伝統板・第二

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大国主命 - 夕刻版

2015/04/27 (Mon) 18:41:19

       *「Web:産経【安本寿久の先人めぐり】」からの紹介です。

《因幡の白兎 弱者にも優しきリーダーは、女神たちに助られ続ける》


〈大きな袋を肩にかけ…〉

文部省唱歌「だいこくさま」は、こんな歌い出しで始まる。

大国主命(おおくにぬしのみこと)が因幡(いなば)の白兎と出会う姿を、
古事記がそう記しているからだ。

〈従者として往く〉と古事記は書く。
つまりは大国主命は、とても大勢の兄たち「八十神(やそがみ)」に従う形で
因幡を旅しているのである。その荷の重さのために兄たちから随分、遅れて歩いていた。
そのことが大国主命の運を拓く。

白兎にまず出会うのは兄たちである。
白兎は皮を剥がれて苦しんでいた。
理由を聞けば、わに(鮫)たちをだまして海を渡ったために怒りを買い、
皮を剥がれたのだという。

 「塩水で傷を洗い、風に当たっていれば治る」

兄たちはそう教えて立ち去った。

白兎がその言葉に従うと、傷は悪化し、痛みは我慢できないほどになった。
そこに遅れて現れたのが、歌の姿の大国主命である。

 「すぐに河口に行き、真水で体を洗い、蒲の花を摘み敷き、その上で寝れば、必ず治る」

大国主命の言葉に従うと、傷はたちまち癒えた。その瞬間に白兎は預言者となる。

 
「あの大勢の神はきっと、ヤカミヒメを得ることはできません。
袋を背負っておいででも、あなた様こそ獲得なさいます」

八十神は、因幡を治めるヤカミヒメに求婚するために旅していた。
その旅への同行を希望され、お前など相手にされないだろうが従者になるなら、
と連れてきたのが末弟の大国主命だった。

果たして、ヒメは預言通りに決断した。

 「吾は汝等の言を聞かじ、
  大穴牟遅神(おほあなむじのかみ=大国主命)に嫁(あ)はむ」

私はあなたたちの求婚を受けません。
大国主命にこそ嫁ぐ、とヒメは言ったのである。

 
この神話は、やがて国造りの神になる大国主命が優しさとともに、
正確で的確な医薬知識を持っていることを示している。

世を治めるに必要な心と知識、技術があることが
リーダーの第一条件であることを示すものなのである。

しかし、そうした有能さと成功は兄たちの嫉妬を生む。
それも、ひと思いに謀殺しようとするほどのすさまじい嫉妬である。

八十神は、赤猪を生け捕りにする猟に大国主命を誘い出した。
山上から赤猪を追い落とすから、必ず捕まえろと命じて、
真っ赤に焼いた石を転がり落とすのである。

純朴な大国主命はその石を抱き、落命した。

大国主命の母が大声を上げて嘆き悲しみ、天上界に救いを求めた。
憐(あわ)れんだ天上界の主の1人、カンムスヒノミコトが2人の女神を遣わし、
秘薬で大国主命を蘇生(そせい)させる。

女神らが使ったのは貝殻と貝汁を練り合わせたもので、
ここにも医薬知識と大国主命の関係の深さが示される。

 
八十神はなおも、生き返った大国主命をだまし、大木にはさんで殺す。
この時は母が蘇生に成功し、木国(紀の国=和歌山)に逃がす。

さらに追われた大国主命は根の堅州国(かたすくに)に逃れる。
この国は海の彼方とも死後の世界とも言われる所で、
そこにはヤマタノオロチ退治で有名な須佐之男命(すさのおのみこと)がいて、
大国主命はさまざまな試練を課されることになる。

 
ここまでで際立つのは、
無垢(むく)とも言っていいほどお人よしの大国主命の姿である。

それを補い、助けてくれるのは母や女神たち。つまりは女性である。
根の堅州国でも大国主命は須佐之男命の娘、スセリビメの機転と支援、
そして小さな鼠の忠告で何度も救われる。

こうしたストーリーが何を示唆するか。

弱者に目配りして、優しさを見せる人柄。
女性に、何とか助けたいという気持ちを持たせる魅力。
こうしたものがある者こそリーダー足り得る。

そうした主張が古事記に読める。

その資質ある大国主命が次に直面するのは、
荒ぶる男神、須佐之男命の眼鏡にかなうかどうかの切所であった。

   =続く

http://www.sankei.com/west/news/150202/wst1502020050-n1.html

           <感謝合掌 平成27年4月27日 頓首再拝>

《ネズミの恩がえし、求婚…舅の須佐之男命から〝うい奴〟認定》 - 伝統

2015/04/28 (Tue) 19:09:19


八十神(やそがみ)の憎しみを受けて根の堅州国に逃れた大国主命は最初、
須佐之男命(すさのおのみこと)の娘、スセリビメと出会う。2
人は見つめ合い、やがてスセリビメは父の元へ行く。

 「いたく麗しき神来たり」

そう言う娘に須佐之男命は機嫌を悪くする。
娘を奪われるかもしれない父親の不快感である。

須佐之男命は大国主命をまず、毒蛇の洞窟で寝かせた。
それで無事だとわかると、ムカデと蜂の洞窟で夜を明かさせた。

それでも大国主命が無事だったのは、スセリビメが父の目を盗んで、
それらを寄せ付けない呪力のある布を渡していたからである。


須佐之男命は次なる手段として、大国主命を野原に連れ出した。
そこで鏑矢を射て、取ってくるように命じた。
大国主命が野原に入るとすかさず火を放った。
憎い男を一気に焼き殺そうとしたのだ。

 
進退窮まった大国主命の足元に突然、現れたのは鼠(ネズミ)である。

 「内はほらほら、外はすぶすぶ」

入り口は狭いが、内部は広いという言葉は、鼠の住みかがそこにあることを伝えていた。
避難した大国主命は窮地を脱した。
鼠は鏑矢を探してきて、大国主命の元にくわえて戻って来さえした。

大国主命は火が収まるのを待ち、鏑矢を持って須佐之男命の元に帰った。
大国主命が死んでしまったと思い、葬儀の道具を持って号泣していた
スセリビメが喜んだのは言うまでもない。

この故事が、「だいこくさま」の絵図には必ず反映されている。
米俵と鼠。この2つがだいこくさまとセットになっているのは、
古事記にこの神話があるためなのだ。

では、なぜ鼠は大国主命を助けたのか。
筆者はここで、因幡の白兎を思い出す。

八十神たちと違って白兎を憐れみ、真実の治療法で救済した大国主命。
兎は預言者となって、大国主命をヤカミヒメへの求婚レースで勝たせる。

ここに書かれているのは、弱者に目配りを忘れない優しさが、
弱者からの支援という思わぬ形で報われる図式である。

こうした理想の指導者像が描かれているのが日本の神話の特徴なのだ。

さて、目的を果たせない父親、須佐之男命である。
それでも諦めず、次には大国主命を自宅に連れ帰り、
自分の髪の毒ムカデを退治するように命じた。

ここでは再び、スセリビメが大国主命に助け舟を出す。
椋(ムク)の木の実と赤土を大国主命に渡したのである。
大国主命が実と赤土を口に含んで吐き出すと、
あたかも毒ムカデをかんで退治しているように見えた。

 〈心に愛し思ひて寝ます〉

古事記はこの時の須佐之男命の様子をこう書く。
思いのほか可愛げがあるやつだと大国主命を思い、油断して眠ってしまったのである。

この時を大国主命は待っていた。
須佐之男命の髪を屋根に結びつけ、家屋の入り口を大石で塞ぎ、
スセリビメを背負って逃げた。
ただ逃げただけでなく、須佐之男命の太刀と弓矢、琴を持ち出した。

やがて目覚めた須佐之男命は追おうとしたが、髪をほどくのに時間をとられ、
2人の姿を見出したときにはすでに、地上界への入り口近くだった。

 観念した須佐之男命は初めて、娘の幸せを祈る気持ちで叫ぶ。

「その太刀と弓矢で大勢の兄たちを追い落とせ。
お前は大国主神となって娘を正妻とし、宇迦の山の麓に柱太く、
千木を掲げた宮殿をつくって住みがよい」

 
須佐之男命は高天原を追放された後、地上界でヤマタノオロチを退治して、
出雲の須賀に住んでいた神である。
いわば高天原から最初に地上界に降り、定住した天つ神だ。

その神からこうした言葉をもらったことで、
大国主命は正式に国造りをする資格を得たのである。

スセリビメを正妻に迎えることで、高天原との血縁もできる。
大国主命の試練の物語は巧妙に、後の天照大御神(あまてらすおおみかみ)の
子孫への国譲り神話へとつながる伏線になっているのである。

ただし、それでも物語としての面白さを失わないのが古事記だ。
大国主命の逃亡を苦々しく見るしかなかった須佐之男命は最後に
こう言い放ったと書く。

 「是の奴」

こいつめ、という一言は愛娘を奪われる父親の、時代を超えて味わう気持ちを
凝縮していて、実に面白い。古事記が単なる歴史書ではなく、物語として
優れていると筆者が思う所以である。  

 =続く

http://www.sankei.com/west/news/150214/wst1502140002-n1.html

           <感謝合掌 平成27年4月28日 頓首再拝>

《各地の女神を妻に 天津神の子“一寸法師”も協力、国造り》 - 伝統

2015/04/29 (Wed) 18:23:39

須佐之男命(すさのおのみこと)から「大国主命」の名と愛娘、スセリビメを
もらって国造りする資格を得た大国主命は、須佐之男命の神宝だった太刀と弓矢を
使って自らを迫害した八十神(やそがみ)を退け、国造りに着手した。

大国主命の国造りは、持っている医薬の知識を普及させ、
同時に各地の女神たちと通婚することだった。

越のヌナカワヒメ、宗像神社のタキリビメ。
他にもトトリノカミ、カムヤタテヒメらの名前が古事記では記されている。
無論、八十神との確執の原因になったヤカミヒメもいる。
古事記の記述はまさに、艶福家・大国主命を思わせる。

これには少し補足が必要だろう。
古代日本ではシャーマニズムに基づいて女神が統治する土地が多く、
その女神と通婚することはその土地を支配下に置くことと同義だった。

それがために、大国主命は精力的に各地を巡ったのだが、
須佐之男命の命で正妻となっていたスセリビメの心中は穏かではなかった。
不満は、ある歌になって大国主命に訴えられた。


   〈我が大国主 汝こそは男にいませば うち廻る嶋の埼々(さきざき) 
    かき廻る磯の埼落ちず 若草の妻持たせらめ 我はもよ 女にしあれば 
    汝を除て 男は無し 汝を除て 妻は無し〉

    大国主よ、あなたは男だから、行く先々に妻や女がいるけれども、
    私は女だから、あなた以外に男も夫もいないのですよ-。

    そう切々と訴える歌である。

大国主命はその心根に打たれて大和への旅立ちをやめ、
2人で酒を酌み交わして抱き合い、そのまま出雲に鎮座した、と古事記は書いている。

 
しかし、その後も大国主命は3人の妻を迎え、子孫を繁栄させたというから、
恋多き平安貴族の原型は、このあたりから日本人にあったのかもしれない。

 
一方で、古事記は大国主命の国造りの協力者として2柱の神を登場させる。
スクナビコナノカミと大物主神である。どちらもこの後の神話で重要な役割を示す
ことになるが、ここではスクナビコナについてだけ、触れておこう。

スクナビコナは小舟に乗って出雲の美保の岬に現れる小さな神で、
大国主命は何者かわからず、高天原(たかまがはら)のカムムスヒノカミに尋ねる。

カムムスヒは、あまりに小さくて我が手の指の間から落とした子だと告げ、
協力して国造りするように命じる。

こうした筋書きから、スクナビコナは一寸法師のモデルともいわれるのだが、
実際にはこの記述も、後の国譲り神話につながる重要な伏線である。

カムムスヒは天照大御神(あまてらすおおみかみ)とともに、初期の高天原を治める神だ。
その神の子の力もあって初めて、国造りはできたと古事記は書いているわけで、
天照大御神の子孫への国譲りは当然のことと思わすストーリーが、
随所に織り込まれているのが大国主命の物語なのである。

やがて、その時がやって来る。それは天照大御神の一言から始まる。

 「豊葦原の千秋の長五百秋(ながいほあき)の水穂国は我が御子の知らす国」

豊葦原から始まる国の呼び名は、地上界を最上にいう時の美称である。
その国を治めるのは、我が子こそふさわしいと言っているのである。

天照大御神は天の岩戸隠れを経験して、高天原の最高神としての地位をすでに固めていた。
その天照大御神の意向だから、高天原の神々は早々に、国譲りを求める使者を
大国主命の元に差し向けた。

最初の使者は天照大御神の次男、アメノホヒノカミ。
天照大御神は長男のアメノオシホミミノミコトに地上界を治めさせようと考えていたから、
アメノホヒは兄のために降臨したのである。

大国主命の最大の危機が始まった。
それは同時に、大国主命が優れた先人、リーダーであることを示す闘いの始まりでもあった。 
  =続く

     (http://www.sankei.com/west/news/150227/wst1502270039-n1.html

           <感謝合掌 平成27年4月29日 頓首再拝>

《ささやき戦術 高天原の神を次々と味方に》 - 伝統

2015/04/30 (Thu) 19:44:43


地上界を国造りした大国主命に国譲りさせるため、
高天原(たかまがはら)が派遣した使者はアメノホヒノカミである

。高天原の主、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の次男だから、
相当な大物なのは間違いない。が、首尾がよくなかった。

古事記はその結果をこう書く。

 〈大国主命に媚(こ)び附き、三年に至るまで復(かえりごと)奏(まを)さず〉

大国主命に媚びて、3年経っても高天原に成果を報告しなかったというのである。
なぜか。この理由を示す史料はないが、筆者はこう推測している。

アメノホヒは、兄のアメノオシホミミノミコトを地上界の主にするため、
母に命じられて降臨した使者である。
危険な任務のうえに、成功しても利益を受けるのは兄である。
その心中は複雑だったはずで、そこを見抜いた大国主命はこうささやいたのではないか。

 「弟は損だよな。親というはたいてい、上の子ばかり可愛がる。
  わしが国を譲っても、得をするのは兄だけだぞ」

そして、自らの経験も語ったに違いない。
ヤカミヒメをめぐる求婚レースで兄の八十神(やそがみ)に勝ったために2度も命を狙われ、
結局は須佐之男命(すさのおのみこと)という後ろ盾を得て兄たちを討ち、
国造りした経緯、経験を、である。

この話にアメノホヒは心を動かされた。そして臣従したのである。

その経緯を雄弁に物語るのは現在、
大国主命を祭る出雲大社の宮司を代々務める千家家の存在である。

同家はアメノホヒを始祖としていて
昨年、高円宮家の典子女王と結婚した国麿氏は85代目に当たる。
それほど長期にわたって大国主命に仕えているわけで、
古代にアメノホヒが抱いた大国主命への敬意や忠誠心がうかがえる。

ともあれ、アメノホヒが使者の務めを果たさないので、高天原は第2の使者を派遣する。
知恵者、オモヒカネが選んだのはアメノワカヒコだが、
この神は実に8年間も高天原に首尾を報告しなかった。
大国主命の娘、シタテルヒメを娶ったからで、この結婚も大国主命の政略だった。

 「いずれこの国は、お前に譲ろう」

結婚に際して、大国主命はそうささやいた。
アメノワカヒコが野心家であるのを見抜いての策である。

アメノワカヒコの性格は、高天原から様子を見にやって来た
雉子(きじ)の啼女(なきめ)にどう対したかで、よくわかる。
木に止まって高天原の疑問をぶつける鳴女を即座に射殺したのである。

矢は高天原まで飛び、それがアメノワカヒコが降臨する際に授けたものだったために、
高天原の神がこう言いながら投げ返した。

 「もし謀反の心があってのことならば、アメノワカヒコに、この矢による禍いあれ」

矢は、寝ていたアメノワカヒコのみぞおちに命中した。
アメノワカヒコはそのまま落命。
この故事があって、「返り矢」という言葉が生まれた、と古事記は書いている。

一向に進まない国譲り。
高天原はついに、武神を降臨させることを決めた。タケミカヅチノカミである。
タケミカヅチは現在、鹿島神宮に祭られて武道や勝負事の神として信仰される。

その武神が、出雲の稲佐の浜に降り立ち、大国主命と交渉を始めるが、その姿がすさまじい。
剣をさかさまに浜に突き刺し、その切っ先にあぐらをかいて、尋問調で問うのである。

 「汝がうしはける葦原中国(あしはらのなかつくに)は、
  我が御子の知らす国と言依(ことよ)さし賜へり。故汝が心いかに」

天照大御神が、そなたが占有している地上界はもともと、
わが子孫の統治する国であると申されているが、そなたはどう思うか、という質問である。

言葉の調子では詰問といっていい。
追い詰められた大国主命はここから、さらなる老獪(ろうかい)さを見せつける。

   =続く


http://www.sankei.com/west/news/150312/wst1503120041-n1.html

           <感謝合掌 平成27年4月30日 頓首再拝>

《武神、襲来 敗れた地の武神は諏訪大社に》 - 伝統

2015/05/01 (Fri) 17:46:55

「汝が心いかに」

高天原(たかまがはら)からの3人目の使者、武神のタケミカヅチノカミに
国を譲る気があるかと詰問された大国主命はすかさず、こう答える。

 「僕(やつかれ)はえ白さじ。我が子八重言代主神(やえことしろぬしのかみ)是れ白すべし」

私はお答えいたすまい。我が息子が代わってお答えするでしょう、というのである。
が、その息子は漁に出ていて、今はいないと大国主命は言う。
ことを急ぐタケミカヅチは鳥船神を海に使わしてコトシロヌシを呼び返す。

 「恐(かしこ)し。此の国は天つ神の御子に立奉(たてまつ)らむ」

恐れ多いことなので、喜んでこの国を高天原の御子に差し上げましょう。
コトシロヌシはそう父の大国主命に答えると、乗っていた船を踏み傾け、柴垣に変えて、
その中に隠れた、と古事記は書く。この世からさっさと消えたということである。

 
この記述をどう読むか。
強引な国譲りを迫る高天原への抗議と考える説がある一方で、
コトシロヌシを争いごとを好まない温厚な神とする見方も根強くある。

その考え方や海で漁をする姿から、コトシロヌシをエビス神とする信仰が生まれ、
大阪・今宮戎神社などはコトシロヌシを祭っている。

 
ともあれ、大国主命が頼りにしたコトシロヌシが承諾したのだから。
タケミカヅチは国譲りを迫る。そこで大国主命は、二枚腰の粘りを見せる。

 「また我が子建御名方神(たけみなかたのかみ)有り。此を除きては無し」

もう1人息子がいるから彼にも尋ねよ、というのである。
この他にはいない、とわざわざ言われては、タケミカヅチも尋ねないわけにはいかない。
大国主命の老獪(ろうかい)さである。

 
タケミナカタは、この2人の会話の場に
千人力でないと引けない巨石を手先で持ち上げて現れる。

そしてごう然と言い放つ。

 「誰ぞ我が国に来て、忍び忍びかく物言ふ。然(しか)あらば力競べせむ」

人の国に来て、ひそひそ話で国を譲らせようとする不届き者はだれだ。
欲しかったら力ずくでこい、という売り言葉である。
タケミナカタの一本気な気性と、体力への自信がうかがえる。古事記の読みどころに1つだ。

が、相手が悪かった。天上界の神、つまり天つ神随一の武神である。
地上界の神、つまりは国つ神の武神がかなうはずもなかった。

タケミナカタがタケミカヅチを投げ飛ばそうと、その手を取ったところ、
手はたちまち氷に変わり、次には剣になった。

恐れをなしたタケミナカタが手を引っ込めると、逆に手を取られ、
またたく間に握りつぶされ、そして投げ飛ばされた。

タケミナカタは戦いの場である出雲・稲佐の浜から能登に逃げ、追われて越(越後)、
信濃へと逃走したが、諏訪湖でついに捕まる。

 「恐し。我をな殺しそ。此の地を除きては、他し処に行かじ」

今後はこの地を一歩も動かず、高天原による国造りの邪魔をしないから、
命だけは助けてほしいと、タケミナカタは懇願するのである。
タケミナカタはそのまま、諏訪大社に祭られる神となった。

約束通り、全国の神々が出雲に集まる神無月でさえ諏訪を動かないので、
諏訪では現在も旧暦10月を神在月と呼ぶ。
神話は伝承や信仰として現代も生きているのである。

諏訪大社が後世、鎌倉武士や戦国大名に篤く信仰されたのは、
その敢闘精神が武士(もののふ)の心をとらえたからだといわれる。

決して勝者だけに目を向けないのも日本人の美意識であろう。

ともあれ、大国主命が頼みとした息子たちは、次々とタケミカヅチの軍門に下った。
ここから大国主命は自ら交渉に当たり、その真骨頂を発揮する。

   =続く

http://www.sankei.com/west/news/150325/wst1503250060-n1.html

           <感謝合掌 平成27年5月1日 頓首再拝>

《逆転の発想“分割統治” 高さ48m古代出雲大社…敗戦なお「タフネゴ」》 - 伝統

2015/05/02 (Sat) 18:43:48


   「僕が子等二(ふたはしら)の神の白(まほ)せるまにまに、僕違(たが)はじ。
   此の葦原中国(あしはらのなかつくに)は、命のまにまに既に献(たてまつ)らむ」

 
大国主命が頼みとする息子2人を交渉と力比べで従わせ、
国譲りを迫るタケミカヅチノカミに、大国主命はこう答える。

息子2人の言うようにして、この国を譲ろうというのである。
しかし、と大国主命は言葉を継ぐ。

現代文風に書くと、こうした条件を付けるのである。


   「宮柱を太くして立て、大空にそびえる立派な神殿を建ててほしい。
   それがかなえられれば幽界に退き、静かに暮らすでしょう」

 
この条件通りに建てられたのが古代出雲大社だと伝えられる。
その高さは平安時代には48メートルもあったという。

見事な条件闘争の勝利である。

条件を示す一方で、大国主命は凄みを利かせることも忘れていない。
彼の言葉は、私が素直に隠棲すればこうなるだろう、という予測で締めくくられる。

 
   「僕が子等百八十(ももやそ)神は、八重言代主神、
   神の御尾前と為(し)て仕へ奉らば、、違(たが)ふ神は非(あら)じ」

 
自分には無数に近い眷属(けんぞく)がいるが、長男が後尾を守って先頭に立ち、
お仕え致す限りにおいては、背く神は現れますまい。

つまりは自分と長男が従っている限りは、譲られた国は平穏でしょうというのである。
敗れてなお、自分と一族の立場を強固なものにしようとする、
タフネゴシエーターぶりをいかんなく発揮した言葉である。

 
国譲りさせた高天原(たかまがはら)の神々は天つ神と総称される。
一方で、元々地上界(葦原中国)にいた神々は国つ神と称される。
その国つ神を束ねる神が大国主命というのが、神話での位置づけだ。

大国主命は最初に国造りした神なので、その地位を得ている。
大国主命の国造りは、医薬や防疫の知識を普及させるとともに、
各地の女神と結ばれることで、その地を治める地位を得ていくことだった。

大国主命の手法を示すのが、因幡の白兎という形で伝承される神話である。
ワニに皮をはがれた白兎に正しい治療法を教え、その優しさによって
ヤカミヒメを得るという、おとぎ話そのもののストーリーは実は、
極めて政治的な内容を含むものなのである。

 
為政者の地位を退いてもなお、
大国主命が国つ神らの尊敬と支持を集めていたことは、
ある風習からも想像できる。


   「神無月」


旧暦10月を今でもそう呼ぶのは、全国の神々がこの月には
出雲の大国主命の元に集まるからである。
だから出雲では、この月をこう呼ぶ。

   「神在月(かみありづき)」

 
タケミカヅチに凄んだ通りの実力を隠棲後も、大国主命が持ち続けるなかで、
天照大御神の子孫たちの治世は行われるのだ。

 
最後に、大国主命が示した条件が、現代の信仰にもつながっていることも紹介したい。

大国主命が言った「幽界に退く」とは、
目に見える権力の世界、政治の世界から身を引き、
これからは目に見えない世界を治めるという宣言でもある。

目に見えない世界とは、人の運命とか縁のこと。
だから出雲大社は現在、縁結びの神として信仰を集めるのである。

神話は現代も、日本人の心情や価値観の中で脈々と生きている。
その意味で神話の神々を「先人」として知ることは、歴史を読むことと大差はない。

そうした観点から次回以降、大国主命の跡を継いで葦原中国を治めた
神々「日向三代」とカムヤマトイハレビコノミコト(初代神武天皇)の物語を
書いていきたい。  

 =この項おわり

   (http://www.sankei.com/west/news/150407/wst1504070060-n1.html

           <感謝合掌 平成27年5月2日 頓首再拝>

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