伝統板・第二

2536358
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

子どもの教育① - 夕刻版

2015/04/11 (Sat) 17:49:11

このスッレドでは、子どもの教育についての話題を紹介してまいります。


《子どもを「伸ばす親」「つぶす親」》


        *PRESIDENT Online スペシャル2015年4月11日(土)より


《子どもを伸ばす親の共通点5》

(1)夫婦で腹を割って「我が家の教育方針」を決める親

  ①小学校受験、あるいは中学受験の願書に「我が家の教育方針」を書かせる学校があるが、
   その場合、「明るく、元気に」といった記述では表現が十分ではない。

  ②「正答」は1つではないが、
   例えば、「両親ともに、暗記による知識のつめこみ作業より、
   子どもの知的好奇心を刺激するような言動を常に心掛けている。
   今後とも、我が子が自身の頭で考え、判断できる力を大切にしながら育てていきたい」

   といった具体的かつ熱意の込められたメッセージでなければならない。

   どういう大人になって、こういう人生を歩んでほしい、
   よって親はこういうサポートを惜しまないという、
   夫婦の一致した共同目標があるご家庭は子どもの将来が違ってくる。

  ③夫婦が腹を割って、お互い本音で「こういう子育てをしよう」と
   話し合うことが肝要である。


(2)小さな長所を発見し褒める親

  ①私たち親は子どものためと思い「短所を矯正」することに力を入れがちであるが、
   生きるに当たってそれはさほど重要なことではない。
   なぜなら、短所は長所の裏返しだからだ。

  ②子どもの長所、あるいは得意なことを瞬時に褒めて、的確にアドバイスする。
   そのことで子ども自身の「自信」に繋がるように「洗脳」していくのは親の務めである。

  ③「自己肯定感」を持って成長できた子どもは間違いなく幸せである。


(3)「先送り」をしない親

  ①子どもが世の中で「初めて出会うもの」との瞬間を見逃さないことが重要だ。
   例えば、生まれて初めて我が子が箸を持つ瞬間にきちんと正しい持ち方を教えてあげる。

  ②めんどうだから後でいいやと先送りをしたとするならば、
   我が子が長じたときに矯正しようとしても膨大な手間と時間がかかるだけである。

  ③初めて出会う鉛筆、初めて出会う提出物の期限、初めて出会うPC……。
   ありとあらゆる我が子が出会う「初めまして」に心を配る。

  ④これが我が子の干支1巡目までにきちんとできているご家庭には問題が少ない。


(4)「人の役に立つ」素晴らしさを教えられる親

  ①人間は誰かのために何かをやれるということに幸せを感じる生き物である。
   それゆえ、我が子が幼いころより「この仕事は世の中にこう役立っている」
   という視点で解説してあげる家庭に育つと職業観が自然とついてくる。

  ②もちろん親自身が社会に貢献し、努力している一社会人(専業主婦ならば家庭に
   貢献している)であるという背中を見せ続けることはとても大事なことである。


(5)打たれ強い子に育てられる親

  ①ある会社で上司に「バカヤロー!?辞めちまえ!」と言われただけで
   本当に辞めた新人がいる。

   あるテレビ制作会社のディレクターは
   「今欲しいもの?? 辞めないAD! 」と言い切った。

  ②先行き不透明な世の中で必要なのは「打たれ強さ」である。

  ③親は子どもが幼いときから、失敗させることを恐れない。
   失敗したことを「経験値が増えた」と言って逆に喜べる。

  ④どうしようもない失敗をしたときこそ「(おまえは)大丈夫」と言って、
   動じない最後の砦となれるならば、その子は「ここ一番!」のときには
   粘り強さを発揮できる人間になっている。

       (http://president.jp/articles/-/14992?page=2

        
            ・・・・・・




《子どもをつぶす親の共通点5》

(1)夫婦仲が悪い親

  ①特に、感情に任せて相手(伴侶)の悪口を我が子にぶつける親は最悪だ。

  ②安定しない家庭に安定している子は望めない。仲の悪さの原因はさまざまだが、
   夫や親族の愚痴を吐き続ける母の元に育つと、その子は遅かれ早かれ壊れる。


(2)上限を決める親

  ①我が子が「これになりたい」というような将来についての希望を口走ったときに
   「(いつも口だけで地道に努力しない)おまえにできるわけがない」「向いていない」
   「無理」「普通になれ!」という親は、その瞬間に子どもをつぶしている。

  ②二度と子どもは「将来」を口にはしないだろう。


(3)ペナルティを科す親

  ①「成績が悪くなったからお小遣いをなしにした」という中高生の親からの相談
   (相談は別の内容)をよく受けるが、その子の成績は永遠に上がらない。

   罰則からは生産的なものは何も生まれない。

  ②とはいえ、逆に、成績が良くなったからご褒美をあげるというやり方が
   正しいわけではない。
   私の知る限り、成績の良い子に、親にエサで釣られた子は存在しない。


(4)環境を見ない親

  ①「この内申だから自動的にこの学校」というように「環境」を見ない親は失敗しがちだ。

   「環境」だけは親の努力が利く範囲なのだ。
   この場合の「環境」は学校、習い事、塾、友人関係など、
   我が子が接するあらゆる空間を指す。

  ②存在を認めてもらえ、なおかつ長所を伸ばしてもらえる「環境」に
   我が子を置いてあげることが思春期の子育てには何より必要なことである。


(5)時代を見ない親

  ①一流大学 → 一流企業というモデルが崩れた今、
   親たる者、時代をよく見て子育てをすることが求められる。

  ②一例を挙げるならば、我が子が思春期に突入しても「悪魔の機械」だからと
   電子機器を一切与えない親がいるが、ツールが使えなければ現代社会では生きられない。

   悪いのは「機械」ではなく、「使い方」である。

  ③「先送りをしない親」でも述べたが、初めて電子機器を子どもに与えた瞬間が大事である。
   親こそがその機器のメリット、デメリットを把握し、年齢に適した使い方のルールを
   親子で話し合うことが重要だ。

   「恐怖感」にかられて闇雲に「反対」しても、子どもの反発を招くだけである。
   まず親が機器を学ぶことが先決だ。

  ④ゆめゆめ、便利だからと「子守り」にダラダラ使ってしまうことだけは避けたい。
   親子のルール作りが不可能になるだけでなく、後で払う代償が大きくなっていくからだ。



以上、子どもを伸ばす親、つぶす親のポイントを挙げた。

子育てはめんどくさいものだ。

「お手軽・便利」には子どもは育たない。

我が子に「手をかけて」「目をかける」ということを
日々の暮らしでし続けて行くことは容易ではないが、


子どもを伸ばす親とつぶす親の差異は

「ちょっとした子どもへの働きかけ」

があるかないかである。

「めんどくさい」という気持ちを少し棚上げにして、
我が子に寄り添ってみるということが「できる第一歩」だと言えよう。

http://president.jp/articles/-/14992?page=3

           <感謝合掌 平成27年4月11日 頓首再拝>

生命の教育 - 夕刻版

2015/04/13 (Mon) 17:42:37

生命の教育 とは

        *谷口雅春先生・著「生命の根源を培う新しき教育」はしがきより

 
人の偉大なるは、人それ自身の本質による。金の良質なるは、金それ自身の本質による。
金は、鉱石を外から磨いても純金と成るのではなく、その本質を抽出するところに、
純金が顕現するのである。

人間の教育もかくの如く、人間を外から磨くよりも、
その本質を内より抽出することによって完成するのである。

しかし、人は金よりもなお偉大なるものである。
人は生命であるから、本当に自然に放任するとき、栗の実が毬を破って出ずる如く、
自ずからその本質の善さを露呈するのである。
 
人の偉大なるは縛られてよくなるのではない。
「本当の自然にまかす」とき、内在無限の善さが、内在無限の能力が、内在無限の知恵が、
内より露呈して発現するのである。

しかし「本当の自然にまかす」とは、何であるか。それはただの放任ではない。
大生命を知り、大生命に任せるのである。

ただの放任は、「自然にまかせた」ように見えていて、
その実は今までの「悪しき惰力」に縛らせている場合が多いのである。

そうではなく、人それ自身に宿るところの大自然を呼び出して、
それにまかせて教育するのが、吾らの生命を培う教育である。

人それ自身に宿るところの大自然とは何であるか。
これこそ吾らに内在する神性であり、仏性である。

この内在の神仏を呼び出すは言葉の力により、文章の力による。


・・・

「生命の教育」とは、人は皆誰でも、その生命の内には、「無限の可能性」が宿っている。
それを認めて引き出す教育という意味であります。

人間を単なる「感性ある肉体的存在」(現象)と見て、
その外から、いろいろと工夫して教育するというよりも、
一人一人の「生命」に宿る素晴らしい「無限の可能性」(実相)を先ず信じ、
それを内から引き出す心構えをもつ。

そうすれば、教育の方法や技術は自ずから整ってきて、
その結果として、人は、内部に宿している無限力を発揮して、
素晴らしい人として成長していくであろう、という考え方なのです。

「素晴らしい能力」を発揮して、「無限の才」を表現して、美点を強調し、
自分自身のもつ長所を自覚させるのです。

この「素晴らしい能力」を言葉の力で引き出すのが、本当の教育です。

・・・

子育て相談Q&A

       *公益財団法人新教育者連盟HPより

Q:幼少期の子育てが、後々に大きく影響を与えるといいます。
  3歳までにどんなことに気をつければいいでしょうか。


A:3歳までは親子の絆を確立し、
  人間関係の基礎となる信頼感・安心感等を学ぶ最も大切な時期です。

  愛情溢れる眼差し、語りかけ、抱っこなどを通して
  親に愛されていることをしっかり伝えることが重要です。

  「〇〇ちゃん生まれてくれてありがとう」
  「あなたがいてうれしい!」
  「〇〇ちゃんはわが家の宝」

  などの言葉をふんだんにかけましょう。

  親子の信頼関係を築いた上で、人の心や生命を大事にすることや
  善悪の判断が学べるような躾を心がけることが大切です。

           <感謝合掌 平成27年4月13日 頓首再拝>  

子は親の鏡 - 伝統

2015/04/14 (Tue) 17:47:52

     *ドロシー・ロー・ノルト著『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP研究所)より


けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる

「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子になる

親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる

叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう


励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる

広い心で接すれば、キレる子どもにはならない
誉めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ

愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる

見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ

親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ

やさしく、思いやりをもって育てれば、子どもは、やさしい子に育つ

守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世の中はいいところだと思えるようになる

・・・


子育て相談Q&A

       *公益財団法人新教育者連盟HPより
 

Q:中2と小1の兄弟の事です。兄が弟にチョッカイを出します。
  兄は柔道をやっていて身体も大きいので、見ていてハラハラします。
  弟は嫌がっています。


A:どこの家でもありそうな場面ですが、
  兄は身体が大きくかなり力関係に差があるようですね。

  弟が面白がって楽しんでいるなら心配はいりませんが、
  嫌がっている上に、止やめずにエスカレートする。

  3人兄弟の長男(中2)、小5の妹がいて、小1の弟。
  近頃はあまり言われなくなったようですが、長幼の序という言葉があります。

  家庭は父親を中心にすることで調和するように、
  兄弟関係は上の者は上にという順序が調和するのです。

  どこの家でも一番上には厳しく、下にいくほど可愛いものですが、
  それは初めての子供を一所懸命育てた経験があるからこそです。

  今から早速、長男の善いとこ探しを始めましょう。
  この善いところとは、本来仲の良い兄弟の姿を心に描いて、
  あたかもそのような兄弟関係にあると決めて言葉にするのです。

  例えば「お兄ちゃんは、気が優しくて力持ち」「頼もしいお兄ちゃん」
  「武道をしている人は、立派な心を持っている」「弟が可愛くてしょうがないのね」など、

  今そのように見えていなくても、母親自身の心に想い描くように言い続けるのです。
  初めの内は弟から反発がくるかもしれませんが、その内本物の姿が現れてきます。

  (http://www.shinkyoren.jp/publics/index/68/detail=1/c_id=204#page68_204_50

           <感謝合掌 平成27年4月14日 頓首再拝> 

夜泣き - 伝統

2015/04/16 (Thu) 18:50:34


・・・

先日、NHKで、4月から始まった「たすけて!きわめびと」で、
「子ども夜泣き」で扱っておりましたが、登場したお母さんの深刻さが
目に焼きついてしまいましたので、今回のテーマといたしました。

・・・


《夜泣きの悩みの数々》

  Web:girlschanne( 2013/09/26)
      → http://girlschannel.net/topics/49767/

  さらに、こんな悩みのQ&Aも
      → http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6226361.html



・・・

《「4/11放送のNHK「たすけて!きわめびと」のテーマは夜泣き。」》

夜泣き専門保育士の清水悦子さんが登場し、夜泣きに悩むお母さんに、
「夜泣き対策のコツ」を伝授していた。

          ・・・

夜泣きするわが子に、ミルクをあげたり、背中をトントンしたりして、
必死に泣き止ませようとしているお母さん、いませんか?

今回、登場するお母さんもその一人。1歳になる女の子の夜泣きは一晩で10回近く。
睡眠不足になり、母親としての自信も失いかけています。

そんな、お悩みを承った“きわめびと”は、
日本唯一と言われる夜泣き専門保育士の清水悦子さん。
2000人以上のお母さんの相談を受けてきました。

清水さんの極意は、わが子の「睡眠リズム」をつかむこと。
「泣き止ませるのではなく、よく眠れるようにする」がポリシーです。

          ・・・


《就寝前のブルーライトは天敵》

番組では、1歳(暖乃ちゃん)と3歳の娘さん(榛乃ちゃん)を持つお母さんが登場し、
その夜泣きの模様をレポート。

旦那さんがいない夜に一人で子供を寝かせるお母さんは、
就寝前に子供を遊ばせ、疲れさせたところを寝かせる作戦を決行していたが、
それは逆効果とのこと。

つけっぱなしのテレビや蛍光灯から発せられるブルーライトは睡眠の質を下げるので、
極力ブルーライトを少なくし、穏やかに入眠する準備を行うことが重要。


《寝たふり作戦》

また、子供が夜泣きする度に母乳をあげて寝かしつけていた点についても、
「毎回母乳をあげることでそれが習慣づいてしまい、母乳をもらわないといけない、寝ない」
と赤ちゃんも思い込んでしまうと指摘。

その対策として、「寝たふり作戦」を決行する。

それは1歳の娘さんが泣いたり、起き出したりしても、
我慢して対応せず、寝たふりを続けるというもの。


《寝たふり作戦に3歳のお姉ちゃんも協力》

3歳のお姉ちゃんにも協力してもらい、寝たふりを続けることで、
何とか「自然に眠りにつく」ことに成功。


榛乃ちゃんが寝たふりを一生懸命やっている姿を見て、母親のさやかさんも寝たふりが出来た。
さらに夜泣きが起こった時には榛乃ちゃんが暖乃ちゃんの眼の前に行き寝たふりをしたことで、
そのまま眠ってくれた。 1週間後、暖乃ちゃんの夜泣きは減ったという。

清水さんは、ゆっくり100数えても泣き止まなければ対応するくらいがいいと話した。


<関連Web>

(1)4月11日 NHK総合放送「助けて!きわめびと」
   “夜泣き専門保育士”清水悦子さんに聞く
     → http://mrs.living.jp/feature/topics/1859148

(2)夜泣き専門保育士*清水悦子さんのブログ
     → http://ameblo.jp/yonaki-byby/entry-12012914875.html



・・・

《何でも相談Q&A(生長の家)》

Q:三姉妹の娘の末っ子の孫は2歳になりますが、生後からずっと夜泣きが続いています。
  また、かんしゃく持ちで、自分の思い通りにならないと、大きな声でわめき、
  物を投げたり、叩いたりして、母親である娘を困らせています。


A:「真理」のコトバには、
  すべての人に宿る“神の子、仏の子”の実相を引き出す力があります。

  三女さんが、『こどもの祈り』等の真理のご本をお孫さんの枕元で読まれ、
  「あなたは素晴らしい“神の子”ですから、ゆっくり休めますよ」と
  優しく言ってあげれば、たとえ意味は分からなくても、
  コトバの持つ響きやリズムがちゃんと心に届きます。
 
  コトバにはものごとを現実のものにする力がありますから、夜眠る時だけでなく、
  昼間の遊んでいる時、食事の時など、あらゆる機会をとらえて、
  「○○ちゃんは、神の子、仏の子、何でもできます、強い子、良い子」と、
  コトバの力で神の子の自覚を深めてあげることが大事です。

  また、幼い子どもは親の心、特にお母さんの心の影響を受けます。
  『新版 女性の幸福365章』等、生長の家には女性のための真理の書が
  たくさんありますので、三女さんにもぜひお薦め下さい。

   (http://www.jp.seicho-no-ie.org/faq/05/0546.html)  

            ・・・

鹿沼景揚先生の「子育て110番」(P48)では、
谷口雅春先生の著書から引用しながら、次の指導があります。

   「泣かぬ子に自分の児を育てようと思うならば、
   赤ん坊が泣く時にはそれが痛みの表情でない限り、
   無関心で放置する習慣をつけるべきである。

   そして赤ん坊がにこやかに機嫌の好い時こそ、
   お乳をやり、又時には抱いてやっても好い。

   泣いている時に「おお、そうかそうか」と言って如何にも可愛気に
   愛慰(あや)すならば、泣きさえすれば愛撫(あいぶ)してくれるものだと
   赤ん坊は思い違いをするであろう。

   癇癪を立てている時に機嫌をとるために愛撫するならば、
   赤ん坊は愛撫して貰いたくなると癇癪を立てるであろう。」

               (「光明道中記」<P83>)

正しいしつけができるためには、夫婦円満にして、嫁姑が仲よくして、
何でも話しあえるような雰囲気をつくることが大切です。



(「光明道中記」の3月「万物めぐむ」は主に、受胎してから乳児までの
 数々の話題が取り扱われております。
 ご関心のある方は、是非、拝読されますようお勧めいたします。

 なお、「光明道中記」がお手元にない方は、次のWebでも確認できます。

 谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「[571] 万物めぐむ(三月の光明道中記)」
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=73 )


           <感謝合掌 平成27年4月16日 頓首再拝> 

「生命の教育」発刊 - 伝統

2015/04/18 (Sat) 20:12:18


       *『生命の教育』発刊の辞(昭和10年6月) ~ 谷口雅春先生


人類の偉大なるは人それ自身の本質による。
金の良質なるは金それ自身の本質による。

金は鉱石を外から磨いても純金となるのではなく、
その本質を抽出するところに純金が顕現するのである。

人間の教育もかくの如く、人間を外より磨くよりも、
その本質を内より抽出することによって完成するのである。

併し人は金よりもなお偉大なるものである。
金は自然に放任するときは。みずから内よりその純分を析出しないけれども、
人は生命であるから、本当に自然に放任するとき、栗の実が毬を破って出ずるが如く、
おのずからその本質のよさを呈露するのである。


人の偉大なるは縛られて善くなるのではない。
『本当の自然にまかす』とき、内在無限の善さが、内在無限の能力が、内在無限の智慧が、
内より呈露して発現するのである。

併し、『本当に自然にまかす』とは、何であるか。
それはただの放任ではない。

大生命を知り大生命に任すのである。

ただの放任は『自然にまかせた』ように見えていて、
その実は今までの『悪しき惰力』に縛らせている場合が多いのである。

悪しき惰力に縛られずして、人それ自身に宿るところの大自然をよびだして、
それにまかせて教育する教育が吾らの生命の教育である。


人それ自身に宿るところの大自然とは何であるか。
これこそ吾らに内在する神性であり、仏性である。
この内在の神仏をよびだすは言葉の力により、文章の力による。

吾らの教育の本質と方法とを万人に宣べ伝えて、一挙にして全人類を光明化し、
地上に一人の劣等児なく、虚弱児童なく、家庭争議なく、一切の歪める思想家なく、
神そのものの如き人間を地上に創造せしめんがために、
吾らの地上天国建設運動に参加せられんことを庶幾う。

              ・・・

         *『生命の教育』 はしがき より

生命の教育とは、『唯神実相哲学』を根幹として展開される
谷口教育学の原理と方法のことで、生命の本源にさかのぼり、
神性一元の人生観、世界観に徹するところに窮極がある。

生命の教育とは、すべての子供に、神性・仏性・無限の可能性の内在することを信じ、
これを観ずること、すなわち、広義の“コトバ”の力によって”引き出す教育”のことである。


生命の教育では、『実相』と『現象』とを明らかに区別し、
現象に如何なる悪しき相(すがた)があらわれても、
唯、実相を観ずる『観の教育』で解消する。


生命の教育は、常に『今』を活かす教育で、子供の生長、発達の各段階に応じ、
内部生命の発現に相応する教育を行なう。


生命の教育は愛の教育である。


生命の教育は、生命顕現の法則に従い、秩序を尊び、中心に帰一し、
大和(だいわ)の理念、日本の使命達成のための教育を行なう。

              ・・・


こどものしつけの根本問題

     ◆しつけのこころ ―― しつづけること ――

「しつけ」には次のような意味があります。

(1)仕付 ・・・ これは着物を仕立てることです。
   ‘しつけ糸’は、したてた着物の型が狂わないようにするための糸です。
   子供のしつけも、正しい型からはみでないようにする、という意味があります。

(2)農業では「田植」や「植付」のことをいいます。
   こどもの‘しつけ’は、単に外から型をつくるのではなく、
   内からの生命を育てていくということに大切な意義があります。

(3)教育では主として礼儀作法を教え習わすことを「しつけ」と言います。

(4)「しつけ」は「しつづける」がつまって「しつけ」となったもので、
   日常生活の中で、よい習慣をしつづけていくうちに、
   第二の性格形成に導くことをいうのであります。



     ◆生命の教育のしつけ ―― 内なる生命のめざめ 

「しつけ」という言葉のひびきからくる感じでは、
子供がわるくならないようにするためとか、悪いところをためなおすとかいう
形の上のしつけが中心になっていますが、「

「生命の教育」のしつけは、はじめに「こういう子供がよい子である」という、
いわゆる「よい子」のワクをつくっておいて、その中に子供をはめこむことではありません。

子供の内部に宿る生命をぐんぐんとひきだしながら、
自然に、その子にあった個性的な型をあとからつくっていくというのでなければなりません。
この点はとても大切です。



     ◆しつづけるためには ―― 誓うことなかれ

「しつけ」とは「しつづける」ことであるとは、しつけの基本です。

ところが、しつづけることができずに中断してしまったときの心の姿勢が、
うんと大事であることに気付かない人が多いのです。

 「テレビを見る前に勉強をかたずけると、ほら、約束したでしょう」
 「夜は○時に寝ると、約束したでしょう、もう約束を破ったの」

これに類する会話が、意外と多いのです。

キリストは「汝、誓うなかれ」と申しました。
あまり、続きそうもないことを、やたらに約束したり、心に誓ったりしますと、
それができないときに、心が大いにいたむのです。
甚だしいときには自己劣等感や、自己嫌悪や、自己処罰をひきおこします。

しつづけるために、うれしいたのしい見かた、考えかた、方法を発見し、
創造していくことが、豊かな個性をひきだし、伸ばす鍵となります。

子供のしつけは、実は親自身の正しい生活法の発見にかかっているのです。

            鹿沼景揚 (財)新教育者連盟理事長 当時
                         

(以上は、光明掲示板・第一「生命の教育 (3543)」からの転写です。
 詳細は、光明掲示板・第一にてご確認ください。
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=681 )

           <感謝合掌 平成27年4月18日 頓首再拝>

こどもが勉強好きになる10項目 - 伝統

2015/04/21 (Tue) 17:42:15


          *Web版 母親教室(平成19年9月)より

(1)子供は「天才!勉強大好き!」とお母さんが信じます。
 
   子どもは「神の子」です。その子にしかない、
   かけがえのない個性・天分が宿っています。
   今、どのように見えても本来は「素晴らしい神の子」です。

   エジソンの母親は、学校の担任が彼を低能と言ってもその言葉を信ぜず、
   自分で教育し立派な発明王に育てました。

   すべての子供は無限の力をもった「天才」である事を信じ、更にコトバの力を応用し、
   「○○さんは天才!勉強大好き!」と自分自身に繰り返し言い聞かせましょう。


(2)すべての体験が勉強です。
 
   他人に迷惑をかけないすべての事が勉強です。
   お母さんにはいたずらと見えることでも、
   子どもは体験や実験を繰り返しながら学んでいるのです、

   この「勉強しようとする意欲」を育てることが、お母さんの大切な役目です。
   それを強制的に辞めさせてしまうと、自発的に興味を持たなくなったり、
   消極的な性格になってしまいます。何をしていても「上手ね!」と
   声かけながら善い方向に導いていきましょう。


(3)上手な叱り方
 
   愛しているがゆえに、親の考えをお子さまに押し付けたり、
   縛ったりはしていませんか?

   体でも縛れば自由に動けないように、心も縛られたら
   自由に発現しませんし、陽気も失われてしまいます。

   また、「勉強しなさい!」と言うことばの奥には
   「この子は勉強しない子」というお母さんの思いはありませんか?

   子供は神の子で無限能力を持っていると強く信じましょう。

   谷口雅春先生著『新版 女性の幸福365章』にはこのように書かれています。


      母親があまり子供に、叱言ばかり言っていると、叱言の権威がなくなってしまう。

      「母親は叱言を言う自働機械だ」くらいに考えてしまって、興味のない
      ラジオの番組が側で鳴っておっても、聴きながら聴いていないと同じように、
      少しも母親の言うことをきいていないようなことになる。

      そして「お前は親の言うことをきかぬ」と口癖のように言う親の叱言だけが
      暗示となって子供の潜在意識に印象され、子供は益々親の言うことを
      きかぬようになるのである。(同書343頁)


(4)基礎が大切です。
 
   勉強をさせる場合、最初から難しい問題を出して
   お子さまを行き詰まらせないようにしましょう。

   最初はらくらくに出来る問題を与え、「自分はできる!」と自信を与え、
   徐々に進んでいきましょう。他の子と比べるのではなく、その子の出来る所から
   始めて、讃めて自信を持たせてあげましょう。


(5)精神統一とコトバによる暗示が大切です。
 
   幼い時より、神仏に手を合わせる習慣は何事にも集中力が養われます。
   また、どろいじりでも、おもちゃをこわす事であっても、その子が何かに
   夢中になってしている時、自由にやらせますと一つのことに精神統一する習慣が
   できます。

   学校に行き出しましたら「先生の言うことをじっと聞く」と言う指導をしましょう。
 
   お母さんはいつもお子さまに「○○さんは、一度聞いたことは決して忘れない!」
   「勉強大好き○○さん!」等と良きコトバの声かけをし、暗示を与えましょう。


(6)得意な学科を讃めましょう。
 
   自信がつくと他の学科も伸びます。答案用紙を持って帰ったら、
   1問しか出来ていなくても、その1問を思いっきり讃めてあげましょう。

   谷口雅春先生著『新版 叡智の断片』の中では次のようにお教えくださっています。

      一芸に秀でたるものは万芸に秀でる。それは一芸に秀でることにより、
      その才能が讃めたたえられることにより、其の他のあらゆる才能が
      のび出すからである。

      長所を見つけてほめたたえよ。
      さらばあらゆる短所は変じて長所となるのである。(同書130頁)


(7)先生を好きになると、勉強も好きになります。

   「○○先生は、とてもよい先生ね」とお子さまの前で先生を讃めましょう。
   お母さん自身が、学校・先生に感謝しましょう。

   参観日には先生に、学校に、教室に、黒板に、すべてのものに
   「ありがとうございます」と心の中でとなえてみましょう。


(8)何よりも家庭が大事です。
 
   お子さまの心が安定し、落ち着いて学校に行けるように、
   夫婦が仲良く、両親に優しく接し、ご先祖を敬い、明るい家庭を作りましょう。


(9)夢のある子に育てましょう。

   今、「自分の夢」を語れない子が多いと言われています。
   この世に形をあらわした全ての事は、まず心で想像しその心がもとで
   形が後からあらわれたのです。

   あらゆる成長の原動力は、豊富な想像力なのです。
   お子さまに豊かな想像力を養成してあげましょう。

   谷口雅春先生は『生命の実相』第14巻で次のようにお教え下さっています。
 
      あるものはそれをたんなる空想だと捨ててしまう。
      しかし天才はこの新しい考えをいつまでも捨てないで、ついにそれを
      この世の形に翻訳して新しい独創的なものをつくりあげるのである。

     (中略)こんなに貴い想像力をいかにも生き生きともっている子供は幸いだ。
      大人よ、子供の想像力を尊べ。そして、それを生かすように努めよ。

      多くの大人が極めて貧弱な想像力しかもっていないのは、
      子供の時代に想像力を正しき方向に、健全に、円満に、建設的に
      養成することを怠ったからである。(同書146頁)


   たとえどんな困難に出合っても、「きっと、よくなる!」と明るい未来を想像し
   夢を描き、真っ直ぐ歩いていけるように、お子さまに大きな夢を持たせて、
   そして共に歩んで行きましょう。


(10)常に「祈り」ましょう。

   自由にまかせるとは、奔放(ほんぽう)なわがままとは違います。
   ほめると言っても、ご機嫌をとることではなく、放すと言っても、
   躾を放棄するのではありません。

   「○○さんは、神の子 完全円満無限力。必ず神さまが善くしてくださる」との
   心の底から 宣言する「祈り」が、土台となります。心配するより「祈り」ましょう。


以上の10項目を実行されましたら、お子様が勉強好きになり、成績があがって来るでしょう。

しかし、子供の本当の“すばらしさ”とは何があってもくずれない
「大いなる神の子」の自己発見をすることなのです!

生長の家の教育の目的は、どんな困難にも屈しない「神の生命」「無限の可能性」を信じ、
引き出してあげることです。つまり、実相をただただ観ることなのです。

お母様のご努力をお祈り致します。

尚、「楽しい子育て体験談」をクリックしてくださると、体験事例を紹介しております。
大変参考になりますので是非お読みいただきたいと思います。

  → 「楽しい子育て体験談」
    http://www.sni-honbu.or.jp/whda/haha/voice/index.html

           <感謝合掌 平成27年4月21日 頓首再拝>

生命の教育 七つの心得 - 伝統

2015/04/23 (Thu) 17:41:31


(1)子供に宿る善性を信じ、これを引き出し 伸ばし、育てます。

(2)どの子の個性も尊重し、この世に生れた使命を生かします。

(3)よい習慣をしつづけて、正しいしつけといたします。

(4)問題の子供は心の病気、実は優良児の仮の姿と、観方を一転します。

(5)親が変われば子が変わる。
   何よりもまず明るい家庭をつくります。

(6)いつもニコニコ、やさしいコトバ、認めてほめて、たたえます。

(7)花咲くことを疑わず、信じて気ながに育てます。


愛国本流掲示板
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=2305

参考Web:学習塾サンクス・ワン(2014年10月05日)
      → http://ameblo.jp/foreverthanks110/entry-11934847079.html

           <感謝合掌 平成27年4月24日 頓首再拝> 

子育ての本質は「育てない」こと - 伝統

2015/04/25 (Sat) 17:36:43


    *「「ありがとう」のすごい秘密」小林正観・著(P22~25)より

《母親の生き様が子どもに大きな影響を与える》

小中学生の子どもが事件を起したりすると、「子どもともっと向き合ったほうがいい」
と言う人がいますが、私はちょっと違う意見をもっています。

子どもと向き合わないことです。
なぜなら子どもは親の背中を見て育つからです。

向き合うことはあら探しをしながら育てることになってしまいます。
こうして育った子どもはひねくれていきます。


子どもは育てるのではなく育つのです。
勝手に育ちます。

そして、育つときの条件というのは、一番身近に親、つまり父親や母親、
特に母親の影響が大きいのです。
なぜなら、一緒にいる時間が長いからです。

その母親が楽しそうに生きていることが重要なのです。
「なんでお母さんそんなに楽しそうなの」
「だって楽しいんだもん」・・・


一番身近な母親が楽しそうに生きているのを見て、子どもは物事は楽しくとらえれば、
すべてのことが明るく楽しくなると母親を通して知ることができるのです。

ところが、一番身近な母親が不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言い続けていると、
子どもはそのように物事をとらえるようになります。

最初のとらえ方が、愚痴や泣き言であるというのを覚えてしまうと、
子どもは親のやったとおりにまねをし、そのようなやり方を身につけていきます。


これから結婚して、母親になるかもしれない人は、
まず大事なのは笑える顔の夫を選ぶことです。

毎日毎日、朝起きるたびに、「面白い顔よね」、
夫のほうも「お互いさまだよね」と言える。
これが平和な家庭の第一歩です(笑)。

そして、子どもが生まれたら子どもと向き合わないで、自分自身が楽しく幸せそうに、
さらにもののとらえ方を明るく楽しくすることを自ら実践して、
言葉の端々にそのことを伝えていくと、子どもはそのように育ちます。

           <感謝合掌 平成27年4月25日 頓首再拝>  

幼い子供は環境の精神波動を鋭敏に感じとる - 伝統

2015/04/28 (Tue) 19:11:33


           * 『生長の家』(昭和36年7月号)より

幼い子供は大人よりも環境よりして『無声の声』を鋭敏に感じとるのである。

3歳の子供が自国語を大体自由に話し得るようになるのは
『この発音はこういう意味だ』と云う説明なしに意味を覚えてしまうのだから、
精神感応により、環境からくる『無声の声』を感じとって、
その折々に発せられる言葉の意味を感じとることができるからである。

この道理が理会されるならば、子供が両親の夫婦喧嘩などからくる精神波動の混乱を
そのまま感じ取って病気になり、両親の感情の波がおさまると病気が治る事実が
あるのも科学的事実だと言わなければならないのである。

子供の本当の教育は、叱咤や鞭や言い聞かせや説明よりも、
どんな精神波動を子供に感応させるかと云うことによって多く行われるのである。

真の教育は、愛と尊敬と讃嘆と互いの理解とによって行われる。

真に愛され尊敬され理解されている子供は決して親から尊敬を裏切るような行為は
出来ないのである。

動物でさえも単に鞭のみにて自分の思うように教育することは出来ない。
馬は自己を愛する人の言うことを聞き、自己を愛しない人を振り落とすのである。

刑罰によって子供を善導し切れるものではないのである。
刑罰は悪を心にみとめて、悪を叩き出そうとするのであるが、
それは恰も『闇』の存在をみとめて『闇』を叩きだそうとするのと同じである。

『闇』は叩いても消えるものではない、ただ光をとばすことによって消えるのである。

和顔・愛語・讃嘆・その子供の實相への礼拝と尊敬、これが本当の教育である。

     (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/18308557.html

           <感謝合掌 平成27年4月28日 頓首再拝> 

子の生活力アップには - 伝統

2015/05/07 (Thu) 19:54:57

 
「がんばれ」より「一緒に」親と楽しむ、大切~青少年教育振興機構調べ


           *日本経済新聞(2015.5.2)より

「もっとがんばりなさい」など保護者の子供への叱咤(しった)激励は、
洗濯物をたたんだり、あいさつできたりといった生活力の向上には
必ずしもつながっていないという調査結果を国立青少年教育振興機構(東京)が
1日発表した。

趣味を一緒に楽しむなどの経験をさせるほど、
礼儀やマナー、課題解決力がより身につくという傾向もみられた。

担当者は「言葉だけではなく、一緒にやってみるなど具体的な体験を伴うと子供の力は伸びる」
としている。

 
調査は全国の公立小学校の4~6年生の児童と保護者の約8千組の回答を分析した。

保護者には

(1)「もっとがんばりなさい」「しっかり勉強しなさい」など叱咤激励をよくするか

(2)趣味などをよく一緒に楽しむか

(3)早寝早起きや1日3食の食事など規則正しい生活を守らせているか

などを質問した。

 
一方、子供には

(1)洗濯物をたたんだり、リンゴの皮をむけるなど家事・暮らしの力

(2)近所の人にあいさつするなど礼儀・マナーの力

(3)コミュニケーションの力

(4)夜更かししないなど健康を管理する力

(5)トラブルに遭った時の課題解決力の5項目を自己評価させた。

 
叱咤激励をよくする家庭の子供は「家事・暮らしの力が高い」が15.2%、
「課題解決力が高い」が45.7%だった。

叱咤激励をあまりしない家庭の子供はそれぞれ18.9%と49.2%で、
「高い」の割合が上回った。

礼儀・マナーの力、健康管理の力でも叱咤激励しない家庭の子供のほうが好結果だった。

趣味などを一緒によく楽しみ、規則正しい生活を送らせている家庭の子供ほど、
5項目の自己評価が高かった。

例えば、保護者と趣味などをよく体験している子供は
「礼儀・マナーの力が高い」が63.8%で、あまり体験していない子供は52.9%だった。

  (http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01H8U_R00C15A5CR8000/

  (http://www.nikkei.com/news/image-article/?R_FLG=0&ad=DSKKZO8639047002052015CR8000&bf=0&ng=DGKKASDG01H8U_R00C15A5CR8000&z=20150502

           <感謝合掌 平成27年5月7日 頓首再拝> 

『メイ牛山流 子どもの賢い育て方』 - 伝統

2015/05/08 (Fri) 18:32:00


            *Webより

日本人は教育することが下手ですね。だから手がかかるばかり。
子どもを愛玩(あいがん)用にしているから、世話を焼きすぎるし、おもちゃを与えすぎる。
これじゃ仕事との両立は難しいし、いい子どもも育たないわね。

教育っていうのは、子どもが自立するための能力を開発してあげる手伝いなんです。
だから、なるべく子どもに自分のことをやらせるとか、
あまりモノを与えないで自分で工夫して遊ぶようにさせないとダメなんですよ。
それをわかっているから、アメリカでは子どもをよく働かせます。

日本でも明治、大正時代には子どもを使ったものですよ。
子どもも、そのときには「どうしてこんなことを」って思うかも知れないけど、
あとになったら感謝しますね。

いろいろな仕事を経験すれば自分の適性っていうのがわかるし、
新しい能力が身につくでしょう。

今の親は子どもを働かせるのはかわいそう、なんて思っているみたいだけど、
そうやって甘やかしているのは子どもの可能性を摘み取ることなんですよ。

私は、お客さんの子どもが男の子でも、食事のあとにじっとしていると、
「どうしたの、ご飯が済んだらすぐに食器を持って台所に行くのよ」って教えます。
「そんなことじゃ、結婚してから奥さんに嫌われるわよ」っていってね。

自分のことが自分でできるっていうのは人間の基本ですよ。
だから、それを教えるのが親の愛情です。

(中略)

きちんと子どもを教育すれば、自分が仕事をする際にも助かるし、
その子の将来のためにもなるんです。

そのために5歳までに基礎を教えて、あとは自分で自分のことをさせること。
そうすれば、両立も簡単ですよ。

       (http://masayo-blog.com/archives/43312


           <感謝合掌 平成27年5月8日 頓首再拝> 

育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)にある - 伝統

2015/05/10 (Sun) 17:41:46


           *「光明道中記」(P81)より


初めて子供が生まれたときにどんなにその母親は勿論、
父親もその子供を可愛く思うであろう。
その愛は尊き愛である。

その愛がなかったならば幼い脆弱(ぜいじゃく)な肉体を有った赤ん坊は
生活し得ないで大人まで成長する者は稀(まれ)であろう。

子供を生かすのは、そして吾々を今日まで生活することを得しめたのは
兎も角も父母の愛である。
吾々は此の点に於て父母に感謝しなければならない。


子が生まれたとき父母に感謝せよ。
育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)にある。

科学的な育児法がどんなに巧みに行なわれても、若しその若き父母が、
その老いたる自分の父母に感謝し得ない時には育児の根本は覆われて了うのである。

最初に生まれた子供がどんなに可愛いからとて、
その愛に溺れて、無暗に抱きかかえたり、頬ずりしたりして、
折角安静に眠っている赤ん坊の神経を掻きみだしてはならない。


昔から「総領(そうりょう)の甚六(じんろく)」などと言って
長男は頭が鈍(にぶ)かったり、祖父(じい)さん祖母(ばあ)さんに
育てられた子供が「甘え手(た)」で我儘(わがまま)で始末が可(い)けない場合が
多いのは、生まれた最初からあまり抱きかかえ過ぎるからである。


赤ん坊の言葉は「泣く」ほかないのであるから、
泣いたからとて必ずしも抱いてはならない。

           <感謝合掌 平成27年5月10日 頓首再拝> 

赤ん坊の癇癪泣き - 伝統

2015/05/12 (Tue) 18:49:24


           *「光明道中記」(P82)より

赤ん坊はお乳を飲みたい時にも泣くし、眠い時にも泣く。

お乳を飲みたい時には、唇の表情はお乳を飲む時の格好に幾分
顫動(せんどう)せしめながら泣くものである。
眠いときには瞼(まぶた)を半ば閉じて眼の表情を眠そうにして泣く。

突然火のつくように泣くのは、どこか急に痛みか痒(かゆ)みが出て来たときである。
針が身体に刺さっていないか、虫が螫(さ)していないか調べて見る必要がある。

お腹が急に痛む場合にも急激に泣く。
その場合、生後1ヵ月以上の赤ん坊なら涙が出るのが普通である。

同じように急激に泣いても、癇癪(かんしゃく)泣きの場合には
涙は出ないで足を踏(ふ)んばらせたり、手を憤ったように頑張らせたりして泣く。

肉体は心の影であるから、表情を観察しておれば
容易に何の感情で泣くのか判るものである。


癇癪泣きの時に愛慰(あや)すような習慣を附けてはならない。
抱いては一層可(い)けない。

癇癪立てて泣きさえすれば何事でも叶うのだと云うよう我儘な習慣は、
泣きさえすれば抱いたり乳を飲ませたりする母親が最初に子供に養成したのである。
何でも最初が肝腎である。

嬰児(あかんぼ)だから何も分らないと思うのは間違である。
最初の我儘の習慣は大抵生れて15日以内に就くのである。

           <感謝合掌 平成27年5月12日 頓首再拝> 

子育ての秘訣 - 伝統

2015/05/14 (Thu) 17:46:29

         *Web:家庭の文化力(2014/12/10)より

三つ子を産んでそのうち二人が障がい児(脳性マヒ)という境遇を持った
野上文代さん(48才)は、自分の苦難を喜びに変えた。
その体験を次のように語っている。

現在私(野上)の三つ子は17才である。
長女と長男が脳性マヒで生まれてきた。

私は昭和31年に結婚したが、それから5年経って三つ子を産んだ。
三人とも未熟児で保育器に入った。
1.5ヶ月後に2000gとなり、家に連れて帰った。

母親にとっては三人の育児はとても辛いものであった。
私の母が手伝ってくれたので随分助かった。
親子が一緒で死ぬことも考えた。

そんな危機のときにはっと気がついた。
「この子たちは私をお母さんとして選んでこの世に産まれてきた。
よーし、それならしっかり育てるぞ」と気丈に思った。

絶望から希望に変わった。

小学生になって3人一緒に普通の学校に通わせた。
クラスの子どもたちが皆で世話をしてくれた。
私の子どもたちも友達ができて大喜びで仲良しになった。

親や先生が自分の境遇を喜んでいると子
どもにその明るい気持ちが反映するのだ、と私は思った。

次男だけが健常者だったが、彼が4年生の時の作文で、
「僕はお母さんの世話をしている姿を見ていて、
将来障がい者の人たちを助ける仕事をしたいと思っています」と書いた。

私は母親としてこんなに嬉しいことはこれまでなかった。
子育てについて母親の責任はとても重いと思った。
私は次の四つのことをして子どもを育ててきた。

一つ目は、毎日3人の子どもたちを抱きしめた。

二つ目は「あなたは私の大好きな子よ」と言ってあげる。

三つ目は「私の子どもで産まれてよかったね」と言う。

四つ目は「神さまがいつも私たちを見守ってくれている」

この四つの実践である。

さて、6年生のとき、私たち夫婦は離婚した。
私は気丈な性質であったので、いつも自分の考えを主張した。
夫に対し思いやりがなかった。これを反省した。

でもそんな性格があったので自分のこれからやっていく覚悟がついた。
障がい児を預かる施設を作ってお母さんたちが働けるようにして上げることを思いついた。
幸い公の資金の援助があって御殿場に「預かる施設」を作ることができた。

私は生かされて生きている存在だと思った。
この尊いいのちを使って多くの人によい運命が巡ってくることを思った。
施設の運営費は私が各地に行って講演をすることで賄った。

聖書には「神はその人の力に余る試練を与えることはしない。
そしてそれを乗り越える力を与えてくださる。いつも見守って下さる」と書いてある。

これを思うと全身に勇気と希望が湧いてくる、と野上さんは言っている。

       (http://greetingmn1.blog.fc2.com/blog-entry-159.html

<参考Web>

(1)野上文代さんのブログ http://ameblo.jp/rovid/

(2)野上文代さんのプロフィール http://www.future-ds.co.jp/children


           <感謝合掌 平成27年5月14日 頓首再拝> 

赤ん坊の癇癪泣き②~最初の教育 - 夕刻版

2015/05/15 (Fri) 17:58:18


           *「光明道中記」(P83)より

最初の教育は、赤ん坊が善き態度をとったら、
善き感触を与えられると云う経験を通して行なわれるのである。

赤ん坊が悪しき態度を示したときに良き感触を与えられるならば、
その赤ん坊は悪しき態度のみを示すようになるであろう。

泣いたときに抱いて優遇したならば、
その赤ん坊は泣いたら優遇されると知って泣き虫に育つのである。

癇癪を起したときに優遇されるならば、自分の要求をきいて貰えない時に、
いつでも往来の真ん中で大の字に寝そべって泣きわめいて、
親を困らす子どもになるだろう。

泣かぬ子に自分の児を育てようと思うならば、
赤ん坊が泣く時にはそれが痛みの表情でない限り、
無関心で放置する習慣をつけるべきである。

そして赤ん坊がにこやかに機嫌の好い時こそ、
お乳をやり、又時には抱いてやっても好い。

泣いている時に「おお、そうかそうか」と言って如何にも可愛気に愛慰(あや)すならば、
泣きさえすれば愛撫(あいぶ)してくれるものだと赤ん坊は思い違いをするであろう。

癇癪を立てている時に機嫌をとるために愛撫するならば、
赤ん坊は愛撫して貰いたくなると癇癪を立てるであろう。

           <感謝合掌 平成27年5月15日 頓首再拝> 

お乳を飲ますタイミング - 伝統

2015/05/17 (Sun) 20:16:06


           *「光明道中記」(P84)より

乳飲児(ちのみご)があるので本を読む暇がないと言う母親がある。

子供を有つようになったから、家の掃除も碌々出来ず、家の隅々には埃が積り、
自分の着物さえもどろどろで身躾(みだしな)みなどすっかり出来ずに、
急に老けていく若い母がある。

乳飲児があるので世話がかかって時間が無いと言う母親は
本当に時間がないのではなく、時間を作らないのである。

そんな母親は始終赤ん坊に泣かれて、始終赤ん坊を抱いているか、
始終不規則にお乳を飲ますかし勝ちだ。

乳児に抱き癖をつけると抱かない時は冷遇されたと思って頑固に泣き通すものである。
子供を愛しているようで、子供を泣き虫に我儘に育てる親はこんな母親である。

そしてその子供が成長してから、
「自家(うち)の子は、どうして斯う我儘だろう?」と呟く。
母親よ、御自分が子供をそう作ったのである。

1回にお乳を飲ませる時間は、母親の乳首の状態と、赤ん坊の吸う力との相互関係で
定(き)まるのだから一定し難い。併し1回30分間を超えない方が好い。
少しずつ長時間に亙(わた)って飲ませると間食をしているのと同じ結果となる。

赤ん坊は半ば吸った頃から眠りを催すから、そんな時は赤ん坊の口の縁(ふち)を
指で突(つつ)き乍(なが)ら飲ませると、又強く吸いはじめる。

           <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝> 

規則正しい授乳、規則正しい便通 - 伝統

2015/05/19 (Tue) 23:00:22


           *「光明道中記」(P85)より

赤ん坊に規律正しくお乳をやると云うこと、
規則正しい時間に便通をさせること、
それらは人間に最初の規則正しさを教えることになるのである。

規則正しい授乳と用便とは、人生に一つの法則があり、権威があり、
それに従うときに自由と快感を得るものであることを
赤ん坊に教え込むことになるのである。

即ちそれは「服従は自由なり」の古聖の金言を實生活の上に示し、
周囲と調和することことが、
自分の伸びる道であることを実生活に於いて知ることが出来るようになる。

子供を自主的な立派な人間に育てるのは必要だが、暴君に育てることは禁物である。
実的な立派な人間とは法則を破る人間ではなく、
法則を発見し、法則を利用する人間なのである。

科学者は自然界の法則を発見し、それを利用するとき本当の自由を得る。
自然界の法則を利用するとは法則に違(たが)うことではなく
、法則に従うことなのである。
凡そ、自由とは法則に従うところから来る。

内部の法則が外在の法則と全く一つになって運行するとき、
丁度機関車の内部の力が、軌条(レール)の則(のり)とがぴったり合ったとき、
自由になめらかに運転するのと同じようなものである。

あまり自由に甘やかして育てた子供が墜落するのは、
幼児から法則を無視することを教えたからである。

           <感謝合掌 平成27年5月19日 頓首再拝> 

規則正しい授乳、規則正しい便通~その2 - 伝統

2015/05/21 (Thu) 19:29:01


           *「光明道中記」(P86)より

赤ん坊に規律正しくお乳をやると云うこと、
規則正しい時間に便通をさせること、
それらは人間に最初の規則正しさを教えることになるのである。

規則正しい授乳と用便とは、人生に一つの法則があり、権威があり、
それに従うときに自由と快感を得るものであることを
赤ん坊に教え込むことになるのである。

即ちそれは「服従は自由なり」の古聖の金言を實生活の上に示し、
周囲と調和することことが、
自分の伸びる道であることを実生活に於いて知ることが出来るようになる。

子供を自主的な立派な人間に育てるのは必要だが、暴君に育てることは禁物である。
実的な立派な人間とは法則を破る人間ではなく、
法則を発見し、法則を利用する人間なのである。

科学者は自然界の法則を発見し、それを利用するとき本当の自由を得る。
自然界の法則を利用するとは法則に違(たが)うことではなく、
法則に従うことなのである。
凡そ、自由とは法則に従うところから来る。

内部の法則が外在の法則と全く一つになって運行するとき、
丁度機関車の内部の力が、軌条(レール)の則(のり)とがぴったり合ったとき、
自由になめらかに運転するのと同じようなものである。

あまり自由に甘やかして育てた子供が墜落するのは、
幼児から法則を無視することを教えたからである。

           <感謝合掌 平成27年5月21日 頓首再拝> 

赤ん坊が泣いた時に時計を見る習慣は好いことである - 夕刻版

2015/05/26 (Tue) 18:16:34


           *「光明道中記」(P92)より

赤ん坊が泣いた時に時計を見る習慣は好いことである。
それが実際空腹で泣くのか、他の原因で泣くのか
区別する一つの適切な標準となるからである。

授乳後1時間半以内で泣くときには、それは空腹ではない。
用便を催(もよう)して来たか、既に用便して股間が不快なと云うことを
知らせているかしているのである。

寝小便の習慣は、嬰児の最初の用便の訴えを聞き流して、
襁褓(おむつ)の湿った感覚を不便と感じない程慣れさせて了ったところに起因する。
その子供は、小便は寝床で用達するべきものと考えているのである。

だから食事時間でないのに赤ん坊が泣くときは襁褓(おむつ)取換を請求していると
思い、襁褓(おむつ)を取替えてやるべきである。

若し其の時襁褓(おむつ)が濡れていなかったら、3分間下半身を空気浴するつもりで
赤ん坊を便所で支えて「シー」の言霊(コトバ)の力で排尿を誘導して見るべきである。
巧みに習慣をつければ生まれてから数回のほか襁褓(おむつ)を濡らさずに済ませる事
も出来る。

赤ん坊は生後数日間は殆ど小便しない。
2週間後から3ヵ月迄は毎日約14回、6ヵ月迄は16回である。

股間が乾いている事が当り前で、濡れているのが異常だと判り、
採尿は便所であるのは正しいので、寝床でするのが間違だと知れば、夜尿は無くなる。


           <感謝合掌 平成27年5月26日 頓首再拝> 

赤ん坊が口に指を入れるのを許してはならない - 夕刻版

2015/05/28 (Thu) 18:02:03


           *「光明道中記」(P95)より

赤ん坊はまず口の触覚から発達し、同時に用便の感覚が発達する。
これがなければ生存できないからである。

手の存在を自分自身感覚するのはそれからずっと後らしいが明瞭には判らない。
赤ん坊は手を何に使うものであるかを最初は自覚しないのである。
偶々(たまたま)指が口に触れたとき、口は触れるものを吸う本能が発達しているので、
自分自身の指を吸う。その時にはじめて口に触れた自分の手を感覚する。

その時の筋肉感覚の記憶によって、そう云う筋肉感覚を起したときに、
吸うものが口に触れると云うことを、もう一遍やって見ようとして手を動かす、
すると又、何物かが(指)口に触れて吸い得る。

それは喜びには違いないが、指そのものの目的は口によって吸われる為にあるのではない。
それは明らかに目的に背反している。

自分の肉体を玩弄(がんろう)する習慣と云うものは外界に積極的に伸びる人間の
生命力を、内部方向に退嬰(たいえい)せしめる傾向があるもので、
肉体玩弄の習慣を養うときは子供は神経質に育つものである。

決して赤ん坊が口に指を入れるのを許してはならない。
指を口に入れようとする時、指を引いて妨げられることが重なれば、
この方向へは手が行かないものだと思って、手を口の方向へ動かさなくなる。

           <感謝合掌 平成27年5月28日 頓首再拝> 

幼児に対する最初の「自他一体」の教育 - 伝統

2015/05/30 (Sat) 18:32:47


           *「光明道中記」(P96)より

類は類を招(よ)ぶ心の法則からして、
子供部屋には円満な形のものばかりを置くようにしなければならない。

手の運動をただ口へ運ぶだけにのみ発達せしめるのは愚かなことである。

手を動かし足を動かしているうちに自分のみならず、自分に繋(つなが)って
他物が動くと云うことを教えるのは、幼児に対する最初の「自他一体」の教育である。

着衣は出来るだけ運動し易いものを選んで自由に運動し得るようにする事が肝腎である。
自分で物を撮(つま)むことの出来ない頃は、幼児自身の手にゴム風船のようなものを
縛り付けてやって、自分の手の運動につれて他物が動く喜びを味わすのである。

風船の色などは赤とか青とか紫とか黄色とか別々のを併列せしめて、
その色々を各別に指(ゆびさ)して色の名称をハッキリと述べて動かす。

言(ことば)は力であるから、各別の色彩に対して別々に名称を与えられることに
よって、今迄赤、青、紫、黄と雑然としていたものが、各々別々の存在として
印象せしめられる。

この事は色彩の感覚の訓練になり、同時にそれは幼児の心全体の生長に役立つ。

赤ん坊は大きな音を聞かすか周囲の人が恐怖を教え込まない限りは恐怖しない。

           <感謝合掌 平成27年5月30日 頓首再拝> 

愛情をそそぐが、甘やかさないことが大切 - 伝統

2015/06/02 (Tue) 19:39:22


           *「光明道中記」(P97)より


驚風(きょうふう)などと言って赤ん坊が夜間突然目を覚まして泣く習慣が
始まったりするのは、屹度親の心の中に驚風が捲(ま)き起っているのである。

親子は一体であるから、親が先ず心の平和を取り戻すことが必要である。

赤ん坊を愛することは必要であるが、赤ん坊自身に対し、彼が家族の中で
特別に重要な存在であって、どんな我儘を言っても肯(き)かれるものであるとの
感じを与えては可(い)けない。

規律が赤ん坊の周囲で厳重に行なわれており、どんなに嘆いても、駄々を捏(こ)ねても、
時間が来なければお乳を貰うことも出来ないし、利己的動機からは規律は決して打ち破る
ことが出来ないことを生活の中でそれとなく自覚せしむるようにしなければならぬ。

併し、愛は深くなければならぬ。
親を冷淡だと思わせてはならない。

愛されてはいるが、すべての人間は平等に愛せられねばならないことを
赤ん坊の時から知らせて置くことは必要である。

大抵の家庭では赤ん坊のときには、彼のみが特別に愛されているような事実を経験
せしめられながら、次第に長ずるに従って其の「特別な寵愛」が一般的な区別ないものに
低下してくるので、それを愛の冷却と取間違えて親を恨むようになるのである。

           <感謝合掌 平成27年6月2日 頓首再拝> 

赤ん坊の吐乳 - 伝統

2015/06/04 (Thu) 19:01:13


           *「光明道中記」(P98)より

赤ん坊がお乳を吐いてもそれは必ずしも病気ではない。

それは赤ん坊の胃袋は真直であって食道から縦に立った御酒徳利(おみきどくり)の
ような形になっていて、胃袋の上を圧(おさ)えたり、身体の位置が悪かったり、
少しく動揺を与えたら溢れ出易くなっているからである。

これは吐乳(とにゅう)と言うよりも溢乳(いつにゅう)と言うべきで病気ではない。
溢乳は大抵まだ飲んだ乳が固まっていないが、本当の吐乳は概(おおむ)ね飲んだ乳が
豆乳状に凝固して出る。吐乳しても、発熱や、便の異状がなければ病気ではない。

併し凝固した吐乳があったら信頼出来る医者に診(み)て貰うが好い。
前日良便があったと云っても次に出る便が不消化で腐敗しているかも知れない。
浣腸をして宿便の良否を調べて貰うが好い。

同時に心の持ち方を正しくしなければならない。
お乳は天の恵(めぐみ)であるのに、それを吐き出すのは天の恵をおろそかにした象徴が
あらわれているのである。

何か目上の人と争っていることはないか。
何か人の深切を衝(つ)き戻すようなことをしていることはないか。
夫婦争っているようなことはないか。

深く反省して見て、自分の「逆様(さかさま)に戻す」ような心と生活を
如実に改めなければならぬ。

両親の感情が激動した直後、
子供が疫痢(えきり)や麻疹(はしか)に突然罹(かか)るような実例が度々ある。

           <感謝合掌 平成27年6月4日 頓首再拝> 

離乳食 - 伝統

2015/06/06 (Sat) 19:37:31


           *「光明道中記」(P86)より

人間を造ったのは「自然」である。
自然を静かに観察する時は、何が生命を活(い)かすものであり、
何が生命を抑えるものであるかが判る。

生後7か月程にして幼児に歯が生えて来ることは何を意味するか。

その頃には固形のものを与えても好い証拠である。
併し歯は全部まだ揃っていない。
それは全部の食物がまだ固形物では可けない証拠である。

上部の門歯(もんし)は一体の肉(歯ぐき)から二つだけ先に生える。
それは父母が先に立っていることをあらわしている。

親の家を出たり、親が死んだり、親しく親の家にいない者は
門歯が虫歯になったり折れたりし易いものである。

生後7か月頃から、御飯を十粒ずつ毎日一粒ずつ殖やしながら
食事に混えて与えるのは胃腸の鍛錬法になるものである。

この方法を過(あやまち)なく行なうときは、
離乳時にお粥を特別与える必要はなくして、
直(ただち)に固形物に移り得るものである。

歯の形を見よ。
人間は何を食する生物であるか。

門歯8枚は菜食動物の歯、犬歯(けんし)4枚は肉食動物の歯、
残り20枚は臼歯(きゅうし)であって穀食を搗(つ)きくだくように設計せられている。

人間は菜食が好いか肉食が好いかは、自然を観察すれば好い。
32枚の歯のうち4枚だけが肉食の歯であるから、
肉類は全食量の 1/8 を適量とする。

           <感謝合掌 平成27年6月6日 頓首再拝> 

赤ん坊の感情生活を生かすには - 伝統

2015/06/08 (Mon) 19:37:42


           *「光明道中記」(P99)より

赤ん坊を叱るのは無意味なことである。
「これをしては可(い)けません」と云う命令が赤ん坊に理解されるのは
生後9ヵ月頃からだと云うことを調べた人が言っている。

親たちが叱るつもりで大きな声を出せば赤ん坊は唯恐怖するだけのことである。

此の世に悪意を抱いている或る敵対者があると云う不快な恐怖的印象は、
幼年時の心の傷としてその児童の潜在意識に残り、その児童を大人になってから
後までも、臆病な身に仕上げるのである。

生後1年までの赤ん坊がしてはならないことを若しするならば、
ただ静かに、そう云う行動の出来ぬように、そう云う行動をすれば、
味わいが苦(にが)いとか、その方向へ手をやろうとすると屹度何物かが来て
その手を止めるとか、何か自動的に作用する法則があることを知らせるのが好い。

叱る代わりに優れたる宗教的音楽を聴かせることは
赤ん坊の情操教育に大変必要なことである。
これには蓄音機を利用するが好い。

また良き書物を読んで聞かせることは、その書物の言葉が、たとい赤ん坊にとって
理解し得ないものであるにしても、内容に伴う読む人の音律や、
その音律に伴う感情やは、結局以心伝心赤ん坊に伝わって、
赤ん坊の感情生活を生かすのである。

           <感謝合掌 平成27年6月8日 頓首再拝> 

離乳時の習慣・しつけ - 伝統

2015/06/10 (Wed) 19:49:31


           *「光明道中記」(P100)より

生後1ヵ年になると離乳して、柔らかいお粥から徐々に固いお粥に移らせても好いが、
7ヵ月頃から少量の固形食で慣らせたる子供ならば大人と同じ食物を与えても好い。

子供に偏食する習慣を養成してはならぬ。
子供の偏食は実は親自身の偏食の反映であるから、親が子供の前であの食物を残し、
此の食物を残しながら、子供にばかり偏食をしてはならぬと強いても無効である。

親が食物を残すまいと思うならば、残る程の分量を食膳に出さないことが適当である。

「これはお好き、お嫌い? 嫌ならこれにしましょう」などと言っている母が、
世の中には沢山あるが、これは親自身が子供を偏食に誘導しているようなものである。

子供は模倣するものであるから、食物は先ず親が口に入れて如何にも美味しい有様を
示し、「サア坊やもお喫(あが)り! 迚(とて)も美味しいわ」と云うように
誘導するのである。

食膳に手を洗う習慣をつけるのは好いが、
ただ無邪気に何の意味もなく洗わせるのが好い。

黴菌の話をしたり、手を洗わなかったら此の世の中には眼に見えない恐るべき敵が
充満していて、それが直に吾々を襲って来ると云うような恐怖心にまで子供の心を
駆り立ててはならない。

           <感謝合掌 平成27年6月10日 頓首再拝> 

食事に我儘を言わせてはならない - 伝統

2015/06/12 (Fri) 19:25:16


           *「光明道中記」(P101)より

子供が食物に好き嫌いを示すのは、時には親の心があまりに事物や人間に対して
好き嫌いな偏り心を有(も)っているときにそうなることがある。

親自身が自己の愛憎好悪の偏り心を捨てねばならぬ。
子供を責めてはならぬ。
みずからがみずからを知るように誘導しなければならぬ。

食物は好悪によってたべるのではなく、飢えを充たすために食べるのだと云うことを
知らせねばならぬ。食欲がなかったら、偏食であったりするのは病気以外のときは、
過食のために空腹でないからである。

御機嫌をとって欲しさに食物の好悪を言いはじめる。
好悪を示して食べなければサッサと食膳を片付けて、
又次の食事時間に同じ食物を出すのである。

それを食べる迄同じ食物を出す。

我儘を言わせてはならぬ。
子供が規律を覚えるのは、最初は食習慣によるのであるから、お十時を与え、
お三時(やつ)を与えるにしても一定の時間以外には与えてはならぬ。

併し、完全に食欲不振で、元気がなく、空腹にになっても何も食べようとしない時には、
医者に診(み)せて病気の有無を検(しら)べて適当の処置をとる。

本当に病気かどうかは神想観を常にしている人なら胃腸部に掌(て)を当てて見れば
掌の蟻走感(ぎそうかん)で判る。

           <感謝合掌 平成27年6月12日 頓首再拝> 

食物を零したときに叱らない - 夕刻版

2015/06/14 (Sun) 19:10:47


           *「光明道中記」(P102)より

生後1年頃からは、食物は自分自身で食べるように練習させるが好い。

少しぐらい零(こぼ)すかも知れぬが、それを拾ってやってはならぬ。

零して自分で拾うことが運動感覚の訓練にもなり、
従って児童の精神全体の訓練にもなるのである。

またそれによって依頼心が放(な)げ棄てられ、
自分のことは自分ですると云う良習慣の形成にもなる。

食物を零したときに叱らないで、
零さない時と、上手に拾った時とに賞めてやるようにするが好い。

「零しては可(い)けません」と言っても
まだ運動機能が充分発達しないから零す方が当り前なのである。

それを余り叱るようにすると、
「自分は劣等者だ」と云う劣等感を児童が有(も)つようになる。
劣等感をもつようになった児童は将来生活上に不利なハンディキャップを
担(にな)わされる。

どこへ往っても「私は駄目だ」と考え易い ―― それを成長後矯(た)め直すのは
不可能ではないが、可成(かなり)な努力を要するのである。

「しては可けません」と常に言っている家庭では行為に対する欲望を常に
抑圧せられるから、それが鬱結(うっけつ)して反抗児が養成される。
厳格な家庭で反抗児が出るのはそのためである。

では、子供が悪いことをしたら「XXさん、これして頂戴」と言って、
別の「して欲しい仕事」へ注意を転ずる。

           <感謝合掌 平成27年6月14日 頓首再拝> 

潔癖・偏食の習慣について - 伝統

2015/06/16 (Tue) 20:15:22


           *「光明道中記」(P103)より

潔癖の習慣は不潔の習慣よりも大人になってから強迫観念に附纏(つきまと)い、
一生涯を恐怖心の中に暮らさせることもあり勝である。

子供の前で親が恐れた態度を示してはならぬ。


偏食の子供、卵を食べれば必ず下痢を起したり、
肉類か野菜かどちらかを嫌って食べない子供、

こんな子供をその家庭から引離して、林間学校とか、夏期キャンプ生活とかで、
児童ばかりの集団で、ほかに食する物のない共同食事の生活をすると治ることがある。

他の子供が美味しく食べて見せるからである。

               <感謝合掌 平成27年6月16日 頓首再拝>

幼児のひとり立ち~その1 - 伝統

2015/06/22 (Mon) 18:00:49

           *「光明道中記」(P139)より

幼児は生後11ヶ月乃至誕生2ヶ月までの間におのずから立って歩く。
幼児体操と云うようなものを幼児の発育促進や健康法のためにやっている人もあるが、
やるのも好いが、やらなくても好い。

人間は人工の体操によって歩くようになるのではないことは、何に教えられなくとも
動物は脚(あし)で立ち、歩み、鳥類は飛翔することが明らかである。
人間が歩行するのは赤ん坊が乳房を吸い鳥類が飛翔すると同じに自然の本能である。

幼児の歩行運動が生得的な本能によるのであるが、
訓練によってなるか学者の定説がないと言って、
歩行準備体操などを課するのは愚かな蛇の知恵である。

近頃諸所で開かれる赤ん坊審査会で一等賞を得たような生長の家誌友の赤ん坊などは、
光明思想で家庭全体が明るいことのほかは自然に放任した結果であって
決して体操を課したのではない。

幼児体操そのものに私は反対するのではない。
筋肉は運動せしむるほど発達するからである。

併し幼児体操を幼児に課するような父母は大抵「神」又は「自然」に対する信頼の念が
なく、其(その)人には「人工」の外(ほか)には頼るものがないから、
何か落度はないかと常に心配しすぎて、神経過敏に幼児に心配の念を送り過ぎ勝ちである。

親が心配し過ぎると子供は虚弱になる。

               <感謝合掌 平成27年6月22日 頓首再拝>

幼児のひとり立ち~その2 - 伝統

2015/06/26 (Fri) 19:20:59


           *「光明道中記」(P140)より

体操より肝腎なのは、自然の努力で運動を起そうと衝動が
内部から起り得るように誘導することである。

半身不随の大人が生長の家で治った実例のなかには他に頼らないで、
自分に要(い)るものは、歩行が不自由でも何でも、自分の力で持ってくると云うように
決心し、且つ環境からそうしなければならぬように仕向けられた結果である場合が多い。 

児童の歩行や運動の練習なども、肉体的体操などよりも這(は)い出さずには
いられなくなるような、歩かねばならなくなるような目的物を前方に置いたり、
賞(ほ)め言葉で激励する方が一番好い。

幼児が起ち上って歩行するのは一つの新しき冒険であり、
その冒険の完成は大いに言葉を以て喝采せらるべきである。

それによって児童は何事を新に実行するにも世評の喝采を得るもので
あることを知り、大人になってからの自信を増すのである。

幼児を揶揄(からか)っては可けない。

最初に試みた動作が不慣れなために、大人から見て多少滑稽(こっけい)に見えようとも、
それを軽蔑するような、滑稽視するような語調で笑うならば、
世間は自分の動作を常に嘲笑するものだと云う観念を植附けられて
引込思案(ひっこみじあん)の人間が養成される。


               <感謝合掌 平成27年6月26日 頓首再拝>

育児イライラが解消する3つのステップ - 伝統

2015/07/02 (Thu) 19:27:22

原因は子供じゃない。ママの育児イライラが解消する3つのステップ

          *Web:MAG2 NEWS( 2015年7月1日)より

なかなか思うようにいかない子育てに、日々ストレスを溜めている親御さんは多いと思います。
でも、だからといって子どもに辛く当たってしまうと、
人格形成に深刻な影響を与える恐れもある……と語るのは、
家庭教育アドバイザーとして活動中の柳川由紀さん。

自身のメルマガでは、そんな子育て中のイライラに悩む母親に向けた、
3つの解消法が紹介されています。


《子育て中のイライラ、どうすればいい?》

自分の話を聞かない子どもにイラつきます。
また、子どもの言動にもイラついてしまいます。
どうすればイライラを解消できるでしょうか?
(小1(女)未就園児(男)のお母様より)


《家庭教育アドバイザー 柳川由紀さんの回答》

イライラの原因は、ほとんどの場合、子どもにはない、ということを御存じでしょうか?

実際は、疲労、寝不足、仕事の問題、家計不安、夫や妻、舅、姑との関係、
ご近所トラブルなどのストレスを抱えていることが原因になっていることが多いのです。

そのため、子どもがぐずったり、言うことを聞かなかったりすると、
イライラスイッチが入り、子どもにぶつけてしまいます。
そのイライラを解消しましょう。ポイントは以下の3つ。


(1)まずは何がストレスになっているのかを考え、一つずつ取り除きます。

   例えば、疲労や寝不足の場合は、子どもが寝ている間に家事をしようと思わずに、
   子どもと一緒に思い切って寝てしまうことをお勧めします。

   家計の苦しさがストレスならば、食材以外は、
   フリマやバザーで買うように心がけてみてはいかがでしょう?


(2)次にイライラの原因は、子どもではないことを冷静に見極めましょう。

   例えば、子どもに「ママがイライラするのは、このお部屋が散らかっているからよ」
   と言えば、子どもは自分が原因ではないとわかり、ひと安心します。
   叱られて萎縮するのではなく、むしろ片づけを手伝ってくれるかもしれません。


(3)そして「理想の母親像」を捨てましょう。

   子どもや夫のために自分のことを後回しにする良妻賢母が良し、
   とされる考え方が根強く残る日本では、
   その理想像が子育て中の母親を追い詰めます。

   それによりストレスが溜まってイライラしては、良くありません。


《家庭教育アドバイス……「イライラ子育て、子どもへの影響は?」》

親から、きつい言葉をぶつけられたり、しょっちゅう親の怒った形相を見たりしている
子どもは、「自分が悪いからだ」と思うので、親を避けるようになったり、
反対に、親に媚びるようになったりします。

自分に自信を持てず、自分の意見を言えない人間になったり、
権力のある人に媚びたりする人間になったりするかもしれません。

また、イライラして子どもを無視していると、子どもは親の注意を引くため、
わざと問題行動を起こすようになります。

イライラした親にいつも自分を否定され、追い詰められた子供は、
行き場を失い、自分を受け入れてくれる場所を探すようになります。

出会い系サイトへアクセスする子どもたちのアンケートによると、
「自分を認めてくれる人に会いたいから」という場合が多いことがわかっています。

子育て中のイライラは子どもに何も良い影響を与えません。

子どもが悪いことをしたら、叱ることは大事です。
その際、どのような行動が悪かったのか、その行動によって何が起きたのか、
をきちんと伝えましょう。

イライラ感情に任せ、子ども暴言を吐くのは絶対にNGです。
子どもの心に傷をつけます。そして子供を委縮させるだけです。
「子育てをしているからイライラする」というのは、多くは思い込みです。

どうかイライラの原因は子ども以外にある、
ということを念頭に置いてストレス解消に努めましょう。

親の笑顔が子どもにとって最高の心のビタミン剤なのです。

http://www.mag2.com/p/news/18906


・・・


         *Web「生長の家」何でも相談Q&A より

Q、イライラして家族にあたる日々。何もかも嫌になりました。

A、すべての人・物・事への感謝の念のうちに神が現れ、あらゆることが好転していきます。

  → http://jp.seicho-no-ie.org/faq/04/0451.html

・・・

Q,子供にあたってばかりの私。一体どうしたら?

A,子供の誕生を心から喜び、抱きしめてあげて下さい。

  → http://www.jp.seicho-no-ie.org/faq/06/0634.html


               <感謝合掌 平成27年7月2日 頓首再拝>

幼児の小児麻痺等による手足の不随には、縁者の供養を! - 伝統

2015/07/04 (Sat) 18:18:15


           *「光明道中記」(P141)より

生後1年2ヶ月乃至15ヶ月を経ても歩行し始めない幼児は、
小児麻痺か何かの神経的疾患であるかも知れぬ。
小児麻痺の後遺症の手足の不随は、現在の医学では治癒の道がないのである。

併し、生長の家では無数に治癒した実例がある。

それは祖先に対して聖経『甘露の法雨』を毎日一定の時間に
「××家先祖代々親族縁族一切之霊」と数回思念を籠(こ)めて唱えて招霊(よびだ)し
「この聖経『甘露の法雨』により霊界に於て本来神子仏子なる実相を成(じょう)じ
たまえ」と恰(あたか)も生ける人に言うが如く唱えてから『甘露の法雨』を
誦するのである。

1回で効果を現した実例もあるが、数ヶ月を要した実例もある。
それは浮かんでいない縁者の霊魂の悟を開く遅速によるのであって、
予(あらかじ)めその治癒の期限を予告することは出来ない。

生まれつきの聾唖(ろうあ)にして聖経読誦6ヶ月にして耳聴えはじめ、
物言い始めし例もある。

神想観を修して、観中、
歩行不能ならざる、既に歩行自在なる実相人間の念像を描いて精神統一するとき、
18年間の歩行不能者が歩行し得るようになったとは
藤岡秀信氏の体験談である。

               <感謝合掌 平成27年7月4日 頓首再拝>

賛嘆日記と生まれかわりの教育 - 伝統

2015/07/15 (Wed) 19:01:04


             *「生まれかわりの教育」鹿沼景揚・著、日本教文社より


<<賛嘆日記>>

まず賛嘆すること。
「人をとがむべきことあれば、その人をとがめず、かえってほむべき点を探しだしてほめよ」

月曜・・実行を決意する日

火曜・・過去の人をゆるし清める日

水曜・・誰も知らない所で人をほめる日

木曜・・新しい眼で人を見なおす日

金曜・・神に精神を集中する日

土曜・・ホンモノの自分を発見する日

日曜・・天地一切感謝の日


なかなかほめることが見つからないときは、ノートに向かって名前をかいて、
「ありがとうございます、ありがとうございます、大好きです、ありがとうございます・・・・・」
と書いていくといい。

たいてい家族のことを書くのですが、家族の中で一番大事なのが、
自分自身。自分自身を心からほめることからはじめていきます。
(書いて書いて1ページくらい)

これを続けていくと1ヶ月もしないうちに本当に奇蹟がおこる。
自分を賛嘆するというのが一番やらなくちゃいけないこと。


《生み直しの教育》

(1)内在の声に従わないと、自己処罰が生じる

   生命の創造は宇宙大生命の意志であり、
   それが人間に投影したのが、母なる理念であります。
   この母なる理念には、赤ちゃんを産むべしという本能が根ざしています。

   そういう宇宙意志に反して、人間心から経済的理由や流行の思想にまどわされて、
   簡単に子どもをおろしてしまおうとすると、
   内在の母性本能がはげしく阻止しようとします。

   これは内在の神の声です。

   この内在の声に従わないで、子供をおろしますと、
   そのおろした行為をしたニセモノの母を、ホンモノの母が自己処罰するのです。

   中絶の間を縫って生まれた子供を、よい子に育てようと一所懸命に努力するけれども、
   内在の母なるものは、自分の犯した罪のあがないをしようとして、
   わざわざまちがった教育をして、悪い子供に育てあげ、その子供のことで、
   さんざんな苦労をすることになるのであります。


(2)手に負えない子供になる共通点と直し方

   手に負えない子供を持っている親に聞いてみると、
   その子が宿ったときに堕(おろ)そうと思った場合が多いのである。

   堕そうと思うこと、つまり、殺そうと思うことほど悪い胎教はないのである。
   簡単に堕すことのできる優生保護法は堕胎の罪を作るだけでなく、
   ”堕そうか”という考え(殺意)を持たせやすい。

   そして、殺されようとした子供が成長してからは、
   ”あの子さえいなかったら”と両親を困らせる場合が多いのである。


(3)問題の子供が生まれ変わってしまう方法

  ①いくら良くしようと努力してもダメで、万策つきた時に
   この『生み直しの教育』が大きな力を発揮する。

  ②「生み直し」の教育・・・悪い子供が生まれ変わってしまう方法

   小松さんは新宿高校に行っている子供さんを通して『生み直しの教育』をやって成功し、
   この体験を通じてたくさんの問題の子供を持ったお母さん方を救って行った。

   小松さんは、○○に勤めており、若い人たちを指導するのがとても上手だったので、
   上司から「しばらくの間、赤ちゃんを生まないでくれ」と言われた。

   ところが気がついたら妊娠していた。
   「大変な時に宿ってきた」という不平の心があった。
   (欲せざるに生まれてきたという不平の心)

   小松さんの子供は次々と問題を起こし、反抗が激しいので胸を痛めていた。
   「困ったときに妊娠してしまった」という不平の心(誕生を歓迎しない思い)が
   大きな原因をなしていることがわかった。

   そして、現実の子はそのままにしておいて、
   その不平の心をずうっと昔に帰って歓迎の心に変えて行くことにした。

   赤ちゃんの名前を書いた腹帯(はらおび)を巻いて、
   現実に今その子を妊娠しているのだと深く深く心に念じ、
   こうして赤ちゃんが与えられたことを本当に感謝し、

   ご先祖に、お父さん・お母さんに、夫に感謝し、
   そして、毎日ニコニコ笑顔になって、
   やさしく、あたたかくおなかの赤ちゃんに話しかけました。

   「おなかの赤ちゃん今日は、ようこそ私のおなかに宿って下さいました。
   あなたは天の使いです。私の心にこれまで味わったことのない不思議な愛の心を
   呼び覚ましてくれました。

   きっと私が生まれたとき、こうしてお父さんお母さんが喜んで下さったんですね。
   お父さんお母さん、ありがとうございます。わが夫、ご主人様ありがとうございます。
   あなたの愛がこうしておなかに宿ったのです。よい名前をつけてあげましょうね。

   あなたは本当に親孝行な良い子です。
   これから毎日、楽しい、おもしろい話をしてあげます。
   元気で丈夫で生まれておいで。」


   このようにして小松さんは、生み直しの再妊娠の赤ちゃんに全身全霊の愛をそそいで、
   にこやかに語りかけました。

   彼女は毎日毎日がハリのある生きがいのある日々となり、
   日ごとに大きな喜びと感動が湧いてくるようになり、
   身も心も生まれ変わったようなすがすがしい感じがするようになったのです。

   そして、不思議にも現実の子供も変わってきたのでした。

  ③「ようこそ私のおなかに宿って下さいました」という
   子供の誕生を歓迎する心になることが大切である。

   中絶した子供もこのように生み直せばよい。


               <感謝合掌 平成27年7月15日 頓首再拝>

子供の片付け - 伝統

2015/07/18 (Sat) 18:01:24


         *黎明教育者連盟「子育て「Q&A」」より

Q 子供(小2)に、いくら片付けを言いつけても、まったくやりません。
  どうすればよろしいでしょうか。


A 

乳幼児の頃から、遊んだあとは片付けるものだと習慣にすることが大切です。
躾は赤ちゃんの時からはじめれば良い習慣が養われ、うるさく言わなくてすみます。

幼児の頃はお片付けしましょうと、うながし、積木など箱に並べてしまう楽しさを味わせ、
きれいに片付いたときは「気持ちがいいね。上手に片づけられてすばらしい」と褒めて
あげると、うれしくなり自然と片付けの習慣が付きます。


小2になるとちょと工夫が要りますね。

まず、「部屋の模様替えをするので、知恵を貸してちょうだい」と言って、
部屋の中の設計を一諸に考えます。

子供の意見を取り入れて家具の位置など考えます。
本や玩具、ゲーム等入れる場所を考えさせます。
一緒に入れる箱など買いに行ったり、作ったりします。

きれいに片付いたら、部屋が広くなり、気持ちが良いことを
オーバーに表現し、大喜びしましょう。


「片付けなさい」と命令口調で言うのはやめましょう。
心の中でこの子は良い子だ、片付け上手な良い子だ、さっさと片付ける良い子だ、
と念じながら「お部屋がきれいに片付くとうれしいな」と促しましょう。

率先して片付けた折には「すごい、きちんと片づけられて素晴らしいね、良い子ね」
と褒めましょう。

お母さんもいつも整理整頓をきちんとしてお手本を示すことが大切です。
台所や押し入れなど、お母さんの分野が片付いていないと
子供は素直に片づけようとしません。

習慣になるまで、うるさく言わないで、
優しく気長に片付けが大好きになるように仕向けましょう。

http://reimei-kyoren.com/QA/QA.html

               <感謝合掌 平成27年7月18日 頓首再拝>

子供の肉体は親の念の具象化の舞台である - 夕刻版

2015/08/07 (Fri) 20:04:31


           *「光明道中記」(P142)より

子供は親を模倣するものである。
その模倣は親の表面の生活の模倣と、親の内面の感情と両方がある。

親が愉快に喋らない習慣の家庭に育った子供は、憂鬱で陰気臭くて明朗さがない。
両親が感情(いき)の奥で衝突した生活を送っている家庭の子供は、時として蓄膿症で
あり、アデノイドがあり、或は20歳までに肺結核で斃(たお)れる傾向がある。

それは子供の模倣性だと考えられないこともない。
それは両親の「感情(いき)の奥」の葛藤を、
呼吸(いき)の奥であるところの鼻の奥や肺臓の奥に具象化する。

この意味に於て子供の肉体は親の念の具象化の舞台である。

親の悲しみの念が反映して子供が寝小便することもある。

子供が口を開いて眠っている時には
両親はこれによって呼吸(いき)の奥に故障があることを発見し、
これによって自分たち夫婦の精神の奥に葛藤があることを反省し、
それを是正すべきである。

両親が感情上の葛藤を経験しながら、その子供が呼吸器を患っているから治して欲しいと
訴えても、感情上の葛藤そのものが、呼吸器病の内面的本質であるから治る筈がない。

               <感謝合掌 平成27年8月7日 頓首再拝>

子供の不従順の原因は父母の命令の不一致から来ることもある。 - 伝統

2015/09/04 (Fri) 18:08:59


           *「光明道中記」(P143)より

母親が「斯うせよ」と言う場合、父親が「そんなことをしなくて可い」と言えば
子供は去就に迷って了い、結局権力者の方へ附いてしまって、
母親を馬鹿にするようになって了う。

子供の前ではどちらでも一方の親が命令した言葉に、
こう一方の親が賛成するようにして命令が二途(と)に出てはならぬ。

仲の悪い夫婦の中に出来た子供は、
両親の一人ずつがその子供に、父や母相互の不平を訴えることがある。
そんな場合、子供は親の権威を無視するようになって不従順になる。

「そんなことをしたらお父ちゃんに言附けますよ」と言う母親があるが、
こんな母親は自分には何の権威もないと云うことを表現しているに過ぎない。
従って子供は母親を馬鹿にして言うことを肯(き)かなくなる。

また一旦命令を出して置きながら、それに従わないでも、ただブツブツ
口叱言(くちこごと)を言っているだけでは、母の命令は「馬の耳に念仏」と同じようで、
子供に何の権威もないものとなる。

滅多に叱言は言わぬか、一旦命じたことは断乎として従わせる習慣をつけねばならぬ。

               <感謝合掌 平成27年9月4日 頓首再拝>

「挫折」と「努力」は心のワクチン - 伝統

2015/09/06 (Sun) 17:54:34


        *メルマガ「無意識の使い方(2015.9.5)」より


小さなうちに、

男 の 子 に は「挫 折」、
女 の 子 に は「拒 絶」

を経験させたほうがいい。


先日、友人からそんな話を聞いて、なるほどと思いました。

不登校、引きこもりが社会問題になっていますが、
私が子どもの頃は、1学年300人以上いる中学で、不登校は一人もいなかった。

それが、なぜ?


その答えが、「挫折」と「拒絶」というふたつのキーワードで分かりました。


不登校が引きこもりが多い理由。
それは、小学校低学年までのうちに、
「拒絶」と「挫折」に対する免疫力ができていないからです。


麻疹(はしか)と同じで、
小さなうちに予防接種をして免疫ができていれば、かからずにすむ。
逆に免疫ができずに、大人になってからかかってしまうと、何日も高熱が続いてしまう。

同じなんです。

心の免疫なんです。


☆「挫折」と「拒絶」の経験が、心のワクチンなんです。


私が子どもだったころ、仲間外れなんて日常茶飯事でした。
つまり拒絶される経験を日常的にしていた。

だから、「拒絶」されることに対する免疫ができた。


今は、すぐに親や教師が、子どもたちの仲に介入して、仲直りさせてしまう。
それが、「拒絶」に対する免疫の獲得の機会を失くしてしまっているのだと思います。


「巨人の星」や「アタックNo1」の時代。
努力と根性が美徳とされていました。

失敗してへこたれていると「根性なし!」と言われた。
だから、頑張った。

その結果、「挫折」に対する免疫ができた。


今は、「何もしなくても価値があるよ」と言われ、
「努力するなんてダサイ」と言われる。

それが、「挫折」に対する免疫獲得の機会を失くしてしまっている。


子どもたちのためにも、私たち大人は、
努力の必要性をもっと教える必要があると思います。

「何もしなくても、価値がある」
なんてセリフを軽々と使ってはいけない。


●精一杯努力しても、いい結果が得られなかった時

「お前がどんなに頑張ってきたのかは、お母さんが一番よく知っているよ」

と言ってあげてください。

そのことで「挫折」に対する免疫が完成します。



●理由のないことでイジメにあった子に

「あなたは何にも悪くない。お母さんはいつでもあなたの味方だよ。
どんなことがあっても、お母さんはあなたのことが大好きだよ」

と言ってあげてください。

そのことで「拒絶」に対する免疫が完成します。

               <感謝合掌 平成27年9月6日 頓首再拝>

子供の能力で出来ない事を命ずるな - 伝統

2015/09/08 (Tue) 17:42:43


           *「光明道中記」(P144)より

「一度だけは我慢してあげましょう」こう言って
自分で自分の命令を撤回してしまう癖をつければ、命令は徹底しなくなる。

一度が大切であって、一度許せば今後許さない時には
却って逆恨みをするようになるものである。

「あれほど言ってもまだ言うことを肯(き)かぬのですか、お前のような強情なものはない」
と言うならば、その子供は親の言った通り強情になって了うだろう。

まだその上、「お前の強情にほとほと困って了う」と言えば、
親の無能の表白ともなり、強情の勝利ともなる。

「この前も、お前はこうだった、あの時もお前はこうだった」と、
旧悪までも曝(さら)け出して叱るのは、本人に「悪」を印象せしめるか、

幾つも挙げているうちには「あの時には私の方に理由がある」と思えることもあり、
却って、親や教師の方が無理を言っているような感じを与えて、
子供を益々反抗させる虞(おそれ)がある。

子供の能力で出来ない事を命ずるな。
そんな命令は実行が出来ないから、子供を不従順にするようなものである。

               <感謝合掌 平成27年9月8日 頓首再拝>

子どもを追いつめるお母さんの口ぐせ - 伝統

2015/09/12 (Sat) 19:12:40


        *『伸びる子の9割は、「親の口グセ」で決まる』金盛浦子・著より

         (金盛浦子さん~東京心理教育研究所、臨床心理士・・・)


《お母さんのいつもの口ぐせが、子どもを追いつめているかもしれません!》


   ベ夕べタしないでちょうだい!

   何回言ったらわかるの!

   静かにしなさい!

   これでも片づけたつもり!

   やめなさいッ!

   そんな子は大嫌い!

   早くしなさい!

   ――etc

どれか1つくらい、いえ、ほとんどすべて口にしたことがあるという方がいらっしゃる
のではないでしょうか。

お母さんたちは、こうした言葉をとくに意識することなく口にしています。

「ま、ログセだし、特別深い意味があって言っているわけじゃないし」、
その程度しか意識していないのではないでしょうか。

ご本人は意識しなくても、投げられている言葉は、
子どもを縛る鎖になってがんじがらめにしてしまうのです。

3年ほど前のことですが、不登校になってしまった小学校4年生の男の子を持つ
お母さんとお話をする機会がありました。

話を聞くと、そのお母さんは本当にたくさんの言葉を毎日のように投げつけていて、
しかも母親自身は、「ちょっとうるさいかも」くらいにしか思っていないのです。

その後、4年生のお子さんとも話しましたが、いちばん活発な時期の男の子なのに、
表情の変化が極端に少なく、セラピストの私が見ると、明らかな抑うつ感が伝わってきました。

そして母親といっしょのときは、いつも母親の顔をうかがい、
母親がいないと、ひどく落ち着かない様子です。

不登校のことで相談を受けたのですが、このとき私がまずアドバイスしたのは、母親に対してでした。
毎日、ご自分がお子さんに向けて投げている言葉をメモに書き留めてくださいというアドバイスです。

2~3週間ほどたってお母さんから電話がありました。

「もうメモ帳がいっぱいになって、書くのが嫌になってしまいました」

数えてみたら、子どもに投げつけた言葉は100をこえていたそうです。

「同じ言葉でもいいですから、1カ月は続けてくださいね」
そういって、私は電話を切りました。

その後、その親子に会ったのは3年ほどたってからのことでした。
もちろん、お母さんの状態も良くなり、男の子も元気に学校に行くようになった
という報告は受けていたので、私も安心していました。

そして3年後に会ったとき、親子はどうなっていたと思いますか?

男の子は、もう中学生になっていましたが、ずっと表情が豊かになっていました。
美術部の活動をしているということで、それについて話すときの生き生きとした表情が
とでも印象的でした。


そして、お母さんです。
子どもに向ける笑顔が、とても素敵になっていました。
お母さん自身も生き生きとしている感じなので、聞いてみると、
1年半ほど前から山歩きを始め、いまではその記録をブログで公開するのが、
とても楽しいとのことでした。

「じつは、先生から言われたメモを1カ月続けたら、ショックでした。
自分は、なんて嫌な人間なんだって、つくづくショックを感じたのです。
1カ月くらいはずっと落ち込んでいました」

それが自分を振り返ってみる、いいきっかけになったのです。
自分の嫌なところを思いっきりえぐり出してみると、自分でもうんざりしてきます。
そうなると、逆に、「自分にだってきっといいところもあるわ!」と、
意地でも自分の良いところを探し始めたのです。

人間って、おもしろいですね。

彼女は、そうして自分のいいところも悪いところもさらけ出した上で、
もう一度深く自分を抱きしめたのです。そのときに、

「自分自身を好きになれないので、我が子も好きになれなかったのだとわかったんです」

やっと、そこに気づいたのです。

               <感謝合掌 平成27年9月12日 頓首再拝>

「逃げ道」をふさがない!~子どもを追いつめない叱り方 - 伝統

2015/09/14 (Mon) 18:00:38


         *『子どもを傷つける言い方・追いつめる叱り方』荻野ゆう子・著より


《追いつめない話し方》

子どもの気持ちや理由に耳を傾けて、逃げ道をつくってあげる

お母さんは、言うことを聞かない子どもの姿を見ると、
叱ってしまうことが多いのではないでしょうか。

でも、子どもが親の言うことをすんなり聞かないのには、理由がかならずあります。
それは、おとなが納得しないような理由かもしれません。

たとえば、「遊ぶ約束をしているから、宿題は家に帰ってからにする」とか、
「テレビを観てからお風呂に入る」などです。

それに対して、「そんなこと言って、いつもしないでしょ!」と頭ごなしに叱っても、
子どもの心には届きません。

しかし、お母さんは何度も同じことを言わせる子どもに、
苛立ちや怒りを感じているので、頭ごなしに言わないと気持ちが収まらないのです。

つまり、子どもだけでなく、お母さんも追いつめられているというわけです。


では、どうしたら楽になるのか――それは、おとなも子どもも、
そうせざるを得ない事情や気持ちがあるのだ、と受け止めることです。

まわりがなんと言っても、相手の気持ちは変えられません。
「わたしはそう思わないけど、この子はそうせざるを得ないんだ」と、受け入れるのです。

「受け止める」とは、子どもの言い分が正しいと認めることではありません。
善悪で判断せず、「そう、あなたはそう思ったのね」 と、そのままの気持ちを受け止めるのです。
どんなときも、まず「受け止める」ことなくして、先に進むことはできません。


《受け止めることが「逃げ道」になる》

「こんなことをしてたら、どうなるかわかるよね」
「自分で言ったことを覚えている?」

親は、子どもの行動を変えるには納得させることが必要だと思って、
論理的に、あるいは道徳的・倫理的に教えさとそうとするものです。

すると、子どもは反論できず、むしろ追いつめられてしまいます。
だから、「はい」とうなずいても、心には届きにくいのです。
さらに、正論を言われてしまうことで、自分自身を否定することになり、逃げ道を失います。

おたがいがラクになるために、まず受け止めてほしいのです。
「○○ちゃんは、こうしたかったのね」と、子どもの気持ちや理由にひとまず耳を傾け、
「そう、そうだったのね」と、そのまま受け入れて聞く努力をしましょう。

このように受け止めることが、子どもの逃げ道を作るのです。


《話しやすい雰囲気をつくる》

こわばった顔をしているのに、「怒らないから、言ってごらん」と言われても、
表情と言葉のギャップが大きく、子どもはよけいに緊張してしまいます。

コミュニケーションは、言葉(言語)と、表情・仕草など(非言語)を通して深まっていきます。
おたがいの気持ちを伝え、わかりあうには、どちらも必要です。

「なんでも話していいんだよ」(言語)と言いながら、
腕組み(非言語)されたら、話す気になりません。

わたしたちは、言葉だけでなく非言語からも、相手の思いを受け取ります。

とくに、「いいよ」 「だいじょうぶ」「そうなの」 のような短い言葉ほど、
非言語によって伝わり方が変わってきます。

子どもは親の非言語に敏感です。
話しやすい雰囲気をつくるマニュアルは、とくにありません。

自分のこととして、話しやすい雰囲気とはどんな感じか、思い出してみてください。
お母さんの“キャラ”に合った接し方が、見えてくるはずです。

               <感謝合掌 平成27年9月14日 頓首再拝>

子育てでお母さんがもっておきたい「3つの余裕」 - 伝統

2015/09/16 (Wed) 19:36:10


    *『「やればできるのに」を「できた!」に変えるお母さんの魔法の言葉』東ちひろ・著より

「自分に余裕があるときには、子どもにつき合うことができるのですが、
余裕がないと怒りが爆発してしまいます。」

この言葉は、本当に多くのお母さんが言われることです。

ひと口に「余裕」と言いますが、
余裕には「時間の余裕」「心の余裕」「体力の余裕」があります。

この3つの余裕をいかにしてもつのかについてお伝えします。


【時間の余裕】

子どもが生まれると、お母さんは大忙しになります。
育児という“オシゴト”と、家事という“オシゴト”のふたつを両立しているのが、
子育て中のお母さんです。

さらに外で仕事をしている人は、いくら時間があっても足りないと思われることでしょう。

効率的に育児と家事をこなそうとすることはすばらしいことだと思いますが、
やることがあまりにも多くて、家事も育児も完壁にしょうとすると、
いずれは限界に直面します。

「時間の余裕」は、がんばって時間をつくり出したり、睡眠時間を削ったりするのではなく、
上手に家事を手抜きし、夫を子育てに巻き込むほうがいいと思います。

たとえ子育てが一段落したとしても、女性の人生は忙しいものです。
子どもが大きくなったら、外の仕事に出ることや、親の介護をすることも充分にありえます。

この機会に、インターネットを活用して買い物や銀行振込をしたりして、
少しでも自分が動かずにすむ方法を考えてもいいのではないかと思います。

また、「うちは夫が頼りになりません」というお母さんもいるでしょう。

何事も、たくさんの量をこなした人のほうが上手になる確率が高いものです。
一般的には、お母さんのほうが子どもと関わる時間が長いので、
お母さんのほうがお父さんよりも子育ての腕が上がりやすいのです。

つまり、お父さんに指示・命令をするよりも、
上手に任せて子育てに巻き込んでいくほうがいいでしょう。

お母さんの子育ての様子をお父さんに見せておき、
その後、「公園で遊ばせてほしい」「抱っこをしてほしい」と具体的にリクエストします。

そうやって、お父さん自身の子育ての腕を上げてもらい、
お母さんの「時間の余裕」をつくるようにしましよう。



【心の余裕】

子どもは未完成な生き物です。
そのため、お母さんが思いも寄らないことを次々としでかします。

すぐに子どもを怒鳴ってしまう人(イライラさん)は、
イライラする自分を再認識し、すぐに不安になる人(ハラハラさん)は、
まだ何も起こっていないうちから必要以上に不安感が増してしまいます。

これもわが子が体を張って、お母さんが改善に取り組むべき
思考クセ・感情クセをさらに目立たせているためです。

心を変える必要はないと言いましたが、自分の思考クセ・感情クセに
あまりにも不都合が感じられる場合は、なんでも話を聞いてくれる
カウンセラーをさがしてみるのも、心の余裕をつくるひとつの方法です。



【体力の余裕】

子どもは大きくなってくると、お母さんよりも、よほど体力があります。
体力に余裕がないと、もれなく心の余裕もなくしがちです。

そこで、子育て中に体力を増進させたいお母さんには、筋力トレーニングもよいのですが、
漢方やサプリメントを取り入れることをおすすめします。

“お母さん業”はただでさえ忙しいので、時間も体力も使うトレーニングよりも、
漢方やサプリメントめ助けを借りるほうが得策です。

               <感謝合掌 平成27年9月16日 頓首再拝>

子供が不従順な場合 - 夕刻版

2015/09/19 (Sat) 20:00:16


           *「光明道中記」(P145)より

親の精神状態にそれほどの葛藤(いらいら)も争いも憎みもないのに
子供が不従順な場合は学校に原因があることがある。
学校と連絡し、学校の先生と親しく和解しなければならない。

学校で教師にいじめられたり、仲間にいじめられたりする子供は
家に帰って親に対して不従順になり勝ちである。

子供の生活のうち、最も伸びねばならぬ学校生活の半日が ―― 否(いな)、
その子供にとっては半日ならぬ殆ど全日に感じられる期間、彼はいじめられたり、
不快な眼に逢って来たので、それに対する反抗を表現したいが、
それを学校では表現することが出来ないから、その反抗を家庭で表現しているのである。

それに対して、家庭の親が暴君的に圧迫を加えるならば
子供は内心の犯行を表出する捌け場所を失って、病気になるか、
不快な事を見まいと云う精神力の反映から近視になるか、

それを聞くまいとして中耳炎を起すか、
頑固に鼻の奥にブツクサ言っていて素直に通さないところの蓄膿症を起すか、

親が子供の成績の良くなることを希望しているのに、逆に成績を良くしないことが
親に反する切(せ)めてもの反抗であると云うようなことになることがある。

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。

               <感謝合掌 平成27年9月19日 頓首再拝>

子育ての目標 - 伝統

2015/09/21 (Mon) 18:40:19


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2013.5.4)より

   (臨床心理士、奥田健次氏の心に響く言葉より…)

   親御さんに「あなたの子育ての目標はなんですか?」と聞いたことがあります。

   私が「この親、ダメだなあ」と思う親の回答は、
   「子どもをいい学校に入れることです」というようなものです。

   本当に駄目な考えです。

   いい学校に入れたって、人を殺すのもいれば、詐欺をくり返すのもいます。

   その先には何があるのか?

   いい大学をでて、いい就職?

   こんなことを考えている親も多いです。


   いい就職の先には?
   金銭的にも恵まれているのに、病気になってしまう人もいるのです。

   私は子育ての目標について講演会などでお話するとき、
   2つの態度を大切な価値として伝えています。


   子育ての目標は、心から「ごめんなさい」と「ありがとう」を言える人間にすることです。

   これは、大人の私たちにとっても、かなりむずかしいことでしょう。

   ボランティアをすることや、寄附をすることのほうが簡単なのではないかと思うほどです。

   「自分はぜったいに正しい」
   「自分の努力と才能のおかげで成功した」

   と思っている親子には、とてもこの目標を達成することは無理でしょう。


   心から「ごめんなさい」。

   心から「ありがとう」。

   こんな態度がとれる子どもに育てられた親御さんは、勲章ものです。

         <『子育てプリンシプル』一ツ橋書店>


心理学(交流分析)のゴールは自律だと言われる。

自律とは、自ら律する事ができる、自らの立てた規範にしたがって行動する事ができることだ。
つまり、奥田氏のいう、プリンシプルという原理原則や価値観や規範を持って行動できること。

我慢しなければいけないときには、我慢できる。

怒ったりキレてはいけないときには、キレないし怒らない

悪いことをしたときには、素直に「ごめんなさい」と謝れる。

そして、喜ぶときには喜び、感謝するときには「ありがとう」と心から言うことができる。

これらの価値観は全て、子どもがまだ小さかった頃の、親の躾(しつけ)や訓練から生まれる。

親の生き様(ざま)や親の価値観ほど、子どもに影響を与えるものはない。

               <感謝合掌 平成27年9月21日 頓首再拝>

ルールを決め、守らせる - 伝統

2015/09/25 (Fri) 18:24:56


            *『子育てプリンシプル』奥田健次・著より

いつどんなときも、都合や気分にも、世間の風潮にも惑わされず、
一貫した態度で子どもに接する「これだけは我が家の決めごとにしよう」
というルールを決め、守る。

どんな他愛もないことでもいいので、
ルールをいっしょに守るという生活をすぐ始めるべき。

ルールを決めたら、次に大事なのは、それをどう守らせるか、わからせるか。
最良の方法は、早くから子どもに繰り返し言って、それが当たり前なのだとわからせる。

例外は認めない
子どもは「ルールを守らないと自分が損をする」ことを学習する。

手をかけずに、放っておいて、社会適応できる人間に育つことはない。
「手のかからない子」などいない。

ルールは、他愛のないことやくだらないことでいい。
その他愛のないことに、厳格なルールを課す。
できるだけ具体的に、行動と結果が明確なものにする。
子どもはルールを守る大切さを学ぶ。


ルールが守れたら大絶賛する。
それが「とてもすばらしいこと」というのを、子どもに教えることが必要。

「僕ががんばってルールを守ったら、お母さんがすごく褒めてくれた」
→「ルールを守ることはお母さんの期待に応えること」と子どもが学ぶ。

               <感謝合掌 平成27年9月25日 頓首再拝>

励ましと祝福が必要 - 伝統

2015/10/03 (Sat) 18:45:52


         *『女性の幸福365章』(P346)より

子供は親の“はげまし”を必要とするのである。
親の“はげまし”とは、欠点を指摘して、目標に達するように尻を引っ叩くことではない。

「お前は目標以下だ」と指摘して尻を引っ叩くような“はげまし”は
却ってはげましにならないで逆効果を招く。

子供は自分を「目標以下」だと考えて失望落胆し、劣等感を植えつけられるのが落ちである。
本当の“はげまし”は、子供に自分の能力についての自信と誇りをもたせるように、
その子供が多少とも旨くやれたときに大いに賞讃してやるがよいのである。

               <感謝合掌 平成27年10月3日 頓首再拝>

お前は天才だから、一生懸命描きなさい - 伝統

2015/10/13 (Tue) 19:45:35


          *Web:「子供の育て方のヒント」(2013年09月19日)より

   (沢登春仁氏・土屋松雄氏に学ぶ子育てのヒント・・・)

   「天才バカボン」「ニャロメ」等数々のヒット作を世に送り出した
   漫画家赤塚不二夫が漫画を描き出したのは小学校6年生の頃だった。

   漫画が好きで、野良仕事から帰ると勉強もせずに、
   手塚治虫の漫画を参考にしながら見よう見真似でひたすら描いたという。

   そんな不二夫の絵を見て母の言った言葉が、
   「お前は天才だから、一生懸命描きなさい」だった。

   この母の一言で不二夫は俄然張り切って描くようになった。
   中学を卒業後、どうしても漫画家になりたくて上京。

   工員として働きながら投稿を続け、同じく漫画家を志し上京してきた
   石森章太郎と二人「トキワ荘」に入る。
   「トキワ荘」には、駆け出しマンガ家が集まってきた。

   昭和37年「おそ松くん」が大ヒットする。

   息子の万能を信じ、「お前は天才だよ」と言ってくれた、
   その母の一言で頑張ってきた結果だった。

   「おそ松くん」に出てくるお母さんは、不二夫が母をイメ‐ジしたものだそうだ。

          (魔法のほめ言葉/講談社/沢登春仁氏+土屋松雄)

              ・・・

幼い頃に親から投げかけられた“ほめ言葉”はいつまでも心に残っている。
その言葉のお蔭で次々と人生が開けてくることがある。

しかし一方で、子供に対して「あれはダメ、これもダメ」と言い続けていれば
大人になってから行動力のない人間を作り出すことに成功する。

また、「そんなこと出来るわけがない」
「そんなことはムリムリ」

と言い続けていれば大人になってから

「これも出来ない、あれも出来ない」と自己制限巧みな人間を作り出すことに成功する。

私たち親は時に“創造は言葉から始まる”ことを忘れてしまう。
このことを深く自覚出来たなら不用意な言葉を慎むようになるだろう。

親自身の発する言葉で子供の人生が決まってしまうといっても過言ではないからだ。

私たちは言葉で子供を育てている。
自分流の“ほめ言葉”を作って子供の才能を大いに引き出してやりたいもの・・・。

               <感謝合掌 平成27年10月13日 頓首再拝>

子供を無理にあやまらせるものではない - 伝統

2015/10/15 (Thu) 19:27:09


           *「光明道中記」(P146)より

子供を無理にあやまらせるものではない。
もう今後一切そんなことはしませんと誓わしてもならない。

大人自身あやまることの不快と、一度禁煙を誓っても幾度でも煙草(たばこ)が
廃(や)められない大人が沢山あることを考えれば
「誓う」と云うことが何にもならないと云うことが判るであろう。

一度誓ってそれを犯したら、それは「自分は誓を破(やぶ)った罪人だ」と云う自覚の念に
いつも付きまとわれた人間になり、自信力を失うか、毒を喰(くら)わば皿まで式に、
「どうせ汚(けが)れた身体(からだ)だからもっとやろう」と云うようになるかする。

また、守れるかどうか判らないことを誓わせるのは嘘つきを奨励しているのと
同じことになる。
あやまるのを好まぬ子供にあやませると、
今度は嘘をついてあやまる不快を免れるようとする。

子供に正直の美徳を教え込もうと思うならば親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ。
子供の前で居留守を遣う親は沢山ある。
子供にだけ嘘をついてはならぬと言って自分が嘘を言う親は二重に嘘をついているのである。

人間は本当のことを言いたいのが本性(ほんしょう)だから、
本当を言っても叱られないとなれば却って本当のことを言う。

               <感謝合掌 平成27年10月15日 頓首再拝>

教育は「善」の権威を示すことによって行なわれる - 伝統

2015/10/16 (Fri) 19:17:48


           *「光明道中記」(P147)より


子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。
それどころか子供を叱っていると、親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。
教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

               <感謝合掌 平成27年10月16日 頓首再拝>

学用品を紛失した場合 - 伝統

2015/10/18 (Sun) 19:11:34


           *「光明道中記」(P148)より

子供は学用品を紛失して、親からひどく叱られるのを恐れて隠していることがある。
何でも子供は《もの》を隠しているときには、強情に陰気に塞ぎ込み勝ちのものである。

「父さん母さんは決して叱らないから、隠していることを心に持っていて、自分ひとりで
苦しまないで、母さんにそれを打明けて一緒に苦しいことは二人で分けましょうね」

こう言って愛撫して、愛を表現しながら、子供の心の悩みの表出に動機を与えてやる
ことが必要である。

幼いときから持ちつづけた感情の悩みが大人(おとな)になってからの
神経的疾患として発病することもある。

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の抵抗であることがある。
大人でも権力によって拘束せられる場合には、無言の怠惰 ――
飢餓罷業(ハンガー・ストライキ)や怠業(サボタージュ)を行なうことは
誰でも知っている。

ガンジーのような高潔な人格者でも、
ハンガー・ストライキやサボタージュはやるのである。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下の標識(しるし)ではない。
それは却って子供の自尊心の強さから、自尊心を傷つけられたことに対する
反抗の顕れであることもあるし、先生や、親や、友達が認めてくれない
絶望からの自暴自棄であることもある。


               <感謝合掌 平成27年10月18日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.