伝統板・第二

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臨死体験~ダニオン・ブリンクリーさんの場合 - 夕刻版

2015/09/10 (Thu) 18:09:15


このスレッドでは、ダニオン・ブリンクリーが体験した3度の「臨死体験」を、
著書『未来からの生還者』他、及びインタビュー記事から、
重要と思われる箇所を紹介してまいります。


---------------------------------

ブリンクリー氏は、1975年、25歳で雷に打たれ「死亡」しました。
全身やけどで心肺停止、病院地下の遺体安置所に運ばれようとしていました。
その時に臨死体験をしたそうです。

他の臨死体験によくあるように、長いトンネルを猛スピードで抜け、
愛の輝きに満たされた世界で崇高な光の存在と出会い、
今までの人生で、自分が他者に何をしてきたのかを、
相手の立場から見せられることになります。

ブリンクリー氏は、いわゆる不良少年でした。
盗み、いじめ、暴力に明け暮れながら、高校を卒業し、
兵役としてベトナム戦争に赴き、残虐な性格を見込まれて、
敵側の政治家や軍部の人間の暗殺の任務を遂行しました。

政府役人を暗殺するために、ホテルごと爆破して抹殺したこともあり、
50人もの他の宿泊客が巻き添えで亡くなったが、
「一緒にいたのだから、当然の報いだ」と笑い飛ばしたブリンクリー氏。
ベトナム戦争後は、政府の極秘任務に就き、友好国に兵器を輸送しました。

臨死体験で過去を振り返る際には、暗殺された人たちの心の混乱、
悲しみを強烈に味わっただけでなく、彼らの家族が、
愛する人を失ったと知ったときの悲痛も伝わってきました。

兵器は輸送するだけが仕事だったので、渡したらすぐ帰国したのですが、
回想の中では、そう簡単に立ち去れませんでした。

ブリンクリー氏は、回想の中で、武器とともに現地に残り、
それが部隊に分配されるところを見守りました。

それから、その銃を使って人々が殺される現場も目撃しました。
自分の役割が生み出した結果を見なければいけませんでした。

---------------------------------

こうした痛烈な回顧の後に、落雷で焼け焦げた自らの身体に再び戻り、
遺体安置所に運び入れられる手前で息を吹き返したのです。

奇跡的な回復によって社会復帰も果たしました。

事故の影響から、ずっと心臓に不調を抱えていて、
39歳で心臓麻痺で倒れ、なんと2度目の臨死体験をするのでした。

---------------------------------
      (http://blogs.yahoo.co.jp/koala6773/15852626.html



            *Web:校長の書き物(October 17, 2006)より

「未来からの生還者」ダニオン・ブリンクリーとのインタビュー(2006.10.17)

最初にダニオン・ブリンクリーの名前を聞いたのは、「Encounters」というテレビ番組でだった。

雷にうたれて黒焦げになって「死亡」した1975年の臨死体験の際に、
向こう側の「光の存在」から百以上の予言を与えられ、
それらがどんどん現実になりつつあること、

またその体験の際に与えられた指示に基づいて、
すべての人間が「霊的世界の実在を経験できる」ヒーリングセンターを建設中
であることなどが紹介されていた。

しかし私の興味を強く引いたのは、その体験や予言の内容よりも、彼の人柄そのものだった。
見た感じは、とにかくありとあらゆる霊的なことには縁の遠そうな、
むしろ陽気なビジネスマンといったタイプ。

だが、けばけばしい感じや力んだところが微塵もなく、
「軽やかで、かつ力強い確信」とでも表現できるような ものを漂わせていて、
とにかく「信じれらる人間」という感じがした。

それから何か月か彼の本を探したのだが、見つからず、
諦めかかっていたところに『パワースペース』からファックスが入った。

「ダニオン・ブリンクリーという人について何か知っていますか?」
さっそくテレビで見たことについて書き送ると、返ってきたのはインタビューの依頼だった。

電話で首尾よくインタビューの許可をもらい、1994年12月末、ヴァージニア州北部の私宅から
高速を120キロで飛ばして8時間半のところにあるサウスカロライナ州の彼の家を訪れた。

ドアをノックすると、現われたのは熊のような体格の大男で、
「やあ、よく来てくれた!」とおもむろに抱きしめられた。
英語にはbear hug(「熊のような力で抱きかかえる」)という表現があるが、まさにそれ。
まるで十年来の知己に出迎えられたようだった。

彼からの提案で、到着した夜には一緒に夕食をとることになっていた。

電話でのインタビューの許可は非常にスムーズに取れたので、
彼の方でも日本向けのインタビューをやりたくて仕方なかったのだと思っていたのだが、
身振り手振りのにぎやかな会話の途中で彼は言った。

「日本からはこれまでインタビューの申し込みが3件、講演の招待が4件来たけど、
全部断ってきた。でも君はこれまで連絡をとってきた日本側の人間と違ってた。
この人間とならうまくやれると感じたんだ」

牡蛎が大好物だという彼は、皿に盛られた3ダースの生牡蛎を次々とたいらげながら言った。

「君は実にいい聞き手だ。僕には君が頭の中で考えていることが全部聞こえるんだよ」

臨死体験者の経験の中には頻繁に、自分の家族や他の人間が頭の中で考えていることが
全部声として聞こえてきたというものがある。そして少数の人間はその能力を、
蘇生した後も持ち続けるが、彼は明らかにその一人らしい。

翌日のインタビューの前に私が鞄から取り出したフラワーエッセンスを見て、
ダニオンは目を輝かせ、「見せてくれ」と手を伸ばした。
「フラワーエッセンスを知っているか」と訊くと、「もちろんだ!」という答えが返ってきた。


「雷にうたれて医者に見離されたこの体をここまで回復させるまでには、
ホメオパシーから漢方までありとあらゆるホリスティックの治療法を試した。
フラワーエッセンスはその中でも最高の治療方法の一つだ。

生命というのは基本的にエッセンス----精妙なエネルギーなんだよ。
肉体よりも目に見えないエネルギーの部分の方が重要なんだ。

人間にとっては、よく死ぬことと同じくらい、体を調和させて健康を維持することが重要だが、
そのためにはこういったエッセンスを 使っての健康管理は大切だ」。


それから少し前にNIH(米国国立衛生研究所)に設立された
Office of Alternative Medicine(従来の西洋医学以外の治療法について研究を推進する委員会)
の活動について触れ、「こういった活動がNIHのような公式機関でも始められるのは、いい兆しだ」
と語り、彼自身その活動に協力していると付け加えた。

この後、用意してきたアウトラインに基づいて、質問に答えてもらった。

(次に、つづく)


<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1821

(2)光明掲示板・第三「臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=76

(3)光明掲示板・第三「臨死体験~鈴木秀子さんの場合」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=361

(4)伝統板・第二「臨死体験~ベティ・イーデイさんの場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6476705


           <感謝合掌 平成27年9月10日 頓首再拝>

臨死体験者には特別な使命があるのか? - 伝統

2015/09/11 (Fri) 19:43:58


質問《「臨死体験者には特別な使命があるのか?」》

ダ ニオン

   「地上に生きている人間はすべて一人残らず使命をもって生まれて来てるよ。
   人間というのは、地上に生まれて、あるプロジェクトを成し遂げることで、
    宇宙の霊的拡大に貢献し、同時に自己の霊的成長を遂げるできる、
   そういう仕組みになっているんだ。

   人間は地上に生まれてくる前にはすばらしい力を持った霊的存在であり、
   死んだ後にはまたその状態に戻る。僕はそのことを知っている。

   ある人々は僕が他の臨死体験者とは違う特異な経験をしてきたために、
   特別な人間と見なしたがる。
   しかし、実際には他の人間も僕と同じような経験をしてきているはずだと思う。

   ただ僕の場合はつねにベトナム戦争での経験やCIAの仕事を通して、
   苛酷な状況下であらゆる情報を集めて組織だてる訓練ができていたために、
   こういった経験をよりうまく伝えることがで きるのだと思う。

   臨死体験について重要なのは、それが『起こる』ということだ。

   臨死体験を通してこれほど多くの人々が同じような経験をして、
   パワフルな、愛に満ちた霊の世界についての情報を携えて、
   永遠の生命についての知識を持って帰ってくるという事実は、
   我々自身に、自己の生活について考え直すことを迫るだろう。

   それから、臨死体験者がもたらす知識として重要なのは、
   『パノラマ的人生のレビュー』の 経験だ。

   苦痛に満ちた死の経験をくぐり抜けた後、そこにはすばらしい安らぎの感覚が訪れる。
   トンネルをくぐり抜けて光の中に出、そこで光の存在に出会う。

   そしてこのレビューで、自分の人生を振り返り、自分が感じたすべての感情を感じ、
   自分がこれまで行ってきたすべての行為を目のあたりにするんだ。

   自分と関係のあった自分以外のすべての人間や動物にもなり、その感情も経験するんだよ。

   これは僕にとっては特につらいことだった。
   1つのいいことに対して20の悪いことをしてきた、そんな人生だったからね。

   これは死の後、すべての人に起こることなんだ。
   このことはぜひ読者に知って欲しい。

   すべてのものが自分の一部であり、自分はすべてのものの一部である
   ・・・死んだ後にはそのことを、生きている間にはとうてい可能だとは
   信じられなかったような形で経験させられる時が来る。

   その経験を経て還ってきた後では、隣人を自己のように愛し、
   自分に欲することを他人に施す、それがごく自然なことになる。
   誰かがそうしろと言うんじゃない、そんなふうにならざるを得ないんだ。

   たとえば病院や養老院でホスピスの仕事をする時、自分の目の前にいる孤独な人、
   空腹の人、十分な服もなくて寒がっている人、その人を心から暖かく迎え、
   友達として手を差し伸べること。

   どんな壮大な出来事も、その力においてはこの経験に勝ることはない。
   定期的にこういった人々の元を訪れ、その人生最後の時に彼らのことを気遣うこと。

   死後のレビューで、 この体験を再経験する時、自分を満たすパワーには、
   どんな物質的な力も、105ミリ砲もナパーム弾もかなわない。

   これは愛だ。
   そしてその時、自分が宇宙の共同創造者だということ、
   こんな愛を体現する霊としての能力をもって生まれてきていることを知るんだ。

   臨死体験者が他の人間と違っていることがあるとしたら、
   そのことを身をもって知っているということだ。

   どんな恐怖も嚇しも圧力も、僕らをこの認識から遠く引き離すことはできない。
   死というのは、物質世界で人間をコントールする最大のメカニズムだが、
   それは僕らには効果はない。

   そして僕のセンターが人々に与えることができるのはこの経験・・・
   臨死体験を経た人間が経験してきたのと同じ経験を、
   臨死体験のない人間に与えることができるんだ。」

           <感謝合掌 平成27年9月11日 頓首再拝>

延命至上主義の西洋医学は、馬鹿げている - 伝統

2015/09/12 (Sat) 19:16:33

質問「センターの第1の目的がホスピスだということは、
    延命至上主義の西洋医学はその方針を改めるべきだという考え?」


ダ ニオン

   「10万パーセント、その通り。

   アメリカでは医療費全体の70%の金額が
   人生最後の6か月を平均19日延命するために使用されている。
   これほど馬鹿げたことはない。

   僕は過去17年間病院でホスピスを、養老院で12年間ボランティアをし、
   130か140人の人の死を看取ってきた。そのうち40人は僕の腕のなかで息をひきとった。
   平均して2、3か月一緒に過ごした。その中の一人は僕の母だった。

   延命措置の恐ろしさを見るにつけ、感じた・・・僕は戦後生まれたベビーブーム世代だが、
   現在、39~52歳のこのベビーブーム世代が、両親を亡くす時期に来ている。
   そしてそれに直面する準備ができていないんだ。
   これが、僕が本を書くことにした動機の一つだった。

   苦しい戦争の後に無我夢中で国や産業を再建し、家庭を築き、物質的成長に目を奪われて、
   そのあげくにいつのまにか自分たちが霊的存在だということを忘れてしまった。

   これは僕らの戦いだ-・・・親たちが尊厳をもって安らかに、よろこびをもって
   死んでいけるようにすること。人間が自然に生きられるよりも1日でも人工的に
   延命をすることは間違っている。

   大間違いだ。遥かな過去から未来永劫、そうだ。

   なんでそんなことが言えるかって? 
   それは僕が自分自身「向こう側」に行ってきた人間だからさ。

   これは現在、世界が取り組むべき最も重要な問題だ。
   僕が臨死体験から得た最も重要な知識は、人間の人生で最も大切なのは、
   人生の最後の5日間のクオリティオブライフだということだ。

   死の経験自体には恐れるべきことはなにもない。
   死の過程というのは本当にものすごく組織的で秩序だってるんだ。
   日本人はきっとみんな気に入るぜ(笑)。

   西洋医学は、東洋の哲学や死についての自然な考えを受け入れないことで誤りを犯した。
   そして臨死経験者の知識を受け入れないことでさらに誤りを犯した。
   アメリカだけで千三百万人の経験者がいるんだぜ。
   この人間みんながみんな頭がおかしかったり幻を見てるわけがない。

   これは数字として、近代医学がその人々の経験を事実として受け入れ、
   人々が自然に死ぬのを許されるべきだという考えを受け入れるのに十分な基礎のはずだ。

   死の瞬間というのは家族とともに過ごされるべきだ。
   それは「お別れ」の時であり、過去と悲しみとトラウマ(心の傷)からの回復の時間だ。
   家族間での解決されていない問題や出来事を振り返り、それについて話し合う時間だ。

   患者がもう1日余分に生きるかもしれないという望みに、
   近代医学は患者を呼吸機につけ、薬浸けにする。

   そんな状態の中で心臓はかろうじて動いているが、患者は死人同然だ。
   そしてその過程で人々は親しい人と別れを言う機会を失う。

   親しい人がこの世を去り、向こう側に還っていく。
   それは静かなお祝いの時でなければいけない。
   それは深いよろこびの時間であるべきなんだ。

   そして一緒に過ごした人生の中で、お互いに腹の立ったこと、 悲しかったこと、
   楽しかったことを一緒に語り合う時間なんだ。

   それをせずに家族を残して去った場合、
   本人はその精神的重荷をそれから長い長い間、背負うことになる。
   それは本当は起こってはならないことだ。」


『Unlimited Human』誌のインタビューの中でダニオンは、
延命措置というのは患者にとって本当になにがよいのかということよりも、
単なる死にたいする恐怖に基づくものだと指摘している。
これはすべての人間が無意識のうちに抱いている漠然とした恐怖である。

そしてアメリカの医療システムでは、医療費全体の70%が延命措置、
すなわち助からない患者の生命を19日延ばすだけのために使用される。

そのために患者は不要な苦しみを耐えさせられ、
残った家族は膨大な 医療費の負担にあえぐことになる。

このために彼は、「Living Will(自分が治らない病気にかかった場合には、
判断能力のあるなしに関わらず延命措置を施さないで欲しいという意思表明書)」
の強い支持者でもある。


           <感謝合掌 平成27年9月12日 頓首再拝>

霊の世界と物質世界の関係 - 伝統

2015/09/13 (Sun) 20:38:58

質問  「霊の世界と物質世界の関係をどのように理解しているか?」

ダ ニオン

    「物質世界は霊の世界の非常に限定された延長だ。
    宇宙にはたくさんのレベルの世界が存在しており、物質世界はその1つだ。

    その中では、そこでだけ通用するあるルールが、我々の精神的成長に適用される。
    物質世界以外にもいくつものレベルの世界があって、
    僕はそのうち少なくとも4つを経験している。

    物質世界は霊的世界の延長だが、
    しかしこの世界に生まれることによってしか可能でないことというのがある。

    この世は非常に具体的な、構造立てられた、「物質的な」世界で、
    我々は霊的目的を持って生まれてくる。
    そしてこの地上のある種の浄化に貢献するんだ。

    それは単なる浄化じゃなくて、
    ある種のクォリティ、 エッセンスを生命に賦与する過程なんだ。
    人生は単なる科学じゃない、人生は芸術だ。

    我々は外的には物質的肉体を持っているため、人生を科学的に扱おうとする傾向がある。
    人間を霊的視点から見るより、社会的パターンとか心理学的パターンとかによって、
    社会経済的パターンによって見ようとする。

    しかし物質世界というのは霊的世界の物質的「顕現」なんだ。
    同時に霊のレベルでは、物質レベルから相互賦与的にある種のエネルギーを得る。

    それは物理学的な原因と結果の関係のようなものじゃない。
    むしろ、「与えることで受け取る」というような相互的なものなんだ。

    この密度が濃くてスローなレベルを通過することで、
    霊的エネルギーはさらに精密に分割され、霊的レベルの拡大に使用されるんだ。

    この複数レベルにおいて、エネルギーは絶え間なく広がり、宇宙を形成し続ける
    ----太陽系、霊的宇宙、はるかな可能性。終わりなく展開し続ける偉大なる存在。
    哲学的だろ(笑)?

     人生は芸術だ。 そして人生における力とは哲学だ。

    死後のパノラマ的レビューで最も重要だと悟るのは、
    自分が行為として何をしたかじゃなくて、
    どんな動機でそれをしたかが重要だということなんだ。

    我々に必要なのはまず霊的、精神的パターンを修正すること、
    それによって物質世界が変わるんだ。

    それからこの2つの世界がつながるのは「呼吸」によってだ。
    呼吸----それが、あの世がこの世とコミュニケートする手段なんだ。

    これは本当は次の本に載せる内容なんだが、呼吸を通してエネルギーは
    8つの副鼻腔に入り、異なる種類のエネルギーに分割されて、
    人間の霊体に吸収、統合される。

    呼吸なしには我々は物質世界のものに触れたり関係することはできない。

    呼吸するからこそ、この世界を経験し、感じることができる。
    呼吸は我々がなぜこの世界にいるかを霊的に理解するための鍵だ。」


           <感謝合掌 平成27年9月13日 頓首再拝>

光の存在たち - 伝統

2015/09/14 (Mon) 18:06:19


質問  「13の光の存在をどのように受けとめているか? 今も彼らと通信があるのか?」

ダ ニオン

    「彼らが与えてくれたものが自分の中に残っているのを今も感じることはできるが、
    直接の連絡はない。彼らは向こう側の世界で、ある一連のできごとについて
    責任を持っている存在だが、我々が自由意思を持っているために、
    そのできごとをコントロールすることはできない。

    彼らの 見せてくれた予言のヴィジョンについて、世間に知らせるつもりはなかったんだ。
    『予言者ダニオン・ブリンクリー』なんて肩書きをつけられるのはごめんだったからね。

    ただ20年前、臨死体験のリサーチが開始されたばかりの頃、レイモンド・ムーディや
    ケネス・リング、エリザベス・キュブラー=ロスといった研究者に僕の経験を語ったこと
    があり、それが実現し始めて、彼らがそれを広めだしたんだよ。

    本を書くつもりだってなかった----それ以外には現代医学に人々が安らかに死ぬのを
    助けるように圧力をかける方法がないとわかるまではね。

    予言について最悪の点は、それが実現し続けているという点だ。

    われわれは急激に目を覚させられることになるだろう。
    それが我々自身が準備しつつあることなんだ。

    これまで経験したことのないような戦争が起こる。
    地球が大規模な変化を経験しているとき、我々が戦争をしていると
    ----戦争というのは貿易戦争だってその一部だ----地球の変化をスローダウンさせる。
    その結果、変化が来るときには急激に来ることになる。

    13の光の存在とはコンタクトはないが、別の霊的存在とはコンタクトがある。
    彼らは危機の前にメッセージを伝えにやってくる。死んだ人々や彼らの親戚の霊、
    ガイド(守護霊)の姿も見る。向こうの世界とはコンスタントにコンタクトがある。

    なにしろ向こうとはほんの一呼吸の距離なんだからね。
    ただし向こう側とコンタクトを持つには、この次元に留まったままではできない。
    意識がこっち側につながれてる間にはできないんだ。

    向こう側で経験する、あんなにもすごい愛、強さ、力、正しさ、栄光、
    そんなものをすべてこの肉体に持ち込むことはできない。
    体を離れて経験している間でさえかろうじて耐えられるほどなんだ。

    けれど、死後 のレビューの間には、これらの高い霊的世界に触れるんだ。
    超越----自分がすべてのものを意識し、すべてのものが自分を意識する。
    それはまさにパラノマ 的な知識だ。

    たった一目ですべてのことが理解される。自分が海の一滴であり、その分子、原子構造が
    理解されると同時に海の壮大さが、その中に含まれる全存在が同時に経験できる。
    今でもできれば早く向こうの世界に還りたいと思ってる。

    すべてのものが自分の一部であり、自分がすべてのものの一部であることができる、
    自分が回りの世界を知るのと同じように回りの世界も自分を知る。
    自分のすべての力と強さを分かち合い、同時に限りなく自分自身であることができる。

    回りの世界はそのすべての力と強さを自分と分かち合い、
    自分はその膨大な知識の海のなかに存在することができる。

    そこでこそ初めて本当に「自分」であることができるんだ。
    自分が本当に誰であるかを知ることができるのは、その状態においてだけだ。
    あの経験なしには、自分を知り始めることすらできない。

    想像もつかない----自分自身がいかに力あふれる偉大な霊的存在か。
    あの経験なしに「自分が誰か」知っていると思ってるやつがいたら、そいつはノータリンだ。

    大方の人間はこの経験なしに自分が誰か知っているつもりでいるが、そいつらは馬鹿たれだ。
    この肉体だけが自分だと思っているやつがいたらそいつも大馬鹿だ。

    ここにいるのは自分という霊的存在のほんの一分なんだ。
    大部分はこの世界には入らないんだ。そんなことはできない。
    あんなすごい力と愛をこの肉体のなかに持ち込んだりしたら、肉体が爆発してしまう。

 
    人間がその人生の半分を 眠ってすごすのはどうしてだと思う? 
    その間は体を出て、他の仕事をしてるのさ。
    他の次元にやらなきゃならない仕事があって、それをやってるんだよ。
    僕はそのことを感じている。

    そしてほんの数日で、その次元に入るためのをトレーニングを与えることができる。
    それは眠りに入る寸前と目覚める寸前の意識の状態と類似している。

    僕のベッドを使えばその経験を引き起こすことができるんだ。
    人生のなかで暗礁に乗り上げていると感じている人、愛する人を失って絶望に
    うちひしがれている人が、あのベッドを使うことで、霊的世界に触れることができ、
    自分の人生をもう一度自分の手に取り戻す ことができるようになるんだ。

    その仕組みについては本当のところ、わからない。
    けれどそれはとにかく数えきれないくらい起きてきた。


    この記事を読む人に伝えて欲しい。
    僕はこの記事を読む日本の人たちを一人一人、心から愛している。
    彼らの顔も知らないし、会ったこともないけれど。
    彼らは 僕という一枚の布の一部であり、僕は彼らという布の一部だからだ。

    我々が別々に離れているというのは幻に過ぎない。
    それは物質的経験を可能にするための幻なんだ。

    僕らが「別々に」生まれてこなければ、お互いに関係し合うことはできないからね。
    それによって人は自己と、自己の内の自己と再度一つになることを学ぶ。


    「君は神に会ったのかい」と訊くやつらがいる。そんなこと知るもんか! 
    神に会うことにどんな価値があるっていうんだ?

    神を見たければ鏡を見ればいい。呼吸をすればいい。他の人間に対する愛を感じればいい。
    そうすれば神と一つになれるんだ。それ以外に神を見ることなんてなんの役に立つ? 
    僕は自己の外にある神を見ることになんて興味はない。

    「神様の援助」という人間がいるけれど、
    人間が存在すること自体が「神様の援助」なんだ。

    人は救われるのを待つために生まれてきたんじゃない。
    誰かが罪から救ってくれるのを待つんじゃない。
    自分自身が救うのさ。

    僕は世界政府も国粋主義も信じない。
    けれど個人の価値、そしてコミュニティ間の協力の大切さを信じる。
    人間が個人として協力し合い、より良い世界を築く力をもっていることを、
    全身全霊をもって信じている。

    1975~89年の間は、世界は破滅に向かっていると思っていた。
    ソ連の崩壊を含め、与えられた予言は確実に実現していた。

    しかし89年の心臓マヒ以来、もう一度向こうの世界に還って来てから、
    僕はもっと人間を信じるようになった。

    すべての人間は「救い主」だ。
    一人残らず。救ってもらうために待っているんじゃない。
    救うためにここに来てるんだ。

    できるだけ多くの人間が早くそのことに 気づけば、世界はもっといい場所になる。

    教条主義の宗教にはうんざりしてる。
    人間が地獄に落ちると説教するやつらにはうんざりだ。
    この世紀の終わりに誰かが来て僕らを救ってくれると考えるやつらにはあきあきだ。

    人間が唯一救う必要があるのは、そして救うことができるのは自分自身なんだよ。」

           <感謝合掌 平成27年9月14日 頓首再拝>

予言されていた道筋を変えるような変化 - 伝統

2015/09/15 (Tue) 19:11:32

質問  「これまでに人間が成し遂げたことによって、
     予言されていた道筋を変えるような変化はあったか?」

ダ ニオン

    「うん。○○年から○○年の間に、地球に非常に強力な霊的エネルギーが降りてくる
     ----還ってくる。その時期が来るんだ。

    宇宙というのは非常に秩序だっている。それは愛に基づいている。
    愛はあいまいなものではなくて、まぎれもない力だ。

    すべてのものは愛を基にして形作られている。
    その流れには満ち潮と引き潮のようなリズムがある。
    愛が流れ込み、後退し、それによって反応が起きる空間が与えられ、
    それからまた帰ってくる。

    このエネルギーが地球に還ってくることで、地球はその力のために引き上げられ、
    人間の意識は否応無しに持ち上げられる。
    人間は一層意識的になり、意識の成長が起こる。

    このことは2度目の臨死体験を経験するまではっきりわからなかった。
    それまでは人間は確実に破滅に向かっていると思っていた。

    それを止めたいと思って人々に予言について語ってきたが、
    それが人々の集団無意識の中の恐怖を膨らませるだけだとわかって、5年前から止めた。

    人々には愛と生と希望を信じて欲しいからだ。

    しかし世界は確かに浄化の時期を迎える。
    そして日本はこれを大変象徴的に表している。

    アメリカ、ドイツ、日本。この三国は自己の中心から離れ過ぎてしまった。
    どれも先進工業国、大変勤勉な国だ。

    しかし我々は霊的中心に戻ってこなければいけない。
    この3つの工業大国が霊的中心に戻ってくることができれば、
    世界の他の国がそれぞれの霊的中心に戻ってくる道が開ける。

    日本がここまで工業国として成功することができたのは、
    神道や精神性、文化といった伝統的な精神的バックグラウンドのおかげだ。

    この精神的な人々による、よく統一された、秩序だって構造だった精神的基盤なしには、
    日本はここまで工業的に発展することはできなかった。
    そのことを僕は非常に素晴らしく思っている。

    アメリカは宗教の自由の上に建設された国だ。
    宗教の国であり、そこに帰っていくべき原点がある。
    ドイツは宗教と視野の交差点にいる。
    この三国を霊的価値観に沿わせることができれば、これから起こる混乱を防げる。


    (中略)

    新興国が競争に参入するにつれ、
    日本が気を付けていないと、その安定性、精神性を失うかも知れない。
    これは怖いことだ。起こって欲しくない。

    同じことがアメリカにもドイツにも言える。
    我々は自分の持ち場を守って、協力して働かなければならない。
    世界を安定したものにしなければならない。そうしなければ、戦争が起こる。
    ○○、△△年には戦争が起こる。数百の小さな戦争、それが世界的規模に広がる。

    それは今もう、始まっているともいえる。
    友好国同士がお互いに裏切り合うような貿易戦争、産業スパイ、
    これらも新しい戦争の一形態だ。」


           <感謝合掌 平成27年9月15日 頓首再拝>

精神的資本主義 - 伝統

2015/09/16 (Wed) 19:39:58

質問 「本で触れられている精神的資本主義ということについて----」

ダ ニオン

   「我々すべてが毎朝目を覚す時、物質的獲得に意識を向けるのと同じくらい
   霊的価値に注意を向けて1日を始めることが非常に重要だ。

   僕には毎朝目が覚めた時、自分自身と同じくらい、
   ホスピスで面倒を見ている人のことが大切だ。

   精神的資本主義とは、チャリティとボランティアの精神に基づく。
   それは人々が 精神的中心に戻ってくるための方法だ。

   これが真に実現されれば、いずれ税金や社会福祉制度なんて不要になる。
   人間がお互いに愛をもってお互いを支え合うようになるんだ。

   95年には僕はあるプログラムを準備している。
   それは人々に、このセンターで働きつつ、精神的に成長できるようにするプログラムだ。

   僕が一つ驚いていることがあるんだがね、
   どういうわけか精神的な道を求める人間はいつもみんなスッカラカンで、
   金を持ってない(笑)。

   なぜか? 

   我々は無意識のうちに、何か重要なことをなしとげるには
   物質的に何も所有できないはずだと信じているんだ。

   僕はそんなことは信じない。
   ある程度の物質的快適さは必要だと思う。

   精神的資本主義の目的はただ一つ、朝目覚める時、生活のための仕事以外に、
   自分が愛し、気遣える何かがあること。
   それによって、神と精神的生活が1つに融合できるようにすること。

   自分の場合で言えば、パノラマ的人生のレビューを経た後、
   自分が人々を助けられるとわかった。自分の経験を通して、人々の死に対する
   恐怖を取り除く仕事を始めて、精神性とライフワークが融合し始めた。

   生活のためにやる仕事と、他の人を助ける仕事が融合し始めた。
   この本、それからホスピスについて教えるトレーニングプログラム。

   僕には、死にいく人々を助けるのを通して、
   人が直感力を発達させるのを助けることができる。

   僕には保証できる----霊的な世界が存在すること、人間は人間の心を読む力があること、
   自分の運命を作り出す力があることを証明できると。それを教えることができる、
   ホスピスの仕事を通してね。」


           <感謝合掌 平成27年9月16日 頓首再拝>

精神的資本主義~その2 - 伝統

2015/09/17 (Thu) 19:49:00


質問  「ホスピスのトレーニングプログラムのようなものを作るわけ?」

ダ ニオン

    「そうだよ。そして人々にセンターで働かいてもらい、
    第2の仕事として来る場所を与えるんだ。精神的な仕事をね。
    グルやスワミを求める人が多いけれど、僕はすべての人間が自分自身の
    グルなりスワミになるべきだと思う。
    それが最も重要なことであり、センターはそのトレーニングの場所なんだ。

     ホスピスの仕事については、僕は本当に熱狂的だ。どうしてかって? 

    いったん死を恐れなくなれば----死と直面し、そしてその仕組みについて理解すれば、
    人は恐れることをしなくなる。誰ももうその人間を恐れさせることはできなくなる。
    そうすればその後に人生に残されるのはただ「成長」だけだ。

    他の人に死と直面することを教えることができるようになれば、
    他の方法では得られない精神的な洞察を得ることができる。

    突然、今まで耳にし、あるいはやってきたことついて
    より多くのことを知覚できるようになる。

    他の人に死に直面するのことを教えるのを教えるのは精神的資本主義の一環だ。
    これによってその人間の人生が、一つに融合する。
    その仕事こそ本当の仕事なんだ。

    僕はビジネスマンとして成功していて経済的余裕がある。
    そしてそのおかげで、ボランティアとしてホスピスの仕事にかける時間が作れる。

    でもこの家を見てくれよ。まるで1950年代だ。
    小さなテレビとラジオ、それに山のような本以外、
    他の人間が金さえあれば買うだろうようなガラクタはここにはない。

    精神的資本主義とは、先進国、そして発展途上の第三世界にも目をむけることだ。

    たとえば中国は現在大量の百万長者を出しているが、
    彼らが精神性を学ばなければ、いずれ人々は飢え死にするだろう。

    ホスピスの仕事を通して僕はバランスの取れた形で生活を立てることを覚えた。
    そして自己の中心が融合しつつある。同じことはすべての人に可能だ。」

           <感謝合掌 平成27年9月17日 頓首再拝>

精神的資本主義~その3 - 伝統

2015/09/18 (Fri) 19:27:02


質問  「ラビ・バトラ教授の提唱する経済理論をどう思うか?」

ダニオン

   「彼の理論はなかなかいいと思うし、
   彼が予測しているような経済の大変化は実際起こるだろう。
   あるとき突然、3、4日の間に現在の経済は崩壊して、
   我々は1からやり直さなければならない時が来る。

   その方向を我々は選んだのだ。
   だからお互いに責め合うのではなく、協力して、現在のような経済システムではない、
   安定した堅固な精神的な経済を作り上げなければならない。

   現在の経済は嘘の産物だ。
   それは一部の非常に裕福なやつらの気まぐれな頭のなか以外には存在しない。
   やつらがそれをコントロールしてるんだ。
   だからそれが潰れることになんの残念さも感じない。

   経済のかなりの部分は、再度バーターシステム(物々交換に頼るようになるだろう。
   しかし僕らはパワフルな世代なんだ。自らの魂の中心に戻り、
   新しいシステムを再建するだろう。だから既存のシステムは潰れればいい。

   そして人々がお互いに力を合わせて、持てるものを分け合って、
   再建を開始しなければならない、そういう状況が来る。

   そのことについて僕はきわめてうれしく思っている。
   金なんてのは死んだ人間の顔が印刷されてるだけの紙切れだ。
   それがこの世界を支配している。それが全部燃やされたってかまうもんか。

   人間というのはパワフルな霊的存在だ。
   創造主によってこの世界をよりよいものにするだけの能力、洞察、希望を与えられてるんだ。
   どっかのアホウが紙切れを印刷できるからって、それがどうしたっていうんだ?

   経済制度の崩壊は必要なんだ----我々の足を止めさせ、自分たちが何をやっているかを
   見させ、環境汚染や飢饉に目をむけさせるために。

   そしてその時には通りの向こうの友人、海の向こうの友人に目を向け、
   経済を再建しなければならない。正直さ、信頼性、公平さ、オープンさをもって。
   それが可能だと信じる。

   僕自身、そのための備えはしている----食料、燃料....。カネも金(きん)に変えてる。
   崩壊がいつ来たって構わない。むしろ待ち遠しく待ってるほどだ(笑)。

   特定の国に対して偏見があるわけじゃない。僕はすべての人のことを愛している。
   人々はお互いからすばらしいことを学び、教え合える。だからそうしようじゃないか。

   それなのに人々は、死にしてもほかのことにしても、
   社会経済的視点からだけ見ようとする。

   しかし向こうの世界では、僕らの精神的成長の遅滞をほおっておくことはしない。
   手を打つよ。僕らが経済に興味を持ち過ぎて、それを向こう側から是正することが
   必要になって来ているんだ。

   人間の側からはある程度までしかコントロールできない。
   ある限度を越えたらあとは「黙れ! お前たちはもう十分馬鹿な真似をしてきた。
   お前たちのやっていることはエコシステムを破壊して、 霊的世界にも
   エネルギーレベルででの悪影響を与えてきた。もう十分だ」ってね。

   このことについて、今でも時にトランス状態に 入っていろんなヴィジョンを見る。
   それは臨死体験の時のヴィジョンとは違う。
   いろんなできごとについての「映画」を見る。
   人々が僕のことを頭が変だと思おうが構わない。

   昔の僕を知っている人間なら、僕に対して「頭がおかしい」などと言えば
   頭に銃弾を撃ち込まれたことを知ってるだろう。

   今、僕のことを嘘つきとか頭がおかしいとか言うやつには、
   にこにこ笑って「あなたはラッキーですね」と言うだけだ。
   相手はしかし「何をにたにたしてるんだ」と食ってかかってくる。

   そんなときには、「僕が考えていることを知ったら、あなたは一層腹をたてますよ」
   と答えてやるのさ(笑)。昔だったら頭を叩き割ってやってるよ(笑)。

   僕の姿勢は、ある知識から来る。それは愛だ。
   愛というのは弱さじゃない。愛というのは力だ。それにまさる力はない。
   困難をくぐり抜けて僕が現在の仕事をするのは、それが正しいことだからだ。

   自分について人に知ってほしいことが何かあるとしたら、こういうことだ。

   ある夜、霊の世界が、誰か立ち上がれと呼びかけた。
   それが天国に入れるという褒美のためではなく、
   また地獄に落されるという恐れのためでもなく、
   ただそれが正しいことだからというその理由で、僕は立ち上がった。

   その時、僕がやったことは、他の誰かの行為とは一切関係ない。
   そしてそれは僕自身の内のことだ。自分のためにやったことなんだ。
   それで十分だ。人は僕の人生を振り返って僕が何をしようとしたのかを考えるかも知れない。
   人はそこから成長できるだろう。それだけで満足だ。」



   会話の中で、彼は繰り返し、日本という国によせる愛情と尊敬、
   そして日本という国の果たす役割の重要さについて語った。
   そして「このことは絶対、読者に伝えてくれよ」と念を押した。

 

   「日本はその真の中心である精神の伝統に帰られなければいけない。
   今の日本は非常に混乱しているが、日本人が望めば、それは可能なんだ。

   そして混乱した日本の人が自分自身を回復する助けとなるものがここ、
   アメリカ南部にはある。日本でのコセコセした、あるいはプレッシャーに満ちた
   環境を離れて、ここに来てしばらくの間ゆっくり過ごせば、自分自身を回復する
   ことができるよ。そういう要素がここにはあるんだ。」

   その後、3月にはセンターの前段階が完成するので、
   その時には必ずまたやって来いと念を押されて、センターを後にした。

           <感謝合掌 平成27年9月18日 頓首再拝>

医学博士レイモンド・ムーディによる、臨死体験者ダニオン・ブリンクリーの印象 - 伝統

2015/09/29 (Tue) 18:20:23

         *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)まえがき より抜粋

(医学博士レイモンド・ムーディによる「まえがき」)(P5~8)


そのあと私(レイモンド・ムーディ博士)は約束を取り付け、
彼(ダニオン・ブリンクリー)の家へ出かけて話を聞くことになった。

それから今日(本は1994年刊 行)に至るまで、
ダニオン・ブリンクリーの臨死体験談ほど驚くべきものは、めったに耳にしたことがない。

彼は死んだ自分の体を二度見ている。離れたときと もどったときだ。
そしてそのあいだは、やさしく、力に満ちた存在が住む霊界へと旅していたのだ。

その存在は、彼の人生をあますところなく再現させ、
自身の 成功や失敗などについて反省する機会を与えてくれた。

それから彼は美しい水晶と光の街に向かい、十三の光の存在の前にすわると、
それぞれの光に知識を授け られた。


何よりも驚くべきことは、彼らが授けたというその知識の内容だ。
ダニオンによれば、その光の目前で、彼は未来をかいま見たのだという。

 
彼はそこで見たものを教えてくれたが、そのときの私はまったくナン センスだと思った。
雷に打たれた男のたわごとだろうと考えていたのだ。

たとえば彼は、ソビエト連邦が1989年に崩壊し、食料を求めて暴動が起こるだろう と語った。
さらには、ある小国が大国に侵略されたことから、中東の砂漠で大戦争が起こるだろうとも言った。

光の存在によれば、二つの軍隊が衝突し、片方が 破壊されるという。
この戦争は1990年に起きる、とダニオンは言い張った。
その戦争とはもちろん、湾岸戦争であった。

 
前述したように、私は彼の予言をまともに取り合わなかった。
何年ものあいだ、彼の話にただうなずき、その内容を書き留めていただけだった。
事故のせいで彼の脳のどこかが狂ってしまったのだろうと考えていたのだ。

だから彼に好き放題話をさせておいた。
なにしろ雷に打たれたんだ、だれだってどこか少しくらいはおかしくなるに決まっている、
と同情しながら。

 
だが後に、それこそ雷に打たれたような気がしたのはこの私だった。
彼が予言した出来事が、実際に起こり始めたのだ!
こんなことがありえるのだろうか、と不思議でたまらなかった。

臨死体験が未来の予知能力につながる可能性 などあるのだろうか、と。
その答えは今も出ていない。

1976年に出会って以来、ダニオンは私の親しい友人となった。
インタビューを続けていたその時期、また別の意外な事実が発覚し、
私は再び雷に打たれたような気分を味わうことになった。

ダニオン・ブリンクリーは人の心が読めるのだ。


彼は私の目の前で何度もこれをやってみせた。
私の目をまっすぐと見つめるだけで、
私の生活のもっともプライベートな部分を言い当ててしまう。

そしてさらには、彼がまったく見ず知らずの人の心を読んでいるところもこの目で見た。

その日彼らがどんな郵便物を受け取ったか、誰から電話がかかってきたか、
配偶者、子供、そして自分自身について、彼らがどう感じているかを、ずばりと言い当てた。

彼はあいまいな表現はしない。
その言葉は驚くほど限定されている。

一度、大学の私の講義に顔を見せたことがあったが、
そのとき彼は、教室中の学生の私生活を事細かに言い当てて見せたのだ!
彼があまりにもぴったりと言い当てるので、学生たちは息をのんだ。

中には心の中を見透かされたことに、涙を流すものまでいた。

ここではっきりと断っておきたいのだが、
彼は教室に入る前、どの学生とも一言も口を聞いていない。
全員が見知らぬ者だった。

彼がまったくの面識のない人々の「心を読む」場面を、
何度も目にしてきたので、私にとってはもう当たり前のことのようになってしまった。

だから、自分のもっともプライベートな部分をまるで周知のもののごとく
すらすらと言い当てられてしまったとき、最初は疑ってかかっていた人物の顔に、
まず畏怖(いふ)が表れ、それがやがては困惑に変わっていくさまを目にする瞬間が、
なんとも貴重な瞬間に思えてきたほどだ。

           <感謝合掌 平成27年9月29日 頓首再拝>

「未来からの生還」~最初の死 - 伝統

2015/09/30 (Wed) 18:57:11

第1章 最初の死

         *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P10~16)から抜粋


ブリンクリーは、25歳で臨死体験をしました。

その日、雷雨のさなかに自宅で電話をしていて、
耳もとで貨物列車が迫るような音を聞いたかと思うと、
衝撃が体を突き抜け、空中に投げ出されます。

雷の電気が、電話線から彼の体を一瞬のうちに流れたのです。

激しい苦痛の後、気がつくといつのまにか平和と静穏に包まれていました。
経験したことのないような心地よい平穏のなかであたりを見回すと、
すぐ下に、ベットに投げ出された自分の体が見えました。

「靴から煙が出ており、電話は手の中で溶けていた」

駆け込んできた妻(サンディ)は、混乱しながらも必死に介抱していました。

自分は死んだのだろう、と思った。
もう体から抜け出てしまったのだ、だから何も感じないのだ、と。

私は、この世での自分の最期の瞬間を傍観していた。
テレビで俳優が演じている場面を見ているのと同じくらい、
冷静な気持 ちで自身の死を見つめていたのだ。

サンディがかわいそうになった。彼女の恐怖や苦しみが伝わってきた。
だがベッドに横たわっている人間には、あまり関心が わかなかった。
自分はまったく苦痛を感じていない、と考えたことをやけにはっきりとおぼえている。

ベッドの上の男を見つめているとき、ふと思った――自分はもっとハンサムだと思っていたんだがな。


やがて彼は、自分が救急車で運ばれていくのを4、5メートル上空から追いかけます。

途中で救急隊員が、「お亡くなりになりました」と妻に告げているのを見ます。

それが自分のことだと再び気づいた私(ブリンクリー)は、殴られたような気分になりました。

「おれは死んだんだ! 」と思った。

体から離れていたし、もう体にはもどりたくなかった。

<中略>

サンディはしゃくりあげながら、私の脚をやさしくたたいていた。
トミーは呆然とし、このあまりに突然の出来事に圧倒されていた。

救急隊員たちは、遺体を見つめながら、自分たちの失敗を感じていた。
 
「そんなに自分を責めないでくれよ」と私は思った。
「きみらのせいじゃないんだから」

救急車の前方に目を向けると、遺体の上に点が見えた。
そこからトンネルが姿を現し、まるでハリケーンの目のように迫ってきた。

おもしろそうな場所に見えた。

そこで、私はトンネルのほうに向った。

(第2章 あの世のトンネル へ続く)

           <感謝合掌 平成27年9月30日 頓首再拝>

第2章 あの世のトンネル~その1 - 伝統

2015/10/01 (Thu) 20:36:43


         *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P17~36)から抜粋

あの世へのトンネル

実際は、私が動いたわけではなかった。
トンネルのほうが、こちらへ近づいてきたのだ。
鐘の音が聞こえる中、トンネルが渦を巻きながら近づき、やがて私を包み込んだ。

まもなく、なにも見えなくなった。――
サンディの泣き声も、私の遺体になんとか「エンジンをかけ」ようとする救急隊員の姿も、
そして病院との絶望的な無線連絡の音も、すべて消え去っていた。

そこは、私をすっぽりと包み込んだトンネルと、
美しい七つの鐘の音が激しく、リズミカルに鳴り続けるだけの世界だった。

暗闇の先に目を向けると、光が見えた。
その光に向かって、精いっぱいの速度で進んでいった。
足を動かしているわけでもないのに、猛スピードで移動していたのだ。

前方の光はしだいに明るくなっていき、やがて暗闇が消え去り、
いつのまにか私は輝く光の楽園の中に立っていた。
それまで見たこともないほどの明るい光だったが、なぜか少しも目が痛くなかった。

暗い部屋から明るい太陽の光の中に足を踏み出したとき感じるような目の痛みはいっさいなく、
その光はむしろ目を和らげるものだったのだ。


右に目を向けると、もやの中に銀色の形がシルエットのように浮かび上がってくるのが見えた。
それが現れ出ると、愛という言葉の意味すべてに、すっぽりと包み込まれていくように感じた。
恋人、母親、親友に感じる愛情を何千倍にもふくらましたかのような、深い愛だった。
その「光の存在」が近づくにつれ、愛情はさらに強まり、もはや抑えがたいほどの喜びになったのだ。

自分の体の密度が徐々に失われていくような気がした。
十キロほど体重が減ったような感じだった。
体の重荷は地上に置いてきたのだ。
私はもう、身軽な霊魂となっていた。


私は自分の手を見てみた。
それは半透明で、きらきらと揺らめき、海面のように流動性のある動きをしていた。
今度は胸を見下ろしてみた。
胸もまた半透明になっており、そよ風にたなびく細い絹糸のように揺れていた。


光の存在は、私の正面に立っていた。
彼には、はっきりとした姿かたちというものはなかった。
その実体にじっと目を凝らすと、色のプリズムが見えた。
まるで何千という数の小さなダイヤモンドが、それぞれ虹色を発しているかのようだった。


私はあたりを見回してみた。
下には、私と同じようなほかの存在たちがいた。
当惑したようなその存在たちは、私よりもずっと遅い速度で揺らめいていた。
彼らを見ていると、こちらの揺らめく速度も落ちてきた。
自分の振動が減っていくのは、どこか不愉快だったので、私は彼らから目をそらした。


今度は上に目を向けた。
そこにはもっと多くの存在がいた。
彼らは、私よりも明るく、より多くの光を発していた。

それを見ているときも、あまり気分がよくなかった。
というのも、今度は私の揺らめく速度が上がっていったのだ。
まるでコーヒーを飲み過ぎたときのような気分になり、どんどん加速が進み、
耐えられないほどの速さになった。


そこで彼らから目をそらし、
私のすぐ目の前まで近づいてきていた光の存在を、まっすぐと見つめた。
彼と一緒にいるのは心地よかった。
彼には一種の親しみを感じたのだ。

彼は、私がいままで経験してきた感情を、すべて知りつくしているようだった。
産声をあげたときから、雷にじゅっと焼かれたあの瞬間までの感情すべてを。

その光の存在を見つめていると、彼ほどの愛情、共感、思いやり、
はげましを私に与えてくれ、無条件で同情をよせてくれる人など、
どこにもいやしない、という気がしてきた。


光の存在のことを「彼」と呼んではいるが、その存在が男性か女性かは分からない。
この初対面のときのことは、何度も頭の中で思い返してきたが、
正直なところ、どの光の存在にも性別があったとは思えない。
彼らから感じたのは大きな大きな力だけだ。


光の存在は、私を包み込んだ。
すると、私の全人生の回想が始まったのだ。
私の身に起こったことすべてを目にし、感じたのだ。
まるでダムが崩壊し、脳裏にしまい込まれていた記憶全部があふれ出したような感じだった。

(あの世のトンネル~その2へ続く)

           <感謝合掌 平成27年10月1日 頓首再拝>

第2章 あの世のトンネル~その2 - 伝統

2015/10/02 (Fri) 19:23:47


この人生の回想は、楽しいものとはいえなかった。
はじめから終わりまで、私は胸の悪くなるような現実を目の前に突きつけられることになった。
私は、じつにいやな人間だったのだ。
利己的で、意地の悪い男だった。


まず最初に目にしたのは、荒れた子供時代だった。
そこには意地悪な自分の姿があった。
ほかの子の自転車を盗んだり、彼らに学校でみじめな思いをさせたりしていた。

中でも小学校で、首から腫れ物が突き出ているといって
甲状腺腫塵の生徒をいじめたときの場面がもっとも鮮明だった。
クラスのほかの生徒たちも彼のことをいじめてはいたが、私のいじめ方がいちばんひどかった。
当時の自分は、からかい半分程度の気持ちだった。

だがその一件を思い起こしているあいだ、私はその生徒の体に入り込み、
自分が与えた彼の苦しみを感じ取っていたのだ。


この感覚は、子供時代の陰湿な事件を思い返しているあいだ、ずっとつきまとっていた。
かなりひんばんに、はっきりと感じられた。

5年生から12年生にかけて、私は少なくとも六千回は、殴り合いのけんかをしたはずだ。
光の存在に包まれながら自分の人生を振り返っているあいだ、
その一つひとつのけんかを再び経験していたのだが、一つだけ大きな違いがあった。


思い返しているときの私は、被害者の立場になっていたのだ。


被害者になったといっても、なにも自分のパンチを食らったような感覚に陥ったわけではない。
そうではなくて、相手の苦悩や屈辱を感じ取ったのだ。
ほとんどは避けようのないけんかだったが、
中には理由もなく私の怒りの犠牲者となった人たちもいた。

回想する中、私はその人たちの苦しみをいやおうなく感じ取ることになったのだ。


それに、自分が両親に与えた悲痛も感じた。
私は手に負えない子供だったし、それを自慢の種にもしていたのだ。
両親が私に説教したり、どなりつけたりしても、
そんなしつけはまったく意に介さないという態度に出ていた。

彼らは、私を説き伏せようとしては、何度も挫折させられていた。
その上、私は悪友を相手に、自分がいかに両親を傷つけたかを得意げに話すようなことまで、
しょっちゅうしていた。

人生を回想したそのとき、こんな悪童を持った両親の心の苦痛が手に取るように分かったのだ。


私が通ったサウスカロライナ州の小学校は、罰点制度を設けていた。
罰点が15点になった生徒は親を呼び出され、
それが30点になると停学処分を受けるという制度だった。

7年生のとき、始業から3日目にして私はすでに154点の罰点を受けていた。
私は、そういう生徒だったのだ。

現在のそういう生徒は、「活動過多」と呼ばれ、それなりに対処される。
だが私の時代には、それは単なる「悪ガキ」であって、
矯正する見込みなどないと思われていたのだ。


4年生のとき、カートという名前の赤毛の男子生徒が、
毎日私を学校の前で待ち伏せし、
昼食用のお金を渡さないとぶっ飛ばすぞと脅しをかけてきた。
私は怖かったので、いつもお金を渡していた。

そのうちに毎日昼食抜きで過ごすのがつらくなり、父にこのことを打ち明けた。
父は、母のナイロン・ストッキングの中に砂を詰め、
両端を結んでこん棒をつくる方法を教えてくれた。
「今度またその子がなにか言ってきたら、そのこん棒で殴りつけてやれ」
と父は言った。

父に悪意はなかったのだ。
彼はただ、年上の子供から身を守る方法を教えてくれただけだ。

だが問題は、こん棒でカートを殴りつけ、彼からお金を奪ったあと、
私がけんかの味をしめてしまったということだった。
それ以来、私の望みは、人に危害を加えることと、強くたくましくなることだけになった。


5年生になると、私は友達全員に、近所でだれがいちばん強い子供だと思うか、投票させた。
みんな口をそろえて、がっしりとした体つきのバッチという子供の名前をあげた。

そこで私は彼の家に行き、ドアをノックすると、出てきた彼の母親に、
「バッチいますか? 」と聞いた。
彼が出てくると、私は彼がポーチから転がり落ちるまで殴りつけ、そのまま逃げていったのだ。


だれが相手でもかまわなかったし、
その相手がどんなにいい体格をしていようが、いくつ年上だろうが関係なかった。
とにかく、相手を血祭りにあげることばかりを考えていたのだ。


6年生のときはこんなことがあった。
ある先生が、授業中に騒がないように、と私に注意した。
いやだ、と答えると、彼女は私の腕をつかみ、校長室に向かって歩き始めた。

教室の外に出たところで、私は先生の手を払いのけると、
アッパーカットを食らわせ、打ちのめしてしまった。
そして、彼女が血のふき出した鼻をおさえているのを尻目に、
私は一人で校長室まで歩いていった。

あとで両親にも説明したように、私は校長室に行くのはかまわなかったが、
先生に引っ張られていくというのが気に入らなかったのだ。


うちの家族は、私が通っていた中学校のすぐ隣に暮らしていた。
だから私は停学処分を受けているあいだ、
ポーチに腰掛け、校庭にいる生徒たちをながめて過ごしていた。

ある日ポーチにすわっていると、女の子の一団がフェンスに近づいてきて、私をからかいはじめた。
黙っているわけにはいかなかった。
私は家に入ると、兄の散弾銃を持ち出し、それに岩塩をつめた。
そして外にとって返すと、叫びながら逃げていく女の子たちの背中に向けて撃ちまくったのだ。

17歳のころには、通っていた高校で、
いちばんけんかの強い男として名が知られるようになっていた。
その評判を落とさないためにも、ほとんど毎日けんかをしていた。
自分の高校には、もはやたたきのめす相手がいないと知ると、
今度は他校の悪ガキどもとやり合うようになった。


少なくとも週に1回は、学校の近くの駐車場を舞台に、決闘が行われていた。
はるか48キロも離れたところからやってきて、決闘に参加する生徒までいたのだ。

私が戦う日は、生徒たちはほとんど車から外に出ないで見物していた。
というのも、相手を打ちのめしたあと、
私がからかい半分に見物人につかみかかるのを知っていたからだ。


当時は、高校内で人種間の対立が盛んだった。
私たちも、黒人対白人という大々的な闘争を繰り広げていた。


黒人チャンピオンは、ランディという巨漢だった。
彼が白人チャンピオンを、2分間の猛攻撃で倒してからというもの、
だれも彼とは決闘したがらなかった。
この私も、彼を避けていた。
絶対にかなうわけがないと分かっていたのだ。


そんなある日、私はハンバーガー・ショップで、彼とばったり出くわしてしまった。
すぐに立ち去ろうとしたのだが、彼が私の前に立ちはだかった。
「明日の朝、例の駐車場で会おうぜ」と彼は言った。
「分かった」と私は約束した。

そして、彼が背中を向けて歩き出したとき、私はランデイの顔の右側を思いきりぶん殴ったのだ。
そのあと彼が目を開けられなかったほどの力だった。
そして倒れてもがき苦しむ彼に近づき、胸のあたりを力の限り2回ほどけりつけたのだ。

「明日の朝は都合が悪いんでな」と私は言った。
「だから今日相手にしてやろうと思ったのさ」

まともな方法では勝てるわけがないと分かっていたので、
ひきょうにも彼が背中を見せているすきに襲いかかったというわけだった。
私は、そんな高校時代を過ごしていたのだ。

(あの世のトンネル~その3へ続く)

           <感謝合掌 平成27年10月2日 頓首再拝>

第2章 あの世のトンネル~その3 - 伝統

2015/10/03 (Sat) 18:41:09


その20年後に行われた高校の同窓会で、あるクラスメートが
私のデートの相手に向かって、私がどんな生徒だったかを暴露し、彼女を困らせていた。

「やつがどんなことで有名だったか、教えてあげるよ」と彼は言った。
「けつをけりつけ、女を横取りするようなやつだった、それをいっぺんにやる男だったんだよ」


振り返ってみると、まったく彼の言うとおりだと思った。
高校を卒業するころには、私はまさにそういう人間になっていたのだ。


人生の回想がこの時点に進んできたころには、私は自分自身をすっかり恥じるようになっていた。
人生の中でみんなに与えてきた苦痛を思い知らされたのだ。


こういう具合いに、私の遺体が担架に横たわっているあいだ、
自分が送ってきた人生のありとあらゆる場面を思い返していた。
そこには自分の感情、態度、動機がすべて含まれていたのだ。


人生の回想を行っているあいだに私が体験した感情の奥の深さは、鷲くべきものだった。
一つの出来事の中で、自分と相手の両方の思いを感じるだけではなく、
それに反応した第三者の気持ちも、感じ取ることができた。

つまり私は、次々と連鎖する感情の中に身を置いていたということだ。
お互いが、とても深く影響し合っていることがよく分かった。

ありがたいことに、そのすべてが悪い感情というわけではなかった。

たとえばあるとき、大叔父と一緒に車を走らせていたら、
男が山羊を殴っているところに出くわした。
山羊の頭はフェンスにはめこまれているようだった。

その男は枝を手に、山羊の背中を力まかせにたたいていたのだ。
山羊は、恐怖と苦痛から、さかんに鳴き叫んでいた。

私は車を止め、どぶを飛び越えてその場に向かった。
男が振り返る前に、私は彼の後頭部を、思いっきり殴りつけた。
大叔父が止めるまで、私は殴りつける手を休めなかった。
山羊を逃がしてやると、私たちは煙が立つほどの勢いでタイヤをきしませ、その場を離れた。


その一件を思い返したとき、その男が感じた屈辱感と、
山羊が感じた安堵の喜びに、満足することができた。
山羊が、自分なりの言葉で「ありがとう」と言っているのが分かった。


だが私はつねに動物をかわいがっていたわけではなかった。
犬をベルトでむち打っている自分の姿も回想の中に現れた。
犬がリビングルームのカーペットをかんでいるところを見つけ、
頭にかっと血をのぼらせてしまったときのことだった。

もっと穏やかなしつけ法もあるというのに、このときは自分のベルトで犬を打ちつけたのだ。
そのときのことを思い返しているあいだ、私に対する犬の愛情を感じたし、
犬も本気でカーペットをかんでいたわけではないということがよく分かった。
犬の悲痛と苦しみが、手に取るように感じられたのだ。


後に、このときの体験を思い返してみて気づいたのだが、
動物に暴力をふるったり、残酷に接したりする人間は、
人生を回想するとき、その動物の気持ちを思い知ることになるのだ。


また、自分がなにをしたかということよりも、
なぜそうしたのかということのほうが、はるかに重要だということにも気づいた。

たとえば、人生の回想の中で、理由もなく人を殴りつけたことのほうが、
けんかをふっかけられたために人を殴りつけたときよりも、ずっと心が痛んだ。
おもしろ半分にだれかを傷つけている自分を思い返すのは、なによりもつらいことだ。

なにか信じる理由があったうえでだれかを傷めつけたときことを思い返す場合は、
それほどつらくないものなのだ。

(あの世のトンネル~その4 へ続く)

           <感謝合掌 平成27年10月3日 頓首再拝>

第2章 あの世のトンネル~その4 - 伝統

2015/10/04 (Sun) 19:09:36


このことは、私が軍隊で情報部員として働いていたときの回想から、
さらにはっきりとしてきた。

基本訓練を受けていたときの記憶が、数秒で駆け巡った。
その訓練で、自分の怒りを、新たな自分の役割である戦闘兵としての任務に仕向けることを学んだ。
特別訓練を思い返したときには、私の人格が殺人目的に向かって形成されていくさまを見て取った。

当時はベトナム戦争の時代だ。
気がつくと私は、東南アジアの蒸し暑いジャングルの中に舞いもどっており、
もっとも得意とすることに従事していた――戦いだ。


私はベトナムにはほとんどいなかった。
ラオスとカンボジアでの活動が中心の情報部に配属されたからだ。

「偵察業務」も少しこなしていた。
これは、双眼鏡で敵の軍隊の動きを探るという作業に毛がはえた程度の仕事だった。

一方、私のおもな任務は、「敵の政治家と軍部の人間の除去を計画し、実行する」ことだった。
早い話が、暗殺だ。

一人で任務にあたっていたわけではない。
ジャングルをあさり歩き、特定の標的をさがしていくあいだ、二人の海兵隊員が同行していた。
その二人の仕事は、高性能の望遠鏡を使って、その標的を見分けることと、
その目的の人物が確かに消し去られたかを確認することだった。
そして私の仕事は、引金を引くことだった。

たとえばあるとき、自軍とともにカンボジアのジャングルに潜む、
北ベトナム軍大佐の「息の根を止める」よう、送り込まれたことがあった。
航空写真から、この大佐の隠れ場が突き止められた。
あとは私たちがジャングルを抜け、彼を見つけ出すだけだ。

この手の攻撃は、かなり長い時間がかかってしまうのだが、
それでも部下たちの目の前でリーダーを殺すというのは、
敵軍の士気を低下させるには、うってつけの方法だと考えられていた。


地図で確認していたとおりの場所で、その大佐を発見した。
私たちは、彼らのキャンプから640メートルほど離れた場所に、
音も立てずに腰を下ろし、彼を「仕留める」のに最良の瞬間を待った。

その瞬間は、翌朝早くに訪れた。
隊が整列し、その日の行動の確認をしているときのことだった。
私は位置につき、高性能の狙撃ライフルの十字線を、大佐の頭に合わせた。

彼は、なにも知らない兵士たちの前に立っていた。
「あの男か? 」と私は偵察役にきいた。
彼の仕事は、情報部から渡された写真をもとに、標的となる人物を確認することだった。
「やつだ」と彼は答えた。
「列の前に立ってる男がそうだ」

そこで私は引金を引き、ライフルの反動を体に受けた。
一瞬、間を置いてから、彼の頭が吹き飛び、
ショックを受けた隊員たちの前に、その体ががっくりと倒れ込んだ。
当時、私が実際に目にした光景は、そういうものだった。


ところが回想のときは、私はその北ベトナム軍大佐の視点からこの事件を体験していた。
彼が受けたはずの体の痛みは感じなかったが、自分の頭が吹き飛ばされたときの彼の混乱と、
体を離れ、もう二度と家には帰れないのだと気づいたときの悲しみを、感じ取ったのだ。

そして、感情の連鎖反応が起こった。
一家の働き手を失ったと知ったときの彼の家族の悲痛が伝わってきたのだ。

自分の手柄となった出来事が、すべてそういう具合いに再現されていった。
自分の殺人行為を目にするたびに、その恐ろしい結果を感じ取っていったのだ。


東南アジアにいるあいだ、女や子供たちの惨殺、村全体の破壊が、
なんの理由もなく、あるいは間違った理由で行われていたのを、この目で見てきた。
そういった惨殺事件で私自身が直接手を下したことはなかったが、
それでもやはり、そのときの出来事も再び経験していった。

しかも、加害者側の視点ではなく、被害者側の視点で。

たとえばあるとき、ベトナムとの国境あたりに派遣されたことがあった。
「アメリカの視点」に同調していなかったある政府の役人を暗殺するためだ。
この任務は、チームで行われた。

私たちの目的は、彼の滞在先である田舎の小さなホテルでその男を消し去ることだった。
成功すれば、どんな人間でもアメリカ合衆国の追っ手からは逃れられない、
と暗に宣言する役割を果たす事件になるはずだった。

私たちはジャングルの中に4日間ほど腰を下ろし、
その役人をねらい撃ちするチャンスをうかがった。
だが彼は、つねにボディーガードや秘書といった側近たちに取り囲まれていた。

たまりかねた私たちは、方針を変えることにした。
夜遅く、だれもが眠りについているときに爆弾を撃ち込み、
ホテル自体を吹き飛ばそう、ということになったのだ。

私たちは、まさにそのとおり実行した。
明け方、プラスチック爆弾を構えてホテルを取り囲み、
その役人を殺したうえに、ホテルのほかの滞在客約五十人ほどを巻添えにしたのだ。

当時、私はその一件を笑い飛ばしていた。
そして上司に、あの役人と行動をともにしていたんだから、
死ぬのは当然の報いだ、と話していたのだ。


私は臨死体験中、この事件をもう一度繰り返して目にした。
だがそのとき、次々と押し寄せる感情と情報に、圧倒されてしまった。
死んだ人々が、自分たちの人生が突然断ち切られたことに気づいたとき、
私は正真正銘の恐怖というものを感じ取ったのだ。

彼らの家族が、そのような悲劇的な事件で愛する人々を失った
と知ったとき感じた苦しみも伝わってきた。
多くの場合、彼らが消え去ったがために未来の世代がこうむった損失を感じることさえあった。

全体的に見て、私は東南アジアで数多くの死を引き起こしていた。
それを思い返すのは、とてもつらいことだった。

唯一の救いは、当時自分は正しいことをしているんだと考えていたという点だ。
愛国心という名のもとに、私は人を殺していた。
そのことで、恐怖感もいくぶんかはやわらいだのだ。

(あの世のトンネル~その5 へ続く)

           <感謝合掌 平成27年10月4日 頓首再拝>

第2章 あの世のトンネル~その5 - 伝統

2015/10/05 (Mon) 17:49:34


軍役を終え、アメリカにもどってきてからも、私は政府のための仕事を続けていた。
極秘の任務だった。
それはおもに、アメリカに友好的な人間や国々に、武器を輸送する仕事だった。
ときには、銃の撃ち方や爆破の仕方などの技術を指導するために、動員されることもあった。


人生を回想しているとき、自分の成し遂げた仕事の結果、
世界中で殺人や破壊が行われたという現実を、いやでも目にしなければならなかった。

「私たち一人ひとりは、人類という大きな鎖の輪なのです」と光の存在が言った。
「あなたの行動は、その同じ鎖の中にあるほかの輪に影響を与えるのです」


そのことを示す例がたくさん脳裏によみがえったが、その中でも一つ、特に目を引くものがあった。
中米のある国で、武器の荷を下ろしている自分の姿が浮かび上がってきたときのことだ。
その武器は、アメリカの友好国とソ連とのあいだの戦争で使われる予定のものだった。

私の任務は、その武器を飛行機から当地のアメリカ軍部へと輸送することだけだった。
だから輸送が完了すると、私は飛行機にもどり、さっさと帰国した。


だが人生の回想の中では、そう簡単には立ち去れなかった。
私はその武器とともに当地に残り、それが部隊集結地に分配されるところを見守った。
それから、その中の銃を使って殺しが行われた現場までついていったのだ。

罪のない人々を殺すのに使われる銃もあれば、罪人を殺すために使われるものもあった。
だが全体として、その戦争における自分の役割が生み出した結果を目撃するのは、
とにかく恐ろしいことだった。


この中米への武器輸送は、雷に打たれる前に私が関わった最後の仕事だった。
父親が殺されたと聞いて泣き叫ぶ子供たちの姿が見えた。
その父親の殺害に使われたのは、私が運んだ銃だったのだ。

そこで人生の回想は終わった。


人生を回想し終えると、今度はいま見たことを振り返り、反省し、結論を出すときになった。

私は、すっかり恥じ入っていた。
自分が送ってきた人生が、じつに利己的なもので、
他人に救いの手を差し伸べることなどまずなかったという事実を思い知らされたのだ。

兄弟愛を示すほほえみを投げかけたり、落ちぶれ、ちょっとした手助けが必要な人間に、
ほんの1ドル手渡すような行為さえ、ほとんどしたことがなかった。

そう、人生の中心は、自分だけだった。
自分独りのための人生だった。
まわりの人間のことなど、眼中になかったのだ。


光の存在を見つめた私は、悲痛と恥を深く感じていた。
非難は免れないと思った。
私の魂を打ち震わせるようなすさまじい非難を受けるだろう、と。
人生を振り返って目にした自分は、まったく価値のない人間だった。
非難以外、考えられない。


光の存在をじっと見つめていると、彼が私に触れているように感じた。
その接触から、私は愛と喜びを感じ取った。
それは、おじいさんが孫に与えるような、無条件の思いやりに等しいものだった。

「あなたという存在は、神がおつくりになる違いなのです」と光の存在が言った。
「そしてその違いとは、愛です」

私たちは実際に言葉を交わしたわけではない。
なにかテレパシーのようなものを通じて、私たちは会話していたのだ。
いまでも、このなぞめいた言葉の真意は分からないのだが、とにかく、そう告げられたのだ。


そしてもう一度、私は反省の時間を与えられた。
私は人にどれくらいの愛情を与えてきたか?
そして人からどれくらいの愛情を受け取ってきたか?

そのとき目にしたばかりの回想から考えると、
善が1に対して、悪が20という割合だった。
罪を脂肪に変えれば、私の体重はゆうに200キロを越していたに違いない。


ところが光の存在が離れていくと、私はこの罪の重荷が取り除かれたような気分になった。
省みたことで確かに痛みや苦悶を感じたが、
そのおかげで人生を正しく歩んでいくための知識が身についたのだ。

光の存在からのメッセージが、頭の中に響いた。
これも、テレパシーのようなものを通じて送られてきた。

「人類は、力ある霊的存在で、地上に善を創造するために生まれてきたのです。
善は、不遜な行為からは成し遂げられません。
人々のあいだで交わされるやさしさ一つひとつから、成し遂げられるものなのです。
小さなことが積み重ねられた結果なのです。
なぜなら、それは無意識の行為であり、あなたの真の姿を映し出してくれるからです」


私は元気づけられた。
人類を向上させる単純明快な秘訣が分かったのだ。

つまり、あなたが人生の終わりに得る愛情の深さと善意は、
あなたが人生の中で他の人に与えてきた愛情と善意に匹敵するということ。

じつに単純明快だ。


「それが分かれば、これから自分の人生をよりよいものにできるでしょう」
と私は光の存在に言った。

そのとき、自分はもう戻れないのだ、ということに気付いた。
もう人生は終わったんだ。
雷に打たれたんだ。ぼくは死んでしまったんだ。

(第2章 あの世のトンネル 完了)

           <感謝合掌 平成27年10月5日 頓首再拝>

十三の光の存在から示された未来のビジョンとメッセージ - 伝統

2015/10/06 (Tue) 18:10:17


       *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P37~75)から抜粋

第3章 「お亡くなりになりました」 
第4章 水晶の街



第5章 「知識の箱」~十三の光の存在から示された未来のビジョン(1975年9月17日)

(1)13のビジョン
  ①アメリカの東南アジアでの戦争
  ②その後のアメリカ国内の状況・・・若者による暴動、略奪、窃盗、殺人
  ③1983年~1987年のアメリカ大統領は「RK」というイニシャル
   カウボーイハット

  ④中東での和解
  ⑤原油価格の暴騰、シリアでの中国の暗躍(1992年、1993年)
  ⑥2つの原発事故(チェルノブイリ&? 1986年、1995年)
   がん患者、奇形児の増加、ソ連の衰退

  ⑦環境保護宗教~ロシア発
  ⑧⑨ロシアに対する中国の怒り・・・国境紛争、中国によるロシア領土への侵入・略奪

  ⑩経済的大変動、~アメリカの衰退
   砂漠の嵐(戦争)(1990年)
  ⑪イラン、イラクでの軍備増強、エジプトの民主政治の崩壊、
   世界中の多くの場所での闘争激化

  ⑫コンピューターチップの製造活用できる生物ウイルスの生み出し
   このチップによる人間への悪用

  ⑬~①から⑫のまとめ的ビジョン


(3)光の存在のメッセージ

  ①「もしあなたが、いままで教えられてきたとおり、そしてこれまでの25年間と
   同じように生き続ければ、これらすべての出来事(未来のビジョン、予言)は、
   実際にあなたの身に降りかかります。
   でもあなたが変われば、将来の戦争は避けられるのです」(P67)

  ②戦争(第三次世界大戦)、自然災害、市民戦争等における地上の人間の恐怖心、
   難民流入による国家の崩壊、神への不信感・・・

   「この人々が感じている恐怖は、必要ないものなのです」と光の存在が言った。
   「ところが、その恐怖が心があまりにも強すぎて、人間は安全を得るために
   自由をすべて投げ出してしまうのです」(P68)

  ③「あなた方人間は、真の勇者です」と光の存在は言った。

   「地球に向かうのは皆、勇気ある者たちなのです。ほかの霊的存在には、
   とてもやる勇気のないことを、あなたたちはやってのけているのですから。
   あなたたちは、神とともに創造するために、地球へ向かっているのです」。(P68)

  ④いま見たものはすべて未来の出来事だが、必ずしもこうなると
   決まっているわけではない、と彼は語った(彼は言葉を発しなかった)。

   「人間の行動の流れは、変えることができます。でもその前に、
   人間は自分が何者なのかを知 る必要があるのです」と彼は言った。

   そして再び、人間は偉大で、強くて、力のある霊的存在だ、
   という彼らの信念を伝えてきた。(P71)

  ⑤「私たちはここで、偉大なる冒険をしようと地球に向かうすべての人々に
   会っています」と彼は続けた。

   「あなた方は、地球に向かい、生命を発展させ、そして人類という名で知られる、
   神がお造りになった大いなる冒険に参加する勇気をもった方なのです」(P71)

  ⑥そこで彼は、地上における私の目的を告げた。
   「精神主義的資本主義 をつくり上げるのです」と彼は言った。

   「人々の考え方を変え、その未来の思想を推し進めるのです。
   政府や宗教ではなく、自分の精神そのものに頼る方法を、教えてあげるのです。

   宗教は結構なことですが、なにからなにまで宗教に左右されるようではいけません。
   人間は、力のある霊的存在です。愛とは、自分がされたら喜ぶような方法で
   他人に接することだということさえわかってくれればよいのです」(P71)


           <感謝合掌 平成27年10月6日 頓首再拝>

帰宅 - 伝統

2015/10/07 (Wed) 19:10:31


       *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P76~103)から抜粋

第6章 帰還

(水晶の街から肉体への帰還、蘇生処置、検査、リハビリ
 眠りに落ちている時は、水晶の街へ戻り、使命を果たすための訓練・・・)


第七章 「帰宅」

(1)医者によると、死を迎えるための帰宅であった。

(2)起きている時間は僅かで、疲労が襲い、20時間以上の睡眠が必要であった。

   睡眠中は、水晶の街に戻り、光の存在による講義を受けていた。

   たとえばあるとき、私は未来の手術室という場所に案内してもらったことがある。
   だがその手術室には、外科用メスや、その他先のとがった器具類は
   いっさい置かれていなかった。

   そこでは、すべての治療が特殊な光によってなされていたのだ。
   患者は薬を与えられ、その光の中にさらされる、
   とそのとき一緒にいた光の存在が教えてくれた。

   そうすることで、からだの中の細胞の振動を変えるのだという。
   体のあらゆる部分には、それぞれ決まった振動速度がある、とその光の存在は言った。

   その速度が変化すると、病気が引き起こされてしまうという。
   その光は、やんだ器官を正確な振動速度にもどし、
   どのような病気でも治してしまうのだ。(P92)

(3)臨死体験後は、耳を傾けてくれる人には、いつもこう言っている。

   「人生での行いには気をつけたほうがいい。
   なにしろ死んだとき、自分がやったことをすべてもう一度目にしなければならないんだ。
   しかもそのときには、自分が受身の立場になっているんだよ」(P97)

(4)じつを言えば、私自身も臨死体験という言葉はきいたことがなかった。

   だがその言葉自体は知らなくとも、偉大で、力強く、輝かしい神が存在すること、
   あの世はすばらしい場所だということは、はっきりと知っていたのだ。

   この世にもどってからというもの、私はこの世の苦しみを肌で感じ、
   その中で生活し、呼吸していた。だが、愛と神の力で、この苦しみを
   乗り越えられるはずだということも分かっていた。(P100~P101)

(5)あるとき、なぜ自殺しないのだ。と聞かれた。
   それが誰だったかは思い出せないが、私がこれまでに書いてきたとおりの体験談を
   全部話し終えたあと、そう言われたのだ。

   「ダニオン、そんなにあの世がいいところなら、自殺すればいいじゃないか」

   そういわれても、まったく怒る気にはならなかった。実際、論理的な考えだ。
   私はしょっちゅう、あの世を賛美し、讃えていたのだから。

   確かに、なぜ私は自殺しなかったのだろう?

   そのときまで、私は自殺など考えたこともなかったのだ。
   そして、腑抜けのようにポーチに腰を下ろし、
   臨死体験が自分にもたらした変化を実感するようになった。

   ひどい体調だったにもかかわらず、
   あの体験のおかげで忍耐という内面の強さを得ることができた。

   最悪の瞬間にも、あの神々しい光から発していた愛を思い出すだけで、
   突き進むことができたのだ。

   もちろん、自分自身の生涯を勝手に断ち切るのがよくないことだという認識は持っていた。
   だが、それ以前に、 そんなことをしようなどと考えたことさえなかったのだ。

   物事が悪い方向へ進んだときは、あの光の愛を思い出すだけで、
   それが良い方向へと変わったのだ。 (P101~P102)

           <感謝合掌 平成27年10月7日 頓首再拝>

「救済者」 - 伝統

2015/10/09 (Fri) 19:35:46


      *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P104~117)から抜粋


第八章 「救済者」

(1)その時代は、臨死体験者に とっては暗黒の時代だった

   1975年というのはそう遠い昔ではないが、
   それでも臨死体験者にとっては暗黒の時代だった。

  ①医者は臨死体験についてあまり知識がないか、まったく知らずにいたし、
   患者がその体験を語っても、悪い夢を見たんだろうとか、 幻覚だろう、といって
   簡単に片付けられてしまっていた。

   精神科医の多くも、話をきいて理解しようとはせず、
   霊的体験者であるその患者たちに、ただ薬を与えるだけだった。

  ②聖職者にいたっては、まったくといってよいほど力になってくれなかった。
   たいていの場合、その霊的な旅のことを悪魔の仕業だと考えていたからだ。

  ③(たとえば、)朝鮮戦争時の戦闘で死にかけた戦士の話。

   その精神科医も、臨死体験の知識は持ち合わせていなかった。

   まもなく、「すべての人間を愛しなさい」という霊的メッセージを与えられた
   善良なるこの兵士は、精神病院に入れられてしまったのだ。


(2)モルモン教会は、長老が執筆するモルモン教義の注釈書
   『ジャーナ ル・オブ・ディスコース』の中で、臨死体験談を集めている。

   彼らの話は、私の身に起こったことすべてに当てはまるのだ。

   彼らは、肉体の死後も霊体からは
   五感、触覚、味覚、聴覚、嗅覚は失われないと信じている。
   死によって、人間は病気や障害から解き放たれる。

   そして霊的存在は猛スピードで゛動き回わり、数多くの方角に同時に目を向け、
   言葉以外の方法で意志の伝達を行うことができる。と考えているのだ。


(3)ムーディ博士の『臨死体験』9個の共通点

  ①『死んだという感覚』
   その人は、自分の死を認識している。

  ②『心がやすらぎ、苦痛を感じない』
   相当な苦痛を感じているはずの人が、いつのまにか自分の肉体を感じなくなっている。

  ③『肉体離脱体験』
   その人の霊魂、つまり実在が、自分の体の上に浮かび、目にするはずのない
   出来事を見て、後にそれを供述することができる。

   私自身の臨死体験(NDE)から 言えば、サンディが私の胸を強く押していた
   ところを見たとき、そして病院で自分の遺体のもとへ戻ったときなど、
   二つの例がある。

  ④『トンネル体験』
   「死んだ」人間が、トンネルの中をかなりの速度で゛抜けているという感覚を持つ。
   私も救急車内でこれを体験した。自分が死んだと分かったとき、思い切って、
   そのトンネルを昇り霊界へと向かったのだ。

  ⑤『光の人々との遭遇』
   トンネルの出口で、光に包まれているように見える人々、
   すべてにこの世を去っている親族などに出会う場合が多い。

   私の場合、自分と同じように光に包まれた人々が数多くいるところは見たが、
   亡くなった親族には会わなかった。

  ⑥『特定の光の存在の出迎えを受ける』

   私の場合、トンネルの出口で迎えてくれた霊の案内役が、これに当てはまる。
   彼は霊界をくまなく案内し、人生を回想させてくれた。
   庭園や森のようなところに行って、光の存在にあったという人もいる。

  ⑦『人生を回想する』
   自分の生涯を目にすることができ、
   愉快、不愉快な面すべての評価を行うことができる。

   私の場合、自分の霊の案内役と交信しながら人生を回想した。

  ⑧『もどりたがらない』

   私ももどりたくなかった。
   だが、光の存在からの命令だったし、
   霊のセンターを建てるという使命も言い渡されてしまったのだ。

  ⑨『性格の変化』
   ほとんどの人が、自然や家族をないがしろにするような態度をやめるなど、
   よい変化が起きた。

   私自身にもその種の変化が起きたが、
   一方で負に向かった変化もあったと自分では思う。

   自分の体験と、「センター」を建設するという地上における使命に
   強迫観念を持つようになったのだ。

           <感謝合掌 平成27年10月9日 頓首再拝>

「新たな意欲」 - 伝統

2015/10/10 (Sat) 19:22:59


      *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P118~129)から抜粋


第九章 「新たな意欲」~レイモンド博士によるインタビューに答えて

あそこでぼくは、世界と宇宙のことを学びました。
世界中の、ありと あらゆる物事の運命を知ったのです。

中には、とても単純な物事もありました。
たとえば、雨水です。
海へもどるという運命をたどらない雨水など、一滴もない ということを知っていますか?

私たちがやろうとしているのは、そういうことなんですよ、レイモンド。

私たちは雨滴と一緒で、その源、つまり私たちがやってきた場所に
もどろうとしているだけなんです。(P121)

地上にやってきた者は、勇者です。
というのも、私たち人間は、宇宙 全体に比べれば、あまりにも限られた一つの世界の中で、
自ら進んで試みようとしているのですから。

あの世の霊たちに言わせれば、地上にいる人間は
自分自身を大いに尊重すべきなんだそうです」


           <感謝合掌 平成27年10月10日 頓首再拝>

「特別な能力」 - 伝統

2015/10/11 (Sun) 19:05:27


      *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P130~181)から抜粋


第十章 「仲間たち」より

(略~多くの臨死体験者の話)

たとえば、

「ほかにも光の街へ行ったという人に出会うことができた。
その中の一人 は、ソルトレイクシティで出会ったモルモン教徒で、
彼の話は私の体験とほとんど一致する。

彼も、光の存在と輝かしい大聖堂を目にしている。
彼の場合、彼ら のことを「霊」とか「存在」ではなく、
「天使」と呼び、大聖堂のことは「礼拝堂」と呼んでいた。



第十一章 「特別な力」

(1)人の心を読む能力

   最初は、家族と話しているときこの現象が起こった。
   だれかが口に出 していなかったなにかをきくより先に、
   私がそれに答えてしまっていたということまであった。

   どうしてそんなことができるのか自分でも分からなかった。
   ただ、人がなにかを口に出す前に、その人が言おうとしていることが
   「聞こえる」だけなのだ。これには、相手だけでなく、私自身もショックを受けた。

(2)心霊的フラッシュ

   そうこうしているうちに、もう一つの並外れた能力が、現われるようになった。
   この奇妙な能力のことを説明するには、「ドラマ」を見るようになった、
   という表現以外思いつかない。

   誰かに目を向けると、その人の生活の断片が、突然見えてくるのだ。
   まるで、ホームドラマを見ているような感じで。

   あるいはだれかの持ち物を手に取ると、
   その持ち主の生活風景が浮かび上がってくるのだ。

   古いものに触れると、それが持つ歴史をかいま見ることまであった。


   雷に打たれた直後、病院のベッドに横たわっているときも、
   だれかがきて私の手をとると、突然その人の生活風景が見えてきたのだ。

   たとえば、家でだれかとけんかしているときの場面が浮かび上がってきた。
   そのけんかの原因まで 分かるとは限らなかったが、
   その人物が感じた苦しみや怒りを感じることはできた。

   腎石を持つ友人が見舞いにきたことがあった。
   彼が病院にくるまでは、 彼がそんな問題を抱えているとは知らなかった。

   だが彼が別れのあいさつをしようと私の肩に手を置いたとたん、
   腎石が流れ出るのを待つあいだリビングルーム の寝椅子で苦しそうに
   身もだえする彼の姿が頭に浮かんできた。
 
   そのことを告げると、彼はショックを受けていた。
   「確かにそのとおりのことが起こった」と彼は言った。

   この心霊的フラッシュに現われるのは、強いストレスを感じる状況や、
   危機的な場面だということに、ごくはじめのころから気づいていた。


(3)臨死体験者も同様にその能力がある

  ①超能力を持っていて心が慰められることがあるとすれば、
   それは他の臨死体験者も同様にその能力があるという点だ。

   臨死体験それ自体が強烈な心霊現象であるが、そのことだけを言っているのではない。
   体験後に起こることを指 しているのだ。

   私がいままで出会った臨死体験者は全員、予知フラッシュを見たことがあるし、
   直観力がものすごく発達している。これは十分うなずけることだ。

   というのも、臨死体験者というのは、自然の姿を、生命のまさにエッセンスまでに
   分解された経験を持つ人たちなのだから。

  ②私や他の体験者たちになぜ超能力が備わったのかは分からない。
   だが、わけの分からない、説明できない物事というのが、
   世の中でつねに起こっているということだけは確かだ。

   私たちが生きている世界には、不可思議なことがまだまだたくさんある。
   その不可思議なことを否定してしまったら、この世界のいちばんすばらしい部分を
   否定してしまうことにもなりかねない。

           <感謝合掌 平成27年10月11日 頓首再拝>

「再建」 - 伝統

2015/10/12 (Mon) 19:17:48


      *「未来からの生還」ダニオン・ブリンクリー(著)(P182~197)から抜粋


第12章 「再建」~ホスピスのボランティア

(1)たいていの人間は、死の床につく人間に近寄りたがらない。
   死に対して信じられないほどの恐怖感を抱いているからだ。
   そして、できるだけ長いあいだそれを避けたいと思っている。

   だが私は、死にゆく人のそばで過ごす時間をもっと増やせば、
   肉体的な死に対する恐怖もいくぶん鎮められるのではないかと思っている。

   だからといって、死は怖くない、どうということはない、などと言っているのではない。
   確かに死は怖いし受け入れにくいものだ。

   だが、苦痛や恐怖と一緒に物理的な人生を捨て去ることはすなわち、
   精神的に目覚めることでもある。

(2)ホスピスのボランティアとして、付添い人にも気を配るようにした。
   つまり基本的には、死にゆく人を見守る立場にある家族の心にも、
   安堵の気持ちを与えたということだ。

   私は彼らを安堵させるこの仕事が気に入っている。
   というのも、付き添いを任されている人こそ、
   心の安らぎを本当に必要としているからだ。

   たとえば、癌の末期を迎えた息子に付き添っていたある母親を手伝ったときのことだ。
   終末期患者のベッドに近づくと、私はまず患者の脈をとることにしている。
   脈を確認することと、その人の「ホームドラマ」を見るためだ。

   その少年の「ドラマ」は、いいものではなかった。
   手を腰に当て、怒った顔の彼の母親が、
   ベッドのわきに立っている場面が浮かび上がった。

   少年は、母親の 長ったらしい説教を聞かされる捕らわれの聴衆となっていたのだ。
   彼はそのことに腹を立てていた。
   母親が話しているあいだ、どっと押し寄せる怒りを感じた。
 
   「すごいな」と私は少年に言った。
   「なんでそんなに怒っているんだい?」
   「信じてもらえないかもしれないけれど」と彼は口を開いた。

   そして、自分の死に対する母親の自責の念について話し始めた。
   彼女は、息子が死ぬのは自分の せいではないかと感じているのだ。

   日に何度か、彼女はベッドのわきに立ち、自分がしたことをあれこれ並べ立てては、
   それを彼の病気と結び付けてばかりいる のだという。
   見当違いのことばかりなんだ、と彼は言った。

   そしてここ2日ばかりのあいだに、事態はもっと悪化していた。
   今度は、病気を「彼」のせいにし始 め、彼のしたことを並べ立てては、
   それが病気の原因だと言い出したのだ。
 
   「ぼくは癌で死ぬんだ」と彼は言った。
   「母さんのせいでもなければ、ぼくのせいでもない。とにかくぼくは死んじゃうんだよ」
 
   母親がもどってくると、私たちは罪の意識と死について、十分に話し合った。
   そして、二人に私の体験談を話して聞かせた。それを聞くと、
   彼らも気が楽になったようだった。
 
   「死をめぐって仲たがいしてはだめです」と私は母親に言った。
   「自分のことを、一生許せなくなりますよ」


第13章 心臓麻痺
第14章 二度目の死




第15章 未来に向けて

   ここ数年間、世界中の何百万人という数の人々に、
   私の二度にわたる 臨死体験について話してきた。

   エリツィン大統領の招待で、ムーディ博士とともにロシアのテレビにも出演し、
   ロシアだけでも何百万の人々を相手に私の体験と ビジョンについて語ってきた。

   精神資本主義についての私の信念---すべての人々が、自分の選んだ道に
   敬意を払うべきだということ---についても、話す チャンスを与えてもらった。

   正義へと通じる道は、何本もあるものだ、と私は言った。
   私たち人間にとってはありがたいことだ。というのも、私の知る限り、
   だれ一人同じ道を歩む人間はいないのだから。


(「未来からの生還」からの要点の紹介を終了いたします)

           <感謝合掌 平成27年10月12日 頓首再拝>

光の世界へ - 伝統

2015/11/29 (Sun) 19:26:35

ダニオン・ブリンクリー氏の直近の書から、
ダニオン・ブリンクリー氏の臨死体験の記録をあらためて紹介してまいります。

       *『「死後の世界」を知れば人生が輝き始める』ダニオン・ブリンクリー(著)より


《ブルーグレイのトンネルを通って光の世界へ》

             (P23~43)から

病院に着き、救急治療室に運び込まれた私は、
そこですぐに死亡宣告を受けシーツをかけられ、
遺体安置所に運ばれるまで空いている部屋にしばらく放置されたようだ。
 
ここで、「・・・ようだ」というのは、私自身は、もはやその一部始終は見ていないからだ。
その頃私は、自分の体とは遠く離れた、別のところにいたんだ。
それは、どんなところかというと ―― 。

 

そこはブルーグレイに輝くトンネルの中。
トンネルはぐるぐると回っていて、その中を私は、
透明なベルトコンベヤーに寝かせられているかのように宙に浮きながら、
足先の方向へと進んでいく・・・。

はじめのうちはとても静かだったけれど、しばらくしてトンネルの中に、
遠くのほうからかすかなチャイムの音が、風に乗って運ばれてきた。
そうして私の体が、その音と一体となって振動するのを感じた。
 
相変わらずぐるぐると回りながらトンネルの中を進んでいくと、
やがて、とてつもなくまぶしい光が見えてきた。
 
「どうやらトンネルの出口に来たようだ」

そう思ったけれど、「目がつぶれてしまうのではないか?」と、
その光を見るのに恐怖を感じて、なかなか目を開けることができなかった。
 
それくらいにまぶしく、明るい光だったんだ。
 
それでも、怖いもの見たさに、ついに目を開いた、その瞬間・・・。
私はその光の中に立っていた・・・というより、すごく驚いたことに、
その光と私は、一つになっていた。一体化していたんだ!
 
その光はまさに生きていて、息づく温もりの中で、
私はこれまでに感じたことのない安心感を覚えていた。
 
熱い愛情ですべてを受け入れてくれる聖域に、自らがすっぽり包みこまれ、
爽やかさと歓びに満たされていた。


 ―― とはいっても、相変わらず私はかなりの高速で回っていて、
私はどこに行くのか、ここは何をする場所なのか、
私の頭のなかもぐるぐる巡っていたよ。

「これはもしかして、いつかは覚める夢なのか? 」
 
そう思いながら自分の手にふと視線をやると、ここでまたびっくり仰天!
なんと私の手は透き通っていて、様々な色に変化する色の流れにきらめき、
私の体にも、色とりどりの流れがまるで血流のように脈打っていたのだから。

 そのとき ―― 。
誰かが近づいてくる気配を感じ、次の瞬間には、
目の前に、半端でなく明るい光の存在が現れていたんだ。
 
光が発している、親切で、私を育み元気づけてくれるようなエネルギーは
どこかなじみ深く、それでいてとても貴いものに思われた。
 
さらにその光がふわふわと私のほうに近づいてくればくるほど、
愛おしさが募り、同時に自分が慈しまれているように感じた。
 
私は、感じたことのないその新しい感覚にいつまでも浸っていたかったのだけれど、
残念ながらその時間は長くは続かなかった ―― 。

それは、光の存在が、私の意識を、
いつの間にか私の周りで動き回っていた魂に向けさせたからだ。
私の周りでうごめく魂を観察していて、私は次のような発見をした。

これらの魂は、それぞれに異なったエネルギーを持ち、振動している。
そのうち、私より下にいる魂の振動はゆっくりで、それを見ているうちに
私の振動も不快なくらいに鈍くなっていく。

一方で、私の上にいる魂は、私よりも高い周波数を発しながら振動していて、
それを見ていると私の振動の密度も濃くなっていく。

そんな様子を観察しながら、ふと疑問が湧いてきた。

光の存在は、どうして、こんなものを私に見せているのだろう?
それが知りたくて、私は光の存在に顔を向けると、
にわかに私は光に包みこまれ、救い上げられて、新たな旅へといざなわれていったんだ。

           <感謝合掌 平成27年11月29日 頓首再拝>

パノラマ人生レビュー - 伝統

2015/12/05 (Sat) 19:35:30


       *『「死後の世界」を知れば人生が輝き始める』ダニオン・ブリンクリー(著)より


《「パノラマ人生レビュー」を見せつけられて味わった屈辱感》

その旅の先で私が見せられたもの。
それはどんなものだったと、皆さんは想像するだろう?

答えは、
 
「自分の生まれた瞬間まで遡った過去から、雷に打たれて焼け焦げになり、
魂が体から取られる瞬間までの、私の25年間のすべて」。
 
なんと、私の人生のすべてが、
360度のパノラマスクリーンに次々と映し出されていったんだ!

そのスクリーンに映し出されていたのは、数えきれないくらいたくさんの人々を傷つけ、
無情で無謀な人生を生きてきた自分の、25年間の、あのときの所業、このときの姿 ―― 。

道端で容赦なく蹴飛ばした仔犬から、小学校の校庭でからかったりいじめたりした子供たち、
そして、私が海兵隊にいたときに「祖国のため」と命を狙った敵兵まで ―― 他者に対して、
あまりにも乱暴で、非情で、冷徹な行いをしてきた自分がいた。
 
それらをまざまざと見せつけられて、私は正直、やりきれなくなった。

さらに、次々と切り替わる場面ごとに、私は、かつて関わったすべての人たちとの出会いを
あらためて体験しながら、自分自身でなく、その相手の気持ちを味わうことになったんだ。

私は、これまで自分が震え上がらせてきた被害者となって、
残酷な仕打ちを受け、容赦なく痛めつけられ、その肉体的・精神的苦痛、
悲しみや惨めさを嫌というほど味わわされた。

人生レビューが終わりに近づく頃には、私は、屈辱感に加え、良心の呵責に襲われていた。

「もっと親切で、思いやりのある人間として生きればよかった・・・」
 
そんな、後悔とも願いともとれない思いが、心を覆っていた。
 
パノラマ人生レビューが終了したときには、
私はもう、すっかりボロボロになっていたよ・・・。

それでもやがて少しずつ、気持ちがクリアになり、楽になっていった。
このパノラマ人生レビューによって、自分の過ちを知り、
恥と悲しさが洗い流されたかのように思えた。

それもそのはずで、後から知ったことだけれど、この人生レビューには、
 
「自らの過ちの追体験をし、認めることで、魂が救済される」

という意味もあるらしい。

さらに、レビューを一通り見終わってからもうひとつ、私が気づいたことがあるんだ。
 
それは、

「宇宙は、私たちの願望が達成されるように組織されている」

ということ。

つまり、自分が「こうしたい」「こうありたい」と念じていれば、
その願望は叶うようにできている、ということ。
 
人問には自由意思がある、ということだ。

そういうと、宇宙はいつも、自分にとって
とても都合の良いことばかりをしてくれるように思えるかもしれない。
 
けれど、これには大きな落とし穴があるので、注意しなくてはいけないよ。

それは、宇宙には、私たちの行動が善いものであるか悪いものであるかを
判別する仕組みはない、ということなんだ。
 
そのために、善悪の判断は、私たち自身に委ねられる。
常に自分自身が、自分の行動の「審判員」「裁判官」というわけだ。

そして何事も、自分次第。

「自分の行いは、自分に返ってくる」と私の母もよく言っていたけれど、その通りだと思う。
 
だけど、難しく考えることはないよ。
 
実は、私たちには本来、そのような善悪を区別するための知識が、生まれつきそなわっている。
このように生まれもった知識の適切な使い方を、「体験」や「学び」を通して
マスターしていくことも、人生のうえではとても大切になる。

           <感謝合掌 平成27年12月5日 頓首再拝>

天国で私が見せられたもの - 伝統

2015/12/16 (Wed) 19:28:35


       *『「死後の世界」を知れば人生が輝き始める』ダニオン・ブリンクリー(著)より
       (P23~43)から

《天国で知ったこと》

「さあ行こう、パノラマ人生レビューはもう、おしまい」
 
光の存在がそう私に促した ―― からといっても、それは言葉にならない言葉だった。
 
私と光の存在との間のコミュニケーションは、
言葉よりはるかにスムーズな方法で行われていたんだ。
 
光の存在の考えや動きは、目に見えない「エネルギー」となって、
私の心の芯にダイレクトに届き、私を動かしていた。
 
こうして私は、次の目的地へと、光の存在に導かれていったんだ。

しばらくすると、濃い紫色にかすんだ山の中腹に、
きらびやかな「光の都」が見えてきて、やがて、目もくらむほど美しく輝く、
水晶でできた都市がいくつも現われてきた。

それらのなかのひとつの都市の入り口に到着したとき、
古いゴシック建築に似た形の聖堂が何列も並んでいるのが見えて、
思わず私は見とれてしまった。
 
けれど、ゆっくり見学する間もなく、私は光の存在に誘導されて、
小さな建物を通って、巨大な殿堂へと入って行ったんだ。
 
その殿堂がまたすばらしく荘厳で、やわらかい金色の光を放ち、
その光が室内のすべてを愛で満たしているように感じた。

光の殿堂で、私はさらに、12の光の存在に迎えられた。

光の存在たちは、水晶でできていると思われる演台の前に立っていたのだけれど、
この時点で、これまで伴っていた光の存在のエネルギーが感じられなくなった。
 
消えてしまったのか、それとも他の光の存在に溶け込んでしまったのか・・・。
そんなことを考えているうちに、また別の一つの光の存在が加わった。

これら13の光の存在は、最初に出会った光の存在よりも大きく、堂々としていて、
力強さと偉大さを感じたのだけれど、どうも、その一つひとつの存在が、
「希望」「勇気」「信頼」「思いやり」といった異なる美徳を代表しているように感じられた。

特に13番目、最後に現れた光の存在は、格別に強いエネルギーを発していたので、
この集まりの代表者なんだろうと思った。

「こんな偉大な存在たちに、私なんかがどうして会ってもらえたんだろう?」
 
あまりにも神聖な彼らの前で、そう疑問に思いつつも、
なぜか、私はすっかり安心して心が静まるのを感じていた。

なぜか・・・。
それは、ここが私の「もともとのふるさと」だったから。
その殿堂こそが「天国」と呼ばれるところだった。
そして、「天国」は、ありとあらゆる魂の故郷なんだ。

その広々とした居心地の良い場所で、聖なる場所で、圧倒されながらも、
とても神聖な歓びにじわじわと包まれていた私の幸福感が絶頂にきたとき、
私のなかで、すべてのものがはじけた。
 
そのとき、精神と心と魂が宇宙に向かって全開し、私は、宇宙と一体になった・・・。

そんなふうに感じた瞬間、私は知り、確信したんだ。
 
「宇宙は永遠」

「それゆえ、「死」というものは存在しない」

 と・・・。

ここのところは、少しわかりにくいかもしれないけれど、
この意味について詳しくは、また後ほどじっくりお話することになるので、ちょっと先を急ごう。
その天国でさらに、私が何を見たのか・・・皆さんも早く知りたいに違いないからね。


《天国で私が見せられたもの》

それから間もなく、13の光の存在の一つひとつと、私は対面することになった。
このとき、それぞれの光の存在の頭から私の頭へ、
ビデオテープくらいの大きさの黒い箱がひとつずつ渡されていった。

はたして、その黒い箱には、何が入っていたと思う?
それはまさに、ビデオクリップのようなものだった。
そしてそれには、未来の世界が描かれていたんだ。

黒い箱が私の頭の中を通過するたび、その中身が見えてきた。
わくわく楽しくなるようなものもあったけれど、
背中が凍りつくような恐ろしいものもたくさんあった。
 
その箱の中から、様々な未来の様子が見えた。
当時から十数年後に起こった東西冷戦の終結や、湾岸戦争の勃発のシーンも見えた。
 
現代医学が、様々な光線療法などをはじめとした、代替医療や
ホリスティック(体・心・魂の統合)医療にとって代わられていくのも、見えた。
 
ナノチップが発明され、それが人体に埋め込まれることで、
行方不明者の発見につながりもすれば、一般市民を監祝したり、
特定の人物を排除したりするために悪用されるシーンも、見た……。

 
私はこうして、150近く、正確には144のいろいろなシーンを見たのだけれど、
いくつものおぞましい光景を目の当たりにして不安に陥っていていた私に、光の存在は、
 
「未来は必ずしも確定しているわけではない。結果を変えるチャンスもある」

と、教えてくれた。

そしてその結果を変えるチャンスは、「愛を基盤とした行為」によって与えられるということも。

(中略)

こうして一通り、自らの使命をこと細かに示された後、間もなく私は光の存在に、

 「もう、自分の体に戻らなければならない」と告げられた。

 「え?? いやだよ、もっと、ここにいたい・・・」

一度、この天国の心地よさを知ってしまうと、自分の体、しかもそのときは
焼け焦げになっていて、激しい痛みや苦しみを伴う肉体に戻るなんて、
とんでもなく酷な話だと、愕然としたものだ。

 「そんなこと、よしてくれ!」

けんかが特技だった私は、ここで手荒なまねをしてでも自分の意思を通そうとしたのだけれど、
あらがう間もなく、私は再び、この世に戻ってきていた。

雷に打たれて焼け焦げになって、あの世に旅立った瞬間から、たった28分後のことだった。

気がつくと私は、病院の遺体安置室に、シーツをかぶされて横たわっていたんだ。

傍らには、雷に打たれたときに電話をしていて、
私の異変に気づいてすっ飛んできてくれた友人がいた。
 
かぶさっていたシーツが私の呼吸でかすかに動いたときには、
彼は腰を抜かさんばかりに驚いた様子だった・・・当たり前だよね。

死んだ人間が、いきなり生き返ったのだから。
 
その後、家族、そして病院中が大騒ぎになったのは、言うまでもないよ。

だけど、いちばん戸惑ったのは、他の誰でもない、私だったんだ。

           <感謝合掌 平成27年12月16日 頓首再拝>

Re: 臨死体験~ダニオン・ブリンクリーさんの場合 - gyfpognwjpMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:13

伝統板・第二
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