伝統板・第二 2517610

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「牝鹿の脚」の話

1:夕刻版 :

2015/09/10 (Thu) 18:34:10

・・・

「牝鹿の脚」全文については、「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐[749] 牝鹿の脚の話」
 (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=96
でも確認できますが、以下に、その要点をまとめておきます。

・・・

(1)吾々が善であると同時に福を実現せんと欲すれば、
   「牝鹿の脚」に乗っていと高き所に登ることが必要なのである。

   牝鹿の脚とは一体何であろうか。

   読者は先ず第9章の「牝鹿の脚の話」を読み、
   然るのち第13章の「幸福の世界に出る法」を読み、

   その要領を体得して置いて、第1章から順次飜読せられるならば、
   その善と福とを実現する根本原理を獲得せられるに近いものがあることを信ずる。

     <「善と福との実現」序文より>

(2)天地掌握の秘密とは?

   「それは極めて簡単だよ。君の脚を牝鹿の脚のようにするだけで好いんだよ。
   あとは神様がやってくれるのさ。」

      <ダン君とクラーク氏の会話より>

(3)何でも自由自在に思うことが成就すると云う人は、既に「牝鹿の脚」を得ている人である。

     
(4)「君は失望しているね、若い人。君は失望などする権利はないよ。」とその老翁は云った。

   「君の脚を牝鹿の脚に変えるんだよ、若い人、そうすれば君の運命はかわってくる。」

          <白い髯のおじいさんが、ジョー氏へ述べた言葉 より>
          
(5)「君が牝鹿の脚を得たら、何よりも先ず内部の静謐と云うこと、
   深い深い深い魂の奥底の静謐を得なければならぬことがわかりますよ。」
     
       <ジョー氏がクラーク氏へ伝えた言葉より>

(6)「それから或る日の事、グリーリー・デンバー間の汽車に私は乗ったのです。
   その時、私の隣の席にかけていたのが白い髯のおじいさんでした。

   そしてその人が私に、『低い世界』で生きることを止めなさい。
   人間はすべからく、『牝鹿の脚』に打ち乗って、
   高所に翔けのぼるべきですよと云ってくれました。

   私はこのおじいさんの勧告に従ったのです。
   私は小説の構想を製造する工場であることをやめてしまったのです。
   そして天から流れ入ってくる構想の流れの唯パイプになることにしたのです。

   その結果がこの本です。
   ベスト・セラーになったこの本が結果です。」

      <ベスト・セラー作家ミス・マリアン・グローさんの講演より>

(7)白髪の老人と列車の中でクラーク氏が同席

   ~「魔術の話」の中の展開のお話

    (参考Web ①魔術の話《ナスマッチの教訓》
            → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6553542

           ②”谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「[715] 魔術の話」”
            → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=92  )


(8)白髪の老人の言葉

   「神様から来たものは永遠だと云うことです。
   神様の植えないものは引き抜いて捨てられます。
   しかし神様の植えたものには百倍の果を結ぶのです」


   「(その後)私はただエレヴェーターに乗っただけです。
   そして、別の階層へ上がって往っただけです」


   「(別の階層へ上がって往けたのは、)それは神秘ですよ。
   偉大なる、不可思議なる神秘ですよ。
   若し、貴方が直にその神秘を知りたいと被仰るならば申しましょう。
   それは斯うです。

   『彼はわが脚を牝鹿の脚の如くならしめ、いと高きところに吾を立たしめ給う』
   と云うことなのです」


(9)白髪の老人とクラーク氏の会話

  ①「其の牝鹿の脚と云うのは一体どう云うことなのですか説明して頂けませんか」
   とクラーク氏は懇請した。

   「神様が鹿にはどのように脚を使わねばならぬかをちゃんと教えておられます」と云って、
   老人は謎のように「教えているじゃない、ちゃんと脚を使っていますよ。さあ鹿ちゃん、
   行きなさい。四本の脚を使うんですよと云う所ですな。」と附け加えた。

  ②「では、その鹿は高い所へ登って行くのに何(ど)の道を通っていくのですか」

   「私の見出した最もよき道は『主の祈り』ですよ」こう云うと愈々老人は起ち上がった。


(10)或る農場のカウボーイたちとクラーク氏の会話

  ①「高い所へ登るには山羊のような確実な後脚を持っていなければならないのです」
    (カウボーイ)

  ②クラーク氏の頭への啓示

   「どんな他の動物も鹿の前脚と後脚ほどに
   完全な相互作用をもっているものはないのである。

   牡鹿(おじか)もその点では脅威に価するものではあるが、
   牝鹿(めじか)のそれに到っては、神の創造し給える中でも
   最も完全なる物理学的完全さをもっているものである」


   「牝鹿の脚が山登りをするときにあるように、
   人間も、その生活の高層に登るには、
   その心が「牝鹿の脚」のようであらねばならないのである。

   後脚が前脚の行ったあとをぴったり踏むように、
   人間の潜在意識は現在意識の欲するところを、
   ぴったりと信じ進まなければならないのである」


   「そして動物が高所に登るには前脚と後脚との関係が最も完全なる相互作用を
   もっていなければならないと同じように、人間も高き自由なる境涯に上るには
   現在意識と潜在意識との間に最も完全な相互作用をもっていなければならないのである」


(11)まとめ

  ①人間の唇は現在意識の想念を語るのである。
   ただ Heart(ハート・真実感情)のみが吾々の潜在意識の想念を語るのである。

   「汝が Heart に於いて信ずる如く汝にまで成るのである。
   ハート即ち潜在意識の後脚が、現在意識の前脚の踏むところを、
   ピッタリとその通り信じて行けば、何事と雖も、山に登ることも、
   山をして海に入らしむることも不可能なことではないのである。

   現在意識の言葉と潜在意識の感情とがピッタリ一致することが必要なのである。


  ②吾々は人生の最大の祝福を、単に数寸の後脚の踏みどころで逸して了う。
   この見たところ何でもない数寸が人間を地獄の谷へつき落とし、
   また眺めひろき山頂へと誘ってもくれるのである。

   まことにそれは数寸又は十分の何寸かの狭き門である。

  ③《そのまま》に帰ること、そのままに神の生命をわがものとし、
   神の智恵をわがものとし、神の叡智をそのままに一挙手一投足を
   まかせ切れば好いのである。

   《そのまま》になるには《そのまま》の世界と、
   人間の《そのまま》の生命とがすでに完全なることを知らねばならない。

   それには白髪の老人の言った「主の祈り」が、
   「みこころの天になるが如く地にもならせ給へ」の祈りが最も力をあらわすのである。

   神の完全なみこころは《既に》、「天」即ち實相の世界に、
   其処にすめる《實相の人間》にすでに成っているのである。

   それを知ること、とそれを見ること、観ずること、想念すること、言葉にあらわすこと
   ―― それらのはたらきが「一」に成っているものが真の正しき祈りなのである。

  ④「まず神の国と、神の国の義(ただ)しきを求めよ。其の余のものは汝らに加えられん」
   とイエスは云った。

   神の国は、神の人は既にあるのである。
   ただ、それを毫厘(ごうりん)でも踏みはづして、疑いをさしはさめば、
   それだけ谷底へ墜落するのであると云いたいのである。

             <感謝合掌 平成27年9月10日 頓首再拝>
2:伝統 :

2015/10/09 (Fri) 19:44:03

          *「善と福との実現」第13章より

「幸福の世界に出る法」全文については、
「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐[749] 牝鹿の脚の話」内「幸福の世界に出る法」

にてして確認できますが、以下に、その要点をまとめておきます。


(1)神なる大生命の超意識的心にすっかり委せ切ってしまったに過ぎないのであった。
   そうしたら幸福が来たのである。

   宗教的感情の最も中心となるものは此の「全托」即ちまかせ切りの心境である。
   我(が)の力で、斯うしたら助かるか、ああしたら救われるかと
   左顧右眄している間は救われない。

   それではまだ現象の苦しみの世界にいるのであって、
   心がまだ完全に転回していないのである。

   神への全托とは完全に「神に引渡す」ことなのである。
   米国では surender(無条件降伏)の字を使ってある。
   自身を完全に明け渡して神にまで無条件降伏することが必要なのである。


(2)新しい歓喜と新しい聖悦の放射が私に照り輝いて来た。
   この放射する光は外側から私に新しい同志を引き寄せ始めたのである。

   そして内部から輝く歓喜の光は、氏の心の中に新しい構想を引き寄せ始めたのである。
   新しい同志と新しい構想とが一つになって驚くべき幸福な世界がそこに展開し始めた
   のである。

   全く思いが変化すると同時に新しい同志と、新しい構想とが、一緒になって氏を訪れ、
   地上に真実の神の国が造られはじめたのである。


(3)クラーク教授の周囲に動く一切のものが美しい調和をもって展開した。
   年々、神の導きと恩寵とは愈々益々明らかに示現されることになった。


(4)敵を仆すことを考えないで、如何にせば神の心と調子を合わすことが出来るか、
   と云うことのみを心掛けていることが、却って勝利の秘訣なのである。

   教授は戦勝の功徳が来る様に祈った訳ではない。
   氏は単に歓喜を祈り、あるべきありようを、
   スッカリそして完全に神に委せたに過ぎないのである。


(5)氏の信ずるところによれば、「時間」の世界に展開する災禍というものは、
   「空間」の世界で墜落する橋のようなものである。それは必ずしも吾々が頭を真逆様にして
   その災禍の中に墜落してゆかなければならないようなものではないのである。

   空間の世界で、橋が落ちると云うことが予め予知出来るならば、吾々は必ずしもその橋を
   渡らないで、別に安全な回り路をとることも出来るのではないか、
   そこにこそ神が時々我々に預言的霊感の導きを与え給う理由があると信ずるのである。


(6)自分が毎日規則正しく日課のように祈っている唯一つの祈りがある。
   そしてそれは斯うである。

   「私の生活の今日の一日の一瞬一瞬が、神の国の生活でありますように。
   そして他の人々の生活の一瞬一瞬が神の国の生活であり得るよう神よ霊を注ぎたまえ。」

   此の祈りは他のあらゆる種類の祈りを包容し、且つそれを完結するものであり、正しい
   理解ある信仰をもって祈るとき必ずそれが成就しないことはない祈の言葉なのである。


(7)「神よ、先ずあなたのみ国を、ここにも彼処(かしこ)にも来らしめ給え。
   わが心を成さんとするのではありません。ただ常にあなたの御国を実現せしめ給え」

   とこそ祈るべきであるとクラーク教授は云っている。



(8)隠元豆というお伽噺からの学び

  ①机の上に置かれたる一粒の豆は芽を出すことすら出来ない。
   吾々は百尺竿頭一歩を跳躍しなければならないのである。
   自我の殻を破(わ)ることが必要だ。

  ②そして一歩自我の殻の外に飛び出せ。
   そこには大地が吾々を抱擁し育(はぐく)むべく待っているのである。

  ③雨は降るかも知れない。
   風は吹くかも知れない。
   それは一見困難なる外界の世界に晒される。

   併し、雨は却って吾々を潤してくれるものであり
   風は却って吾々から害虫を払ってくれるものなのである。

   大地とは神の譬喩だ。
   風雨はその摂理の象徴である。

   かくて風雨の自然的なはからいによって豆の種子は、「吾々の個生命」は、
   大地の中に、神の大いなる慈手の中に抱かれる。

  ④大地は神の大愛の象徴であり、天は神の大智慧の象徴である。


(9)「供給無限の黄金律」

   此の無限供給の黄金律さえ手にするならば、
   必要に応じて、必要なものは、今此処に、既にあるのである。

   《今此処に既にある》――これは生長の家の特殊の表現であり、「永遠の今」に
   凝縮されたる「時の論理」であり、「無限にして同時に此処の一点」に凝縮されたる
   「場所の論理」であり、「久遠の時」と「無限の空間」とが「《既に》」よって結合
   され「《吾れ》」によって実在せしめられている自覚の表現であるのである。

   「吾れは神の子なり」とは永遠の今を吾が一点に実現せる
   ―― 随って、「一切のものが、今此処にある」自覚である。


(10)わが生命(いのち)はキリストである。
   わが生命(いのち)は神の子である。
   既に吾れは無尽蔵であり、無限の愛であり、無限の智慧であるのである。


  ①《キリストそのものが我に既に来たり給うていることを》
   信じなければならないのである。
   既にキリスト吾が内にある。

  ②キリストは既に汝等の内に来り給うているのであるが、
   それを顕すためにはキリストを愛しなければならないのである。

  ③先ずキリスト吾れに内在すと、知り認めることがキリストを愛する第一の条件である。
   「愛する」とは、「本来一体の再認識」である。

   キリストと我とは既に一体なのである。
   此の一体を確認することが、キリストを愛すると云うことである。

  ④キリストと一体なる人間はその実相を信ずることによって、
   如何なる事も成就することが出来るのである。

  ⑤キリストを愛するならば、キリストの生命の実相を愛しなければならないのである。
   キリストは「神の愛」の自己顕現であり、「自己放棄」の具象化である。

  ⑥キリストの愛は自己放棄に於いて、いと小さき者を愛するの愛である。
   真に悩める者、苦しめる者、貧しき者を愛し得なかったならば
   キリストを愛していると云うことは出来ないのである。


(11)諸君よ、キリストは今や到るところに満ちているのである。
   万人の魂にキリストが宿っているのである。
   諸君は万人をキリストの名に於いて愛しなければならないのである。


(12)キリストの霊を受けるためには如何にすべきか。

   先ず精神を弛緩して浮世の煩労を捨てることである。
   次には神に心を集中することである。
   そして「我を無くならしめ給え」と祈ることである。

   そして常に善き言葉を黙念し、それを心の奥底に滲透せしめることである。


  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=96 にて全文を確認できます)

             <感謝合掌 平成27年10月9日 頓首再拝>
3:伝統 :

2015/10/24 (Sat) 20:15:09


             *『新たに生まれるための講話』(P196~216)より

「「人間神の子無限力の真理」」全文については、
「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐[749] 牝鹿の脚の話」内「「人間神の子無限力の真理」」
にてして確認できますが、以下に、その要点をまとめておきます。


(1)《体が衰弱する心的原因は何か》

   物質・金にばかり心がしがみついてしまうと、
   神の生命の波動が自分に流れ入って来る受信機となる自分の心のアンテナが、
   神様の霊的波動の方へ向いていないことになります。

   それだから、生命が涸(か)れかかって、本当に生命が完全に運転しない。
   そこから、そういう生命の枯渇現象として体がくたびれて来るのです。


(2)人間の健康というものは、
   単に物質的な栄養とか薬剤というものによって保たれるものではない。
   神の生命に波長の合う精神によって病気に罹らない健康は保たれるのです。

   その事が、
   ”牝鹿の脚”に乗っていと高きレヴェルの世界に上がって往くことなのです。


(3)人間は”物質的階層”を超えて””別の霊的階層”に昇れば無限力があるのです。
   無限力が本来あるけれど、これは霊の問題ですから、別の階層へ上がって往く
   ように魂が向かなかったら、それは昇ることが出来ない階層なのです。


(4)皆さんの《いのち》の中には神様のいのちが宿っているのです。

   《神様のいのち》は、いと高き天界から天降って来たんだから、
   そのいと高き世界へ上がって無限能力を発揮するにはどうしたらいいか、
   ということは、ちゃんと皆さん自身の《いのち》が知っているんだ。

   皆さんに宿る神の叡智が知っているのです。


(5)《”主の祈り”の示す道》

  ①「天に在(ましま)すわれらの父よ、御名を崇(あが)めしめ給え」

   実相世界の神様は”善の神さま”であるからこそ、御名を崇(あが)めるのです。
   善なる神だから、直観的に、その善を信じてもう《そのまま素直に》
   崇(あが)めるのです。

  ②「御国を来たらしめ給え」

   御国は善なる一つの神様が中心座にましまして、その一つの神様がその御心に
   よって全ての生きとし生けるものありとしあらゆるものを、その一つの
   中心の御心に調和した相(すがた)で生かしておられる
   円満完全至微至妙(しみしみょう)の世界なのです。

  ③「御意(みこころ)の天に成るが如く地にも成らせ給え」

   その実相の至微至妙円満の世界を地上に実現いたしますようにという祈りが、
   この祈りの言葉なのであります。

  ④「わたしが全ての人の罪を赦すが如く、神様、あなたもわたしの罪を許して下さい」

   神様のエレヴェーターには人の過ちを赦す心にならないと乗れないのです。
   ”愛する”という心が、人の過ちとかいうことの方へ振り向いたときに、
   自然にに「釈(ゆる)す」という言葉がでて来るわけでして、
   ”釈(ゆる)す”とは結局、人を愛することなんです。


(6)「牝鹿の脚に乗る心」

   皆さんが、その「御意(みこころ)の天に成る世界を地上にまで成らしめ給え」
   と祈る心 ―― これこそが、「牝鹿の脚に乗る心」なのであります。


(7)《前脚は現在意識、後脚は潜在意識の比喩である》


(8)《何故、”神の子”の潜在能力が発揮できないか》

   唯物論の”金、金、金”とか”出世、出世、出世”とか、そんなことばかりを考えている
   世界に常に住んでおったら、われわれは潜在意識の底の底がねぇ、
   神様のスーパーコンシャスネス、超越意識につながらないんだ。

   それは余り神の意識とは波長が合わめからです。

   だから現在意識という前脚の思う通りに潜在意識という後脚が応援してくれない、
   ということになるから、無限力がありながら無限力を発揮することができない、
   ということになっているというわけなのです。


(9)《人間が幸福になる為には》

  ①人を愛するとき、国を愛するとき、人間は幸福なんです。
   その時ねぇ、皆さん、本当に「牝鹿の脚に乗っていと高きところに立たしめ給う」
   と聖書にある ―― そのいと高き所へ登って往くことが出来るのです。

   霊のエレヴェーターに乗って上昇することができるのです。

  ②過ちを赦し、人の罪を赦して、その赦すようになった時に、その人は
   悪というものを掴まなくなるでしょう。赦すとは釈放することで、掴まなくなるから、
   何ものにもひっかからなくなる。

   それだから神のエレヴェーターに乗ることができる。
   すると神のエレヴェーターは自然に動き出すんです。
   これは神の智慧によって動き出すことです。

   その人の潜在意識を通して超越意識の導きが、スーッと這入って来て、自然法爾に、
   いと高き処にのぼることになるんです。

   これが神の愛の勝利です。


(10)《愛は必ず勝利する》

  ①神のエレヴェーターに乗るのには、”御国(みくに)を来(きた)らしめるため”に、
   実相世界の毘盧遮那如来、盧遮那仏、毘盧遮那仏、日の大神、天照大御神中心のその
   実相世界が地上に顕われるように、自分のいのちを捧げますという、いと高き至高の
   理想に、自分のいのちをこう振り向けなければならないのです。

  ②人間は《みな》”至上者(いとたかきもの)”すなわち”最高の神様”の子である
   ということが、イエスの教えた「主の祈り」の根本なんです。

  ③至上者(いとたかきもの)の住み給う高き境地に昇るためには
   すべての人を”神の子”として拝む心を起さねばならないのです。

  ④そして神の国、つまり天照大御神(あまてらすおおみかみ)中心のその真理国家が
   すでに実相世界に在るのを、《それ》を現実界にあらわしましょう!

   そのためには無我献身、私の《いのち》を捧げます!
   という、そういう偉大なる決意をする。

   その時にですよ、皆さんは、新しい別の霊的エレヴェーターに乗ることになるのです。


  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=96 にて全文を確認できます)

             <感謝合掌 平成27年10月24日 頓首再拝>
4:伝統 :

2017/11/22 (Wed) 18:45:46


            *Web:鳩子ののんびり信仰生活(2008/2/23)より


フト、先日読んだ『新たに生まれるための講話』(P196~217)
谷口雅春著の一節、「牝鹿の脚」を思い出した。。。


~彼は、わが脚を“牝鹿の脚”の如くならしめ、いと高きところに立たしめ給う~
                               『旧約聖書』
   「牝鹿の脚」は、動物の中で一番正確に、
    前脚の踏んだところを、後脚が踏む。。。
    そうでないと、岩場の急斜面を上り下りできませんから・・・ね!!

の如く・・・、

前脚(現在意識)が、「こうしよう!!こうなりたい!!」と思ったら、
後脚(潜在意識)が、“牝鹿の脚”のように、正確についていかなくてはね!!

神は、既に、鹿に脚の使い方を教えている。。。
だから、あんなに軽快に、上り下り出来るんですよね。。。
(ちなみに、何年か都会で暮らした鹿は、“牝鹿の脚”が退化するそうです)

人間だって同じ、既に、どう生きるかを教えて頂いているはずです。。。

だから、私利私欲に、はしらないで、
“そのままの心”“感謝の心”“明るい心”が、  
「神のみ心」であり、「牝鹿の脚」なのでしょうね。。。 

             
「金、金、金」といっていたのでは、
“神のみ心”に合っていませんものね。。。

還付金、○万円・・・!! いいじゃない・・・。
主人は、元気になったのだし・・・、
○万円だって、ないよりはありがたいし・・・、ですよね。。。

この「牝鹿の脚」には、後日談の“白ひげの老人の話”がありますが、
それはいずれまた・・・。。。    ちゃんちゃん。。。

                       2/23     鳩子

  ( http://blogs.yahoo.co.jp/tokyo2shirohato/33124337.html )

           <感謝合掌 平成29年11月22日 頓首再拝>
5:伝統 :

2017/12/07 (Thu) 17:11:14


         *『 愛はかくして完成す 』(P108~109)より

グレン・クラーク教授は、現在意識と潜在意識との調和を、
「馬の前脚と後脚」 に譬えた。

それは教授が 或る暑中休暇に 山麓の高原地帯で
乗馬で体を鍛えている時であった。

或る日 教授は 現地の乗馬の友達と
そのあたりの嶮峻(けんしゅん)な山に登ることになった。

その時、現地の乗馬の先達が

「教授の馬では その嶮峻な山の急傾斜の坂道を真直に登ることはできないから、
遠廻りであるが 傾斜の緩かな普通人の通る山道をくねりながら登りなさい」

と教えてくれたのであった。

グレン・クラーク教授は

「自分の馬は 街では優秀な馬であるのに、
どうして嶮峻な山道を一直線に登ることが できないのですか」

ときいた。


その時、現地の乗馬の先輩が こういって教えてくれたのであった。

「どんな立派な馬でも、長期間 平地ばかり走っていた馬は、
その前脚の蹈(ふ)んだ足跡を、寸分たがわず同じところを 後脚が蹈まないで
1センチとか数センチとか 違う位置を後脚が蹈む。

それは 平地では 何の危険もないけれども、嶮峻な山道では、
前脚が蹈んだ恰度の場所(これは 眼で見て 安全なところを蹈んだ位置である)
を後脚が蹈まないで、一寸でもズレた位置を蹈むと急傾斜の岩を蹈んで
辷(すべ)って顛落(てんらく)する惧(おそ)れがあるから危険です」


眼で見ながら危険のない所を蹈んで前に進む前脚は現在意識に当るのであり、
ただ与えられた方向について行く後脚は潜在意識に当るのである。

潜在意識が現在意識に完全に重なり合う位に調和しておれば、
その人の現在意識の願うことは必ず成就するのであるが、

潜在意識の中に 現在意識の願いを少しでも 「それを好まない」 とか、
「それよりも この方がよい」 とかいう否定的なズレのある考えがあると、
目的の山巓(さんてん)に登ることができないで 途中で顛落(てんらく)する
ことになるのである。

           <感謝合掌 平成29年12月7日 頓首再拝>
6:伝統 :

2018/02/15 (Thu) 18:01:21


     *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P28~29) より

吾々がひとつの願いを達したら、また次なる願いが起って来て止(や)む時が
ないのは、それは自分の生命(せいめい)は、無限者(神)からであり、
無限を内(うち)に包蔵するからなのである。

各人はすべてそれぞれ宇宙大生命の自覚的表現の表出口であり、
内在する“無限”を意識的な形で表現する出口を構成しているのである。

次から次へと希望や願いが湧いて来てやまないのは吾々の”実相”の中に
潜在的に横たわっている内容が顕在的になりつつあるのである。


併しながら、時として、自分の願いが到底実現しないので、
失意落胆することがあるかも知れない。

若しあなたの願いが実現しないならば、現在意識の願いが潜在意識の願いが
一致しないことが原因であるか、信仰と努力とが足りない事が原因なのである。

現在意識(今意識的にあれあわれている心)が、外界に捉われて、
内界にある願いをそのままあらわすことができず内界にある願いが歪められて
所謂(いわゆ)る「我の願い」となっている場合には、充分に潜在意識の
後援を得ることができないで、その願いが成就しないことになるのである。

この真理をグレン・クラーク教授は「牝鹿の脚」といったのである。
牝鹿の脚は、前脚(現在意識の譬)が前進ずべく踏んだ同じ場所を実に精確に
後脚(潜在意識)が踏むから、そんな難しい山の突兀(とつこつ)たる岩道を
通っても、踏みはずして墜落するということがないのである。

           <感謝合掌 平成30年2月15日 頓首再拝>
7:jeyftwbojk:

2020/08/29 (Sat) 03:52:42

伝統板・第二
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