伝統板・第二

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困難に戯れよ! - 伝統

2015/04/12 (Sun) 03:49:53

*光明掲示板・伝統・第一「困難に戯れよ! (28)」からの継続です。
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=16

・・・


《艱難の生み出す力》

        *「青年の書」(P123~124)より


誰でもいざという危急の場合には日頃の数倍の力が出るのである。
困難は一寸法師の如く偉大ならしめ、凡庸なる人間を英雄にまで鍛え上げる。

もし吾々が、困難のきたらない時にもすでに困難のきたった時と同じように
自分の中(うち)に埋蔵されたる無限力を引き出し得る方法を体得することができる
ならば、彼は必ずや驚くべき偉大なる人物にまで伸びるに相違ないのである。

神の造りたまえる万物の中で、神の最も完全なる肖像として造られたる人間が
ただの平凡ななすことのない普通人で終るべきはずがないのである。

それは神の創造の失敗でもなければ、人間にその力が宿っていないのでもなにのである。
ただ吾々がその力を出さないのにすぎないのである。

その力を外界から拍車をかけて発揮するようにしてくれるものが、外界からの打撃である。
フットボールのボールは蹴られることによってそのバウンドする力を増すのである。
人間もけられればけられるほど伸び上がる。

吾々は困難や、失敗や、周囲の嘲笑を恐れたりなどしてはならないのである。


誰でも一生涯の中には、とてもこれは耐える事が出来ないと思われるような困難に
面することがあるのが普通である。しかし、それは決して吾々をやっつけるために
来たるところの困難ではないのであって、

それに感謝し、その困難が自分にあたえるところのよき効果を礼讃し、
自分に堪えられないような困難は神が決してあたえ給わないのであるということを、
信じて、それを克服して行くならば、これは自分を破壊するものだと思っていたものが
却って自分をよくしてくれるところのものに変化するのである。

吾々のなすべきことは人生のあらゆる課題は自分にとって、総(すべ)てよいものであり、
それを解決することによって自己内在の「真実の自分」の力がいっそうはっきり
実現させてくれるものであると信じてその問題を自ら解決するように努力することである。


<参考Web>

(1)光明掲示板・第二「困難に戯れよ! (10457)」
     → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2004 

(2)光明掲示板・第三「困難に戯れよ! (70)」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=36

            <感謝合掌 平成27年4月12日 頓首再拝>

困難と闘えば人間の値打ちが出る - 伝統

2015/04/20 (Mon) 04:41:19

         *「人生読本」(P34~35)より


寒風は木材に美しい年輪を造り、貝殻の膜を傷つけられたアコヤ貝は、
その傷と闘うために真珠を造るのです。

薬を服んで治るのも、薬の毒素と闘うために生きる力が奮い起って、
病気もついでに治してしまうのです。

昔から「艱難(かんなん)なんじを珠(たま)にす」という諺があります。
「難儀(なんぎ)は節(ふし)じゃ、節から芽が出る」といった偉い人もあります。

生長の家の智慧の言葉には、
「苦痛の火の中にあって、自分のたましいが白金か鉛か自問せよ」と書いてあります。

寒風にあって、植物は夏よりもシッカリと伸びるのです。

人間も、楽なばかりが能ではありません。

困難と闘うのは愉快なものです。
暖かい平地があるのに、ことさらに寒い山の中へスキーに行く人が多いのは、
困難と闘うことが愉快だからです。

            <感謝合掌 平成27年4月20日 頓首再拝>

重い仕事をするほど力がつく - 伝統

2015/04/26 (Sun) 04:33:19


            *「人生読本」(P51~52)より

《重い仕事をするほど力がつく》

力の要らない軽い物を持ち扱っても、それほど自分の力はつきません。
世界第一の立派な筋肉を持っていたというアメリカのサンドウという人は、
四、五十キログラムという鉄亜鈴(てつあれい)を毎日振り廻す体操をしたから、
そんなに世界一に筋肉が立派になったのだといいます。

私達の心の働きも、力の要らない、苦しくない境遇におかれたり、
難しくない仕事をしたのでは、それほど立派に偉くなりません。
鉄は火の中でいじめられ、鉄の槌(つち)で打たれたものだけが、
正宗のような良い刀になるのです。

ですから皆さん、もし人から苦しい立場におかれたり、難しい仕事をさせられたり、
いじめられたりしたときには、「月謝も払わないのに、いろいろ問題を出していただいて、
こんなにありがたいことはない。これで私の力がつくのだ、これで人間の値打が出るのだ、
こんなけっこうなことはない」と思うことにしましょうね。

そうしますと、辛いと思っていたことが楽になり、
苦しいと思っていた仕事が喜びになってきます。


《重いと軽いは物の目方ではない》

幼い子供には十キログラムの物では重くて持てませんが、
力士(すもうとり)には十キログラムの物では軽すぎます。

これでも分かりますとおり、重いと軽いとは物の目方ではないのです。
力の強い人には軽いし、力の弱い人には重いのです。

苦しいというのでも同じことです。
力の弱い人には苦しくても、力の強い人には楽しいのです。

「こんなに苦しい目に自分をあわせて」と人を恨む前に、
まず自分の弱いことを恥じねばなりません。
「こんなに苦しい仕事をさせて」と他(ひと)に腹を立てる前に、
まず自分の力の足りないことを残念に思わねばなりません。

そして苦しくても、難しくても、自分は「神の子」だからできないはずがないと、
「神の子の値打」を出すつもりで、その苦しいなかを通り抜けて行くのは楽しいことです。

将棋を差しても、碁を打っても、あまり弱い相手では面白くありません。
強い相手に負けないようにすることが楽しみなのです。
そして自分の力がつくのです。

            <感謝合掌 平成27年4月26日 頓首再拝>

逆境は幸福である - 伝統

2015/05/02 (Sat) 04:40:00


            *「人生読本」(P239~242)より


今まで、普通の人は、困難というものと、不幸というものとを同じ意味だと考えて、
困難は不幸である、「ああ困難がやって来た、自分は不幸である」と
こう考えたものであります。

ところが生長の家では「困難」を「幸福」であると教えるのであります。

私達は障礙(しょうがい)物競走をしたり、或いはオリンピック競技に選手として
出場しましても、あの競技は一種の困難である、困難であるけれども、
あの選手たちはあれを不幸であると思っていない。

あれは幸福である。

もし、あれが平地を歩く競技であって御覧なさい。
平地を歩くには困難がないから却って面白味が少ない、力も出ないのです。

困難はかくのごとく幸福なのです。

普通の人が困難を不幸であるとするのは、一種の迷妄(まよい)でありまして、
そのために困難の前に立竦(たちすく)んで、徒(いたずら)に人間一疋(ぴき)、
何事も為し得ないのです。

ところが生長の家では、人間は神の子であるから逆境に立てば立つだけ、
2倍3倍の力が出て来るという事を教えるのでありますから、
どんな場合に処してでも挫折してしまうということがないのです。

無限に力を引出してくるということができる
――― これこそ生長の家で教えられ鍛えられた人の特長であります。


私達の生命は、たとえば水のようなものであります。

フラスコの中に静止せしめて常温に置かれた水は困難な状態ではない。
チャンと箱入娘みたいに護られた状態です。
その代りにどんな力も出てこないのであります。

これを一旦高所へ上げて、そこから落差をつけて落としましたならば、
何万キロワット、何十万キロワットの水力タービンでも動かすことができる。
これは水が嶮(けわ)しい高所に、逆境に置かれたための賜(たまもの)です。

或いは皆さん、水の下から何千度という石炭の燃焼熱を与えてやると、
たちまち沸騰して、蒸気の力で何千馬力の大機関車でも動かすことができましょう。
これも水が逆境に置かれた賜であります。

私達は、逆境を不幸であると考えることが間違いなのです。

逆境は私達の中に宿っている無限の力を掘り出してくれるところの「縁」を与えてくれる、
たいへんありがたい友だちであると思わなければならないのです。

そうなりますと、私達は決して逆境や困難に挫折しない。
困難のくる度毎に、自分はそれだけ高まるのであるということを常に信じる事ができて、
どんな逆境も困難も、失望や落胆の原因となるものではありません。

逆境に置かれ困難に置かれるほど、常に私達は伸びるほか仕方ないのであります。

《この常に伸びるほか仕方ない生活、これが生長の家の生活であります。》

それには自分が神の子であるということを自覚することが根本であります。

私たちが困難に対して崩(くずお)れてしまい、挫折してしまうというのは、
自分の中(うち)に生きている「生命(せいめい)」が有限であり、
単なる物質的エネルギーであって、それには限りがあり、或る程度以上の困難になると、
打勝つことができないものであるというような間違った考えを以て
自分自身の生命(せいめい)を委縮させているからなのです。

ところが一転してこの生長の家の人生観になりますと、
自分自身の本体は、神の生命(せいめい)が《ここ》に宿っているものである、
或いは仏の生命(せいめい)が《ここ》にあるのである、

どんな力でも無限に出てくるのが《この》自分自身であるという確固とした自覚を得ますから、
困難に逢えば逢うほど、内から湧き出(だ)してくる力が多くなってくるのであります。

或る教祖は「難儀は節(ふし)や、節から芽が出る」ということを言いましたが、
これは実に易しい言葉で真理を穿(うがって)っています。

どんなに攻撃されても迫害されても、「難儀は節や、節から芽がでる」と信じていると、
どこまでも伸びる底力(そこぢから)がどこからか出て来るのであります。


            <感謝合掌 平成27年5月2日 頓首再拝>

【問題こそ自分の出番】  - 伝統

2015/05/08 (Fri) 04:46:50


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2013-07-20)」より

   (福島正伸氏の心に響く言葉より…)

   人は、心から問題を解決したいときは他人のせいにはしない

   モノが売れないとき、社会やお客様のせいにすると「不満」になる
   自分がもっと売れるモノをつくってこなかったからと考えると「出番」になる

   ミスしてしまったとき、周りや環境のせいにすると「不満」になる
   自分でもっと工夫しようと考えると「出番」になる

   問題こそ自分の出番
   誰かのせいにしたら、もったいない

         <『「夢」が「現実」に変わる言葉』三笠書房>

            ・・・

他人や周りのせいにしたとき、人は考えることをしなくなる。

いい訳や他人を非難することは上手になるが、
他人事(ひとごと)の人生を生きるようになってしまう。

舞台でいうなら、自分の人生なのに自分の出番がない、ということだ。

誰もが困っているようなときに、頼りにされ出番がある人は幸せだ。

スポットライトがあたるような華やかな場面でないかもしれないが、
やり遂げれば、それはやがて、満場の拍手で迎えられる。


人生は舞台と同じ。

自分の人生に、出番がなかったらあまりにもさびしい。

「問題こそ自分の出番」、と考える人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年5月8日 頓首再拝>

絶えず修行を怠らない - 伝統

2015/05/14 (Thu) 04:40:17

   ・・・

修験道の中で最も過酷な行の一つとされる「大峯千日回峰行」。

標高364メートルにある蔵王堂を午前零時半に発ち、
延々24キロの険しい山道を登り、標高1719メートルの大峯山頂に登頂した後、
同じ道を引き返し15時半に帰堂。

そして、自ら掃除洗濯、 翌日の準備をして19時には就寝し、
また23時半に起床して山頂を目指す。

それを5月から9月までの開山期間、
9年の歳月をかけ、1000日繰り返すという荒行です。

途中でやめる場合には、自ら死を選ばなければならないという厳しい掟があり、
吉野山金峯山寺1300年の歴史でこの荒行をクリアしたのは僅かに2人だけ。


その一人、平成11年に30歳で見事満行を果たした
慈眼寺住職の塩沼亮潤氏が語った 「本当の心の幸福を掴む秘訣」とは――。

   ・・・

「本当の心の幸福を掴むには」

          *『致知』2014年5月号
           ~塩沼亮潤(慈眼寺住職)
   

人間とは本当に不思議なもので、

苦しい環境にあっても心の中は感謝の念に包まれている人がいる一方で、

何一つ不自由のないように見える人が実は心の中に苦しみを秘めていることもある――。

そこで本日は、苦と楽を超えた本当の心の幸福とは何だろうということを、
皆さんとともに尋ねていけたらなと思っています。

こうして皆様の前に立たせていただいている私はといえば、
実は7年ほど前まで人前でお話しするのが大変苦手でした。

しかし、一所懸命修行に勤めていると不思議なご縁に恵まれて、
ある尊敬する方から、

「あなたが体験したことを
 言葉に託して表現しなさい」

と世間に引っ張り上げていただいたんですね。


その出逢いをきっかけに、いただいたお仕事はすべて天命だと思って
全国を息つく間もなく講演で駆け回るようになりました。

ただ、世間的な注目を浴びるようになると驕る気持ちも起こってまいります。

だから私は

「一に勤行
 二に掃除
 三に追従(人が喜ぶことをする)
 四に阿呆(素直になる)」

というお師匠からいただいた教えを戒めとして、

「自分はあくまでお坊さんなんだぞ」と
絶えず自分の心を本来の勤めに引き戻してもいたんですね。

この7年間で様々な経験をさせていただいて分かったことは、
日常のすべてが自らの心を成長させる修行となってきたということです。

あれが好き、これは嫌いというようなわがままな心をコントロールして、
嫌なことでも逃げ出さず、常に前向きにトライしていくことを積み重ねてきた結果、
こうして皆さんの前でお話しするという尊い仕事をさせていただけているのだと
感じています。


それは仏道修行でも同じです。

2500年前にお釈迦様はこうおっしゃいました。

厳しい状況に自らを置き、わがままな心を封じ込めれば、
「悟り」という状態に至る可能性がある、と。

私はこの言葉を知った時に大変感動いたしました。


延暦寺の開祖・最澄様も同じようなことをおっしゃっていますね。

「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験を得る」

どんなに愚か者でも、情熱を持ち一所懸命一つのことに取り組めば、
必ずよき結果が開けてくる――。


だから私は、特に若い人には
苦労は買ってでもしなさいとお伝えしています。


自分を厳しい状況に置いていると、
ある日不思議なご縁に恵まれて、パッと運命が花開くチャンスが訪れる。


要するに、人生というのは、
そのチャンスをしかるべきタイミングで掴み取るべく、

掛け替えのない日々の出逢いを大切に、
絶えず修行を怠らないことにあるのだと思うのです。

            <感謝合掌 平成27年5月14日 頓首再拝>

「辛く苦しいことに出逢った時、その出来事をどう捉えるか?」 - 伝統

2015/05/20 (Wed) 04:33:22


          *『致知』2015年6月号 より
            ~鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)

自分自身をじっくり観察してみると、
いかに多くのことを先入観や既成の価値観で
決めつけてしまっているかに驚かされるのです。

一つのものの見方しかできず、全く一方的な判断を急速に下してしまいます。


私の親しい友人に、ある大学教授夫人がいました。
夫の父も学者でした。


彼女は結婚するに当たって、夫となるべき人からこう言われました。


「母が、烏が白いと言ったら、烏は黒色ではなく、
 白い色に見えるような目を持つように」


彼女は、この夫の言葉が何を意味したかが、
結婚したその日から嫌でも身にしみて分かりました。


老夫婦、若夫婦一緒に住む家庭で、姑の言葉は絶対の力があったのです。

嫁は、姑が白と言えば黒いものでも白く見えるように、
自分に言い聞かせました。


彼女の結婚は想像以上に惨めなものであり、忍耐と自分との闘いとの連続でした。


それが、ある時、久しぶりに彼女と会うと、
明るく溌剌として、自信に溢れ、若々しくなっているのです。


私は驚いて、どんな変化が彼女の境遇にあったかを聞くと、
周りは何一つ変わっていないといいます。


そして彼女は次のような意味の説明をしてくれました。


「私は自分の考えや思っていることを、はっきり表明する決心をしたのです。

 辛い体験をとおして私が結婚生活から学んだことは、
 他の人が、物事を必ずしも私の目に映るとおりには見ないということです。

 私の目に黒と見えることでも、白に見えている場合があると分かったのです。

 10人いれば文字どおり10色の物の見方があることをまず許し、
 それを理解し、その上で私も自分の考えや意見を述べようと決心したのです」


彼女の話を聞きながら、心の持ち方次第で
人がこのようにも変わるものかと、私は、ただ驚いていました。


そして、性急に物事を既成概念や先入観で決めつける習慣が
私の中にいかに根深いかを反省し、
彼女の辛い体験の実りから私も学ばせてもらいたいとつくづく考えたことでした。


他の人の立場をあるがままに受け入れることに、まず大きな勇気と寛い心が必要です。

苦しい一生を送りながら、聖者と讃えられる人々の記録を見ると、
何と多くの祈りが「勇気と寛大な心を与えてください」という
叫びに満ちていることでしょうか。


世界中のどの人にとっても、いきいきと生き抜くには、
真の勇気と寛い心が土台として必要なのです。

            <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>

困難を掴んではなりません - 伝統

2015/05/25 (Mon) 04:34:53


           *「真理」第9巻生活編(P153~154)より

困難を困難とみとめてそれと戦ってはいけません。
困難を困難として心につかむ時、その困難は自分から離れがたいものとなるのです。

心を神の方に向けなさい。
神と云う「無限の智慧」に心を向けかえて其処から出てくるヒントに従って
素直に事をはこぶ時、どんな困難も完全に克服できるようになるのです。

困難はほっておけば、困難みずからで自壊するのです。
困難を敵として取り組んで、それをつかんで、色々とかき廻すから、
池の中を棒で掻き回すように益々周囲が濁って来るのです。

池の水を澄ます途(みち)は池の水を掻き回さないことにあるのです。

自分が困難を克服することは要らないのです。 
神が困難を克服したまうのです。
私達はただ神の指示するままに従っていれば好いのです。

神は無限の智慧であります。
無限の智慧をわがものとしなさい。

            <感謝合掌 平成27年5月25日 頓首再拝>

【しなやかな強さを身につける】 - 伝統

2015/05/31 (Sun) 04:00:55


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月25日)」

   (メンタルトレーナー、金森秀晃氏の心に響く言葉より…)

   想像してもらいたい。

   「どんな刺激にも耐えうる防弾壁」と
   「どんな刺激も吸収し、エネルギーに変える発電ボード」、
   どちらが本当の意味で「強い」だろうか。

   現在の日本では、前者的な強さを求められるケースが少なくない。

   「我慢強いこと」が美徳とされる文化のせいだろうか。


   ただ、人間は誰しもそんなに強くない。

   その上、どんな刺激にもたえうる防弾壁であったとしても、
   老朽化してストレスを溜めこんだらある日突然崩壊するかもしれない。

   だから、今こそ“しなやかさ”が必要なのだ。


   一方で、後者はどうだろう。

   後者の強さのポイントは、発電ボードそのものの強さではなく、
   刺激を吸収しエネルギーに変える“しなやかさ”にある。

   前者が刺激で身を亡ぼしていくのに対して、
   後者は刺激をプラスに転用しエネルギーに変えていくのである。

   実はこれが、「レジリエンス」の本当の力なのだ。


   レジリエンスは一般に「復元力」「回復力」などと訳される。

   特に最近では、「困難な状況にもかかわらず、しなやかに適応して生き延びる力」
   「逆境をはね返す力」などという意味で使われるケースが増えてきている。


   普段、企業のトップや管理者に対するメンタルトレーニングや研修をやっていると、
   一部上場企業の役員の方々、業界のトップセールスの方々、日本代表のプロサッカー選手、
   プロ格闘家など、様々な領域で「一流」の活躍をしている方々と接する機会をいただく。

   一方で、心理カウンセラーとして、仕事を辞めたくなった方、
   あるいは人生すらもやめたくなってしまった方と接することもある。

   両者を比較すると、実は、家柄、能力、容姿にそんなに差はない。

   また、その人に降るかかる困難や逆境も時期は違えど平等だとも感じている。


   「そんなことない」という声も聞こえてきそうだが、
   延べ1万5000人以上のカウンセリングを通じて私が感じた実体験としての話である。

   では、両者の間の違いはどのようなところにあるのか。

   実は、たった一つ、決定的に違うことがある。


   それは、「困難や失敗の捉え方」である。

   前者は「困難」や「失敗」を成長の糧として解釈し、
   能力として蓄積していきながら、行動を起こし続け、
   さらなる『失敗』や『逆境』を求めて、その過程をどこかで楽しんでいる。


   後者は、「失敗」や「変化」を恐れる。

   変化していくことを極力避け、傷つくことなく、
   できれば平穏に生きたいという気持ちが強い方が多い。

   ただ、現実的な話をすると、環境は絶えず変化しているのに、
   自分だけが変化しないというのは初めから無理な話なのだ。

   結果、皮肉なことに、変化を避ける姿勢そのものが
   困難や逆境を招き寄せることになる。

   しかも、ストレスに慣れていないので、
   その困難や逆境がとてつもなく障害に感じてしまう。


   ただ、「『困難や失敗の捉え方』を変えるといっても、
   困難や失敗が起こってしまったときに感じてしまう『絶望感』は
   どうしようもないじゃないか」とお思いの方もいるかもしれない。

   しかし、実は社会的に活躍している方々もそうした「絶望感」は
   私たちと同じように感じているのだ。

   でも、そこからが違う。

   彼らは絶望している自分を客観視して俯瞰(ふかん)で見ることができる。

   いや、できるようにした、と言ってもいい。

       <『凹んだ数だけ強くなれる29の法則』SOGO HOREI>

               ・・・

「風疎竹(かぜそちく)に来る 風過ぎて竹に声を留(とど)めず」

という菜根譚(さいこんたん)の中の言葉がある。


竹林に一陣の風が吹くと、竹がザワザワと音をたてる。
しかし、その風が過ぎてしまえば、竹林は何事もなかったように静まりかえる。

一流の人間は、何か事が起きたとき、一時(いっとき)は心が動くが、
それが終わってしまえば、何事もなかったように穏やかに過ごすことができる。

いつまでもこだわらない、気にしすぎないで淡々と過ごす、ということ。

自分を客観視して俯瞰して見ることができる人だ。


「その人に降りかかる困難や逆境も時期は違えど、すべての人が平等」

変化をどう捉えるかで、その対応は変わってくる。

変化を避(さ)けて逃げまくるのか、
変化に対しそれを楽しみ、しなやかに、柳に風と受け流すのか。

しかし、変化は避けて逃げれば逃げるほど、追いかけてくる。


「しなやかさ」とは、「柳に風」のように、
風に逆らわず、さらりと受け流すことができること。

しなやかな強さを身につけたい。

            <感謝合掌 平成27年5月31日 頓首再拝>

困難は飛躍のチャンスだ - 伝統

2015/06/06 (Sat) 04:21:41


         *谷口清超先生・著「伸びゆく日々の言葉」(P110~111)より

もっとも寒い冬の時節に、すでに太陽は春の軌道を回りはじめている。
夜の最も暗い時に、朝日がすでに海の彼方では昇りつつある。

人生の最も困難な時、すでに勝利の栄光が点火されるのだ。
それ故、あなたは表面的な現象に心を惑わしてはいけない。

痛みは、そこを治すための見えざる繃帯である。
発熱は、まさに癒されんとする自衛力だ。

その背後にかくれている「昇る朝日」を観よ。
見せかけの困難や失敗に打ちのめされるな。

転んでも、ニッコリと笑って立ち上がれ。
その時、あなたの実力は飛躍する。

            <感謝合掌 平成27年6月6日 頓首再拝>

人生の躓(つまず)きについて - 伝統

2015/06/13 (Sat) 03:52:49


            *「真理」第4巻青年篇(P48)より

人生には色々の躓きがあるものです。

併(しか)しその躓いた為に運命が好転したり、その人の使命のところへ神様から導かれ、
自分が選ばれたる使命を、遂行する道に乗せられるようになることも度々あるのであります。

私の自叙伝を読んで頂いたら判りますが、
私の青年時代の躓きがなかったら、私は多分、大学教授位の一学究として現在生活していた
だろうと思うのですけれども、私の青年時代の躓きはやぱり神の導きだったと思うのであります。

しかし人間は真剣でなければならない。
躓いて転落してしまうのは、真剣さがないから、神に導かれての躓きにならぬからであります。

真剣に「正しく生きよう」と思って進んで躓く場合は躓いていることが必ずしも悪い事ではない。
真剣とか誠心(まごころ)とか云うものは吾々を神と一体にならせてくれる。

すると躓いても、一時方向を過(あやま)ってさえも、転落し切ると云うことなしに、
必ず神に導かれて光明の世界へ出ることができるのです。

            <感謝合掌 平成27年6月13日 頓首再拝>

鈴木おさむ式・悲劇の見方 - 伝統

2015/06/21 (Sun) 04:42:28


         *「ものの見方検定」ひすいこたろう・著(P75~83)より

友人が、1億円の借金を背負い、一日200件も怖い取り立ての電話で苦しんでいたとします。

さて、こんなときあなたならどう励ます?



放送作家の鈴木おさむさんのご両親は、スポーツ用品店を経営していましたが、
いろんな事情が重なり借金することになったそうです。
その額なんと1億円!。

銀行に5000万円。
消費者金融に3000万円。
そして...ヤミ金に2000万円。

鈴木おさむさんが実家に戻ると、実家には1日200件も取り立ての電話が
かかってきている状況になっていたのだそうです。
しかも、利子が膨大に加算されていきます。
(最終的には、利子だけで1億円になり合計2億円の借金になりました。)


当時から放送作家の仕事はしていたのですが、この時若冠25歳です。

  これはヤバい。

  シャレにならない。

  もうダメだ。

  仕事も辞めて家族と逃げなきゃいけない....。

  鈴木さんは恐怖から仕事に行けなくなり1週間休みました。

すると、『どうした?』とフジテレビのディレクターさんから電話がかかってきました。
鈴木さんは事情を打ち明けました。
すると、そのディレクターさんはなんと言ったのか。
その一言が鈴木おさむさんの人生に革命を起こすことになります。

『来週、とりあえず会議にきて、その話、面白くしゃべってみろよ』


  面白く話せって?!

  できるわけがない。

  この人、頭がおかしいんじゃないか。

だって、毎日200件の怖い取り立ての電話、ほんとうにしゃれにならないんです。
しかし、そのディレクターさんは、それを笑い話にしろと言い張る。


仕方なく、鈴木おさむさんは会議に出てきて、
この辛い出来事をできるだけ明るく話し始めました。

すると、ドカン、ドカンとウケて、みなが笑った。

『あれ?』

自分には、こんなに辛いこと。
でもまわりからしたら、この話は面白いことなのか...。

自分のいま身のまわりに起きていることで、みんなが笑ってくれる。
みなの笑い声を聞いていたら、ふと、こう思えたそうです。


『とにかく借金は返す。』


逃げずに、運命に真っ向から向き合ってやろうじゃないか、
と鈴木さんが覚悟を決めた瞬間です。

前述のディレクターはこう言ってくれました。

『僕はお金をあげることはできないけど、仕事は与えられるから。』

必ず借金は返すと決めた。
あとは、目の前の仕事にひとつひとつ全力で打ち込んでいくだけです。
すると、その過程のなかで、鈴木おさむさんの才能は
何倍にも開花していくことになったのです。

そして、家族みんなで力を合わせて、30歳になる頃にはほぼ返し終わったそうです。
30歳で、利子を含めて2億円返済ですよ!

結果的に、この逆境が、鈴木おさむさんの潜在能力を根こそぎ引きだしてくれたのです。
そして、いまや超人気作家に。

(中略)

喜劇王チャップリンはこう言っています。

『人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である。』


自分の立つ位置からは、悲劇に見えることも、
一歩ひいて俯瞰したら、それは喜劇なのです。


作家の中谷彰宏さんは、こう表現されています。


銅メダル。 落ち込まないで、ニコニコしている人。

銀メダル。 落ち込んで、立ち直って、ニコニコしている人。

金メダル。 落ち込んだままなのに、ニコニコしている人。


凹んだまま笑いをとれたら、あなたは人生の金メダリストです。



《悲劇の見方》

 「悲劇」は、まわりを笑わせる「ネタ」と見る。

            <感謝合掌 平成27年6月21日 頓首再拝>

【嫌なことをひっくり返して宝にする】 - 伝統

2015/06/28 (Sun) 06:13:44


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年06月20日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   オレは、人が相談にきたとき、
   その人が背負いこんでる心の荷物をおろしてあげたい。

   「この黒いコマを、どうしたら、白に変えてあげられるんだろうか」

   って、思うんだよな。

   その人がもってる、マイナスのものを、「それ、宝だぞ」っていう。


   さっきのおねしょの話じゃないけど、そのまま心にしまっとくと、
   いつまでも暗くて、つらいものだけどな。

   それを公開して、「それのおかげでオレは、こうなれたんだよ」とかな。

   「それのおかげで、オレは思いやりのある人間になれたんだよ」とか。

   みんなに聞かしてあげられると喜ばれるし、本人の気持ちも楽になるし、
   ホントに“いいこと”づくめなんだよな。


   オレもちっちゃいときから、病気だけど、病人のことがわかるしな。

   それから、そのことで、まるかん、っていうのができたり。


   だから神は、最初から宝をくれるんじゃない。

   「宝に変えるべきもの」をくれるんだよ。

   それは常に、困難にそっくりなんだよ。



   嫌なことはあるよ。
   嫌なことを神がくれたら、レモンをくれたら、
   レモネードに変えるだけの知恵と勇気な。

   これを、ずぅーっと、持たなきゃイケない。


   梅のようなさ、そのままじゃ食えないもんを、
   日本人は塩漬けにして、梅干しにしてな、保存食にして。

   なくてはならないものに変えたんだよ。

   だから、神がくれるものって、
   「見るからに宝! 」っていうものよりも、
   ひと工夫して宝になるものが多いんだよな。


   だから、オセロの黒をくれたら、ひっくり返す努力だけは、しなきゃダメなんだよ。

   そしたら全部、白になるからな。

       <『斎藤一人 自分さがしの旅』KKロングセラーズ>

             ・・・

「幸せは不幸な顔してやってくる! 」

という五日市剛さんの言葉がある。


困難も、嫌なことも、失敗も、面倒なことも、病気も、
ハードルが上がったことも、みな同じで、不幸そうな顔をしてあらわれる。

しかしそこでマイッタしないで、

それを「乗り越えたとき」、「ひっくり返したとき」、

すべてが宝となる。

そして、嫌なことや失敗を、自分の宝として、ネタにできる。

「それがあったおかげで今がある」と。


「神は、最初から宝をくれるんじゃなくて、“宝に変えるべきもの”をくれる」

嫌なことをひっくり返して宝にする、知恵と勇気を持ちたい。

            <感謝合掌 平成27年6月28日 頓首再拝>

「現実のスーパーマン」 - 伝統

2015/07/06 (Mon) 03:58:04


           *「涙を幸せに変える24の物語」 中山和義・著(P28~33)より

クリストファー・リーブは、大ヒットした映画「スーパーマン」の主演俳優として、
アメリカを中心に活躍していました。

彼は映画でヒーローを演じて、世界を救い、観客に勇気や感動を与えましたが、
彼の人生は映画以上に多くの人に勇気や感動を与え、実際に大きく世の中を
変えることになりました。


映画のヒットにより、スーパーマンはシリーズ化され、彼は俳優としての名声を確立しました。
17本の映画、12本を超えるテレビドラマにも出演していました。

結婚をして、子どもも生まれます。
家族を大切にしながら、熱心に、仕事に取り組んでいました。

また、スポーツマンだった彼は、ヨットやスキ―、乗馬などを趣味にして、
充実した毎日を過ごしていました。


42歳になったある日、彼は馬術大会に出場します。
障害を飛び越えるため、彼が乗った馬はかなりのスピードを出していましたが、
突然、急ブレーキをかけるように障害の直前で止まってしまいました。

その反動で、彼は馬から投げ出されるように落馬しました。
不運なことに、手に手綱が絡まってしまったため、腕の自由が利かず、
彼は頭から真っ逆さまに落ちてしまいました。

障害の横木に頭を強打し、首の頸椎を骨折してしまったのです。

彼は駆けつけた救急車で病院に運ばれ、何とか命だけは助かりました。
しかし、脊髄を傷つけてしまったことで、人工呼吸器がなければ生きられない、
首から下が動かない体になってしまいます。


その後、障害者となってしまった彼は、
不自由となった自分を受け入れることができませんでした。

映画スターだった自分との落差に悩み、
周りで心配してくれる人に八つ当たりしたり、死を望んだこともありました。


しかし、妻や子ども、友人たちに支えられた彼は、次第にリハビリに励むようになります。

中でも彼の意識を変えたのは、同じ脊髄に障害を負った患者さんたちとの出会いでした。
彼らの懸命にリハビリを続ける姿に心を打たれて、自分がリハビリに励むだけではなく、
脊髄損傷について積極的に勉強をするようになりました。


もっと充分な研究費があれば、自分と同じように
脊髄の麻痺で苦しんでいる人を助けることができる。

そう知った彼は、自分が有名人なのを活かして、病気の後遺症と戦いながら、
人工呼吸器を携えて、多くの募金活動に参加していきます。

ついにはリーブ財団を設立し、研究への支援活動を本格的に開始しました。

さらに、リハビリを続けた彼は、映画の世界に復帰します。
監督としてテレビ向けの映画を作り、エミ―賞5部門にノミネートされ、
エース賞を受賞しました。


1998年には自伝「STILL ME」が発売され、全米のベストセラーになりました。
この本の中で彼はヒーローについて、

「ヒーローとは、どんな障害にあっても努力を惜しまず、耐え抜く強さを身につけていった、
ごくふつうの人のことだと思う。そして、彼らを支えてきた家族や友人たちもまた、
ヒーローなのだ」

と書いています。


事故から10年後(2004年)、彼は重い感染症で亡くなりました。52歳でした。

彼がつくった財団はこれまで、4000万ドル以上を脊髄研究に寄付しています。
彼が亡くなった時、多くの人が、

「映画よりも彼の生き方は強く、使命に溢れていた。
事故に遭った後の彼の生きる力は、まさにスーパーマンだった」

と彼の生涯を称えました。

              ・・・

彼は映画の中のヒーローだけではなく、
現実の世界でも多くの人に希望を与えたスーパーヒーローでした。

脊髄の怪我をしてしまった悩みと苦悩を乗り越えて、さらに強い人になりました。

人生には必ず、良い時、悪い時の波があります。
悪い状態の時、自分の運の悪さを嘆いたり、周りの人の責任にすれば楽だと思います。

もしも、映画のヒーローが悪い状態の時、このように考えてしまって、
逃げ出したり、何もしなかったら、映画は完成しません。

多くの映画のヒーローはこのような状況の時、
恋人や家族に励まされて困難に立ち向かい、新たな力を手に入れます。

人生の悪い波が来た時、
ヒーローになる力を蓄えるチャンスが来たと思えば、
強さを身につけた本当のヒーローになれるはずです。

            <感謝合掌 平成27年7月6日 頓首再拝>

虐待がくれた贈り物 - 伝統

2015/07/13 (Mon) 04:15:28


         *「涙を幸せにする24の物語」中山和義・著(story7P61~67)より

「高校を中退して、何も持たずに北海道から東京に逃げてきて
鉄工所に住み込みで働いていた私が、新卒学生の入社したい企業ランキング25位に
選ばれた社員100名の会社を経営している。

さらに法政大学の客員教授になり、
25万人以上に研修を行い、31冊の本を出版することもできました。

本当に奇跡です。
見えない力が働いて導かれたとしか考えられません」

と、アチーブメント株式会社の青木仁志社長は話していました


青木社長は北海道で生まれました。
両親が3歳で離婚し、父親に引き取らて育てられます。

父親が事業の失敗を繰り返していたので、
生活は厳しく、転校も多くいつも辛い思いをしていました。


その後、父親が再婚。
しかし、義理の母とはうまくいきませんでした。

再婚してから生まれた妹と差別されることも多く、
妹が暖かいご飯を食べているのに、彼に出されたのは冷たいご飯だったこともありました。


小学校2年生になった時、さらに差別が酷くなります。
親から酷い虐待を受けるようになった彼を心配した親戚によって、
生みの母親に預けられることになりました。

彼は水商売をしている母親と小学校3年生までの2年間、一緒に暮らしましたが、
母親と暮らした記憶があるのは、この2年間だけです。


その後、母親の生活が苦しくなり、父親の元に戻されました。
彼は当然のようにグレていきます。

中学生からタバコを吸い、学校を休むことも多く、家に戻らないこともありました。

17歳の時、ついに彼は高校を辞め、住んでいた北海道を抜け出し、
東京の鉄工所で働き始めます。

3畳の部屋に裸電球が1つ、共同アパートに暮らしながら、

「学歴なし、技術なしの俺はこのまま、ここで、1人で、一生働いていけばいい」

と思いながら生活していました。

すべてのことが嫌になった彼は、すでに人生をあきらめていました。


そんな彼に、ある日奇跡のような出来事が起こります。

連絡を取れなかった生みのお母さんが、鉄工所に彼を尋ねてきたのです。
父親にも鉄工所で働いているのを隠していたので、彼はとても驚きました。

お母さんは「東京の鉄工所で、住み込みで働いている」という噂だけを頼りに、
一軒一軒、鉄工所を歩いて回りながら、彼を探したのです。


親子にとって、小学校3年生の時に別れて以来の対面でした。
やつれた彼の姿を見たお母さんは

「さとし、本当にさとしかい?  苦労したんだね」

と涙を浮かべて話しかけました。


「お母さんが自分を必死に探してくれた・・・」


すべての希望を失っていた彼の心に、変化が起きた瞬間でした。

彼はお母さんに引き取られて、お母さんの喫茶店の仕事を手伝うことになりました。

喫茶店で働き始めた彼は、人との出会いを通じて、自分を高めていきました。
数年後にはセールスの世界で成功し、人生の成功哲学を確率します。

5名のスタッフで創業した研修会社は、今では100名以上のスタッフになりました。
彼は25万人以上の人たちに研修を行い、大きな影響を与える企業の経営者になったのです。

青木社長は


「セールスの才能が身についたのは、幼い頃に虐待をされていて、
大人の顔色を見ながら生きる必要があったからだと思います。

相手の気持ちを見抜く力が、いつの間にか身についていたのです。
いつも幸せな家庭に憧れていたので、結婚した自分の妻や子どもを守らなければいけない
という思いが、会社を成長させる力になっています」

と成功の要因を話してくれました。


* * *

子どもの頃、彼の生活はとても辛いものでした

しかし、それを乗り越えることで、セールスに役立つ力を手に入れました。

鉄工所で働いている苦しい時、実の母親が自分を探してくれたという事実を知って、
人に対する優しさを信じることもできました。


逆境は無駄になりません。

将来、本当に人生を生きるのに必要とされる力を養うために与えられます。


            <感謝合掌 平成27年7月13日 頓首再拝>

《困難は実相内在の美を磨き出す研磨機である》 - 伝統

2015/07/19 (Sun) 04:44:17


          *「生長の家」誌’昭和51年6月5日)の法語より

   困難は、自己に内在する力を、平常普段の生活以上に発揮させてくれる
   ”呼び水”になるものである。

   目標が、日常生活程度では、誰でも出来る平凡な普通一般の生活になっていて、
   別に現在以上の力を引き出してくれる機会をつくってくれないのである。

   それだから、神は一見”困難”と見える問題又は事象を、
   時々すべての人に課して、それを 解決するために、
   その人が”日常以上の力”を発揮する機会を与えて下さるのである。

   それだから”困難”の来る毎に、
   その”困難”と、そして、その困難を与え給うた神とに感謝せよ。

   困難という研磨機を通して、わたし達の魂に内在する貴き光が、
   一層多く燦然と輝き出すことになるのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363

            <感謝合掌 平成27年7月19日 頓首再拝>

死にたい気持ちを乗り越えて - 伝統

2015/07/26 (Sun) 06:13:07


         *「涙を幸せにする24の物語」中山和義・著(story22P155~158)より

仕事がら、いろんな経営者の方と話をする機会があります。

ある中小企業の社長さんの話です。


~彼が肩を落とし、暗い顔をして家に帰ってきました。

彼の奥さんが

「どうでしたか? お金を借りることができましたか? 」

と心配そうに聞くと彼は黙って首を横に振りました。

彼の小さな会社は、この不況で会社の資金繰りは限界に達していました。

「もう、会社を続けることはできない。すべては終わりだ」

と力なく話しました。

奥さんは彼に何も言うことができませんでした。


しばらくの沈黙の後、彼は

「死にたい・・・。これ以上、取引先や銀行に責められるのは耐えられない。
従業員にも迷惑をかけた・・・」

と奥さんを見つめて、静かにつぶやきます。


そして、「俺1人が死んだら、お前や子どもに辛い思いをさせることになる。
一緒に死んでくれないか? 」

と話しました。


その時、小学校3年生の男の子が帰ってきました。

いつもは夜遅くまで家に帰って来ないお父さんがいるのに驚くと、

「今日、学校ですごく嬉しいことがあったんだ! 
できなかった逆上がりができたんだよ!

お父さんがこの前、公園で教えてくれたから。
必ずできるって言ってくれたけど、本当だったね! 」

笑顔で彼に報告しました。

2人は黙って男の子を見つめながら話しを聞いていました。

男の子が「友達の家に遊びに行く」と言って元気に出かけた後、奥さんは、

「あの子・・・。本当に楽しそうに笑っていたね。
あんな楽しそうなあの子を悲しませることはできない。
まして、殺すことなんて、私には絶対できない」

と泣きながら彼に話しました。

彼も目に涙を浮かべて・・・

「俺にもできない・・・
俺はあいつにあきらめずに努力すれば必ずできると言ったんだよな・・・」

と自分にいい聞かすように話しました。

次の日、彼は債権者や従業員に会社の現状を話しました。

そして「必ず借金は返すから、協力してほしい」とお願いしました。


* * *

苦しい状況が続くと、心を支配する辛い感情から逃げ出したくなります。

この男性のように自殺を考えるまで追い込まれなくても、
お酒やギャンブルに逃げたくなることもあるでしょう。

このような時、自分の辛い感情から逃げずに立ち向かう決心をすれば、
現状は少しずつ変わりだします。

本当に辛い時に、人はその力を試されます・ ・ ・。

            <感謝合掌 平成27年7月26日 頓首再拝>

《障礙(しょうがい)物は進歩の踏台》 - 伝統

2015/08/03 (Mon) 04:04:17


       *『 生長の家 』誌(昭和24年7月2日)の法語より

   「 我は 如何なる困難をも克服する所の偉大なる神の子である。」

   かく信じて目の前にある障礙物を却(かえ)って
   自己の向上する為(ため)の踏台とする人こそ
   やがて偉大に成功するのである。

   困難の報いは進歩である。
   多くの人たちは盤根(ばんこん)錯節(さくせつ)に遭遇して
   その偉大なる本性を展(ひら)き出したのである。

   神は決して高価なる宝玉を地表にころがしては い給わないのである。
   それは地下に埋蔵されて困難を穿(うが)ち行く努力によってのみ
   発掘せられるのである。

   魂を磨く所の鑢(やすり)は困難である。
   困難こそ人間を玉成するのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/91b3c7f27b37743f351a0e60d8176e5f

            <感謝合掌 平成27年8月3日 頓首再拝>

【成功者には才能があり素質があると思ってはいけない】 - 伝統

2015/08/10 (Mon) 03:46:34


        *メルマガ「日本一元気になるビジネスマガジン(平成27年6月15日)」より


スポーツの世界や芸術の世界、各界のリーダーや大富豪、
世のなかには多くの成功者がいます。

テレビや新聞、雑誌で多くの成功者が出てくるわけですが、
こうした成功者には、もともと才能があったり、遺伝で親譲りの素質があったり、
裕福な家に生まれたから成功したんだ。

と決して思ってはいけません。

成功者のほとんどは、もともと素質を持っていたわけではなく、
素質を持っていた人でも、普通の人とは違った努力を重ねています。

しかし成功者は、努力を「苦労して」重ねているのではなく、
「楽しく」努力をしている人が多いですね。

いずれにしても、

成功者は才能があるからうまくいったんだ、
素質があるからうまくいったんだ、
若かったからうまくいったんだ、

と思った時点で、自分の可能性を閉ざすことになってしまいます。



1960(昭和35)年、23才のトム・モナハン青年は
900ドルを元金に弟とともにピザ屋を起業しました。

トムは大学も出ていなかったし、
ビジネスの経験もありませんでした。

商売のやり方を教えてくれる人もいませんでしたし、
資金もありませんでした。

しかも、開店後1週間の売り上げはなんと99ドル!

しかしトムは毎日15時間以上懸命になって働き、
10年かけて30店舗を超えるチェーン店を築きます。

人が休んでいるときに働き続けたのでした。


しかし残念なことに、店舗の火災が起きてしまいます。

綱渡りの事業計画だったため、一店舗の売上がストップしたことで会社は破たん、
やがて会社は銀行管理に入り、トムは経営権を失ってしまったのでした。

しかし銀行にピザ店経営のノウハウがあるわけではありません。
社長はトムのまま、実質権限は銀行に。

やがて銀行は会社の解散を決定します。

ここでトムは懸命に抵抗。

「もう一度だけチャンスをください!」

と何度もお願いし、ついに熱意に負けた銀行はトムに経営を任せることとしました。


トムはふたたび挑戦します。

そして大きなピザ屋に勝つために、業界では考えられない手法で勝負します。

それが、

「ピザの宅配」

でした。


しかし大手がやらない事業には理由があるもの。

人材の確保が難しい。
配達中の保温をどうするか。
交通手段。

などなど、多くの課題が目の前に立ちはだかります。


銀行も、同業他社も、
そんな宅配ピザサービスが成立するわけがない、
と一笑に付します。


しかし現在の私たちから見るとどうでしょうか。

その後、トムの会社は、宅配ピザサービスで業績を拡大し、
今や世界60ヶ国に10,000店舗以上、
日本国内だけでも250店舗となる大きな会社となりました。


現在の「ドミノ・ピザ」です。


トムは大事業家であり、歴史に名を残しましたが、

開業当初、才能があったのでしょうか。
経営の素質があったのでしょうか。
裕福な家に生まれたのでしょうか。

どれもありません。

成功者には才能があり素質があると思った時点で、

「自分には無理だ!」

という自己暗示をかけたことになります。


しかし、トムのように、熱意をもって志を持って、

チャレンジしていく精神、
これこそが成功者に必要なことなのではないかと、
私は思うわけです。


誰にも人生は平等に与えられている。

むしろ現在人生の大きな困難に直面しているならば、
それは最大のチャンスの始まり、そう言えるでしょう。

             ・・・

 「最大で最悪の不運? 
  なるほど、そいつは実に素晴らしい!
  それこそ、君が成功するために与えられた最高の贈り物だ」 (トム・モナハン)

            <感謝合掌 平成27年8月10日 頓首再拝>

《抵抗は有難い、吾々を前進せしめる》 - 伝統

2015/08/17 (Mon) 04:23:34


         *『生長の家』誌(昭和24年7月5日)の法語より

   人間が反対と摩擦から解放されてしまった時に
   それはレールの上に油を塗って滑らした機関車のように、
   上向することはできないで下向(げこう)するばかりである。

   抵抗と摩擦とによって人間は自己をみがき上昇し向上する。

   カントは鳩(はと)の例をあげている。

   鳩は空気の抵抗によってその速力を減ぜしめられ、
   その飛翔を困難ならしめられる。

   だから、もし空気の抵抗がなかったならば、
   鳩は尚(なお)一層快速に、尚一そう容易に飛翔し得るだろう
   とも思えるが、

   空気をぬいて真空のところを飛翔せしめて見るならば、
   忽(たちま)ち鳩は飛ぶことができないで
   落下することは間違いはないのであると。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d14ec46bd5e21bf633f5327ac1344cc9

            <感謝合掌 平成27年8月17日 頓首再拝>

《困難は受け方で毒とも薬ともなる》 - 伝統

2015/08/24 (Mon) 04:54:15


           *『 生長の家 』誌(昭和24年7月9日)の法語 より

   ゴムのボールは強く障礙物(しょうがいぶつ)にぶつかればぶつかるほど
   弾力を以(もっ)てとび上がるのである。

   人間も障礙物に強く強くぶつかることによって
   いよいよ高く上昇するのである。

   障害物が人間を滅ぼすのではなく、
   それの受け方が人間を滅ぼしもすれば向上させもする。

   神は青年を教育せんとする時には必ずしも学校へは送らないのである。
   そしてむしろ絶対絶命の境地に追いつめる。
   そしてそこから無限の能力をしぼりださせるのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ed27cbb371adb837540eba1dd399d512

            <感謝合掌 平成27年8月24日 頓首再拝>

七楽の教え - 伝統

2015/09/01 (Tue) 04:31:34


         *「「百年以上続いている会社はどこが違うのか?」田中真澄・著より


老舗の群れである富山の薬売りの業界では、

「楽すれば 楽が邪魔して楽ならず 楽せぬ楽が はるか楽楽」

という「七楽の教え」が昔から伝えられています。

日々、快楽志向に陥ることなく、
コツコツと自分の目の前の仕事を地道に着実に続けていくことが、
本当の楽々人生、すなわち楽しい幸せな人生になっていくというこの教えは、
すべての時代の人に通じるものです。

例えば、学生時代に勉強で苦労することを避けて、遊びに夢中になった人は、
社会人になってからの人生で、思わぬ辛酸をなめることになります。

逆に辛く感じる勉強に挑戦し、その辛さを乗り越えて力をつけた人は、
必ずや人生のどこかでチャンスに恵まれ、いい人生を送ることにつながっていくものです。

このように、何事においても、楽をすることよりも、
むしろ苦労と向き合うことをよしとする人を、
世間の人は黙って見ていて、そういう人に手を差し伸べるのです。

・・・

<参考Web:富山の薬売りの七楽の教え
       → http://www.ig-consulting.co.jp/blog/satolog/2011/06/post-374.html


            <感謝合掌 平成27年9月1日 頓首再拝>

《神とはどんな難問題をも解決したもう》 - 伝統

2015/09/10 (Thu) 04:54:20


         *「生長の家」(昭和26年7月9日)の法語より

   神は すべての渾てであるから、
   神は 外にも内にも到(いた)る処に いますのである。

   何事が起って来ようとも、
   問題が起るのは 解決があるから起るのであるから
   心配することは 要らないのである。

   解決が出来ないのは 智慧(ちえ)が足りないからである。
   神の智慧をもって来さえすれば どんな問題でも解決出来るのである。

   神の智慧をもって来るのはどうするか、
   神にその問題をわたしてしまえば好いのである。

   神に 「 自分 」 を明け渡すのである。


   「 神よ、この問題を貴方に全部ゆだねます。
   神よ、あなたは無限の愛であり、無限の智慧であられます。

   だから必ず此(こ)の問題をすべての人の幸福になるよう
   解決して下さいます 」

   このように祈るが好い。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/4e611a8076c6ee4611c171ace03a28c2

            <感謝合掌 平成27年9月10日 頓首再拝>

《困難は能力の働く場である》 - 伝統

2015/09/16 (Wed) 04:33:18


          *『 生長の家 』(昭和24年7月10日)の法語 

   競技がなければ勝利が存在しないように、
   困難がなければ成功は存在しないのである。

   又 困難がなければ能力が存在しないのである。

   能力とは何か?
   困難を自由に操縦する力である。

   国民が一大困難に直面した時 無数の発明が成就されるのである。
   
   困難は能力の働く場である。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3f668e6447bbcd17c01dd3d2469e6cca

            <感謝合掌 平成27年9月16日 頓首再拝>

《せまき門より入れ》 - 伝統

2015/09/24 (Thu) 03:56:22


          *『 生長の家 』誌(昭和24年7月12日)の法語より 

   安易なる道を選ぶな。
   一つの物事をするのに安易なごまかしの道と、
   刻苦精励の道とがあるとすれば 必ず 刻苦精励の道を選ぶべきである。

   易々加減にごまかしの道を選んだならば
   多くの場合それは不成功に終るか、自分自身を欺くか、
   他(ひと)を欺くかにすぎないのである。

   刻苦精励の道は 遂(つい)には
   必ずその目的を到達する。

   たといその目的が到達されないにしても、刻苦精励そのものから、
   目的それ自身よりも尚(なお)偉大なるものが得られるのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/bd02b0892e905364c92189f61c0c997e

            <感謝合掌 平成27年9月24日 頓首再拝>

《困難を超えて来た者には腹が出来る》 - 伝統

2015/10/05 (Mon) 03:36:44


            *『生長の家』誌(昭和24年7月15日)の法語より

   日本人も段々その真価を発揮しつつある。

   多くの人間は一度は裸一貫になって見なければ
   その真実の力を見出(みいだ)すことはできないのである。

   困難と貧乏とは すべての蔽(おお)いをとり去って
   人間を裸にして その尊き実相をえぐり出すのである。

   困難に対して奮闘してきた人のみが
   何が起って来ても、驚かないような魂の平静を
   獲得することができるのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d04b1db47589c3ed9e466c7c52291ece


            <感謝合掌 平成27年10月5日 頓首再拝>

《難儀は人生の好機会である》 - 伝統

2015/10/13 (Tue) 04:51:05


          *『 生長の家 』誌(昭和24年7月17日)の法語より


   人生には千百の好機会がある。
   その好機会とは困難である。

   天理教祖は「 難儀は節じゃ、節から芽が出る 」と
   いったのはそのことである。

   噴水は 狭いところへ押し込まれたので高く昇るのである。

   困難の暴風は 臆病(おくびょう)者を吹きとばし、愚者を放逐し、
   勇敢と賢明とをよびいだし、人格を鍛えて堅忍不抜の者とするのである。

   余りに安易に得られたる富は 人間性を堕落せしめるものである。

   巌(いわお)にあたってくだけてのみ
   その水は高く空に上(のぼ)るように

   人間の魂も困難にあってくだけてのみ 高く上(のぼ)るのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/71dc66790f336c692af2243176a628c7

            <感謝合掌 平成27年10月13日 頓首再拝>

夜がふけるほど、朝は近い - 伝統

2015/10/20 (Tue) 04:45:19


           *「誰でも成功できる」徳久克己・著より

「生長の家』は、「光明思想」ともいわれています。
『生命の實相』は、「明るい思想」にみちあふれ、読む人に「希望」と「自身」を与えます。

私は『生命の實相』にふれるまでは、いつも未来を心配して、
その対策をイロイロと考え、過去の失敗をクヨクヨと考えて、グチをこぼす性格でした。

ですから、はじめて『生命の實相』を読んだ時、あまりに楽観的な人生観が説かれているので、
驚くと同時に、はじめは、信じられませんでした。
 
しかし、この人生は「自分の思ったとおりになる』という、
「心の法則」がダンダンとわかってくるにつれて、
「自分が心配すれば、心配したことが起こってくるのだ』ということを知り、

「明るい、楽観的な人生観」こそが、自分の運命を「明るく」「楽しく」して、
それが成功への道なのだ、とわかりました。

私たちは、あたりまえに、うまく行っている時には、楽観的に考えることができるのですが、
なにか問題がおこった時には、楽観的に考えることは、ナカナカ難しいものです。

『生命の實相』のなかで、
「夜がふけるほど、朝が近づいている」
と教えておられますが、
マックラの中で、「夜明け」を信ずることは、簡単なようで、訓練が必要です。

マックラの中にいますと、やがて「夜明け」がくると思っても、
とても待ちどおしく、イライラしてきます。

「信じて、待つ」
ということは、成功するためには、大切な条件です。

あせって、待ちきれないで、方向転換をしたり、
絶望して希望を捨ててしまう人は、成功できません。
 
ハリウッド株式会社の故牛山清人社長は、何回か、
そのような絶望的とみえる闇をとおり抜けて、光明を見つけた人です。
 
だいぶ前のことですが、会社の化粧品の一つが「不良品」と指摘され、新聞にのったのですが、
その時に、その不良品と指摘された製品は、外注していたものですから、
外注するから充分な製品管理ができないのだ、

自分の会社で、立派な工場をつくろう、と決心されて、
会社の大問題をのりこえて新工場を建設し、それがスバタシイ成功につながったのです。

このように、問題が起こった時に、光明を見出す人が成功します。
  
谷口雅春先生は、グレン・クラーク博士の、

「悪いニュース(知らせ)は、善いニュース(知らせ)である」

というコトバを引用されて、教えておられます。

「悪いことは、善いことだ」、このことが本当に信じられたら、光明思想です。

なにか悪いことが起こったら、

「今までのやり方ではダメだ! 」

と教えてくれているのです。

その時こそ、過去を反省して、よりよい未来をつくるために、前進する時なのです。

カラダでいいますと、どこか調子が悪い時には、
「気をつけなさいよ」
と教えてくれているのです。

『生命の實相』のなかに、「苦労はフシや、フシから芽が出る』という、
天理教祖のコトバを引用しておられます。

苦労、困難とみえる時こそ、新芽を出す最もヨイ機会なのです。

どんなことが起こってきても、

「これで、よくなる」

と信ずることです。

成功した人の伝記を読みますと、ドン底のようにみえる時を、何回もとおっています。
私は、いつも、「百回、失敗しても、百一回目に成功すれば、成功だ」と信じています。

百一回目の成功は、百回の失敗をフッとばしてしまいます。
しかし、百回も失敗して、まだ続ける信念がないと、
百一回目の成功を勝ちとることはできません。

その百回の失敗の間が、暗黒の時なのですから、
その時に成功の「夜明け』を信じ続けることが、成功への道です。

暗黒の時に、必ず「夜明け」が来る、と信ずることができるためには、
自分には「無限の可能性」がある、と確信することです。

            <感謝合掌 平成27年10月20日 頓首再拝> 

《偉大なる決意は困難を玉成(ぎょくせい)する》 - 伝統

2015/10/27 (Tue) 04:54:36


            *『 生長の家 』誌(昭和24年7月18日)の法語より 

   ベートーヴェンは、殆(ほと)んど完全に耳聾(しい)てから
   彼のいとも有名な諸作品を作曲したのである。

   シルレルは肉体の病苦にあえぎながら、
   彼のもっともよき著作をものしたのである。
   彼は19年間病苦から逃れることができなかったといわれている。


   倉田百三は結核の末期的状態に於いて
   その多くの作品を書き上げたのである。

   そして自分の作品が有楽座で実演される時には
   担架の上に仰臥(ぎょうが)しながら
   劇場に運ばれてその実演を見たのである。

   ミルトンはその主要な著作を貧乏で病気で盲人になった時に
   書いたものだといわれている。

   偉大なる決意の前には
   困難は彼を縛ることはできないのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/fdc453419bfe8baf348eacbbc47411ca

            <感謝合掌 平成27年10月27日 頓首再拝> 

《重きものは筋肉を発達せしめる》 - 伝統

2015/11/08 (Sun) 04:48:15

          *『 生長の家 』(昭和24年7月19日)の法語より

   千万長者といわれるような人たちは何(いず)れも一度は
   破産者または、破産同様の関所を越えてきた人ばかりである。

   もしそうでなく安易に一千万円を得たならば、
   それは間もなく煙のように消えてしまうに違いない。

   もっとも美しき、もっとも強き、もっとも高邁(こうまい)なる性格は、
   温室のような環境では育たないのである。

   それはもっとも美しき筋肉美が、重きものを動かす運動をしないで
   発達しないのとおなじことである。

   環境の重圧に耐えて来た魂の筋肉美こそ最も美しいのである。



   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/508c64494605c4fb3ce67545161615bf

            <感謝合掌 平成27年11月8日 頓首再拝> 

《困難を見ず真直(まっすぐ)に行け》 - 伝統

2015/11/16 (Mon) 04:49:25


           *『 生長の家 』(昭和24年7月21日)の法語より


   困っているということ勿(なか)れ。

   「 困っている 」 と告白することは
   その人の無能力を表現するのであるから
   何人(なんぴと)もそんな人を雇いたがらないであろう。

   どんな困難の前にも困らないで
   常に楽しい精神状態でいるもののみが
   人から歓迎されるのである。

   困難を言葉で表現すれば困難は増大する。

   真直に行け。
   断じて行け。

   人生は矢の如(ごと)きものである。
   進まない矢は途中で墜落してしまう外(ほか)はない。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/bf578e341a2f4eb53f68fe99473b6ca7

            <感謝合掌 平成27年11月16日 頓首再拝> 

「困難に負けない言葉」 - 伝統

2015/11/21 (Sat) 04:36:07


             *『致知』2015年12月号  より
              ~ 山崎直子(宇宙飛行士)

特に4年目の2003年、
スペースシャトル・コロンビア号が空中分解をする大きな事故が起きて、
宇宙計画自体が不透明になってしまったんです。

この事故では一緒に訓練をしていた
仲間7人が亡くなったこともあって、しばらくは呆然としていました。


私は長女を出産した後で育児休暇中でしたが、
保育園入園も決まってそろそろ訓練に復帰しようか、
と思っていた矢先の大事故でした。

アメリカの宇宙船が飛べないということで、訓練計画も大きく変わりましてね。

私は長女を日本に残して急遽ロシアに行き、さらにアメリカに移って訓練を続けたんです。
飛べるのかな、飛べないのかなと思いながら、それでも訓練だけは重ねていきました。

このように自分の力だけではどうしようもない壁に直面した時に励まされ、
支えになったのは、高校の担任の小田川恭子先生が
紹介してくださったある言葉だったんです。


 ―― どういう言葉でしたか?


20世紀のアメリカの神学者ラインホールド・ニーバーが
1943年、小さな教会で説教した時の祈りの言葉です。


 神よ、変えることのできるものについて、
 それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

 変えることのできないものについては、
 それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

 そして、変えることのできるものと、
 変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。



高校時代、この言葉をたまたま日記に書き残していて、
大人になってそれを読み返した時、大きな力をもらいました。


いま自分ができること、変えられることが何かあるはずで、
それをやっていくことで一歩一歩道に近づいていけるのかなと。


実際、私は

「おまえたちが訓練するスペースシャトルは飛ばないよ」

と何度も言われてきました。


しかし、飛べるチャンスが1%でも
あるかもしれないと信じてやってきたんです。

・・・

<参考Web:山崎直子さんの試練は続く(今と今後)
       → http://topicks.jp/17067 >

            <感謝合掌 平成27年11月21日 頓首再拝> 

問題は自分を高めてくれる - 伝統

2015/11/30 (Mon) 04:09:26


         *「幸福を招く365章」(P184)より

すべての問題を恐れてはならない。
それが問題である限り解決の道はあるのである。

すべて解きほぐし難い問題ほど興味が深いのであって、
それを解くことによって、われわれの心の力は鍛錬されるのである。

「二十の扉」や「頓知教室」や「クロスワード・パズル」の面白さも、
それが難問であればあるほど興味が増すのである。

頭脳で解き難き問題が起ってくれば「自己に宿る神」に呼びかければよいのである。

「わが魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ」この言葉を数回となえて、
神の中へやすらい込み、融け込み、神にまかせる気持ちでおればよいのである。

しからば適当な時に適当な知恵が湧き出て来るのである。

            <感謝合掌 平成27年11月30日 頓首再拝>

《困難は却って内在の力を出させてくれる》 - 伝統

2015/12/08 (Tue) 04:14:36


         *『 生長の家 』(昭和25年11月22日)の法語より

   どんな不快なことも困難なことも、
   自己神性発揮のための燃料であると思いて悦べ。

   不快なものも困難なものもすべてのものが協力して、
   自己の内在の力を発揮させて下さるのである。

   多くの人は困難に面しなければ内在の力を発揮しない傾向がある。
   此処(ここ)に世の中に困難が出現して来る理由がある。
   みんな自分の心の反映である。

   折角(せっかく)、神から与えられた
   内在無限の力を発揮しなければ
   内在の無限の力が存在しないのと同じことである。

   そこで自分で進んで内在無限の力を発揮しない人には、
   周囲に困難が起って、内在の力を発揮させて下さるのである。

            <感謝合掌 平成27年12月8日 頓首再拝> 

困難に挑戦する - 伝統

2015/12/15 (Tue) 03:44:34


         *『希望を叶える365章』(P137~138)より

何事がやって来ても、心を動揺させてはならない。
結局、悪しきものは存在しないし、
悪しきものは我らを襲い来(く)ることはあり得ないからである。

私たちの人生の行路は必ずしも平坦ではない。
しかし、平坦でないから脚が鍛えられて健脚となるのである。
困難と見えるものは自己に内在する“無限力”を一層多く汲み上げるところのポンプ作用である。

スター・デーリーは、ライファーから
「出獄後自分の最も困難と感ぜられる仕事をせよ」と教えられて、
ついに宗教講演者となり、宗教書の著述家となったのである。

人生の経験に無駄はひとつもないのである。

困難に挑戦することによって、”内在の力”は一層多く発揮せられることになり、
自分の魂の能力のうち、まだ完全に磨かれていない部分を琢磨して輝かすことになるのである。

併(しか)し、「困難が来れば好いのに」と念じてはならない。
受難を礼賛すれば色々の困難を、わざと自分に引き寄せて収拾がつかなくなることがある。

困難を求めるのではなく、
自分の人生の行路に自然にあらわれた困難は避けることなく、
”困難と思わずにぶっつかれ”と云う意味である。

            <感謝合掌 平成27年12月15日 頓首再拝> 

困難を嘆くな 今こそ自分の伸びるときだと思え - 伝統

2015/12/24 (Thu) 04:23:36


           *谷口清超先生・著「善意の世界」(P156)より

人間は困難に直面してこれを何とかしてやり抜こうとする時、本当の実力がでてくる。

今まで気づかなかった発想も出てくるし、魂も知性も進歩する。

だから困難に対して背を向けたり、尻込みしてはならない。

困難があらわれたら「今こそ進歩向上のチャンスがきた! 」

と思うことが肝腎(かんじん)である。


            <感謝合掌 平成27年12月24日 頓首再拝> 

困難は飛躍のチャンス - 伝統

2015/12/31 (Thu) 04:18:03


            *谷口清超著『伸びゆく日々の言葉』より

目前の困難は、大いなる飛躍のチャンスである。

冬は春への準備の時である。

植物は花をつけ、動物は活動を強化し、
生命(いのち)を躍動させる。

それまでにまず「冬に堪(た)える」ことが必要である。

一時的には屈するようでも、その力をもって、高く強く飛躍するのである。

外は暗いようでも、春の日ざしは、もうすでに今ここに射しはじめているのである。

            <感謝合掌 平成27年12月31日 頓首再拝> 

《困難、困難に非ず》 - 伝統

2016/01/08 (Fri) 04:41:50


         *「光明法語」(P28)より

あらゆる見せかけの困難はすでに困難ではないのである。

吾は何事は起って来ようとも神之(これ)を解決し給うことを信ずるのである。
如何なる出来事もこの信念を打ちこわすことは出来ないのである。

吾は目の前に起って来る如何なる困難をも呪(のろ)いはしないのである。
すべての困難は吾が魂を鍛え上げる鍵である。吾が魂を磨く《やすり》である。

吾が魂が鍛えられ、磨かれ、光輝燦然と輝く様になった時、
もはやそのようなあらあらしい砥石は自分の魂に不必要になって来るのである。
従ってそのような困難は消えてしまう。

            <感謝合掌 平成28年1月8日 頓首再拝> 

困難な時ほど「神の子」を自覚せよ - 伝統

2016/01/17 (Sun) 04:18:17

          *「幸福を招く365章」(P225~226)より

困難が来たときにその人の信仰がテストされるのである。

困難が来ぬときに「人間、神の子」と豪語するのはたやすいことであるけれども、
実際、解決し難き困難、普通では癒えがたき病気に直面したときに
その人の信仰がどの程度のものであるかがわかるのである。

かかる場合、信仰うすきものは平素の「神の子」の自覚は
どこへやら、現象の困難の前に屈従してしまうのである。

そんなときに言葉の力によって自己が神の子であることを強調し、
「われは神の子であり、神の愛に強く支えられているから如何なる困難をも
克服し得るのである。神よ、あなたの愛に感謝いたします」

と、くりかえし念ずることは信仰を更に強め困難を乗り切る力を与えるのである。


            <感謝合掌 平成28年1月17日 頓首再拝> 

困難を克服する言葉 - 伝統

2016/01/26 (Tue) 03:42:00


          *「幸福を招く365章」(P226)より

困難に面したときは次の如く念ずるがよい。

「吾れは一切のものの創造主(つくりぬし)にましまし、
吾が父にまします神が常にわれを護りたもうことを知るのである。

神の愛はわれを取り巻き、わが内にも外にも行きわたりて我(われ)を護りたもうがゆえに
われは常に健康であり、われは常に幸福であり、わが事は必ず成就するのである。
 
困難とみえ、病気とみえるのは仮相(かそう)であって
本当の相(すがた)ではないのである。

吾れは神の創造(つく)りたまいしこの世界が常に善に、今も善に、永遠に善であり、
常に調和していることを知るのである。さればわれに敵対する者は何一つあり得ないのである」

            <感謝合掌 平成28年1月26日 頓首再拝> 

乗り越えられる試練しかやってこない - 伝統

2016/02/05 (Fri) 03:39:08


   *「強運のつかみ方 1%の幸運を100%手に入れる」橋本京明・著(P39~41)より

「なんで自分ばかり、つらい目に遭うんだろう」と思うことが度重なると、
損した気分になるかもしれません。

しかし、本当のことを言うと、「これでもか」とつらい出来事がやってくる人こそ、
潜在的に高い運気の持ち主なのです。

試練を乗り越えられない人には、困難やトラブルは起きないからです。
もともと乗り越えられない人は平凡な人生を送ります。

「そんなことを言われても、自分には試練を乗り越える体力も気力もない」
と思われるかもしれません。

そんなときは、思い出してください。
この試練は自分で決めてきたものです。
そう、人生の台本に書いてきたのです。
その試練にきちんとした意味を持たせて。

ですから、今つらい、苦しいと思っている人は、
「自分は必ず乗り越えられる。それだけの強運を持って生まれてきたんだ」と考えて、
試練に向き合ってみてください。

試練を乗り越えられたら、もう二度と同じ目には遭いません。
それどころか、よくがんばったご褒美として、
倍以上の幸せが舞い込んでくるでしょう。


つらい、苦しいことはイヤだと顔を背け、
向き合うことを拒否して逃げてばかりいると、
そのうち「逃げるくせ」がついてしまいます。

たとえば、会社に苦手な人がいるからといって別の会社に転職すると、
そこにも苦手なタイプの人がいた、というような話はよく聞きますが、
逃げても逃げても結局は乗り越えるまで、
何度でも同じことがやってくるようになるのです。


まるで、できるまで何度でも受けなければならない
追試テストを受けているようなイメージです。

わずらわしい追試テスト(試練)は、しっかり勉強して(向き合って)、
早く片付けて(乗り越えて)しまいましょう。

そんなあなたに運は味方してくれるはずです。

           <感謝合掌 平成28年2月5日 頓首再拝>

勝利者としての確信  - 伝統

2016/02/12 (Fri) 04:35:41


          *「幸福を招く365章」(P227)より

「われ常に人生に於て勝利す」というのがわれらの標語でなければならないのである。

一切の困難とみゆるものは、真に困難なのではなく、
我々の力を鍛錬して高め上げるための運動競技の道具である。

吾々はその運動競技の道具を跳び超えることによって、
内在する「神の子」の力をよりいっそう多く発揮することが出来るのである。

具体的な勝利は、勝利の確信の具象化であるのである。
勝利の確信なくして勝利したるものはないのである。

神がわが生命(いのち)であり、わが内に神いまして、
わが事業を導きたまい、わが肉体の健康を維持したもうのである。

これを信ずるとき、如何なる病も如何なる不幸もわれを害することは出来ない

            <感謝合掌 平成28年2月12日 頓首再拝> 

神の愛を自己を通して表現せよ  - 伝統

2016/02/20 (Sat) 04:58:08


          *「幸福を招く365章」(P228~229)より


周囲の人々が自分に対して悪意を抱いているようにみえるときには、
自分の方が周囲の人々に好意を持っていないか、冷淡であるか、敵意をもっているか、
恐怖心をもっているかが、相手に映って、そう現われるのである。

あなた自身が、

「自己の内に神の愛が流れ入りて、私というパイプを通して神が彼らを愛したもうのである」

と念じて、豊かに神の愛の言葉を、そして行為をあなたを通して周囲にそそぎかけるならば、
そのような敵意も恐怖も消えて周囲全体が調和ある状態に変化するのである。

どんな困難な事態でも、真に神の愛があなたを通して実現するならば、
調和が現れるほかはないのである。

            <感謝合掌 平成28年2月20日 頓首再拝> 

【問題を解決するために生まれてきた】 - 伝統

2016/02/27 (Sat) 03:16:13


         *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年02月26日)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   心というのは、何も考えていないと否定的なことを思ってしまうようにできています。
   だから、否定的なことが浮かんできたときには
   「それは実際に自分に起こることだろうか」と考えるの。

   起きてもいない問題に対して「どうしよう」と心配するのは、
   “それは実際に考えてない”から浮かんでくるんだよね。

   そして実際に起きた問題には行動して対処する。
   そうすれば問題は解決するんです。

   とにかく私たちは、この世に悩みにきたのではありません。
   問題を解決するために生まれてきました。

   その問題を解決することに挑戦したとき、
   パッと人生の道が開けて、そこに無限の可能性が必ず生まれるからね。

   だから、問題が起きたら一歩下がっちゃダメなんです。
   目の前の問題というドアをノックして開ける。
   するとそのドアの向こう側に道が開けるようになっているんです。

   それで、とにかくやってみる。
   何度もやってみるの。

   大きな問題を目の前にしたとき、「足が震えて、勇気が出ない」っていいう人がいます。
   でも、「勇気がある」というのは「震えない」ことじゃないんです。
   震えながらでも一歩踏み出すことが勇気なんです。

   何も怖がらない人というのは、ただ鈍感なだけです。
   あなたのように怖がりながらでも一歩踏み出したとき、
   いいことが必ず起こるんです。

   人前で話すコツなんかでも、ヘタな人ががんばって改良して、
   改良に改良を加えるからやっていると味が出て、うまくなるんです。

   最初から「私は人前でもあがりません」っていう人は、それ以上、うまくなりません。
   図々しくなるだけで、聞いているほうも共感しないんです。

   それよりも臆病な人が一歩一歩踏み出したとき、
   すばらしい話ができるようになるんです。

   とにかく心は何も考えないと、
   いろんな否定的なことが浮かび上がってくるものです。

   それを「そんなことない、そんなことない」って
   肯定的に捉えていくのが自分の役目なんだ、
   今世の仕事なんだと思ってやってみてください。

   そうすると、人生ってもっともっと楽しくなりますよ。

    <『地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ。』サンマーク出版>

                 ・・・

我々がこの世に生まれてくるときには、
自分に対して「何か課題を持って生まれてくる」という、生まれ変わりの理論がある。

つまり、学びを深くするために、問題や障害を自分で設定したということ。

次々に起こる問題も、自分がそれを設定したと思うなら、文句も言えない。


だからこそ、天から見れば、自分に起こる問題から逃げずに、
震えながらでも一歩を踏み出す人の得点が高いことになる。

「震えながらでも一歩踏み出すことが勇気」

真の勇気を持ちたい。

            <感謝合掌 平成28年2月27日 頓首再拝> 

《艱難(かんなん)の時には 先(ま)ず心を静かにせよ》 - 伝統

2016/03/05 (Sat) 04:08:33


          *『 生長の家 』(昭和25年2月19日)の法語より

   悩みが来た時には、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)しては ならない。
   人間智慧を あれこれ働かせて、余りごまかしをやってはならないのである。

   静かに心を落付けて 実相を観ずることが必要である。
   実相の世界には 悩みは存在しないのである。

   そして悩みのない世界から目覚めて来た 新しい智慧を以(もっ)て
   熟慮するのがいいのである。

   「 神は これを解決する道を知り給う。 」 と繰り返し 繰返し 心の中に
   念ずることが必要なのである。

   「 道 」 は 自分の内にあるのである。

   自分自身の内が顛倒(てんとう)していては、
   よき解決法がでて来る筈(はず)は ないのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

            <感謝合掌 平成28年3月5日 頓首再拝> 

思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ! - 伝統

2016/03/14 (Mon) 03:43:26


         *『生命の實相』第7巻より

今、汝の決心をすぐ実行に移せ。
思想はそれが実践せられるまではただの夢でしかない。

諸君に競争者があるか。あっても恐れることはない。
それはただ人間ではないか。 
行け! あえて行くところに道が開かれるのだ。

決意をもって進む人の前には、万人がひざまずいて奉仕しようと申し出るのだ。

困難、それがなんだ。
勇敢にそれを押しのけよ。

失意すべき時に失意せず、落胆すべき時に落胆せず、
勇気を失わずにあえて前進する者には困難が困難でなくなるのである。

人生は明快な決断力を有する人のためにのみ、
よい座席をあけて待っていてくれるのである。

不決断の人の前にはたとい空席があろうとも、彼がその座席に座るまでに、
ほかのいっそう決断力のある人がその椅子にかけてしまう。

勇敢なる人は自分の目の前にあらわれたる困難を、
そのまま神が自分に与え給うた「希望」実現のための踏み石として
感謝して受け、困難を踏み台としてなおいっそう前進する。

かかる人には困難はかえってその人の魂の向上の資料となる。

            <感謝合掌 平成28年3月14日 頓首再拝> 

《人生の問題は向上の段階》 - 伝統

2016/03/23 (Wed) 03:41:21


         *『 生長の家 』(昭和23年3月1日)の法語 より

   人生の問題は
   エスカレーター見たいなものである。

   それに乗る事によって
   人間の魂は進歩する。

   それを避ける事によっては
   人間は一層高き段階に上る事が出来ない。

   併し人間は完全な自由を許されているから、
   みずから進んで其のエスカレーターに乗らない事も可能である。

   併し問題を避ける事によっては
   人間は進歩しない。

   問題は 人間を一層高い世界へ誘う招待状みたいなものである。

   問題の解決は 唯 上昇の足場に過ぎない。
   いかにそれを扱うかの心境に魂の進歩がある。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html?type=folderlist

            <感謝合掌 平成28年3月23日 頓首再拝> 

【勇気づけがよき人生の未来をひらく】 - 伝統

2016/03/31 (Thu) 03:23:33


             *『致知』2012年4月号「順境を越える」より
               ~岩井俊憲(ヒューマン・ギルド社長)

 
   *   *   *   *   *   *

 長年、企業研修やカウンセリング業務を展開し「勇気の伝道師」として
 定評がある岩井俊憲さん。

 そんな岩井さんは、日本全体が「勇気欠乏症」と呼ばれるものが、
 ビジネスマンに溢れ、活力を失いあるといい、

 いまこそ人間を前向きにさせる「アドラー心理学」に学ばなければ
 いけないと力説されています。
 
 ※アルフレッド・アドラー(1870~1937)
 オーストリア生まれの精神科医、心理学者。
 世界で初めて児童相談所を開設するなど、多くの人々に影響を与え続けている。

   *   *   *   *   *   *

 
企業研修やカウンセリング業務を通してアドラー心理学の普及に努めている私ですが、
もともとは外資系企業に籍を置くビジネスマンでした。
 
20代で埼玉県に総檜造りの一軒家を構え、30歳で総合企画室課長兼人事課長に出世。

妻子とも健全でしたから傍目には順風満帆、
理想的なサラリーマンに映ったに違いありません。

ところが、ある時、この会社が経営不振に陥り、
どうしても人員整理が必要になってしまったのです。
 
総合企画室課長である私は再建プランを練り、それを遂行する立場にありました。
 
多くの同僚の再就職の斡旋のために奔走する中、
プラン策定者である私自身も去るべきかどうか悩み続け、
最後には辞意を決しました。
 
何不自由ない生活が突然、無収入になるわけです。
 
身を引き裂かれる思いで妻とは離縁、 
幼い二人の子供たちとも離ればなれに生活することになりました。
 
離婚協議書に基づいて
 
自宅は妻に渡し、退職金で住宅ローンを返済。
慰謝料と養育費を除くと手元に残ったのは10万円の普通預金のみでした。


私は人生にとって大切な家族と仕事と財産、この3つを一度に失ってしまったのです。
1983年、35歳の時の出来事です。
 
私は二間のマンションでゼロからの再スタートを切りました。
 
半年間の失業保険で食いつないでいこうとしている状態でしたが、
そういう時、サラリーマン時代に受けた人材研修で一緒だったお坊さんに

「給料は払えないけれども、飯くらいは食わせられる。
 私がやっている不登校児や非行少年の学習塾を手伝わないか」

と声を掛けていただいたのです。
 
我が子と別れたばかりで、
見ず知らずの子供たちと関わることには強い抵抗がありましたし、
なにせ教育は未知の世界です。
 
逡巡する私に、仏教の師匠と仰ぐそのお坊さんは言われました。

「岩井さん、道元禅師は”放てば手に満てり”とおっしゃっている。
 あなたの二人の子供は返ってこないかもしれないけれども、
 困っている子供や母親がたくさんいる。
 その子たちを我が子と思って、ひとつ教育してみないか」
 
この言葉が私を動かし、ボランティアで塾を手伝うことになったのです。
 
この頃、師匠の薦めで滝行や坐禅に打ち込み、父親と観音霊場巡りをしたのも、
仏教を心の拠り所に、絶望によって打ちのめされた過去の自分と決別したい
一心からだったからかもしれません。
 
まもなく、私は家庭内暴力を振るっていた地方出身の少年を
自分のマンションで預かることになりました。
 
常に不安に怯えていた彼は
夜中に突然私を叩き起こして、思いをぶつけることもしばしばでした。
 
その中で過去にひどい虐待を受けた事実を知り、ともに涙したことを思い出します。
 
彼も私もどん底からはい上がろうとする同志であり、
いつの間にか実の親子以上の強い絆のようなものが芽生えているのを感じました。
 
短期間預かる約束だったはずが、進学を希望する彼のために
夜遅くまで受験勉強を手伝い、無事大学に進学するまでの3年間、
面倒を見るまでになったのです。


師匠が言った

”放てば手に満てり”

という意味が何を意味するか、

この体験を通して実感として掴むめたように思いました。
 
 
後日談になりますが、
私は再婚して子宝に恵まれ、一軒家を購入できました。
 
別れた前妻の子供とも再会でき、成長を見守り続けることもできました。

 
すべてを失ったと思ってもそれは一時的な状態にすぎないのだ、
といまだから言うことができます。

            <感謝合掌 平成28年3月31日 頓首再拝>

「やってみよう! 」と挑戦した数だけ、うまくなる - 伝統

2016/04/10 (Sun) 04:37:10


         *「カンタン成功法則」斎藤一人・著(P165~166)より

スピーチに限らず、どんなことでも、最初から感心させるほど、上手な人はいません。
とにかく「数をこなしていくうちに」、上手になっていくのです。

「私はうまくできないから・・・」とか、「私には才能がないから・・・」とか
言い訳をして、人のことをうらやみながら見ている人は、本当にできないのではありません。

「挑戦する前から、あきらめている人」です。

とにかく、やってみること。
やってみれば、うまくいかない部分が出てきます。
次回は、そこを改良して、また挑戦すればいい。

やってみれば、みるほど、あなたは不思議な「勢い」がついて、
どんどん上達していく。
それを「加速の法則」というのです。

とにかく何度も挑戦し、数をこなしていくことが、あなたを飛躍的に成長させるのです。

            <感謝合掌 平成28年4月10日 頓首再拝>

難しいことにチャレンジし、うまくいく楽しみを味わう - 伝統

2016/04/21 (Thu) 04:07:49


         *「引き寄せの法則」斎藤一人・著(P188)より


難しいから楽しい
・・・「楽しい事がなかなか見つからないのです」という人がいます。
こういう人は最初から楽しさだけを求めているのかもしれません。

なかなかうまくいかない難しい事や困難なことにチャレンジし
それがうまくいった喜びや楽しさはひとしおです。

逆に最初から楽しいものは、本当の楽しみではないのかもしれません。

ある先生がこんな話をしてくれました。

釣り堀で簡単に釣れると思った魚が一匹も釣れず、
他の釣れてる客に色々聞いてやっと釣れた時は、思わずうれしくて涙がでたそうです。

釣りに限らず趣味というものはやればやるほど奥が深くだんだん難しくなるけれど、
それを乗り越えたときの悦びは何物にも代えがたいものがありますよね。

趣味だけでなく、何事にもチャレンジする喜びや楽しさをみつけたら、
それに勝るものはありません。――”楽しい”のスイッチは自分で入れる。

            <感謝合掌 平成28年4月21日 頓首再拝>

Re: 困難に戯れよ! - ooqfjjjnqMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:14

伝統板・第二
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ooqfjjjnq http://www.g67qpt16t5l89tp9bxlyqt742sz58213s.org/
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