伝統板・第二

229008
「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

幸福の筐を開く① - 伝統

2015/05/16 (Sat) 05:04:32

*光明掲示板・伝統・第一「幸福への出発」からの継続です。
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=17

・・・

《感謝と讃嘆とは幸福の筐を開く鍵である》

          *『白鳩』誌(昭和40年4月号)より

今日いちにちの開始を先ず感謝することから始めようではありませんか。

先ず神に感謝し、祖先に感謝し、父母に感謝し、良人に感謝し、子供に感謝し、
家庭にはたらく全ての人々に感謝し、勤め先のすべての人々に感謝し、
住む家に感謝し、一切の身の廻りの品々に感謝し、

これら一切のものの根源となった神の御恩、衆生の御恩に感謝することから
今日一日を始めようではありませんか?

 
感謝の次に必要なのは讃嘆である。

感謝は受けることに対する受動的反応の要素を‘より’多く含んでいるのであるが、
讃嘆は積極的にこちらから賞讃の言葉を対象に対して打ちそそぐのである。

 
天を仰いで日光の燦然たる美しさを讃嘆し、
俯して地を見て万物を生(お)い育てるその逞しき生命力を讃嘆せよ。 

あなたの子供の元気溌剌たることを讃嘆せよ。 

一輪の花の美しさを讃嘆せよ。 

人々がその日その日の仕事を滞りなく遂行しつつある神秘を讃嘆せよ。 

小鳥の啼き声の美しさを讃嘆せよ。 

今自己が生きている。そして生かされている神秘を讃嘆せよ。 

人は一切存在の神秘に目覚めるとき
本当に自己の“生き甲斐”を感ずることができるのである。

 
あなたは他の人から感謝された時、心に悦びを感ずるであろう。 
そしてその人に何かもっと善き事をしてあげたいと思うであろう。 
また人から讃められたとき心に悦びを感ずるであろう。 
そして、もっと讃められるようなことをしてあげたいと思うであろう。

 
では感謝と讃嘆とは相手から「善き事」を引き出すところの鍵であること
に気がつかれたに相違ないのである。 

それは神に対しても、子供に対しても同じことである。 
神の愛は無限であり、子供が親に対する愛も無限である。 

しかし、それらの愛は、或る程度以上は、
こちらが“感謝と讃嘆の鍵”をもってひらくまでは出て来ない
“秘密の筐”の中に収められているのである。 

神に感謝し、神を讃嘆せよ。 
子供に感謝し、子供を讃嘆せよ。

 
外からなる雑音に耳を傾けること勿れ。 
雑音は純粋なる音楽の美しさを掻き乱してしまうように、
あなたの純粋なる清き心の波を混乱状態に陥れるものである。

あなたは“神の子”としてただ純粋に
“愛”と“調和”と“美”と“感謝”と“讃嘆”との
心の音楽を奏でるだけでよいのである。 

純粋に、外界の雑音に巻き込まれることなく、
“神の子”として、神授の生命の音楽を奏でているか、
ただひたすらにそれのみを念願して美しく、清く、愛の生活を送りつつ、
すべての物と、事と、人とに感謝と讃嘆の声と想念とを送るようにするがよい。

やがて一切の雑音は消え、周囲のすべてがあなたに感謝し讃嘆する声を聞くであろう。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/eb6be6a3f74c50a79829165e08d46523 )

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「幸い (475)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=137     

(2)「光明掲示板・第ニ」内スレッド「幸福 (10773)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2071

(3)*光明掲示板・第三「幸福 (85)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=42


             <感謝合掌 平成27年5月16日 頓首再拝>

あなたの幸福は先ず心を調(ととの)えることからです - 伝統

2015/05/19 (Tue) 04:53:24


           *「真理」第九巻生活篇(P97~98)より

物質によって幸福を得ようと思っても、幸福は神から来るのでありますから、
結局は、その幸福は束の間であって、幸福だと見えたものは直ちに不幸に転じてしまいます。
その実例は新聞の社会面を見れば無数に見出されるのであります。

吾々が幸福を得ようと思ったならば、
物質は心の結果として反映してあらわれるものであることを知り、
物質を求めるよりも先ず心を調える方に専念することが肝腎であります。

あなたが赦さない心を持っている限り、あなたは幸福になれません。
赦さない心は「縛る」心ですから、そんな心を持っている限り
あなた自身が縛られて幸福になれません。

他(ひと)を赦しなさい。
自分を赦しなさい。

若し何か罪悪感をもっているならば、祈りによって神に赦しを願いなさい。

そしてすでに赦されたと信じて感謝しなさい。

             <感謝合掌 平成27年5月19日 頓首再拝>

《神の子たる貴方(あなた)の幸福は 自身以外の誰も奪うことは出来ぬ》 - 伝統

2015/05/25 (Mon) 04:32:27

         *『 生長の家 』誌(昭和25年5月16日の法語)より

   この世界は神の造り給うた世界であるから
   何事も恐るべきものは真に存在することはできないのである。

   他の人が何と云おうと、何をなそうと、
   彼らが吾々自身の幸福を奪うことはできないのである。

   人間は神の子であるから、
   神の子には幸福がつきものであるのである。

   神は全能であるから
   神が神の子に与えた所の幸福を
   他(ほか)から奪うことはできないのである。

   吾は常に神とともに生き、
   神とともに働きつつあるのである。

   すべての幸福は
   自分のものであるのである。

            <感謝合掌 平成27年5月25日 頓首再拝>

【小さなハッピー】 - 伝統

2015/05/30 (Sat) 03:59:07


               *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年8月19日)」より

   (飯野晴子氏の心に響く言葉より…)

   「舌切りスズメ」という昔話をご存知でしょうか?

   このお話のなかに、親切にしてくれたおじいさんへの恩返しに、
   スズメが「大きいつづら」と「小さいつづら」のどちらかを
   お土産に贈るシーンが出てきます。

   やさしくて謙虚なおじいさんは小さいほうのつづらを選び、
   冷たくてよくばりなおばあさんは大きいほうのつづらを選びます。

   すると、結果的に小さいほうからは宝物が、
   大きいほうからは妖怪や気味の悪い虫が出てくる…。

   読む人によっていろいろな教訓が含まれたストーリーですが、
   私がこのお話から学んだのは「本当のハッピーは小さなもののなかに隠れている」
   ということです。

   私たちはふだん、ついついよくばって
   「大きなハッピー」ばかりを目先に追い求めてしまいます。

   けれども、実際の幸せは、毎日の暮らしのなかのちょっとした楽しみや
   喜びを積み重ねた先にこそ訪れる。

   ささやかなことでかまいません。
   どれだけ「小さなハッピー」を見つけられるか、ということです。

   以前、若い友人達にこの話をしたところ、
   さっそく次の日から、彼らは自分の見つけた「小さなハッピー」を
   その都度私に知らせてくれるようになりました。

   「思わず“ジャケ買い”したCDが全部とってもよかった」
   「ファストフード店でスピードくじを引いたら、フライドポテトが当たっちゃった」
   「大好きなお菓子の新しい食べ方を見つけた」…などなど、なんでも。

   一つひとつは小さなことかもしれません。
   でも、1日を振り返って「何もなかった」と言うより、
   たとえ小さくても「こんなうれしいことがあった」と笑顔で言えるほうが
   ずっと素敵だと思いませんか?

   同じことでも「くだらない」や「別にうれしくもない」と思うのと、
   「ラッキーだな」と喜ぶのとでは後者のほうがずっとおトクです。

   少し下品な言葉でいえば、「ただではころばない」ということでしょうか。
   この「ただではころばない」精神が毎日を楽しくしてくれる秘訣だと私は思います。

   だから、「小さなハッピー」をないがしろにしない。
   小さな喜びを愛(いと)おしみ、感謝する気持が、
   また次のハッピーを呼んできてくれる。
   そう信じています。

       <『飯野さんって、どうしてそんなに運がいいんですか?』サンマーク出版>

               ・・・

飯野晴子さんは、大学卒業後、25歳で結婚し二人の娘を出産したが、
35歳の時に離婚したことをきっかけに、経済的な必要にも迫られ、生まれて初めて就職した。

2度の離婚、シングルマザー、仕事と子育ての両立などなど、さまざまな苦難を乗り越え、
70歳を迎える今も現役で活躍し、「広告界のビッグママ」と呼ばれている。

また、中尾ミエ、小室知子、加藤タキとともに「女性らしい自然な生き方」を志す
チーム「ソルトンセサミ(ごま塩頭=白髪をそめない)」を設立し、活躍している。


「神は細部に宿る」という言葉がある。

「細かな部分ほど、疎(おろそ)かにしない」、
「小さな部分こそが全体を決める」、ということだが、「小さなハッピー」も同じこと。

「神は小さなハッピーに宿る」、と言ってもいい。

大きなハッピーばかりをのぞみ、小さなハッピーを疎(うと)んじる人は、
結局はハッピーを手に入れることはできない。

当たり前の日常の中で、小さなハッピーを毎日見つけたい。

             <感謝合掌 平成27年5月30日 頓首再拝>

汝の不幸を呟くな - 伝統

2015/06/05 (Fri) 04:20:27


           *「真理」第1巻入門篇(P125~128)より

1分間でも呟いたらなりません。

言葉は種であるから悲観的な事を呟けば呟くほど、悲観的な空気はその人の周囲にたちこめ、
その人の住む部屋に漲(みな)ぎり、その人自身を悲しい空気で押し潰(つぶ)してしまうばかりか、
「類(るい)は類(とも)を呼ぶ」「泣き面に蜂」の諺の通りに、他(よそ)から集まって来る
ものもその人にとって都合の悪いものばかりとなるのです。 

失敗が何だ、墜落がなんだ、墜落することによって柿の種は芽を吹くことが出来る。
―― 人間も失敗すること、墜落することによって、かえって芽を吹くことが出来るのです。

ドイツ国民は、すでに滅亡していたドイツを如何にして立ち上がらせたか 
その頃彼らの眼の前にあるドイツの状態は、戦敗の惨禍の中に誠に惨めな状態であった。
その時ですらドイツの国民は「光」を見たのです。

「光」の中に「新しいドイツの姿」を心に描いたのです。
若しドイツの国民の心の中に「新しいドイツ」の勃興した姿が描かれなかったら
今日のドイツの素晴らしい復興はきっとなかったことでしょう。

併し彼らは心の中に、若くして力強き「新しきドイツの姿」を描いたのです。
そしてそれを事実に現すために勇ましく行動を開始したのです。
今ではドイツは輸入よりも輸出の多い国として素晴らしい経済力を示しています。

若し、あなたが「こうあって欲しい」と思う状態を心に強く描いてそのために
行動を開始するならば、その心に描かれた状態を形に現せてくれるための友達や事柄が
自然とあなたの周囲に集まってくるでしょう。

ドイツの破壊の惨状は日本の破壊どころの騒ぎではなかったのです。
何しろドイツの国内で戦争が行われたのですから、ただ空爆を受けた日本とは
比べものにならない破壊のされかただったのです。

あの惨めなドイツを再興することさえで出来るならば、今如何なる状態で日本があるにせよ、
日本の運命を更に更に隆々朝日の差し昇る如き勢いにならしめるのは難しい事はないはず
であります。それにはどうすればよろしいか、あなたにはもうお解りでしょう。

心にあなたの既に栄えている自分の有様を想像するのです。
毎朝、毎時間、暇ある毎に、既に栄えている自分の有様を心に描いて
「今に見よ、きっとそうなる」こう自分の心に断だんことして呼びかけるのです。

呼びかけるだけではない、今眼の前にある仕事を感謝して受け、
それが百パーセント完全になるまで成し遂げるのです。

そしてその余禄を以て更に一歩自分の描いた目的へ向かうべく、
生活をその方へ推し進めるのです。

余力がないとと云って嘆くな。
余力がないのではない。
汝の決心の乏しきこそを嘆け。

鉄の如き強き意志を有て!
鉄の意志の前には、どんな幸運も素直に扉を開いて入れてくれるのです。

力は、大決心と勇猛心をふるい起こせば出せば出さすほど出るのです。
最初の一歩の進み方を緩慢(まどろ)しく思うな。
大きく伸びる樹は最初の伸び方が遅いものなです。

植物の種子(たね)でさえも、巨木になる種類ほど播いてから芽を出すのに暇がかかります。
芽が出るのが遅いからとて、毎日土を掘り返して中をあらためて、
芽が出ぬかも知れぬと疑っているようなことではとうとう出かけていた芽も傷ついて
腐ってしまうに違いないのです。


             <感謝合掌 平成27年6月5日 頓首再拝>

明るい心が幸福のもと - 伝統

2015/06/12 (Fri) 03:45:59


           *「真理」第1巻入門篇(P179~180)より

キリストは「光のあるうちに光の中を歩め」と云いました。
キリスト教のかみさまは光の神様、明るい神様です。

仏教ではアミダ様と云います。
これを支那の道綽(どうしゃく)禅師と云うお坊様が
尽十方無げ光如来と翻訳なさいました。

あらゆる方角どこもかしかもことごとく、どんな障害物も妨げることが出来ない
光の如来様と云う意味であります。やはり仏様は明るい光ですね。
真言宗では大日如来と云います。

日本では天照大御神と申しまして、宇宙全体を照らす光の神様という事になっております。

兎も角どの宗教でも、神様は「光」に例えられている位に明るいのでありますから、
その神様の眼に見えないお助けを戴こうと思いましたら、それと同じ心の波長、
すなわち明るい波長を起こさなければならないのであります。

明るいこころを起こしなさい。
暗いところには、じめじめした苔か黴菌か黴(かび)のようなものしか
生(はえ)ないのであります。

明るい心になりなさい。
南を受けた暖かい土地には立派な樹木が育ちます。
それは明るいからです。

皆さんも既に幸福なんだと云うことを信じて、幸福の明るい心の波を起こしなさい。
すると「既に幸福なる」実相の完全な豊かな姿が現れて現実にも幸福に健康に豊かに
なるのであります。もうそこには不幸も病気も貧乏もないのであります。

             <感謝合掌 平成27年6月12日 頓首再拝>

小さな幸せに気づくレッスン - 伝統

2015/06/19 (Fri) 04:39:04

        *「ものの見方検定」ひすいこたろ・著(P58~59)より

わたしは今日幸せでした。なぜならば・・・・

わたしは今日幸せでした。なぜならば・・・・

わたしは今日幸せでした。なぜならば・・・・


寝る前に、なぜならばの続きを3つ考えてから寝てください。

例えば・・・。

わたしは今日幸せでした。
なぜならば、たまたま入った池袋の「フルル」というラーメン屋が、
目が1.3倍に見開くほどおしかったからです。


わたしは今日幸せでした。
なぜならば、窓から差し込む、」太陽の日差しがとっても心地よかったからです。


わたしは今日幸せでした。
なぜならば、多くの人が、この本を評価してくれたからです。


こんなふうに、今日からまず21日間続けてみてください。
(21日間続けると習慣になりやすと言われています)

寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。

             <感謝合掌 平成27年6月19日 頓首再拝>

《心の幸福が本当の幸福》 - 伝統

2015/06/26 (Fri) 03:35:32


         *『 生長の家 』(昭和26年5月25日の法語)より

   この事さえ成就すれば私は屹度(きっと)幸福になれると思っている人が、
   それが成就した後で幸福になれない実例は沢山ある。

   胃病の人は胃が治れば幸福になれると思うが、
   胃が治ったあとは又別なことを悩み出すのである。

   あの女と結婚すれば幸福になれると思っていた人が結婚した後(のち)に
   毎日夫婦喧嘩(げんか)をして決して幸福でない実例もある。

   これだけ富が出来たら屹度幸福だと思っていた人が、
   それだけ富が出来たときに、社会的な色々複雑な問題が紛糾して
   幸福になれない人もある。

   考えて見れば、幸福とは個々の事物にあるのではなく、
   其の人の心の状態にあるのである。

   心の幸福な人は常に幸福な人である。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=110

             <感謝合掌 平成27年6月26日 頓首再拝>

【幸せのタネをまく人】 - 伝統

2015/07/04 (Sat) 04:45:53


            *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年06月11日)」より

   (岡本一志氏の心に響く言葉より…)

   春が訪れると、農家では田植えの準備が始まります。
   大事なのは、モミダネをまいて苗(なえ)を育てること。
   秋には、辺り一面が稲穂(いなほ)で黄金色になります。

   けれど、タネまきをしているのは農家の方だけではないのです。

   私たちも毎日、たくさんのタネをまいているのだと
   お釈迦さまはおっしゃっています。

   どういうことかといいますと、お釈迦さまは、私たちの体の行いや、
   口でいろいろしゃべる行いや、心でいろいろ思う行いのことを
   タネと言われています。

   「一生懸命、練習する」「運動を心掛ける」「掃除をし、部屋を片づける」
   「笑顔で接してみる」「約束を守る」「相手の話を聞く」というのは

   体でタネまきをしているということです。


   「気持ちのいい挨拶をする」「ありがとうとお礼の言葉を言う」
   「相手の長所を発見して褒(ほ)める」。

   これは口のタネまきです。


   「自分を責めないようにする」「思いやりの気持ちを持つ」
   「感謝の心を忘れないようにする」。

   これは、心によるタネまきです。


   もちろん、ここに挙げたことだけでなく、体や口や心でやったり、
   言ったり、思ったりしたこと全部をタネと言われていますから、
   私たちは、日々、いろんなタネまきをしていることになります。

   私たちは一生懸命努力しても、思ったとおりの結果が出なければ
   努力は無駄になったと思います。

   入学試験や資格試験に向けて頑張っても不合格になってしまうと、
   無駄な苦労だと思って頑張ったことを後悔してしまうこともあります。


   しかしお釈迦さまは、田んぼにまいた種がやがて実を結び、自分に返ってくるように、

   「あなたのまいたタネは、まだ、芽が出ていなくても、必ず、実を結ぶのだよ」

   と言われています。

   だから、無駄になる努力も苦労も何一つないのです。


   まかぬタネは絶対に生えないが、まいたタネは必ず生えます。

   お釈迦さまは私たちにどうしたら幸せになれるのか、
   幸せになるタネとは何かを教えていかれました。

          <『幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く』1万年堂出版>

              ・・・

仏教の言葉に、「身口意(しんくい)の三業(さんごう)」というものがある。

身業(しんごう)は、行うことであり、行動のこと。

口業(くごう)は、言うことであり、言葉のこと。

意業(いごう)は、思うことであり、心で考えること。


人に喜ばれる行動をすること。

人に喜ばれる言葉を発すること。

人に喜ばれることを思い考えること。


この反対の、人を不快にし、悲しませることをしてはいけない、
というのがお釈迦さまの戒(いまし)め。

「幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く」

不幸のタネをまけば、不幸の花が咲く。


幸せのタネをまく人でありたい。

             <感謝合掌 平成27年7月4日 頓首再拝>

幸せを呼ぶ陰陽の法則! - 伝統

2015/07/11 (Sat) 04:19:34


          *Webより

全てこの世は、対極です。表と裏です。

陰と陽とのバランスからなりたっています。

男と女、白と黒、右と左、光りと闇、太陽と月、天と地、高い低い、温かい寒いなどです。

男は陽、女は陰、太陽は陽、月は陰、天(空)は陽、地は陰です。


何事もこの世は、バランスが大事です。
全てにおいて偏らずにバランスよく生きることです。

気分転換や元気を呼ぶ方法として神社、仏閣に行く方法がありますが、
更にパワーをゲットするのには陰陽の法則を知っていれば人生、倍、楽しめます!

人間の体も左は陽、右は陰となるのです。

もしあなたが元気やパワーを欲しいのなら、
神社の鳥居をくぐる時は、左足からくぐってください。
左足が神社の陽のパワーとリンクします。

この時、左足からくぐると心身のパワーがアップします。
右足からくぐればパワーは落ちます。

鳥居は、聖地での次元が変化する大事な幸運の扉です。
すなわちエネルギーの変換器です。

左から入って「高波動にシフトする!」と意識することで、
あなたの神社参拝は価値あるものに変わるのです。

帰りは意識しないで気にせずに自然に帰ってください!

お寺の場合は、右足から門をくぐってください。
右足もお寺も陰のパワーとリンクします。

お風呂に入る場合は、右足から入るとお風呂のパワーとあなたが一体化しやすいです。
お風呂から出る時は左足から出るといいです。

もし家の外で誰かや何か乗り物を待つ場合は、
天地の地の陰に対して陽の左足を前に少しだしているだけで、
大地の地のエネルギーが左足から入ってきます。

又、自分の体の調子が悪い時(痛い時)には男性は左手で、
女性は右手で患部をタッチすることで痛みはやわらぐのです。(例外もあります。)

もちろんこの陰陽の法則を使って色々な物を中和させることも出来るのです。
昨日、書きました陰の食品をあなたの左手でかざすといいです。
そして陽の食品を右手でかざすといいです。

めんどくさい人は、合掌して心から「いただきます!」と宣言することで、
あなたの目の前にある食べ物は、宇宙と中和してあなたにとって
害のないものに変わってしまうのです。

人間の想念の力は素晴らしいです!

合掌して「いただ~きます!」です。

It's up to you 、 すべては自分次第!

   (http://tukioyobu.air-nifty.com/tukioyobu/2007/07/post_9555.html

<参考Web:陽の食品、陰の食品
       → http://tukioyobu.air-nifty.com/tukioyobu/2007/07/hot_5b4b.html >

             <感謝合掌 平成27年7月11日 頓首再拝>

あなたの”運命の原型”を”幸福”たらしめよ - 伝統

2015/07/18 (Sat) 04:52:25


           *「女は愛の太陽だ」(P178~179)より

すべて形あるものは、その内部にその形の設計があるのである。
設計は、現象的形態以前の「想念の形」であり、その「想念の形」の通りに
部分品や材料物質が集められて具体的な現象の形ができ上がるのである。

それゆえに現実に「見える形」の奥には、眼に見えない「想念の形」があるのである。
だからあなたの現実の運命 ―― 貧富・健不健・調和不調和等 ―― の奥には
あなた自身の「想念の形」があり、それが原型となって、あなたの運命を形成して
いるのである。

あなたが常に自己の「不幸」を心に描き、人を恨み、自己を嘆いていられるならば、
あなたは「不幸の原型」を”想念の世界”につくり、更に再びその「不幸の原型」を
現実化するための種を蒔きつつあるのである。

よろしく心を一転して、「幸福の想念」をあなたの心の中に起し、
その幸福を感謝する想念を起しなさい。
やがてその幸福の想念が具体化して本当に幸福が現実化して来ることになるのです。

             <感謝合掌 平成27年7月18日 頓首再拝>

神さまたちの仕事 - 伝統

2015/07/25 (Sat) 03:35:29

       *「変わりたいあなたへの33の物語」植西 聰・著(P132~135)より

空の上で、神さまたちが忙しそうにしていました。
なにをしているのかというと、地上の人たちの人生が、幸せの方へきちんと
すすんでいるかどうかをチェックしているのです。

神さまたちは、なにやら独り言をつぶやいています。

「ああ、彼女はがんばっているなあ、以前は口ばかりで行動が伴わなかったのに、
今はコツコツ夢に向ってがんばっている。
このあたりで、ご褒美を与えてあげよう。
エイ! 」


「おやおや、この女性は、昔から穏やかな家庭を築きたいと願っているのに、
今の恋人は、それとは反対のタイプだ。このままでは、彼女は後悔することになる。
このあたりで、軌道修正が必要じゃ。

少し辛いかもしれないが、耐えるんだぞ。
この男との別れで、本当の優しさの意味がわかれば、次の相手とは結婚できるからな。
エイ! 」

神さまたちは、そんなふうに、淡々と自分の仕事を進めています。

一人の神さまが、言いました。

「おやおや、この男性はこのごろ、ちょっと調子に乗っているようだ。
このままだと大きな困難にぶつかった時、挫折してしまいそうだ。
このあたりで、少し苦労を教えておいた方が、あとの幸せのためだろう。
エイ! 」

そして、地上にいる男性の方を見て、ウインクをしました。

地上では、ある変化が起きていました。
神さまにウインクされた男性は、昨日まで自信満々だったのに、
今は落ち込んでいます。

「なんだよ。あの上司の野郎。オレの仕事にばかり文句を言って、
オレだって一生懸命やってるんだ。もう、どうすればいいんだよ」

と上司への恨み事も聞こえてきます。

男性はその日、仕事でミスをして、上司に怒鳴られたのです。
男性は学生時代から優等生で、あまり人から叱られたことがしませんでした。
ですから、余計にショックが大きかったのです。


でも、あなただけにこっそり教えると、
この男性は、あとで上司に叱られたことに感謝する日が来ます。

彼がこの日からちょうど3年後に転職する会社の上司は、
とても部下に厳しい人なのです。
昔の彼だったら、その上司が怖くて、すぐにやめたくなるほどです。

しかし、男性はすでに厳しい上司の下で働いた経験があるので、
新しい会社でも、めげずに実績を上げます。

そして、ずっと夢だった社内留学制度に応募して、
海外の大学で勉強できることになるのです。

彼が、「新人のころ、あの会社で怖い上司に絞られておいてよかった。
あの時に厳しく鍛えられたおかげで、今の自分がある」
と思えるようになるのは、あと5年ほど先のことです。


       ☆    ☆    ☆

この神さまの話を読むと、

「今、悲しいことや、思い通りにならないことがあっても、嘆くことはない。
将来、もっと幸せになるための軌道修正なんだから」

と前向きになることができるでしょう。

これは、単なる気休めではありません。

これは真実です。

幸せそうな人たちが、よく言う言葉に、

「昔は辛い体験もしました。でも、あの時の苦労があったから、
今の自分があるんだと思います」

というものがあります。

           ・・・

   その失敗を悲しむことはありません。

   それは、もっと幸せになるための神さまの軌道修正なのです。

           ・・・

             <感謝合掌 平成27年7月25日 頓首再拝>

幸せを呼ぶ「ビールの法則」 - 伝統

2015/08/02 (Sun) 04:49:38

      *「つぶやくだけで心がスッキリする魔法の言葉(じゅもん)」
        はづき虹映・著(P42~45)より

汗がダラダラ流れるくらい暑い中で、
「のどがカラカラに渇く」という状態は、
あまり心地のよいものではありません。

しかし、「のどが渇いた状態」が先になければ、
「冷たいビール」を飲んだときに幸せは感じられないのも事実。

だからこそ、「のどが渇いた状態」は、実は「冷たいビール」を飲むことで
得られる「幸せの入口」とも言えるのです。

つまり、幸せを実感するためには、
「幸せでない」状態を先に経験することが必要になるのです。

幸せとは「幸せでない」状態があることによって、
初めて認識できる、相対的なものだと言えるでしょう。


《「辛い現実」と「幸せ」はワンセット!?》

もし今、辛いことがあるならば、それは「幸せ」を感じる前段階にいる
「幸せ半分」ということです。

だからこそ、そこで味わうことをやめてしまったり、
辛い現実から逃げたりするのは、もったいない・・・。

その後に用意されている幸せ
 ―― 暑い日に、よく冷えたおいしいビールを飲む幸せ ――
がやってくるのは、もうすぐです。


のどが渇けば渇くほど、その後のビールがおいしくなるように、
目の前の現実が辛ければ辛いほど、後から訪れる幸せが
より鮮やかに際立ってくるものです。

つらい経験があるからこそ、今の幸せをありがたく味わえるのです。


「辛いとき、それは幸せの前半分を味わっているのさ」

この「魔法の言葉(じゅもん)」を唱えながら、
その辛さをしっかり味わいましょう。

幸せフルコースのメインディッシュは、これから・・・です。

             <感謝合掌 平成27年8月2日 頓首再拝>

幸福は自己が創造する - 伝統

2015/08/09 (Sun) 03:09:40


         *「生活と人間の再建」第3章生活創造の原理(P42)より

         
《幸福は自己創造のものである》
幸福は自己のまいた種だけ刈りとるのである。

「物惜しみをしない時には何人(なんぴと)も好意を得(う)るのである」
とゲーテの語録は語っている。

与えたものが必ずしもその通りの形のものとしかかえってくるのではないのである。

それは石炭を与えてこれをもやすと、汽車が進行するという形でかえって来るように
形が変わって棟梁の結果が帰ってくるのである。

従って与えた通りの等量のものがかえって来るといっても
形は変わってくることに注意しなければならない。

自分にはそんな原因がないのにこんな不幸な報いを受けるなどということを
考えたりする人がでて来るのの此の為である。

本当に愛深い人はその愛が目に見えないでもその人はひろびろとした世界に
住むことができるのである。

「深切は、正義の有する広い領域よりも更に大きい場所をしめる」とゲーテはいっている。

キリストの愛は全世界を占領してしまったのである。
自分の全部を世界に与えてしまったときに世界は自分のものとなったのである。

然しその世界を自分のものとする仕方は、
決して物質的な世界を占領するというような形に於いてではないのである。

             <感謝合掌 平成27年8月9日 頓首再拝>

幸福を外の世界に求めるな - 伝統

2015/08/16 (Sun) 03:47:40


            *『光明法語』(P120)より

吾々は誰も幸福を求める。
然し乍(なが)ら大抵は外の世界にそれを求め、
外の手段方法をとつおいつ心配して心を労するのである。

併しそれは拙劣(せつれつ)なる求め方である。

労して誰も幸福になれるのであったら、
「稼ぐに追いつく貧乏なし」の諺その儘に誰も彼も幸福に豊かに富める筈であるが、

事実は「はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざりじっと手を見る」
という石川啄木の歌のように、いくら人間力で労して見ても幸福になり切れない場合が多い
のである。

ここに反省しなければならぬものがある。

心の方向を転換しなければならぬ。

             <感謝合掌 平成27年8月16日 頓首再拝>

【幸運をつかむには】 - 伝統

2015/08/24 (Mon) 04:47:10


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年02月15日)」より

   (東京理科大学大学院教授、宮永博史史の心に響く言葉より…)

   幸運をつかむということは、外部にある情報を活かすということに他なりません。

   私たち人間には

   「自分の見たいものだけを見て、自分の聞きたいものだけを聞く」

   という性質がありますから、同じものを見ても
   気づく人と気づかない人がいるわけです。


   つまり、同じ情報を得ても、幸運をつかまえる人とつかめない人がいるわけです。

   そこで、幸運をつかむためには、心の持ち方が重要となってくるのです。

   心のなかに自分がなりたい姿や解決したい問題を持ち、いつもそれを考えていると、
   外部の情報に対して敏感に反応するようになります。


   ニュートンがりんごの木からりんごが落ちるのを見て
   万有引力の発見をしたというエピソードがあります。

   その真偽はともかくとして、そもそも万有引力について常に考えていなければ、
   りんごが落ちるのを見ても万有引力に思い至ることはありません。

   いつも万有引力について考えていたからこそ、りんごが落ちる状況を見て、
   「りんごは落ちるのに、空にある月はなぜ落ちてこないのだろうか」と
   関連付けて考え、万有引力の発見に至ることができたのです。


   日々、私たちの日常には、種々雑多な情報が飛び交っています。

   そのような夥(おびただ)しい情報のなかで、
   どれが自分にとって価値がある情報かを選び出すためには、
   意識を集中する必要があるのです。

   物事の乱雑さ、無秩序の度合いを示す概念にエントロピーというものがあります。
   乱雑さが増し無秩序になるほどエントロピーが増加する、というふうに使います。

   情報もほうっておくとエントロピーが増加します。

   つまり、「種々雑多度」が増えるだけで情報をうまく活用できない。

   物知りだけれども知恵がないといわれる人は、
   多くの情報を断片的に知っているだけで、うまく活用できないのです。


   情報を活用するためには、エントロピーを減少させ、
   情報を順序立てて関連付ける必要があります。

   部屋を片付けるのにエネルギーが必要なように、
   エントロピーを減少させるには必ずエネルギーが必要となります。

   エネルギーを使って意識を集中し、エントロピーを減少させる必要がある。
   かけるエネルギーが多いほどエントロピーが減少します。

   したがって、幸運をつかむのに心に強い思いを描くことが大切だというのは、
   自然の法則にのっとっているのです。

   将来の自分のありたい姿や、解決すべき課題などを常に心に描いて考えを深めると、
   外部の情報が秩序立てて蓄積され、情報同士の関連が付けられ、
   幸運をつかみやすくなるのです。

   心に描くものが、具体的であればあるほど、
   エントロピーが減少し、外部の情報を活かしやすくなります。


   しかし、なかには、漠然とした思いはあるものの、
   まだ具体的に将来の自分のありたい姿を絞りきれていない人もいるかと思います。

   そういう人は幸運をつかめないのでしょうか。
   そんなことはありません。

   その場合にも方法があります。

   そういう人は、まず心がワクワクするようなことを見つけ
   熱心に取り組んでみることが幸運をつかむきっかけになるのです。

          <『幸運と不運には法則がある』講談社+α新書>

               ・・・

先日の日経新聞のコラムに、「米国の人気コーヒー店の日本初進出」の話があった。

そして、それだけならよくある話だが、
「創業した米国人は、店づくりのヒントを日本の喫茶店から学んだ」ということだ。

今、アメリカのコーヒー業界には、第三の波と言われる現象がある。

それは、スターバックスコーヒーなどのセルフのコーヒー店に続くものとして、
エスプレッソではなくサイフォンやドリップで入れる店のこと。

日本では長らく斜陽業種と言われてきたコーヒー店だが、
見方や考え方を変えるとそれが全く新しいものとして世に登場する。

寝ても覚めてもある一つのことを考えていれば、普段と同じものをみても、
まったく違うインスピレーションがわいてくることがある。


「明珠在掌(めいじゅたなごころにあり)」という禅語がある。

宝物はすでに自分の手の中にある、もうすでにあなたは持っている、という意味だ。


多くの人は、自分が持っている宝物や、身近にあるお宝に気づかない。

そして、それを見過ごしてしまう。


心の底に深く刻み込まれるような夢を持つこと、
または、ワクワクするようなことに熱心に取り組むこと。

幸運をつかむ、気づき多い人でありたい。

             <感謝合掌 平成27年8月24日 頓首再拝>

【人生を楽しみましたか?】 - 伝統

2015/08/31 (Mon) 03:18:11


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月11日)」より


   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   死んだらどうなるか…。

   オレは小さい頃、神さまに見せてもらったことがあるの。
   死ぬとね、二つしか質問されないからね。

   一つは、「人生を楽しみましたか?」って。
   もう一つは、「人に親切にしましたか?」。


   この二つしか聞かれないんだよ。
   だけど、この二つは同じなんだよ。

   人生を楽しみましたか?…って、
   他人(ひと)に喜ばれると、人はすごくうれしくて楽しいんだよ。


   人間、生きてて、なにがうれしい、ってさ。

   ゴルフで、ポンって、穴にボールが入ってくれるのも、うれしいだろうけど、

   「あんたがいてくれて、しあわせだよ」とかね。

   「あなたと同じ時代に生まれてしあわせだ」とか。

   そうやって言われたら、いちばんしあわせだよね。

   「自分は人からどんなふうに思われてもいいんだ」って言うけど、
   嫌われたら、しあわせじゃないよね。

   だから、しあわせって、追求したらね。

   追求すればするほど、人に喜ばれることが、「しあわせだ」ってことがわかるよね。


   人間ってさ、自分の魂が成長したときに無上の喜びを感じるものなんだよ。

        <『人生が楽しくなる「因果の法則」』PHP研究所>

              ・・・

鍵山秀三郎氏は、人間には3つの幸せがあるという。

一つ目の幸せは「してもらう」幸せ。

赤ちゃんが、母親からお乳をもらうとか、おしめを取り替えてもらう、
抱っこしてもらう、そういう「してもらう」幸せ。


二つ目の幸せが「できるようになる」幸せ。

二歳か三、四歳の子供が、歩いたり、走ったり、スプーンやお箸を持って自分で食べたり、
自転車に乗ったり、ということが「できるようになる」幸せ。


三つ目の幸せが「してあげる」幸せ。

友人や知り合いに限らず、誰かに何かをしてあげると喜ぶが、
相手のその喜んだ姿を見ると自分も幸せになるという、「してあげる」幸せ。


この幸せのなかで、三つ目の「してあげる」幸せを感じることができる人が、
最も幸せを感じることができ、それが最高の人生の楽しみとなる。

「してもらう」幸せも、「できるようになる」幸せも、自分だけの幸せ、
つまり、自律していない赤ちゃんや子どもの幸せ。

「してあげる」幸せは、成熟し、自律した大人の楽しみ。


人に喜ばれることが、最高の「しあわせ」であり、無上の「楽しみ」。

人生を楽しめる人でありたい。

             <感謝合掌 平成27年8月31日 頓首再拝>

【幸福とは、機嫌よく生きること】 - 伝統

2015/09/07 (Mon) 04:37:30


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年09月03日)」より

   (無能唱元氏の心に響く言葉より…)

   別れの挨拶に「気をつけてね! 」があります。

   「気をつけて」とは、よく用いられる言葉であり、
   また何の変哲もない日常語でもありますが、
   私は、あまり頻繁(ひんぱん)にこの言葉を聞くのを好みません。

   なぜなら、この言葉には、かすかにではありますが、
   恐れの感情が含まれているからです。

   この恐れの感情は、深層意識下で成長増大する、それこそ恐れなしとは言えません。

   この「気をつけて」に対して、もう一つの別れの言葉に、
   「ご機嫌よう」があり、これの方が私は好きです。

   しかし、この「ご機嫌よう」の方が、「気をつけて」に比べて、
   世間では使われる頻度がずっと少ないようです。


   ソクラテスは「大切なことは、ただ生きるのではなくて、よく生きるということなのだ」
   と言ったそうです。

   では、「よく生きる」とは、解りやすく言えば、どういう生き方なのでしょうか?


   私はそれは、煎(せん)じ詰めれば、「機嫌よく生きる」ことだと思います。

   ですから、「ご機嫌よう」という言葉には、この願いがこめられており、
   この言葉を繰り返し使うことにより、それは無意識の祈りの言葉となって、
   人々のアラヤ識に収められるのです。

   そしてそれは、その人の未来の人生に良い影響をもたらします。

   誰もが知っていることですが、機嫌よく生きるには、2つの要素を必要とします。

   その2つとは、まず、自分にとって有利な情報を得ること、
   そして次には、自己コントロールによって、自らの機嫌を良くすることです。

   この両者が協力しあって、初めて、機嫌よい状態が生じるのであります。


   ところが、物質的に生きている人は、大体において、
   自分の機嫌の悪さを、第一の条件である外部からの情報のせいにします。

   すなわち、人のせいにします。

   逆に精神的に生きている人は自分の心のいたらなさを責めるのです。

   すなわち、自分のせいにするのです。

   世間の人々の在り方を見てみると、第一の条件、すなわち、外部的条件に、
   すべての責任を負わせている場合が圧倒的に多いのも事実ですが…。


   しかし、究極的には、外部、内部の両面において、
   その充実とバランスを図らなければならないのです。

   すなわり、「環境的には、富、成功、健康などをもって整え」
   「意識的には、小さなことに対しても、感謝と喜びをもって反応する」よう、
   自己コントロールに励むことです。


   私たち人間は、この2つの行動を行うことによって、
   自分の人生を、機嫌よく生きることができます。

   機嫌が良いとは、心が健康であるということです。

   そしてまた、それは、幸福である、という意味でもあります。

   人間の生きる最大の目的が幸福であるならば、それは、
   「機嫌よく生きる」という一語に集約されるのではないでしょうか?

         <『小さなサトリ』河出書房新社>

             ・・・

斉藤一人さんは、機嫌についてこう語っている。

「身体の具合の悪い人、人生うまくいかない人。もしかしたら、人の機嫌をとっていませんか?

相手は相手の都合で機嫌が悪かったりするの。今は、やれ不況だとか、何だとか。

それでも、自分の機嫌をとるの。自分がいつもニコニコ明るくしてるの。
で、そういう人が人を救うの。

悪い方に私を合わせちゃいけないんです」


「幸福とは、機嫌よく生きること」

人のせいにせず、毎日をニコニコと機嫌よく生きたい。

             <感謝合掌 平成27年9月7日 頓首再拝>

【この程度でちょうどいい】 - 伝統

2015/09/15 (Tue) 04:08:57


            *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月13日)」より

   (篠田桃紅氏の心に響く言葉より…)

   ほどほどに、まあ、八十代の平均寿命をまっとうして、なるべく病気をせず丈夫で、
   お金もほどほどにあり、人に迷惑をかけない。

   そういう人生がいいだろうと、非常に常識的な一つの典型をつくることはできます。

   しかしそれが人間のほんとうの幸福かというと、その人が幸福と思えば幸福ですが、
   ああつまらない、退屈な人生と思えば退屈です。

   私も長く生きてきて、いろんな人に出会い、いろんな人の人生を見たり聞いたりして
   きましたが、どういう人の人生が一番幸福だったのか、いくら考えてもわかりません。

   たとえば、あの人は素敵な人だったと思うけれども、その人の妻はどうだったかというと、
   苦労させられたのかもしれないと思いますし、この人は立派で尊敬できる人だったけれど、
   その人の子どもはどうだったかというと、親と比較されて悩んだ様子でしたし、
   いいことずくめの人は見つかりません。

   一つ得れば、一つ失うことは覚悟しなさい、ということなのでしょうか。

   なにもかもが満足な人生はありえないようです。


   一方で、豊かになれば人は幸せになれると、
   人類共通して思ってきましたが、それもまた違ったようです。

   私もずいぶん裕福な人を見てきましたが、わけがわからなくなります。

   どのように生きたら幸福なのか、「黄金の法則」はないのでしょうか。


   自分の心が決める以外に、方法はないと思います。
   この程度で私はちょうどいい、と自分の心が思えることが一番いいと思います。

   ちょうどいいと思える程度は、百人いたら百人違います。


   私はまだ足りなと思う人は、いくらあっても足りません。
   そういう人はいくら富を手にしても、お金持ちになった甲斐はありません。
   愛情を充分に与えられても、愛されていると自覚しません。

   まだまだ足りないと思っているのですから。

   これくらいが自分の人生にちょうどよかったかもしれないと、
   満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。


   「幸福になれるかは、この程度でちょうどいい、と思えるかどうかにある」
   ……いいことずくめの人はいない、一生もない……

       <『103歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』幻冬舎>

                ・・・

篠田桃紅(しのだ・とうこう)氏は、世界で最も尊敬される現役美術家と言われている。

1913年に生まれ、現在103歳。

墨を用いた抽象表現主義者として、世界的に広く知られ、今も第一線で制作している。




「吾(われ)唯(ただ)足(た)るを知る」、と彫られた京都の龍安寺のつくばいは有名だ。

「足るを知る」とは、満足することを知ること。

他人と比較すれば、嫉妬や不平不満が生じ、もっともっと、と欲しくなる。


幸せな人は、今ある幸せに気付ける人。
今あるあたりまえの日常に感謝できる人。
仕事ができてありがたい、健康でありがたい、生きていてありがたい、と。


すべてのことは、その人にとって、ちょうどいいことが起こる。
ちょうどいい仕事だし、ちょうどいい夫(妻)だし、ちょうどいい人生。


足るを知る人でありたい。

             <感謝合掌 平成27年9月14日 頓首再拝>

幸福になるためにどうすればいいか~イエスキリスト - 伝統

2015/09/23 (Wed) 04:50:53


        *マタイによる福音書(5:3-12)より

「5:3 こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」

「5:4 悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」

「5:5 柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう。」

「5: 6義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。」

「5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らはあわれみを受けるであろう。」

「5:8 心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」

「5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」

「5:10 義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」

「5:11 わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、
    あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。 」

「5:12 喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。
    あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

             <感謝合掌 平成27年9月23日 頓首再拝>

【大人の幸福論】 - 伝統

2015/09/26 (Sat) 04:36:54


           *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年09月23日)」より

   (致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   我われは遠くから来た。
   そして遠くまで行くのだ…。

   若年期(じゃくねん)期に出合ったこの言葉をいまも時折思い出し、口ずさむことがある。
   誰の言葉かは知らない。

   ゴーギャンの絵に「我われはどこから来たのか。我われは何者か。我われはどこへ行くのか」
   と題された作品があるが、これに由来してつくられた言葉なのかもしれない。


   脳の専門医、林成之氏は、どんな人の脳も3つの本能を持っている、という。

   一は「生きたい」
   二は「知りたい」
   三は「仲間になりたい」

   という本能である。


   この脳の本能から導き出せる「脳が求める生き方」は一つである。

   「世の中に貢献しつつ安定して生きたい」

   ということである。


   脳の本能を満たして具現するこの生き方は、そのまま人が幸福に生きる道と重なり合う。
   そこに大いなる宇宙意志をみる思いがする。

   遠くから来た私たちは、宇宙意志のもとに、
   幸福を求めて遠くまで歩み続けているのかもしれない。


   最後に、四十年ハガキ道を伝道してきた坂田道信さんの言葉を紹介する。

   「どんな人と一緒になっても、どんなことに出くわしても
   つぶされない人格をつくり、幸せに楽しくいられるような人になりたい」

   大人の幸福論を説いて、これ以上の言葉はない。


           <『人生の体則』致知出版社>

                ・・・

現代は、ことのほか嫉妬心や焦燥(しょうそう)感がかきたてられやすい環境にある。

Facebook等のSNSでの友人のイベントや幸せそうな写真…。

つい、他人や友人と比較してしまいがちだ。


他人との比較を止める最上の方法は、誰かに喜んでもらうことを多く考えること。

誰かに喜んでもらえば、感謝される。

感謝がたまれば、自分の心に愛がたまり、やがてそれが外にあふれだす。


「どんな人と一緒になっても、どんなことに出くわしてもつぶされない人格をつくる」

感謝という徳を積めば、人格ができる。

感謝され、感謝する人でありたい。

             <感謝合掌 平成27年9月26日 頓首再拝>

幸福を招く【招き猫の日】 - 伝統

2015/09/29 (Tue) 04:22:28

今日、9月29日は幸福を招く【招き猫の日】。

日本招猫倶楽部が1995年(平成7年)制定。
「9(くる)29(ふく)=来る福」 の語呂合わせ。

農作物や蚕を食べるネズミを駆除する猫は、
農家にとりまして豊穰と富を象徴する生き物でした。

そのため、招き猫は古くは養蚕の縁起物であり、
養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物として親しまれています。

三重県の伊勢内宮前のおかげ横丁では「来る福招き猫まつり」が行われております。


招き猫の由来はいろいろとありますが

中でも招き猫のお寺として有名な
豪徳寺(東京都世田谷区)のお話が有名です。


   豪徳寺の和尚さんは猫が大好きで
   自分のご飯を分け与えるほどかわいがっていました。

   あるとき
   彦根藩第二代藩主の井伊直孝が鷹狩の帰りに
   夕立にあい、豪徳寺を通りかかった時のこと。

   豪徳寺の飼い猫が
   片手を上げて「おいでおいで」をしているような仕草をしていた
   猫の様子が気になった直孝は
   お寺に立ち寄ることにしました。


   和尚さん説法を聴いていると
   激しい稲妻が、直孝が外にいた場所に落ちました。


   猫が手招きをしてくれなかったら
   自分の命はなかった、と

   大変感謝した直孝は
   豪徳寺を一族の菩提寺とし
   豪徳寺は盛り返したということです。

   和尚さんは飼い猫が死んだ後
   お墓を立てて手厚く葬り
   その後招猫堂が建てられ
   片手を上げた招き猫が作られるようになりました。



このお話が本当かどうかはわかりませんが
実際に、桜田門の変で殉職した井伊直弼の墓は豪徳寺にあります。

そして、豪徳寺は招き猫のお寺として有名です
 (http://matome.naver.jp/odai/2139598266799581301

 (http://find-travel.jp/article/8050


<参考Web

光明掲示板・第三「幸福 (85)」
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=42
  (子記事「招き猫 (682)日時:2014年09月29日 (月) 04時09分」) >

             <感謝合掌 平成27年9月29日 頓首再拝>

神が植えたところで咲きなさい - 伝統

2015/10/05 (Mon) 03:21:29


      *「置かれた場所で咲きなさい」渡辺 和子(著)から、印象に残る言葉の抜粋です。

(1)Bloom where God has planted you.  (神が植えたところで咲きなさい)

   どんなところに置かれても花を咲かせる心を持ち続けよう。
   境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。
   「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。

(2)「心のともしび運動」がかかげるモットー、
   「暗いと不平をいうよりも、進んであかりをつけましょう」は、
   大切な忘れ物を教えてくれます

(3)子どもは親や教師の「いう通り」にならないが、「する通り」になる
   ~子どもに何かを伝えるのに言葉は要らない。
     ただ、誠実に努力して生きて行くだけでいい。

(4)何もできなくていい。 ただ笑顔でいよう。
   ~笑顔でいると不思議とうまくいく。
     ほほえまれた相手も、自分も心豊かになれるから。

(5)希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。

(6)一生の終わりに残るものは、我々が集めたものでなく、我々が与えたものだ。
   ~人は何歳になっても成熟することができる。謙虚になることが成熟の証である。

(7)100%信頼しちゃだめよ、98%にしなさい。
   あとの2%は相手が間違った時の許しのために取っておきなさい」といっています。
   
   この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、
   相手の間違いを許すことができる。

(8)大切なのは「人のために進んで何かをする」こと。

(9)「どうしても咲けないときもあります。そんな時には無理に咲かなくてもいい。
   その代わりに、根を下へ下へと下ろして、根を張るのです。
   次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。」

(10)「不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。
   私たちは時々、顔から、口から、態度から、ダイオキシンを出していないでしょうか。
   これらは大気を汚染し、環境を汚し、人の心をむしばむのです。」

(11)「時間の使い方は、命の使い方です。」

(12)「今日より若くなる日はありません。
   だから今日という日を、私の一番若い日として輝いて生きてゆきましょう。」

(13)「苦しいからこそ、もうちょっと生きてみる。」
   ~生きることは大変だが、
     生きようと覚悟を決めることは、人に力と勇気を与えてくれる。

   「苦しい峠でも、必ず下り坂になる。」
   ~人はどんな険しい峠でも乗り越える力を持っている。
    そして、苦しさを乗り越えた人ほど強くなれる。

(14)「きれいさはお金で買えるが、心の美しさはお金で買えない。」
   ~心の美しさは、自分の心との戦いによってのみ得られる。

(15)「価値観は言葉以上に、実行している人の姿によって伝えられる」
   ~同じ事柄でも、価値観によって受け取り方が変わる。
    子どもには愛と思いやりのある価値観を伝えたい。

(16)「まず考え、次に感じ、その後に行動する。」
   ~考えるということは、自分と対話すること。
     自分自身に語りかけ、次の行動を決めなさい。

(17)「”あなたが大切だ”と誰かに言ってもらえるだけで、生きてゆける。」
   ~人は皆、愛情に飢えている。存在を認められるだけで、人は強くなれる。

(18)求めなさい。そうすれば与えられる。
   自分の欲望にばかり振り回されてはいけない。
   自分がしてほしいことを、人に与えなさい。

(19)人生にポッカリ開いた穴からこれまで見えなかったものが見えてくる。
   思わぬ不幸な出来事や失敗から、本当に大切なことに気づくことがある。

(20)老いは人間を個性的にするチャンス。
   老いは悲しいことばかりではない。
   人間関係を「量から質」に変え、自分を豊かにすることができる。

(21)迷うことができるのも、1つの恵み。
   迷った時は、「選択する自由」を与えられたと思って、
   プラスとマイナスを書き出し、その重みによって決める。

(22)あいさつは「あなたを大切な人」と伝える最良の手段。
   目立たない仕事をしている人へのあいさつを忘れてはいけない。
   私たちはお互いに「おかげさま」で生きているのだから。

                
       <感謝合掌 平成27年10月5日 頓首再拝> 

福助 - 伝統

2015/10/08 (Thu) 04:22:42

今日、10月8日は「足袋の日」です。

「足袋の日」:足袋メーカーなどで構成する日本足袋工業会により、
       足袋の市場拡大と業界の発展を図る目的で制定された「足袋の日」。

       10月は七五 三、正月、成人式と着物での装いが続くシーズンの直前で、
       8は末広がりで縁起が良いことから10月8日にされたそうです。

で、足袋といえば「福助」。

創業当初の社名は「丸福」だったんですけど、この名前は他社が商標登録済みでダメに。
で、悩んでいる時に古道具屋で福助人形に出会い、これは神様のお導きに違いないと
明治33年に商標を福助に変更したそうです。

    → http://www.fukuske.com/museum/treasure/index.html


「福助伝説」~「福助の由来」

   様々な文献から福助は江戸中期に成立した可能性が高いと言われています。
   福助の足袋の商標に使われるもっと以前から福助は存在しています。

   「福助」の由来に関する伝説は多数あります。
   その中の有名な伝説3本がこれです。

(1)京都の呉服屋大文字説

   京都の呉服屋大文字の主人は頭が大きく背が低かったが、
   店の宣伝につとめたのでたいそう繁盛した。

   そして貧民へのほどこしも忘れなかったので、
   人々がこの店主にあやかるようにと人形をつくって毎日祈ったところから、
   いまの福助人形が生まれたという。
 

(2)百姓佐五右衛門の息子説

   摂州西成郡にいた百姓佐五右衛門はたいへんに長生きした人で、
   享和二年(1802)に死んだがその子の佐太郎は身長二尺ほどしかなかった。

   しかし佐太郎は短身大頭が幸いして幸運をつかんだので
   江戸でその人形が売り出され評判になったという。
 

(3)もぐさや亀屋説

   滋賀の伊吹山のふもとの柏原という宿場に
   代々つたわるもぐさや「亀屋」に番頭福助がいた。

   この番頭は正直一途、お店の創業以来伝えられた家訓をまもり、ふだんの日は裃を着け、
   扇子を手放さず、道行くお客さんを手招きしてもぐさをすすめ、お客に対して
   感謝の心をあらわしおべっかを言わず、真心で応え続けた。

   そのため商売が大いに繁盛し、主人もたいそう福助を大事にした。
   やがてこの話が京都にも広まり伏見人形屋が耳にして、
   福を招く縁起物として福助の姿を人形にうつしたという。

 
<参考Web:福助
       → http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/hukusuke.htm >

             <感謝合掌 平成27年10月8日 頓首再拝> 

《第10法則》幸せになるには…『真理』を宣べ伝えよう。 - 伝統

2015/10/14 (Wed) 03:51:55


           *Web:幸せになるための10の法則 より

  ①『神様』がこの世をお創りになった目的は、神界の天国の写し絵である
   地上天国文明を地上に物質で以て顕現し、それを見たいということでした。

   善一途で光り輝き、そこに住する者すべてが幸せいっぱいになる地上天国文明を
   創ろうとの『神様』のプラン、御計画なのです。

    今やその御計画は、着々と進行しています。
   イエスが言ったように、「神の国」は近付いているのです。

   その建設要員として、最高の神科学で全智全能を振りしぼられ、
   至れり尽くせりの仕組みで、『神』の似姿として、最高芸術品、神宝として
   創られたのが、等しく神の子である私たち人類なのです。

  ②イエスが「神の国は近付いた」っていってからもう2000年もたつのにまだ来ない
   じゃないか……そう思う方も多いと思いますが、『神様』の大仕組みは数億年に
   わたっているのです。

   その数億年かけての御計画からみれば2000年なんて、「やっと、あと2000年という
   ところまでこぎつけた。もうあとちょっと一息だ」くらいの感覚になります。

  ③『神様』は、一人でも多くの方が大宇宙の創造主の『神様』のご存在を知ることを
   望んでおられます。『神様』の御実在を、一人でも多くの方に宣べ伝えましょう。

   そしてそのためには、まず自分が『真理』を日々の日常の生活の中で実践して、
   自らの地とし肉としなければ他人には伝えられません。

   『真理』とはすなわち『神理』であり正法なのです。
   何よりも、実践が大事です。

   http://www.geocities.co.jp/john_rabitan/happy/happy10.html

・・・

幸せになるための10の法則

《第1法則》幸せになるには・・・『神』中心の生活を送ろう。

《第2法則》幸せになるには・・・「善と悪」という二元論的考え方を捨てよう。

《第3法則》幸せになるには・・・素直は得と心得よう。

《第4法則》幸せになるには・・・「小乗の善」は罪ともなることを知ろう。

《第5法則》幸せになるには・・・優しさだけでなく、厳しさをともに十字に組もう。

《第6法則》幸せになるには・・・「我(が)と慢心」を捨て、「下座」に徹しよう。


《第7法則》幸せになるには・・・プライドを捨てよう。

《第8法則》幸せになるには・・・ことごと一切に徹底して「ありがとう」と言おう。

《第9法則》幸せになるには・・・裁きは避け、許す心を持とう。

《第10法則》幸せになるには・・・『真理』を宣べ伝えよう。


   (http://www.geocities.co.jp/john_rabitan/happy/index.html

             <感謝合掌 平成27年10月14日 頓首再拝>

幸福の要諦(ようてい) - 伝統

2015/10/21 (Wed) 04:33:00


            *Web:越山雅代のブログ(2015/7/17・18)より    

中村天風先生の「幸福の要諦(ようてい)」


真理に順応して完全な人生を生きようとする我々は、
どんな場合にも、人生の幸福というものを安易な世界に求めてはいけない。

言い換えれば、無事平穏を幸福の目標としないということである。

苦悩を嫌い、それから逃れたところに幸福があると思ってはいけない。
というのも、本当の幸福というものは、そういうところには絶対にないからである。

健康なら幸福だろうとか、運命がよければ幸福だろうと考えるのは、
小成(しょうせい:わずかばかりの成功)に案じようとする凡人の気持ちと言うべきで、
これは断じてとるべきところではない。


本当の幸福とは、健康や運命の中にある苦悩というものを乗り越えて、
それを突き抜けたところにある。

考えてみればすぐに分かることだが、およそ苦悩から離れた人生というものは、
断じてあり得るものではない。

     (http://masayo-blog.com/archives/44460


苦悩というものは、いわば人生についているものである。
どんな身分になろうが、どんな金持ちになろうが、
苦悩のない人生というものを味わうことはできない。

それを嫌い、それから逃れて幸福を得ようとしても、
そこにはないのだから得られるばずがない。

本当の幸福というものは凡人の多くが忌み嫌う苦悩というものの中にある。

すなわち、その苦悩を楽しみに振り返るところにあるのである。

苦悩を楽しみに振り返るというのは、健康や運命の中に存在する苦悩を乗り越えて
突き抜ける強さを心にもたせるということである。

私が平素口にしている、「晴れてよし、曇りてよし、富士の山」というのは、
結局そういう気持ちを言うのである。

人生の真の幸福は、あらゆる苦悩を苦悩とせざる心の中に存在する。

     (http://masayo-blog.com/archives/44462


             <感謝合掌 平成27年10月21日 頓首再拝>

幸福への招待 - 伝統

2015/10/29 (Thu) 03:35:42


           *「女性の幸福365章」(P67)より

生活が豊かになり 幸福になる最も捷径(ちかみち)は
今自身の身辺に与えられているものに感謝し祝福することである

心の眼をひらいて見れば既に豊かに
神徳のうちに生かされていることを知るのである

物事が順調に行かないのは中心を忘れているからである

すべてのうちで最も大切なる中心は
「自分は、神の子である」という自覚である

その中心の自覚から、自分を尊敬し、自分を大事にする心が生れ
同時に他(た)の人も”神の子”であると尊敬する心が生れ
他の人をも大切にする心が生れる

民主主義とはこうして自分を大切にし
またすべての人を尊重する精神である

             <感謝合掌 平成27年10月29日 頓首再拝>

谷口雅春先生からの『免許皆伝』 - 伝統

2015/11/03 (Tue) 04:21:38


         *facebook藤棚の家(2014年5月11日)より

昭和六十年正月、住吉本宮の団体参拝練成の折、
「今日は新年にふさわしい話をします」とおっしゃられて
(雅春先生は)次のような“幸福創造の原理”について御講義なさいました。


「人間はね、自分を物質だと思ったら縛られてしまう。肉体と思っているから肉体の病気になる。
仏の本性が自分である。それは自分の中にチョッピリ仏のいのちがあるというのではない。
仏のかたまり、光のかたまり、如来のかたまりが自分である。
それを皆さんは悟らなければならない。」 

「今日からこの言葉を唱えなさい。目覚めた時、就寝の時20回唱えなさい。
言葉は神なりだから実践したら必ず健康でも家庭調和でも欲するままになる。

これは秘宝の秘伝だ。
それを皆さんに伝える。
免許皆伝だ。

これによって今年より幸福生活をつくるようにしてください。」


話は要約そういうことでしたが、“免許皆伝”とおっしゃられた時の声の大きさ、
又「こうして20回数えるのですよ」と右の手の指を折り左の手の指を折って
親が子をさとすように繰り返しお教え下さった有難さ、この情景は決して生涯忘れないでしょう。


さて、
「今日からこの言葉を唱えなさい。目覚めた時、就寝の時20回唱えなさい。
これは秘宝の秘伝だ。それを皆さんに伝える。免許皆伝だ。」

と雅春先生がおっしゃった言葉とは・・・

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」

「私は神の子無量寿如来これからあらゆる点で一層良くなる」


前生長の家千葉県教化部長 安東巖先生のご講話”「祈り」の威力”より抜粋・一部編集

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=616146098453667&id=614218711979739


             <感謝合掌 平成27年11月3日 頓首再拝>

人生の目的は楽しむことか? - 伝統

2015/11/07 (Sat) 03:26:18


          *メルマガ「無意識の使い方(2015年10月27日)より


「人生の目的は楽しむことだよ」

そういう人が多いです。

そう聞いて私は困ってしまいました。

なぜなら、私は「楽しい」という感覚がよく分からないからです。

子どもの頃から、みんなが楽しそうにしていると、
一人取り残された感じがしていました。

ここでいう「楽しい」は、大勢でワイワイガヤガヤしている状態です。


心理のことを学んでからは、

「『楽しんではいけない』という禁止令が入っているのではないか」

と、いろいろ探ってみました。



結局、楽しめない理由は、禁止令などではなく、遺伝でした。

快楽に対する感受性は、遺伝的に決まっているものなのだそうです。

そういえば、父がはめをはずして楽しそうにしている姿を見たことがありません。


おそらくカウンセリングを受けている人の中には、
私と同じような人が少なくないと思います。

それは、心の問題ではないので、
カウンセリングを受けてもどうにもなりません。


では、どうしたらいいのか?


そもそも、なぜワイワイガヤガヤ大勢で騒ぐと楽しいのかというと、
興奮状態になって幸せな気分になれるからです。


目的が幸せな気分なることならば、
ワイワイガヤガヤ大勢で騒いで興奮状態になることだけが、唯一の方法ではないはずです。


全米心理学会 元会長のマチーン・セリグマンは、

膨大な調査の結果、幸せは3つの要素から成っているという結論を見出しました。

(1)Pleasure ~ 楽しみ、愉快、喜び 興奮などの快楽。

(2)Flow   ~ 時間を忘れて熱中できること。

(3)Meaning  ~ 人生の意味や仕事の意義。および目的の追求。


「人生の目的は楽しむことだよ」
と言っている人は、Pleasureに対する感受性が高い人なんでしょうね。


興味深いのは、これら3つすべてがそろっているとき、
ひとつひとつの総和よりもより幸福感を感じることができるということです。

つまり、どんなに「楽しくても」その他が感じられない人よりも、
3つをちょっとずつでも感じている人のほうが、幸福度が高いのだそうです。


そして、この中で最も幸福を左右するのが、Meaning なのだそうです。


なぜなら、Pleasureは次第に慣れてしまって、
より強い刺激でないと満足できなくなってしまうからです。

金持ちが贅沢に飽きるのはこのためです。
麻薬と同じですね。


Flow状態には、いつでも入っていられるわけではありません。


一方、人生の意味、生きがい、信念は、
コンピューターの常駐ソフトのように、いつでも私たちの心の中で働き、
私たちが苦しみから立ち直り、困難に立ち向かいながら、
目標に向かって進み続けるのを助けてくれるのです。


☆ 自分の人生が意味あるものだと思えるか?

☆ 自分は信念を持って仕事に取り組んでいるか?

☆ このつらい出来事には、どんな意味があり、
  わたしをどのように成長させようとしてくれているのか?


人は意味をつけずにはいられない生き物です。


自分の人生に肯定的な意味をつけられたとき、
私たちは「生きがい」を感じられるようになるのです。


Pleasure、Flow、Meanig、この3つすべてがそろった状態がつくれたら幸せ。


             <感謝合掌 平成27年11月7日 頓首再拝>

【幸と福】 - 伝統

2015/11/16 (Mon) 04:38:25


              *『安岡正篤 一日一言』より

「さいわい」にも幸と福と二字ある。

学問的にいうと、「幸」というのは
幸いの原因が自分の中にない、
偶然的な、他より与えられたにすぎない幸いを幸という。

たまたまいい家庭に生まれたとか、
思いがけなくうまいめぐり合わせにぶつかったとかいう、

これは幸。
これは当てにならない。


そうではなくて原因を自己の中に有する、
即(すなわ)ち自分の苦心、自分の努力によってかち得たる幸いを「福」という。

福という字がそれをよく表しておる。

示偏(しめすへん)というのは神さまのことだ。
示というのは上から光がさしている、神の光、叡智(えいち)の光を表す。

旁(つくり)は「収穫を積み重ねた」という文字だ。
農家でいうならば俵(たわら)を積み上げるという文字。

神の前に蓄積されたるものが「福」である。

 
             <感謝合掌 平成27年11月16日 頓首再拝>

【人生儀礼】 - 伝統

2015/11/25 (Wed) 03:17:13


           *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年10月26日)」より

   (神社本庁総長、岩清水八幡宮宮司、田中恆清氏の心に響く言葉より…)

   この世に生を享(う)けてから今まで、無事に生きてこられたことは、
   奇跡の連続だと思わされることがあります。

   「あのとき、一本遅い電車に乗っていたら、事故に巻き込まれていた」
   というような話はよく耳にしますし、

   「もし、第一志望の大学に受かっていたら、彼女(彼氏)に出会うことはなく、
   この子も生まれていなかった」といった話も数多く聞きます。

   そして、そんな経験をした人は、
   何かに守っていただいた、導かれていたと口をそろえます。


   人は健康で平穏に暮らせているときには、そのありがたさを忘れてしまいがちです。

   しかし、人生は災いと背中合わせ。
   いつ何どき病気や事故、災難に遭うとも限りません。

   医療が今ほど発達していなかった時代は、
   成人する前に病気で亡くなる子どもも珍しくありませんでした。


   だからこそ、子どもを授かると戌(いぬ)の日に神社を訪れ、安産を祈願し、
   無事に生まれると乳飲み子を伴ってお礼のお宮参りをするのです。

   そして、三歳、五歳、七歳を迎えると、神社に赴き、無事に育ったことを感謝します。


   こうした行事を日本人は人生儀礼といい、大切にしています。

   人生儀礼は、無事にその日を迎えられたことをお祝いする風習で、
   日本人にとって欠かせない行事として代々受け継がれてきたのです。


   あらためて考えてみてください。

   生きていくうえでの節目となる人生儀礼を、
   一つひとつ通過していけるということは、それだけで幸せなことだと思いませんか。


   ですから、こうした人生儀礼では、神々に
   「今まで毎日無事に過ごせて、ありがとうございます。
   おかげさまで、ここまで成長しました」と感謝を捧げる気持ちが大切なのです。

   そして、そうした人生儀礼をひとつ、またひとつとこなしていくことこそが
   人生を確実に歩んでいくことにつながり、それが生きている証(あかし)になるのだ
   と日本人は考えてきました。


   日常的に神様を意識することは少ないかもしれませんが、
   さまざまな人生儀礼を経ることで、知らず知らずのうちに
   神様との接点をもって生きてきたのです。

   散歩のついででもかまいません。

   神様との接点を意識しながらご近所の神社境内を散策してみてください。

   そして、今、ここに生きている幸せということに思いを巡らせてみましょう。

        <『神様が教えてくれた幸運の習慣』幻冬舎>

               ・・・

人生儀礼には、「安産祈願」「初宮詣」「初節句」「七五三詣」
「入学・卒業・就職の奉告」「成人式」「結婚式」「結婚記念日」「厄祓」それから、
「年祝(還暦・古希・喜寿・傘寿・米寿・卒寿・白寿)」、毎年の「誕生祭」などがある。

誕生日は、自分が「生まれた日」だと思っている人が多いが、
それは実は、母親が陣痛の痛みに耐えて、大変な思いをして自分を「生んでくれた日」。

だから、自分が祝ってもらうのもいいが、本当は、母親に感謝する日。


70億人を超える地球の中で、この豊かで平和な日本に生まれてきたことの奇跡。

そして様々な障害や困難を乗り越えて、今、ここに生きていることの奇跡。

奇跡のような出会いがあり、ご縁があって、今の自分がある。


「人生儀礼をひとつ、またひとつとこなしていくこと」

「おかげさま」と、日々を感謝の気持ちですごしたい。


             <感謝合掌 平成27年11月25日 頓首再拝>

朝が幸福への出発 - 伝統

2015/12/04 (Fri) 04:53:00


           *『女性の幸福365章』(P69)より

幸福は外から与えられるのではなく、内から自分が創造するのである。

先ず朝の食事を楽しくすることから一家の幸福も、家族全体の健康も、
会社に出勤してからの業務成績の向上も得られるのである。

朝の家庭生活があらゆる繁栄と幸福の基(もと)となるのである。



自分の人生を輝くような楽しいものにならしめるのも、
濁った空気のような味気ないものにするのも、
自分の心が自分の「人生」を鼓舞するかどうかにかかっているのである。

では、自分の人生を如何にせば輝くような楽しいものになるよう
「鼓舞」することができるだろうか。


朝、目覚めたとき、神に次のように祈るがよいのである。

「神様、ねている間も安全に健康にお守り下さいましてありがとうございます。
また、今日(こんにち)このように素晴らしい朝の目覚めを与え給うたことを感謝します。
今日(こんにち)一日神様の善き智慧にみちびかれて幸福と健康と、繁栄の生活を
送らせて頂きますように。」

こう祈ってから静かに神の智慧が流れ入りつつあることを数分間、
心のうちで凝視するのである。

             <感謝合掌 平成27年12月4日 頓首再拝>

あなたの幸福は先ず心を調(ととの)えることからです - 伝統

2015/12/11 (Fri) 04:39:46


           *「真理」第九巻生活篇(P97~98)より

物質によって幸福を得ようと思っても、幸福は神から来るのでありますから、
結局は、その幸福は束の間であって、幸福だと見えたものは直ちに不幸に転じてしまいます。
その実例は新聞の社会面を見れば無数に見出されるのであります。

吾々が幸福を得ようと思ったならば、
物質は心の結果として反映してあらわれるものであることを知り、
物質を求めるよりも先ず心を調える方に専念することが肝腎であります。

あなたが赦さない心を持っている限り、あなたは幸福になれません。
赦さない心は「縛る心」ですから、そんな心を持っている限り
あなた自身が縛られて幸福になれません。

他(ひと)を赦しなさい。
自分を赦しなさい。

若し何か罪悪感をもっているならば、祈りによって神に赦しを願いなさい。

そしてすでに赦されたと信じて感謝しなさい。

             <感謝合掌 平成27年12月11日 頓首再拝>

幸福は与えられたものの中にある - 伝統

2015/12/19 (Sat) 04:57:57


          *「幸福を招く365章(P91~92)」より

幸福になりたい。
幸福になれるならば、自分の全財産を放棄してもいとわないと云うような人もあります。
別に財産がある訳でもないのに、その日、その日を愉快に楽しく幸福にくらしている
人もあります。

それは何故でしょうか。
これは幸福というものは「外」にあるものだと思って追い廻しても
逃げるばかりだからであります。

幸福と云うものは、神から既に与えられているのです。

空気が与えられていることも幸福の一つであります。
水を与えられていることも幸福の一つであります。
住居(すまい)や衣類が兎も角も与えられていることも幸福の一つです。

そのほか吾々は無数の善きものを与えられているのに、それに感謝しないで、
与えられているもののうちに幸福を見ないで、与えられていないものばかりを追求するから
決して幸福が得られないのである。

             <感謝合掌 平成27年12月19日 頓首再拝>

【幸福とチャンスの芽を見つけ出す】 - 伝統

2015/12/26 (Sat) 04:23:49


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015-09-12)」より

   (心理カウンセラー、植西聡氏の心に響く言葉より…)

   「第一志望の会社に入れなかった」
   「会社をリストラされてしまった」
   「失恋してしまった」

   そういう不幸な現象に遭遇したとき、誰もが落ち込むものです。
   悲しみに打ちひしがれ、失望すると思います。

   しかし、そういう不幸な現象には重要な意味、メッセージが隠されているのです。
   その好例が、幕末から明治にかけて通訳や英語の教師として活躍した、
   ジョン・万次郎のエピソードです。

   ジョン・万次郎はもともと漁師でしたが、あるとき漁の最中に嵐にあい、船が難破し、
   無人島に漂着するという不運に見舞われたことがありました。

   しかし、その後、アメリカの捕鯨船に救出され、
   渡米し、しばらくの間アメリカで暮らしました。
   そのおかげで英語をマスターすることになります。

   そのことについて、ジョン・万次郎は、晩年、次のように語っています。
   「船が難破するという不運は、よりよい人生を送るための、天の導きであった」

   神様は私たちがどうすれば幸せになれるかを知っています。
   そのために人生の軌道修正を図ろうとしてくれることが、しばしばあります。

   しかも、神様は、人生の軌道修正を図るためには、
   あえて不幸な体験をすることで、つらい道を通過したほうがいいことも知っています。

   この「見えざる真理」を知れば、不運を嘆き悲しむ必要がなくなります。

   むしろ、人生の危機が一転して、
   幸福に生きるためのチャンスへと転じるようになるでしょう。


   「トラブルは幸福が変装した仮の姿に過ぎない。そこにはメッセージが隠されている」
     (ロバート・シュラー)

          <『好運は不運のあとにやってくる』リンダパブリッシャーズの本>

                ・・・

「幸運は不運の顔をしてやってくる」という。

チャンスも同じで、トラブルや不運の顔をしてやってくる。

不運やトラブルがやってきたとき、グチや文句を言って、ツイてないと嘆く人がいる。
しかし、嘆いたり、泣き言を言っている人は、
チャンスや幸運の神様の顔を見ることはできない。

なぜなら、チャンスや幸運の神様は、明るくて前向きで、感謝多き人が好きだから。

これは、貧乏神と同じ。
グチや文句をたえず言っている人、お金に感謝しない人は、ことのほか貧乏神に好かれる。


「トラブルは幸福が変装した仮の姿に過ぎない。そこにはメッセージが隠されている」

トラブルや不運の中にも、幸運とチャンスの芽を見つけ出せる人でありたい。

             <感謝合掌 平成27年12月26日 頓首再拝>

本当の幸福は心の平和より来る - 伝統

2016/01/04 (Mon) 04:37:07


          *「幸福を招く365章(P78~79)」より

幸福は常に内より来る。
外に百萬の富があろうとも、心の中に平和がなければ何の幸福ぞや。

外に何の富がなくとも、心に平和ありて、人を愛することが出来るとき、
それが本当の幸福なのである。
心の中の平和は神との一体感によって得られるのである。

神は我々が離れたと思っている時にも決して離れてはいないのである。
唯、自己に宿る神の声をわざと聞かず、肉体の声のみに耳を傾けているとき最初は楽しい
ように感じられていても、それは神から遠ざかるから結局淋しくなって来るのである。

自分が他(ひと)に対して腹立たしくなったり、
あまりに批評的になったりして来た場合には、他(ひと)が悪いのではない。

自分の心がイラ立っているのだと云うことを反省し、
周囲の人々に対して調和する祈り(思念)をしなければならぬ。

それは、次のように念ずるがよいのである。

『神は愛である。神の愛が私の行く処に充ち満ちている。
全ての人々は私に好意をもっており、私は全ての人々に好意をもっているのである。
私は周囲の人々から愛され私は周囲の人々に感謝しているのである。
有難う御座います。』

             <感謝合掌 平成28年1月4日 頓首再拝>

幸福を招ぶ波長は転ずる道 - 伝統

2016/01/11 (Mon) 04:44:53


          *「真理」第9巻生活篇(P122)より

どんなに不幸が重なって来ても、心が明るい方向に転ずることが、
次に来る、「不幸」の波長への共鳴を断ち切り、
「幸福」の波長に乗りかえることになるのである。

「こんなに不幸なのに明るい心に乗りかえることができるか」と思う人があるかも
知れないが、どんなに不幸の最中にあっても、あなたが盲人(もうじん)でなければ
盲人よりは幸福だと云うことは事実であり、その事実の方へ心の眼を転ずれば、
心が悦べないことはないのである。

心が悦んで「明るい波長」を獲得すればもう《しめた》ものである。
その波長によって、明るい波長のものが次々と招び寄せられて来ることになるのです。

そのほか、幸福の方へ心を転じようと思ったならば随分材料は沢山ある。

私達は、日光を空気を水を食物を
・・・みずから製造しないのに多量に与えられているのである。
・・・それらを感謝しようと思えば感謝し切れないほどの恵みである。

             <感謝合掌 平成28年1月11日 頓首再拝>

幸福の扉をひらく鍵について - 伝統

2016/01/20 (Wed) 05:04:24


          *「真理」第9巻生活篇(P155~156)より

私たちの「心」はその人の人生を極楽にもし、地獄にもする鍵であります。
そういう素晴らしい鍵を私達が持っており、その鍵の扱い方を知るまでは、
時々過って地獄の扉をひらいたりするのであります。

その鍵の正しい扱い方は、祈りによって
神の啓示をうけることによって知ることができるのであります。

私たちの心が神の方に振り向くとき、
私たちの感情、想念、意志、そして行動は正しき方向へ
調節せられることになるのであります。

混沌たる星雲のうちより秩序整然たる天体の運行を生み出して来た大宇宙の知性が、
あなたの行動と心を導いてくださるからであります。

「神に心を振り向ける」と言っても、其の神は決して天の雲の上に居て、
私達を監視しているという神という意味ではありません。

あなたの生命(せいめい)の底にいらしゃるのです。

             <感謝合掌 平成28年1月20日 頓首再拝>

幸福は感染する - 伝統

2016/01/30 (Sat) 04:41:10


           *「光明道中記」(P28)より


幸福は感染する。
病気が感染するばかりでなく幸福は必ず感染するものである。

家庭の一人が不幸せになった時、その家全体は何となく不幸の雰囲気に包まれ初(そ)める。
その一人の不幸が堤に穿(うが)たれた蟻(あり)の孔(あな)のように
全体の幸福を押し流して了うこともあるものである。

だから一人だけ不幸でいても好いと云うようなものではない。
自分一人が悲しみのために全体を不幸に陥れて好い権利はない。

悲しみが感染するものならば、悲しむ者はその悲しみを他の人に伝えることを、
伝染病を予防するが如き注意深さを以て避けなければならぬ。

悲しみのある時には、神にその悲しみを訴えよ。
神は光であるから悲しみの暗(やみ)は必ず消える。

悩みのある時には、神にその悩みを訴えよ。
神は悦びであるから、その悩みは悦びに必ず変る。

腹の立った時には人に手紙を書いてはならぬ。
必ずその手紙に剣があって相手に立腹を伝染するのである。

腹の立ったときには「腹の立つことは何もない、大調和が実相である」と念じて神想観せよ。

            <感謝合掌 平成28年1月30日 頓首再拝>

【3つの幸せ】 - 伝統

2016/02/07 (Sun) 04:49:06


          *メルマガ「人の心に火を灯す(2016年02月06日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   人間には3つの「幸せ」があるらしいのです。

   おいしいものを食べるとか、酒を飲むとか、スキーをするとか、テニスをするとか、
   パチンコやマージャンをするとか、そういう現世的なものでなく、
   生き方や考え方による「幸せ」感のことです。

   私はその3つを「人間の『あ・か・し』」と名づけました。

   『あ』とは、「当たり前」についての考え方です。
   天気で言うなら、「雨」が当たり前と思うのです。

   すると「曇り」でかなりうれしい。
   「晴れ」ならすごくうれしい。

   人間のことで言うなら、
   「世の中のことは思いどおりにならなくて当たり前」と思うわけ。

   実際そうなのですから…。

   そう思っていれば、思いどおりにならなくても、腹は立ちません。
   イライラも悲しみも悔しさもなし。

   さらに、「不幸」や「悲劇」という現象が存在するわけではなく、
   そう思う“こころ”があるだけですから、
   (そのように心を決めれば)ますます苛立ちはなくなります。

   そのかわり、ちょっといいことがあったり、何かが思いどおりになったり、
   願いや望みが叶ったときは、ただただ、うれしい。

   そうなればあとは、毎日が「喜び」の連続でしかない。

   思いどおりにならなくて当たり前なのだから、あとは喜びが上乗せされるだけです。

   毎日、うれしい。
   喜びしか生じない。


   『か』とは、「感謝」に関する考え方です。

   仮に、世の中の現象をなるべくプラスに評価するとします。
   そういう精神状態を深めると、「イヤなこと」だと思っていたことが、
   実は感謝の対象であった(それがなければ自分が成長しなかった)ことに気がつきます。

   自分にとって必要なことしか起きていないのです。
   そう気がついて一つひとつの現象を見ていくと、本当にそうなっていることを発見します。

   いろいろなことに「感謝」できるようになります。

   「感謝」できるようになったら、さらに意識を煮詰めてみる。
   すると、「感謝」している自分だけでは不十分なことに気づく。
   
   さらに、「感謝」される側にまわってみたらどうか。
   そして、実践してみます。

   すると、「感謝」され「喜ばれる」ことが
   こんなにも楽しくうれしいものだったのか、と気づきます。

   自分にできることをし、その結果感謝される。
   こんな「幸せ」なことはありません。


   『し』は、「神秘性」についてのことです。

   人間の能力(ひいては自分の能力)はすごいものらしい、と気づくと、
   自分にすごい資源や宝物が埋まっているわけですから、これから毎日、
   自分がどのように“すごい”ものになっていくか、楽しい。

   宇宙に、人間に、そしてもちろん自分にも、無限の「神秘」が宿っているのです。

   自分の能力の85%は使っていないのですから。

   そういうことを知り、自覚し、さらにそれが発見でき始めると、
   毎日が楽しくて仕方ありません。

   発見のたびに「幸せ」です。

   宇宙の、人間の、そして自分の、無限の可能性、
   「神秘性」に気づくのは楽しいものです。


   以上の3つの考え方が実践できるようになると、
   本当に毎日が「楽しさと幸せ」だけになります。

        <『この世の悩みがゼロになる』大和書房>

              ・・・

夫婦関係や友人関係などの人間関係にしても、
赤の他人が会うのだから、うまくいかなくて当たり前。

たまたまうまくいっているとしたら、それは奇跡のような贈り物。

人間関係だけでなく、自分が期待した答えが返ってこなくてがっかりしたとしたら、
よい答えを期待した自分がいる、ということ。

「厳しいアドバイスがあるのが当たり前」
「注意されるのが当たり前」
「文句言われて当たり前」…

すべてはたまたまうまくいっていると、そのことに気づくなら、あとは感謝しかない。


嫌なことがあったときは、あとから考えると

「あのことがあったから今の自分がある」
「あれがあってよかった」

と思えることは多い。

人生は正と負の法則でできている。

正の裏には負が隠れていて、負の裏には正が隠れている。


「ありがとう」と言葉を言い続けたり、ガンが小さくなるイメージで、ガンが治った人がいる。
あるいは、多く笑うことで難病を治してしまった人もいる。

これこそが、「神秘性」。


神秘性に気づき、多くを望まず、感謝多き人生でありたい。

            <感謝合掌 平成28年2月7日 頓首再拝>

《美点を選ぶか欠点を選ぶか》 - 伝統

2016/02/14 (Sun) 04:34:54


            *『 生長の家 』(昭和26年2月5日)の法語より

   どんな人間にも、環境にも、美点があり、善き処があるのである。
   又、どんな人間にも、環境にも悪しき処、みにくい処があるのである。

   甲は周囲の人間及び環境から、よき処のみを認め、その善き処を吸収し、
   善き想念のみを起しているのに、

   その同じ環境にいて、
   乙は悪しき処のみを認め、悪しき処のみを心に吸収して、
   悪しき想念感情のみを起しているとしたならば、

   やがて甲の運命と乙の運命との間には大いなる相異が起ることは当然である。

   人間の幸福というものは、ほんの僅(わず)かな
   やさしい言葉によって得られるのと同じように、
   ほんの一寸(ちょっと)した憤激の情から破局を導き出して来る。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/464602d878e0908facdc83b46a37e7c1


            <感謝合掌 平成28年2月14日 頓首再拝>

幸福を呼ぶ猫 - 伝統

2016/02/18 (Thu) 04:40:15

幸福を呼ぶ猫
「末広がり」顔見ればいい事が…水戸のハチ

東日本大震災の1ケ月後に生まれ、水戸駅前で「幸せ」を振りまいてきた「招き猫」のハチ。
眉毛が八の字の事から名前がついた。

  → http://mainichi.jp/graphs/20160217/hpj/00m/040/002000g/1


            <感謝合掌 平成28年2月18日 頓首再拝>

【幸福の習慣】 - 伝統

2016/02/25 (Thu) 03:45:03


          *メルマガ「人の心に火を灯す(2016年02月03日)」より

   (トム・ラス&ジム・ハーター氏の心に響く言葉より…)

   多くの人は「成功して裕福になること」が、
   幸せで満たされた人生を送るために必要だと考えています。

   そう考える人は、お金を得ることに時間と労力を注ぎ込みます。

   「健康でなければ幸せな人生は送れない」と考える人は、
   健康を維持増進することに心血を注ぎます。

   「お金さえあれば幸せになれる」と考える人は、
   “あっという間にお金がもうかる”という広告に乗せられてしまい、

   「美人でやせていなければ幸せになれない」と思う人は“
   努力しなくてもやせられる”という宣伝文句に心惹かれてしまいます。

   しかし、広告に乗せられて、本を買ったり、ビデオを見たり、セミナーに出たりして、
   その教えを実行するために数週間の時間と労力を費やしたとしても、
   たいていはうまくいかなくて投げ出してしまいます。


   「会社で認められて、昇進すれば幸せになれる」
   「仕事で成功すれば裕福になって、すべてを手に入れることができる」

   そう信じて、家族との関係も自分の健康も犠牲にして仕事に集中しても、
   すべてを手に入れることができる人はほとんどいません。

   もし、あなたにも似たような経験があるなら、お金や仕事、健康、人間関係など、
   何か1つだけに集中しても、うまくいかないことに気がついているのではないでしょうか。

   人生のいろいろなことに目配りするよりも、ある時期に限って、
   たとえば仕事だけに集中するほうが、うまくいきそうに思えるものです。

   仕事と、健康や人間関係のバランスを取るよりも、他のことには目をつぶって、
   1つに集中する方が簡単に感じられるからでしょう。

   しかし、収入を得ること、健康でいること、人間関係を保つこと、
   その他生活のさまざまな側面…これらは相互に深く関係していて、
   どれか1つだけを切り離して扱うことはできません。

   「ウェル・ビーイング(幸福・人生の満足)」とは…

  (1)「仕事の幸福」(仕事に情熱を持って取り組んでいる)

     仕事とは、生計を立てるための仕事だけではありません。
     ボランティア活動、子育て、勉強などを含む“
     一日の大半の時間を費やしていること”が仕事です。
     “心から好きで毎日していること”も含まれます。

  (2)「人間関係の幸福」(よい人間関係を築いている)

     強い信頼と愛情でつながっている人間関係を持っているかどうかによって決まります。

  (3)「経済的な幸福」(経済的に安定している)

     あなたの人生を支える資産を、
     効果的に管理運用できているかどうかによって決まります。

  (4)「身体的な幸福」(心身共に健康で活き活きしている)

     健康状態が良好かどうか、日々やらなければならないこと、
     やりたいと思っていることをするのに十分なエネルギーに満ちているかどうか
     によって決まります。

  (5)「地域社会の幸福」(地域社会に貢献している)

     住んでいる地域に深く根をおろして、つながっている感覚があるかどうか、
     地域のコミュニティとどれくらい深くかかわっているかどうかによって決まります。



   重要なことは、1つの要素だけ突出してうまくいっていても、
   残る4要素をないがしろにしていると、
   “日々幸せを感じる生活”は手に入らないということです。

   5つの要素それぞれについて、少しずつでも良い状態を目指して行動していかない限り、
   人生をよりよく生きる能力を活かしきることはできないのです。

          <『幸福の習慣』ディスカヴァー>

                 ・・・

一日のうちの大半を費やしている時間(仕事)をワクワクして過ごすことができるなら、
人生はこれほど楽しいことはない。

しかし、最も多く使う時間が、楽しくなくて、苦痛だったら、人生はあまりに寂しい。


身近(夫婦や親子、兄弟、友人たち)な人間関係がうまくいっていないのなら、人生はつまらない。

食事は、何を食べるかではなく誰と食べるか、だし、
旅行は、どこへ行くのかではなく誰と行くのか、だからだ。


お金がなければ、食べ物を買うこともできないし、住むところを確保することもできなければ、
服を買うこともできないし、病院に行くこともできない。
また、誰かを幸せにするためにお金を使うこともできない。


健康であることは、全ての行動の源(みなもと)となる。

健康で元気なら、エネルギーは湯水のごとく湧いてくる。


世のために人のために生きるということは、
まずは、自分の住んでいる地域のために生きること。

「近き者説(よろこ)び、遠き者来る」という言葉の通り、
身近な地域の人たちが喜べば、遠くからもその魅力につられて人がやってくる。


すべてはバランスであり、調和。

幸福の習慣を身につけたい。

            <感謝合掌 平成28年2月25日 頓首再拝>

《多忙の幸福》 - 伝統

2016/03/01 (Tue) 03:20:04


           *「生長の家」創刊号(P34)より

是非せねばならぬ仕事が多いと呟く勿れ。

忙しいと云ふことを感謝せよ。

世界の最大事業中の大部分は
『是非せねばならぬ』と云ふ拍車のもとに完成したのである。

”是非”にと完成にまで駆りたてる容赦なき鞭こそ生命の昂奮劑である。


『必要』はとても勝ち目のないやうな敵に對して
奇蹟的に勝利を得せしむるところの貴重な拍車である。
『必要』は生命のカンフル注射である。


人間の心の中に潜む惡魔、
それは人生を樂に寝てくらしたがる懶(なま)け者の根性である。

この惡魔を駆り立て、追ひ出し、生命の本然を全うさせてくれるのは
此の『必要』と『多忙』とである。

生命の本然は働くことである
生命は働くことによって生長する。
生長する家は『必要』と『多忙』とに感謝する。

            <感謝合掌 平成28年3月1日 頓首再拝>

感謝が多いときに幸福感を感じる - 伝統

2016/03/08 (Tue) 03:14:02


             *「感謝力」原久子・著(P8~9)より


「幸せをどれだけ幸せと感じ取れるか」という能力は、いったいどうしたら身につくのか、
そのことを次にお話ししたいと思います。


皆さんはどのような時に「幸せ」と感じられるでしょうか。

大きな家に住めた時とか、よい伴侶に出会えた時とか、
そうしたときには、一瞬は幸福感に包まれるでしょう。
でも、そうした感動はすぐに冷めて行き、その状況に慣れてしまいます。

では、幸せを感じるときというのは、どういう状況かというと、
それはものすごく感謝の念が出ているときだと思います。

「幸せで、ありがたいな」という瞬間を私たちはひじょうに「幸せ」と感じるのです。
つまり、多くの人は感謝が深い時に、この上ない幸福感が感じられるのです。

逆に言うと、いつでも幸せでいるためには、
ずっと感謝の深い状態にいればよい、ということになります。

なにか特別なことが起きたり、ラッキーなことに出会うということではなくて、
ここにいて、空気が吸えて、歩ける足があって、手があって・・・そうした何でもないこと
に対しても感謝できたら、その人は本当に幸せです。

そのように、いま与えらていることを多くの人が結構忘れていて、
「自分は不幸だ、不幸だ」と思っている場合が多いようです。

また不思議なことに、感謝が多いときや感謝の気持ちがあるときというのは、
「真我(内なる神)」とつながっているときなのです。

            <感謝合掌 平成28年3月8日 頓首再拝>

幸福は内にあり - 伝統

2016/03/13 (Sun) 04:51:13


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(P83)より


《3月12日》          

持ち主もなく宝物がいたるところに埋(うず)められている。
誰もそれを掘り出さないだけだ。

幸福になる道はただ《自分で》掘り出すことにある。



《3月13日》 

幸福になりたければ、まず自分が幸福になれである。
あたりまえのことがあたりまえである。噛みしめれば味がある。

注意すべきは、幸福とは心の一つの状態であるということである。
金殿玉楼の中にいて、輾転(てんてん)反側して眠れない人もいれば、
弾丸雨飛の中にいて喜びいっぱいの人もある。

            <感謝合掌 平成28年3月13日 頓首再拝>

「幸せになりたい! 」ではなく、今の自分に「ありがとう」を - 伝統

2016/03/22 (Tue) 03:04:02


       *『読むだけで心がラクになる22の言葉』本田健・著(P101~102)より


「幸せになりたい! 」と思うと、「今は幸せじゃない」という気持ちを
かえってクローズアップすることになります。

幸せになりたいということは、たった今は不幸せだということだからです。

本当に幸せになりたいなら、「今、自分が幸せであることに気づく」ことです。
今、自分がどれだけ恵まれているか、現状に100%満足することです。

住む家があること、
飢えていないこと、
家族がいること、

目が見えること、
歩くことができること、

今の自分に感謝できることはいっぱいあります。

不満のほうにフォーカスしてしまうと、次々と不満が噴出します。

            <感謝合掌 平成28年3月22日 頓首再拝>

【幸せ探しゲーム】 - 伝統

2016/03/29 (Tue) 03:02:31


            *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年03月24日)より

   (太田典生氏の心に響く言葉より…)

   《ポリアンナの「幸せ探し」ゲーム》


   『少女ポリアンナ』を知っていますか。

   「お人形が欲しくて教会本部に手紙を書いたら、慈善箱には松葉杖が入っていたの」

   「お人形が欲しいのに松葉杖をもらって、なにも嬉しいことなんかないでしょう」

   「実は私も最初はそう思ったの。でもね、あるのよ。パパから教わってわかったの。
   ほら、松葉杖を使わなくてもいいのは、嬉しいことじゃない? すっごく簡単でしょ?
   コツさえわかれば、誰にでもできるのよ…」


   嬉しいことがいっぱいあるときなら、このゲームは簡単にできる。

   ポリアンナは、つらいことや悲しいことに取り囲まれても、
   どこまでも食い下がって必ず嬉しいことを見つけ出す。

   ポリアンナは、嬉しいことを見つけたときに、自分一人で喜ぶだけでなく、
   周りの人に喜びを分けてくれる名人です。

   また、周りの人にもゲームを波及させていきます。


   物事には、必ず二面性があります。

   何事も、悪い所ばかり見るのではなく、よい所を見ることが、
   積極的にやる気を呼び起こす秘訣だと教えてくれます。


        <『「いい話」のおすそわけ』三笠書房>

              ・・・

「五木寛之さんは、弟さんが亡くなられてからしばらくの間ものが書けなくなった。
そこで、新しいノートに、どんなちっぽけなことでもいいから嬉しいと感じたことを
毎日書きとめるようにした。
毎日の些細なことに喜びを感じている間に、気力を取り戻したそうです」(同書より)


マスコミに出る記事は、ほとんどが暗いニュース。

明るいニュースはほんのひとにぎりしかない。

なぜなら、暗いニュースの方が希少価値があり、目立つからだ。

芸能人やスポーツ選手のゴシップ記事も同じで、滅多にないからこそニュース性がある。


しかし、我々は毎日暗いニュースに接していると、
同じようなことがあたかも自分のまわりでしょっちゅう起きているような気がしてしまう。

だから、モノの見方も、同様にどうしても暗く悲観的に見てしまうクセがついている。


だからこそ、「幸せ探し」ゲームが必要となる。

幸せを探せば、幸せが見つかる。

しかし、不幸を探せば、不幸も見つかる。


「幸せ探し」ゲームを身につけたい。

            <感謝合掌 平成28年3月29日 頓首再拝>

幸せになるための「舵」 - 伝統

2016/04/06 (Wed) 04:01:42


           *「上気元」斎藤一人・著(P52~55)より

《「あくび」をすれば、神経がゆるむ》

病気をする人って、心配性で用心深いんです。
それの度がはずれてくると、神経に硬直ができます。

その神経の硬直も、ほほえむと消えるんです。
ほほえんでも消えないほど重いしこりのある人は、
あくびをすると消えるようになってるんです。

あくびって、「あくびをしよう」と思って、わざと大きく口を開けてると出るんです。
あくびをすれば、内蔵がゆるむようにできているんです。
はりつめていた神経が、全体的にゆるむ。

だから、人は笑顔にして、あくびをしていれば、
体の緊張がなくなってラクになるんです。

 
それで、愛のある「天国言葉」をしゃべれば、幸せになるようにできているんです。

「天国言葉」というのは、

 愛してます

 ついてる

 うれしい

 楽しい

 感謝してます

 幸せ
 
 ありがとう

 ゆるします

 
人に言っても、聞いても、気持ちが明るくなる言葉。
これを、私は「天国言葉」と呼んでいるんです。

笑顔にして、それでも気持ちがほぐれないならあくびをして、天国言葉を話す。

これは幸せになるための「舵」なんです。

神さまは、私たちに、幸せになるための「舵」をちゃんと用意してくれているんです。
幸せの方へ、人生を走らせていくためのハンドルもあるんです。
不幸の方へいかないようにする、ブレーキもあるんです。

それをもらっているのに、利用していないから、不幸になってしまうんです。

            <感謝合掌 平成28年4月6日 頓首再拝>

世界でもっとも質素な大統領 ホセ・ムヒカの言葉 - 伝統

2016/04/07 (Thu) 04:24:39

昨日(4月6日)、ほとんどのテレビで報じていました、
「前ウルグアイ大統領 ホセ・ムヒカ さんの来日」と。


人間や社会にとって本当に大切なのは何なのか?

これを考えさせてくれるのが、今回ご紹介する『ホセ・ムヒカの言葉』です。
(『ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀・著 双葉社・刊 より )


ホセ・ムヒカ氏は、2010年3月1日に第40代ウルグアイ大統領に就任、
2012年にリオ・デ・ジャネイロで開催された国連会議のスピーチが感動を呼び、
一躍、時の人となった人物です。

古い愛車のビートルに乗り、生活費は月に1000ドル程度。

大統領らしからぬ質素な暮らしぶりで知られるムヒカ氏が、現代人
に投げかける疑問、資本主義の矛盾点…。

読めば読むほど、「深い」問いかけが並んでおり、生き方や働き方
を考えさせてくれる内容となっています。


-----------------------------------------------

       *『ホセ・ムヒカの言葉』佐藤美由紀・著 からの抜粋

(1)昔の賢明な人々、エピクロス、セネカやマイアラ民族までこんなことを言っています。

   「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、
   いくらあっても満足しない人のことだ」

(2)私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために闘いました。
   そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。

   しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、
   結局は以前よりも長時間働いています。

   なぜか? バイク、車などのローンを支払わなければならないからです。

(3)発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。

(4)私は貧乏ではない。質素なだけです。

(5)新しい車に買い替えるつもりはさらさらないらしい。スペインのテレビ番組『SALVADOS』でも、
   「まだ新しいので交換するつもりはありません」とキッパリ。

   「まだ万全な状態です。この車は時速100kmまでスピードを出すことができますが、
   時速80kmあればどこへでも無理なく行けます。79歳の老人が80km以上のスピードを
   出すことは、誰にとってもよくないと思いますよ」(『SALVADOS』より)

(6)私は、持っているもので贅沢に暮らすことができます。

(7)質素は“自由のための闘い”です。(2012年11月15日BBCスペイン語版より)

(8)物であふれることが自由なのではなく、時間であふれることこそ自由なのです。
   (ベネズエラのテレビ局Venezolana de Television制作番組『La Hojiilla』より)

(9)自分とは対照的な暮らし(=贅沢な暮らし)は、無駄な時間をとられ、煩わしさも伴ってくる。
   つまり、それは“束縛”──

(10)自分の人生の時間を、好きなことに使っているときが、本当に自由なときなのです。
   自分と家族の物質的な欲求を満たすために働く時間は自由ではないのです。

(11)人生はもらうだけでは駄目なのです。まずは自分の何かをあげること。
   どんなにボロクソな状態でも、必ず自分より悲惨な状態の人に何かをあげられます。
    (2014年12月4日南米諸国連合会議でのスピーチより)

(12)敗北者とは、闘いを辞めた人のこと。
   人間は強い生き物であり、多くのことを乗り越えられます。
   悪いことは良いことを運んでくれるのです。(『SALVADOS』より)

・・・

<参考Web>

(1)「世界で一番貧しい大統領」ムヒカ氏が来日(NHK NEWS WEB<4月6日>)
    → http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160406/k10010469461000.html

(2)「世界でいちばん貧しい大統領」の絵本の人! 魅力大!
    → http://rabbitcarius.com/global/josemujica/

(3)「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ来日 経済格差を「愚かな過ち」と批判
    → http://www.excite.co.jp/News/column_g/20160406/Sinkan_index_6674.html

(4)リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)
    → http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

            <感謝合掌 平成28年4月7日 頓首再拝>

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