伝統板・第二 2538708

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聖経『甘露の法雨』の功徳

1:伝統 :

2015/04/12 (Sun) 03:55:43

*光明掲示板・伝統・第一「聖経『甘露の法雨』の功徳 (91)」からの継続です。
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=55

・・・

「甘露の法雨」の功徳

           *『真理』第五巻女性篇(P215~219)より


ある人が『甘露の法雨』という本をくれたというのです。

これは今では生長の家のお経だといいますけれども、
これは最初はお経という意味でもなかったのですけれども、
私が霊感的に書いた自由詩であります。

『生命の實相』の本に書かれているところの真理が、
簡単な三十分ぐらいで朗読できるところの一つの詩になっているのです。

京都に島津製作所という大きな電気会社が今でもありますが、
あの会社の設立にあずかって力があったところの、
明治初年の一番初めの頃の工学博士であった小木乕次郎(こぎとらじろう)という人が、

科学者中の科学者、工学博士でありながらも私の詩を読んで、これを読むと病気が治ったり、
あるいは迷っている霊魂が救われるという事実が沢山あるが、これは不思議だ。

これは単なる詩というよりも『聖経』とつけた方がよいだろうというので、
紫色の表紙の折本のお経の形に、その工学博士がみずから計画なさって、
それを最初京都から売り出されたのですが、
本部の方ではそんなことは知らなかったくらいでした。

それが折本のお経の形になって、そのためにお経として弘がって来たのであります。

その『甘露の法雨』を私は東京へ来てから、小石川の音羽(おとば)の護国寺という
真言宗の本山の講堂で、毎日曜日にその『甘露の法雨』を講義に行ったことがあります。

それを速記して呉(くれ)た人がありましたのを少し筆をいれて『甘露の法雨講義』という
一冊の本に纏めたのであります。

兎も角、その折本のお経型の『甘露の法雨』を
阿部定(あべさだ)さんがもらって読んだのです。

そうするとお腹がたいへん気持がよくなった。

ちょうどそのときに東京の今の毎日新聞から、東京見物か何かの催しの招待状が来たのです。
それは多分、阿部さんがそのころ新聞社の相当の株主だったのだろうと思いますが、
とにかく一等列車の切符と招待券が来たというのです。

『甘露の法雨』を読んだらたいへん気持がよくなったから、ひとつこれをついでに
生長の家の本部へ行って私の病気を治してもらいたいと其の阿部定さんが
思いましてそれに参加したわけです。

その自分は汽車などもゆったりしておって、病人のために特別に寝台をこしらえて
乗せてくれたという時代でありますから、阿部さんは、寝台車に乗って仰向けに寝たままで、
汽車に乗っている間中(あいだじゅう)『甘露の法雨』を読みながら東京へやって来ました。

ところが途中でふしぎな現象が起きたのです。

『甘露の法雨』を読んでいるうちに、それに書いてある「人間の實相は神性・仏性であって
本来罪も業も病も無い」と云う真理が自分の魂の底に、わき出て来たのです。

すると何だか自分が雲に乗って空中に上がるように身体(からだ)がふわふわとするような
感じがして、そうして恍惚状態になったのでありますが、東京駅へ下りてみると、
身体(からだ)がしゃんとしておって、どこにも病気の感じがしない。

「これは治ってしまった」というわけで、本部へ行って治してもらうのをやめてしまって、
せっかく毎日新聞で招待されたのだからというので、招待の席へ行って、たらふく御馳走を
食べて、東京見物のバスに乗せてもらって東京中を見物して、

そうして帰る1時間くらい前に、ちょっと生長の家本部へやって来られて、
「先生に面会してお礼を言いたい」と言われた。

そこで私は阿部定さんにお会いしたのです。

一文字判断の話もそのとき聞いたのでありますが、
「先生、治りましたから、もう治して頂く必要はありません、ただ、お礼を申上げに来ました」
というのでありました。

後(あと)1か月しか持たない生命(いのち)だと医者に言われましたが、
その後(ご)ももちろん十数年間生きておられ、終戦の自分までその人は下関におられまして、
私が下関を通過するときには駅へ出迎えに来られたものですが、

下関が戦災にあってから後(のち)はどこへ行かれたか知らないのですけれども、
私はこの人を時々(ときどき)なつかしく思い出すのであります。


(阿部定さんが『甘露の法雨』によって救われる前の病状等については、
 『真理』第五巻女性篇(P213~214)で、ご確認ください)


<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板「甘露の法雨・世界平和の祈り ムーブメント (58)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=29   

(2)光明掲示板・第一「奇蹟の『甘露の法雨』」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=64  

           <感謝合掌 平成27年4月12日 頓首再拝>
2:伝統 :

2015/04/19 (Sun) 05:01:48

           *光明掲示板・第二からの転写です。

奇跡の聖経 (10429)
日時:2014年07月26日 (土) 00時31分
名前:山ちゃん1952


「甘露の法雨」の発表(『生長の家五拾年史』より抜粋


谷口雅春先生は立教当初、生命感あふれる詩をつぎつぎと『生長の家』誌に発表されてゐる。

例へば「夢を描け」「生きた生命」「光明と暗黒」「光明の国」「或る日の生命の国」
といった詩である。
それらは谷口先生の脳裡に霊感的にひらめいて来だのを書きつづった一種の自由詩であった。

これらの詩は最初。”生長の家の歌”として創刊号から発表されてゐるが、
当時書かれた自由詩は全部、のちに『生命の實相』の”聖詩篇”や『ひかりの語録』に
やはりその頃谷口先生の脳裡にひらめいて来たところの短蔵言である。”智慧の言葉”と
共に収められてゐる。


ところで、それらの自由詩のなかでも最も長篇の詩が「甘露の法雨」であった。
この詩は、昭和五年十二月一日発行の『生長の家』誌に「生長の家の歌」の題で
”神” ”霊” ”物質”の三章が発表され、

昭和六年二月一日発行の同誌には「甘露の法雨」と題して
”実在” ”智慧” ”無明” ”罪” ”人間”が発表され、

昭和七年二月一日発行の同誌に「甘露の法雨」と題して。生長の家’が発表されたのであった。

最後に発表された”生長の家”の詩は、今日、聖経『天使の言葉』となってゐるものであるが、
そもそも「甘露の法雨」と「天使の言葉」は、谷口雅春先生がインスピレ-ションによって
一気に書かれたところの自由詩であったのである。


谷口雅春先生は、この詩が「甘露の法雨」として掲載された時の『生長の家』誌において
次のやうにこの詩を説明してをられる。


《……「生長の家の歌」三篇「神」「霊」「物質」の続篇にして、
この三篇と共に生命の真理を霊感によって書かしめられたものであります。
「生長の家」では所与の経典のほかに神仏の祭壇に対って之を朗読することにしてゐます。

病人に対して又は、病人自身が繰返し朗読すれば病ひが不思議に癒え、
障りの霊に対して読誦すれば、障りの霊が悟りを開いて守護の霊にかはる助けとなります。
それ故これは誠に生長の家の経典とも云ふべきものであります》


この言葉どほり誌友の間には「甘露の法雨」を読誦することによって病気が治癒し、
家庭が調和するなどの体験が相ついで起った。

やがてこの「甘露の法雨」の詩は、昭和十年六月、当時京都に於ける熱心な誌友である
工学博士小木虎次郎氏が「甘露の法雨」の詩を『生長の家の歌』といふ詩集の中にのみ
収めておいては、功徳のあることを知らない人が多いから、

ハッキリとこれは聖経であると明示して、折本型の経本として発行すれば、
功徳を受ける人が多いであらうと、生長の家京都教化部から経本式折本として
発行されることになった。


かうして『甘露の法雨』が経本になって頒布されるや、陸続として功徳を受ける人が現はれた。
さらには、それを携帯するだけで、交通事故に遭ひながら微傷も負はなかった人が
出て来たりもしたのである。

そこで京都の教化部ではこれを京都のみで独占すべきものでないと、
その出版権を昭和十一年末に、光明思想普及会に移すことになったのである。

その後聖経『甘露の法雨』は、さらにその功徳を発揮して、
多くの人々をさまざまな人生苦から解放して行ったのであるが、

その功徳の及ぼす範囲は、単に個人だけでなく、後に述べるやうに、
あの大東亜戦争の終結には国家の危機を未然に救ふ働きをも果すまでになるのである。


ところで谷口先生は『甘露の法雨』の功徳についてのちにつぎのやうに記してをられる。

《どうして『甘露の法雨』にこのやうな偉大な功徳が生ずるのであらうか。
私は、それをただ霊感で詩作するときに、ふと感じてその詩の題を「甘露の法雨」としたに
過ぎないのであって、

別に『法華経』の観世音菩薩の普門の功徳を説いた”普門品”に連関して
詩の題を「甘露の法雨」と題したのでもなかったし、

観世音菩薩が教への本尊として門脇観次郎氏の霊眼に見れるなどといふことも
全然予想もしなかった。

ところが私の著書や執筆の雑誌を読んで功徳を得た人にあらはれる色々の霊顕や現象が
次第に観世音菩薩が生長の家の本尊であり、その観世音菩薩が、『法華経』の”
普門品第二十五”にある通り「甘露の法雨を澎ぎ給うて煩悩の炎を滅除し給ふ」ので
あることを証明するやうになったのである。

聖経『甘露の法雨』の功徳はそれをお説きになった観世音菩薩の妙智力と
引き離して考へてはならないのである》(「神秘面より観たる生長の家四十年史」)


この聖経『甘露の法雨』は陸続と奇跡を生み出し、凡ゆる聖経が出版されていくのです。


折本型『聖経』 京都支部発行 昭和10年6月  最初の『甘露の法雨』

『聖経』帙入り      昭和10年12月1日発行  現在の四部経と同じ

『聖経』   縦16.5cmX6.5cm 紙サック(底なし)  昭和10年12月1日発行

『智慧の言葉』 昭和10年12月15日発行 432頁 46判

聖経『甘露の法雨』(大型)折本 16.4cmX6.5cm 昭和12年5月25日

聖経『天使の言葉』(大型)折本 16.4cmX6.5cm 昭和12年5月25日紙サック底なし

聖経『甘露の法雨』帙入り 折本 昭和12年5月25日 四部経と同じ

聖経『甘露の法雨』手帳型 昭和12年6月3日

聖経『甘露の法雨』中型 折本中身和紙 昭和12年6月5日 

聖経『甘露の法雨』布張ケ-ス 昭和12年6月8日

聖経『甘露の法雨』 7.7cmX3.0cm 昭和12年6月8日

聖経『甘露の法雨』ノ-ト型(菊判) 昭和12年7月1日

英訳『甘露の法雨』(大和綴)表紙菊判と同様 昭和12年7月1日 英訳148頁 日本語61頁

聖経『甘露の法雨』巻物 年代不明『谷口雅春先生九十年の足跡』P31を参照


           <感謝合掌 平成27年4月19日 頓首再拝>
3:伝統 :

2015/04/25 (Sat) 04:46:26


         *『光の泉』(昭和58年12月号) より
          ~生長の家東日本光輪百人賞   鎌  豊 松


私は13歳 (明治39年) の時に、東京へ丁稚奉公に出て、
その時分にキリスト教の街頭演説を聞いたり、『内村鑑三と力のニーチェ』 
という本を読んで、講演なども聞いたが、

あの内村鑑三先生は無教会主義だったけれども、日本では “武士道的なキリスト教” と
言われて 「キリストは単なる愛ばかりじゃない」 と説いて 
「義なるキリスト」 を強調されたが、今考えると、私は内村先生の正直な人柄に魅かれて
キリスト教に入ったんですね。

けれどもキリスト教の教えの方は、日本の國體にどうしても合わない。 
日本は結局、イザナギ・イザナミの神国であることから、約14年続けたキリスト教とは
キッパリ縁を切って、今度は、御嶽山の行者に師事して “妙見坊” という名前まで
貰いました。 

こちらは神道ですから、あの “高天原に神つまります ・・・ ” 
という禊祓の祝詞は、今でも毎日神前で唱えています。


あれは昭和15年頃でした。 やはり織工の募集で、南信の飯田へ行った時に 
『神への道しるべ』 という谷口雅春先生が書かれたパンフレットを、
当時8銭で頒けて貰って読んだのが始まりです。 読んで見て驚いたですよ。


 「人間は神の子であって、本来病気もなけりゃ、罪もない」  とある。


キリスト教では神があって、罪があって、罪がなけりゃ救いが出来ないと言うが、
生長の家は本来 “罪なし” と断ち切って、完全円満な神様一本でしょう
 ― だから、それから世間様を見る眼が変って来て、これこそ本物だと信じた。

そうするうちに、岡谷に 木村周吉先生 という生長の家の講師がおられて、
私はその先生について、教えの実際を学びました。

木村先生は熱情をもった、しかも厳しい先生でしたな。 
もう終戦後ですが、先生は生長の家の御本を一杯背負って、ラシャの服に長靴をはいて、
南信をくまなく歩いて布教されたですよ。 

私はそのお手伝いをしましたが、いきなり病人の寝ている家に派遣されて
始めはとまどったが、先生に指導されるのを真似ながら、 聖経『甘露の法雨』 を
一所懸命誦げましたね。 

すると皆さんが病気から立上ったり、ノイローゼが消えたり、随分と奇蹟が出ましたね。 
そうした人達の中から、現在の生長の家長野県の幹部が生まれて、
私は古いから皆さんと御縁があります。


仏教の方では、よく坊様が般若心経276文字を写経していなさるが、
生長の家では一体何が大事かと考えた時、

“大きくは国家の大病を癒し、小さくは個人の病いをもいやす” 

ともいわれている 聖経『甘露の法雨』 を写経しようと思いたったですわ。

もうこのお経は、生長の家の教えの基ですしな、今までに数々の救いを頂いた、
その報恩感謝をこめて、昭和43年から始めて、今までに 千六百十六巻 の写経をした。

そのキッカケというのは、実は私は昭和31年に生長の家の地方講師になって、
教えもかなり解って、人様の病気を癒したけれども、
40年頃から肝臓を悪くしてしまったので、夫婦して、信濃練成会を受けました。

 
この練成会で、藤原敏之先生 と 末井勉先生 の “人間・神の子病なし” 
のお話を聞いて、本当にズバリと既に完全円満な 「神の子」 が解って
肝臓の悪いのも消えていたんですね。

こうした体験をしてから聖経はただ毎日読誦するだけでは、私の場合は、その深い真理を
把握出来なかったことを反省して、やはり何回も何回も写経することによって、
より深く真理を体得しようと思ったんですわ。


最初の一千巻は冊子にボールペンで写経しましたが、千一巻目からは毛筆で写経して、
これは掛軸にして、現在六百十六巻になりました。

はじめは、一巻 〈7884字〉 を写経すると1週間はかかった。 
一字一字精魂こめて書くからね。 

そいで今まで写経した冊子や掛軸は、縁ある方々にみな上げているのですが、
その人達がみな喜んで、そうすると不思議なことが起るですよ。

 
『甘露の法雨』 の中にあるように、やはり、人間は本来は霊であって、肉体じゃないですな。 
元来が、人間は円満完全な神様の世界に生かされていて、その他の何ものでもないですわ。 

今、私が毎日服膺している言葉があるんです。 それは 谷口雅春先生 が紹介された 
R・E・デーヴィス さんの 『無限の宝庫を開く』 〈鶴田昌世訳、日本教文社〉 
という本の中にあるんです。


 「神意識に住するわが信仰、われに実現せよ」

 ― このわずかな聖句を言葉に出して宣言するだけでよいのである  ――  
と書かれていますね。


あの写経を私がずっと続けていますと、ふと神意識になる ・・・ 
外に神様がいて拝むんじゃなくて、自分が神様と一つになる。 

そうすると、今度は自分が写経するんじゃなく、神様がする ― はじめは自分が
写経していると思っているけれど、実は神様が写経して下さると感ずるんです。 
本当に有難いことですわ。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/08adf52aeb99ca69ac3288b68e92a1f2

           <感謝合掌 平成27年4月25日 頓首再拝>
4:伝統 :

2015/05/01 (Fri) 04:19:51


         *「即身成佛の真理」(P26~27)より

聖経『甘露の法雨』は私の万年筆を通して書かれたのでありますが、
しかし私が書いたんじゃないのであります。
だから、『甘露の法雨』の表に、谷口雅春著とは書いてないでしょう。

『甘露の法雨』というのは、ただ観世音菩薩がお作りになった真理を歌った詩で
ありますから、私は只それの万年筆になり、スピーカーになっただけであります。
だから私は何時も、「私はラッパだ」と言っているのであります。

『甘露の法雨』は観世音菩薩の作品ですから、観世音菩薩の作られた詩とか歌とか
いうものには、観世音菩薩自身の、精神のリズムというものがそこにうつっている
訳であります。

だれでも詩を作ったら、作者のリズムというものが
その詩に現われているのは当然であります。

それと同じに、『甘露の法雨』には観世音菩薩のリズムが、
常に『甘露の法雨』からは雰囲気となって出ているのであります。

それでこれを持っている人は色々の危害を免れることが出来たことには
無数の体験談があるのです。

(中略)

『法華経』の第二十五品に、普門品(ふもんぼん)というところがあります。
「普門」とは、「あまねき門」です。「すべての宗門」です。

すべての宗門に光を与え、それを統一する神髄を説くのが観世音菩薩の普門の
はたらきでありますから、謂わば万教帰一です。
この普門品というところに観世音菩薩のことが書いてあるのです。

この品だけを別に独立させて『観音経』ともいうのですが、その『観音経』に
どう書いてあるかというと、観世音菩薩が”『甘露の法雨』をそそぎ給いて
煩悩の焔を滅除し給う”と書かれてあるのです。

即ち観世音菩薩が、衆生の「迷い心」を無くして仏たる実相をあらわすために、
『甘露の法雨』をそそぎ給うたのが此の聖経『甘露の法雨』であります。

           <感謝合掌 平成27年5月1日 頓首再拝>
5:伝統 :

2015/05/11 (Mon) 04:50:39


           *『生命の實相』第34巻道場篇(P192~193)より

谷口先生御上京以来、ほとんど一日も欠かさずに先生のお傍で黙々として
大存在を示しておられる辻村楠造(くすぞう)翁は、
次のように今朝は語られるのであった。

「私の知合いに女学生がありまして、
毎月月経時になると癲癇の発作を起こしていました。

私が生長の家を知るようになってから、毎朝祖先の霊に対って、
『甘露の法雨』全篇を頌(あ)げるようになりました。
するとこの難治といわれている娘の癲癇が治ったのです。

そこでいよいよ確信を得ましたので、なおも祖先の霊の悟りに精進いたしました。

ところが一昨々日、その娘に外出せねばならぬ用事が起こりました。
多少心配ではありましたが、一人でやりましたところ何のこともなく帰って参りました。

家中ありがたく感謝いたしております。大真理のおかげをうけて感謝しています。」

辻村翁の話は、語り手が語り手だけに静かに満場を打ったようであった。

           <感謝合掌 平成27年5月1日 頓首再拝>
6:伝統 :

2015/05/20 (Wed) 04:53:47


           *『生命の實相』第34巻道場篇(P231~233)より

聖経『甘露の法雨』がいかに偉大なる功徳があるかは誌友諸氏の常に好評せるところである。

元の駐米公使某氏が直腸癌にかかって帝大病院に入院したとき、
その婦人が「生長の家」に入信して真理と信仰とで治そうと努力せられたが、
「今手術しなければ、この二日間が生命(いのち)を持つかどうか請け合えぬ」
と医者が言うので施術に反対する夫人に「もし施術しないで亡くなったらあなたは
責任を負えますか」と親戚一同が詰め寄るので、夫人はしかたなしに施術に承諾した。

医者は直腸の患部を切り取って、腹部に人工肛門を作った。
施術はみごとに行なわれたが、その予後はよくなかった。

患者は非常に苦しみを訴えて、ことに夜間は烈しく悪夢に襲われて呻(うめ)き苦しみ、
看護の人々もとうてい側(そば)で坐視しているに忍びないほどであった。

いろいろ手当てを尽したがその悪夢は止まなかった。

夫人の娘、恵藤たま氏は心痛してそのころ住吉にいられた谷口先生に、
どうしたらこの悪夢が止むでしょうか、その処置をお伺いする手紙を出した。

すると谷口先生からは

「病人に聖経『甘露の法雨』を読んで聴かせよ。その悩みは止(と)まるから」

という返事があった。

さっそく、谷口先生からの返事のとおり『甘露の法雨』を病人に読みきかせると、
その夜から病人は悪夢に襲われることが無くなった。
以来、苦しくなると病人は看護者に『甘露の法雨』を読んでくださいと言った。

そしてそれを読むと病人のお苦しみは、いつも和らぐのであった。

「聖経『甘露の法雨』が尊いのは、そrふぇには『生命の實相』が縮約縮して誦しやすい
ようにリズミカルに書いてあるからだ」と谷口先生はおっしゃった。

「それは『大般若経』に対する『般若心経』のようなものである。

しかし『甘露の法雨』全体の意味は『生命の實相』全館を読んでみて初めて明らかに
なるのだから、まず『生命の實相』全巻を読んでその意味に通達したのち
『甘露の法雨』を祖先の霊前で誦(ず)するがよい。

読んでいる人が意味がわかって誦(よ)めば、その年派が霊界の祖先霊に通じて
祖先に悟りを開かせることになる。

誦(よ)む人自身にも意味がわからない唐訳のお経の棒誦(ぼうよ)みでは、
誦(よ)んでもらう祖先の霊魂たちにもどういう意味かわからないので悟れない。

霊界と現実界との交通は《念の力》によるのですから、よく理解した真理の念で
聖経を祖先の霊前で誦(よ)めば、それは霊界にも、幼児にも、
睡眠中の人にも感応するのです。

           <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>
7:伝統 :

2015/05/26 (Tue) 03:35:35


(本日の「生命の實相」からの続きです)

       *「生命の實相」第36巻幸福生活篇功徳篇(下)(P66~68)より

それから「不思議なことがあるもんだな」こう思っていました。
誰に宣伝されたのでもなく、そのことが近所へ伝わっていったのであります。

ある日隣の町の人から、「黛権八さんちょっと来ていただけませんか」と願いに参りました。
というのはそこの主婦(おかみ)さんが何か病気にかかっておりまして非常に苦しい。

お腹が痛くて仕方がない。医者に注射をしてもらって、
1日に10何回かの注射をしてもらったけれども痛みが止まらない。

この上注射するわけにはゆかないと医者も申しますから、
あんたはお宅で病気をよくお治しになるということを聞きましたが、
治してほしいというようなお願いなのであります。

その時、黛さんの言われるのに、「子供の病気は本を読んだら偶然治ったけれども、
しかし、そんな他人の病気を治すのなんかわたしにできるとは思えない」
こう申されまして断わっておられましたら、

その病気の治った5歳になる子供が「谷口先生、生命の實相」と教えもしない字を
ちゃんと紙に書きまして、「これを読んだらお爺ちゃん治るよ」
こう言って来たというのであります。

大変不思議なことがあるものだとお考えになりまして、
それではひとつ往ってあげようと、その黛さんが隣の町までお出でになりました。

そうしてその病人を見ますと病人は蒼ざめてしまって非常に苦しんでいる。
お腹が痙攣するように痛むらしいのであります。いくら注射しても痛みが止まらない。

もうこの上麻酔剤を重ねて注射するわけにゆかないので、
医者の方でもどうにもすることができないという時なのであります。

そこで黛さんも仕方がない、どうしたら治るのか自分にもわからないというので
『甘露の法雨』を読んでおきかせになったのであります。

それを朗読すること10分ばかりいたしますと、今まで苦しんでおった
そこの主婦(おかみ)さんがだんだん痛みがとれてきまして、
『甘露の法雨』を半分ばかり誦(よ)まれましたらとうとう眠ってしまったというのであります。

それから、もう1回誦んでしまってから、いいぐあいに寝ているなと思っていると、
誦み終わるとまたちょっと眼を開きまして、痛みがとれて「助かりました」
と言われるのであります。

そのうちまたいくぶんか痛んできたそうでありますが、
「まあそれで治りましょう」と黛さんは自宅にお帰りになったのであります。

そうするとその後、またもう一度痛み出したそうでありますが、
また黛さんがお出でになって『甘露の法雨』をお誦みになって、
それですっかり治ってしまったのであります。

           <感謝合掌 平成27年5月26日 頓首再拝>
8:伝統 :

2015/06/02 (Tue) 03:53:28


       *本流宣言版(http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2633
        より(原典は「新講『甘露の法雨』解釈」P311~314)

昭和37年6月20日、京都会館で生長の家の講習会がありました時、
京都市北区紫野旭ヶ丘に住んでいられる伊吹恵美子さんが体験を話されたのであります。

『・・・昭和十五年の六月、私はその時は娘でお店のお手伝いで事務をとっておりました。
その時に仕入先の浜見実蔵さんと云う方が参られまして、私の父に生長の家のあの黒表紙の御本と、
「甘露の法雨」を持って来ていただいたのでございます。・・・

その御本を私の父は床の間の違い棚の上に、ずーっと置いておきまして・・・
お掃除の時に邪魔になって仕方がないものですから、
「お父さん、読まないのでしたら、早う返して片づけて下さい」と言ったのでございます。

・・・それで私はしびれを切らしまして、このつぎ浜見さんが来られた時には、
私からよう言うて返そうと・・・その御本を返すべく紙に包もうとしたのです。

せっかく、こうして貸して下さった御本ですし、どんな事が書いてあるんだろうかと、
取りあえず、本より先に薄いお経のような本を開けて読もうとしたのです。

そしたら一番最初に「汝等天地一切のものと和解せよ」と、
ただその短い言葉を読んだ途端に私の眼の前が、本当に金色に輝いたのでございます。

私はその時に本当にびっくり致しました。これは夢を見ているのではないかしらと思いました。
周囲を見たのですが、そこらじゅうが眩しくてちっとも見ることが出来ないのです。 

それで私はその事を人に言うのも恐ろしい気が致しまして、
そして水道の蛇口をひねったのであります。
そしたら、その水道の水が、ちょうど金の棒のようになってシャーと出るのです。

顔を洗うにも、もったいなくて洗えないのでございます。
私は、二度びっくりしてしまいまして、店の店員に「私、何か変わってへんか」と
聞いたのですが、「あんた、ちっとも変わってへん」とこう言うのです。

私は不思議で不思議で、仕方がないものですから、それから本の裏を見てみましたら、
生長の家と書かれてあるのでございます。

それから毎日、もう朝でも晩でもその「生長の家」という言葉が頭に焼きつきまして、
何かそこらに「生長の家」という言葉が書いてあるものはないかしらと思って、
ある日、新聞を見ましたら、ちょうど親指位の大きさの文字で「生長の家」と
広告がのっているのが眼につきましたのです。・・・

・・・ちょうど店の店員さんで桜井さんと言う方がいらっしゃいましてその方が
烏丸一條に「生長の家」の札がたっている所がある。

そこは私の叔母がよく話を聞きに行くから、この次の土曜日の晩に連れて行ってあげましょう
と言ってくれたのです。・・・そして私は桜井さんと一緒に烏丸一條に行き・・・
部屋に入りましたら、皆さんが合掌していらっしゃるのでございます。

その合掌を見ました時、・・・何とも言えない、その雰囲気でございましたのです。
その時にお話をしていらっしゃいましたのが、人見米吉先生で・・・
私は帰りしなに何か本当に胸が詰まってしまいまして、

その時のお話の「人間神の子」という言葉だけが、頭の奥の奥の方に、しみこみまして、
桜井さんが何か話しかけて下さるのですけれども、感きわまったような感じで、
もう夢中で帰ったのを覚えております。

           <感謝合掌 平成27年6月2日 頓首再拝>
9:伝統 :

2015/06/09 (Tue) 04:02:29


           *『生命の實相』第34巻道場篇(P148~149)より

斎藤今子さんの話 ―― 。

「私は昨年5月住吉から先生が御上京くださいまして浅草の富士小学校で御講演ください
ました折りから『生命の實相』を読ましていただくようになりました。

この6月古いお友達が腎臓炎で困っているということを聞きましたので、
さっそく生長の家のパンフレットを送ってあげました。

その後どうなったのかと思って打ち過ぎていましたところ、つい先日久しぶりに手紙を
くださいまして、あなたに神さまのお話を聞きたくなりましたから、お暇がおありでしたら
来ていただきたいと申してまいりました。

それも御自身は手が震えるので、とても筆を執(と)ることができないといわれて
代筆でありました。

それでさっそく参ってあげようと思ったのでございますが、
ちょうど用事がございましたのでお手紙をまず書くことにいたしました。

そして『あなたには前から生長の家のパンフレットを送ってありますので、お読みになって
いられるなら、真理が分かっているはずです。分かっていればもう治っているはずです。
あなたはもっと病気が悪くなりやしないかと取越し苦労をなさっているでしょう。

あなたは神の子ですよ。そして肉体は無いのです。ですから病気のしようがないのです。
もう床(とこ)をおあげなさい』と自分でも不思議なほど強い言葉が自然と書かれてくる
のでした。

それと『甘露の法雨』を仏壇で読誦(あげ)なさいと申してそのパンフレットも
送ってあげました。

その後しばらくして見舞ってあげますと、襷(たすき)がけでその病人が働いているのです。

『お手紙によりまして、一心に御本を読むようになりましてから。
さしもの病気がおかしいほど快(よ)くなってまいりました。
ただ今もお使いに行って帰って来たところなのです。こんなに丈夫になりました。

あなたにもよろこんでいただきたいのです。
そして谷口先生にもお会いしてお礼申し上げたいと存じます』

とよろこんでいました。
わたしからも厚くお礼申し上げます。」

           <感謝合掌 平成27年6月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2015/06/25 (Thu) 03:34:18


           *Web版 母親教室(平成23年1月体験談)より

私は感謝という言葉が大嫌いでした。
両親の仲が悪く、不調和な家庭で育った私は、いつも両親を恨み、
感謝なんて絶対できないという気持ちが頭から消えませんでした。

そして自分自身が好きになれず、
周りの人にもいつも、不満や不足の思いで接してきました。

私が25歳の時、今の主人とめぐり合い結婚しました。
「父や母のような愛情のない結婚生活は絶対しない」と心に決めて嫁いだものの、
実際は主人や主人の両親の嫌なところばかりが目につき、
不服を言ったり嫌な顔ばかりして過ごしてきました。

ですから家の中はいつもぎくしゃくしていました。

そんな時、見知らぬ方が普及誌を持って家に来て下さり、
「人間は皆神の子」という生長の家のみ教えを伝えて下さいました。

憎んでいた父母が神の子、そして私までが神の子だなんて信じられませんでしたが、
素晴らしいみ教えに感動し、翌日に○○講師を尋ね、聖使命会員にならせていただきました。

主人の両親からは「そんな、訳のわからん宗教なんかする必要はいらん!」と言って
反対されましたが、母親教室や誌友会に時々参加しているうちに、私の気持ちが段々明るくなり、
主人にも主人の両親にも感謝の気持ちで「はい」が言えるようになってきて、
我が家の雰囲気がとても明るくなりました。

 
そんな時、小学6年の息子がガラスの破片で手首を切ってしまうという大怪我をしてしまいました。
お医者さんから「大事な手の中枢神経と腱が切れています。手術をして縫い合わせても、
元のように指が動かなくなるでしょう」と言われ、

感謝が足りなかったことを深く反省し、この息子の怪我は私の魂を成長させるための試練だと、
ただ生長の家の神様に、「息子を助けて下さい」と、お願いするしかありませんでした。

○○講師にすぐ相談すると、

「神様に全てをお任せしなさい。そして、ご家族みんなで、息子さんの実相を観ながら
『甘露の法雨』を誦げて下さい。ご先祖様にも感謝を込めて誦げて下さい。
神様の世界は円満完全です。息子さんは大丈夫ですよ」と指導して下さいました。

手術室に入っていった息子を見送り、手術室の扉の前でずっと『甘露の法雨』を誦げ続け、
4時間ほどして無事手術が終わり、病室に息子が戻ってきました。
私は朝までベッドのそばで『甘露の法雨』を誦げ続け、神癒祈願も出しました。

手術の経過は良く、1週間で退院、その後しばらくしてギプスもとれ、リハビリが続きました。
必ず治ると信じて前向きに頑張っている我が子の姿に救われる思いがしました。
そして主人や両親も常に明るく振る舞っていて下さり、感謝の気持ちで一杯になりました。

息子の怪我を通して、「息子がいてくれることがありがたい」
「やさしい主人や両親と一緒にいられることが、ただありがたい」という感謝の気持ちで

『甘露の法雨』を誦げられるようになりその時間が、
何より心の安らぎを覚える素晴らしい時間となりました。

息子は現在中学3年生です。昨年、病院で診察を受けました。
お医者さんから「こんな治りのよい患者さんは初めてだよ。
完全に治ったから、もう病院に来なくてもいいよ」と言われました。

息子の手はしっかり動くようになり、現在中学校のアメリカンフットボールで
厳しい練習に打ち込んでいます。高校でもアメリカンフットボールをするんだと
意気込んでいます。

私は今までいろんな現象に振りまわされ、自分の人生は不幸な人生だと
半分あきらめて生きてきたように思います。生長の家に御縁がなかったら、
きっとそのままの人生で終わっていたでしょう。

「病気はない怪我もない、喧嘩をしている両親もいない、醜い自分もいない、
すべて神様に守られて、実相円満な世界がこの世界であり、神様に生かされている
ことがただありがたい…」神想観をしていると、そんな思いが湧き起こってきます。

皆様に幸せになっていただけるよう、生長の家のみ教えを、
一人でも多くの方々にこれからもお伝えしていきたいと思います。

△△県  □□○○

           <感謝合掌 平成27年6月25日 頓首再拝>
11:伝統 :

2015/08/14 (Fri) 04:23:10


(以下は、Web上からの情報をもとに、文章を作成いたしました)


谷口雅春先生は、聖経『甘露の法雨』は、

「小さくは個人の病いをいやし、
大きくは国家の大病、世界の大病をも癒すことができるのである」

と述べておりました。


大東亜戦争の終戦の時(昭和20年8月15日)、
終戦の御聖断が下ってからもなお戦争続行を主張する青年将校たちの
反乱が起こりました。

その日、正午から陛下の御放送が行なわれるという直前、反乱軍の幹部将校7名によって、
今上の御命を頂戴し幼い皇太子を擁立し戦争を続行する、との密議が行なわれたといいます。


(かかる激越(げきえつ)な行動に移らんとした青年将校たちを説得し、とり静めたのが
田中静壹大将であったことは、谷口雅春先生のお話によって、
つとに知られるところであります。)


その時、東部軍管区司令官・田中静壹大将が、紫の袱紗に包んだ「甘露の法雨」をかざしながら、
諄々として天皇陛下の”み心”を説かれ、その結果、反乱が収まり、陛下の歴史的な放送により、
事なく終戦を迎えることができ、日本国が救われました。


天皇陛下の御命をお救い申しあげ、日本国を救ったことについて
田中静壹大将の偉勲(いくん)は無上であると申しても過言ではありません。


その田中大将は、すでに昭和18年に病にて絶えるはずであったと思われるましたが
『甘露の法雨』によって救われたのでありますから、

田中静壹大将を通じて住吉大神の御使命が具現せられたということであります。


陛下には田中大将の働きに対し、8月15日午後5時15分、
蓮沼侍従武官長侍立の上拝謁をたまわり、


   「今朝ノ軍司令官ノ処置ハ誠ニ適切デ深ク感謝スル。
   今日ノ時局ハ真ニ重大デ色々ノ事件ノ起ルコトハ固ヨリ覚悟シテイル。
   非常ノ困難ノアルコトハ知ッテイル。シカシ斯クセネバナラヌノデアル。
   田中ヨ、コノ上トモシッカリヤッテクレ」


との優渥(ゆうあく)なるお言葉があったと承っております。


しかしてのち、8月24日、一切の使命を完うして
田中大将は極楽浄土へ移籍せられたのでありました。



「田中静壹大将」と「甘露の法雨」については、次のWebにてご確認ください。

 「本流宣言掲示板「田中静壹大将と甘露の法雨」(by ”山ちゃん1952 さま”」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=980

           <感謝合掌 平成27年8月14日 頓首再拝>
12:伝統 :

2015/08/15 (Sat) 04:49:51


         *生長の家宇治別格総本山総務 楠本加美野 講演録より
          (感謝を込めた先祖供養が運命好転と繁栄の鍵)

私はその後、河口湖道場に勤務しましたが、
その頃は周りに何もなくて、あるのは富士山だけ(笑)という状況でした。

そこで毎日、拡声器を富士山の方に向けて、当番を決めて、
「聖経の間」を設けて『甘露の法雨』を一日中、連続して誦げておりました。

そうしたら、「焼津港報」という新聞が私の手許に送られて来て、

「昭和40年8月31日、静岡県焼津市のある火葬場で奇跡がおこった。
千二百度の高熱を出して燃える火葬炉の中から『甘露の法雨』が焼却されずに、
原型を残して発見された」

という記事が目にとまった。

千二百度で2時間も焼いたのに、表面が焦げただけで、殆ど無傷であったというのですね。
もう感激してねぇ、何と素晴らしいことだろうと、さらに熱心に『甘露の法雨』を誦げた
わけですが、現在この『甘露の法雨』は、総本山の温故資料館に大切に保管されています。

聖経には『甘露の法雨』と『天使の言葉』、それに『続々甘露の法雨』の3つがありますが、
宇治別格本山では、宝蔵神社と末一稲荷神社では『甘露の法雨』を、
流産児供養塔と英霊を祀る招霊招魂神社では『天使の言葉』を読誦しています。

我々が生長の家の教えに触れることができたのは、先祖に非常に信仰篤い高級霊がおられて、
それらの先祖の方の徳のお蔭で、生長の家に導かれているわけですよ。
これは間違いないことですね。だから我々はご先祖に感謝しなければならないわけです。

谷口家にも谷口福松、谷口じうという篤信のご先祖がいらして、
人を救う徳をズーッと積んで来られた。

谷口雅春先生は昭和4年12月13日に2度目の盗難に遭われ、
お金を貯めてから人類光明化運動をしようとコツコツと貯めていたお金をすっかり盗まれた。

その時にね、谷口雅春先生は、

「今の中に無限があり、無尽蔵がある。軍資金ができてから、時間の余裕ができてから、
光明化運動を始めようというのは間違いだ」

と気付かれて、絶体絶命の中を人類光明化運動に起ち上がられたわけです。
 
そこで、この13日という日は、谷口家にとって不思議な日でありまして、
谷口家のお祖父さん、お祖母さんが亡くなられたのが13日、
先生の養父になられる方のお母さんが13日に亡くなっておられる。

それから輝子先生のご両親が亡くなられたのが13日。
光明思想普及会が創始されたのが13日、谷口雅春先生が長崎の総本山に移られたのが13日であります。
そして泥棒に入られたのが13日(笑)。
 
ここにね、谷口家のご先祖の導きというものが感じられますね。
谷口家のご先祖様のお蔭で人類光明化運動が始まった。
それだから、宇治別格本山では、13日を月次祭として、お祭りしているわけであります。

このようにね、ご先祖様と私達は深くつながっているわけです。

だから谷口雅春先生は、『生命の實相』頭注版第33巻の26頁に、

『祖先の霊魂がわたしを絶体絶命の境地に導き、
その絶体絶命が私を悟らせてくださったのであります。
諸君も悟ろうと思い、またはこの世で成功しようと思うには祖先の礼拝を鄭重にし
おのずから祖先の加護を受けるようにせねばなりません。』

とおっしゃっているわけですね。

このように先祖供養というものが、信仰の面から見ても、
子孫の繁栄という面から見ても、如何に大切であるかが解かりますね。

で、人間の運命について『生命の實相』第4巻「はしがき」には、次のように書かれています。

『人間の運命の半分は、生まれ変わりの過去の世代において行為し思想しきたった総決算の
「次期世代」への引き継ぎであり、残りの半分のうち二分の一は、自己の努力によって
思考し行為することによって新たなる成績がそれに追加される(中略)。』

そしてその残りは、本人の努力や信仰や思想に応じて感応してくる霊界の高級霊が、
いまだ現象に現われていない運命のフィルムを霊界で修正されるのだ・・と。

ここにね、私たちが先祖供養をする意義があるのです。
先祖の礼拝を鄭重にしてその加護を受けること。
それが運命の好転には是非必要なんですね。

善業を積むことが即ち善果を刈り取ることになる。
だから生長の家総裁、谷口清超先生がいつもおっしゃるように、善いことを積極的にすること
。人に与える、人を救う。総裁先生はね、地球を綺麗にするのだと、いつも空き缶拾い、
ゴミ拾いをなさっているでしょう。素晴らしいですね。

私たちも人に与え、人を救う、身近な愛行をしっかりすることが大切ですね。
 

この聖経『甘露の法雨』は素晴らしいお経で、かつて谷口雅春先生は
「小さくは個人の病いをいやし、大きくは国家の大病、世界の大病をも癒すことができるのである」
と仰ったことがあった。

大東亜戦争の終戦の時に、近衛師団の反乱があり、田中静壹大将が、
紫の袱紗に包んだ『甘露の法雨』を打ち振りながら、
諄々として天皇陛下のみ心を説かれた時に、反乱が収まったでしょう。
 
田中静壹大将は観音様を信仰しておられた方で、ご自身が『甘露の法雨』で救われた経験から、
「素晴らしいお経だ」と感嘆されて、肌身離さず『甘露の法雨』を持っておられた。
 
そのお蔭で、天皇陛下の終戦のご詔勅を放送することができ、無事に終戦にできた。
即ち日本が救われたわけです。

このような素晴らしいお経でありますから、どうぞ、しっかり先祖供養をなさってください。
ご清聴、有難うございました(拍手)。

           <感謝合掌 平成27年8月15日 頓首再拝>
13:伝統 :

2015/08/26 (Wed) 04:28:39


             *「生命の實相」第24巻参考篇/質疑篇(P112)より

また、各人には一人ないし数名の守護神が常に護っていられます。

本来の守護神は普通その人の祖先の霊魂でありますが、その守護神のほかに、
自己の霊魂の波長の精化されると否とによって
(あたかもラジオの波長の調節によって、いろいろの放送局からの放送が聞こえて来ますように)

各種階級の霊魂が感応して副守護神として作用し、
この副守護神の念波の良否に従って、その人の運命が左右されてくるのであります。


また本来の守護神たる役目の祖先霊も全智全能の神様ではなく、一個の人間霊でありますから、
その悟りの程度にしたがって本人の守護力に増減をきたすのでありますから、この守護神の向上を
はかるということは、われわれ自身の運命の向上を得る上にあずかって力があるわけであります。

それで自己ならびに、家族の守護神の悟りを向上せしめ守護力を増加せしめるために、
祖先霊をお祀りしてある宮または仏前にて、お経または祝詞のつもりで、『生命の實相』を
初めより全部を毎日一時間くらいずつ順に、または「聖詩篇」中の聖経『甘露の法雨』を
毎日一回30分くらいずつ朗読せられますと、自己の運命が向上するばかりでなく、
祖先霊に法施をする最大供養となるのであります。

           <感謝合掌 平成27年8月26日 頓首再拝>
14:伝統 :

2015/09/04 (Fri) 04:52:14

 
          *『生長の家』四十年史(P.36―38)より
           ~「真の生長の家、復活掲示板」
            「復習: 聖経『甘露の法雨』の奇蹟 ① (213)」より転写
 
「ヨハネ黙示録」第一章にあらわれている白髪久遠のキリストは
「その右の手に七つの星を持ち」とあるのであるが、

戦後、その翌年、高知市で講習会のあったとき、
藤林千代子さんが、次の様な体験を話されたのであった。―――


千代子さんの良人は戦争たけなはだった昭和十九年の頃、
第一生命保険会社の外交員をしていられたのであった。

そしてその頃の成績が優良であったので、抜擢されて終戦直後、
同社の高知支部長に任ぜられていたのであるが、

その奥さんの千代子さんの語る話は、戦争末期に山口県下関全市が、
アメリカ軍の焼夷弾による絨毯爆撃で火の海になった時の体験に関してであった。


千代子さんは、その爆撃の前日、神想観をしていると、神の“声なき声”が聞こえた。

その声は“明日の夕方、敵の空襲があって、此の町全部火の海になる。
空襲があっても、観音山にのがれたらいかぬ。
観音山に逃れたら死ぬ、家に止まれ”というように聞こえた。

観音山というのは、観世音菩薩がまつってある下関市内の小高い山であって、
焼夷弾爆撃が始まって、隣家一円炎の海になりそうになったら、
観音山には家屋がないから延焼して来るおそれがないので、

炎の災害を免れるためにそこへ逃れよという指令が当時、隣組という隣保組織から
出ていて観音山への避難訓練まで行われていたのであった。

翌日の夕食後、千代子さんが鏡台の前に座っていると、
「そら空襲だ」という霊の声をきくと同時にアメリカ軍の焼夷弾爆撃がはじまった。

千代子さんは屋財家財を井戸の中にほり込みはじめた。
全市が火の海になる予告であるから、家財を避難させる安全な場所とてはないのである。
井戸の水の中だけが炎をまぬかれる唯一の場所である。

しかし、妻が茶碗まで井戸の中へ投げ込むのを見た千代子さんの良人は、
「そんなことをしたら、明日の朝たべる茶碗がないじゃないか」といった。

すると、千代子さんは、「あす朝は、御飯どころの話じゃありませんよ」と
いっているうちに、周囲が火の海になって来た。
 
 
隣家の人たちは避難訓練の通りに観音山に避難して
蟻の行列のように密集している処へ更に空襲が集中的に、
その密集避難民に向けて焼夷弾攻撃を加えた。

そして観音山へ逃れた人はひとり残らず無残な焼死をとげたのであった。

ところが藤林一家の人たちは、前夜に神の予告を得ていたので観音山へのぼらなかったので、
救かったが、周囲の隣家は悉く炎となって、藤林邸を包んでしまった。
八方炎の海であって逃げ場はないのである。


その時、突然、千代子さんの霊眼に、白髪の老翁の神姿が見えたのである。
裾まで垂れた白い衣を召し、顎髯は胸まで垂れ、黄金の冠をかぶっていられる。
その神様の冠には七つの金色燦然たる星が輝いていた。

その白髪の翁の神姿が、爆音や建物の燃える騒音で神様の声はきこえなかったが、
手招きで、自分の行く方へ従い来たれと言っておられる風に感じられた。
しかし周囲は炎の海である。

しかし炎は上へ上へと燃え上がって、炎の下の地に面するところは燃えていないのである。
藤林一家は、大きな座布団を水でビショ濡れに浸し、それを背に被って炎の熱を避け、
亀のように地面を匍匐して、火熱を防ぎながら、下関の海岸まで、やっと辿り着いた。

振り返ってみると下関全市が火の海である。
背を覆って来た座布団をとってみると、水は殆ど全部乾いてしまって、
真ん中が焦げかかっている。

もう少し海岸まで出るのに暇どったら、背中の肉が焼け爛れたであろうに、それは無事であった。

千代子さんは和服にしめた昼夜帯の間、胸の下のところに、
お護り用の聖経『甘露の法雨』を挟んでいたので、腹這いになって逃れて来たので、
丁度そこは土に面しているので、聖経のサックも表紙も焦げていなかったが、

その本文を開いてみると、経文が書かれてあるページが、チョコレート色に焦げて、
もう少し焦げればボロボロにくだける直前のような姿になっていた。

サックも、表紙も、焦げていないのに、その中にある経文の本文の紙が焦げているのは、
これは全く不思議で、

千代子さんは、

「普通ならば、自分たちが焼け焦げて死ぬ筈であったのに、
この聖経のお守りが身代わりになって焦げて下さったのだとおもう」

と感激した語調で話されたのであった。

    (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=105


           <感謝合掌 平成27年9月4日 頓首再拝>
15:伝統 :

2015/09/13 (Sun) 04:56:15


『新しく生長の家の講師となる人のために』

        *昭和36年 生長の家新春特別教修会 
        (『生長の家』誌  昭和36年7月号 より)


霊界へ霊魂が肉体を脱して行くとき、我々現世に住む人の方から言うと 
「臨終でございます」 と言う訳で、悲しいのでありますが、霊界から言うと
霊界への出産予定日だという訳で、霊界へ誕生することなのでありまして、
霊界の祖先の霊魂たちが、その予定日を迎えるために待機しているわけであります。

ところが、本人が悟りを開かないで、
「人間は肉体である、これがなくなったら、元も子もない」 と思って、
肉体の存在に執着している霊魂でありますと、

霊魂が肉体にしがみついているから、出産予定日が来ても、
なかなかすらすらと産道を通って霊界に誕生できないから、霊界への難産なのです。 
それが所謂る断末魔の苦しみという状態になっているのです。

余り断末魔の苦しみがひどい難産でありますと霊魂は目をまわして人事不省で霊界に生れる、
こうして霊魂が霊界に誕生して意識を失っている間に、戒名をつけ、死骸を焼いてしまう。 
そしてお坊さんがお経を誦げて拝んでくれる。 

けれども霊界で意識を失っている人事不省の霊魂は、それを知らないのです。

それから、暫く後、または或る期間の後、その霊魂は目をさます。 
併しながら其の霊魂は死骸を焼いたことも知らず、戒名づけてくれてお葬式があったことも
知らないから、目が覚めて周囲のものが見えると、「ああ私は肉体のままで生きとった」 と、
こう思うのであります。 

すると、その霊魂には自分が無意識に陥る前の記憶が浮び上って来るのです。 
「ああ、さっき心臓が苦しかった」 と思うと、肉体の心臓はもう火葬場で焼いて了って
無いのだけれども、霊界は、唯心所現が速かに行われる世界ですから、 

『心臓も持たざるに心臓病にて苦しめる霊あり』 と聖経 『甘露の法雨』 
に書いてある通りに、肉体としての心臓は‘ない’けれども、
心で思い出された心臓が自覚の上では存在して、心臓が苦しくなるのです。

こうして霊界で心臓病で苦しんでいる霊魂もあるし、
肺病で苦しんでいる霊魂もあるというように、色々の病気の霊魂があるわけなのであります。 
ですから吾々の霊界の祖先の中には、まだまだ病気で苦しんでいる霊魂が沢山あるのです。


既に20年も前から生長の家に入信して、祖先のために聖経を誦げていましても、
最近になって、やっと意識を恢復した霊魂は、今まで読誦して貰った聖経の恩恵に
俗していないで、病念で苦しんでいるのもあるのです。 

そして最近やっと目を覚ましたら、生前の病気の記憶が甦って病気の自覚で苦しんでいる。 
そして自分には医者がどうして来てくれないのだ、と思ったりするのですが、
死骸は焼いてしまったのだから、医者が来るはずはないのです。 

だから、その霊魂は 「医者がどうして来てくれないんだ」 と思って、
親類の人や家族の名前を一所懸命に呼ぶと、その病気の念が家族や親族の人に放送されて、
現実世界にいる家族や親族の中の波長の合う人に、その病苦の念波がパッと感受される。 

そうすると、本来自分の病気でない病気が霊界から放送されて、
こちらがテレビ受信機になって、放送された通りの病気を自分の肉体に現している
ということになるものなのです。

 
ですから、そう云う病人に対しては、そう云う病念の霊魂の迷いを解いてやるために、
霊前で 聖経 『甘露の法雨』 を読誦してあげることも必要なんです。


然し、すべての病気をみんな迷える霊魂の病念の感受であると還元してしまうと、間違いであって、
必ずしも霊界の影響が来ないでも、本人自身の心の間違いで病気をあらわしている実例も
随分あるのであります。

 
だから指導者たるものは 『“甘露の法雨”さえ祖先に読んだら治るんだ』 
と一概に言ってしまってもいけないのであります。

けれども、ともかく祖先の霊魂は数が多いことでもあり、その霊魂のうちに
最近意識を恢復して病念が消えないで苦しんでいるのもあるのですから、

祖先に対して 『甘露の法雨』 を読んであげるのは、病気を治すために読むというより、
「今まで祖先に感謝したことがなかって申訳がないから、御礼のために聖経を読んであげましょう」
 と、祖先の霊魂に対して、感謝するという積りで聖経を読むように、
病人に勧めてあげるとよいのです。

 
『甘露の法雨』 を読むのは、病気を治そうと思って読むよりも、
ただ祖先に感謝の気持で読む方が却って功徳があって治る率が多いのであります。 
ただ素直に読みながら、自分もその意味を体得するつもりで読むとよいのです。


何故、聖経 『甘露の法雨』 を “病気治そう” と思って読むと功徳が少ないかと
言いますと、聖経を一ぺん読んだら、“もうどれだけ治っているだろうか” と思って、
現象の病気の状態を振り返ってみて、現象の症状がその時まだ消えていないと、
“やっぱり治っとらん” と思う。 

そして、それを繰返して 「治っとらん、治っとらん」 と念ずる。 
こうして我々の感覚によって見える病気の有様を 「ある」 と見て 
「病気は‘ある’、‘ある’」 と云う念を積み重ねて行ったら、

「想うことは現れる」 と云う原則によって、ますます、病気は消えないことになり、
新たに自分の想念によって病気は繰り返し造ることになるのであります。

だから、「病気を治そう」 と思っては 『甘露の法雨』 を読まないで、
「ただ祖先に対して感謝の念を起しなさい、感謝の念によって病気が治るのです。 

その感謝の念の一貫として、祖先に対して 『甘露の法雨』 その他の聖経をお読みなさい」 
と云うように指導するのがよいのです。 
その感謝の実践が徹底すれば病気が治るのです。


祖先の霊魂というものは、物質の食物を食べて発達するものではないのであって、
真理の言葉の念によって放送されると、真理の念を吸収して、霊界に於て
神通力を得るようになるのであります。 

すなわち霊魂の霊力が殖えるのです。 
これを “魂(みたま)のふゆ” というのです。 

霊魂の肥立ちがよく発達してゆくということは、物質の食物によるのではなくて、
“真理の言葉” を送って貰うことによって、霊魂は益々発達して神通力を増加するのであります。 

祖先が自己の神通力を増加してきましたら、祖先というものは、子孫を守って、
子孫を繁栄させてやりたい、子孫を健康にしてやりたい、というのが其の念願なのですから、
祖先に神通力がふえるようにさえしてあげたら、祖先の守りが多くなり、
凡ゆる点に於いて子孫が護られ、自然に病気も治るようになるのであります。

そういう意味に於いて 『甘露の法雨』 を読みなさいとお勧めするのです。 

“『甘露の法雨』 を読んだら治る” というのではなくて、
『甘露の法雨』 は祖先に対する感謝行であって、その祖先が 『甘露の法雨』 に
説かれている真理を吸収して、神通力が増したら自然に祖先の守りが充分になるから、
病気が治るようになる。 

だから、病気が治ったら読むのを止める、と云うのでは見当ちがいであります。 

先祖の霊魂は愈々益々向上するほどよいのですから、これだけ誦んだから、
もう止めると云うのでは先祖に対して感謝が足らぬことになります。


従って、『甘露の法雨』 を読むのも、“何回読んだら治る” ということは、
その人の精神状態にもよるし、祖先から来ている念波 〈精神の波〉 の強弱によるし、
業の多い少いにもよるのであり、祖先の心境如何にも関係するのであって、
1回で治る場合もあれば、何ヶ月もかかる場合もある。 


例えば 田口精亮 さんが指導した例では、神奈川県高座郡の大和村
 〈今は大和市になっていると思う〉 あそこで生れつきの聾唖があったのです。

生れつきの不具、又は病気と云うものは、祖先の業又は、自分が生れ変りの前世に
犯した業が形に現われているのだから、『甘露の法雨』 を読みなさい、
と言って田口精亮さんが導かれたのです。 

その聾唖者の母親は6ヶ月 『甘露の法雨』 を毎日、霊前で読んだら治ったのです。

こんな場合、3ヶ月だけ読んで、治らないと、もう諦めて、
“先生は 『甘露の法雨』 読んだら治ると仰言ったが、3ヶ月も読んだけれども治らなんだ” 
と言ってやめてしまったら、6ヶ月で治る筈の‘それ’も治らんことになってしまう。 
この場合は6ヶ月読んで始めて、功徳が円成して治ったのであります。 

だからそういう場合に、自分勝手の考えで 
「何ヶ月読んだらよい」 と決めるわけにはゆかないのです。 

しかも祖先に対する感謝は永久にすべきものですから、
“何ヶ月だけ病気治すためにやって、治ったらもう放っといても宜しい” と、
いうわけにはゆかないのであります。 

そう云うことを心に留めて、人をお導きになればよいのであります。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/539044899140e4352d48c5f24f1ca6e7 より転写)

           <感謝合掌 平成27年9月13日 頓首再拝>
16:伝統 :

2015/09/20 (Sun) 04:59:11

            *Web:”山ちゃん1952 さま”のブログ
                 「山ちゃん1952」(2015年08月24日)より抜粋
                 (”山ちゃん1952 さま”のお許しをお願いいたします)

谷口清超先生は『甘露の法雨』の奇跡を沢山書いておられる『感謝の奇蹟』
(昭和49年1月10日発行)いう御本がありますがその36頁に


《『甘露の法雨』は有難い~いろいろの功徳がある》


・・・『甘露の法雨』というお経には、素晴らしいお陰があります。
その他『甘露の法雨』を持っていただけで災難をまぬかれたとか、
あるいは又、『甘露の法雨』を一心に読んで御先祖をお祀りしたところ、
一家が非常に幸せになったとかいう話がよくありますね。

これは一体何故でしょうか。

それは『甘露の法雨』の中に書かれている眞理が尊いからで、
「真理の言葉」によってすべてのものが浄められ、「実相」があらわれてくるからです。

「実相」即ち本当の世界には、病気もなく、貧乏もありません。
どんな不幸も、あらそいも、災難もないのです。

この「実相」が、そのまま現象界にあらわれて来ていないために、
色んなよくない事が起こっているのです。

ところが、真理の言葉が読まれますと、読む本人の迷いが消え、
霊界の人々も悟りをひらかれますから、その心の影として素晴らしいことが
次々と起こってくるのです。


『甘露の法雨』は、只じっと持っているだけでも素晴らしいのですが、
それをよくお読みになると、もっとよいことにになる。

ことに御先祖のみたまをお祀りしてあるお仏壇や神棚の前で、
心を込めてお読みになると、もっとよろしいのです。

中には『甘露の法雨』を持って悪いところをなぜさすったら、
治ったというような話もありますが、どれもこれも皆本当で、うそではありません。

眞理の言葉はそれを口に唱えても、
「写経」といって書き写しても、全く素晴らしい力があるのです。

しかし一番普通に行われている方法はその意味をよく理解して、
心を込めてお読みになることです。

その上『甘露の法雨』を大事に持っておいでになればになれば、
それにこしたことはありません。

(中略)

              ・・・

《「神秘面より観たる生長の家四十年史」》      

どうして『甘露の法雨』にこのやうな偉大な功徳が生ずるのであらうか。

私は、それをただ霊感で詩作するときに、ふと感じてその詩の題を「甘露の法雨」と
したに過ぎないのであって、別に『法華経』の観世音菩薩の普門の功徳を説いた
”普門品”に連関して詩の題を「甘露の法雨」と題したのでもなかったし、
観世音菩薩が教への本尊として門脇観次郎氏の霊眼に見れるなどといふことも全然予想もしなかった。

ところが私の著書や執筆の雑誌を読んで功徳を得た人にあらはれる色々の霊顕や現象が
次第に観世音菩薩が生長の家の本尊であり、その観世音菩薩が、
『法華経』の”普門品第二十五”にある通り「甘露の法雨を澎ぎ給うて煩悩の炎を滅除し給ふ」
のであることを証明するやうになったのである。

聖経『甘露の法雨』の功徳はそれをお説きになった
観世音菩薩の妙智力と引き離して考へてはならないのである。

    (http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40955667.html


           <感謝合掌 平成27年9月20日 頓首再拝>
17:伝統 :

2015/09/30 (Wed) 05:01:11


           *新講『甘露の法雨』解釈(P15~16)より

ところで『甘露の法雨』をお読みになりまして、その意味が分らずに読んでも功徳がある
かと申しますと、『甘露の法雨』の作者は観世音菩薩でありますから、その語句の配列には
神様の創作なさった言葉ですから、その神様から来たところの雰囲気のリズムをもっている
のであります。

茲(ここ)で「神様」というのは神仏一緒の万教帰一的意味で申すのであります。

したがってこれを持っているだけでも功徳があり、嘗(かつ)ては電車に惹かれたけれども
怪我をしなかったという体験談をずっと以前に福岡の講習会でおっしゃった人もあった。

その後両国の日本大学講堂での講習会では樺山元海軍中佐が自分の乗っている船が撃沈された
とき、7時間も海中に漂うていたのに、不思議なことに『甘露の法雨』の経文の書いてある
部分の紙は少しも濡れていない奇蹟があったとその体験談を話されたのであります。

そのほか原爆を逃れた人もあれば、原爆を直接たった4百メートルの距離で受けながら
微傷も負わなかったというような功徳をおうけになった人もあるのであります。

だから、これは読まないで持っているだけでもそれだけの功徳がある事は事実であります。

けれども、やっぱり意味が解って、祖先の霊前に於いて、あげて頂きますと一層、
明瞭な功徳があるのであります。

それは意味が解ってよむと、読む方でもそのお経の作者である観世音菩薩が
伝えようとせられたところの真理の意味を本当に深く感得する。
そして自分の潜在意識の深層に真理の“心の波動”が起る。

そうすると、真理の“心の波動”がその聖経を聴いて居る祖先の霊魂に放送され、
以心伝心波及されまして、それによって一層祖先が功徳を得て、悟りをひらいて霊界で
自由自在の境涯を得るということになるのであります。

だからやはり皆さんも、『甘露の法雨』の講義をよく読んで意味をよく理解しながら
祖先のために読誦して頂くということが大切であるのであります。

聖経というものは真理の言葉でありますから、今までの仏教の御経を先祖の霊に供養なさって
もみな結構でありますけれども、大抵仏教の現在のお経は漢文の棒読みでありますから、
言葉の配列がお釈迦様のお説きになりました当時の印度の言葉では書いてないのであって

翻訳した漢文の棒読みでありますから、言葉の配列がお釈迦さんの話された言葉の通りに
配列されていないので釈尊の語られたコトバのリスムそのままの韻律というものが表現されて
いないので、あれを朗読するだけでは、釈尊の「生命(いのち)の響き」「コトバのリズム」
に触れることができないのであります。

ところが、「甘露の法雨」は、観世音菩薩が直接私をパイプとして語られた真理の言葉で
ありますから、それを読むことによってそのまま観音様の生命の雰囲気を再生できるのです
から、漢訳の仏教のお経を棒読みにするのとは格段の相違があるのであります。

           <感謝合掌 平成27年9月30日 頓首再拝>
18:伝統 :

2015/10/18 (Sun) 04:45:02

           *Web:あまむし庵(2014/08/11 )より抜粋

(1)「聖経」を誦(よ)むと天地一切が浄化する

  ①自分は悟っていなくとも、聖経を誦むだけで先祖が悟られる。
  ②生長の家の聖経は観世音菩薩の波動であるから浄化される。

  ③『甘露の法雨』を持って反乱青年将校を鎮めた田中静壹大将。
  ④米国ハワイの日系移民部隊の活躍と日本無償援助。
  ⑤國体護持、地上天国実現を願って聖経を誦むことは極めて重要。

  ⑥現象世界を整えるには、先ず霊界を浄めるべし。
  ⑦観世音菩薩が「霊の戦士達」に授けた「聖なる武器」。

  ⑧霊界の諸霊は「物質無し」の真理を悟り易い。
  ⑨霊界の諸霊が真理を悟ると霊界が浄まり、人間の悟りが早まる。

  ⑩誰にも知られない聖経読誦は、御心に適った偉大な行為。


(2)「真の姿(実相)を実相眼で観(み)続けよ」との神からの絶対指令

  ①宇宙に遍満せる観世音菩薩が、聖経を鳴り響かせている。
  ②相手の現象の姿がユラユラと消え去って「光」のイメージに。

  ③神は人間の光源にして人間は神より出でたる光なり。
  ④「現象の相手の姿がその人である」という認識の間違い。
  ⑤「真の姿(実相)を実相眼で観続けよ」との神からの絶対指令。


(3)聖経読誦する時の誦み手の心構え

  ①誦(よ)み手の心構えを間違えると、間違った聖経読誦になる。
  ②祖先の霊魂自身よりも、その人自身が迷っている。
 
  ③自分自身が変らぬ限り、環境(世界)は変らない。
  ④一人出家すれば九族天に生まる=迷っている霊はひとりも無い。


(4)神様に対する〝横領罪〟

  ①聖経を誦む時も「実相」の境地で読誦することが極めて大切。
  ②神の「守護と導き」に対して、感謝の気持ちで聖経を誦げる。

  ③神様に対する〝横領罪〟の罪(迷い)。

   「自分の力で生きている」との思いが、全ての勘違いと罪の根本。
   「唯物論」も「自分が生きている」と思う事も〝横領罪〟である。


(5)一切を神にお還しし、お任せし、完璧な守護と導きに感謝する生活 

  ①「自分が生きている」「自分の力が動かしている」という錯誤観念。
  ②神様に話しかけ、全てをお還しする。

  ③観世音菩薩が今此処に出御せられて、「聖経」を鳴り響かせておられる。
  ④「今吾来たりて、一切の神の子達を完璧に生かし、守護し、導いている、安心せよ!」

  ⑤御祖神の完璧な守護と導きに、感謝しながら生活する。
  ⑥〝聖なる道具〟聖経を誦んで、真理の波動を鳴り響かせましょう。

   (http://56937977.at.webry.info/201408/article_3.html


           <感謝合掌 平成27年10月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2015/10/29 (Thu) 03:45:14


         *昭和36年 宇治別格本山 新年特別教修会 より要点の紹介です

(1)(祖先の霊魂には、悟っている魂、未だ悟りには遠い魂など、種々です。)

   霊界で目を覚ました霊魂が病念を持ち続けている場合は、
   その病気の念が家族や親族の人に放送されて、現実世界にいる家族や親族の中の
   波長の合う人に、その病気の念波がパッと感受される。

   その放送された通りの病気を肉体に現している病人もいます。
   そう云う病人に対しては、そう云う病念の霊魂の迷いを解いてやるために、
   霊前で聖経 『甘露の法雨』 を読誦してあげることも必要なんです。 


(2)祖先に対して 『甘露の法雨』 を読んであげるのは、病気を治すために読む
   というよりも、 『今まで祖先に感謝したことがなかって申訳がないから、
   御礼のために聖経を読んであげましょう』 と、祖先の霊魂に対して、
   感謝をするという積りで聖経を読むように、病人に勧めてあげるとよいのです。

   『甘露の法雨』 を読むのは、病気を治そうと思って読むよりも、
   ただ祖先に感謝の気持で読む方が却って功徳があって治る率が多いのであります。


(3)祖先の霊魂というものは、物質の食物を食べて発達するものではないのであって、
   真理の言葉の念によって放送されると、真理の念を吸収して、
   霊界に於いて神通力を得るようになるのであります。 

   すなわち霊魂の霊力が殖えるのです。 これを “魂のふゆ” というのです。


(4)祖先の神通力がふえるようにさえしてあげたら、祖先の守りが多くなり、
   凡ゆる点に於いて子孫が護られ、自然に病気が治るようになるのであります。

    そういう意味に於いて 『甘露の法雨』 を読みなさいとお勧めするのです。


(5)田口精亮さんが指導した例

   生まれつきの聾唖があったのです。
   その聾唖者の母親は6ヶ月間 『甘露の法雨』 を毎日、
   祖先の霊前で読んだら治ったのです。


(6)然し、すべての病気をみんな迷える霊魂の病念であるとしてしまうと、間違いであって、
   必ずしも霊界の影響が来ないでも、本人自身の心の間違いで病気をあらわしてる実例も
   随分あるのであります。 

   だから指導者たるものは “『甘露の法雨』さえ祖先に読んだら治るんだ” 
   と一概に言ってしまってもいけないのであります。 

(以上の要点は、谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱(”童子 さま”記事)からの
 抜粋です。詳細は、次のWebアドレスにてご確認ください。
      → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=105 )

           <感謝合掌 平成27年10月29日 頓首再拝>
20:伝統 :

2015/11/14 (Sat) 04:41:02


         *『生命の實相』第二巻實相篇(P211~212)より

また神社などからもらう護符や、お守り、虫封じの符(ふだ)などは相当効力のあるもので、
それは必ずしも迷信とはいえない実証があります。

テイ・ステッド氏よりの靈界通信によりますと

「あなた方に、はたして会得しうるかどうかしれないが、あなた方の有する書物ー印刷し、
装丁してあるドッシリ重い書物は靈界より観れば一つの光体である。
書物の生命はその光の価値できまる」

といっているのであります。

これによればどんな分厚い書物でもただの紙屑にすぎないものもあれば
片々たる冊子でも神仏の護符同様靈光たるものがあるはずであります。

しかも、その靈光にもいろいろの種類があるので、
読まずにただそばに置くだけでもわれわれの心に悪影響を与えるもの、
良影響を与えるもの等さまざまあるわけです。

総じて明るい言葉を書いた書物より発する光は善靈を呼び、
暗い言葉を書いた書物より発する光は悪靈を呼ぶのであります。

『法華経』や『甘露の法雨』が、それを受持(じゆじ)し、書写し、読誦(どくじゆ)する
だけでも功徳があるというのは、その言葉の靈波のしからしむるところだと考えられるので
あります。

           <感謝合掌 平成27年11月14日 頓首再拝>
21:伝統 :

2016/07/07 (Thu) 04:27:25


         *「光がこだまする」林光彦・著(P83~87)より

【魚は呼べばいい】

かつてニ百カイリ制限がしかれ、漁業の関係者たちが嘆いていたとき、
谷口雅春先生は、いとも軽くおっしゃったことがある。

「魚は呼べばよいのだよ」と。


【マグロは『甘露の法雨』が大好き】

それではここで、マグロの大群も、聖経『甘露の法雨』が大好きだという、
愉快な話をご紹介しよう。

昭和57年の初夏のことだ。

漁港で有名な鳥取県の境港では、当時不漁つづきで、漁民やその家族、
水産関係者の人たちがみな、頭をかかえていた。

そこで、生長の家の誌友が揃って、誌友会場や、由緒ある山の上の大湊神社で、
集団早朝神想観を実修した。世界平和は勿論、産土神社であるので、
その地域の人々の平和と幸福、それから大漁祈願や繁栄祈願も実修した。
毎朝である。鳥取県の教化部でも合わせて、そのことが祈られた。

やがて、7月2日、ふってわいたようなビッグニュースがとびこんできた。

日本海の赤碕沖に、とつぜんマグロの大群が押し寄せてきたというのである。
マグロといえば、これまで日本海でとれたことがないのである。
それなのにマグロがやってきた。

しかも、その大群に出逢って、いちはやく水揚げしたのは共和水産の船であった。
社長の和田義孝氏は長年の聖使命会員。
第一報をうった無線技師の柏木さんは家族ぐるみの生長の家。
船にも『甘露の法雨』がお護りとして飾られていた。

実は、柏木さんの奥さんも祈りのメンバーの一人であった。
ご主人が漁に出かけれる6月30日の朝、奥さんの明子(はるこ)さんは、
ちょうどお風呂に入っていた。

玄関を出ようとするご主人のけはいを感じた明子さんは、あわててとび出し、
「お父さん、一寸待って! これもっていってよ、忘れないでね! 」といって、
裸のままとびだし、お守り『甘露の法雨』をご主人に手渡したのだった。
ご主人も思わず笑いながら、出かけた2日後の朗報である。

境港は、ときならぬマグロの大漁で、おおいに賑わった。なにしろ35年ぶりの豊漁。
その上、日本海にはいないはずのマグロの珍客、それも大群で ―― というわけで、
テレビや新聞、ラジオもこのニュースでもちきりになった。

アフリカ沖のマグロと違い、近海ものの本マグロは値が高い。
一匹二十万円前後、それが千本も水揚があったのだから、しめて2億円以上の売上げだ。
境港では、マグロを解体する専門家がいないので、急遽、大阪や焼津などの各地から
呼び寄せての売りさばきであった。


【龍宮からのプレゼント】

ところが、この日かぎりかと思っていたら、なんと次の日にも奇蹟がやってきた。
しかも当ったのが共和水産の船。前日につづくマグロの大漁で、この日もまた
1億5千万以上の収入であった。

二日続きの、ときならぬ豊漁に、さすがの海の男たちも、初めてのことで、
「信じられない」と語っていた。

毎日、産土の神を通して、大漁祈願をしていた生長の家のメンバーは、大喜びである。
生長の家の神様は龍宮の神様である。

これは神様の龍宮からのデラックスなプレゼントだというわけで、手放しの歓びよう。
祈りは必ず実現するということを、みんなが体験したのであった。


【還ってきたマグロの大漁】

さて翌年のことである。
諺にも、柳の下にいつもドジョウがいるとはかぎらない、と言われるが、なんと次の年にも、
その奇蹟が訪れたのであるから、なんとも不思議というよりほかはない。

しかも、これを射とめたのが、これまた和田義孝氏の共和水産の船団であった。
大量の無線を打ったのは柏木さん。

マグロは、よくよく『甘露の法雨』がお好きなようだ。

7月7日の七夕の日。
本マグロ約千匹、一匹平均約百キロ前後。しめて約1億5千万であった。

他の船団もチャンスを狙って遊弋(ゆうよく)していたが、
第2回目の大漁が、名和の御来屋(みくるりや)沖で上がった。
この日も共和水産の船団が発見し、約1億円といわれた。

”還ってきたマグロの大漁”に、幸運つづきの境港市は、喜びに湧きたった。
2年続きのマグロフィーバーに、市をあげてわいたのも無理からぬこと。
全国的にマスコミの絶好の話題となった。

生長の家の祈りのグループは、これまたおどろいて、神に感謝を捧げた。
ビッグな大漁のニュースも、決して偶然とは思えなかった。

生長の家では「環境はすべてこころの影」と教えられている。
ふかき祈りのあるところ、ピチピチとした喜びの体験が湧いてくるもんだと、
境港の浜ッ子誌友さんたちも、デッカイ体験に目をぱちくり。

宇宙は一つ。呼べば、答え給うのが神の世界である。
幼な子のごとき無垢なる心をもって神に祈るとき、
供給の扉は我らの前に無限に開かれるのである。

           <感謝合掌 平成28年7月7日 頓首再拝>
22:伝統 :

2017/06/07 (Wed) 04:46:57


             *『白鳩』(昭和40年4月号)より

神は遍在であり、到る処に在すのであるから、
神の愛は、常に到る処に〃神の子〃たるあなたに注がれていて、
〃神の愛〃の護りからあなたは外されることはないのである。

それは例えば、ラジオの放送電波は空間に遍在していて、
何処にいても、何処かの局からの放送を受信し得ないことはないのと
よく似ているのである。

しかしながら、それを受信するには一つの条件がある。
それは、その放送電波に波長が合うという条件である。

肉体人間は時々、恐れたり、憎んだり、慾心を起したり、冷酷になったりして、
神の愛の波長に合わないことがある。
そんな時に破壊の波長に合って災難を受けたりすることになるのである。

そんな時にも役に立つ、神の護りの補助受信装置になるのが
聖経『甘露の法雨』なのである。

この実際的功徳は無数にあって、
誌友諸賢が講習会の席上でその体験を発表していられる通りである。

併し、何故それが神の護りの補助受信装置になるかというと、
それは生長の家の人類光明化運動の本尊たる観世音菩薩の作詞せられた詩であるから、

その作者観世音菩薩の詩のリズムが聖経に宿っていて、
神の護りの「愛」の霊波が、詩のリズムと波長が合って
其処に救いが現実化することになるのである。

    (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/23074090.html より転写)

           <感謝合掌 平成29年6月7日 頓首再拝>
23:伝統 :

2017/06/24 (Sat) 03:53:28


         *『 生長の家 』(昭和24年12月24日の法語)より
 
   今度、九州を旅して教えられたことは、
   今更 「 甘露の法雨 」 の読誦の功徳の夥(おびただ)しいことである。

   佐賀県杵島(きねじま)郡の医師有森義光さんは、
    自分の子供のジフテリヤに何ら血清注射をほどこすことなくして、
    「 甘露の法雨 」 を二回読誦して、そのまま眠ってしまったら、

   その暁方(あけがた)大きな咳(せき)をして咽喉(のど)と鼻とに
   擬膜が飛び出して 「 お父さん、もう病気治った 」 と云い、
   翌日、三里の山道を登山して平気であったと云うことを発表された。

   しかしこの体験談で注目すべきことは、
   有森さんが安心して眠ってしまったことである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

           <感謝合掌 平成29年6月24日 頓首再拝>
24:伝統 :

2017/07/10 (Mon) 04:23:55


        *『 生長の家 』(昭和24年12月26日の法語)より

   有森義光さんは、自分の診断した婦人で、
   他(ほか)の外科医も、婦人科医も、
   子宮筋腫であるから切開手術する必要があると云われた婦人が、

   婦人の弟の中島徳一君と云う熱心な生長の家信徒に勧められて、
   切開手術することを止(や)めて 「 甘露の法雨 」 を読むことにしたら、

   急に大便したいようになって便所でその筋腫を排出してしまって、
   腹部の硬結(こうけつ)も苦痛もなくなり、
   完全に治ってしまった実例を発表された。

   この婦人は再婚した婦人で、先夫は自動車事故でなくなり、
   恐らく其の先夫の霊の妄念が子宮筋腫となって凝結していたのが
   解消したのだと思われる。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

           <感謝合掌 平成29年7月10日 頓首再拝>
25:伝統 :

2017/07/25 (Tue) 04:29:36


         *『 生長の家 』(昭和24年12月27日の法語)より

   一昨年私が九州を巡錫(じゅんしゃく)して 宮崎市の 「 平和の塔 」 の前で、
   多勢(おおぜい)の信徒と一緒に平和の祈りをして その高地から降りて来ると、


   小山戒三(かいぞう)氏の奥さんが、その親類の婦人と一緒に来られて
   お礼を云われるのである。

   「 この婦人は子宮癌で手術しても、もう駄目だと
   医者から云われておりましたが、
   『 甘露の法雨 』 で治りましてこんなに元気で働いております 」 と。


   その病気の由来をきくと、その婦人は二十八歳のとき
   良人(おっと)に 子供を遺(のこ)して死なれてから、

   「 貴郎(あなた)は極楽へ行って結構か知らぬが、
   子供を遺してあとに残った私はどうなるのです 」

   と恨んでいたのだった。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

           <感謝合掌 平成29年7月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2017/08/12 (Sat) 04:12:48


          *『 生命の實相 』 頭注版 第24巻 より

各人には 一人ないし数名の守護神が常に護っていられます。

本来の守護神は普通その人の祖先の霊魂でありますが、
その守護神のほかに、自己の霊魂の波長の精化(リファイン)されると否とによって 
〈あたかもラジオの波長の調節によって、いろいろの放送局からの放送が聞えて来ますように〉 

各種階級の霊魂が感応して副守護神として作用し、
この副守護神の念波の良否に従って、
その人の運命が左右されてくるのであります。

また本来の守護神たる役目の祖先霊も全智全能の神様ではなく、
一個の人間霊でありますから、その悟りの程度にしたがって
本人の守護力に増減をきたすのでありますから、

この守護神の向上をはかるということは、
われわれ自身の運命の向上を得る上にあずかって力があるわけであります。


それで自己ならびに、家族の守護神の悟りを向上せしめ守護力を増加せしめるために、
祖先霊をお祀りしてある宮または仏前にて、聖経『甘露の法雨』を
毎日1回30分くらいずつ朗読せられますと、自己の運命が向上するばかりではなく、
祖先霊に法施をする最大供養となるのであります。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/c76bfa96d286e8588ddf7ec8d044d4b5 より複写)

           <感謝合掌 平成29年8月12日 頓首再拝>
27:伝統 :

2017/08/27 (Sun) 04:41:07


       *『生命の實相』第20巻聖詩篇(P165)より 

わたしは霊感のあったそのころから
妙に詩がポッカリと頭に思い浮かぶことが多くなった。

わたしが道を歩いている時に突然浮かんで来たものがある。
『生きた生命』 のごときはそれだ。

詩が妙に書きたくなって、詩を書こうとして机に倚ったとき、
夢中になって霊感的にズンズン書いていったのもある。 
『甘露の法雨』 や 『或る日の生命の国』 などはそれである。

『或る日の生命の国』 の印刷の校正刷を読んでいるとき、
その読める者 〈わたしではない〉 に神が懸り給うて、
はじめて 『生長の家の神』 が天空高く詩中の 『生命の長老』 に
相応しいような白き衣を足まで垂れ、白髯胸まで至る姿にして
神姿を現わし給うたのであった。


これでこの詩を誦することが生長の家の神を招ぶに相応しい精神的リズムを
自己の内に作るものであると察せられる。

爾来この同じき神姿は異なる場所、異なる人々によって見られ、
ある時には一座の数人が同一神姿を見たような事実もあって
生長の家の神の存在が幻覚ではないことが第三者から立証された。


『甘露の法雨』 は自然に 『生命の實相』 が縮約して歌われいるので、
単に現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、
霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となり。
霊前で読誦することによって難治の諸病が無数に癒えている。

これこそ神仏礼拝の際その祭壇に対いて読誦すべき生長の家の聖経である。

           <感謝合掌 平成29年8月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2017/09/13 (Wed) 04:55:46


         *「生命の實相」第23巻経典篇(P120~123)より

近眼の治った、実に素晴らしい体験をもっていられる方があります。

それは川村よし子さんという双葉女学校の2年生の方なのですが、
数日前道場へ来られて、御自分の目の治ったおもしろい体験談を
されたのでありました。

川村よし子さんのおばさんというのが、生長の家の熱心な信徒でしたが、
よし子さんが某日(あるひ)、そのおばさんの家に遊びに行かれた。

その時におばさんが、生長の家の話を、
いろいろとよし子さんに話されたそうであります。

よし子さんは、五度というひどい近眼だった。

それで、目などは心に従ってどうにでも変わるものだという話を、
おばさんが諄々(じゅんじゅん)と説かれて、それから
「よし子さん、この『甘露の法雨』を読んでごらん」と言って
よし子さんに『甘露の法雨』を読ませられたのでありました。

ところが、その時夜は大分ふけているので、
『甘露の法雨』を半分ほど読んでゆくうちに、
よし子さんはとてもねむたくなってきた。

一緒に読んでいられたおばさんが、よし子さんがあまり眠そうにするので
かわいそうになってきて、「あなたはもうお休みなさい。わたしが代わって
続きを読んであげますから」と言ってよし子さんを臥(ふ)せさせ、
その枕元で『甘露の法雨』の後半を声高に読まれたのでありました。

しかしよし子さんは眠ってしまわず、
まだ「伯母さん、実相って何に? 」などと言って分からぬところを聞いていたそうです。

そして翌日目をさまして、眼鏡をかけない眼で、
ふとあたりを見廻すと不思議なことにいろんなものがはっきりと見える。

川村よし子さんの近眼は五度ですから、とても部の厚い眼鏡(めがね)を
かけておられたのです。

なんでも川村さんはお母さんが近眼三度、お父さんが近眼二十度というので、
その遺伝というわけか幼い時から眼鏡(めがね)をかけて
8年間だんだん度が進んで五度になったのです。

そころが、その朝目をさましてみると、昨日まで眼鏡なしでは全然見えなかったものが、
一夜のうちに、はっきりとみえるようになっているんですね。

額の絵の菊の花やら、障子の桟から、柱にかかっている時計の針まではっきり見える、
世界中が急に明るくなってきた。

よし子さんは嬉しくて嬉しくてたまらない。

さっそくと眼鏡を捨ててしまわれたのでありました。

それでその日、7月29日の晩、
初めて本部に来られて喜んでその話を皆の前でされたのでした。

その日はちょうど、明治大帝の御崩御の日に当たるので、
代々木練兵場でたくさんの花火が打ち上げられた。

ぽーッと空に上がる花火が眼鏡をはずしても、見えるようになっているのです。

ところがこれまで眼鏡をかけて花火を見ているころには、
花火は直径1尺ぐらいに小さくしか見えなかった。

それで花火なんて小っぽけなもんだと思っていられたそうですが、
肉眼でみると、どうしてどうして、とても大きくて立派な花火なのです。

で、「伯母さん、花火はなんて大きくて美しいものなのでしょう」と
よし子さんは感嘆されたと言います。

その翌日のこと、その日はからッと晴れた実に気持ちのよい日でありました。

空は紺碧に澄み渡って一点の雲も漂っていないというような日だった。

川村さんはこれまで厚い眼鏡(めがね)をかけて、そのレンズでものを凝縮して
見ていられたのでしたから、空の碧色(みどりいろ)もなんだかはっきり分からない
白っぽい色ばかり見えていた。

ところがその朝、肉眼で紺碧の美しく晴れ渡った空を見て、
はじめて「空はなんて美しい碧色だろう」と思われたのです。

「碧色(みどりいろ)の美しい空を、わたしは今まで知らなかった。
空はこんなに美しいものだったのか」と思われたということです。


そういうあんばいにして、川村さんの見る限り世界中の姿が
すっかり変わってしまったのであります。

川村さんは、素直な幼児(おさなご)の心で真理を受け入れられたから、
たった一度『甘露の法雨』を読んだだけで、
かくも偉大な功徳を得られたのであります。

『甘露の法雨』の功徳というのは、要するに『甘露の法雨』に書いてある
真理の功徳にほかならないのであります。

そこで、この真理を読んで実相を見る目が開けた時に
世界中の姿が変わってくるということにもなるのです。

         <感謝合掌 平成29年9月13日 頓首再拝>
29:伝統 :

2017/10/02 (Mon) 04:11:01


           *『光の泉』(昭和62年新年号)
            ~ 生長の家愛媛教区教化部長  川 上  繁


《『甘露の法雨』というお経には、素晴らしいお蔭があります。 
その他『甘露の法雨』を持っていただけで災難をまぬがれたとか、
あるいは又、『甘露の法雨』を一心に読んで御先祖をお祀りしたところ、
一家が非常に幸せになったとかいう話がよくありますね。 

これは一体何故でしょうか? 
それは『甘露の法雨』の中に書かれている真理が尊いからで、
「真理の言葉」によって全てのものが浄められて、
「実相」があらわれてくるからです。 

「実相」即ち本当の世界には、病気もなく、貧乏もありません。 
どんな不幸も、あらそいも、災難もないのです》

              〈谷口清超先生著 『感謝の奇蹟』 36頁》


聖経『甘露の法雨』を一心に読んでいると、
本当に、不思議な奇蹟のようなことが起って来ます。

教化部長として岐阜県に赴任して1年半経った或る日の事、
家内は1歳の三女を抱いて、当時幼稚園へはいったばかりの四男が
近所の小学校へ遊びに行っていたのを迎えに行きました。

その帰途のこと。 
歌をうたいながら家内についてきていた息子の声が、
急にきこえなくなったと思った瞬間、「キー」と車のブレーキの音がしたのです。 

息子は普通車の前部で10数メートルも引きずられ、
前輪と後輪がそのか細い足の上を通り過ぎて、ようやく車は止まったのでした。 

家内は血みどろの子供を抱き上げて、
泣きくずれている事故を起した女性をはげましながら、
救急車で近くの救急病院へ行きました。

教化部で電話の知らせを受けた私は、すぐ病院にかけつけました。 
息子は、長時間レントゲンや心電図の検査を受けた後、4階の病室に入院しました。 
私だけあとに残り色々説明を受けました。 

「一番問題は頭です」 と言いながら、医師は、後頭部の真中から三方に
ヒビのはいった写真を指さしました。

「頭にヒビがはいっています、すぐ手術しなければ大変なことになります」

認めたものが現れる世界であります。 
“認めたらいかん、認めたらいかん”と心の中で叫びながら私は、
「これはヒビではありません、息子の頭のすじなんです」 と答えました。

「何を言っとるかね。 これはヒビなんだよ!」 

と医師は強い語調で言われますので、

 
「うちの息子は金剛不壊です。 傷つく筈がありません!」 
自分に言いきかせるように、私は腹の底からコトバを発しました。

そして2、3回同様な言葉を交したあと、烈火の如く怒った医師は、
「この人、頭が変だ!オイタオイタ 〈やめるの意〉」 と
叫びながら奥へはいってしまわれました。

私は医者の後姿を拝みながら、

“現象の不完全は無い、実相は完全円満である” 

と祈りました。

子供の病室に行った私は、
「大したことはないようだけど、わしは朝まで三部経を誦げるから
お前も一緒にあげてくれ」 と、家内に言って、
二人で朝まで一心に大声で聖経を読誦したのです。 

心と声をあわせて何度目かを誦げ終った頃、
“息子は大丈夫だ”との自信が湧いてきました。 

そこで家内を寝かし〈4時頃でした〉、そのあとも一人で一心に誦げました。 
この時ほど命がけで一晩中、聖経を読誦し続けたことは、
それまで無かった事でありました。

6時前頃、息子はむっくり起き上り空腹を訴えました。 
医師の許可を得て、パンと牛乳を与えると、さもおいしそうに平げました。

多量の出血は眼の上の傷口からで、「失明の恐れがあるから」と、
夜分ながら眼科医へも紹介されて診察を乞うたところ、
紙一重の差で眼球に異常のないこともわかり、

その後何度かの検査でも脳波に異常はなく、
6日目の朝、無事退院の運びとなったのでした。

しかし、そこでちょっとした波乱が起きました。 
治療費を、「飛び出した息子が悪いのだから我が家で払います」 と言うのに対し、
先方様は、「いえ、私に払わせて下さい」 と言われるのです。 

結局あちら様に払って頂きましたが、示談書の 
「何年先になっても後遺症が出た場合、その治療費について責任を負う」 
という箇所は削ってもらいました。

「我が家の息子には絶対後遺症は出ませんから」ということで ・・・ 。 

認めたものが現われる世界であります。 
クワバラ、クワバラというわけです。


現在四男は20歳で、つい先日、生長の家総本山に就職し、
先輩である三男と共に人類光明化のために頑張ってくれています。 
親にとってこんなに嬉しいことはありません。 

『生命の實相』 第1巻〈124頁〉 に、
災難や不幸にあって自分が傷つくのは、自分の心が類似性をもっていて 
「自分の心が招ぶからである」 と示されています。 

大いに反省したことであります。

それにしても 『甘露の法雨』 はすばらしい功徳があると、
しみじみ神様に谷口先生に感謝している次第であります。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/5212624eea070fcf76174cef521e8c62 )

         <感謝合掌 平成29年10月2日 頓首再拝>
30:伝統 :

2017/11/05 (Sun) 03:30:15

          *大熊良樹(講師)の公式ブログ より
            (2014/10/16、 2014/10/17、2014/10/18)


聖経『甘露の法雨』の功徳(1)
 → https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12435843.html

聖経『甘露の法雨』の功徳(2)
 → https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12444105.html

聖経『甘露の法雨』の功徳(3)
 → https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12446004.html



<関連Web>

(1)本流宣言掲示板「田中静壹大将と甘露の法雨」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=980

(2)光明掲示板・第一「奇蹟の『甘露の法雨』」(418<2012年08月14日>)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=64

         <感謝合掌 平成29年11月5日 頓首再拝>
31:伝統 :

2017/11/25 (Sat) 04:56:50


          *”山ちゃん1952 さま”のブログ より
           (2015年08月24日)

(1)田中静壱大将と甘露の法雨 -1
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40956034.html

(2)田中静壱大将と甘露の法雨-2
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40956639.html

         <感謝合掌 平成29年11月25日 頓首再拝>
32:伝統 :

2018/03/24 (Sat) 03:28:26


愛国本流掲示板に、標記の記事の投稿があります。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/&mode=res&log=7600


合わせて、”山ちゃん1952 さま”による次のWebも参考にできます。

(1)本流宣言掲示板「田中静壹大将と甘露の法雨」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=980

(2)”山ちゃん1952 さま”のブログ(2015年08月24日)

  ①田中静壱大将と甘露の法雨 -1
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40956034.html

  ②田中静壱大将と甘露の法雨-2
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40956639.html


         <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>
33:伝統 :

2018/04/15 (Sun) 02:45:23


       *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P25) より

《自己暗示の呪縛》
    
多くの人たちは、”自己”をあまり尊敬しなさぎるのである。

単なる”男性物質”と”女性物質”との性的結合によって成立った
唯物論的存在が「自己」だと思って、自己尊敬の心を失い、自己をあまりにも
“弱小なるもの”“卑しき穢れたるもの”と思い過ごしているのである。

その思い過ごしの想念が、自己暗示となって、自己を矮小化し、
神から恵まれた能力を自縄自縛して半ば眠らせてしまっているのである。
あなたはその自己暗示による自縄自縛を解かねばならないのである。


そのためには、あなたは真理を書きあらわした聖典及び聖経を
繰り返し読まなければならない。

聖経『甘露の法雨』を繰り返し読誦することによって、無数の難症が癒されている
事実が多数あらわれているのは、『甘露の法雨』に書かれている真理の言葉が
自己の”生命力”の自縄自縛を解除し得るものだということを証拠だてているのである。

         <感謝合掌 平成30年4月15日 頓首再拝>
34:伝統 :

2018/05/08 (Tue) 03:34:55


          *『生命の實相』第20巻 より

わたしは霊感のあったそのころから妙に詩がポッカリと頭に思い浮かぶことが多くなった。

わたしが道を歩いている時に突然浮かんで来たものがある。 
『生きた生命』 のごときはそれだ。

詩が妙に書きたくなって、詩を書こうとして机に倚ったとき、
夢中になって霊感的にズンズン書いていったのもある。 

『甘露の法雨』 や 『或る日の生命の国』 などはそれである。

『或る日の生命の国』 の印刷の校正刷を読んでいるとき、
その読める者 〈わたしではない〉 に神が懸り給うて、
はじめて 『生長の家の神』 が天空高く詩中の 『生命の長老』 
に相応しいような白き衣を足まで垂れ、白髯胸まで至る姿にして
神姿を現わし給うたのであった。

これでこの詩を誦することが生長の家の神を招ぶに相応しい精神的リズムを
自己の内に作るものであると察せられる。

爾来この同じき神姿は異なる場所、異なる人々によって見られ、
ある時には一座の数人が同一神姿を見たような事実もあって
生長の家の神の存在が幻覚ではないことが第三者から立証された。


『甘露の法雨』 は自然に 『生命の實相』 が縮約して歌われいるので、
単に現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、
霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、
迷える障りの霊も守護の霊となり。

霊前で読誦することによって難治の諸病が無数に癒えている。

これこそ神仏礼拝の際その祭壇に対いて読誦すべき生長の家の聖経である。

   (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/79ada03c38ec45c946da5c998a4c4ffc より転写)

         <感謝合掌 平成30年5月8日 頓首再拝>
35:伝統 :

2018/06/03 (Sun) 03:48:20


        *「生命の實相第34巻道場篇 (P192~193)より

谷口先生御上京以来、ほとんど一日も欠かさずに先生のお傍で
黙々として大存在を示しておられる辻村楠造(くすぞう)翁は、
次のように今朝は語られるのであった。

「私の知合いに女学生がありまして、
毎月月経時になると癲癇の発作を起こしていました。

私が生長の家を知るようになってから、毎朝祖先の霊に対(むか)って、
『甘露の法雨』全篇を頌(あ)げるようになりました。

するとこの難治といわれている娘の癲癇が治ったのです。
そこでいよいよ確信を得ましたので、なおも祖先の霊の悟りに精進いたしました。

ところが一昨々日、その娘に外出せねばならぬ用事が起こりました。
多少心配ではありましたが、一人でやりましたところ
何のこともなく帰って参りました。

家中ありがたく感謝いたしております。
大真理のおかげをうけて感謝しています。」

辻村翁の話は、語り手が語り手だけに静かに満場を打ったようであった。

         <感謝合掌 平成30年6月3日 頓首再拝>
36:伝統 :

2018/06/20 (Wed) 04:48:04


        *「恋愛・結婚・母性」(P138~139)より

話が横道に外(そ)れましたが、『甘露の法雨』と云うものを読んで上げたら
悟りを開くと云うのは何故(なぜ)かと言いますと、

人間及びすべての生命(せいめい)は物質本来なくして神のいのちが宿っている
のがすべての生命(せいめい)であり、神のつくり給うた世界には一切のものが
調和して居って、少しも不調和と云うものはないのだ

と云うところの根本真理が書いてありますから、それを悟れば互いに争っていた
ところの争いが解けることになるからであります。

即ち「神があらわるれば乃(すなわ)ち善となり、義となり、慈悲となり、
調和おのずから備わり」と『甘露の法雨』にありますが、

真理が悟られると、調和が自(おのずか)ら備わって来る。

銀杏(いちょう)の精であろうが、先妻の霊魂であろうが、何であろうが、
みんな調和してしまうのでありますから、争いはない、憎み合いはないと云う
状態になって来るのであります。

ですから『甘露の法雨』を読んで上げれば自(おのずか)らすべての霊魂が
悟りを開いて、地上に禍(わざわ)いと云うものを持って来ないと云うことに
なるのであります。

         <感謝合掌 平成30年6月20日 頓首再拝>
37:伝統 :

2018/07/06 (Fri) 03:39:06


        *充実人生ラブ(2018年6月17日)より

9月は母の一周忌。

昨年母の葬儀で起こった”奇跡”について述べようと思う。

母の亡骸を火葬場へ送る前、たくさんの花と共に最後の別れを告げた。

その時母が生前好きだった食べ物、大切にしていたものを棺に納めた。

「生長の家」の熱心な信者であった母。

左手付近に「生長の家」のお経である『聖経』をお供えした。

天国でも、慣れ親しんだ神様のみ教えに導かれて下さい、との想いを込めた。



火葬が終わって、骨上げのため、お骨の周りに兄と二人で立った。

母のお骨はか細いながらも大方その原型を留めていた。

全てのものが燃えつくされ、お骨以外全てが真っ白な灰となっていた。


しかしその中『聖経』だけがその半身を留め、お骨と共に残っていた。

『聖経』の表紙、”聖経”と書いてある、”経”より下の部分、
やや左斜め方向にして燃え尽きていたが、
上の”経”部分半分は黒く焦げることもなく、その色、形ともに原型を留めていた。


骨上げをしていた兄が、

「あっ、『聖経』も(骨壷に)入れなきゃ。」

とつぶやいた。

その時兄は、なぜ”紙”でできている『聖経』が燃えずに残っていたのか、そ
の不思議を思っていなかったようだった。


あらゆるすべてのものが、燃え尽きた中、なぜ『聖経』だけが半分燃え残ったのか・・・。

母の『聖経』は、半分が母の体とともに燃え尽きてこの世からなくなってしまい、
半分は母の遺骨と共にこの世に残る形となった。

    (http://livewelllaboratory.com/2018/06/17/life-mind-seikyou/

         <感謝合掌 平成30年7月6日 頓首再拝>
38:伝統 :

2018/07/19 (Thu) 04:22:32


上の記事「僕が体験した『聖経』の奇跡。 by充実人生ラブ(2018年6月17日)」
に関連し、火にも燃えない『甘露の法雨』に関した情報の紹介です。


           *新講『甘露の法雨』解釈(P357~359)より

先日、書簡を整理していると、ずいぶん古い体験談の筆記が出て来た。
その頃は録音機がまだ普及していない時代で、当時生長の家にいた
速記者、倉橋公宣君の筆跡であって、その用紙も、褐色になって古びがあらわれている。

昭和18年8月14日仙台に於ける講習会の際に発表された体験で、
話者は伊藤徳四郎という人である。次のように話しておられる。


   『只今、御紹介にあずかりました伊藤でございます。
   私の入信はちょうど10年も前からでございます。

   別に自分の体が悪いというようなことが原因で入信しましたのではありませんが、
   家族の者に病気がありまして、その際突然にお知り合いの徒弟の方に御本を
   戴きまして、

   そのときちょうど子供が関節炎で、ギブスを固めました翌日おいでを願いまして、
   関節の方よりも悪うない他所(よそ)が悪かったのであります。

   他所が曲らぬようになったのでありますが、
   それを約15分間思念をして戴きました結果、
   それがすぐ自由に曲るようになりましたのであります。

   その頃生長の家の道のお話を伺いまして、なるほどと感じまして
   御本を拝借いたしまして、拝読いたしましたのが動機となりまして
   誌友にもならして戴き、今日に及んでいる次第でございます。


   さて体験と申しましては、家族の病気につきましては、ニ、三
   大変医者にも、医者がどうしても治せぬというようなものがひとりでに治りました。

   それよりも私共の心の摩擦とでも言いますか、
   4年前にちょうど4年前の10月の21日でありますが、
   午前9時に火事に見舞われたのであります。

   そして何物も出さず、一物も出さず全部火災の為に焼失したのでありますが、
   その頃に私、ちょうど母が京都に行っておりまして
   留守でありますからこういうことを言いました。

   どうも女というものは着物を非常に惜しがるものであるから、
   従来蔵(しま)って置きました着物をなくしてしまうということは
   非常に悲しいものじゃないか、ということを感じましたので、

   火事最中でありましたが、裏の寺の前に行きまして立っておりまして
   神想観をいたしまして、自分等のものは、自分並びに子供等のものは
   何がなくても差支ないのであるから、しかし母の着物だけは是非一つ
   焼かないで欲しいというような気分で、必ず焼けないという神想観を
   致しましたのでありますが、

   それがちょうど翌日になりまして警察の検査に立ちましたところが、
   幸いにも母のものは箪笥4つにありました着物の全部焼けないのであります。
   その他全部焼失致しました。

   申し遅れましたが、私の家はちょうど余り大き過ぎまして50幾坪とございまして、
   八畳間が7つもありました家で、その他小さい部屋もありましたが、
   そういう大きな家が全部焼けたのでありますので、
   箪笥や衣類などというものは必ず焼けるものと思っておりました。

   ところが、私の思念が天に通じましたものか母の品物と致しましては
   全部焼けないでそのままありました。(拍手)

   唯(ただ)水はかかりまして色とか何とかは悪くなりましたのですが、
   少しも焼けないでしまったのであります。

   洵(まこと)に有難いことだと思っております。


   尚その際に生長の家の御本「生命の實相」の前身である「久遠の實在」という
   皮表紙の御本を一番床置きに何時も置いておるのでありますが、
   そこには「甘露の法雨」もあり、叉「生長の家」という毎月の雑誌、
   あれも5冊ばかり重なっておったのでありますが、

   それがどうかと言いますと、そこの一緒に置きました他所の本は、
   或いは掛物とかその他のものは全部焼けてしまって形がないのでありますが、

   生長の家に関係しました御本要するに「生命の實相」と「久遠の實在」
   それから「甘露の法雨」是は水もかかりません、
   また焼けも致しませんでそのままそこにあったのであります。(拍手)

   尚「生長の家」の雑誌は水ですっかり濡れておりましたが一冊も焼けないであります。

   それを思いますと真理は水にも溺れず、火にも焼けずということは全く本当であると
   いうことを私は感じさせて戴いたのであります。

   それからここは私と致しまして最も感じおりましたことで、
   先にその当時も皆さんにお話を申し上げたのでありますけれども、
   繰り返して今日も先生に御礼旁々(かたがた)皆さんにもお聞きを願った
   次第であります。ここで失礼致さして戴きます。(拍手)』

 
この体験で興味深いのは、火事の最中に裏の寺の前に行って、神想観をして、
留守中の母の着物を焼きたくないと思ってそれを念じたら、他のもの皆焼けたのに、
箪笥4つにあった母の着物が全部焼けなかったということで、

「環境も肉体も心の影」と生長の家で説いている真理の実証となって
いますが、本当に「焼けない」という念が起れば「焼けない」事実が
あらわれるのであります。

火事が起った原因も、伊藤さんは、「私共の心の摩擦」といっておられます。

実際、大抵火災が或る家に起る場合には、
その家族の中に精神的摩擦があるのであって、
それはあとで反省してみればわかるのであります。

それよりも更に不思議なのは、家が全焼しているのに、床の間に置いてある
『生命の實相』『久遠の實在』及び聖経『甘露の法雨』と、5冊の『生長の家』誌等、
真理の書かれている書冊が、同じところに置かれている他の本は焼けているのに、
焼けていなかったという不思議さであります。

”真理”は火にも焼けず、水にも溺れずといわれますが、
まこと『甘露の法雨』その他“真理の書”の功徳は素晴らしいのであります。

         <感謝合掌 平成30年7月19日 頓首再拝>
39:伝統 :

2018/08/04 (Sat) 04:10:35

        *楠本加美野先生講演録 より


聖経『甘露の法雨』の素晴らしさ
~生長の家宇治別格総本山総務 楠本加美野宮司講演 要約

(1)河口湖道場に勤務していた時の話

   その当時、その頃は周りに何もなくて、
   あるのは富士山だけ(笑)という状況でした。

   そこで毎日、拡声器を富士山の方に向けて、
   当番を決めて、「聖経の間」を設けて
   『甘露の法雨』を一日中、連続して誦げておりました。


   そうしたら、「焼津港報」という新聞が私の手許に送られて来て、
   「昭和40年8月31日、静岡県焼津市のある火葬場で奇跡がおこった。

   千二百度の高熱を出して燃える火葬炉の中から
   『甘露の法雨』が焼却されずに、
   原型を残して発見された」という記事が目にとまった。

   もう感激してねぇ、何と素晴らしいことだろうと、
   さらに熱心に『甘露の法雨』を誦げたわけですが、
   現在この『甘露の法雨』は、総本山の温故資料館に大切に保管されています。

   (http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6682003 より転写)

・・・

さらに詳しくは、次のWebにて確認できます。

光明掲示板・伝統・第一「聖経『甘露の法雨』の功徳」
~火葬炉の中に残る、火にも焼けなかった聖経 (623)日時:2015年03月11日 (水)
http://bbs6.sekkaku.net/bbs/wonderful/mode=res&log=55


         <感謝合掌 平成30年8月4日 頓首再拝>
40:伝統 :

2018/08/09 (Thu) 05:02:00


今日、8月9日は、長崎に原爆が落とされた日です。
(8月6日には、広島が被爆)

原爆にも犯されない奇蹟の体験記録については、先代の掲示板で
紹介がありましたが、ここに再度紹介致します。

      *神秘面より観たる『生長の家』四十年史(p.49-52)より

原爆の“第三の火”も傷つけることが出来ないという奇蹟は、
宮崎県の青年、甲斐延佳君にも起こったのであった。

甲斐君は、もと満鉄に勤めていたが肺結核に罹(かか)って満州は
気候が療養に適しないので、内地療養を許されて日本へ帰っているうちに
『生命の實相』に触れ、“人間神の子・本来無病”の真理をさとると同時に
病気が癒(い)えたのであった。

病気が恢復すると、恰度、大東亜戦争に差し掛かっていた時期であったので、
召集されて軍隊勤務に入ることになった。甲斐君は先ず長崎師団の
輜重兵(しちょうへい)として入隊し将兵の被服をしつらえる係になった。

彼は何月何日に入隊するということが決まると、
“自分は生長の家の説く真理によって救われたのであるから入隊前に、
一度生長の家の講習会を受けて「神の子」の自覚を深めてから戦場に臨みたい”

と考えて、どこに此の月は生長の家の講習会があるかと調べてみたら、
佐賀県の武雄市にあるということが判ったのである。

そして武雄氏の講習会に来てみると、わたしの講話の中にこんな話が出て来た。

「海征(ゆ)かば水漬(ず)く屍(かばね)、山征かば草むす屍、
大君の辺(へ)にこそ死なめ顧みはせじ」などというような、

海で戦争すれば味方の軍勢が“水漬く屍”になり、
山で戦争するならば“草むす屍”になる言葉ばかり唱(とな)えて、
一語も「勝つ」の“カ”の字もないような歌を唱(うた)って戦っていては
負けてしまうぞ。

そんな不景気な言葉を唱える者は「言葉の力」を知らぬ者だ。

“死ぬ”ことを、言葉で唱えれば、言葉の力で“戦死”を多く出す事になるから、
“死ぬ”などということを唱えず、ただ「皇軍必勝、必勝生還」とのみ唱え、
それを信じて戦うべきである。

こういうような事を色々の実例を引いて私はその時、講演していたのであった。

この午前の講義が終わって、控え室で昼食をしたためていると、
甲斐君が日章旗を持って来て、そして硯に墨と筆とを用意して、
自分が召集されて、一両日中に入隊することになっている事を話して、

「今日の御講義まことに私のために話して頂いたような話で
大変感銘いたしました。ついては先生のお言葉通り、この日章旗に
“皇軍必勝・必勝生還”と書いて頂きたいのです」というのであった。

私は講習先で時々揮毫(きごう)を求められることがあるのだが、
単なる揮毫であるならばお断りするのであるけれども、

午前中に自分が講義した文句でもあるし、もう直ぐ応召(おうしょう)して
戦場に臨(のぞ)む人の願いであるので、断りもだし難く、
日章旗の両縁の白いところに”皇軍必勝・必勝生還”と墨、黒々と
祈りを凝めて書いて差し上げたのであった。

甲斐君は、その日章旗を常に腹巻(はらまき)とし、
その腹巻の間に『甘露の法雨』を捧持(ほうじ)して
軍隊生活に入ったのである。

彼は輜重兵(しちょうへい)として軍服や下着の調達の仕事を受け持っていたが、
それが出発ぎりぎりの時間に間に合って、長崎港から出発する船に飛び乗った。

それは軍が徴用した屋形船であって、船の中には既に兵隊がぎっしり乗っていて、
足の踏み場もないような状態であったので、彼はその屋形船の屋根の上に
乗ったのであった。

屋形船の日覆いになっている屋根は日本建築の屋根のように傾斜していた。
その上に乗っている彼は、船が波のうねりで、もう一層傾斜すると、
屋根が一層急勾配(きゅうこうばい)になるので、彼は屋根からすべり落ちて、
肩を並べて坐っている兵隊の膝と膝の間へ割り込むように横倒しになったので
あった。

その瞬間、船の真上で敵の爆弾(砲弾かも知れない)が炸裂したのであった。

頭をならべて乗り込んで坐っていた兵隊たちは、
その敵弾の炸裂(さくれつ)をまともに受けて全員戦士したのであったが、
甲斐延佳君だけは兵隊の膝の間に横に倒れて兵隊の腹や背が防御の楯のように
なって自分を護っていてくれるので身に微傷をも帯びないでいた。

それは「皇軍必勝・必勝生還」と私が書いた日章旗を腹巻として、
その中に『甘露の法雨』を捧持していたお蔭だと私は考えたいのであるが、
そのように考えたくない人は偶然の僥倖(ぎょうこう)であると考えても良い
であろう。

それから後、甲斐延佳君の所属の部隊は変更になって、
長崎に原爆が投下せられた時には、彼は高射砲部隊に属していた。

原爆が投下された日は、よく晴れた日だったらしい、
非常に暑い日で高射砲部隊の人々は、上半身は上着もシャツも脱いで裸で、
ズボンだけの軽装になっていた。

原爆を投下したB29の逃げ去る跡を追って彼は、その高さを追跡するための
測高機を見詰めながら伏向いて裸の背を空に向けた姿勢でいたのだった。

突然、甲斐君は、爆弾の爆音と共に何千噸ともいうような重量の圧力を
裸の背に感じて、体を上から下へと押しつぶされた。
彼は踏み潰(つぶ)された蛙のように其処へヘタバッテしまったのであった。

極近い距離からプルトニュームの原子爆弾の爆風と照射を、
彼は何も覆(おお)うものなき裸の背中から浴びたのであった。

しかし彼は「皇軍必勝・必勝生還」と私が書いた、
腹巻の中に『甘露の法雨』を捧持していた。
彼は「真理」と一体になっていたのだ。

彼の背中は、数日間、海水浴に往ってきた後の日焼けのように
少し赤くなってただけで、その後爛(ただ)れることもなく、
ケロイドになることもなく、間もなく普通の皮膚に返ったのであった。

彼はその後、原子病に罹(かか)る事もなく、戦争が終わると、
この神秘の体験をひっさげて宮崎県の生長の家青年会の支部執行委員長として
青年たちの訓育に尽くして来た。

青年会員の資格は35歳までであるというので、私が海外布教旅行に出かける
少し前の年に、彼は青年会支部執行委員長の重責を満了して、
ある生命保険会社の外務員として就職したが、私の海外旅行の前年、
宮崎市で講習があった時に、あの長崎で原爆を受けた時の体験を
多くの受講者の前で話したのだった。

甲斐君はその時、生命保険の外交でも、
生長の家の真理を生活に応用してやっているので、
第一位の成績を挙げて表彰されたと言っていた。

まことに「真理は汝を自由ならしめん」である。

原爆の被害からの自由、貧乏からの自由、病気からの自由、
一切の災害からの自由、一切の不幸からの自由・・・
   
これらは皆“内”から得られる自由であるのである。  

(光明掲示板・第一「奇蹟の『甘露の法雨』 」 
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=64 より転写) 

         <感謝合掌 平成30年8月9日 頓首再拝>
41:伝統 :

2018/08/10 (Fri) 04:30:10


      *神秘面より観たる『生長の家』四十年史(p.47-48)より

ところが、まだ生長の家の幹部役員ではなかったが、熱心な生長の家信者で、
毎日、祖先霊に供養のために聖経『甘露の法雨』を怠らず誦(づ)している
天辰(あまたつ)静雄さんという誌友があった。

この人は、原爆をB29が携えて空を飛んで来たとき、
空襲のサイレンを聞いたので防空壕の中に身をひそめていたのであるが、
日本の軍は原子爆弾の事は知らないので、襲って来たB29が東の空に
姿を消し去ると、空襲は終わったものと見て「空襲解除」のサイレンを鳴らした。

そのサイレンを聞いた天辰静雄さんは防空壕の外に出て
「敵機はどこへ往(い)っただろう? 」と思いながら上空に眼をやると、
落下傘にぶらさがって何か黒いものがフラフラしているのである。

「てっきり、あれは、敵の飛行機が日本の高射砲でやられたので、
その飛行士が落下傘で逃げて降りるんだろう」と思って見ていると、
そのぶらさがっている物は、敵の飛行士ではなくて原子爆弾であったのである。

それは至近の距離で(四百メートルとも八百メートルともいう)
突如ピカドンと爆発した。
その一瞬、天辰さんは気を失って倒れた。

それから何時間経ったかよく分からないが、氏は眼を覚ましたのであった。
意識を恢復して顔をさすり、全身を眺めてみるけれども、
何処にもかすり傷も火傷もない。

その付近には、黒焦げの屍体が5つ6つ転がっていた。

当時、近い距離で原子爆発の洗礼を受けた「黒い物体」は
みな火を発して燃えたので、全市が殆ど火事になったのも、そのためだそうだが、

それは、天辰静雄氏同様に、爆発のショックで意識を失ったまま、
黒い衣服を着ていた通行人が火を発して焼けて
黒焦げの死体となっていたのであった。

しかし、天辰氏自身はどんな被害も受けていなかった。

彼が意識を恢復した時、
聖経『甘露の法雨』の中身の経文の部分の紙がひらいて、
氏の胸の上に斜めに、覆(おお)うようにかぶさっていたという。

まったく氏が、そのような至近の距離で、裸の顔を上空に向けて
原子爆弾を眺めながら、その爆発の直撃を受けながら、
聖経が胸を覆うていたために何の被害も受けなかったのは、
   
観世音菩薩(住吉大神)の降ろしたまえる『甘露の法雨』に護られていた
功徳だというほかはないのである。

その翌年、長崎市に講習があった際、
天辰静雄さんは、私にお礼を言いたいと言って、
帰りの汽車に私に同乗して来られて、
その時の実情を詳しく話されたのであった。

上に書いたのは、そのとき天辰氏自身から聞いた実話であるのである。

その時、私は、
「そのあなたの胸に懸かっていた『甘露の法雨』は何処から来たのですか」
と訊いた。

すると、天辰さんは、

「それは私の家の聖経です。私は毎夜、お仏壇の前で
『甘露の法雨』を誦んで祖先を礼拝することにしているのです。

その前の晩わたしは、誦(よ)み終わると、聖経をサックに入れないで、
どうせまた披いて読むんだからと、ふと思ってサックの上に聖経の折本を
重ねて置いたのでした。

すると、それが原爆の爆風でわたしの胸の上に飛んで来て
わたしを覆(おお)ってくれたのでした。」

もし天辰さんが、先祖供養を怠って『甘露の法雨』を毎夜読まないでいた
としたら、氏の運命はどうなっていたか分からないのである。

天辰さんはその後、15年間以上も健康で生きておられた。
何でも愛知県の方に移転して来ておられたが、
亡くなる時も原子関係の病気ではなかった。

原子の“第三の火”も
聖経に宿るところの“真理”につながる人々を傷つける事は
出来ないのである。

         <感謝合掌 平成30年8月10日 頓首再拝>
42:伝統 :

2018/08/11 (Sat) 04:41:42


      *神秘面より観たる『生長の家』四十年史(p.45-46)より

それは昭和20年8月9日、アメリカ空軍機B29が長崎を「原子の火」をもって
攻撃した時のことであった。

B29機は長崎市の中央にあらわれて、そこに落下傘(らっかさん)にぶらさげた
原子爆弾(それは後に明らかにされた所によると、広島を襲った原子爆弾よりも
2倍の爆発力をもったプルトニューム爆弾であった)を投下すると、
そのまま西の空に消え去ったのであった。

丁度その時、長崎の東端にある町、浦上にある有名なカトリック教会では、
その信者の90%の人々が集まって熱心な祈りを捧げていたのである。

それはカトリックのことであるから「主イエス・キリストの受け給いし苦しみを
我にも受けせしめ給いて、自分たちを代贖者(だいしょくしゃ)として
この戦争を終結せしめ給へ」というような意味の敬虔(けいけん)な祈り
であったと思われる。

そのとき落下傘によって空中に浮かんでいた原子爆弾は恰(あたか)も
その祈りに応えるかの如く、風に吹かれて、その熱祷(ねっとう)を
捧げている最中の、教会の真上まで来ると、ピカドンと爆発したのであった。

そしてその熱祷を捧げている最も敬虔なキリスト信者たちは一瞬のうちに
霊界に移行したのである。

その教会の隣に、長崎医大及びその付属病院があった。
病院勤務の臨床を担任している博士たちは一瞬のうち全部息の根が絶えた。

病院全部を暖房するための煙突は“く”の字にひんまがり、
付近の山王神社の御影石の鳥居はその一方の柱が無残にもへし折れて飛んだ。

それは8月の事であったから大学は休暇であったから学生には被害がなかったが、
学科を担任している教授たちは、頻々(ひんぴん)として長崎を襲ってくる
空襲のために、もしか大学校舎に爆弾が命中して火を発したら、防火に従事する
必要のために出勤して、泊り込んで当直する事になっていたのであった。

当直に当たっていた教授は皆、無慚(むざん)な死をとげた。
その日出勤していなかった教授だけが救かったのである。

精神科の科長をしていられた高瀬清博士は(その夫人が長崎の生長の家白鳩会長
であった)、その休暇を無駄に過ごさないで有益に利用しょうと思って
8月1日から7日までの1週間、歯科医を集めて精神医学の講座を開いて、
毎日数時間の連続講義をすることにせられたのであった。

1週間連続の講座が終わると、教授の一人が、高瀬博士に
「先生は御老体でもあるのに1週間も連続の御講義では、お疲れでしょうから、
3日間位は公休をお貰いになって自宅で静養して下さい」と勧めるものであるから、

8月8日、9日、10日と3日間、長崎市から汽車で1時間半の距離にある
疎開先の自宅に帰って休養しておられたのであった。

そのために8月9日に長崎市を襲った原爆から自然に身をかわして
無事なるを得たのであった。

当時の生長の家幹部の人たちは、あの原爆の当日、あの時間に、
不思議にも何かの用向きで長崎市にいないで、原爆とスレ違って
救かっているのである。

どんな災害も、心がそれに波長があわねば近づくことが出来ないと言う
真理の実証と見ることが出来るのである。

         <感謝合掌 平成30年8月11日 頓首再拝>
43:伝統 :

2018/08/15 (Wed) 04:54:08


(1)本流宣言掲示板「田中静壹大将と甘露の法雨」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=980

(2)光明掲示板・第一「奇蹟の『甘露の法雨』」(418<2012年08月14日>)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=64

(3)”山ちゃん1952 さま”のブログ(2015年08月24日)

  ①田中静壱大将と甘露の法雨 -1
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40956034.html

  ②田中静壱大将と甘露の法雨-2
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/40956639.html


(4)大熊良樹(講師)の公式ブログ より
   (2014/10/16、 2014/10/17、2014/10/18)

  ①聖経『甘露の法雨』の功徳(1)
   → https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12435843.html

  ②聖経『甘露の法雨』の功徳(2)
   → https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12444105.html

  ③聖経『甘露の法雨』の功徳(3)
   → https://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12446004.html

         <感謝合掌 平成30年8月15日 頓首再拝>
44:伝統 :

2018/09/10 (Mon) 04:46:28

        *昭和36年 宇治別格本山 新年特別教修会 より

(1)祖先の霊魂に対して、感謝をするという積りで聖経を読む。

(2)『甘露の法雨』 をただ素直に読みながら、
   自分もその意味を体得するつもりで読むとよい。

(3)病人を指導する際は、

   「ただ祖先に対して感謝の念をおこしなさい、
   感謝の念によって病気が治るのです。 
   その感謝の念の一環として、祖先に対して 
   『甘露の法雨』 その他の聖経をお読みなさい」 

   と云うように指導するのがよいのです。 

   その感謝の実践が徹底すれば病気が治るのです。

(詳細は、谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱
     http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yu0529/mode=res&log=105

         <感謝合掌 平成30年9月10日 頓首再拝>
45:伝統 :

2018/09/29 (Sat) 03:33:10


          *インターネット道場365日「甘露の法雨」より

「即身成佛の真理」谷口雅春先生(P26~27)

聖経『甘露の法雨』は私の万年筆を通して書かれたのでありますが、
しかし私が書いたんじゃないのであります。
だから『甘露の法雨』の表に、谷口雅春著とは書いてないでしょう。

『甘露の法雨』というのは、ただ観世音菩薩がお作りになった真理を歌った詩
でありますから、私は只それの万年筆になり、スピーカーになっただけであります。
だから私は何時も、「私はラッパだ」と言っているのであります。

『甘露の法雨』は観世音菩薩の作品ですから、
観世音菩薩の作られた詩とか歌とかいうものには、観世音菩薩自身の、
精神のリズムというものがそこにうつっている訳であります。

だれでも詩を作ったら、作者のリズムというものがその詩に現われているのは当然であります。

それと同じに、『甘露の法雨』には観世音菩薩のリズムが、
常に『甘露の法雨』からは雰囲気となって出ているのであります。

それでこれを持っている人は色々の危害を免れることが出来たことには
無数の体験談があるのです。

(中略)

『法華経』の第二十五品に、普門品(ふもんぼん)というところがあります。
「普門」とは、「あまねき門」です。「すべての宗門」です。

すべての宗門に光を与え、それを統一する神髄を説くのが
観世音菩薩の普門のはたらきでありますから、謂わば万教帰一です。
この普門品というところに観世音菩薩のことが書いてあるのです。

この品だけを別に独立させて『観音経』ともいうのですが、
その『観音経』にどう書いてあるかというと、観世音菩薩が”
『甘露の法雨』をそそぎ給いて煩悩の焔を滅除し給う”と書かれてあるのです。

即ち観世音菩薩が、衆生の「迷い心」を無くして仏たる実相をあらわすために、
『甘露の法雨』をそそぎ給うたのが此の聖経『甘露の法雨』であります。



宝蔵神社元宮司 楠本加美野講師 講話

私はその後、河口湖道場に勤務しましたが、その頃は周りに何もなくて、
あるのは富士山だけ(笑)という状況でした。

そこで毎日、拡声器を富士山の方に向けて、当番を決めて、
「聖経の間」を設けて『甘露の法雨』を一日中、連続して誦げておりました。

そうしたら、「焼津港報」という新聞が私の手許に送られて来て、
「昭和40年8月31日、静岡県焼津市のある火葬場で奇跡がおこった。
千二百度の高熱を出して燃える火葬炉の中から『甘露の法雨』が焼却されずに、
原型を残して発見された」という記事が目にとまった。

千二百度で2時間も焼いたのに、表面が焦げただけで、殆ど無傷であったというのですね。
もう感激してねぇ、何と素晴らしいことだろうと、さらに熱心に『甘露の法雨』を
誦げたわけですが、現在この『甘露の法雨』は、総本山の温故資料館に大切に保管されています。

聖経には『甘露の法雨』と『天使の言葉』、それに『続々甘露の法雨』の3つがありますが、
宇治別格本山では、宝蔵神社と末一稲荷神社では『甘露の法雨』を、
流産児供養塔と英霊を祀る招霊招魂神社では『天使の言葉』を読誦しています。

我々が生長の家の教えに触れることができたのは、先祖に非常に信仰篤い高級霊がおられて、
それらの先祖の方の徳のお蔭で、生長の家に導かれているわけですよ。
これは間違いないことですね。

だから我々はご先祖に感謝しなければならないわけです。
谷口家にも谷口福松、谷口じうという篤信のご先祖がいらして、
人を救う徳をズーッと積んで来られた。

谷口雅春先生は昭和4年12月13日に2度目の盗難に遭われ、
お金を貯めてから人類光明化運動をしようと、
コツコツと貯めていたお金をすっかり盗まれた。

その時にね、谷口雅春先生は、
「今の中に無限があり、無尽蔵がある。軍資金ができてから、時間の余裕ができてから、
光明化運動を始めようというのは間違いだ」と気付かれて、
絶体絶命の中を人類光明化運動に起ち上がられたわけです。

そこで、この13日という日は、谷口家にとって不思議な日でありまして、
谷口家のお祖父さん、お祖母さんが亡くなられたのが13日、
先生の養父になられる方のお母さんが13日に亡くなっておられる。

それから輝子先生のご両親が亡くなられたのが13日。
光明思想普及会が創始されたのが13日、
谷口雅春先生が長崎の総本山に移られたのが13日であります。
そして泥棒に入られたのが13日(笑)。

ここにね、谷口家のご先祖の導きというものが感じられますね。
谷口家のご先祖様のお蔭で人類光明化運動が始まった。
それだから、宇治別格本山では、13日を月次祭として、お祭りしているわけであります。

このようにね、ご先祖様と私達は深くつながっているわけです。

だから谷口雅春先生は、『生命の實相』頭注版第33巻の26頁に、
「祖先の霊魂がわたしを絶体絶命の境地に導き、その絶体絶命が私を悟らせて
くださったのであります。諸君も悟ろうと思い、またはこの世で成功しようと思うには
祖先の礼拝を鄭重にしおのずから祖先の加護を受けるようにせねばなりません。」
とおっしゃっているわけですね。

このように先祖供養というものが、信仰の面から見ても、子孫の繁栄という面から見ても、
如何に大切であるかが解かりますね。

で、人間の運命について『生命の實相』第4巻「はしがき」には、次のように書かれています。
『人間の運命の半分は、生まれ変わりの過去の世代において行為し思想しきたった総決算の
「次期世代」への引き継ぎであり、残りの半分のうち二分の一は、自己の努力によって
思考し行為することによって新たなる成績がそれに追加される(中略)。』

そしてその残りは、本人の努力や信仰や思想に応じて感応してくる霊界の高級霊が、
いまだ現象に現われていない運命のフィルムを霊界で修正されるのだ…と。

ここにね、私たちが先祖供養をする意義があるのです。
先祖の礼拝を鄭重にしてその加護を受けること。
それが運命の好転には是非必要なんですね。

善業を積むことが即ち善果を刈り取ることになる。
だから生長の家総裁、谷口清超先生がいつもおっしゃるように、
善いことを積極的にすること。

人に与える、人を救う。
総裁先生はね、地球を綺麗にするのだと、いつも空き缶拾い、ゴミ拾いをなさっているでしょう。
素晴らしいですね。私たちも人に与え、人を救う、身近な愛行をしっかりすることが大切ですね。

この聖経『甘露の法雨』は素晴らしいお経で、
かつて谷口雅春先生は「小さくは個人の病いをいやし、大きくは国家の大病、
世界の大病をも癒すことができるのである」と仰ったことがあった。

大東亜戦争の終戦の時に、近衛師団の反乱があり、田中静壹大将が、
紫の袱紗に包んだ『甘露の法雨』を打ち振りながら、諄々として天皇陛下のみ心を説かれた時に、
反乱が収まったでしょう。

田中静壹大将は観音様を信仰しておられた方で、
ご自身が『甘露の法雨』で救われた経験から、「素晴らしいお経だ」と感嘆されて、
肌身離さず『甘露の法雨』を持っておられた。そのお蔭で、天皇陛下の終戦のご詔勅を
放送することができ、無事に終戦にできた。即ち日本が救われたわけです。

このような素晴らしいお経でありますから、どうぞ、しっかり先祖供養をなさってください。

ご静聴、有難うございました(拍手)。

https://internetdojo.wordpress.com/2018/06/11/%E7%94%98%E9%9C%B2%E3%81%AE%E6%B3%95%E9%9B%A8-2/

         <感謝合掌 平成30年9月29日 頓首再拝>
46:伝統 :

2018/10/16 (Tue) 04:03:25


       *『人間無病の原理』(P212~213)より

肉体を構成している物質は最初は精神という動力によって一定の方向に動いて、
肉体を健康にしたり、病気にしたりしますが、その病気にしていた精神(心の持ち方)を
抜いてしまっても、その後、ある期間は惰力でやはり同じ方向に働いているのです。

それだから吾々の内臓に行なわれている病的傾向も、最初は自分の心の憎しみや
怒りが動力になって生じたのであっても、その後、憎しみや怒りを棄てても、
惰力が働いているから、一遍には良くなる方向には向かわないことがあります。


その場合、人間だけの反省や努力によって、唯単に自分の家庭が良くなったという
だけでは、治らん時があるのでありまして、それを治すには、神からの癒しの霊波を
直接受け、神様からつかわされたところの高級霊に援(たす)けられて貰うということが
必要なのあります。

その為に聖経『甘露の法雨』の読誦をお勧めしているのであります。

『甘露の法雨』 を読誦 しますと、『 甘露の法雨 』 の言葉のリズムに乗って、
生長の家の人類光明化運動に携(たずさ)わって居(お)られる所の
観世音菩薩をはじめ、霊界の諸々(もろもろ)の天使 ・ 高級霊たちのうちの
病気治しに 特に優(すぐ)れて いられる霊がやって来て、
他力的に癒してくれることになるのです。

・・・

<関連:谷口雅春先生に帰りましょう・第二「聖経 『 甘露の法雨 』 の読誦のお勧め」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=157 >

         <感謝合掌 平成30年10月16日 頓首再拝>
47:伝統 :

2018/10/29 (Mon) 04:17:04


         *「感謝の奇蹟」谷口清超先生・著(P23~24)より

『甘露の法雨』というお経には、素晴らしいお蔭があります。
その他『甘露の法雨』を持っていただけで災難をまぬかれたとか、
あるいは又、『甘露の法雨』を一心に読んで御先祖をお祀りしたところ、
一家が非常に幸せになったとかいう話がよくありますね。

これは一体何故でしょうか?

それは『甘露の法雨』の中に書かれている真理が尊いからで、
「真理の言葉」によってすべてのものが浄められ、
「実相」があらわれてくるからです。


「実相」即ち本当の世界には、病気もなく、貧乏もありません。
どんな不幸も、あらそいも、災難もないのです。

この「実相」が、そのまま現象界にあらわれて来ていないために、
色んな《よくない事》が起こっているのです。

ところが、真理の言葉が読まれますと、読む本人の迷いが消え、
霊界の人々も悟りをひらかれますから、その心の影として
素晴らしいことが次々と起こってくるのです。

『甘露の法雨』は、只じっと持っているだけでも素晴らしいのですが、
それをよくお読みになると、もっとよいことにになる。

ことに御先祖のみたまをお祀りしてあるお仏壇や神棚の前で、
心を込めてお読みになると、もっとよろしいのです。

中には『甘露の法雨』を持って悪いところをなぜさすったら、
治ったというような話もありますが、どれもこれも皆本当で、うそではありません。

真理の言葉はそれを口に唱えても、「写経」といって書き写しても、
全く素晴らしい力があるのです。

しかし一番普通に行われている方法は、その意味をよく理解して、
心を込めてお読みになることです。

その上『甘露の法雨』を大事に持っておいでになれば、それにこしたことはありません。

         <感謝合掌 平成30年10月29日 頓首再拝>
48:伝統 :

2018/11/28 (Wed) 03:40:19

         *『光の泉』(昭和33年12月号) より

親鸞聖人も「大信心は仏性なり。 仏性即ち如来なり」と
云う具合に説いてられるのであります。 

大信心というのは、親鸞聖人に於いては「南無阿弥陀仏」と
称えたくなるところの「信心ごころ」  ―  阿弥陀さんに救われたい
という心が起って来ることを大信心と言っておられるのであります。

その大信心が起って来る  ―  すなわち“阿弥陀さん”と
仏の方に心が向いて来るのは、仏とはじめから一体であったという
自己生命の内在の記憶がよみがえって来るからであります。 

即ち自分の生命が本来仏の生命であるから、
如来が如来に喚びかけて如来の実相があらわれるのであります。

まことに親鸞聖人の仰せられた通り
「大信心は仏性なり。 仏性即ち如来なり」であります。 
如来が既に自分の中にあって、その如来が眼を醒して、その本来の如来と成るのが、
これが 成仏 であります。 

迷っている凡夫が仏になるのではなくて、
はじめから宿っている如来が如来になるのであります。 

ですから、はじめから人間は“仏”であり、“如来”であり、
言い換えれば、“神の子”であります。 

こう云うことがわかって見れば、仏教もキリスト教も一つになれるのであります。 

これが 生長の家の教 であります。

仏教では、阿弥陀仏というのは、尽十方に充ち満ちている無礙の光
  ―  即ち普遍の智慧であります。 

言いかえれば、何処にでも充ち満ちておって、
一切のものを造り出す宇宙の原理と言ってもよいのであります。 

だから 『大無量寿経』 には
「彼の仏如来は去って去る所なく、来って来る処なく、過現未来に非ず」とありまして、
どこにでも時間空間を超越して充ち満ちておられる宇宙の御本体であって、
「去って去る姿なく、来って来る姿がなく」どこにでもあるのですから、
どこからかここに来るということはないのです。

それでは人間的な姿を現して人を救うことが出来ないので、
現世救済のときには阿弥陀仏の慈悲の働きが、
観世音菩薩として現れて道を説き給うということになるのです。

阿弥陀仏自身、宇宙に充ち満ちているだけでは具体化することができないから、
観世音菩薩の姿に具体化して出て来られるので、
その観世音菩薩が 生長の家の本尊 であって、
聖経 『甘露の法雨』 をお説きになったわけであります。


聖経 『甘露の法雨』 は私の万年筆を通して書かれたのでありますが、
しかし私が書いたんじゃないのであります。 
だから、『甘露の法雨』 の表に、谷口雅春とは書いてないでしょう。 

『甘露の法雨』 というのは、ただ観世音菩薩がお作りになった真理を
歌った詩でありますから、私は只それの万年筆になり、
スピーカーになっただけであります。 

だから私は何時も、「私はラッパだ」と言っているのであります。

『甘露の法雨』 は観世音菩薩の作られた詩とか歌とかいうものには、
観世音菩薩御自身の、精神のリズムというものがそこにうつっている訳であります。 

たれでも詩を作ったら、
作者の心のリズムというものがその詩に現れているのは当然であります。

それと同じに、『甘露の法雨』 には観世音菩薩の心のリズムというものが
波動しており、観世音菩薩のリズムが、常に 『甘露の法雨』 からは
雰囲気となって出ているのであります。 

それでこれを持っている人は色々の危害を免れることが出来た
ことには無数の体験談があるのです。

創価学会の人が生長の家の人の所に来て、「生長の家みたいなのは邪教だ」とか、
「宗教は一すじでなければならぬ。 萬教帰一などと云うのは宗教ではないのだ。 
あれは修養であって、本当の宗教は創価学会に入らんといかん」等、
言う人があるのですが、

本当に 『法華経』 の神髄を説いており、しかもそれを実践しているは
創価学会よりも 生長の家 であります。 
たとい創価学会の人でも生長の家を誹謗したら謗法の大罪を犯すことになります。

何故なら、『法華経』 の第25品に、普門品というところがあります。 
「普門」とは、「あまねき門」です。 「すべての宗門」です。 

すべての宗門に光を与え、それを統一する神髄を説くのが
観世音菩薩の普門の働きでありますから、謂わば萬教帰一です。

この普門品というところに観世音菩薩のことが書いてあるのです。 

この品だけを別に独立させて 『観音経』 ともいうのですが、
その 『観音経』 にどう書いてあるかというと、
観世音菩薩が “『甘露の法雨』 を潅ぎ給いて煩悩の焔を滅除し給う” と
書かれてあるのであります。

即ち観世音菩薩が、衆生の「迷いの心」を無くして仏たる実相をあらわすために、
『甘露の法雨』 を潅ぎ給うたのが此の 聖経『甘露の法雨』 であります。

 (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/2cdb6378886f9ab45d9f02f372b964ef )

         <感謝合掌 平成30年11月28日 頓首再拝>
49:伝統 :

2018/12/19 (Wed) 04:38:28


       *『生長の家五十年史』(P242~243)より

《生長の家の歌》

谷口雅春先生は立教当初、生命感あふれる詩をつぎつぎと
『生長の家』誌に発表されている。

例へば「夢を描け」「生きた生命」「光明と暗黒」「光明の国」
「或る日の生命の国」といった詩である。

それらは谷口先生の脳裡に霊感的にひらめいて来だのを
書きつづった一種の自由詩であった。

これらの詩は最初、”生長の家の歌”として創刊号から発表されているが、
当時書かれた自由詩は全部、のちに『生命の實相』の”聖詩篇”や
『ひかりの語録』にやはりその頃谷口先生の脳裡にひらめいて来たところの
短蔵言である”智慧の言葉”と共に収められている。


《「甘露の法雨」》

ところで、それらの自由詩のなかでも最も長篇の詩が「甘露の法雨」であった。
この詩は、昭和5年12月1日発行の『生長の家』誌に
「生長の家の歌」の題で”神””霊””物質”の三章が発表され
、昭和6年2月1日発行の同誌には「甘露の法雨」と題して
”実在””智慧””無明””罪””人間”が発表され、
昭和7年2月1日発行の同誌に「甘露の法雨」と題して、
”生長の家’が発表されたのであった。

最後に発表された”生長の家”の詩は、
今日、聖経『天使の言葉』となっているものであるが、
そもそも「甘露の法雨」と「天使の言葉」は、
谷口雅春先生がインスピレ-ションによって一気に書かれたところの
自由詩であったのである。

谷口雅春先生は、この詩が「甘露の法雨」として掲載された時の
『生長の家』誌において次のやうにこの詩を説明しておられる。


《生長の家の経典》

  《……「生長の家の歌」三篇「神」「霊」「物質」の続篇にして、
  この三篇と共に生命の真理を霊感によって書かしめられたものであります。
  「生長の家」では所与の経典のほかに神仏の祭壇に対って
  之を朗読することにしています。

  病人に対して又は、病人自身が繰返し朗読すれば病いが不思議に癒え、
  障りの霊に対して読誦すれば、障りの霊が悟りを開いて守護の霊に
  かわる助けとなります。
  それ故これは誠に生長の家の経典とも云うべきものであります》


この言葉どおり誌友の間には「甘露の法雨」を読誦することによって
病気が治癒し、家庭が調和するなどの体験が相ついで起った。


《聖経「甘露の法雨」の発行》

やがてこの「甘露の法雨」の詩は、昭和10年6月、当時京都に於ける
熱心な誌友である工学博士小木虎次郎氏が

「甘露の法雨」の詩を『生長の家の歌』といふ詩集の中にのみ収めておいては、
功徳のあることを知らない人が多いから、ハッキリとこれは聖経であると明示して、
折本型の経本として発行すれば、功徳を受ける人が多いであろうと、
生長の家京都教化部から経本式折本として発行されることになった。

こうして『甘露の法雨』が経本になって頒布されるや、
陸続として功徳を受ける人が現われた。

さらには、それを携帯するだけで、交通事故に遭いながら
微傷も負わなかった人が出て来たりもしたのである。

そこで京都の教化部ではこれを京都のみで独占すべきものでないと、
その出版権を昭和11年末に、光明思想普及会に移すことになったのである。

その後聖経『甘露の法雨』は、さらにその功徳を発揮して、
多くの人々をさまざまな人生苦から解放して行ったのであるが、
その功徳の及ぼす範囲は、単に個人だけでなく、後に述べるやうに、
あの大東亜戦争の終結には国家の危機を未然に救う働きをも果すまでに
なるのである。


《『甘露の法雨』の功徳》

ところで谷口先生は『甘露の法雨』の功徳について
のちにつぎのやうに記してをられる。

  《どうして『甘露の法雨』にこのような偉大な功徳が生ずるのであろうか。
   私は、それをただ霊感で詩作するときに、ふと感じてその詩の題を
   「甘露の法雨」としたに過ぎないのであって、

   別に『法華経』の観世音菩薩の普門の功徳を説いた”普門品”に連関して
   詩の題を「甘露の法雨」と題したのでもなかったし、
   観世音菩薩が教えの本尊として門脇観次郎氏の霊眼に見(あらわ)れるなどと
   いふことも全然予想もしなかった。

   ところが私の著書や執筆の雑誌を読んで功徳を得た人にあらわれる
   色々の霊顕や現象が次第に観世音菩薩が生長の家の本尊であり、
   その観世音菩薩が、『法華経』の”普門品第二十五”にある通り
   「甘露の法雨を澎(そそ)ぎ給うて煩悩の炎を滅除し給ふ」のであることを
   証明するようになったのである。

   聖経『甘露の法雨』の功徳はそれをお説きになった観世音菩薩の妙智力と
   引き離して考へてはならないのである》
                 (「神秘面より観たる生長の家四十年史」)

         <感謝合掌 平成30年12月19日 頓首再拝>
50:伝統 :

2018/12/31 (Mon) 04:40:19


              *Web:『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-02)
                   ~日本教文社  別府 正大

謙って神に向う  ―  聖経 『甘露の法雨』 読誦行願
             
私達の自我の心がなくなるほどに、私達の心には神の光りがさして参ります。 
謙れば謙るほど、それだけ神に近づいてまいります。

或る熱心な誌友さんが、こんなことを告白していらっしゃいました。

「自分は長い間、生長の家にふれていながらも、まだまだ愛が足りないのです。 
素晴しい御教をききながらも、まだまだ愛の積極性が足りないのです。 
無我献身ができないのです。 

天地一切に感謝する気持がまだまだ心の奥底から湧いてこないのです。 
そして何時もそんな私が情けなくなり、みじめで悲しくなってしまいます。 
人間は自分の我の力で良くなろうと思っても、なかなか良くなれないものでございますね」

自分で良くなろうと思っても、良くなれないもどかしさ。 
この私を、神様どうかして下さいませ。 
その人は真剣に祈りました。 

その人の眼には一粒の真珠さえ宿っていました。

おお、何と謙虚な謙った祈りでしょう。 
自分の力では自分の煩悩の炎を消し去ることが出来ないと知ったとき、
私達の心は謙って神に向うのです。
 
祈りを続けているうちにあの法華経の中の聖句を思い出しました。 
「観世音菩薩、甘露の法雨をそそぎ給いて煩悩の炎を滅除したまう」 と。 
この観世音菩薩の慈悲のひびきが、聖経 『甘露の法雨』 の御言葉なのでした。

それから聖経読誦行願を思い出しました。 

そして誦げる前にこう祈るのでした。

「神よ、あなたの愛によって、私の心にあなたの愛を目覚まして下さい。 
あなたの御力によって、愛を行動に移し、凡てのものに感謝、
神の御栄えをたたえることができますように。 
神さま、私に、すべてのものの実相を見る目を開かせて下さいませ」

そして毎日千回読誦行願に励みました。 

しばらくたってから私はその人に会う機会をえました。 
するとその人の顔は輝いていました。 
その眼は愛にうるんでいました。 
その人の雰囲気にはパッと人を明るくする魅力にあふれていました。

そのとき私は、そこに霊の輝きを見ました。 
そこには聖経読誦行願に励んでいらっしゃる人の魂の輝きがありました。 
しっかり神想観に坐って神と対坐し、『生命の實相』 を全読している人から
立ちのぼる霊の光りがありました。

そのとき私は感じました。 
聖経 『甘露の法雨』 によって、
みなさん自分自身の魂を供養することが大切であると。

 (https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/693613979c21c44e55c1d08a02511220

         <感謝合掌 平成30年12月31日 頓首再拝>
51:khedvvbozx:

2020/08/29 (Sat) 21:58:37

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