伝統板・第二

2471639
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

二宮尊徳(二宮金次郎) ② - 夕刻版

2015/06/08 (Mon) 19:32:02

スレッド「二宮尊徳(二宮金次郎) 」からの継続です。
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457816

・・・

二宮翁夜話 巻之二~その1

尊徳先生がおっしゃった。

学問は活用を尊ぶ、万巻の書を読んでも、活用しなければ用をなさない。

論語に、
『里(り)は仁をよしとす、撰(えら)んで仁に居らずんば焉(いずくん)ぞ智を得ん』とある。
誠に名言である。

しかしながら、遊び人や借家の人であれば、風儀の整ったよい村を選んで居住する事もできよう、
しかし田畑や山林、家・蔵を所有する、何村の何某といわれる者が、
どんな仁義の村があるからといって、その村に引越す事ができようか。

さりとてその不仁の村に不快ながら住んでいても、智者とはいわれないのは勿論である。
さて断然不仁の村を捨て、仁義の村に引越す者があっても私はこれを智者とは言わない。
書を読んで活用を知らない愚者というであろう。

なぜかといえば、何村の何某といわれるほどの者が、
全戸を他村に引き移す事は容易なことではない、その費用も莫大であろう、
この莫大の費用を捨て、住み馴れたふるさとを捨てる、愚といわないで何と言おうか。

人には道がある。

道は蛮貊(ばんぱく)の国といえども行われるものであるから、
どんな不仁の村里でも、道の行われないことはない。

自ら此の道を行って、不仁の村を仁義の村になして、
先祖代々そこに永住することこそ、智というべきだ。
このようでなければ、決して智者といってはならない。

そしてその不仁の村を、仁義の村にするには、決して難かしくない。
まず自分が道を踏んで、自分の家を仁にすることにある。

自分の家が仁にならないで、村里を仁にすることは、
白砂をたいてご飯にしようとするのと同じだ。
自分の家が誠に仁になれば、村里が仁にならない事はない。

古語(大学)に言う、
『一家仁なれば一国仁に興り、一家譲(ゆづ)りあれば一国譲りに興る』、
また言う

『誠に仁に志せば悪なし』
とある通り、決して疑いないものだ。

ここに竹木など本末が入り交り、縦横が入り乱れたものがあるとしよう、
これを一本ずつ本を本に、末を末にして止まない時は、
ついに皆本末が揃って整然となるようなものだ。

古語(論語)に、

『直きを挙げて諸々(もろもろ)の曲れるを措(お)く時は、
 よく曲れる者をして直からしむ』、

とある通り、善人を挙げ、直な人を挙げて、厚く誉めたたえてやまない時は、
必ず4,5年間を出ないで、整然とした仁義の村となることは疑いない。

世間の富者は、この理にくらくて、書を読んで活用を知らない。

自分の家を仁義にする事を知らないで、
いたずらに迷いを取って、村里の不仁であるのを憎んで、
『村人は義を知らない、人々の心持も悪く、風儀も悪い』などとののしって、
他方に移ろうとする者が往々にしてある、愚というべきだ。

さて村里の人気を一新し、風俗を一洗するという事は、困難な事だが、
真心をもって行い、その方法を得るならば、さほど難しい事ではない。

まず衰貧を挽回し、頽廃を興復するより手を下して、
私の説く方法のようにすれば、次第に人気や風儀を一洗するであろう。

さて人気・風儀を一新するに、機というものがある。

たとえば今ここに戸数100の村があるとする。
その中40戸は衣食に不足がなく、60戸は窮乏していると、
一村がその貧を恥としない、

貧を恥としないと租税を納めないのを恥としない、借財を返さないのを恥としない、
役務を怠たることを恥としない、質に入れるのを恥としない、
暴言を言うのを恥としない、

このようであれば、法令も、庄屋の威力や権威も行われない。
法令が行れない時には、悪行が至らないところはない、
何を以てこれを導くことができよう、
ここにいたっては法令も教諭も皆役にたたない。


また100戸の中、60戸は衣食に不足がなく、
40戸は貧窮な時は、教えなくてもおのずから恥を生じる、

恥を生ずれば、正義の心を生ずる、正義の心を生ずれば、租税を納めないのを恥とする、
借財を返さないのを恥とする、役務を怠るを恥とする、質を入れるのを恥とする、
暴言を言うのを恥とするようになる、

ここに至って法令も行われ、教導も行われ、
善道に導くように、勤労に趣かせることができる、
その機はこのようだ。

たとえばはかりの釣合いのようだ、
左が重ければ左に傾いて、右が重ければ右に傾くようなものだ。

村内に貧しい者が多い時は貧に傾き、悪が多い時は悪に傾く、
だから互いに恥としない、富が多い時は富に傾いて、善が多い時は善に傾く、

だから恥を生ずれば正義の心を生じ、汚俗を一洗し、一村を興復する事業は、
ただこの機があるだけだ、知らなくてはならない。

どんな良法・仁術であっても、村中一戸も貧者を無くすことは難かしい、
なぜなら、人に勤惰があり、強弱があり、智愚があり、
家にも積善があり不積善があり、それだけでなく前世の因縁もある。

これをどうともできない、

このような貧者は、ただその時々の不足を補って、破綻しないようするにするのだ。

・・・

<関連Web:光明掲示板・第三「傳記 二宮尊徳」>

   <傳記 二宮尊徳 ①>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=264

   <傳記 二宮尊徳 ②>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=341

   <傳記 二宮尊徳 ③>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=483

   <傳記 二宮尊徳 あとがき>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=546



<関連Web:光明掲示板・伝統・第一「二宮尊徳(二宮金次郎) (72)」>
      http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=45

           <感謝合掌 平成27年6月8日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その2 - 伝統

2015/06/09 (Tue) 18:16:34


尊徳先生はおっしゃった。


入るのは出たものが帰るのである。来たるのは押し譲ったものが入り来るのである。

たとえば、農民が田畑のために力を尽くし、こやしをかけ、干鰯(ほしか)を用い、
作物のために力を尽すならば、秋になって実りを得る事は、必ず多いのはもちろんのことだ。

それを菜種をまいて、芽が出たら芽をつんで、枝が出れば枝を切って、
穂が出たら穂をつんで実がなれば実を取る、このようであれば、決して収獲はない。

商法もまた同じだ、自分の利欲だけを専らとして、買い手のためを思わないで、
みだりに貪るならば、その店の衰微は、眼前であろう。


古語に、

人心は惟(これ)危し、道心惟(これ)微(かすか)なり、
惟(これ)精惟(これ)一允(まこと)に其の中(ちゆう)を執(と)れ、
四海困窮せば天禄永く終らん、

とある。

これは、舜(しゆん)が禹(う)に天下を授受したときの心法である。

上として下に取る事が多く、下が困窮すれば、上の天禄も永く終るとある。
終るのではない、天から賜ったものを、天に取り上げられるのである。

その理はまた明白である。
誠に金言(きんげん)というべきだ。

しかしながら、儒者のように講じては、現在の私たちの身には、何の役にもたたない。
だから、今、私がなんじらのために、わかりやすく読んで聞かせよう。
中国の話だと思って、ぼんやり聞かず、よく肝に銘ずるがよい。


人心惟(これ)危(あやう)し、道心惟(これ)微(かすか)なり とは、
身勝手にする事は危いものであるぞ、他のためにする事は、いやになるものぞという事だ、


惟精惟一允(まこと)に其の中を執(と)れ とは、
よく精力を尽して、一心を堅固にして200百石の者は、100石で暮し、
100石の者は、50石で暮して、その半分を推し譲って、一村が衰えないように、
一村がますます富んで、ますます栄えるように勤め励めよ、ということである。


四海困窮せば、天禄永く終らん とは、
一村が困窮する時は、田畑をどれほど持っていても、決して作徳は取れないようになるものぞ、
ということだと心得えなさい。
帝王の話だからこそ、四海といい、天禄というのだ。

なんじらのためには、四海を一村と読んで、天禄は作徳と読むがよい。
よくよく肝に銘じるがよい。

           <感謝合掌 平成27年6月9日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その3 - 伝統

2015/06/10 (Wed) 19:44:12


尊徳先生がおっしゃった。


吉凶・禍福・苦楽・憂歓等は、相対する物である。

なぜかといえば
猫が鼠をとる時は楽みの極である。
一方、とられた鼠は苦しみの極である。

蛇の喜びが極まる時は蛙の苦しみが極まる。
鷹の悦びが極る時は雀の苦しみが極まる。

猟師の楽しみは鳥獣の苦しみである。
漁師の楽しみは魚の苦しみである。

世界の事皆このようである。

こちらが勝って喜べば、彼は負けて憂える。
こちらが田を買って喜べば、彼は田を売って憂える。
こちらが利を得て悦べば、彼は利を失って憂える。

人間の世界は皆このようである。

たまたま悟りの門(仏門など)に入る者があれば、
これを厭って山林に隠れ、世をのがれ世を捨てる、これもまた世間の用をなさない。

その志その行いは尊いようであるが、世のためにならなければ賞するにたらない。

私がたわむれに詠んだ歌に

「ちうちうと なげき苦む 声きけば 鼠の地獄 猫の極楽」、

とある、一笑するがよい。

ここに彼も喜んでこちらも悦ぶの道がないかと考えるに、
天地の道、親子の道、夫婦の道と、また農業の道との四つの道がある。

これらは法則とするべき道である。
よく考えるがよい。


           <感謝合掌 平成27年6月10日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その4 - 夕刻版

2015/06/11 (Thu) 18:00:29


尊徳先生はおっしゃった。


「世界の中に法則とするべきものは、
天地の道と、親子の道と、夫婦の道と、農業の道との四つである。
この道は誠に、両全完全の物である。

百事この四つを法則とすれば誤ちがない。

私の歌に
「おのが子を 恵む心を 法(のり)とせば 学ばずとても 道に到らん」
とよんだのはこの心だ。

天は生々の徳を下し、地はこれを受けて発生する。
親は子を育てて、損得を忘れてひたすら子の生長を楽しんで、子は育てられて父母を慕う。
夫婦の間もまた相互に喜び楽しんで子孫が相続する。
農夫は勤労して、植物の繁栄を楽しみ、草木もまた喜んで繁茂する。

皆共に苦情なく、喜び悦ぶ情だけである。

さてこの道にのっとる時は、商法は、売って悦び買って悦ぶようにすればよい。
売って悦び買って喜ばないのは道ではない。
買って喜び、売って悦ばないのも道ではない。

貸借の道もまた同じだ。
借りて喜び貸して喜ぶようにするがよい。
借りて喜び貸して悦ばないのは道ではない。
貸して悦び借りて喜ばないのは道ではない。

百事このようである。
私の教えはこれを法則とする。

だから天地生々の心を心とし、親子と夫婦との情に基いて、損得を度外に置いて、
国民の潤し助け、土地を復興することを楽しむのである。
そうでなければできない事業である。

無利息金貸付の道は、元金が増加することを徳としない、貸付高が増加することを徳とする。
これは「利を以て利とせず、義を以て利とする」という意味なのだ。

元金が増加することを喜ぶは利心である、貸附高が増加を喜ぶのは善心である。
元金はついにに100両であっても、60年繰返し繰返し貸す時には、
その貸つけ高は12850両となる。

そして元金は元のように100両で増減ないが、国家人民のために利益のある事莫大である。
まさに日輪が万物を生育し、万歳を経ても一つの日輪であるようである。

古語に、『敬する処の物少くして悦ぶ者多し、これを要道という』とあるのに近い。

私がこの法を立てた理由は、世間で金銀を貸して催促を尽した後、
裁判を願い出て、取れなかった時に至って、無利息年賦とするのが通常である。

この理を未だ貸さない前に見て、この法を立てたのだ。
しかしまだ足りないと思って、無利息何年置据貸しという法をも立てた。
このようにしなければ、国を興し世を潤おすに足らないからである。

およそ事は成り行くであろう先を、前に定めることにある。

人は生れるれば必ず死ぬべきものである。
死ぬべきものという事を前に決定(けっじょう)すれば、生きているだけ日々利益である。

これが私の道の悟りである。

生れ出ては、死のある事を忘れてはならない、
夜が明けたら暮れるということを忘れてはならない。

           <感謝合掌 平成27年6月11日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その5 - 伝統

2015/06/12 (Fri) 19:21:46


尊徳先生はおっしゃった。


村里の復興は直を挙げることにある。
土地の開拓は沃土を挙げることにある。

善人は、おうおうにして退いて引きこもる癖があるものだ。
勤めて引き出さないと出てこない。

沃土は必ず、低い窪地にあって掘り出さないとあらわれないものだ。
ここに気づかないで、開拓した土地を一様にならす時は、沃土は皆土中に埋ってあられない。
村里の損、これより大きいものはない。

村里を興復するのも、また同じ理だ。
善人を挙げて、隠れないようにすることを勤めるがよい。

また土地の改良を欲するならば、沃土を掘り出して田畑に入れるがよい。

村里の復興は、善人を挙げて精出している人を賞誉することにある。

これを賞誉するには、投票で耕作に精出して品行がよろしく心がけがよろしい者を選んで、
無利足金を貸し付けるとよい。

無利息金貸付旋回法は、たとえば米をウスでつくようなものだ。
杵(きね)は、ただウスのまんなかをつくだけで、
ウスの中の米は、同一に白米となるのと同じ道理だ。

無利息貸付金の返済さえとどこおらなければ、
社中一同知らず知らず自然と富裕になっていこう。
だが、返済がとどこおるときは、たとえばウスの米が返らないようなものだ。

これがこの仕法の大患である。
ウスの米が返らない時は、村搗(むらつき)となってキネが折れ砕くるものである。
この仕法で返済がとどこおる時は、仕法は萎縮してふるわなくなるものだ。

貸付を取り扱う時、よくよく注意して説諭しなさい。

           <感謝合掌 平成27年6月12日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その6 - 伝統

2015/06/13 (Sat) 18:25:49


尊徳先生はおっしゃった。


世の人は運といいことを心得違いしている。

たとへば柿や梨子などをカゴからあける時、柿や梨は自然と上になるものもあり、
下になるものもある、上を向くものもあり、下を向くものもある。
このようなものを運だと思っている。

運というものがこのようなものであるならば頼むにたりない。
なぜならば、人事を尽してなるものではなく、偶然になるものだから、
再びカゴに入れ直してあける時はみな前と違うであろう。
これはバクチの類であって、本当の運とは違う。

運というのは、運転の運であって、いわゆるめぐり合わせというものである。
運転というのはこの世界が運び転っていることに基元(きげん)しており、
天地の法則があることに由来する。

「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃(よおう)あり」と易経にいう。

何回回転しても、この法則にはずれることなく、めぐりあわすことをいうのだ。

よく世の中にこんなことがある。
チョウチンの火が消えたために、禍を免れたとか、
また履き物の緒(お)が切れたため、災害を免れたなどの事がある。

これは偶然ではなく、真の運である。
仏教にいうところの、因果応報の道理がこれだ。

儒道に「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃ある」というのは
天地間の法則であり、古今に貫いた格であるが、仏理によらなければ判然としない。

仏教には前世、今世、来世の三世の説がある。
この理は三世を観なければ、疑いをのぞくことができず、
疑いがひどいのになると、天を怨み人を恨むに至ってしまう。

三世を観ることができれば、この疑いはない。
雲霧が晴れて、晴天を見るようで、皆自業自得であることが分る。
だから仏教では三世因縁を説く。
これは儒道の及ばないところである。

今ここに一本の草があるとしよう、
現在は若草なり、その過去を悟れば種である。
その未来を悟れば花が咲き実がなる。

茎が高く延びたのは肥料が多かった因縁である、
茎が短いのは肥料がなかった応報である。
その理は三世をみる時は明白である。

そして世の人はこの因果応報の理を、仏説という。
これは書物の上の論である。

これを私の流儀の書かざる経(天地の理)に見る時には、
お釈迦様がまだこの世に生まれない昔からの天地間の真理である。

書かざる経とは、私の歌に

「声もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経を繰り返しつゝ」

という、四時行われ、百物なるところの真理をいう。

この経を見るには、肉眼を閉じて、心眼を開いて見るがよい。
そうでなければ見えない。
肉眼で見えないわけではないが徹底しない。

因果応報の理は、米を蒔けば米が生え、瓜のツルにナスはならないの理である。

この理は天地が開けてから行われており、今日にいたって違わない。
皇国だけでなく、万国皆そうなのだ。
そうであれば天地の真理である事は、弁を待たないで明らかである。

           <感謝合掌 平成27年6月13日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その7 - 伝統

2015/06/14 (Sun) 18:43:09


尊徳先生はおっしゃった。


「天地の真理は、書かざるの経文でなければ、見えないものだ。
この書かざる経文を見るには、肉眼で一度見渡して、その後肉眼を閉じて、
心眼を開いてよく見るがよい。

どのような微細の理も見えない事がない。
肉眼の見るところは限りがある。
心眼の見るところは限りがないからである。」


お側で聞いていた大島勇助が言った。

「先生のおっしゃることはまことに深遠です。
おこがましいことですが、一首を詠んでみました。」

その歌
「眼(め)を閉ぢて 世界の内を 能く見れば 晦日(みそか)の夜にも 有明の月」

先生はおっしゃった。
「それはそなたの生涯の上作であろう。」

           <感謝合掌 平成27年6月14日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その8 - 伝統

2015/06/15 (Mon) 19:13:48


加茂社の梅辻という神学者が江戸に来て、神典ならびに天地の功徳と造化の妙用を講じた。
尊徳先生はある夜ひそかにその講ずるところを聞きに行かれた。
そしてこうおっしゃった。

「その人となりは、弁舌はさわやかで飾りがなく、
立いふるまいも安らかで物にとらわれず、実に達人というべきだ。
その説くところも、おおよそもっともである。

しかし、まだ尽さない事が多い。
あのくらいの事では、一村はもちろん、一家でさえ衰えたのを興す事はできない。

なぜかといえば、その説く所の目的が立たず、至るところもなく、専ら倹約を尊んで、
理由もなくただ倹約しろ倹約しろと言って倹約をして何にするという事もなく、
善を行えといって、その善とするところを説くことなく、また善を行う方法を言わない。

その説くところを実行する時には、上下の分が立つことなく、上国下国を分つことがない。
このように、全般に倹約しても、何の面白い事もなく、国家のためにもならない。
その他の諸説も、ただ論弁が上手なだけである。


私が倹約を尊ぶには用いるところがあるためである。
宮室を低くして、衣服を悪くし、飲食を薄くして、資本に用い、
国家を富ませ、万姓を救済しようとするせんが為である。

あの者が目的もなく、至るところが無く、
ただ倹約せよというのとは大きく異なり、誤解してはならない。

            <感謝合掌 平成27年6月15日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その9 - 伝統

2015/06/16 (Tue) 20:10:53


尊徳先生はおっしゃった。


遠きをはかる者は富み、近きを謀る者は貧す。
遠きをはかる者は、100年のために松や杉の苗を植える。
まして春に植えて、秋実のる物は当然である、だから富んでいる。

近きをはかる者は、春に植えて秋実のる物でさえも、なお遠いとして植えない。
ただ目前の利益に迷って、蒔かないで収穫し、植えないで刈り取る事だけに眼をつける、
だから貧窮するのだ。

蒔かないで収穫し、植えないで刈り取る物は、目前に利益があるようだけれども、
一度取った時は、二度と刈る事ができない。

蒔いて収穫し、植えて刈り取る者は年々歳々尽きる事がない、
これを無尽蔵(むじんぞう)というのだ。
観音経に「福聚海(ふくじゆかい)無量」というのも、また同じことなのだ。


            <感謝合掌 平成27年6月16日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その10 - 伝統

2015/06/17 (Wed) 19:52:19


尊徳先生がある村を巡回される時、怠け者で掃除をもしない者があった。
先生はおっしゃった。


「汚穢を窮めること、このようなら、お前の家はながく貧乏神の住所となるだろう。
貧乏を免れようと欲するなら、まず庭の草を取って、家を掃除をせよ。

不潔このようである時は、また疫病神も宿るであろう。
よく心がけて、貧乏神や、疫病神はいられないように掃除せよ。

家に汚物があれば、蠅が集ってくるように、
庭に草があれば蛇や毒虫がいい所があったと住むようになる。
肉が腐れれば蛆(うじ)が生じ、水が腐れればボウフラが生ずる。

そうであれば、心身がけがれて罪とがが生じ、家がけがれて病いが生ずる。
恐るべきことだ」とさとされた。


また一戸家は小で内外清潔の家があった。

尊徳先生はおっしゃった。

「この家の者は遊惰、無頼、博徒のたぐいであろう。
家のなかを見るに、俵もなく、よい農具もない。
農家の罪人であろう」と。

村の役人は先生の明察に驚いた。


            <感謝合掌 平成27年6月17日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その11 - 伝統

2015/06/18 (Thu) 20:13:30



両国橋の辺で、敵打ちがあった。
「勇士だ、孝子だ。」と人々誉めあった。

尊徳先生はおっしゃった。

「復讐を尊ぶのは、まだ理を尽していない。
徳川家康公も敵国(今川家)に生れたまえるをもって、
父祖の復讐を報じようとのみ願われていたが、

酉誉(ゆうよ)上人の説法に、
『復讐の志しは、小であって益がなく、人道ではない。
国を治め、万民を安んず道こそが天理である。」という、大道理を説かれた。

家康公ははじめてこの理に感じ入って、
復讐の念を捨て、国を安んじ、民を救う道に心力を尽された。
これより天下統一を成就し、万民は塗炭の苦しみを免れた。

この道はひとり家康公だけに限らない、凡人でもまた同じだ。
こちらから敵を打てば、彼からもまたこの恨みを報じようとするは必定である。

その時は怨恨が結んで解くる時がない、
互いに復讐復讐と言い合って、たが恨みを重ねるだけである。

これすなわち仏道でいはゆる輪廻して永劫に修羅(しゆら)道に落ちて、
人道を踏む事ができず、愚の至りというべきで悲しいことだ。
また、たまたま返り打ちに逢うこともある、痛ましいことではないか。
これは道に似て、道ではないためだ。

そうであれば復讐は政府に懇願するがよい。
政府はまた草を分けても、この悪人を尋ねて刑罰に処するがよい。

自らは、『恨みに報いるに直(なほ)きを以てす』の聖語(論語)にしたがって
復讐を止め、家をおさめ、立身出世をはかり、親先祖の名を顕わし、世を益し、
人を救うの天理を勤むるがよい。

これが子である者の道であり、すなわち人道である。
世の風習は、人道ではない、修羅道である。

天保の飢饉の時、相州(神奈川県)大磯駅に川崎孫右衛門という者の家が、乱民に打こわされた。
官は乱民を捕えて牢屋に入れ、また川崎孫右衛門をも牢に入れる事3年、
孫右衛門は憤怒にたえず、上下を怨んで、上下にこの怨みを報いずにはおくものかと熱望した。

私はこの者に教えるに、復讐は人道ではないという理を解きあかし、
富者は貧者を救い、駅内を安んずることが天理である事を教えた。

孫右衛門は決断する事ができなかった。
鎌倉の円覚寺の名僧淡海和尚に質問して、悔悟し、決心して、
初めて復讐の念を断って、身代を残らず大磯駅に差し出して、駅内を救助した。

駅内はがぜん一つに和して、孫右衛門を敬愛する事父母のようでなった。
官もまた厚く孫右衛門を賞するにいたった。

私はただ復讐は人道ではない、世を救い世のためを行うことが
天理である事を教えただけで、この好結果を得たのだ。

もし過って、復讐のはかりごとを行っていたら、どのような修羅場が起こったかも知れない。
恐るべきである。

            <感謝合掌 平成27年6月18日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その12 - 伝統

2015/06/19 (Fri) 18:03:04


尊徳先生は、床の間のかたわらに、不動尊の像を掛けられていた。

山内董正(ただまさ)が言った。

「あなたは、不動を信ずるのか」

先生はおっしゃった。

「私は壮年の時、小田原侯の命を受けて、野州(栃木県)物井(ものい)に
三村を復興させるため来ました。
人民は離散し、土地は荒れはて、どうしようもありませんでした。

そこで功の成否に関わらず、生涯ここを動くまいと心に決しました。
たとえ事故が起こっても、背に火が燃えついた事態にたちいたろうと、
決して動くまいと死をもって誓いました。

不動尊は、『動かざれば尊し』と訓じます。

私は、その名義と、猛火で背を焚いても、動かざるの像形を信じ、
この像を掛けて、その決意を妻子に示しているのです。

不動尊のどのような功験があるかは知りませんが、
私が今日にいたったのも、不動心の堅固一つにあります。

ですから今日もなおこの像をかけて、妻子にその決意を示すのです。

            <感謝合掌 平成27年6月19日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その13 - 伝統

2015/06/20 (Sat) 18:40:07


尊徳先生はおっしゃった。


百人一首に

 秋の田の かりほの菴(いほ)の とまをあらみ 我が衣手は露(ツユ)にぬれつゝ

とある。

この御歌を、歌人が講ずるのを聞けば、ただ言葉だけで、深い意味もないようである。
何事も自分の心だけしか解せないからであろう。

春夏は、百種百草が芽を出して生い育ち、枝葉は繁って栄え、百花が咲き満ちる。
秋冬になれば、葉は落ち実は熟して、百種百草は皆枯れる。
植物の終りである。

およそ事の終りは、奢る者は滅び、悪人は災いにあって、盗人は刑せられ、
一生の業果の応報を、草木の熟する秋の田に寄せての御製であろう。

とまをあらみとは、政事があらくして行き届かないのを、歎かれたのである。
御慈悲、御憐みの深いことは、言外にあらわれている。

この者は何々によって獄門に行くものよ、わが衣は涙にぬれている、
この者は火あぶりに処せられる者よ、我が衣は涙にぬれている、
誰は家事不取締によって蟄居(ちっきょ:自宅謹慎)を申し付けられる、我が衣は涙にぬれている、
悪事を犯して刑せられる者も、政治が行き届かぬため、おごりが増長して滅亡する者も、
我が教えの届かないためだと、憐みの涙にくれて、御袖を絞られたという歌である。

感銘するがよい。

私が始めて野州物井に至って、村落を巡回すると、人民は離散して、ただ家のみが残り、
あるいは立腐れとなり、石据えだけが残り、屋敷だけが残り、井戸だけ残り、
実にあわれはかない形を見ると、

ああこの家にも老人もあったであろう、婦女や児孫もあったであろうに、
今このようにカヤやムグラがおい繁って、狐や狸のすまいと変じていると思えば、
実に、我が衣手は露にぬれつゝ、の御歌も思ひ合せて、私もまた袖を絞ったものだ。

藤原定家の百人一首の巻頭に、この御製をのせられて、
今世の中の人が知るところとなったのは喜ばしいことだ、

感動し拝すべき歌である。

            <感謝合掌 平成27年6月20日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その14 - 伝統

2015/06/21 (Sun) 19:24:38


道路工事に人が多く出ていた。
荷物を運んでいた馬が驚いて騒いで静まらない。

人々が騒ぐのを、まごが馬を止めて静かに静かにといって、
手拭いで馬の目を隠して、額から馬の面をなでた。
馬は静まって通り過ぎていった。


尊徳先生はこの様子を見られておっしゃった。

「まごのするところは、誠によろしい。
論語に『礼の用は和を尊しとす、小大是に因る』とあるにかなっている。
私が初め野州の物井を治めたのもこの通りである。

騒ぎたてるのを静めるのは、この道理である。
私が物井を治めた時、金は無利足で貸し、返さないのも催促をしない。
無道な者もあえて咎めない。
年貢も難儀であれば免除してあげようと言った。

しかし、勤労し、肥料をやらなければ、米も麦も得らないぞ、
嫌でも、勤労すればこそ、芋も大根も食うことができるのだ。

難儀だと思う年貢を出すからこそ、田畑も自分の物となって、耕作もできるのだと、
ただこの理をさとして、自分の分度を定めて、自分で精出すことの大切さを説いたのだ。

このようにすれば、行われないところはない。
草木や動物でも行われる道理である。
なぜかといえば、くだものが熟して、自然に落ちるを待つ道理であって、
ただ、我の一字を去るだけである。

自分の畑へ自分で植えた茄子でも、自分の力でならす事はできない。
理屈では必ずならない物である。

この時理屈もやめて、我を捨てて、肥料をやれば、
なれといわなくてもなり、実れと言わなくても実る。
私の教えはこの道理をよく知るのでなければ、行うことはできない。

            <感謝合掌 平成27年6月21日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その15 - 伝統

2015/06/22 (Mon) 17:59:06


ある人が問う。

「老子に、『道の道とすべきは常道にあらず』うんぬんとあるはどういう意味ですか?」

尊徳先生は答えられた。

「老子が常というのは、天然自然万古不易の物をさして言っている。
聖人の道は、人道を元とする。

人道は自然に基づくといっても、自然とは異なるものだ。
なぜかというと、人は米や麦を食とする。

米や麦は自然のものではなく、田畑で作らなければない物だ。
その田畑というものは、また自然ではない。

人の開拓によってできたものだ。
その田を開拓するや、堤防を築き、川に堰を設け、溝を掘り、
水を上げてあぜを立て、初めて水田は成る。

もとは自然に基づくといっても、自然ではなく、
人間が作ったものであることは明かだ。
すべて人道というのはこのようなものだ。

だから法律をたて、規則を定め、礼楽とか刑政といい、格式というように、
わずらわしい道具をならべたてて、国家の安寧(あんねい)はようやくなるのだ。

これは米を食うために、堤防を築き、堰を張って、
溝を掘り、あぜを立てて、田を開くのと同じだ。
これを聖人の道と尊ぶのは、米を食わんと欲する米食い仲間の人間の事だ。

老子はこれを見て、道の道とすべきは常の道にあらず、といった。

これは川の川とすべきは常の川にあらずというのと同じだ。
堤防を築き、堰を張って、水門を立てて引いた川は、人間が作った川であって、
自然の常の川ではないから、大雨の時には、皆破れる川であると、天然自然の理をいったのだ。

理は理だが、人道とはおおいに異なる。

人道は、この川は堤防を築いて、堰を張って引いた川であるから、
年々歳々に普請し手入をして、大洪水があっても、破損しないようにと力を尽し、
もし流失した時は、速かに再興して元のように、早く修理せよというのを人道とする。

もと築いた堤防じゃから、崩れるはずだ。

開いた田であるから荒れるはずじゃということは、言わずとも知れた事だ。

老子は自然を道とするから、それを悪いと言うのではないが、人道には大害がある。
老子の道というのは、人は生れたものだから、死ぬのは当り前の事だ、
これを嘆くのは愚かであるというようなものだ。

人道とはそれと異って、他人の死を聞いても、
さても気の毒な事であると嘆くのを道とする。
いわんや親子兄弟親戚であればなおさらだ。

これらの理をもって押して知るがよい。

            <感謝合掌 平成27年6月22日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その16 - 伝統

2015/06/23 (Tue) 20:12:29


尊徳先生はおっしゃった。

太閤秀吉の陣法に、敵をもって敵を防ぎ、敵をもって敵を打つという計略があるという。
実に良策である。
水防にも、水をもって水を防ぐという方法がある、知っていなくてがならない。

門人の町田亘が言った。

「最近、富士川で雁がね堤(つつみ)というものを築いています。
これがその方法でしょう。」

尊徳先生はおっしゃった。

本当なら、よく水を治める方法を得たものである。
私の仕法もまた同じだ。

荒地は、荒地の力をもって開き、借金は、借金の費用をもって返済し、
金を積むには、金に積まさせる。

教えもまた同じだ。
仏教で、この世はわずかの仮の宿であり、来世こそが大事であると教える。
これもまた、欲をもって欲を制するのである。
死んだあとの世の事は、眼に見えないのだから、皆想像の説である。

しかしながら、草をもって見る時は、おおよそ見える。
今ここに一草あるとしよう。
この草に向って法を説くに、

『お前は現在、草と生れ露を吸い肥しを吸って、喜んでいても、これは皆迷いというものだ。
この世は、春風に催され生れ出たもので、実に仮の宿である。
明日の朝にも、秋風が吹き立つならば、花も散り、葉も枯れ、
風雨の艱難を凌いで生長しても、皆無益である。

この秋風を、無常の風という。
恐るべきではないか。

早く、この世は仮の宿である事を悟って、一日も早く実を結んで種となり、
火にも焼けない蔵の中に入って、安心しなさい。

この世でこやしを吸い、露を吸い、葉を出し花を開くのは皆迷いである。
早く種となって、草の世を捨てよ、その種となれば、行くところ、
無量のこのような楽しみがあると説くようなものだ。』

これは欲が制し難いことを知つて、これを制するのに
欲をもって善を勧め悪を懲らしめる教えとしたのである。

それなのに末世の法師達が、この教えを米や金を集める計策となす。
悲しいことではないか。

            <感謝合掌 平成27年6月23日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その17 - 伝統

2015/06/24 (Wed) 18:01:01


門人のなかに、常に好んで
「笛吹かず 太鼓たたかず 獅子舞の あと足になる 胸の安さよ」
という古歌を唱える者がいた。

尊徳先生はおっしゃった。

この歌は、国家を経営する大きな能力を持って、その事業を成功させ、
譲り渡した人が、その後歌うのであればよい。
君達のような者がこの歌を唱えるのは、大変よろしくない。

君のような者は、笛を吹いて太鼓をたたいて、舞う人があるからこそ、
愚かな私も獅子舞の後足となって、世の中の役にたつこともできる、
ああ有り難いことだという歌を唱えるがよい。

そうでなければ道にかなわない。


  人道は親に養育してもらって、子を養育する、
  師の教えを受けて、子弟を教える、
  人の世話を受けて、人の世話をする、
  これが人道である。


この歌の意を押しきわめる時には、その意は受けず施さずに陥いるであろう。
その人でなくてこの歌を唱えるのは、国賊といってもよい。

論語には、
幼にして孝悌ならず、長じて述ぶる事なく、老ひて死なざるをさえ賊と言っている。

まして、君たちがこの歌を唱えるのは、大いに道に害がある。
前足になって舞う者がなければ、どうして後足であることができよう。
上に文武百官があり、政道があるからこそ、皆安楽に世を渡るのである。

このように、国家の恩徳に浴しながら、このような寝言を言うのは、恩を忘れたものである。

私が今、君のためにこの歌を読み直して授けよう。
今後はこの歌を唱えるがよいと教訓された。

その歌
「笛をふき 太鼓たゝきて 舞えばこそ 不肖の我も 跡あしとなれ」

            <感謝合掌 平成27年6月24日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その18 - 伝統

2015/06/25 (Thu) 17:56:39


江戸深川の原木村に、嘉七という者があった。
海辺の寄り洲(す)を開拓して、成功すれば売り、
できあがれば売り、常に開拓を家業としていた。

その嘉七が開拓の事について決断しかねる事があって、
尊徳先生に実地見分を依頼した。

尊徳先生は一日出かけられて見分され、そのついでに、
その海岸を見るに、開拓できる寄り洲で、四町五町歩ほどの地は、数しらずあった。

嘉七が言った。
「寄り洲は自然になるものですが、またこれを寄せる方法があります、
その地形を見定めて、勢子石(せこいし)勢子杭(せこぐい)を用いる時はすぐに寄るものです。」

尊徳先生はおっしゃった。
「勢子石とはどのようなものか。」

嘉七はその方法このようですと言った。

尊徳先生はおっしゃった。
「それは良法である。」

嘉七はまた言った。
「本当に寄洲は天然のたまものです。」

尊徳先生はおっしゃった。
「天然の賜ではない、その元は人為にできた物だ。」

嘉七が言った。
「願くば、その説をお示しください。」

尊徳先生はおっしゃった、
「川に堤防があるために、山々の土砂が、遠くここまで流れ来て、寄洲付洲となるのである。
川に堤防がない時には、洪水があると縦横に乱流して一処に集ることがない。
だから寄洲も附洲(つけす)もできない。
そうであればその元は人為でできているといってよいではないか。」

嘉七は退出した。

尊徳先生は左右の門弟をかえりみられて言われた。
「嘉七は才子というべきだ。
このような大才がある。
今少し志を起して、国家のためを思うならば、
大きな功績があるだろうに、開拓屋で一生を終わるとは、惜しいことだ。」

            <感謝合掌 平成27年6月25日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その19 - 伝統

2015/06/26 (Fri) 19:17:30


三河国吉田の郷士に、高須和十郎という人があった。

舞坂の宿場と荒井の宿場の間に港を造ろうとくわだて、
絵図面を持って来て、尊徳先生に成否を聞いた。


尊徳先生はおっしゃった。

あなたが説くとおりであれば、心配するところはないようだが、
大海の事は予測できないものだ。
往年の地震で、名勝をうたわれた象潟(きさがた)は、
地形が変わって景色を失ってしまい、大阪の天保山は、一夜でできたという。

これは近年の事である。
このような大業は、実地に臨んで見分しても、容易に成否を決定できないものだ。
ましてや絵図面だけではなおさらのことだ。

このような大業をくわだてるには、万が一失敗がある時には、
このようにしようというひかえの堤防のような工夫はあるのか、
またどうのうな異変があっても、失敗しない工夫がありたいものである。

そうでなければ、あなたのためにに贊成する者は、ともに成仏する事がないとも言いがたい。
そのような変事が起こって対応できず失敗する時は、山師という非難があろう。

私が先年に印旛沼の堀割り見分の命令を受けた時、
どのような変動にあっても、決して失敗しないように工夫したものだ。

たとえ天変はなくても、水脈や土脈を堀り切る時は、必ず意外の事があるものだ。

古語に、『事前に定まればつまずかず』という。

私が異変ある事を前に定めて計画をたてたのは、
異変を恐れず、異変につまずかない方法である、

これが大事業を行うときの秘事である。

あなたもこの工夫がなくてはならない。
そうでなければ、第一に自分が安心できないであろう。

古語に、『内に省(かえり)みてやましからざれば、何をか憂え何をかおそれん』とある。

そうであれば天変をも恐れず、地変をも憂えざる方法の工夫を
先にして、大事はなすべきである。

            <感謝合掌 平成27年6月26日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その20 - 伝統

2015/06/27 (Sat) 21:11:25


駿河国元吉原村の人が、柏原の沼水を海岸に切り落して、開拓する事を出願して許可を得た。

帰路私(福住正兄)の家に一泊し、地図と書類を出して、
「願望がかなった。よい出資者はないだろうか」と聞いた。

私は言った。

「ない。
しかし、思うところがある。
地図を明朝まで預からせてくれ」といって借りてきた。

この時、尊徳先生が私の温泉宿で入浴中だった。
ひそかに地図を開いて先生に計画の成否を聞いた。

先生はおっしゃった。

「実地を見分しなければ、可否は言うことはできない。
しかしながら、いうとおり沼が浅く、三面が畑であれば、
畑でも岡でも、便がよいところから切り崩して埋め立てるのが優れた策である。

この水を海に切り落すといっても、水が思うように引くか引かないか計りがたい。
また大風雨の時、砂を巻いて潮をたたえないものでもないから埋立てるほうがよいであろう。

これを埋め立てるのは愚かなようだが、一反埋めれば一反でき、
二反埋めれば二反でき、間違いもなく後戻りもなく、手違いもなく、見込違いもない。
埋め立てるのを上策とするべきである。」


私がまた質問した。
「埋め立てる方法はどうすればよいでしょうか。」

先生はおっしゃった。

「実地を見なければ、今別に工夫はない。
小車で押すのと、牛車で引くとお二つがある。
車道には仮に板を敷くがよい、案外にはかがゆくものだ。

かつ埋が地一反であれば、土を取った跡も、二畝三畝はできるであろう。
一反手軽いのはなにごど、手重いのもいくばくくらいであろう。
鍬下用捨を少し永く願えば、熟田を買うより利益が多いであろう」

と教えられた。

私はこの事を自分の考えのようにして、その者に告げた。
その者は笑って答えなかった。

            <感謝合掌 平成27年6月27日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その21 - 伝統

2015/06/28 (Sun) 18:15:16


弘化元年8月、幕府より日光神領の荒地を復興するよう申しつける見込みの趣意書を、
調査して仕法書を差し出すよう、尊徳先生に命じられた。

私(福住正兄)の兄の大沢勇助は江戸に出て、お悦びを尊徳先生に申しあげた。
私は先生に随っていた。

尊徳先生はおっしゃった、

私の本願は、人々の心の田の荒蕪(こうぶ)を開拓して、
天から授った善種である、仁義礼智を培養して、善種を收獲し、
また蒔返し蒔返しして、国家に善種を蒔き弘むることにある。

それであるのにこのたびの命令は、土地の荒蕪の開拓であるから、
私の本願と違っているのはあなたの知るとこれではないか。
そうであるのに、この命があるのを喜ぶのはどうういうことか。

本意に背いた命令ですが、命令であればやむをえません。
及ばずながら、わたくしもお手伝いいたしましょうと言うのなら悦びもしよう。
そうでなければ悦ばない。

私の道は、人々の心の荒蕪を開くことを本意とする。

心の荒蕪一人開ける時は、土地の荒蕪は何万町あっても憂えるにたりないのだ。
あなたの村のように、あなたの兄一人の心の開拓ができただけで、一村が速かに一新した。

大学に、「明徳を明らかにするにあり、民を新たにするにあり、至善に止まるにあり」という。
明徳を明かにするとは、心を開拓することをいう。

あなたの兄の明徳が、少しばかり明らかになるや、
すぐに一村の人民が新(あら)たになったではないか。

「徳の流行(りゅうこう)するのは、置郵(ちゆう)して命を伝えるより速やかである」
(「孟子」公孫丑・上:徳が人々に伝わっていくのは、命令が飛脚で伝わっていくよりも速い。)
というのはこのことである。

帰国したら早く至善に止まるの法を立てて父祖の恩に報じなさい、これが専務する事である。

            <感謝合掌 平成27年6月28日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その22 - 伝統

2015/06/29 (Mon) 20:14:23


小田原藩で「報徳仕法は、良法には相違ないが、差しさわりがあるので、今般畳み置く」
という布達が出た。

領民のうち、これを憂いて、先生のもとに来たって嘆く者があった。
自分で作った芋を持って来て先生に差し上げた。

尊徳先生は、諭(さと)しておっしゃった。

この芋のごときは、口と腹を養い、必要な美菜であるから、
これをひろく植えて、その実りを施そうと願うのはもっともだが、
天の運行が冬に向い、雪や霜が降り、地が凍ることをどうしようもない。

強いて植えれば凍って損じ、霜に痛んで、種をも失うようになるであろう。
いたしかたがないことだ。

これは人の口と腹を養う徳がある美物であるから、寒気や雪や霜を凌ぐ力がない。
食料にもならない物は、かえって寒気や雪や霜にも痛まないものである。
これは自然の勢いであっていかんとも仕方がない。

今日は寒気雪中のときだ。
早く芋種は土の中に埋め、藁で囲って、深く納め、
来年になって雪や霜が消えるのを待つがよい。

山や谷や原野すべてに雪が降り、水が凍り、寒威が烈しい時は、
もはやこれっきり暖かにはならないかと思うようだが、
雪が消え氷が解けて草や木が芽ばえる時もまた必ずあるであろう。

その時になって囲い置いた芋種を取り出し、植える時は
たちまちその種は田畑に満ちて、繁茂すること疑いない。

そのような春陽に逢っても種を納め囲っていなければ、植えふやす事はできない。

農事は春に立ち帰って、草や木が芽立とうとするのを見て種を植え、
秋風が吹きすさんで草木が枯れ落ちる時は、まだ雪や霜が降らないうちに、
芋種は土中に埋めて、ここに埋めるという記録をして、深く隠して来年の春を待つがよい。

道が行われる行れないは天である、人の力ではいかんともしがたい。
この時になっては、才智も役に立たない、弁舌も役に立たない、勇気もまた役に立たない、
芋種を土中に埋めるしかない。

小田原の仕法は、先君の命によって開き、当君の命によって畳む、皆これまでである。
およそ天地間の万物が生滅するには、皆天地の命令による、私に生滅するのではない。
春風に万物が生じ、秋風に枯落する、皆天地の命令である。

どうして私にしようか。

曾子は死に臨んで、予が手を開け、予が足を開け、うんぬんと言った。
私もまた同じだ。

私の日記を見よ、私の手紙の記録を見よ、
戦々兢々として深き淵に臨むが如く、薄氷を踏むがごとし、
畳み置きになって私も免れる事を知るやというべきであろう。

あなたたちは早く帰って芋種を囲い置いて、
来年の春、暖たかくなるのを待ってまた植え弘めるがよい、

決して心得違いをしてはならない。

慎みなさい、慎しみなさい。

            <感謝合掌 平成27年6月29日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その23 - 伝統

2015/06/30 (Tue) 17:36:52


下館藩に高木権兵衛という人があった。

報徳信友講という互助の結社が成って、発会の融資の投票の時にその入れ札に、

「私は不幸せで借金も家中第一である。
人間がたしかなこともまた家中第一である。
しかしながら、自分で自分へは入札できない。
これによって鈴木郡助」と書きつけて入れた事があった。

年を経て、高木氏は家老職となり、鈴木氏は代官役となった。

尊徳先生はおっしゃった。

「今日にして、往年入札の事が思い当った。
自ら藩中第一のたしかなる者と書いたのにも恥じず、
またこれによって鈴木郡助と書いたのにも恥じない。
本当に私のない、無比の人物というべきである。」

            <感謝合掌 平成27年6月30日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その24 - 伝統

2015/07/01 (Wed) 18:15:51


尊徳先生がおっしゃった。

大道はたとえば水のようである。
善く世の中をたっぷりと潤してとどこおらない物である。

このような尊い大道も、書に書いて本とする時は、
世の中を潤す事もなく、世の中の用に立つ事がない。

たとえば水が凍ったようなものだ。
もとは水には違いがないのだが、凍っては少しも潤さない、水の用をなさぬもじゃ。

そして本の注釈という物はまた氷にツララが下ったようなもので、
氷が解けてまたツララと成ったのと同じで、世の中を潤さず、
水の用をなさないのは、やはり同様である。

さてこの氷となった経書を、世の中の用に立れるには胸の中の温気で、
よく解して、元の水として用いなければ、世の中を潤すことにならない。
実に無益の物である。

氷を解すべき温気が胸の中になくて、
氷のままで用いて水の用をなすと思うのは愚の骨頂である。
世の中に神儒仏の学者が有って世の中の用に立たないのはこのためである。

よく思うがよい。
だから私の教えでは実行を尊ぶ。
経文といい、経書という。
その経というのは機織り機のタテ糸の事である。

そうであればタテ糸ばかりで用をなさない、
横に日々実行を織りこんで、初めて用をなすのである。
横に実行を織らないで、ただタテ糸ばかりでは、役にたたないことは、
論を待たない、明らかなことである。

            <感謝合掌 平成27年7月1日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その25 - 伝統

2015/07/02 (Thu) 19:30:50


尊徳先生はおっしゃった。

神道は、開闢(かいびゃく)の大道で皇国本源の道である。
豊芦原(とよあしはら:日本の古称)を、
このような瑞穂(みずほ)の国、安国と治められた大道である。

この開国の道こそが真の神道である。
神道が盛んに行れ、国が開けてから後に、儒道も仏道もわが国に入って来たのである。
神道すなわち開闢の大道がまず行われて、十分に満ち足りるにしたがって後に、
世に中に難しい事も出て来た。

その時に、儒も必要、仏も必要となったのだ。
これは誠に疑いない道理である。


たとえばいまだに嫁がない時に夫婦喧嘩があるはずがない、
いまだ子が幼少のときに親子喧嘩があるはずがない。
嫁があって後に夫婦喧嘩もあり、子が成長して後に親子喧嘩もあるのだ。

この時に至ってこそ、五倫五常(儒教における五つの基本的な人間関係を規律する五つの徳目。
すなわち父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信をいう。五常)も
悟道治心も必要となるのだ。

それを世の中の人はこの道理に暗く、治国治心の道を以て、本元の道とする、
これは大きな誤りである。

本元の道は開闢の道である事は明かである。
私はこの迷いをさますために
古道につもる木の葉をかきわけて天照す神の足跡を見ん
とよんだ。

よく味うがよい。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)の足跡のあるところが、真の神道である。

世に神道というものは、神主の道にすぎない。神の道ではない。
はなはだしいのになると、巫女や占いの連中が、神札を配って
米や金銭をこう者をも神道者というに至っている。

神道というものが、どうしてこのように卑しいものであろうか。
よく考えなければならない。

            <感謝合掌 平成27年7月2日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その26 - 伝統

2015/07/03 (Fri) 17:29:46



綾部の城主の九鬼侯が御所蔵の神道の書物十巻、「これを見よ」と尊徳先生に送られた。

先生は、読む暇がないと、2年封を解かないでおられた。
あるひ先生は少し病気となり、私(福住正兄)にこの書物を開いて、病床で読ませられた。

先生はおっしゃった。

この書物のようなものは、みんな神に仕える者の道であって、神の道ではない。
この書の類が何万巻あっても、国家の用をなさない。
神道というものは、国家のため、今日上、用がないものであろうか。

中庸にも、『道はしばらくも離れてはならない。離れることのできるものは道ではない。』といった。
世の中に道を説く書籍は、おおよそこの類である。
この類の書があっても益はなく、無くても損はない。

私の歌に

「古道に積もる木の葉をかきわけて 天照らす神の足跡を見む」

とよんだ。

古道とは皇国固有の大道をいう。
積もる木の葉とは儒仏を始め諸子百家の書籍の多いのをいう。

皇国固有の大道は、今現に存しているが、儒仏諸子百家の書籍の木の葉のために
おおわれて見えないから、これを見るには、この木の葉のような書籍をかき分けて
大御神の足跡はどこにあろうかと、尋ねなければ、真の神道を見る事はできない。

君たちも落ち積っている木の葉に目をつけるのは、大変な間違いだ。

落ち積った木の葉をかき分けて捨てて、大道を得る事をつとめなさい。

そうでなければ、真の大道は、決して得られないぞ。  

            <感謝合掌 平成27年7月3日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その27 - 伝統

2015/07/04 (Sat) 18:13:36


尊徳先生はおっしゃった。


仏書に、光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨という。

光明とは太陽の光をいう。
十方とは東西南北乾坤巽艮の八方に、天地を加えて十方という。
念仏衆生とは、この太陽の徳を念じて慕う、一切の生物をいう。

天地の間に生育する物、命あるものはもちろん、無情の草木であっても、
皆太陽の徳を慕って、生きることを念とする、
この念ある物を仏国ゆえに念仏衆生というのである。

神国であれば念神衆生と読めばよい。

だからこの念のある者はもらさず、生育をとげさせて捨てることがないという事で、
太陽の大徳を述べたものである。
我が国の天照大神の事である。

このように太陽の徳は、広大であるが、
芽を出そうとする念い、育とうとする気力がない物は仕方がない、
芽を出さんとする念い、育とうとする生気ある物であれば、
皆これを芽を出させ、育たせるのである。

これは太陽の大徳である。

私の無利息金貸付の法は、この太陽の徳にかたどって、立てたものである。
だからどんな大借であっても、人情を失わず利息を滞りなく済せている者が、
またぜひとも皆済して他に損失をかけるまい、という念いがある者であれば、

たとえば、芽を出したい、育ちたいという生気のある草木に同じであれば、
この無利子金を貸して引き立てるがよい。

無利子の金であっても、人情がなく利子も払わず、元金をも踏み倒そうとする者は、
すでに生気のない草木と同じで、いわゆる縁なき衆生である。

これをどうともすることができない、捨て置くより外に道がない。

            <感謝合掌 平成27年7月4日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その28 - 伝統

2015/07/05 (Sun) 17:54:56


ある人が尊徳先生に質問した。

「仏経(般若心経)に色則是空空則是色(しきそくぜくうくうそくぜしき)というのは、
どのような意味でしょうか。」


先生がおっしゃった。

「たとえば、二一天作の五(10÷2=5割り算の九九)、二五十というのと同じだ。
ただその言いようが妙味があるだけだ。
深い意味があるように聞こえるが、別に深い意味があるわけではない。

天地間の万物の目に見える物を色といい。
目に見えない物を空という。

空というと何も無いように思うが、すでに気がある。
気があるため直ちに色(しき)を顕(あらわ)す。

たとえば氷と水とのようなものだ。
氷は寒気によって結んで、暖気によって解ける。
水は寒気によって死して氷となり、氷は暖気によって死して元の水に帰る。

生ずれば滅し、滅すれば生ずる、
そうであれば有常も有常ではない。
無常も無常ではない。

この道理を色則是空空則是色と説いたのである。

            <感謝合掌 平成27年7月5日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その29 - 伝統

2015/07/06 (Mon) 17:55:40


尊徳先生が弁算和尚に問うておっしゃった。

「仏が一代の説法は無量である。
しかしながら、区々の意があるわけではなかろう。
もし一切の経蔵に一言で題する時はどう言えばよいか。」


弁算和尚は答えて言った。

経典に

「諸悪莫作(しょあくまくさ:もろもろの悪をなすなかれ)、
衆善奉行(しゅぜんぶぎょう:もろもろの善を実践せよ)という。
この二句をもって、万巻の一切経を覆うことができよう。」


先生はおっしゃった。

「そのとおりだ。」

            <感謝合掌 平成27年7月6日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その30 - 伝統

2015/07/07 (Tue) 18:26:36


尊徳先生はおっしゃった。

仏教に極楽世界の事を説いて、赤色には赤光があり、青色には青光があるという。
極楽といっても珍らしい事があるわけではない。

人皆それぞれ自分の家や田畑は、作物のできる徳がある。
自分の商売や職業は、利益がある。

自分の家屋敷は、安宅となる。
自分の家財は、身の用便となり、

自分の親兄弟は、身に親しく、
自分の妻子は、身に楽しく、

また田畑はうるわしく米麦百穀を産出し、山林は繁茂して良材を出す、
これを赤色には赤光があり、青色には青光があるというのだ。

このようであれば、この土はすなわち極楽である。
この極楽を得る道は、おのおの受け得たところの天禄の分内を守ることにある。

もし一度天禄の分度を失なうならば、
自分の家や田畑は作徳にならず、
自分の商売、自分の職業は利益にならず、

自分が安住するべき家屋敷は自分が安宅にならず、
自分の家財は身の用便にならず、
自分の妻子親族も楽しくなく、

また田畑は荒れて米麦を生ずることなく、
山林は藤やつたにまとわれて野火に焼けて材木を出さない、
これを赤色には赤光がなく、青色には青光がないというのだ。

苦しみはこれより大きいものはない。

これがいわゆる地獄である、
餓鬼界に落ちるものは、飢えて食べようとすると食べ物がすぐに火となり、
のどがかわいて飲もうとすれば水がすぐに火となるという。

これは人々が天より賜わった、父祖より請け伝えた天禄を利息に取られ、
賄賂につかって、自分の衣食が足らないのと、何が異なろう。
これが苦しみの極みではないか。

私の仕法はお経を読まず念仏も題目も唱えないで、
この苦罪を消滅させて極楽を得させ、
青色をして青色あらしめ、赤色をして赤色あらしめようという大道である。

            <感謝合掌 平成27年7月7日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その31 - 伝統

2015/07/08 (Wed) 19:23:03


尊徳先生はおっしゃった。


世界万般皆同じく一理である。
私は一草をもって万理をきわめた。

儒書に、その書、始めは一理をいい、中は散じて万事となり、末はまた合して一理となる、
これをはなてば六合(りくごう:上下と東西南北の六つの方角。天下。世界。)にわたり、
これを巻けば退いて密(みつ)にかくる、その味い窮りなし、とある。

今たわむれに、一草をもってこれを読んでみよう。

この草、始めは一粒の種である。
蒔けば発芽して根葉となり、実れば合して一粒の種となる、
これをまき植えれば六合にわたり、これをおさむれば密に蔵れる、
これを食すればその味い窮りなし。

また仏語に、本来東西無し、いずれのところに南北があろう、
迷うために三界城となり、悟るために十方空となる、とある。

また一草でこれを読んでみよう。

本来根葉なし、いずれのところに根や葉があろう、
植えるがために根葉の草、実るが故に根葉空し、ハハ。

            <感謝合掌 平成27年7月8日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その32 - 夕刻版

2015/07/09 (Thu) 17:50:58


ある人が、道を論じて筋道が通っていなかった。

尊徳先生がおっしゃった。


あなたの説は、悟道と人道と混同している。
悟道をもって論ずるのか、人道をもって論ずるのか、悟道は人道に混同してはならない。

なぜかといえば、人道のよしとするところは、悟道にいわゆる三界城(迷いの世界)である。
悟道を主張すれば、人道は軽蔑すべきである。
その間を隔てること、天地と雲泥のようである。

だから先にその居場所を定めて、それから後に論ずるがよい。

居場所を定めないと、目がなき秤(はかり)で重さを量るようで、
終日弁論しても、その当否を知ることはできない。

悟道というのは、たとえば今年は不作であろうと、まだ耕さない前に観ずるようなことをいう。
これを人道に用いて不作であるから、耕作を休もうというのは、人道ではない。

田畑は開拓してもまた荒れるのは自然の道であると見るのは、悟道である。
そして荒れるからといって開拓しないのは、人道ではない。

川のそばの田畑は洪水があれば流失するということを平日に見るのは悟道である。
そうかといって耕さず肥料をやらないのは、人道ではない。

悟道とはただ自然の行くところ見るだけであり、
人道は行き当る所まで行くべきものである。

論語に、父母につかえては繰り返しいさめ、
その志が通じないときは、敬って違わない、努力して怨まない、とある。
これが人道の極地を尽したというべきだ。


俳句にも「いざさらば雪見にころぶ所まで」という。
これがその心である。

だから私は常に言うのだ。

親を看病して、もはやおぼつかないなどと見るものは、親子の至情を尽すことはできない。
魂が去って体が冷えて後も、まだ全快あろうかと思う者でなければ、尽すと言ってはならない。

だから悟道と人道とは混合してはならない。
悟道はただ、自然の行くところ観じ、そして勤めるところは、人道にある。

人間の道とするところは、仏教にいわゆる三界城裏(迷いの世界)の事である。
十方空を唱える時は、人道は滅するであろう。
善知識(僧侶)を尊び、娼妓(しょうぎ)を賤しむのは迷いである。

そうはいってもこのように迷わなければ人倫は行われない。
迷うが故に人倫は立つのである。
だから悟道は人倫に益はない。

そうであっても、悟道でなければ、執着を脱する事はできない。
これが悟道の妙である。

人倫はたとえば繩をなうようなものだ。
よりがかかるのをよしとする、
悟道はよりを戻すようなものだ。だからよりを戻すことをもって善とする、

人倫は家を造るようなものだ、
だから丸木を削って角材とし、曲ったのをためて直とし、
長いのを切って短かくし、短いのを継いで長くし、
穴をうがって溝を掘り、そして家を作るのである。

これはすなわち迷うが故に三界城内の仕事である。
それを本来なき家なりと破るのは悟道である。
破って捨てる故に十方空に帰するのである。

しかし、迷いといい悟りというのは、まだ徹底していない。
その本源を極めるならば迷いも悟りもともとない。

迷いといえば悟りと言わざる事を得ない。
悟りといえば迷いと言わざる事を得ない。
本来迷いと悟りで一円の世界である。

たとえば草木のように、一粒の種から生じて、あるいは根を生じて土中の潤いを吸って、
あるいは枝葉を発して大気の空気を吸い、花を開いて実を結ぶ、
これを種から見るときは迷いというべきだ。

そうかといって、秋風にあえば枯れはて本来の種に帰る。
種に帰ったといっても、また春陽にあえば枝葉花実を発生する、

そうであれば、種となったのが迷いか、草となったのが迷いか、
草に成ったのか本体か、種になったのが本体か、
これに因ってこれを観るに、生ずるのも生ずるのではない、枯れるのも枯れるのではない。


そうであれば無常も無常ではなく有常も有常ではない。
皆旋転して止まない世界に住するものであるからである。

私の歌に

「咲けばちりちれば又さく年毎に詠(ナガ)め尽せぬ花のいろいろ」

と詠んだのもその心だ。
一笑するがよい。

            <感謝合掌 平成27年7月9日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その33 - 伝統

2015/07/10 (Fri) 19:25:42


俗儒があった。
尊徳先生の愛護を受けて、儒学を子弟に教えていた。

ある日近村に行って大酒を飲んで、酔って道傍にふして醜体を極めた。
弟子のある子は、これを見て、翌日から教えを受けに来なかった。

儒生は憤って、先生にこう言った。

「私の行いが不善はいうまでもない。
しかし、私が教えるところは聖人の書である。
私の行いが不善を見て、あわせて聖人の道を捨てるという理屈があろうか。
あなたが説諭して、再び学ぶように来させてください。」とこうた。


尊徳先生はおっしゃった。

「あなたは憤ってはならない。
私がたとえをもってこれを解説してあげよう。

ここに米があるとする。
ご飯に炊いでで糞桶に入れて出したとして、君はこれを食べるか。

もとは清浄な米飯であることは疑いない。
ただ糞桶に入れただけである。

しかし、人がこれを食べる者はない。
これを食べるのはただ犬だけであろう。

君が学問もまたこれと同じだ。
もと光り輝く聖人の学だが、あなたが糞桶の口から講説するために、子弟が聴かないのだ。
その聴かないのを不理というか。

あなたは中国の産れだと聞いた。
誰に頼まれて、この地に来たのか。
また何の用事があって来たのか。

家を出ないで、教えを国になすのが聖人の道である。

今ここに来て、私の食客となる、これは何のためか。
口腹を養うだけであれば、農商をなせばよかろう。
あなたは何のために学問をしているのか。」

儒生は言った。

「私が過っていました。私はただ人に勝つ事だけを欲して読書していました。
私は過っていました。」と言って謝して去っていた。

            <感謝合掌 平成27年7月10日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その34 - 伝統

2015/07/11 (Sat) 19:05:40


ある人が尊徳先生に論語の曾点(そうてん)の章のことを質問した。

尊徳先生はおっしゃった。

この章はそれほど難しく考える必要はなかろう。

三子の志があまりに理屈に過ぎていたから、私は点に仲間しようと、一転しただけであろう。

三子とも同じく皆、舞って歌を詠って帰ろうと言ったならば、孔子はまた一転して、
費用を節約して人を愛し、民を使うときは農耕の時期でないようにするだとか、
言は真心があり信がおけるようにし、行いはあつく敬うようにするなどと言ったであろう。

別に深意があるわけではない。
孔子の言葉はただ戯れただけなのだ。

            <感謝合掌 平成27年7月11日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その35 - 伝統

2015/07/12 (Sun) 17:30:58


尊徳先生が 占いを行う者の看板に日月を描いたのを見て、おっしゃった。


彼が看板に日月を描いたのと、寺で金箔の仏像を安置しているのと、
同じ思いつきであり、仏は巧みを極め、占い者は、拙を極めている。

太陽は丸く赤く、三日月は細く白い。

それをそのままに描いたのは正直といえるが、愚かさの至り、つたなさの至りである。
だから尊くないのだ。

これに対し、仏氏は仏を人体に写し、
もっとも人の尊ぶところの黄金の光をかりて、その尊さを示している。

仏氏の工夫の巧妙であることは、占い者の仲間の遠く及ばないところである。


            <感謝合掌 平成27年7月12日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その36 - 伝統

2015/07/13 (Mon) 17:53:54


私(福住正兄)が尊徳先生に帰国(小田原の温泉宿に養子となった)の暇乞いした。

尊徳先生はおっしゃった、


二三男に生れる者が、他家の相続人となるというのは、則ち天命である。
その身を天命として、養家に行って、その養家の身代を多少なりとも増やしたい
と願うのは、人情であって、誰でも見える常の道理である。

このほかにまた一つ見えがたい道理がある。
他家を相続するべき道理で、他家へ養子にいく、
往く時は、その家に勤むべき業がある、これを勤めるは天命通常の事である。

その上に、また一段骨を折って、一層心を尽して、養父母を安んずるように、
祖父母の気持ちに違わないようにと、心を用い力を尽す時には、養家において、
気が安まるとか、よく行き届くとか、祖父母父母の心に、
安心の場ができて養父母が歓びの心となる。

これが養子である者の積徳の初めである。

親を養うは子である者の常で、頑夫であっても、野人であっても養わない者はない。
その養ううちに、少しでもよく父母が安心するように、気に入るようにと心力を尽す時は、
父母は安心して百事をまかせるにいたる。

これがその身の、この上もない徳である。
養子である者が徳を積んだその報いといえよう。
この理は凡人には見えがたい。

これを農業の上にたとえてみると、米麦雑穀何であっても、
肥しは二度やり、草は三度取るとか、およそ定まりはあっても、
その外に一度も多く肥しをやり、草を取り、一途に作物の栄えのみを願って、
作物の為に尽す時は、その培養のために作物が思うままに栄えるであろう。

そして秋に熟するときに至るならば、願わなくても、収穫は多く、産出の多きことで
自から家を潤す事は、しらずしらず疑いもないようなものだ。

この理は人々家産を増殖したいと思うのと、同じ道理であるけれども、
心ある者でなければ理解しがたい。
これはいはゆる理解の難しい理である。

            <感謝合掌 平成27年7月13日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その37 - 伝統

2015/07/14 (Tue) 18:21:40


尊徳先生はまたおっしゃった。

茶師利休の歌に
「寒熱の地獄に通ふ茶柄杓も 心なければ苦しみもなし」といっている。
この歌は未だ尽していない。

なぜかというと、その心は無心を尊ぶだけであり、
人は無心であるだけでは、国家の用をなさないからだ。

心とは我心の事である。
ただ我を去るだけでは、未だ足りない。
我を去ってその上に、一心をきっと定め、少しも心を動さないようにならなければ尊ぶに足りない。

だから私は常にこの歌は未だ尽していないというのだ。

今試しに詠み直してみよう。
「茶柄杓のように心を定めなば 湯水の中も苦しみはなし」
とすればよかろうか。

人は一心を決定し動かさないのを尊ぶ。
富貴・安逸を好んで、貧賤・勤労をきらうのは、凡人の人情の常である。

婿や嫁に来た者が養家にいるのは、夏火宅にいるようであり、冬寒野に出るようなもので、
また実家に来たる時は、夏氷室(ひむろ)に入るようで、冬火宅に寄るようなものだ。

この時その身に天命のある事をわきまえて、天命が安んずる理を悟って、
養家は自分の家であるときっと定めて、心を動かさない事、
不動尊の像のごとく、猛火で背を焼いても決して動くまいと決定し、
養家のために心力を尽す時は、実家へ来ようと欲するともその暇はないであろう。

このように励む時には、心力勤労も苦にはならないものである。
これはただ我を去ろうと、一心の覚悟の決定が徹底するところにある。

農夫が、暑寒に田畑を耕し、風雨に山野を走りまわったり、
車ひきの車を押し、米つきが米をつくようなものだ。

他の慈眼をもって見るに時は、その勤苦は気の毒な限りだといっても、
その身においては、普段から定めて、労動に安んじているから、苦には思わないのである。

武士が戦場に出で、野にふし山にふして、君の馬前に命を捨てるのも、
一心が決定すればこそできるのである。

そうであれば人は天命をわきまえて天命に安んじ、
我を去って一心を決定して、動かさないのを尊いとするのである。

            <感謝合掌 平成27年7月14日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之二~その38 - 伝統

2015/07/15 (Wed) 18:40:24


尊徳先生はまたおっしゃった。


論語に大舜(たいしゅん)の政治を論じて、
己れを恭(うやうや)しくして正しく南面するのみ、とある。

なんじ(福住正兄)は国(小田原)に帰って温泉宿を職業としたら、
また己れを恭しくして正しく温泉宿をするのみ と読んで、生涯忘れてはならない。

このようにすれば利益が多いであろう。
このようにすれば利徳があろうなどと、世の風潮に流されて、本業の本理を誤ってはならない。

己れを恭しくするというのは、自分の身の品行を敬んで落とさないことをいう。
その上にまた仕事の本理を誤らないで、正しく温泉宿をするのみ、
正しく旅館を経営するのみと、しっかり心に定めて肝に銘じなさい。

この道理は人々皆同じである。

農家は己れを恭しくして、正しく農業をするのみ、
商家は己れを恭くして、正しく商法をするのみ、
工人は己を恭しくして、正しく工事をするのみ、
このようであれば決して過ちはない。

南面するのみというのは、国政一途に心を傾けて、ほかの事を思わない、
ほかの事をなさないことをいうのだ。
ただ南を向いて座っているということではない。

この理は深遠である。
よくよく考えて、よく心得るがよい。

身を修めるのも、家を斉えるも、国を治めるも、この一つにある。
忘れてはならない、怠ってはならない。

二宮翁夜話 巻之二 終

・・・

次回からは、二宮翁夜話 巻之三について、新たなスレッドにて進めてまいります。


            <感謝合掌 平成27年7月15日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.