伝統板・第二
谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉③ - 夕刻版
2015/08/28 (Fri) 19:20:55
信仰を異にする姑と嫁
*『白鳩』誌(昭和37年3月号)より
~生長の家白鳩会総裁 谷口 輝子 先生
生長の家で萬教帰一と説きますことは、多くの人々を救い、
教えが盛んにひろがっているような宗教では、その教えの真髄にみな立派な真理がある。
その尊い立派なものは各宗相通ずる一つの真理であるという意味で言うのであります。
貴女のお姑さんの申されるような
「本当の宗教は〇〇教だけだ。 〇〇教を信じておれば間違いない」 と言う人は、
S学会の先生たちも言われるそうですし、L会の先生たちも言って居られますし、
キリスト教の方でも、十字架の救いだけが本当の宗教だと信じて居られましょう。
また真宗の方たちは、阿弥陀様の慈悲の手に摂取されることこそ
無上の救いだと信じて居られることでしょう。
それぞれの宗教に入信し、自分の魂の程度に応じた信仰によって、
人々は正しい幸福な生活を得られたらよいと思います。
〇〇教を一番よいと思い、〇〇教によって幸福になって居られたら、
その人はそれでよろしいのであって、自分の宗教より真の救いがないなどと言って、
他宗を悪口したり軽蔑したりすることは、余りに心狭くそして増上曼におちいっている
と申さねばなりません。
人々はそれぞれの魂の因縁によって、各自にふさわしい宗教に行き救われるでしょうし、
或る宗教によって救われなくとも、他の宗教に行って救われる人もありましょう。
自分に相応したところへ行ってようやく落ちつくことでしょう。
お仏壇を取りこわしてよいか否かという問題は、御主人の言われるように、
先祖代々が真宗の信仰者として、仏壇に阿弥陀如来様を祭り、祖先の霊を祭り、
代々の祖先の信仰の伝承の象徴として来たものでありますから、
祖先を愛する者ならば、仏壇を立派にこそすれ、取り捨てることなど出来ることではないし、
それは子孫としてとるべき道ではありません。
貴女は 「〇〇教の教会にお参りせよ」 と言う姑と、
「心にもないことをするな」 と言う夫との、
二つの意見の板ばさみになって居られるようですが、
生長の家の誌友の中には、生長の家の教を聞いてから、〇〇教の教がよく解って来て
有難いと言う人が沢山ありますように、貴女も、心にもないのに嫌々ながら、
姑への迎合やお世辞で〇〇教へ出かけて行くのでは、まことにつまらないことでありますが、
一歩を進めて積極的に、貴女に批判されるような未熟な教会の教師の説教でなく、
教祖の教えの真髄を求めて、それを得て、自分の魂の向上に役立てようと心がけ、
お姑さんと同行されたらよいと思います。
生長の家の教えがしっかり身についていれば、
間違った言説にまどわされることなどは決してありません。
さて、貴女はお姑さんについて〇〇教の教会に行かれることになさる一方、
「生長の家」 を隠すことなく、折にふれて 「生長の家」 の話をなさり、
「生長の家」 というものは、一宗一派にとらわれた宗教ではなく、
凡ゆる宗教の真髄を生かす教えであることをお話なさいまして、
「生長の家」 の教化部や近所の道場などへお姑さんをお誘いして、
よく理解して頂くようにおつとめなさいませ。
そして、祖先の宗教を捨てることなく、「生長の家」 の教えを喜んで、
共々に悟りを深めて行くように精進して下さいませ。
「生長の家」 の信者の女性が、天理教の姑さんのいる家に嫁して仲むつまじくいている人や、
創価学会の舅さんのいる家に嫁して調和して居られる人などの実話を聞きますと、
その舅姑さんたちは、それぞれの宗教の教えを、かたよらないで受けて居られ、
本当の信仰者というものは他と争ったり、他を批ったりするものではなく、
他の善さを認め、他を合掌して、平和な家庭を作り、平和な世界を築くことに
役立つ人たちであることが解るのであります。
私の知っている一人の女性は、一昨年嫁がれましたが、その家庭は、舅姑が創価学会の信者
でありましたので、生長の家人であるその女性は、信仰上のことで、舅姑との折合を
少々不安がって居られましたが、私はその女性に、自分の行いによって
信仰の良さを知らしてお上げなさいと申しました。
異なる信仰を持つ父母と妻との間にあって、夫なる人はあくまで中立で行き、
どちらへもつかないと言って居られましたが、次第に解って下さったと見えて、
「日曜日には生長の家本部の道場へ伺う ・・・ 」 というお手紙を私に下さるようになりました。
善き教えは、信ずる人々の行動によって他に解って貰わねばなりません。
貴女の御家庭の大調和に期待します。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19447210.html)
・・・
<関連Web>
(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59
(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105
(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6458658
<感謝合掌 平成27年8月28日 頓首再拝>
『幸福をひらく鍵』 を拝読して - 伝統
2015/08/30 (Sun) 19:40:23
*Web:『生命の實相』哲學に学ぶ(2014/4/20)より転写
~生長の家本部講師 良本 峯夫
『幸福をひらく鍵』 の9ページに
《本当に権威ある力は唯、神のみである。
まなこつぶりて、静かに坐し存在の実相を見る人は幸福なるかな。
神があらわれるとき、いずこに悲しみ、なやみ、憎しみなどあらんやである》
と書かれてあった。
世俗には無闇に権威らしき姿を誇張して威張っている偽権威者が何と多いことか。
それは掃溜めに掃き切れない程多い。
凡そ、世の中の或る階層に名を連ねて、何々の長とか、○○の長とか称して、
物欲や名誉欲の虜となって無残にも、やがては打砕かるべき瓦の冠を着けて、
得々としている哀れなる者が如何に多いことか。
私は家庭にあって、つつましく、地下水の如く、天使の愛を行じ続けている
あのやさしい日本の母の姿を思った。
如何に猛き男といえども、母の前には幼児の如く頭を垂れる。
日本の母は偉大なるかな。
本当の権威ある力は、唯神のみであった。
《神の生命があなたの内に生きているのですから、あなたは常に神と偕にあるのです。
あなたの真実の願いは、それが真実であり、正直であり、純粋であり、他を傷つけたり、
他に損失を与えるものでない限り、神からの催しであるのです。
勇敢にそれを求め、それを得るために、祈りながら進みなさい》 とある。
私はこれを読んでしみじみと思った。
自分の一生涯を通じて、真実を貫きたい。
正直でありたい。 雑気なく純粋でありたい。
決して他を傷つけたり損失を与えたりせず、真理に対して最も勇敢でありたい。
そして一生を貫き通したいと思った。
此の書を読み進み行く程に、私は言い切れぬ感動を覚え、
心の底からほのぼのとしたあたたかさを感ぜずには居られなかった。
白鳩会の座談会での質疑応答の記録は、母親として、女性また人間としての切実な問題が、
師と弟子の間において、或る時にはなごやかな雰囲気の裡に、或る時には厳粛そのものの
叱咤の裡に次々と解決されて行く有様が手に取るように分るのであった。
智慧のおくれている子を持つ母に
《春に咲く花もあれば、秋に咲く花もあって、それぞれ咲く時期が違うのですから
・・・・・ この子は杉の大木なんだからボツボツ成長するんだと思って
信じていればいいのですよ》
と解答がなされてあった。
また妊娠中絶を強いる夫を持つ人妻に対しては
《あなたね! 生命を尊重しなければいけません。
夫よりも生命を尊重しなければ ・・・・・ あなたは母親ですよ、
母親として子供を尊重しなければいけません。
それで、夫がそういう無理なことを言うのなら、実家へでも帰ります、
とはっきり言うのです》
と強い指導がされていた。
その他、三角関係に悩む妻の心構えについて、
医者に見放された夫の胃癌について妻が先ずなすべきこと、
無縁仏を祀ること、
罪の懺悔についてキリスト教団で働いている人の悩み、
人に善いことをしても裏切られる場合に如何になすべきか、
等々真理の説法は滾々として尽きることなく続けられて行く。
そして最後の章に到っては、
《出来るだけ大多数の人のために》 とて
《布施にも色々あります。 物施といって金銭や物質をもって人を助けてあげる方法もありますが、
これは、その金銭や物質を使いはたしたら、あとは救われない。
法施といって真理を布施してあげると、
真理は受用無尽で尽きないで永久にその人を救うことになります。
皆さん、真理を人に知らせてあげて下さいませ》
と大乗の法が語られていた。
此の書は、日本の女性ばかりでなく、全ての男性こそ読むべき書であると思ってページを閉じた。
※『幸福をひらく鍵』 谷口雅春先生 著 日本教文社 発行
昭和38年3月 立教34周年 全国白鳩大会 を記念して出版された
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18262375.html)
<感謝合掌 平成27年8月30日 頓首再拝>
神想観と祈りと報恩行 - 伝統
2015/09/01 (Tue) 17:59:23
*『真理』第八巻信仰篇 より
実相完全な相(すがた)に心の焦点を合わすのが神想観であり、
心を澄み切らせてその完全な実相世界を創造(つく)り給うた神に
ひたすら振向くのが祈りである。
祈りを、物質的な利益を心に描いてそれを懇願することだと考えている人があるけれども、
それでは 「心を澄み切らせる」 どころか、「心を曇らせる」 ことになるのであり、
神にひたすら振向くどころか、物質にひたすら心を振向けていることになるのである。
そんなに物質が足らぬとか、健康が足らぬとか思って懇願する必要はないのである。
既に神は実在の世界に於いて、有りと有らゆる物を完全に与え給うているのであるから、
その事実を知り、それに報恩するつもりで、感謝しつつ、出来るだけ、
「神の子」の兄弟(現実には「人間」のこと)に深切をつくすようにすれば好いのである。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19429834.html)
<感謝合掌 平成27年9月1日 頓首再拝>
吾々の運命は先ず 「心の世界」 で造られる - 伝統
2015/09/03 (Thu) 19:35:56
*『生長の家』誌(昭和58年7月号)より
~生長の家本部理事長 徳久 克己
ここで大切なことは、「類をもって集る」 という 「心の法則」 によって、
自分の念と類似性をもったことが現われる、ということです。
自動車を運転していて衝突した、というような時に、
私は自動車を衝突させよう、と念(こころ)で思ったことはない、と思うでしょうが、
その人が他人と衝突するような念をもっていますと、
それは類似性の念をもったことになるのです。
ずっと以前のことで、飛田給の練成道場が木造建築の頃のことですが、
炊事場が火事になったことがあります。
私達夫婦は、母が病気で故郷の高知へ看病に行って、ちょうどう不在の時でした。
私は飛田給練成道場の責任者でしたから、帰ってまいりまして、
先生のお宅へお詫びにまいりました。
その時先生は、
『徳久君! 君には直接に関係がないようだけれどね、火事になるということは、
そこで働いている人々との間に、心の摩擦があるから起こるのだよ。
木でも強く摩擦すれば火がおこるだろう、手と手を強く摩擦すれば熱くなるだろう、同じことだよ。
職員同志に念(こころ)の摩擦が起こっていたから、火事になったのだ。
摩擦をなくするように指導しなさい』
と御注意をうけました。
私は火事を起こした責任を強く感じていましたので、身にしみて
「心の摩擦」 と 「火事」 との関係を自覚さしていただきました。
また、社会的に相当に名のある、立派な方が、自動車と衝突して即死された時、
ある誌友から、あんな立派な方が、どうして自動車と衝突して、亡くなられたのでしょうか?
という質問をされました。
そして、先生にお尋ねになってください、と言われましたので、折りをみてお尋ねしました。
先生は ・・
『確かに立派な方だけれど、それだけに自分の主張をハッキリと出されると、そこに衝突が起こる。
立派だということと、念の世界で衝突するということとは別だよ』
と教えてくださいまして、そのことを誌友にお伝えしました。
またある誌友で、右腕を切断してしまった人がいました。
その方は、妻以外の女性と関係ができまして、その女性と 「手を切ろう、手を切ろう!」
と思っていますと、自分の右腕を切ってしまう事故にあっているのです。
「念の世界」 で 「手を切ろう〈わかれよう〉」 と思っていますと、
現実の世界で自分の手を切ってしまう事故を起こす、これは類似性のあることです。
ですから、すべてのことが、まず 「念〈こころ〉の世界」 で造られる、
ということを知るためには、「自分の念」 と類似性のある 「現象」 がおこる、
ということを知っておく必要があります。
特に病気の場合には、「誰も病気になりたくて、なっているのではない」
と病人は思っていましても、人間の心の奥底にひそんでいる、潜在意識が
その病気と類似性をもっているのです。
このことに関して、『生命の實相』 は本当に明解に、説きあかしておられます。
「現象は念の反映(かげ)」 であり、「肉体は念(こころ)の反映(かげ)」
でありますから、肉体の各部分は、みな念の反映として現われています。
ですから、肉体の、どの部分かが病にかかっている時には、その人にはどのような
念の迷いが現われているか、ということを類似性をもととして、『生命の實相』 の
各巻に少しずつ書いておられますが、
『精神分析の話』 と 『美と健康の創造』 には、まとめて書いておられます。
この肉体と病気と念との関連性が適確であり、その念をあらためますと、
病気がまことによくなおりますので、生長の家は病気治しの宗教ではないか、
と誤解されるほどです。
『生命の實相』 を読み、念(こころ)を反省し、
念をかえることによって、多くの病気が治っています。
もし、生長の家で説く、この念(こころ)と病気との関連性が間違っていましたならば、
『生命の實相』 を読んで病気が治る、本を読んで病気が治る、というような
奇蹟的な事実は起らなかったと思います。
今まで誰も解明し得なかったことを、平易に誰にでもわかるように、文章で書かれたので、
読者がよく理解して念がかわり、病気が治る、という無数の実例がおこってきたのです。
病気だけではなく、家庭が調和し、事業が繁栄し、運命が好転し、また病気にならなくなる、
という実例が数限りなくおこっています。
私自身も、生長の家に入信して以来、
ほとんど病気をせず、まことに健康となり、若返りました。
とにかく、この 「念」 の世界でつくられたものが、
この現象の世界に現われてくるという真理、
そして災難にあうという場合はその災難と自分の心の状態とが、
類似性をもっているということを、私たちは、先ずシッカリと自覚しておきませんと、
悪運や災難をどのようにして避けるか、ということが本当にわからないので、
皆様も 『生命の實相』 頭注版 第1巻 の 第4章 「心の世界における運命の形成」
という章を、もう一度ゆっくり読んで頂きたいと思います。
この章がよく理解されますと、「心が変れば、運命が変る」 「心が変れば病気がなおる」
ということが、本当によく理解できて、生長の家の教え全体がよくわかるようになります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19443468.html)
・・・
<参考>
光明掲示板・伝統・第一「沢庵禅師と生長の家 (32)」内において
《心の世界における運命の形成》<『生命の實相』第一巻(P132~135)>
があります。
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=19
<感謝合掌 平成27年9月3日 頓首再拝>
衆生の心が病むが故に吾れ病む - 伝統
2015/09/05 (Sat) 18:50:10
*『光の泉』(昭和47年5月号) より
『維摩経』 に書いてあるでしょう。
文殊菩薩が、維摩が病気に罹っているというので見舞いに、お釈迦さんのお使いとして行く。
そうすると、維摩が 「よくぞ来たりし、文殊菩薩、不来の相にして来る」 といっていますね。
これは 「来らずして来る」 ということなんであります。
その意味は “人間は、本来この世の中へ生れずして生れている。
吾々の生命の本地は神の世界にある” という深い真理が説いてあるんですが
― 今日はその話をする時間ないですけれども ―
その時に、文殊菩薩が
「どうして、あなたのように悟りを開いた立派な居士がどうして病気をしているんですか」
と言って反対に問答をしかける。
そしたら、維摩は 『衆生病むが故に吾れ病む』 と言っているのであります。
つまり、「衆生の心が病むが故に、その心が映って吾れ病む」 のであって、
自分は迷っているんじゃないのであるという訳です。
菩薩のように偉い悟りを得た人が病気になるのは、人類の心の悩みが自分に映って、
それが形に現われて病気となって現われているのである、こういう意味であります。
家庭においても、そういうことが随分あるんですね。
家庭の御主人がこのように肝臓癌に罹って苦しんでいるのであるが、
それは奥さんが自分の心の中の‘かたまり’を拵えている、それが夫に現われているのだ、
というようなこともあるのであります。
家族は一つの精神的集団であって、精神のグループでありましてね。
その精神グループを構成している一つの単位である誰かが心が迷っていると、
“其の人” に必ずしも病気が現われないで、もっと精神波動に鋭敏な感度をもつ
他の家族に病気が現われることがある。
或は母親である細君が良人に対して非常に不平の念(おもい)なんか持っていると、
その子供が病気に罹ったりするようなこともあるのです。
ところが、今までの医学は、大体、個人医学であって、精神グループの医学ではない。
病人だけを診断する。 それで治る場合もあるが家庭全体のグループの精神を
改めないと治らない場合が随分あるのであります。
近頃、医師の方でも精神身体医学を研究なさいまして、
心の状態が自分の肉体に病気として現われているということに注目して、
患者の精神を指導して、患者の心を治す治療の方向に進んでいる方もあります。
けれども、医学としては家族全部を指導することはなかなか出来にくい。
しかし家庭というところは一つの精神のグループであって、
家庭の生命全体が一つの有機体になっているもんですから、
その中の誰かの心の迷いが、家族の誰かの健康に形を現わして、
そして夫が病気になったり、子供が病気になったりしている事実が随分あって、
家庭の精神雰囲気を変えると夫や子供の病気が治る事実も随分あるのであります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19435824.html)
<感謝合掌 平成27年9月5日 頓首再拝>
我れ汝に力を与える、受けよ - 伝統
2015/09/07 (Mon) 19:04:29
*『光の泉』(昭和38年10月号) より
~ 生長の家東京都教化支部長 吉田 武利
(昭和38年) 3月10日でしたね。
谷口雅春先生が、いよいよ羽田空港を出発なさいまして世界光明化の御巡錫の壮途に
発たれる時に、羽田空港の待合室に東京都の教化支部長、副支部長、講・相・白・青の
首脳者が行きまして、「お留守中はしっかりやります。 御安心してお出かけ下さい」
という御挨拶を申上げました。
その時先生は、出発前のお忙しい最中に先生の方から自からお手を差しのべられまして、
一人一人に握手して下さったんです。
そして私と濱田副教化支部長には、「東京都に力を与える」
橋村都連会長には 「東京都相愛会に力を与える」
上條白連会長には 「東京都白鳩会に力を与える」 ・・・
と次々に6人の方に握手されたわけです。
これは劇的な光景でしたね。
我々一同は非常に感激したわけです。
橋村会長さんあたりは、その部屋を出て、いきなり相愛会の幹部の人に、
「今、先生から力をいただいたから」 というわけで一人一人握手をして廻ったら、
握手された村岡先生などは、帰ってから病気の人が相談に来たら、
「私は今、橋村会長を通して谷口先生から力を頂いたんだから」
といって握手してあげたら、その人の病気が治っちゃったんですね。
そんな体験も出たんですが、後で幹部が集った時に
あの御言葉と握手をたまわった意味を深く考えまして
「これは日の本が世界の中心である。
その日本の中心たる東京都の信徒に、私の化身としてしっかりやってほしい
という意味で、先生が握手して力を与えて下さったんだ」
と、私達は受取ったんですね。
そして今年1年の光明化運動をしっかりやろうと決意したんです。
◇聖経千回読誦運動へ
そこで講・相・白・青の4者の目標はそれぞれあるけれども、
共通の目標は7月の清超先生の御講習会に6千名を集めること。
それから11月の御帰朝御講習会に3万名を集めることである。
これに皆で邁進しようということになった。
それには先ず一人一人が神力無限をいただかなくちゃいかんと思っていた矢先、
丁度カナダのトロント市の相愛会で谷口先生がお話になったお言葉を伝えてきました。
それは、谷口先生が海外において、特に聖経読誦を強調されて
『この聖経は、大にしては国家、世界の病を癒し、
小にしては個人の病いを癒すことができるのである』
と、力強く説法されたということだった。
それを聞いて 「ああ、これだ!」 というわけで教化支部長と
4者(講・相・白・青)の幹部で話し合って、聖経千回読誦会をつくることになった。
それで5月1日から始めて11月の谷口先生の御誕生日まで、2百日あるから、
この日までに一千回読誦しようということになった。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19443995.html)
<感謝合掌 平成27年9月7日 頓首再拝>
信仰の暗黒期に光明を迎えるには - 夕刻版
2015/09/09 (Wed) 18:49:46
*『生長の家』誌(昭和43年2月号) より
「初めは脱兎の如く、終りには処女の如く」 という諺があるが、
真理によって救われた最初の期間は所謂る “感激中” であって、
大いにその真理を普及して、自己が救われた如く他の人々をも救おうとするのである。
ところが、いつの間にかその感激はうすれてしまって、
処女の如く、引っ込み思案になってしまう人があるのはまことに残念であるのである。
信仰の頽廃はその人の生活に生き甲斐を失わしめるようになるのである。
かくて人生は “倦怠の世界” となり、何をしても感激がなくなり、
憂鬱や不平や疑念が涌き起って来る。
そんなとき事業は失敗し、健康は衰えはじめ、世界が暗黒に見えはじめる。
併し世界が暗黒なのではない。
自分の心が暗黒なのである。
世界は自分の心の “反影〈リフレクション〉” なのである。
それは時空の鏡に自分の心が反射してあらわれた影に過ぎないのである。
信仰の倦怠期に滅入ってしまわないためには、
そんな時期にこそ勇気を揮って愛行に邁進するがよい。
そのときいろいろの奇蹟があらわれ再び感激をとりもどし
人生に生き甲斐を感じて来るのである。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19451373.html)
<感謝合掌 平成27年9月9日 頓首再拝>
本当の “神” を発見した - 夕刻版
2015/09/11 (Fri) 20:02:23
本当の “神” を発見した ― 「生長の家」を信ずるならば、生長の家でなければわからない
*『心の持ち方一つ』(下)心と病気(3頁~8頁)より
~ 生長の家長老 徳久 克己
昭和23年から25年頃の間に、谷口雅春先生の随行をさしていただいた時に、
先生は汽車のなかで、色々と私に教えてくださいました。
まだ本部講師になったばかりの、未熟な私に、少しでも生長の家の真理を教えておきたい、
という御愛念であったと思いますが、時に応じて、まことにわかりやすく、
しかも何気なく話してくださいました。
ある時、たしか、汽車のなかであったと記憶していますが、
「徳久君! 生長の家はね、一度、無神論をとおって、
本当の神を発見したのだから、スバラシイのだよ」
こう言われました。 私は、その御言葉によって、今まで気がつかなかった、
生長の家の真理の深遠なことを、ハッと気づかせていただきました。
「一度、無神論をとおって、本当の神を発見した」
ということは、先生が自叙伝 『生命の實相』 19巻20巻 〈※頭注版〉 に
お書きになっておられますが、それまで、私は漠然と読んでいて、
あまり深く考えもしませんでした。
先生に、このようにハッキリ教えられまして、そうであったのか、とわかりましたので、
私は 『聖道へ』、『生命の實相』(19巻、20巻) を読みなおしました。
そうしますと、一度、無神論をとおったという意味が、段々とわかってきました。
それまでウッカリしていました。
生長の家でとく 「本当の神」 が、少しずつ理解されるようになりました。
生長の家のスバラシサが、なんとなくわかっていたのですが、それがわかるのには、
ずいぶん長くかかりましたが、『生命の實相』 のいたる所に、先生がそのことについいて、
書いておられることに、改めて気づきました。
そして、私は 「生長の家」 を信ずるなら、生長の家でなければわからない、
生長の家の独特の真理を学ばないと、生長の家を信ずる、本当の喜びは湧いてこない、
ということを教えられました。
「一度、無神論をとおって、本当の神を発見した」
ということは、生長の家独特のことであったのですが、先生に指摘されるまで、
私はそのことには気がつきませんでした。
気がつきましてから、とても明るい気持になることができました。
『生命の實相』 21巻 〈『甘露の法雨』 講義〉 の、「神」 の項を、
もう一度読みなおしてみますと、今まで読みました時とはちがいまして、
生長の家でとく 「神」 のことが、よく理解されるように教えておられます。
同じ文章を読みましても、読む心が変ると、こんなにも違うものかと思いました。
『聖道へ』 も繰り返し読みまして、一度、神を否定して、
それから本当の神を発見された、経過を勉強しました。
先生の並々ならぬ御精進の結果、「物質なし」 という、神からの啓示をうけられて、
本当の神を発見されたことなど、頭ではわかるのですが、それを実感として体得することは、
とてもできません。
しかし、そのような勉強をすることによりまして、
私は生長の家のスバラシサが、だんだんとわからせていただきました。
「なぜ、肉体はないのか?」 「なぜ病気はないのか?」 「なぜ、悪はないのか?」
というような、心の底にひそんでいた数々の疑問が、だんだんと消えてゆきました。
トントクの悟とでも言うのでしょうか、パッとわかったつもりでいる悟で、
わかったと思っていましたが、心の底では、まだなんとなく、スッキリしないものがあった
のですが、それが少しずつ消えてゆきました。
神は創造主でありますから、この世も神がつくったものである、
と考えるのが、今までの宗教の考えでありました。
もし、神がこの世をつくったというのなら、全能であり、愛であるはずの神が、
こんな不完全な、生物が喰い合いをしなければ、生きてゆけない、そんな悲惨みちみちた世界を
つくるはずがないし、また、人を殺すような悪人をつくるはずがない、と先生は考えられたのです。
神が悪い人間をつくっておいて、その悪い人間が悪いことをしたというので、
神が自分のつくった人間を罰するということは、まことにおかしいことで、
むしろ、悪い人間をつくった神のほうが、悪いのではないか、
というように先生は考えられて、そんな神があるはずがない、と神を否定されたのでした。
これは、まことに簡単にかきましたが、先生は色々の方面から考えに考えて、
そのような結論にたっせられたのです。
とにかく、この現象の世界が実在するならば、
こんな不完全な世界をつくる神は、存在するはずがない、
ということになるのが当然の結論であります。
しかし、キリスト教では、神がこの世をつくった、と教えていますが、
悪いことは悪魔がするのだといいます。 それでは、悪魔という、神と同じくらいの力をもった
存在を、認めることになってしまいます。
これも、まことに矛盾したことになることを、
先生は 『生命の實相』 のなかに詳しく書いておられます。
このようにして、先生は神を一度は否定されまして、それでも、創造主はあるはずだ
と考えられて、思索に思索をかさねておられる時、神から 「物質はない」 という、
啓示をうけられて、この現象の世はないと、現象の世界を否定された時、本
当の神を発見されたのです。
この経緯は 『生命の實相』 20巻に詳しく説かれています。
このようにして、絶対善なる神を発見せられたのです。
そして、絶対善なる神の造り給える世界は、この不完全な現象の世界ではなく、
絶対善なる世界であり、それを 「実相」 となづけられたのであります。
『続々甘露の法雨』 の始めのところに、
「全ての不幸と悲惨とは神の所造に非ざるなり」
という、絶対善なる神を発見され、その神のつくりたまえる、
そのままの世界を 「実相」 となづけられたのです。
このような経緯を、『生命の實相』 を読むにつれて、少しずつわからせていただき、
生長の家の教にふれさしていただいた、本当の喜びが、心の底からこみあげてくるように
なりました。
この 「実相」 と 「現象」 との区別が、私には一番むつかしいことでしたが、
先生に「無神論をとおして、本当の神を発見したのだ」、と教えていただいて、
そのことを知ろうと 『生命の實相』 を読みだしまして、そのおかげで、
生長の家の根本的な真理を勉強することとなり、私はとても幸せでした。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/87293aded4e9819645a544e91151f424 より転写)
<感謝合掌 平成27年9月11日 頓首再拝>
「因果の法則」 が絶対のものなら、もう宗教的な救いというものは成立たない - 伝統
2015/09/13 (Sun) 20:42:02
*昭和45年3月2日 『人生を見つめて』 をテキストとしての講義より
『精神科学』誌 昭和46年3月号
業はどこにあるかというと、それはその人の潜在意識の中にあるのです。
現在意識にはそれが気がつかないが、彼の潜在意識の中に、
“自分は人を縛り棒に括りたうけて、水の中へ浸して殺したのである。
だから、それと同じ報いを受けて水の中に浸されて苦しまねばならぬのである”。
その過去の記録がこの人の潜在意識の中にあり、“業の法則” もあり、
「原因をつくっておけば結果となって現われる。 与えた通りに与え返される」
という法則も潜在意識の中にある。
そして彼の潜在意識は 「人を水の中へ浸けた者は、自分も水の中で苦しめられなければならない」
という因果応報の自覚があり、その自覚が彼に寝小便をさせ、その湿りの中で苦しまねばならぬ
ようにしていたのであります。
この因果応報の法則は現象界のバランスの法則ともいわれ、
「五を与えたら、五の報いがでてくる」 「十を与えたら、十の報いがでて来る」。
“与える” と “受ける” とはバランスしているのだということなのであります。
ところが、その因果の法則を超えるのが、宗教の法則なのです。
若し、「与えたものは返される」 に決っとったら、
もう 「宗教的な救い」 というものは成りたたないわけなんであります。
宗教というものは、それを超えさせるのです。
だから、真宗の教えでは、罪悪深重の凡夫がどうして救われるかというと、
“南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏” と唱名念仏することによって、
業のない 「阿弥陀仏の光の世界」 へとび超えて往くということになっているのです。
とび超えていく。
これを真宗では 「横超の悲願」 と言った。
生長の家では、
「真理を知れば、人間はすべての業から解放される。
人間は神の子であり、その実相は未だ嘗て罪を犯したことはないのである。
罪を犯したということは、それは迷いに過ぎないのであるから、実相の中へ跳入すれば、
業も罪もない世界に出ることが出来るというのです。
その実相、神の子の自覚を得せしめる暗示を与えたら、悟りによって業の無い世界に超入し、
過去の罪の報いが消えて、今まで人を水へ浸けた業の報いで自分が寝小便の水の中へ
浸っておったのが、その報いが消えてしまって、その翌日から完全に寝小便を垂れなくなった
ということによって、過去の業が帳消しせられたという実例がここに出ているのです。
この実例を鑑みて、考えますと、
「人間・神の子、本来罪なく、業なく、病なく、一切の悪はないのである」
という実相の真理の中にとび込んでしまったときに、
キリストが “汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん”
と言ったように、完全に “業” とか “因果の法則” とかに縛られておった縛りが
解けて、自由になれるというわけなのであります。
その縛りが解けた状態が所謂る “解脱” である。
“解脱” 即ち一切の束縛を解き脱する。
それですから、涅槃経に 「解脱を以って仏となす」 と書いてあるように、
一切の業や過去の罪から自由に解放された人間が、所謂る仏陀であり、覚者であり、
悟りを開いて解(ほど)けてしまった者であるから、ホトケなのであります。
こうして一切の束縛からホドケでしまったとき、人間は本来 “神の子” なる自由を恢復する。
そしてすべての功徳があらわれることになるのであります。
この真理を悟ることによって一切諸悪の根元が根本的に消えていくことになるのであります。
この過去の原因たる業を少しずつ果しながら修業によって、業を減らして行くという
「自力の方法」 もあるのですけれども、現象界の自力の努力によって原因を減らして行く方方は
五の原因があったのを三つだけ減らしたといっても、まだどこかに二つの借金が残っている
というのでは、また別の形で報いが現て来たりするのですから、それでは完全に救われた
とは言えないんです。
それでは、まだ完全に罪から解放されているとは言えないんです。
「罪」 というものは過去に 「積み」 である
―― 積み重ねてあるところの “業の集積” である。
これが 「罪」 です。
そういう 「業の積み重ね」 というものは、「現象は本来無」 である
という生長の家の哲学によって、その実相を実現する “神想観” の修業によって
スカーッと截断して切ってしまうとき、
あしき現象はなくなり、罪は消え、一切の悪しき業因は消えてしまって、
第一原因である一番最初の、本の、不滅の原因である 「人間は神の子である」 という
人間存在の根本原因に対する善き結果のみが、ここにこう現われてきて、諸君の生活に、
神の子たる実相にふさわしい永遠に祝福されたるすがたが実現してくると、
いうことになるのであります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19452995.html より転写)
<感謝合掌 平成27年9月13日 頓首再拝>
一葉の宣伝紙が私の運命を変貌せしめた - 伝統
2015/09/14 (Mon) 18:10:48
生長の家教団総持 清 都 理 門
それは深き神の摂理と申しましょうか、私がこれこそ人生の目的であり、
ここにこそ人生の意義があると考えていた生活の目標が、
途中から全然思いもかけぬ方向へ置き換えられることになったのであります。
それは私の功利的な立身出世の夢の中に、いつしかこれを拒否せんとする
宗教的な憧憬が芽生えて来たことによるものでありまして、私の外からともなく、
内からともなく、何か執拗に私に向って囁きつづけるところの或る何者かの声に
知らず知らずひかれて行くようになったのであります。
当時、吾々の青年時代の宗教はどうであったかと申しますと、
私も仏教王国と称せられる北陸の地に生れ、而も家が代々熱心な門徒宗であった関係で、
幼少の時から毎日仏前に合掌し、礼拝する習慣を身につけていた者でありますが、
当時の仏教は、あたかも個々の家に於ける紋所と言ったような、
夫々に宗派的な行事信仰でありまして、家人の代々踏襲している宗教的な行事を切離して見ますと、
後に残るものは単に老人が後生の安楽を願うための、気休め的な手すさびに過ぎない
もののように考えられていたものであります。
また当時の職業宗教家の説くところも、吾々に向って、常に人間は罪人であるとか、
或は、罪悪深重の凡夫であるとか申しまして、兎に角現在のお前は悪いのだ、
而もお前は前世からして、既に数々の罪業を背負って生れて来ている身だ、
その悪い罪深いお前が釈迦によって、或は、キリストによって救済されるのだ、
と言ったような具合に、ただ徒に人間罪の子を強調することでありました。
そしてそれ故にこそ、彼らが過去数千年にわたって彼らの釈迦、キリストを説きながら、
而も結局は人間を現実に救済することができずに、単に死後の救いを約束することによって、
お茶を濁すに止まっていたのでありましょう。
今にして思えば斯くの如く、徒に人間罪の子の教義を強調して、人類に罪悪感、劣等感を
強化せしめることは、寧ろ暗黒思想と申すべきでありまして、「お前は悪い」と云うことを
強調された人類は、これによって益々己が罪の意識を深め益々恐怖と不安に駆り立てられる
結果となるに過ぎないのであります。
それ故にこそ、会って釈迦を、キリストをして、天地の真理を説かせ給うた、
み祖神の教えが、結局は個人の救いともならず、社会の救済ともならず、人類は今や、
2次にわたる世界大戦の惨禍を蒙りながらも、尚且つ2大陣営の対立を続けて、
第3次世界大戦もまた避け難しとばかりに、やがて恐るべき水爆や原爆の跳梁下に、
吾々人類の運命を委ねんとしているのであります。
◇ 大本教入信
併し青年の頃の私でありましたから、勿論未だ光明思想に触れるに至らず、
従って当時の宗教のあり方に斯かる暗黒思想を発見する程の眼は開かれていなかったわけであります。
それは大正6年の頃のことでありました。 私は或る日、ふとした機会から、
霊媒をやると云う日蓮宗の行者と知り合いになりました。
その行者は、当時既に相当の高齢にある、白髪の老婆でありました。
その頃のことでありますから、私も霊媒現象と云うものについては、
殆ど何らの予備知識をも持合せていなかったのでありますが、
その老婆が既に故人となった人の死霊を呼び出して、その霊を己が身に乗り移らせ、
自ら故人の言動をそのままに演じて、故人の意思を表示して見せるとの噂さに、
少なからず興味を覚えました。
それで私も試みに、その行者にたのんで、最近故人になったばかりの
私の知人の霊魂を呼んで貰うことになりました。
その時の老婆の憑依現象と云うものが私にとって、実に驚くべきものでありました。
霊媒の身は白髪の老女でありながら、その発する言語は全く招霊された故人の音声そのままであり、
その動作にも、故人の習癖と全くそのままの姿が歴然と復元されているではありませんか。
而も私が故人の酒好きであったことから思いついて、試みに盃を献じてみましたところ、
日頃一滴の酒もたしまないことで評判の彼女が、故人そのままの手振りでうまそうに
盃を重ねまして、一合ばかりの酒をかたむけました。
而もそれでいて些かの酔った気配もなく、また酒くさい匂いを発するでもありません。
私はこの老婆に、故人の声を聞き、故人の動作を見、そして自ら故人と意思を通じ合った時、
人間に死後の霊界の生活のあることを如実に知って、人間の生命はいずこより来り、いずへ去るか?
現象界に於ける人生の真の意義、真の目的は果して何であろう?
と云う宗教上の疑問に到達せざるを得なかったのであります。
丁度その頃でありました。 私のところへ、誰からともなく、『綾部新聞』 と云う
大本教の宣伝新聞が郵送されて参りました。
それは明治25年丹後に出現した大本教が、教主出口王仁三郎以下有為の幹部による陣容を整備し、
いよいよ全国的に布教宣伝を開始した時代でありまして、近くこの地上に神意による一大変異が起り、
この世の建替え建直しが行われるぞよ、との預言を真向に振りかざし、
特異性ある宗教として世人の注目を浴びていた頃のことであります。
そして、私のところへ送られて来た、発信人不明の『綾部新聞』と云うのが、
その頃の大本教の宣伝紙であったわけであります。
その新聞の発信者は只何心なく、単なる宣伝として私にこれを送ってきたのかも知れません。
併し結果に於いては、その軽い意味で送られた一葉の新聞紙が、私の魂を根底から揺り動かして、
私の生活方向を一変せしめ、私の爾後の運命をさえ、決定づけることになったのであります。
その新聞には、大本教の教祖である出口直と云う老婆ではじめて艮の金神、國常立尊が
神懸りして来られた時の、「三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたるぞ」に始まる、
あの有名なお筆先なるものによって、人類社会の改変の必然性が預言され、
人智、即ち唯物思想によって構成された国家社会形態は崩壊し、神智、即ち唯神思想によって
形成される神の国が現成されるであろうことが宣言せられ、人間が今のうちに心を入れ替えて。
直ちにこの世界建替え、建直しの神業に参加協力するに非ずんば、ここ数年ならずして
地上に大戦争が勃発し、その戦禍によって人類は現在の人口の3分の1に減ってしまうぞよ、
と云う恐るべき警告が発せられていたのであります。
それは私にとって正に大いなる警鐘の乱打でありました。
そして私は、この神業参加を要請する宣伝の内容を、
文字通りに天来の声として聞きとったのであります。
私は直ちに、取るものも取りあえぬ気持ちで、大本教へ馳せ参じたのであります。
さて、私が馳せ参じた大本教の実態はどうであったか?
またその後の大本教に如何なる変遷があったか?
と云うことにつきましては、丁度私と時同じうして、やはり大本教入りを遊ばれた、
谷口尊師が 『生命の實相』 第10巻 に於いて詳しくお述べになっている通りでありますが、
只違うところは、尊師が社会人類の救済と言ったような大いなる理想のもとに、
または神なるものを肯定する為の深刻なる苦悩を抱いて大本教に入られたのに対し、
私の方は、折角私のうちに芽生えかけた宗教的な興味が、いきなり人類社会崩壊の預言によって
叩きのめされたことの恐怖と、また若き日に描いた立身出世の夢を、神國経綸の参画によって
成就せしめんとする稚気の、相半ばする気持ちで、急いで綾部にはせ参じたと云うのでありまして、
誠にお恥ずかしい動機によったのであります。
併しそれでも私は大本教に入って、当時の教主出口王仁三郎氏をはじめ、浅野和三郎氏、
今井梅軒氏と言ったような幹部の人々と数年間の交渉をもったおかげで、
いろいろ不思議な現象に際会しましておぼろ気ながら、神界とか霊界とかの消息の一端を
知らせていただくことができたのであります。
◇ 生長の家の青年に与う
皆さん、ここに御注意願いたいことは、この私を大本教へ呼び寄せたものが
『綾部新聞』 と云う一葉の宣伝紙であり、而もそれは発信者不明のまま郵送を受けたもの
でありましたから、その発信者が私自身に対してどれ程の愛念をこめ、
また私のその後の運命に何程の関心を持って、これを送ってくれたのかは、
もとより知る由もないことでありますが、而も私がこれに心ひかれて
急遽綾部へはせ参じたと云う点であります。
この単なる一葉の宣伝紙が、私の生活と運命を根底から変貌せしめ、私をして、
人生の意義、目的なるものを、これまでと全然違った方向に置き換えさせたのであります。
『綾部新聞』 をもってしてさえ、かくの如しであります。
皆さんが、生長の家の大神の御神示のまにまに、この偉大なる生長の家のみ教えを、
一人でも多くの世の人に伝え広めんとの菩薩行に挺身なさるにあたり、
皆さんの知人或は未知人の方々に贈られる1冊の機関誌、一葉の聖使命紙、
または 『危機に立つ日本』等の救国叢書が、人・時・処の3相応を得て、
その人の手に渡ったとき、而もこれに皆さんの深い愛念がこめられてあったとき、
必ずや皆さんの愛行がその人の生活に変貌を来たさしめずには置かないであろう、
と云うことを、私はこの体験によって確信いたすものであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/72a1cd337b57b0dac81286dbd09b8fd9 より転写)
<感謝合掌 平成27年9月14日 頓首再拝>
「 唯物論的人間観では生命の尊重は成立たない 」 - 伝統
2015/09/15 (Tue) 19:19:27
*『白鳩』誌(昭和48年9月号<31―32P>)より
人間の生命は、どうして尊重しなければならないか、
その根本はどこにあるかという問題を考えて見たいのであります。
単に、女性の卵子と男性の精子とが結合した、その結果、化学的に物質的成分が結合して
それが積み重なって人間の形になった。 それだけの肉の塊が人間である―としたならば、
それを尊重するという根拠は無いということになるのである。
物質と物質とが化合して、アミノ酸みたいなものが出来て、
そのアミノ酸が複雑に結合して細胞が出来て、その細胞が色々に組み合わされて
脳髄みたいなものが出来て、
人間が色々苦しんだり悩んだりしなければならないというのなら、
人類から悲しみや苦しみや悩みを取り去ってやる為に脳髄細胞が働かないようにして
殺して人間細胞の結合を分解させてやればよいということになるのである。
しかしながらそれでは、道徳というものも成り立たないし、
人間の生命尊重ということも成り立たない。
平和平和、戦争反対、平和運動と称するけれども、
単に物質が固まって脳髄みたいなものが出来たから苦しまねばならないというのだったら、
そういう肉体の機構を破壊することこそ、人間の苦しみ悩みをなくしてしまうことになる
ということになる。
人間が単なる物質分子の結合なら、平和運動とか反戦運動とかいうものは
却って人類の苦しみを引き伸ばしているということになるのであって、
原子爆弾、水素爆弾が世界を覆って全人類が死滅してしまった方が、もうどこにも悲しみも無い
ということになって、却って平和を地上にもたらすところの救の手段となるのである。
こう考えて行けば唯物論的人間観では、生命の尊重ということは無いのであります。
唯物論を唱えている共産主義的な人々が、平和運動、戦争反対などと言っているのは、
之は頭が悪いためにその矛盾に気がつかないのである。
もし本当に生命を尊重するのだったら、この唯物論的人間観を捨てて
人間の生命を尊重しなければならない。
まことに人間は、神の生命が地上に顕現して或る使命を果すべく地上に出現してきたのだ
ということを先ず承認しなければ、生命の尊重という道徳の根拠が失われてしまうのである。
(http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=3221 より転写)
<感謝合掌 平成27年9月15日 頓首再拝>
吉田松陰精神に学べ - 伝統
2015/09/17 (Thu) 19:52:49
*『吉田松陰精神に学べ』 二川 守 著
日本文化振興会 昭和58年6月発行
― 《甦れ! 日本の心》 シリーズ ―
~生長の家本部講師 練成局主任 二 川 守
さて松陰は、10月27日朝、幕府の評定所において
松平、久貝、石谷の三奉行から死刑を宣告された。 当初流罪の刑であったが、
過激な尊皇思想家を嫌う井伊大老によって死刑となったとのことである。
刑場に引かれる時、松陰は声高らかに皇国の大精神を辞世の詩として朗誦した。
ここが普通の武人や軍人と違うところである。
例え殺されても、最後の最後まで天皇を仰慕し、国を愛してやまない松陰魂に驚くのである。
『吾今国の為に死す、死して君親に負かず。 悠々たり、天地の事、鑑照、明神に在り』
と青天白日のように澄みきった心で、武蔵野の露と消えたのである。
自分は今、国のために死するが、死んでも大君や親の心持にそむくものではない。
悠々に続く天地の事、わが “忠” の心は神のみぞ知ることゆえ、死しても心に何も残ることはない。 自分が滅した後の光輝く万乗の世界を期待してやまない
という、松陰の赤き心が脈々と流れている空前絶後の尊皇愛国の名歌である。
とくに、ここで注目したいことは “悠々たり、天地の事” という言葉の意味である。
この真義は、日本の国は天地の始まりとともに肇国以来万世一系の天子さまによる国柄によって
悠久不滅であるとともに、わが心も日本国と同様、この場になってもいささか恐れることなく
悠々たる境地であり、この精神は永遠不滅であるという深い深い掛け言葉であると拝察されるのである。
松陰のこの美しいまでも烈しい尊皇、愛国の精神は時代が移り変わろうとも、
吾々日本民族は忘れることなく永遠に残していかなくてはならない道統精神の遺産である。
そして、松陰はこの日潔く散っていったのである。
世の愛国者と呼ばれる人々よ。
今こそ松陰精神の何分の一でも、わが心とし、ただひたすらに
『天皇国日本』 実現をめざして祈り且つ行動にうつることを希うのである。
真の愛国者には名もいらぬ。 地位もいらぬ。
ただ天皇を仰慕してやまぬ愛国熱情の松陰精神と団結心が何よりも大切である。
世に愛国者と言われる人は多い。
しかし残念なことに団結心が乏しいゆえに、力が分散し脆弱である。
それは似非愛国者か、遺物的愛国者にすぎない。
或いは、自己の主張にこだわるあまりに自己の領域を固守して同志を批評する識別的愛国者である。
もう、そういう議論した時代は過ぎたのである。
真の愛国者は道義に生き広々とした心で大同団結できる包容精神をもち、至誠を貫き、
炎のごとく燃え熱き血潮で祖国日本を守らんがために決起する勇者でなければならない。
現下の日本をみるときに、真の愛国者は今こそ神国日本復活をめざし、
眠れる心に松陰魂を吹き込み、心を一つにして立上る秋(とき)が “今” 来たのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/d08c59abefaea4bdd5db9bbc39da2cca より転写)
<感謝合掌 平成27年9月17日 頓首再拝>
生長の家発見 - 伝統
2015/09/18 (Fri) 19:47:23
*『光の泉』誌(昭和39年11月号<P56~61>)より
『若人のための78章』 の49頁にこう書かれております。
「自然が神の創作したまえる直接芸術であるに対して、
人生は人間の自由意志によって想像する芸術であるということが出来るのである。
色とりどりの人生は、すべての人間の各々の想念という絵の具によって彩られて、
五彩七彩の輝きをあらわすのである。
そこに悲劇があらわれているにせよ、喜劇があらわれているにせよ、
それは作者の創作であって、神が決して押しつけた運命ではないのである」
この人間の運命というものが、神が決して人間に押しつけたものではない、
すなわち決して宿命的なものでないということを吾々は知らなければならないのであります。
私は或る宗教におりました時代に、その宗教では、愈々近いうちに神様が
此の世界を建て替える最後の時が来ると申しておりまして、神様の気に入らないところの
不良の人間を、「地震、雷、火の雨降らして」 滅亡せしめて、神様の気に入る人間だけを
地上に残すというようなことを説いている教えであったのであります。
ところが私は或る日の事、自分の家の庭を見ておりますと、
一匹の蛇が出て来て蛙を呑んでいたのを見たのであります。
「ああ、可哀想だなあ、あの蛙は。 あの蛇を棒で撲って、蛙を助けてやろうか」
と一時は、思ったのでありますけれども、
「いやいや、蛙を助けて蛇を撲ったら一体蛇っていうものは何を食べて生きるんだろう。
又別の蛙を掴まえて食べるからあの蛙は救かるかも知れんけれども、他の蛙は救からんことになる。
或いは他の蛙が見つからないとしたらあの蛇は飢え死にをしてしまうかもしれない。
蛙を救けると蛇が死ぬ、 蛇を救けると蛙が死ぬ。 何という不調和な世界なんだろう」
と私は思ったのであります。
「どうしてこんな不調和な世界を神様が拵えたのであろう」 と私は考えました。
互に食い合い殺し合いをしなければならないような、
不完全な世界を神様は拵えたのは誠にもって怪しからぬ。
これに創造主 (つくりぬし) があるなら創造主の責任である。
そんな不完全な創造神が、人間が争い、食い合い、殺し合い、不徳な行いをするからといって、
人間に罰を与えて神様自身の気に入らぬ人間は、皆殺しに殺してしまうというような、
そんな不合理な事があるだろうか。
神自身が不完全じゃないか。
そんな不完全な神は 「神」 と称するに足りないものである。
そんな神は存在しないのである。 ついに私はこう考えたのであります。
そうして私は、その宗教から脱退した。
そして此の世界はそういう神様が拵えた世界ではない、
これは人間の心が拵えた世界なのである。
つまり人間自身の心が展開してそれが時間・空間面に現われている世界が、
この肉眼で見える現象世界である、こういう風に私はその時考えたのであります。
私はその時、神の宇宙創造説からぬけ出して、この見える世界は
「唯心所現の世界」 であると考えるようになったのであります。
この世界は唯心所現の世界、即ち 「心のあらわす処の世界」 であって、
神様が拵えた世界じゃないんだと考えるようになったのであります。
お釈迦さんも矢張りそう思われた時代があったという事を私は仏典で読んだことがあります。
お釈迦さんは或る日の事、王宮の外苑を散歩しておられましたら一匹の烏が出て来て
土を掘って何か蝉の幼虫のような、芋虫のようなものを掘り出して食べているのであります。
その芋虫のような生物は烏の嘴につつかれて、からだをくねらせて痛そうに苦しんでいる。
それを釈尊が御覧になった時に、
「ああ、この世界は悲惨な世界である、生存競争の世界である。
弱肉強食の世界である、殺し合いの世界である。
そこには “生” の苦しみが充満している、
この “生” の苦しみを解脱するのにはどうしたらよかろうか」
と考えなやまれた。
これが釈尊の出家せられた動機の一つになったということでありますが、
私は蛙と蛇との闘争を見て、此の世界は神の創造の世界ではない ― 愛深き神様が
拵えた世界じゃないんだ、人間の心の創作の世界であると考えるようになったのであります。
それからしばらくしまして、私は、宇宙の創造神が此の世界に地震、雷、火の雨をふらして
最後の審判をおこなうというその教団から脱退いたしまして、
著述家になろうと思って東京へ飛び出して、或る本を書いたのであります。
しかしその教団を飛び出したけれども、心の奥底に、この弱肉強食の闘争の此の世界を
調和ある世界にするには如何になすべきか。
このままでは人間は救われない。
その救われないことに自分自身が悩む心が起って来るのは一体どうしてであろうか、
という事を考えずにはいられなかったのであります。
その闘争の世界から目を挙げて、“救い” を求める心というものが起って来るのは、
どうしてそれが起って来るのであるか。
その “救いを求める心” がたまらなく自分の心をかき立てるのは、
何処かに、本当に 「救うところの本体」 があるからではないか ― だからこそ、
こういう “救いを求める心” が切実に起って来るのではなかろうか ・・・。
《切実に吾々が魂の底から求めるのは、既にそれが‘ある’からそれを感じ求めるのではないか》
というような感じがして来たのであります。
即ちこの世界を造ったのは 「吾々の心」 であるが、
併し 「吾々を救う処の何か偉大なる者」 が何処かにあるに違いない ―― 。
何処かにその偉大なるものがなかったら、
こうして切実に魂の底から “救いを求める心” が起って来る筈がない。
私の心の底は、何処かにその救いを求める尚一層大なるものにつながっていて、
それを感じているのである。 既にそれを暗黙のうちに感じ知っているからこそ、
それを求めるのではなかろうか ―― 。
「救いの本尊」 が何処かにある。 それを 「神」 と言えば 「神」 と言える、
しかしその 「神」 はこの悲惨な弱肉強食の現象世界を拵えたんじゃないんだ、
という直感が這入って来たのであります。
ここに現象世界の創造者と、実在の世界の創造者とをハッキリ分けて
考えなければならぬことに気がついたのであります。
その直感が今、生長の家の教えの奥底にあるのでありまして、
その 「救いの本尊」 は何処にあるかと言うと、それは 「実相の世界」 にある
という風に今では生長の家では説かれているのであります。
この肉眼で見るところの世界は、殺し合いの世界は、奪い合いの世界は、食い合いの世界は、
それは吾々の “心” のあらわすところである。 “心” が変ればそれは変わる。
けれども、その現象世界の、殺し合いの世界のその彼方に、もっと 「超越した処」 に
完全な実相の世界があって、そこはイザヤ書に書いてあるように、蝮のすむ孔に子供が
指を突込んでも蝮と子供とはたわむれ遊んで蝮が子供を傷つけない。
ライオンと羊とは仲良く草を食っているようなそういう世界が既にある。
既にあるからこそ吾々の求める気持が、自己の生命の奥底から押し出してくるのである。
実相の世界にはすべて生きとし生けるものが互に完全に調和した姿において、
‘そこに’既に在るのだ。
その世界はどうしたら出て来るか、どうしたら現象化して出て来るかという事に、
私は思い悩んだのであります。
そうして遂にそれを発見したのであります。
それは現象世界は心のあらわす所でありますから、心を媒介として、心をレンズとして、
その心を澄み切らして、完全に心を透明にして
「実相の世界」 の光が射し入るようにした時に、
その心を媒介として心のあらわす処の現象世界に、実相世界の完全な相が投影して、
諸法がこのまま実相となる。
この 「実相の世界」 のことを 「仏の世界」 と言ってもいい、
「神の世界」 と言ってもいい、天国と言ってもいい、「お浄土」 と言ってもいい、
それこそが本当に実在する世界である。
その実在の既存の完全な世界が、
心を媒介として吾々の現象世界にそれがあらわれて来させる
―― これが “地上天国建設運動” であります。
しかし、この真実在の完全な実相世界は、霊的世界であって、物質世界ではありませんから、
観じなければあらわれないのであります。
その観ずる方法として私は 『神想観』 という観法を神から啓示されたのであります。
その 『神想観』 によって実相の完全なる姿を心の眼をもって正観する時に、
完全な実在の姿が現象世界にまで延長して出て来るのであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ec55561a7502828b7d61537c45497254 より転写)
<感謝合掌 平成27年9月18日 頓首再拝>
大信心は神想観より来たる - 伝統
2015/09/20 (Sun) 19:57:47
*生長の家教団理事、教化部長 吉 田 國 太 郎
『已成の佛 今此處に生く』
大信心は仏性也とは、大信心は仏性より起るものである、と云うことである。
大信心を成就するものは、仏性自らである、と云うことである。
それは自然法爾に相即相入する自他一体の全機に成るものである。
大信心とは、申すまでもなく、絶対の信心である。
火にも焼けず、水にも溺れない信心である。
金剛不壊の信心である。
清浄汚穢に掟されない信心である。
それ故に、現象の状態によって仮縛されない信心である。
仮縛されないとは、妨げられないと云うことであり、同時に又、
支えられないと云うことであり、現象は、其の儘本来無なる信心である。
老幼男女を問わず、民族の種別を問わず、現象状態の如何にかかわらず、
人々各自の今此処にあって久遠常在永遠不滅に末通りたる信心である。
此の信心は求むるに先立って与えられている信心である。
此の信心よりの信心を、己の信心として生くるのが、神の子の信心である。
絶対性に裏付けされないものは、有るかの如く見えても本来無いものであり、
それは、空無陰影の仮存在に過ぎない。
信念も亦、大信心よりの信念でないならば、それは、本当には無い信念である。
信念の如く仮相した本来無い心の影である。
観念の念(こころ)である。
大信心は仏性より来たるのである。
本来性より来たるのである。
神の子の其の儘に宿り、神の子が神を拝して誕生するのである。
神の子が神の生命を、其の儘の一体不二に礼拝祈念するのが、神想観である。
大信心は、神想観より来たるのである。
初発心の信心である。 神の子の目覚めである。
肉体人間が、迷いの心が、信ずべきものを先ず信じ、其の信の力によって、
神の生命にいだかれるのであると考え、或いは又、其の信の力によって、救われた状態を
此処に実現するのであると考えるのは、其の考え方自身が既に迷いである。
迷いの心より発心したのでは、其の信念も迷いの信念であり、
信念の如く見える迷いの心の思い煩いである。
先ず信ぜよ、と云う其の信心は、迷いの心が救われる為に信心するのではなく、
既に救われている神の子が信心して、自己を現成するのである。
迷った心に神を信ずる力は無いのであり、先ず信ぜよの先ずは、肉体の心を超えて、初発心である。
初発心とは、ハジメなきハジメ、本当のハジメの発心である。
此のハジメは、「太初に言あり、言は神と偕にあり」 (ヨハネ伝) のハジメである。
此の太初の発心が、即ち、大信心の音声(おんじょう)である。
此の心が発心して、時空の形式に発展されては、一番先に、何を置いても先ず先に、
と現れ出でて初めて其処に生命が生きるのである。
太初とは実相であり本来性であり、此の生命が生きなければ、
信念の力をたて、時に、現象がととのっても、現象流転の生活である。
知らないことを信念とすることは出来無いのである。
実相を知らない心が、実相を信念とすることは出来無いのである。
そして又、内に無いものを知ることは出来無いのである。
内にある其の心が自分で出て来て信ずるものでなければ、其の信念は影法師である。
神の生命を信ずれば、汝の信ずる如くなって、今此処に、神の生命が生きるのであるが、
神の子でなければ、神の生命を信ずることは出来無いのである。
夢を描け、と云うことは、御教に説かれている大切なことではあるが、
若しも、本来無い心で描いていたならば、生命は顕現しない。
本来無い心には、本当の力が無いからである。
本当に有る心が描いた夢が、生命がこもり、信念となり、現実に実現するのである。
夢に描くと云うことと、夢想の状態は違うのである。
信念がなければ、夢に描いても、根も葉もない夢想の状態である。
信念が強いとは肉体人間の相対観念が強く思うと云うことではない、
信念とは実相より来る今の心のことであり、大信心の今の心が、大信心の音声が、信念なのである。
大信心は仏性であり、神の子の心よりの発心が信念なのである。
此の信念でなければ生命が無いから、現象に相が現れても、本当の絶対の生きがいは無い。
実相の生活ではなく現象流転の生活である。
実相を観ずる至極の今に端坐し、其処より発心して来るのが、人間神の子の心である。
十界互具の全大宇宙の救いを、今の極微の一念、一念も無い至極の今に成就するのが、
生長の家の救いである。
大乗無礙至心廻向の光明であり、不来にして来る一念の発心である。
神想観の至心至極の端坐である。
神想観に夢を描き、夢を描いて、今を生かし、今を生かして、
神想観に住し、此の至心の今の円融道環に
感謝合掌礼拝の日々が人間神の子の生活である。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/64f67965f392aa52274f301f226b095d より転写)
<感謝合掌 平成27年9月20日 頓首再拝>
『明窓浄机』 を皆さんに読んで頂きたい - 夕刻版
2015/09/23 (Wed) 18:38:49
*『生長の家』誌(昭和59年5月号)より
~昭和59年2月16日
生長の家総本山に於ける団体参拝練成会での御講話
私の若い時代に巡錫旅行をして、伝道に一人で走り廻っておった、
その時代の私の伝道紀行文が 「明窓浄机」 と題して神誌 〈編注:『生長の家』誌〉
の欄に掲載されていたものですが、それが私の随筆集の 『明窓浄机』 の各巻に収録されています。
最近、その続篇が纏められて出たのが
“昭和29年から31年” までの 新生篇 でありますが、
それを読んでみると、生きて動いている伝道紀行という感じがして、
若い時代の私が羨ましいほど中々よく活動している有様がよく出ておる。
老境に入ってから総本山にいて地方から来る人の話を聞いたり、
こちらから何か話してあげているというだけでは、活動的な巡錫紀行の面白さや
地方信者の貴い心境を語ることが出来ない。 誠に残念です。
『明窓浄机』 の 新生篇 を読んで頂くと、宗教家にとって巡錫することが
― みずから歩いて伝道することが、どんなに愉快で楽しくて、健康で、
行く先々で歓迎されて、その感激の波に自分も感激いっぱいで、相手の聴衆も感激で、
次々と個人指導で生きた体験が語られて、生き生きと伝道しておったことが
浮き彫りにされて出て来るんです。
この 『明窓浄机』 の最近の続篇の単行本を、皆さんに読んで頂きたい。
私は自分で読んだのですが、読むに従ってその時分の若い時代に活動した、
その若々しい喜びの感じが、一節一句の文章の中に溢れているのであります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19318136.html より転写)
<感謝合掌 平成27年9月23日 頓首再拝>
生長の家思想の淵源を把握するために ー 實相論への道 - 伝統
2015/09/25 (Fri) 18:27:02
*『生長の家』(昭和59年新年号)より
~ 生長の家基礎文化研究所部長 阪 田 成 一
「生長の家」と言えば、今では、多くの人が宗教だと思っているが、
生長の家は宗教として出発したのではない。
昭和5年3月1日に創刊された 『生長の家』誌 の裏表紙には
「生長の家の宣言」 〈のちに 「生長の家七つの光明宣言」 となる〉 が掲げられているが、
その第1条には、つぎのように唱われている。
《われらは宗派を超越し、生命を礼拝し、生命の法則に随順して生活せんことを期す》
この宣言にもあるように、生長の家は発祥当初から、いっさいの宗派というものを超越し、
われわれを生かしているところの生命を礼拝し、生命の法則に随順してそれに調和して
生活してゆくという目的でもって出発したのであり、このことは今もなお貫かれているのである。
従っていまだかつて「生長の家」ほど宗派に対しても対立的態度をとったことがなく、
事実、生長の家誌友は、いずれも祖先の礼拝した本尊を尊び、祖先の信仰した宗教のままで、
修養をつづけており、「生長の家」によって今まで信仰していた祖先の宗教の神髄が
把握されたとさえ言われている。
《宗門を開く“鍵”》
それではなぜ「生長の家」によってそれぞれの宗教の神髄が明らかにされるのであろうか。
谷口雅春先生は、このことについてつぎのように言われている。
《生長の家は「家」であるということである。 すべての他の宗教は「宗門」である。
“門”であってその奥の院に入っていないのであります。
その門を開いて奥の院に入る“鍵”を与えるのが、生長の家である。
ですから、祖先の宗教を信じておっても、皆、“門”の前に立っておって
“門”の恰好がいいとか、悪いとか言って宗派争いをしている。
けれどもわれわれ生長の家は“門”に立っていないんだから、
宗派争いはしないで、ずっと奥へ入る。
しかし、奥へ入ろうと思っても扉が閉っているのである。
その扉を開ける鍵 ― すなわち「生命の実相」という哲学の鍵をもって、
それで各宗の神髄の奥の院へ入って行くことを教える
― これが生長の家であるわけであります》
(『神の真義とその理解』)
“「生命の実相」という哲学の鍵”をもってすれば各宗の神髄が明らかにされる
といわれるのであるが、それでは「生命の実相」哲学とはいかなる哲学をいうのであろうか。
「生命の実相」哲学とは、谷口雅春先生によって説かれたところの生長の家の教義を
総体的に呼称したものであり、それは現在、 聖典『生命の實相』〈全40巻〉 をはじめとする
450余におよび著作となって表現されている。
またその教えの内容が、単なる唯心論でないことから「唯神実相論」〈または唯神実相哲学〉とも
呼ばれている。 〈なお、本稿では以後、「唯神実相論または哲学」の呼称を用いることにする〉
《唯神実相哲学とは何か》
さて、「唯神実相哲学とは何か」ということであるが、
これについては谷口雅春先生の「唯神実相哲学の神髄」に示されているが
〈※『人間そのものの発見とその自覚』114頁~ 参照〉
さらに理解を深めて頂くために谷口雅春先生の他の文章から、
唯神実相論について説かれた箇所をつぎに紹介しておきたい。
《すべて形あるものは、その存在の奥に理念又はアイディアがあって、
理念又はアイディアの表現する姿の顕現である。
形は“あらわれ”であって、本質でも実質でもない。
形をあらわしているものの本質は“物質”ではないのであって、
すべてのものの本質又は実相は“神の霊”なのである。
この存在を“唯神実相論”と呼ぶのである。
唯神実相論においては、一切の真実存在は神が想念せられたアイディアの展開である、
と観るのである。 「神が想念せられたアイディア」を“理念”というのである。
“理念”の展開せる世界が、イエスの“主の祈り”にある「みこころの天に成る世界」
であり、「実相世界」であり「神の国」であり、それが「唯一の実在せる世界」であり、
そこは「一切の生物ところを得て、相食む者なく、争う者なく、病む者なく、
苦しむ者なく、乏しき者なき」円満完全な世界である。
「その円満完全な世界を、心の眼をひらいて見よ」と説くのが「唯神実相論」なのである》
(「唯識の顕現としての世界及び人間」)
《唯心論をさらに超えて》
《今まで普通に説かれて来た唯心論を3種に大別することができるだろう。
主観的唯心論 (Subjective Idealism) と、客観的唯心論 (Objective Idealism) と、
絶対唯心論 (Abusolute Idealism) とである。
第1の主観的唯心論は、この世界は唯、人間の主観が時間空間の“認識の形式”に
投影されて現れているものであって、客観的にはそんなものは存在しない
という極端な観念論である。
第2の客観的唯心論は、この世界は、神又は宇宙心の想念の展開であるから、
それは心の所現ではあるけれども、客観的に儼存する世界であり、
神の愛によって護られている世界であると説く。 汎神論はこの中に入るであろう。
第3の絶対唯心論は、神は主観・客観を超越せる絶対者であって一切を包容し
一切を支配するのは絶対者であるから、個人の努力と見えるものも実は絶対者の顕現であり、
全宇宙が絶対者に支配されているから、すべては機械的に自動的に動き進展して行くので、
個人の努力の余地など存在しないと見るのである。
生長の家の説く唯心論は、以上大別する3つの唯心論とは異なる世界観である。
唯神実相論と称しているのである。
以上3種の唯心論的世界観に於いては“この世界”は人間の心の表現であるとか、
神の心の表現であるとか、絶対者の表現であるとかいっても、
すべてこの“現象世界”のことを“この世界”といっているのである。
吾々の唯神実相哲学に於いては、単なる絶対完全者の顕現である世界(実在界)と、
吾々の“心”を媒介として投映し仮現されたる現象世界とを説き、
実在界と仮現の世界との交錯するところに善悪混淆の現象があらわれるのであるが、
仮現はどこまでも仮現であって実在でないから、現象界は想念の変化によって変化する。
ここに努力の甲斐があると説くのである。
そして実在するものは唯、神と神の創造になる実在界のみであってそれは常住不変の
完全原型の世界である。 そして吾々の努力次第で、どの程度その完全原型を
現象世界に具象させて円満幸福な生活を送り得るかがきまるのだと説くのである》
(「宇宙の神秘を直観して」)
すなわち、「唯神実相論」とは、単に“心”でこの世界ができているといった唯心論ではなく、
神と神とによって創られた世界のみが実在であって、それ以外のものは存在しないという哲学である。
と同時に神は、“善”であり、それ故に、悪とか罪とか病いとかいった不完全なものは本来無く、
このことを端的に表現して「現象無し」というのである。
もっとも現象には、実相の展開として現れている‘真象’と、そうでない‘偽象’の2種類があり、
真象とは神と神の表現であるところの真実の世界であって、
偽象とはわれわれが普通物質的に見える世界 ― 病気や不幸もあるという世界 ―
のことであるが、唯神実相哲学ではそのような現象世界は本来無い、と断ずるのである。
《地上天国実現運動としての「生長の家」》
さらに、この哲学は「一種の実証哲学」であるということである。
すなわち、その哲学の人生観をもつことによって実相の完全さが現象界に写象されて、
幸福の世界が実際にあらわれて来ると説くのである。
従って 「七つの光明宣言」 結章には、
《吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより病苦其の他一切の人生苦を克服し、
相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起す》
と、宣言されており、生長の家は「唯神実相哲学」によって地上天国を建設するための
実際運動であることが、これまた発祥当初からはっきり唱われているのである。
では生長の家の「唯神実相論」は、どのような過程を経て結実されたのであろうか。
あらゆる存在は歴史的現実として、歴史を背景にして今此処にその姿をあらわしており、
歴史を切りはなして「生長の家」を単独に理解することはできないのである。
それ故「唯神実相論」も、谷口雅春先生の生活の歴史を通して、
生まれるべくして生まれたということが言えるのである。
事実、谷口先生は 『生命の實相』 の “自伝篇” のなかで
「生長の家は一朝にして、ただの霊感だけで迷信的にヒョッコリと生れ出たものではなく、
私の長い間の生活体験を通しての思索体系のクライマックスに達せる時、
百尺竿頭、霊的飛躍が忽然花開いたものだ」 と言われている。
また先生はその著 『佛教の把握』 の“はしがき”でも、
「生長の家の思想を知って貰うためには、その思想の淵源を知らなければならぬ」
と書いておられるのである。
従って生長の家の思想即ち「唯神実相論」は、一朝一夕に成ったものではなく、
谷口先生が「視えるところのいのち」の矛盾に悩み、苦しまれ、遂に
「本物の、久遠の、本当のいのち」を掴むまでの厳しい求道の歴史を経て、遂に時熟し、
燦然たる成道の日を迎えられたのであった。
そこでわれわれも谷口雅春先生の「唯神実相哲学」に到る過程を辿ることによって、
その神髄に迫って行きたいと思うのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/36949df923d0a607773b1fa833a8d003 より転写)
<感謝合掌 平成27年9月25日 頓首再拝>
吾が國體を生命的に把握せよ - 伝統
2015/09/27 (Sun) 18:39:41
*『行』(昭和16年10月号 19頁)より
生長の家は國體原理を明かにし、 天皇の絶対神聖性を炳(あきら)かにする団体であります。
帝國憲法にありまする 天皇は神聖にして侵すべからずと云う其の「神聖」と云う意義も、
まだわかっている人が少ないのは残念であります。
その「神聖」という語(ことば)の意味を、只‘神聖なる機関’として置いてあるのだ
というような考えが今までの日本に相当弘まっていたのであります。
美濃部達吉博士が大学の講座で、そういう学説をずっと弘げておったのです。
それにかぶれた人たちが政治を致しますと、
それはいつの間にか幕府政治見たいなものになって来るのであります。
だから日本は本当の政治に帰らなくてはならない ― それは、形態の上のみではありません。
信念の上から、生命的に 天皇の絶対神聖性を把握しなければならないのであります。
天皇は宇宙の大神として絶対の方であられるという此の実相を把握申上げなかったならば、
形態の上からは幕府政治でなくとも、精神の上から、信念の上から、内容の上から
幕府政治というものになって来るのであります。
そう云う上から生長の家が国家へ貢献している立場は、
北畠親房が神皇正統記を書き、頼山陽が日本外史を書き、吉田松陰が松下村塾を経営した
と云うのと同じ立場であります。
幾多の忠烈無比な将兵が生長の家から輩出してまいりました。
その第一線に於ける活躍振りを纂(あつ)めたのが 『戦線消息』 であります。
まだお読みにならない方は是非とも読んで貰いたい。
一字一句の訂正なしに血のにじみ出るような活躍が、
その第一線からの本人の消息の上に浮かび上っているのであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/m/201508 より転写)
<感謝合掌 平成27年9月27日 頓首再拝>
『天皇獨在』 の真理は病をも癒す - 伝統
2015/09/29 (Tue) 18:30:00
*『生長の家』誌(昭和14年9月号) より
~ 生長の家 吉 田 國 太 郎
谷口雅春先生によって私達は 『天皇獨在』 と云う真理にめざめさせて戴きました。
天皇陛下の大御生命一つのみ此処に坐して、
私達生命あるものは禽獣草木の果に到る迄
大御生命によって生かされて此処にあると云うことであります。
日本人として此の世に生をうけ、今現に大御生命に生かされて生きていながら、
其の有難さを身に沁みて感謝出来ないと云うことは、
その人自身の大きな不幸であるばかりではなく、
此処が確立しません時、それは日本の不幸だと思うのであります。
一つになる処に強さが出てくるのだと思います。
他からくずすことの出来ない強いものが生れてくるのだと思います。
思想の貧困などと云う言葉がありますが、吾等全てが 陛下の内に生かされて生きてある大自覚
天皇獨在の真理 ― 此の真理に目覚め、此の有難さに感謝出来る人間になる事が、
此処へ皆が一つになれます事が大変大切な事だと思うのであります。
此処に冒す事の出来ない日本の強さが生れてくるのであります。
此処につながります時、思想の貧困もなければ何も最早云うことはないのであります。
唯光栄に感謝して其の時そのままを生き行けるばかりであります。
岐阜市外那加の河村尚賢さんは胃癌に苦しめられ、医学に絶望し
生長の家に救いを求められたのでありますが、此の方が 陛下の有難さ、
今生命ぐるみ救われている此の有難さを一度と雖も拝んだことの無い人であります。
ユダヤ問題の話を説ききかされ、やがて天皇獨在の真理に迄諄々と説ききかされた時、
河村さんの心を覆うていた迷いの埃がふきはらわれたのであります。
初めて拝む 陛下の有難さ、宇宙大に広がる 陛下の無限絶対さ、此の目覚めに立った時、
河村さんの胃癌はいつの間にか消えて影をひそめていたのであります。
これは事実であってうそではないのでありますが、
それは副産物でどうでもよいと云えばどうでもよいのでありますが、
天皇獨在の真理の目覚め、大御生命を今此処に割き与えられて生きる生活は、
日本人一人一人の心の底に植えつけたいのでありまして、
植えつけなければならないと思うのであります。
日本書紀に御徳を讃え奉りて 『光華明彩六合に照徹』 とあるのは
このことだと畏れ多い極みであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/d1531815e6aa3fd5e3000db56ed8918b より転写)
<感謝合掌 平成27年9月29日 頓首再拝>
生命奉還 ― 真個無我に徹する - 伝統
2015/10/01 (Thu) 20:54:02
*『生長の家』誌(昭和15年9月号 14頁)より
生命とは 「肉体」 ではございませぬ。
生命とは 「物質」 ではございませぬ。
さもなければ 「身を殺して仁を為す」 とか、「生命を捐つるものは生命を得ん」 とか、
「義のために一身を空しくする」 とか、四十七義士のハラキリとかは理解する事が出来ませぬ。
生命の凱歌は 「肉体」 を捨て 「物質」 を捨てたときあがるのであります。
『生命奉還』 であります。
天皇陛下に生命奉還であります。
教育勅語に 明治天皇が 「皇祖皇宗國を肇むること宏遠に」 と
仰せ給いし際の 「國」 とは 「宇宙 (くに)」 であります。
「宇宙 (くに)」 の生命は皇祖皇宗が國を肇め給いしときに発生したのであります。
天地の初発の時に、天皇先いまして、その勅によって
「漂へる國」 は初めて 「自凝島 (おのころじま)」 となったのであります。
「漂へる國」 とは姿定かならざる宇宙であります。
姿定かならざる宇宙とは 「無い宇宙」 であります。
「自凝島」 とは姿をはじめて顕した宇宙であります。
「無い宇宙」 をして 「有る宇宙」 ならしめたのは、
其処に 「宇宙大生命」 が働いたのであります。
宇宙大生命 ― これを称して天之御中主神と申上げるのであります。
天之御中主神は宇宙の幽の幽なる本元の大神であらせられ、皇祖であらせられ、
歴史以前に遡れば大日本初一代の天皇 (すめらみこと) であらせられます。
凡て生命 天皇より流れ出ずるのであります。
宇宙は 天皇の‘もの’であり給う。
何一つ 「私」 は無いのであります。
真個無我であります。
この真理を知るとき、おのずから 『生命奉還』 の心起るのであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/886d724ea5739893f78ac5b67e0d95fa より転写)
<感謝合掌 平成27年10月1日 頓首再拝>
自分が変れば一切が変る - 伝統
2015/10/03 (Sat) 18:43:06
*『生長の家』誌(昭和33年2月号 58頁 ~ )より
~生長の家本部理事 青年部長 菊地 藤吉
「あなた、それでも生長の家ですか、生長の家を信ずる人がそんなことでよいのですか」
妻の言葉に 「しまった」 と、急所をつかまれたように苦しい。
以前は、妻の父と私の不調和から、どれ程この妻を苦しめ、泣かせてきたことであったか ― 。
それが、生長の家の御教に導かれて以来、舅や家族の皆とも調和し、職場 (郵便局) も
明るくなり、自分の心も落着き、気長にもなって、性格もこうまで変るものかと自信ができて、
感激の中に光明化運動に情熱をかたむけてきたのであった。
それから1年半、北海道根室の北辺に、
自分の住む町を中心に4ヵ所も相愛会が発足した今なのに ― 。
些細なことで腹を立ててつい妻をどなりつけ、いつまでも、くどくど責めたので
妻もたまらなかったのであろう。
「悪かったなあ」 と、胸に言葉が浮んできているのに ― 、 それより先に、
自分の至らなさが、しみじみ感じられて、御教に対して申訳ない。
しかも最愛の家内にさえこんなことを言われなければならないとは ― と情なくなり、
「どうせ僕は何時までも駄目なんだ。 生長の家もやめてしまった方が、誌友の皆さんに
迷惑が掛らないだろうし」 と涙がでそうなのを我慢して強がりを言ってみる。
しかし決して本意ではないのであって、こんな時こそ、真理の書によって
心を引き立てなければならない、と奥座敷で 『生命の實相』 を開く。
(昔ならこんな時にプイと表へ出て飲み歩いたものだが ― これだけでも有難い、と思いながら)
「もっと自分を愛せよ。 欠点を指摘されたら喜んで直すのが自分を愛する道だ」
「平明に自分のあやまちを承認せよ、あやまちを素直に承認される瞬間
その人の神性は高いのである」 (『生命の實相』 新修版 11巻 114頁等)
全く私一人のためにお示し下さったような尊師の御愛念の一節一節が、
肉を浄め、骨を浄め、心を浄め、生命を浄めて下さる。
いつの間にか、懺悔の涙がでて、しばし神想観をつづけ、
自分のニセモノを追い出すために、勇気をもって妻の前に合掌する。
妻も内心反省していたらしく、「私が悪かったのです」 と合掌してくる。
そんなことが入信後1年以上経っても幾度か繰返され、互に信仰の道に入ったのであるが、
「心の法則」 だけを知って、心の中で責め合う自分の心の‘みにくさ’苦しさから
中々逃れられず、「私達は信仰の道には向かない夫婦ではなかろうか」 と
馬鹿なことを真剣に考えたこともあった。
そのうち妻の方がだんだん御教に熱心になり、私が腹を立てても 「私が悪かったのです」
と先に妻から詫びるようになり、「何もあんたが悪くないではないか」 と言えば、
「どんな理由でも、あなたに腹立たせたのは私が至らないからでした」 という。
こうなると、御教を素直に実践している妻が、自分よりはるかに尊く思われ、
益々劣等感ができて、これには随分苦しんだことであった。
地方講師もいない片田舎であったので、ともかく聖典の拝読により、遂に私は神想観の中で
「一切の本源は神であり、すべての人は神の使として観世音菩薩としてこの世に遣わされた
のであるから、その実相のみを観ることができますように。
光明化運動の選士として活動するために、私の愛深い実相が完全に開顕されますように」
という祈りだけを、毎日行じたのであった。
「飛田給練成道場へ行ったら必ず一切の人々の実相の完全なことを悟れます」
と札幌の桑原裕規さんが、そのころ幾度もすすめて下さったのであるが、
「官庁勤めですから暇もないし ・・・ 」 という私に、
「暇や金で行くのではないのです。 決意だけですよ。
想念は必ず実現するというのが生長の家の教えです」 という。
「どう祈ったらよいか」 と聞くと
「金や暇ができるように祈らなくてもよいから、既に飛田給道場に坐している。と観ずればよい」 とのこと。 〈谷口雅春先生著 『詳説神想観』 197頁に、積極的、肯定的祈り、
として御教え下さっている祈り方〉
その信念ある言葉に強く感動して、唯、善のみに導き給う神の智慧に委せ切りの神想観を
しているとき、その年 〈昭和34年〉 の6月に、全逓信労働組合の全国大会が
東京で開催されることになり、北海道からの正式代議員の一人 〈共産党員〉 が急病で
出席不能のため代理として私が出席 〈その頃私は全逓労組の役員を退いていたのだが〉
することに決議され、そのため私は、労働組合の経費で上京した。
ついでに、1年に20日間の法定休暇が認められているので、
手続きして、あこがれの飛田給練成に参加した時の嬉しさ ― 。
まことにも 「祈りは必ず叶えられる」 のである。
それは神の導きは常に宇宙に充ち満ちているのであって、善きものを与えるべく
常に私達の周囲ふりそそいでいるのであり、神の道に叶うことであれば、
最も適当な時に、適当な人、事、処へ導きが実現することを体験させて下さったのである。
しかし長い間の批判的唯物論者は何と罪深いことであったろうか。
尊師の御教えには絶対の信をもちながら御教に比較して道場員を批判し、
練成会員が日毎に素晴らしくなってゆく姿を見ては、批判的な自分の態度に醜さを覚え、
素直になれないことに悩み、いらいらし、だんだん悦びがなくなり、そのくせ
「自分は 『生命の實相』 を一通り読んでいる」 と、妙な自尊心を持ち、
こんなことなら何のために練成道場へ来たのか、とさえ思ったりしたのであるが、
今にしてみれば 「一切の現象は自分の念の影の影」 であった。
けれども飛田給道場には、谷口先生から練成会員に対する祝福の祈りと、
神の愛が充満しているのであって、いつも奇蹟的な導きが現われるのであるが、
そんな心の私にも、‘3つの大きな導き’ が現れた。
そのことによって、真の神の愛を知らされ、脚下照顧、愛行の実践に欠けていたことを
懺悔して、「祈りの間」 に入り、練成最後の3日間を 「自分は日本一の優しい夫である」
と、繰返し自分の実相を観じて、感謝と悦びに燃えて帰宅した。
と、道場で祈ったことなどは一言も言わないのに、帰宅して3日目の朝、
食事の祈りのとき、妻が突然 「あなた赦して下さい。 今までは、あなたにどなられる度に、
つらい、つらい、と思ってきましたが、あなたが今度帰ってからは何もおっしゃらないのに、
私が間違っていたことに気づきました」 と泣いたのである。
「どうしたの」 と聞くと、
「愛する妻をどなりたい夫は世の中にいる筈がないのに、私が至らなくて
あなたに不満を感じさせ、その不満のためにいらいらして私をどなったのでしょう。
どならなかったあなたの気持こそ、どんなに辛かったでしょうに。
どうか今までのことは赦して下さい」 と泣くのでした。
私こそ 「そのうちに妻に今までの横暴を詫びよう」 と思っていたのが、
又しても妻に先を越されたのです。 しかし何という快い負けだった事か。
「いや今までの一切は僕が悪かったのだ」 と言い切れた時の嬉しさ。
やはり自分が中心だったのだ。
「自分が変れば一切が変る」 とは何と偉大な真理であろうか ― 。
生長の家立教の使命である人類光明化運動も、いよいよ第2次3ヵ年計画に入った
のであるが、その人類光明化運動指針の 「第4条」 に示されているのが、
『一切は自分の責任の自覚』 であって、この自覚の発動こそ、
真に人間神の子の生活であったのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ce21dcc72404b413b7fde8e74390c681 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月3日 頓首再拝>
憲法第14条の問題点 - 伝統
2015/10/05 (Mon) 17:54:07
社会的身分 ― “平等”と“混沌”とを混同してはならない、 憲法第14条の問題点
*『白鳩』誌(昭和39年12月号 72 ~ 74頁)より
現行の日本国憲法第14条には
「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係に於いて、差別されない」 とありますが、
「法の下に平等である」 ということを、あらゆる ‘人間関係に於いて平等である’
という風に解釈されているらしく
〈注:法の下に平等とは、大人でも小児でも泥坊をしたものは、同じように平等に
法律によって裁かれるという意味で、大人も小児も同じ身の丈の着物をきせるような
取扱いせよということでもない。 それなのに〉
学校の先生も、生徒も平等の権利を主張し、両親も子供も、
兄姉も弟妹も平等の権利を主張して、長幼の序も師弟の宜もへちまもない現状であります。
だいたい 「平等」 ということを 「混沌」 と同意に解しているらしいのであって、
「平等」 は秩序の一形式であるけれども、「混沌」 は味噌も糞も一緒クタの
無秩序のことを言うのであります。
先日、戸塚文子さんは、日経新聞で、戦後の先生と生徒の関係を
次のように描写して、嘆いておられるのでありました。
「戦後の先生がたは、人間味豊かになられた。 それはいい。
生徒の心の中に、はいりこんで、親しみ深く指導されようと、努力していらっしゃる。
その方針も、悪くない。
だが、友だちみたいに、なれ親しむ度が過ぎるあまり、
生徒の線まで、下落なすっては困るのである。
平たくいえば、親しまれてもナメられるな、ということだ、
まして、生徒やPTAの人気を気にして迎合なさるようでは大困りだ。
いわんや、手におえなくなった生徒をこわがって、おっかなびっくり、へっぴりごしで、
おつき合いになるのでは、もはや教育とはいえなかろう」
このような状態が大多数の、“平等” と “混沌” とを穿きちがえた
日本の教師と生徒との関係なのであります。
前掲の憲法第14条にある 「社会的身分により ・・・ 差別されない」 とある
「社会的身分」 という人間関係は、教師と生徒 ― 師弟の関係をも含んでいるように
見えるのであります。
だから先生も生徒も同一の権利をもっていて差別されないというように解釈されます。
師弟の関係だけではなく、親子関係に於いても、これを社会的‘身分’によって
差別されないという風に解釈されているらしいのであります。
社会的身分というのは、親子関係、夫婦関係などが含まれているのである。
だから 「身分証明書」 というのを役場から貰うと、
そのような関係のことが書いてあるのであります。
それだから親も子も差別がない平等の権利があるというので、
最近では、両親が子供に対してビクビクしている。
親が、「これは善事である」 「これは道徳的である」 と思っても
それを子供に対して強制することができない。
親が肉食をいやがっても、娘が牛肉を買って来て平気で食べても
それをやめさせる権利を親はもっていない。
親は始終、食卓で腹を立てているので、彼は始終胃が悪いというような家庭もあります。
「手におえなくなった子供を、おっかなびっくり、へっぴり腰でおつき合いを」
子供にねがっているのは、教師ばかりでなく、両親も同様のように見えるのであります。
これだから青少年に非行者が続々あらわれても致し方がない訳です。
彼等は 「平等」 と 「混沌」 とを間違えているのであります。
頭も、口唇も、肛門も、一列の平面に置きならべて、それを平等だと考え、
「口が物を食うなら、俺だって平等の権利があるから、肛門にも物を食わせろ!!」
というのに似ています。
これは 「混沌」 であって 「平等」 ではないのであります。
しかしそのような間違った解釈がでて来るのは
日本国憲法第14条の条文がわるいからであります。
本当の平等ということは、「平等即差別」 「差別即平等」 ということがわからないと、
本当には理解できないものであります。
平等ということは 「人間」 の実相はすべて “神の子” であり、
仏教的表現をもってすれば、「一切衆生悉く仏性あり」 ということです。
みんな平等に仏性を宿すのである。
しかも柳は緑、花は紅、それぞれの天分にしたがって差別があり、
これは “生け花” にでも活けるならば、天地人おのおの位置を異にすることによって
全体に統一的美があらわれる、これが真の “処を得せしめる平等” なのであります。
美が其処にあらわれるということは、そこに生命が生き生きとあらわれたということであり、
更に宗教的にいうならば其処に神があらわれたということである。
これが 「本当の平等」 であって 「差別されながらに平等」 であり、
「平等そのままに差別がある」 のであります。
ところが現代の多くの人々には、それがわからないで 「平等、平等」 と権利を主張して、
“秩序” を破壊し、“混沌” の世界に逆戻りすることを民主主義の生活だと、
青少年も、先生も、子供も生徒も学生も考えているから、
国内にいつも混乱と争闘とがみちみちているのであります。
この擾乱を基本的にバックしているのが現行の日本国憲法であります。
これでは 「日本は何処へ行く?」 と嘆かずにはいられないのであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/267250df99685ecaeea808ce7d01576a からの転写)
<感謝合掌 平成27年10月5日 頓首再拝>
聞・思・修 ― 実相の水を汲み出すために - 夕刻版
2015/10/07 (Wed) 19:17:45
*『こころの姿勢』田中忠雄・著 より
~ 日本教文社編輯局長 田中 忠雄
井戸の水を汲みだす手押しポンプ。 あれは実におもしろいものである。
使わないで、ながくほうっておくと、いくら押しても水は一滴も出なくなる。
接続がうまくいかなくなるらしいのである。
一家をあげて避暑などに行って帰宅すると、ポンプはまるで手ごたえがなく、
すかし屁のように、音も立てなくなっている。
私も、ずっと以前にそんな経験をしたことがある。
ポンプをいくら押しても手ごたえがなく、一滴の水も出てこないと、愚者は小首をかしげる。
はてな、井戸の底に水は全くなくなったのではないかと。
しかし、水がなくては一日も暮してはゆけない。
愚者は深刻な顔をして迷いだすのである。
賢者は、井戸の底に水が豊かにあることを信ずる。
それは、むろん、さわって確かめるわけにはいかないし、目でのぞいて見ることもできない。
けれども、水は必ず井戸の底にあると信ずるのだ。
その豊かにある水が出なくなったのは、接続がわるくなったからである。
では、どうしたら接続を具合をよくすることができるか。
賢者は、こんなふうに考える。
“よび水” をする必要がある。 バケツを持って隣りの家へ行く。
「ごめんください、ながらく家をあけて何かと御迷惑をかけました。
うちのポンプがながらく使わないうちに、だめになっていますので、すみませんが、
バケツに一ぱい水をいただけないでしょうか」
「それは、それは、さぞおこまりでしょう。 おやすい御用です。
さ、いくらでも持って行ってください」
このようにして、“よび水” をバケツに一ぱい貰ってくるのである。
隣りの家というものは、実にありがたいものだ。
こういう場合に、‘自力’だの‘他力’だのという詮議はいらぬことである。
バケツを持って出かけて行き、それに水を入れて自分の家に運ぶのは‘自力’である
ともいえるが、その水は隣りの人にもらったのであるから‘他力’でもある。
しかし、隣りの家の人が、こころよく水をくれるのは、
かねてこちらがそれだけの交際をしていたからでもある。
平生仇敵のように睨みあっている仲であったら、とても水を貰いには行けないのだ。
そうすると、どこまでが‘自力’で、どこまでが‘他力’ということはない。
どうでも‘自力’でいくのだ、
人のおかげにはならぬと、かたくなに頑張ったら、水は一滴も飲まずにいなければならない。
そうかたくなにならずに、困ったら隣りに行って、“もらい水” をするがよい。
『聞・思・修』 (もん・し・しゅう) ということがある。
その第1番目の 『聞』 というのは、行きつまったときに助けを求めて、
然るべき人に真実の法を聴聞することである。 人の話を聞くのが 『聞』 であるが、
書物を読むのもやはり、広い意味で 『聞』 である。
ポンプがだめになっているときに、“よび水” を貰うのは、この 『聞』 にあたるわけだ。
その “よび水” は清純でなければならない。
赤痢やコレラなどのバイキンがいたら、大へんである。
そんなひどい水でなくて、単に泥でよごれた水でも、あとで非常に苦労しなければならなくなる。
道元禅師は 「正師を得ざれば学ばざるに如かず」 と断言された。
これは思い切った表現で、正しい師にめぐりあわないなら、
むしろ学問などはしない方がましだといわれたのである。
正しい師の法を聞き、清純な水を貰うべきである。
この頃学問する人は、正師を得ざれば学ばざるに如かずということを知らないで、
ただやたらに先生の講義を聞けばよいと思っている。
そこで赤いバイキンのうようよしている水を何ばいも貰ってきて、
それを自分のみならず、社会にもばらまくのである。
学問したばかりに、みずから大へんな破壊的有毒物になってしまうのだ。
そこで、同じ隣りでも、近いだけが能ではない。
少々遠くても、清純な水の持主のところへ行って水を貰うのがよいのである。
バケツに一ぱいもらった清純な水を、「これはすばらしい」 といって、
すぐに飲んでしまうのは、これまた愚者のすることである。
飯を炊くために、またもや水を貰いに行かねばならなくなるのだ。
賢者は、バケツの水をポンプの中に流し入れて、じゅっとしみ込ませるのである。
それが 聞・思・修 の 『思』 にあたる。
法を聞いただけではいけない。
それは、貰った水を直ぐに飲んでしまうようなものだ。
その場では、やれ助かったと思うけれども、また直ぐ行きつまってしまう。
聞いた法を自分の内奥に、じゅっと浸みこませる。
それが 『思』 である。
よくよく思って反省し、心の内奥に深く受持するのである。
まず清純な水をもらってくる。 そうして、それを、じゅっとしみ込ませる。
このしみ込ませる作用がないと、自分のものにはならない。
貰い水は、あくまで貰い水で、いううなれば借りものである。
その借りものを自分のものにするには、つまびらかに思惟し反省して、
自己の毛細血管のなかまで滲透させねばならない。
借りものを借りもののままに、ほっておく人が多い。
師の言葉の口まねばかりしている人がある。
聞・思・修 の 『聞』 だけはどうやらできても、
やれ助かったというだけでは、『思』 が不十分だ。
既成宗教というものは、おおむね 『聞』 だけがあって、『思』 が不足している。
法を聞いて、それを暗誦するほどよく努めるが、その意味を噛みしめてみようとはしない。
口まねをするだけでは、せっかく聞いた法が素通りしてしまう。
聞いたら、それを思うて、自己の身心にしみ込ませねばならない。
貰ってきた水は、ポンプの中にそそぎ入れて、しみ込ませねばならない。
さて、一たんそそぎ入れて、十分しみ込ませたら、
時を移さず、ポンプの柄をせっせと押さなくてはならない。
骨身を惜しまず、何度も何度も押さなくてはならない。
それが 『修』 である。
法を聞いて、深くこれを思う。
もらい水をして、これをポンプに浸みこませる。
そこまでは立派にやっていながら、ポンプを柄を動かさない人がある。
いますぐ動かさなくても、いずれそのうち動かしたらよいだろうと考える人もある。
それは実に惜しいことである。
せっかく、『聞思』 したのに、最後の仕上げの 『修』 を怠って、
ついに水を汲みだすことができないのだ。
あわれむべきことである。
『修』 とは、この父母所生の身をめぐらして、行ずることである。
法を聞いて、これを心の底に浸みこませたら時を移さず直ちに行じなくてはならない。
その機を逸すると、あとでいくら苦労しても、その甲斐はないのである。
ポンプは依然として、すかし屁のように空しく、いくら努力しても水は出てこない。
道元禅師の口調でいうと、次のようなことになる。
すなわち、法を聞き心に菩提心を発したならば、万事を放下して法を行ずべきである。
生活を安定させて然るのちに ・・・ などという思いが少しでもあれば、
それはもう絶対にものにはならない。
第一、わが身は無常にしていつ消えるかわからないものである。
幸いに受け難い人身を得てこの世に生まれたのに、空しく時を過して、
一切の条件が整うのを待って、然る後などと思うのは、根本的にまちがっている。
そんなことでは、百年待っても条件が整うものではない。
道元禅師は、「然る後」 というのが一番いけないと言われた。
即今、只今、時を移さずでなければならない。
今直ちにポンプの柄を押すのである。
一たん押したら、それをつづけて押さねばならない。
一度や二度押して、しばらく休止し、それから思いだしたようにまた始める
というふうでは、残念ながら水は出てこない。
何度も何度もポンプの柄を押しつづけるのだ。
これを “行持” という。
行を持続するので行持というのである。
みずから行持しないでいることを棚にあげて、水が少しも出ませんと言って嘆く人がいる。
そんな人は、やがて井戸の底に水のあることまで疑うようになる。
そうすると、今まで聞いた法も、深く思うた法も、
みんなうそであったかもしれぬということになる。
つまり 『修』 がないと 『聞』 も 『思』 も共にくずれ去ってしまうのである。
そこで、もう一度、おさらいをしておくと、
まず正師の話や書物を通じて清純な水をもらってくる。
そうしてその “もらい水” を自分の身心に浸みこませる。
浸みこませたら、すぐに自己の身心を揚げて行じ、その行を行持する。
これで 『聞・思・修』 の三つが完全に揃ったことになる。
そうすると、必ず手ごたえがある。
手ごたえがあるなと感じた瞬間に、水がじゃあと出てくる。
このじゃあと出てくる水は、もう貰い水ではない。
借りものでもない。
まぎれもなく自家の井戸の底から湧き出たものだ。
自己の内奥から湧き出たものだ。
これを 「真如法性の水」 という。
「実相の水」 というてもよい。
もし、そんな水はほしくないと思う人があるなら、「幸福の水」 といいなおしてもよい。
実相の水は、深い井戸の底に豊かにあるが、
手でさわられるような 「物の水」 ではないし、
目で見られるような 「形の水」 でもない。
だから、罪業深い愚者はこれを疑ってさまよい、右往左往するのである。
その愚者の疑いをふり切るには、清水の舞台からとびおりるほどの決心が必要である。
この決心を 『信』 という。
『聞・思・修』 の三つの働きをつないで一つにするところのものは、
じつにこの 『信』 である。
よく “教・行・信・証” というが、それは‘教’えを聞き、深く思うて、
これを‘行’ずるについては‘信’をもって貫く、
そうすれば‘証’すなわち悟りが得られるという意味である。
実相の水が出てくるという意味である。
実相の水とポンプとの接触がよくなりすれば、その水はいくらでも出てくる。
必要に応じて、コップ一ぱいでも、四斗樽に十ぱいでも出てくる。
まことに自由自在である。
誰にたいしても遠慮や気がねをするには及ばない。
困った人が貰いにきたら、この原理をよく説明してやる。
人に乞われるままに、バケツに水を満たしてやるだけでは慈悲心において不十分である。
この水の処方を深切に教えてあげるのだ。
この水は、“よび水” だから“よび水”としてお使いにならないといけません。
まずポンプに浸みこませるのですよ。
浸みこませたままで、ぼんやりしていてはいけません。
あなた自身の手でポンプを動かさなくてはなりません。
一度や二度動かしても水は出ません。
そのとき疑いの念がおこってもやめてはいけません。
水は井戸の底にあるのですから、何度も続けて動かすのですよ。 ――
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/41bee3022cfa6c09ccb0c4ac71bea52f より転写)
<感謝合掌 平成27年10月7日 頓首再拝>
吾が國體を生命的に把握せよ - 伝統
2015/10/09 (Fri) 19:55:05
*『行』(昭和16年10月号 19頁)より
生長の家は國體原理を明かにし、
天皇の絶対神聖性を炳(あきら)かにする団体であります。
帝國憲法にありまする 天皇は神聖にして侵すべからずと云う
其の「神聖」と云う意義も、まだわかっている人が少ないのは残念であります。
その「神聖」という語(ことば)の意味を、
只‘神聖なる機関’として置いてあるのだというような考えが
今までの日本に相当弘まっていたのであります。
美濃部達吉博士が大学の講座で、そういう学説をずっと弘げておったのです。
それにかぶれた人たちが政治を致しますと、
それはいつの間にか幕府政治見たいなものになって来るのであります。
だから日本は本当の政治に帰らなくてはならない
― それは、形態の上のみではありません。
信念の上から、生命的に 天皇の絶対神聖性を把握しなければならないのであります。
天皇は宇宙の大神として絶対の方であられるという此の実相を把握申上げなかったならば、
形態の上からは幕府政治でなくとも、精神の上から、信念の上から、内容の上から
幕府政治というものになって来るのであります。
そう云う上から生長の家が国家へ貢献している立場は、北畠親房が神皇正統記を書き、
頼山陽が日本外史を書き、吉田松陰が松下村塾を経営したと云うのと同じ立場であります。
幾多の忠烈無比な将兵が生長の家から輩出してまいりました。
その第一線に於ける活躍振りを纂(あつ)めたのが 『戦線消息』 であります。
まだお読みにならない方は是非とも読んで貰いたい。
一字一句の訂正なしに血のにじみ出るような活躍が、
その第一線からの本人の消息の上に浮かび上っているのであります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/90a97aabfefae9ec6e99d7928f75df08 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月9日 頓首再拝>
行 = 徹底感謝 である - 伝統
2015/10/11 (Sun) 19:09:41
生長の家信濃練成部長 藤 原 敏 之
生長の家に限らず、宗教はすべて哲学でありますが、
生長の家の教えを 『生命の實相』哲学 と呼ばれ、また仏教を仏教哲学と申しまして、
いずれも最高の哲学なのであります。
一般にいう哲学とちがう所は、学問としての哲学はただ考えるだけの哲学であります。
宗教としての哲学は実践哲学といいまして、“行” が伴い、実行してみて結論を出す
というところがちがうのであります。
いわゆる哲学者というのは大抵行きつまりますが、
正しい宗教哲学では一つ一つ一所懸命やってみて、
その結果をみて正しいか間違っているかを確めてゆく方法なのであります。
生長の家の信徒でも、絶えず考えてばかりいて、
現象に現れた結果だけをみては苦にしたり、恐れたり、心配しているのでは
信仰生活者ではなく哲学者になっているだけで信者ではないことになります。
知るだけで救われるのであれば、ことは簡単でありますが、
なかなかそうはいかないのであります。
私達の上に起ってくる出来事は、現実なのであります。
たとえ現象にせよ、事実は事実なのでありますから、
考えただけで解決しようとすることには根本的な誤りがあるわけです。
今現実に腹がへってどうにもならないとき、
どんなに上手に考えてみても空いたお腹は満たされないでしょう。
空いたお腹を満たす方法は食べる以外に方法がないのと同じように、
宗教哲学ではこの実践が欠かすことの出来ない条件なのであります。
行ずる以外にないということをまず気づかなければなりません。
ただし、この条件を救われるための条件であると思い違いしてはならないことであります。
宗教の救いが形や条件でないことは、既に述べましたが、
ここでいう “行” とは救いの根本条件としての行ではなく、
現象に執われ、現象の問題を何とかしようと焦り、努力している人にとってだけ必要なのであり、
現象界には現象界の法則がありますから、その現象処理の方法として必要なのであります。
このことを仏教でも生長の家でも、方便とお教え頂いております。
この真実 〈真理〉 と方便とを明らかに区別することが最も大切なことなのであります。
この行としての努力は、例えば目をつぶって暗いといっている人には、
何とかして目を開いてもらわないことには明るくする方法がないでしょう。
そのときにはどうしても順序として本当は暗くないことを納得してもらい、
次に暗いのはあなたが目を閉じて光を見ないからであると
気づかせる 〈自覚〉 ことであります。
次に目を開かせる方法を示して、その通りに実行して目を開いてもらうことによって、
本来の明るさに戻るのであります。
これと同じように宗教でいう“行”とは、
この最後のどうして目を開かせるかという方法でありまして、
もともと暗いものを明るくすることではないのであります。
実相は常に明るいのでありますから、その間違いに気づき、
どうしなくても既に明るいのでありますから、本来の明るさを現せばよいわけであります。
これを方便といいます。
“行”が救いの条件となると、実は根本がまた間違って来ますので、
充分注意しなければならないのであります。
方便をそのまま真理だと解釈することは大変な間違いであります。
宗教において、また特に生長の家の御教で一番大切なことは、
実相と現象の区別をハッキリすることであり、真理と方便とをわけて考えることであります。
この二つが混同されますと、残念ながら混乱するばかりで、
本当の悟りにも救いにもならないのであります。
長い間、御教えを頂きながら、救われたような救われないような状態で
フラフラしているといわれる方々のお話をきいてみると、大抵この一番肝腎なところが、
今一つハッキリしていない方々であり、このことが極めて大事なところであります。
生長の家では “三行” として、次の三つの行を根本的な行として、お示し頂いております。
すなわち、『神想観』 『聖経・聖典読誦』 次に 『愛行』 の三つであります。
これが基本行であるわけでありますが、この三行がなぜ大切であるかと申しますと、
私たちが神につながり、神を顕わす上の根本行だからであります。
神様は実相であり、私達は現象界に生活しております。
そこで実相世界に神様の万ずの御徳は既に充ち満ちており、
無限に供給せられているわけであります。
ただし小切手のようなものでありまして、現金ではないわけであります。
小切手のままでは現金ではありませんから、
いったんその小切手を現金に換えないことには通貨としての価値がないのであります。
そこで現金と同じ価値のある小切手を、通貨としての現金に換える手続きが必要となります。
そのお金に換える手続き方法が、先の “三行” であります。
生長の家でお教えを頂く“行”も、悪いものを善くしたり、
無いものを造り出すためのものではないのであります。
既にあるところのもの 〈実相〉 を形に現すための方法なのであります。
ですから、“行”が大切であるときけば、すぐに“行”に執われ、引かかって、
“行”にしばられて、身動き出来ない程不自由になって苦しんでいる人は、
この肝腎の“行”の本質すなわち行の目的と内容を明らかにすることが、
また大切なのであります。
この第一の神想観は“三行”の中で最も大切な“根本行”なのであります。
この“観行”こそは、神を顕わす唯一の方法でありまして、
この“行”抜きにして神を把握することは絶対に出来ないことであります。
神様は先にも述べた通り、姿も形も色も臭いもなく、全く空の中に
円満具足していらっしゃる存在でありまして、捉え所が全然ないわけでありますから、
神につながり、神を観るのは、想う以外、他に方法がないのであります。
仏教でも念仏といって、仏を想う以外にないと教えています。
この神想観とは書いて字の通り、神を想い観ると示されております。
もっとハッキリいいますと、神様以外のものは絶対に思いません、みません、
ということなのであります。
生長の家の 「唯神実相論」 をそのまま生活することであり、実現することでありますから、
本当の神想観は、自我滅却であり、無我であります。
“私”がやる神想観では形は神想観でありますが、
中身は神想観でなくて、神以外のものを想い観ていることになります。
例えば病気のことを心配しながら、「神様どうかこの病気を治して頂きとうございます」
と心に想いながら、神想観の格好をしているときは、
神想観の格好をした病想観になるのであります。
第二の聖経の読誦でも、何か目的をもって読んでおりますと、
残念ながら聖なる“行”ではなくなります。
自分が満足を得るために、神様の御機嫌とりのつもりで
聖経をどんなに上手によんでも聖なる“行”とはなりません。
自分の都合という混じりものが入っておりますから、純粋ではなく、
心の底にはやはり神様を利用しようという浅ましい根性がまじっておりますから、
一所懸命やりながらすっきりするどころか逆に不安が伴うのであります。
目的があるとどうしても「これでよいのか」という心配があり、
効果や結果ばかり気になるのであります。
このような神想観や聖経読誦は“楽行”ではなく“苦行”となります。
生長の家では苦行があってはならないのであります。
生長の家は光明思想であり、悪や不完全を徹底的に否定した教えでありますから、
苦行などあるはずはなく、あるのは“楽行”だけであります。
谷口雅春先生が私たちに常にお教え頂きますことは
「生長の家の行は他力の行でありますよ」 とお示し頂くことであります。
このことを肝に銘じて再出発することこそは救いの根本義でもあります。
“他力の行”とはどんなことであるかと申しますと、“徹底感謝”ということであり、
感謝以外のものは形がどんなに立派でも生長の家の“行”ではなくなるのであります。
“行”の目的が現象処理になり、現象否定どころか現象を認めて取りのぞくための
努力や方法となりますと、あるものをなくしようとすることになり、
正しい方便ではなくなるのであります。
正しい方便とはあくまでもないものをなくするためのものであります。
もともと夢はないのでありますが、見ている最中はあると思いこんで、
恐れたり苦しんだりしますけれども、夢はないのでありますから、
ない夢をなくするには目を覚ませばよいわけであります。
夢の中で起っている苦しい事件を、夢の中でどうしてなくしようかと
もがいているのとは全然ちがうのであります。
“他力行” とはすなわち “感謝行” ということなのであります。
既に救われてあり、既に完全であることに感謝することこそ、
生長の家の“行”であります。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/7b2f5e8330a0c99af0932863766adf96 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月11日 頓首再拝>
『天地一切のものと和解せよ』 という意味 ― 杉浦慶一講師の誤り - 伝統
2015/10/13 (Tue) 20:02:40
*Web:『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-05-01)より
生長の家の初期時代に活躍した講師で 杉浦慶一君 という人があった。
賀川豊彦氏 に師事していて浜松市に、共同組合などを作って民衆の日常必需品の配給を
安価にする試みをやりつつ、自宅を日曜学校として子供にキリストの愛の精神を
植えつけていたまことに敬虔なクリスチャンであった。
彼は 『生命の實相』 を読んで非常に共鳴して、
生長の家の第1回講習会に受講すべくやって来て、次のような体験談をのべたのであった。
「日曜学校を経営している自分の自宅に家ダニが発生して、それが日曜学校に集ってくる
子供たちについて螫すものだから、子供が痒い痒いというので、消毒薬で殺虫するのは
殺生で可哀相であるから、『生命の實相』 の本に書いてある原理にしたがって、
家ダニに和解し、家ダニを拝んでやろうと思って、私は家ダニを拝んで次のように念じたのです。
“家ダニさん、家ダニさん、あなたも何らかの使命があって地上に生まれて来たのですから、
別に私はあなたを殺そうとは思いません。 しかしあなたが、処かまわず、吾々人間の住む世界
を侵されるのでは、子供が痒がって仕方がありませんから、出て往って頂きたい。
しかしあなたも住む所がなかったらお困りでしょうから、この4畳半の部屋だけは、
あなたの住む世界として貸してあげますから、この4畳半だけに住んで下さい。
そして、この部屋の外へ出ないようにして下さい”
このように念じましたら、何万という家ダニがぞろぞろと集団移動をはじめて、
指定された4畳半の部屋だけに集って、他の部屋にはいなくなり、子供も家ダニに
螫されなくなりました。 生命体というものは、皆、神のいのちが宿っているから、
心が互に通い合うものであります」
この話は、まことに 『生命の實相』 の真理の具体化として、真理を実証するものとして、
私は非常に共鳴感動をした。 それで私は杉浦君に、
「君、生長の家に来て本部の講師にならないか」 といった。
「先生が本部講師になれと被仰るのなら何時でも上京します」 と杉浦君は即座にこたえて、
私の住む“お山”の下の環状道路を隔てたところに貸家があったので、
そこへ引越して来たのであった。
当時、杉浦慶一君 と 吉田國太郎君 とは真理の理解に深い青年講師として
各地で悦ばれ迎えられていた。
ある年のこと、横浜市の記念館で私の講演会がひらかれて、
杉浦慶一君が前座に立って講演してくれた。
私はそれを演壇の横の席から聴いていたのであるが、
杉浦君は “病気の非存在” を説いて結核菌など決して恐るるに足りないことを
聴衆にわからせようとして次のようなことをいったのである。
「すべての生物は、内に神の生命が宿り、神によって生かされいるから、
互に兄弟姉妹であってバイキンといえども、吾々を、本来害するものではないのである。
それなのに、かれ等を害するものであると恐怖して、敵として立ち向かうから、
彼らは敵としてあらわれ、ついに吾々を害する病菌となってしまう。
私などは結核菌とも和解していて、兄弟姉妹だと思うから少しも恐しくない。
吾々の肺臓は左が2室、右が3室、合計5室もあるアパートみたいなものだ、
だから私は結核菌よ、もう3室ぐらいは空間があるから、君たち、来たかったら
何時でも来て住みなさいと結核菌に呼びかけている」
私はそれを聴きながら、これは間違った、考え方で、
本人を呼んで訂正しなければ危険なことになると思った。
何故なら、 『天地一切のものと和解せよ』 とは
味噌も糞も、“そのあるべき場” を混同して一緒クタにすることではないからである。
天地一切のものと和解するとは、あるべきものが、あるべき位置に配置され、
互に犯し合う事なく調和した姿で仲良く各自個性を発揮しながら、
その個性が他から侵害されることなく、生かし合いの関係になる事なのである。
人間には人間の生きる“場”があり、結核菌には結核菌の生きる“場”がある。
人間の生きる“場”に病菌の生きる“場”を与えることは、
これは和解ではなくて侵害なのである。
人間が結核菌 〈その他を病菌を含む〉 に対して抵抗を示すのは、
自己の個性的存在を守るための 「拒絶反応」 の一種なのである。
「拒絶反応」 を生命体が失ったとき、生命体として存在するための条件である
全身の生理作用を統制する意識の統一がなくなるのである。
つまり多数意識の共存ということになり、
脳髄の中枢意識の統制に従わない細胞が出て来て生理作用が撹き乱される。
そして癌細胞や、癌腫、肉腫等の発生となり、ある部分に潰瘍を生じたり、
中枢神経の統制に服しないで勝手に手脚が動き出すところの舞踏病の如き症状が
起って来るのである。
私は杉浦慶一君に、 「結核菌に肺臓への侵入を招待するようなことをいってはいけない。
それは人体の拒絶反応を自己放棄することになるから」 と注意しようと思ったが、
演壇をおりた杉浦君は直ぐ次の講演場所へ駆けつけるために自動車に乗って姿を消した。
私は、すぐ演壇に立って講話することになっていたので、私と杉浦君は、
その後久しく逢う機会がなくて、その問題も私の意識の表面から忘れさられてしまっていた。
ところが、その後、杉浦君は結核菌が、彼自身が招待した通り、
彼の肺臓の3分の2位の範囲に移転して住みつくことになり、
重症の胸部疾患に罹って死んでしまったのであった。
日本国家が統一意識を備えた生命体として存続して行くためには、
日本国家の個性に反する「意識」の侵入を拒絶しなければならないのである。
即ち、日本国家の個性ある精神形態を破壊する如き思想の侵入及びかくの如き教育を
行っては、国家は国民の意識統一を失い、舞踏病的状態に陥り、生命体として
完全なる機能を果すことができなくなるのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/c6bf1f6149e9f804ae17d494f3e15d79 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月13日 頓首再拝>
根の願い - 伝統
2015/10/15 (Thu) 19:24:45
*『光の泉』(諸輪59年7月号)より
~ 生長の家高知教区教化部長 金 戸 榮
『飾りなき根の「願い」にて花が咲く』
何と深い感動的な響きある言葉でしょう。
姿形を人前に現さない根、自らを美しく飾ろうとしない。
しかも大きな「願い」をもって黙々と働き続けて下さっている。
その「願い」によって一切の生物は処を得て生かされています。
あるものは花と咲き人々に愛され讃えられ、
又或るものは樹木と呼ばれ鑚仰されています。
私達の住む世界は根との関わりなくして生きることも、
咲くこともありえないものだとしみじみ思われます。
自力の奥に否定することの出来ない絶対他力の世界があり、
神と讃え仏と称ばせていただいて、その加護と導きにより魂の安住をえているようです。
一遍上人のお言葉に
―― 念仏の行者は智恵をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、
貴賎高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願う心をも捨て、
又諸宗の悟りをも捨て、一切の事を捨て、申す念仏こそ、弥陀超世の本願に最もかない候え
―― とあります。
信仰とはまさに全托の行であり、天地に充ち満ちている無限の恩恵を
素直に有難いと受ける没我の哲学でもあります。
求めずして既に整った世界に心の波を合わすことが誦行念仏で
心が澄み切り安らぎの極に達し、無限の力が湧き出てくると教えられております。
先日、仏教詩人坂村真民先生の次の句に出合いました。
今も心の中に感動の血が駆け巡っておりますので謹んで紹介させていただきます。
『守られて生きる』
(1)
みんな眠っているが
家の上には
星々が光り輝き
家のまわりには
こおろぎたちが
一晩中鳴いている
(2)
守られて眠っていることを
知って下さい
こんなにも美しく
星々が光り輝き
こんなにも優しく
虫たちが鳴いているのです
私はこの句に出合ってからは夜が勿体なく、今迄以上に手を合わす時も長くなりました。
又、朝の目覚めに御仏のお招きを感ずる日々とならせていただきました。
私の家の周囲は広々とした田園で、去年は蛙たちが夜を通して鳴き続けておりました。
私の悟道の未熟から、蛙に暖かく見守られ、夜を徹して吾がいのちを讃ええてくれる
御仏の声とも識らず、それを騒々しく、やかましいと感じて、
“ボヤ”いていた恥かしい自分でした。
今年からは、吾を愛し給う御仏の声の洗礼として、
心から感謝して受けさせていただこうと楽しみにしております。
今は仏がいましても念仏がなく、神が在しましても神想観を行ずる人がごく僅かのようです。
神、仏の愛と慈悲以外に本質に於いてない世界を
どうして自らを閉じて悪夢を見つづけているのでしょうか。
釈迦世尊が野を歩いておられると、花が喜びパッパッと咲いたと言われております。
人間神の子、仏の子絶対の世界に、“いのち”が立つと、
天地はその人を中心に動き出すと教えられております。
満天の星々も私達を見護り讃えてくれています。
大地の草花も、すべての生物も御仏の声を奏でながら生き生きと活動しております。
まさに皆喜、法悦の世界をここに見る思いです。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ea121d587b7e2f237a5f4dbdfd3ec091 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月15日 頓首再拝>
転法輪のはたらきが、日本国実相顕現のための生政連運動である - 伝統
2015/10/17 (Sat) 19:32:26
*『碧巖録解釋』(第十四則 雲門對一説) より
〔本則〕 擧す。 僧雲門に問ふ。 如何なるか是れ一代時教。 雲門云く、對一説。
〔頌〕 頌に云く。 對一説、太孤絶。 無孔の鐡鎚重ねて楔を下す。 閻浮樹下笑呵々。
昨夜驪龍角を拗折す。 別々。 韶陽老人一?(けつ)を得たり。
〔解釈〕
この則には垂示が欠けていて直に本則に入っている。
さて、或る僧が雲門和尚に「如何なるか是れ一代時教」と訊いた。
雲門はすかさず「對一説」と答えたというのである。
一代時教というのは釈迦尊一代84年間、35歳で成道せられた。
その間に360余会の大説法があったということであるが、
その一代360余会の説法をひっくるめて一代時教というのである。
これを細かく分ければ、五時八教と謂うことになる。
ひとくるめに釈尊一代の説法全部を茲で一言で言って見よと
或る僧が雲門和尚に食ってかかったのである。
大体、五時八教に釈尊の教を分ったにしても、
釈迦はそんなに幾種類もの異る教をお説きになったのではない。
だから一言にして言って見よと言って言えない筈はないのである。
併しながら、一つ同じ真理でも対機説法ということがあり、
人と場所と時とによって千変万化しなければならい。
そこで五時八教と分かれて来たのであるが、
さて然らば果して釈迦は、真理を誰に説いて来られたものであろうか。
釈迦が悟を開いたとき知った真理は
『有情非情同時成道、山川国土草木悉皆成仏』
ということであった。
有情(いきとしいけるもの)、非情(ありとしあるもの)、
同時にことごとく仏になっている、一人の迷える者もないというのが
釈尊の悟であるならば、釈迦は誰を悟らすために説法したのであろうか。
対機説法というのは、相手にいろいろ心境の差別があり、
悟の程度が異るからこその対機説法なのである。
若し、有情非情同時に成道してすべて仏になっていたならば
対機説法などということは不要なのではあるまいか。
釈迦が対機説法の必要を果して感じたのであるなら、
釈尊はすべての有情非情が既に仏になっていると見なかった事になり、
相手に『迷い』の存在をみとめていたことになる。
そして『観られる世界は観る人の心の世界である』という真理を標準として
結論して行くならば、釈迦がその観たる相手に『迷』の存在を見たのあったならば、
釈尊自身の心の中に尚『迷』が存在したのだということになる。
そして釈迦自身の心の中に尚『迷』が存在したならば、
釈迦自身がまだ悟っていなかったということになる。
そこで釈尊が果して悟っていたならば、
対機説法などということも五時八教などということもあり得ないのではあるまいか。
一体釈迦は誰のために五時八教を説法したのであろうか。
生長の家でも、時々これに類した質問が起ることがある。
門者曰く ― 『生長の家では迷は無いと説くが、
迷いが果してないならば説教の必要はないではないか』 と。
なかなか鋭い質問である。
釈迦一代時教は誰のために何を説いたかという難問と同巧異曲である。
答えて曰く ―
説法は相手の『迷』を見て説法してはならないのである。
相手の『迷』を見て説法しても本人の仏性は開顕するものではない。
『迷』を見れば『迷』が出て来るだけである。
『対機説法』などというものはあり得ないのである。
真理の充満せる世界に、真理の体験者が、真理の法輪を転ずるだけである。
説法とは斯くの如く荘厳極りなきものである。
『迷』なんて何処にもない。
ただ太陽は照る。
それが色々の夕映の色彩の変化に見えようとも、それは‘こちら’から
そう見えるだけであって、太陽はただ照っているのである。
説法というものは真理がそれみずからを実現するために、
ただひたすらに進軍しているに過ぎないのである。
真理は真理の世界に於て、ただ真理の法輪を転じているのみなのだ。
その転法輪のはたらきが、日本国の実相顕現のための生政連の運動となって
あらわれているのである。
真理が真理のために真理を真理する ― これが『対一説』である。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/d16a5379f1861ce2d9100007fac80da2 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月17日 頓首再拝>
勤皇の女流歌人 太田垣蓮月尼 - 伝統
2015/10/19 (Mon) 19:40:15
*『生長の家』(昭和62年8月号)より
~ 田 中 忠 雄
うつ人もうたるる人もこころせよ同じ御国の御民ならずや
戊辰の役に際し、薩長の軍隊が京都を出発しようとするとき、
二条大橋にひそんでいた一人の尼さんが現れ、
どうぞこれを総大将にお渡し下されと言って一枚の短冊を差し出した。
受け取ったのは尼さんの願い通り西郷隆盛だったといわれているが、
相手が西郷さんでは話があまりに都合よくできているので、
あるいは虚構(フィクション)だったという人もある。
短冊をさし出した尼さんは太田垣蓮月だった。
蓮月尼は勤皇の志士とも交際があり、西郷とも面識があったのである。
彼女は陰に陽に勤皇運動を助けたので、さもありなんと思われるふしがある。
梁川星巖、梅田雲濱、その他多くの志士たちと交流し、
その中に西郷南州もいたことはたしかである。
野村望東尼も蓮月尼の尊敬する勤皇の女性だった。
元治甲子禁門の変以後、薩摩と長州とは共に天をいただかずというほど
感情的に対立していた。
けれどもこの二大雄藩の連合がなければ、維新の回天は実現すべくもない。
その当時、心ある者は薩長の和解を深く祈念してやまなかった。
望東尼作の忘れ難い一首が大評判を捲き起したのも、
このような国民的な願いを背景にするとよくわかる。
当時の望東尼の歌は、蓮月尼の先駆で、蓮月尼に大きい影響を与えたにちがいない。
くれなゐの大和錦もいろいろの絲まじへてぞあやは織りける
蛤御門の戦に敗れ多くの同志の生命を失った長州の恨みは深かった。
高杉晋作が九州福岡の平尾山荘にある望東尼の家に身を隠しているとき、
彼女はこの一首を高杉に示したという。
高杉はこれを西郷側に伝えたともいう。
さてまた、弘化元年の冬には、翌年の春にアメリカの黒船がやってくるというので、
人心は上も下も喧喧囂囂として大騒ぎであった。
蓮月尼は黒船の影におびえる人心の動揺が最も心配だった。
ふりくとも春のあめりか閑かにて世のうるほひにならんとすらん
アメが降ってきても、春のアメリカは、のどかで、あわてるには及ばない。
その春雨は乾涸びた世の中に潤いをもたらしたいというのであろう。
騒ぎなさるな、お静かに、おちついて。
この一首、蓮月尼はその広い知識人、芸術家、学僧などとの交わりを通じて
世界情勢を知っており、港を開くことはさほど恐れるには及ばないという、
当時としては世間の水準を遥かに抜いた達観だという後世の解釈も成り立つであろう。
それをただのインテリの浅い楽観と見たら、
その楽観と見る後代こそは浅薄な傍観というよりほかはない。
その頃の作に 「世の中さわがしかりけるころ」 と詞書した一首があって、
世を憂える心情、国の危機を思って寝難い夜の心を歌っている。
夢の世とおもひすつれずむねに手をおきてねし夜の心地こそすれ
この一首は、歌としてすぐれている。
禅の坊主などには「夢」の一字を書き残して遷化した者が何人もいた。
豊臣秀吉でも臨終の床で 「浪花のことは夢のまた夢」 の一句を残した。
非常に正直で直情的なところのあるこの英雄だから、この句は人の胸を打つ。
けれどもこれは凡夫の悲しき情緒だ。
蓮月尼のこの一首は、夢の世を放下して実相の世界に入った人の作だ。
現今の坊主のように出家とは名のみで、
家も女房も子供もある身で出家の僧と自称している。
家にあって妻子と共にいる人が却って実相の世界に住しているという、
あべこべの時代相になった。
そう思ったうえで、蓮月尼のこの一首は。実によい歌だと思う。
戊辰の役に際し江戸へ討幕の軍を進めんとする西郷隆盛に歌一首を呈し、
「うつ人もうたるる人もこころせよ 同じ御国の御民ならずや」
と言った話は既に述べた。
西郷にはこれに感応する魂が既にあった。
江戸城無血のあけわたしは、この英傑の魂が、
同じく英傑勝海舟の魂と響き合ったのだと思われる。
その頃、岡崎の聖護院内の庵室にいた連月尼は、夜半に賊の侵入する気配に目がさめた。
大の男がいきなり 「金を出せ」 と大声を出した。
「金が欲しくて押し入ったのなら、おかどちがいよ。
ほかに何か気に入ったものがあったら何でも持って行きなさい」
ながい修行で鍛えてあるので、すこしもあわてなかった。
賊は衣類を全部取りだした。
そのあいだに彼女は賊に大風呂敷を与え、湯をわかして茶漬を出そうとしたら、
賊があわてて 「御馳走になる暇がありません」 という。
そんならとて、ありあわせの麦香煎 〈むぎこがし、はったい〉 を与えると、
腹がへっていたのであろう、うまそうにたいらげて立ち去った。
翌朝、村の人々がやってきて、「近くに行き倒れの大男が血を吐いて死んでいます。
背負った大風呂敷に蓮月さまの名がしるしてあります」 と報せた。
不思議に思って現場に行ってみると、たしかに昨夜の盗賊だった。
麦こがしは人の布施したものだったが、それに毒が混ぜてあることがわかって驚いた。
それ以上のことは何もわからなかったが、連月尼は自分が勤皇の志士たちと親しく
交流していることを知り、にがにがしく思った佐幕派の仕わざか、
あるいは幕府がそれを嗅ぎつけて、尼さんの処分に何か罪をきせる証拠がないことゆえ、
こうした腹黒いたくらみをしたのかも、と思った。
出家の身で、敵と対立して戦う両派のいずれかに味方することはない。
ただ日本の国に 「忠」 でなくてはならなかった。
それほどに驚天動地の時代だったのである。
偉大な画家で学者であった富岡鉄斎は、12歳のときから連月尼の弟子になって、
いつも親しく教えを受けた。 長ずるにつれて、鉄斎の身辺が幕府と佐幕の壮士たちと
睨まれてるようで、蓮月尼はこれを非常に気にしていた。
「鉄斎は学問を以て身を立てんとする人ならば、必ず必ず過激な行動をしてはならぬ」
といましめてもいた。
いつも閑静を愛して、何度となく住居を変えた。
最後に尊敬する和尚たちのすすめで、西加茂の神光院に移った。 こ
の幽邃な環境が彼女に最もふさわしかった。
俗事を退けたのは欲望と我意で争う場面に捲き込まれるのを避けたのであった。
心ある人々、志の清純な人々とは在家の人とも親しく交流した。
また蓮月焼を求めてくれる風流の人々、
また蓮月焼に必ずある彼女の歌の友とは心を開いて交わった。
あのように深刻な不幸が次々に押寄せてきたのに、
よくも真実の自己を見失わなかった信仰の人として私は頭を下げるのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/6b710ee47b1ad4a56ead860db35134ba より転写)
<感謝合掌 平成27年10月19日 頓首再拝>
軍備は国家の威厳である - 伝統
2015/10/21 (Wed) 19:06:17
*『真理』第9巻生活篇(P126~127)より
「予想する」と云うことは一種の「祈り」である。
不幸や災厄や戦争や病気を予想することは、
それらの不祥事を起るように祈っているのと同じことである。
「軍備は戦争を予想するから却って戦争を招く」 と主張する者もあるけれども、
「国家の威厳」 として軍備をととのえるとき、
「その威厳によって、決して他国は自国に侵略などしてくるものではない」 と云う信念が
湧いて来るならば、軍備は決して戦争を予想することにはならないのである。
軍備と云うものを、ただ戦うためのものだと考えることは間違いである。
軍備は女郎蜘蛛や毛虫が毒々しい色をしているために鳥類からの捕獲をまぬがれるのに似ている。
鳥類が昆虫をとろうと思えば、毒々しい色彩などは何ら防禦の実力はないのであるが、
それあるがために一種の威厳を備えていて、小鳥は此らの蜘蛛や毛虫には近寄ることを
敢てしないのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/cd6df5d2ddc66d92a7d8000394326741 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月21日 頓首再拝>
運命のケミカライゼーション - 伝統
2015/10/24 (Sat) 20:07:23
友人に真理を伝える自信と勇気がなかった ― 運命のケミカライゼーション
*『生長の家』(昭和62年12月)より
~生長の家山梨教区教化部長 高 倉 俊 治
「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」 ―
こんな書き出しで始まる 米人サムエル・ウルマンの詩 「青春」 が
熟年経営者の間で爆発的ブームを呼んでいるそうである。
「年を重ねただけで人は老いない。 理想を失う時に初めて老いが来る ・・・ 」
― 戦後の日本復興を経済的に賭けた経済人達の心を垣間見る思いである。
人にはそれぞれその人を支える「忘れられない言葉」がある。
私にとってその言葉は何であったのか?
自分を内部から突き動かしてきたものが何であるかわからないままに夢中で過した日々 ・・・ 。
それを明確に自覚し得たのはずっと後のことであった。
私は終戦の直前、熊本の片田舎で生まれた。
物心ついたときは、既に祖国は敗戦国であり、被占領国であった。
到る処に敗戦の傷跡は残り、貧しかった時代の映像は、
今もモノクロのトーンをもって眼前に浮かび上がってくる。
当時の日本は先ず復興のための経済発展こそが重要価値であり、それは誰疑うことなき善であった。
人々は唯働きに働いた。 経済発展の彼方にはバラ色の幸福が輝いていた ・・・ 。
「貧しかったが燃えていた ・・ !」 との数年前のある戦後を描いた
映画の宣伝コピーがその当時の雰囲気をよく言い表している。
ライカに伍して戦うキャノン、ニコンのカメラ、世界を席巻する日本製トランジスタラジオ、
イギリスを抜いて世界一となった造船日本 ―
そうしたニュースに接する度に私の胸は踊った。
いつしか私はエンジニアになることを志すに至っていた。
生長の家との出会いは高校1年の夏、阿蘇の麓で行われた高校練成に参加したのが初めであった。
それまでの私の人生観・世界観を根本的に覆す出来事であった。
それから、私の光明化運動に身を投じることとなった。
「心に強く描いたことは実現する!」 との「心の法則」は私を勇気づけてくれた。
大学も電子工学を専攻し、夢は大きく前進した。
70年安保の前の激しい学園紛争のさ中、私は大学を卒業し、
関西の急成長中のある電機会社に就職することになった。
その会社を選んだのは、同郷の社長の講演を聴き、「社会に貢献する企業ほど栄える」
との生長の家に似通った経営哲学に感銘したのがきっかけであった。
入社とともに私は京都の中央研究所の研究員として配属された。
こうして私の幼い頃からのエンジニアへの夢は実現したのである。
希望溢れる社会人としてスタートを切った。
ところが、しばらくすると何か満たされないものを感じるようになった。
70年安保改定期を目前にして社会は騒然とした革命前夜の雰囲気である。
特に左翼勢力の強い京都はゲバ棒や火炎瓶の飛び交う緊迫した情勢下にあった。
そうした社会の動きと無関係な仕事をしているだけでいいのだろうか?
どうしていいかわからないままに、私は読書に没頭した。
文学、歴史、評論等々手当り次第読み漁った。
そのうち学生時代に読んだ聖典を読みたくなり、 『生命の實相』 を読み返した。
その一巻の 「運命のケミカライゼーション」 の項が私の心をうった。
「運命にもケミカライゼーションということがあるがために、
われわれにとっては人生が非常におもしろくなるのであります。
運命にケミカライゼーションが起らねば、医者はいつまでも医者、看護婦はいつまでも看護婦、
会社員はいつまでも会社員、労働者はいつまでも労働者であって、
転換期というものに会うことができないのであります」
私に何かほかに使命があるとするならば、いつか運命のケミカライゼーション〈転機〉の時が
くるかもしれない。 今は、与えられたその場で全力を尽すことであるとその時決意した。
それ以来、私は地元で青年会活動に参加するようになった。
昭和45年春、大阪で万国博が開催されていた時、一つの事件が起こった。
日本航空 「よど号」 が赤軍派の学生達にハイジャックされ北朝鮮へ亡命した事件である。
犯人の氏名の中に 京大生「岡本武」 の名を見出したとき、私の衝動は大きかった。
紛れもない小学時代の親しかった級友の名前であった。
ところがそれだけでは終らなかった。
2年後、イスラエルのテルアビル空港で日本の赤軍派の学生3人が機関銃をぶっ放し、
罪もない乗客達90数名を死傷させる事件が起こった。
2人の学生はその場で自殺し、1人は生き残ったまま捕えられた。
実はそれが岡本武の2つ下の弟 「公三」 であった。
幼い頃、武、公三と連立って遊んだ日の公三の笑顔が浮かんだ。
どうしてもそうした残虐な事件の犯人とは結びつかなかった。
マスコミは揃って 「狂気の沙汰」 と形容した。 私にもそうとしか思えなかった。
数ヵ月後、彼の父親あての手記の内容が報道された。
それには、死を怖れぬ日本の精神風土についてふれ、彼らの死を賭けた世界同時革命への
決起に至る道を語り、最後に 「われわれ3人は死んだあと日本の冬空に輝くオリオンの
3つの星になるはずだった」 と結ばれていた。
私はこの手記を読んで涙が流れてしかたがなかった。
非常識の世界であるが彼は気が狂って訳ではない。
正気であった。
むしろ動機は純粋であったかもしれない。
では何が狂わせていたのか?
岡本兄弟のことを思い浮かべつつ、青年期に触れる思想の重要性を思うとともに、
反面彼らに真理を伝え得なかった自分を恥じていた。
武とは高校でも同級となりその機会はあったにもかかわらず、
当時の私には伝える自信と勇気が無かったのである。
その数年後、公三は日本のある週刊誌に獄中より手記を寄せた。
事件に至る経過を述べるとともに、獄中での心境を語っていた。
「私の毎日は、聖書を読むことにほとんどついやされる。 ・・・ もし私ども3人が、
今の私のような心境になっていたら、銃をとらなかっただろうし、
まして、人を殺すなどしなかったと思う。
・・・ 今はやはり、私も含めて彼らは間違っていたとハッキリいえる。
武器は2度と取るべきではない。 人を殺してはいけない。
私が神を信じていることで、ロッド事件の罪が消えるわけではない。
この罪は、生き残った私が、全身で受けとめて償わなければならない。
・・・ 私も、もし、もしもである。
世の中の人々が、私を許してくださる時がくるならば、
私がそうなれるかどうかわからないけれども、“神の掟で平坦な確固とした小径を歩む”
ことができればと思う毎日である」
本来の姿に戻り、罪を悔いる公三の姿があわれであり、
間違った理想・思想に導かれることの不幸を思い知らされた。
その事件以来、私は今までにも増して青年会活動に熱中するようになった。
とりわけ、青少年の育成活動に情熱注ぐようになっていた。
後になって気づいたことであるが、この事件との出会いが、
その後の私の進む道に大きな影響を与える結果となっていた。
当時の青年会中央部より、会社を辞め本部へこないかとの誘いを受けたのは、
入社より5年目の秋であった。 エンジニアになることしか考えていなかった私であったので、
とんでもないとその時はお断りをした。
しかし、1週間後、仕事中ふと以前読んだ
「運命のケミカライゼーション」 の言葉が脳裡に浮かんだ。
「そうだ、今が自分の転機かもしれない」 とそう思った。
『生命の實相』 生活篇 に 「決断とは何かを捨てることである」 とある。
私にとってそれは、エンジニアへの道を捨て、
専門とは全く関係ない道へ進む、大いなる冒険であった。
しかし、私にはそうすることが一番自然な道であると思えてならなかった。
決断するとともに故郷の実家へ帰った。 家族の中で生長の家でなかった、
今は亡き父、長兄の反対が気懸かりであった。
しかし 「お前の人生だ。 信ずる道を歩んだらよかろう」 と誰も反対をしなかった。
こうして私は会社を辞め、光明化運動専従の道へ進み、今現在に至っている。
古くからの友人達は、「エンジニアになると言っていた君がそういう道を進むとは信じられない」
という。 私にもどう言えばよいかうまく説明することが出来なかった。
ところが、その解答を与えて下さったのは他ならぬ 尊師谷口雅春先生 であった。
青年会中央部に入り、夢中で飛び廻っているうちに、
はからずも中央執行委員長を拝命することになった。
その就任の御挨拶に 谷口雅春先生 のもとにお伺いしたときである。
― 後に人づてに洩れ承った話であるが、
先生は私が居た会社のことを良く御存知であったとの由
― その時、先生は 『よく会社を辞められましたね。 青年は理想が一番だね。
生長の家には理想があるから』 とニコニコと相好をくずされながら、
握手をして戴いた。 私には身に余る光栄であり、感激であった。
『生長の家には理想がある』 ― その時から 「理想」 という言葉が
私には忘れられない言葉となった。
それまではそう深く考えた訳ではなかったけれども、学べば学ぶほど、
生長の家の理想の偉大さを思わずにはおれない。
そしてその理想に向かって前進できる幸せを有難く思う。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/a3043c4a3ceca8f9a2f2797d90786286 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月24日 頓首再拝>
神と倶に生活するには - 伝統
2015/10/26 (Mon) 19:34:09
*『白鳩』誌(昭和25年9月号)巻頭言より
こんな話がフェンヰック・ホルムス博士の本に書いてある。
2人の女生徒が学校へ通学していた。
学校のすぐ側まで来たときに始業のベルが鳴りはじめたのである。
2人は信仰深い少女であった。
「学校に遅刻しないように跪いて神様に祈りましょうよ」 と甲の少女は云った。
「そんなことをしていては駄目よ。 一所懸命走りながら神様に祈りましょうよ」
と乙の少女は云った。
読者はどちらが正しい祈りであると思われますか。
それは筆者が回答するまでもなく、自明のことであるのである。
こんな簡単なことなら誰でもわかることだけれども、実際生活の難問題に直面すると、
その原理がわからなくなり、時々途方にくれる人が出て来るのである。
子供の病気の場合でもそうである。
医者にもかけず、何らの手当も施さないで、ただ気が顛倒して祈ってばかりいるような
両親は、丁度甲の少女のやり方に属するのである。
それでは遅刻する恐れがあるし、気が顛倒しているので、
その反映として神との波長が一致せず、処置を誤るのである。
神は全能である。
しかし神の働きたまう出口はただ一箇所のみには限られていないのである。
神は医者やその他の人を通して働きたまい、水を通しても、食物を通しても、
薬剤を通しても、また自分自身の努力を通しても働きたまうのである。
吾々は神の働きの出口を自分の我の考えで或る一ヶ所又は数ヶ所に制限してしまっては
ならないのである。
しかしこのような心の態度は、‘あれ’にも頼り、‘これ’にも頼り、
心が動揺して、確乎とした信念が持てないようになる恐れがあるのである。
時として医者に頼って神に頼らず、薬に頼って神に頼らず、
自力の雑行雑修に頼って神に頼らず、自力の雑行雑修に頼って、
神に信頼しないようになる惧れがあるのである。
そこにこのような心的感度の欠陥があるのである。
その欠陥を是正するには、どうしたら好いだろうか。
それは走りながら祈ることである。
祈りは神との一体感を深め、何時、何処に、如何になすべきかの啓示に対して
人間を敏感ならしめるのである。
祈りながら、神の催しによって 「何を為せ」 と内部から感じられて来ることは
それは形の上から見れば、医療であろうと、物理療法であろうと雑行雑修のように
見えようとも、それを通して神が働き給うのであるから、
その働きにまかせることは純一無雑に神に全托したことになるのである。
一つでも神の 「是を為せ」 と云う啓示を、自分の我で止めてはならないのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/83e7a620c38ca33937cbffb21c6a6b5b より転写)
<感謝合掌 平成27年10月26日 頓首再拝>
只管打坐の功徳 - 伝統
2015/10/28 (Wed) 19:12:10
*『正法眼蔵』 三昧王三昧の巻 より
~生長の家第二代総裁 谷口 清超 先生
まっしぐらに尽十方世界の現象を超越し、仏祖と同じ心境に達するには、
結跏跌坐することが何よりも大切である。
外道や魔党の頭上を飛び越え、仏祖の堂奥に入る者となるには、結跏跌坐にかぎるのである。
仏祖の究極の境地をさらに超越するには、ただこの一法あるのみである。
〈以下、「結跏跌坐」 を 「神想観」 と読みかえてよし〉
それ故仏祖はこれをなし給い、その余のことはなさらなかったのである。
まさに知るべきだ。 坐禅の世界と、その余の世界とは、全く異るのであると。
この道理をハッキリと知り、仏祖の発心・修行・菩提・涅槃 〈悟による安楽境〉
を極めることが何より大切である。
さて坐禅のまさにその時、全世界は縦なる時間か、横なる空間かを参究せよ。
坐禅する時、その「坐る」ということはどういうことであるか。
平素とは全く違うのであるか、自由自在であるか、思量するか、不思量か。
作か、無作か〈何もしない〉か。
坐禅の場に坐るのか、それともこれらを超越して坐るのであるか。
これらもろもろの奥にある一切を、よくよく参究しなければならない。
即ち、身で結跏跌坐し、心で結跏跌坐し、身心脱落して結跏跌坐するのである。
先師如浄禅師はこう説かれたのである。
「参禅は、身心脱落である。 ただひたすら打坐して、これを体得する。
焼香、礼拝、念仏、修懺〈懺悔を修す〉、看経を要せず」 と。
あきらかに仏祖の実相をえぐり出し、仏祖の実相に打坐することを説かれたのであって、
焼香礼拝等の形式にとらわれ、それもあわせ行えと言うのではないということである。
この只管打坐に徹せられたのは、この45百年来は、ただ先師お一人であって、
中国にも先師に比肩しうるものはまれであった。
打坐こそが仏法であること、仏法は打坐であることを明かにされた人はまれである。
たとい打坐即仏法と体得する人がいても、打坐を打坐として
本当に会得した人は未だ他にはいないのである。
いわんや仏法を仏法と真に会得し保任し続けられた人々が、果して他におられるであろうか。
それ故、心の打坐があるのであり、身の打坐と同じではないのである。
身の打坐もあるが、心の打坐とはちがうのである。
それらは身心脱落の打坐とも同じではない。
実相がいかなるものかが本当に会得されたならば、
仏祖の行と理解とが相ととのうのであり、その実相を観るのが
神想観 〈念想観〉 であるから、この観を保任し、
この意識の神髄をよく深く参究しなければならないのである。
釈尊は大衆にこう告げられた。
「もし結跏跌坐をする時、身心が三昧境にいたるならば、その威徳を全の人々は恭敬する。
それは太陽が全世界を照す如きものである。
打坐三昧においては、睡懶や煩悩の心は取り除かれ、
身体が軽々となって疲労し懈怠することがなくなり、悟りが明るく軽く開けるのである。
その安坐の姿はあたかも龍が蟠るに似て、
この跏跌の姿を見るならば、魔王もまた驚き怖れるのだ。
ましていわんや仏道を悟った人の安坐なるものは、いささかも傾き動ずることがないのである」
即ち、結跏跌坐している姿を見聞すると、魔王ですら驚き怖れ憂えるのだ。
いわんや正しい結跏跌坐をすれば、その功徳は実に測り尽すことができない。
そこで当然常日頃行うところの結跏跌坐は、
その福徳が無量無辺であるということができるのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/7f020de335b204225dd5c4c9343fd705 より転写)
<感謝合掌 平成27年10月28日 頓首再拝>
“法悦” とは何か - 伝統
2015/10/30 (Fri) 20:09:06
*昭和43年7月28日 生長の家本部大道場に於ける御指導(速記録)
『生命の實相』〈頭注版〉の第35巻102頁にですね、その7行目に、こう書いてあります。
「生長の家ではまず内在せる神というものを
『われわれの内に宿っているところの無限の善さ』
と定義いたします。
無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ、無限の美しさ ――
そんな尊いものが、われわれ人間の中には宿っているのであります。
その無限の善さが少しでも余計出ればわれわれは歓びを感ずる。
喜ばすにはおれない。
そしてさらにその善さを一層余計にあらわしたい、
そして遂に無限にまで到達したく希うところの、無限に対する要求というものが、
わがうちに宿っているのであります」
と書いてありまして、その次の頁の3行目の所には、
「無限を発揮するまでは、それを憧れ求めずにはおられない。
それはなぜであるか?
それは 『無限なるもの』 が自分のうちにすでに宿っているからです。
そして、その無限なるもの ―― 無限の善さ、無限の美しさが、
われわれの念のレンズをとおして、意識なり、観念を指導すべく、
ある標準を示した場合、これを理想といいます」
という様なことが書いてあります。
この “法悦” というものは何処から起って来るかといいますと、
法悦の法というのは、あの 「妙法蓮華経」 の法と同じでありまして宇宙の実相であります。
実相の中から出て来るところの喜びが、これが “法悦” という意味であります。
それで、その実相の中の無限の善さ、無限の愛、無限の深切さ、無限の美しさとか、
色々数え切れない無数の徳がわれわれの内部に在る。
それが、少しでも前より余計に発揮された時に、
そこに法悦 ―― 実相から湧き出て来る喜び ――
というものを感ずるんだということになるのであります。
私がいつも申上げるように、人間には5つの根本的願いがあるのであります。 それは
(1) 認められたい
(2) 愛されたい
(3) 褒められたい
(4) 人のお役に立ちたい
(5) 自由になりたい
この5つの願いであります。
この5つの願いが満足された時、人間は本当に生き甲斐を感ずるのであります。
この5つの願いが閉塞されて了ったら人間は生き甲斐が感じられないでスランプに陥る。
信仰も衰退して行くことになる訳です。
そこで折角誌友にしたり、聖使命会員になった人を組織に入れたらですね、
これを認めてあげるということをやらなくちゃいかんのです。
その人達を認めてあげ、褒めてあげ、愛してあげる。
又色々の相談にものってあげる。
そして、その人が生長の家に入って誌友になったら、
本当に世のため人のためお役に立っているんだという喜びを自覚させるように
導いてゆかなければ、折角誌友になったけれども、なっていることが
何の役に立つのかというのでは、これは継続していかんということになるんです。
大は日本国家のためになり、或は優生保護法改正の運動に参加して、
毎年三百万人も殺されている胎児が救われることになるんだというような
偉大な運動に自分は参加しているのだという、そういう喜びを感ぜしめることが
必要であると思うんです。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/17408994.html より転写)
<感謝合掌 平成27年10月30日 頓首再拝>
神意に随って生きる - 伝統
2015/11/01 (Sun) 19:58:21
神意に随って生きる ― 神様に与えられた仕事は ・・・
*『生長の家』(昭和56年9月号)より
~生長の家本部理事長 和田 英雄
こんな体験談があります。
小長谷さんといって、結核でもう棺桶に半分入っているような人でしたが、
京都の第二教区の長村婦美子講師の練成会に行かれた。
そこで長村講師の徹底した厳しい練成を受け、2ヶ月ぐらい舞鶴の道場に
長期練成員として居るうちに見る見る元気になられた。
すると長村講師が言われた。
「小長谷さん、あなた元気にならせて頂いたのだから、
これから一所懸命人のお役に立って働かなきゃだめよ」
「でも、私は長いこと病気で仕事から離れていましたので、何をしていいのかわかりません」
「わからんということはないでしょう。
あなたが元気になったのは、神様があなたを必要としておられるからです。
神様におききなさい」
小長谷さんは、それから毎日毎日、感謝の心で、
神意に叶った仕事を与え給えと祈り続けました。
するとある人が一つの仕事をもって来てくれた。
ところがそれは京都の峰山という市の衛生局の仕事でした。
あの香水つきのバキュームカーの清掃員です。
小長谷さんは、神様にこんなに祈っているのにと、がっかりした。
「あなた、折角祈って与えられた神様のお仕事に、
自分の好き嫌いを言うとは、それは信仰ではありません」
こう、小長谷さんは長村講師に叱りつけられました。
ここが非常に大切なところです。
小長谷さんは決意して、人のいやがる衛生局の仕事に従事することにしました。
しかし、どうしても娘さんには自分の仕事のことは言えなかった。
だから、家を出る時は背広で、役所で作業着に着替えてホースを持ち、
帰りにはお風呂に入って背広に着替えて知らぬ顔で帰宅していました。
ところがある日、街で仕事中にバッタリ娘さんと出会ってしまった。
それも友達と一緒のときにです。
“しまった” と思う間もなく娘さんは家出してしまい、大騒ぎになりました。
しかし、彼女は2、3日すると、フラフラと長村講師の前に現れたのです。
「うちのお父さんは、あんな恥かしい仕事をする位なら、
結核で死んでいた方がずっと美しくて、私は嬉しかった。
あなたがあんな仕事を世話したのでしょう。 ひどいではありませんか! 」
彼女は狂ったように喚きました。
長村講師という方は、本当に愛の深い方で、厳しい時は物凄く厳しいが、
また柔かい時はとても優しいのです。
「済まなかったね、あなたに隠していて、お父さんは病気上りだし、
生活のこともあるし、色々考えてあそこへ行かれたのよ。
でも勧めた私が悪いので、お父さんのせいじゃない。
あなたも、家に帰るのが嫌だったら、ここに居て、ここから学校に通っていいのよ」
こうして娘さんは道場の雰囲気に包まれ、長村講師の温かい言葉に触れて
生活しているうちに、いつしか素直に掌を合せる素晴しい娘さんになっていました。
そんなある日、長村講師は言いました。
「あのね、お父さんは神様に真剣に祈ってあの仕事を戴いたのよ。
人の嫌がる仕事を、あんなに喜んで出来る人は少ないと思う。
本当に素晴しいお父さんじゃない! 」
長村講師は長々と話ました。
聞いているうちに、娘さんはワーッとその場に泣き伏してしまいました。
わかったのですね。 大事なことが。
それで彼女は峰山に飛んで帰り、お父さんに手をついて謝りました。
家族にも神意が天降ってきたわけです。
こうして娘さんは、明るく勉強する、本当に素晴しいお嬢さんになったということです。
ところで、峰山という所は‘丹後ちりめん’で有名なところですが、
間もなく小長谷さんに紡績機を3台貸してくれるという人が現れ、
一家でその仕事が始められるようになりました。
それが今では立派な事業に育って、とても幸せな御一家になっておられるのです。
もし小長谷さんが神意のままに前進しないで、自分の心で進んでいたら
また引っくり返ってぶり返していたかも知れません。
「神意に従うならば、どんな社会にあっても明るく、生々と、
そして力強く美しく生きることができるのである」
こう御法語で教えられていますが、これは本当に素晴しいお言葉です。
神意(みこころ)に無条件に感謝して、謙虚に神意に生きる ―
そこに “一切の現象展開して万物成る” 運命が展けて来ることになるのであります。
有難うございます。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/5f2489406d13f88478dfb66b90b7df99 より転写)
<感謝合掌 平成27年11月1日 頓首再拝>
真理の正しき街道を歩む - 伝統
2015/11/03 (Tue) 20:34:37
*『愛がかくして完成す』 より
真理への道は、物質が裕かになる道でも、健康度が百パーセントになる道でもないのである。
現象界の物質の裕かさや、健康度というものは、自分の悟りの“投影”であって、
それに影が射したら、自分の心の中に“迷いの霊”があらわれた知らせだと思って、
自分の心を振り返って見て、“迷いの霊”を霄らしてしまえばよいものを、
自分の心を顧みないで、「真理は、もう私には効かぬ」などと
“真理”に罪を負わせたりするから、そんな人は、
“救われ”の外の方へ落伍して行くのである。
真理への道は、神への道であり、自己の現象が、
自己の本来の実相たる“完全円満相”とピッタリ重なり合う道である。
その道筋の途中に於いて私たちは色々の出来事に出会うのである。
病気が治ったり、意外なところから突然、裕かなる供給があったり、
不良の子供が突然優良な子供に一変したり、良人の放蕩が治ったりする
現象的利益があらわれて来たりするのである。
けれどもそのような事は真理への道の目的ではないのである。
それは単に真理を知った程度に従ってあらわれて来る随伴的功徳に過ぎないのである 。
しかしその随伴的功徳があらわれて来るのは、
自分の歩んでいる道が真理に通ずる途上にあるということを示す指標であり得るのである。
それは富士の霊峰を左に見て、松林の街路樹に沿って自分が進んで行っておるならば、
その松林や富士山は、間違いなく自分は「東海道」を進んで行きつつあると知るための
指標となり得るようなものである。
富士山が見えず、松林の美しい景色の道がなくなり、小路に迷い込んでしまったら、
それは、自分の歩いている道が本当の「東海道」を真直に江戸に向って進んでいない証拠として、
一度、立ちどまって振り返って見て、元来た道へ舞い戻って、
最初の出発点からやり直す必要があるのである。
単に“心の法則”を知って、それを応用して日常生活を健全にし、事業の繁栄を求め、
健康を増進するという程度のことなら、それは精神科学の応用であり、
また応用心理学の領域に属することであって、神につながる本当の信仰ではないのである。
併しながら私たちが単に平和で、富裕な日常生活を得たり、事業が繁栄したり、
健康が増進したりするだけで満足することなく、自己が“神の子”として神と一体となるべき
本当の信仰を得ようと思ったならば、精神科学や心理学の応用によって幸福を得るという
欲望以上の世界に出なければならない。
神と一体になるためには、無我全托の心境に入らなければならないのである。
『われ心を空しくして神の御意(みこころ)に従わんことを希う。 神よ御意を示し給え』
と祈って、神の前に自己を無くして、謂わば神の前に無条件降伏の心境にならなければ
ならないのである。
自分の都合のよい“神のお示し”ならば従うけれども、
自分に都合の悪いお示しなら従うことは御免だというような信仰は、
自分が神に従うのではなく、神を自分の希望に従わせようとする
― 自分が神の御使(みつかい)となるのではなく、神を自分の使いとならしめようとする ―
傲慢だといわなければならないのである。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19665456.html より転写)
<感謝合掌 平成27年11月3日 頓首再拝>
信仰を復活するとき ― 体験の意味するところ - 夕刻版
2015/11/05 (Thu) 19:11:52
信仰を復活するとき ― 体験の意味するところ
*『生長の家』(昭和48年11月号)
~生長の家副総裁 谷口 清超 先生
皆さんは、私の論文の中で、いつも私が体験談をいかに重要視しているかを
感受しておられることと思う。
それは、人間の体験には、理論では言い表せない重要な 「教え」 が含まれているからである。
人々はこうして人生を生きている。
この事実、そしてその行動や信仰によって或る種の結果を得たという事実は、
多くの人々にとって貴重な 「教訓」 とならざるを得ないのである。
しかしここで注意しなければならない点は、
その体験は、決して完結したものではないということである。
人間の体験は、永続する。
この人生の生死の1周期を超えてそれは永続すると考えられるのだが、
その信仰を抜きにしても、死者の体験ではない以上、
その人の体験はまだこれから死ぬまで続くのである。
ということは 「治った病気」 は再び復活して来るかも知れないということでもあり、
生き返った肉体は最後には死ななければならないということでもある。
けれども、ある心から起った結果が、その心の変化によって、
こう変ったという事実は、そんなことは断じて否定されるものではない。
又、人間の心には自由があるから、堕落すること出来る ― と一応考えられるのである。
しかし、ある程度の魂の段階に達すると、悪への堕落は“不可能”となる。
それは“自由を失う”という意味に於てではなく、
より一層“真に自由である”ために、堕落ではなくて向上の一途を辿るということである。
このようなとき、かつて救われた人の体験は、
非常な安定性をもった教訓を吾々に与えてくれるのである。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19668780.html より転載)
<感謝合掌 平成27年11月5日 頓首再拝>
果報は寝て待て - 夕刻版
2015/11/07 (Sat) 19:38:39
*『光の泉』(昭和34年4月号)より
「果報は寝て待て」 と云う諺がありますがね、
「果報」 というものは、原因に対して起る結果としての報いであります。
悪い原因に対して起る結果は悪い報いとしてあらわれて来ますが、
「果報は寝て待て」 と云う場合の 「果報」 は“善い果報” であります。
“善い果報” を得るには、「我」 のはからいで盲動してはならない。
心を鎮めて、そのままの動きにまかせよと云うのが 「寝て待て」 であります。
「我」がなくなり天地自然と一つになって、自然と眼が覚めて天然自然にあくびでもして、
‘ほっ’と“伸び”でもしたら、棚にゴツンと、伸ばす手があたると、
自然に棚から‘ぼた餅’が落ちてくるのであります。
それは「我」のはからいでなく、自然の動きであります。
「動き」がなければならない。
行動化がなければならないが、「我の心」の行動化ではなく、
天地自然の動きそのままに動くことが必要なのであります。
紛失物を探すのにも、我々がうろたえ騒いでさがし廻ると、
なかなか見附からないものですけれども、そう云うときに落着いて、
心を鎮めて神想観をして、天地自然の智慧と一つとなって、
‘ふと’明けたくなって抽斗を開いてみると、「ああ、ここに探していた品物があった。
不思議だな、さっき此の抽斗の中の物をひっくり返して調べてみたのに、
あの時はどうしても見附からなかった。
それなのに、神想観をしてから、‘ふと’開くと‘そこ’にあった」
というようなことがおこってくるのであります。
すべて我々が動いて失敗するのは、天地自然の智慧の中にとけこまないで
「我」の塊で運動しておるから、うまくいかんのであります。
「祈り」 又は 「神想観」 によって天地の智慧の中に没入し
「我」と云うものが無くなり、天地自然の智慧と一つになって動き出したら、
何事でも調和した姿に現れてくることは間違いがないのであります。
併し祈ったり「神想観」すると言っても、
動かないで祈っておったらいいというわけではありません。
祈り且つ神想観をすれば、心が整って、実相の智慧と一つになるのです。
実相の智慧と一つになって、そこから自然法爾に動き出そうという
内からなる“催し”が自然と湧いてくるのです。
その内からなる“催し”に素直に従って、その導きのままに行動する
という所に信仰が行動化し、そこに実相の完全さが、その行動を通して
実現して来るということになるのであります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19662144.html より転写)
<感謝合掌 平成27年11月7日 頓首再拝>
先祖供養と光明化運動 - 伝統
2015/11/09 (Mon) 19:43:40
先祖供養と光明化運動、日本国実相顕現運動は 「一」 である
*平成3年7月28日 「練成会指導者研修会」講演より 宇治別格本山
~ 生長の家宇治別格本山総務 楠本 加美野
先祖供養で大切なことは、形式を重んずる事ではなく、
先祖供養がどんなに大切なことであるかということがわかることです。
先祖は根であるということ、これは 『人生を支配する先祖供養』 の169頁に、
「大地は神、根は祖先、幹は父母、自分は枝」 と書いてありますが、
枝葉が子孫ということです。
つまり枝葉が繁栄しているということは、根がしっかりとはっているということです。
根は見えないけれども、樹木にとっては一番大切なところであります。
そこで、供養とは根の肥料に相当するものです。
『霊供養入門』 の “はしがき” には次のように書かれています。
「布施と云うのは施すということで供養とも云う。
布施には物施といって物を施すのと法施といって真理を施すのと二法がある。
聖経を祖先霊の悟りのために仏前で読誦するのは法施である。
仏前に物をお供えするのは物施である。」
この二法の中で、供養の法施が非常に大切であります。
特に 『甘露の法雨』 はただ読むだけではだめなのです。
心から感謝の気持を込めて読誦することが大切です。
『甘露の法雨』 を読んで、「迷っている先祖よ、早く悟れ」 ではだめなんです。
また親に感謝しないで先祖に感謝することは出来ません。
なぜかというと、先祖の初めは親であるからであります。
生長の家式に先祖供養をしますと霊界で先祖が生長の家になり、
光明化運動をしてくださるようになります。
霊界と現界の関係は、現界は霊界の写しであり、密接な関係がありますから、
霊界を変えれば現界が変わるということです。
生長の家総本山の龍宮住吉霊宮建立の意義もそこにあります。
先祖供養と愛国心、つまり日本国実相顕現、天皇の実相顕現が一つであるという事、
これが非常に大切です。
(中略)
私が以前飛田給にいた時に、親孝行の話ばかりさせられて、あきてきちゃって、
徳久総務に 「別の話をさせてください」 とお願いをしましたら、
徳久総務は 「広沢虎造を知っているか。 広沢虎造は森の石松しかやらないよ」
と言われましたので、私は親孝行の話を続けていました。
そのうちに使命感がだんだん湧いてきまして、
「私は日本の国から親不孝を追放する使命があるのだ」
と思うようになりました。
そうしますと、高級霊が天降って来まして、
講話していましてもぜんぜんその効果が違うんです。
体験がどんどん出るようになりました。
ただ単に体験談を話すのと、使命感を持って話すのとでは、内容が違ってくるんですね。
今、日本で問題であると思うのは、大東亜戦争で亡くなった人達が犬死になっていることと、
戦後堕された6千万の無縁の流産児のことです。
それがわが国に於ける霊界の問題ではないかと思います。
それで 谷口雅春先生 が精霊招魂神社 と 流産児無縁霊供養塔 をお建てになったのです。
日本国は2600有余年の間、国が変わっていないでしょう、
これが例えば、千年前に国が変わっていましたら、
我々は愛国心と先祖の愛国心が違うことになります。
それが2千何百年という長い間続いているということは、
日本の国には愛国者の高級霊が満ち満ちているということです。
だから、ここで流産児の供養をしようと思って、供養していたのですが、
そうだ、精霊招魂神社も大切なのだと気が付きまして、供養をすることにしました。
1年と少し経った頃、谷口雅春先生が夢に現れられて、
私に 「愛国心の話をしなさい」 と言われたのです。
目を覚まして、不思議な夢をみたものだと思いました。
その頃は、精霊招魂神社で 『甘露の法雨』 を誦げ、
流産児無縁供養塔で 『甘露の法雨』 を誦げると、道場の起床の時間となるのです。
そこで、皆さんとご一緒に大拝殿で神想観をして、又 『甘露の法雨』 を誦げて、
それが一日の出発になっていました。
月に1回は一般練成会の人達が入龍宮幽斎殿で早朝行事を行うことになっていました。
その日も 『甘露の法雨』 を読みおえた時に起床放送があり、
「本日は幽斎殿で早朝行事がございます」 という放送がありました。
私はそれまで幽斎殿には1回も行った事がなかったのです。
私は宝蔵神社と流産児無縁供養塔、精霊招魂神社に使命があるのであって、
末一稲荷神社は関係ない、幽斎殿も関係がない。
まあ、あのだだっぴろい大きな建物がなんで造られたんだろうかと言うので、
幽斎殿には行ったことがなかったのです。
ところがその時、何か不思議な気持になって、幽斎殿に行って神想観をしましたら、
ああ、そうだったのか幽斎殿は八角になっている。 あれは八絋一宇なんだ。
お祭りしてあるのが天照大神様で、これは谷口雅春先生が
日本の実相顕現の切なる願いをこめてお建てになったのだ。
我々の先祖の切なる願いは日本の実相顕現なのだ、
だから宝蔵神社の境内に幽斎殿があるのだということが、その時、初めて判りました。
我々は、ただ単に生長の家の運動を進めているのではなく、
日本の国を救う為に、天皇を中心とした2千何百年来の日本の素晴らしさを
子々孫々に伝えるために、この教えを伝えているのだ、という気持を持つということは、
霊界に於ける愛国の霊が全部協力してくれると言うことであります。
我々の人類救済への努力と、霊界から導いて下さる力と併せて、
何倍にもなる素晴しい運動になるのです。
特に国を救うという願いをもつということは素晴しい事です。
我々は御陵巡拝を行いました。
124代の天皇の御陵が厳然として残っている姿を拝し、御陵の前に額ずく時、
身も心も浄まるような雰囲気になります。
どこの御陵に行っても同じで、素晴しいことです。
例えば、中国の皇帝の陵とかエジプトのピラミッド等は、
ほとんど荒されていると聞きますが、それに比べて、日本の国の御陵は連綿として残され、
守られている、それどころか、実に清らかな雰囲気に保たれています。
これは、御皇室が御先祖様を大切にしておられるということです。
そのお姿を全ての国民があらゆる機会を通して知っているという事が、
御陵が守れられて来ているという事になるのだと思います。
そして日本の国が繁栄している原動力は、
そのような日本人の御皇室に対する気持の顕われであると思います。
そういう事からも、先祖を供養することの大切さがわかると思います。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19032715.html より転写)
<感謝合掌 平成27年11月9日 頓首再拝>
『道』は生命の生きるリズム - 伝統
2015/11/14 (Sat) 19:27:00
*『行』(昭和16年5月号) より
元来、『道徳』という言葉は決して悪い意味の語ではありませんけれども、
どうも今までの習慣的用語法に依ると、旧来の難しい律をもって縛るような窮屈な感じがした。
それに対して自然主義や自由主義や耽美主義や快楽主義や個人主義が反抗的に生れた。
現在活動している重要人は大抵そんな雰囲気で育ったのです。
だから『道徳』と云うと習慣的に反発したいような気勢が見える。
こう云う国民の気勢も察して適当に政策を行うことが必要です。
元来道徳というものは人間を縛るものではない。
道というものは宇宙にミチているところの生命の喜びの波であります。
生命の生きる律〈リズム〉が道であり、生命の生きる律〈リズム〉は喜びであります。
私は生活が喜べない、面白いことが一つもない ― と云う人があるとしたならば、
その人は生命を100パーセント生き切っていないからです。
生命の生きる律〈リズム〉が歓びであるということを知ろうと思ったならば、
朝早く起きて太陽が差し昇る景色をごらんになると分ると思いますね。
明治神宮外苑にでも早朝にお出になりまして、
あの太陽に照らされて次第に輝き出でる樹木の若葉をごらんになったら、
生命(いのち)は、生きていることが歓びであることが判るのであります。
そして宇宙に充ちている生命(いのち)は喜びであるということが分るのです。
そして樹木の若葉が朝日に照り映えている歓びがまた御自分の喜びであることが
お判りになると思うのであります。
生長の家の哲学の指示致しています通り、自他は一体でありますから
太陽が輝いている姿を見て、貴方が歓ばしい感じがするならば、
それは貴方の生命の中に太陽の生命が宿って生喜んでいるのであります。
すべての生命は一対である、だから自己を犠牲にして、公益を生かすのではなく、
公益を生かすことが自己の歓びなのであります。
吾々は喜びの人生観であって、『犠牲犠牲』と生命の内的苦悩を抑えて強いて
公益のために尽すのではなく、共通的生命 ― 即ち自己の本当の生命の歓喜
のために力行するのです。
喜んでおったら自然と充分の活動が出来、能率が挙がり、
最も優秀な仕事が出来るのであります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19656327.html より転写)
<感謝合掌 平成27年11月14日 頓首再拝>
いのちを拝む - 伝統
2015/11/16 (Mon) 19:53:24
*『白鳩』誌(昭和40年7月号 P39ー40)より
~生長の家白鳩会 初代総裁 谷 口 輝 子
私の許へいろいろな質問の手紙が来るが、時々本末転倒したことを言って来る人がある。
“生長の家では宇治で、堕胎した子供を祀って下さると聞いたが、
私も近日中におろそうと考えているから、祀って頂く手続きを教えて下さい”
というのである。
祀ってさえ貰えば何人でも堕すつもりで居られるらしい。
生長の家では、 “祀って上げるから心配しないで堕しなさい” と勧めているのではない。
鬼のような親に殺されて、それを恨み悲しんでいる赤ん坊たちが可哀想なので、
その霊魂を慰め祀って上げ、霊界で幸せに暮らすように祈って上げるのである。
教えにふれた親たちは、たとい胎内にいる小さい子供でも、一個の人命をもつものであるから、
殺人の大罪を犯したことだと教えられ、再び同じ罪を犯さなくなるのが当然である。
実家の親が勧めたからとか、夫が堕せと命令したからだとか言って、
責任を他になすり附ける母親があるが、母親さえしっかりした信仰をもっていたならば、
悪に抗して、神より与えられた幼い命を護って行けるのである。
誰の責任でもない。
胎内に子をもつ母親が、子を殺す意志が無かったなら、誰も堕したりは出来ないのである。
“親がすすめたからだ、夫がすすめたからだ” などと言ってはならない。
自分が為したのであるから。
子供を堕しては祀って貰い、また堕しては祀って貰いしていて、そ
れでよいと考えて、くり返しくり返し罪を犯しているのである。
そこには神の子の救いは永遠にない。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/17401567.htmlより転写)
<感謝合掌 平成27年11月16日 頓首再拝>
静かに坐して、神を呼ぶがよい。 - 伝統
2015/11/19 (Thu) 20:08:07
*『愛はかくして完成す』(P281~282)より
どんな悩みがあっても、静かに坐して、神を呼ぶがよい。
神はあなたの周囲に、あなたの内に、そしてあなたの前にも後にも、
右にも左にもいましてあなたを護っていたまい、
あなたに必要な事を囁きかけていられるのです。
今あなたは何を為すべきか、何処に何を求むべきかを
神はあなたに静かに語り給うているのです。
その《み声》が聞える形であらわれて来る人もありますが、
み声が聴覚に聞えなくともよろしい。
祈ってさえおれば、自己の自然の動きのうちに、
また人々の自然の動きのうちに神の導きがあらわれます。
心配することはありません。
自然に起こる人々の動きに対して感謝して素直にそれを受取るがよろしい。
自然に問題は好転することになるのであります。
<感謝合掌 平成27年11月19日 頓首再拝>
実相が見える ― 『小住為佳』 - 伝統
2015/11/21 (Sat) 19:06:14
*『生長の家』(昭和62年9月号)より
~ 田 中 忠 雄
この日頃、私は今は亡き禅匠・沢木興道大和尚のお話を思い出して繰り返すことがある。
それは ――
『小住為佳』 (しょうじゅういか)
というただ一語だ。
敗戦により大量生産されたノイローゼ患者に告ぐ。
人生をマラソンだと思いこんで、あいつに敗けてたまるかと走る。
ただもう走れるだけ走る。
一皮むけば、そんな他愛もない思想水準に君らは低迷しているのか。
思っても見給え、そんなに走って、どこへ行くつもりか。
凡夫の行き着く所、そこは必ず墓場である。
墓場に行くのに、そんなに急いで喘ぎながら走りつづけるとは何のことじゃ。
「小」はすこし、「住」はとどまる、「為佳」は佳(か)と為(な)す。
少々とどまって休息する、佳(よろ)しいある。
これは大戦前に中国の祖師たちの遺跡を巡拝したときに、
山の路傍にあった茶店の看板に書いてあった文字だった。
小々とどまる、よろしいある。
なるほど、これが宗教の核心を成す言葉だと思った。
客を茶店に入れる言葉。
ちょいと立ちとどまり、一服するよろしいある。
これがそのまま一転して真の宗教の核心になる。
山の茶店に腰を落ちつけ、出されたお茶を一ぱい飲んで、
あたりの山々、白い雲の静かな‘たたずまい’、さ渡る風に喜び揺れる木々の緑。
‘やみくも’に喘ぎ走ったときは一度も見たことのない素晴しい風景である。
実相が見えるとは、このことである。
周囲が皆敵で争いの場と思っていたこの娑婆世界が実は実相世界の荘厳だったのである。
歯を食いしばって生きてきた人の半生の何と‘あわれ’なことよ。
トラブルを解決する最短距離の運河化は、娑婆世界のトラブルを前提とした凡夫の工夫であった。
それに気がつくこと、これを古人は 「廻向返照の退歩」 ともいった。
ひらたくいえば、小々住(とどま)って一服する、よろしいあるということではあるまいか。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/8dfd48fd55a0e1a11c6d811392ddf476 より転写)
<感謝合掌 平成27年11月21日 頓首再拝>
或る団体に属すれば団体の精神の交流がある - 伝統
2015/11/23 (Mon) 19:17:44
*『女の生き甲斐』より
互いに愛し合う同士が、その思想や感じ方が似て来るというのは当然のことなのである。
何故なら「愛」は“自他一体”又は“彼我一体”の自覚であるからである。
愛する同士は文字や表情までも似てくる実例がある。
互いに心と心とが移入し合うからなのである。
「似た者夫婦」という諺もこんなところから生れて来たものらしいのである。
しかし夫婦の物の考え方や文字や表情までも何処となく似て来るから、
彼女自身の特殊性ある人間形成を完了するまで結婚することは望ましくない
という風にはわたしには考えられないのである。
何故なら、心と心との移入は、必ずしも結婚生活をしたから、その夫婦相互の間にのみ
行われるのではなく、「朱に交われば赤くなる」との譬喩の通り、誰と交わっても、
その心の交流と移入とは行われ、その心の交流のうち最も自己本来の精神波長に
共鳴共感するものを自己に移入摂取し、心の波長に同調しないものを排除反発しつつ
その人特殊の人間形成が行われるのである。
もっとも愛し合う同士は、互いに心の交流を、みずから許して、
心の窓を開放するから、その影響感化を受け易いけれども、夫婦ならずとも、
想念の交流移入は常に間断なく行われているのである。
だから結婚することが“心の交流”を受け、特殊なる個性的人間形成を妨げるという
中村真一郎氏の考え方にはわたしは同意することがでないのである。
其処に一つの団体又は会社・公団の如きものがあれば、或る人がそれに入社又は入団して
数ヶ月又は数年を経るならば、必ずその団体又は会社特有の精神る雰囲気の影響感化を受け、
鋭敏な人には「ああ、この人は何々社の人だな」と大抵わかる位になるものである。
すなわち会社又は団体には、一個の有機的生命体としてその内に団体の個性的精神波動を有して、
その団体に属するものに或る影響を常に与えつつあるのである。
団体でなくとも個人相互の交友でも精神交渉や思想の移入は常に行われているものであるから
精神的特殊の発達をし、個性ある人間形成を遂げようと思ったならば、結婚生活をしてはならない、
ボーヴォワールのような女でも恋人をもってはならないというのだったら
「人は本当に個性ある人間形成を遂げるためには、何人とも交ってはならない。
何人をも愛してはならない。 誰からの精神的影響をも受けないために、
山にでも籠って独居しなければならない」 というような結論に陥るおそれがあるのである。
併し本当の人間形成というものは、そのような孤独生活においては、
却って歪んだ形成を見るものであって、世間普通の生活をしながら、
そして多くの人たちと交りながら、自己の精神波長に共鳴するものの“心の波動”を吸収し、
自己の精神波長に共鳴しないものを反発排除しながら、特有の個性的自己形成が
成し遂げられるのである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ba6dfe506c054b7f9c5439e95b0d61ce より転写)
<感謝合掌 平成27年11月23日 頓首再拝>
信教の自由 ― 魂の自由こそ、人間最大の喜びである - 伝統
2015/11/25 (Wed) 19:22:18
*『理想世界』 昭和46年12月号 より
~生長の家白鳩会総裁 谷口 輝子 先生
キリシタン大名として有名だった高山右近が、
ローマ法王パウロ6世によって列聖に加えられた。
織田信長は高山右近のキリスト教信仰を許して、右近を自分の城下の武将としたので、
右近は細川ガラシャ夫人をはじめ、有力な武将たちを感化して、
クリスチャン大名の黄金時代を築いていたが、
徳川家康の世となるや、家康は 『バテレン追放令』 を出したので、
高山右近は即座に棄教を命ぜられた。
しかし右近はその命を峻拒したので、激怒した家康は、高山右近を遠くマニラに追放した。
当時の海外追放は、切腹にまさる恥であり、切腹にまさる苦難の道であった。
初老に近い年齢で、交通不便であり、気候風土のはなはだしく異なるマニラでの旅は過労であった。
右近はマニラに16年かかって到着したが、病苦のために上陸して50日目に客死した。
その困苦の姿を想像するだけで、私は胸が痛くなる。
徳川三百年、明治以来百年を過ぎた今年になって、同信の人々によってなされた列聖運動が、
やっと実って、右近はカトリック信者として最高の栄誉である 『聖人』 に列せられたのである。
高山右近も、大名の身分でありながら、信教の自由のなかった政治下において、
遂に殉教しなければならなくなった。
信教の自由を許されている時代であるのに、自分の信仰だけを善となし、
他教を邪教だと独断して、他人の信教の自由を抑圧する人のあることをしばしば聞く。
自分の信仰は正しいと思ったら、自分は自分でその信仰を、
いよいよ高め深めてゆくように精進努力してゆけばよいのであって、
他人の信仰の自由を妨げてはならない。
他人の信仰が誤っていると思ったら、どこまでも優しく説いて上げ、
決して暴力をふるってはならない。
相手も神の子、仏の子であることを忘れてはならない。
相手も自分の信仰の本尊を高く仰ぎ、その信仰に大きな誇りをもっているであろうから。
誰でも自由を好むものである。
自由は楽しいことに相違ない。
自由が得られないと、得たいがために懸命に働くが、得てしまうと怠けてしまう人が多い。
信教の自由のない政治下にある時代には、人々は自分の信仰を命がけで護ろうとする。
ローマ帝国時代には、暴君によって獅子に食わせられたキリスト教信者があったが、
彼の肉体は獅子の腹に入ったが、魂は天に昇った。
堅信者たちは、肉体を十字架にかけても、魂の救いを得ようとしたのであった。
高山右近も、流刑によって肉体の自由をクロスしたが、
魂は自由で、如何なる強権にも屈しない歓喜をもって、天の父の許へ行ったことであろう。
魂の自由こそ、人間最大の喜びである。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/d6f62fb126105cd296e654e3ccd5d01f より転写)
<感謝合掌 平成27年11月25日 頓首再拝>
『無門關の日本的解釋』 - 伝統
2015/11/26 (Thu) 20:15:02
*Webより
(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱(by ”童子 さま”)
①『無門關の日本的解釋』(昭和15年)
②『無門關解釋』(昭和39年11月22日)~生長の家35周年記念出版として刊行
③谷口雅春先生はこの禅門第一の書を
『日本人』 のために生きた真理として解釈されたのであります。
その切れ味たるや、まことに見事なものであります。
独立独歩の無門關解釈なのであります。
( → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=62 )
(2)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱(by ”明鏡 さま”)
(『 無門關解釋 』 はしがき より)
①真理は 戦前も 戦中も 戦後も 変わるものではない。
・・・(天皇の)大(おお)みごころあるのみなり。・・・
②私は 無私絶対愛の 宇宙の中心真理の人格的表現を
抽象概念ではなく具体的に生ける人格として
天皇に於て見出(みいだ)さんとするものである。
( → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=3 )
(3)真の生長の家、復活掲示板((by ”信徒連合 さま”)
(「無門関解釈」第六則・世尊拈花より抜粋・引用)
①「華厳経」こそ、いみじくも大日本国体の久遠無窮性、中央に「皇(ス)」のある
蓮華荘厳の実相が象徴的に書かれている経典であって、それが竜宮海に逃避せしめられていた
のは、時期未だ到らざるため和光同塵の働きで日本国体の尊厳を隠蔽してあったのである。
「華厳経」とは実に大日本国体の尊厳無比、宇宙の実相と同体にして
久遠無窮なる事実を説ける経典であったのである。
②私は「生命の実相」<神示を受けるまで>の最後の章に示すが如き過程に於いて、
既に「無」の門関を越えて釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の
荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである。
③宙の実相が蓮華蔵世界であり、黄金色の菊華が象徴する世界であり、
全大宇宙が天照大御神の法体であり、
(中略)
その組織は蓮華の如く、金波羅華の如く、組織紋理整然として御中に帰一しているのである。
④「正法眼蔵」と言うものは「宇宙の実相」そのものである。
・・・歓喜の相であり、朝日の昇る相である。
宇宙の実相は伝へるも伝へぬもない。
すべての人に内在しているのだけれども、常に歓喜微笑して心の波長が
「宇宙の実相」の波長に共鳴する人の前のみに顕れるのである。
・・・宇宙の実相は、金波羅華の如き中心帰一の微妙の組織体である。
( → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=1340 )
<感謝合掌 平成27年11月26日 頓首再拝>
やさしい深い“いのち”の教 ― 鈴が鳴る - 伝統
2015/11/29 (Sun) 19:28:56
*Web:『生命の實相』哲學に学ぶ(2015/11/5)より
~生長の家長老 河田 亮太郎
僕は谷口雅春先生に直き直きに教えてもろた忘れられん話が一つある。
先生はよう鈴の話をされますが、
『ねえ、河田君、この鈴よく鳴るだろう』
「ええ、よく鳴りますな」
『この鈴、なぜ鳴るんだね?』
「さあ?」
と、僕はどう説明しようかと身構えた。
『河田さん、あんたそんなこと何も考える必要ないじゃないの』
「え?」
『鈴は始めから鳴るように作られているんだよ。 鳴って当り前なんだ』
‘ここ’に真理があるのでんな。
『君、これ振れば鳴るねえ。 ところが振らなければ鳴るかね?
鳴らないだろう? 鳴る鈴もじっと吊り下げておるだけでは鳴らないでしょう。
人間だって同じなんです。
いかほど人間・神の子の真理を知っておっても、
行じないで吊り下げておくだけでは百万年たっても鳴らないよ』 と。
つまり、始めから人間は神の子なんだけど、
それを生活に行じなければ、神の子のいい音色は鳴らない。
愛行が伴わなければ何もならんというみ教えやと思うて、
僕も心して一歩一歩やって来ましたわ。
『生長の家』
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19686991.html より転写)
<感謝合掌 平成27年11月29日 頓首再拝>
谷口雅春先生御自身が仰られた「私が亡くなったあと・・・」の御文章 - 伝統
2015/12/01 (Tue) 19:29:27
*谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱( by マリーゴールド さま)より抜粋
(1)善きものは隠忍自重コツコツ社会に貢献している中には必ず認められるものでございます。
(2)生長の家公認の講師が間違った真理を伝え社会の安寧をみだすような言行をすれば、
生長の家本部が引責して自壊しなければならぬ場合もあることでございます。
(3)私は私が亡くなったあとにも『生命の實相』と云う著述は消えないから
思想や信仰はつづくと今まで多寡を括っていましたが、
その思想信仰で人類を光明化して行く中心原動力となる団体を続くように
チャンと計画を樹てて置かないのは不親切だと気が着きました。
(4)教えに外れた講師への措置
(現象もある、物質もある、無霊魂論による非国民的思想宣伝・・・)
今は思想戦時代ですから涙を揮って馬謖(ばしょく)を斬るのも已むを得ませぬ。
(5)『運命読本』が最近新刊せられました。
『人生読本』以後に書かれたる光の泉講話を全部まとめ、
それに最後に商店、工場、鉱山等に於て如何に生長の家の思想が能率増進に、
事業遂行に役立ちつつあるかの実例を輯録したもので、『人生読本』をお読みの方は
是非此の『運命読本』をお読み下さい。
『生命の實相』の真理を子供にも老人にも分らせる目的で書かれたものだけに、
『生命の實相』の易しく書いた本として喜ばれましょう。
(詳細については、次のWebにてご確認ください。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=13 )
<感謝合掌 平成27年12月1日 頓首再拝>
運命を支配するもの - 夕刻版
2015/12/03 (Thu) 19:28:43
*『白鳩』誌 47年7月号 より
~ 谷口輝子 白鳩会総裁
どこの宗教でも、夫に隠しごとをしてよいとは教えられないと思います。
貴女はもっと積極的な態度で生活に臨んで下さい。
夫に内証にするのでなく、胸襟を開いて夫と語り合って下さい。
貴女は人類光明化運動という立派な運動をしているのだけれど、
夫はケチン坊だから出費することは許してくれないと決めてかかって、
内証で出費して居られますけれど、
心の中は “内証” ということについての罪悪感で明るくないでしょう。
人類光明化をしているつもりでも、自分は暗い気持ちであるに相違ありません。
自分が先ず光って、その光りを他へ及ぼして欲しいものです。
自分の光りが強ければ強いほど周囲もまた明るくなるわけであります。
貴女は優しい言葉、謙虚な態度で夫に話しかけて下さい。
そして夫に真理を伝えて上げて下さい。
貴女の夫は、生長の家は他の宗教より良いと解って居られると貴女は申されますが、
どの点を良いと御存知なのでしょうか。
いくら良い教だと頭脳で解って居られましても、実生活に教を生かされなかったら、
知っているというだけで、自分たちの生活をより一層向上させることも出来ないし、
経済的にもより豊富にすることは出来ません。
『与えよ、さらば与えられん』 という法則は真理なのであります。
他に与えることを惜しむ者は、自分も富むことは出来ません。
(http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24573960.html より転写)
<感謝合掌 平成27年12月3日 頓首再拝>
【全身に感謝して眠ること】 - 伝統
2015/12/05 (Sat) 19:45:42
*『白鳩』誌(昭和47年3月号)より
私たちは、自分の肉体を駆使し、又は酷使するばかりで、
それに対して感謝しないで《使い捨て》にしていることが多いのである。
肉体は“人間”の三つの面の中で“物質”としてあらわれているところの
一つの“面”であるけれども、聖経『甘露の法雨』には
《心の糸を組み合わせて肉体の繭をつくり》 と示されている通り、
念波の波動が「認識の形式」を通して“物質”としてあらわれて見えているだけ
のものであるから、“心”の想いに対して敏感に反応するのである。
私たちが思念する真理の語(ことば)によって胃の腑や、肝臓を激励することや、
『甘露の法雨』を読誦することによって病気が治癒する実例が出る如きは、
肉体は物質として顕われている“心の状(すがた)”であるから、
心に対して感応するものであることを示しているのである。
肉体が単なる物質ではなく、《心の糸が組み合わされて》
そのような姿をあらわしているものとすれば、〃感謝〃 に対しても
肉体は鋭敏に感応することは当然であるのである。
吾々は今まであまりにも肉体を「物質的道具」の如く思って使うだけで、
感謝したことがなかった。もっと感謝すれば、肉体はもっと永持ちするのである。
『生命の實相』の生活篇の中には、眠りしなに、脚を撫でさすりながら
「ありがとうございます」 と感謝語をとなえて眠る品田俊平君のことを
書いておいたのであるが、それを大抵見のがしてしまう人が多いのである。
長く健康を保ちたい人は、眠りしなに脚のみでなく、自分の両掌で、肩から両腕へ、
胸から腹の方へ十回位撫でさすり、いたわりながら 「ありがとうございます」
と感謝の語(ことば)を繰返し、腹部は大腸の上を左進右退式に円を描くように
丸く掌でさすりながら、「ありがとうございます」 と感謝語をとなえるがよい。
そして大腿部を下へと撫りながら脚に感謝する。
これは寝床に仰臥のままするのだから、脚の下部へは両手はとどかないが、
とどく気持ちで下方へ向けてさすりながら
「全身の血行がよくなり、頭に集中していた血液が足部に集中して頭が軽くなり、
神に護られ安らかに眠られる、神さま、ありがとうございます」
と念じながら眠りに入るがよい。
こうすれば、明日は今日よりも一層健康に若々しくなっているであろう。
(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11939/1367099976/2 より転写)
<感謝合掌 平成27年12月5日 頓首再拝>
愛語と礼節 - 伝統
2015/12/08 (Tue) 19:52:22
*『理想世界』誌 昭和45年7月号より
~谷口輝子 先生
ノートルダム清心女子大学の渡辺和子学長が、或る雑誌に書いて居られた一節に、
「・・・・・礼儀には同時に、人間のあり方としてのきびしさがある。
アメリカで実際にあった話である。
一人の黒人が招かれて講演したとき、激しい野次と妨害がおこった。
最後まで態度を変えることなく講演を終えて壇を降りてきた黒人に、
主催者側は謝りながら、何故ののしり返さなかったのかと尋ねたところ、
『私は、相手の低さにまで身を屈することができなかったからだ』
と答えたそうである。
この言葉には衿を正させるきびしさがある」
私はこの文章を読んだ時、白人に蔑視されている黒人の中にも、
白人以上に高い魂の人のあることを知った。
色の白いのが尊いわけでもなく、色の黒いのが卑しいわけでもない。
魂の高いのが尊いのである。
私は時々テレビなどで議会の光景を見る。
反対党の人が演説していると盛んに野次る。
国民の選良らしい紳士的態度でなく、下卑な言葉、怒りに上ずった表情で怒鳴る。
その党の人が演説しはじめると、今度はその反対党がまたガヤガヤ野次を飛ばしているので、
聴取者には演説の言葉がわからなくなってしまう。
相手の言葉を静聴するという礼儀もなく真心もない。
相手が野次るから自分も野次り返すというのでは、
どちらも同じレベルに立っているのである。
それでは、相手を馬鹿にしてののしる資格はないのである。
同じ低さにあるのだからである。
渡辺和子学長はまた、
・・・・礼儀を軽視する多くの人は怠け者である。
寒いときにマフラー、オーバーをとって挨拶すること、 一歩譲って他人を先にすること、
心をこめて“お早ようございます”ということには努力がいる。
この努力をしないで、自らの怠慢を正当化するために、
無礼のまかり通る時代を謳歌しているのであれば、
その波に乗ることは、人間性の危機をもたらすことでしかない・・・・・」
とも言っておられる。
ここで言われる人間性とは、動物性に対する人間らしさのことであろう。
動物には愛情を示す動作はあるけれど、礼儀はない。
創られたるものの中で、礼儀のあるものは人間だけである。
人間の形をしていながら礼儀を知らない者は動物なみだと言われても仕方がないであろう。
渡辺和子学長は、マフラーやオーバーをぬいで挨拶するには努力がいると言って居られる。
その努力を実行することが克己である。
誰でも寒い時は脱ぎたくないであろうけれど、
己れに克つことの出来る人は敢然と脱ぐのである。
師の講話を聴く時に、
マフラーや道行コートを着たまま畳や椅子に坐っている人は、己れに負けた人である。
(http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p1.html より転写)
<感謝合掌 平成27年12月8日 頓首再拝>
Re: 谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉③ - hgidbjnfj URL
2020/08/29 (Sat) 19:12:46
伝統板・第二
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