伝統板・第二

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- 伝統

2015/04/12 (Sun) 03:40:00

*光明掲示板・伝統・第一「縁 (27)」からの継続です。
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=15

・・・


《ご縁とは 》

            *日本経済新聞(2015/3/29)文化面 より
             ~あさのあつこ


昔々、まだわたしが子ども、あるいは少女の範疇(はんちゅう)に入るころ、
町の中には一人か二人、“縁結びおばさん”みたいな人がいた。

娘や息子が結婚適齢期(今では死語になってしまった)、つまり女性なら二十代前半、
男性なら後半に入ると、親たちはそのおばさんのところに、“釣書”を持っていく。


“釣書”とは何ぞや? 

もともとは、系図との意味で使われていたらしい。
それが転じて履歴書となり、さらに転じて見合用の身上書となったらしいのだ。
詳しくはわからないが、浮世草子などには度々、何某が何某へ、
代々○○家の釣書を持参したという記述が出てくる。

江戸時代初期、幕府は武家諸法度違反、お家騒動、無嗣などを理由に、大名の改易を計った。
当然、禄(ろく)を失った武士、浪人が多数出現することになる。
彼らは仕官の口を捜し、今でいう就活のために、釣書を手に駆け回っていたのだろう。

現代と重なる姿ではないか。時代が変わっても、理不尽な定めに泣く人の有り様は同じ、
何も変わらないということか。

◎ ○ ◎

で、釣書に話を戻せば、“縁結びおばさん”のところに、それを持って行く。
身長、体重、学歴、職名、趣味、特技。まあそんなものを記して、
「うちの息子(娘)に相応(ふさわ)しい相手を探してくださいな」と頼み込むわけだ。

おばさんは縁結びの、言わばプロ。
「わたしに任せなさい」とばかりに胸を叩(たた)く
(このあたりはフィクションです。実際におばさん家に出向いた事はないので)。

おばさんは、仕分けしていた女性と男性の釣書を引っ張り出し、照合し、
これはと思う二人を組み合わせ、お見合いの段取りをする。

何のことは無い、結婚相談所の個人版みたいなものだろう。

ただし、今の結婚相談所のようにコンピューターで管理した情報を使い、
条件の合う者同士を選ぶなんてオートマチックな真似(まね)はしない
(結婚相談所がコンピューターを使っているかどうか、正直、知らないので、
このあたりもフィクションです)。

頼りとするのは、長年の縁結びで培った勘のみ。写真と釣書を熟視するだけで、
「あっ、この二人なら上手(うま)くいくわ」とピンとくる。
それくらいの勘の冴(さ)えがなければ“縁結びおばさん”は務まらない。

しかも、プロとはいえ縁結びで儲(もう)けようなんて下心がある者は失格。
“縁結びおばさん”には向いていないのだ。

“縁結びおばさん”はあくまでお節介で人が好きで、他人のお世話が性に合っていて、
なおかつ、カップル誕生を見届けるのを無上の喜びと言い切れる人でなければだめなのだ。

さらに言えば、この世にはお金に換算できない楽しみがあることを知っている人、
今の人生をそれなりに懸命に生きている人でなければならない。

別に“縁結びおばさん”憲章があるわけではないが、結婚に携わるからには、
やはり、明るく楽しくおもしろく、精一杯生きている人でないと……なんて、
勝手に思っているのだが。どうでしょう?


○ ◎ ○

大学時代の友人に纏(まつ)わる話を一つしよう。
友人の故郷は和歌山だったか、静岡だったか、ともかくさる地方の都市だった。

その都市にも、まだ、“縁結びおばさん”は存在していて、
お姉さんは、そういうおばさんの一人から紹介され、お見合いをした。
で、とんとん拍子に話は進み、あっさり結婚が決まった。

お姉さんは、鄙(ひな)には稀(まれ)な……じゃなく、都市にも珍しいほどの美女で、
頭も気質もよく、二人いる妹(上の妹が友人になる)のどちらからも、
こよなく愛され、尊敬されていた。

なにしろ、友人は「うちのお姉ちゃんぐらい美人なら、どこかの国の王妃になれるかも。
あのグレース・ケリーみたいに」なんて、半分本気で考えていたらしい。


◎ ○ ◎

しかし、現実の相手、花婿……は、
ずんぐりむっくりのイケメンとはほど遠いサラリーマンだった。

「何でお姉ちゃんがあんな人と結婚したのかわからない」と友人は1年近く嘆き続けた。
実際、お姉さんは、そのころ、若くて金持ちでイケメン男性からプロポーズされていたそうだ。

それを蹴って、真面目だけが取り柄(友人曰(いわ)く、である)の男と結婚した
お姉さんの心内を友人は図りかねたらしい。

しまいには「うちのお姉ちゃんて、馬鹿なの。美人だ美人だってちやほやされてきたから、
男を見る目が育たなかったのよ」とまで言い切るしまつ。

しかし、結婚して二年後、お姉さん交通事故に遭い、命に別条はなかったものの
長期入院を余儀なくされることとなった。生後半年の赤ん坊がいた。
諸事情が悪い方に重なり、その赤ん坊の面倒を見られる者がお姉さんの実家にも
旦那さんの家にもいない。それで、どうしたか?

旦那さんは会社近くの保育園に空きを見つけ、毎朝そこに赤ん坊を預け、
夕方迎えにいき、家に帰って食事とお風呂の世話をし、寝かしつけたばかりでなく、
ほぼ毎日、妻のいる病院まで抱っこして通った。

嫌な顔一つせず、愚痴も文句も言わず、いつも穏やかに微笑(ほほえ)み、
感謝を告げる妻に「当たり前だろ。父親なんだから」と事もなげに言ったそうな。

「男の中の男だね。お姉ちゃんの選択、間違ってなかった。それに比べ、あたしは……」と、
友人は己の短慮を恥じていた。

お姉さんもさることながら、“縁結びおばさん”の眼力もすごいとわたしは思う。
コンピューターではこうはいかなかった気がする。

人を結びつける直感と心意気を備えた“縁結びおばさん”のことを
耳にしなくなってから長い年月が経った。それが淋(さび)しい今日この頃である。


あさのあつこ: 作家。1954年岡山県生まれ。青学大卒。小学校講師を経て作家に。
        小説「バッテリー」と続編で野間児童文芸賞。
        著書に「たまゆら」「かわうそ」など。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「縁 (7277)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1479 

(2)光明掲示板・第三「縁 (108)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=49



                <感謝合掌 平成27年4月12日 頓首再拝> 

「縁を生かす」 - 伝統

2015/05/10 (Sun) 04:47:54


        *小さな人生論〈3〉「致知」の言葉 より


その先生が5年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。

中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。


ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない。
先生はそう思った。

2年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
3年生の後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、

4年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。

あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!
きょうはすてきなクリスマスだ」

6年生では先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、先生に少年から1枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから6年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。


10年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
5年生の時に担当してくださった先生です」


そして1年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。


<参考 you tube「『先生と少年』 ~35万人が涙した感動実話~ 」
    → https://www.youtube.com/watch?v=Wo1mMML1MOE >

            ・・・

月刊誌『致知』連載にご登場の鈴木秀子さんに教わった話である。

たった1年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。

無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。

大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

          『致知』編集発行人 藤尾 秀昭

                <感謝合掌 平成27年5月10日 頓首再拝> 

「ご縁文化」 - 伝統

2015/05/17 (Sun) 04:30:09

   *「『ご縁』という日本の最強のビジネス法則」釣島平三郎・著(P15~17)より


<はしがき>

『ネットワーキング』型のビジネスは『俺が俺が』と考え、かつて日本でみられた
労使一体の人の繋がりを大事にし、勤勉にこつこつ働く雰囲気から程遠く、
従業員も簡単に会社を辞める代わりに経営者も簡単に従業員をリストラするし、
お互いに職業倫理観を見失いがちになった。

モラルハザード(倫理の欠如)をおこし、一部の経営者は腐りきり堕落してしまった。


『立業問世』という古い言葉があり、これは仕事を通じて世間に貢献するという意味である。

この国の将来を託された若者たちが、ビジネスや仕事に生きがいをみつけ、
『世間に仕事で貢献したい』と切望することだが、またなぜ若者はこの気迫さえも
失いかけているのだろうか。

もしかしたら、若い人たちは「ご縁というものがあり、それが自分の人生に大きな力になる」
ことに思い至らず、現在の社会に失望しているのではないだろうか?


なぜならば、日本におけるビジネスに成功した人々には
「ご縁のおかげで生きがいをみつけ社会に貢献できた」と口にしている人がとても多いのだ。

(中略~例として、アサヒビール社長の瀬戸雄三さんや、出光興産創業者・出光佐三さん)

(さらに、著者は、日本人にとっての「ご縁」というものについて、以下のように述べます。)

先の東日本大震災に際して、あれだけの地震、あれだけの津波にあっても
被災された方々はじっと耐え忍び、助け合い、立ち上がり、震災後も支え合い、
お互いの痛みを分かち合いながら、限られた食糧を見ず知らずの他人と分かち合い、
感謝してきた。

若い方々も含め日本には『繋がりあうご縁文化』があることを
改めて実感した人も多いと思う。

私は、この大震災に際して、人の痛みも他人事でなく、
自分のことを犠牲にしてまでお互いに助けあった“人の繋がり”を大切にする尊い
『繋がりあうご縁文化』があり、その数々の行動によって、私たちは勇気づけられ、
日本人のDNAには『ご縁』が浸み込んでいるに違いないと再確認した。


日本人が考える「ご縁」には「まったく想定外の、個人の計らいを超えた
ミラクルのような、図らずも誰かが与えてくれる」ことがあるという考え方は、
欧米人には、理解できていない。

なぜこのご縁が我々ビジネスパーソンにとって、かけがえのないものかといえば、
ビジネスで問題が起きて困り抜いた時に、一所懸命努力を続けていると思わぬ時に
「ご縁のミラクル」が繋がり、問題が解決される不思議な力があるからだ。

仕事に壁を感じていたり、悩みを持っているビジネスパーソンの皆さんが
この「ご縁文化」にめざめ、大いにビジネスで活躍され成功されることを願う。

                <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝> 

日本のビジネスにおけるご縁文化 - 伝統

2015/05/24 (Sun) 04:14:55


   *「『ご縁』という日本の最強のビジネス法則」釣島平三郎・著(P32)より

日本人が「ご縁」を大事にするのは、古来の日本人が自然から恩恵を受けていると
感じてきたにあると思うし、現代人のDNAにも確実に引き継がれている。

(中略)

(例えば)いつも食べる二度三度のご飯は誰が料理するのだろうか?
その米は誰が作るのだろうか?
しかもその米はもとは稲という草の実だからご飯を食べるだけでも
いろいろな人たちの恩を受けていることになる。

だから我々日本人はビジネスでも
「他の人とのご縁なしでは成立しない」と自然に感じてきた。

人間だけでなくこの世はすべて縁で繋がっており、
「個々のものはそれだけでは存在できず、自分以外の一切のものによりかかっている」
という「縁起の法」の考え方が日本人には生まれながら心の奥に染み付いているのだ。

このことはビジネスの世界でも色濃く反映されている。
会社は顧客や従業員とのご縁で支えられていると考える経営者が多く、
その感謝の気持ちが日本独特の「おもてなし」と名づけられたCS(顧客満足)思想や
従業員を大事にする日本的経営へと発展している。

                <感謝合掌 平成27年5月24日 頓首再拝> 

「大才は、袖すり合った縁をも生かす」 - 伝統

2015/06/02 (Tue) 03:30:23

 「小才は、縁に出合って縁に気づかず

  中才は、縁に気づいて縁を生かさず

  大才は、袖すり合った縁をも生かす」

 (徳川将軍家の剣術指南を務めた) 柳生家の家訓、


   *「『ご縁』という日本の最強のビジネス法則」釣島平三郎・著(P60~61)より

柳生家の家訓に、「大才は、袖すり合った縁をも生かす」とある。

松下幸之助さん自身もこのことばを最大限に実践された方で、
彼は学歴がなかったために常に謙虚で「素直なこころ」を信条として、
誰の話も「ふん、ふん」とよく聞かれた聞き上手だった。

「袖すり合ったどんな人でも将来は松下(現パナソニック)の商品を買ってくれる顧客になる」
と丁寧に応対されたそうだ。

わたしが友人から聞いた話だが、彼が車で松下幸之助さんのお供をした時、
車が電気店の前を通ると、「ありがとうございます」と
松下幸之助さんは手を合わせて電気店に向って頭をさげておられたそうだ。 

「見ず知らずの電気店でも必ず松下の商品を売ってくれているのだ」という
松下幸之助さんの言葉を友人が聞いて鳥肌が立ったと言っていた。

私はこの心構えこそ、「大才は、袖すり合った縁をも生かす」ことに通じるのだと思い、
大きなビジネスに成功する秘訣だと感心したものだ。

吾々の職場でも日々人と人との出会いの繰り返しである。
その出会いのご縁を次のビジネスに向って生かしていきたいものだ。

                <感謝合掌 平成27年6月2日 頓首再拝> 

スモールワールド - 伝統

2015/06/08 (Mon) 04:14:07


   *「『ご縁』という日本の最強のビジネス法則」釣島平三郎・著(P65~68)より

我々はなにかご縁で繋がっており「世間(世界)は狭い」と日常よく実感することがある。

これを実証しようと
ネットワーク理論で「面白い実験」を行なった学者がいる。

それはアメリカの社会心理学者ミリグラムで「世界中に現在70億人の人が住んでいるが、
まったく知らない人同士が何人の人を紹介すればご縁が繋がるのだろうか?」という
「人と人の距離」の長さを調べる実験(手紙を送るという実験)である。

1967年に彼が実施した「スモールワールド実験」と言われるもので、実験の結果、
「世界は狭い」ことが証明され「6次の隔たり」という言葉が生まれ、
「奇縁」も偶然でなくかなりの確率で起こるものであることが分かってきた。

その後、この実験を追試する意味で、「Eメールで最終の目標者まで、どの程度の人を仲介
すれば到着するか?」の事件を行なった。その結果はミリグラムの実験とほぼ同じ
5~7人を仲介して届けられており、

「世界中の人々が6人程度の人を仲介すればお互いのご縁が繋がる」結果が得られ、
我々が日常会話でよく言う「世界は狭い」ということがあらためて証明された。

(中略)

(しかし)この6次の隔たりであらゆる人が繋がっているからとはいえ、すべての人々に
影響を及ぼせるものではない。それは「3次の影響ルール」があり、1次、2次、3次と
繋がるにつれ影響力は弱まり、3次以上の人には影響力を及ぼせないからである。

(中略)

たとえ革新的なアイディアや口コミ情報でも3次までしか影響力がないが、我々がこのルール
を知ることで大きな意味があり救われる面もある。

交流サイトなどの普及により新たな《電縁》というご縁が生まれ、これにより世界がますます
狭くなり、世界中がご縁で繋がっていることが実感できるようになった。

この2つの法則をビジネスに応用してひとりの共感の「口コミ」が急速にその商品の知名度
を上げた例もあり、また影響力が伝播しなかった例もあるので、
我々も心しておく必要がある。

・・・

<参考Web>

(1)スモールワードとチャンス発見
   → ymatsuo.com/papers/cdkaisetsu.pdf

(2)ディズニー「It's a small world (イッツ ア スモール ワールド 小さな世界)」
   → http://americanlife4u.com/song.itsasmallworld.php


It's a world of laughter
A world of tears
It's a world of hopes
And a world of fears
There's so much that we share
That it's time we're aware
It's a small world after all

--<*>--
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small world after all
It's a small, small world
-------

There is just one moon And one golden sun
And a smile means
Friendship to ev'ryone
Though the mountains divide
And the oceans are wide
It's a small world after all

<*>


世界中 だれだって 
ほほえめば 仲良しさ
みんな輪になり 手をつなごう
小さな世界


世界はせまい 世界はおなじ
世界はまるい ただひとつ


世界中 どこだって 
笑いあり 涙あり
みんなそれぞれ助け合う 
小さな世界


世界はせまい 世界はおなじ
世界はまるい ただひとつ

by 『イッツ・ア・スモールワールド』の歌詞


               <感謝合掌 平成27年6月8日 頓首再拝> 

【縁尋機妙(えんじんきみょう)】 - 伝統

2015/06/14 (Sun) 04:30:39


         *「人の心に灯をともす(2009年10月12日)」より


   実践の哲学者森信三先生の言葉に

   「人は一生のうち
   逢うべき人には必ず逢える
   しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」

   嫌な人との出会いも、やってくるトラブルも
   大小の病気も、耐え難い困難も
   どん底に落ちるような悲しみも

   そして
   逢うべき人とも、自分にぴったりの天職も
   人もうらやむような幸福も、ワクワクする出来事も
   ウキウキするような楽しいことも

   一瞬早すぎず
   一瞬遅すぎない時にやってきます

   全ての事象はその人にとって、意味があり、必要なことだと言われています

               ・・・

あの安岡正篤師が紹介した言葉に

縁尋機妙
(えんじんきみょう)
多逢聖因
(たほうしょういん) 
(宝苑珠林より)


《縁尋機妙》
良い縁は次から次へと良い縁を結んでくれます
縁とは誠に不思議なもの、計らざるものです

《多逢聖因》
結果には必ず原因があります
いい人との出逢い
いい書物との出会い
いい師との出会い
気のいい場所との出会い
それら全てが良い結果を創り出すのです


悪い人と会っていれば
悪い人たちとの縁ができてしまいます

いい人と会っていれば
いい人たちと縁が結ばれます


肯定的で、明るくて、前向きのプラスの言葉ばかりを使っている人には
前向きでプラスの人ばかりが集まってきます


否定的で、暗くて、批判的なマイナスな言葉ばかりを使っている人には
批判的でマイナスな人ばかりが集まります


いい人とも、善き事とも
絶妙のタイミングで出会います

しかし
それを引き寄せているのは自らが作り出した縁です

良縁は良縁を引き寄せます

               <感謝合掌 平成27年6月14日 頓首再拝> 

悪い縁を断ち切り、良き縁を深める - 伝統

2015/07/10 (Fri) 03:23:09


            *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)より

人生の中では、さまざまな縁に出会います。
親きょうだい、学校の友人、職場や取引先、結婚相手、ご近所…。
ほとんどの縁は選んだ、というより「そうなった」としか思えません。

しかし、「縁は自分の努力や行動で動かせる」のです。

たとえばこんなイメージを想像してみてください。
地表から空までには、いろんな高さのところに縁が流れている。

高いところには良い縁がたくさん流れています。
低いところには悪い縁があなたを誘っている。
縁は平等に流れていますが、そのどれと結ぶかは自分次第なのです。

縁はたくさん結べばいいというものではありません。

悪い縁を断ち切り、良き縁を深めていく。

               <感謝合掌 平成27年7月10日 頓首再拝>

運と縁 - 伝統

2015/07/17 (Fri) 04:10:06

    *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)(P22~24)より

(1)人生は「運」ではなく「縁」で決まる。

(2)運と縁は別もの。

(3)縁は誰のもとにも平等にやって来るもの。

  ①それをつかむか逃すかは自分次第。
   流れている縁を結ぶための準備はいつもしていなければなりません。

  ②縁は自分の努力や行動で動かせる。

(4)縁の行方を示すものが運。

   一旦結ばれた縁が、どこに運ばれていくのか。
   長く続いていくのか、それとも立ち消えになっていくのか。
   その縁の行方を示すものが運ではないか。

               <感謝合掌 平成27年7月17日 頓首再拝>

いい縁を結ぶためには、まずなにをすべきか? - 伝統

2015/07/24 (Fri) 03:53:28


          *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)より

「三業を整える」。

三業とは
「身業(しんごう)」
「口業(くごう)」
「意業(いごう)」の3つで、

まずは身体を整えるために
清潔感ある服装を心がけ、佇まいをきちんとし、所作を整えること。

さらに誰に対しても、常に思いやりのある言葉をかけることを忘れない。
言葉使いは、正しく美しく。

そして、意を整えるとは、偏見や先入観をはいし、
ひとつのことにとらわれることなく、どんな時も柔軟な心を保つ。


身と口を整えることで心も整い、
三業が整った人のもとには自然とよい縁が集まってくる。

               <感謝合掌 平成27年7月24日 頓首再拝> 

いいと思う人の真似をする - 伝統

2015/07/31 (Fri) 03:12:21


            *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)より

「あの人はすばらしい人だ、自分もあんな人になりたい」と
思える“いい人”の立ち振る舞いや考え方をしっかり観察し真似てみることなんです。

真似というとあまり良くないようなイメージですが、
真似することが自分を高めていく近道なんですね。


永平寺の貫首を務められた、宮崎奕保禅師も次のような言葉を残されています。

一日真似すれば一日の真似
二日真似すれば二日の真似
しかし一生真似すれば本物だ

この人のようになりたいと思える人がいたら、その人の真似をしてみる。

最初は難しいかもしれませんが、継続することにより理想の人物に近づき、
さらに周りにもよい縁がどんどん膨らみ、よい縁の輪ができ上がっていくようです。

               <感謝合掌 平成27年7月31日 頓首再拝> 

【だれに必要とされているか】 - 伝統

2015/08/12 (Wed) 04:27:04


             *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年07月23日)」より
   
   (萩本欽一さんの心に響く言葉より…)

   ちょっとだけ自分の仕事のことを振り返ってみると、
   わりあいうまくいったことも多かったんじゃないかな。

   それはなぜだろうって考えたら、一つ答えが見つかりました。

   それは、あんまり好きじゃなかったから。


   僕、子どもの頃から映画で見ていたチャップリンさんは大好きだったけど、
   コメディ自体が好きでこの世界に入ったわけじゃないんですよね。

   華やかな世界というのも、どちらかというと苦手だった。

   じゃあなぜこの世界にやってきたかというと、
   ただただ貧乏から抜けだしたかっただけ。
   借金取りに頭を下げている母親がかわいそうで、家を建ててあげたかっただけ。

   「笑い」に心の底から惚れていたわけじゃない。

   でも、かえってそれがよかったんだと思います。


   浅草の劇場でのお芝居も、テレビの仕事もラジオの仕事も、
   最初は「不得意だな~」という地点から始まったの。

   でも、真剣にやっていると、「ぜ~んぜんいやじゃないな」になってくる。
   少しずつ、苦手なことができるようになってくるんですよね。

   逆に言うと、人って、いやなことをやっていないと進歩がない。
   運の神様は、もがき苦しみながら不得意なものに取り組んでいる人にやさしいみたい。

   僕の場合も、苦手なことのなかに、運は落ちていました。

   だけど、苦手、不得意を克服して、
   「楽しい」になってくると、落とし穴に落ちるんです。

   たとえば「海外ロケ」なんていうとみんなたいてい楽しそうにしているけど、
   僕は時間が空いても観光はいっさいせず、
   意識して「楽しまない」ようにしていました。

   お金をいただいて仕事で行っているのに、
   楽しんじゃったら罰(ばち)が当たるって思ってたの。


   なんの仕事でも同じじゃないかな。

   難関を突破して憧れの会社に入っても、
   始めは会議のための資料コピーとか、お茶の用意を命じられたりしません?

   でも、そこで「こんな雑用をするためにこの会社に入ったんじゃない」なんて思うと、
   運の到達は遅れます。


   無駄なことをするのをいやがらないかどうか。

   これでその人の将来がわかっちゃう。

   「いやだな」と思う人は、たとえその会社で偉くなっても、
   「なんでもっと上の地位じゃないんだ」と思うんじゃないかな。


   「いやじゃないな」と思う人は、どんなことでもいやがらず
   積極的に取り組むので、どんどん仕事ができるようになる。

   そのときの損、得じゃなくて、
   自分の目の前にやってきたことを精いっぱいこなしていく人に、
   運は近づいてくるんです。


      <『続 ダメなときほど運はたまる』廣済堂新書>

             ・・・

萩本欽一さんは、昔、世話をしたことのある、
映画監督になりたくてフランスに留学した、ある若者から相談を受けた。

フランス語もできないのに、何度門前払いを食っても、
あきらめずに1週間通い続けた画廊(パリと銀座に店がある)に雇ってもらい、
10年間、留学を続けたという。

映画の学校に通い、もうすぐ監督になれるところまできた、ちょうどその時、
画廊の社長から「自分のあとを継がないか?」、と言われ、
迷いに迷って、意見を聞きに来たという。


萩本さんは、

『「ばかだな~、人生っていうのは自分がなにになりたいかじゃない。
だれに必要とされているかなんだ。アルバイトで入った画廊の社長さんに、
あとを継いでほしいって言われるほど惚(ほ)れられるやつって、おまえのほかにいる?
おまえの監督作品なんてだれにも必要とされてないし、僕も期待してないよ」

この言葉が決定打だったかは知らないけれど、彼は画商になりました。

彼は画商になってから、女性誌やテレビで紹介される、世界的に活躍する美術商になっちゃった』
(同書より)


何かを決めるとき、それを損得とか、好きとか嫌いとかではなく、
その時、その時の運命のような「ご縁」を大切にしたとき、運はたまる。

つまり、目の前にやってきた大事な「ご縁」をないがしろにせず、
ただひたすら精いっぱいやったとき。


鋭(するど)い人や、頭のいい理屈に長(た)けた人は、これがなかなかできない。

できるのは、自分の損得に鈍(にぶ)い、少しボーっとしている人であり、
自分のことより先に、人の喜びを考える人。


「なにになりたいかではなく、だれに必要とされているか」

ご縁を大切に、目の前にやってきたことにひたすら取り組む人でありたい。


               <感謝合掌 平成27年8月12日 頓首再拝> 

なぜか、お金もチャンスもやってくる「ご縁の法則」とは? - 伝統

2015/08/19 (Wed) 04:25:21


           *Web:DIAMOND online(2013年6月18日)より

《「良い縁が、良い円を生むんだよ。
だから、人の縁を大事にしなさい」という言葉に気づかされる》

12年間の客室乗務員(CA)を辞めた後、
「CS(お客様満足)向上コンサルタント」になったからといって、
私はすぐに仕事に恵まれたわけではありません。

CAをやめた当初は仕事も少なく、
週に一度、講師として登壇するかしないか、といった程度でした。

経済的にもラクではなかったので、将来に対する、心配とも期待ともつかない
気持ちを消化できなかったこともあります。

そんな折、懇意にさせていただいている経営者(Cさん)とお話する機会がありました。

私がつい弱音を吐いてしまうと、その方はこう言って、
私の悩みを取り除いてくださったのです。


「良い縁が、良い円を生むんだよ。だから、人の縁を大事にしなさい」


このCさんの言葉を聞いて、目が覚めた思いがしました。
私は「円(お金)を稼ぐこと」や「仕事をいただくこと」に、
気をとられすぎていたことに、気がついたからです。

Cさんが言うように、私に足りなかったのは、「人とのご縁を育むこと」でした。

その後、「円を求めず、縁を求めよう」と考えをあらためると、
すぐに研修会社の営業担当者(Sさん)からお電話をいただきました。研修の依頼です。


「急な仕事ですが、引き受けてくれませんか?」


詳細をうかがうと、
「明日、予定していた講師の都合がつかなくなったので、ピンチヒッターをお願いしたい」
といいます。

ところが…、いつもだったらスケジュールの都合がつく、その当時の私が、
その日にかぎって、すでに、別の研修講師の仕事が入っていました。



《目の前の困っている人を助けること=縁をつなぐこと》

このとき私は、
「明日は、別の研修講師の仕事があるので、大変、残念ながらお引き受けできません。
また、次回、どうぞ、よろしくお願いいたします」とだけ言って、電話を切ることもできました。


けれど「縁を大事にしていこう」と決めたばかり。


そこで、私は「あいにく私は、別の研修講師の仕事で都合がつけられません。
けれど、どなたか引き受けてくださる講師を探すお手伝いを、私もします」と申し出ました。


私は、「目の前の困っている人を助けること=縁をつなぐこと」だと思ったのです。


何人かの知り合いの講師に電話をかけ、
数時間後、代役の講師をなんとか見つけることができました。
Sさんには、とても喜んでいただけたのです。

そして後日、私は、Sさんから意外なお声がけをいただくことになります。
私に「大学での講座を、受け持ってほしい」というのです。

もちろん、当時の私は、大学で教えた経験はありません。
けれどSさんは、「あのときのような行動力があれば、必ずできます」
と見込んでくださいました。

私は「縁を大事にしたこと」で、「大学で教える」というチャンスをいただいたのです。


「円を求めず、縁を求めよう」という思いがなければ、
「別の仕事が入っているので、できません」と断っていたはずです。
代役の講師を紹介することもなかったでしょう。


けれど、Cさんに気づかせていただいたおかげで、
「縁」を求め、「Sさんの力になりたい」という気持ちに至ったのです。


《ご縁は、つなげばつなぐほど、「大きなチャンス」となって、自分に返ってくる》

「忙しい」は、縁を切る言葉です。
「忙しい」が口グセの人は、やがて声がかからなくなり、
「縁(人間関係)」が途絶えてしまいます。

「紹介した人がもめ事でも起こしたら、自分の責任になるのではないか」とおそれ、
「人を紹介する」ことに消極的な方がいます。


ですが、目先の損得勘定にとらわれずに、
「人と人の縁を結びつける人(紹介をいとわない人)」もいます。

たとえば、人気セミナー講師で、『30分で英語が話せる』(ダイヤモンド社)
の著者であるクリス岡崎さん。

パーティー会場で手持ちぶさたにしていた(知り合いがいなくて、さみしい思いをしていた)
私に気づき、たくさんの方を紹介してくださいました。

クリス岡崎さんが、多くの仲間に恵まれているのは、
ご自身が、たくさんの「人と人との縁をつないでいるから」だと思いました。


「チャンスは、縁から生まれる」。私は、そう信じています。


ビジネスチャンスに恵まれるには、
「自分からご縁をつないであげられる人(=紹介する人)」になることが大切です。


良い縁が、良い円を生みます。
ご縁をいただいたら、自分のところでため込まない。
みずからも積極的に、新しいご縁をつないでいきましょう。

ご縁は、つなげばつなぐほど、どんどん大きく広がって、
やがて、信じられないような「大きなチャンス」となって、自分に返ってきます。

私はこれを「ご縁の法則」と呼んでいます。

http://diamond.jp/articles/-/37256


               <感謝合掌 平成27年8月19日 頓首再拝>

<ご縁>には<良縁>と<悪縁>がある - 伝統

2015/08/26 (Wed) 04:05:11


          *Web:Trinity WEB(2012.07.07)より抜粋

スピリチュアル的には出会いにはすべて意味があると言われています。
そこで、勘違いしてしまう人がいるので要注意なのですが、
<ご縁>は、<良縁>だけではないのです。


<良縁>は、どんどん増やして、出会った人から良い気を受け取って、
学びを得て、それらを取り入れて行けば良いのです。


問題は<悪縁>です。

出会いに必ず意味があるなら<悪縁>なんて実は存在しなくて、
今は分かち合えなくてもいつかきっと「仲良くなれるはずに違いない」、
と思い込もうと努力をする人も少なくありません。

確かに、その努力は素晴らしいのですが、それは<絶対>では無いのです。
嫌いな人や苦手な人がいても良いのです。
どうしても好きになれない人がいても悪いわけではないのです。

では、そこに何の意味があるのでしょう。
理想は、その<悪縁>を<良縁>に変えることかもしれません。

ただ、それだけではありません。

戦わなければならないこともあると学ぶための<縁>かもしれません。
逃げる(距離を置く)ことでバランスが取れることもあると
学ぶための<縁>かもしれません。

自分自身が犯してきた過ちやネガティブな側面を、
客観的に見て学ぶためかもしれません。

<悪縁>は、決して楽しい<縁>ではありませんが、
自分の魂のレベルを向上させるために<ご縁>が繋がってしまうこともあるのだ
と覚えておくと良いでしょう。

但し、繰り返しになりますが、
関わり続ければ良いというわけではないので注意してくださいね。
場合によっては、<ご縁を切る>ということを学ぶのも、魂にとっては必要なのです。

               <感謝合掌 平成27年8月26日 頓首再拝> 

男女の縁は、結ぶときはゆっくりと - 伝統

2015/09/07 (Mon) 04:39:39


            *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)より

頑張らずとも誰もが結婚できた時代から、恋愛市場が自由競争に変化して以降、
さまざまな理由から、むしろ縁を結びにくい時代が続いている。

いい縁を結ぶことはますます難しくなり、そして離れることは簡単だ。
枡野氏はせっかくの縁を見過ごさないよう、常に心の準備をしておくことをすすめている。

「何となく、好きかもしれない」という人から「今度、ご飯でも」と誘われたとする。
「どうしようかなぁ」と少しもったいぶる気持ちがわくかもしれないが、
多くの場合、「今度」という日は二度とやってこない。

人生は一期一会。嫌いな人でなければ警戒心を解き、
心の扉を開いて誘いに乗ってみることで、運をつかむことができるのだ。

そして、その人と本当に縁があるのかどうかをすぐに見極めようとせず、
しばらくはその縁を「ながめて」おく、心にゆとりをもつことが大切だという。

「ご縁があるなら、きっと運が導いてくれる」。
誘いに応じて細い縁をつなぎつつも、おおらかな気持ちで、
静かに待つ時間をもてるように心がけよう。

さらに、恋が始まったら、相手には求めすぎないこと。
自分を100%わかってもらおうと焦るのではなく、80%ぐらいわかり合えればよしとすること。

恋に陥ると人はつい自分を見失い、自分を押しつけがちになるものだが、
そこは自分本位にならずにグッと押さえて。

最初は60%ぐらいからゆっくりじっくり、縁を深めていく過程を大切にせよとのことだ。


               <感謝合掌 平成27年9月7日 頓首再拝> 

【自らの運命をひらくには】 - 伝統

2015/10/18 (Sun) 04:40:10


         *「人の心に灯をともす(2015年09月18日)」より

   (藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)

   運命とは定まっているものではない。
   自ら運び、ひらいていくものである。

   それをなすのが教育である。

   教育は心のコップを立てることから始まるといっても過言ではない。

   心のコップが倒れたり引っくりかえったりしていては、
   いくら水を注いてもこぼれるばかりである。

   まず心のコップを立てる…運命をひらく第一条件である。


   第二の条件は、決意すること。
   
   小さなことでいい。
   小さなよきことを決意する。
   そこから運命の歯車は回転していく。

   そして決意したら、それを持続すること。
   花は一瞬にして咲かない。
   木も瞬時には実を結ばない。

   自明の理である。


   次に、「敬するもの」を持つこと。
   「敬するもの」とは人が心の中に持った太陽である。
   すべての生命は太陽に向かって成長する。

   心もまた敬するものを持つ時、それに向かって成長する。


   最後に、「縁」を大事にすること。
   縁を疎(おろそ)かにして大成した人は一人もいない。


   「不幸の三定義」というのがある。
   友人の西田文郎氏から聞いた。


   一、決して素直に「ありがとう」といわない人

   二、「ありがとう」といっても、恩返しをしない人

   三、「ありがとう」と唱えただけで恩返しはできたと思っている人


   縁のある人に、この逆のことを心がけていくところに、運命をひらく道がある。

   心したいことである。

            <『小さな人生論 2』致知出版社>

               ・・・

幸運の三定義とは、「不幸の三定義」(西田文郎)の逆をすること。

一、素直に「ありがとう」をいう人

二、「ありがとう」といって、恩返しをする人

三、「ありがとう」と唱え、恩返しを形に表す人


「縁尋機妙(えんじんきみょう)多逢聖因(たほうしょういん)」(宝苑珠林)

安岡正篤師が紹介した言葉だ。

「縁尋機妙」とは、良い縁は次から次へと良い縁を作ってくれるということ。

縁とは誠に不思議なものであり、思いがけないもの。


「多逢聖因」とは、結果には必ず原因があるということ。
良い人と出会えば、良い運命に出会えるし、
悪い人たちと縁を結べば、悪い運命が待っている。


自らの運命をひらくには、まず、心のコップを立てるという「志」を立てること。

そして、「志」が決まったら、肚を決め、それを継続すること。

それから、尊敬する人や自分の師を持つこと。

最後に、最も大事なことは、「縁」を大切にすること。


何事にも感謝し、ご縁を大切にする人でありたい。

               <感謝合掌 平成27年10月18日 頓首再拝> 

3つの因縁 - 伝統

2015/11/11 (Wed) 04:23:50


     *「わたしが神さまから聞いた人間関係の裏ルールをお話しします。
       The Secret Rule 」井内 由佳・著 (P148~153)より


(1)因縁は大きく3つにわかれます。
   《「孤独の因縁」「貧困の因縁」「色情の因縁」》です。


(2)「孤独の因縁」とは、一人っ子だったり、親兄弟と縁が薄かったり
   家庭に恵まれなかったりすることや、周りに意地悪な人がいていじめられるなど、
   孤独感を味わわなければいけないような人生を送りがちというものです。


(3)「貧困の因縁」とは、お金の悩みが尽きず、働いても豊かになれなかったり、
   一族で保証人に倒れることがよくあるなど、お金で苦しむ人生を送りがちというものです。

  
(4)「色情の因縁」とは、男女関係のもつれだけではなく、
   なぜか悪い相手とばかり知り合い、惹かれて不幸な結婚をするなど、
   恋愛、結婚で苦しむ人生を送りがちになるというものです。

                ・・・

   誰しもいずれかの因縁を持っている事が多く、どの因縁も持っていないという人は、
   これまで相談に乗った人にはいらっしゃいまでした。


(5)「孤独の因縁」を断ち切るために

   自分の都合より、相手の都合を優先することを心掛けましょう。

   「自分を大切にしよう、人の犠牲になることなんてない」と書いている本もあります。
   しかし、犠牲になることはないにしても、自分を大切にすることと、
   人のために尽くすことが同じ方向であるような人を神さまはお好きです。

   人のために尽くすことは自分を犠牲にすることだと捉えるのが、
   孤独の因縁を深めるのです。


(6)「貧困の因縁」を断ち切るために

   人が見ている見ていないにかかわらず、一生懸命働くことを心がけましょう。
   そして、「お金がない」という口癖を持っていたら、言わないようにするのです。

   「お金がない」を言い訳にして、人として支払った方がいいお金を出さないような
   ことをすえうろ、人はわかってくれたとしても、神さまはそのことを見逃さずに、
   自分に後から返ってくるか、因縁という形で子孫に残ります。

   必死で働き、気持ちよく人のためにお金を使う、
   これが貧困の因縁を断ち切る大切な生き方です。

 
(7)「色情の因縁」を断ち切るために

   いまあるご縁(パートナー)を大切にし、自分の方が上だと思わないようにしましょう。
   パートナーがいない、もしくはなかなか恋人ができないという人は、
   自分のことを過大評価していないか、つまり理想が高すぎないか振り返ってみましょう。

   良縁というのは釣り合いが取れた縁のことをいいます。
   相手が良すぎる縁をつかむことを良縁とは言わないのです。


   (知識として)

   父親や母親を早くに亡くしたり、ギャンブル好き・借金を繰り返す親戚がいたり、
   同じような事情を持つもの同士が不思議と惹かれ合い、結婚までたどり着くパターンが
   多く見受けられます。

   同じ事情を持っているからこそ、お互いが断ち切りたい、
   改めたいとする方向が同じなので、協調して努力ができるのです。

   当事者同士だからわかりあえることも多く、結婚生活を送るために
   同じ努力ができる同士として、永く一緒にいることができるのです。


     → 《釣り合いの取れた結婚が、まとまりやすく、長く続く。》

               <感謝合掌 平成27年11月11日 頓首再拝> 

奇跡の縁に包まれている - 伝統

2015/12/10 (Thu) 04:43:46


       *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)(P3~4)より

この世の中に、まったく誰とも縁のない人間など一人もいません。
この世に生まれてくるためには、両親との縁が無ければなりません。
その両親にもまた親がいる。

延々と受け継がれてきたご先祖様方の縁があればこそ、
私たちはこの世に生まれることができるのです。

自分の代から10代遡れば、1024人のご先祖様がいる。
20代遡れば100万人を超えるご先祖様がいるといわれています。

そのご先祖様の一人でも欠けたとしたら、この世に生を受けることができなかったのです。
そう考えた時、いま自分がこうして生きているということは、
奇跡のような縁に包まれえているともいえるのです。

もちろん祖父母や両親は順番に旅立っていきます。
だからといってご先祖様とのご縁が切れたわけではありません。
受け継がれてきたご縁は、決して失われることは無い。

ご先祖様とのご縁に思いを馳せながら、こうして生きていることに感謝をすることです。

               <感謝合掌 平成27年12月10日 頓首再拝> 

縁は自分の努力や行動で動かせる - 伝統

2015/12/16 (Wed) 04:28:39


     *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)(P22~24)より


人生は「運」ではなく「縁」で決まる
そもそも気になるのが「縁」と「運」の違い。

「○○がダメだったのは運が悪かったから」など、
一見同じような場面で使いがちな2つの言葉ですが、まったく別ものです。

縁は誰のもとにも平等にやって来るもの。
それをつかむか逃すかは自分次第。
流れている縁を結ぶための準備はいつもしていなければなりません。

縁について語る時、私はいつも梅の木の説話をします。

ここに2本の梅の木があります。

1本の梅の木は、暖かな風が吹いてきたら、すぐに花を咲かせよう
冬の間から準備をしています。一生懸命に養分を蓄え、春の風をじっと待っています。

もう1本の梅の木は、冬の間には準備をしません。
まあ、温かな風が吹いてきてから準備をすればいいと思っています。


そうして2月のある日、突然暖かな春の風が吹きました。
ずっと寒い日が続いていたのですが、その日だけ春風が吹いてきた。
冬から準備をしていた梅の木は、待てましたとばかりに
その日に一厘の梅の花を咲かせました。

そしてもう一つの梅の木は、慌てて花を咲かせる準備に取り掛かったのです。

ところがその翌日は、再び真冬のような寒さが戻ってきた。
それでも一輪の花を咲かせた梅の木は、その勢いに乗って蕾が大きくなっていきます。

しあkし準備を始めたばかりの梅の木は、
とうとう十分に花を咲かせることができませんでした。


これが、因縁を結ぶことができた木と、
因縁を結べなかった木とに分かれたということなのです。

人間の縁もまた、この梅の木と同じことです。

《良き縁を結ぶために、いつもこころの準備をしている》


心を閉ざすことなく、損得ばかりを考えることなく、
色眼鏡や固定観念で相手を見ない。

毎朝笑顔で「おはようございます」と挨拶をする。

そんな心持こそが、縁を結ぶための準備だと私は思っています。


では、運とはどのようなものでしょうか。
それは、一旦結ばれた縁が、どこに運ばれていくのか。

長く続いていくのか、それとも立ち消えになっていくのか。
《その縁の行方を示すものが運ではないかと思います。》

               <感謝合掌 平成27年12月16日 頓首再拝> 

縁は「追いかけるもの」ではなく、「招き入れるもの」 - 伝統

2015/12/23 (Wed) 04:38:37


     *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)(P36~37)より


人間のご縁というものは、決して執着するものではありません。

どうしてもこの人と縁を結びたいと思う気持ちはわかりますが、
あまりにそこに執着してしまうと、結局は互いの心が離れていくことになる。

縁は一方通行では成り立ちません。
双方向に向ってこそ結ばれるものです。

自分はその人と縁を結びたいと願っているのですが、相手はそれを望んでいない。
それは、ただ縁が無かったというだけのこと。

《縁は「追いかけるもの」ではなく、「招き入れるもの」です。》

自分の立つ位置から外に飛び出して縁を追いかけても、
それは自分にとって良き縁にはなり得ません。

しっかりと自分の居場所に立ち、そこから行き交う人たちを招き入れる。
自分の立つ位置から離れることは、
すなわち自分自身の勘を信じないことと同じではないでしょうか。

これまでの人生で培ってきた自分の勘を信じること。
そしてその勘をさらに磨くために、美しい生活を心掛けることです。

自分の所作を顧みながら、良い縁を招き入れる準備をしておくことです。

               <感謝合掌 平成27年12月23日 頓首再拝> 

【味方の多い人】 - 伝統

2015/12/29 (Tue) 04:24:16


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年12月21日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   人との縁は、自然に切れることはありません。

   「袖すり合うも他生の縁」というとおり、
   出会った人とはすべて大事にすべき「他生の縁」がありますが、
   その縁が切れるときは、すべて気づかないうちに自分から切っているのです。

   出会ったときは名もなき若者であっても、
   10年後には社長になり、思いがけないところで助けてくれる人かもしれません。

   そう考えると、誰を大事にして誰を大事にしないということはできなくなります。

   出会う人すべてをあだやおろそかにできないのです。


   私はラッキーだった、ツイていたと言える人は、
   神仏、守護霊、宇宙を味方にしてきたということです。

   そして、ラッキーで運が良くて生きてきたというのは、
   「おかげさま」で生きてきました、と言っているのと同じです。

   「私」の力や実力で生きてきたのではなく、
   目に見える存在、目に見えない存在、
   みんなのお蔭で生きてきました、ということです。

   そして、物事の本質がわかっている人は、素直に人のお世話になることができます。

   自分ひとりでちゃんとやっているつもりでも
   たかが知れているということがわかってくると、
   人に甘えて生きるということができるようになります。


   「失脚」という言葉は、「脚」を「失」うと書きますが、
   この日本語はたいへん重要なことを教えてくれています。

   今まで支えてくれていた「脚」を失った状態を「失脚」と言っているのです。

   失脚という場合、その人はそれまで、自分の努力で自分の脚で立っていた
   と思っていたのかもしれませんが、実はその人を支え、押し上げてくれていたものから
   見放されてしまったということだったのかもしれません。

   人生という旅の中で出会った人すべてを味方にしていくことが人間の本質です。

   反対に、お世話になった人への感謝を忘れていると、
   もう支援をしてもらえないどころか、敵をつくってしまうことにもなりかねません。

   たとえ成功して自分の足で歩いていけるようになっても、
   その恩を忘れておそろかにしてはならないのです。

   人生は味方をつくっていく作業であり、味方をどんどん増やしていくと、
   その後の人生もずっと豊かで楽しいものになっていくようです。


   「ありがとうの法則」というのは、
   自分が自分の意志で生きているのではなくて、
   ありとあらゆるものの支援によって生きているということがわかること。

   「今まで、人に迷惑をかけずに生きてきたのに、
   どうして私は病気になってしまったのか」と言う人がいました。

   果たして迷惑をかけずに生きるということが可能なのでしょうか。

   自分が着ている服の糸一本さえ、自分で織ることはできません。

   お茶を飲むときの茶葉も、湯飲み茶碗も、自分で作っているという人は稀でしょう。

   それを載せている机も、床も…というように、
   ありとあらゆることに他者の力を借りながら生きています。


   「人に迷惑をかけない」という生き方も立派ですが、
   実は、そこにいくばくかの「驕り、高ぶり」が見え隠れします。

   人間は、ことほどさように迷惑をかけなければ生きていかれない存在なのです。

   ですから、「おかげさま」で生きてきた、と
   すべてのものに感謝をしながら生きていくほうが本質なのかもしれません。

          <『神さまに好かれる話』五月書房>

                ・・・

「成功する人は敵の少ない人ではない  味方の多い人だ」(五日市剛)

出会った人を敵にまわしてしまう人がいる。
いつまでも許さず、相手の欠点や失敗を指摘したり、高圧的に非難し続けるような人だ。
許しのない人は、トゲトゲと気持ちがささくれだっている。


反対に、出会った人出会った人がこぞって味方になってしまうような人もいる。
まるで春の風のように穏やかであたたかく、人の気持ちがわかる、感謝の多い人だ。


感謝が多い人は、「おかげさま」の気持ちで生きている人。

病気などで人様のお世話になったりすると、
「人は自分一人では生きられない」と、「おかげさま」という謙虚な気持ちなる。


味方の多い人でありたい。

               <感謝合掌 平成27年12月29日 頓首再拝> 

悪縁バッサリ! と - 伝統

2016/01/06 (Wed) 03:34:17

    *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)(P83~88)より

結んだ縁を、断ち切ったほうがよい場合もある。
DVなど、相手の存在によって自分の生活が脅かされるような場合、・・・。

これらの「明らかな悪縁」を感じたときは情に流されず、縁を切るべきだ。

悪縁を切るときは結ぶときとは逆に、曖昧さはいっさいもち込まず、
一度切った縁は二度と振り返ってはいけないのです。


性格の違う者同士が縁によって結ばれる。
少しずつ歩み寄りながら隙間を埋めていく。
それが結婚というものです。

その隙間を埋める努力をお互いに放棄した時、
その縁は切れるのだと思います。


縁は誰にでもやって来ますが、一度結んだその縁は、
お互いの努力で育んでいくのが良い。
その努力をしないままに、勢いに任せて縁を切ることはしてはいけません。

しかし、《 明らかな「悪縁」はすぐにでも断ち切るべきです。》

もし、それが「悪縁」でないならば、その縁は奇跡のように
自分のところにやって来たものです。
頭で斬ることを決めてしまう前に、自分の心に問いかけてください。

その縁があなたを幸福へと導いてくれるかどうかを。

               <感謝合掌 平成28年1月6日 頓首再拝> 

「あ・い・さ・つ」はもっとも簡単で新しいご縁のはじまり - 伝統

2016/01/17 (Sun) 03:54:01


 *「『ご縁』という日本の最強のビジネス法則」釣島平三郎・著(P69~70)より

あいさつは道具もなにもいらない。
それでいて出会いのきっかけを作る。
ご縁のきっかけを作ってくれるものだ。

職場でのあいさつはもちろんのこと、得意先や他社ではあいさつなくしては
仕事ははじまらない。終わりもまた然りである。


必要なものは我々の心がけであり、あいさつをしようとする意思であり、
あいさつをすること自体には損得勘定などはないと思う。
損得勘定でするあいさつはすぐに見抜かれて、それはあいさつではないといえる。

ちなみに
「あ」は明るく、
「い」はいつでも、
「さ」は先に
「つ」はついでの一言。

          <感謝合掌 平成28年1月17日 頓首再拝>

ワンランク上のご縁をつくる方法 - 伝統

2016/01/26 (Tue) 03:27:46


          *「強運のつかみ方」橋本 京明・著(P127)より

出会いを求めてセレブな人たちが集まるパーティに出かける人もいます。
しかし、裕福な人や有名人と出会えたからといって、
それが必ずしも「良いご縁」につながるものはありません。

人の縁は、手当たり次第につながっていくものではなく、
自然と引き寄せ合うものだからです。

たとえば、世の中に貢献している起業家たちと出会いたいと思うのなら、
まずは自分がその場にふさわしい精神レベルになるよう、自分を磨くことです。

その方法でしか、レベルの高い人たちとは出会えません。

自分を高めてくれる、ともに成長してワンランク上のステージへ
引き上げてくれるといった素晴らしいご縁をつくりたいなら、
まずは自分の目標に向ってしっかり努力、実践することです。

そのうえで知り合った人がいたならば、
その人のために自分は何を与えられるかを考えましょう。
「与える」ことを考えられるようになって初めて、運が上がってくるのです。

          <感謝合掌 平成28年1月25日 頓首再拝>

腐れ縁 - 伝統

2016/03/08 (Tue) 03:10:39


           *「心の眼」井出章彦・著(P162~163)より

縁として種々の関係(夫婦、親子、兄弟、友人、同僚、先輩、後輩等)がありますが、
大事なのはそのような形よりも、お互い助け合っていた仲であったか、
尊敬し合っていた関係であったのか、などです。

つまり、たとえ血縁関係などの深い関係であったとしても、憎しみ合ったり、
裏切り行為などをしていたという前世であったのならば、
良縁ではなく、腐れ縁と今世なります。

腐れ縁によって生じる様々な問題に対しては、
あなたは心を正しく謙虚な姿勢で日々生きていることで、
問題事から免(のが)れます。

情に流されたり慈悲魔となったり、ズルズルと引きずられ、そこから抜け出せないでいたら、・・・
しかしこれらは、あなたの心次第で抜け出せるのです。

まだそこにいる原因は、もしかしたらあなたの優柔不断な気持ちにあるのかもしれないのです。

欲の方に気持ちが向いていますと、なかなか離れられなくなります。
断ち切る勇気をもつのは、ほかの誰でもなくあなた自身なのです。

              ・・・

(筆者は、今の現象が起きている背景を知ることも必要になるかも知れませんと述べています。
 その場合は、そのような相談事を扱っている善意な人に尋ねるとよい、としています)

          <感謝合掌 平成28年3月8日 頓首再拝>

真実の愛が起こした奇跡の縁 - 伝統

2016/04/02 (Sat) 03:21:58


     *『これからの医療』小林健/ 増川いづみ/ 船瀬俊介/著(P282~288)より


秘密の話ですがどうしてもこのすばらしいお話を伝えたいと思います。
心してこのメッセージを受け取ってください。
 
今から18年くらい前の話です。

34歳の女性で私の大好きな患者さんから電話があり、彼女の父親が前立腺肥大で、
小便の難や疲労感に悩まされて不快な毎日を送っている、とのことでした。

彼はまた医者嫌いなので、彼女はお父さんに、信用しているヒーラー(治療師)がいるので
会ってみないか、と聞いたところ、彼は日曜日にイタリアに帰る為、
土曜日にしか時間がないとの返事でした。

私は週末には仕事をオフにしているので最初はお断りしたのですが、
彼女の強い要望により、その日に彼と会うことにしました。

不思議なことにそれから1時間くらい後に、別の方なのですが、
前述の女性ととても似ている感じの、ある患者さんから電話がありました。

彼女の母親が日曜日にロサンゼルスに帰ることになっているのに、
椎間板ヘルニアで飛行機に乗れそうもなく、膝も腫れ上がっているため
どうしても土曜日に会って治してもらいたい、と頼まれました。

もうすでに先ほどの患者さんと会うことになっていたのでオーケーしました。
 
土曜日の朝、11時頃オフィスに出たその時に、イタリアなまりの英語で電話が入りました。
なんとその日会うはずのお父さんが、少々疲れ気味で今日は来られないというのです。
 
私は普段キャンセルに関して腹を立てることはないのですが、
その日はどうしてか非常に不快に思い、彼に強く言いました。

「私は週末に働かないのに、あなたのお嬢さんからたってのお願いということで
あなたに会うことに決めたのに、そのあなたのお嬢さんの期待と私の治療愛を、
あなたはただ疲れたというだけでキャンセルするなんて信じられない! 」

と今なら驚くような文句です。

電話口の彼の声はあまりの私の怒った声からおどおどしてしまい、
今からすぐ行くと謝って、そそくさと電話を切りました。

その時私は、なんと乱暴な言い方をしてしまったんだろうと反省していました。
 
次の女性の患者さんは、時間通り12時に現れました。
そして鍼治療を終え、すっかり痛みが引いて気分のよくなった彼女と話し合っていたら、
ブザーが鳴りました。

次の患者さんである彼がオフィスに着いたのでドアを開けて、待合室に通して、
そこで待っているように伝えました。
 
彼女を見送ろうとしている最中に彼が「恐れ入りますが」と私たちのところに入ってきて、
彼は彼女に「あなたの高校はどこでしたか?」「あなたのお父さんは官庁で働いている人ですか?」
などと質問を始めました。

彼が「あなたの一番好きなスポーツは何ですか?」と訊くと彼女は「テニスです」と答えました。

彼女が答えるたびに彼の顔は紅潮していき、息も荒く興奮して、
「あなたはあのキャサリーンさん(仮名)ではないですか?」と尋ねると、
次の瞬間彼女は、「あなたはポール(仮名)なの?」と返すではありませんか。

2人は16歳の初恋のような初々しさでイエス、イエス、と何十回も叫び合って抱擁したり、
キスしたりと、私が今まで見たことのない、まるで映画のワンシーンのような感動的な再会を
果たしました。
 
彼らは40年前、彼女が18歳で彼が19歳の時に結婚を約束した恋人同士だったのです。
しかし彼の父親の転勤でイタリアに移住が決まった時、彼の家が貧しかったせいと、
父親の仕事上の地位が彼の家族と合わなかった為に、彼らは結婚を認めてもらえないまま
離れ離れになったのでした。

今とは違って、スカイプや電子メールがなかった時代ですから、
彼は一生懸命愛の手紙を何十通と彼女に送りましたが、
残念ながら彼女の父親はその手紙を全て破棄していたようです。
 
もちろん彼にはアメリカに行くお金もないし、彼女のことは泣く泣くあきらめ、
時がたつにつれて彼もしかるべき人と結婚して、女の子をもうけたそうです。
同じく彼女も、父親に紹介された男性と結婚して、同じように女の子をもうけたのでした。
 
話していくうちに、それぞれの伴侶は既に5年前に他界していたこともわかりました。
不思議なことに、その2人のお嬢さんたちは私の尊敬すべき患者さんになっていて、
こうして2人を40年の時を超えて引き合わせたのです。
 
私は彼らの、当時叶えることができなかった結婚を、
この記念すべき再会の日に叶えたいという願望に協力することにしました。
私はヒーリングミニスター(治療牧師)でもあるので、その場で2人の結婚を認定し、祝福しました。
 
それから1ヶ月程たってから夢のような彼らの希望を書いて、腰を抜かす程びっくりしました。
なんと彼らは2人の愛の絆である子供を作ることを切望しているというのです。
 
私は奥さんに、あなたの生理はとっくに終わっているし、体に卵子は残ってない、
また夫の方にも精子もないし、強度の性不能の為にまず子供作りにはかなりの困難が考えられる
と告げました。

そういう愛の絆に固執するのではなく、
もっと幸せな自分たちなりの愛の形があるのではないかと話をしました。
 
すると今度は20年程若返る薬はないのかと執拗に質問をしてきました。
4、5年若返ることは可能ですが、20年は大変な困難を要するので、
私の心の中は困惑していましたが、
もし本当にそうしたいならば、これは3人の極秘で進めてみようと申し出ました。
 
まず私は子供の頃からやっている導引光という若返り健康法を教えることにしました、
うまくいけば、20年若返ることは可能です。
 
尊敬すべきことに、彼らは毎日私のオフィスに来て、
3人で導引光(ヨガにとても似ています)を行い、マスターしました。

そして私の得意とする和漢薬療法と、経絡を整えて、
エネルギーを高揚させて恒常性を高める療法を同時進行しました。

なんと1年くらいで彼女は、1個の卵子が育ったようでした。
彼もゼロの精子から150個くらいまでに増えて、
容姿も2人とも45歳位にしか思えない程の若返りに成功していました。
 
まさに奇跡としか言いようがないのですが、彼女は妊娠に成功しました。

それから3ヶ月後に弁護士と私と当の2人、2人のお嬢さんたちとで
ニューヨーク郊外で夕食会をもってこの信じがたい状況を話し合いました。

もし無事に出産したならば、彼らが両親であることは社会的に混乱を招くと思われるので、
生まれた子供は奥さんの方の娘の子供と法律上登録し、その保護者になるという事に決めました。
 
子供は本当に不思議な程順調に育ち、彼女は60歳で女の子を出産しました。
旦那さんも61歳で正式に自分のカでお嬢さんを持つことができました。

私も長い間いろいろなことをやって、いろいろな状況を見てきましたが、
こんなに驚いたことはありません。
やはり真の愛というのは必ずや実るものなのでしょう。

そのお嬢さんの1歳のお誕生会に呼ばれて、家族みんなが健康で、幸せで、まさに生きている、
ということをこの目で確認致しました。

「ものごとは絶対にあきらめてはいけない」というモットーを、
私の心の中に刻み付けた忘れられない出来事でした。

          <感謝合掌 平成28年4月2日 頓首再拝>

因縁尊き日 - 伝統

2016/04/25 (Mon) 03:22:02


           *「光明道中記」(4月25日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは私ほど学校教育を受けなかった。
若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、今日の『生長の家』は存在しなかった
かも知れぬし、私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

          <感謝合掌 平成28年4月25日 頓首再拝>

ソウルメイト - 伝統

2016/06/07 (Tue) 03:08:02


        *Web:「Naomi Angel's Official Website(2010年12月16日)」より

この物語、ワイス博士が書いた「魂の伴侶」という本にある、本当の話です。

それは、あるお互いを全く知らない、国も別々の二人の男女のクライアントが、
ワイス博士のところで、それぞれの前世療法をしていたら、前世のストーリーがまったく同じで、
この男女は、何回も一緒に転生を繰り返していることがわかり、
ワイス博士だけが、セッションを通じて、二人はソウルメイトだと気づきます。

二人のうち、男性の方(ペドロ)が、もうすぐ治療を終えて、
メキシコへ帰らなければいけない日がせまっており、
女性の方(エリザベス)はアメリカに住んでいる人なので、
二人は治療が終われば、顔を合わせることなく、離れていくところでした。

博士は二人を引き合わせたいと思うのですが、精神分析医として、
クライアントのプライバシーは絶対に明かせられないので、
ペドロが帰る日が近づくにつれて、頭を悩ましていました。

そして、なんとか、二人をお互いに紹介できないだろうか、と考え、
二人が待合室で、顔を合わせられるようにセッションを前後にいれたりして、
仕組んでみたりします。

でも、二人は何度か、待合室で、お互いの目を見つめるのだけれども、
それ以上の追及をせず、セッションが終わって別れてしまいます。

博士のひそかな作戦は実りませんでした。


ところが・・・

セッションから数ヵ月後、あるとき、ペドロは出張で、ニューヨークに来て、
そのあとロンドンに行くために、ニューヨークの空港で待っていました。

エリザベスの方も、同じ航空会社だけれど、
本当は違う時刻のフライトに乗るところだったのですが、
なんらかのトラブルがあって、乗ろうとした便が欠航になり、結局、ペドロと同じ時刻の
フライトに乗ることになり、二人は搭乗待合室で再会しました。 

そして、その再会のときに、もっとお互いをよく知りたいと思い、恋に落ちたのでした。

http://naomiangel.exblog.jp/15166722/

・・・

エリザベスとペドロとの縁(えにし)の詳細については、
次のWebにても確認できます。

 → http://homepage2.nifty.com/motoyama/soulmate.htm (後半部分)


<関連>

魂の伴侶(ソウルメイト)
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1745128.html

          <感謝合掌 平成28年6月7日 頓首再拝>

ソウルメイト(特別な人) - 伝統

2016/06/16 (Thu) 03:58:44

          *「魂の伴侶」ブライアン・L. ワイス (著)(第1章、P14~17)より

   誰にとっても、誰か特別な人がいる。
   時には二人、あるいは三人、あるいは四人のことさえある。

   その人は別の時代からやってくる。時間の海を越えて、天の次元の深みから、
   あなたと再び一緒になるためにやってくるのだ。
   その人はあちらの側の世界、天国からやってくる。

   そして、違った姿をしている。しかし、あなたは心で見分けることができる。

   あなたの心は、月に照らされたエジプトの砂漠や、モンゴルの平原で
   その人をあなたの腕に抱きしめたように、その人を再び抱きしめる。

   あなたたちは一緒に、今まで誰からも忘れ去られた将軍のひきいる軍隊の仲間として、
   草原を馬でかけめぐったことがあった。そして、太古の昔、どこかの岩の洞窟の中で、
   一緒に暮らしていた。

   あなたたちは時を越えて結ばれている。
   そして、あなたが、一人ぼっちになることは、これからもないだろう。

   「私はあなたを知らない」と、あなたの頭は抵抗するかもしれない。
   でもあなたの心は憶えている。

   その人があなたの手を初めてとった時、彼の手の感触は時空を越えて、
   あなたの存在のすべての原子をゆさぶる。

   その人があなたの目の中をのぞく。
   すると、あなたは相手の目の中に、何世紀も向うの魂の友を発見する。
   あなたの心は高鳴り、腕にとりはだがたつ。

   この瞬間、まわりのものすべてが消え去ってしまう。
 
   やっと再会したとしても、あなたが彼に気づいたとしても、
   彼のほうはあなたに気がつかないかもしれない。
   あなたは二人が縁で結ばれていたことに気がつく。
   二人のこれからの可能性も見えている。

   しかし、彼は気がつかない。
   恐れと、理性と、問題が、彼の心の目にベールをかけているのだ。

   あなたがそのベールをどけようとしても、彼はそうさせてはくれない。
   あなたは嘆き悲しみ、彼はそのまま行ってしまう。
   運命とは、それほど微妙なものなのだ。
 
   二人が互いに気づいた時、二人の情熱はどんな火山よりも激しく噴出する。
   計り知れないほどのエネルギーが放出される。
 
   魂同志の認識が、瞬間的に起こることもある。
   突然、親しみの感情が湧き上がってくる。

   意識のレベルの計り知れない深い場所で、
   今、出会ったばかりの人を知っているという気がする。
   最も親密な家族に対するものと同じ深さか、
   さもなければ、それよりも、ずっと深いところで感じる感覚だ。

   そして直感的に、何を言えばよいか、相手がどう反応するかも知っている。
   一日、いや一週間、または一ヶ月で獲得できるより、
   ずっと深い信頼と安心が一瞬のうちに生まれる。
 
   魂の認識は、かすかに、そして、とてもゆっくりと起こることもある。
   まるでベールがゆっくりともちあげられるように、少しずつ、気づくこともあるのだ。

   誰もがすぐに気がつくわけではない。
   タイミングというものがあり、最初に気づいた人にとっては忍耐が必要な場合もある。
 
   あなたの魂の友が現れていることに、顔の表情や夢、記憶、感覚で気がつくこともある。
   手が触れ合った時、くちびるにキスした瞬間に、
   あなたは目覚め、魂が躍動しはじめるかもしれない。
 
   子供の体に触れた時、お父さんやお母さん、兄弟姉妹に触れた時、
   親友に触れた時に思い出すこともあるだろう。

   または恋人がキスをした時、それは何百年前の前世の恋人のキスであり、
   二人は時が終わるまで、ずっと一緒だということを、あなたが思い出すこともあるのだ。


          <感謝合掌 平成28年6月16日 頓首再拝>

教える、という縁を大切し、『いい縁だった』と思って貰える良き結果につなげる - 伝統

2016/08/25 (Thu) 03:12:36


<リオ大躍進のシンクロ “売国奴”と呼ばれたコーチが日本代表に戻ったワケ<

        *Web:「デイリー新潮」( 8月22日)より

入賞に終わった2012年のロンドン五輪から一転、
デュエット・チーム共に銅メダルと、リオ五輪での女子シンクロナイズドスイミングは
大健闘を見せてくれた。

その陰には、14年に日本代表コーチに復帰した、井村雅代コーチ(66)の存在がある。


《“リオに出して貰えたら十分”》

中国代表コーチを退任後、短期でイギリス代表のヘッドコーチを務めていた井村氏。
日本水泳連盟から代表コーチのオファーがあったのは、2013年のこの頃だった。

日本水泳界を去り、中国に渡った井村氏と水泳連盟の間には、
当時“しこり”があったという。

そんな状況での打診について、

「吃驚(びっくり)しましたよ」

と井村氏は率直な感想を口にする。

「北京五輪が終わったとき、『年寄りの力を利用しなさい』とあれだけ言ったのに、
『心配しなくて大丈夫。これからは若い選手とコーチで、日本を成長させます』
と言っていた水泳連盟から、そんな誘いがあるなんて、思いもしませんでしたから」

さらに当時の日本シンクロは低迷しており、
リオ五輪へのチーム出場すら危ぶまれている状況だった。

井村氏に声をかけた連盟も、「リオに出して貰えたら、それで十分です」と消極的だった。

 
こんな状況でも井村氏は、

「受けるか受けないかは、私に選手を強くしたい気持ちがあるかどうか、
それだけだと思って、嫌なことは考えないことにしたんです。
世の中って、そんなものだと思ってね」

とオファーを受諾。教える以外のことには興味がない、という。

「選手と私との関係って運命的なめぐり合いじゃないですか。
乾友紀子なんか、私のクラブに移籍してきてからも、ぜんぜん縁がなかった。

中学までは私が教えたから、基本はできています。
でも、あの子が日本チャンピオンになった後、
私はナショナル・チームにいなかったから、ぜんぜん縁がなかったの。

(略)

中国に行ったときも、『私はなんでこの子たちを教えてるんだろう?』と何度も思いました。
あの子達も『なんで自分は日本のコーチに教えられることになったんだろう』と思ったでしょう。
それはお互いにたまたまの『運命的な縁』があったからです。

 
だから乾だけじゃなくて、今の日本の選手達と縁ができたんなら、
その縁をあの子たちに、最後は『いい縁だった』と思って貰いたい。

私が教えたことによって、その子が輝くとか、上達するとか、進化したと思って貰いたい。
そして自分もそう思いたい。それだけなんですね。

縁を大事にするって、お金より価値があるものだと思いません?」


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160822-00511639-shincho-spo

          <感謝合掌 平成28年8月25日 頓首再拝>

縁を大事にして、運を高める - 伝統

2016/09/05 (Mon) 03:45:56


           *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年08月19日)より

   (マックス・ギュンター氏の心に響く言葉より…)

   私たち人間は運を味方につけなければうまく生きられない。
   運がなければ、何事も思うようにはいかない。

   「成功」の定義がどのようなものでも、運は成功するための欠かせない要素なのだ。


   あなたが人生で得たいものは何だろう。

   金持ちになること、有名になること、プロとして尊敬されること、
   幸せな結婚、愛されること・・・。


   それが何であれ、すでに手に入れているだろうか。

   ほとんどの人が「いいえ」と答えるに違いない。
   まだ目標を達成していないのだ。

   なぜだろうか。

   自分の人生を振り返ってみてほしい。

   ゴールへたどりつくのを邪魔しているものは何か。

   能力が足りないのだろうか。
   あるいは単に運が悪かったのか。


   「運が悪かった」という答えは、間違いなく当たっている。

   何か目標に向かって努力している人たちは…例外はあるにせよ…たいてい「正しい」。

   目標にたどりつけないのは、往々にして運がなかったからだ。

   それを証明する事例は数えきれないほどある。


   先日、地元のアマチュア劇団の芝居を見に行ったときにもそのことを痛感した。

   多くの劇団員はプロになることが夢だと語ってくれたが、
   なかなかチャンスがめぐってこないようで、半ばあきらめているようだった。

   なぜチャンスがやってこないのか。

   才能がないのだろうか。


   そうではない。

   彼らはテレビや映画でいつも目にするスターと同じくらいに演技が上手だった。

   では、その違いは何か。

   一握りのスターが頂点に登りつめる一方で、
   それほど能力が変わらない数多くの俳優や女優が地元の小さな劇団でしか
   役をもらえないのはなぜだろうか。


   答えは一つしかない。

   「運」だ。

   運をつかむには、適切なときに適切な場所にいること、
   そして誰かを知っている人を知っていることが必要なのだ。

   「正しい」だけでは十分ではない。

          <『運とつきあう』日経BP社>

             ・・・

安岡正篤師が紹介した言葉がある。

「縁尋機妙(えんじんきみょう) 多逢聖因(たほうしょういん)」 (宝苑珠林より)


『縁尋機妙』とは、良い縁は次から次へと良い縁を結んでくれる。

縁とは誠に不思議なものであり、計らざるもの、思いがけないもの。


『多逢聖因』とは、結果には必ず原因がある。

《よき友との出逢い》、《よき書物との出会い》、《よき師との出会い》、
《よき環境との出会い》…。

それら全てのよき因が、よき結果を創り出す。


すべてが、ご縁から生まれる。

だからこそ、やってきたご縁を大切にしない人は「運」をつかむことはできない。


縁を大事にすれば、「適切なときに適切な場所にいることができる」。

縁を大事にすれば、「誰かを知っている人との縁ができる」。


縁を大事にして、運を高めたい。

          <感謝合掌 平成28年9月5日 頓首再拝>

【良い縁を築いていくには】 - 伝統

2016/11/28 (Mon) 04:27:10


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2016年11月25日)」より

   (松永修岳氏の心に響く言葉より…)

   「縁」についてもっとも大切な原則を紹介しましょう。

   「縁」は、動いて作っていくものです。


   まずすべきことは、「縁」を築ける場所に足を運ぶことです。

   ただし、「縁」は築ければ何でもいいというわけではありません。
   不要な縁を一生懸命築いたところで、それは時間の無駄遣いです。

   自分の「目的」へとあなたを引っ張っていってくれる「縁」を、
   築いていかなければなりません。


   では、こうした「良い縁」をどうやって築いていけばいいのでしょうか?
   それは、あなたの目指す「方向」にかかわる人が、多く集まる場所に行けばいいのです。

   人は基本的に、「自分の方向性」と合致したところに集まってきます。

   例えば、健康に関心の強い人は、
   有機栽培の野菜や無添加の食材などを扱うスーパーに集まります。

   大もうけをしたいと思う人は、お金の匂いがする場所に集まります。

   芸術家は、アート色の強いスペースに集まります。


   皆さんは、今まではどんな場所に対してでも、何げなく足を踏み入れてきた
   かもしれませんが、それぞれの場所にはそれぞれが発する「氣」があり、
   それに引き寄せられた人たちが集まってきているのです。

   したがって、これからはどこかに足を踏み入れる場合には、
   その場所のもつ「氣」を理解する必要があります。

   『この場所は、いったいどのような「氣」を発し、どういう人たちを引き寄せているのか』

   ということがあらかじめイメージできていると、
   その場所にどのような人たちが集まるのかがわかってきます。


   それが、あなたの目指す「方向」と合致していれば、
   その場所に出向くことで、会いたい人たちとの「縁」を築いていける
   可能性が高くなっていきます。

   そのとき注意したいのが、単なる参加者になってはいけない、ということです。



   「袖触れ合うも多生の縁」という言葉がありますが、
   「縁」そのものは、あくまでも人生の一点で接点をもてたということだけのことです。

   「一生お金に困らない人」になるには、
   「一時的な幸運」をつかむだけでなく、それを持続させることが大切です。

   「良い縁」も、一旦、それに出会えたのならば、継続させていかなければなりません。


   したがって、良い縁を築いていこうと思ったら、
   ただ一時的に足を踏み入れるだけではなく、その場所に住むことです。

   そこまで深くかかわってこそ、縁を築いていくことができます。

   ただし、場所によっては、地価が高くて、家を買うにしても借りるにしても、
   難しいということもあります。

   そのときは、その場所にオフィスのある会社で働くという方法もあります。


   自分が目指す方向性に合致した場所で暮らしたり、
   仕事をしたりすることが重要なのです。

   そこで暮らしていくことで、「良い縁」にめぐり合え、
   また、自分自身もそうした氣を発する人間へと変わっていけるのです。

        <『一生お金に困らない運の習慣』中径出版>

                ・・・

「孟母三遷(もうぼさんせん)の教え」という言葉がある。

孟子の家族は、はじめ墓場のそばに住んでいたが、
孟子が葬式のまねをばかりして遊んでいるので、次は市場の近くに引っ越した。

すると、今度は商人の駆け引きのまねばかりして遊ぶので、次は学校の近くに移り住んだ。

すると今回は、礼儀作法をまねるようになったので、
この場所こそが子供の教育にふさわしいと、3回目にしてそこに定住したという。


不良ばかり集まる場所で暮らしたり、不良のグループに出入りすれば、多くの者は不良になる。

勉強好きで、起業する意欲のある人たちが集まる勉強会に参加すれば、
多くの人は起業するようになる。


「人は基本的に、『自分の方向性』と合致したところに集まってくる」

良い縁を築いていきたい。

          <感謝合掌 平成28年11月28日 頓首再拝>

ご縁には2つある - 伝統

2016/12/31 (Sat) 03:05:27

【ご縁の法則その1:「ご縁には2つある」】

          *Web:51(ゴーイチ)コラボ(2015年7月3日)より

「素敵なご縁がほしい!」自分の人生に何か刺激がほしいとき、
自分の人生に変化を起こしたいとき、人は「縁」を求めます。

この縁のことを「外に繋がるご縁」と言います。
いわゆる素敵な出会いが、この「外に繋がるご縁」にあたります。

そしてもう一つ「内に繋がるご縁」があります。
これは、自分に繋がるご縁ということです。
この2つが両輪のようになってご縁というものは成り立っています。

つまり、外からの素敵なご縁がほしければ、
自分がしっかりと自分に繋がる必要があるのです。

自分と繋がるとは、言い換えれば「自分のこと、どのくらい好きですか?」
「今の自分に自信がありますか?」ということです。

自分のことを嫌いだと言う人に、なかなか素敵なご縁は近付いてきません。
仮に近付いてきたとしても、その最高のご縁を最低のご縁にしてしまいます。


たとえば、誰もが羨むような最高の異性が自分に好意を持ってくれたとします。
相手はあなたに「大好きだ」とアプローチを掛けてきます。

でも、あなたがあなた自身に自信がなければ
「こんな素敵な人が自分のことを好きになってくれるはずがない」
「何か裏があるのかしら?」「大勢の中の一人じゃないの?」と、
相手の想いを素直に受け取ることができません。

もし、相手のアプローチに押されて付き合うことになったとしても、
自分に自信がないあなたは、相手の行動をイチイチ知ろうとしたり、
束縛したり、相手の愛の確認作業をしようとしていまいます。

あなたが自分を信じ切れないために、相手を信じ切ることができないのです。
相手にとっては「どうして信じてくれないんだろう?」とあなたの確認作業が負担になり
あなたと距離を置こうとします。

去っていった相手にあなたは「やっぱり裏切った」という言葉を残します。

 
どんなに最高のご縁も、自分次第で最低のご縁にもなってしまいます。

逆に、どんなに最低に見えるご縁でも、自分次第で最高のご縁にすることもできるのです。

素敵なご縁に恵まれるかどうかは、自分次第です。

 あなたは、自分としっかり繋がっていますか?

    (http://51collabo.com/?p=313 )

          <感謝合掌 平成28年12月31日 頓首再拝>

【ご縁の法則その2:「不特定多数より、特定の数人」】 - 伝統

2017/01/16 (Mon) 04:48:05


          *Web:51(ゴーイチ)コラボ(2015年7月31日)より

ご縁というものは身近な人から繋がっていきます。
ビジネスの世界では、人脈と言った方が分かりやすいでしょうか。

降って湧いたようなご縁は、
降って湧くようなことを今までにしているから降ってくるのであって、
何もせずにボーッとしていて縁がいきなり降ってくるわけではありません。

イメージすること、祈ることはとても大切で意味のあることで、
イメージしたことだけが具現化していきますが、
私たちは肉体を持って存在している以上、自分の体を使って動かなければ
自分のイメージしたことは何一つ具現化しないのです。

たくさんの人と繋がるからご縁が広がっていくのではなく、
少ない人としっかり繋がるからご縁は広がっていきます。

ご縁を広げるために必要なものは「不特定多数より特定の数人」なのです。

もちろん、多くの人との交流を持つことも大切です。
いわゆる「交流会」と言われるものに参加するのも一つの手段でしょう。

ただ、「交流会」は人脈形成の場だと捉えるのではなく
自分のコミュニケーション能力をUPさせる機会だと捉えましょう。

交流会に参加して名刺を配ると素敵なご縁がもらえるという安易な考えで参加するなら、
身近にいる人との交流を深めた方が未来への大きな投資に繋がります。

とにかく名刺を配りまくっても、とにかく名刺をもらいまくっても、
帰宅してから見た名刺で顔が想い出せるものはほとんどありません。

仮に写真入りの名刺をもらったとしても写真を見なければ想い出せないような人
ということは何の印象にも残っていないということになります。

必死にメルアドを登録していきなり営業メールを送ったところに次に繋がっていくでしょうか?
「誰?これ」「何?このメール」と読まずに削除されてしまうか、
アドレス自体削除されてしまうのがオチでしょう。

本当に印象に残る人というのは、名刺がなくても覚えているものです。
その場で次ぎ会う約束をするくらいの勢いで仲良くなっているものです。

交流会そのものには人脈形成や素敵なご縁を期待せずいろんな人たちと
さまざまな会話を繰り返すことで自分のコミュニケーション能力をUPさせ
「あなたと話がしたい!」と想ってもらえる自分になるためだと理解しましょう。

その結果が、素敵なご縁に繋がっていくのです。
自分にとって一番ありがたく本当に素敵なご縁というのは紹介で繋がっていきます。

今、目の前にいる人を大切にしましょう。


http://51collabo.com/?p=554

          <感謝合掌 平成29年1月16日 頓首再拝>

【ご縁の法則その3:「選択の勇気」】 - 伝統

2017/01/31 (Tue) 04:32:21

          *Web:51(ゴーイチ)コラボ(2015年9月17日)より

ご縁は一段一段階段を上がっていくように広がったり繋がったりしません。
最初は、広がっているのか繋がっているのか分からないような感覚です。

自分と誰か、自分と誰か、自分と誰か…その誰かとのご縁を大切に深めていく。
そんな繋がりを繰り返しているうちにあるとき、
それが一気に繋がり始め人と会う機会も倍々に増えていきます。

ところが、人と会う機会が増えること、ご縁をたくさん頂くことは素晴らしいことですが、
今度は確実に選択を迫られることが起こり始めます。

あなたが、本当に必要としている人に繋がるかどうかの選択です。
誰かにとっては必要な人でも、自分にとって必要な人であるかどうかは分かりません。

「嫌われたくない」「一人になりたくない」そんな想いで、
自分にとってはどうでもイイ人と繋がることに必死になって疲弊していませんか?

ここで大切なことは、断る勇気です。
自分がイイ人になりすぎないことということです。
 
人と会うことはとても楽しいことだけどそれだけ、エネルギーも消耗します。
初めて会うときならなおさら。気も遣うし、緊張もします。
ずーっとそれを続けたら、確実にエネルギー切れになります。

会っているときは楽しいけど、家に帰ったらどっと疲れた…というときは要注意です。
それが、とても素晴らしい場所と人たちだけれども、
自分がまだその環境に慣れていないために変に緊張してしまったというのであれば、
接触回数を増やすごとに自分も環境に慣れていき、その緊張はなくなっていくので構いません。

適度な緊張感があっても、本当に楽しい時間を過ごしていれば、
心地の良い高揚感が自然とじんわり家に帰っても続きます。
ほんわか温かい気持ちになったり浄化されたような気分になったりします。

広く浅く誰でもいいという感覚で繋がるより、
あなたが本当に大切だと想うこの人だと想う人と深く繋がる意識を持ちましょう。
 
あなたにとって本当に必要なご縁なら無理をしなくても必ず繋がります。
だから、そのあなたにとって必要なご縁がきたときに受け止められる準備だけしておきましょう。

準備ができていない人は、素晴らしいご縁が来ても上手に受け止めることができません。
ただ、今まであまり外の世界にいる人と触れ合ってなかった人は、
ちょっと意識して外に出てみることです。

いろんな新しい世界にいる人と出会っていくことによって、
自分がどんな人と出会いたいのかどんな人と一緒にいたいのかがだんだん見えてきます。

その過程で、無理をしなくても繋がる感覚が掴めてくるのです。

http://51collabo.com/?p=1042

          <感謝合掌 平成29年1月31日 頓首再拝>

縁なき衆生 - 伝統

2017/04/23 (Sun) 04:14:04


        *『 生長の家 』(昭和44年12月8日~10日の法語)より

《“ 縁なき衆生は度しがたし ”》(12月8日)

   迷いの中に悩みながら、こちらが救けてあげたいと思うけれども、
   宗教とか信仰とかというものに興味のない人がたくさんある。

   このような人を救うにはどうしてあげたらよいのであろうか。

   釈尊はこういう人の事を
   「 縁なき衆生は度(ど)し難し 」と仰せられた。

   「 度す 」というのは「 済度(さいど)する 」ことである。

   実相光明世界 ― 即ち「 彼岸 」に度(わた)してあげたいけれども、
   「 縁 」 即ち触れ合う、機会が無いということである。

   肉体は互いに触れ合い、目に触れてはいるけれども、
   「 機 」即ち「 心のはたらき 」が
   互いに「 会う 」ことがないのである。


   それは恰(あたか)も、
   ラジオの放送電波は現実に今此処に到達しているけれども、

   放送電波と受信機との波長があわないので、

   いくら「 善き助言 」を放送してあげても、
   彼らは波長の合わぬラジオ・セットのようなものであって、

   心の触れ合う機会がないのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/90d1630fffc8c1e30fcfaf4649754c1d

                 ・・・

《本当は「縁なき衆生」はない》(12月9日)

   では、本当に「 縁なき衆生は度し難し 」なのだろうか。
   「 縁なし 」といって放置して見殺しにしておいて、
   よいものだろうか。


   現象面では波長が異なり、肉体は触れ合っていてすらも、
   心は互いに断絶していて互いに触れることが
   出来ないかも知れないけれども、

   実相は彼らも亦“ 神の子 ”であり、本来“ 仏性 ”であり、
   彼らの生命の根元的な面に於いては、
   互いに密接に“ 一体 ”なのである。

   だから彼らを救ってあげようと思えば
   彼らの生命の根元的な面で彼らと接触すればよいのである。

   即ち、彼らの「 実相 」の円満完全さを心で凝視し
   礼拝する行事をつづけるがよいのである。

   彼らにも“ 実相の完全さ ”が宿っているのであるが、
   彼らの肉体は“ 実相 ”の波長には全然波長の合わない
   迷妄の波長を起しているために、

   “ 実相 ”と“ 肉体 ”との間が相互断絶していて
   “ 実相 ”は隠覆(いんぷく)されて、
   恰も眠ったような状態になっているのである。

   私たちが彼らを救わんがために、
   彼らの「 実相 」の円満完全さを凝視して礼拝するのは、

   その眠っている「 実相 」に対して、波長のあう霊波を起して
   「 実相 」を霊波で叩いて目を醒(さ)まさせて
   「 実相 」のハタラキを表面にあらわすためなのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6ec63f26f27c152f150d8979445c3ea8

                 ・・・

《われ常不軽菩薩たらん》(12月10日)

   実相礼拝の行事によって、恰も「縁なし」と見える
   衆生の仏性を目醒(めざ)めしめようとせられた方が、

   法華経の“常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)”なのである。


   この菩薩は「 われ常に軽んぜず 」と唱えて、

   いかなる浮浪者でもヤクザでも、
   また彼を石をもって打擲(ちょうちゃく)しようとした者すらをも、

   「あなたの実相は“如来”でいらっしゃいます。
   当来 必ずその如来の実相のあらわれる方であります」と

   いって、ひたすら相手の実相たる
   “ 内在の如来 ”を礼拝したのである。

   生長の家人の生き方は、この常不軽菩薩の生き方をすべきである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/abeba2be8eabd8f9b60ae0ebbb0883dd

          <感謝合掌 平成29年4月23日 頓首再拝>

悪縁を招く人に共通する3つの“負のNG行為” - 伝統

2017/05/09 (Tue) 04:22:22


          *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)
           ~Web「wooris (2014/11/28)」 より

(1)だらしない格好をする

   だらしない格好や、不潔な印象を与えてしまうような身だしなみだと、
   知らずに悪縁を招くことになってしまいます。

   → 「身業(しんごう)」を整える。
     いつも清潔感ある服装を心掛け、佇(たたず)まいをきちんとし、所作を整える。

(2)汚い言葉づかい、思いやりのない言葉を言う

   会話をする時に、汚い言葉や思いやりのない言葉を使ったりしていませんでしょうか? 
   「はぁ?」「マジやばい」「おまえ」「うざい」「食う」などといった、
   見るも聞くも残念な気持ちになる言葉づかいを日常的にしているようだと、
   悪縁がどんどんやってきちゃいます。

   → 「口業(くごう)」を整える。
     誰に対しても思いやりある言葉をかける。正しく美しい言葉づかいをする。

(3)いじわるな気持ちをもつ

   いじわるな気持ちや「利用してやろう」「おとしいれてやろう」などといった
   マイナスな感情で、人を見てしまっていたとしたら要注意。

   “類は友を呼ぶ”ということわざもありますが、似通った性質の人を引き寄せて
   しまいます。

   → 「意業(いごう)」を整える、
     偏見や先入観を廃し、ひとつのことにとらわれることなく、
     どんな時も柔軟な心を保つ。プラスの思い、感情で対する。


   身・口・意の「三業を整える」と、自然とよい縁が集まってきます。

       (https://wooris.jp/archives/104841

          <感謝合掌 平成29年5月9日 頓首再拝>

出世欲が悪縁を招く - 伝統

2017/05/31 (Wed) 04:41:22

出世欲が悪縁を招く──利他の心で行動すれば周りから引き上げられる

          *「悪縁バッサリ! いい縁をつかむ極意」禅僧・枡野俊明(著)
             (P110~113)  より

会社という組織にいる限り、出世をしたいという気持ちを持つのは
当たり前でしょう。昇格をいわれて嬉しくない人間などいません。
それが人情です。

しかし、あまりにも出世に執着すれば、悪縁が寄ってきます。
出世に執着するということは、すなわち周りを蹴落とすことです。
結果として、周りには邪な考えを持つ人間ばかりが集まってきます。


反対に、自分のことよりも周りのことを考える人もいます。
「利他」の精神を持ち、自分の損得よりも部下のことを思いやる。

そういう生き方をしている人は、自分が望まなくても勝手に周りが引き上げて
くれるものです、

《利他の心が良い縁を招き、それがいつしか雪だるまのように転がっていきます》

出世に執着している人というのは、いわば我欲に取りつかれている人です。
自分が得をする縁だけにしがみつき、損になるような縁を結ぼうとしません。
結果として出世したとしても、その人の周りは悪縁で囲まれている。
いずれはその悪縁によって引きずり下ろされることになるでしょう。

我欲の強い人間とは、すなわち「知足」の心を持たない人間のことです。
「足るを知る」という気持ちがありませんから、
とにかくすべてを自分のものにしようとします。


上を目指すという向上心は悪いことではありません。

向上心は内なるところにあるもの。

出世欲は表面に浮き出てくるもの。
表面的なものにばかり捉われていると、やがて精神はメタボになっていき、
本当の仕事の喜びが失われていく。

我欲によって勝ち取った人間は、必ずそれに執着します。
執着しても、必ず去る日が訪れます。
その時、その人に残されたのは、自らが築いてきた「悪縁」だけになるのです。

          <感謝合掌 平成29年5月31日 頓首再拝>

順縁と逆縁 - 伝統

2017/06/17 (Sat) 04:24:12


     *Web:現在、過去、未来。人生をおもしろおかしく生きる方法(2008/1/10)より


赤い糸があるかどうか、という話がよく持ち上がる。

結論から言うと糸は何百万本、何億本とあるといっていいだろう。

私たちが現生で出会うのは、ほとんどが出会うべくして会った人たちだ。


「赤い糸」といった場合、恋愛対象を想定しての糸のハナシとなるが、
その糸も一本ではない。
人には過去生にて作った、良くも悪くも多くの「ご縁」があるからである。

縁があるという人というのは過去生で出会っている可能性が高いのだが、
なぜ、人は現生にて再び同じ人(魂)と出会うのか。
それは「思い残し」があるからである。

例えば、ロミオとジュリエットのように愛し合いながらも添い遂げられなかったという想い。
子どもに先立たれてしまった母の想い。
親の死に目に会えなかった子どもの後悔の念。

あげれば数限りないが、いずれも、もう一度あの人に会いたいという想いである。

もちろん、愛に限らず、憎しみによって
「もう一度あいつに会って仕返ししてやりたい」なんて悪い想いだってある。

つまり、出会う人の多くとは何かしらのご縁がある。

言い方を返れば、その人との間で解消すべきカルマがあるのである。
人はカルマを解消するために生まれきているのである。

ただ、すべてのカルマを解消しなければならないかというとそうとも限らない。
例えば、100個のカルマを作って生まれてきたとする。
でも、そのいくつかはベン図のように重なりあいがある。

つまり、他のいくつかを包含する大きなカルマを一つ解消することで
100個だったカルマが30個になったりするだ。

だからこそ、出会うべく人であったとしても
出会わなくてもよくなったりもする。

基本的に、魂にはいくつかのレベルがあって、
同じ階層にいる人と出会う仕組みになっている。

自分がより早くカルマを解消して、次のステップに進むことによって
違ったレベルで生きていくことができるのだ。

簡単に言えば「類は友を呼ぶ」ということ。
自分のレベルが上がれば(レベルがあがるということはカルマが解消された一つの現れである)、
レベルの高い人と出会える。

自分のレベルが下がれば(現生でまたカルマを作ってしまっていることだ)
レベルの低い人との結びつくことになる。


恋愛から逸れてしまったが、
「結婚という結びつき」にハナシを戻そう。

結婚には順縁と逆縁というものがある。

順縁というのは、燃え上がることもまく、ドラマティックでもなく、
ただただ、ひたすら深い愛情によって結ばれる縁である。

そして逆縁というのは、カルマ解消のために出会った相手とのご縁。
だからこそ、山アリ谷アリの人生になる。

どちらも「運命の赤い糸」であることには違いがない。

ただし、幸せの赤い糸をひくか、修行の赤い糸をひくか。
それはあなた次第なのである。

幸せの赤い糸を選ぶためには、
日々を穏やかな心で過ごすこと。

怒らず、ふくれず、人を妬まず。
日々を感謝して生きていくことだ。

順縁と逆縁。
さて、あなたはどちらの縁と出会うことができるのか・・・。

   (https://blogs.yahoo.co.jp/lotsofyuki/978956.html

<参考Web:「あなたの名前は?」と知りたく成る背景(2017-06-06 )
        → http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20170606 >

          <感謝合掌 平成29年6月17日 頓首再拝>

【良い縁を築いていくには】 - 伝統

2017/07/05 (Wed) 04:39:12


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2016/11/25)」より

   (松永修岳氏の心に響く言葉より…)

   「縁」についてもっとも大切な原則を紹介しましょう。

   「縁」は、動いて作っていくものです。

   まずすべきことは、「縁」を築ける場所に足を運ぶことです。

   ただし、「縁」は築ければ何でもいいというわけではありません。
   不要な縁を一生懸命築いたところで、それは時間の無駄遣いです。

   自分の「目的」へとあなたを引っ張っていってくれる「縁」を、
   築いていかなければなりません。


   では、こうした「良い縁」をどうやって築いていけばいいのでしょうか?

   それは、あなたの目指す「方向」にかかわる人が、
   多く集まる場所に行けばいいのです。

   人は基本的に、「自分の方向性」と合致したところに集まってきます。


   例えば、健康に関心の強い人は、
   有機栽培の野菜や無添加の食材などを扱うスーパーに集まります。

   大もうけをしたいと思う人は、お金の匂いがする場所に集まります。

   芸術家は、アート色の強いスペースに集まります。


   皆さんは、今まではどんな場所に対してでも、
   何げなく足を踏み入れてきたかもしれませんが、
   それぞれの場所にはそれぞれが発する「氣」があり、
   それに引き寄せられた人たちが集まってきているのです。

   したがって、これからはどこかに足を踏み入れる場合には、
   その場所のもつ「氣」を理解する必要があります。

   『この場所は、いったいどのような「氣」を発し、
   どういう人たちを引き寄せているのか』

   ということがあらかじめイメージできていると、
   その場所にどのような人たちが集まるのかがわかってきます。


   それが、あなたの目指す「方向」と合致していれば、
   その場所に出向くことで、会いたい人たちとの「縁」を築いていける
   可能性が高くなっていきます。

   そのとき注意したいのが、単なる参加者になってはいけない、ということです。


   「袖触れ合うも多生の縁」という言葉がありますが、
   「縁」そのものは、あくまでも人生の一点で接点をもてた
   ということだけのことです。

   「一生お金に困らない人」になるには、
   「一時的な幸運」をつかむだけでなく、それを持続させることが大切です。

   「良い縁」も、一旦、それに出会えたのならば、
   継続させていかなければなりません。


   したがって、良い縁を築いていこうと思ったら、
   ただ一時的に足を踏み入れるだけではなく、その場所に住むことです。

   そこまで深くかかわってこそ、縁を築いていくことができます。

   ただし、場所によっては、
   地価が高くて、家を買うにしても借りるにしても、難しい
   ということもあります。

   そのときは、その場所にオフィスのある会社で働くという方法もあります。


   自分が目指す方向性に合致した場所で暮らしたり、
   仕事をしたりすることが重要なのです。

   そこで暮らしていくことで、「良い縁」にめぐり合え、
   また、自分自身もそうした氣を発する人間へと変わっていけるのです。

        <『一生お金に困らない運の習慣』中径出版>

            ・・・

「孟母三遷(もうぼさんせん)の教え」という言葉がある。

孟母の家族は、はじめ墓場のそばに住んでいたが、
孟母が葬式のまねをばかりして遊んでいるので、
次は市場の近くに引っ越した。

すると、今度は商人の駆け引きのまねばかりして遊ぶので、
次は学校の近くに移り住んだ。

すると今回は、礼儀作法をまねるようになったので、
この場所こそが子供の教育にふさわしいと、3回目にしてそこに定住したという。


不良ばかり集まる場所で暮らしたり、不良のグループに出入りすれば、
多くの者は不良になる。

勉強好きで、起業する意欲のある人たちが集まる勉強会に参加すれば、
多くの人は起業するようになる。


「人は基本的に、『自分の方向性』と合致したところに集まってくる」

良い縁を築いていきたい。

          <感謝合掌 平成29年7月5日 頓首再拝>

Re: 縁 - ftzewotkqsMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:43

伝統板・第二
ftzewotkqs http://www.g4vy79i5110jin40azqw5275bln4c43ts.org/
[url=http://www.g4vy79i5110jin40azqw5275bln4c43ts.org/]uftzewotkqs[/url]
<a href="http://www.g4vy79i5110jin40azqw5275bln4c43ts.org/">aftzewotkqs</a>

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