伝統板・第二

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魂を磨く① - 伝統

2015/04/11 (Sat) 04:43:24

*光明掲示板・伝統・第一「魂を磨く (88)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=54

・・・

艱難は魂の向上のためのスポーツです

          *「真理」第九巻(P142~143)より

学校に於いても試験をパスしたら、それで上級にあがれるのである。
艱難はあなたを鍛えるための競技ではなく、
あなたの内部の力を引き出すための重量挙げ競技である。

学校の試験問題には受験者にはとてもできないような問題は出ないと同じように、
人生の問題もあなたにとてもできないような問題は出て来ないのであります。

神の子なたるあなたは、或る限られたる境遇の中に閉じ込められるべきものではないのです。
何物もあなたを縛るものはないのです。

毎日毎日が機会であり、毎日毎日があなたの魂の進級試験であるのです。
しかも「試験」と云う観念に伴う「面倒な」とか「難かしい」と云う感情は間違いです。
それはスケートやスキーの競技のように、壮快なる人生競技なのです。

毎日楽しく競技をつづけて行くうちにあなたの魂はそれだけ向上するのです。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「魂の約束」 (6284)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1185

(2)光明掲示板・第二「魂磨き (10874)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2084

(3)光明掲示板・第三「魂を磨くということ」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=43

           <感謝合掌 平成27年4月11日 頓首再拝>

必然の中に隠された真実 - 伝統

2015/04/19 (Sun) 04:20:08


      *「あの世を味方につける生き方」美鈴・著(P14~20)より

(1)魂はこれから起こるすべてのことを知っている

  ①私たちには目に見える家族のほかに、もうひとつの家族があるのです。
   それが「グループ・ソウル」です。
   グループ・ソウルとはあの世の家族のことで、強い絆で結ばれた魂の家族。

  ②現実世界に生きている私たちは、良い睡眠がとれているとき、
   幽体離脱してグループ・ソウルへ帰っています。

   そこでは、あの世の家族たちと、私たちの最近の行いについての反省会や、
   これから先に起こることへの下準備をしたり、魂の光を充電したりして、
   またこの世に帰ってくるのです。

  ③この世に起こることに「偶然」はありません。
   すべてが「必然」で、私たちが持って生まれた「宿命」を果たすために
   グループ・ソウルの応援を受けながら、魂を成長させ続けているのです。


(2)私たちはみんな、グループ・ソウルの代表選手

  ①私たちは、ものすごく小さな確率でこの地上に降りてきた、
   たくさんの魂の中から選ばれたグループの代表選手なのです。

  ②私たちはみんな、この世に生まれるときに、見送るグループ・ソウルの魂たちに、

   「私は、このグループをもっともっと浄化して、未熟な部分を克服するために
   頑張ってくるね。みんなで神界に戻ろうね。私なら心配いりません。大丈夫! 」

   と、ヤル気満々であの世を後にしたのです。


(3)未熟な部分を克服して神界に帰ることが目的

  ①この世に生まれた私たちは、多くの苦難を乗り越え、感動を経験し、魂の輝きを
   増して。再び、自分のクラスである「グループ・ソウル」へと戻っていきます。

  ②戻った魂が、この世で経験して学んだお土産の光を、グループのみんなと同じように
   お裾分けすることで、グループ全体の濁りが薄くなり、霊界の上に存在する
   「神界」へとゆっくり上がっていくのです。

  ③神界へは決して一人では戻れません。
   グループ・ソウルごとに、みんなで神界に帰るのです。

   その目的を果たすため、あの世の家族は、家族代表として生きづらいこの世で
   必死に魂をみがいている私たちを、常に応援してくれているのです。

           <感謝合掌 平成27年4月19日 頓首再拝>

生まれ変わりを繰り返すことで魂は進化する - 伝統

2015/04/25 (Sat) 04:42:53


        *「「ありがとう」のすごい秘密」小林正観・著(P84~87)より

《本質的な本当の幸せというのは身近なところにある》

本当の幸せとは何も起きないことです。
あたりまえのことが淡々とそのまま過ぎていくことがどれほどありがたいか。
朝起きて目が見えて、耳が聞えて、歩くことができて、話すことができる。

本当の幸せというものがわかってしまうと、その本当の幸せを求めるのに
ながい旅をしなくてもいいことに気がつきます。
本当の幸せは、身近なところにあって、自分の周りを取り囲んでいるという事実に
気がつけばいいのです。


実は幸せに満ちているのに、人間というのは生まれ変わりの回数が少ないと、
自分のやりたいことができないから否定的な言葉ばかりが出てくるのです。

今日から口から出る言葉の半数以上を喜びや、幸せ、感謝(ありがとう)という
肯定的な言葉に切り替えていきましょう。

そして、3年たって100%否定的な言葉しか出てこないように自分自身をつくり変えると、
出会う人が100%味方になってくれます。逆に否定的な言葉を口に出していると、
そのパーセントの分だけ味方になってくれない人に出会うようです。


《魂は肉体をもってはじめて進化する》

自分の幸せが身近にあることに気がつくことが、魂の進化です。
魂が進化するために絶対的に必要な条件は肉体です。

200年。300年、400年ぶりになで生まれ変わるかというと、肉体をもって、
その体験を通してはじめて魂は進化するからです。


病気、事故、トラブルなどを、つらい、悲しい、苦しい、つまらないと言っている間は、
生まれ変わりの回数がまだ少ないのです。

生まれ変わりが3~6万回くらいになってくると中間レベル、
病気や事故など、いろいろな出来事が起きたとき「人生は修行だ」と思うレベルになります。
これはまだ最高位ではなく、中盤のとらえ方です。

そしてさらに魂が生まれ変わり、9万回を超えたところから、
魂は目の前に起きる現象について感謝するようになります。

病気や事故、天災やトラブルなどすべての現象が感謝の対象に切り替わって
ありがたいと思えるようになったとき、これが魂の進化となります。

           <感謝合掌 平成27年4月25日 頓首再拝>

グループ・ソウルのしくみ - 伝統

2015/04/30 (Thu) 03:53:17


      *「あの世を味方につける生き方」美鈴・著(P21~27)より

(1)類魂(=グループ・ソウル)

  ①「あなたの、言葉・思い・行動には責任があります。
   それは、あなた一人の責任ではありません。類魂すべての責任となるのです。
   良きことも悪しきことも、あなたが決断したことは、類魂全体に影響を及ぼします。
   類魂とは、あなた自身でもあるのです」

  ②一つのグループ・ソウルからは、一体の魂しかこの世に出られないのです。
   そして、その代表であるあなたがこの世に生きているうちは、
   ほかの魂は生まれることができないのです。

   (稀に例外として、ツインソウルとして、
    分裂して同じ魂がこの世に生まれることがあるとのこと)

  ③あの世の家族であるグループ・ソウルの中には、執着も多くまだまだ未熟な魂も
   あれば、何度も生まれ変わりを体験した経験豊富で、愛情深い思いやりのある
   魂もあります。

   そんなさまざまな魂が、類魂という固い絆のもと、手を取り合い協力し合って
   みんなで魂の浄化を目指しているのです。


(2)私たちの言葉・思い・行動はグループ全体の記憶に

  ①この世の私たちは、やがて、グループ・ソウルへ戻ったときに、魂の家族である
   すべての類魂に、自分がしてきたこと、経験・感動をすべて伝えます。
   私たちの記憶は、グループ全体の記憶になるのです。

  ②ですから、否定的な人生を送ったり、不平不満を口にしたり、人をだましたり、
   自分勝手な行動をとったりしてしまうと、グループ・ソウル全体の濁りを増して
   しまって、グループ全体で神界を目指すという目的から遠ざかってしまうことに
   なるのです。

  ③いい言葉を使い、人のために思い、行動することで、あの世の家族、グループ・ソウル
   を成長させ、また、私たち自身も幸せを実感することができるのです。

           <感謝合掌 平成27年4月30日 頓首再拝>

睡眠中の遊魂現象 - 伝統

2015/05/06 (Wed) 05:05:02


          *『霊界の妻は語る』(P101~107)より抜粋

夜間睡眠中に、私の霊魂が妻の霊魂と幽界に於いて、会合する事ができた。
その後、数ヶ月たって、妻の霊魂と直接談話現象に入ることができるようになった。


私が、種々なる指導霊と交えた問答を総合して考えてみると、
もし吾々が睡眠中に体験したところの状態を、精細に現実界に持ち来たす事が
できたならば人類にとって大なる恵福となることを
私は今なお信ぜずにはいられないのである。

 
何故なら吾々人類に一層大なる生命の視野を開いてくれることになると共に、
早かれ遅かれ逝(ゆ)かなければならないところの霊界についての
尚一層詳しい知識を供給してくれる事になるからである。
 
もし、吾々が旅行する土地について尚一層詳しい知識を持っておれば、
旅行先で色々のことを弁ずるのに大変都合がよいではないか。

幽界遊行の記憶が余りにも楽しいものであるのでその記憶が残っていたならば
地上に於ける現世の物質的生活の興味が全然失われてしまうおそれがあると言うのである。

この問題に関して私が議論した人達の多くの一致した意見は、
睡眠中の幽界遊行の記憶はむしろ地上生活の意義をハッキリさせて、
生活に刺激を与える事になる。

尤も、多くの場合に於いて睡眠中の遊魂現象は、
吾々自身の属する霊圏に行くだけであって、
一層高い霊魂の世界に行くのではないのである。

           <感謝合掌 平成27年5月6日 頓首再拝>

宿命ドリル - 伝統

2015/05/12 (Tue) 04:11:19


         *「あの世を味方につける生き方」美鈴・著(P28~36)より抜粋

私たちは、皆それぞれにあの世で、これまでの自分の魂の歴史や、
グループ全体の性質・歴史を、すべて把握したうえで生まれてきました。

自分の前世や前々世、さらにその前の・・・といった感じに、行いから言葉、思いまで、
すべてをしっかり見て・聞いて・感じながらおさらいをするのです。

そして、その中から自分に足りない学びや、グループ全体に必要な学びをピックアップして、
どうすれば今以上に浄化できるのか、より多くの感動を得られるかを考えながら、
長い年月をかけて、この世に生まれる意味である「宿命ドリル」を
寸分の狂いもなく作り上げるのです。

「宿命ドリル」を作成しながら、
「この学びを解消するのに一番応しい場所はどこだろう」
「より多くの学びを与えてくれる両親は誰だろう」と、
一生懸命悩んで決定していくのです。



《あの世の記憶は、置いてくるのが当たり前》

より多くの感動を得られるように、あの世のことや、前世の記憶、
自分で決めた宿命さえもあの世に置いて生まれてくるのです。

人生は、置いてきた記憶に隠された感動のパーツを一つひとつ集めて完成させる、
大きなパズルのようなものでっしょうか。

完成品を見られるのは、この世を卒業してからなのです。

           <感謝合掌 平成27年5月12日 頓首再拝>

魂を磨いてその輝きを増す - 伝統

2015/05/17 (Sun) 04:44:18


            *『幸福をひらく鍵』(P44)より

困難そのものはあなたに打撃を与えないが、
困難を困難として受け取って、心の中で「暗黒なもの」としてそれをつかむとき、
本当にその人に打撃を与えるのである。

困難を自己能力練磨の道具として迎えるとき、それは興味あるスリルであり、
”棒高跳び”の、乗り超えなければなたぬ高さが3メートルから4メートルになり
益々その乗り超えるための困難が加わるのであるが、それだけ興味も益々加わり、
自分の能力も益々増加するのである。

これに反して、「自分の前進する前に綱を張られた、何という意地悪だろう。
またその綱が愈々高くなった、何という困難な世の中だろう」と、それを呪詛して
暗い気持ちで受け取れば、そのまま其の人の能力は増加せず、世間を呪い、
自己を悲観し、萎縮するばかりとなる。


高い山に登るには必ず登攀の努力を必要とするのである。
その登攀の努力こそ、「生命全身の悦び」があるのである。

登山家は、この「生命前進の悦び」を味わうために、生命(せいめい)の危険を
賭して、懸崖に手を察して登攀し、一条のザイルと一丁のピッケルに身を托して
危険を冒して攀じのぼるのである。

それが危険であればあるほど「生命前進の悦び」が感じられるのである。


どんな苦しい環境でも、それには人間を鍛え修練し、魂を磨いてその輝きを増す
意義があるのである。吾々がそれを恐れずに立ち向かうならば、平坦な道を行くよりも、
魂の進歩は速いのである。

           <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝>

「人生のシナリオ」 - 伝統

2015/05/23 (Sat) 03:45:49


         *「一瞬で夢が叶う「奇跡」が起こる本」越智啓子・著(P36~37)

私たちの魂は、生まれ変わるときに「人生の目的」を実現するための
「人生のシナリオ」書きます。

自分が最も叶えたい夢は何か・・・これが「人生の目的」です。

過去における魂の思いの強さによって、
今回の「人生の目的」は決まっているのです。

こうして「人生の目的」が決まったら、次は、
それを実現するためにどんなキャスティングがいいのかを選びます。

一番のポイントは、「両親」です。
自分が決めた人生の目的を叶えるために、
それに適した親、親族を選んできます。

「誕生日」については、宇宙のさまざまな星から受ける影響が関わります。
自分の人生の目的を実現するため、一番影響のある星の運行を考えて生まれるのです。

「誕生地」にもそれぞれ縁があります。

自分の魂が書くということは、そのシナリオに出てくる
「誕生日」「誕生地」「両親」を自分で選んでいるということなのです。

           <感謝合掌 平成27年5月23日 頓首再拝>

「奇跡」へのスイッチが切り替わるとき - 伝統

2015/05/28 (Thu) 04:48:48

         *「一瞬で夢が叶う「奇跡」が起こる本」越智啓子・著(P38~40)

私たちは、「両親」を選んで生まれてくる
・・・「人生のシナリオ」で重要なのはこの点です。

親との葛藤を抱えている人にとっては、かなり抵抗があるでしょう。

そういう人は、焦らなくてもいいのです。
ゆっくり時間をかけて自分の感情を大事にしてあげてください。
いつか必ず、”受け入れられるとき”が訪れます。

今の自分はこの親がいたからこそ、ここまで成長できたかもしれない・・・そんなふうに
思えるようになると、自分自身の存在に対する見方が変わってきます。

「私を産み、育ててくれてありがとう」
と思えるようになったら、そこが人生の大きな変わり目です。

「すべては自分が選んできた」
「自己責任なのだ」
と腹をくくれるようになってきます。

自分の人生をしっかりと受け入れられるようになるのです。

「今の人生は自分が経験したくて選んだ」と思うことで、
「自分らしさ」「主体性」を取り戻すことができます。

そうなると、自分本来の魂の輝きが強くなりはじめ、
「奇跡」が頻繁に起こる状態へと人生のスイッチが切り替わるのです。

           <感謝合掌 平成27年5月28日 頓首再拝>

人生の体験の意義について - 伝統

2015/06/02 (Tue) 03:48:25


          *「新版「真理」」第10巻(P257)より


人生に現れて来る色々の問題は、
実相の完全さがその体験と云う過程を通して現れようとするための
魂の学校の科目だということができる。

それは蚕が、一眠(みん)二眠・・という風に、生活に或る節又は峠があって、
それを越すごとに、前よりも一層完全なる実相が現れて来るのである。
一想完全なる実相が現れることを進歩と謂(い)う。 

私達は生活体験の一つ一つを通して魂が進歩するのであるが、
魂を進歩するためには、その体験の意義を知る必要がある。

一つ一つの体験は私達の「魂の学校」で出てくる教科書の「文章」みたいなものである。
教科書の「文章」をただ漫然と見ているだけで、「文章」の意味を解しないならば、
いくら学校に入学していても進級は覚束ないであろう。

それと同じく吾々の人生行路に出てくる体験も、
ただ漫然と過ごしているだけでは、魂の進歩はない。

個々の体験はそれがたとい「失敗」の体験であっても意義を知るならば魂の進歩である。

           <感謝合掌 平成27年6月2日 頓首再拝>

私たちは寿命を決めて生まれてきました - 伝統

2015/06/09 (Tue) 03:40:12

      *「あの世を味方につける生き方」美鈴・著(P41~43)より

人の命の長さは誰にもわからないものです。

しかし、この世に、ロングステイするのもショートステイするのも
自分で決めて生まれてきました。
自殺以外はすべて寿命なのです。

寿命はその人によってさまざまですが、
人は生まれる前に、自分の命日を○年○月○日まで決めて生まれてくるのです。

苦難、苦労だらけの長生き人生という方もいらっしゃいますが、
それは今世で多くの学びを経験しようという勉強熱心な魂。

この世でたくさんの苦難、苦労に向き合い、
より高く浄化したちと願うチャレンジ精神に満ちた魂なのです。


《今世で残した課題は来世に持ち越される》

次々とやってくる苦難・苦労に耐え切れず途中で命を絶ってしまうと、
大きなマイナスのカルマが自分にもグループ・ソウル全体にも発生します。

また、未浄化霊にならずあの世に浄化できたとしても、今生に残した課題は
いつかは解消しなければならないので、来世以降に持ち越されるだけです。


せっかくグループソウルの代表に選ばれて、キセキ的な確率で生まれてきたのに、
宿命をまっとうしないでこの世から去ってしまうなんて、
これほどもったいないことはありません。


私たちは自分の魂の器に見合うだけの「宿命ドリル」しか作ってきませんから、
乗り越えられない苦難、苦労など、何ひとつないのです。

つらいことに向き合わず逃げてしまうよりも、宿命に向き合い、
寿命をまっとうする人生を送るほうが、はるかに幸せになれるのです。


・・・

以下は、同じ著者によるWebからの紹介です。



☆本日の【金の魂語】(きんのたまご)20130626

私たちは、生まれてくる前に「寿命」を決めて生まれてきました。

この世で学びたいこと…今世の課題を決定したときに、
その課題を解消できるだけの時間を計算して、
この世での学習の期限「寿命」を決めてきたのです。

自分の魂レベルに合った自分で自分に課した学びを、
熟すのに相応しい時間が「寿命」なのですが、
「寿命」が長いから幸せ…また、「寿命」が長いから魂が未熟である…とか、
そういう単純なことではありません。

短くても、長くても…

「寿命」のうちに、
どれだけ濃く思いを込めて…
どれだけ一生懸命に…
どれだけ愛を持って…
どれだけ課題と向き合って…(他)、

生きられたか…が大事なのです。

魂はわかっていても、
誰もが自分の「寿命」はわかりませんよね。

だから「今」を、
精魂込めて真剣に大事に生きることで、
【悔いのない人生】とすることができるのです。

今日も、光に目を向けながら、精一杯に生きて輝きましょう!!

           <感謝合掌 平成27年6月9日 頓首再拝>

【人生をジックリ味わう】 - 伝統

2015/06/15 (Mon) 03:33:38


           *メルマガ「人の心に灯をともす(2014-03-07)」より

   (足立幸子氏の心に響く言葉より…)

   何のために肉体を持って地球に来たのかと言いますと、「味わうため」なのです。
   肉体を持つことによって、感覚も感情も持ちます。


   『ベルリン天使の詩』という映画があるのですが、
   この映画は天使の側から見た時は画面が白黒に映り、
   人間の側から見た時はカラーで映るのです。

   そして天使がサーカスに出ている女性に恋をして、女性の体に触るのですが、
   肉体がないので触覚もありませんから、女性の体が柔らかいのか硬いのか、
   冷たいのか暖かいのかわらかないわけですよ。

   それでどうしても感覚を味わいたくて、羽を捨てて堕天使になって、
   冬のベルリンに降り立つという話なのです。

   天使が人間として初めて、ホットコーヒーを飲みます。
   そしてカップに触って、「熱いというのは、こういう感じなんだ」と知るのですね。

   このように肉体を持つことによって感覚や感情を持つわけで、
   私達は「楽しいとはどういうことか、悲しいとはどういうことか、
   苦しいとはどういうことか」と、

   味わうために肉体を持って地球に来たのですから、
   ジックリ味わった方がいいと思います。

   楽しいことならジックリ味わうのですが、
   イヤなこととなると急に人のせいにして逃げてしまいますが、
   イヤなことも味わうために地球に来たのですから、
   ジックリ味わって、そしてそれをクリアーして次に行くのがいいですね。

   逃げるとやり残しをつくるわけで、それは絶対いつかやらなければいけないのです。
   次に来た時には、段々きつくなっているような感じがします。

   来たことは全部意味があって来たのですから、いっさい逃げないで、
   来た時に全部受け入れて、
   じっくり味わった方がよろしいのではないかと思います。


   例えば、トラブルは、自分を成長させるために来るのですね。
   『深い部分の自分』が、
   「そろそろ成長させてやろう」ということで、問題を与えるのです。

   ですからイヤなことが来れば、
   「これをクリアーすれば、また次にジャンプ出来る」と
   考えられるといいですね。

   そしてクリアー出来ないような問題を、引き寄せるわけがないのです。

   同じ波動どうししか同調しませんから、
   その方の器(うつわ)に相応(ふさわ)しい問題しか来るわけがありません。

   でもたまに、一人ではクリアーできないような問題も確かに来ます。
   でも、本当に一人では無理な場合には、サポートしてくださる人を引き寄せます。
   それで、なんなくクリアーしてしまいます。

   ですから逃げなければ、本当に奇跡のようなことが簡単に起こりますから、
   とにかく逃げないで受け入れて下さい。

         <『あるがままに生きる』ナチュラルスピリット>

              ・・・

地球は、行動の星であり、具体的な実践の場。

行動とは、見る、聞く、話す、味わう、触るという五感をフルに活用し、
具体的に体を動かして何かを行うこと。

当たり前のことだが、行動するには肉体が必要だ。


我々は「味わうため」にこの地球にやってきた、という。

楽しみも苦しみも、喜びも悲しみも…
いいも悪いも、その中にひたりきり、文句を言わずに、

ジックリとそれを味わえる人でありたい。

           <感謝合掌 平成27年6月15日 頓首再拝>

神との約束 - 伝統

2015/06/23 (Tue) 04:48:58


         *Web:心にひびく言の葉のおと(2015.05.01)より

私が生まれるずっと前 私は神と約束しました

この時代の この国に
このお父さんと このお母さんの
子供として生まれてくることを・・

私が生まれるずっと前 私は神と約束しました

この人と出会って この人と友達になり
この人とケンカをして
この人と一緒に過ごすことを・・

私が生まれるずっと前 私は神と約束しました

ここで泣いて ここで笑って
ここで傷つき ここで癒され
そして ここで死んでいくことを・・

私が生まれるずっと前 私は神と約束しました

あんな事 こんな事 そんな事
いろんな事を たくさん たくさん約束しました

なのに 私はすっかり忘れていました

私が生まれるずっと前 あなたと 今 ここで
出会う約束をしていたことを・・・

(はづき虹映)

   (http://michie-h.jugem.jp/?eid=35

           <感謝合掌 平成27年6月23日 頓首再拝>

魂の向上について - 伝統

2015/06/30 (Tue) 04:31:01


        *「若人のための78章」第3章(P8~9)より

愛は憐憫ではない。
憐憫は相手の不幸な面を強調して、それに執着的な同情を与えることなのである。

一度彼が不幸なる面を強調してそれに心を停滞せしむるならば、
その念の力によりてその人はその憐むべき状態から再びおき上ることができなくなるのである。

困難は決して不幸ではないのである。

魂にとってもっとも大いなる敵は怠惰と惰弱である。

吾々が人生に処する行為において、色々の道があるとするならば、
大抵の人はもっとも安易なる道を選ぼうとするであろうが、
もっとも険阻な道が、本当はその人の魂にとって向上への通路なのである。

努力も克服もいらないような平易なる坦々たる道は、
その人の魂をきたえることができないのである。

吾々は、今興えられた重荷よりもなお一層重い仕事の方が、
自分の力をきたえだす所のもっともよきものであるということをしらなければならない。

吾々の肉体力は、それに適当な重荷を興え、
これを練磨することによって一層力強くなると同じように、
吾々の魂はむつかしい問題を興えられれば興えられるほど、魂の力は増加するのである。

このようにすることによってのみ、
人間がこの世に生れてきた所の神の無限力を表現することができるようになるのである。

           <感謝合掌 平成27年6月30日 頓首再拝>

ニック・ブイチチさんが語る、「8つの法則」 - 伝統

2015/07/07 (Tue) 04:17:32

「僕は、僕のままでいい」。
生まれつき両手足のないニック・ブイチチさんが語る、
人生に大切な「8つの法則」


            *Web:TABILABO(2015年04月04日)」より

生まれつき両手足のないニック・ブイチチさん。
ハンディキャップを持つ彼のスピーチは、とにかくポジティブで明るい。

2012年にはアメリカ在住だった日本人女性と結婚し、世界各国を飛びまわる生活をしている。

様々な苦労を乗り越えた強さがあるからこそ、
彼のメッセージは世界中で多くの人々の心に届いているのだ。

YouTubeに投稿されている彼のスピーチは、5000万回以上も再生されている。
そんな彼の心に響くスピーチを、日本語字幕もある、動画で見て欲しい。

このスピーチでは彼が人生を生きている中で学んだ8つのことを語っているのだが、
その内容をざっくりまとめると、

1 自分が持っているものに感謝することが大切。
2 やってみるまで、なにができるか誰にもわからない。だから挑戦しよう。
3 失敗しても、何度でもチャレンジしてみる。人生は山と谷をいったりきたりするものだ。
4 失敗は先生である。失敗は自分の経験となり、学びにつながる。
5 目の前の障壁は、自分を成長させてくれるチャンスだ。
6 夢は大きく、小さくまとまらないこと。
7 なにごとも、決してあきらめないこと。
8 自分の可能性を、自分で信じること。あなただけのFaith (信念)をもつこと。

ここからは、彼のスピーチを紹介する。



こんにちは!どうもありがとう!

これから、僕の考え方を180度変えてくれた、8つのことをお話ししたいと思います。

僕はスーパーヒーローなんかじゃないし、自分がすごい人だとも思ってません。
僕もみんなと同じで、気分が上がったり下がったりします。

僕はいつも人を、笑わせようとしています!
でもみんな笑ったらいいのか、笑わない方がいいのかわかんなかったりするみたいだけど、
今日はおおいに笑ってくださいね。

さて、僕の人生に影響を与えてくれた8つのことのうち、
1つ目のポイントは、持っているものに感謝するということです。


1.
持っているものに
感謝すること

自分がどこにいるのかも分からないまま、ゴールにたどり着くことができるでしょうか?
自分が、何を持っているか知らないままに、何ができるかなんて分からないでしょう?

僕の両親はいつも「持っていないものに対して、怒るのはやめなさい。
そうじゃなくて、持っているものに感謝しなさい」って言ってくれました。

自分がいま持っているものに対して、感謝すること。
それが最初に伝えたい大切なことです。



2.
やってみるまで、
何ができるか分からない

2つ目のポイントは「やってみるまでは、何ができるかわからない」ということ。

トーマス・エジソンは電球を発明したけれど、なにが起きたか知っていますか?
彼は10,000回試したんです。それがどういうことかわかります?

1回の成功と9,999回の失敗ということです。彼がなにを言ったか?
「私は9,999回も失敗なんかしなかったんです。
ただ、9,999通りの電球を作れない方法を、見つけただけなんです。」



3.
失敗しても、
何度でも挑戦すること

そして3つ目のポイントは、
実際にやって「失敗したなら、もう一度やってみる。」ということです。

僕がサッカーをしていた時のこと。
友達がものすごい遠くの方から僕に向かってボールを蹴ろうとしてました。
で、彼が「準備はいいー?」って言うから、僕は「いいよー!」って。
言ってみたものの、緊張しちゃって膝がガクガクしました(笑)。

彼が準備を整えて僕の方にボールを蹴ったんだけど、僕はもう「あぁぁぁあぁあ」って感じで、
空中にジャンプして、スローモーションになって空中で空手キックみたいにキック・・・。
「アチョー!!」ってね。

ボールが飛んできたのを蹴ったら、僕の足が後ろに曲がっちゃってすごく嫌な音がしたんだ。
そのあと、3週間もベッドで過ごすハメになっちゃって・・・。

13歳の子供にとっての3週間は、3年みたいに感じるもの。
初めてハンディキャップを感じた瞬間でした。

そこで僕は自分の持っているものについて、感謝しないといけないなって気づきました。
僕が1つの足を持って生まれていることに、感謝しました。

運や偶然を信じる人たちはいますが、僕はそんなの全然信じません。
人生では、本当に予想しなかったことが起こります。

2年半ほど前に、僕は燃え尽きていました。
2007年から2010年までの間に僕は1,000回程の講演をし、飛行機には600回乗りました。
僕の所属する、非営利団体に寄付するお金がつくれるように、あるビジネスも計画していました。

でも、利益がでませんでした。結局、ビジネスは失敗してしまいました。
破産して、お金がなくなって、残ったのは210,000ドル(2,500万円ほど)の借金だけ。

僕の下した決断が悪かったのか?
どこで間違ったんだろう?
ここから何を学とれるんだろう?

でも、必ず乗り越えられるんです。
僕の今日の強みは、昨日の痛みを乗り越えたからこそなんです。

人生は谷底から山まで登ることではなく、谷底や山をいったりきたりすることの繰り返しなのです。
良い日も悪い日もあって、自分や人生についてもっと知ったり、
自分の周りにいる人たちをできる限り愛そうとすること。

目的をみつけようとしたり、生きることの意味を見つけようとするのが人生なんです。

だから失敗しても挑戦することが大切なんです。

さて、今まで話してきた3つの大切なことをまとめます。

1つ目は、あなた自身の価値を知り、持っているものに感謝すること。
これは僕にとっては、非常に難しいことでした。

「みんなには手足があって、走ることができるのに、僕にはできない。」

それで僕の両親が言ったことは「それでいいんだよ。」

でも僕は「そんなのよくないよ!」って思ってました。
学校ではそれが理由で、いじめてくる人もいました。

僕にとっては、10歳の時、希望は何もないと思っていました。
だから、バスタブに溺れて自殺をしようとしました。

学校で一日中バカにされて、もう希望なんてどこにもないだろうと思って、
バスタブに転がり込んだ時、一つの考えが僕を止めました。

それは、僕のパパとママが僕のお墓の前で泣きながら、
もっとなにか僕のためにできたんじゃないかと考えている姿でした。
僕は両親をそんな痛みの中に残していきたくなかった。
だから生きることにしました。

僕はありのままで美しいってことと、
両親が僕を愛してくれてるているという二つの大切なことを教えてくれなかったら、
今日ここにいません。

両親が僕を愛してくれてるている

家族に感謝しましょう。
あなたを愛する人たちに感謝しましょう。
あなたの持っているものに感謝しましょう。

お金でそれを買うことはできませんから。


4.
失敗することは
敗者になることじゃない


4つ目のポイント、それは失敗こそが、最高の学びになるということです。
僕が100回立とうとしても立つことは難しかったとします。
でも失敗したら、僕は敗者なのでしょうか?

僕は言葉で誰かを、傷つけたくありません。
僕は言葉で誰かを励ましたい。
励ますことで、最大限になってほしいと思っています。

もし僕が100回失敗しても、敗者なんかじゃないとあなたが思うんだったら、
あなたが敗者のはずなんてないんです。

あなたは敗者ではありません。
あなたの容姿なんてどうでもいい。
あなたに何ができて、何ができないかも関係ない。

あなたにどれだけ友達がいるのか、いないのかもどうだっていい。

あなたがここにいることには、ちゃんと理由があるんです。

これから先に、どんなことがあるかなんてまだわからない。
もっと良い日がくるってことを約束できるわけじゃないけど、
でも希望があるんだってことを伝えたいんです。

たとえどんな状況でも、乗り越えられるんだと。


5.
障壁は
自分を知るきっかけになる


5つ目のポイントは、障壁はチャンスになるということです。
僕が人生の中で、障壁にぶつかると、「こんなのできないよぉおおーーー!」っと
なってしまう人たちをたくさん見てきました。

でも6ヶ月後は、不思議とその壁を乗り越えているんです。

あなたの過去6ヶ月、12ヶ月を思い出してみてください。
障壁にぶつかって「僕にはできない」「私にはできない」って泣いたけど、
あなたは今日ここにいますよね?乗り越えてきているんです。

障壁は、乗り越える度に自分が一体何者なのかを教えてくれます。
どんなことを乗り越えてきたのかを思い出して、自分をもうちょっと褒めてあげてください。
僕にはたくさんの障壁があったけれど、どれもチャンスに変えてきました。



6.
夢を大きく持つこと

6つ目のポイントは、夢を大きく持つこと。



7.
人生をあきらめないこと

7つ目のポイントは、なにがなんでも、絶対に、人生をあきらめないこと。



8.
可能性に制限はつけられない
信念を持って、自分を信じること

8つ目のポイントは、信念を持つことです。

人生でもっとも重要なことは、自分の価値と運命を知ることです。

あなたが自分の最大限の可能性にたどり着こうとしないかぎり、
ベストを尽くすことはできません。
自分の可能性を信じること(信念)が大切です。

7年前に僕は手足のない、小さな男の子に会いました。
ダニエル君です。彼をステージまで連れてきました。
生後19ヶ月の男の子、ダニエル君には手脚がなく、僕みたいに小さな足がひとつだけありました。

僕は彼のお母さんに、彼が6歳になって学校に行くようになったら彼がいじめられないように、
事前に学校にいって話すことを薦めました。
彼はいま、その学区で一番クールな子です。

彼に「もし手脚があるのと、ないと選べたとしたらどっちを選ぶ」?と聞きました。

その答えは、「ありのままの僕を選ぶ」。でした。

天国にいったらきっと僕にも手脚が与えられるでしょう。
ダニエル君の新しい手脚で、僕の方に駆け寄ってきたら僕は僕の新しい手脚で彼をハグします。

90年くらいの人生なんて短い。
この90年は、僕には腕も脚もないけど少なくとも関節症にならない。

でも、あなたたちは関節症になるでしょうね(笑)。

最後に、今日お話しした人生に大切な8つのことをまとめます。

1.感謝すること。

2.やってみるまでは、何ができるかわからない。

3.失敗したなら、もう一回チャレンジしてみること。

4.失敗はあなたを教育してくれるということ。

5.障壁は機会に変わるということ。

6.夢は大きくもつこと。

7.決してあきらめないこと。そして、

8.信じ続ける「信念」を持つこと。

これらが僕の人生を「手脚なし」から「制限なし」に変えてくれたことでした。

僕はキリスト教徒で、神を信じていますし、天国も信じています。
でも、僕はだれかに認めて欲しいとは思っていませんし、
僕と同じ宗教に入って欲しいとも思っていません。

僕が一番嬉しいことは、自分に奇跡が起こったりしなくても、
僕がだれかにとっての、奇跡になることができるということです。

みなさんの愛に、心から感謝します。

ありがとうございます。

      (http://beauty.yahoo.co.jp/lifestyle/articles/129694

             <感謝合掌 平成27年7月7日 頓首再拝>

神様のプレゼント - 伝統

2015/07/15 (Wed) 04:18:13


         *「涙を幸せにする24の物語」中山和義・著(story1P24~27)より


コンサルタントの福島正伸先生から聞いた話です。


福島先生が応援している難病の女の子がいます。

女の子は自分の病気のためにお母さんが辛い思いをしているのに気づいて、
できるだけ心配をかけないように努力をしていました。

お母さんが、

「体は痛くない? 」「夜は眠れているの? 」

と心配そうに聞くと、

「痛くないよ」
「良く眠れるよ」

と笑顔で答えました。

しかし、本当は痛みのために眠れない毎日が続いていました。


ある日、女の子がお母さんに

「私がなんで病気なのか分かる? 」

と質問しました。

お母さんが黙って女の子を見つめていると、
彼女は微笑みながら、その理由を話し始めました。

神様はこの世に生まれる前に人間に1つだけプレゼントしてくれるの。

生まれる少し前に神様のところへ行くと、神様が欲しいものを聞いてくれるんだよ。

「私は足の長い子になりたい」

「僕は背の高い子になりたい」

と言うと、神様はその後ろの棚から欲しいプレゼントを取って、渡してくれるの。


私の順番になった時に、
私はね、神様の後ろの棚の隅に置いてあるプレゼントを指差して、

「神様、その後ろの奥のほうにある、プレゼントは何? 」

と聞いてみたの。

すると、神様は

「これはね、難病っていうプレゼントなんだよ。
だからこれをあげられるのは、本当に強い子にしかあげられないんだよ」

って言ったの。


だから、私は神様に聞いたの。

「ここにあるプレゼントは、みんなにあげるものなんでしょう・・・。
だったら、誰かが、そのプレゼントをもらうんだよね」


神様が、黙って頷いたから、
私は、他の子が痛いとかわいそうだからと思って、その難病をもらってきたの。

だから私は強くて、特別な子どもなんだ・・・。


この話を聞いてから、お母さんが落ち込むことはなくなりました。

* * *

お母さんは、子どもの難病を悩んでいました。

涙を流したこともあるかもしれません。

でも、子どもに話を聞いて、

「難病は神様に与えられたプレゼント」
だと気づきました。

女の子は、自分の
『人生の役割』に気づいていたのです。


神様から期待されている人ほど、多くの悲しみや苦労に出会うと思いますが、
それは神様のプレゼントです。

乗り越えられる強さも、同時に与えられているはずです・・・。

             <感謝合掌 平成27年7月15日 頓首再拝>

《生命の真理を自覚する》 - 伝統

2015/07/22 (Wed) 05:02:03


         *『生長の家』誌(昭和25年7月9日)の法語より

   浮世の苦しみと悩みは、
   結局人間が世俗的な名声や、地位や、富や、五官的な喜びを
   追い求めた結果、生ずるのである。

   かくの如き五官的な世俗的な喜びは
   本来実相の喜びでないから、
   あるが如く見えても存在しないのである。

   だから かくの如きものを求めて
   永遠の喜びを追求するのは
   焔(ほのお)をのんで渇(かわ)きを癒(い)やさんとせるが
   如きものである。

   魂の喜びは焔をのむことによっては得られないのである。

   キリストが 「 永遠にかわかぬ水 」 といった所の
   生命の真理を自覚することである。

   生命の真理を自覚することによってのみ
   人間は魂の渇きは 永遠に癒されるのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=12


             <感謝合掌 平成27年7月22日 頓首再拝>

つらかったら、別の生き方にしましょう - 伝統

2015/07/30 (Thu) 04:38:49


       *「一瞬で夢が叶う「奇跡」が起こる本」越智啓子・著(P61~63)から抜粋

私たちは、生まれるときに自分の魂で「人生のシナリオ」を書いてくる・・・。

現実がつらく苦しいときはなかなか受け入れられないものです。
そんなときは「もうイヤ! 」と叫んだり、誰かになぐさめてもらったり、
リラックスできるような環境に身をおいて、絶対にムリをしないことが大切です。

あまりにつらかったら、それまでの生き方をやめて、次のコースへ行きましょう。
「人生のシナリオ」は変更可能なのです。

人生は海外旅行に似ています。

初心者にはガイドがついて、食事のメニューまで決まっているツアーのほうが安心です。
でも、だんだん慣れてくるとそれでは逆につまらないので、出発点と終着点だけ決めて、
あとはオプションで自由に選択できる旅をしたくなるのです。


生まれ変わりをたくさん体験した魂には、人生の最初と最後だけ決まっていて、
どんなコースで進むかは選択の自由が与えられています。


私たちの人生には、いくつか選択肢があり、最初はAコースを生きていても、
途中で行き詰ったらBコースに変えてもいいのです。

人生の舞台は「パラレルワールド」、つまり、並行して別の世界が存在するのだと
考えれば、いろいろな経験ができる可能性がひろがり、「奇跡」を確実に
引き寄せます。


大切なのは楽しむこと、面白がることです。
違う自分を選択すると、まわりの配役も変わります。
人生の舞台は波乱万丈でも、面白く楽しめるようになっています。

           <感謝合掌 平成27年7月30日 頓首再拝>

《困難は魂を浄化する》 - 伝統

2015/08/06 (Thu) 04:30:57


          *『 生長の家 』誌(昭和24年7月20日)の法語より

   人生は一見 有用なるものばかりでは
   成り立ってはいないのである。

   却(かえ)って無用と見えるものが
   適当の分量に於いて有用であるのである。

   滋養物のみが人体に健康を与えるのではない。
   不消化な滓(かす)になるような繊維素その他が
   腸内の清浄作用に非常に役に立っているのである。

   それと同じく人生に不用に思われる摩擦や困難が
   吾々の魂の清浄作用に役立っているのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/bfdb706a940194f3ffea807b7423de3b

           <感謝合掌 平成27年8月6日 頓首再拝>

魂の世界から見た「親」と「子」の関係 - 伝統

2015/08/13 (Thu) 04:41:41


        *「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」
          飯田史彦・著     (P284~286)より

《その両親を選んだ理由》

自分の両親と仲が悪いという方のために、私はどうしてもお伝えしたいことがあります。
この世で出会う人々の中でも、とりわけ「両親」に感謝することの大切さについて、
エリザベスキューブラー・ロス博士は、このように語ります。


   「死とは、ただこの世から、痛みも苦しみもない別の存在へと移るだけのことだ。
   つらい思いも、いさかいも全てなくなり、永遠にあるのは愛だけである。
   だからこそ、今、愛し合って欲しい。

   なぜなら、私達は誰でも、自分に命を与えてくれた人たちと、あとどのくらい
   この世で共に過ごすことができるのか、わからないからである。
   たとえ、どんなに不完全な親だったとしても・・・」
                     

 
ロス博士がいうとおり、たとえ、だれがみても「未熟な人間」
「いやな人間」と感じる人間であるとしても、
あなたにとっては、たった2人しかいない、「親」という特別な存在なのです。

子供であるあなたこそが、いかなる問題があったとしても、
最後まで守り通してあげるべきではありませんか?
 
なぜなら、あなた自身が、その両親を「自分で選んで生まれてきた」のですから。

もしも「手に負えない、いやな親だ」と感じるならば、それこそが、
あなたがその両親を選んだ大きな理由なのです。

自分と親との間に重大な問題が横たわっているならば、まさにそれを解く事が、
あなたが自分に与えた問題であり、挑戦すべき課題なのです。

もちろん、人の人のあいだの問題は、両方の問題であり、
片方だけががまんして済ませるものではありません。

しかし、ほかの人間関係とは違って、親と子のあいだの問題については、
親の方があなたを選んだのではなく、あなたの方がその親を自分の意志で選んだのです。

ます、あなたの方が先に、どのような親であったとしても、
この世に命を与えてくれた両親に感謝し、許し、認め、守ってあげなければなりません。

そして、両親がこの世で最期の瞬間を迎えるまで、
あなたは、精一杯の感謝の言動をとる必要があります。

今度あなたが死の瞬間を迎えたあと、その理由がすべて明らかになるでしょう。

           <感謝合掌 平成27年8月13日 頓首再拝>

命の水の話――人は本源の「海」を、体の内に宿している - 伝統

2015/08/21 (Fri) 04:45:26


          *Web:Trinity(2014.02.27)より


《海の水を「あの世」に行った魂に例えるなら、
地上を流れる水は「この世」に生きる魂である》


「すべての水は海へと流れる運命にある」、なんていう言葉があります。
これは装飾的な表現とかでは決してなくて、
地球を循環する水の「自然界における現実」です。

富士山麓などの湧き水は、山に降り注いだ水が何十年もかけて
地層の中を流れたのちに湧き出ている、とも言われています。

そんな長い歳月を地中で過ごしたら、
きっと水だって「自分は海とは無関係な存在だ……」
なんて思い込んでいるかも知れないですよね。

それでも湧き出た水は、川を流れ下り、必ず海へと還って行きます。


そして海の水は、太陽に熱せられて海面から蒸発します。
そして雨となって降り注ぎ、ふたたび大地を流れる――
このプロセスが、遠大な時間をかけて、延々と繰り返されるわけです。

ここまで読んで、スピリチュアル関連の本などを読み慣れている人なら――、
「つまり海が『あの世』で、地上を流れる水を『この世に生きる魂』と言いたいのだな」
と思われたでしょう。
ご明察の通りです……。




《地球上に存在する水のうち、淡水はたった3%に過ぎない》

でも、いくら水が地球を循環していると言っても――、
実はその水が「淡水として地上に在る」のは、けっこう並々ならぬことなのです。

地球上には、1兆4000億リットルの水が存在しています。

そのうち海水が占める割合というのは、実に97%にも上ります。

一方で淡水は、残りのたった3%に過ぎないのです。

しかもその淡水も、大部分は北極や南極の氷となっていて、
河川や地下水など私たちが利用できる形の水というのはわずか0.8%だけなのです。

よく「海洋に包まれたこの星は、地球でなく“水球”だ」とも言われます。

しかしながら、地球にそれほどふんだんに水がある中でも、
私たちにとっての「命の水」と呼べるものは、
本当に驚くほど貴重な存在であることが分かりますよね。

ところで、最近のスピリチュアル分野では、

「あの世では今、この世に生まれ出たいと願う多くの魂たちの
順番待ちで、渋滞している状況だ」

なんてふうに言われることもあります。

それくらい、この地上世界での人生というのは、
魂にとって滅多にない貴重な経験なのでしょう。

なぞらえて言うならば――、もし海の水が「早く淡水になって地上を流れたい!」
というふうに願っていたとしても、それを叶えられているのは全体の1%に満たない――、
というのと同じくらいの希少性なのかもしれません。




《この世に生きているというのは、とても希少なこと》

ちなみにですが、米国の人口調査局(Population Reference Bureau)が
「地球上にこれまで存在した人類の延べ人数」というのを推計していて、
その数はなんと1080億人にも上ります。

現在の地球上には70億人が生きています。
人口爆発と呼ばれるほど急増しているのだけど、それでも過去から存在した
人類の総数に比べたら、その全体のうちのわずか6%程度に過ぎません。

あとの94%は、既にもう終えられてしまった人生なわけです。

「人は生きているだけで尊い」と言われるけど、
いま現にこうして過ごしている人生というのは、
数の上でもやはり希少なものなのだなと思えますよね……。




《血液の成分は、生命が誕生した40億年前の海水と同じ
私たちは太古の海を体内に宿している》

ここでふたたび、水の話に戻りますが……

地球上でとても貴重な淡水、いつか海に還る運命にある水――、
そのうちのごく一部分を、私たちはこの体の中に保有しています。

「神の分け御霊」のような感じに、「命の水」を自らの内に常に宿しているわけです。

人間の体の水分量は、胎児だと体重の約90%、子供で70%、成人の場合は60%といわれます。
大人になるに従って、あたかも精霊的な性質が失われていくみたいに、
水分も減っていくというのは面白いですよね。


そしてさらに言えば――
私たちは淡水を飲んで摂取しているけど、
それを淡水の状態のまま体内で保有しているわけではありません。

私たちの血液というのは、なめると少ししょっぱいように、
実は「海水の成分」を体の中で再現しているのです。

ただしそれは、今の地球にある海とは違います
(現在の海水の塩分濃度は、血液の3倍ほど濃い)

私たちの血の液体成分というのは――、驚くことに、
生命が誕生した40億年前の海の成分と同じなのだそうです。

私たちは何と、「太古の海」をずっと変えることなく、体の中に受け継いでいるのです。

いつかは必ず海へと還る水――。

私たちは、その本源である海を、いつも内に持ち続けているというわけなんですよね。

http://www.el-aura.com/20140227/

           <感謝合掌 平成27年8月21日 頓首再拝>

魂を逞しく生長せしめるには - 伝統

2015/08/28 (Fri) 04:46:52


           *「真理」第9巻生活篇(P108~109)より

若し面白くない事が起って来たならば、それを自分を苦しめる災いだと思わないで、
「神の栄えのあらわれんがためなり」と思うことです。

苦難はあなたの魂がそれを跳び超える力を発揮する練習をするために神から与えられた
「魂のボディビル」をするための道具だと思えば宜しい。

「今こそ神の栄えのあらわれんがためである。
神はその無限の智慧もて此の問題を解決したまう」
と暇ある毎に、機会あるごとに祈りの気持にて黙念するがよいのである。

神の智慧は到る処に充ち満ちてい給うのであり、この黙念によってあなたの自覚が
高まるとき、その到る処に満ちたまう神の智慧に波長が合い、波長が合えば
神の智慧があらわれて来ることになるのである。

要するに魂が逞しく生長するためには、どんな現象界の苦難が来ても
驚かず平静を失わず神の智慧に振り向く練習をすることである。

           <感謝合掌 平成27年8月28日 頓首再拝>

人生は、魂磨きの問題集 - 伝統

2015/09/04 (Fri) 04:38:51


        *「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」
          飯田史彦・著 (P327)より


私たちは「愛と創造の実現に挑戦する人間生活を体験するための地球ツアー」に
みずから希望して参加している、好奇心と向上心と勇気にあふれる魂たちなのです。


「死」とは決して恐ろしいものではなく、むしろこの世での修行を終えて帰郷する、
安らぎの瞬間です。愛する人々との死別は,決して永遠の別れなどではなく、
あの世での再開を喜びあうまでのほんの少しのあいだ、直接の会話ができなくなるに
すぎません。

私たちは、この世という修行の場に、何度も何度も来訪しては、
愛すること、許すこと、感謝することの大切さを学びます。

人生とは、いわば、生まれる前に自分で作成しておいた、問題集のようなものなのです。

           <感謝合掌 平成27年9月4日 頓首再拝>

些事も行う心の態度に魂の進歩がある - 伝統

2015/09/12 (Sat) 04:50:26


            *『女の浄土』(P15)より

毎日の生活の小事を親切丁寧に誠心を尽くす実践の中に、魂の進歩があるのである。

自分の前におかれたる小さな仕事を熱心に、
「神から興へられた仕事」として行き届いて実行することが
人間を課せられた第一次の使命なのである。

その第一次の使命を無事に卒業することによって
自分の生涯の究極目的として「神から興へられた第二次の使命」に
人間は近づいて行くことが出来るのである。

炊事、洗濯、掃除その他、一寸見ればただの雑事で
無価値な仕事のように見えるかも知れないけれども、

仕事そのものの重要性如何の問題ではなく、
自分の心が、その仕事をどのやうに扱うかの心境如何によって、
自分の魂に異なる点数がつくのである。

どんなつまらなく見える仕事でも感謝して行なうがよい。 


           <感謝合掌 平成27年9月12日 頓首再拝>

波長の高い生き方こそ本当の幸せ - 伝統

2015/09/19 (Sat) 04:42:58


      *「あの世を味方につける生き方」美鈴・著(P168~169)より

もうひとつ、ぜひ知っておいていただきたいのが「波長」について。

人は心に思うことはどんなことであっても、
すべて“想念”という霊的なエネルギーを生み出しますが、
波長とはこの想念波動のこと。

「類は友を呼ぶ」ということわざどおり、

ポジティブな人や物や出来事が引き寄せられてきますし、
ネガティブな心には、ネガティブな人や物や出来事が引き寄せられてきます。

これを「波長の法則」と言い、この波長が、出会う人や物事を決めていきます。

ですから、自分の周囲にいる方たちを見れば、自分が今どんな波長を出しているのかがわかります。

人の悪口やウワサ話が大好きで、自分さえよければいいと思っていたり、
ネガティブ思考な人たちが周りに多ければ、自分の波長も同じように低い証拠。

反対に、どんな苦難・苦労もポジティブにとらえて前向きに歩んでいこうとする仲間や、
困っている人がいれば無償の愛で手を差し伸べることのできる人が自分の周りに多ければ、
自分の波長も高いと思っていいでしょう。

周囲の人間関係や状況は、自分自身を映し出す鏡なのです。

           <感謝合掌 平成27年9月18日 頓首再拝>

高級霊にも色々の等級がある - 伝統

2015/09/28 (Mon) 04:43:07

          *「生活の智慧365章」(P153)より

霊魂の品等には色々の段階があるのであって、
高級霊と称せられる者のうちにも色々の品等がある。

まだ受苦を必要とする如き程度の高級霊は、
苦痛や業の存在をみとめている程度の高級さであって、
まだ地上の修行を必要とする段階の高級さであるのである。

地上の修行を必要とするからこそ地上生活の受苦を選んでいるのである。

 
霊魂の高級さが高くなるに従って、もう受苦の必要はなくなるし、
また受苦をみずから進んでしなくなるが、しかし斯くの如き霊といえども、
すべて彼らが生きている限りに於て働く使命があるのである。

過去の善業の上に胡坐(あぐら)をかいて働きを怠ることは許されないのである。
若し働きを怠るようなことがあると、摂理の手が再び地上誕生の霊的流動の上にのせて
苦しみつつ働かねばならぬような境遇のところへ生れ変らせることになるのである。

           <感謝合掌 平成27年9月28日 頓首再拝>

《魂が成就したら万事が成就する》 - 伝統

2015/10/01 (Thu) 04:35:05


         *『 生長の家 』誌( 昭和24年8月6日)の法語より

   人間は魂の発達が第一に大切である。

   外界に於ける成功と否とは、必ずしも問う所ではないのである。

   魂は肉体にまさり、肉体は衣服にまさり、
   衣服は外界にまさるのである。

   しかし本当に魂が神格を得る時 すべてが成就するのである。
   魂の完成の上に築かれた成功のみが、
   揺がぬ基礎の上に築かれた成功である。


   (http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12763600.html

           <感謝合掌 平成27年10月1日 頓首再拝>

魂の脱皮の過程 - 伝統

2015/10/10 (Sat) 04:58:29


         *『生活と人間の再建』第17章
           浄化過程に於ける人生体験体験(P221~223)より

多くの人々は、意識的なる真理追及者となる前に、摂理から来る特殊の環境に依って
無意識の中(うち)に真理に導かれる。自己の意志に依って真理に到るのは余程のちの
事である。

それ迄に嵐と地震と焔(ほのお)のような運命を通過しなければならないのである。
それは《私の自叙伝》を読んで頂ければ判然する。

誰でも或る時期には自分の生活と環境とを難破せしめ、崩壊せしめる暴風(あらし)と
怒涛の中(なか)を通過するのである。

尤(もっと)もそれは自分の心に潜む自己破壊のコンプレックスから来ることもある。
そして彼等は之等(これら)の苛烈な人生の航路に於いて、どうして神を見出すことが
出来ようか考えたりする。

併し彼らもやがて苛辣(からつ)なる色々の人生体験を通し焔と怒涛に依って浄(きよ)め
られると云う実際生活の中に魂が推(お)し進められるのである。

神は暴風(あらし)や焔(ほのお)の中には見出されないし、神は暴風(あらし)や
焔(ほのお)でもないが、併し人生の怒涛と焔は彼が神を見出す妨げとなるところのものを
洗い流し、神と彼とを相隔てて居た所の邪魔な障壁を焼きつくして、
神に直接対面せしめる働きをしてくれるのである。

斯くして結局たえず神を求める人々はその人生体験を通して「魂の向上」の次なる段階に
対して準備せられるのである。神は暴風(あらし)でも、怒涛燃ゆる焔でもなかったことが
其の時わかる。

併し神は光であり給うのだ。
パウロが「神は将(まさ)に燃え尽きんとする焔の中に見出される」と云ったのは、
神を求め、やがて神を見出す所の総ての人々は、光に到達し得る迄に若干の焔の中を
通過しなければならないと云うことを意味するのである。

この魂の浄化の過程を、ある人は「みそぎ」の過程であると称し、
或る人は「修祓」と云う。
又他の人々に依っては「脱皮」の過程であると言われて居る。

この脱皮の過程を通して、
神を求める人は、彼を神から隔てて居た所のものと分離されるのである。


併し乍ら神の摂理が、諸君を導いて通過せしめようとしていたまう諸々の人生体験が
如何に苛辣(からつ)であろうとも、諸君は決して、神から見捨てられ、運命をから
抛(な)げ出されたと思ってはならないのである。

ある意味に於いては、神は決して吹き巻くる暴風(あらし)や、揺れ動く地震や、
燃える硝煙の中には存在しないのである。

而(しか)も他(ほか)の意味に於いては斯くの如き時にも矢張り常(いつも)と
同じように神はましますのである。

ヤコブ・ベーメは「神の愛は彼自身がいまさない所にさえも行き亙って充ちてい給い、
彼自身があり給わない所にもあり給うのである」と逆説的な事を説いて居るのは
そのためである。

神は完全であるから病気の中には神はいまさないが、また或る意味では病気の中にも
摂理として導いていられるのである。

光は暗(やみ)の中に照るが暗(やみ)は光を理解することは出来ないのである。
人は神の御心を理解することが出来ないかも知れないが、
神の愛は常に万人と共にましますのである。

苦難と見ゆる中にもそれに耐える力を与え、暗黒の中にも光の方向へ導いて下さり、
ついに天国浄土へ引っ張って行って下さるのが神の愛である。

           <感謝合掌 平成27年10月10日 頓首再拝>

虐待死した子もみんな親を愛している - 伝統

2015/10/17 (Sat) 04:40:18


       *『あの世を味方につける生き方』美鈴・著(P54~57)より

(1)虐待されている子どもたちに接し霊視をすると、とても勇敢な光にあふれる魂の記憶、
   宿命ドリルの中にお父さん、お母さんの未熟な部分を立派な魂へと導く課題も含めて、
   この世に生まれてきていることがわかります。

   その場合、わざとお父さん、お母さんの未熟な部分を自分の性格に取り入れて生まれて
   くるので、両親は子どもを見ていると、鏡に映った自分の未熟さを見せられている
   ようでイライラして、ついきつく当たってしまうのです。

(2)虐待されて亡くなった子どもたちに、
   お父さん、お母さんを恨んでいる子は一人もいません。

   それどころか、みんな口をそろえて「お父さん、お母さんに悪いことをしちゃった・・・。
   私がもっと早く、未熟な部分に気づいてもらえるように努力すれば、お父さん、お母さんは、
   こんなにつらい思いをしなくて済んだのに・・・」と純粋なメッセージを送ってくるのです。

(3)幼くして亡くなるこの世にショートステイを決めて生まれた子どもたちの高級な魂は、
   自分の寿命を知っています。

   ですから、お父さん、お母さんの未熟さを早く解消しようと必死になるのですが、
   自分の寿命が近づくなか、どうしてもそれに気づいてもらえないときは、最後に、
   ”大好きな両親の手にかかって寿命を迎える”という究極の選択をするのです。

   こうすることで、両親は否が応でも法律で裁かれ、
   反省し更正するというチャンスを頂くからです。

(4)自分の親が「許せない、愛せない」という子どもは、そういう悩みとは裏腹に、
   心の声は「もっとお父さんに認めてほしい」「もっとお母さんに愛してほしい」と
   聞こえてくるのです。

(5)私たちは、現世の学びをまっとうするためにふさわしい両親を、
   あの世でじっくり時間をかけて選んできたのです。

   私たちは自分の魂の器をよく知っています。魂の器に耐えられないような宿命は
   設定しませんし、自分の手に負えないお父さん、お母さんは選んできません。

(6)人は他人から言葉で指摘されて「はい、そうですか」と動ける生き物ではありません。
   自分より優れている人の姿を見て、やっと自分の未熟さに気づいて、前向きに改善し、
   努力するのです。

   (光明掲示板・第二より転写しました)

             <感謝合掌 平成27年10月17日 頓首再拝>

【与えられている自分の役目を全うする】 - 伝統

2015/10/25 (Sun) 04:26:11


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年10月21日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   「本当の自分を探そうとして20年経つんですけど、本当の自分が見つからないんです。
   どうしたらいいでしょうか?」

   そう質問にきた40代前半の女性がいました。

   「あなたは今何をやっているのですか」

   「単なる主婦です」


   「そういうポジションが与えられているのであれば、
   それを淡々とつべこべ言わずにやっていくことが本当の自分だと思います。

   何かすごいことをやったから本当の自分で、
   すごいことをやっていない今の自分は本当の自分じゃないということはない。

   与えられている自分の役目を全うすることです」


   私はこれまで幾度となくこういうやりとりを経験してきました。
   果物を例に説明してみます。

   果物がなるためには大前提として木や大地、水と空気、太陽の光が必要です。

   自然災害などを免れて、すくすくと成長し花が咲いた時でも、
   今度はミツバチや蝶々がいなければ受粉しません。

   受粉しなければ実はなりません。

   実がなって、秋になって鳥が降りてきて食べます。
   その鳥は、空を飛びながらフンを地上に落としていくのです。
   その中に種子が含まれていて、その種が大地で芽吹く。


   果物がなるためには特別に大切なことはありません。
   すべて絡み合って存在しています。

   これと同じように、人間社会でも偉い人と偉くない人がいるわけではありません。

   目の前にあることをひたむきにやる。
   これがこの世に生まれた意味です。

   今を大事にする心を持つことが、「念」を入れて生きることです。
   念とは「今」の「心」と書きます。
   今、目の前にあること、目の前にいる人を大事にする。

   それが人生で今できる唯一のことです。


   生きることは修業ではありません。
   我慢することでもありません。

   人生は喜びだと捉えて、笑顔で淡々とこなしながら死んでいく。

   それが人生の本質でしょう。


   「世の中に必要とされてよかった」

   「私の存在にも意味があったな」

   「生まれてきてよかった」

   「楽しい人生でよかった」

   と、そういう気づきを与えてくえる仲間の「園」を与えてもらったことに
   感謝しながら死ぬのが、人生を全うすることです。


   今生は今生でしか経験できないことをすべて味わい、
   自分の存在がまわりから喜ばれるように、思い切り楽しんで生きることです。

   そうすれば、あなたの魂は必ず進化します。

            <『ごえんの法則』大和書房>

                ・・・

「籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」

という言葉がある。

籠に乗る人があれば、それを担ぐ人がいて、その担ぐ人の草鞋を作る人もいる。

世の中にはいろいろな役目の人がいて、その中の誰一人欠けても成り立たない。

誰が偉いとか、偉くないという話ではない。


人は、大きな成功をおさめて注目されたり、大金持ちになったり、
有名になったりすることが、人生のゴールのように思ってしまう。

しかし、舞台でいうなら、成功者や大金持ちだけで成り立つドラマはない。


目の前にやってきた自分の役目を、つべこべ文句を言わずに淡々とこなしていくこと。

「今、目の前にあること、目の前にいる人を大事にすること」

ニコニコしながら人生を楽しみ、同時に、人から喜ばれる存在になること。


与えられている自分の役目を全うしたい。

             <感謝合掌 平成27年10月25日 頓首再拝>

魂の生長に終わりはない - 伝統

2015/11/05 (Thu) 03:12:15


           *谷口清超著『いのちを引きだす練成会』より

人間は「もうこれで自分は完全だ」と思いあがってはならないのである。

実相の人間は神の子であって完全円満であるが、
その完全円満さは、まだ現実の世界に充分に発揮されてはいないのである。

人間の魂は決して行きどまることを知らないものだ。

無限に生長するのが神の子人間の姿である。

             <感謝合掌 平成27年11月5日 頓首再拝>

家庭は魂の道場である。 - 伝統

2015/11/14 (Sat) 04:34:17


         *『女性の幸福365章』(P87)より

家庭は魂の道場であり、
類似(るいじ)の波長の霊魂が集って家族を形造(かたちづく)るのである。

そして自分の心の影を家族の姿に反照(はんしょう)して省(かえり)みるのである。

自分の心の姿が子供の性格や病気にあらわれることもある。
自分の心の頑固さが親や夫婦互いの姿にもあらわれたり、
夫婦互いの姿にあらわれてそれが自分の心の姿だと気がつかぬことが多い。

それを自分の心の姿だと気がついて改めれば
相手の姿もも自然に善き方へ変って来る。

             <感謝合掌 平成27年11月14日 頓首再拝>

 ”美化して生きよう” - 伝統

2015/11/23 (Mon) 04:40:02


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年11月03日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   最近、ひとりさんは目が覚めると、こう思うようにしているんです。

   「よし、今日も一日、美化して生きよう!」

   「美化」というのは、部屋をセッセと掃除することではないんだよ。

   気持ちの問題なんだよね。

   「自分に起きたことを、そのままで受け止めず、
   ほんのちょっと良く上乗せして受け止めること」

   これが、私の言う「美化」なんです。


   たとえば、会社で仕事をしているときに、
   ちょっとしたことで ガミガミ言う上司がいるとするよね。

   そうしたら、こう思うんです。

   「あの人は、私をビシビシ鍛えて、最強のサラリーマンにして
   くださっているんだね。ああ、ありがたいなあ! 」

   とにかく、そのまま受け止めないことです。
   これが“美化”のコツなんですね。

   なぜ、私がわざわざ、こんなことをしてるかというと・・・、
   これには深い理由があるんです。


   私たちが、この世に生まれてきたのには、理由があります。

   それは、「この世で魂のステージを上げて、
   もっとステキになって、あの世へ帰ること」。

   そういう約束を、生まれる前に、神さまとしてきているんだよね。

   あなたが「もっと、ステキになるため」には、
   物事をそのままで受け止めていたらダメなんです。

   そのまま受け止めていたのでは、「普通の人」。
   「普通の人」のままでは、神さまとの約束は果たしたことにならないからね。

   「ステキな人」とは、
   「どんな状況を与えられても、なんでも“美化”することができる人」

   だから、「美化」とは、「ステキな人」になるための訓練なんですよ。

   さて、いまこの話を読んでいる人の中で、
   「一生懸命、相手を美化していると、ひょっとして、相手が変わってくれるのかしら? 」
   と思った人がいるかもしれません。

   そんな期待を裏切るようでゴメンなさいなんですが(笑)、
 
   正直に言って、美化したところで、相手は何も変わりません。

   相手は変わりませんが、あなたの心が変わります。

   美化していると、心の中に「ステキな波動」が広がって、
   サイダーを飲んだときみたいに、スカッとさわやかになっていくのです。


   美化していれば、相手のことも悪く思わないで済むし、自分も楽しい。

   美化している自分は、なんだかとても「いい人」に思えて、
   自分のことをますます好きになるんです。


   そして、美化には、さらに「いいこと」があります。
   どんなことが起きても、「美化しよう」としているあなたは、まわりの人からすると、
   「すっごくステキな人」に見えるんだよね。


   「こんなに大変な状況なのに、相手のことを悪く言わないなんて、
   ホントにえらいわよね」とか。

   「あんな難しい人のそばにいるのに、相手のいいところだけを
   見ようとするなんて、すごいわね」とか。

   そんなふうにまわりの人は、あなたのことを「すごい人」とか、
   「ステキな人ね! 」と思って、応援するようになるんです。

   そういう人って、たまらなく魅力的なんだよね。

   そういう人を、人は応援したいと思うんだよね。

         <『おもしろすぎる成功法則』サンマーク出版>

                 ・・・

どんな状況になっても、それを美化するため方法の一つが、
先に「ありがたいなぁ」と言うこと。

「ありがたい」と言ってしまえば、ひどい状況であってもその中か
らでも、何か一つでもありがたいことを探すようになる。

自転車で転んでひざこぞうをすりむいたときでも、
「ありがたいなぁ・・・ この程度ですんで、守られている」と。

反対に、「まいったなぁ 」とか「最悪だ」などと言えば、
脳は、まいったこと、最悪なことをいくつも探すようになる。


対人関係においては特に、この「美化」の法則はとても大事。

相手は変えることができないが、自分を変えることはできるからだ。

自分の気持ちや見方を変えれば、気持ちはスッキリしてラクになる。


美化して生きることで、自分の魂のステージをあげていきたい。

             <感謝合掌 平成27年11月23日 頓首再拝>

宝くじの当せん者は、あの世のOB・OGが決める! - 伝統

2015/12/02 (Wed) 03:56:25


            *『お金に愛される魂のみがき方』美鈴・著(P182~185)より

以前、ロト6のCMで、あの世で5人の神様が「今週は誰に当てようか?」という
会議をしている場面がありましたが、

まさに霊界では、それぞれのグループソウルのOB・OGである
守護霊が集まって誰に宝くじを当籤(とうせん)させようかを相談しておられるのです。

そして大金を手にすることで生まれる前にあの世で決めてきた宿命解消に役立つのであれば、
「3億円を与えてみよう。このお金で宿命を解消するために役立つような使い方をするか、
見てみようではないか」とOB・OG組合のご厚意により宝くじ当せんが決定するのです。

OB・OG(守護霊)としては、感謝の気持ちで自分や家族以外の誰かのためにも
お金を使えるかどうかを試しているのですが、そのとき、すべて自分で使いこもうすると、
とてつもなく大きなマイナスのカルマが発生します。

よく「宝くじに当たったら不幸になる」と言われるのは、
このマイナスのカルマが返ってくるからなのですね。

実際、家が火事になった、不仲で一家がバラバラになってしまった、
交通事故にあって大けがをした、大病をして仕事を断念せざるを得なくなった.......など、
宝くじが当たった方の不幸話をよく耳にします。

仕事で知り合った不動産会社を経営する豪快な社長さんのお話です。
この方は地上げ屋のようなこともされていて、弱い人たちをいじめて
お金をもうけたりもしていました。

お金の使い方はとても派手で、宝くじもハンパではない額を買い込みました。
 
霊視をすると、案の定3億円を当てていたので、
私は社長さんに「すべて自分で使いこんだら大変なことになるから、寄付してね」と
お伝えしましたが、「俺、3000円しか当たってないよ~!」と言ってごまかすのです。

しばらくたって、社長さんにガンが見つかり、入院されました。

しかし、お見舞いにきてくれる奥さまや、看病をしてくれる看護師さんに何の感謝もせず
「なんで、俺がこんな目にあわな、あかんねん!」と言って怒ってばかりいるのです。

退院してからも仕事と遊びばかりで、家族と向き合おうともしません。
奥さまも息子さんもみんな離れていってしまいました。
 
その後、仕事は暗転し、訴訟問題を抱えたり、リゾート開発に失敗したりで、
大金が出ていく一方です。とうとうお金が底をついたときには、もう周りには
誰も社長さんを支えてくれる人はいませんでした。

その後、社長さんがホームレスになられたという噂を聞きました。
しばらくたった頃、私のところに「3000円でいいから貸してくれ」と連絡があったのです。
 
私は社長さんにお会いし「3億円当たったときに寄付をしてくださいとお話ししましたよね。
あれが、宿命に気づく最後のチャンスだったんですよ」と伝えると、
「そうだね。今考えるとそう思うよ。あのときからどんどん悪い方向に進んだからね」と
おっしゃられました。

私は、社長さんが立ち直り、幸せになることを願って、
たびたびお金を差し上げていたのですが、結局は持ち前の変なプライドが邪魔をして、
お友達の不動産会社で働かせてもらうこともできず、
最後はご病気になってブルーテントの中で寿命を迎えられました。

何も失うものはない状況での寿命だとしても、さまざまな想い、無念の執着で、
死後、長い間この世をさまよっていらっしゃいました。

3億円分のマイナスのカルマは、本当に怖いにです!

3億円が当たったら、せめて3分の1、いや5分の1でもかまいませんから、
それくらいは誰かのために善意のお金を使ってくださいね。

具体的には誰かを幸せにするために使う方法が決まっている方もそうでない方も、
少しでもマイナスのカルマを少なくするために、寄付などすることをおすすめします。

             <感謝合掌 平成27年12月2日 頓首再拝>

家庭は魂の道場である。 - 伝統

2015/12/09 (Wed) 04:14:57


            *「女性の幸福365章」(P87)より

主婦となったら、家族が何を求めているかを鋭敏に察知するように努めなければならない。
そして家族が求めているように何事でも整えてやるように注意すべきである。

家族の誰かが下痢をしているのに天麩羅料理を平気でつくっているようでは
愛がないと言わねばならない。

愛が本当にあれば相手が何を求めているかがわかる筈である。
篤農家はその作物が今如何なる肥料をもとめているかを知っていて
適時に適切な肥料を施す。



家庭は魂の道場であり、
類似(るいじ)の波長の霊魂が集って家族を形造(かたちづく)るのである。

そして自分の心の影を家族の姿に反照(はんしょう)して省(かえり)みるのである。

自分の心の姿が子供の性格や病気にあらわれることもある。
自分の心の頑固さが親や夫婦互いの姿にもあらわれたり、
夫婦互いの姿にあらわれてそれが自分の心の姿だと気がつかぬことが多い。

それを自分の心の姿だと気がついて改めれば
相手の姿も自然に善き方へ変って来る。


             <感謝合掌 平成27年12月9日 頓首再拝>

人間も純化したとき実相が顕れる - 伝統

2015/12/16 (Wed) 04:43:44


             *「幸福を招く365章」(P185~186)より

《そのまま》が好いと云っても、
神らしからざるそのままで好いというわけではないのである。

牛皮はそのままでは靴にも鞄にもならないのである。
それは適当に鞣(なめ)されなければならないのである。

人間もその性質が鍛えられ、鞣(なめ)され、淘(よな)げられなければならない。
鍛え、鞣し、淘げたときに、実相のそのままが出るのである。

金は金鉱のままでは光輝燦然と輝くことはできないのである。
それは搗(つ)き砕(くだ)いて不純物を分離するために
冶金(純化)の工程を経なければならない。

純化されると云うことは、金の実相 ―― 金の《そのまま》 ―― 
になると云うことである。

人間のそのままも純化の過程を経てのみ、そのままが顕われるのである。
現象のそのままを肯定してはならない。

             <感謝合掌 平成27年12月16日 頓首再拝>

あらゆる人生の出来事は、魂の教訓のために現れて来る - 伝統

2015/12/25 (Fri) 03:17:11


           *谷口清超著『「人生学校」はすばらしい』より

この世で出あう事件や人々は、
みな何かを教えてくれる“先生”のようなものである。

だからこの世は「人生学校」とも言う。

そして年の若い青少年が生徒で、年寄りが先生という訳でもない。
全ての人が先生であり、又生徒なのだ。

そのような「人生学校」を通して、人は皆「魂を向上させる」のだ。

             <感謝合掌 平成27年12月25日 頓首再拝>

過去のすべては魂の進歩のための肥料  - 伝統

2016/01/18 (Mon) 04:27:42


           *『生活の智慧365章』(P217)より

もう、あなたは過去の失敗について、
また過去の過ちについてグジグジ思い煩うことをしないのである。

神は、あらゆる塵芥(じんかい)や糞尿を浄化して、
作物がよき実を結ぶ肥料としたまう如く、過去のあらゆる失敗も過ちも悉く浄化して、
よき魂の収穫を得るための肥料となしたまうのである。

あなたの過去の過ちはあなたの人生観を深からしめ、心の視野をひろめ、
人生の意義を悟らしめるのに非常に役立っているのである。

あなたは過去を斯く観ずることによって、心の混乱や不安や退嬰(たいえい)や
過度緊張が取り除かれ、心に平和と愛と調和がみたされ、過去に体験したものを、
真に自分の魂の生長に役立たしめることができるのである。

また他(た)の人々の過ちについても寛容であれ。

すべての人は一見「過ち」と見えるものを通して魂が進歩しつつあるのである。

             <感謝合掌 平成28年1月18日 頓首再拝>

この人生は魂を磨く時間 - 伝統

2016/01/27 (Wed) 04:23:36


            *『いのちは終わらない』矢作直樹/佐藤眞志・著 より

私たちの肉体は天からの借り物です。
借りている以上はお返しすることになります。
いつお返しするかというと、それは自分の寿命が尽きる瞬間です。

決して自分から命を断つことは許されません。
それは自分に対する、そして天に対する「背任行為」です。

一人ひとりが特定のお役目を背負って、わざわざこの世に生まれて来ているのです。
自分でそのお役目をおりてはいけません。
生活が苦しい、人間関係が苦しい、生きる目的が見えない、夢がない......
生きているといろいろな試練があります。

安易に、「元気出さないといけませんよ」などとは言いませんが、それでも
「その状況は自分でたぐり寄せているのだ」と考え、
発想を転換してもらいたいと思うことはあります。

私も救急という現場にいますから、自殺企画者を大勢みてきました。
心肺停止したまま蘇生せずに逝く人も多いのですが、
死に切れなかった人もたくさんいます。

そういう人の中には、回復し始めると食事が進む人もいて、
心と体は必ずしも一致していないという場面もあるのです。
人間とは複雑なものです。

生まれ変わる前に、この世が学習の場であると認識した上で、私たちは生まれてきました。
どんなに嫌なこと、どんなに辛いことがあっても、目の前の課題と向き合うことが、
各人の人生最大の財産なのです。

それこそがあちらの世界に唯一もって還ることのできるものだという事実を、
私たちは知っているのです。

もう一度言いますが、肉体は借り物です。
お返しするのは自分の寿命が尽きる瞬間ですが、
その時までは毎日を精一杯生きること。

それが万人に共通するお役目だと思います。

対人関係やお金の問題など、どんなストレスを抱えているにせよ、
それも今回の人生における自分への「課題」が、そういう形で出ているだけなのです。

解決できないレベルの課題は絶対にやって来ないのです。
どんなに困難にみえる課題であろうと、必ず解決のための糸口がどこかに用意されています。
その糸口を探すことこそ、人生における最上の学びなのです。

今回の生で授かった肉体は滅びますが、私たちの魂は死ぬことがありません。
まずはそこに気づくこと。そうでないと唯物論者のように現世利益にしがみついて、
単に死を怖がって生きることになります。

この先もまだ数え切れないほど生まれ変わるというのに、
今の生の利益にしがみつくなんて、これほどバカバカしいことはないと思いませんか。

他界した大事な人や愛しい人とはあちらの世界で会えるし、
次回の転生後も(前の生のことは覚えていませんが)違う役割で会えるでしょう。
そもそも大事な人や愛しい人は、いつも私たちのすぐそばにいます。

私たちが死を迎える日、つまり現世を卒業するその日まで
彼らは優しい眼差しで見守ってくれているのです。
その仕組みを踏まえると、残りの人生を心配する必要がなくなります。

悟りとか至福といった感覚もそれと同じでしょう。
ひと言で悟りや至福と言っても、修行などの体験による悟りや至福と、
人生における直感による悟りや至福は、必ずしも一緒ではないと感じます。

時間や手間暇をかけて身につけるものもあれば、一瞬のうちに身につく真理もあるのです。

もちろん、どちらが次元が高いとか、どちらが正しいかという論争ではなく、
私自身はどちらでもいいと思います。その人がそれで学びがあり、
幸せならばそれでいいわけです。

 (http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1416738867/220 より転写)

             <感謝合掌 平成28年1月27日 頓首再拝>

霊の進歩、魂の進歩こそが人生の目的である - 伝統

2016/02/06 (Sat) 03:23:20


             *『子供と母の本』より

人間の本質は肉体ではなく”霊”であります。

”霊”とは肉眼には見えない魂のことです。

その霊が肉体という作業服又は実修服をつくって、その服の中に入って、
地球上で神様から命ぜられた使命を果たしながら、
それが色々の勉強になり、魂が進歩する為に、

人間はこの地球上に天降(あまくだ)って来たのです。


             <感謝合掌 平成28年2月6日 頓首再拝>

わざと厳しい環境を選択 - 伝統

2016/02/14 (Sun) 04:26:53


       *「生きがいの創造 “生まれ変わりの科学”が人生を変える」飯田 史彦・著
          (P150~151)より

たとえ私たちが、人よりも困難な人生を送らなければならないとしても、
かならずしも過去世で悪いことをしたために、
それを償っているとはかぎりません。

むしろ、わざと厳しい条件に身をおき、
一定の試練を受けることによって、
大きく成長する機会をもうけている場合が多いからです。


しかも、生まれつき非凡な才能を持っているような場合、
それは過去の人生でつちかってきたものだということも、
一連の退行催眠から明らかになりました。


ホイットン博士によれば、
慎重に選ぶか、無計画に選ぶかという差はあっても、
この世の環境を選ぶのは、私たち自身です。

被験者たちは、その人がどのような人生を歩んでいようとも、

どの人のおかれた状況も、
偶然のなりゆきでも不条理でもないということを知ります。

中間生(あの世)の意識状態で客観的に見れば、
どの人の体験も、宇宙という教室の授業のひとこまにすぎないのです。

肉体を持って生まれてくる「人生」という授業の中で、学べば学ぶほど、
私たちの成長も早くなるわけです。


また、ワイス博士は、退行催眠中に被験者の口を借りて、複数の指導役の
魂たちが直接語りかけてくるという劇的な体験を報告しています。

ある時、ワイス博士が、「人生をより良く生きるために、私たちはどうすれば良いですか」と
たずねてみたところ、指導役の魂(マスター)のひとりが、
次のように答えてくれそうです。


  「人の道は、基本的にはだれにとっても同じだ。
   人はこの世に生きているあいだに、その道を学ばなければならない。
   ある者は速く、ある者はゆっくりと学ぶ。

   慈悲、希望、信仰、愛など、人はこれらすべてを学ばなければならない。
   ひとつの希望、ひとつの信仰、ひとつの愛というように、切り離されたものではなく、
   すべてはつながっている。

   また、それを実行する方法もいろいろある。
   しかし、人はまだ、どれもほんの少ししか知らないのだ」

             <感謝合掌 平成28年2月14日 頓首再拝>

《魂の脱皮の過程》 - 伝統

2016/02/25 (Thu) 03:54:27


     *『生活と人間の再建』第17章浄化過程に於ける人生体験(P221~223)より

多くの人々は、意識的なる真理追及者となる前に、
摂理から来る特殊の環境に依って無意識の中に真理に導かれる。
自己の意志に依って真理を求めるに到るのは余程のちの事である。

それ迄に嵐と地震と焔(ほのお)のような運命を通過しなければならないのである。
それは《私の自伝篇》を読んで頂ければ判然する。

誰でも或る時期には自分の生活と環境とを難破せしめ、崩壊せしめる
暴風(あらし)と怒涛の中を通過するのである。
尤(もっと)もそれは自分の心に潜む自己破壊のコンプレックスから来ることもある。

そして彼等は之等(これら)の苛烈な人生の航路に於いて、
どうして神を見出すことが出来ようかと考えたりする。

併し彼らもやがて苛烈なる色々の人生体験を通して焔と怒涛に依って浄められる
と云う実際生活の中に魂が推し進められるのである。

神は暴風(あらし)や焔の中には見出されないし、神は暴風(あらし)でも焔でもないが、
併し人生の怒涛と焔は彼が神を見出す妨げとなるところのものを洗い流し、
神と彼とを相隔てて居た所の邪魔な障壁を焼きつくして、
神に直接対面せしめる働きをしてくれるのである。

斯くして結局たえず神を求める人々は、その人生体験を通して「魂の向上」の
次なる段階に対して準備せられるのである。
神は暴風(あらし)でも、怒涛燃ゆる焔でもなかったことが其の時わかる。

併し神は光であり給うたのだ。

パウロが「神は将に燃え尽きんとする焔の中に見出される」と云ったのは、
神を求め、やがて神を見出す所の総(すべ)ての人々は、光に到達し得る迄に
若干の焔の中を通過しなければならないと云うことを意味するのである。

この魂の浄化の過程を、ある人は「みそぎ」の過程であると称し、
或る人は「修祓(しゅばつ)」と云う。

又他の人々に依っては「脱皮」の過程であると謂われて居る。
此の脱皮の過程を通して、神を求める人は、
彼を神から隔てて居た所のものと分離されるのである。

併し乍(なが)ら神の摂理が、諸君を導いて通過せしめようとしていたまう
諸々の人生体験が如何に苛烈であろうとも、諸君は決して、
神から見捨てられ、運命から抛(な)げ出されたと思ってはならないのである。

ある意味に於いては、神は決して吹き捲(まく)る暴風(あらし)や、
揺れ動く地震や、燃える硝煙の中には存在しないのである。

而(しか)も他(ほか)の意味に於いては斯くの如き時にも
矢張り常(いつも)と同じように神はましますのである。

ヤコブ・ベーメは「神の愛は彼自身がいまさない所にさえも行き亙(わた)って
充ちてい給い、神自身があり給わない所にもあり給うのである」
と逆説的な事を説いて居るのはそのためである。

神は完全であるから病気の中には神はいまさないが、
また或る意味では病気の中にも摂理として導いていられるのである。

光は暗(やみ)の中に照るが暗(やみ)は光を理解することが出来ないのである。

人は神の御心(みこころ)を理解することが出来ないかも知れないが、
神の愛は常に万人と共にましますのである。

苦難と見ゆる中にもそれは耐える力を与え、暗黒の中にも光の方向へ導いて下さり、
ついに天国浄土へ引っ張って行って下さるのが神の愛である。

             <感謝合掌 平成28年2月25日 頓首再拝>

魂の向上こそが唯一の獲得である - 伝統

2016/03/10 (Thu) 03:20:39


          *「生命の實相」第38巻幸福篇下(P87)より

本当の成功はその人の人格の完成 ―― 心霊学的にいえば魂の向上である。
商売の損益や、事業の成否のごときは人生航路上の遊戯にすぎないのである。

勝つも負けるも一場の遊戯にすぎない。
ただその遊戯の上で、人間は性格を形造り、
人格をより完成せしめ、魂を向上させるのである。

商売上の利益も、財産の増殖も築きあげた事業も、
何一つそれらは真の意味においてその人の獲得ではないのである。

真の意味における獲得は、
肉体が死するときにも持って行けるものでなければならないのである。

魂の向上、性格の強さや円満、これこそが唯一の獲得である。

             <感謝合掌 平成28年3月10日 頓首再拝>

身近すぎる親だからこそ、わかりあえなくて、あたりまえ - 伝統

2016/03/20 (Sun) 03:19:46


            *「人とお金」斎藤一人・著(P114~115)より

人は、自分の生まれる状況を選んで生まれてきます。

生まれる前に、両親や兄弟も、自分で選んでくるので、
「一番難しい修行ができる相手」を選ぶことがあります。

「自分のニガテなタイプの人」

「自分にはとうてい理解できないタイプの人」

そういう人を、あえて魂の修行のために、自分の家族として選ぶのです。

だから、「親なのに、どうしてわかってくれないの? 」とか、
「私の子だからわかってくれるでしょう? 」と言う人がいますが、

これは逆なのです。

あなたの親だから、あなたの子だからこそ、あなたのことがわからないのです。

「家族だから、わかりあえる」と思うと、苦しくなります。
「家族だから、わかりあえない」と思ったほうが、いいのです。

肉親というのは、自分の魂にとって、一番難しい修行の相手です。

だから、簡単にわかりあえなくて、あたりまえ。
そう思っていたほうが、ずっと心おだやかに、
親や子供に接することが出来るのです。

             <感謝合掌 平成28年3月20日 頓首再拝>

私たちは生まれる前に、自分の「修行」を選んできた - 伝統

2016/03/29 (Tue) 03:00:38


         *「カンタン成功法則」斎藤一人・著(P182~188)より

さて、ここでちょっとだけ不思議な話をしましょう。
「変な話」ですので、信じられない人は、信じなくてかまいません。
聞きたい人だけ、聞いてくださいね。

私たちは誰でも、何かを学ぶために、この世に生まれてきました。
そして、魂のステージを上げて、「あの世」に帰っていくのです。

私たちが学ぶことは、大きく分けて、2つあります。

一つは「お金のこと」

もう1つは「人間関係」

この2つのうちのどちらかが、
「あなたの今生(今回の人生)のテーマ」になっているはずです。

どちらを学ぶかを、あなたは生まれる前に自分で決めてきています。
そして、神様に、「今回はこれをやります! 」と約束してきているのです。

例えば「お金のこと」を選んだ場合、
あなたが主に修行するのは「お金の問題」にまつわることです。

「お金のこと」を選んだ人は、小さいことから「お金の問題」が、
次から次へと出てきているはずです。

例えば、生まれたときに、すでに家が貧乏だった・・・とか。

親が働けない状態で、あなたが小さいころからアルバイトして、
兄弟の生活費を出してきた・・・とか。

友達の連帯保証人になったら、友達が借金を払いきれず、逃げてしまい、
あなたが借金を背負ってしまった・・・とか。

このように・・・、「お金のこと」を選んだ人には、
お金に関する修行が次々とやってくるのです。

(あなたには「トラブル」に思えるようなことであっても、
実は、あなたの魂を上げるための修行なのです)。


また、「人間関係」を選んだ場合、あなたが主に修行するのは、
「人間関係」にまつわることです。

親との関係がうまくいかなかった・・・とか。

小さいころから孤独で寂しかった・・・とか。

学校では、いつもいじめられていた・・・とか。

信じていた人に、裏切られてしまった・・・とか。

彼氏(彼女)がなかなかできない・・・とか。

さらに言うと、「自分が嫌い!」というのも、
「自分」という人と仲良くできないということで「人間関係」の中に入ります。

このように・・・、「人間関係」を選んだ人には、
人間関係にまつわる修行が次々とやってくるのです。

こういう話をすると、「何か、修行ばっかりで大変だ! 」とあなたは思うことでしょう。
しかし、ここで「朗報」があります。

神様はやさしいので、ちゃんとあなたが乗り越えられるよう、
「修行のバランス」というものをかんがえてくれています。

どういうことかというと・・・
「お金のこと」を選んだ人は、「人間関係の修行」は少しで済むようになっています。
「人間関係」を選んだ人は、「お金の修行」は少しで済むようになっています。
修行の割合を数字にすると、8:2ぐらいの割合になるでしょう。

「お金のこと」がメインの人なら、「人間関係」は、ほんの少し
「人間関係」がメインの人なら、「お金のこと」は、ほんの少し。

神様はバランスを見ながら、
あなたの人生の修行の配分を、ちゃんと考えてくれているのです。

ちなみに、歌謡曲に「はやり」があるように、
修行のテーマにも「はやり」というものがあります。

20世紀までは、「お金のこと」を選んで生まれてくる人が、圧倒的に多い物でした。
今よりずっと貧乏な家が多く、戦中戦後は、食べるのにも事欠くような生活を
している人が多かったのです。

しかし、一方、みんなで助け合い、肩を寄せ合って暮らしていたので、
「人間関係」のトラブルは、いまよりすくなかったのです。

21世紀になると、「人間関係」の修行を選ぶ人が圧倒的に増えました。
物質的には豊かになりましたが、その一方で、人とのトラブルで悩むことが増えてゆきました。

また、「自分がキライ!」という感情が高まって、
ひきこもりやニートになる人や、うつ病や精神病になる人も増えています。

社会現象は、実は私たちが生まれる前に決めてきた「修行」というものに、
大きくかかわっているのです。

「修行」とは「乗り越える為」にあるものです。
そして、「魂のステージを上げる為」にあるものです。

ですから、私たちはどんな状況にあっても、自分の意志で、必ず克服することができるのです。

何度も言いますが、神様はやさしいのです。
私たちに乗り越えられるものだけを、私たちに授けてくれるのです。

             <感謝合掌 平成28年3月29日 頓首再拝>

安楽な人生を送るために生まれてきた人はいない - 伝統

2016/04/06 (Wed) 03:59:09


        *Web:人は誰もが幸せになるために生まれてきたんです(2009-09-16)より

「人は幸せになるためにこの世に生まれてきています」。

しかし、その一方で、

「安楽な人生を送るためにこの世に生まれてきた人は一人としていない」のもまた事実です。

なぜかというと、この世にやってくる前にいたあの世という世界はとても安楽な世界なんです。

大概のことが思った通りになります。
しかも思うとすぐに叶い、目の前に現れます。
この世とはまた全然違う世界なんですね。

ですから、安楽に過ごしたいのであれば、この世にやってくる必要はまったくないわけです。

人は、この世に、思い通りにいかないことに巡り会い、
つらく、苦しい思いをするためにやってきているのです。

しかも、そんな安楽な世界からこの世に無理やり連れ込まれてきた人は一人としていません。

すべての人が自分で「どうか行かせてください。お願いします」と強く懇願してやってきています。

また、この世にやってくるにあたり、自らの人生で起こることの多くを
“自ら決めた上で”やってきているといわれています。

思い通りにいかない、つらく、苦しいことは誰が決めたわけでもなく、
自分でこうしようと決めたことばかりなのですね。

その多くは、これまで生まれてきて超えられなかった“課題”であるようです。

人は過去に幾度もこの世での人生を送っています。
そして、以前に失敗したにも関わらず、気づきがないがために
何度も同じ失敗を繰り返してきています。

 
ブライアン・L・ワイスの「前世療法2」にはこのような実際の事例が紹介されています。

ダンというアメリカ人の男性は、恋人であるメリールーが
いつも人前で他の男に媚(こ)びを売ることに、我慢できませんでした。

それが何度も続くので、彼はついに嫉妬(しっと)で怒り狂い、
彼女の「首をへし折ってやりたい」とまで思いつめるようになります。
 
しかし、退行催眠でダンが知ったのは、
過去世で自分が彼女を何度も殺していたという事実でした。

ダンは何度も生まれ変わりながら同じ苦しみを背負う人生を送り、
繰り返し、繰り返し学ぶ機会を自らに与えてきたわけです。

 
彼の課題は彼女を解放し、そして自らを彼女への執着から解放して、
嫉妬の感情から心を自由にすることにあったのです。


自分の目の前に現れることは、自分が仕掛けた「時限つき体験装置」のようなものです。
自分がこの世で体験したいと思うことが時間割ごとに仕掛けられています。
すべて自分で仕掛けたものばかりです。
 
その課題は貴重な限りある(寿命ある)この世での時間で体験することばかりですので、
一分一秒も無駄にしないように、「必ず自分が超えられる課題のみ」になっています。

超えられない問題、難題は決して起こらないのです。

そして、その体験、課題は、自分の「魂の成長」につながることばかりです。

体験をして、そこで「これらのことは自分に必要なことなんだ」と
明るく前向きなポジティブな気持ちになり、受け入れた瞬間、
課題は“合格”となり、カルマはすーっと消えていきます。

自分の前で嫌な、つらい思いの原因になっていた人や事柄さえも、
自分のその体験のためにわざわざ現れていたことに気づく時がやってくることでしょう。

課題を乗り越えた時の歓びのために人はわざわざこの世にやってきているわけです。

ですから、嫌なこと、つらいことがあって当たり前なんだ、
自分に超えられない問題などないんだというポジティブな気持ちで、日々を過ごしてください。

せっかくの良き機会です。「多くの経験」をしてください。

多くの経験から多くの学びを得て、持ち帰ることが自らの歓びと成長になっていくのです。

多くの体験から、多くの歓びと幸せがもたらされるよう、いつも祈っています。

http://ameblo.jp/cocoro358/entry-10343576628.html

            <感謝合掌 平成28年4月6日 頓首再拝> 

身魂磨き - 伝統

2016/04/15 (Fri) 03:21:59


         *「大いなる奇跡」松田 有利子・著(P143~151)より抜粋

神様に近づくには、ます神霊体を清浄化することを、第一にすべきことなのでしょう。


   人間一生の吉凶は皆只その人の飲食による。
   恐るべきは飲食である。
   つつしむべきは飲食である。       <観相家 ・ 水野南北>



   正しき食べ物正しく食べよ。
   更に喜びふえて弥栄えるのじゃ。
   自分の喜びを進めて進めて天国に入ること出来るのじゃ。
   悪い食べ物悪く食べるから悪くなるのじゃ。    <『日月神示』>


正しい食べ物とは?

   四ツ足を食ってはならん。
   臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ。     <『日月神示』>


   日本には、五穀、海のもの、野のもの、山のもの、
   みな人民の食いて生くべき物、作らしてあるのじゃぞ。
   日本人には、肉類禁物じゃぞ。
   今から心鍛えて食い物大切にせよ。        <『日月神示』>



《肉食を廃することが第一歩》

近代科学においても、肉食の弊害は脳を刺激し、
欲望をさらに倍増化することが判ってきています。

肉食の害は慢性病からガンに至るまで、主因となっています。


   先ず何よりも、第一に肉食を廃し、身魂清めて、
   神に接するの道を開くを以て、
   社会改良の第一義とせねばならぬのであります。  <出口王仁三郎>


現在では、イラつく、ムカついたと言って人を殺傷するまでに、堕落してしまいました。
心から哀しいことだと思います。
どこにその原因があるのでしょう。


   牛のもの食べると牛のようになるぞ。
   臣民の食べ物は、決まっているのざぞ。

   縁ある臣民に知らせておけよ、
   日本中に知らせておけよ。
   世界の臣民に知らせてやれよ。           <『日月神示』>


実際、食べ物で心も精神状態も決まってしまうのです。
食物の威力は、すごいものがあります。
そして、逆もまた言えることです。

正しい食事をしていれば、おのずから心も正しくなるということです。
世界の三大宗教が肉食を戒め、または、制限・戒律をつけているのには、
それなりの意味があるのだと思います。

なぜなら、近年では肉食と脳神経への関係も明らかにされつつあり、
肉食者は快感を求めて欲望に走りやすい性格をつくることもわかってきました。

そしてまた、イエスも肉食を戒めていることが、エッセネ福音書に記されています。


   獣を殺しその肉を食する者は、自分の体が墓場と化す。
   他を殺すものは、自分を殺すことになり、
   獣を殺しその肉を食する事は、死体を食する事なり。

   死体の血の一滴なりとも汝らが食せば毒に変わり、
   その罪の報いは汝らの死となり、
   それ故に、悪魔の奴隷と汝らがならない為に、
   罪なき獣を殺すなかれ、食するなかれ。



《甘いお菓子類は心を穢す》


わたしは真に身霊磨きをするには、肉のみではなく、
砂糖類(お菓子類・清涼飲料・加工品一般含む)も加えたいと思います。

イエスの時代や釈迦の時代には、白砂糖はありませんでした。
精製されていない黒砂糖です。

白砂糖のもたらす害については非常に大きいものがあります。
現代病の低血糖症を生み出し、この病は精神的にうつ状態やイライラしたり、
キレることに直結します。


そんなに清浄な身魂であっても、肉を食べ、甘いお菓子やアイスクリームなどを
食べていたら、心と体がむしばまれていきます。

心をきれいにしたと願うのでしたら、肉食をやめ、白砂糖を使用したものをやめることです。
缶コーヒーやお菓子類、チョコレート、清涼飲料などです。
自然食の立場からみると、肉食よりも白砂糖の害の方が大きいと考えています。

(中略)

周りを見ていますと、特に仏教関係者の方の場合、
肉食を断ち精進料理をしている方が多いのですが、砂糖類をふんだんに食べていることがあり、
アレルギーやゼンソク、花粉症をかなり多く見受けられます。
これでは、真の身魂磨きにはなっていないと思うのですが ―― 。

そして日本の習慣でしょうが、どこの家庭でも甘いものが常に常備されているという惨状です。

これでは魂の輝きどころではありません。
低血糖症で心と体が荒廃してしまいます。
イラつき、不安になり、うつ病ともなります。

とにかく、甘いものと肉類は、極力避けるにこしたことはありません。

            <感謝合掌 平成28年4月15日 頓首再拝> 

人生の目的は魂の向上にある - 伝統

2016/05/01 (Sun) 04:34:45


         *「光明法語」(5月1日の法語)より

人生は魂の向上の過程である。
魂の向上とは「内在の完全なる実相」がより多く次第に
開舒(かいじょ)することである。

魂の向上にはあらゆる人生の面に触れることが必要であるのは、
歯を磨くにもあらゆる角度から磨かなければならないのと同様である。

従って吾々の触れる人生の面は時々変化するのは
別の角度から磨かれる必要があると云うことである。

新しい人生の展開、新しい境遇の展開は、今ある境遇の行き詰まりから生ずる。

だから今ある境遇が行き詰まるのは
新しい善き運命の先触れだと信じて感謝すべきである。

            <感謝合掌 平成28年5月1日 頓首再拝> 

《愛深き峻厳が魂の進化せる特徴である》 - 伝統

2016/05/02 (Mon) 04:19:38


         *「光明法語」(5月2日の法語)より   

「汝の如く汝の隣人を愛せよ」とは自分の実相を完全なる神の子であると信ずる如く、
汝の隣人をも完全なる神の子であると信じて敬することである。

敬のない惑溺(わくでき)は真の愛ではなくて肉欲の変形であったり、
自己憐憫の投影であったりするのである。

自己の苦痛を恐れる者のみが、他(ひと)の苦痛に同情するのである。
だから同情は、自己不完全の投影ですらある。

真の魂の生長せる者の特長は「愛深き峻厳」である。
愛深くして相手の実相の完全さを知るが故に猥(みだ)りに甘やかさず
峻厳であるのである。

            <感謝合掌 平成28年5月2日 頓首再拝> 

身魂を癒す食事 - 伝統

2016/05/21 (Sat) 03:18:14


         *「大いなる奇跡」松田 有利子・著(P153~160)より抜粋

魂を磨き、霊的に浄化するにはどうしたらいいか。
だれもが熱望してやまない方法は実はとても身近なところにあったのです。

毎日の食事を正しいものにする、それが身魂磨きの第一歩です。

それでは正しい食事とは何か。

私は、体が精神状態と直結していることについて、そしてあらゆる病は食事が
原因となっていることを明確に述べてきました。

現代の食事は、体の病ばかりでなく、実は身魂を穢している食だったのです。

わたしたち日本人の食生活は、長い間、穀物と野菜によって体がつくられてきました。
肉類を食べると血液が汚れ、さまざまな慢性病、ガンなどを誘引する原因となります。

(中略)

そして、肉食は動物たちの屠殺される直前の念も入り込み、霊性(霊格)が
穢れることでしょう。

いま、殺されるという時には、動物たちは強力な毒素と哀しみがあいまった感情で
体中の機能が否定的なものに変えられていることでしょう。

そのネガティブな肉を、あなたは口にしているのです。
これが霊的に作用しないはずはありません。

実際、霊的に高くなれば、自然と肉は食べたくなくなるものだと思います。

(中略)

最近の医科学では、肉食。白砂糖(甘いお菓子類・清涼飲料など)を食べると、
血液を汚すばかりでなく、感情も不安定になり、イライラしますし、
怒りっぽくなり、ムカついたりすることも判っています。

自然食(日本の伝統食)を食べなさいと、出口王仁三郎も勧告していました。

ここで付け加えたいことは、自然食は玄米と野菜のみの食生活ですが、
肉食のみならず白砂糖を口にしない食のことを指します。

(中略)

私たち日本人が何気なく口にしている食物が、どれもたいへん薬効が強いことが、
近年、徐々にわかってきています。WHO(世界保健機構)でも、戦前の日本食が
理想的だと発表されています。戦前というところに注目してください。

非常に生命力が強く高い薬効力をもつ、日本茶、お味噌、お醤油、納豆、梅干、
ヨモギ、ヒジキ、子魚、貝類と挙げていったらキリがないほど、
わたしたちの伝統食は完全食だったのです。

それに加えて、世界が注目しているビワの葉やスギナなど、わたしたちの
身の周りには、たくさんの薬があります。

なのに欧米食の真似をして、朝からパンにコーヒー、ハムエッグ、ハンバーガー
などなど。そして、こんなにも慢性病を増やしています。

(中略)

いちばん強く訴えたいことは、わたしたちの伝統食のすばらしさと伝統分化のすばらしさです。
それを綿々と伝えてきた日本人がいましたが、いまの日本人を日本人と呼べるでしょうか。
はなはだ疑問です。

「気がつかなかったけれど、日本という国はスゴイんだ! 」

わたしの正直な感想です。
お味噌やお醤油を、当然のごとく口にしているわたしたちはなんと恵まれているかと
思います。


自然食も無添加食品や無農薬の食べ物と思われがちですが、そいではありません。
日本古来からの伝統食とそれに伴った自然医学のことです。


精神世界に興味のある方は、食事のことなど関係ないと思われる方を多々お見受け
したりしますが、心と体は密接につながっています。

インスタントラーメンや菓子類を食べて瞑想しても、知覚が汚れてしまっているので、
大きな効果はないのではないかと思うのですが・・・

            <感謝合掌 平成28年5月21日 頓首再拝> 

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