法語)より

   「根本業」とか「中間業」とか「未来業」とか申しましたが、
   ”業”という字は”わざ” と読む字で行動または行為を
   表現するのでありますが、

   神は「万物を想うということによって創造った」と仰せられている
   のである が、(『 神 真理を告げ給う』参 照)
   
   ”想う”という行為をするとは、何をするかと言いますと、
   コトバ即ち アイディアを心の中に思い浮かべ、
   それ を心の中で唱えていることであります。

   それは 心の中にコトバを唱えていることでありますから、
   意業であると共に、口業であります。

   それ だから”業”という字はわざと読む字でありますが、
   業(鳴り)とも読まれる字であります。

   在原業平という 『伊勢物語』に出て来る有名 な歌人も
   ありましたが、生活とか渡世とかいう意味の語に
   「なりわい」(業生 い)という語も あります。

   兎も角、「元始(はじめ)にコトバあり、コトバは神とともにあり、
   コトバは神なりき」という『ヨハネ伝』の冒頭の語は、

   神の”根本業 ”としてコトバ(アイディア)が業(わざ)となり
   行動となって、”人間神の子”が創造された人間存在の
   根本業(根本運命)を示すのであって、

   その根本業にくらべれば、
   中間業としての現在の不幸な運命の如きものは
   浮雲のように間もなく消えて行くべきものであります。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363


         <感謝合掌 平成28年10月15日 頓首再拝>

日航機墜落事故をまぬがれた友人 - 伝統

2016/10/27 (Thu) 03:46:37


        *Web:ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ(2008年5月10日土曜日)より

田村珠芳さんの講演会で以前、1985年8月の日航機墜落事故の話が出たことがあった。
この事故では520名の乗客が亡くなり、わずか4名が奇跡的に生き残った。

また、事故に遭った123便では当日直前になって
キャンセルした人が「10人」いたといわれている。

珠芳さんはこの「10人」のうちの3人が
どのように搭乗をキャンセルしたのかについて紹介した。

Aさんは、ニューヨークから帰国していて羽田空港内を歩いていると
数十年ぶりに仲の良かった同級生とばったりと出会う。
懐かしい顔を前に次はいつ会えるかわからないからと思い、
友人との久しぶりの邂逅を楽しむことにして、大阪行きの便をひとつ延ばした。

 
Bさんは、羽田空港に向かう車中でひどい渋滞に巻き込まれてしまった。
いらだちながら航空会社にキャンセルの連絡を入れることにした。

Cさんは、商売で東京に来ていたが、
奥さんから「銀行が融資のことで話があるのでどうしても午前中に
会えるようして欲しいと言われている」と再三連絡が入り、
仕方なく予定をすべてキャンセルして午前中の便で家路に着くことにした。

 
3人はこのようにして、そこまでで終わっていても決しておかしくなかった人生を、
再び先延ばしする機会を得ることになった。



そんな話を聞いて1ヶ月ほど経ったある日、
この「直前にキャンセルした10人」のうちの
“語られていない7人”のひとりに直接話を聞く機会を得た
(実際は、話を聞きながら7人のうちの「3人」であることが判明するのだが)。

この日、日航機墜落事故のことを聞くために会ったわけでもなく、
また初めての顔合わせだったわけでもなかった。
 
ここ1年ほど仕事でつき合い、この日も新しい企画の話をしていたのだが、
何かの拍子に飛行機事故の話題になり、この話を聞くことになった。

名前は仮にKさんとしよう。


Kさんは20年ほど前に、魚の買い付けのためにニュージーランドを訪れることになった。
今でこそ輸入魚は当たり前だが、当時は先駆的な取り組みだったので
Kさんは大いに意気込み、機中で期待に胸膨らませていた。
 
しかし、このニュージーランドに向かう便が
この航空会社が始まって以来の大事故に遭遇してしまう。
 
揺れが続き、おかしな飛び方をするなと思い、
Kさんが窓の外を見るとプロペラがすでにまわっていなかった。
 
自分自身に落ち着け落ち着けと言い聞かせていると、
その間に他の乗客も気づいたようで、すぐに機中はパニック状態に陥った。
 
緊急着陸させるとのアナウンスを残し、高度を下げ、
空港らしきものが旅客機の窓から見えた時、そこには今まで見たことのない数の
消防車が飛行機と併走していた。
 
この異常な風景を見てKさんは「ああ、これまでか」という思いが頭をよぎったそうだ。

しかし、旅客機は幸いなことに炎上することもなく見事胴体着陸を果たすことができた。
白い消化剤がまき散らされた滑走路に自身の足で降り立った時、
Kさんはこう決心し、神に誓ったという。

 「金輪際、死んでも飛行機には乗らない」

ニュージーランドでの仕事を終えたKさんは、
お願いしていた貨物船に乗ってアメリカに渡り、
アメリカから再び船で日本に帰国した。

それから歳月は流れる。

Kさんが親しくしている四国の漁業会社と仕事を進めたいと同業の社長2人から相談を受け、
Kさんは力になることを約束し、一緒に四国・徳島に同行することになった。
 
せっかくだからということで、徳島の阿波踊りに合わせて出発することになった。
 
チケットは相談を受けた社長が用意することになり、3人分を手配できたと報告に来た。
「徳島の阿波踊りと重なってチケットを取るのは大変だったよ」
と言いながらKさんに渡されたチケットは「航空チケット」だった。

それを見たKさんは
 
「オレは前々から死んでも飛行機には乗らないって言ってあるだろう。
あんた達は飛行機で行ってくれ、オレは電車で行くから」とふたりに言い、
チケットをつき返した。

「この人にへそを曲げられたら大変だ」と思ったのか、直前にもかかわらず、
せっかく入手にしたチケットをキャンセルし、電車で向かうことに変更した。

3人は徳島に向けて電車の旅を始め、四国行きのフェリー乗り場で食事をすることにした。
食堂に置かれているテレビを何気なく見ていると
ニュースで旅客機が行方不明になり世間が大騒ぎになっているらしいことがわかった。

人ごとながら大変な事故だなと言い合いながら、
ニュースでさらに詳しい情報を聞いていると、
航空券をキャンセルした社長が神妙な表情でふたりに向かってこう言った。

「おい、この飛行機は俺たちが乗ることになっていた飛行機だよ。
おれがチケットをキャンセルした便だよ」


今でも毎年欠かさず、一緒に徳島に旅したふたりから
Kさんにはお礼の品物が届くそうだ。

僕がKさんとの話で印象深かったのは、
Kさんが僕に話したかったことは自分の命が助かったということではなく、
別のところにあったということがわかったからである。

墜落した123便は満席だった。
 
Kさんらがキャンセルした席には、キャンセルを待っていた誰かが
確実に入れ替わる形で座り、そして入れ替わる形で亡くなっていった。

Kさんは、この日になると、
自分が会ったことも、もちろん名前も知らない自分の身代わりになって
亡くなった誰かのことを毎年思い、追悼の思いを抱きながら手を合わせているそうだ。

 「生かされていることに感謝する」

 そのことを改めて実感させられる機会となった。

http://kansya385.blogspot.jp/2008/05/blog-post_10.html

         <感謝合掌 平成28年10月27日 頓首再拝>

《お前の商売をやめて神の商売をやれ》 - 伝統

2016/11/09 (Wed) 03:34:23


         *「生長の家」(昭和51年6月27日の法語)より

   『生命の實相』の中にこんな話が書かれてあります。

   第一次世界大戦のとき、巨億の船成金 になった山下市助さんが
   大正九年の恐慌のときにすべての財産の価値が暴落し、
   借金だけは 暴落しないので、三百万円の借金が出来、
   (当時 の三百万円は現在の三十億円にも当たる)
   その返済が不可能になった時、

   山下市助さんは金光教の信者であったので、当時有名な指導者であった
   大阪泉尾教会の三宅先生に指導を求めると 、先生はいとも簡単に
   「借金なら払ったらよい」といわれた。

   「払える力がある位なら先生に 相談にまいりません」と
   市助さ んが答えると、 三宅先生は「お前に は払えないかも知れないが 、
   神なら払える。今日からお前の商売はやめてしまって、神の商売をやれ、
   そして神 の番頭となって、神さまのお導きのままに動け」といわれた。

   そのお導きの通りに実行して破産の宣言をまぬがれ、再び捲土重来して
   満州に鉛の 鉱山 を経営されという実話が載っているのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年11月9日 頓首再拝>

《自性円満の根本運命に還って出直すこと》 - 伝統

2016/11/22 (Tue) 03:42:09


         *「生長の家」(昭和51年6月28日の法語)より

   「今から、お前の商売をやめて、神の商売をやれ、
   神ならどんな巨額な借金でも払える」という指導は、
   単に、商売や、金銭上の問題だけではないのである。

   「今からお前の生活をやめて、神の生活をはじめる。
   神ならどんな困難も切り開くことが出来る」という意味にも
   解することが出来るのである。

   人間が色々の生活上の問題で困難を生ずるのは、
   人間の「我の心」で利己心が出たり、欲心が出たり、
   煩悩が出たりして、

   根本運命であるところの「自分は神の 子」である
   という自性円満を忘れてしまって、

   「自分は猿の子孫で、動物と同じよう な下等なものだ」
   という現代科学とやらの示す常識で”中間運命” の
   不完全な生活をするからなのである。

   こうして生じた困難を解決するには、
   宜しく”中間運命” の世界にマゴマゴすることなく、
   自分の”根本運命” たる「人間神の子」の実相に立ちかえって
   生活をやり直すのがよいのである。

   本源に還るということによってのみ人間は自由無碍の世界に
   出ることが出来、困難が解消するのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年11月22日 頓首再拝>

《善き幸福な”未来運命” を創造するために》 - 伝統

2016/12/08 (Thu) 03:45:52


         *「生長の家」(昭和51年6月30日の法語)より

   本源に心の視点を定めて、”根本運命”たる神の子に
   本来定められている幸福を見、健康を見、繁栄を視るがよい。

   人間の根本運命は、神がつくった根本の御業(みわざ)
   (根本業)なのであるから、 それが唯今、
   現象界にあらわれていようと、あらわれていまいと、
   それは消えることも無くなることもないのである。

   ”運が悪 い”という人は、” 根本運命”が悪いのではなく、
   神のつくった根本の御業(みわざ) (根本業)の運行に随わないで、
   自分の”我 の心”で選んだ、道なき道を勝手気儘に進んで
   来たからなのである。

   ”運が悪い”と思う人は、ここらで一寸たち停って、
   自分の生活が本当の道の上を歩いているか脚下照顧して
   考えて見ることが大切なので、

   自分が途中で、どんな業(わ ざ)をしたか、
   人を憎んだことはないか、 腹を立てたことはないか、
   人を怨んだことはないか、憂え悲しんで暗い心になったことはないか、

   栄えている人を見て嫉妬したことはないか、
   自分の持ち分でないものを 羨んで欲しがったことはないか、
   人と喧嘩したことはないか、恩ある人を逆に罵ったことはないか、

   これらのことは途中で自分がこしらえた”中間業”であるから、
   一度それを懺悔して洗い浄めてしまってから、

   青空のように曇りのない本来運命の方へ進んで行き、
   本来運命の延長としての、唯、善のみ、幸福のみ、繁栄のみの
   ”未来運命”を創造して行くがよい。

   その善き未来運命の 建物を建てる地均(じなら)しとして、
   一度は練成会に参加して、浄心行を受け、以上あげたような色々の
   ”中間業 ”を紙に書いて懺悔し

   『甘露の法雨』の集団読誦の中に、その懺悔の紙と共に
   悪しき”中間業”を 消去してしまうがよい。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

         <感謝合掌 平成28年12月8日 頓首再拝>

因縁尊き日 - 伝統

2017/04/25 (Tue) 03:23:06


           *「光明道中記」(4月25日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは
私ほど学校教育を受けなかった。

若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、
今日の『生長の家』は存在しなかったかも知れぬし、
私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

         <感謝合掌 平成29年4月25日 頓首再拝>

月から親を選んできた子供達 - 伝統

2017/06/21 (Wed) 03:44:53

残酷なくらい正直な話(家族編2)月から親を選んできた子供達

         *Web:「雅代メソッド」(2017年06月02日)より

今日は、残酷なぐらい正直な子供達が
「月から親を選んで来た」と言っている
ご家族の妊娠から成長までの実話をお届けします。

これは私とたまたま面白い経験を持つ
スタッフの健司さんとの会話の録音ですが、凄いのは、
最近このように不思議に生まれたお嬢さんたちが、

「〇〇家の子供として育ててくれてありがとう」
とはっきりとお礼を伝えてくれたそうです。

やっぱり子育てに文句を言うより、自分のところ
に生まれてくれた子供たちに感謝ですね。


内容の要約は次の通りです。


①健司さんの奥様は、どうしてだか
 「双子のママになる!」という夢を昔から持っていた。

 そして妊娠なさった時、はじめのエコーで
 玉が「1つ」しか見えていなかったのに
 「分かれろ~双子になれ~!」と念じて、
 なんと次の健診では受精卵が分かれ、双子に!


②双子のお嬢さんたちは小さな頃、生まれる前の記憶があった。
 お嬢さんたちは月にいて、神様とパッセ(天使)たちと相談し、
 双子の長女が先に健司さんと奥様を選び、
 その後、私も行きたいと次女が頼んだから
 パッセと一緒に来たと話していた。


③「パッセ」ってなんだろう?と健司さんが質問すると、
 天使のような小さなおじさんで、地球に子供を連れてくる
 相談役のような係だと言う。

 スタッフの子供が生まれるとなった時、
 「またパッセが連れてくるの?」と聞くと、
 「今度はみっちゃんだ」と。 

 パッセは女の子の担当で、みっちゃんは男の子の担当なのだと。
 生まれてきたスタッフの子供は、なんと男の子。

 ある時、健司さんが読んだ「リコネクション」という本の中に、
 神様と人間とを取り持つ相談役の
 「パーシェリー」という女の子の担当の天使と、

 別の役割をもつ「ミッシェル」という、男の子担当の天使の
 話が出てきて、子供たちの言ってた天使はこの天使だ、
 あの子達の言ってることは本当なんだ。と思ったそう。


④パッセは、子供たちを連れてくるだけじゃなく、
 10歳くらいまでは時々来て助けてくれるそう。
 「ほら、今もパパとママの間にいるよ~」と話していた。


⑤最近の子供は、「インディゴ・チルドレン」
 「クリスタル・チルドレン」などと言われているように、
 新しい時代の使命を持って生まれてきている子なので、
 大人と感性が違い、何か不思議なことを言ったりするかもしれない。

           ・・・

その時に、間違っていると型にはめようとしたり、
馬鹿にしたり、否定しては絶対にダメ!
その子達を認め、大切に伸ばすようにしていこう。


 *約15分の録音は
   → http://www.masayo.us/sound/170502-kenji.mp3

  (http://ameblo.jp/masayokoshiyama/entry-12275754513.html

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第二」内スレッド「胎内記憶Ⅳ」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2190   


(2)「光明掲示板・第三」内スレッド「胎内記憶Ⅴ」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=92


(3)「光明掲示板・伝統・第一」内スレッド「自分をえらんで生まれてきたよ (66)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=40


(4)「伝統板・第二」内スレッド「自分をえらんで生まれてきたよ」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457822


(5)「伝統板・第二」スレッド「胎内記憶」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6727130

         <感謝合掌 平成29年6月21日 頓首再拝>

子供は親の成長のためにも親を選んで生まれる - 伝統

2017/07/09 (Sun) 04:43:38

残酷なぐらい正直な話3(子供は親の成長のためにも親を選んで生まれる)

         *Web:「雅代メソッド」(2017年06月09日)より

39歳で結婚し、その年に3回妊娠しましたが、
初回の時は、すぐ初期流産してしまいました。

半年後に2回目の妊娠をするも、8週程で流産。
3ヶ月後に3回目の妊娠をし、やっと息子が産まれました。


その出産直後の入院中、肺塞栓症で倒れてしまいましたが、
幸運なことにうまく物の間に挟まるように倒れたので、
頭を打たずにすみました。(神様に感謝)

    <参考>
     アメリカではこの病気になると2人に1人は亡くなり、
     出産時の死亡原因の1位。
     高齢出産で帝王切開すると、この病気のリスクが高い。


産後の肥立ちが悪かったので、家政婦さんや、
ベビーシッターさんの力を借りて、なんとか子育てをしていました。

そうして息子が2歳になり、子育てが一段落して
楽になった43歳の頃、女の子を産む夢を3回見たのです。

声が聴こえるわけではなかったのですが、
《もう1人産む事を示唆しているのではと直感で思いました》。

年齢、体力の限界をすぎているとも感じてはいましたが、
「産まれたい! 」とせっつかれている感覚を強く感じ、
それを無視できなかったので、主人に夢をみたことを相談してみました。

「どう思う? 」と聞いたところ、主人は
「子供は大好きだから何人でも構わないよ」と言ってくれました。

しかし、年齢・体力的に限界が過ぎているので、
その子供に心の中で

「あなたの産まれたいという気持ちに応えるわ、
でも、産まれたかったら、3ヶ月間の間にお腹の中に来なさい、
それ以降は私は無理よ。」

と話しかけました。

《すると、3ヶ月を待つ事なく、すぐ妊娠!》
子供を産むと決めた最初の排卵日での妊娠で驚きました。



しかし、妊娠しているのに大量の出血が続き、
まだ息子の子育て中なので養生もできず、困っていました。

病院へ行ったところ、医師からは
「既に1人いるから、いいよね。」とまで言われ、
流産の可能性が高い事を知らされたのです。
自分でも、無理かなと感じていました。

ところが、超音波内診したところ、医師に

「え、子宮の上に腫瘍があるよ」

と言われ、出血は流産ではなく、それが原因だったのです。

治療をすると赤ちゃんに影響が出る可能性が
とても高いので、出血はひどかったのですが、
しばらく様子をみていました。



流産となってしまうか不安に思いながらも、
腫瘍の様子を1ヶ月みたところ、幸にも腫瘍がおりてきていて、
「糸をひいて子宮口」に挟まっていたのです。

医師は、麻酔で切ることも検討したが、
赤ちゃんに影響があるので、
「ここまで降りて来たので、待ちましょう!」ということに。

それからしばらくして、触っても痛くなくなり、
医師も「今なら麻酔を使わず摘出できる!」
ということで、即摘出をしました。

腫瘍は、梅干し大の良性のもので、これは神様が、

《子供を産む前の毒だしをしてくれたんだと感じ、むしろ感謝の気持ちでいっぱい》

になりました。

その後、娘を無事出産し、すくすく育っています。



今思うと、娘の夢を見る数ヶ月前に、
心境的ターニングポイントがありました。


息子を産んで2年程たった頃、

「ああ、人間の幸せというのは、愛することなんだ」

と強く感じ、今までの人生、正しいと思っていたことが
間違っていたとも気が付きました。

以前は、どう考えても自分の方が正しい時など、
相手を責めたり裁いたりしていましたが、
そうしても事態は改善されず、そこから進まないことに
いつも疑問があったのです。

(自分が正しいと思う故に、相手に認めてもらったり
改めてもらうしかないと思っていました。)


しかし、子育てをしていると、
それが間違いと気がついたのです。


もし、その間違ったことをしているのが
愛する息子だったとしたら、責めたり、裁いたりしません。


愛が根底にあれば、もっと、相手のことを思いやったり、
たとえ、間違ったことをしていても、お互いがよくなる
最善の道を一緒に探れるのではないかと感じ、

今までは人をただ責めていたけれど、
「愛のある行動していくべきだ」と強く感じました。


《「愛を第一の動機とする」
「生きるということは、愛を根底において人と関わり、
生活していく」

息子を授かって、「愛が根底に必要」ということが
身にしみて分かりました。》


このことに気付き、娘が産まれる手術中にも
「本当に人間の幸せは、愛すること」なんだと強く感じ、

「あなた(娘)は、愛する事を体得するために、産まれて来るのね」

とずっと心で話しかけて、
娘もそれを体得するために産まれてくるのだと思いました。

   (http://ameblo.jp/masayokoshiyama/entry-12275755186.html


         <感謝合掌 平成29年7月9日 頓首再拝>

生まれる前から養子縁組も決まっている - 伝統

2017/07/21 (Fri) 03:58:15

残酷なぐらい正直な話4(生まれる前から養子縁組も決まっている)

         *Web:「雅代メソッド」(2017年06月16日)より

アメリカは養子縁組が非常に多く、皮膚の色が全く異なる親子をたくさん見かけます。

私が非常に驚いたのは、ある韓国人の子供を育てあげたご夫婦と養子の話をしていた時です。

ご夫婦は白人なのですが、奧さんは自分が小さい時から、韓国生まれの子供を
養子にすると分かっていて、ご主人も似たような思いがあったそうです。

ですから、私たちは生みの親だけでなくて、
育ての親も選び、親も選ばれるのが決まっているのかなあと思います。

博識博学で、人間性も最高のサイキックのビル・モンロー氏ももらいっ子。

ビルの国際リーディングでは、彼の愛情いっぱいのアドバイスももらえるのですが、
そんなビルも超パワフルな愛情いっぱいの育ての親を選んで生まれてきたようです。

今日は、そのビルの育ての親、ルーシーさんの愛と勇気に満ちた驚きの話をご紹介します。


*****


自ら法律を変え、多くの子供たちに愛と生きるための糧(かて)を与えた母

アメリカでは養子縁組が頻繁で、とてもオープンです。
サイキックのビル・モンロー氏も、幼い頃、実母に虐待され、
見かねた親戚が養父母となりました。

ビルさんの養母、ルーシー・モンローさんは現97歳。
13歳のときにガンを発症、卵巣を摘出し、子供が産めなくなりましたが、結婚後、
子供のいる温かい家庭を持つことをあきらめられず、
26歳でビルさんを養子にします。

そして当時、虐待され、親に捨てられ、そのうえ障がいをもった孤児たちは
施設に隔離され、養子縁組のチャンスが与えられないという事実を知ります。

そこで、地元の養子縁組斡旋所と協力し合い、
このような施設に入っている子供たちにも養子縁組のチャンスが平等に与えられるよう、
政府へ自ら嘆願書を提出。

約1年後にそれが認められ、イリノイ州の法律が改正されたのです!!


ルーシーさんも、全員、心身に障がいをもった子供たちを養子にし、
長男のビルさんを筆頭に計6人(男4人、女2人)の子供たちを、
愛情いっぱいに立派に育てました。

息子さんの一人は医者に歩くことは不可能と言われたのに、ルーシーさんは絶対諦めず、
親子で色々努力し、歩けるようにまでしたそうです。

彼女は、13歳のときにガンにかかって以来、その後
約8カ所にガンが転移・再発、20回以上も手術を受けました。

健康面でのチャレンジを繰り返し経験したにもかかわらず、
前向きな姿勢と勇ましさで、そんな辛苦(しんく)も次々と見事に克服!!

「母は、私たち兄弟に愛に満ちた家庭を与えてくれただけでなく、
ネバー・ギブアップ(決してあきらめない)という精神と、生き様を通して、

どんな状況下でも負けずに生きていく心構えと術(すべ)を教え、
私たちが強くたくましく、独立できるよう導いてくれた」と語る、ビル。

身長145㎝と小柄ですが、超パワフルなルーシーさん。
彼女の活躍でたくさんの障害を持った孤児たちが助けられました。

どんな状況でも決してあきらめずに、前向きに進み続ける
ルーシーさんの生き方には、感動と学びがいっぱいですね!

   (http://ameblo.jp/masayokoshiyama/entry-12282294025.html

         <感謝合掌 平成29年7月21日 頓首再拝>

前世の記憶を語る子供達 - 伝統

2017/08/03 (Thu) 04:33:27

残酷なぐらい正直な話7(家族編)前世の記憶を語る子供達

         *Web:「雅代メソッド」(2017年07月07日)より

最近は、子供の多くが前世の記憶を持って生まれ、
特殊な能力を持って生まれた特別な子も多い、

と報告されています。


今日はこのブログの編集担当のカナさんのおもしろい実話をご紹介します。

*****

今までの【残酷なくらい正直な話~家族編~】の

「月から親を選んで生まれて来た子供達」

「子供は親の成長のためにも親を選んで生まれる」

というブログを編集していて、
私の子供が生まれる前の記憶にとても興味を持ちました。



そこで、以前からも、娘にも胎内記憶があるのか、気になっており、
聞くタイミングを探っていたので、
今がそのタイミングなのかなと感じ、先日聞いてみました。

娘とお風呂に入っていて、赤ちゃんごっことして、
娘は体を丸め、私が抱いてお湯にゆらゆらしている時、

「赤ちゃんの時はこうやってお腹にいたんじゃない?」と何気なしに言うと、

「そうだよ~。ピカピカのお腹だったの。オレンジと黄色のお日様色!」

と、話し始めました。


写真:娘が「コレ!」と選んだお腹の中の色です。

娘の語りの邪魔をしないように、ゆっくり聞いてみました。

私 「お腹の中にいる前はどこにいたの?」

娘 「上にいて、優しそうだな~って。
   お母さんを見つけて、突入~ってお腹に入ってねんねしたの。」

私 「どうやって選んだの? 誰かに言われたの?」

娘 「自分で選んだよ。」

私 「上ってどこのこと?」

娘 「雲の上だよ~! お空のね。」

私 「そっか~。すごいね~」


娘も記憶あるんだな~と思っていると、ぎょっとするようなことを言われました。

娘 「今のお母さんの方がず~っと優しい!」

・・・今のお母さん??

私 「じゃあ、前のお母さんもいるの?」

娘 「そうだよ。前のママはね、嫌だったママなの。
   何もしてないのに叩くの。だから嫌だな~って。
   それでね、子供で上に行って、
   優しいお母さんを見つけて赤ちゃんになったの。」

私 「子供って何歳のこと?」

娘 「2歳だよ。逃げ出したの。だから今は良かった~って思ってるんだ。」

私 「お母さんも、お母さんのところに産まれてきてくれて嬉しくて良かった~って思うよ。」


写真:生まれたばかりの娘と私。

前世は虐待でもされていたのだろうか?

何があったんだろう?と気になることがいっぱいなのですが、
話しがだんだん幼稚園の子の名前が出てきたり、
現実と混ざって来ていたので、聞くのはここまでにしました。

何とも言えない不思議な感覚を味わって、
娘も何か記憶があったようで驚きました。

http://ameblo.jp/masayokoshiyama/entry-12287371966.html

         <感謝合掌 平成29年8月3日 頓首再拝>

子供が親を選んで生まれてくる理由 - 伝統

2017/08/17 (Thu) 04:33:49

残酷なぐらい正直な話8(子供が親を選んで生まれてくる理由)

         *Web:「雅代メソッド」(2017年07月14日)より

「私はこの親の子供になりたくなかった」と、
子供の頃に思った人も多いと思います。

今日は、どのような理由で親を選んでくるのか、
親として選ばれるのかという話を録音しました。

私たちの狭い発想が崩れ、親子関係の理解が
かわり、自分の親子関係の分析も始まり、
人生への理解が深まりますよ。

*****

内容の要約は次の通りです。
約14分の録音は下記の要約の一番下にあります。


①子供というのは、いろんな理由で親を選んでくる。

 ひとつに「親の成長」のため。
 肉体は子供だけれども、魂は子供の方が古い場合もある。

 なので、子供は親だからしっかりしている、
 分別がついている等と期待し、
 親の言うことを全て聞くなんてダメ。

 親も、自分が肉体的に先に生まれたからといって、
 子供を親がコントロール出来るとか、
 いつも言うことを聞くと思ってはダメ。

 これは幻想。

②魂が古い方が子供として生まれてくる場合は結構あるから、
 「なんかこの子いつも偉そうに私に物を言うな~」とか、
 逆に「私の親はすごく子供みたいだな・・・」と思う人も多い。

 「親の方が必ず人間的に成長している」
 と言うことは言い切れない、ありえない。

 なので、親に期待し過ぎてはダメ。
 自分でしっかりしなくてはいけない。

 子供の魂が古い場合には、子供がしっかりしていて、
 良い事を起こしてくれることもある。


③いろいろな人のリーディングや通訳で立ち会ったり、話を聞くが、
 今世での色々な役割があるこということを理解する。

 例えば、ある夫婦は前世で敵同士ですごく仲が悪かった。
 そこに、親たちよりも成長した魂の子供が来た。

 しかも「たまたま」というより「わざと」障がいを持って生まれてきたりする。

 そのおかげで、親たちが対立せずに、愛情を持って
 協力して育てることによって、2人が愛を持った人間として育つようになっている。

 他の例でも、ある子が障がいを持って生まれてきた。
 その子のお母さんは前世で、障がいを持った人に対して
 偏見があったりいじめたり非情な事をしていた。

 なので、今世は「自分の一番大切な存在=子供」が障がいを持つことによって、
 人間としての愛情をきちんと持てるようにされた。

 わざと親の学びの為に、問題を持って生まれてくる事がある。

④みんな自分の子供に問題があると、
 「嫌だな、どうして私だけこんな子を産んじゃったのか」
 「こんな風に産んでしまってごめんね」
 「問題のある子なんて嫌だ」とか考える。

 この発想は、まるっきしダメ!

 何かの意味があって、ここから自分が学ぶチャンスで、
 前向きに人間として、愛を持って解決させるべきと考える。

 恥ずかしいと思わずに、周りの人に協力してもらいながら、
 支えてもらいながら、感謝して過ごすことを学ぶ。

⑤親子関係で、前世で事故にあったり怪我をしたり、
 助けてもらったことがあると、カルマ=学びとして
 今世は逆に助けてあげるチャンス。

 カルマは、学んで体験して成長するチャンス。

⑥世界的に有名なアメリカ・ホリスティック医学協会
 創立会長のノーマン・シーリー博士は、

 「人々を健康にするには、色々しなくてはだめだが、
 本当の健康にするには、前世療法が必要だ。」
 と言っている。

 過去世に戻り、状況を理解し解き放つと、
 体や心の問題も全てうまくいき、心が安定する。

 いろんな状況で、どんな関係であっても、何かに全て意味がある。

 親子関係でも夫婦関係でも、問題が起きるのは
 自分の学びの為と思って、絶対に悪くとらえない。

 物事を違う角度からとらえると、嫌な事ばかりではない。

 ありがたいチャンスだと思うと、人生楽になる。

           ・・・

より健康で幸せへの
『残酷なぐらい正直な話』(家族編)

【子供が親を選んで生まれてくる理由 約14分】
    (http://www.masayo.us/sound/zankoku/1707-kodomo.mp3

https://ameblo.jp/masayokoshiyama/theme5-10102372147.html

         <感謝合掌 平成29年8月17日 頓首再拝>

《運命は各人それぞれ花咲く時期が異なる》 - 伝統

2017/09/02 (Sat) 04:28:21


           *『 生長の家 』( 昭和24年8月11日の法語)より

   人には幸運の早く廻(まわ)って来る人と、
   おそく廻ってくる人とがある。
   おそく廻って来る人 必ずしも悪いのではないのである。

   すべての草木がそれぞれ花の咲く時期が異なる様に、
   人間も運命の花の咲く時期が異なるのである。

   他の人の運命が好転しているのを見て、
   自分の運命がまだ花咲かぬのを嘆いてはならない。

   やがてすべての人間は、信じて努力して待てば
   その運命に花咲く時期がくるのである。

   併(しか)し 信じて努力しないものには
   幸運が内にあっても外に顕(あら)れて来ないのである。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12787883.html

         <感謝合掌 平成29年9月2日 頓首再拝>

インドネシア機墜落、交通渋滞で乗り遅れた男性が九死に一生を得る - 伝統

2018/10/31 (Wed) 10:26:09


       *Web:AFP BBニュース(2018年10月30日)より

【AFP=時事】
乗客乗員189人を乗せたインドネシアの格安航空会社(LCC)ライオン航空(Lion Air)の
旅客機が29日に墜落した事故で、この便に搭乗予定だったインドネシア人の男性が、
首都ジャカルタの交通事情の劣悪さにより偶然にも命が助かっていたことが分かった。

男性は空港に到着するのが遅くなり、墜落した飛行機に乗り遅れたという。

インドネシア財務省に勤めるソニー・セティアワン(Sony Setiawan)さんは、
同僚たちと週1回のペースで出張に出ており、29日には悲劇的な運命を迎えた
JT610便に搭乗するはずだった。

 
だがセティアワンさんは有料道路で、数時間足止めを食らった。

セティアワンさんはAFPに対し、
「たいていJT610便を利用している。同僚たちと私はいつもこの飛行機に乗っている」
「どうして有料道路の状況があんなにひどかったのか分からない。
いつもはジャカルタに午前3時に到着するのに、
あの朝は6時20分に空港に到着して乗り過ごしてしまった」と話した。

当局は、墜落事故の生存者がいそうにないとの見解を発表しており、
当日の交通渋滞がセティアワンさんの命を救った形となった。

セティアワンさんは感謝の念を抱く一方、
同僚6人を含めた多くの人々が幸運だった訳ではないという事実が突き付けられた。

「初めて耳にした時、泣いてしまった」「友人があの便に乗っていたのを知っていた」
とセティアワンさんは話す。


西ジャワ州バンドン(Bandung)で暮らすセティアワンさんは、
次のパンカルピナン(Pangkal Pinang)行きの便に何とか乗り込み、
無事到着して初めて事故について耳にした。

一時的に打ちのめされていた家族らは、
セティアワンさんからの電話に感極まったという。

「私の家族はショックを受け、母親は泣いていた。
だが無事だということを伝えた。ただただ感謝するだけだ」

旅客機は首都ジャカルタを離陸してからわずか13分後、
レーダーから消えてジャワ海の沖合に墜落した。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181030-00000037-jij_afp-int

・・・

<関連Web:伝統板・第二「運命が修正される原理」
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7075499 >

         <感謝合掌 平成30年10月31日 頓首再拝>

エチオピア航空機事故、ギリシャ人男性 2分の遅刻で難を逃れる - 伝統

2019/03/15 (Fri) 04:28:34


        *Web:時事ドットコムニュース(2019年3月11日)より


【アテネAFP=時事】

エチオピアの首都アディスアベバからケニアの首都ナイロビへ向かっていた
エチオピア航空機が墜落し、乗客149人と乗員8人が全員死亡した事故で、
ギリシャ人男性が搭乗時刻に2分遅刻したため難を逃れていたことが10日明らかになった。

(写真はエチオピアのビショフトゥ付近にある墜落現場で、犠牲者の遺体が入った袋)

アントニス・マブロポロスさんは、事故機の150人目の乗客となるのを免れた体験を、

「私の幸運な日」

と題して自身のフェイスブックに投稿。

「ゲートに時間通りに到着しようとしたが誰も助けてくれず、本当に頭にきていた」
と当日の様子を搭乗券の写真付きで説明した。

マブロポロス氏は非営利団体「国際固形廃棄物協会」の会長を務めており、
事故当日はナイロビで開催された国連環境計画の年次会議に出席する予定だったという。

しかしマブロポロス氏が搭乗口に到着したのはゲートが閉まってから2分後だった。

抗議もむなしく、マブロポロスさんは警備員らに連れられ、空港警察署へ。
そこで、搭乗するはずだった便が行方不明になったという衝撃の事実を知る。

「(空港警察の警官は)穏やかな態度で
『抗議はやめて、神様にありがとうと言いなさい』と言った。
なぜなら、私が、乗らなかった唯一の乗客だったからだという」

警察は、マブロポロスさんが搭乗しなかった経緯について聴取。
後に同便の墜落が判明すると、マブロポロスさんはショックで倒れ込んだという。


マブロポロス氏が搭乗しなかった唯一の乗客だったため、
身元の照合や搭乗しなかった理由などを職務質問する必要があったと空港当局は説明した。

その後同氏は解放された。

ET302便のボーイング737型機は、10日朝、離陸直後に墜落した。
 
737型機は、昨年10月に発生した乗客乗員189人全員が死亡した墜落事故で、
インドネシアのライオン航空が使用していたものと同型機だった。

     ( https://www.jiji.com/jc/article?k=20190312038355a&g=afp )

   ( https://news.goo.ne.jp/article/asahi/world/ASM3C6212M3CUHBI021.html )

奇跡!エチオピア航空機墜落事故、全員死亡した事故でギリシャ人1名が搭乗時間に2分遅刻して助かる
  → https://www.youtube.com/watch?v=xinV7Pz5GaA

         <感謝合掌 平成31年3月15日 頓首再拝>

神秘な力は存在する - 伝統

2019/04/20 (Sat) 00:44:46


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月20日)」より

イタリヤの彫刻家チェリーニは
ある事件で法王のためにサン・アンジェロ城に禁錮せられた。

彼は悲しんで自殺しようとした瞬間、
ある不思議な見えない力が突然彼の身体(からだ)を
捉えて一間ばかり投げとばしたので、チェリーニは気絶した。

その晩、夢に不思議な青年が現われてチェリーニに自殺を思い止まるように説教したので、
チェリーニはついに自殺を思い止(とど)まったのだという。

神秘な力は存在するものなのである。
唯物論では、生命の世界はわからない。

            <感謝合掌 平成31年4月20日 頓首再拝>

運命は、磁石に喩えられる - 伝統

2019/08/13 (Tue) 04:47:46


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月13日)より

一つの結婚に破れて、「惜しいことをした。あそこまで進んでいたのに。
あの人が要らぬ口添えをしたからだ」などと後悔する者は愚かなる者である。

成らない結婚は、それは成らないことによってそれは良かったのである。
だれかの少しの口添えくらいで破壊するような結婚は
砂の上に建てられた家のようなもので、
結婚してからも少しの風波に揺られると破壊したかもしれないのである。

結婚してから、夫婦関係を破壊するのは遅すぎる。
破壊するなら婚前のちょっとした問題で破壊したが良かったのである。

物の成ると成らざるとは、
「誰かがどう言った」などのことに原因があるのではない。

不思議なその人おのおのの「心」の中にある運命が招(よ)び寄せる力が、
ある運命を反発し、ある運命を磁石のように吸い寄せるのである。

      <感謝合掌 令和元年8月13日 頓首再拝>

《運命の転換のための自壊作用》 - 伝統

2020/06/05 (Fri) 04:21:26


          *『 生長の家 』(昭和29年5月8日の法語)より

   仕事の成功を求めるために、
   「神よ、私の生命をあなたが私に使命づけられた仕事のために捧げます。」
   と言って祈った場合、あなたはその仕事に失敗するかもしれません。

   それを自壊作用と言うのです。

   あなたが現在やっている仕事が、「神があなたに使命づけられた仕事」
   ではなかった場合には、その仕事を自然に止めるようになるのは
   当然のことなのです。

   いくらあなたが「神の使命づけられない仕事」に一時的に成功なさいましても、
   「神の使命づけられない仕事」は恰も根のない樹のようなものですから、
   やがては枯れることになるのは当然なのです。

   しかし、「神が使命づけられた仕事」に到著するまでは、
   現在与えられている仕事は、その使命に到達する過程としての練成であると思い、
   一心に真心をもってその仕事に邁進すれば、
   やがてはそれを踏石として次の仕事が現れて来るのです。

   https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2262

      <感謝合掌 令和2年6月5日 頓首再拝>

Re: 「運命の神秘」 - hhwcowghcMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:15

伝統板・第二
hhwcowghc http://www.g83zmk00s2rgrg230362z3wdqt440i0ls.org/
<a href="http://www.g83zmk00s2rgrg230362z3wdqt440i0ls.org/">ahhwcowghc</a>
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