伝統板・第二

2472833
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

或る譬話・寓話からの学び① - 夕刻版

2015/04/13 (Mon) 17:36:30

*光明掲示板・伝統・第一「或る譬話・寓話からの学び (102)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=61

・・・

「月の兎」

         *Web:日本の感性をよみがえらせよう(2011/2/22)より


良寛和尚作の、月と兎の因縁を歌い上げた長歌をご紹介します。
この長歌は、良寛が涙にぬれつつ書いたという感動の作です。

良寛のこの長歌は、『今昔物語』もとづいたものです。
出処は遠くさかのぼって『大唐西域記』にあるといいます。

そこで、物語は天竺の昔のことであるが、三頭の獣がいて、
共に誠の心をおこして菩薩の道を行いました。

各々思うには、「我らは、前世の罪障深重(ざいしょうじんじゅう)のせいで、
賤しき獣と生れたのである」猿も狐も兎もそう思ったというのです。

こんな姿の畜生に生れついたのは、昔人間だったとき、
「生有る者を哀れまず、財物を惜しみて人に与えず」、

つまりさんざん我欲を働いたその罪業で地獄に堕ちて何万年か苦しみを受け、
やや罪が軽くなったが、まだ消滅してしまってはいないので、
いまはこうした浅ましい畜生に生れた。

だから、今こそ老いたる人を敬い、年長の人を兄に対する如くにし、
劣ったものを弟の如くにして、自分を捨てて他を助けよう、という念願を起こしたのでした。

良寛はこの物語に、いたく感動しました。

しかし、説法じみたこと、教訓めいたことの、大嫌いな良寛は、
こうした菩薩道だの輪廻だのということを一切言わずに
、ただ「友を結びて」野に山に遊んで年を経たと言っているだけです。

つかみ合って争うべき三者が仲良くして共に遊戯三昧なのだから、
すでに十分に仏道の極意を行っています。




   石の上(かみ) 古(ふ)りにし美世に
   有りと云ふ 猿(まし)と兎と
   狐(きつに)とが 友を結びて
   朝(あした)には 野山(ぬやま)に遊び
   夕(ゆうべ)には 林に帰り
   かくしつつ 年(とし)の経(へ)ぬれば


これが物語長歌の発端です。
「石の上」は「古りにし」美世(御代)の枕詞なので、
むかしむかしの、そのむかし、

猿(ましら)と兎と狐がおったとさ。

この三頭の獣は、普通ならば争って友達にはなれそうもないけれど、
奇特なことに、仲良しになって、朝(あした)にはつれ立って野山に遊び、
夕べには一緒に林の中のねぐらに帰りました。こうして歳月をへたので


   久方(ひさかた)の 天(あめ)の帝(みかど)の 
                      (ひさかたのは天にかかる枕詞です)
   聴きまして 其(それ)が実(まこと)を
   知らむとて 翁(おきな)となりて
   そが許(もと)に よろぼひ行きて
   まうすらく


『今昔物語』には、天帝釈(てんたいしゃく)がこれを見ておって、
「獣の身也といえども有難き心なりと思いました。
「人の身を受けたりと云えども、或は生きたるものをころし、

或は人の財(たから)を奪い、或は父母をころし、或は兄弟を仇敵のごとく思ひ、
或は咲(えみ)の内にも悪しき思ひ有り、或は恋たる形にも嗔(いか)れる心深し。

何(いかに)況や、如此(かくのごとく)の獣は実(まこと)の心深く難思(おもいがた)し。
されば試む、と思して……。」とあります。


けものでなく人間でも悪いやつがいる。しかるに三頭の獣は感心なやつだ。
但し、果たして本当に他のために自己を忘れるほどの菩薩道をやっているのか、
「されば試む」というので、忽ちに老いたる翁の無力にして疲れたすべない姿に変じて、
獣のところに至って、次のように言われました。

天帝釈は大千世界の中心たる須弥山の頂上に住む大威徳の神です。
この天(あめ)の帝(みかど)が老人の姿に化けて獣をためすために、やってきました。
よろよろと、「よろぼい行きて、まうすらく」



   汝等(なむだち)たぐひを 異(こと)にして
   同じ心に 遊ぶてふ
   まこと聞きしが 如(ごと)あらば

   翁(おきな)が飢(うゑ)を 救えとて
   杖(つゑ)を投じて 息(いこ)ひしに

   やすきこととて ややありて
   猿(まし)はうしろの 林より
   菓(このみ)を拾ひて 来りけり

   狐(きつに)は前の かはらより
   魚をくはへて 与へたり

   兎はあたりに 飛び飛べど
   なにもものせで ありければ
   兎は心 異(こと)なりと
   詈(ののし)りければ はかなしや



『今昔物語』ではもっと仔細に語られていて、老人に化けた帝釈天が老い衰えて、
家も食物もないこのわしを助けてと言ったので、
猿は木に登っていろんな木の実を取ってきたり、里に行って畑の作物を取ってきました。

一方狐は墓場へ行ってお供えの品を取ってきたり、
くさぐさの魚を持ってきて老人に与えました。

そこで老人は、すっかり満腹して日々を過ごしました。
ある日、彼が言うには、猿と狐はなるほど菩薩の深い心を持っているよ、と。

これを聞くや兎は、心をはげまし、
「燈を取り、香を取りて、耳は高く傴(くぐ)せにして、目は大きに、前の足短く、
尻の穴は大きに開きて、東西南北求めあるけども、更に求め得たるものなし」


このことを歌には、「飛び飛べど、(ぴょんぴょん跳んだが) 
なにもものもせで(何も得ないで)ありければ 兎は心異なり(菩薩の心なし)と 
詈りければ はかなしや(悲しい限りであるよ)」となっています。


兎には才覚がありません。いうなれば世事に疎く、よその動物が襲ってくると、
ただ恐れて逃げるばかりです。

正直だから狐のように、墓場の供え物を失敬してくることなど思いもよりません。
そこで、汝には菩薩の心がないと言われて、兎はうなだれるだけでした。


この様子は、良寛の生涯と、そっくり同じなのです。
越後の出雲崎の名門、山本家に生れ、年少にして名主の見習いをさせられましたが、
何もできなませんでした。

名主の昼行燈(ひるあんどん)息子と言って嗤(わら)いものにされました。
良寛自身これを認めて「生涯、身を立つるに懶(ものふ)し」と言いました。
名主として、人の中に行って争いの調停などできることではなかったのです。

代官の所へ行って、漁夫たちは役人のことをこう言って激しく悪口を言っていると
正直に言うので、代官はかんかんに怒りました。

その怒りの言葉を、漁夫たちのところへ言って正直に伝えたので、
漁夫たちはまたかんかんに怒りました。

双方とも、自分たちの利益や思惑から割り出しての争いなので、
それが栄蔵(後の良寛)には、たまらなく嫌でした。

世の中には、嫌々ながらでも、どうにか世事を処理できる者もいますが、
栄蔵はそれがまったくの無能でした。何もできませんでした。

だから、この話の中の兎に、良寛は涙をこぼしました。

それが、「兎は心 異なりと 詈りければ はかなしや」という一節の裏に響いています。



   兎計りて まうすらく
   猿は柴を かりてこよ
   狐は之を 焼て給べ

   言ふが如くに 為しければ
   煙の中に 身を投げて
   しらぬ翁に 与へけり


『今昔物語』には、兎の無能ぶりを見て、翁ばかりか仲の良かった猿と狐までが
「且は耻(はずか)しめ、且は蔑(あな)づりてわらいて励ませど」とある。

いくら嘲笑されても、野山は怖くて仕方がない。
結局はけものに食い殺されてしまうだけだ。

そんなら、いっそのこと、けものの餌食になる前にこの身を捨てて翁に与えるのがよい。
こう決心がついたので、今日こそは、私は世にも甘美なものを取ってきて
翁にさしあげますから、

猿は木を拾い狐はそれを燃していてくれ、すぐいいものを持ってくるから、
と言って、それから「食物を求めて持ち来るにちからなし。
さればただ我が身を焼きて食らひ給ふべし、と云て、火の中に踊入りて焼死ぬ」



   翁(おきな)は是(これ)を 見るよりも
   心もしぬに 久方(ひさかた)の
   天(あめ)を仰ぎて うち泣きて

   土に僵(たお)りて ややありて
   胸打ち叩き まうすらく

   汝(なむだち)らみたりの 友どちは
   いづれ劣ると なけれども

   兎は殊(こと)に やさしとて
   骸(から)を抱て ひさかたの
   月の宮にぞ 葬(はふり)りける



天帝尺が兎の誠に感じ入り、五体を投げ出して慟哭した、と良寛は歌いました。
良寛の歌は、物語にない心を歌いました。

物語では、天帝釈が「天を仰ぎて うち泣きて 土に僵りて ややありて 胸打ち叩き」
などとは書いてありません。

いわんや、兎の骸(から=なきがら)を抱て ひさかたの 月の宮にぞ 葬りける、
ということはまったくありません。
ただ兎の姿を月の中に封じ込めて、永く一切衆生に見せるようにしたとあるだけなのです。

出処は『今昔物語』ですが、これは昔の話であるのに対し、
歌のほうには、そこに良寛自身が入り込んでいます。

その違いは、最後のところになると、もっと明らかになります。
『今昔物語』の終にいわく、「されば、月の面に雲のようなるものあるは、
この兎の火に焼けたる煙なり。また、月の中に兎のあると云ふはこの兎の形なり。
万(よろず)の人、月を見む毎にこの兎のこと思ひ出すべし」

世の人々よ、月の中なる兎とは、かかる因縁によるものなれば、
月見るたびにこの兎のことを想起したまえ、という教訓で結んであります。

『今昔物語』は元来むき出しの教訓は比較的希薄で、
この結びなどは、いつまでも人の心に残るものを持つ、ゆかしい教訓となっています。


この結びが、良寛の歌では、


   月の宮にぞ 葬りける
   今(いま)の世までも 語り継ぎ
   月の兎と いふことは

   是が由(よし)にて ありけると
   聞く吾(われ)さへも 白栲(しろたへ)の
   衣(ころも)の袂(そで)は とほりてぬれぬ


良寛は物語を読んで、共感し、感動して衣の袖の濡るまで涙を流したというのです。

良寛は同じ主題で、他にも一篇作っており、それも書いておきます。
できれば、声に出して読んでいただければ、いっそう言葉の響きは心に染みとおって、
良寛の気持ちが共感できるのではと思います。



   天雲(あめくも)の 向伏(むかふ)すきはみ 谷蟆(たにくぐ)の さ渡る底ひ
   国はしも さはにあれども 人はしも
   あまたあれども みほとけの 生(あ)れます国の
   秋かたの そのいにしへの 事なりし

   猿(まし)と兎と 狐とが 言をかはして 朝(あした)には
   野山に遊び 夕(ゆうべ)には 林に帰り かくしつつ
   年の経(へ)ぬれば ひさかたの 天(あめ)のみことの
   聞こし召し 偽りまこと 知らさむと
   旅人(たびと)となりて そが許(もと)に あしひきの
                       (あしひきのは山にかかる枕詞)
   山行き野行き なづみゆき 食物(をしもの)あらば
   給へとて お花折り伏せ 憩(いこ)ひしに

   猿は林の 土(ほ)枝(つえ)ゆ 木の実を摘みて 参らせり
   狐は簗(やな)のあたりより 魚(いほ)をくはへて
   きたりたり 兎は野べを 走れども
   なにも獲(え)せずで ありければ 汝(いまし)はこころ
   もとなしと 戒(いまし)めければ はかなしや
   兎は輩(うから)を たはくらく 猿は柴を 刈りてこよ
   狐はそれを 焚きてたべ まけのまにまに
   なしつれば 焔(ほのほ)に投げて あたら身を
   旅人の贄(にえ)と なしにけり

   旅人(たびと)はそれを 見るからに し萎(な)びうらぶれ
   こいまろび 天を仰ぎて よよと泣き
   土に倒れて ややありて 土打ち叩き
   申すらく 汝(いまし)三人(みたり)の 友だちに 優り劣りを
   言はねども 吾(あ)れは兎を めぐしとて
   天津(あまつ)み空を かき分けて 月の都にぞ
   葬りける

   しかしよりして 栂(つが)の木の いや継ぎ継ぎに
   語り継ぎ 言ひ継ぎきたり ひさかたの
   月の兎と いふことは そがもとにて
   ありけりと 聞く我さへに しろたへの
   衣の袖は 徹(とお)りて濡れぬ

   (http://blogs.yahoo.co.jp/sitiyu33/11127578.html

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (9201)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1744      

(2)「光明掲示板・第二」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (25)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=13  

(3)「光明掲示板第三」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30
 
              <感謝合掌 平成27年4月13日 頓首再拝>

「耳の大きなおじいさん」 - 伝統

2015/04/16 (Thu) 18:38:30

        *『ありがとう』高木善之・著(P30~33)より

『私が子どもの頃、
近所に東(あずま)さんというお宅があり、
そこにおじいさんがいました。

おじいさんは、いつも籐椅子で揺られていました。
耳が大きく、いつもニコニコして、いつも半分寝ていました。

もとは父と同じ病院の歯医者さんでしたが、
数年前に定年退職しましたので65歳くらいです。
いまなら65歳は高齢ではありませんが、

「村の船頭さん」の歌詞にも「ことし六十のおじいさん」
とあるくらいですから、当時は六十五といえば、近所でもっとも高齢でした。

この
「耳の大きなおじいさん」は、

「悩み事、相談事をすると、とても楽になり、解決が見つかる」

ということで評判で、近所の人はもちろん、遠くからも人がやって来ました。

私は、小さな子どもだったので
実際に相談したわけではありませんが、

人の話によると、おじいさんは、
どんな話も黙って聴くのだそうです。

相手が笑うと、
おじいさんも微笑んでくれるのだそうです。

相手が泣くと、
おじいさんも涙を流してくれるのだそうです。

相手が黙り込むと、
おじいさんはやさしい目で見つめて
黙って待ってくれるそうです。

そして、
相手が立ち上がると、
抱きしめてくれるそうです。

そして玄関まで送ってくれて、
相手が見えなくなるまで手を振ってくれるそうです。

相談に来た者は、
最後にはみんな涙を流して

「ありがとう!
ありがとう!」

と感謝して帰っていくそうです。

「耳の大きなおじいさん」は
どんな悩み事も、受け止めてくれるのだそうです。

あとになって私は、父親にこのことを聞くと、

「あのおじいさんはね、耳が聞こえなかったんだよ」
と衝撃的なことを話してくれました。

「えっ!どうして!
どうして耳の聞こえない人が相談を解決できたの?」
と聞くと、父は

「さあ、
わからないけれど・・・
きっと愛だったんだろうね」
と言いました。

そして父は、
「ボケ(認知症)がかなり進んでいた」
と付け加えました。

耳が聞こえない おじいさん、
認知症の おじいさん、

相手の話も聞こえない、
相手の話も理解できない おじいさんが、
多くの人の相談事や悩み事を解決したということ。

そのおじいさんを思い出すと、
いつもニコニコしている笑顔が浮かんできます。

相談者は、

黙って
聴いてくれること、

うなずいてくれること、

共に
喜んでくれること、

共に
悲しんでくれること、

それを一番に
求めているのです。』

いかがでしたでしょうか?

              <感謝合掌 平成27年4月16日 頓首再拝>

「愚かなる熊の真似をしてはならない」 - 伝統

2015/04/20 (Mon) 17:46:30


         *「真理」第3巻初学篇(P147~148)より
 
ある山奥に熊がいました。

今年は雨つづきで奥山に実る果実がみんな腐ってしまいましたので、
食物(たべもの)を得るために熊が人間の住む町までのこのこ出てまいりした。

人里までやって来て、のぞいて見ますと、
其処に鍋の中に美味しそうな御馳走がぐつぐつと煮え沸(たぎ)っているのです。

そこで腹の減った熊ちゃんはその御馳走を失敬しようと思いまして
その鍋を両手で持ち上げたのです。
沸騰している鍋ですから熱くてたちまち火傷しました。

離せば好(よ)いのに熱いものだから驚いて一層しっかりお鍋を抱きしめます。
ますます火傷はひどくなって鍋を抱いて苦しんでいるところを
猟師がその熊を生擒(いけど)にいたしました。

 

これは単なるお伽噺ではありません。

病気でも貧乏でも悩みでも、どんな不幸でも、この火傷と同じように、
それを抱きしめ掴んでおれば、その傷はいよいよ深くなるばかりであります。

悪いこと、害を与える者をつかんではいけません。
それは心から放してしまうことです。
早く放せば放すほど、わずかな傷ですんで、あとが早く治るのです。

           <感謝合掌 平成27年4月20日 頓首再拝> 

猿の橋 - 伝統

2015/04/24 (Fri) 17:26:21


             *Web:仏典童話 より


ある山の中に、五百ぴきの仲間をひきつれた、猿の王様がいました。
 
ある年のことです。
その年は天候がわるく、山のなかにはなに一つ食べるものがなくなってしまいまいた。
木 には一つも実がみのらず、このままでは、五百ぴきの仲間はみんなうえ死にをまつ
ばかりだと、猿の王さまは考えました。

ところが、山をおりたふもとにはお城があり、
その果樹園ではたくさんの果物がたわわに みのっていました。

猿の王さまは、悪いとは思いながらも、おなかをすかせた仲間のすがたを見るに見かねて、
仲間達をひきつれると、その果樹園へこっそりそのびこみました。

「王さま、こんなにおいしいものを食べたことがありません。おなかいっぱいになりました」
「そうかそうか......」

猿の王さまは、みんなの喜ぶ顔がうれしくて、次の日も、また次の日も、
お城の果樹園へ しのびこみました。
 
五日目の朝です。

きょうも、五百匹の仲間を連れて、猿の王さまは果樹園へと山をおりてきました。
ところが果樹園では、お城の家来たちが、猿をつかまえようとまちかまえていたのです。

いち早くそれを知った猿の王さまは、
「果樹園に入ってはいけない!みんな、すぐ逃げるのだ!」
そう叫ぶと、おりてきた道とは違う方向へ、先頭になって走り出しました。

いつもの道だ と、途中でまちぶせされて、つかまりうかもしれないと、
とっさに考えたからです。

五百匹の猿は、王さまを追って走りました。
猿の王さまは、谷を渡って山へ逃げ込もうと考えました。
谷さえうまく渡れば、もう人間 たちは追ってくることができないでしょう。

やがて谷へ近づきました。
ところが、そこにかかっているはずの木の橋がありません。
きっと、長いあいだにくさって谷の底へでも落ちたのでしょう。

猿の王さまは、すぐに、仲間達にいいました。
「藤づるを集めてくるのだ。そして、それをるないで、橋をつくるのだ」
猿たちはいわれたとおり、あちこちへ散ると、すぐに藤づるを集めてきました。
そして長 く一本につなぎました。

「ぐずぐずできない。人間たちが追ってくるぞ」
猿の王さまは、藤づるの端をきにつなぎ、もう一方の端をからだにくくりつけると、
「わたしが、この藤づるの端を谷の向こうの木にくくりつけるから、
みんなはこの藤づるを 伝って逃げてくるのだ。いいな。」

そういいおわると、猿の王さまはまるで鳥のように、谷につきでた岩をけって、
谷の向こうの大きな木にむかってとびました。
そして、その木の枝をしっかりつかみました。

ところが、ぴんとからだののびきったまま、どうにも動くことができません。
もう少しのところで、つないだ藤づるの長さがたりなかったのです。

猿の王さまは、うしろを振りかえるように叫びました。
「さ、早く渡るのだ!」
 
五百ぴきの猿は、子どもを先頭に、それから赤ちゃんを猿えをだいた母親がつづき、
つぎつぎと谷を渡りはじめました。

-早く渡るんだ、いまのうちに..........。
猿の王さまは、だんだんとうでがしびれてきました。
しっかりとつかんだ木の枝から、ゆびがはなれそうになりました。

しかし、仲間たちがみんな渡りおえるまで、どんなことがあっても、
このゆびをはなすことはできません。

-はやく、はやく.....。
猿の王さまは、目をつむったまま、つぶやきました。

猿たちを追ってきたお城の王さまと家来たちは立ちどまったまま、
そのすがたをじっと見つめていました。

五百ぴきの猿たちが、藤づるの橋を渡りおえると同時に、
猿の王さまのゆびが木の枝から はなれました。

「すぐに谷ぞこへおりて、あの猿の王さまをすくうのだ」

お城の王さまは家来にそういうと、つづけて、

「あすから、果樹園の木の実を、まいにち山へもっていって、
猿たちに食べさせてやるのだ。いいな.....」
 
と、目にうっすらと涙をためて、おっしゃいました。
                       (六度集経)

           <感謝合掌 平成27年4月24日 頓首再拝> 

この世は、「アルコール依存症更生施設」 - 伝統

2015/04/27 (Mon) 18:09:07


          *「あの世に聞いた、この世の仕組み」より

この世に生まれてくる僕らって、
基本的にデフォルトで『アルコール依存症』状態なんですよ。
もうね、アルコール(カルマや煩悩)」が大好きなの。

やめられない、止まらない。
で、この世が、いわば『アルコール依存症更生施設』なんです。

この因果関係がわかっていない方の物事の解釈ってのは
『俺が悪いんじゃないんだよ。そこに酒があるのが悪いんだ』って感じで、
あくまで自分は『被害者』ってことにしちゃう。

あるいは、『酒が好きなんだから、飲んで何が悪いんだよ!』
って変に開き直っちゃってる。

この世は『アルコール依存症更生施設』ですから、
お酒好きの方や、やめる気のない方から見たら、
『何かと思いどおりにいかない不自由な場所』です。

逆に、『自分はアルコール依存症である』という自覚があり、
完治に向けて努力する方にとっては
『心身を改善するための、ありがたい場所』となります。


『お酒』は大きく分けると『醸造酒』『蒸留酒』『混成酒』の3種類。

こんな感じで『煩悩』を大きく分けると
『貪欲』『瞋恚』『愚痴』の3種類、となります。

この3つ、仏教では合わせて『三毒』と呼ばれ、人間の諸悪の根源とされています。


この施設では、

貪らない。怒らない。恨まない。思い上がらない。人のためになることを考える。
自分の執着や依存傾向・依存対象に気づく。小さなことでくよくよしない、などなど

で、更正をはかります。

           <感謝合掌 平成27年4月27日 頓首再拝> 

許すことは許されること - 伝統

2015/05/11 (Mon) 19:44:56


          *Web:「美人の思考 許すことは許されること」より

聖書のお話・・・

昔々、とてもお金持ちで良い王様がいました。

自分の奴隷が何か困るとすぐに、助けを差し伸べたりしています。

(当時、自分の意思で奴隷であることも多かったようです)


ある日、王様は奴隷の一人に貸していたお金を
返してもらいたいと思い奴隷を呼び出しました。

貸していたお金は金貨7000万枚(日本円では100億円以上です)ほどです。

しかし、その奴隷はお金を使ってしまっており、返すことができません。
その王様に心から懇願し、「時間をください。返せるようにがんばりますから」と、
何度も何度もお願いしました。


王様はとっても優しい方だったので、その奴隷を許してあげました。
つまり7,000万枚の金貨全部を「返さなくてもいいよ」と、
その奴隷に告げ、許してあげたのです。

すっごく優しい王様ですね。


借金から解放されたその奴隷は、自分が金貨100枚(日本円だと5、60万円ほど)だけ
貸していた奴隷のところにいきました。

さて、自分が王様に借金全額を許されたので、
その仲間の奴隷をも許しにいくのでしょうか?


ところが「貸した金返せ!!」とその別の奴隷に言ったのです!!


その別の奴隷は、「時間をください。返せるようにかんばりますから」と
一生懸命その奴隷にお願いしました。

しかし、奴隷は許そうとせず、その別の奴隷を牢屋に入れてしまいました。


それを一部始終見ていた人が、そのことを王様に告げました。

もちろん王様はお怒りになり、その奴隷を死ぬまでその牢屋に入れましたとさ・・・

という、イエス・キリストがした例え話。


        ・・・

教訓は、「もしあなた方が、自分の隣人を心から許さないなら、
神もあなた方を許さず、これと同じように扱うでしょう」

とイエス・キリストは言われました。


私たちは、”許せないと思う心”が自分を拘束し、
自分の首を締め付けることを知っています。


人を恨む気持ち、ねたむ気持ちって非常に強いですし、大きなパワーが奪われます。

その許せないという行為や、許せない相手のために
そんなパワーを使ってしまうのは、ある意味、もったいないと言えるかもしれません。

http://wjproducts.seesaa.net/article/100442391.html

           <感謝合掌 平成27年5月11日 頓首再拝> 

象徴としてのキリスト一代記 - 伝統

2015/05/13 (Wed) 17:44:06


            *『幸福をひらく鍵』(P26)より


キリストは神性の象徴であり、キリストの一代記は、
各人に宿る”神性”の一代記の象徴物語と見ることができる。

みなさんは聖母マリヤである。
胎児にはキリストを妊(はら)むのである。

人間の神性は”處女”即ち汚(けが)れなき母性にやどる。
それは性欲の産物ではない。
神界から天の使いがもって来て妊(はら)ませたものである。

それは馬槽(うまぶね)の中で生まれる。
誰もその尊さを知らないのである。

折角、聖典をよんで孕(はら)んでいた”神性”を意識の中に出産しても、
マリヤは色々と外界から来る艱難に遭うのである。

「人間に神性などがあるか」とか「生長の家の説くことはインチキだ」とか
言って批判するものがあるのである。
娑婆の風は冷たく、馬槽(うまぶね)の敷藁(しきわら)は柔らかくない。

しかしマリヤは、そのような外界の迫害に対して折角出産したこの”神性”の
キリストを育てなければならないのである。

若し、あなたが、肉体的に幸福であり、財運は豊かであり、
良き良人、よき子供にめぐまれ、物質的に何不自由がないにしても、
”神の声”を聴くことができなかったならば、
あなたは最も大切なものに就いて貧しいのである。

”神の声”を聴くというのは、霊耳がひらけて、霊的な声が聞えるという意味ではない。
神が「斯くなせよ」と言われる聖使命の衝動を感じ、それに従って行動することである。

肉体的幸福、ゆたかなる財運、良き家族、それら物質的な良きものだけで
満足している限りに於いて、それは利己的圏内の満足である。

”神の声”を聞くとは、聖使命の衝動を感じて利己的圏内から脱出することである。

           <感謝合掌 平成27年5月13日 頓首再拝> 

「大富豪の家庭」と「貧しい農村の家庭」 - 伝統

2015/05/20 (Wed) 17:32:23


            *Webより

とある大富豪のお父さんが、息子を貧しい農村の家庭に送って、
どれだけ自分たちが恵まれていて幸せなのかを教えようとします。

しかし、帰ってきた息子が予想外の話を始めるのです。



まずお父さんは、農村の生活から帰ってきた息子に、
「私たちの家と彼らの家との違いは何だった?」と聞きました。


すると興奮ぎみに「すごい違ったよ!」と答えました。そしてこう続けたのです・・・



僕たちは犬を1匹飼ってるけど、彼らは4匹も飼っていたんだよ。

僕たちは画面を見ながら、一人でゲームで楽しんでいるんだけど、
彼らは自然の中で友達といっぱい走りまわっていたんだよ。

僕たちの家の庭では、夜照明が照らしてくれるけど、
彼らの庭は夜中キラキラと輝く月と星が照らしてくれていたよ。

僕たちの家の庭は安全のために壁に囲まれているけど、
彼らの家の庭には壁はなくて、地平線が見えたんだよ。

僕たちは家に帰ったらCDを聴くけれど、
彼らは鳥のさえずりとか自然の音に耳を傾けていたんだ。

僕たちの家には鍵がついているけど、
彼らの家はいつでも友人たちを迎えられるようにドアは常に空けていたんだよ。

僕たちの街では、みんなスマホやパソコンを見ながら文字で会話しているよね。
でも向こうでは人の目を見ながら言葉で会話しているんだよ。


お父さんは息子が、言ったことに驚きました。

そして最後に息子はこう言いました。

「お父さん。僕たちがどれだけ本当は貧しいのかを、教えてくれてありがとう!」

   (http://tabi-labo.com/116974/rich-man-poor/

           <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝> 

[寓話] 幸福への道 - 夕刻版

2015/05/22 (Fri) 18:13:35


          *『白鳩』 誌(昭和22年10月号)より

それはギリシャの街です。 昔のことです。

一人の賢者が街のまがり角に坐っていました。 
そこへ腰のすっかりかがんだ人がやって来てその足もとにすわって、

 「賢者さま、どうぞわたしをお救け下さい」 と申しました。

「あなたのなやみは一体なんですか。 その苦しそうな息づかい、
そのなやましい眼つき、つかれた歩調、あなたがなやんでいることは一眼みてわかります。 
何なと力になってあげましょう。 あなたの苦しみは何ですか。 おっしゃって下さい。」

この賢者がいいますと、
疲れた人はその濁った眼を地面にふせて、おそるおそる申しました。

「賢者よ、わたしの苦しみと申上げましたらあまりにも多いのです。 
浜の真砂はかぞえられても、私の苦しみはかぞえられそうもありません。 

私は金もなく、仕事もなく、健康もなく、友達もないのです。 
すべての善いものが悉くくだけてしまったのです。 
悪い事だけが、群って集ってくるのです。 

どんな手段を講じても、この不幸には敵たいすることは出来ないのです。」

賢者は答えました。 

「もう、あなたの云うことはそれでわかりました。 可哀相に! 
併し、あなたには、たった一つその不幸から逃れる道があるのです。 
あなたがその道へ行くならば、その不幸が一つでも、数多くでも区別はありません。 
みんな救われる道なのです。」

「それは一体どんな道ですか。」

「それは光の道なのです。 光が闇によって遮られたのを貴方は見たことがありますか」

「え ・・・・ 」

「それは空気のように無抵抗の道なのです。 
どんなにくだいても空気はきずつくことがないでしょう。 
空気には如何なる重荷もかるく、光にはどんな闇も明るいのです。 
神、わが軛は易く、わが荷は軽しと仰いました。」

「その光の道を、空気の道を教えて下さい。」 
となやんでいる其人の眼は輝いて見えました。

「このままで私が歩いていると、私はもう街の埃の中に倒れて死んでしまうほかは
ありません。 どうぞ私が再び力をとり戻して立上れる其の新しい道をお示し下さい。」


その時、賢者は指を向うに向けました。 
そして 「あれを御覧なさい」 と云いました。 

「あそこに水甕があります。」

道ばたの草むらの中に水甕があって、その中には濁った水がたまっておりました。

「あの水甕の中の水は濁っておりますが、最初からあんなに濁っていたのではありません。 
あれは、お空から降って来た美しいキレイな雨水がたまたまあの中へ陥ち込んで、
再びお空へ帰りたいと思っているのです。 
さてどうしたらあの雨水がお空へ帰って行くことが出来るとお考えでしょうか。 ・・・・ 」

なやんでいる人に答えることは出来ませんでした。 
ジッと聴き入っているばかりです。

賢者は言葉をつぎました。

「あの雨水が、若しあの甕からあせって逃れ出ようと思うならば、
それは却って下に溜っている濁りをかき立て、自分が‘きたなく’なるばかりです 

それなら、濁りを沈める沈殿剤と云うのでも入れたら、
一寸みると澄み切るように見えましょうが、それでは最初の汚水を
次の沈殿剤に置きかえたに過ぎないのです。 

それでは却って水そのものの純粋をそこなうばかりです。 

若し手を壺の中へいれて、その泥土を下へ沈めようとして押し下げでもしようものなら、
折角、底に沈殿していた泥をかきまぜて水は一層きたなくなるばかりです。 

あなたよ、どうしたら此の雨水が、純粋に元のきれいな水になって、
あのお空へかえって行くことが出来るとお考えですか。」

「わたしにはわかりません。」

「この壺の濁りの中に陥った雨水が、きれいな水になってお空にかえることの
出来る道はただ一つ上を見ることです。 

あせることでも騒ぐことでもありません。 
誰にでも悩みを解消する道はひらかれているのです。 

これはどんな人間的な手段をも捨ててただ上を見ることです。 
上を見てそのまま素直に、太陽の光に、その愛に、その温かさにまかせることです。 

そのとき、どんなに今落ち入っている壺の泥が深くなろうとも、
雨水は純粋な水蒸気になってお空にかえることが出来るのです。 

それと同じく、あなたは上を見ることです。 
悪に抵抗(てむか)うな。 
悲しみの中にあせることをするな。 
これは壺の中のよごれをかきまわすことにすぎないのだ。 

抵抗(てむか)わないとき、悪は消え、不幸は消える。 
そのまま素直に光の導きに従って天国へのぼるのです。」


なやんでいた人の顔は急に明るくなったのです。 
その瞬間、まるで太陽に照らされた光のような表情にかわりました。

「わかりました。 ありがとうございます。 
泥水に抵抗(てむか)わないと同じように、私は私の不幸に抵抗(てむか)わないで、
素直に光ばかりを見詰めて生活してまいります。」 

こう云って彼は一礼すると、街を蘇生(よみが)えった生々した足どりで歩き出しました。

 
太陽が輝いていました。 
彼の前途に、そして彼の足もとに。 

賢者はソクラテスでした。 
ソクラテスは彼の後姿を、しばらく合掌して拝んでいました。

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/f7eaf0e9e8479370e20a876d69664230

           <感謝合掌 平成27年5月22日 頓首再拝> 

人間のなかに隠れよう - 夕刻版

2015/05/25 (Mon) 17:33:25


       *『99%の人が知らない死の秘密』 山川鉱矢×阿部敏郎・著より
        (別の掲示板からの転載です。)


10代のころに、誰かからこんな寓話を聞いたことがあります。

昔々、神様は地上にいたそうです。

その神様のところに大勢の人間たちが来て、悩みごとを相談したり、
欲しいものをおねだりしたり。いつも、長い長い行列ができて、
さすがの神様も大変だったようです。

あるとき、神様はたまりかねて、お弟子さんたちに「
よし、わしは月にでも行ってしまおう」と言いました。

すると、弟子たちは「いやいや、月に行かれても同じですよ。
人間はいずれ月にも行くようになりますから」と止めました。

「じゃあ、どこへ隠れようか」となって、神様は最終的にいいことを思いつきました。
「そうだ、わしは人間のなかに隠れるとしよう。自分のなかに私がいることを見つけられる
くらいの知性の持ち主だったら、わしにくだらない相談事を持ち込むまい」

 
おもしろい話だな、と思いました。

当時のぼくは、まったくの自己流で瞑想らしきことをしていたら、
頭がすっきりして、何だか気持ちいいなと感じた。
そのくらいの経験しかありませんでした。

それでも、この寓話はぼくの心に響きました。
「そうか、神様は自分のなかにいるんだ」と、本気で信じることができたんです。

瞑想に本格的に取り組むようになったのは30歳になってからですが、
10代のころに漠然と得心したことは確信になりました。

 
いま、「神様」という言葉を使いましたが、「仏様」も同じです。
人間は困ったことに遭遇すると、「神様、仏様...」って神仏にすがるでしょ?

あれは自分のなかにいる神様、仏様、あるいはスピリチュアル的に言うと宇宙的自己、
大いなる自分に知恵を借りよう、そしていいほうに導いてもらおうとしているわけです。

禅では「衆生本来『仏』なり」って言います。

よく死んだ人のことを仏様って言いますが、ここにある「仏」はブッダという意味です。
2500年前の釈迦を指す場合もあるし、真理に至った人、あるいは悟りを開いた人、
覚醒した人を意味することもあります。

いずれにせよ、生きとし生けるものはすべて、本来はお釈迦様と同じ仏様だということ。
勉強しなくても、修行しなくても、人間はもともと無条件に仏様なのです。

 
もしかしたら。沖縄の「童神」って言葉も、これにすごく近いかもしれません。
生まれたときはみんな、ピカピカに輝いているでしょ?
それに、自由だし、活発だし、エネルギッシュだし、しかも2人として同じ人はいない。
まさにダイヤモンドですよ。

ところが、人生で苦い経験をするたびに、自分を「こうするべきだ」っていう枠にはめて、
自分で輝きを遮断してしまう。

ダイヤモンドを覆うその黒い影が、まさに自我の一部となります。
それを人間はいつしか、自分だと思っちゃうわけです。
でも、いいですか。本当は黒い影なんてなかったんです。

生まれたときは誰もが「童神」だし、「衆生本来『仏』なり」で、ダイヤモンドなんですから。
そのことをもう一度思い出すのが、とても大事なのです。


「自分はまさに神の分身、仏の分身なんだぞ。
しかも、この世にひとつきりの、とてつもなく貴重な存在なんだぞ」

いま、不幸・不運続きで自信を失ってしまった人は、
そういう肯定的な観念を身につけるといいですね。
だって、それは事実なんだから。

え、そんなふうには思えないって?
だったら、観念の書き換え方、新しい観念のつくり方を教えましょう。

鏡のなかの自分に向かって、声を出してこう言い続ける。

「自分はQKだ、私はOKだ、私はOKだ、私はOKだ.....」
バカみたい? でもね、言葉というのは意識に作用するから、
「言い続ける」ことはすごく効果があるんです。

誰もいないところでやってみてください。
最初のうちは、鏡のなかの自分が抵抗します。

「いや、ちっともOKじゃないよ」って。
それでも言い続けているうちに、新しい観念ができてきます。

「OKだ」がいやなら、「すばらしい」でもいい。
もちろん、「神だ」「仏だ」でも悪くはないんですが、言うときの抵抗がちょっとでも
大きくて、時間がかかるかもしれません。

神様・仏様はあなた自身なのですが、ふだんは存在を隠しています。

隠れているというよりは、自我という偽の自意識を背負わされて、
ぼくらは神様・仏様と分離した存在であるという錯覚を持たされています。

ぼくらは何とかして神たる大いなる自分を見出そうとしますが、
完璧なトリックで見えなくさせられている。

誰が仕掛けたかというと、神様・仏様であるところの、あなた自身なのです。

神様・仏様はそうやってあなたが分離のなかで生きることを求めています。
自我を計画したのも、自我を超えたいと願うのも、なにからなにまで神様・仏様の仕業です。

あらゆる喜び、苦しみ、恐れなど、すべてを神様自身が経験したがっていて、
一方であなたが分離というトリックから目覚めることを望んでいます。

 
自分で人間を幻想のなかに入れておいて、そこから脱け出るのを待っているのですから、
神様・仏様も暇ですね。

ぼくらはその〝暇神〟〝暇仏〟にハメられて人生を歩んでいるんですから、
どんな問題が起きても、高い壁にぶち当たっても、
もう深刻になったり、不要な責任を負ったりするのはやめましょう。

やがて何もかもうまくいきます。

だって、ぼくらは神様・仏様なのだから!

  (http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1416738867/2652


           <感謝合掌 平成27年5月25日 頓首再拝> 

資産家とお寺のハエ - 伝統

2015/06/01 (Mon) 17:25:18


ある和尚のところに資産家がこの先どうしたらいいか相談しにやってきました。

資産家は苦しい現状を話し、進退窮まっている状況を嘆いて懸命に話すのですが、
和尚はボロ寺の破れた障子と飛び回るハエのほうばかりを見ていて、
聞いているのかいないのか。

たまりかねた資産家が「和尚、私の話を聞いているのですか?」とたずねると、
和尚は「かわいそうに、このハエは外に出ようと何度も何度も障子にぶつかっておるわ。
ボロ障子であちこち破れて穴が開いているのにのぉ。」

 
資産を築いた人物だけに、これを聞いてハッとします。
今の自分はこのハエと何ら変わらないではないか! 

目先のことにとらわれて、実は何も見ていなかった自分に気づきました。

資産家は丁重に礼を言って寺を辞したそうです。

            ・・・

人は時に、些細なことにとらわれ、悩み苦しみます。
大河の中、下流に行きたいのに一本の杭に引っ掛かっているようなものです。
それならまだしも、引っ掛かっているのではなく、自分の手で掴んでいて、
困った困ったと言っていることが案外多いのかもしれません。

           <感謝合掌 平成27年6月1日 頓首再拝>

神さまがお隠れになった場所 - 伝統

2015/06/03 (Wed) 17:40:47


       *「「大丈夫!」は幸せになる魔法の言葉」福田純子・著(P21~22)より

こんなお話があります。

あるとき神様がため息をついて、まわりの者たちにいいました。

「人間がなんでもかんでも私に頼み事をするから、忙しくて大変だ」

それを聞いた者たちは、

「神様、どうぞ人間が来ない場所へお逃げください。ヒマラヤの山奥はいかがでしょう」

といいました。

すると神様はまだ浮かない顔をして、

「いや、人間のことだから山の上まで追ってくるだろう」

と答えました。

「では月へお逃げください」

とまわりの者たちが言うと、神様は、

「いやいや、ロケットがあるから、きっと月まで追ってくるにちがいない」

と、またため息をつくのです。

「困りましたね。どこに行っても追ってくる、人間の欲というのは果てしないですね。
そうだ! 名案があります。決して追ってこられないように、
ひとりひとりの心の奥にお隠れください! 」

すると神様は喜んで、

「なるほど、それはいい考えだ! 」

といって、ひとりひとりの心の中にお隠れになられたのです。

こうして人間は、ひとりひとりが神の化身だといわれるようになりました。

           <感謝合掌 平成27年6月3日 頓首再拝>

ある夏の日、大きな台風がやってきた - 伝統

2015/06/11 (Thu) 17:52:58


         *「変わりたいあなたへの33のものがたり」植西 聰・著(story1)より

ある夏の日、小さな町を、大きな台風が襲いました。
 
何日も前から、テレビのニュースでは、
「台風で洪水になる危険性があるので、町から避難して、できるだけ高い場所に移動してください」
と呼びかけていました。

町の人たちはしばらくの間、「まさか、そんなことはないだろう」と思っていましたが、
日に日に強くなる風と雨を見て、「これは、本当に恐ろしいことになりそうだ」と、
高台にある隣の町へ避難していきました。

ところが、ある一人の女性だけは、違いました。
「私はここにいます。だって、家を空けている間に、泥棒に入られたらどうするんですか? 
それに、神さまが守ってくださいますから大丈夫です」

そう言って、台風が迫ってきても、一向に避難しないのです。

その女性は、神さまの存在を信じていたので、なにがあっても
神さまが自分を救ってくれると信じていたのです。

数日後、その町を台風が襲いました。
大雨のせいで堤防が決壊し、町は洪水に見舞われました。
その女性の家にも水が襲ってきたので、女性は屋根の上に上りました。
その間にも、雨は強く降り続けています。

そこへ、屋根の上の女性を助けようと、一般の救命ボートがやってきました。
「早く乗りなさい。台風はますますひどくなりますよ」
 
でも、女性はその救いの手をはねのけました。
「そんなに小さなボートに来るのは、危険です。今だって、そんなにグラグラしている。
私は大丈夫。神さまが救いの手をさしのべてくださいますから」

説得に応じない女性を見て、ボートはその場を立ち去ってしまいました。
その間にも、水かさはどんどん増してきていました。
 
しばらくすると、空から救助用ヘリコプターがやってきました。
ヘリコプターは、ロープでできたハシゴを女性の頭上にたらしました。
「そのロープにつかまりなさい。水はもっと増えますよ」

ところが、女性がハシゴに手をかけることはありませんでした。
「こんなに風が強いのに、ロープのハシゴに上るなんて、危険すぎます。
それに、もしヘリコプターが落ちたらどうするんですか。
大丈夫。私のことは神さまが助けてくださいますから」

そう言って、断固としてヘリコプターに乗ることを拒んだのです。

その後、ますます水かさは増し、女性はとうとう死んでしまいました。

天国で神さまに会った女性は、こうたずねました。
「神さま、どうして私に救いの手をさしのべてくださらなかったのですか?」

すると、神さまは答えました。
「私は避難勧告や救命ボートやヘリコプターで、何度もあなたを救おうとしました。
それを拒んだのは、あなた自身ではないですか」


            ・・・


この女性のように、自分にだけは特別な形で神さまの救いの手が訪れる、
と思いこんでいる人も少なくありません。

もしかして、天から神さまの大きな手がさしのべられて、
自分を安全な場所に運んでくれると思っているのかもしれません。

でも、神さまが起こす奇跡とか、私たちに与えてくださるチャンスというものは、
そんなふうに神秘的な形に限ったものではないのです。

神さまは毎日、数え切れないほどのチャンスや幸せを、私たちに与えてくださっています。
でも、それはとてもさりげなくて、現実的な形でやってくることがほとんどです。

救いやチャンスは、注意深く見ていないと、
それがチャンスかどうかさえ、わからないこともよくあります。


そして、ここを一番注意してほしいのですが、
どんなチャンスにも、リスクがくっついているということです。

           <感謝合掌 平成27年6月11日 頓首再拝>

お釈迦様と悪口男 - 伝統

2015/06/13 (Sat) 18:30:04


         *「変わりたいあなたへの33のものがたり」植西 聰・著(story3)より

あるところに、
お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、
ひがんでいる男がいました。
 
「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい」

男はそう言いながら、
お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。
 
ある日、その男は、
お釈迦様が毎日、同じ道のりを
散歩に出かけていることを知りました。
 
そこで、男は散歩のルートで待ち伏せして、
群集の中で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。

  
「釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、
 汚い言葉で言い返してくるだろう。

 その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、
 アッという間に崩れるに違いない」
 
そして、その日が来ました。

男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、
ひどい言葉を投げかけます。
 
お釈迦さまは、ただ黙って、
その男の言葉を聞いておられました。

弟子たちはくやしい気持ちで、

「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」

とお釈迦さまにたずねました。


それでも、お釈迦さまは
一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。


男は、一方的に
お釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、
しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。

どんな悪口を言っても、
お釈迦さまは一言も言い返さないので、

なんだか虚しくなってしまったのです。
 
その様子を見て、お釈迦さまは、
静かにその男にたずねました。

「もし他人に贈り物をしようとして、
その相手が受け取らなかった時、
その贈り物は一体誰のものだろうか?」
 
こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。
 
「そりゃ、言うまでもない。
相手が受け取らなかったら
贈ろうとした者のものだろう。

わかりきったことを聞くな!!」
  
男はそう答えてからすぐに、

「あっ」

と気づきました。

 
お釈迦さまは静かにこう続けられました。
  
「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。 
でも、私はその ののしりを少しも受け取らなかった。 

だから、あなたが言ったことはすべて、
あなたが受け取ることになるんだよ」   
 
人の口は恐ろしく無責任なものです。
 
 
ウワサとか陰口というものは、事実と違って、
ずいぶんとでたらめなことがよくあります。

ウワサや陰口だけではありません。
  
図太い神経の持ち主で、目の前にいる相手に向かって、
直接ひどいことを言う人もいます。

「それ、私の上司です」

と苦笑いしたくなる人もいるかもしれません。
 
 
自分を非難されるようなことを言われたら、
たいていの人が、ダメージを受けます。
 
傷ついて落ち込んでしまったり、
腹が立ってイライラしたりすることもあるでしょう。
 

でも、お釈迦さまは、違いました。

人前で恥をかかされることを言われても
ちっとも動じません。
 
その場を立ち去ることもせず
じっと相手の話を聞いているのに、口応えもしません。
 
それでいて、
まったく傷ついたり怒ったりしないのです。
 
お釈迦さまは、相手の言葉を耳に入れても、
心までは入れず、鏡のように跳ね返しました

ですから、まったくダメージを受けないのです。
 
言葉は時として、人の心を
傷つけることのできるナイフになります。
 
しかし、

心がナイフより固くて強ければ、
痛くもかゆくもないのです。
 
ひどいことを言う相手を責めても、仕方ありません。
 

それより、自分の心を強くする方が、簡単で効果的です。
 
           <感謝合掌 平成27年6月13日 頓首再拝> 

「人生で起こることは、すべて最高なのだ」 - 伝統

2015/06/20 (Sat) 18:42:32


         *「ものの見方検定」ひすいこたろう・著(P229~232)より

インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に、ジャナカ(Janaka)王と呼ばれる人物が登場します。
ちなみにこのジャナカ王の娘はシータといい、
宮﨑 駿 監督の「天空の城ラピュタ」に登場するヒロインの原案となりました。


で、このジャナカ王には、王の信頼を集める忠臣「アシュタバクラ」がいました。

アシュタバクラは、王から「これについて、おまえはどう思うか?」と聞かれるたびに、いつも
「起こることは、すべて最高でございます。起こらなかった事も、すべて最高でございます」
と答えたのだそうです。

ある時、王は手にひどい怪我を負います。
日頃から、王の信頼を得ているアシュタバクラを快く思っていなかった臣下達は、
これはチャンスとばかり、アシュタバクラに訪ねました。

臣下:
「王様が、手にお怪我をされた事をどう思うか?」

アシュタバクラ:
「起こることは、すべて最高でございます。」

これを聞いた臣下達は、アシュタバクラが王の怪我を喜んでいると、王に告げ口をします。
かくしてアシュタバクラは牢屋に閉じ込められてしまうのです。
アシュタバクラ、ピーンチです。

そんなある日、王は狩りに出かけます。
王が出かけた狩場の近くには、人肉を神に捧げるという野蛮な人種が住み着いており、
運悪く王の一行は襲われて、捉えられてしまいます。


薪が焚かれ、今まさに生贄にされようとする王・・・・。

しかし人喰い人種たちは、王が手に怪我をしているのを発見します。
怪我で「汚れている」人間を神に捧げたのではタタリがあるというので、
王は生贄にされるのを中止され、無事に開放されます。

なんとか城に生きて帰れた王は、手の怪我のお陰で命が救われた事を思い至り、
アシュタバクラを牢屋から出して謝ります。


王:
「私が間違えていた。この手の怪我のお陰で命が助かったのだ。
お前の言うことは正しかった。許して欲しい」

アシュタバクラ:
「いえ、感謝しなければいけないのは私の方です」

さて、どういう事でしょうか?。
どう考えてもアシュタバクラは、早とちりの王と、
心が狭い臣下達にひどい目に合わせられた筈です・・・。


アシュタバクラ:
「王よ。私はいつも、起こることはすべて最高だと申し上げているではありませんか。
もしも私が牢屋に入れられていなかったら、私は他の臣下同様に王の狩りにお伴していた
事でしょう。そしていっしょに捕まり、手に怪我をしていない私は生贄になっていた筈です。
だから、牢屋に入れていただいて最高だったのです。」


これを聞いて王は悟りました。

「そうか! 人生で起きることは、本当にすべて最高なのだ。
一見良くない事が起こっているように見えても、広い視野で見れば最高なのだ。
ただそのことに気がついていないだけなのだ」


           <感謝合掌 平成27年6月20日 頓首再拝> 

それぞれの生き物の寿命 - 伝統

2015/06/22 (Mon) 17:56:09


神様が世界を創って、それぞれの生き物の寿命を定めようとしました。

すると、ロバがやってきて、「神様、私はどのくらい生きますか?」と尋ねました。
「30年だ。」と神様は答えました。「それで満足か?」

「ああ、神様」とロバは答えました。
「それは長いですね。私の骨の折れる毎日を考えてください。朝から晩まで重い荷物を運び、
他の人たちがパンを食べれるように粉ひき小屋までなん袋も穀物を引きずっていき、
ぶたれたり蹴られたりする他は何も励ましてもらったり元気づけてもらったりしないのです。
この長い年月を少し減らしてください。」

すると神様はロバを可哀そうに思い、18年減らしてあげました。

ロバはホッとして去り、犬が現れました。

「お前はどれくらい生きたいかね?」と神様は犬に言いました。
「ロバには30年が多すぎたのだが、お前はそれでいいだろう。」

「神様」と犬は答えました。
「それが神様の思し召しですか? 私がどれだけ走らないといけないかお考えください。
私の足はそんなに長くもちません。それにいったん声が出なくなり吠えられなかったり、
歯が無くなってかみつけなくなれば、私に残るのはすみからすみへ走って行き唸るだけです。」

神様は犬の言うことをもっともだとわかり、12年寿命を減らしてあげました。

すると猿が来ました。
「お前はきっと喜んで30年生きるだろうな。」と神様は猿に言いました。
「お前はロバや犬のように働かなくていいし、いつも楽しくやってるからな。」

「ああ、神様」と猿は答えました。
「そんな風に見えるかもしれませんが、全然違います。
キビがゆが降ってきても、スプーンがありません。

私はいつも楽しいいたずらをしたり、いろいろ変な顔をして人々を笑わせなくてはならないのです。
りんごをもらってかじってみると、まあ、酸っぱいこと。どれだけ喜劇のかげに悲劇ありなことか。
30年もとてももちません。」

神様は恵み深く、10年減らしてあげました。


最後に人間が現れました。
人間は楽しそうで健康で元気いっぱいでした。
そして寿命を決めてくださるよう神様にお願いしました。

「お前は30年生かそう。」と神様は言いました。
「それで十分かね?」

「何て短いんでしょう。」と人間は叫びました。

「私が家を建て、火を自分のかまどで燃やし、木を植え花が咲き実を結ぶとき、
私は死ななくてはなりません。ああ、神様、私の寿命を延ばしてください。」

「それではロバの18年をそれに足そう。」と神様は言いました。

「それでも十分じゃありません。」と人間は答えました。
「犬の12年もお前にやろう。」「まだ少なすぎます。」

「ええと、それでは」と神様は言いました。
「猿の12年もやろう。だがそれ以上はだめだぞ。」

人間は去っていきましたが満足していませんでした。
それで人間は70年生きるのです。

最初の30年は人間の年月ですぐ終わり、
そのときは健康で明るく、楽しく働き、自分の人生を楽しみます。

次にロバの18年が続き、このときは次から次へと重荷を背負い、
他の人に食べさせる穀物を運ばなくてはなりません。
そしてなぐられたり蹴られたりするのが、一生懸命務めたことの報いです。

それから犬の12年が来ます。そのときはすみにいて、うなり、もう噛む歯がありません。

これが終わると、猿の10年でおしまいになります。
そのとき人間は頭が弱って愚かになり、ばかげたことをして、子供たちの笑い者になります。

http://www.ab.auone-net.jp/~grimms/grimm198/dure.html

・・・

この話に関連し、名優森繁久弥が、生前、“徹子の部屋”で次のように述べていたそうです。


人間が神様からもらった命は30年。
30年は好き勝手に悪いことやバカなことをして生きて来ましたが、
30の声を聞くと肩に重み(責任・役割)を感じるようになります。

そこからはロバからもらった命ですから、
それは背中に背負っているものの重みを自覚しながら生きて行くことになる訳です。

そして、50の声を聞くようになってくると社会的な地位もついて、
部下や年下の者に説教や講釈を垂れるようになります。
これは犬からもらった命ですから、やたらと噛み付きたがるのです。

さらに12年経って、60になると社会においても引退時期が近づいてきます。
今度は年下や若者に迎合するようになり、まだまだ若いということを誇示しようと、
彼らの真似(猿真似)をしたりします。

また、人生経験も豊富なので猿知恵も備わっています。

森繁に言わせると、そうして70を過ぎたら「恍惚の人」となるそうです。

     (http://blogs.yahoo.co.jp/nobu_aidasort5694/1970937.html

           <感謝合掌 平成27年6月22日 頓首再拝> 

仙人と鼠のお話 - 伝統

2015/06/25 (Thu) 17:58:24


         *メルマガ「魂が震える話(2014-12-06)」より

昔々、森の奥深くに仙人が暮らしていました。

ある日、仙人が食事をしようと腰をおろしたときのことです。

突然、空から鼠(ねずみ)が落ちてきました。

どうもカラスが落としたようです。

仙人は鼠を家に入れ、お米を食べさせてやりました。


ある日、猫があらわれ鼠を追いかけ回しました。

仙人は自分の可愛がっている鼠が食べられてしまうのではないかと心配になりました。
そこで神通力をつかって鼠を猫に変え、もう他の猫に襲われないようにしてやりました。

次の日、犬があらわれ猫を追いかけ吠え立てます。そこで仙人は猫を犬に変えました。
またある日、犬は虎を見ておびえました。すぐに仙人は神通力で犬を虎に変えてやりました。


姿が変わっても、仙人はいつも虎が小さい鼠のままであるかのように接していました。


近くを通りかかる村人は

「あれは虎なんかじゃねえ。
神通力で見た目だけ変えられた、ただの鼠なんだってよ。
襲ってくることもないし、怖くもなんともねえよな」

といつも虎をバカにするのでした。

虎は村人にバカにされるたびに、はらわたが煮えくり返る思いでした。

「仙人がいる限りは自分の本性を隠すことができないんだ。
あいつにはいなくなってもらうしかない」

と、虎はとうとう仙人を殺す決心をしました。


しかし仙人は虎が頭の中で何を考えているのかをお見通しだったので、
虎が自分のほうに近づいてくると「鼠に戻れ!」と命じました。

その瞬間に虎は小さくなり、また元の鼠に戻っていました。


仙人は哀れみの眼差しを鼠に向け、

「自分が何であろうと関係ないのじゃよ。
強かろうが弱かろうが、謙虚でいることが大切じゃ」

と語りかけました。

_______


「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

ということわざも有りますね♪

稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人
間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、
小人物ほど尊大に振る舞うものだということです。


このお話の中では、
ネズミは仙人のおかげで様々な難を逃れ助けられたにもかかわらず、
調子に乗って謙虚さを忘れてしまいます。

強くても弱くても、大企業でも中小企業でも、子供でも大人でも、
どのポジションであろうが、謙虚さは大切だと思います。



僕が思う謙虚な人というのは、
誰かと比べて自分の方が上だ下だって言うんじゃなくて、
自分の目標を高くかかげているからこそ、
それに対して「今の自分はまだまだ未熟です!」って言えるんだと思います♪


自分の未来や将来の可能性を信じているんです♪


           <感謝合掌 平成27年6月25日 頓首再拝> 

泣き婆さんが幸せになった話 - 伝統

2015/06/28 (Sun) 18:11:18


         *「禅、「あたま」の整理」藤原 東演 (著)より

あるお婆さんには息子が二人いて、
兄が桶屋、弟が傘屋であった。

雨の日が続くと、

「これじゃ洗濯もできないから、桶が売れない。
 長男がかわいそうだ」

と言って泣く。


晴れの日が連続すると、

「これじゃ、傘が一本も売れない。
 弟が困る」

と泣いた。


お婆さんがある人に相談すると、

天気が良ければ、
長男の桶が売れていると喜びなさい、

天気が悪いときは
弟の傘が売れると喜びなさい、

とアドバイスした。


お婆さんはすっかり
幸福になったという。

     ・・・


人間には2つのタイプがあるとわたしは思っている。

人生はなんて辛いことばかり、
つまらない仕事ばかり、
きっとうまくいくわけがない、
悪いほうへいく、

と悲観的に考えてしまうタイプ。


そして、
人生はおもしろくて
仕方がない、
仕事も楽しくていい、
なんとかなるよ、
うまくいくよと

楽観的に考えるタイプの2つである。



弘前に桜を見に行ったとき、
タクシーの運転手さんから聞いた話である。

ある年、東北地方が
台風のためにりんごが落ちて、ひどい被害を受けた。

ほとんどの農家は

「今年は大損害だ。 どうにもならない」

と絶望意的になった。


ところがある人は

「りんごが落ちて損したが、
 こんな台風でも 落ちなかったりんごがあるではないか。」

「残ったりんごを使って 儲けられないものか。」

「そうだ。

 “受験に落ちないりんご”

 として売り出したらどうか」

と考えた。

この発想で売り出された商品が評判となり、
結構収入があったという。


やはり楽観タイプの方が、
ものごとをソフトにうけとめられ、
そのゆとりからプラスのアイディアが
生まれてくる可能性も高い。

できたら何事にも屈託のない
楽観的なタイプになりないと思う。

http://yukata-diary.seesaa.net/article/113549235.html

           <感謝合掌 平成27年6月28日 頓首再拝> 

江戸時代にあった世にも恐ろしき猫の恩返し - 伝統

2015/08/05 (Wed) 20:03:39

             *Webより

知人K氏の祖母の母のそのまた母、つまりK氏曾々祖母に当たる
青山シノ女(仮名)は某村の庄屋の娘だった。

シノ女14歳の時に、長い事寝たり起きたりを繰り返していた祖母の隠居が死んだ。

その少し前に息子夫婦(シノ女両親)が若くして死んだので、
病身ながら事実上の当主として、一家の傾いた台所の采配を
布団の上から気丈に振るい続けていた。

当主たるシノ女の兄は身体が弱く、19歳だがまだ嫁も迎えていなかった。



当家には仲の悪い分家が一つあった。

隠居の具合が悪化するにつれ、本家の現状に目を付けた
分家の主が足繁く訪ねてくるようになった。

日ましに態度を増長させてゆく分家の主を幾度も追い返しながら、
隠居はじっと黙り込んでいる事が多くなった。

隠居は一匹の猫を生まれたときから育てており、
普段から何くれとなく世話をしては可愛がっていた。

シノ女が物心付いた時にはもう老猫で、
飼い主同様部屋から外へ出ることはほとんどなかった。



通夜の当日は雨天であった。

集まってきた客や親戚連中が
「隠居の涙雨かいな」
など無責任な軽口を叩く中、件の分家当主も家族を引き連れ現れた。

かの人(分家の主)の内心の喜びは子供のシノ女の眼にも明らかだった。

兄が相手をしている間、シノ女はどうしても厠に行きたくなった。

住持の到着には少し間があったので急いで席を立った。

座敷を出ると外はもう豪雨、厠は炭部屋沿いに廊下を抜けた先にあった。

厠から出て手を洗いつつ、今後の自家の行く末を思いやり心細さを募らせていると、
果たして障子のすぐ向こうより轟々たる雨音に混じって

「安心おし」

と隠居の低い声が聞こえた。

ハッと障子を開けたが誰もおらずシノ女の背筋は凍りついた。

座敷に戻ろうと廊下へ出た途端、炭部屋の方から

「キャッ」

という叫び声。

驚きのあまり一瞬恐怖も忘れ駆け付けると、
手伝いの農婦が二人で抱き合い土間にヘタリ込んでいた。

どうしたのかと声をかけると

「隠居さんが…隠居さんが…」

と言いながらガタガタ震えているばかり。

よくよく問い質してみるに、座敷に面した中庭

――その庭石の上に、仏間に横たわっているはずの隠居が
雨の中蹲って、じっと座敷を覗いているのが見えた――

と慄きつつ言う。

しかし、二人の指差す先に恐る恐る視線を走らせたシノ女の眼に映ったものは、
何やら布のようなごく小さな塊だった。

何かしらんと眼を凝らすと、不意にそれがムクムクと動いて持ち上がった。

布の下から見えたのは毛に覆われた細い足が二本。

それは、隠居が日頃可愛がっていたかの老猫であった。


「アッ」

と声を上げた瞬間、座敷から今聞いたどころではない、
とてつもなく物凄い悲鳴が上がったかと思うと、中庭に面したあちこちの障子が開いて、
通夜の客が雨の中傾れを打つようにして一斉に転げ出て来た。

座敷では腰を抜かして動けない人々が震えているその側で、
分家の主が経帷子の隠居の死骸に抱き付かれ七転八倒していた。

やがて我に返った皆が近付いてみると、
かの人は持病であるところの心臓発作が出たのか青い顔でウンウンと唸っていた。

数人が寄って集って幾ら死骸を引っ張っても離れず、
途方に暮れているところに住持が現れた。

住持はその光景を一見して目を丸くしたが、
やがて死骸の傍らに座って御真言を唱え一喝するや、
死骸の腕は嘘のようにアッ気なく離れた。

その頃には病人はもう既に虫の息だった。

村医者はまだ弔問に来ておらず、マゴマゴしている内にとうとうそのまま死んでしまった。

村医者氏が到着したのはスッカリ冷たくなった後で、
大雨で道が崩れていたので遠回りしてきた由であった。

猫は騒ぎの合間に走り去ってしまった。
新たな死骸は家族が泣き喚く中、戸板に乗せられて当人の家に運ばれていった。



猫が被っていたのは隠居の病室の押入れにあった袱紗であった。
訳を聴いた住持がそれを引き取って懇ろに供養した。

住持は

「24年も生きた猫だから、いずれは化けもしようと思っていた。
化け物なりに隠居の思いを汲んで自分が出来ることをし、それが見事果たされたのだから、
今後この家に現れることは二度とない。猫は元来そういう生き物だから」

と言った。

事実、それからかの猫の姿を見ることはなかった。



主の急死とともに分家は急速に没落し一家は離散してしまい、
後に残った分家の土地も全て本家のものになった。

猫の祟りと隠居の怨念を眼にした上は、
もう誰も本家に手をつけようと画策する者は無かった。

シノ女は翌年嫁し、病弱であった兄も徐々に健康を取り戻し、
やがて娶ると程なく何人もの丈夫な子供たちに恵まれた。

本家は元通り裕福になった。


昔々、江戸が東京になる前の、世にも恐ろしき猫の恩返しの話。
( http://kowai-story.net/archives/7824


           <感謝合掌 平成27年8月5日 頓首再拝> 

ある洪水の多い町に住んでいる男の話 - 伝統

2015/08/11 (Tue) 17:34:58

ある洪水の多い町に住んでいる男の話です。

           *Webより

その男はとても信仰深い男で、
自分にどんな災いが降りかかろうとも
神が救ってくれるから大丈夫だと信じていました。


そんなある日、町を飲み込んでしまうほどの
大洪水が起きてしまって、町中の人が
非難しなければいけない自体がおきたのです。


その男が1人暮らしをしている事を知っている知人の1人が、
洪水がひどくなってきたので、ジープでその男を迎えに行き、
すぐに一緒に非難するように言いました。


でもその男は

「神が救ってくれるから大丈夫だ!」

と言って助けを拒みました。



やがて洪水はひどくなり、
町全体が腰の高さまで水浸しになってしまいました。


そのとき、ボートに乗って非難している人が通りがかって、

「一緒に乗せてあげるから、今すぐ出てくるんだ!」
と助けてようとしてくれました。



しかしその男は

「神が救ってくれるから大丈夫だ!」

と言って助けを拒みました。



いよいよ、洪水は激しくなり町全体を飲み込みはじめて、
男は屋根に登って神の助けを待ちました。


そこでレスキュー隊がヘリコプターに乗って現れて、
男を助けだそうとしました。


それでも男は、「神が助けてくれるから大丈夫だ!」と言って、
助けを拒んだのです。


そして男はまもなくして、洪水に飲まれて死んでしまいました。


男は死んでしまってから大神官のところに行って、 怒っていいました。


「ずっと待っていたのに、なぜ助けてくれなかったのか!」

大神官は言いました。

「ジープと、ボートとヘリコプターを行かせただろう」

         ・・・


この話を読むと、おかしい男に見えたかも知れません。
でも、実は日常、私たちの目の前では同じ事が起きています。

           <感謝合掌 平成27年8月11日 頓首再拝> 

ある高齢の大工の話 - 伝統

2015/08/17 (Mon) 19:45:31


      *「読むだけで運がよくなる77の方法」
        リチャード カールソン:著(P20~22)より

《あきらめたら、後悔するよ》

引退しようとしているある高齢の大工の話を紹介しよう。
この話が私は好きだ。とても大切なことを語っているからだ。

         ☆      ☆      ☆


その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、妻と一緒にのんびり暮らそうと思った。

雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれないか」と頼んだ。
大工は承知したが、真剣に仕事をする気はなかった。

粗悪な材料を使い、手を抜いた。
キャリアを積んだ優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事だった。

家は完成した。
点検にやって来た雇い主は、玄関のカギを大工に渡していった。

「この家はあなたの家です。私からのプレゼントです」

大工は、大ショックを受けた。
ひどく恥ずかしかった。

自分の家を建てているとわかっていたら・・・たぶんもっと頑張っただろう。

         ☆      ☆      ☆


私たちもこの大工と同じだ。

毎日毎日、人生という家を建てている。
だが、建てていることに全力を尽くしていないことが多い。

そしてずっと後になって、自分がつくりあげた人生(建てた家)に
一生住みつづけなくてはならないことを知ってショックを受ける。

もう一度、やり直すことができたら、まったくちがうことをするだろう。
だが、その時はもう、後戻りはできないのだ。

あなたに後悔してほしくない。


あなたも私も、大工のことを笑えない。
私たちは人生という一生住みつづける家をつくっているが、
果たして最善を尽くしているか・・・

「ベストを尽くせ」という言葉は耳にタコができるほど聞かされた言葉かもしれない。
それから「あと、ひと頑張りだ」という言葉も。


でも、もう一度いおう。

いま、取り組んでいることに全力を尽くすと、
思いがけないところから幸運がもたらされることが多い。

もうダメだとか、おしまいだとか思っても、
もうひと頑張りすることが何より大切である。
それをどうか忘れないでほしい。


   あと、ひと頑張りだ!

   もう一歩だ!


           <感謝合掌 平成27年8月17日 頓首再拝> 

[寓話] 幸福への道 - 夕刻版

2015/08/21 (Fri) 19:00:51


            *『白鳩』誌(昭和22年10月号)より

それはギリシャの街です。 昔のことです。

一人の賢者が街のまがり角に坐っていました。 

そこへ腰のすっかりかがんだ人がやって来てその足もとにすわって、

「賢者さま、どうぞわたしをお救け下さい」 と申しました。

「あなたのなやみは一体なんですか。 その苦しそうな息づかい、そのなやましい眼つき、
つかれた歩調、あなたがなやんでいることは一眼みてわかります。 
何なと力になってあげましょう。 あなたの苦しみは何ですか。 おっしゃって下さい。」

この賢者がいいますと、疲れた人はその濁った眼を地面にふせて、おそるおそる申しました。

「賢者よ、わたしの苦しみと申上げましたらあまりにも多いのです。 
浜の真砂はかぞえられても、私の苦しみはかぞえられそうもありません。 
私は金もなく、仕事もなく、健康もなく、友達もないのです。 

すべての善いものが悉くくだけてしまったのです。 
悪い事だけが、群って集ってくるのです。 
どんな手段を講じても、この不幸には敵たいすることは出来ないのです。」

賢者は答えました。 

「もう、あなたの云うことはそれでわかりました。 
可哀相に! 併し、あなたには、たった一つその不幸から逃れる道があるのです。 
あなたがその道へ行くならば、その不幸が一つでも、数多くでも区別はありません。 
みんな救われる道なのです。」

 
「それは一体どんな道ですか。」


「それは光の道なのです。 光が闇によって遮られたのを貴方は見たことがありますか」

「え ・・・・ 」

「それは空気のように無抵抗の道なのです。 
どんなにくだいても空気はきずつくことがないでしょう。 
空気には如何なる重荷もかるく、光にはどんな闇も明るいのです。 
神、わが軛は易く、わが荷は軽しと仰いました。」

 
「その光の道を、空気の道を教えて下さい。」 

となやんでいる其人の眼は輝いて見えました。 

「このままで私が歩いていると、私はもう街の埃の中に倒れて死んでしまうほかはありません。 
どうぞ私が再び力をとり戻して立上れる其の新しい道をお示し下さい。」


その時、賢者は指を向うに向けました。 
そして 「あれを御覧なさい」 と云いました。 

「あそこに水甕があります。」

道ばたの草むらの中に水甕があって、その中には濁った水がたまっておりました。

 
「あの水甕の中の水は濁っておりますが、最初からあんなに濁っていたのではありません。 
あれは、お空から降って来た美しいキレイな雨水がたまたまあの中へ陥ち込んで、
再びお空へ帰りたいと思っているのです。 
さてどうしたらあの雨水がお空へ帰って行くことが出来るとお考えでしょうか。 ・・・・ 」

 
なやんでいる人に答えることは出来ませんでした。 ジッと聴き入っているばかりです。

賢者は言葉をつぎました。

「あの雨水が、若しあの甕からあせって逃れ出ようと思うならば、
それは却って下に溜っている濁りをかき立て、自分が‘きたなく’なるばかりです。

それなら、濁りを沈める沈殿剤と云うのでも入れたら、
一寸みると澄み切るように見えましょうが、
それでは最初の汚水を次の沈殿剤に置きかえたに過ぎないのです。 

それでは却って水そのものの純粋をそこなうばかりです。 
若し手を壺の中へいれて、その泥土を下へ沈めようとして押し下げでもしようものなら、
折角、底に沈殿していた泥をかきまぜて水は一層きたなくなるばかりです。 

あなたよ、どうしたら此の雨水が、純粋に元のきれいな水になって、
あのお空へかえって行くことが出来るとお考えですか。」


「わたしにはわかりません。」


「この壺の濁りの中に陥った雨水が、
きれいな水になってお空にかえることの出来る道はただ一つ上を見ることです。 
あせることでも騒ぐことでもありません。 

誰にでも悩みを解消する道はひらかれているのです。 
これはどんな人間的な手段をも捨ててただ上を見ることです。 
上を見てそのまま素直に、太陽の光に、その愛に、その温かさにまかせることです。 

そのとき、どんなに今落ち入っている壺の泥が深くなろうとも、
雨水は純粋な水蒸気になってお空にかえることが出来るのです。 

それと同じく、あなたは上を見ることです。 
悪に抵抗(てむか)うな。 
悲しみの中にあせることをするな。 

これは壺の中のよごれをかきまわすことにすぎないのだ。 
抵抗(てむか)わないとき、悪は消え、不幸は消える。 
そのまま素直に光の導きに従って天国へのぼるのです。」


なやんでいた人の顔は急に明るくなったのです。 
その瞬間、まるで太陽に照らされた光のような表情にかわりました。

 
「わかりました。 ありがとうございます。 
泥水に抵抗(てむか)わないと同じように、私は私の不幸に抵抗(てむか)わないで、
素直に光ばかりを見詰めて生活してまいります。」 

こう云って彼は一礼すると、街を蘇生(よみが)えった生々した足どりで歩き出しました。

 
太陽が輝いていました。 
彼の前途に、そして彼の足もとに。 

賢者はソクラテスでした。 
ソクラテスは彼の後姿を、しばらく合掌して拝んでいました。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/f7eaf0e9e8479370e20a876d69664230


           <感謝合掌 平成27年8月21日 頓首再拝> 

仲の悪い嫁と姑の話 - 伝統

2015/08/30 (Sun) 19:38:25


        *「読むだけで「人生がうまくいく」48の物語」中井俊己:著より

「感謝に勝る良薬なし」


昔、仲の悪い嫁と姑がいました。

... 姑は、病気がちでいつも機嫌が悪く、事あるごとに嫁をいびります。

「うちの嫁は、要領が悪くて、怠け者で……」

と本人に聞こえるように言うだけでなく、近所や親戚にも言いふらします。

夫は、嫁の前では、「お母さんは言い過ぎじゃないか」とは言うものの、
病気の母親の前に出ると口答えのできない人です。
 
嫁は姑にいびられるたびに、いい嫁になろうと努力します。
 
しかし、いくら努力しても、陰湿ないじめをやめない姑に
次第に憎しみを募らせていきます。
遂には、いっそ姑が消えていなくなればよいと思うほどになりました。

そんな暗い思いをもつ自分に、嫁はまた苦しみました。


そこで、あるとき、信頼できる僧に自分の悩みを打ち明けます。

するとその僧は、こう言いました。

「そうか、ではお前の望みをかなえてやろう。
簡単なことだ。この薬を姑の食事に少しずつ混ぜるのだ。
すると、姑の体はだんだん弱まっていき、一月もすると消えてなくなるじゃろう」

嫁は驚きました。

「……つまり、一月で死ぬということですか?」

僧は平然としていました。

「人は皆、死に向かっておる。
誰でも老衰する。 
ただそれを早めるだけのことじゃ」

「でも……」

「ただし、この薬を使うにあたって一つ条件がある。
この薬を入れた食事は多少味が悪くなる。

姑に気持ちよく食べてもらうためには、食事を出すごとに、
何でもいいから感謝の言葉を述べるのだ」

「感謝の言葉、でございますか?」 

嫁は食事に薬を混ぜるよりも、
姑に感謝の言葉を口にする方がずっと難しいような気がしました。
  
家に帰ると、姑のいつもの突き刺すような目が待っていました。

「どこで油を売っておったのか、お前はいつも帰りが遅い、グズで要領が悪い」

などと姑から罵詈雑言を浴びせられました。

「申し訳ありません」
 
嫁は頭を畳につけて謝ると、台所に駆け込み、涙ながらに、
食事の支度にとりかかりました。
 
そして、良心の呵責を覚えながらも、
僧からもらった薬を少しだけ混ぜて姑の前に出しました。

僧から言われたとおり、何か感謝の言葉を口にしなければなりません。

「お母さん……」

「ふん、なんだい、また同じようなおかずか。
お前は料理が一向に上達せんの」

「はい、ありがとうございます」

「何? なんだって……」

「ありがとうございます」

「どういうことだ」

「私は、本当に料理が下手です。
ですから、お母さんが私の下手な料理でも食べてくださるだけで、ありがたく思うんです」

姑はちょっと不思議そうな顔をしましたが、黙って料理に箸をつけました。
そして、黙々と食べると箸を置く前に一言つぶやきました。

「今日の料理、ちっとはうまかったぞ」
 
嫁は驚きました。 
なぜなら、初めて姑に誉められたからです。

そんなことがあっても、これまで積もりに積もった姑に対する憎しみが
消えるはずはありません。
 
嫁は僧が言ったとおり、料理に少しずつ薬を混ぜ、
姑に毎回必ず感謝の言葉を言うようにしました。
 
お母さんに、味噌汁の作り方を教えてもらったこと。
お母さんに、掃除の仕方を教えてもらったこと。
お母さんに、裁縫のコツを教えてもらったこと。
 
自分はまだ十分にできないが感謝していると繰り返し伝えました。
 
お母さんから言われてきた数々の叱責の言葉も、
自分の励ましにしていきたいと感謝しました。
 
嫁は、始めは心にもない言葉を並べているように思えました。
 
しかし、毎日感謝の言葉を口にするたびに、
自分の心が次第にほぐれていくのが不思議でした。

そうしているうちに、姑の嫁に対する態度が明らかに変わっていきました。
嫁を見るときの顔が柔和になってきました。
それどころか、陰で、嫁のことを誉めることもありました。

夫には「お前はいい嫁をもらった」と言い、

近所や親戚には「うちの嫁は息子が選んだだけあって、できた女だ」
と自慢するようにもなったのです。

それに応じて、嫁は姑に対する憎しみが薄らいでいきます。 
それどころか、病気がちで立つことも歩くこともできない姑の身になってみると、
これまでの自分に細やかな愛情が足りなかったのだと気づかされました。

嫁の心に次第に激しい後悔の念が湧き上がります。

私は、あの姑を体よく老衰したように見せかけ、毒殺しようとしている。
なんという恐ろしいことだ。
なんという罪なことだ。

いたたまれなくなった嫁は、僧のところへ駆け込みます。
 
そして、泣きながらに訴えます。

「お坊さま、私の間違いでした。
私は、なんと罪深い女でしょう。
どうかどうかお許しください。

お坊さま、ともかくお母さんを死なせたくありません。
どうかあの毒を消す薬をください。
お願いいたします。お願いいたします」

泣いて頼む嫁に、僧は言いました。

「案じるな。
あれはただ海草を粉にしたものだ。
毒ではない。

毒を消す薬、と申したな。
覚えておきなさい。

心の毒は、感謝することで消えるものじゃ。
どうやらお前の心にあった毒は、もうすっかり消えてしまったようだな」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

感謝の心は人間関係を良好にし、心を浄化していきます。

「ありがとう」「ありがとうございます」
と、口に出して伝えることが、自分にとっても相手にとってもよいことです。
 
相手の態度が変わっていくことがあっても、
実際にはそう簡単ではないでしょう。

でも、いいのです。自分は確実に変わっていきます。
 
いっそう安らかな幸せな気持ちを取り戻せるようになっていきます。


★幸運になれるヒント★
                              
               感謝の言葉を口にする。  (^.^)


           <感謝合掌 平成27年8月30日 頓首再拝> 

「あの世」から「この世」への観光旅行 - 伝統

2015/09/03 (Thu) 19:31:48


            *「あの世に聞いた、この世の仕組み」
             ~雲黒斎・著(第4章「この世ツアーズ」P65~74)より

《「あの世」から「この世」への観光旅行》

   今回は、「この世ツアーズ」という話を紹介しよう。

   人生は「旅行」みたいなものだよ。
   そう、「あの世」から「この世」に観光に来たんだ。



 ~機内アナウンス~

   「アテンションプリーズ。アテンションプリーズ。
   本日は、マザー・エアラインズをご利用いただき、誠にありがとうございます。

   ご搭乗いただきましたこの便は、
   現象界・産婦人科国際空港行きMAL49(子宮)便でございます。

   離陸後、出生までの飛行時間は、十月十日を予定しております。
   これより先、若干の揺れが予想されます。
   みな様の安全のため、へその緒をご確認ください。

   揺れによりご気分が悪くなられましたら、客室乗務員へお申しつけください。
   当機自らが身代わりとなり「つわり」として対応させていただきます。

   また当機のフライト時間は長時間になります。
   エコノミークラス症候群回避のため、途中、適度な運動(胎動)をお願いいたします。
   それでは到着まで、ごゆっくりおくつろぎください」

   おまえは、そうやって生まれてきた。

   出生時の産声は

   「ああ、やっと着いた~! は~、ずっと飛行機の中で座りっぱなしだったから体痛て~」

   という心の叫びだよ。


   到着後はレンタカーを使った完全フリープランだ。
   私とともに出発前に計画した観光地をめぐる。
   レンタカーはその体だよ。

   おまえはその体を借りたことすら忘れているだろうね。
   だからほら、今日はそのとき契約したレンタカー屋さんの営業さんをお連れした。


   『○○様、お久しぶりでございます。
   私、アノヨレンタリース営業部・カスタマーサービスセンターの轟連太郎でございます!
 
   え? やっぱり私のことをお忘れですか・・・
   ○○様がこちら(この世)へのご旅行へ出発なさる際、
   そのレンタカー(体)の契約時にお会いしていたじゃありませんか。

   やっぱり、思い出せませんか? そうですか…。

   風の噂で、この世の皆様は、あの世でおこなった「貸渡契約内容」を
   すっかりお忘れになっているという話を聞いておりましたが・・・。
   いやはや、まさか、本当の話だったとは・・・。

   それでは、ちょっとこの場をお借りして、
   あの時の契約内容を、再度ご説明させていただきますね。

   私どもアノヨレンタリースでは、
   この世へご旅行される方を対象とした「車両貸出事業」を行っております。

   みな様にご利用いただく車両につきましては、ご旅行プランをヒアリングし、
   その計画に沿った「完全オリジナル」の車両をご用意させていただくことになっております。

   ご利用期間は、お客様のご希望に合わせて契約させていただいております。
   この、ご利用期間のことを、皆さんは「寿命」とお呼びのようですね。

   お車は、ご利用の最終期日になりますと、
   そのまま廃車になるよう予めプログラムされています。

   廃車になる要因は、故障や事故など、事前にヒアリングさせていただいた
   お客様のご要望に合わせてプログラムしております。

   当社の施したドライバーセーフシステムの安全性は抜群です!
   どのようなシチュエーションで廃車になっても、
   ドライバー(魂)が「死ぬ」なんて事は絶対にございません! 

   最終最後まで、どうぞ安心してドライブをお楽しみください。


   また、ご利用期間が終了し、車が廃車になった際は、
   当社スタッフが皆様をお迎えに参りますので、あの世へお帰りの際も安心です。

   ただし、スタッフがお迎えにうかがうのは、あらかじめご契約させていただいている
   「ご指定の場所・日時」限定です。

   万が一、お客様が「自損事故」で当初の旅行プランより早く車を失ったとしても、
   当社ではお迎えを出せません。あの世に帰ってこれなくなったとしても、
   当社では一切責任を負いませんので、あらかじめご承知おきください。


   貸し出しする車両の台数は、お一人様1台限定とさせていただいております。
   ご旅行中の途中乗り換えはできませんのでご了承ください。


   また、ご旅行中の修理やメンテナンス、車検、また、事故が起こった場合の処理に
   つきましても、お客様の自己責任で行っていただきます。

   ご旅行中に大きな故障が現れたとしても、
   代替車はご用意できませんので、どうぞ大切にご利用下さい。

   ただし、お客様のご希望により一部のパーツに予め「故障タイマー」を
   設置させて頂いている場合もございます。


   契約書のサインは、○○様のお名前で頂いております。
   万が一、ご契約者以外のドライバーが運転していた場合に事故が起きたとしても、
   その責任は、ご契約者にあるものとなります。

   ですから、不用意に運転席を他の誰かに預けないようご注意ください。
   と、言いますのも・・・。最近、あの世に帰って来ていない、
   行方不明のドライバーが数多くいるんです・・・。

   車を失っても、「この世」に留まっているようでして。
   きっと、旅行に満足いってなかったんでしょうね~。

   私も以前、ご利用期間を終了したお客様をお迎えに行ったことがあるんですけどね、
   拒否された事があるんですよ。「帰りたくない」なんておっしゃるんです。


   そのときね、私言ったんですよ。

   「いやいや、ご旅行に心残りがあるのは分かりますが、お車がないと不便でしょう?
   いったんあの世に帰ってから、もう一度レンタカーを借りませんか?
   なんでしたら、私が新たな契約を担当しますよ。」って。

   私、なかなかの営業上手でしょう(笑)。

   でもね、そのときのお客様、頑なに拒否するんですよ。
   あのお客様は、いまどうしておられるのか・・・。

   あ。もしその方に会ったらお伝えください。

   「ご旅行に心残りがあるのは分かりますが、お車がないと不便でしょう? 
   いったんあの世に帰ってから、もう一度レンタカーを借りませんか?
   なんでしたら、私が新たな契約を担当しますよ。」って、

   アノヨレンタリースの轟が言ってましたよ、と。
   ああ、ごめんなさい!
   なんだか私一人でしゃべりっぱなしになっちゃってましたね(笑)』

   (ここまでが、アノヨレンタリース営業部・カスタマーサービスセンターの
    轟連太郎さんの言葉でした)


             ・・・

(守護霊さんからのアドバイス
    ~「ということで、あなたはいま、レンタカーフリープランで観光中ということだ。
      せっかく旅行に来たのだ。思いっきり楽しもうじゃないか」)


   一口に「車」っていっても、いろいろな「車種」があるよな。
   軽、RV、ワンボックス、スポーツセダン、プレミアムワゴン、レーシングカー、
   他にはブルドーザーとか、トラクターとか、特殊車両もたくさん・・・
   どんな車種にも、個性・得意不得意があるだろ?

   人間は、あの世で描いた「ドライブプラン」に合わせてレンタルする車を決めるんだ。
   いまは忘れてしまっているけどな、人間はみな、その旅行プランがあるからこそ、
   コンセプトに合わせた車(体)を借りてきているんだ。

   軽快に駆け抜ける爽快感を求めて、「GT-R」を選んだ人がいる。
   冒険を求めて、「ランドクルーザー」を選んだ人がいる。
   セレブリティな走りを求めて「レクサス」を選んだ人がいる。

   個性も特性も人それぞれ。どれがよくてどれが悪いとかいう話じゃない。


   自分の個性に合わせた道のりを選び、車に適した走り方をすれば、ドライブは快適になる。
   でも、自分に不向きな道のりを走るなら、それなりのドライビングテクニックや、
   オプションパーツの取り付け、カスタムが必要になる。

   雪道を走るのなら、タイヤをスタッドレスに交換しなければ事故の確率が高まる。
   軽自動車でラリーに出場したら、ちょっとの傷ではすまないかもしれない。

   でも、自分のオリジナルカスタムに自信があれば、やってできないこともない。
   優勝はできないかもしれないけど、自分のペースで走れば完走はできるかも。

   自分の「車種」は何か。
   オプションパーツはついているか。
   特別なカスタムは施しているか?

   適した道はどこか?
   どんな走り方が向いているのか?
   これから向かいたい道の路面状況は?

   そんな感じで考えてみると、これからの人生がスムーズになるかもしれないな。

   (やっぱり自分の体は大事にしなきゃね、借り物だから。)


   「レンタカー(体)を借りた目的はあくまでも「ドライブ」「観光」だ。

   世の中を見渡してみると、観光目的をすっかり忘れて
   「レンタカー」の外見・性能・機能にコンプレックスを持っている人がいたり、
   オプション取り付けやカスタムすることに必死になってる人がいたり・・・。

   「車(体)」に目が向いている人ほど、全然「ドライブ」や「観光」を楽しめていいない。

   車にばかり気をとられてしまうと、旅行が終わり、あの世に帰ってから、
   「おいおい! 俺は何のために旅行に行ってたんだよ!? 」って事になっちゃうからさ。
    
           <感謝合掌 平成27年9月3日 頓首再拝> 

『ある病院での物語』 - 伝統

2015/09/06 (Sun) 17:52:54


        *「読むだけで「人生がうまくいく」48の物語」中井俊己:著より

見方が変われば、希望が見える。
ある病院に勤めている方から聞いた感動的で温かなお話です。
物事の見方や心の持ち方を変えるために役立つでしょう。

*   *   *   *

寝たきりで首も動かせない男性が病室に運びこまれたとき、
もうひとりの患者が窓際のベッドに横たわっていました。

お互いに親しくなると、窓際の患者は窓から外をながめて、
外の世界についてくわしい話をしだしました。

「今日はいい天気ですよ~。青空にぽっかり雲が浮かんでいます。  
向かいにある公園の桜が咲き始めたところですよ」

別の日には、

「今日は風が強い日ですから、木の葉が揺れて、  
まるでダンスをおどっているようですよ~ 」

などと、寝たきりで首さえ動かせない彼に 語って聞かせてあげたのです。
彼は窓際の男性が語るその光景を想像することで、 毎日毎日、心が慰められました。

そして、自分も外の世界が見えるように 早く病気を治そうと思うのでした。

しばらくして、窓際の男性は退院することになりました。
もうひとりの男性は喜びました。

「やった。これで、自分が外の世界を見ることができる。  
これからは、自分が窓の外の世界を見て新入りの患者に話して聞かせてやろう」

看護師にベッドを窓際に移すように頼むと、すぐに聞き入れてくれました。

しかし心躍らせて窓の外に目をやった彼は、愕然としました。
窓はコンクリートの壁に面しており、外の世界など何も見えなかったのです。

それから彼は考えます。
あの窓際の男性は、いったい何を見ていたのでしょう。
彼の目が見ていたのは灰色の壁でした。

しかし想像の力で、その向こうにあるものを見ようとしていたのです。
そして、ただ天井を見ることしかできず、 いつも辛そうにしているルームメートのために、
自分の思い描いた壁の向こうの世界を話して聞かせてくれていたのです。

*   *   *   *

同じ壁を見て、ある人はその壁だけを見ます。

別の人はその先にある「希望」を見ます。

状況は同じであっても、見方によって見えるものは違います。

辛い困難な状況にいるとき、物事の暗い面だけを見てしまいがちです。
しかし、希望をもって、少し前向きに、少し積極的な見方をすることによって、
明るい局面を、私たちは見ることができるのです。

そして、見えてきた希望を、まわりの人にも語り、
沈んでいる人を元気づけてあげることもできるでしょう。

「雲の上にはいつも太陽が輝いている」(三浦綾子)

壁の向こうにも、雲の上にも、光は輝いています。

暗い夜の先には、明るい朝が待っています。

希望はいつでも、あるのです。

           <感謝合掌 平成27年9月6日 頓首再拝> 

鷹の選択 - 伝統

2015/09/08 (Tue) 17:34:14

鷹の選択(たかのせんたく)

               *Webより


鷹は、長生きできる鳥としてよく知られています。

鷹は最高70年生きられると言われていますが、
このように長生きするためには、約40年が過ぎた時に
重要な決断をしなければなりません。

鷹は約40歳になると、爪が弱くなり獲物がうまく取れなくなります。
くちばしも長く曲がり、胸につくようになります。
羽も重くなり、徐々に飛べなくなります。


ここで鷹は、2つの「選択」に置かれます。

このまま死ぬ時期をまつのか。

苦しい自分探しの旅に出るか。


自分の変化の道を選んだ鷹は、まず山の頂上に行き巣を作ります。
その後、鷹はとても苦しいいくつかのことをやり始めます。

まずくちばしを岩で叩き、壊し、なくします。
そうすると新しいくちばしが出てきます。

それから出てきたくちばしで、爪を一つずつはぎ取ります。
そして新しい爪が生えてくると、今度は羽を一本ずつ抜きます。

こうして半年が過ぎ、新しい羽が生えてきた鷹は、新しい姿に変わります。

そしてまた空に高く跳び上がり、残りの30年間を生きていきます。

               ・・・

自分で嘴を壊したり、爪を引き抜いたりするのは、メタファー(隠喩)です。

鷹も自然界の鳥ではなく、
鷹のように気高い精神を持った人のことを意味するのです。

つまり、人が今までの延長としての変わりばえのない人生をただ漫然と続けるのではなく、
新たな人生を切り開いて生きるため、そのために自己を再生するために、
今までの自己像をあえて破壊し、新たに創造し直すことを言っているのです。



人生は選択の連続です。

気高い精神を持った人には
この鷹が見せてくれたとても苦しい「選択」という
勇気ある決断が必要になる時期がくるのです。

人生の価値は「速さ」と「広さ」ではなく、
「方向性」と「深さ」にあることを忘れないことです。


<参考Web:<朝礼ネタ>「鷹の選択」
       → http://vl-fcbiz.jp/article/ac101/a002353.html >

<参考動画:「鷹の選択」
       → https://www.youtube.com/watch?v=H1-ciR--u3U >

           <感謝合掌 平成27年9月8日 頓首再拝> 

心が変われば、人生は変わる。~ 演劇「泥かぶら」より - 伝統

2015/09/13 (Sun) 20:31:20


            *『読むだけで「人生がうまくいく」48の物語』中井俊己・著より

昔、ある村に顔の醜い少女がいました。

孤児で、家もなく、森の落葉の中にもぐり、橋の下に寝る。
色は真黒、髪はボウボウ。
着物はボロボロ、身体は泥だらけ。

少女は、その醜さゆえに、「泥かぶら」と呼ばれていました。

子どもからは石を投げられ、唾を吐きかけられ、泥かぶらの心はますます荒み、
その顔はますます醜くなっていくばかりです。

ある日のことです。泥かぶらがいつものように村の子どもたちと争っていると、
旅のお爺さんが通りかかりました。

悲しみに打ちひしがれた泥かぶらを慰めていると、
泥かぶらは、「きれいになりたいなあ」とつぶやき、お爺さんにその方法を問います。


お爺さんが教えてくれた方法は、3つありました。

「まずは、自分の顔を恥じないこと。
2つ目は、どんな時にもにっこりと笑うこと。
そして3つ目は、人の身になって思うこと」

泥かぶらは、激しく心を動かされます。
というのも、それらは、今までの自分とまったく正反対の生き方だったからです。

「この3つを守れば村一番の美人になれる」

お爺さんの言葉を信じた泥かぶらは、その通りの生き方をしはじめます。
しかし、急に態度の変わった泥かぶら見て、村人は不審に思うばかりか、嘲笑し、中傷するのです。
しかも川面に移る自分の顔を見ても少しも美しくなっていません。

泥かぶらが絶望感に襲われていると、事件が起こります。

村一番の美人で一番お金持ちの庄屋の子こずえが、
どうしたことか、「こわいよー」と叫んで、逃げ回っていたのです。
こずえは、日頃から泥かぶらを嫌っていじめていた者の一人です。

何かわけがあるに違いありません。
果たして、こずえの後ろから、父親の庄屋が竹の鞭を持ってやって来ました。
庄屋は大切にしていた茶碗を割られたことで、怒り心頭に達していました。

父親の怒りを逃れるために、こずえは、泥かぶらに罪を着せてしまいます。
怒り狂ったような庄屋は、娘の言うことを信じて疑いません。
泥かぶらを見つけると、容赦なく鞭で打って、折檻をし始めました。

泥かぶらは、黙ってその鞭を受けました。
何度も何度も叩かれ、ひどい言葉を浴びせられながらも、お爺さんのあの言葉
を思い出しながら、泥かぶらは最後まで耐え忍びました。

しかし、それでも泥かぶらの顔は少しもきれいになっていません。
絶望感と怒りに苛まれた泥かぶらが一人泣いていた時でした。
泥かぶらを呼ぶこずえの声がしました。

「泥かぶら。堪忍して」

そして、こずえはおずおずと自分が一番大事にしていた櫛を差し出したのです。
美しい櫛に心引かれるものの、泥かぶらは自分のちぢれた頭を思い出し
「あたいなんか……だめだ」とためらいます。

こずえはそんな泥かぶらの頭の泥を払い、櫛で髪の毛をすいてあげて、
かたわらの花を挿してあげるのでした。
二人の間に確かな友情が芽生えてきたのです。

ちょうどそこへ、病気の妻のために薬草を探しにきた村の男がやってきます。
その薬草は登るには危険な岩鼻にしかなく、男は失望していました。
「おじさん、あたい、採って来る」泥かぶらはそう言って駆け出しました。

しばらして、全身傷だらけになって戻ってきた泥かぶらと手にして薬草を見て、
男が感謝感激したのは言うまでもありません。
泥かぶらの心にも喜びがわきあがってくるのでした。

それからです。
泥かぶらは、村の人のためになることを次々と考えてして実行していきます。
山に入って薪を拾ってきたり、子供が泣いていたら慰めてやったり、子守りをしてやったり、
人の嫌がることでもニコニコしながら次から次にしていきます。

村人たちはたいそう喜び、泥かぶらも嬉しくなります。

すると、心も穏やかになっていき、あれほど醜かった表情が消えてなくなっていきました。
村人のために労をいとわずに働く泥かぶらは、
次第に、村人にとってかけがえのない存在になっていったのです。

ところが、そんなある日、村に恐ろしい「人買い」がやってきました。
人買いは借金のかたに、一人の娘を連れていこうとします。
泥かぶらと同じ年の親しい娘です。

見かねた泥かぶらは人買いに、自分を身代わりにしてくれと頼みます。
こうして、売られていく泥かぶらと人買いとの都への旅がはじまります。

旅の途中、毎日、泥かぶらは何を見ても笑い喜びます。
しかも人買いを自分の父親のように慕い、親切にするのです。
そんな泥かぶらの姿に人買いは、激しく心を揺さぶれます。

月の美しい夜でした。
人買いは、泥かぶらにお金とともに置き手紙を残してそっと姿を消します。
手紙にはこんな言葉が書かれていました。

「俺はお前の寝顔を見て恥ずかしくなった。
お前が話してきかせた赤ん坊のように俺の心に憎いものがなくなった。
今日から人買いはやめる。

いい仕事をしよう。
お前も幸福にお暮らし。
……俺は今踊りだしたいくらいだよ。
お前のおかげだよ。

お前の笑い声、俺は一生忘れない。
ありがとうよ。
仏のように美しい子」

泥かぶらはそのときはじめて、お爺さんが自分に示してくれた、教えの意味を悟るのです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

泥にまみれて醜い姿をしていた少女も自分を変えることができました。
彼女にひどい仕打ちをしていたまわりの人たちの心も、期せずして変わっていきました。

どんな人間でも、自分を変えることができます。
自分の心がけを変えるだけで、自分の人生を変えることができます。

人を幸せにすることもでき、それがまた自分の幸せにつながります。

そうして私たちの人生はさらに美しく、愛に満ちたものになるのです。

・・・

<「泥かぶら」参考Web>

(1)「本流宣言掲示板」~「八紘一宇人類一家族成就の祈り」において、
   ”山ちゃん1952 さま”が「泥かぶら」について、以下のように触れております。

   (→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1362 )

   
   龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿 落慶鎮座奉祝大祭において、
   生長の家の後援による“泥かぶら”が上演された。
   その上演されたのは旧道場近くの中学校体育館によって開かれた。  


(2)「泥かぶら」のお話の概要については、
   「本流宣言掲示板」~「泥かぶら (496)」

   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=129


(3)「光明掲示板・第二」~「泥かぶら~【面倒だから しよう】 (5488)」

   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1128


           <感謝合掌 平成27年9月13日 頓首再拝> 

「祈りの手」 - 伝統

2015/09/19 (Sat) 19:47:38


いまから500年ほど前、ドイツのニュルンベルグの町に
「デューラー」と「ハンス」という若者がいました。

2人とも子沢山の貧しい家に生まれ、小さな時から画家になりたいという夢を持っていました。

2人は版画を彫る親方の元で見習いとして働いていましたが、
毎日忙しいだけで絵の勉強ができません。

思いきってそこをやめて絵の勉強に専念したいと思いましたが、
絵の具やキャンバスを買うお金もままならないほど貧しく、
働かずに勉強できるほど余裕はありませんでした。


ある時、ハンスがデューラーに1つのことを提案しました。

「このままでは2人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。でも、僕にいい考えがある。
2人が一緒に勉強はできないので、1人ずつ交代で勉強しよう。

1人が働いてもう1人のためにお金を稼いで助けるんだ。
そして1人の勉強が終わったら今度は、別の1人が勉強できるから、
もう1人は働いてそれを助けるのだ」

どちらが先に勉強するのか、2人は譲り合いました。

「デューラー、君が先に勉強してほしい。
君の方が僕より絵がうまいから、きっと早く勉強が済むと思う」


ハンスの言葉に感謝してデューラーは、イタリアのベネチアへ絵の勉強に行きました。

ハンスはお金がたくさん稼げる鉄工所に勤めることになりました。

デューラーは「1日でも早く勉強を終えてハンスと代わりたい」とハンスのことを思い、
寝る時間も惜しんで絵の勉強をしました。

一方残ったハンスはデューラーのために早朝から深夜まで重いハンマーを振り上げ、
今にも倒れそうになるまで働きお金を送りました。


1年、2年と年月は過ぎていきましたが、デューラーの勉強は終わりません。

勉強すればするほど深く勉強したくなるからです。

ハンスは「自分がよいと思うまでしっかり勉強するように」
との手紙を書き、デューラーにお金を送り続けました。


数年後ようやくデューラーはベネチアでも高い評判を受けるようになったので、
故郷に戻ることにしました。


デューラーは「よし今度はハンスの番だ」と急いでニュルンベルクの町へ帰りました。

2人は再会を手を取り合って喜びました。


ところがデューラーはハンスの手を握りしめたまま呆然としました。

そして、泣きました。


なんとハンスの両手は長い間の力仕事でごつごつになり、
絵筆がもてない手に変わってしまっていたのでした。


「僕のためにこんな手になってしまって」

と言って

デューラーはただ頭を垂れるばかりでした。


自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。


彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。


その罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーは、

「何か僕に出来ることはないだろうか」

「少しでも彼に償いをしたい」

という気持ちになり、もう一度、ハンスの家を訪ねました。


ドアを小さくノックしましたが、応答はありません。

でも、確かに人がいる気配がします。

小さな声も部屋の中から聞こえきます。


デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。

するとハンスが静かに祈りを捧げている姿が目に入りました。


ハンスは歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っていたのです。


「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。
自分を責めています。

神さま、どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。
そして、私が果たせなかった夢も、彼が叶えてくれますように。

あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように」


デューラーはその言葉を聞いて心打たれました。


デューラーの成功を妬み恨んでいるに違いないと思っていたハンスが、
妬み恨むどころか、自分のことより、デューラーのことを一生懸命祈ってくれていたのです。


ハンスの祈りを静かに聞いていたデューラーは、
祈りが終わった後、彼に懇願しました。


「お願いだ。君の手を描かせてくれ。

君のこの手で僕は生かされたんだ。

君のこの手の祈りで

僕は生かされているんだ!」


こうして、1508年、友情と感謝の心がこもった

「祈りの手」が生まれました。



_______

ドイツの画家、版画家である“アルブレヒト・デューラー”氏の描いた
「祈りの手」のエピソードより

https://anekai.jp/articles/559


           <感謝合掌 平成27年9月19日 頓首再拝> 

良い日、悪い日 - 伝統

2015/09/21 (Mon) 18:42:17


         *Web:「例話の紹介(浄土真宗)」より


ある時、都で暮らす一家が田舎のほうから娘を迎える事になった。
両家で何回か細かい相談をして、結婚式の日取りもめでたくまとまった。

しかし当日になり、都の一家の主人は占い師のもとへ行き、
祝い事にふさわしい日かどうか念のため占うことにした。

依頼された占い師は、今日結婚するにもかかわらず、
当日になってそれが良いか悪いか占ってくれとはどういうことだと怒り、
一つ邪魔をしてやろうと考えたのだった。

そして、難しい顔をして
「今日の星の動きは占いごとに適さないので、明日にしたほうがいいですよ。」
と適当に答えた。

男は占い師の話を聞くとすっかり田舎の人との約束を果たす気を無くしてしまい、
結婚は一生の問題だから、占い師の言う通り良い日であるといわれた明日にすることにした。


さて、田舎の娘の家では朝早くから結婚式の支度に大わらわであった。
人を集めて部屋を清め、念入りに掃除したり様々なご馳走を用意したり、
都に持って行く荷物をまとめたりと忙しく働いていた。

娘も、化粧をして美しく着飾り、ようやく昼近くになって
いつ都の人がやってきてもよいように準備が整った。

しかし、いくら待っても都の人が来る気配はなく、とうとう夕方近くになってしまった。
田舎の人はすっかり都の一家のだらしなさにあきれ、
かねてから娘を嫁にしたいと望んでいた同じ村の男に、
その日の内に嫁入りさせてしまった。

その翌日、占い師の言葉を信じ切った都の男は今日こそは良い日だと、
朝早く一家そろって村へやってきた。

しかし、娘はすでに他の男へ嫁に行ってしまっていた。

それを知った男は驚き、「娘をくれると約束したじゃないか。」
と怒りを爆発させた。

それを聞いた村の男は、
「あれだけ念入りに相談しておきながら、相談もせず勝手に変えてしまうとはあきれたもんだ」
と反論した。

男は占い師の話をして、今日が良い日である事を伝えたのだが、
一日中待ちぼうけをさせられた村の人は決して納得しなかった。


男は
「一日くらい遅れたからといって、前もって約束した娘を他にやるなんていい加減なのはどっちだ。」
といい、とっくみあいの喧嘩になってしまった。


この様子を、通りがかった名高い博士が見つめていた。
そして、大きな声で、

「星の動きなんかより、娘を迎える事実の方がよっぽどめでたくて良い事だと思う。
それを行う日が最良の日である。今日は良い日だそうだが、
つまらない喧嘩をしているのを見てるととても良い日などとは思わない」

と笑いながら唄を唱えた。


   星の動きで   善し悪しが
   決まる事など  ありゃしない
   事の善し悪し  幸不幸
   星は空から   見るばかり


都の一家は自分たちの身勝手な行いから占い師を怒らせ、
またそのために娘をもらい損ね、
あげくの果てに大喧嘩を引き起こして顔や手足にあざや傷を作り、
すごすごと引き上げていったのである。

   (http://j-soken.jp/ask/2049

           <感謝合掌 平成27年9月21日 頓首再拝> 

《月の兎》 - 伝統

2015/09/26 (Sat) 18:56:44

明日(9月27日)は中秋の名月です☆

陰暦の8月15日を中秋の名月と呼びますが、いつも満月であるとは限らないようです。

日本では、十五夜の月で、うさぎが餅つきをしていると言われています。
これは掛けことばで、「望月(もちつき)」 には満月という意味があるからだと言われています。

また、中秋の名月は豊穣のお祝いなので、
お米の豊作に感謝の気持ちを表しているとも言われています。


《月の兎》

            *Webより

“月の兎”の話は『今昔物語』では、

「今は昔、天竺に兎・狐・猿、三(みつ)の獣ありて、
共に誠の心を発(おこ)して菩薩の道(どう)を行ひけり。」

と始まる。

三匹の獣は身をやつした老人をみると、猿は木の実を拾い、狐は川原から魚をくわえ老人にささげた。
ところが兎はあちこちを求め行けどもささげるものが何も見つからない。

老人は何も持ってこない兎を見ると、「お前はほかの二人と心が違うな」となじった。

兎はせつなく言う。
猿に柴を刈ってきてくれ、狐にそれを焚いてくれと頼み、わが身を燃える火の中に投じささげた。

捨身-、命を投じた慈悲行である。

その時老人は、帝釈天となり、

「此の兎の火に入たる形を月の中に移して、あまねく一切の衆生に見せしめむがために
月の中に籠(こ)め給ひつ。

然れば、月の面(おもて)に雲の様なる物のあるは此の兎の火に焼けたる煙なり、
亦、月の中に兎の有るといふは此の兎の形なり。

万(よろづ)の人、月を見むごとに此の兎の事思ひいづべし。」

といったと示す。この話は、兎の捨身の心、慈悲行を物語っている。

           <感謝合掌 平成27年9月26日 頓首再拝> 

かぐや姫と月 - 伝統

2015/09/27 (Sun) 18:33:29


今夜は、旧暦八月十五夜にあたり、中秋名月です。

先ほど、仰ぎ眺めましたが、ほんとうに素晴らしい名月です。

そして、明日が満月・スーパームーンになります。

八月十五夜で想い出すのは、「竹取り物語」における、かぐや姫の昇天の場面です。


《竹取り物語》

竹取物語は、平安初期に著されたとされる、仮名による日本最古の物語。
作者及び成立年は未詳。竹取の翁によって竹の中から見つけられた「かぐや姫」が、
貴公子たちの求婚を次々と退け、帝の招聘も拒絶し、最後は月に帰ってしまう話。

竹取物語は、「物語の祖」とも言われ、平安時代以降の物語に様々な影響を与えた作品
であるとともに、子供から大人まで幅広く読み継がれた日本を代表する昔話の一つでもある。



(1)『八月十五日ばかりの月に出で居て…』:竹取の翁に、月に帰ることを告白するかぐや姫
    → http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/taketori/09/0902.html

(2)『かかるほどに、宵うち過ぎて…』 : 現れた月の使者
    → http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/taketori/09/0905.html

(3)『翁、答へて申す…』 : 竹取の翁に別れを告げるかぐや姫
    → http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/taketori/09/0906.html

(4)『天人の中に持たせたる箱あり…』 : 月へ帰るかぐや姫
    → http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/taketori/09/0907.html


   あらためて、竹取り物語を読んでみると、示唆に富んだ内容です。


<参考:全文
    → http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/taketori.html >


           <感謝合掌 平成27年9月27日 頓首再拝> 

”最高の料理” - 伝統

2015/10/10 (Sat) 19:18:55


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年01月28日)」より 

   (ミシェル・ピクマル氏の心に響く言葉より…)
 
   昔々、あるところに、食通で有名な王さまがいました。
   その王さまは「食べるために生きているようなもの」と言われるほど、
   毎日の食事や宴会にこだわっていたのです。

   そしたある時、とにかくおいしいものが食べたい一心から、
   「最高の料理を作ってみせた者に、金貨100枚を与えよう!」という
   お触れを出しました。

   すると、王国屈指の料理人たちが何人も名乗りを上げました。

   そこで王さまは、それから2ヶ月のあいだ、
   日曜日ごとにその料理を食べてまわったのです。

   そしてどの料理人のもとでも昼から日没まで延々と食べつづけ、
   暗くなったころに手帳に評価を書き入れるのでした。


   さて、この料理コンクールも終わりに近づいたころ、
   ひとりの老人が城にやってきてこう言いました。

   「コンクールのことを聞きおよび、山奥から出てまいりました。
   私が知っているある宿屋では、陛下がこれまで召し上がったこと
   のないようなおいしい料理を出します。
   お望みとあれば、この私がお案内いたしましょう」
  
   これを聞いて、王さまがじっとしていられるわけがありません。
   さっそくいそいそと白馬にまたがり、この老人に案内させることにしました。

   ところがおどろいたことに、老人の馬は勢いよく駆けだすと、
   そのまま全速力でどこまでも走りつづけるではありませんか。

   なんと半日たっても、歩をゆるめる気配さえ見せません。

   王さまはこれを必死で追いかけながら、
   何度も「まだ遠いのかね? 」と聞きました。

   すると老人はそのたびに、
   「どうかご辛抱ください。とにかく素晴らしい料理が待っておりますから! 」
   とくりかえすばかりです。


   二頭の馬は平原を突っ切り、丘を越え、川の浅瀬をわたり、やがて山道に入りました。

   さらに何時間か行くと、やっと峠の上にぽつんと小屋らしきものが見えてきました。

   でも、そこからはもう馬では上がれません。

   とうとうその小屋にたどりついた時、王さまは汗びっしょりで、
   文字通りおなかが空いて死にそうになっていました。

   「さあ、あと数分のご辛抱ですぞ。すぐかまどに火を入れますから」と老人は言った。

   「なんじゃと! 」

   「ではおまえが料理するのか? 助手はおらんのか?
   皿洗い係はどこじゃ? このわしをだましたのか! 」

   「まあそうおっしゃらずにお待ちください」

   老人は平然と答えました。

   「登ってくる途中でキノコを摘(つ)みました。これはおすすめですぞ! 」


   王さまは開いた口がふさがりませんでした。

   こんな無礼な話は聞いたこともありません。

   でも、もうおなかが空きすぎて、それ以上腹をたてる元気もありません。

   そこで、フライパンがじゅうじゅう音をたてるのを聞き、
   油のいい匂いがだたよってくるのをかぎならがじっと待ちました。


   老人はキノコ入りのオムレツを作っていたのです!

   こうしてとうとうオムレツにありついた王さまは、
   もう手帳を開こうともしませんでした。

   評価などつけるまでもなく、それがこれまでで最高の料理だったのです。

   なぜなら、王さまは生まれてはじめて本当におなかが空いていたのですから!

         <『人生を変える3分間の物語』PHP研究所>

            ・・・

江戸時代、三代将軍家光が最近何を食べてもうまくないというのを聞いて、
沢庵和尚が自分の寺に食事の招待をしたという。

将軍は午前中に寺についたが、昼を過ぎても一向に食事が出てこない。

ようやく夕方になって出たのが、一杯のお茶漬けと香の物。

お腹がペコペコだった将軍は、
「こんなうまいものは初めてたべた」と感激したという。

沢庵漬けの由来もここから来ているそうだが、
沢庵和尚が将軍に贅沢(ぜいたく)を戒めた話として有名だ。


「空腹こそが最高のご馳走」とはよく言われる話だ。

贅沢になれてしまうと感謝がなくなる、というのと同じこと。

健康にしても、仕事にしても、家族にしても、
それがあることが当たり前になってしまうと、感謝がなくなる。

何事も失ってみてはじめて、その有難さに気づく。


日ごろの当たり前に感謝を忘れない人でありたい。



           <感謝合掌 平成27年10月10日 頓首再拝>

プラトンの「洞窟の比喩」 - 伝統

2015/10/27 (Tue) 19:24:42


ストーリー

”ある洞窟に、生まれてこの方ずっと洞窟の奥に人間たちがいる。
その人間たちは十字架に磔にされていて、洞窟の奥しか見えない。

奥は壁で、洞窟の入り口から来る光によって、彼らの影が見えた。
彼らは横を向くこともできず、影だけが見えるのだ。
つまり、彼らにとって人間とは影なのだった。

しかも、彼らの声は洞窟の奥の壁に反射して聞こえるので余計にそう思えるのだ。
彼らは神によって、後ろから食べ物を与えられ、言葉を知っている。
彼らはお互いに話し合う、影を友人と思いながら。


そんな中、一人の人間が磔から解放される。
彼は磔から逃れ、洞窟の入り口へと向かう。
洞窟の入り口からは光があふれ、真っ白に見える。

彼は目をまともに開けられず、ほとんど目をつぶった状態で洞窟を出る。
そんな彼もだんだんと目が慣れてくる。

とても上を向くことはできず、そっと下を向いたまま、目を開けてみる。
すると地面が見える。
しかし、次の瞬間、彼にとって人生最大の驚異が待っていた。草である。

たかが草になぜそんなに驚くのか?
それは緑"色"だからである。
彼にとって、今まで見てきたものは洞窟の壁の茶色だけである。

自分も他の人間もすべては茶色に写った"影"だけであり、モノトーンの世界だったのだ。
彼にとって世界とは、セピアの世界ともいえるかも知れない。

そんな彼の目に、鮮やかな緑が強烈に映る。
そこで彼は"色"を知るのだ。彼は驚く、こんなに綺麗に目に写るものがあるのかと。

そして彼はさらに歩く。
草むらを歩くと次に写るものは花だった。
またしても彼は驚く、鮮やかな緑に感動した次は、
赤や青や黄色といった生き生きとした色たちだった。

こんなに美しいものがあったとは、彼はそれらを"赤"や"青"や"黄色"と呼ぶことすら知らない。
いや、言葉は知っているのだ、しかし、"赤"という言葉が、
この花の色ということがわからないのだ。

彼はめまいがしてくる。あまりにも世界が変りすぎたのだ。
そして、彼はよろめきながらも歩き続ける。

歩き続けていると、彼は川に辿り着ついた。
そして、今までは口に直接入れられていた水が大量に流れるのを見る。
彼はその水を飲もうと屈む。

そのとき更なる驚きが待っている。
"自分の顔が見えた"のだ!今まで自分を影だと信じて疑うことすらしなかった彼が、
今本当の自分の顔を見ているのである。

自分はセピアの壁だと思っていたが、今自分の見ているものには、
くぼみや出っ張りが、そして"色"ある。

自分とはこういう存在だったのかと、今まで自分すら知らなかったのかと彼は驚愕するのだ。


そうして、時間が経つにつれ彼はいろいろなものを見る。
木を見て、洞窟にいたころとは桁外れの大きさのものがあることを知る。

動く大型の動物を見る。
色鮮やかな虫を、川の先にある池や海を、そして夜がやってくると、上を向くことができた、
そして幻想的な月や星を見た。

そうして自分の想像すらしていなかった世界を見続け、彼の目が慣れてきた。
そして、朝がやってきて、光に慣れた彼が最後に見たもの…
 
それは太陽だった。"

              ・・・

そしてプラトンは、アリストテレスにこういいます。

この磔にされていた人は、私たちだと。

私たちは何も知らなさすぎる。

私たちは、その洞窟を抜け出して太陽を見なければならない。

太陽というものは真実なのだ。
そして、太陽を見ようをもがき、考えることを”哲学する”
というのだ、と。

人間は哲学することによって真実を知るのだと、
アリストテレスに哲学の重要性を教えたのでした。

           <感謝合掌 平成27年10月27日 頓首再拝>

「わらしべ長者」 - 伝統

2015/11/10 (Tue) 20:11:35


          *「それでもなお生きる」佐々木常夫・著(P106~107)より
           原典は、今昔物語集「わらしべ長者」


むかしむかし、ある若者が、お寺で観音様にお願いごとをしました。

「わたしには、明日食べるお米もありません。どうか、お金持ちになれますように。」

すると、観音様が言いました。

「ここを出て、最初につかんだ物が、お前を金持ちにしてくれるだろう。」

若者は喜び勇んでお寺を飛び出して行きました。
そして、石につまずいて、すってんころりんと転んだ拍子に一本のわらしべを拾いました。
若者は、わらしべをしげしげと見つめました。

「これのことだろうか? こんなものでお金持ちになれるとは思えないなあ。」

若者が歩いていると、一匹のアブがプーンと飛んできました。
若者はそのアブを捕まえて、持っていたわらしべに結んで遊んでいました。
すると、そこを通りかかった立派な牛車の窓から子供が顔を出して言いました。

「そのアブが、欲しいよう。」

「ああ、いいとも。」

若者が子どもにアブを結んだわらしべをあげると、
お供の家来がお礼にミカンを3つくれました。


また歩いていると、道のわきで女の人が、
「喉が渇いた。水をください。」と言って苦しんでいます。

「水は持っていませんが、代わりにこのミカンをどうぞ。」

若者がミカンをあげると、女の人はそれを食べて元気になりました。
そして、お礼に美しい布をくれました。


しばらく歩いて行くと、馬が倒れていました。

「どうしたんですか?」

「馬が病気で倒れてしまいました。
町まで行って、この馬を布と交換しなければならないのですが、
これではどうすることもできません。」

「では、この布と馬を交換しましょう。」

若者が布を渡すと、男の人は大喜びで帰って行きました。

若者が馬の体をさすったり水を運んできてあげてたりすると、
馬は元気に立ち上がりました。

 
その馬を連れて大きなお屋敷の前を歩いていると、
そこの主人が、若者の馬を見て声をかけました。

「わしは、これから急に旅に出なければならなくなったのだが、馬を持っておらんのじゃ。
その馬をわしの家や畑と交換してもらえないか。」

若者は大きな家と広い畑を手に入れました。

1本のわらしべから大金持ちになった若者のことを、
人は『わらしべ長者』と呼ぶようになりました。

・・・

『目の前にあることを一生懸命やっていると道が開ける』(佐々木常夫)


           <感謝合掌 平成27年11月10日 頓首再拝>

真心を込めた修行 - 伝統

2015/11/13 (Fri) 19:44:22


           *Web:瑞雲院法話(今昔物語 その一) より

今昔物語集は、平安時代末期の12世紀初頭に編集された説話集で、
1059もの説話がインド、中国、日本の三国に分けて記載されている。
内容は仏教関係の話が中心であるが、仏教に関係のない話もかなり含まれている。

この説話集は完成間近に編集が中止されて放置されたものらしく、
途中で切れている話、標題だけの話、さらには欠けている巻もあり、
編者の名前も不明である。以下にご紹介するのは巻第13の第2話である。

         ・・・

今は昔、葛川(かつらがわ)という所に籠もって修行する僧がいた。
その僧が五穀断ちして山菜を食べながら何か月にもわたって熱心に修行していると、
ある日、夢の中に気高い僧があらわれて告げて言った。

「比良山(ひらさん)に仙人があって法華経を読誦(どくじゅ)している。
汝すみやかにそこへ行き、かの仙人と縁を結ぶべし」

僧は目覚めるとすぐに山に入って探したが、仙人は見つからなかった。
それでも熱心に何日間も探し求めていると、遠くからかすかに法華経を読む声が聴こえてきた。
その声はたとえようもなく貴い。

僧は喜び勇んで東西に走りまわって探したが、声が聴こえるばかりで姿は見えなかった。

さらに心を尽くして探していると、岩場の下に洞窟らしきものがあることに気がついた。
かたわらに生えている松の大木が笠のようにその入口を覆っている。
中をのぞいてみると、骨と皮ばかりの体に青い苔をまとった一人の聖人が坐っていた。

聖人は僧を見ると言った。

「そこに来たのはどなたじゃ。ここはいまだかって人が来たことのない所じゃ」

「私は葛川に籠もって修行する者です。夢のお告げにより結縁(けちえん)のために来ました」

「汝、しばらく我れに近づかず離れておれ。人間の煙の気が目に入って耐えがたい。
七日を過ぎてのち近くにこられよ」

僧は数十メートル離れた木の下に宿り、そこで七日間過ごした。
仙人はその間も昼夜、休みなく法華経を読み続けている。
その読経は貴くありがたく、聞いているだけで無始以来の罪障がみな消滅するように感じられる。

見ていると鹿や熊や猿や鳥たちがやって来ては、木の実を仙人に供養している。
仙人は一匹の猿に命じて僧のところにも木の実を持ってこさせた。
こうして七日を過ぎてのち洞窟に近づくことができた。


仙人が言った。


「我れはもと奈良興福寺の僧にして名は蓮寂(れんじゃく)という。
法相宗(ほっそうしゅう)の学僧として法門を学んでいたとき法華経を拝読し、

『汝もし法華経を取らざれば後に必ず憂い悔いるだろう』

という一文を見て初めて菩提心を発した。

さらに、

『寂寞(じゃくまく)として人声無きところでこの経典を読誦すれば、
そのとき我れ清浄光明なる身を現わさん』

という文を見てより、永く本寺を出、山林に入って仏道を修行し、
徳を重ね功至り自ずから仙人になることを得た。

今は前世の因縁によりこの洞窟に住している。
人間界を離れて後は法華経を父母とし、戒律を身の守りとし、
法華一乗を眼として遠くの世界を見、慈悲を耳として諸々の音を聞き、心で一切のことを知る。

また兜率天(とそつてん)に昇って弥勒菩薩を見たてまつり、
諸処に行きて多くの聖者に近づく。天魔波旬(はじゅん)も我が近くへ寄らず、
怖れも災いもさらにその名を聞かず。

仏を見、法を聞くこと、思いのままである。

この松の木は笠のごとし。雨降るといえど洞窟の前に雨来たらず、
暑きときは陰でおおい、寒きときは風を防ぐ。
これは自ずからこうしたものじゃ。

汝がここへ尋ね来たのもまた宿縁無きにあらず。
されば汝ここに住して仏法を行ぜよ」


この言葉を聞いた僧は、仙人を敬うとともに、その生き方を好もしく思ったが、
自分にはとてもその生き方はできないと思い、丁寧に礼拝し帰り去った。

仙人の神通力により僧はその日のうちに葛川に帰りついた。
同行(どうぎょう)の僧にこのことをつぶさに語ると、聞いて貴ぶこと限りなかった。

真心をこめて修行する人はこの仙人の如くなれると語り伝えている。

           <感謝合掌 平成27年11月13日 頓首再拝>

夢の中のお告げ - 伝統

2015/11/16 (Mon) 19:44:21


           *Web:瑞雲院法話(今昔物語 その二) より

今は昔、信濃の国に筑摩(つかま)の湯という温泉があった。
「薬湯なり」として多くの人が湯浴みに来る温泉だった。

ある夜その温泉の里人が夢を見た。
人がやって来て次のようなお告げをする夢だった。

「明日の昼ごろ観音さまがお出でになって湯浴みをするだろう。
結縁のため必ずみんな来るように」

夢の中で里人は問うて言った。

「どのような姿でお出でになるのでしょう」

「年は四十ばかり、髭は黒く、い草の笠をかぶり、節黒の矢筒を背負い、
革を巻いた弓を持ち、紺の着物を着て、白い足袋をはき、黒作りの太刀を帯び、
葦毛(あしげ)の馬に乗って来る人あれば、それはまぎれもなく観音さまである」


里人はおどろき怪しみ、夜が明けると里のみんなに告げて回った。
そのため人々はこぞって湯に集まって来て、湯を替え、
周囲の庭を掃除してしめ縄を引き、香と花を備えた。

そして居ならび待っていると、日は移り正午を過ぎて午後2時になるころ、
葦毛の馬に乗った男がやって来た。
夢で聞いたのと寸分ちがわない顔や身なりをしていた。


その男は人々に向かって言った。「これは何事じゃ」

人々はただ礼拝するばかりで答える人はいない。
男は一人の僧が手をすりあわせて礼拝しているところに近づき、ひどいなまり声で尋ねた。

「いったい何事があったというので、みんながわしを拝むのだ」

「じつは昨夜ある里人がしかじかの夢を見たのです」

それを聞いた男が言った。

「わしは2日前に狩りをしていて、馬から落ちて左腕を骨折した。
それを湯治しようとやって来ただけじゃ。このように拝まれるいわれはない」

そう言ってあちこち逃げ回るのを、人々は追いかけて大騒ぎしながら拝む。
男は困り果てて言った。

「されば我が身は観音だったのか。それではわしは法師(ほうし)になろう」

男はその場に弓矢を捨て、武具をはずし、たちどころに髪を切り、法師になった。
それを見た人々は貴び感激すること限りなかった。

たまたまこの男を見知っている者が現れ、
「あれは上野(こうずけ)の国の王藤(おうどう)様ではないか」と言ったものだから、
それを聞いた人々はこの男を王藤観音と呼んだ。


男は出家してのち比叡山の横川(よかわ)に登り、
覚朝僧都(かくちょうそうず)という人の弟子になり、
4年ばかり横川にいたあと土佐の国へ行った。

その後のことを伝え聞く人はいない。

(出典「今昔物語集、巻第十九、第十一話」)

           <感謝合掌 平成27年11月16日 頓首再拝>

地蔵菩薩の救い - 伝統

2015/11/18 (Wed) 18:37:26


           *Web:瑞雲院法話(今昔物語 その三) より

今は昔、源満中朝臣(みなもとの・みつなかの・あそん)という人がいた。
勇猛(ゆうもう)で武芸の道に達しており、朝廷や貴族から重く用いられること並びなかった。

この人のもとに一人の郎等がいた。
この郎党もまた勇猛な男で、殺生(せっしょう)をもってなりわいとし、
いささかの善根(ぜんこん)を造ることもなかった。

あるときこの郎党が野に出て鹿を狩っていると、一頭の鹿がとび出してきた。
すぐさま弓で射止めようとしたが鹿はすばやく走り去った。

逃げる鹿を追いかけて馬を走らせつつ一つの寺の前を過ぎるとき、
一瞬、寺の中に目をやるとそこに地蔵菩薩の像が立っていた。
男はいささかの敬う心をおこし、左手で笠を脱いで駆け過ぎた。

その後いくばくもなくこの男は病を受け、数日病んで死ぬと、
たちまちのうちに冥土の閻魔大王の館の中に来ていた。
庭を見回すと多くの罪人がおり、罪の軽重を定めて罰が行なわれていた。
男はそれを見て、目は暗くなり、心はまどい、悲しむことかぎりなかった。


男は思った。「私は一生のあいだ罪業のみを作り、善根は作らなかった。
さればとうてい罪を逃れる手だてはない。悲しきかな」

そう思って嘆いている所に、急に端正な姿の小僧があらわれ、男に話しかけてきた。
「我れは汝を助けようと思う。汝、速やかに元の国へ帰り、長年作りし罪を懺悔せよ」

男はこれを聞いて喜び、小僧に尋ねた。
「一体あなたはどなたです。なぜ私を助けてくれるのです」

小僧が答えて言った。

「汝、我れを知らずや。我れは、汝が鹿を追うて馬を馳せて寺の前を渡りしとき、
寺の中に一瞬見し地蔵菩薩なり。汝が長年にわたって作りし罪ははなはだ重い。
しかし一瞬といえど我れを敬う心をおこし笠を脱いだ。その心に免じていま汝を助けん」

そう言って男を元の国に帰らせ、そのとき男は生き返った。
男は傍らにいた妻子にこの話をし、泣いて感激すること限りなかった。

それより道心を発して永く殺生を断ち、地蔵菩薩を日夜に念じて怠ることがなかった。

出典「今昔物語集、巻第十七、第二十四話」

           <感謝合掌 平成27年11月18日 頓首再拝>

阿弥陀仏  「ここにあり」 - 伝統

2015/11/21 (Sat) 19:00:24

           *Web:瑞雲院法話(今昔物語 その四) より

今は昔、讃岐の国に本名は不明であるが源太夫(げんたいふ)と呼ばれる猛々しい男がいた。
因果を知らず三宝(さんぼう)を信じず、人の首を切ったり手足を折ったりせぬ日の方が少ない
という無法な男で、日夜、朝暮に、山野に行っては鹿や鳥を狩り、海や川に行っては魚を取る、
といった殺生をなりわいにしていた。

そのうえ法師と名のつく者をことさらに嫌い、そばに近づくこともなかった。
このような極悪非道の悪人だったので、みんなから嫌われ恐れられていた。

ある日この男が家来を四、五人を引きつれ、鹿など多く獲って山から下りてきたとき、
たくさんの人がお堂に集まっているのを見た。源太夫が家来にきいた。


「これは何をする所ぞ」


「これはお堂です。今ここで講が行われているようです。
講というのは仏さまやお経を供養する貴い法要のことです」


「そういうことをする人間がいると聞いたことはあるが、間近で見たことはない。
どんなことを言っているのか、さっそく行って聞いてみよう。
汝らはしばらくここで待っておれ」


そう言って源太夫は馬から下りた。郎党どもも馬から下りながら、
「一体どうなることか。講師はどんな目に遭わされるやら。気の毒なことだ」などと
ささやき合っているうちに、源太夫はずかずかとお堂に入って行った。

お堂の中に集まっていた人々は、突然こんな悪人が入って来たものだから、
「何をしでかす積もりだ」と恐れ騒ぎ、中には逃げだす人もいた。

源太夫が並み居る人々を押し分けて入っていくと、風になびく草のように人々は道をあける。
源太夫は高座のかたわらに坐り、講師をにらみつけて言った。


「講師は何を話していたのだ。わしの心が現になるほどと納得できることを話して聞かせてみろ。
それでなければただではおかぬぞ」と、前に差した刀をひねくり回した。

そのため講師の僧は「これはえらい災難だ」と恐れ、何を説法していたかも忘れてしまい、
高座から引きづり落とされはしないかと心配したが、もともと智恵のある僧だったので、
「仏さま、お助け下さい」と念じながら教えを説いた。


「ここより西へ多くの世界を過ぎた所に、阿弥陀仏と申す仏さまがおられる。
その仏さまは心が広く、長年罪を作りつづけてきた人であっても、後悔してただひとたび
阿弥陀仏と唱えれば、必ずその国に迎えてくださる。
するとその人は楽しくめでたきお浄土に生まれ変わり、すべての願い事がかない、
ついには仏になることができるのです」


それを聞いた源太夫が言った。


「その仏は人々を哀れみたまうからには、わしを憎むこともないであろうな」


「その通りです」


「ならばわしがその仏の名をお呼びすれば、答えて下さるだろうか」


「真心をこめてお呼びすれば、答えて下さらぬはずがありません」


「その仏はいかなる人をよしと言われるのか」


「仏は誰をも憎いとお思いになりませんが、
人が自分の子を可愛いと思うように、
弟子になった者を一段とかわいくお思いになります」


「いかなる者を弟子というのだ」


「私のように頭を剃った者はみな仏の御弟子(みでし)です。
在俗の男も女も御弟子でありますが、頭を剃ればなお勝っていましょう」


「ならば汝、今すぐ我が頭を剃れ」


「そっ、それはまことに貴いことですが、すぐに頭を剃ることができましょうか。
心からの発心なら、まず家に帰って妻子や一族の人と相談し、
万事ととのえてから剃るべきです」


「何を言うか。汝は自分を仏の御弟子だと名乗っておきながら、
仏は必ず答えて下さると言っておきながら、仏は御弟子になった者をかわいがる
と言っておきながら、何でたちまちに舌を返して、のちに剃れと言うのだ。
まったくおかしいではないか」


と言って源太夫は刀を抜き、自ら髻(もとどり)を根もとから切り落としてしまった。
かかる悪人がにわかに髻を切ったものだから、どうなることかと講師は物も言えないほど驚き、
その場に居た人々も騒ぎ出した。その騒ぎを郎党どもが聞きつけ、
太刀を抜きあるいは矢をつがえて駆け込んできた。


「我が君、いかがなされました」

それを見た源太夫は大声で言った。

「汝ら、わしが善き身になろうとするのを何と思って妨げるのだ。
今朝までわしは家来をもっと欲しいと思っていたが、たった今から汝らは行きたいところへ行き、
仕えたいと思う人に仕えるがよい。一人もわしに付いてきてはならぬ」


「どうして出し抜けにこんなことをなさるのです。とても正気とは思えない。
きっと何かに取り憑かれたに違いない」

と言って郎党どもは地に倒れ伏して泣いた。

源太夫はそれを制しながら髻を仏に供え、ただちに湯を沸かし紐を解いて着物の襟を開き、
自ら頭を洗い講師にさし出して言った。


「剃れ。剃らぬと承知せぬぞ」


「まことにそこまで決意したのなら、剃らぬわけにはいかぬ。
また出家を妨げればその罪は重い」


講師はそう思い高座から下りて頭を剃り戒を授けた。
それを見ていた郎党どもは涙を流して悲しむこと限りなかった。

入道となった源太夫は着るものを粗末な僧衣と袈裟に替え、
持っていた刀と弓を鉦(かね)に替え、衣と袈裟と鉦をきちんと身につけ終えるとみなに言った。


「我れはこれから西へ行く。
鉦をたたいて阿弥陀仏を呼びながら、答えて下さるところまで行く。
答えて下さらぬ限り、野山であれ、海川であれ、さらに引き返すことはない。
ただひたすらまっすぐ西へ向かって進む」


そう言うや、声を張り上げて呼びかけた。

「阿弥陀仏よ。おおい。おおい」。

源太夫入道が鉦をたたいて歩きはじめると、郎党どもも一緒に行こうとする。

「おのれ等はわしの邪魔をするのか」

入道に打ちのめされそうになり、郎党どもは仕方なくその場に留まった。

こうして入道は阿弥陀仏を呼びながら鉦をたたいて西へ向かい、
深い水があっても浅瀬を求めず、高い峰があっても回り道をせず、
倒れ転びしながらまことにまっすぐ西へ進んだ。

日暮れにある寺に行き着いたとき住持の僧に言った。

「我れは発心して西へ向かって行く者である。
左右を見ることもなく、まして後ろを振り返ることもない。
これからこの西にある高い峰を越えて行くが、今から七日ののち必ず我れをたずねて来て下され。
草を結びつつ行くのでそれを目印に来られよ。それと食べ物があれば少しばかり分けてほしい」

住持が干飯(ほしいい)を取り出して与えると、「これは多すぎる」と言って、
ほんの少しだけ紙に包んで腰に挟み寺を出ていった。

「もうすっかり日も暮れたので今宵はここに泊まりなされ」と
住持が言っても聞き入れずに行ってしまった。

七日後、言われたように住持が後を尋ねていくと、たしかに草が結んである。
それをたどって高い峰を越えると、その先にさらに高い峰があり、
それに登ると西の海がよく見える高台に出た。

そこに二股になった木が生えており、
入道はその木の股の上に登り、鉦をたたきながら呼んでいた。

「阿弥陀仏よ。おおい。おおい」

住持を見つけた入道はうれしそうに言った。

「わしはここから西の海に入って行こうと思うたが、阿弥陀仏が答えて下されたので、
ここでこうしてお呼びしておるのじゃ」


これを聞いた住持は不審に思い尋ねた。

「何とお答えになりましたか」

「それではお呼びするから、よく聞きなされ。
おおい。おおい。阿弥陀仏よ。いずこにおわしますぞ」。

すると海の中から妙なる声が聞こえてきた。


「ここにあり」


「聞こえたか」

住持は阿弥陀仏の声を聞き、あまりのありがたさと貴さに倒れ伏して泣くこと限りなかった。
入道も一緒に涙を流していたが、やがて住持に言った。

「住持はすみやかにお帰り下され。そして今から七日後、また来て我がありさまを見届けられよ」

「干飯を少し持ってきましたよ」

「もう何も要らない。干飯はまだある」

見ると前と同じように干飯が腰に挟んであった。
住持は入道と来世の往生を約束し、引き返していった。

それから七日後に行ってみると、入道は同じ木の股で西を向いたまま息絶えていた。
見ると口からめでたく鮮やかな蓮華が一本生えている。

住持は涙を流して貴び、その蓮華を折りとった。

亡骸(なきがら)を埋めようかとも思ったが、このように貴い人だから、
遺体を鳥や獣に施そうと考えていたに違いないと思い返し、
住持はそのまま泣く泣く立ち去った。

その後どうなったか誰も知らないが、入道が極楽往生したことは間違いない。

出典「今昔物語集、巻第十九、第十四話」

          <感謝合掌 平成27年11月21日 頓首再拝>

賢い王妃の話 - 伝統

2015/11/23 (Mon) 19:13:37


           *Web:瑞雲院法話(その21)より

「神々との対話」というお経の中に次のようなお話が載っている。

釈尊の時代のあるインドの王様が、最愛のお妃さまにこんな質問をした。

「この世の中で、妃にとっていちばん大切な人はいったい誰かね」

この問いに対してそのお妃さま、「それはもちろん王様でございます」とは答えなかった。

「私にとっていちばん大切な人は、王様、それは自分自身でございます」と答え、さらに、

「王様には、ご自分よりも大切な人が誰かおられますか」と問いかけてきた。
この思いがけない問いに、「私にしても自分より大切な人はどこにもいない」
と王様は答えるしかなかった。

しかしもう一つ得心できなかったらしく、この話を聴いてもらおうと釈尊を訪ねた。

王様の話を静かに聴いていた釈尊は深くうなずき、詩でもって答えた。

「すべての人は自分自身がいちばん大切である。
世界中どこを探しても自分より大切な人を見つけることはできない。

だからこそ自分を大切にするのと同じように、他の人を大切にしなければならない。
本当に自分を大切にできる人は、本当に他の人をも大切にできる人である」


以上のようなお話である。


釈尊は、人は誰しも自分がいちばん大切だということを認めた上で、
自分を大切にするように他の人も大切にせよと、説いているのである。

「自分と他人とのあいだに境目はない。すべては自分の心の中のできごとである」
と仏教は教えている。

とすると、自らの心を大切にするためには、すべてを大切にしなければならない。
他の人だけでなく、お米一粒、水一滴にいたるまで大切にすることは、
自分を大切にすることである。

だから他人に対して不親切な人は、自分に対しても不親切な人なのである。


聖書の中に黄金律(おうごんりつ)と呼ばれる教えがある。
これを守っていれば人間関係は必ずうまくいくというその黄金の法則とは、
「自分が人にしてほしいと望むことを、人にしてあげなさい」という内容である。


フランスの国旗は青・白・赤の三色旗で、この三色が「自由、平等、博愛」を表しているという。
このうち自由と平等は誰にでも分かるが、博愛(はくあい)の意味は分かりにくい。
博には「ひろい」という意味があるから、博(ひろ)く平等にすべての人を愛するのが
博愛の精神である。


黄金律と博愛の精神を守っていれば、豊かな人間関係を築くことができる。
そしてそれは自分を大切にすることでもある。

(参考文献「神々との対話」169頁 中村元訳 岩波文庫1986年)

          <感謝合掌 平成27年11月23日 頓首再拝>

《悩みの話》 - 伝統

2015/11/26 (Thu) 20:07:09


           *Web:瑞雲院法話(その5)より

買いたての車にキズをつけてしまった。
せまい坂道のカーブを下りていたとき、対向車が来たので左へ寄ったら変な音がした。

よく見ると車の横を道路標識でこすっていた。
下から直射する対向車のライトに目をくらまされて標識がまったく見えなかった。

十年も乗った車なら少しぐらいへこんでも何とも思わないが、まだ新車である。
やってしまったと思ったとたん頭の中が混乱し、実にいやな気分に襲われた。

こうした失敗をしたときなど、その衝撃をやわらげたり、苦悩を解決するための
何かいい方法はあるのだろうか。

     

《悩みを解決する魔法》

デール・カーネギー氏の名著「道は開ける」の中に、
「悩みを解決するための魔術的公式」が載っている。

魔法の如くたちどころに苦悩が解決できるというその公式は、次の3つの段階からなっている。

その一。

「状況を把握し、生じうる最悪の事態を予測する」。
まず、目をそらさずに自分が置かれている状況を分析し、
最悪の場合どのような結果になるかを考える。


その二。

「最悪の事態を予測したら、やむを得ない場合にはその結果にしたがう覚悟をする」。
事態をありのままに受け容れる心の準備ができると、不思議なほど心が落ち着いてくる。


その三。

「最悪の事態を受け容れる心の準備ができたら、事態を少しでも好転させるように努力する」。
ありのままを受け容れることから心の安らぎが生まれ、心の安らぎは心身の力を回復し、
不幸なできごとを克服する力を与えてくれる。



これを今回の事故に当てはめてみると、
まず目をそむけずに車のキズを点検し、最悪の事態を考えてみる。
この場合の最悪の事態とは、修理代としばらく車が使えない不便である。

そのことを受け容れて心を落ちつけ、それから段取りよく修理する方法を検討するのである。
言葉にすればそれだけのことなのだ。

覚悟が決まると余裕も出てきて、人身事故でなくて良かったとか、
この事故が将来おこるべき大きな事故を防いでくれたかもしれないとか、
この事故から何か学ぶものがあるだろうか、などと考えられるようになる。

せっかくいやな経験をしたのだから、
せめて話のタネにしてやろうなどという積極性も出てくる。


人の一生を考えた場合、最悪の事態とは死ぬことであろう。
死ぬより悪いこともたくさんあるはずだが、たいていの人は死が最悪のことだと思っている。
そしてすべての人はやがて死ぬのだから、この最悪の事態をさけることはできない。

だから人生の苦しみを元から解決するには、死ぬという最悪の事態をまず受け容れた上で、
残された人生が少しでも良くなるように努力するべきである。

そうすれば心安らかに、しかも積極的に、人生を送れるはずである。

          <感謝合掌 平成27年11月26日 頓首再拝>

木仏長者 - 伝統

2015/12/07 (Mon) 19:05:22


むかしむかし、貧乏な男が、長者といわれる大金持ちの家で働いていました。
長者の家には、立派な金の仏さまがあります。
 
男はたいへん信心(しんじん→神仏を信仰する気持ち)深くて、
「なんて立派な仏さまだろう。自分もあんな仏さまを持っておがみたいものだな」
と、思っていました。

ある日の事、男は山へ仕事に行って仏さまそっくりの木の切れはしを見つけると、
ひろって持って帰りました。
 
そして自分の部屋に、おまつりしたのです。
男は毎日、自分のおぜんをお供えして木の仏さまをおがみました。
でも、ほかのみんなはそれをバカにして、男をいじめるのです。
男はとてもよく働くので、このままいじめられてよそにいかれては大変と、
長者はこんな事を考えました。

「お前さんのおがんでいる木の仏さまと、わしの持っている金の仏さまとを、
一度、すもうをとらせてみようではないか。木の仏さまが負けたなら、
お前は一生、わしのところで働くんだ。その代わり、もしわしの金の仏さまが負けたなら、
わしの持っている財産はみんなお前にやろう」

男は、びっくりです。
 
さっそく木の仏さまの前へ座ると、手を合わせて言いました。
「大変な事になりました。あなたさまと金の仏さまとが、おすもうをおとりになるのです。
どうしましょう?」

すると木の仏さまは、男に言いました。
「心配するな。強い相手だが、わしは勝負をしてみるよ」

いよいよ、すもうをとる日です。
大きな部屋で、金の仏さまと木の仏さまは向かい合って立ちました。
 
長者は二つの仏さまに、勝負に負けるとどうなるかを説明すると、
「さあ、始め! はっけよい、このった! 」
と、うちわをあげて、開始の合図をしました。

すると二つの仏さまはグラグラと動き出して、近寄って組み合いました。
押したり押されたり、なかなか勝負がつきません。
 
長者も使用人の男も、ハラハラしながら応援(おうえん)しました。
「金の仏さま負けるな!」
「木の仏さま負けるな!」

最初の方は金の仏さまが優勢でしたが、
そのうちに金の仏さまの体中が汗でびっしょりになってきたのです。
汗だけでなく、足もフラフラです。
 
これは大変と、長者は大きな声で叫びました。
「金の仏さまが、そんな木ぎれの仏さまに負けてどうするのです! 
がんばってください! がんばってください!」

けれど金の仏さまは、とうとう倒れて負けてしまいました。
疲れ果てて、起きあがる力もありません。

その間に木の仏さまは、今まで金の仏さまがまつられていた仏壇の上へあがって座りました。
「ありがたい、ありがたい」
みんなは、その木の仏さまをおがみました。

 
負けた長者は、約束通りに家を出ていきました。
長者の家は、もう使用人の男が主人です。
 
金の仏さまを抱いた長者は、野原をトボトボと歩いていきました。
そして、金の仏さまに言いました。

「お前さんは、どうしてあんな木切れの仏さまなんかに負けたのだね」

すると、金の仏さまは答えました。

「相手は木の仏だが、毎日毎日、おぜんを供えてもらって信心されていた。
それなのに、わたしは一年に、ほんの二度か三度、お祭りの時におぜんを供えてくれただけ、
それにお前さんは信心もしてくれない。力が出ないのは、当たり前ではないか」

金の仏さまは、悲しそうに泣きました。

「・・・・・・」

長者は、返す言葉がありませんでした。

     (http://minwa.fujipan.co.jp/area/aomori_002/

・・・

この昔話は、白鳩誌No.51(2014.6)でも、収録されておりました。

          <感謝合掌 平成27年12月7日 頓首再拝>

あわれむ心のないものは恵まれない~試された親切心 - 伝統

2015/12/24 (Thu) 19:54:29

            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第80話)より

お釈迦さまが、ある家へ乞食の姿で現れ、一飯をこわれた。

「私の家には、夫婦の食べるものしか炊いていない」

出てきた主婦は冷たくあしらう。


「それでは、お茶を一杯、恵んでくださいませんか」

「乞食が、お茶などもったいない。水で上等だ」


「それでは私は動けないので、水を一杯、くんでくださいませんか」

「乞食の分際で、他人を使うとは何事だ。前の川に水はいくらでも流れているから自分で飲め」

 
釈迦は、忽然と姿を現し、

「なんと無慈悲な人だろう。
一飯を恵んでくれたら、この鉄鉢に金を一杯あげるはずだった。
お茶を恵んでくれたら、銀を一杯あげるはずだった。
水をくんでくれる親切があったら、錫を一杯あげるつもりであったが、なんの親切心もない。
それでは幸福は報うてはきませんよ」


「ああ、あなたはお釈迦さまでしたか。さしあげます、さしあげます」

「いやいや、利益をめあてにする施しには、毒がまじっているからいただかない」

と、おっしゃって帰られた。

 
帰宅して、一部始終をきいた主人は、

「おまえはばかなやつだ。なぜ一杯のメシをやらなかったのだ。金が一杯もらえたのに」

「それがわかっていれば、十杯でもやりますよ」

「よしそれなら、おれが金とかえてもらおう」

と、お釈迦さまの後を追った。

へとへとになったところで、道が左右に分かれている。

ちょうど、道ばたにうずくまっている乞食がいるので、

「乞食、ここをお釈迦さまが、お通りにならなかったか」

「ちっとも知りませんが……私は空腹で動けません。なにか食べ物を恵んでくださいませんか」

「おれは、おまえに恵みにきたのではない。金をえるためにきたのだ」

 
そのとき、釈迦は変身なされ、

「妻も妻なら夫も夫、あわれむ心のないものは恵まれないのだ」


「あなたがお釈迦さまでしたか。あなたにさしあげるためにきたのです」

「いいえ、名誉や利益のための施しには、毒がまじっているからいただくまい」

厳然とおっしゃって、釈迦は立ち去られた。

          <感謝合掌 平成27年12月24日 頓首再拝>

二十四度殺された老婆~口は禍の門 - 伝統

2015/12/29 (Tue) 19:56:27


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第47話)より

丹波の国(京都府)に、120歳をこえた老婆がいた。

ある人が、老婆を訪ねてきいた。

「長い一生にはどんなにか、珍しいことや、おもしろいことがあったでしょう。
その思い出の一つをきかせてくださらんか」

 老婆は、首を横にふりふり答えた。

「それは種々あったが、年寄ると頭がぼけて、みんな忘れてしもうた」

120歳にもなれば無理からぬこと、とは思いながらも、

「それでもなにか一つぐらい、思い出がおありにならんか」

再度、たずねた。

「そんなにまで言われれば、話そうか。24度殺された、つらい思い出だけは、あるわいな」

しわくちゃの顔をしかめて、老婆はつぶやくように言う。

現に生きている人が、24度殺されたとは、いったい、どんなことか、とたずねると、
ポツリポツリと老婆は語り始めた。

「この年になるまで私は、たくさんの子供を産み、多くの孫ができ、ひ孫もできた。
ところが老少不定のならいで、子供が先立ち、孫が死に、ひ孫が死んで、
内より24人の葬式を出した。

そのたびに、悔やみにくる人たちは、私の前では言わんが、
隣の部屋で ”ここの婆さんとかわっておればよかったのに”と
言っているのが聞こえてくる。

他人さまは、まだ遠慮して陰で言っとるが、孫やひ孫は面前で言いよる。
そのたびに、私は殺されたんじゃ」


しみじみと、老婆は物語るのであった。

『口は禍の門』といわれるが、自覚のないところで我々は、
どれだけの人を傷つけ殺していることか。

三思三省させられることである。

          <感謝合掌 平成27年12月29日 頓首再拝>

苦しみの袋 - 伝統

2015/12/31 (Thu) 19:14:49


         *Web:リーラ(2015年12月31日)より

ある男が毎日のように自分の境遇を嘆いていたんだって。

何故自分ばかりがこんなに多くのトラブルや不幸に見舞われるんだ。
何故自分ばかり、こんな苦しい目にあうんだ。


そんなある日、男の夢の中に神様が出てきてこう言ったんだ。

「お前をその苦しみから救ってあげよう。
お前の苦しみを全部この袋に詰めて聖堂に持って行って、
壁のフックに掛けて来なさい。」



男は喜んで自分の苦しみを1つ残らず袋に詰めて、肩に担いで聖堂に持っていった。

そこには神様が言うように壁に多くのフックが備えられていた。

「あれ? フックは1つじゃないんだ。どれでもいいのかな」


そんな事を考えていたら、入り口からたくさんの人がぞろぞろと入ってきた。
みんな肩に同じような袋を担いでいる。

顔なじみやご近所さんもいて、よく見たら近所のレストランのご主人もいるじゃないか。
お店も大繁盛だし、綺麗な奥さんと仲むつまじく、幸せを絵に描いたような人だった。


ん?  れれれ?  彼も苦しみの袋を担いでいる。

それも同じくらいの大きさのだ。


あまりの意外な出来事に男は自分の目を疑った。

(幸せそうに見えたのにな・・・)



みんなが聖堂に集まると、場内アナウンスが響いた。

「はい、ご苦労様でした。それじゃみなさん、どこでもいいですから
好きなフックに袋を掛けて下さい」

みんなやれやれという顔をして、持ってきた不幸の袋を壁に掛けた。

しばらくしたらまた場内アナウンスが響いた。

「あなたの袋は確かにお預かりしました。あなたの苦しみは今日限りです」

場内は割れんばかりの拍手と歓声に包まれた。


アナウンスは続いた。

「それではお帰りください。ただし手ぶらでは帰れません。
どれでもいいから好きな袋を1つお持ち帰りください。誰の袋でもかまいません」


一瞬、場内が静まり返った。

何かひとつの袋を持って帰れだと?


みんなしばし考え込んでいたけれど、
そのうち我先にと一斉にお目当ての袋に向かって走り出した。


みんなが手にしたのは、自分が持ってきた自分の袋だった。

どうせ同じ大きさの苦しみなら、
まだ自分の苦しみのほうが慣れ親しんでるから絶えられそうだ。
新しい苦しみなんて真っ平だ。

みんながそう思った。

そして持ってきた袋をまた担いで、それぞれの家に帰っていったんだ。

その日から男は、自分の苦しみを嘆かなくなったんだってさ。


おしまい

・・・

このWebでは、さらにつぎのように述べております。(要点を列記)

(1)現象界は苦しみのためにセットされた幻想ゲームなんだ。
   だからシタバタするのは止そう。

(2)ありもしない幸せを追い求めるから、よけいに苦しくなるんだ。
   お釈迦さまも、「人生は苦しみだ」 と残している。

   苦しみを受け入れて暮らしてみないか。
   苦しみが当たり前に思えたら、もはやそれは苦しみだろうか。

(3)ちなみにお釈迦さまは、そんな苦しみの人生を超えたところに、
   涅槃寂静なる平安が待っているって教えてくれた。

   それは「自己」という分離幻想を超えたところにあるんだって。

(4)こんな言葉に、なんの力もないけれど、今年の最後に言っておこう。

   苦しみは幻想のゲームだ。
   幻想だなんて思えないくらいに生々しいけれど、それでも幻想は幻想だ。

   真実じゃない。
   真実はそんな表面的な現象の奥に、いまも傷一つないままで鎮座している。
   それが真実のあなた。

(5)だから結局この言葉になる。

   「大丈夫だよ」

   何が起きているように見えても、真底大丈夫だからね。
   誰ひとり例外なく大丈夫だから。

          <感謝合掌 平成27年12月31日 頓首再拝>

逃げ場がないから必死に戦う~数千の韓信軍、20万を破る - 伝統

2016/01/02 (Sat) 20:07:57


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第51話)より

中国の天才的名将・韓信が紀元前204年、黄河の守りを突破して、
魏王と代の宰相・夏説を生けどりにし、連戦連勝、破竹の勢いで趙国に進撃した。

「いかに韓信の兵が強くとも数千にすぎない。
しかも本国を離れること千里の遠征で、極度に疲労している。
正々堂々、一撃で勝ってみせる」

と豪語する趙の将軍・成安君陳余は、20万の大軍をもって、これを迎撃する。

 
実情はそのとおりであったが、
韓信が用兵の天才であることを見逃したのが、彼一代の不覚であった。

韓信は兵を河向こうに進めて、世に有名な、背水の陣を布く。

これを望見した趙の将兵は、その原則はずれの配備を嘲笑した。

河川の付近で防勢をとるには、河川を敵の威力をそぐ障害にするために、
後方に陣を構えるのが常道だからである。

ここぞと全力あげて攻撃に出た趙軍は、後ろに大河をひかえて
逃げることのできない韓信軍の、必死の抵抗に苦戦して、
ひとまず引きかえそうとしたところを、前後から挟撃されて、たちまち崩壊した。

将軍の成安君陳余は斬殺され、趙の歇王はとらえられた。

 
後日、なぜ原則はずれの背水の陣をとったのか、の問いに韓信はこう説いた。

「なるほど水を背にして陣をするのは、みずからの退路を絶ち、
最も危険な態勢ではあるが、それだけ必死になる。

正規軍のほとんどを本国に引きあげられたわが軍の主力は、
占領地で徴集した新兵ばかりで、残念ながら烏合の衆であった。
後ろに河がなければ、みな逃げてしまうであろう。

背水の陣を布かざるをえなかったのである。
彼らは逃げ場がないから必死に戦い、とても勝てないとみえた趙の大軍を、
潰滅させることができたのである」

なみいる将星は感服した。決死は、すべての道を開くのである。

          <感謝合掌 平成28年1月2日 頓首再拝>

【野鴨の哲学】 - 伝統

2016/01/04 (Mon) 19:45:43

              ・・・

キェルケゴールの哲学の一つに、「野生の鴨」の話があります。
飼いならされてしまった鴨は、もはや飛ぶ力を無くなってしまうという話です。

キェルケゴールは父親が家政婦に産ませた子どもで、
生まれつき脊椎の病気を患い、屈折した青春時代を送っています。

父親はデンマーク郊外にあるジーランドという湖近くに彼を転地させました。
ジーランドの湖には毎年野生の鴨が渡ってきます。

その鴨たちを見つめながら、キェルケゴールは鴨に借りて
人間たちに警告を発しました。それが「野鴨の哲学」です。

キェルケゴールは野生の鴨が人間に飼いならされていくのになぞらえて

「安住・安楽こそが最大の悪の根源だ」

という、人間社会への警告を発しています。

つまり

「これくらいでいい」
「まあ、こんなもんだろう」

と思い始めた時が悪の始まりということです。

これを「野鴨の哲学」と呼びます。

              ・・・

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2016年01月03日)」より

   (行徳哲男師の心に響く言葉より…)

   デンマーク郊外のジーランドという湖に一人の善良な老人が住んでいました。

   老人は毎年遠くから飛んでくる野鴨(のがも)たちに
   おいしい餌を与えて餌付けをしました。
   するとだんだん鴨たちは考え始めるのです。

   こんなに景色がいい湖で、こんなにおいしい餌がたくさんあるのに、
   何も苦労してまで次の湖に飛び立つことはないじゃないか。

   いっそのこと、この湖に住みついてしまえば
   毎日が楽しく、健康に恵まれているじゃないか、と。

   それで鴨たちはジーランドの湖に住みつくようになって、
   飛ぶことを忘れてしまうわけです。

   しばらくはそれでもよかったんです。
   確かに毎日が楽しくておいしい餌にも恵まれていましたからね。

   ところがある日、出来事が起きます。
   毎日餌を用意してくれていた老人が老衰で死んでしまったのです。


   明日からは食べるものがない。

   そこで野鴨たちは餌を求めて次の湖に飛び立とうとします。
   しかし、数千キロも飛べるはずの羽ばたきの力がまったくなくなってしまって、
   飛ぶどころか駆けることもできない。

   やがて近くにあった高い山から雪解けの激流が湖に流れ込んできました。

   他の鳥たちは丘の上に駆けあがったり飛び立ったりして激流を避けましたが、
   醜く太ってしまった野鴨たちはなすすべもなく激流に押し流されてしまうのです。


   これが「野鴨の哲学」と呼ばれるものです。

   これはトーマス・ワトソンがIBMをつくるきっかけとなった哲学でもあります。

   (ワトソンは「ワイルドダックス(野性の鴨たれ)」という合言葉で、
    社員に「安住」を否定させました。
    そして、「IBM」を世界的企業に育てあげたのです。)

   野生の鴨というのは、一万二百キロを無着陸飛行できるほどだそうですよ。

   私は実際にニュージーランドから中国まで飛んできたという鴨の写真を
   持っていますけれど、これだけの距離を1週間と数時間で飛んで来る。

   寝ることもなく飛び続けるんです。

   だから、野生の鴨の羽ばたきというものはすごいものなんですね。


   この話は戦後の日本人の歩みに当てはめるとよく理解できますよ。
   敗戦の瓦礫(がれき)の中から立ち上がり、
   必死に働いて経済大国と言われるようにまでなった。

   食べ物の心配も、着るものの心配も、住むところの心配もない。

   そして、安全、自由、平和・・・。


   しかし、豊かさと平和を貪ったところから野生のエネルギーを失い始めた。

   結局、野鴨の哲学というのは何かと言えば、
   安住安楽こそがすべての悪の根元だということですよね。

   「何とかなっているから、いいじゃないか」

   「これで十分じゃないか」

   と思った時は、すでに悪が芽生えているわけです。


   だから「野鴨の哲学」というのは、
   飼い慣らされるんじゃないぞ! という強烈なメッセージですよ。


   豊かさと平和に酔いしれている今の日本人は何もかも身につけすぎていますよ。

   野生の鴨たちは羽毛以外には何も身につけていませんからね。

   必要のないものを捨て去る勇気を持たなくてはいけません。

   その意味でも、一刻も早く野生に帰る必要があるでしょう。

      <『いまこそ、感性は力』(行徳哲男・芳村思風)致知出版社>

                 ・・・

「不振にあえぐアメリカの新聞、『ワシントン・ポスト』を買収したのは、
アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏。

ワシントン・ポスト電子版の10月の訪問者数は6690万人と
デジタル戦略で先行するニューヨーク・タイムズを初めて逆転し、
11月にはリードをさらに広げ、ベゾス氏が買収を発表した13年8月の3倍近くに達したという。

編集局の一角には、ベゾス氏の次のような言葉が大きく刻まれている。

『何が危険か。それは進化しないことだ』」(日経新聞2015/12/23 「米国メディアの波頭」)より


世の中やまわりがまったく変化しないのなら、自分も変わる必要はない。

しかし、現実には、世界はすさまじい勢いで変化している。

新聞や出版業界を始めとして、ありとあらゆる業界でそれは起こっている。

インターネットの威力だ。


ぬくぬくとした現状に慣れ切ってしまうと、
ひとたびそこに大変化という激流が流れ込んだときには、溺(おぼ)れるしかなくなる。

進化すること、変化することが今ほど必要なときはない。

「野鴨の哲学」を肝に銘じたい。

          <感謝合掌 平成28年1月4日 頓首再拝>

猩々ヶ池 - 伝統

2016/01/08 (Fri) 19:36:18


        *Web:多賀城市観光協会 より


「昔、一軒の居酒屋に小佐冶という気だてのよい娘が働いていました。
あるとき、この酒屋に顔が赤く全身に毛が生えた猩々(しょうじょう=妖怪の一種)が来て、
酒を飲ませよと仕草をし、酒を出すと飲みほし、お礼に盃に鮮血を残していきました。

この鮮血は唐紅で幾世代も色褪せないことから法外な値で売れました。
欲の深い居酒屋の女房は猩々を殺してその血を全て搾り取ろうと画策します。

その話を漏れ聞いた小佐冶がやってきた猩々を逃がそうとすると

『たとえ命をとられても酒の味が忘れられない。自分が死んだら必ずや
三日のうちに東方より真っ黒な大津波が押し寄せるだろう。
そのときは西の末の松山へ逃げなさい』

と言いました。

女房の企み通り、猩々は殺されて血を奪われその骸は近くの小池に捨てられました。

それから間もなく、猩々の言葉通り大津波がやってきました。
あっという間に波に呑まれる八幡の町。

忠告を思い出し、一目散に末の松山を目指して駈けた小佐冶は、間一髪難を逃れます。
猩々の骸が捨てられた小池は『猩々ヶ池』と呼ばれています」

http://www.tagakan.jp/category/legend.php?id=1

・・・

<参考Web:多賀城市 末の松山>

(1)https://sites.google.com/site/kanshamiyagi/home/tagajo

(2)http://www.bashouan.com/piTagaUtamakura.htm


          <感謝合掌 平成28年1月8日 頓首再拝>

三猿の教え - 伝統

2016/01/10 (Sun) 19:28:21


(1)三猿像の源流は古代オリエント(エジブト)にさかのぼるのです。
   原点の三猿像の教えは「見ろ、聞け、ただし、口はつつしめ」と解釈され、
   広く通用しています。

   「見ざる・聞かざる・言わざる」と、前の2つは逆の解釈です。

(2)ヨーロッパでは三賢猿(the three wise monkeys)と言って、
   悪魔よけ、厄除けのお守りとして親しまれているようです。

(3)中国では今日でも、妊娠中の女性は胎教の観点から
   「目は黒色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は放言を出さず」
   という戒めの意味があるようです。

(4)朝鮮半島においても、結婚前の女性は
   「見ても見ぬふり、聴いても聞こえないふりをして、言いたくても言うな」
   と教育されるそうです。

(5)インンドのマハトマ・ガンディーは常に三匹の猿の像を身につけて
   「悪をみるな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、
   教科書などに「ガンディーの三猿」が掲載されているそうです。 

(6)アメリカでは教会の日曜学校などで、三猿を用いて、
   猥褻なものをみたり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう
   諭すことがあるそうです。


(7)日光東照宮の三猿は、見ざる言わざる聞かざるで、
   物心つく子供の頃には、悪いことを見たり言ったり聞いたりしないで、
   良いものだけを受け入れ、素直な心のまま成長しなさいという願いが込められております。

(8)秩父神社のお元気三猿は逆で、よく見てよく聴いてよく話なさい。
   「良いことを言うと良いことが自分にかえって来る」見るもの聞くものをよくすると、
   自分に良いことが帰ってくるという意味が込められているそうです。

・・・

「見ざる・言わざる・聞かざる」三猿の教え

     *メルマガ「勝ち神からの手紙」(2016年1月4日)等より

両手でそれぞれ耳、口、目を押さえた三匹の猿。
いわゆる、『見ざる、言わざる、聞かざる』の三猿の教え。
物心のつく幼少期には、悪いことを見たり、言ったり、聞いたりしないで、
良いものだけを受け入れ、素直な心のまま成長せよという教えが暗示されています。


今年の年賀状には、「三猿像」が登場していました。
三匹の可愛い猿が、それぞれ両手で目・耳・口をおさえています。
三猿像でまず、だれもが思いつくのが日光東照宮の三猿、
左甚五郎作と伝えられる眠り猫ともに有名です。

それでもって「見ざる・聞かざる・言わざる」を表現したものです。
この教えは、漢語の不見、不聞、不言の和訳で、猿とは直接関係はありません。

しかし、否定の“不”(さる)を猿に通わせて見猿、聞猿、言猿の三匹の猿が作られ、
三えん、三ざるの名で親しまれてきました。

俗説では不見、不聞、不言の三諦を三猿に表したのは伝教法師言われています。

また、日本において庚申信仰に結びついて作られたとも言われています。
庚申信仰は、仏教と道教に神道まで混交した民間信仰です。
すなわち、三猿像は、「目と耳と口をつつしみ、厄を避ける」
ことを教えたものと思っていました。

この三猿像のルーツは、古代日本が交渉をもった中国、朝鮮を経由し、
そのの源流は古代オリエント(エジブト)にさかのぼるのです。
原点の三猿像の教えは「見ろ、聞け、ただし、口はつつしめ」と解釈され、広く通用しています。

             ・・・

「見ざる」は、人の悪いところを「見ざる」。

   どうしても、人のダメなところばかりが目につくものです。
   完璧な人はいないと心得て、相手を許す度量を持ちたいものです。


「言わざる」は、人の悪口を「言わざる」。

   人の悪口は、誰も気持ちのいいものではありません。
   思い通りにならず、もやもやしていると、人のせいにしたくなります。
   悪口は、誰も同意してくれないことを知っておきましょう。


そして、悪口を言っている人に出会ったら「聞かざる」。

   悪い噂は、「聞かざる」ことです。
   人は、勝手な噂をたてるものです。噂や評判に惑わされるのではなく、
   正々堂々、正しい道を進むべきです。


申年の戒め、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」を守れば、
幸運の勝ち神様は、必ずあなたの味方になってくれるでしょう。
そして、あなたの目標をきっと実現してくれる力を与えてくれるでしょう。
先日、あるお寺で、次のような句を見つけました。

「振り返ってみれば お世話になった 人ばかり」

今年も多くの方にお世話になるばかりです。

丙申歳の未知の扉を開くのは、あなた自身です。

実りの多い年になりますよう、心より祈念申し上げます。

          <感謝合掌 平成28年1月10日 頓首再拝>

何を信ずるか? - 伝統

2016/01/13 (Wed) 19:09:21


今回紹介する話は、寓話というより実話です。
何を信ずるかがによって、種々の結果を惹き起こすということを示唆した話の概要の紹介です。

            ・・・

2013年2月6日。オーストラリアの北にあるパプアニューギニア。

そこで、2人の幼い子どもを持つ20歳の女性が殺されました。
この殺人事件は、何百人もの村人が見ている中で行われたにもかかわらず、
誰ひとりとして、その女性を助けなかったのです。

というのも、この女性には

「ある6歳の少年が死ぬように呪いをかけた魔女」
という疑いをかけられていて、亡くなった6歳の少年の親族が女性に拷問をした結果、
罪を認めたので、女性に火をつけ焼き殺したのです・・・


《なぜ、こんな残酷な悲劇が起きたのか?》

パプアニューギニアでは、人が病気になったり、死んだりすることは
黒魔術によるものという考え方が信じられて、体調が悪くなると、

「誰かが、オレに黒魔術をかけたな」

と、考える人がたくさんいるそうなのです。

そのため、体調をを回復させるために、
「ウィッチドクター」と呼ばれる黒魔術を消してくれる人のところへ行く、と。

※もちろん、ウィッチドクターのところへ行かずに、病院に行く人もたくさんいるようです

さらに、この「ウィッチドクター」。

かけられた黒魔術を消してあげるだけじゃなく、誰が黒魔術をかけたのかを
特定することもあるそうで、黒魔術をかけた人が特定されれば、
当然、その人に対して復讐・報復することも、あると。

最初に紹介した20才の母親が殺されたのは、
おそらく、こういった経緯で報復をされたということなのでしょう。

(そして、多くの人が黒魔術を信じているので、
まわりで見ている数百人の人たちも止めなかったのでしょう)

こんな背景から、この信じられないような事件が、たった3年前に起きてしまったのです。


《なぜ、ウィッチドクターのところへ行くのか?》

黒魔術を信じていない私たちが体調を崩しても、
ウィッチドクターのところへ行こうとは思いません。
体調を崩せば、病院にいくのが普通でしょう。

体調を崩した原因は、黒魔術ではないと知っているので、当然といえば当然です。

一般的な人たちは体調が悪くなったとしても、
その原因はウィルスや病原菌が悪さをしたりしているのかな、などと思います。

なので、ウィルスや病原菌などを排除してもらったり、
そもそもの原因を調べてもらって、治してもらうために病院へ行くわけです。


ですが、パプアニューギニアでは、体調が悪くなった原因は、そういった病原菌などではなく
黒魔術だと信じている人が多くいるので、「ウィッチドクター」のところ行ってしまうのです。

つまり、黒魔術をかけられてしまった、という問題を解決しようとして、
ウィッチドクターのところへ行っているのです。

そして、この悲惨な事件は、体調が6歳の少年が死んでしまった原因が、
黒魔術にあると信じていたことが引き金になって、起きてしまったのです。



《問題を解決したい欲求は、人を動かす》

体調が悪くなったのが黒魔術のせいだと思っている人は問題を解決するために
(体調を良くするために)ウィッチドクターのところへ行ってしまいます。

体調が悪くなったのが病原菌やウィルスなどのせいだと思っている人は、
問題を解決するために(体調を良くするために)病院に行きます。

体調が悪くなったのが、祟(たたり)のせいだと思った人は、
問題を解決するために(体調を良くするために)霊能者のところへ行くかもしれません。


体調が悪くなったのが、自分の心の過ちにあると気づいた人は、
問題を解決するために(体調を良くするために)反省や懺悔を行ないます。



・・・

<参考Web:パプアニューギニアの魔女狩りに見る、心の闇
       → http://news.livedoor.com/article/detail/7547304/ >

          <感謝合掌 平成28年1月13日 頓首再拝>

これへ、その下肥とやらをかけてまいれ、とバカ殿 ~ 偶像崇拝 - 伝統

2016/01/15 (Fri) 19:36:55


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第59話)より

江戸時代、父母を同時に惨殺する事件があった。

子が親を殺すほどの重罪はない。

奉行たちは無類の凶悪犯罪者に、いかなる処罰を科すべきか、
議論百出したが、評議はいっこうにまとまらない。

そこで、
「かかる極悪人は、どんな極刑に処すべきか」
裁決を殿さまにあおいだ。

考えていた殿さまは、やがてこう言った。
「東海道五十三次を、カゴに乗せてブラブラ歩いてやれ。それが一番つらい」

 
また、ある殿さま。城下で白菜の漬物を食べた。
それがたいそう美味で忘れられない。
城へ帰ってさっそく、白菜の漬物を所望した。

やがて運ばれた白菜を待ちかねて、ほおばった殿さま。
これはなんじゃ、なんともまずい。

そこで賄い方を呼んで苦情タラタラ。

「これが城下で食べたあの白菜と、同じものとは、とても思えぬ」

「おそれながら申し上げます。下々で用いまする白菜は下肥を使っております。
殿の白菜は、それを使ってはおりませぬ。そのゆえかと存じます」
 
賄い方が弁明すると、殿さまは、漬物の皿をズーッと前へ突き出して厳命した。

「これへ、その下肥とやらをかけてまいれ」

偶像を崇拝させられる大衆は悲劇である。

          <感謝合掌 平成28年1月15日 頓首再拝>

Re: 或る譬話・寓話からの学び① - enztpqgMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:21

伝統板・第二
enztpqg http://www.gcto3t55h00i6ht526nf7hp801i04wo1s.org/
<a href="http://www.gcto3t55h00i6ht526nf7hp801i04wo1s.org/">aenztpqg</a>
[url=http://www.gcto3t55h00i6ht526nf7hp801i04wo1s.org/]uenztpqg[/url]

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.