伝統板・第二

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夏越祓 - 夕刻版

2015/06/28 (Sun) 18:20:33

夏越の大祓いの「ち・から」

      *メルマガ「大和し」(2015.6.28)より


今月・水無月は、夏越の大祓いの行われる月です。
今年の年が明けて半年。
これまでの穢れを祓い、清らかなる心身に立ち返る神事です。

生きていれば、いろいろな過ちを犯してしまいます。
また、多くの命を頂いて、生きる糧にしているのも事実です。

商売をしていれば、「利を得る」ことは、穢れていることにつながります。
それ故に、自分を取り巻く周りの支えなしには生きることができないのです。

1年には2回の大祓いがあります。
年越しの大祓いと、夏越の大祓いです。
この2回の大祓いが、暦によって決められていることで、
私たちは1年の中で、「区切り」をすることができます。


6月30日の「夏越の大祓い」は、
今年の命に対する感謝と、年越しまでの「見えない力」を宿すとても大切な儀式です。

結局人間が生きていくには、多くの生き物の命を頂かなければ生きられません。
また、自分を取り巻く多くの人々の大切な時間やエネルギーを受け取りながら
生きていくことになります。

改めて、立ち返り、自分の生き方や人生を振り返ることが生きる糧につながります。
自分の命をどのように使うかは、自分で決めなければなりませんが、
このように「生かされている自分」を自覚することで、
どう生きなければいけないのか・・・が見えてくるのではないでしょうか。

今月は、奈良県の大神神社では、笹ユリが咲きます。
三輪山をご神体としているこの神社は新緑の景色が広がっています。
そして、その中に「笹ユリ」が咲くのです。

その笹ユリの神事も終わり、いよいよ夏越の大祓いの準備が始まります。
境内には、大きな茅の輪ができ、参拝者を迎えようとしています。

「水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり」

の和歌を口ずさみながら、茅の輪をくぐります。

今年の前半、いろいろなことがありましたが、
無事に乗り越えることができました。

改めて、「命」について考えることができる夏越の大祓いは、
日本人にとって、とても貴重な文化です。

・・・



<参考Web>

(1)本流掲示板「【夏越祓】 (3083)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=606

(2)光明掲示板・第一「”「大祓」” (5150)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=973

(3)光明掲示板・第一「夏越の大祓い (9549)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1812

(4)光明掲示板・第二「年越の祓」 (4126)
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=860

(5)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
    「禊祓祝詞講義」 『大祓祝詞の私解』
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=48

           <感謝合掌 平成27年6月28日 頓首再拝>

<大祓祝詞> - 伝統

2015/06/29 (Mon) 20:19:27

<大祓祝詞> ~ 『大祓祝詞の私解』から抜粋

高天原に神留生(かむつまりま)す。

神漏岐神漏美命(かむろぎかむろみのみこと)をもちて八百万の神等(かみたち)を
神集えに集い賜い、神議りに議り賜いて、我皇御孫之命(すめみまのみこと)は
豊葦原の瑞穂國を安國と平けく知し食(め)せと事依(よさ)し奉りき。

如此(かく)依(よさ)し奉りし國内(くぬち)に荒振神等(あらぶるかみども)をば
神(かむ)問わしに問わし給い、神掃いに掃い賜いて、語(こと)問いし
磐根樹根立草(いわねきねたちくさ)の垣葉(かきは)をも語(こと)止(や)めて

天の磐座(いわくら)放ち天の八重雲を伊豆の千別(ちわき)に千別て
天降りし依(よさ)し奉りき。

四方(よも)の國中(くになか)と大倭日高見之國(おおやまとひたかみのくに)を
安國(やすくに)と定め奉りて、

下津磐根(したついわね)に宮柱太敷立(みやばしらふとしきた)て
高天原に千木(ちぎ)高(たか)知りて皇御孫之命(すめみまのみこと)の
美頭(みず)の御舎(みあらか)に仕奉りて、

天の御蔭(みかげ)日の御蔭と隠(かくり)坐(ま)して安國と平らけく知らし
食(め)さん國中(くぬち)に、成り出でん天の益人(ますひと)等が、
過犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪事は、

天津罪とは畔放(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、
串刺、生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸許々太久(くそへここだく)の罪を
天津罪と、法(の)り別けて、

國津罪(くにつつみ)とは、生膚断(いきはだだち)、死膚断(しにはだだち)、
白人胡久美(しらひとこくみ)、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、
子と母と犯せる罪、畜(けもの)犯せる罪、昆蟲(はうむし)の災、
高津神(たかつかみ)の災、蓄仆(けものたおし)、蠱物(まじもの)せる罪、
許々太(ここだ)くの罪出でむ。

如此(かく)出でば、天津宮事以ちて、天津金木(あまつかなぎ)を本打切(もとうちき)り、
末打断(すえうちた)ちて、千倉(ちくら)の置座(おきくら)に置き足らわして、
天津菅會(あまつすげそ)を本刈り断ち、末刈り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、

天津祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ。

  ・・・

  (注:太祝詞事には、諸説がありますが、
     生長の家では、次の「禊祓いの祝詞」を述べるとあります)

 【高天原(たかあまはら)に神詰(つま)り坐(ま)す、
  神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)の命(みこと)以ちて
  皇祖神(すめみおやかむ)伊邪那岐命、筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おと)の
  阿波岐原(あわぎはら)に禊祓いたまう時になりませる祓戸の大神たち、
  諸々の禍事(まがこと)罪穢れを祓い給え、浄め給えと、白(もう)す事の由を、
  天津神、國津神、八百万の神たちと共に天斑駒(あめのふちこま)の耳振り立てて
  聞(きこ)し食(め)せと畏(かしこ)み畏み白す。】

  ・・・

如此乃良(かくのら)ば、天津神は天の磐門(いわと)を押し披(ひら)きて、
天の八重雲(やえぐも)を伊頭(いず)の千別(ちわ)きに聞(きこ)し食(め)さむ。

國津神は高山の末、短山(ひきやま)の末に上り坐して、高山の伊穂理(いほり)、
短山の伊穂理を撥(か)き別けて聞し食さむ。


如此(かく)聞(きこ)し食(め)しては〈皇御孫之命(すめみまのみこと)の朝廷を
始めて〉天下(あめのした)四方(しのえ)の國には、罪と云う罪は在らじと、

科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、
朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆうべ)の御霧を、朝風夕風の吹き掃う如く、
大津邊(おおつべ)に居る大船を、舳(へ)解き放ちて、大海原に押し放つ事の如く、
彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を、焼鎌(やきかま)の敏鎌(とがま)
以ちて打掃う事の如く、

遺(のこ)る罪は在らじと祓い給い清め給う事を、高山の末、短山(ひきやま)の末より、
佐久那太理(さくなだり)に落ち多支都(たぎつ)、
速川の瀬に坐す瀬織津比咩(せおりつひめ)と云う神、大海原に持ち出でなむ。

如此持ち出で往なば、荒塩の塩の八百道(やおじ)の、八塩道(やしおじ)の塩の
八百會(やおあい)に坐す速開都比咩(はやあきつひめ)と云う神、
持ち可可(かか)呑みてむ。

如此可可呑みてば、氣吹戸(いぶきど)に坐す氣吹戸主と云う神、
根の國底に氣吹き放ちてむ。

如此氣吹き放ちてば、根の國底の國に坐す速須佐良比咩と云う神、
持ち佐須良比失いてむ。如此失いては、罪と云う罪は在らじと、
祓い給い清め給う事を、諸々聞し食せと宣す。

        <感謝合掌 平成27年6月29日 頓首再拝>

大祓詞の内容 - 伝統

2015/06/30 (Tue) 17:42:23


          *「お宮に行こう ~神社の基礎知識~」より

大祓詞は、もともとは6月末と12月末の年2回、
朝廷で行われていた大祓(国中の罪穢れを祓う神事)で奏上されていた祓詞だったのですが、

平安朝頃から、神前での通常の御祈祷でも奏上されるようになり、
やがて陰陽道や密教と融合し、呪文や陀羅尼(だらに)のように奏上すると
功徳が得られると考えられるようになり、祈祷の場においては特に盛んに
用いられるようになりました。

また、数を重ねて奏上すると功徳が増すとも云われるようになり、
百回、千回、一万回と重ねて奏上する数祓も行われるようになりました。


・・・

(大祓詞の内容)

『高天原に神として鎮まっておられます親神さまのご命令によって、
多くの神々を何度も何度もお集めになり、何度も何度もご協議をされました。

その結果、皇御孫命(すめみまのみこと)は日本の国を、
安らかで平和な所であるように治めよとのご依頼をお受けになりました。

国の中の、荒狂う神々には服従するかどうかを問いただされ、
服従しない神々は払い除かれました。
不平を云ったその他の者、岩・樹・草は不平を云わなくなって静かになりました。

そこで皇御孫命に、高天原の神座を離れて雲を押し別けて降臨させて、
地上の国・日本の国の統治をお任せになりました。

こうして統治を任せられた国の中心として、大和国を安らかな国と定められ、
岩に柱をどっしりと建て、屋根には千木を大空高く備えて、
皇御孫命の清々しい立派な御殿を造り、皇祖の神々のお蔭をいただいて
安らかにお住みになって、安らかな国にと平和に統治をされました。


しかしこの国に生まれた国民にも、過ち犯した天津罪・国津罪など沢山の罪が出てくるでしょう。
罪が出てきたらば、神事によって、木の元を切り先を切取り、沢山の案(机)に積み上げ、
また菅や麻の元を切り、先を切取って八つ裂きにして天津祝詞の太祝詞を宣(の)りなさい。

すると天津神は天岩戸を押し開いて、重なり合った雲をかき別けてお聞き下さるでしょう。
国津神は高い山の頂上、低い山の頂上に登って、高い山の靄(もや)、低い山の靄を
かき別けてお聞き下さるでしょう。

このようにお聞きとりになると、罪はすべてなくなれと、
風が大空にかかる折重なった雲を吹き放つように吹き放たれ、
朝霧・夕霧を朝風・夕風の吹き払うように吹き放たれ、

港につないだ大船を舳(へさき)・臚(ろ)の綱を解いて大海原に押し放つように押し放たれ、
向うの方の繁った木の元をよく切れる鎌で打ち払って明るくなるように打ち払われ、
残る罪はないようにと、祓い清められる罪事を、

高い山の頂上、低い山の頂上から、水が盛んに落下して逆巻く急流の瀬におられる
瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)のもとに飛ばされ、
瀬織津比咩神が大海原にもち出されるでしょう。

すると、荒潮が四方八方から集まって来てうずを巻いている所におられる
速開都比咩神(はやあきつひめのかみ)が口を大きく開いて、
総ての罪をがぶがぶと呑み込むでしょう。

がぶがぶと呑み込むと、息を吹く所におられる気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)が、
地下の国の根の国・底の国に吹き払って下さるでしょう。

すると根の国・底の国におられる速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)が、
何処ともなく運び去ってなくしてしまうでしょう。

このように運び去ると総ての罪はなくなると祓い清めている様子を、
天津神・国津神・其他の神々にお聞き下さいと申し上げます。』


大祓詞のだいたいの意訳は以上の通りです。

無理矢理一言でまとめると、日本の国体の淵源を明かにして、
国家の安泰と国民の安穏無事を願い、人倫の道を説き諭す内容、といえます。


http://turumi-jinjya.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/m/article?name=2010-04-05&page=1

http://d.hatena.ne.jp/nisinojinnjya/20051115


        <感謝合掌 平成27年6月30日 頓首再拝>

「タチハナの音」で宇宙を浄める使命 - 伝統

2015/07/01 (Wed) 18:17:47


          *Web:谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶ(2012年11月04日)より


日本民族の宇宙的使命について


――開祖・谷口雅春先生「古事記講義」の真実


(「谷口雅春先生を学ぶ」誌・平成22年11月号、P.48-51
<東山龍治氏・解説>)


☆ 「タチハナの音」で宇宙を浄める使命

『古事記』において、黄泉(よみ)の国に行かれた伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)は
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の 阿波岐原(あはぎはら)に
おいて禊祓(みそぎはらい)をされる。

伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)は『吾はいなしこめしこめき汚きくに到りてありけり。
故(かれ)、吾は御身(おおみま)の禊祓(みそぎはらい)せな』と宣言して
自らを浄められるのである。


谷口雅春先生は、この大神の「ミソギハライ」につい て次のように説かれている。


伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)は宇宙の創造神(つくりぬし)の神様ですから、
尽十方(じんじっぽう)に充ち満ちておられる。だからその「ミソギハライ」は
宇宙全体の浄化を意味いたします。

そしてこの大神は「イザナギノミコト」 でありますから、
宇宙に満つる「コトバ」なのであります。

そのコトバは如何なるコトバによって、この宇宙全体の濁っている不完全なコトバを
浄められたかというと、「タチハナノ音」即ち「縦の初めにあるところの、
“アイウエオ”の音」をもって清められたというのであります。
                     (『古事記と現代の預言』P.111)

 
谷口雅春先生の言霊学(ことだまがく)によると、
「筑紫の日向」とは、単なる地名ではなく、「尽十方光明遍照の大宇宙」のことであり、
「橘小門(たちばなのおど)」とは「竪端(たちばな)の音」のことであるという。

すなわち、宇宙の創造主たる伊邪那岐大神は、宇宙全体の大浄化の働きを為したまう
のであるが、それは筑紫(尽十方)に光明遍照する日向(ひむか)において
「竪端(たちばな)の音」の言葉によってなされたというのである。

 
谷口雅春先生によれば、「竪端の音」というのは、
「あいうえお かきくけこ さしすせそ--------」という風に五十音をならべると、
いちばん竪(たて)の端(はし)にある音、
「あいうえお」の五つの母音が「竪端の音」である。

この母音というのは“陽音”で、
これは常に明るくはっきりとしているひびきを持っているという。

日本語には、単なる子音(しいん)といわれている不完全音、
たとえばブック(book)の語尾のkという字の如き発音はない。 
これはハッキリ顕われない音であるから“陰音”と呼ぶ。
「陰の国の言葉」「黄泉 (よみ)の国の言葉」である。

 
それは谷口雅春先生によると、生命がはっきりと発現していないところの不完全な言葉である。
例えば先の、書物をブックという、そのクの音は、日本語では 書きあらわすことができない。
犬がククククと嘔吐(へど)を吐いたり咳(せき)しているような音であって、
完全音になっていない。 

このkの発音に竪端の 音であるAIUEOをつけると、
カキクケコ(ka ki ku ke ko)と、はっきりする完全音となる、と説かれるのである。

 
このように陰陽そろった明るい言語になることによって、
「いざなみ」の“死の文化”の“陰の音”に日本の「霊的文化」のたましいを入れると、
西洋の文化は再び生きてくる、ということになる。

 
「ミソギハライ」というのは、結局“西洋文化”に対して
“日本の生命”をそれにそそいであげることであり、
これが本当の“みそぎ”というわけである。

それは「死の文化」に対して生のたましいを入れることによって、
それを「生の文化」として生かすことなのである。

 
つまり、この不完全音を完全音にすることによって宇宙を浄め、
生命の顕現を十全なものとしていくことが吾が日本民族の宇宙的使命なのである。


特に『古事記』の大和言葉に見られるように、日本語は元々優れた純粋な濁りのない言葉であり 、
『コトバは神であり、コトバには創造力があり、言葉は文化発達の道具であり、
指標でありますから、

言葉が発達しているということは、その人の精神が発達し ているということを
現しているのであります。日本人はもっと人種的劣等感を放棄して
大いに自信力をもたねばなりません。』(『古事記と現代の預言』 P.114)



☆ 古代の叡智を甦(よみがえ)らす使命

さて、「阿波岐原」(あわぎはら)には、
包んで隠しているものをハギ取って實相(光り)を現す意味がある。

「アハギハラ」の「ア」というのは「あらわ れる」ということであって、
天照大御神が誕生されることによってまさに世界が明るくなったことを想像させるものがある。

ただそのためには、その實相(光) を包んで隠しているものをはぎ取る必要があるのである。

 
そこで伊邪那岐大神が何をされたかというと、
身につけておられたものを悉く捨てていかれるのである。

具体的には、手にしておられた「杖」(つえ)をはじめ「帯」(おび)「御衣」(みけし)
「御冠」(みかがぶり)など身体についているものを全て投げ捨てていかれる。

もちろん、この神話は神様がただ衣服をとって裸になられたという意味ではない。

この身につけておられたものを投げ捨てることによって、
捨てられた御杖 (みつえ)から衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)が生まれ、
投げ棄てた御帯(みおび)には道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)などの神々が
生まれてくるのである。


谷口雅春先生の古事記講義に耳を傾けてみよう。


―― これらの神様は『身に着(つ)ける物』即ち、肉体<あり>と執する物質的観念を
投げ棄て給うた時に、どのように投げ棄てられたかということが書いてあるのであります。

衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)の船戸というのは、船の出入りする港のことで、
衝立(つきたて)というのは突堤のことで、
これから港を船出して迷いを捨てると書いてあるのです。

 
道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)というのは長時間の道程で
積み重ねた業(ごう)という風なものを現しているのです。

それはどういう風に投げ棄てられたかと云うと、
時置師神(ときおかしのかみ)――時を置かず一瞬の中に
禊祓(みそぎはらい)が出来るものであるということが書いてあるのです。

 
これは神様の御名(みな)に託してどんなに長時間の業(ごう)でも、
悟れば一瞬の間に消え去るということが書いてあるのです。

その捨てられる業の内に は、和豆良比能宇斯能神(わずらいのうしのかみ)、
即ち煩(わずら)うて憂(う)し、――取越苦労が捨てられた。

それから道俣神(ちまたのかみ)とは『六 道(編註・仏教で説く六種の迷界)の辻に
さ迷うというような迷い』を去られた。

飽咋之宇斯能神(あきぐいのうしのかみ)とは『飽きるほど食うて、足るほど食うて、
あまり食い過ぎてお腹が張って苦しくて仕方がないというような貪欲(どんよく)』
が捨てられた。

その次に奥疎神(おきざかるのかみ)、奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさひこのかみ)、
奥津甲斐弁羅神(おきつかいべらのかみ)、これは捨てる働きが書いてあるのです。

或いは渚(なぎさ)に、或いは沖に遠く流してしまう。
舟に乗せて箆(へら)のような櫂(かい)の働きによって沖の方へ流してしまう。
辺疎 (へざかる)とは海辺を遠ざかって流してしまうこと。-------

 
物質を『有る』『有る』と思っていたその迷いが、『物質の全否定』によって去られますと
迷いの自壊の表現として、一時現象界に色々の禍事(まがこと)が起こって来るのであります。
             (『古事記と日本国の世界的使命』P.58-62)


この黄泉の国から帰還された伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)の
「ミソギハライ」の件(くだり)は、長い時間をかけて蓄積してきたところの業を破壊して
生命の自性円満を自覚する“甦り(黄泉還り)の物語”として読むこともできる。

例えば病気の人は「神の子、病気本来ナシ」と一喝し病気の念を捨て去れば、
自ずと自然治癒力が甦(よみがえ)って貫流してくるし、
貧乏の人は貧乏という 観念を流し去れば、富が自ずと循環してやってくることになる。

これまで自分を物質の肉体として見ていた思い込みを一度、捨てきることによって、
本来の生命 の悟りが自ずと浮かび上がってくるのだ。

まさに古代の日本人は「身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれ」との言葉通り、
自分が頼りにしていた全てのものを悉く捨て去ったときに、光り輝く生命の
本当の姿(天照大御神)が顕われてくることを知っていたのである。

 
生命は掴(つか)んだものを放ち去り、
空手になったときに本来の自由を回復することができるのであり、
ここにも古代日本人の深遠なる叡知を見て取ることができるのである。


ちなみに谷口雅春先生は、「アイウエオ」のタチハナノオトを天地創造の秩序に則って、
「宇宙浄化の祈り」の際には「アー、オー、ウー、エー、イー」と順番を組み替えて
唱えることを説かれた。

すなわちこの光りの言霊は、「アー」は天を現すとともに「オー」は地を象徴し、
その地にいる生命が天を憧憬(しょうけい)して浮き上がっていく言霊が 「ウー」である。

その「ウー」の働きによって天と地とが一つに結ばれてカタカナの「エー」
つまりムスビ(創造)が完成する。

そしてその天地が一つに結ば れ、陰陽が調和する事によって「イー」、
新しい生命が甦ってくるのである。

このタチハナの言霊を実際に唱えていると、自分が澄み切るだけではない 。
「宇宙のコトバが澄みきって宇宙が平和になるのであります」
(古事記と現代の預言P112)という。

 
ということは、私たち神の子はこのタチハナの音の言葉を唱えることによって、
まさしく伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)そのものとなって自分を浄め、
宇宙のコトバを完全音にして浄化するという、大神の尊い使命を今、生きていることになる。

 
伊藤八郎氏がその新著『古事記神話入門』(光明思想社)で強調されているように、
『 古事記』の神話は「いま、ここ」に確かに生きている。

そして吾々日本人には『古事記』に秘められたところの古代の叡智を甦らして
世界を大和にする一大使命があたえられているのである。

  (http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/2012-11.html?p=4

        <感謝合掌 平成27年7月1日 頓首再拝>

【夏越の大祓い】 - 伝統

2016/06/27 (Mon) 18:52:01

今こそ、禊ぎ祓いの時である!

今週の木曜日は、【夏越の大祓い】。

        *Web:みすまるの珠(2015.6.30) から順次紹介してまいります。
            (岡正章 先生のおゆるしをお願い申しあげます)


(69)より~「禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義」後半部


伊邪那岐神様は天地創造の積極原理としてはたらきたまう宇宙の大神であります。
それですから、“ツクシ”と云うのは、九州の“筑紫”と云う字が当て嵌めて
書いてありますけれども、本当はそうじゃあない、ツクシは「尽くし」なのであります。

十方あらゆる方角を尽くして宇宙全体に広がって充ち満ちておられる光の神様が伊邪那岐神様である。

次に、筑紫の“日向(ひむか)”でありますが、
“日向”を九州の“日向(ひゅうが)”だと思って、“ひゅうが”と読む人があるけれども、

“日向(ひゅうが)”は「日向(ひむか)」が転じた語であります。
“ヒムカ”と云うのは、見渡すかぎり光に向っている意味でありまして、
「尽十方光明遍照の国」の意味であります。

 
尽十方光明遍照の大宇宙に於いて、宇宙の大神が禊祓をせられた。
だからこれは荘厳極まりなきすばらしい宇宙浄化の行事であります。

小さな人間的形体をそなえた神様が九州の一角でちょっと祓式をやっている
なんて云うようなことじゃないのであります。

 
此の祝詞を見ても、日本人は随分雄大な信念を持っておった民族
であることがわかるのでありまして、皆さんの祖先は實にすばらしいのであります。

島国に住んでおった様ですけれど、心は宇宙に充ち拡がっておって、
自分たちは宇宙の大神の子孫である、
即ち「神の子」であると云う信念をもっていたのであります。

 
この伊邪那岐(いざなぎの)神様は“ツクシ”即ち“尽十方”の
“ヒムカ”即ち“光明遍照の世界”に於いて、禊祓(みそぎはらい)をせられた。

“ミソギ”と云うことは“浄化”することを云うのであって、
その浄化は何によってするかと云うと「光」でするのです。

伊邪那岐神様は「光」の大神であって、宇宙を「光」で満たして暗黒を消し、
世界に平和を持ち来たす御働きの神であります。

伊邪那岐神様が、「光」の神であると云うことは、
後に宇宙を照す天照大御神をお生みになったので明らかであります。

「光」で「暗黒」を消すと云っても、物質的な光線ではありません。
それはどんな光によって禊祓をせられたかと云うと、「橘の小戸」であります。

「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」と地名の如く書かれてありますが、
これは地名じゃないのでありまして、地名に象(かたど)って
その御働を象徴してあるのであります。…(中略)…


    宇宙浄化の働は永遠につづく

“アハギハラ”と云うのは、「筑紫の日向の阿波岐原」と云う風に、
場所の名前になっておりますが、“ア”と云うのは“あらわす”ことで、
“ハギ”と云うのは“追剥”の“ハギ”と同じ事で、
偽物のヴェールを“剥ぎ”とって覆いを取り除いてしまうことであります。

即ち「光明の言葉」の力で、本来無い処の偽物の迷いを、それを除いてしまう、
これが禊祓なんであります。

 
「光明の言葉」の力に依って人間の心の暗黒を取り去り給うたそのお働を、
宇宙の大神たる伊邪那岐神様がせられた時に、その宇宙浄化の働が人格化して現れて
祓戸大神と云われる神様が四柱お生れになられたのであります。

それで、此の禊祓の祝詞には「伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
禊祓たまふ時に成りませる祓戸の大神たち」となっているのであります。

 
それで神社その他で祭典をする時に、先ず祓式と云うのをやる時に、
祓戸四柱の神様のお名前を一柱ずつ唱えて
この宇宙浄化の神様のお働を勧請(かんじょう)するのであります。

簡単にやれば、お名前を呼び奉らずに、この「禊祓の祝詞」だけを読めば、
言葉の力によって祓戸の大神の宇宙浄化の働が動き出して下さるのであります。

この祝詞に「禊祓ひたまふ時に」とありますのを「禊祓ひ給ひし時に成りませる」と
読む人がありますが、伊邪那岐大神の宇宙浄化の働は過去にもありましたが、
今も永遠につづいていますので「禊祓ひたまふ時に成りませる」と
現在の動詞活用で読む方が正しいのであります。


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        <感謝合掌 平成28年6月27日 頓首再拝>

【夏越の大祓い】 ~その2 - 伝統

2016/06/28 (Tue) 19:15:38


(71)より~「禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義」後半部

        *Web:みすまるの珠(2015.7.1) より

≪祓戸(はらいど)の四柱(よはしら)の神様は大祓祝詞(おおはらいのりと)の中に
名前が書かれておりますから、どう云う神様であるか、大祓祝詞を次に読んでみることに致します。

 
「彼方(おちかた)の繁木本(しげきがもと)を焼鎌(やきがま)の敏鎌(とがま)もて
打掃(うちはらう)事の如く遺罪(のこるつみ)はあらじと祓給ひ清め給ふ事を、
高山之末短山之末(たかやまのすえひきやまのすえ)より佐久那太理(さくなだり)に落ち、
多岐都速川(たきつはやかわ)の瀬に坐(ま)す瀬織津比咩(せおりつひめ)」

 
先ずその一柱は瀬織津比咩神(せおりつひめのかみ)と云う神様であります。
女性の神様になっているのは「水」の働であるからであります。

「多岐都速川」即ち、瀧の様に早く流れている所の急な流れにましますところの
“急流の神様”で、噴流式の洗濯機のような御働きで、速かに宇宙浄化の作用を
なさる神様であります。

川の水と云うものは凡てを浄化する。農村なんかでは水道の水が無いから、川で洗濯している。
襁褓(おむつ)でも何でも洗っている。その下の方でお米を炊(かし)いだりしているのもある。
まことに乱暴な話で、それは衛生に悪いと思われますが、それでもその割に伝染病に
かからないのは、速川の流れる働きで浄化されるからであります。

兎も角(ともかく)、何でも彼でも浄めるのは此の川水の働きでありまして、
この浄化の働きを人格化したのが瀬織津比咩(せおりつひめ)と称せられる神様です。

此の瀬織津比咩と云う神が、「大海原に持出でなむ」とありまして
この川の御働きとしてあらわれてまします宇宙浄化の神様が、一切の地上の不浄物を
大海原(おおわだのはら)即ち大海原(おおうなばら)へ流し出される。

すると、大海の浄化の働と云うものは又素晴しいのであります。


    實相の世界へ息吹き放つ

海には地上にある凡ゆる汚いものが流される。都会では、皆さんの大小便も
――水洗便所を通じて――みんなここへ流されて行く。それがいつの間にか浄まって、
それで皆さんが泳いだり、その海の中で呼吸したり餌をくったりしている魚を、
皆さんが「美味しい」と云っておあがりになるのです。

まあそう云う様な工合になっているのが、宇宙浄化の大自然の働きであって、
どんな汚いものでも全部呑み込んで、浄化したまう働きをして下さる。

この大自然力が大海原の神様で、この神を「速開津比咩神(はやあきつひめのかみ)」
と申し上げる。大祓祝詞には次のように書かれています。

 
「大海原(おおわだのはら)に持出でなむ。如此持出往(かくもちいでいな)ば
荒塩(あらしお)の塩の八百道(やおぢ)の八塩道(やしおぢ)の塩の八百會(やおあい)に
坐(ま)す、速開津比咩(はやあきつひめ)と云ふ神」

 
此の「速開津比咩」と云う神様が、海の浄化の神様になっておるのです。
どんなものでも、口を開いて呵々(かか)として呑んでしまうのです。

だから、大祓祝詞には、

 「速開津比咩と云ふ神持(かみもち)可々呑(かかのみ)てむ。」

と、ぐーっとこう呑んでしまうと書かれているのであります。
こうして大海が一切の不浄物を呑み込んでしまうと、どうなるかと云うと、大祓祝詞には、

 「如此(かく)可々呑ては気吹戸(いぶきど)に坐(ま)す気吹戸主(いぶきどぬし)と
  云ふ神 根之国底之国(かみねのくにそこのくに)に気吹(いぶき)放ちてむ。」

とあります。これは風の神の働きを云ったのであります。

此の「気吹戸主神様」のおん働きが大切であります。
大自然の力・台風みたいな働きを人格的に拝して「気吹戸主神」と申し上げたのです。

海上や山間にああ云う台風のような風が吹かなんだら、地上の不浄物は
一網打尽的に海へ流れないし、又幾ら海へ流れ込んだとて、完全に速かに浄化しないのであります。

ああやって、ザーザーと、風の働によって波を立てて吾々が地上でつくった汚れを
浄化して下さるのであります。そうするとどんな汚い物でもきれいなものに変化してしまう。

その浄化すると云うのは、どこへ其の汚物をやるから浄化出来るのであるかと云いますと、
「根の国底の国に気吹(いぶき)放ちてむ」とあります。

「根の国、底の国」と云うのは、事物の生ずる「根底の国」即ち
「實相の国」のことを云うのであります。

「實相の国」にはどんな汚れもない、それは「光ばかりの国」でありますから、
「光ばかりの国」へ、暗(やみ)の「気枯(けが)れ」を追いやったら、
暗は自然に消えてしまうのであります。

 
わたし達が春秋の大掃除の時に、畳を叩いてホコリを落すと、濛々(もうもう)として
ホコリが立ちのぼる。ところが、いつの間にか大気がきれいに澄み切ってその埃(ほこり)が
無くなってしまっているのであります。

あれは気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)のおん働きによって根の国底の国――實相世界――へ
追いやられて浄化されてしまう。

科学的に云えば、いろいろな物理化学的現象によってそれが浄化されるのですが、
その働きの根元は實相世界から来ている。

實相の世界にはどんな埃も無い。
現象の世界には埃がある。

それで、實相の世界へ気吹放ってしまうと、現象世界の汚れが浄化されるのであります。
どうして浄化されるかと云うと、大祓祝詞には、

 「根之国底之国に坐(ま)す速佐須良比咩(はやすさらひめ)と云ふ
  神持佐須良比(かみもちさすらひ)失ひてむ。」

とあります。

速佐須良比咩命と云う“霊的波動”のはたらきによるのであります。
此の速佐須良比咩神と云う神様のお働きを分り易く言うと、擦(さす)る神様です。
大宇宙をマッサージする神様です。

皆さんでも、肩が凝ったと云うときには、そこに心の埃が溜っている、
換言すれば、そこに心の執着や焦りのストレスが出来ているのであります。

その時に、按摩をして貰うと、その凝りがとれて、気持がよくなる。
気持がよくなるのは浄化されたのであります。
按摩は擦る働き即ち速佐須良比咩神様の一つのお働きで、それで気持が良くなるのであります。

さすれば、實相の正しい血液循環のそのままの姿というものが、
そこに現れて来て、凝りや病気が消えると云う事になるのであります。

 
これは、人間界の出来事に喩(たとえ)をもって来て分り易く云っているのでありますが、
大自然界に於いても、ああ云う工合に台風が吹くのも、或る意味から云うとあれは
宇宙浄化の働きであります。

だから吾々の心が濁ると、それだけ余計浄化せねばならんから
余計台風が吹くと云う事になるのであります。

あの台風に依って、人間のつくった心及び物の汚いものが皆浄化されて、
清らかに澄み切った世界が出て来るので、吾々の心が、浄化を要しない位に浄まらないと、
毎年一回や三回位は速佐須良比咩命に台風を起こして擦って貰わんと、
一度に溜めておいて浄化するとなると、それこそ大変、地球の滅亡にもなりかねないのであります。

        <感謝合掌 平成28年6月28日 頓首再拝>

【夏越の大祓い】 ~その3 - 伝統

2016/06/29 (Wed) 20:33:48


(72)より~「禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義」後半部

        *Web:みすまるの珠(2015.7.2) より


≪  ストレス=凝りを均(なら)す働き

新派の柳英二郎と云う役者がありました。
その奥さんが、いつも肩が凝ると云う持病があったと云うのです。

その頃、真澄静子さんが生長の家の誌友で東京にいられた。

その人が指圧療法の先生でありまして、まだ生長の家の誌友になる前に、
肩を凝らしている新派の俳優の所へ指圧の治療に行くようにしていられ、
毎月一二回は柳英二郎さんの奥さんのところへ指圧治療に行くのでした。

何時も指圧して居ると其の人の肩が凝っているか凝っていないかと云う事は
一寸手を当てると、もうすぐに分かる。

ところが或る日、真澄静子さんが行って柳夫人の肩に手を当てると、
いつも凝って固くなっている肩の筋肉が凝っていない。柔かなのです。
ハッと気付いた真澄静子さんが、「貴女、悟ったですねえ」 と斯う言われた。

 
そうしたら柳夫人が、「実は生長の家の本を読んだのです」 と言う。
 
「生長の家の本ってそんな好い本ですか」 と云う訳で、それから真澄静子さんが
生長の家に入って勉強し、地方講師になり、熱心に生長の家の教を人々に
伝えられるようになったのであります。

心が穏かになり、平静になって、實相に調和した心境になったら肩が凝らんのであります。

地球だって本来生き物でありますから、矢張り肩が凝るのですよ。
地球には肩がないけれども、地殻の一部にストレスを生ずる、それは肩が凝るのと同じことだ。
そうすると色々な現象が出て来る。

たとえば噴火山が爆発するのは、
あれは地殻の内部圧力が不平均だから爆発する処が出来るのでしょう。
また地震が起るのは地殻内部の圧力の不平均を均す働でありましょう。

地球をとりまく雰囲気である大気中にも又気圧の不平均と云うものも起って来る、
これらは地球のストレス即ち肩が凝っているのであります。

その気圧の不平均を均す働きと云うものがさあっと起って来るのが、台風であります。
普段にも少しずつ風も吹いているし、波も起っているのですが、
あれは速佐須良姫のサスル働きによって、地球のストレスが始終少しずつ
浄化して行きつつあるのであります

。併し徐々に浄化が行われるだけでは足らんものですから、
ときどき、もっとひどい浄化作用がやって来る事がある訳です。

地球だって人間だって生き物でありますから良く似ているのです。

人間も夏になったら汗が出るでしょう、冬になったら皮膚が乾いてカサカサになる。
地球だってそうなんです。

夏近くなったらじめじめとした雨期が来、
台風をともなう大雨が来て諸方に洪水が起って来たりします。

人間が夏期になると発汗作用が起るように夏期には地球の水分が表面へ出て来るのです。

ところが冬になると、人間の皮膚の発汗作用が減退して来るのと同じように、
地球も汗をかかんようになり渇水期と云うのを迎えます。

汗をかくと云うのは生きている証拠でありますが、夏でも心境を涼しくしておったら、
やっぱり涼しい感じがして汗をかかん人もあります。


   浄化と時間の経過


ところで地球の生命と人間の生命とは互いに連関しておりますので、
地球上に住んで居る人類全体が、汗をかかん様な焦らない、静かな、平和な心境になっておったら、
そう云う天災地変と云うものも減って来ると云う事になる。

天災地変と言うけれど、雨が降るのは瀬織津比売命の御働きであり、
地震や火山爆発は速佐須良比売の御働であって、
宇宙を浄化し地球を浄化しているのであります。

もし宇宙にこう云う浄化の働きがなかったら、私たちがうんこでも流したのが、
いつまでもその辺に浮いとって、もう汚くて汚くて、海水浴なんてできない事になるけれども、
それをちゃんと速佐須良比売命(はやさすらひめのみこと)が擦(さす)ってくれて
波を起こして「可々呑(かかのみ)てむ」と云うわけで不浄物を「無」の世界に
皆呑み込んでくれるものですから、どんな不浄物を海に流しても浄化してしまう訳であります。

風呂へ入って皮膚の表面を擦(こす)ると垢がとれる。それと同じことが宇宙にも行われる。
此の宇宙浄化の働きを神格化して、祓戸(はらいど)四柱(よはしら)の神として、
日本神道ではこれに礼拝し感謝するのであります。

それで、
 
「祓戸(はらいど)の大神等(おおかみたち) 諸々(もろもろ)の枉事(まがこと)罪穢(けがれ)を
祓(はらい)給へ清め給へと申す事の由を、天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百萬(やおよろず)
の神等共に天斑駒(あめのふちこま)の耳振立て聞召(きこしめせ)と畏み畏みも白(まを)す」

天斑駒と云うのは、古事記に、須佐之男命(すさのおのみこと)が天斑駒を逆剥(さかはぎ)に剥いで、
天照大神様が機(はた)を織っておられた所へ投げ込んだと云う事が書かれているのであります。

此の天斑駒と云うのは、天の“まだらうま”と云うことでこれは“時間”の象徴であります。
あのガソリンに「ペガサス・ガソリン」て云うのがあるでしょう
。あのペガサスと云うのが天を翔ける馬であって、商標の図を見ると、馬に翼がついているでしょう。

あれが天斑駒です。
“斑”というのは、白と黒との“ぶち”のことで、
これは、“昼”と“夜”とを表している訳です。

“昼”と“夜”との交代によって幾日経過したかと分かる時間の事なんです。

「天馬空を翔る」 とか 「白駒の隙を過ぎるが如し」――白い駒が隙間を過ぎる様だ――と
云って時間を馬に譬える語句があります。このように支那の喩にも、「時間」 を 「駒」 に
譬えているが、日本でも 「時間」 を 「駒」 に讐えているのであります。≫



(67)より~「禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義」

        *Web:みすまるの珠(2015.6.29) より

 「天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百萬(やおよろず)の神等(かみたち)
共に天斑駒(あめのふちこま)の耳振立てて聞召(きこしめ)せ」

 という祝詞のことばについてのご解説として。

≪ 天斑駒(あめのふちこま)と云うのは、天の“まだらうま”と云うことでこれは
“時間”の象徴であります。(中略)

此の世界を浄化するためには或る時間が要る。あまり急いだらいかん。
あまり急激に変革しようとして急いだらそれだけ余計激しい変動が起らなければならないから、
悲惨が一層拡大するのであります。だから徐々に時間の経過をとおして変化させて行く、
これが「天(あめ)の斑駒(ふちこま)の耳振り立てて」であります。

 
病気でも早く癒る時には“ケミカライゼーション”即ち“迷いの自壊作用”と云うものが起って
今まで慢性の病気であったのが急激に急性の病気になったりして、
一時的にはひどくなってそれで却って快くなると云うことがある。

或は此の社会でも良くしようと思ったら、革命と云うような、激しい事が起ってから、
それで善くなると云うことがある。

中共みたいにわずか数年の間に社会革命を起こして封建制度の世界から、
共産制度の世界を造り上げたと云うような場合には、あの為に、
一千萬人程度の人が粛正されて殺されたと云うことですね。

あんな大きな問題は、それ程の大自壊作用を急激に起こすことによって、急速に良くなるのであります。

だからどうしても此の世界を良くしようと思ったら、時間を経なければならない。
それで、「祓(はら)ひ給へ清め給へ」と御祈り申し上げたならば、
天の神、地の神、八百萬(やおよろず)の神様がみんな一緒になって時間をかけて
天地の浄化を徐々にやって頂くように

「天斑駒(あめのふちこま)の耳振り立てて聞召(きこしめ)せ」と祈るのであります。

それは、時間の経過を経なければならないから、
「天斑駒の耳振り立てて」聞いて下さいと云う表面の意味で、「聞召せ」と書いてあるけれども、
耳で聞くだけじゃないんです。

大体此の世界の一切のものは言葉で出来ておりますから、
「物を動かす」ことをみんな「聞く」という語で表現することがあるのです。

たとえば、目で見るんだったら、あの人は「目きき」である、「目ききが鋭い」などと言います。
此の世界は言葉で出来ているんですから鼻でそれを知る場合にも「あの人は鼻が良くきく」
というのです。

また「香をきく」とも云う。舌が物を言う場合には、「あの人は口ききじゃ」と云う。
「味わう」ことを「味をきく」とも云いますね。
また腕で實行するのに巧みな人を「あれは腕ききだ」と云う。
「手はきかぬが、足はきく」と云うことばもある。

ともかく皆實行する事を皆「きく」と云うのです。
是は此の世界の凡てのものは言葉に依ってつくられているからそれに反応を示すことを
すべて「聞く」と云うのであります。

それで「天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百萬(やおよろず)の神等(かみたち)
共に天斑駒の耳振立てて聞召せ」と、私たちは、時間の経過をとおして、どうぞ徐々に、
あまり激しい自壊作用なしに、此の世界を光明化して、浄化して下さいませ、
と斯う云う風に祈り申し上げる言葉が禊祓の祝詞なのであります。≫

http://misumaru.o.oo7.jp/kinkyou.html

        <感謝合掌 平成28年6月29日 頓首再拝>

【夏越の大祓い】 ~その4 - 伝統

2016/06/30 (Thu) 17:43:55


(73)禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて

        *Web:みすまるの珠(2015.7.3) より


《住吉大神様は宇宙創造の神であると同時に、宇宙浄化の神であり、東道(みちびき)の神で》

この生長の家大神とは誰方(どなた)であるかと言いますとこれは阪神間の
本住吉神社にお祀りしてあるところの住吉大神(すみのえのおおかみ)であられまして、

『古事記』に、天照大御神様がお生れになるに先立って、此の大宇宙浄めの神として、
水と塩(霊)とを以って浄め給うところの龍宮海の神様として現れられたところの
上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神(なかつつのおのかみ)
、底筒之男神(そこつつのおのかみ)と言われる三柱の神様を一体に総称して、
住吉(すみのえの)大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります。

生長の家が発祥致しました前後に私が住吉村に住んでおりまして、毎日その本住吉神社へ
お参りしたものでありまして、その当時、霊感に啓示されて此の生長の家の教と云うものが
現れて来たのは今申し上げた通りであります。

爾来「一切の宗教は一つである」 「真理は一つである」 との啓示に導かれて、
古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれの宗教も、その説き方は異なっても、
どの教も人間を救う “唯一つの真理” を説くのであるから、どの宗教も互いに分立せずに
手を繋げと云うことを説いて来ているのであります。

『古事記』 にあらわれたる住吉大神は其の後同書に塩椎神(しおつちのかみ)
又は塩椎翁(しおつちのおきな)(『日本書紀』・神武天皇の巻)として
現れていらっしゃるのであります。

塩椎神は潮筒之男神(しおつつのおのかみ)であらせられまして、
海の潮を上潮、中潮、底潮と分けまして、上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神の三柱に
顕れていられるのでありますが、総じて塩筒之男神と申し上げるのであります。

此の神様は宇宙創造の神であると同時に、宇宙浄化の神であり、
東道(みちびき)の神でもいらせられます。

         (『實相と現象』 の第一部 「宗教の神髄」 の二番目の章
           「生長の家の発祥とその本尊及び使命」 )

              ・・・

(78)禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて

        *Web:みすまるの珠(2015.7.6) より

此の宇宙創造の神様の禊祓いというのは、宇宙の浄化作用であります。
宇宙の浄化作用の最後に、終末の浄化をするために、顕れられたのが
上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神(なかつつのおのかみ)、
底筒之男神(そこつつのおのかみ)と云う三柱の神様、その三柱を一つにまとめて
潮筒之男神(しおつつのおのかみ)、潮土(しおつちの)神(塩椎神)
即ち住吉大神がお生れになっているのであります。

さて、今や此の『古事記』に書かれている所の預言――それはことさらに預言として
書いたものじゃないのですけれども、古代の民族は科学的精神が発達していないから、
かえって霊的直感力が発達しており、その霊的直感力によって、

この宇宙の進化のプログラムとして出て来る事件を直感して、何かに語り伝えるとか、
何かに書くとかせずにいられない衝動にかられて、どういう順序を通じて、どう云う世界が
顕れて来るのであるかという事を神様物語に表現したのが、神話というものなのであります。

だから、神話には預言的性質があり、物質文明のきわまるところ其の最後には
「宇士多加礼闘呂呂岐て」惨憺たる原爆、水爆の大破壊があり、死骸が腐って、
蛆が一ぱいたかっているような世界になってしまうと云うのであります。

       (『實相と現象』46~56ページ)

            ・・・

《地球絶滅の惨禍を避けるための世直し禊ぎ祓い》

伊邪那岐神様は“霊”の神で主働者として、“物”をあらわす受身の御はたらきの
伊邪那美神様とお二人で宇宙をおつくりになった神様ですから、宇宙創造の大神です。
その伊邪那岐神様が、

 「吾は、いなしこめしこめき穢(きたな)き国に到りて在りけり」
 (……ああ私はいやらしい物質文明の国へ行っておった。イザナギ文明の世界に
あこがれて往っておったけれども、物質文明の世界というものはあんな穢い国であった!!)

とこう言われて、御身体の禊ぎ祓いをせられたのであります。

伊邪那岐神様の御身体の禊ぎ祓いとは、宇宙神であられますから、
宇宙ぜんたいの禊ぎ祓いであります。

どこで禊ぎ祓いせられたかというと、
「筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)に到(い)で坐(ま)して、
禊ぎ祓ひ給ひき」と『古事記』にはあります。

筑紫というのは、漢字で当てはめれば尽十方――あらゆる方角の総てを尽くしたところ、
すなわち遍尽天地の宇宙全体の事であります。日向というのは“日に向う”という意味で、
大宇宙の光明遍照する世界に於いて禊ぎ祓いすなわち 「宇宙の浄化」 をせられたのであります。


《実相の言霊(ことたま)による宇宙浄化》   

どのようにしてその禊ぎが行なわれたかというと、
「橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あはぎはら)」という地名をもって
象徴的に書かれているのであります。

この世界は言(ことば)によって創造せられたのであります。

新約聖書の「ヨハネ伝」の第一章には、「はじめに言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、
言は神なりき。……万(よろず)のものこれによりて成り、成りたるものに一つとして之に
よらで成りたるは無し、これに生命(いのち)あり」と録(しる)されているのであります。

その言を竪(たて)にアイウエオ、横にアカサタナハマヤラワと、ア行、力行、サ行、タ行……
という具合に五十音を並べますと、一番始めの竪の端にある音(竪端(たちはな)の音)は、
アイウエオという母音であります。

この竪(たて)の端(はな)の音が総ての音に入ると言葉が安定するのです。
安定は平和であります。

例えば誰でも知っている英語 “ブック”(BOOK) ですね、この語尾のKは完全音ではないのです。
不完全音であって、「ク」とハッキリ発音できない、犬が喉に骨でも立て、それを吐き出そうとして
咳(せ)いているような音ですが、そのKにアイウエオを入れると Ka Ki Ku Ke Ko となって
ハッキリと完全音になるでしょう。

このように“竪端(たちはな)の音”を注ぐと、総ての音が完全音になる訳であります。

ところで、この世界が言葉によって出来ているとするならば、それを構成する言葉が
不完全音である限りにおいては、不完全な世界が現われるより仕方がない訳であります。

そこでその言葉に、橘の小門(竪端の音)アイウエオを入れてやったならば、
ことごとく地上の人間が語る言葉が完全な言葉になるから、その言葉によって出来ている世界が、
不完全音の実現ではない、「完全音の実現の世界」になるという訳であります。
 
それゆえに伊邪那岐大神の宇宙浄化は「アーイーウーエーオー」と宇宙にひびき亘る
竪端の音による禊ぎ祓いであったのであります。

これが伊邪那岐神様の筑紫の日向の竪端の音の阿波岐原に於ける禊ぎ祓いであります。
アハギハラというのは、アは“現わす”であり、ハギは“剥ギ”であり、着ている迷いをハギ除り、
ハラいのけて実相の神聖清浄のすがたを顕現する意味を場所の名称にして物語化したのであります。

こうして禊ぎ祓いをせられますと、身についた着物の汚れが十二柱の神となって去って行かれました。

そのあと洗濯すれば垢がとれて汚れ水が出て来るように、八十禍津日神(やそまがつびのかみ)や
大禍津日神(おおまがつびのかみ)が出て来られたが、そこに神直毘神(かむなおひのかみ)、
大直毘神(おおなのひのかみ)という実相を直視する神が出現され、

その汚れ水は却って浄まるハタラキであると見直されまして、最後の浄化の御ハタラキとして
出現せられたのが、上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神、底筒之男神という
三柱の神様であって、これは龍宮の大神、海(うみ=創造)の神様であります。

海の水を三段に分けて上の方を司り給うのが上筒之男神であり、
中段を司り給うのが中筒之男神であり、底の部分を司り給うのが底筒之男神でありますが、
この三柱の神は三柱にして三神一体の住吉大神であり、

『古事記』は墨江(すみのえの)大神という漢字を当てはめている。
現代読みましたら住吉(すみよしの)大神であり、今の時点に於いて人類光明化の神として
天照大御神の神徳を顕現し、日本国家を護持するためにあらわれてまします生長の家の神様であります。

住吉大神のおはたらきというものは、あるべきものをあるべきところにあらしめるところの、
宇宙の浄化の原理ともいうべき神が住吉大神であらせられます。

この住吉大神が伊邪那岐神様、宇宙創造の神様、宇宙浄化の禊ぎ祓いの最後の浄化の神様として
出て来られて、上、中、下と、みずから秩序ある相に分かれて、人類はみな“神の生命”の顕現で
一体であるけれども、みな個性があって、日本民族は日本民族として、他の国に並びのない
天皇国家というそういう理念を持っていて、他国に類例のない素晴らしい美しい中心帰一の国家を
創ったのであります。

そういう個性あるアイディアを実現する使命を持って生まれたのが日本民族なのである。
それは梅の木が梅の花を咲かせ、桜の樹が桜の花のすがたを此世に実現する使命を持っている
と同じ様に、

日本民族は、天之御中主の「中(みなか)」の原理を国家にそのまま実現して、
天皇なるところの中心を持った国家をつくる使命を持って地上に降誕したのである。

その使命の実現として天皇国家日本は出来たのであります。

  (『聖なる理想・国家・国民』の71ページ以下)

http://misumaru.o.oo7.jp/kinkyou.html


        <感謝合掌 平成28年6月30日 頓首再拝>

Re: 夏越祓 - nqlxshsltrMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:50:31

伝統板・第二
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