伝統板・第二

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恐怖心を追放するには① - 伝統

2015/04/10 (Fri) 04:44:27

*光明掲示板・伝統・第一「恐怖心を追放するには (70)」からの継続です。
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=43

・・・


神は如何なる難問をも解決し給ふ

          *「神と偕に生きる真理365章」(P264~266)より

《突然何か異状を覚えたとき》

若し、突然、あなたの身体(からだ)に異常を覚えたとき、
若し、突然、あなたの事業に何らかの躓きを感じたとき、
あなたはどうするであろうか。

恐怖しますか。
次々と起るかもしれない色々の故障や躓きを想像して
心配し、恐怖し、不安に閉じ込められますか。

そんな時に第一になすべきことは、
あなたの恐怖や不安を取除くことなのです。

恐怖や不安で満たされている心境で、行動をとるならば、
その恐怖すべき状態を現実化するような方向に
あなたは行動することになるのです。

それは蛇に睨まれて恐怖した蛙が、敏速に跳びはねて逃げればよいものを、
逃げることをしないで、じりじり蛇の口に近づいて行くのと同じようなことです。

あなたが恐怖して予想したところのものを、
あなたはわざわざ現実化するために行動することになるのです。


《神は如何なる難問をも解決し給ふ》

不幸が自分に蔽いかかって来るように感じられたとき、
第一になすべきことは恐怖の念を取る去ることなのです。

それには第一自分の心を恐怖すべき予想の方に振り向けないで、
神の方へ振向けることなのです。

そして「神は全智全能であり給い、神の子たる自分を護り給い、導き給う。
神の力は如何なる出来事よりも偉大であり、神の智慧は如何なる問題をも
解決し得るのであるから、その問題を私は神の智慧によって容易に解決し得るのである。
神は今全智全能の叡智によって導き給う。ありがとうございます」

と繰り返し念じて恐怖心がなくなり、
自信に満ちみちて来た時に思い浮かぶことを実行するがよい。


《躓いた事業を興隆するには》

事実が躓いて来た時には、事業が今まで自分に与えて来た恩恵に対して感謝が足りないで、
唯、その事業から《甘い汁》を吸って来たに過ぎなかったことを反省して、
その事業に感謝するがよい。

時代の推移や経済構造の変化や新しい発明等によって、
過去に繁栄していた事業でも衰微して来て、販路が益々縮まることもあり得る。
   
常に神想観して神の叡智を受けている者は、その遷(うつ)り変わりに速やかに対処して
自分の事業に新しい転換を与えることができるのであるが、神想観による「叡智の受信」を
怠ったり事業に対する感謝を忘れたりしていると行き詰まることになるのである。

併し、今からでも遅くない、今までの事業を止めるにしても、方向転換するにしても、
その事業に感謝し、而してのち、神想観を毎日、怠らず実修することにして
神の叡智の導きを受信してそれに従えば新たに活路をひらくことができるのである。

             (初出は『生長の家』 昭和40年8月)


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「恐怖心を追放するのが「生長の家」の念願の一つ (2064)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=436      

(2)光明掲示板・第二「恐怖心の追放 (87)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=41 

(3)光明掲示板・第三「恐怖心を追放する道 (51)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=29

           <感謝合掌 平成27年4月10日 頓首再拝>   

元宇宙飛行士が語る、恐怖を克服する方法 - 伝統

2015/04/19 (Sun) 04:22:05

「宇宙の真ん中で突然、目が見えなくなった」。
~元宇宙飛行士が語る、恐怖を克服する方法

            *Web:tabi-labo. より

「恐怖を克服すれば、以前は考えられもしなかったことが可能になる」。

そう語ったのは、宇宙飛行士のクリス・ハドフィールド氏。
彼はTED Talksで「恐怖を克服する方法」についてスピーチした。

彼がシャトルに乗ったとき、打ち上げ時に大事故が起こる確率は35分の1だったとか。

その恐怖をどのように克服したのか。
さらに、彼が宇宙遊泳中に突然目が見えなくなったとき、なぜ冷静でいられたのか。

実体験に基づき、恐怖を克服する方法を語ってくれているスピーチの内容をざっくりまとめると、


(1)挑戦することでしか、夢は叶えられない

   シャトルはとても複雑な航空機で、どんな最悪なことが起こるか分からない。
   それでも恐怖に打ち勝ち、挑戦することでしか夢は実現できない。

(2)危険と恐怖は全く別のモノと知ること

   片手を命綱に宇宙服だけで遊泳しているとき、突然目が見えなくなった。
   しかし冷静でいられたのは、恐怖を詳細に分解することで、危険ではないと思えたから。

(3)繰り返しの練習で、恐怖は克服できる

   恐怖心を克服するには、クモの巣に何度も突っ込むように、
   最悪な事態を想定した練習をたくさん行うこと。

   そうすることで、恐怖は乗り越えられる。

(4)人間は、意識次第で自分を変えられる

   人間には適応する能力があり、自分の認識する力でさえも変えることができる。
   努力すれば恐怖心を克服し、夢を実現することができるのだ。



《挑戦することでしか、夢は叶えられない》

皆さんが今までにした、最も怖ろしいこと、最も危険なことは何でしょう?
そしてなぜ、そんな事をしたのでしょう?

私が体験した今までに一番危険なことは、宇宙へいくことでした。
NASAの計算によると、シャトル打ち上げの時に大惨事が起こる確率は、
最初の5回の打ち上げでは9分の1。

私が1995年にシャトルに乗った、74回目の飛行ですら、
事故の確率は35分の1から40分の1分くらいでした。

宇宙に出発したら、その日の終わりにはフワフワと優雅に宇宙に浮かんでいるか。
それとも死んでいるかの、どちらかなのです。


シャトルというものは、史上最も複雑な航空機です。
だから宇宙飛行士の間では、「どんなひどい問題でも、さらに悪化することがあり得る」
とまで言われていました(笑)。

シャトルが発射されると、機内全体が本当に激しく揺れます。
そしてぐんぐん上に向かって加速していくのです。
これは信じがたいほどパワフルな体験です。

そんな中で、シャトルが第一関門、第二関門と問題なく進むうちに、
徐々に笑顔がわいてきます。
最終的に目指していた高度に着くとエンジンが止まり、無重力状態になりました。



《危険と恐怖は全く別のモノと知ること》

宇宙遊泳中、 突然目が見えなくなった

これは本当に素晴らしい体験だと思います。
しかし何故こんなリスクを取るのでしょう?
あれほどまで危険なことを、なぜするのか。

これから話していきたいのは、
どのように「恐怖」を乗り越えることができるのかについてです。

宇宙では、500トンの建物に住み、地球の周りを1日に16回も周っています。

目の下に広がるのは、開いた口がふさがらないほど幻想的な風景でした。
常に変化を見せる美しい「地球」を目にします。
日の出や日の入りが45秒毎に起こり、それを半年もの間、経験します。


そして最も壮大な経験は、船の外にでて宇宙遊泳することです。
宇宙を見上げるのではなく、地球と共に宇宙空間を漂うという全く新しい視点です。

片手で捕まりながらすぐ隣で地球が回転するのを見つめますが、
その周りには、何よりも深い暗闇が広がっています。その片手は、まさに命綱なのです。

私は、人生初の宇宙遊泳中に、左目に激痛を感じ、突然視界を奪われました。
原因は分からなかったのですが、私は目が2つあることに感謝し、そのまま作業を続けました。

でも不運なことに、左目からでてきた涙が、無重力状態のため落下せず、
右目に入ってしまい、私は完全に目が見えなくなりました。

宇宙のど真ん中で、何も見えなくなったのです!


危険と恐怖は、全く別のモノと知る


皆さんの最も恐ろしい経験は何ですか?

例えば「クモ」ではないでしょうか?
気味が悪いし、毒があるのもいますから、クモを恐れる人がたくさんいるのは当然です。
だからクモが落ちてきたら、体が反射的にビクッとしますね。

でもここで、事実をお伝えしましょう。
世界にはおよそ5万種のクモが生息し、そのうち毒を持つのは24種だけです。
そしてカナダは寒いので、730種のクモしかいません。
そのうちの1種だけが毒グモです。しかもその毒で死ぬことはありません。

その上、毒クモの背中には見分けやすいように赤いマークが付いています。
しかも、良く目にするようなクモの巣は作らず、地面近くの隅っこに巣をはります。

ですから、クモの巣に突っ込んでも、パニックを起こす必要は全くありません。

危険と、恐怖とは全くの別物なのです。

恐怖は想像でつくられるもので、危険でないと分かれば恐怖は半減するのです。


《繰り返し練習すれば、恐怖は克服できる》

さらに恐怖心を取り除くには、繰り返しクモの巣に突っ込むことが大切です。
そうして、100回もクモの巣に突っ込み続けると、
間違いなく今備わっている根本的な行動や考え方は、変わります。

クモの巣を恐れることはなくなり、
田舎の家の屋根裏や自宅の地下室に入るのも怖くなくなるはずです。

このテクニックは何にでも使えるんです。

宇宙遊泳中に目が見えなくなったら、パニックに陥るかと思います。
しかし、我々はあらゆる状況を想定して訓練してきました。
宇宙服についても詳しく知り、水中で何千回もトレーニングをします。

そういった準備があるからこそ、目が見えなくなっても
パニック反応を起こす代わりに、冷静な判断ができるのです。

遊泳を終えて船内に戻ったあと、
目の周りの異物はただの曇り止めだったことが判明しました・・・。(笑)


この話で言いたいことは、
危険と感じることと、実際の危険との違いに気が付くべきだということです。

何となく嫌な予感がするという、曖昧な恐怖に怯えていても仕方ありません。
恐怖を細分化してあげることが大切です。

そうすれば、恐怖を克服し、以前は考えもしなかったことが可能になるのです。

宇宙で見る景色はまるで夢のようでした。
恐怖を克服しなければ見ることのできない、美しさでした。



《人間は自分を変えることができる》

私が9才だったときの不可能に限りなく近い憧れの夢は、
恐怖と何回も向き合った結果、実現することができました。

さて、最後に、ギターを弾きたいと思います。

デヴィッド・ボウイの曲は、私たち人間には、適応する能力を持っていて、
恐怖に打ち勝つことができることを表現していると思います。


こちらトム少佐より地上管制塔へ
とても遠くまで来てしまった
今最高に変わった姿で漂っている
今日は星がとても違って見える

僕はブリキの缶に入って漂っている
これが最後に見える地球の光景
地球は青く、そしてまだやるべきことに溢れている
恐れるな・・・


どうもありがとうございました。

    (http://tabi-labo.com/114278/ted-panic-astronauta/


           <感謝合掌 平成27年4月19日 頓首再拝>

恐れる心を無くする法 - 伝統

2015/04/25 (Sat) 04:50:31


       *谷口雅春先生・著「人生読本(P281)」より

恐れる心は、無い物に対して起こる感情(こころ)なのですから、「恐れる心」があるように
みえていても、本当はないものなのです。それは幽霊と同じように”無いもの”なのです
けれども、”ある”と思っている間だけ”ある”ようにみえるのです。

ですから恐れる心は無いものだと知ったときに、恐れる心は消えてしまうのです。

恐れたら悪いから恐れないようにしようと思って、
「恐れまい、恐れまい」と恐れる心を抑えても恐れる心は消えるものではありません。

恐れる心をなくするには、「自分は神の子だから、恐れる心はないものだ。恐れているように
みえていても、自分はちょっとも恐れない。この恐れる心は神の子である自分の心ではない。
自分は少しも恐れていない。自分とは別のありもせぬ心が恐れているのだ。勝手にしろ!」

という気になったら却って恐れる心は消えてしまうものです。

恐れるようなケチ臭い心が自分の心だと思っていたのが悪かったのだ。
自分は神の子だから恐れるものはこの世にひとつもないのだと思うようにし、
どんな難しくみえることでも、喜んで愉快にやることにいたしましょうね。

そうすればあなたは必ず立派な仕事ができて、出世をするのに定(きま)っています。
神の子は恐れないで、その時その時を生かして行くようにすれば、成功するのに
定っているのです。

           <感謝合掌 平成27年4月25日 頓首再拝>

無い病気の恐怖 - 伝統

2015/04/30 (Thu) 03:59:49

        *「生活の智慧365章」(P263~264)より

病気の恐怖は、病気を実在すると思うから起こるのです。

神は病気を造らないのであるから、病気などは存在しないのです。
存在しない病気は進行する筈もないのです。
「無い病気」があなたの生命(いのち)を奪う筈もないのです。

―― この真理を繰返し自分の心に言ってきかせるが宜しい。
これには『続々甘露の法雨』を読むか、人から読んで聴かせて貰いなさい。

           <感謝合掌 平成27年4月30日 頓首再拝>

愛をもって恐怖せずに立ち向かえ! - 伝統

2015/05/06 (Wed) 05:06:53


          *「幸福をひらく鍵」(P61)より


『生命の實相』に書かれている人生哲学が実効をあらわすのは、
実際に問題が起って来たときである。
問題をおそれてはならない。

それは魂が進級するときのテストであるとして『生命の實相』に書かれてある
愛の真理を実践すればよいのである。

試験場にのぞんで恐怖心であがってしまう人は、
日頃の力の十分の一も発揮することができないものである。
問題に対して恐怖心を起してはならない。

ダニエルが捕虜となってライオンの檻に入れられた時にも、ライオンが猫のように
馴着(なつ)いて害することができなかったのも、ダニエルが愛と信仰をもっていて
恐怖しなかったからである。

すべての災害はライオンのようなものである。

愛をもって恐怖せずに立ち向かえば其の人を害することなく、それが好機会となって、
新たなる幸福生活がひらかれて来ることになるのである。


           <感謝合掌 平成27年5月6日 頓首再拝>

不安恐怖を除くための祈り - 伝統

2015/05/12 (Tue) 04:19:56


         *「生活の智慧365章」(P216)より

何よりも心の迷い、恐怖、不安等を取り除きなさない。

毎日の祈りの際に、
神が無限の供給源であり、無限の生命源であることを念じなさい。

そうすることによって、
一切の心の迷い、恐怖、不安等を取り除くことができるのです。

「神は無限生命であり無限の供給でありたまう。
わたしは神の子であるから、
常に神より無限の生命と無限の供給を与えられているのである。
だから私は常に健康であり、裕(ゆた)かであるのである。

神は常にわたしを護りたまうが故にわたしは何らの不安も恐怖もない。
心は常に明るく愉快で、私は神の生命と財福の供給が無限に流れ入るパイプと
なっているのである」

と云う風に祈るならば、恐怖心も不安も除かれ、
真に「神」の流入する不思議のパイプとなることができて、
日常生活に必要なあらゆる物を得(う)ることができるのである。

           <感謝合掌 平成27年5月12日 頓首再拝>

恐れる なかれ - 伝統

2015/05/18 (Mon) 04:46:08


        *メルマガ「天風哲学のすすめ 新風」(2012/01/17)より

(1)恐怖への戒め

   この世で怖いモノといえば、昔は地震・雷・火事・オヤジ・・・・でした。

   今は不治の病ですかね。

   昨年ガンで親しい友を2人も亡くしました。
   ワタシよりずうっと若い働き盛りなのに、あっけなく世を去りました。明日は我が身?

   そうこうしてたら、神戸の先輩から、つい先日メール:
    > 実は暮れから高熱でダウンしていまして、
    > 救急病院にお世話になって点滴、抗生物質・・・・
     > 正月も病院のベッドで

   鬼の攪乱で、お正月過ぎてもかれこれ十日、病院のベッドくらしとか。


   何かあるのが人生や。
   でも生きてる。
   生きてるって、素晴らしい、有り難いことです。


   恐怖は人生で一番戒むことです。
   この戒めを破れば、電車が脱線したのと同じ。 

   病い、不運にあっても、いかなるときにも恐怖しないように。


(2)なぜ戒むべきか、恐怖?

  ①恐怖は、大昔からの本能。
   マンモスに追われて、生きるか死ぬかで逃げ回った頃から、
   生命の危険への恐怖です。

   恐怖は本能的に、逃げようという感情です。

   全身の血が手と足の筋肉に集まります。

   逃げる準備です。

   お腹の内臓にあった血液は、走るために運動筋肉に集中します。


  ②問題は恐怖が去ってやれやれと安心したときです。
   血液が内臓に環流します。

   このとき何故か病気の大本「活性酸素」が発生して、胃や腸がやられます。

   強いストレスの繰り返しが、高血圧、ガン、糖尿などの
   現代病を起こすといわれています。


  ③恐怖くらい、人生に価値のない恐ろしいものを生みます。
   恐怖観念が集中されて強くなればなるほど、これが現実になります。

   恐怖観念は非常に集中度が高い。
   恐ろしかったことは、なかなか忘れないのも、このためです。
   
   悪い心の鋳型を作ることになります。


  ④病人の考え方は消極的で引っ込み思案になりがちです。
   神経過敏はいけません。
   そんな人には不運、不健康をもたらします。

   「病ありといえども、心まで病ませない」

   なにごとも恐怖なしで考え、行動しましょう。


(3)恐怖撃退策01 強い言葉で恐怖を打ち消せ

  ①恐怖を引き離すには、強く息を吹き付けて、打ち消そう。
   軽い恐怖なら、そうすると、恐怖観念がなくなります。

   「これを恐れずには おられない」という人がいます。
   これでは良い方に転換できません。


  ②弱い観念がでたら、強い言葉で打ち消そう。たとえば

   「私は力だ! 力の結晶だ!」
   「力だ、勇気だ、信念だ。」


  ③気の弱い人は、強い人とつき合うのも手です。


(4)恐怖撃退策02 常に思考は積極的に

  ①人間は同時に2つのことを考えられない。
   プラスになれば、マイナスなし。
   常に思考を積極的にしよう。


  ②恐ろしいと思うと、一層恐ろしく感じ、身動き出来なくなります。
   悲しいと泣けば、泣くほど悲しくなります。


  ③恐怖心は、自律神経を揺さぶり、肉体に悪い影響をあたえます。
   心 → 神経 → 肉体

   無暗に心配したり怖れたりすると、早く年を取ります。


  ④恐怖も悲しみも長くは続きません。

   さらっと速く抜けましょう。


(5)恐怖観念撃退の誦句

   人の心霊が宇宙の神霊と一致する時、
   人の生命の力は驚愕に値いする強さをもつに至る。

   しかもこの尊厳なる宇宙の神霊と一致するには、
   第一に必要な事は心の安定を失うてはならぬことである。

   そして心の安定を失うことの中で、一番戒むべきものは恐怖観念である。

   そもこの恐怖なるものこそは、
   価値なき消極的の考え方で描いているシミだらけな醜い一つの絵のようなものだ。

   否 寸法違いで書いた設計である。

   かるが故に、今日から私は断然私の背後に、
   私を守り給う宇宙霊の力のあることを信じて、何事をも怖れまい。

   否 人が常にかくあることを心がくるならば、
   必然 人生に恐怖に値いするものが無くなるからである。

   故に健康は勿論 運命の阻まりし時と雖も、本当に私は私の背後に、
   私を守り給う宇宙霊の力のあることを信じて、何事をも怖れまい。

       <感謝合掌 平成27年5月18日 頓首再拝>

恐怖・不安を去る - 伝統

2015/05/24 (Sun) 04:23:48


       *谷口雅春先生・著「希望を叶える365章(P17)」より

神と自分とを結び合わす導管に栓をなすものは、
不安、恐怖、取越苦労の想念感情である。

これらの想念感情は恰もゴムのパイプを固く縛ることによって、
そのパイプの孔(あな)を閉(ふさ)いでしまうように、
自分の生命を固く縛って神からの啓示を来なくさせてしまうのである。

どんな偉大な力が内部に宿っているにしても。
その人の生命の出口を固く縛って動けなくしてしまうならば、
その人はどうすることもできなくなるのである。

恐怖を去れ、不安を去れ、取越苦労を去れ、

それが、実相・内在の神に通ずる導管を塞ぐ汚物を清掃することになるのである。
是の恐怖・不安・取越苦労の汚物を清掃除去するものが「信仰」なのである。

キリストは、大波で船が覆えろうとしているのを恐怖して叫んでいる弟子たちに
「信仰うすき者よ」と言っているし、病気治しに失敗して帰ってきた弟子に対しても
「信仰うすき者よ」と叱咤しているのである。

そして「もし芥子種ほどの信だにあらば、
この山に”動いて海に入れ”と言うと雖(いえど)も必ずならん」
と言っているのである。

       <感謝合掌 平成27年5月24日 頓首再拝>

児童に恐怖心を植えつけるな - 伝統

2015/05/29 (Fri) 03:44:57


        *「希望を叶える365章」(P21)より

この大宇宙を作り、それを自由に動かしている神なる「大生命」が自分にやどって、
自分の「生命」となっており、自分の「生命」はその大生命につながっていて、
常に大生命に護られているのだと云う真理を信ずる者は永遠に恐る必要はないのである。

人間の恐怖心は概ね幼少の時に周囲の人々から現在意識を通じて潜在意識に印象され、
やがて中々抜きがたい恐怖心となって、それが成人してからもあらゆる方面の事物に
対して不安恐怖の影を投げかけるのである。

幼児期に、失意、落胆、要求不満足、悪魔や敵に対する恐怖、病菌に対する恐怖などを
注ぎ込むようにしてはならないのである。

子供に対してあまり頻々として禁止命令を出してはならない。
繰り返されたる禁止命令はやがて、「自分の希望を妨礙する力が到る処にある」
と云う恐怖心となって潜在意識にたくわえられ、成人してからの不安恐怖の
コンプレックスの原因になるのである。

          <感謝合掌 平成27年5月29日 頓首再拝>

《神のみが実在である》 - 伝統

2015/06/04 (Thu) 04:39:08


         *『 生長の家 』誌(昭和25年5月24日の法語)より

   吾々を動きのとれなくするのは恐怖心である。
   他物でもなく他人でもないのである。

   蛙(かえる)は 蛇にみつめられると、自由自在に逃げる力はありながら、
   恐怖心によって自分自身を縛ってしまい、蛇の餌食(えじき)となる。

   多くの病人は自己の内部に、生きる力、回復する力をもちながら、
   恐怖心のために生活力を縛ってしまい、病気の餌食となってしまう。

   吾々は色々の意味に於いて自分を縛る恐怖心を
   多少とも もっているものであるが、

   それは まだ全身全霊が 「 神のみが実在である 」 という真理を
   深く自覚していないからである。

   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=132


       <感謝合掌 平成27年6月4日 頓首再拝>

不安恐怖を起こさないためには - 伝統

2015/06/11 (Thu) 04:24:01


           *『生活と人間の再建』第14章(P179~181)より

不安恐怖の根源は何と云っても、自分が相手(外見、境遇等のこともあれば、特定の人間の
こともある)よりも力が弱くて、それによって打ち負かされたり、押し潰されたりするかも
知れぬと云う予想に基づいているものである。

それは或る意味では劣等感だと云うことが出来るのである。

自己の内に「無限力が宿っている」又は「自己は常に敵の2倍の力をもっている」更に
「自分の内なる神が如何なる時にも自分を護りたまう」と云う自信を持つことが出来れば
当然それらの不安恐怖は消滅すべき性質のものなのである。

幸いなことには、近代の心理学は、現在意識の奥底には潜在意識と云う広い領域の意識が
存在しており、この広い領域の心の中には、無限の力が宿っていると云うことを発見して
くれたのである。

この潜在意識に対して如何に処置して好いかと云う神通自在の力を有しているのである。

しかし、潜在意識は「無限の力」を内に包蔵していながらも、《与えられた》役目を
素直に遂行するだけであって、それ以上、積極的にみずから働きかけて何事でもするのでは
ないのである。

それは無限のエネルギーであるけれども、吾々自身が、自覚せる心で、雛形を提供した
通りの形の状態となって姿をあらわしてくれるのである。

その人が若し現在意識に「損失」の念を起して、それを潜在意識につたえるならば、
その人の内部にあるところの潜在意識的エネルギーは、恐怖の感情を起して、エネルギーが
現在意識的な実行力となって現われる場合に混乱した状態を惹き起こして、ついに
現在意識が心に描いた通りの「損失」を現実化することになるのである。


たとえば此処に或る豪商があって多数の商品を倉庫に所有しているとする。
ところが時局の影響を受けて商品の価格が暴落しはじめたとする。
するとその豪商が驚いて「損失」の観念を心(現在意識)に思い浮かべる。

するとその現在意識の「損失」の観念が、内在せる潜在意識面に落ち込んで行く。
潜在意識は「損失」の観念を受けると反射的に「恐怖」の感情を惹き起こして
それに対応するためのエネルギーを混乱した状態で内部から爆発さす。

その内部の混乱した爆発力で其の人の行動が支配されるために、その人は周章狼狽して、
倉庫の中の商品を安い値段で叩き売る。

その同じ時局的環境の中にいながら、或る人はそれを好機会として、
恐慌状態で投げられている商品を極めて有利な条件で買いしめる。
そして巨富を作り上げるのである。

恐怖と云うものは潜在意識から発現したエネルギーの混乱した爆発であるから、
理性的なものではない。従って事件に処して適当な判断をするものではない。

しかし、「損失」や「敗北」や「病気」を現在意識が描いて潜在意識の鍵盤を叩く限りは、
潜在意識の琴線(ピアノせん)は「恐怖」の音調を奏でるほかはないのである。

だから恐怖の感情を奏でないためには、
現在意識が「損失」や「敗北」や「病気」を描かないようにすることが必要なのである。


《真理は汝を自由ならしめん》

そこで不安恐怖の感情を起さないためには、現在意識を、「損失」や「敗北」や「病気」を
心に描かないように心の王国を支配することが必要なのである。

それは、併(しか)し如何にして可能であろうか。

イエスは其の可能性を吾々に示して言う ―― 「真理は爾(なんじ)を自由ならしめん」と
真理を知ることが、一切の「損失」「敗北」「病気」から自由になるための必要な条件で
あるのである。

               <感謝合掌 平成27年6月11日 頓首再拝>

恐怖の潜在意識を浄めるには - 伝統

2015/06/18 (Thu) 04:13:36


          *「希望を叶える365章(P22)」より

恐怖の暗示は現在意識を通じて潜在意識に印象せられ、それが潜在意識に蓄えられて、
人生百般の出来事に対して「不安」の影を投げかける役目をし、人々の心を暗いものにし、
快活に勇敢に進む力を減殺するのである。

現在意識は潜在意識に如何なる印象を投げかけるにせよ、その「入口」としての役目をなし、
また運命の舵手(かじとり)として想念の方向を定める役目をするのである。
そこに幼時に注入された恐怖観念を清掃する道がひらかれているのである。

即ち現在意識が念を集中して、”神との一体の実相を深く観ずることによって、
「実相」の完全な相(すがた)が潜在意識に印象され、過去の不完全な印象が中和され、
更に実相の調和した相(すがた)が潜在意識内で優位を占めることによって、

過去の不安・恐怖・取越苦労等の消極的な精神的傾向は消えてしまって、
積極的な建設的な性格が養われるのである。

               <感謝合掌 平成27年6月18日 頓首再拝>

《信仰を深め、恐怖心をなくするには》 - 伝統

2015/06/26 (Fri) 03:33:32


         *「生長の家」(昭和25年6月17日)の法語より

   吾々の心を明るくするものは 神の愛が自分を取り巻いていると云う想いである。
   
   神はわが砦(とりで)であり、防壁であり、愛深き父であり、母である。
   神 われを護(まも)りたまうと云う想念のあるところ恐怖心は起っては来ないのである。

   「 神の愛 常にわれを取り巻きて護りたまい、神の智慧 常にわれを導きたまいて
   栄えの道に進ましめ給う」と

   一日のうち数回静かに目を瞑(つぶ)って十数分念ずることは
   信仰を深め、神との一体感を増大して恐怖心を去り、
   よき智慧を招き寄せる力となるのである。

   信仰は力であり、信仰は絶えざる言葉の力によって増大して来るのである。


               <感謝合掌 平成27年6月26日 頓首再拝>

不安恐怖を克服するには - 伝統

2015/07/04 (Sat) 04:53:20


          *「希望を叶える365章」(P23)より

一切の不安恐怖を克服する道は、われは大いなる神の慈手(みて)に抱かれ、
その太愛に護られ、その太智慧に導かれているのであるから決して自分は不幸に
陥ったかの如き観を呈することがあっても、

それは桜の木が秋にその葉を落として凋落したように見えても、その間に力が内部に
養われていて一陽来復の春には爛漫とした花が咲くように、私たちの運命も、やがて
繚乱たる花咲く時が来るために、今、内部の力が養われているのだと云う

―― そのような自覚を持つなら、前途に対する一切の恐怖不安は克服されて
しまうのである。

そのような自覚が本当に深く潜在意識の中に入るならば、恐怖不安はあり得ない。

恐怖不安のないところに、内在無限の力が流れ入る導管は閉塞されず、
滔々として無限の力が流れ入り、
内在能力が完全に発揮されるがゆえに一切の不安は来らないのである。

               <感謝合掌 平成27年7月4日 頓首再拝>

《日本人は世界一の怖がり屋さん!?》 - 伝統

2015/07/12 (Sun) 03:41:35


            *Web より

我々は本能的に恐怖を感じ取る「恐怖の記憶」を受け継いできている。
暗闇を恐れたり、大きな音を恐れたり、ヘビを恐れたり。
これらは危機を察知し警戒する為に必要な本能的恐怖である。

しかしその程度には大きく差があり、
「怖がり度」の差が遺伝子によって影響を受けていることがわかってきた。

藤田保健衛生大学の脳科学者、宮川教授のマウスによる実験では、
通常のマウスは高いところを本能的に危ないと感じるが、恐怖を感じる遺伝子を
なくしたマウスは壁のない高い場所でもほとんど怖がらなくなる。

恐怖を感じる神経回路は遺伝子によって大きく影響を受けているのだ。
また、臆病と恐怖を感じるというのはかなり似たメカニズムだという。

その恐怖遺伝子は人種により所有の有無が大きく異なるそうで、
最も多く持っているのが日本人だという。

<恐怖遺伝子を持っている割合>

日本       97%
アメリカ人(白人)77%
インド      67%
ドイツ      64%
アメリカ人(黒人)46%
南アフリカ    32%


《恐怖を感じるとカラダには様々な変化が起きている。》

恐怖は脳の扁桃体という部分で感じる。
危険を回避するために全身に様々な指令が下される。
http://mui-therapy.org/newfinding/primitive_control_fear.htm )

光を多く取り込んで周囲が良く見えるように目の瞳孔は大きく開く。

同時に心臓が活発に動いて全身の筋肉に血を送り
筋肉の動きを活発化させる。
つまり 逃げる・戦うための準備態勢。
これを心理学では闘争or逃走。

火事場の馬鹿力なんかもこうした状態。


《それではどう恐怖を向き合っていけばよいのか? 》 

恐怖を感じている時に 「恐怖を感じるな、想像するな」と言われたり強く思うと、
逆に恐怖を増大させる結果となる。

恐怖という感情は言葉や念じることではコントロールできないが、
自らの生み出す表情によってある程度抑えられることがわかってきた。

もっとも効果があるのは笑顔。
無理にでも笑顔を作ると恐怖度が下がるという。

笑顔を作るとき、人は無意識にうちに口を横におおきく引き、
歯がしっかりとかみ合った状態となるが、この状態が一番恐怖を感じなくなるのだそうだ。

   (http://karapaia.livedoor.biz/archives/51481574.html

               <感謝合掌 平成27年7月12日 頓首再拝>

恐れるものがやってくる - 伝統

2015/07/19 (Sun) 04:46:21


             *「女性の幸福365章」(P301)より

ヨブは「われに恐れたるもの全て我に襲いかかれり」と嘆いているが、
恐れる事物は、常に間断なくそれを強く思い浮かべるがゆえに、強烈なる
想念の磁石力をもって、その恐れたる事物を自分に引き寄せることになるのである。

病気を恐れたら病気がやって来るし、貧乏を恐れたら貧乏がやってくるのである。


恐れる心は自分の恐れる事物を自分自身に引き寄せるだけでなく、
自分の家族に《それ》を引き寄せることになるのである。

一家に1台のラジオ・セットがあれば、家族全体が放送番組を聴くことができる
ように、一家に一人の「不幸の精神波動」を受信する人があるならば
その影響力は全家族に及ぶことがあるのである。

特に母親の精神状態は、その子供に強く影響するのは、
母と子とは深い愛情の精神波動によって互いに結ばれているからである。

               <感謝合掌 平成27年7月19日 頓首再拝>

対処療法的な不安恐怖一掃法 - 伝統

2015/07/27 (Mon) 03:54:07


          *『生活と人間の再建』第14章(P185~186)より

人生の不安恐怖を一掃するための根本自覚として、真理を自覚することがあるけれども、
なかなかその根本自覚に到達することは難しいのである。

そこで対処療法的に不安恐怖を消滅する方法も考えて置く必要もあるのである。
物質化学に於いてアルカリを投ずれば酸性がなくなると云うような中和剤と云う
ものがある。

それと同じく不安恐怖に対して何か中和剤と云うようなものはないのであろうかと
云うことである。

不安恐怖の起こる最も根本なるものは、「神われと偕(とも)に在り」との
自覚の反対観念である。

すなわち「自分は神に反(そむ)いている」「神から叱られている」
「神から見放されている」「神から罰を受けるかも知れない」と云う類の観念である。
この観念は、無神論者と思われている人々に於いてすらも「良心の咎め」として
多少とも有(も)っているものである。

そして良心が許さないような行為をしたとき、その「良心の咎め」が潜在意識の
レコードに蓄積されていて、自己処罰しようとして待ち構えているのである。

だから潜在意識の奥にある《おぼろげ》なる自覚から云うならば、
それは、処刑の近づきつつある囚人のようなものである。
従って常に何となき不安恐怖が心の世界に起って来るのは当然であるのである。

その潜在的な不安恐怖が原因で多くの肉体的な病気が起って来ることも事実である。
自己暗示的に「神わがすべての罪を免(ゆる)したまいて、我れを神の御手をもって
抱き給う。われは既に癒されてあり」と

眠りしなに寝床に仰臥したまま、自分の両手を神の御手であると観じ、
その両手で自分の胸を掻(か)い抱くようにして、神の御手に抱かれていると思いを
起こしながら、上の言葉を繰返し念じながら眠ってしまうのが好いのである。

               <感謝合掌 平成27年7月27日 頓首再拝>

「完全な愛」が恐怖を掃滅する - 伝統

2015/08/04 (Tue) 04:52:47


          *『生命の實相』第24巻参考篇/質疑篇(P29)より

聖書は「完全な愛」が恐怖を掃滅することをわれらに解説しているではないか。
そして恐怖の去るときわれわれの生理的不調和と病気との最大根源の一つは去るのだ。

人類最大の敵なる恐怖心に苦しむ人にとって、
「詩篇」第九十一篇の研究とその実生活上の応用にまさる良薬はないのである。

この大誌篇の冒頭 ―――


   至上者(いとたかきもの)のもとなる隠れたるところにすまう
   その人は全能者の蔭にやどらん。


という言葉ほどわれらにとって力強いものはないのである。

至上者すなわち神を信じ神の愛に抱かれるものは全能力者に護られているのである。
そこにはもうなんの恐怖も心配もない。
そこには憂鬱も躊躇もない。

あらゆる恐怖も心配も憂鬱も躊躇も、
この「詩篇」を正しく理解し正しく実生活に生かせば癒されてしまうのである。

               <感謝合掌 平成27年8月4日 頓首再拝>

恐怖心のある所に不幸は来る - 伝統

2015/08/11 (Tue) 03:58:19


         *「神と偕に生きる真理365章」(P333)より

或る人の説によると、恐怖心を起こすと、その人から恐怖の雰囲気が発散される。
その恐怖の雰囲気は或る種の獣類には一種の匂いとして感じられ、
その匂いを嗅ぐとその獣類はその雰囲気を発する人に咬みつきたい衝動が起こるのである。

しかし信仰深く心気泰然としている人からは恐怖の雰囲気の匂いを発しないので
獣類は咬みつこうとしないのだというのである。

旧約聖書の中では、ダニエルはライオンの檻の中に入れられたが、
そのライオンはダニエルに猫のように狎(な)れついて咬みつかなかったということである。

日本でも沢庵禅師に同じようなことが起ったということがつたえられているのである。

獣類だけではなく、すべての”不幸”は恐れる人の処へやって来て咬みつくのである。



日本の諺に言う「泣き面に蜂」というのはこの事である。

               <感謝合掌 平成27年8月11日 頓首再拝>

ハードマン博士の示した不安恐怖の克服法 - 伝統

2015/08/18 (Tue) 04:46:32


         *「生活と人間の再建」(P188~189)より

言葉に力があると云うのは、単に護符のようにそれを携帯するだけで、
又は呪文のように早く意味もわからずに唱えるだけで効果がある
と云うのではないのである。

言葉が一定の想念感情を喚び起すところに意義があるのである。

ハードマン博士が不安恐怖を克服するために範例として示したところの思念の言葉は
つぎのようなものである。


「吾が霊の内には神の平和が宿っているのである。
何物もわが存在の明朗さを掻き乱すものはないのである。

吾が魂の内部にある美しき湖は神に護られて平和に確保され、
そこに永遠の父なる神の栄光が反映しているのである。

我れは平和である。
神の平和がわが魂の中にあるのである。

わが魂を掻き乱したところの一切のものは永久に去ってしまったのである。
われはわが生命そのものである神と一体である。
われは今、此処にありて力と勇気とを復活したのである。

われは内部の荘厳なる平和をもって生活と仕事とに立ち向かうのである。
われは神と一体なるが故に、何物もわが魂の平和を掻き乱すことは出来ないのである。」


以上は単に一つの範例に過ぎないが、この通りに思念しても好いし、その範例に準じて
もっと一層自分の心境にピッタリする言葉を念じても差支えないのである。

要するに、念ずる言葉の通りの光景を眼の裏に描いて、それを強く瞑視し、
言葉の与える印象を深々と潜在意識にとり入れて、
本当に「平和」そのものの感情を喚び起すように努めれば好いのである。

               <感謝合掌 平成27年8月18日 頓首再拝>

神罰など絶対にない - 伝統

2015/08/26 (Wed) 04:24:14

旧約の”エホバ神”とは”心の法則”の擬人化である

            *「神と偕に生きる真理365章」(P335)より

人間は”神の子”であり、神は人間の父母(ちちはは)であるから、
神が人間に不幸をもち来すことなど絶対あり得ないと知ることは、
これまた恐怖を無くする根本である。

神が人間に神罰を与えると思って恐怖を感じている人もあるが、
神罰など絶対にないのである。

(旧約聖書には、神罰を与えたような出来事が書かれているが)

”想念の象徴化”が報いとして現実世界に現れるという"法則”を擬人化して
”エホバ神”と書かれているのである。

このことを知って旧約聖書を読むならば、あの中に書かれている真理が
合理的に解釈されてよく解るのである。

               <感謝合掌 平成27年8月26日 頓首再拝>

《恐怖心を除く道》 - 伝統

2015/09/02 (Wed) 04:54:05


              *「生長の家」誌(昭和25年8月16日)の法語より

   神を自己の内に、今、自覚するならば、
   今人間は幸福になれるのである。

   神を自己の内に、今、自覚するならば、
   人間は健康になるのである。

   神が汝に与えた実相であるところの 「 幸福 」 と 「 健康 」 とを
   自分の迷い心で覆い隠すな。

   迷いの帳(とばり)を去れ。

   神は汝に罰を与えるどころか、
   常に汝を護りていたまうのである。

   「 神はわが護り、われ何をか恐れんや 」 と、
   一日のうち数回、眼をとじて十分間位ずつ思念するようにするならば、
   恐怖心はのぞかれ、人間は おのずから心が落ち着いて健康になり、
   良い考えが湧(わ)き出て来て 幸福になり何事にも成功するのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16


               <感謝合掌 平成27年9月2日 頓首再拝>

「今」”恐れなどない”と知る - 伝統

2015/09/11 (Fri) 04:57:05


         *「光明道中記」(P184)より

【恐怖心は神の全能の愛を信じない為に起る。(『生命の實相』第ニ巻)】

すべてを神のみこころに委(まか)せること。
併しこれだけでは恐怖心は絶滅されるものではないのである。

神のみこころの中には不幸は無いと云うことを知らなければ、
人は神を恐怖するに到るであろう。

神に委せるとは、一番高き幸福の源泉に委せることなのである。
此処に”今”幸福があることを知ることである。

幸福か不幸かわからないけれども、兎も角神に委せようと云うことではない。
神はわが憩いの家であり、愛の家であり、わが砦であることを知ることである。

単に「思い煩うな」と言って、問題を次へ次へと延ばして行く者は、
恐怖を先に延長しているようなものであって、
本当は「思い煩っている」のである。

吾々は事物に面することを次へ延ばすことなく、「今」受けるが好いのである。
「今」恐れなく受けるのである。
「今」目の前にあるものが決して自分を害するものでないと知ることである。

避けるのではない。捉えるのである。

幽霊の正体見たり枯尾花。
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもないのである。

               <感謝合掌 平成27年9月11日 頓首再拝>

《事物の真相を知れば恐怖はない》 - 伝統

2015/09/19 (Sat) 04:54:00


        *『生長の家』(昭和25年9月6日)の法語より

   人生の問題は若(も)しその因って起るところの
   原因が明瞭になるならば、
   それは容易に解決することが出来るのである。

   問題を未解決にし、取越苦労や恐怖心にみたされるのは
   真相がわからないからである。

   真相がわかれば恐怖すべきものは何物も存在しないのである。

   第一に吾等が知らなければならない真相は、
   吾々の想念と云うものが自分自身の心の快不快を
   変化すると同時に、

   自分を取りまいている環境、人間、供給、境遇、位置などを
   変化すると云うことである。これが真相である。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=100

               <感謝合掌 平成27年9月19日 頓首再拝>

恐怖心をなくする法 - 伝統

2015/09/28 (Mon) 04:40:39


         *「美と健康の創造」(P42~P44)より

恐怖心を無くする道は、神と共に生活するのが一等よいのであります。
神は無限力でありますから、無限力と共に、神のみこころの方向に生活する限り、
恐怖すべきものが起りようはないのであります。

恐怖心の起っている人はきっと、利己主義なのであります。
「人が見たら何とか思いはしないだろうか」というような生活を送っているから
恐怖心が起るのであります。

公明正大、天地に恥じずというような生活さえ送っているならば、
誰に恥じることもありませんから、恐怖心は起りませぬ。

恐怖心は「愧じる心」の一種だとも言えるのであります、
人に見られたら悪いと思うようなことをしていたり、
何か隠し事をしているのが恐怖心のもとになります。

また人に敵対ごころを持っていますと、それが恐怖心のもとになります。

人を憎むことは、人を敵とする心であり、自分が人を憎んでいますと、相手の人も自分を
憎んでいると考えますから、いつ人が、自分に害を与えるかも知れないという恐怖心が
起ります。そしてそれが結局、恐怖心のもとになるのであります。

だから恐怖心のある人は、自分が誰かを憎んでいはしないか。


現在は忘れていても、かつて憎んだことはなかったか、そしてまだその人を許し切って
いないかを反省して見て、もし、かつて憎んだ人があったならば、神想観のときに、
眼を瞑(と)じ、その人の顔を思い浮かべ、心の中でその人の名前を数回呼びとなえて
その人を呼び出すような気持ちになり、

「私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。
私とあなたは神において一体でございます。

私はあなたを愛しております。あなたも私を愛しております。
私とあなたは神において一体でございます。

私はあなたに感謝しております。あなたも私に感謝しております。
私とあなたは神において一体でございます。ありがとうございます」

という言葉を1日1回30分位ずつ一心に繰返して念ずるのであります。
そうして、そのかつて憎んでいた人を思い浮かべても、決して不快な気持ちが起らなく
なった時にはその相手と完全に和解することが出来たのであります。

こうして人々と和解したとき、人から害されるという恐怖心がなくなるのであります。
しかし、まだ恐怖心があるとすると、物事に対して和解していないのであります。

「物事に対して和解していない」ということは、
物事を排斥したり、すき嫌いを言う心があるのであります。

「すべて来るものは、過去の業の自壊として来るのであって、
来ることによって業が浄まるのである、 有りがとうございます」
という気持ちで、

「何が来ても有りがとう」という気持ちになれば、
すべての物事に和解したのであって、もう恐怖心は起りませぬ。

               <感謝合掌 平成27年9月28日 頓首再拝>

心配のなくなる日 - 伝統

2015/10/07 (Wed) 04:20:01


            *「光明道中記(P323)」より

【心配、取越苦労、憤怒などは恐怖心の変形である。(『生命の實相』第十二巻)】


「善を思わず、悪を思わず、正与麼(しょうよも)のとき、那箇(いかん)かこれ
明上座が本来の面目」これは慧明に六祖慧能大師が与えられた一喝であった。

善悪愛憎に因えられ、これが可(い)かん、あれが可かんと言っている間は通力を
失った状態であるから本当の大善は出て来ないのである。

「心の狭い善人」は生長の家ではいたく排撃せられるのである。
これが善い、これが悪いと云う人が多く肺病にかかって血を喀(は)いたりするのである。

善いも悪いもない、其処へ出てきたものをその儘受け流す、次に出てきたものも、
そのまま受け流す。これが神妙不動智の極意である。

「ああ血がこんなに出たから、もう駄目だ」などと考えたら、
もう血に心が因えられたから通力を失って悪くなるのである。

「血が出た。オーライ」「熱が出た。オーライ」「痰が出た。オーライ」
別にいつまでもそれに心を引掛けていないで、出たのは出たとして、それ以上何も嘆かぬ。
出るものが出たら、あとはサッパリするものである。

心が引掛らねば、生命は「生きる力」なのだから必ず生きる。

血が出た、痰が出た、熱が出た ―― に是非、善悪を引っ掛けて、
心がいつまでも思い煩うところに病気も長引く。

すべて有り難く受け流して行けば病気は消える。

               <感謝合掌 平成27年10月7日 頓首再拝>

憎んでいる人を赦せば不安恐怖がなくなる - 伝統

2015/10/15 (Thu) 04:12:32


          *『生活と人間の再建』第14章(P186~187)より


吾々が誰かに対して敵意をいだき、又は憎んでいる場合には、
時として吾々は不安恐怖に襲われるのである。

敵を心に描くことは、いつかは来(きた)る復讐を心に描くことであるから、
不安恐怖に襲われるのも無理はないのである。

だから斯う云う場合には、心の中で敵と和解する言葉を
瞑想の中で繰り返すことが必要なのである。

例えば眼を瞑って、眼蓋(まぶた)の裏にその人の顔を思い浮かべて、
その人の名前を数回となえ、その人を呼び出す気持ちになり、
さてその人に語るような気持ちで

「○○さん。私はあなたを赦しました。あなたも私を赦しました。
私はあなたを愛しています。あなたも私を愛しています。
私はあなたに感謝しています。あなたも私に感謝しています。

両人(ふたり)の間は何一つ不調和も憎む心もございません。
ただ赦しと愛と、感謝があるのみでございます。
ありがとうございます。ありがとうございます。」

と云う意味の言葉を繰り返し繰り返し念じながら、
本当に切実に赦しと愛と感謝の念を起す行事を毎日20分間ずつ
持続して行なうが好いのである。

               <感謝合掌 平成27年10月15日 頓首再拝>

恐怖・不幸の悪循環 - 伝統

2015/10/22 (Thu) 04:50:48


       *「神と偕に生きる真理365章(P334)」より

恐怖心の起る根元は、
この世に自分の存在又は幸福を脅かすところの何物かが存在するという信念である。

この信念を打ち破らない限りは根本的には恐怖の根元を断ち切ることはできないのである。

ところが現象界の事物は、所謂る”諸行無常”であって、
その存在は常に確乎としていないのである。
「今日あって明日無い」のが現象界の存在である。

どんな現象界の幸福も、肉体の健康も、それは常に変移し、破裂し、消えて無くなる危険に
さらされているのである。現象の肉体だけを見ておれば人間はすべて死刑囚であって、
ある不定の期間だけ執行猶予せられているに過ぎない。

このような不安定な肉体人間を「人間そのもの」だと思っている限りに於いて
恐怖心を絶滅することは絶対に不可能なのである。

そこで心が存在する限り、更に不幸を招(よ)び寄せて、連鎖反応を継続することにより、
不幸は恐怖を呼び、恐怖は不幸を招き・・・循環して終止することがないのである。

               <感謝合掌 平成27年10月22日 頓首再拝>

聖句朗読による不安恐怖の克服法 - 伝統

2015/10/30 (Fri) 04:52:55


          *『生活と人間の再建』第14章(P187~188)より

以上のような瞑想法のほかに、更に有効なのは、最も美しいリズミカルに書いた
自身を強める聖句を、毎日朝1回と、就寝時に1回と、朗々と朗読することである。
それをみずから朗読しながら、天使の如き気持ちでそれを傾聴するのである。

あまり長い聖句は朗読にくたびれるし、途中で飽きてうんざりすると効果がなくなって
しまうから、適当な長さの、自覚を高める真理を書いた一節が好いのである。

それには、『日々読誦三十章経』の如き、1ヶ月を30日に区分して、毎日、朗読する
珠玉の言葉を録(しる)してあるものを利用するのは大いに役立つのである。

これは毎朝神仏の前で礼拝後、家長が朗読し、家族は眼を瞑って精神を鎮めながら、
その朗読される文句を心のうちで復唱するような気持ちで傾聴すれば、
最も善き真理の暗示となるのである。

病気に罹っていて不安恐怖のある人たちは、『続々甘露の法雨』を看護の人に朗読して
貰って、病人自身は眼を瞑って素直な気持ちで傾聴すれば恐怖不安を鎮める偉大なる
暗示となるのである。


最も有効なる不安恐怖の心的習慣から離脱する方法は、自己の欲する又は養成したい
善き性質を表現する一定の積極的な文句を紙に書いてそれを貼り出して置き、
それを機会ある毎にそれを見て、その文句の通りの状態であるように思念を繰り返すが
好いのである。

その方法に適するように制作せられたのが「日めくり暦(こよみ)」の形をした
『光明生活の日訓』である。

これは毎日その日の日付のところを出して貼り出して置き、1日十数回ながめて、
その言葉の通りに念じて自己が神に護られている実相を心に印象して、
不安恐怖の中和剤とするのである。

・・・

<参考Web>

(1)『日々読誦三十章経』
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=101

(2)『続々甘露の法雨』
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1605

(3)「日めくり暦(こよみ)」

  ①「 光明日訓」谷口雅春先生 真理の言葉 平成26年版
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=21

  ②「ひかりの一日一言」①~⑦
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

  ③「健康標語」(橋本徹馬)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584562

  ④「生活標語」(橋本徹馬)
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618770


               <感謝合掌 平成27年10月30日 頓首再拝>

恐怖心から心を転じましょう - 伝統

2015/11/09 (Mon) 04:37:21


         *「美と健康の創造」(P39~P41)より

聖経『天使の言葉』に「汝ら『生命の実相』を知り、迷(まよい)滅すれば恐怖滅し、
恐怖滅すれば一切の不幸と病おのずから滅せん」という啓示が書かれているのでありまして、
不幸を滅する根源は「恐怖の克服」ということにあることが示されているのであります。

そこで不幸と病気を絶滅しようと思うものは、恐怖を滅しなければならないのでありますが、
恐怖を滅するには迷いを滅しなければならない。

では迷いとは何であるか。
迷いというのは、「あらざるものをありと想像するが故に無明(まよい)なり」
と明記されております。

無いものを「ある」と心に描くのが迷いであります。
神の造り給うた世界には、神が善であり無限愛であり無限智慧であり、
無限力である限り、悪はないのであります。

無い不幸を「ある」と想像して、それに精神を集注するから恐怖心が起るのであります。
そこで、「無い」不幸を「ある」と想像しないことにすれば結局、
恐怖は克服される事は当然のことなのであります。

では、無い「不幸」を想像しないようにするにはどうしたらよいかというと、心を一転して
「完全なる実相」を心に想像してその方に心を振り向ければよいのであります。

だから「汝ら『生命の実相』を知り - 迷(まよい)滅すれば - 恐怖滅し ー
一切の不幸と病おのずから滅せん」という順序が明瞭に示されているのであります。

その心の一転方法が、或る一定時に行う神想観でありますが、しかし神想観のときだけ
心が一転して実相完全の有様を心で見詰めているだけでは足りないのでありまして、常時に
心を「不幸」から一転して、不幸を思わないように工夫することが必要であります。

精神治療家の教えるところによると、不幸や病気について常にそれを人に語る人は
潜在意識にその「不幸」や「病気」を固着せしめてその不幸病気を治り難くする
のであります。

あなたが仮に肺病になかってベットに横(よこた)わって、来るべき自分の不幸な最期に
ついて、経済的不安について、就職困難のことについて色々と想像をたくましゅうして
暗黒な気分に圧倒されてしまっているとき、

そこに火災が起って来てあなたの室にそれが燃え移って来たならば、
その瞬間あなたはもう先刻想像を逞(たくま)しゅうしていた色々の不幸や病気のことなど
決して考えなくなってその火災の事のみに心が転ずるでしょう。

それと同じように、あなたは現在の想像の対象になっている「仮想の暗黒物」から
心を転ずるようにすれば好いのです。

注意の焦点を実相世界の完全の有様に、或いは今あるどんな小さな幸福(水、空気、
ささやかな食事、ベット等・・・)にでも心を転じて感謝するようにすれば好いのです。

               <感謝合掌 平成27年11月9日 頓首再拝>

神の愛を自己の内に満たせばよい - 伝統

2015/11/17 (Tue) 04:49:36


          *「生活人間の再建」第20章 謙虚と自信について(P267)より

総ての恐怖と失敗の原因は、神との一体感の欠乏、
又は神の性質(愛他)がわが内に欠乏せるに依るのである。

それ故にその救治法は明らかである。

愛他の心を深く起こし、自己を挺身して他を救う心になることである。
自己を護る心は恐怖心の原因になるのである。

そして「神の愛われに流れ入りてわれを満たしたまう」と念じて、
自己の内に欠乏せる所の神の愛を自己の内に満たせばよいのである。

               <感謝合掌 平成27年11月17日 頓首再拝>

「恐怖」をテーマにトム・ハンクスが作った小噺 - 伝統

2015/11/27 (Fri) 04:48:45

       *『巨大な夢をかなえる方法』佐藤智恵・著(P152~154)より

3人の男がいました。
3人とも深い不安を抱え、不眠に悩まされていました。

これは私の作り話です。

3人は絶え間ない心配のために、彼らの人生はずっと停滞したままでした。

そこで3人は思い切って聖地巡礼に出かけることにしました。
不安恐怖を解消してくれる賢者に会うためです。

賢者が住んでいるのは、樹木限界ラインよりも標高が高い山の上、
植物は育たず、動物もいません。
あまりに空気がうすいので、虫さえもいませんでした。


3人は、賢者の住む洞窟にたどりつきました。
すると、一人目の巡礼者がこう聞きました。

「お助けください。賢者よ。私は不安恐怖のせいで、人生はめちゃめちゃです」

「ともよ、そなたは何を恐れているのか? 」

「私は、死ぬことが怖いのです。いつ死がやってくるかと思うと、怖くて、怖くて・・・」

と男はいいました。

賢者はこう助言しました。

「死を恐れているのだな。それではそなたのために不安を取り除いてあげよう。
死は、そなたが受け入れる準備ができるまで、やってこないものなのだ。
それが分かれば、不安に思うこともなくなるだあろう」

一人目の男は、賢者の言葉を聞いて安心しました。
これでもう死を恐れなくていいと思いました。


次に賢者は、二人目の巡礼者に向って、こう聞きました。

「友よ、そなたは何を恐れているのか? 」

「私は、隣に引っ越してきた一家が怖いのです。全然知らない人たちだし、我が家とは
信仰する宗教も違う。おまけに隣の家は子だくさんで、いつも騒音のような音楽を
かけています」

と二人目の男は言いました。

すると賢者は答えました。

「見知らぬ隣人を恐れているのだな。友よ、それではそなたのために不安を取り除いて
あげよう。自宅に帰ったら、その隣人のためにケーキを焼きなさい。そして子供たちに
おもちゃをプレゼントしてあげさない。

一緒に歌を歌い、隣人の宗教や生活スタイルを理解しなさい。
そうすれば隣人と仲良くなり、そなたの不安はなくなるだろう」

二人目の男は、このシンプルな助言を聞くと、もっともだと納得し、
これでもう隣人一家を怖がることがないと思いました。



植物も動物も生きられない高い高い山の上。

そこにある洞窟の中で、賢者は3人目の巡礼者に向って、何を恐れているのかを尋ねました。
3人目の男はこうと耐えました。

「賢者よ、私はクモが怖いのです。夜、眠ろうとしても、寝ている間に天井から
クモが降りてきて、私の体をはいまわりしないかと想像像してしまいます。
だから寝られないのです」

すると賢者は言いました。

「クモが怖いのか、それはどうしようもできない。
何のために私がこんな高いところに住んでいると思っているのかね? 」


この話が伝えているように、どんな人でも不安には打ち勝てません。
だから、影響力を行使したい権力者は、それを利用しようとします。


・・・

谷口雅春先生は

不安、恐怖を煽る宗教は、正しい宗教ではない。
解放する教えが、正しい宗教である。

と述べております。


               <感謝合掌 平成27年11月27日 頓首再拝>

本来完全なる実相世界のみの実在を知ること - 伝統

2015/12/05 (Sat) 06:14:57


           *「神と偕に生きる真理365章(P335)」より
 
恐怖・不幸・恐怖・不幸の悪循環を断ち切るためには、恐怖の原因になっているところの
常に変易する”無常の世界”を”本来無い”と”心の世界”より消し去って、真に存在する
世界は、唯、神の創造り給える完全世界のみである、と知らなければならないのである。

この完全世界のみが実在であるから、この世界を吾々は実相世界と呼ぶのである。

この実相世界は

「一切の生物所を得て、争う者なく、相食む者なく、病む者なく、乏しき者なき」

すべての生物扶け合いの平和にして調和せる世界であって、

病もなければ、奪い合もなく、乏しき者もない圓萬具足の極楽状態の世界であり、
この完全世界のみが實在だということを知らなければならないのである。

一切の悪は無い、不調和はない、
自分を脅かす何物も本当には存在しないのだと知るとき、
根本的に恐怖の根因が断ち切られてしまうことになるのである。

           <感謝合掌 平成27年12月5日 頓首再拝>

無限大の大実在とのつながりを自覚する - 伝統

2015/12/12 (Sat) 04:49:24


            *『生命の實相』第八巻観行篇(P8~P9)より

ともかく、この自分一人の力で生きているのではない。
五尺の身体の化学作用で生きているのではないということがわかってみますと、
人間は今までこせこせした貧民窟の裏小路から、大生命の大通りへ出た感じがするのであります。

人を恨んだり憎んだり腹が立ったり悲しんだりするのも、元を探れば恐怖心からでありまして、
自分だけの力で生きている有限な力で生きているのだから、
あんなことをされてはこちらの力が減ると思うから起こるのであります。

どんなに人が自分に損をかけても、
自分は無限大の大実在につながっているという大自覚がありますれば、人間は損を損と感じない、
無限大からいくら差し引いてもやはり無限大が残るからであります。

また一時は損を感じても、
やがてそれだけ低くなったところには無限大の生命の泉の貯水池からまだ流れ込んできて、
前と同じようにぷかぷかと生命でも富でもできてくるのだということが

われわれの「覚めて心」だけではない、隠れている「傾向の心」全体にも
確認できるようになってきますと、それこそ無限の落ちつき――
心の底たましいの底からの平和と安住とが湧いてくるのであります。

           <感謝合掌 平成27年12月12日 頓首再拝>

大欲のエンジンに火をつけ、恐怖を乗り超える方法 - 伝統

2015/12/20 (Sun) 04:46:52


    *「なぜ、追いつめられたネズミはネコに噛みつくのか?」溝口耕児(著)より

第1章 欲望のエンジンに火をつけろ!!

(1)ブレーキを踏んだままでは車は1ミリも動かない。

  ①3つのキーワード「向上心」「好奇心」「不安」
   向上心と好奇心は欲望のこと、不安とは恐怖のことです。

  ②人間は誰もが「欲望」と「恐怖」を持ち合わせています。
   これは、遺伝子情報として脳にインプットされた感情です。

   欲望がなければ生きてもいけない。
   恐怖を感じるからこそ、多くの危険から身を守っているのです。

  ③潜在的な恐怖、臆病、不安、迷いは、自動車のブレーキのようなものです。

   ブレーキという危機管理機能があるからこそ、安全運転ができるのです。

  ④ところが、そのブレーキを踏みすぎる人が多いのです。
   ブレーキばかり踏んでいたって、車は1ミリも前には進みません。

   前に進もうと思うなら、プレーキペダルから足を離してアクセルを
   踏み込む必要があるのです。

   まず、ブレーキペダルから足を離す練習を始めよう。

(2)3~14歳に作られる「プログラミング」

  ①ブレーキを踏みすぎる人とそうでない人の違いは、3歳から
   14歳までの幼児教育期に受けた教育・経験が深く関係しています。

   専門的には、これを「プログラミング」といいますが、人間の性格や気質、
   その大まかな方向性は、この時期にすべて決まってしまうのです。

  ②問題なのは、その時期経験したことのうち、「恐怖」「不安」「臆病」「迷い」
   といったブレーキ体験のほうが潜在意識に刻み込まれてやすい、ということです。

   私たちにはどうしても過剰な「ブレーキ癖」がついてしまいます。

   もちろん、命を守るためにこれらのブレーキ癖は必要です。
   しかしブレーキの踏みすぎは問題なのです。

  ③ブレーキを踏むことは誰にとっても嫌なものです。
   そして、ほんとうは、みんなアクセルを踏みたいと思っているのです。

   過度なブレーキ癖というプログラミングを解除するには、素直にアクセルを踏めばいい。

   アクセル全開で走る喜び、楽しさ、気持ち良さを取り戻し、
   しっかりとアクセルを踏み込めばいいのです。

(3)目的地がわかればアクセルを踏める!

  ①カーナビに目的地を入力することによって、
   目的地まで最短距離で進むことができます。

  ②あなたの人生も、「しっかりと目的地を設定する」ことによって
   アクセルを踏むことができます。

(4)あなたの内なる「欲望」に耳を澄ませ!

  ①人生の目的地が見えていないということは、まだほんとうの
   意味でのあなたの「欲望」が見えていないことを意味します。

   明確な目的地が見えないうちは、
   欲望のエンジンに火をつけることなどできないのです。

  ②人間が本来持っている健全な欲望とは、もっと前に進もう、
   もっと上に昇ろう、もっと快適に生きようとする欲求です。

  ③われわれ人間は自分の目的地を見つけ、欲望のエンジンに火をつければ、
   とてつもないパワーを発揮することができます。

   潜在意識よりも深いところに眠る「超意識」を呼び覚ますことによって、
   常識では考えられないような力を発揮することができます。

  ④つまり、自分の内なる欲望のエンジンに火をつけられるかどうかによって、
   あなたの人生は大きく変わってくるのです。

(5)「欲望」だけが恐怖や不安に打ち克つ。

  ①あなたが潜在的に抱える恐怖に打ち克つには、
   この「本物の欲望」に火をつけるしかないのです。

  ②「本物の欲望」は、恐怖に負けることなどありません。
   心の中で欲望と恐怖がぶつかり合ったとき、勝者は常に欲望なのです。

(6)それでも「欲望」が閉じ込められてしまう理由

  ①人は面倒な問題に直面したとき「やれない理由」ばかり探すようにできているからです。

   例、時間がない、お金がない、仕事が忙しい、家族がいる、
     上司が許してくれない、時期が悪い、もう若くない、
     長男だから、女だから、失敗した時の保証がない・・・

   こうやって「やれない理由」を探し出し、
   それを言い訳にいまの自分(ダメな自分)を肯定する。

   恐怖に打ち克って新しい一歩を踏み出すよりも、こうして環境のせいにして
   「いまの自分=ダメな自分」を肯定するほうがラクだからです。

  ②これからは、「やれない理由」はもう探さないようにしよう。

   これからは、こう考えてください。
   「もし、すべてが自由で可能だとしたら、自分は何をやりたいだろうか?」と。

  ③あなたの考える「やれない理由」は、いわば「環境の悪魔」です。
   自分は悪くないけど、環境が悪いから何もできないのだ、と言っているにすぎません。

   環境の悪魔に支配されていたら、いつまで経っても欲望は抑圧されたままです。

(7)欲望は「願う」だけではかなわない

  ①大切なのは雲の上にいる誰かさんに「願う」ことではなく、
   自分自身で「決める」ことなのです。

   成功するんだ、この夢をかなえるんだ、と「決める」こと。
   決めるから、願望はかなうのです。

   そのとき口に出す言葉としては」成功したい!」ではなく「成功する!」。

  ②自分自身で決意を固めてこそ、欲望のエンジンに火をつけることができます。
   そして「決める」からこそ、行動に移せるのです。

(7)本物の欲望を見つける「ビジョン・クエスト」

  ①成功哲学の本場、米国では「ビジョン・クエスト」という体験セミナーが行われます。

   見渡す限り岩がごろごろと転がるだけの荒涼とした地で、
   朝日が昇るころから日が沈む頃まで、岩場に座って、
   自分が本当にやりたいことは何か黙々と考え抜くのだそうだ。

   最初は誰でもネガティブなこと(やれない理由)を考える。
   教官から、上司のことも、リスクも不安も考えないようにしてくださいと指示が飛ぶ。

   すると、堰を切ったようにやりたいことが次から次に出てくる。

   高級料理をたらふく食べたいとか、リタイアして南の島で暮らしたいなど、
   欲求はどんどん広がっていく。

   教官は「ほんとにそれだけ?」と何度も聞き返す。

   そのうち、誰もが最後には同じ欲望に行き着く。
   それは「人の役に立ちたい」という欲望である。

   欲望は突き詰めていくと、最後は「人の役に立ちたい」に到達する。

   それは、日常に流されていては絶対見えてこない人間の真の欲望である。

   高次の自己実現欲望に近づけば近づくほど、「超意識」が射程距離に入ってくる。

  ②「ビジョン・クエスト」とは、「ビジョンの探求・ビジョンの旅」。
   日常から離れた時間を作って、「旅」のセッションを設ける。

  ③「ビジョン・クエスト」では自分の欲望を徹底的に追求していきます。
   ひとつの欲望が出たら、すぐさま「それだけでいいのか?」と問いかける。

   そうやって、より高い目標、より高次の欲望を見つけ出していくのです。

   最終的にどんな欲望に到達すると思いますか?
   それは「人の役に立つ」という欲望です。

(8)欲望に火をつける前に大切なこと。

  ①大切なのは「成功する!」という決意であり、そこにかける真剣さなのです。

  ②結局は自分自身のことをどれだけ大事に思い、認め、
   どれだけ愛しているかが問題なのです。

           <感謝合掌 平成27年12月20日 頓首再拝>

真理により恐怖心は消え、生理的苦痛も消滅する - 伝統

2015/12/27 (Sun) 04:42:38



          *「生活と人間の再建」第13章恐怖心を除くには(P170~172)より

《完全なる健康を得るには》


完全なる健康は人間の自然の状態である。
人間が自然そのままの状態にかえれば人間の健康は自ずから実現するのである。

思念の力が病気を治すなどと思ってはならない。
「病気はない」のであって、唯それは、怒り、憎み、嫉妬、心配、
持越し苦労、恐怖心などの反映にすぎないのである。

真理の言葉を思念するのはそれらの誤れる感情を静めて、
心を自然のままに戻すことになるのである。

つまり自分自身の心を説得して、それを自然のままに返らす所の思念である。
心の状態が自然に帰えれば、心の反映である所の肉体も自然そのまま健康になるのである。

応急的な物質的治療も無駄ではないが、
心を自然に戻しておかねば原因治療にはならないのである。 

神は生命(いのち)である。
従って神の自己実現である所の人間は生命そのものなのである。

病気とは生命の欠乏である。
死とは生命の欠乏である。
生命は病むことなく死することなきものである。

ただ生命(せいめい)のなき所に、光のなき所に、影の現れるが如く、
かりに現れているのが病と死にすぎないのである。

だから諸君の生命(せいめい)は決して病にあうこともできなければ、
死にあうこともできないのである。
この真理が理解されるならば恐怖心は自ら消滅するのである。


恐怖心が消滅すれば、恐怖心によって抑圧されていた所の生理作用は解放され、
順調な生理機能が営まれることになるのである。

かくて全身の凡(あら)ゆる器官、凡ゆる細胞、凡ゆる繊維は神の造り給いし
そのままの調和ある姿に於いて新生せしめられるのである。

神の生命があなたの全身を貫き流れている限りに於いて、
病気や不完全はあり得ようがないのである。
これを信ずる時、恐怖心は自ら去るのである。

恐怖は苦痛を伴う感情である。
多くの人生の苦痛は現実の痛さと云うものよりも、
結局恐怖心から起こる苦痛が大部分を占めているのである。

恐怖心がなくなれば、その大部分の苦痛はなくなり、
その上恐怖心が肉体に反映して生じている所の肉体の生理的苦痛さえも
消滅してしまうのである。

           <感謝合掌 平成27年12月27日 頓首再拝>

《難局に屈したとき「全智者」に振り向け》 - 伝統

2016/01/05 (Tue) 04:24:07

          *「生活と人間の再建」第13章恐怖心を除くには(P172)より

もしあなたが人生の解決し難き難問題に直面して未来の恐怖におそわれるならば、
自分でその問題を解決しようとする事なしにあなたの心を神の方へふり向けよ。
神と直通せよ。

神はあらゆる智慧をもっていられるのである。
神は凡(あら)ゆる解決法をもっていられるのである。
神に任せよ。

その全托の心境になった時、ぽっかりとあなたの頭に解決の途(みち)が浮かぶか、
誰かの深切な導きが起ってくるのである。


恐怖心が起っている限り、恐怖は不信の感情の現れであるから、
神の救いの波長が合わないのである。
だから真の解決は平和な心境になって神に任せることによって得られるのである。

神の子として、神の自己実現として神の完全さを表現しているのが人間であるから、
人間が真にそのままの状態になる時、不幸も災難も病気も問題もありえようがないのである。

恐怖心をすてよ。
そのままになれ。

「我れ神の子」と宣言せよ。
「我れ神の自己実現なり」と宣言せよ。

「神の名に於いて我れこのことを実現する」と
断々乎として自己の欲するものを強調せよ。

           <感謝合掌 平成28年1月5日 頓首再拝>

《無限なる者より『生命の泉』を求めよ》 - 伝統

2016/01/13 (Wed) 04:48:35

         *「生活と人間の再建」第13章恐怖心を除くには(P173~174)より

もしあなたがただ善のみの存在を信じ、善のみが存在の力をもち、善以外のものは
何ものをも自分に近づくことができないということを真に知り念ずるならば、
たちどころに恐怖心は去るのである。

恐怖心がなくなれば、そのままの姿が現れ、実相の完全さが実現する外はないのである。


ただ残念なことは、もっとも神の必要な時に、恐怖の影にかくれて神を見失ってしまう
人が多いということである。恐怖は扉の彼方に神をかくしてしまい、希望を失わしめ、
凡ゆる不幸と災いの暗黒なる鬼共を創造せしめるのである。

そしてヨブの云ったように「我が恐れたるものすべて我におそいかかれり」と
いうが如き苦難の状態を現出するのである。


どんな時にも我々は神の王座からすべりおりて恐怖心や心配にその王座をひきわたしては
ならないのである。恐怖や心配はただ幻の侏儒(こびと)共であるから、我らが毅然として
自己の王座を守るならば、何(いず)れもしばらく中(うち)に退散してしまうのである。

神の永遠の生命(せいめい)の泉に常に活力の源泉を求めよ。
神の無限の智慧の泉に常にあなたの生活の導きを求めよ。
自己の中(うち)に 神は宿っているのである。 

呼べば常にこたえたまう所に神はいたまうのである。 

『わが魂の底の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ』 
この言葉を数回唱えることによって、試験場に於いて恐怖心を克服して、 
忘れていた解答を想いだした学生もあるのである。 

その同じ言葉を数回唱えることによって、
ある工場の工員は重大な発明を完成したこともあるのである。

自分の中に無限の力が宿っているのである。神が宿っているのである。 
遠い所に求めることはいらないのである。 

自分の神性によびかけよ。 
『自己に宿るキリスト』によびかけよ。 
自己に宿る仏性によびかけよ。 

肉体を見るな。 
実相を見よ。 

今ここに大いなる神の生命(せいめい)が流れているのである。 
神の力が流れているのである。 
凡(あら)ゆる智慧と方法とは与えられているのである。 

ただその事実に目覚める時一切の恐怖は克服されるのである。

           <感謝合掌 平成28年1月13日 頓首再拝>

神に対して心を調律せよ - 伝統

2016/01/23 (Sat) 04:51:37

            *「幸福を招く365章」(P228)より

何事が起ってきても恐怖の旋風の中に巻き込まれる必要はないのである。

神はわれらの父でありたまい、神は愛でありたもうから、
どんな時にも、神を呼べば神は必らず護っていたもうのである。

神は、どんな不調和な中にも調和を、争いの中にも平和を、
病気とみゆるものの中にも健康を打ち建てたもうことができるのである。

併しそれが現実にあらわれるには、ラジオのように心の波長を合わすことが必要である。

常に、自分の心を神に向って調律せよ。

暇ある毎に5分間でも3分間でも利用して、眼をつぶり、

「自分は神と一体である。神は愛であるから、自分は常に神の愛に護られている」

と暫時思念することは、心の調律に大変よい。

           <感謝合掌 平成28年1月23日 頓首再拝>

恐怖を克服して不幸の根因を断つ祈り - 伝統

2016/01/31 (Sun) 04:59:10


          *聖経『真理の吟唱』(P244)より


人間はそのひとりひとりが神の自己実現としてこの世に生を受けたのであるから、
神の“無限”を自己のうちに包蔵し、それを実現することがその使命なのである。

わが希望することは神が自己のうちにありて、その実現を希望したまうのであるから、
無限力が自己の背後にあって、それを実現にまで推し出していられるのである。
だからわが願うことにして実現しない事は決してあり得ないのである。

私は、この真理を今一層深く知ったのである。
私は、今この真理を深く知ったがゆえに、決して私の希望が実現しないなどという
恐怖や不安に襲われることはないのである。

聖経『天使の言葉』には「恐怖滅すれば一切の不幸滅し」と示されているのである。
恐怖心を起(おこ)すものは、心に描いた恐怖すべきものを、
自分の念の力によって引き寄せ、それを実際に現実化するのである。

「旧約聖書」にあるヨブという聖者は実に立派な人であったが、
恐れたが故にいろいろの艱難と苦痛とに遭い、
「わが恐れたるところのものすべて我に襲いかかれり」といって嘆いているのである。

神は決してわれらに艱難を与え給うものでもなければ苦痛を与え給う方でもないのである。
艱難と苦痛とは決して神からきたらないのである。

それはみずから恐怖し恐怖によって恐るべきものを想像し、
その想像力が具体化して艱難や苦痛があらわれるのである。
これが、運命が人間に艱難や苦痛をもたらした“手品の種”であるのである。

今までわたしたちは“手品の種”を知らなかったから、
運命という手品師に騙されて、艱難や苦痛を、あるかの如く見せられて、
その渦中に巻き込まれて苦しんでいたのである。

しかし、今や私たちは、「人間は神の子であり、神は自己実現である」という真理を知り、
一切の悪や不幸は神がつくらないから本来存在しないものであるということを悟り、
艱難や苦痛を、あたかもあるかの如くあらわして見せたところの“手品の種”を
知ったのであるから、

もう運命という手品師は、私たちを誤魔化して、
本来存在しない不幸・病気・貧乏・争いなどと称する艱難や苦痛を、
あるかの如く現わして見せることはできないのである。

すでにわが前に一切の不幸は消えたのである。
すでにわが前に一切の禍いは消えたのである。
すでにわが前に一切の病いは消えたのである。
すでにわが前に一切の不調和は消えたのである。

われわれは皆神の子であるから、神の子同士が相争うなどということは有り得ないのである。
わが行くところすべては調和し、わが行くところすべての人々は悦びに満たされ、
繁栄は神の自己実現としてあらわれ、祝福の言葉と神を讃える声とに満たされているのである。

まことに今、ここにわが家庭に天国浄土が実現しているのである。

この真理を知らせ給いし神に感謝します。

           <感謝合掌 平成28年1月31日 頓首再拝>

恐怖を消滅する言葉 - 伝統

2016/02/08 (Mon) 04:35:44


         *日々読誦三十章経(十七日の経言<のりごと>)より

吾れは恐れない。
神はすべてであり給う。

神以外のものは何も存在しないのである。
神は善なるが故に悪は決して存在しないのである。

神は護り給う。
神は養いたまう。
神は吾れを抱きたまう。
神は吾れを愛したまう。

如何なる禍(わざわい)も吾れに来らず、
如何なる疫病(やまい)も吾が家には見舞わない。

神は吾が行くところに常にその天使をつかわしたまいて
吾れを看(み)まもり給うのである。

吾れは真理を自覚したるがゆえに自由である。
吾れは神と偕(とも)に人生の行路を歩む。

吾れは『善』と『真理』とのみを見る。
吾れはそのほかの何物をも見ないのである。

神は渾(すべ)てでありたまう。
吾れは終日(ひねもす)吾がたましいの内にかく叫ぶのを聞くのである―― 

吾れは心のうちに病いも貧しさも恐怖も考えない。
吾れはただ真理と愛と生命とのみを考える。

一切のものは神のものである。
吾れは神の子である。
それ故に一切のものは吾がものである。

神の力のみが実在する力である。
神のもち給う一切のものは吾がものである。

吾れ一切のものを神より承(う)けたるが故に、吾れは全てである。

吾が父なる神に感謝いたします。

           <感謝合掌 平成28年2月8日 頓首再拝>

心配事・不安の96%は起こらない - 伝統

2016/02/15 (Mon) 03:04:26

心配事・不安の96%は起こらないことが判明―アメリカの調査

          *Web:MZG2 NEWS ( 2016年2月1日)より

《心配の8割は起こらない》

さて、本日は意外に低い「心配事」が起こる確率のお話。

まあ、考え始めればキリがないわけで、
多くの人はいろいろぐずぐずめそめそ(?)思い悩んでしまいますよね。

でも、大丈夫。

その心配の8割は起こらない (^▽^)/ んだそうです。

しかも、残り20%のうち、16%は準備をしていれば避けられるもので、
結局のところ起こりうるのは4%のみ。

アメリカでの調査なんですが、どちらかといえば心配性の日本人ならもっと
「心配事が起らない割合」が高くなるかもしれませんね。


この結果からすると、96%の心配&不安は取り越し苦労 (^3^) ってコトです。
なんだか気が楽になりませんか。自分の人生だけを振り返っても、
実感としてもそのくらいの割合だなと感じます。

しかも、4%は「準備のしようがない」たぐいのものです。
つまり神ならぬ人間の身では、この出来事のためにやれることはなにもナイんですよ。

それなら心配しても仕方ないですよね?

準備のしようがないような出来事って、たとえば

・飛行機が自宅に墜落してきた
・史上最強の寒波が来てすべての交通機関が止まった
・お父さんとお母さんとお姉ちゃんとお兄ちゃんが順番に急死した
・公用語がアラビア語に変わって問題文が読めなくなった

……こんなカンジでしょうか。

これらのことが万が一起ったら、そんな不幸もたまにはあるさと
受け止めるしかないようなモノなんですよ。

こうやってみると、心配事のほとんどが実は悩み損なものなんですね。

http://www.mag2.com/p/news/143272

           <感謝合掌 平成28年2月15日 頓首再拝>

《本来完全なる実相世界のみの存在を知ること》 - 伝統

2016/02/24 (Wed) 04:31:36


            *『生長の家』誌(昭和41年12月号)の法語より

   恐怖・不幸・恐怖・不幸の悪循環を断ち切るためには、
   恐怖の原因になっているところの常に変易する 〃無常の世界〃 を 
   〃本来無い〃 と 〃心の世界〃 より消し去って、

   真に存在する世界は、唯、神の創り給える完全世界‘のみ’である
   と知らなければならないのである。

   この完全世界のみが実相世界であるから、
   この世界を吾々は実相世界と呼ぶのである。

   この実相世界は「一切の生物所を得て、争う者なく、相食む者なく、
   病む者なく、乏しき者なき」すべての生物扶け合い平和にして
   調和世界であって、病もなければ、奪い合もなく、乏しき者もない

   円満具足の極楽的状態の世界であり、この完全世界のみが実在だ
   ということを知らなければならないのである。

   一切の悪は無い、不調和はない、自分を脅かす何物も本当に存在しない
   のだと知るとき、根本的に恐怖の根因が断ち切られてしまうことになるのである。

 
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

           <感謝合掌 平成28年2月24日 頓首再拝>

危険に面して恐れざるものは遂に勝つ - 伝統

2016/03/03 (Thu) 03:15:43


           *「青年の書(第9章)」(P83)より

人間須(すべか)らく強者とならざるべからず。
強者となるには丹田にて呼吸せざるべからず。

踵にて呼吸せざるべからず。
常に頭は軽く腹部に力こもりて「地天泰(ちたいてん)」の姿勢を
保たなければならないのである。

地天泰の姿勢は、崩れざること泰山の如く、富岳の如く、氷山の如きである。

見よ、北極に浮かぶところの偉大なる氷山を。
彼はピラミッドの如く先は細く下部は広く豊かに海底に浮かびて
その八分の七は水中にあるのである。

重みのバランスが下部にあるが故に、いかなる波濤(はとう)も暴風雨も、
寸毫(すんごう)もこれを動揺せしめることはできないのである。

偉大なるかな下部の力。
臍下丹田の力。
腰の力。
踵の力。

更に偉大なるかな、目に見えざる潜在意識の底にある「吾神の子なり」の自覚の力よ。

           <感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>

恐怖・不幸の悪循環を断つ - 伝統

2016/03/11 (Fri) 03:55:51


           *「生長の家」(41年12月)より

恐怖心の起る根元は、この世に自分の存在又は幸福を脅かすところの何物かが存在する
という信念である。この信念を打ち破らない限りは、根本的には恐怖の根元を断ち切る
ことはできないのである。

ところが現象界の事物は、いわゆる”諸行無常”であって、
その存在は常に確乎としていないのである。
『今日あって明日無い』のが現象界の存在である。

どんな現象界の幸福も、肉体の健康も、それは常に変移し、破壊し、消えて無くなる
危険にさらされているのである。

現象の肉体だけを見ておれば人間はすべて死刑囚であって、
ある不定の期間だけ執行猶予されているに過ぎない。

このような不安定な肉体人間を『自分そのもの』だと思っている限りに於いて、
恐怖心を絶滅することは絶対に不可能なのである。

そこで恐怖心が存在する限り、さらに不幸を呼び寄せて、
連鎖反応を継続することになり、不幸は恐怖を呼び、
恐怖は不幸を招き・・・・・・・循環して終止することがないのである。

恐怖・不幸・恐怖・不幸の悪循環を断ち切るためには、恐怖の原因になっているところの
常に変易する”無常の世界”を”本来無い”と”心の世界”より消し去って、真に存在する
世界は、唯、神の創造り給える完全世界のみである、と知らなければならないのである。

この完全世界のみが実在であるから、この世界を吾々は實相世界と呼ぶのである。

この實相世界は『一切の生物所を得て、争う者なく、相食む者なく、病む者なく、乏しき者なき』
すべての生物扶け合いの平和にして調和せる世界であって、病もなければ、奪い合もなく、
乏しき者もない圓萬具足の極楽状態の世界であり、

この完全世界のみが實在だということを知らなければならないのである。

一切の悪は無い、不調和はない、自分を脅かす何物も本当には存在しないのだと
知るとき、根本的に恐怖の根因が断ち切られてしまうことになるのである。

    (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/20026461.html より転写)

           <感謝合掌 平成28年3月11日 頓首再拝>

《恐怖心のある所に不幸は来る》 - 伝統

2016/03/21 (Mon) 03:25:39


           *『生長の家』(昭和41年12月12日)の法語より

   或る人の説によると、恐怖心を起すと、
   その人から恐怖の雰囲気が発散される。

   その恐怖の雰囲気は或る種の獣類には一種の匂いとして感じられ、
   その匂いを嗅ぐとその獣類はその雰囲気を発する人に
   咬みつきたい衝動が起るのである。

   しかし信仰深く心気泰然としている人からは
   恐怖の雰囲気の匂いを発しないので
   獣類は咬みつこうとはしないのだというのである。

   旧約聖書の中では、ダニエルはライオンの檻の中に入れられたが、
   そのライオンはダニエルに猫のように狎れついて
   咬みつかなかったということである。

   日本でも沢庵禅師に同じようなことが起ったということが
   伝えられているのである。

   獣類だけでなく、全ての 〃不幸〃 は
   恐れる人の処へやって来て咬みつくのである。 

   日本の諺に言う「泣き面に蜂」 とはこの事である。 


   〈谷口清超氏訳・マン女史原著
    『恐れなき生活』 四五○圓 〒70円参照〉
 
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783


           <感謝合掌 平成28年3月21日 頓首再拝>

「死ぬとき」は、苦しくない - 伝統

2016/03/30 (Wed) 04:22:47


           *「上気元」斎藤一人・著(P98~101)より

人を不安にさせるものに、「死」があります。
人は死ぬのが恐い。
死ぬときが恐い。

だから、いろいろ心配するんですよね。
「死にたくないな・・・」とか、「苦しかったらイヤだな・・・」とか。

だけど、死ぬときって、苦しくないんですよ。

車かなんかバンとぶつかって、「う~」って苦しんでいるとしますよね。
そういう人にケガが治ってから、「ぶつかったとき、どうでした? 」と
聞いても、ぜんぜん覚えていないんです。

そのとき、いくら苦しんでいたって、当人は覚えていない。
意識がない。

死ぬときも、意識がありません。
苦しくないんです。

(中略)

何も考えないまま、意識がなくなるんです。
だから人間っていうのは、死ぬときは何も考えらないの。
そのまま死んじゃうようになってるんです。

死ぬときは事故だろうが、病気だろうが、恐くないんですよ。

「死の恐怖」というのは、実は「想像の産物」なんです。
「どんなに苦しいだろう・・・」と考えるから不安になるけれど、
実際は苦しくありません。

だから安心してくださいね。

           <感謝合掌 平成28年3月30日 頓首再拝>

恐怖心の克服 - 伝統

2016/04/07 (Thu) 04:51:56


         *「生活と人間の再建」(P266~267)より

かかる残忍なる社会的経験、倒産、実業に於ける失敗等は
時として我々を神経的恐怖症に冒さしめることがあるものである。
名状しがたき恐怖心に苦しむことは実に耐え難き苦しみである。

或る人の如きは郵便配達夫がその人の家に来るだけでも殆(ほと)んど心臓の鼓動が
止まる思いがする。足音毎に何か暗いニュースを書いた通知や手紙を持って来やしないか
と云う恐怖が起って心臓の鼓動が止まって了いそうになるのである。

その最も有効なる救治策は、神に就いての真理を、
「神はわが護り、わが力、全能の神われを護りたまうが故に我は如何なる時にも安全である」
と思念しつづけることによって得られるのである。

神の護りこそは何よりも一層強力なるものなのである。

人によっては生まれつきの性格の弱さの犠牲になっている者もあり、
そのために異常な強迫観念で苦しみ者もあるのである。

それらには普通ならば逃れる道はないのである。
併し勝利の道はないことはない。

神を思念し、神を護りとすることである。

そして自分の性格の習慣的な弱さに対して
それを克服しようと戦いを挑まない方がよいのである。

我々は我々自身の弱さと戦いを開くことに依って
勝利を得(う)ることは到底出来ないのである。

弱さを思念するよりも、我々を護りたまう神の強さを思念するならば、
弱さの観念は去り、強さの自信がわいて来るのである。


総(すべ)ての恐怖と失敗の原因は、神との一体感の欠乏、
又は神の性質(愛他)がわが内に欠乏せるに依るのである。

それ故にその救治法は明らかである。

愛他の心を深く起こし、自己を挺身して他(た)を救う心になることである。
自己を護る心は恐怖心の原因になるのである。

そして「神の愛われに流れ入りてわれを満たしたまう」と念じて、
自己の内に欠乏せる所の神の愛を自己の内に満たせばよいのである。

           <感謝合掌 平成28年4月7日 頓首再拝>

《恐怖なければ病気なし》 - 伝統

2016/04/15 (Fri) 03:24:07

           *「幸せは今ここに」北尾巳代次・著(P50~53)より

伝染に対する恐怖と、嫁姑の軋轢(あきれつ)の中で、私は窒息しそうな日々を送っていた。
そんなある日、たまたま私の店に買い物に来れてた長井運男という医師から、
『いのちのゆには』『吾が心の王国』という2冊のパンフレットを頂いたのである。

この2冊のパンフレットは、私の心に希望と悦びを与えてくれた。
引続いて私は『生命の實相』を拝読した。
読むに連れて私の感動は高まり、私の歪んだ人生観が革命されました。


「病気は無い。黴菌は無い。結核は無い」 

何と言う大胆な宣言であろうか。
「恐怖なき者には不幸は決して近付かず」──私は次第に楽天的になり、
不安恐怖の念は次第に薄れて行った。

 
当時出版せられて板『生命の實相』全15巻を私は妹の枕元で昼も夜も熟読し続けた。
こうして数ヶ月経過する間に奇跡を現し始めたのである。

妹の心の中に何か大きな感激の渦が巻き起っているということに気付いてはいたが、
やがて肉体的にもその激しい苦痛が次第に緩和し始めて、あれほどひどかった咳や痰も
次第に回数を減じ、食欲は日に日に増加し、体力の充実が目に見えて感じられるようになった。

「治癒するかもしれない、否、治癒するに決まっている。
今、神の癒やしが厳粛に行われつつあるのではないか」

『生命の實相』第4巻)(頭注版・携帯版の第8巻)に示された方法で
私達は神想観を繰返し、繰返し実行させて頂いた。

目を閉じれば輝く太陽の如きものが、妹の全身を包むような法悦を感ずる。
長い間否定し続けてきた神の実在が理屈なしで頷(うなず)ける。

嬉しい、有難い、なんとも形容の出来なぬ悦びの感情が、
暗かった家庭の表情を僅かの期間に変えてしまったのである。

そんなある日、私は伏見の稲荷神社に参拝した。
そして山の中腹にある伏見神社の社前で跪(ひざまず)いていた時だった。
一羽の白鳩が、祭壇の上にこぼれていた豌豆(えんどう)を食べるのを見た。
鳩は5粒も食べた。私はその時ふと感じた。

「この鳩は、この固い生の豆を丸のみしても胃病を起さないではないか。
それなのに、私は御飯をわざわざ柔かく炊いて、その上ドロドロになるまで噛んで食っている。
それなのに消化不良で痛みや下痢が起るのは、何故だろう。

鳩の胃も、私の胃も、どこに変りがあろう。
──恐怖心だ。私が食事をする時に恐怖し過ぎるからである。恐怖がなければ病気は無いのである」

私はその時、僅かながら悟った。
小さな悟りであったが、一つのいわゆる良識を超えたのである。
何か胸の中につかえていたものがスカーッと降りたような感じだった。

私は帰宅して早速その晩、スキヤキで夕飯を腹一杯食べた。
そして、不思議にも私の慢性下痢と腹痛はそれきり消滅してしまったのである。

この体験は私に大きな自信を与えてくれた。
私はもう、妹の病気を怖れなくなった。
それは昭和15年の終りであったと思う。入信6ヶ月目のことである。

ある日私は妹にこう言った。

「人間は神の子だね。神の子には病気は無いのだね」

「ハイ、それでは今日限り病人を廃業します」

妹は実に素直に私の忠告に従った。

考えてみると随分乱暴な話であり、また行為でもあった。
これが実相直視である。と後になって気が付いたが、その時には言っている私にも解からない。

ただその強い言葉が自然に出て来たと言っても良い。
この言葉は病人を指導する際にしばしば発することがあるが、素直に実行する人は極めて少ない。

大抵の人は恐いのである。
何かに縋りついていないと生きていけないように怖れているのである。

聖経の中に“恐怖なき者には不幸は決して近づかず”とはっきり示させているが、
まことに無恐怖こそ人生の勝利の源である。

私の妹はこの時、「ハイ」によって肉体人間の意識から神の子人間の意識に飛躍したのである。
まもなく健康を回復して、本人の希望により大和郡山の市役所に奉職し、溌剌とした生活の中に
娘らしい幸福を満喫して一日も休むことなく勤めた。

それは約2年続いた。私は妹の体験を通して、生長の家の真理の偉大さに仰天した。

当時私は結核療養所の松籟(しょうらい)荘に薬品を納入していた。
私はその病室を回って妹の体験を話し、「人間神の子、病気なし」の真理の宣布に夢中になった。
そして沢山の患者がこのみ教えに触れ、社会に復帰してくれたのである。

           <感謝合掌 平成28年4月15日 頓首再拝>

恐怖心を無くする2つの条件  - 伝統

2016/04/25 (Mon) 03:26:13


           *『生活と人間の再建』第13章(P165)より            

恐怖を征服するための第一必要なのは肉体に及び、自分の環境に起る出来事は、
悉く自分の想念の反映であるという心の法則を知ることである。

第二には人間というものは肉体的存在ではなく、神の自己実現であり、
それは金剛不壊なる霊的実在であって、決して如何なる外物にも
傷つけられることもなきものであるということを信ずることである。

病気や不幸が存在するという信念がただ健康と幸福のみが実在するという信念にまで
おきかえられるならば、恐怖心の起こりようがあり得ないのである。
結局恐怖心は信念の欠乏だということができるのである。


真に完全なる健康と完全なる幸福とを確保する道は、
吾々の心の世界からまず恐怖心を追放し、幸福と歓喜と健康と富と
凡(あら)ゆるよきものの想念を心の中に確保することなのである。

もしかかる善念のみを心の中に確保してどこまでも持続することができるならば、
実相無限の神の宝庫は開かれて健康でも幸福でも富でも自由に豊かに現象界に
流れ出ることができるようになるのである。

           <感謝合掌 平成28年4月25日 頓首再拝>

Re: 恐怖心を追放するには① - mwmindjhbwMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:15

伝統板・第二
[url=http://www.g6b23q6720q5gkxy82p4hoct553a30nes.org/]umwmindjhbw[/url]
<a href="http://www.g6b23q6720q5gkxy82p4hoct553a30nes.org/">amwmindjhbw</a>
mwmindjhbw http://www.g6b23q6720q5gkxy82p4hoct553a30nes.org/

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