伝統板・第二

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すべてに感謝!① - 伝統

2015/04/10 (Fri) 04:39:38

*光明掲示板・伝統・第一「すべてに感謝! (49)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=31

・・・

「ありがとうの応援合戦ができる

      *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P12~17)より


私の知人の若者が、台風で被害を受けた家を片づけるボランティアに参加しました。

彼はこれまで、積極的にボランティア活動に取り組んでいたわけではありません。
友人に誘われるままに、軽い気持ちで参加してみたのです。

はたして活動現場に行って、彼は息をのみます。

「なんなんだこの景色は……それに、この強烈な臭い―」

とにかく一面の泥で、家も畑も森もどす黒く覆われています。

その泥には溢れた下水と汚水とがまじり合って、糞尿の臭いがぷんぷんしてしています。

被害を受けた住人が大切に使ってきた家具や、
思い出いっぱいのアルバムもその泥の沼にまみれています。

「ああ、これは、なんとしても他人の俺たちがやらなくちゃ……」

彼は、腹を据えます。

被害者が自分たちで片づけるには、悲しすぎる状況だと思ったそうです。
それからの彼は、炎天下のなか、早朝から夜遅くまで、復興作業に没頭します。

泥がぎっしり詰まったタンスは、男二人の力をもってもびくともしません。
そうしたものを根気強く運び出しながら、汚れた道具類や衣服も洗って乾かしていきます。

どう見たって使える状態じゃないランドセルが出てきたときも、
出来る限りきれいにして家の人に返しました。

すると、それを見た家の人は号泣します。
そのランドセルは、おじいちゃんが孫のために買ってあげて、
孫も大事に使っていたものだったそうです。

「ありがとう、本当にありがとう!」

 活動している間、彼は何度この言葉を受けたかわからないといいます。

しかし、彼はこういいました。

「いや、こっちこそありがとうといいたいです。みなさんが感謝してくれるだ
けで、疲れも知らずに働けましたから」

じつは、家にいるとき、彼は母親から年中、怒られていました。

「少しは自分の部屋をきれいにしなさい!」

自分の部屋の掃除は何度いわれてもできないのに、
見知らぬ人がありがとうといつてくれるだけで、
驚くほどの片づけ作業をこなすことができました。

彼は、そこに自分の使命を見つけることができたのです。

使命を見つけたとき、人はエネルギーをどんどん循環させることができます。

だから疲れません。

疲れとはエネルギーが滞るから起きるのであり、
エネルギーが回っていると疲れるどころか、気力もどんどん満ちてきます。


ありがとうという言葉には、

エネルギーを循環させてしまう、ものすごいパワーがあるのです。


あなたは「ツール・ド・フランス」という自転車レースを知っていますか?

その大スター選手に、ランス・アームストロングというアメリカ人がいます。

彼の感動的なエピソードを紹介しましょう。

ランスはもともと強い選手ではあったのですが、
ヨーロツパ勢が中心のレースにおいて、アメリカ人選手は歓迎されません。

しかも、彼は若くして進行性の癌(がん)におかされてしまいます。

「ああ、もうランスはおしまいだな」

ほとんどのスポンサーが離れていくなかで、
ナイキと、サングラスメーカーのオークレイは変わらず彼を励まします。

「大丈夫だよ、ランス。一緒にがんばろうよ」

それでも、彼が受けたショツクは相当のものでした。

「これだけ鍛えてきた僕でさえ、ガンにかかると精神的にもこんなに苦しいんだ。
ましてや子どもだったら、どんなに大変だろう……」

そう考えた彼は、その日から

世界中の小児がんの子どもたちのために走ることを決意します。

レースで得た賞金も、小児がんの治療や研究のために寄付することにしました。

進行性のガンがいつ自分の命を終わらせるかわからないけれど、
最後まで走る姿を子どもたちに見せよう……。

するとどうしたことか、健康であったときにもできなかったほどの、
きついトレーニングができてしまいます。

それまでは、自分の記録のためだけにトレー二ングしていたけれど、
今度は、使命があるからできるのです。

そして、ありえないような奇跡が本当に起こります。

結果的に彼は、ガンに冒されているにもかかわらず、以前よりも強くなって連戦連勝します。
しかも、なんと医者から見放されていたガンもみるみる治ってしまうのです。

そんな力がいったいどこにあったのか?

「ありがとう! ランス!」

ランスが走るレースのロード沿いには、車椅子に乗った闘病中の子どもたちが、
必死で旗を振って応援してくれています。

「ランス! ありがとう、ありがとう!」

この応援に対して、ランスはきっと心の中で叫んでいたと思うのです。

「こちらこそ、ありがとう!」

まさにありがとうの応援合戦をしていたはずです。

ありがとうの応援合戦ができたとき、人はもの凄い力を発揮します。

その時のランスは、もちろんナイキのウェアを着て、オークレイのサングラスを
かけていましたが、本来、風の抵抗を考えてヘルメットの中に入れる
サングラスのツルの部分を、あえてヘルメットの上に出していました。

自分の使い勝手よりも、ガンになった自分を見捨てず励まし続けてくれた
数少ないスポンサーに対する、彼の精一杯の感謝でした。


子供たちの目にも、そんなランスの生き様が、はっきりと焼き付いたはずです。

そのランス・アームストロングは、世界一苛酷なツール・ド・フランスで
前人未踏の7連覇を成し遂げたのです。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278    

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「すべてに感謝! (10537)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2021

(3)「光明掲示板・第三」内スレッド「すべてに感謝! (32)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17


           <感謝合掌 平成27年4月10日 頓首再拝>

「条件なしのありがとう」をいえる幸せ - 伝統

2015/04/18 (Sat) 04:17:43

      *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P18~22)より


私は小さい頃から、ありがとうという言葉の効果について教えてもらっていました。
私の父は脳外科医でしたが、とにかくよくありがとうをいうのです。

手術というのはどれもハードなものですが、脳外科の手術はとくに緊張を強いられます。
患者さんは、前もって手術の予定が立っていた人ばかりではありません。
脳内出血など一刻を争う状態で運び込まれる人も多くいます。

そうした患者さんの頭を開けて複雑な血管を繋いだりと、
繊細かつ集中力が要求される手術が多いので、邪心が入っては患者さんの命に関わります。

そこで、父は手術の前に、患者さんに頭を下げるそうです。

「ありがとうございます。手術をさせていただきます」

そして、その日の手術に参加するスタッフ全員に向かって、

「この手術のために、みんなの力をありがとうございます」

といいます。

スタッフもまた、「ありがとうございます」と返してくれます。

そうやってみんなで感謝し合うことで、気持ちが一つになって手術に臨めるのだそうです。

みんなで「ありがとうシャワー」を浴びているんですね。
邪心を洗い流すシャワーです。


手術が終わった後にも、やはり、ありがとうシャワー。

「手術をさせていただきました。ありがとうございます」
「みんなのおかげで無事に終わりました。ありがとうございます」

こうして手術の前と後にありがとうのサンドイツチをするのだそうです。


普通は、物事が終わった後にいうことが多いありがとうですが、
最初に言う方が脳科学的にもいいそうです。


ありがとうをいったことで幸せになった脳が、
筋肉の余計な緊張を取ってくれるので、無心で手術に臨めるのです。

患者さんに対して、ありがとうと言う父を見て、幼い頃の私は不思議に思っものです。

「どうして、患者さんにありがとうなんていうの? 
普通は患者さんや患者さんの家族のほうから、
お医者さんにありがとうって言うんじゃないの?」

こうたずねる私に、父が教えてくれたのです。

「あのね。患者さんは、大切な命を僕に預けて手術をさせてくれているんだよ。
いくら感謝してもし足りないくらいじゃないか」

考えてみれば、
患者さんが一方的に感謝をしなければならないなんておかしい話です。

そこには、医者と患者という上下関係ができてしまっています。
上下関係のあるところに、本当の感謝は生まれません。


これは、お店の店員さんとお客さんの場合も同じですし、
ちょっとしたお礼を交わし合う場面でも同様です。


「(こんなにお金を落としてくれて)ありがとうございます」
「(注文してくれて)ありがとうございます」
「(ハンカチを拾ってくれて)ありがとうございます」
「(道を譲ってくれて)ありがとうございます」

すべて、条件がついたありがとうになっています。


私たちが日頃、口にしているありがとうは、ほとんどが「条件つき」なのですが、
条件なしのありがとうが言えた時の幸せって、凄いものがあります。


誰かに何かをしてもらったからではなく、
その人が存在してくれることにありがとうといえる。
そんな人に出会えたことも幸せなら、そんなふうに人を大事に思える自分はさらに幸せです。

条件なしのありがとうがいえるとき、私たちはまさに自由の境地にいるのです。

毎朝、出かける前に、宇宙に向かってありがとうを言ってみましょう。

「ご先祖さま、今日も見守ってくださりありがとうございます」


その日に会うことになっている人たちにもいってみましょう。」

「みなさん、今日も私とともにいてくださり、ありがとうございます。」

その日に、何が待っているかなんて、クヨクヨ思い煩らわずに、
まず先にありがとうを言ってしまう。

これで、緊張がすっと解け、仕事も人間関係もスムーズにいくはずです。

そして帰ってきたら、また、ありがとうです。

「ご先祖さま、今日も無事に過ごす事ができました。ありがとうございます」

「みなさん、共にいてくださってありがとうございはす」


いいことをしてくれたから感謝するのではなく、まず最初に感謝をする。


自分の毎日を感謝という甘いジャムでサンドイッチする。
そんな習慣が、あなたを幸福体質に変えてくれるのです。

           <感謝合掌 平成27年4月18日 頓首再拝>

難事に対して感謝する意義 - 伝統

2015/04/24 (Fri) 03:36:39


           *「女は愛の太陽だ」(P111~112)より

黒住教祖・黒住宗忠が「難有(なんあ)り難有(ありがた)し」と一難来るごとに
感謝するよう教えられたことは非常に意味が深遠であるのである。

すべて心の世界に、不可視のままに蓄えられたるエネルギーはそれが具象化 ――
即ち象(かたち)を具えてあらわれて来たときに内在のエネルギーは消滅するのである。

それはあたかもガソリンの中に蓄えられているエネルギーは自動車の走行という象に
あらわれた時に消滅するのと同じことである。

難事が起って来るのは過去に蓄積されたる「不浄な又は攻撃的な精神」のエネルギーが、
眼に見える運動として自己に向けて具象化して来て消えつつあるのであるから、
それを祝福し、それに感謝するとき、その種の難事の起こる精神的原因(業<ごう>)が
消えて、再び難事が起らなくなるのであるからそれに感謝せよというわけである。

難事にすら感謝することができるようになったら、此の世に悩むべき何事もなくなる
のであるから、その人の住む世界は天国となるのである。

難事にすら感謝するという事には更にもう一つの深い意義があるのである。
私たちは今まであまりにも、事物を外見によって判断してその意義を問い善悪を
定める習慣をもっていたのである。

生長の家では現象はすべて仮相であって実相ではない。
仮相を実相(じつのすがた)と思い違えてはならないと教えられているのである。

難事に際して「有り難し」と感謝することは、どんな現象の奥にも、
「善なる実相」が存在することを心の眼で観る修行をすることになるのである。

そして実相の完全さは、観ずることによって顕われるのであるから、
どんな難事の現象に対しても、その奥にある”善”を観じつづけるとき、ついに
その奥にある善があらわれ、現象そのものと完全なる実相の延長となって来るのである。

           <感謝合掌 平成27年4月24日 頓首再拝>

自分で自分に、無条件のありがとうをいおう - 伝統

2015/04/30 (Thu) 03:50:37

      *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P23~28)より


感謝っていったい誰に対してするのでしょうか。


親? 恋人? 友人? 神さま? 

感謝できる対象が多い人ほど、幸せなのは間違いありませんが、

でも「自分に対する感謝」が抜けていてはいけません。


誰に感謝するよりも、

まず感謝すべきは、自分に対してなのです。


考えてもみてください。

自分の存在に感謝できない人が、

他の人に心から感謝するなんてできるはずもありません。


先に述べたボランテイアの若者にしても、ランス・アームストロングにして
も、自分の今の幸せに感謝しているのです。

それが結果的に他の人も幸せにできるから、
そこに「ありがとうの応援合戦」が生まれます。


日本には昔から「犠牲」を讃美する精神があり、
なかなか「自分のために」といいにくい風潮があります。


「私が不幸になっても、子供が幸せになるなら、それでいい」

会社で僕さえ我慢していれば、まるく収まるんだ!


でも、これは絶対におかしい。


お母さんが不幸で、幸せな子どもなどいませんし、

誰か一人が我慢して、他の人が喜んでいる会社に未来はありません。


私たち人間は、
自分の幸せと、まわりの人の幸せの両方を考えながら
生きていく存在なのです。


「自分はどうなってもいい」という考えは、
一見、慎ましやかなようで、実は、とても傲慢なのです。


「私が幸せにならなければ、周りの人も幸せになれないんだ」
ということを忘れてはいけないのです。



ただ、勘違いしてほしくないのは、
自分に感謝することと、自分で自分を褒めるということは違います。


「よく頑張ったね」こうして自分を褒める時、そこには、
「褒めてあげる自分」と、「褒められる自分」が存在します。

つまり自分のなかに上下関係をつくってしまっているのです。

そうではなくて、
「頑張った自分にもありがとう」
「頑張らなかった自分にもありがとう」
無条件に自分にありがとうを言っていいのです。

良いとか悪いとかジャッジをしないで、
ありのままの自分に感謝しましょう。



健康なあなたもすごいし、風邪をひいたあなたもすごい。
そのどちらにも感謝することが重要です。



風邪をひくと鼻水も出るし、喉は痛いし、頭までぼーっとして
不快ですよね。

さらに風邪の後半になるとせきが止まらなくなります。

よく眠れなエネルギーを使ってくたくたになります。


でも、それらは全部、悪いものを自分の体の中から出してあげようという
身体さんの素晴らしい働きによるものです。


鼻水にもありがとう。
せきにもありがとう。
そして、せきをしている自分にもありがとうなのです。



「自分に感謝をしてあげたいけれど、そんな自信が持てない」

こんな気持ちになってしまう人は、きっと真面目な人なのですが、
どこかで自分を決めつけているのです。



一つ、大切なことを覚えておいてください。

それは、「自分か自由であることの本質は、変化にある」ということです。


いかにもあなたらしい行動を繰り返すことが、
あなたがあなたであるということではありません。

「あの人は、いつもきちんとスーツを着ているね」

こういわれている自分でいることが、あなたらしいことではありません。

逆に、短パンをはいたり作務衣を着たり、どんどん変化していくことこそ、
あなたがあなたであるということなのです。


変化がなければ、凡てがよどんでいきます。


赤血球は120日で新しくなりますが、もしこの変化がストップしたら、
血液も体液もめぐらなくなり生命を維持することはできません。

あなたは、自分をどんどん変化させることによって、
あなたでいることができるのです。


自由の本質は変化です。


休日もネクタイをしていなければ落ち着かないワーカホリツクなビジネスマンや、
1年中ジャージで過ごす無気力なニートなど、行き詰まっていく人はみんなワンパターン。


「クローゼットを見ると、その人がわかる」とよくいいますが、

あなたのクローゼットはいかがですか? 

同じような服が並んでいることが多いのではないでしょうか?

「私は、こういう服が似合うタイプだから」
「僕は、紺とか落ち着いた色でないと似合わないから」
こんなふうに、自分で決めつけていませんか?

せめて、休日には、今まで考えてもみなかったような服を着てみましょ
う。

真っ赤なTシャツ、破れたジーンズ、和服や作務衣……。

男性だったらネックレスにチヤレンジしてもいいですね。

仕事の都合で髪を染めることができない女性なら、
休日に金髪のカツラをかぶったっていいんです。

「あれ、案外、似合うじゃない」
「こういうのも意外と楽しいかも」
それが本当のあなたらしさなのです。

そして、そんな変化を許せた自分に、すかさず
ありがとうを言ってください。

           <感謝合掌 平成27年4月30日 頓首再拝>

《感謝はあなたを健康ならしむ》 - 伝統

2015/05/06 (Wed) 05:01:23


        *『 生長の家 』(昭和26年4月25日の法語)より

毎日自分の身体に感謝せよ。
それを物質として感謝するのではなく、神の「 霊身 」 として、
神の霊がわが肉現として顕(あら)われましますとして感謝せよ。

瞑目して 自己の頭髪に感謝せよ。

脳髄に感謝せよ。
脳髄が常に若くその血管が柔く弾力があり、
判断力も記憶力もいつまでも優秀であることに感謝せよ。

自己の眼(め)が神様の眼であり、神の創造の美しさを
神自身 見たもうための器官であることを感謝せよ。

自己の耳が神様の耳であり、神の創造せる妙(たえ)なる自然の言葉を
神自身 味いたまうための器官であることを感謝せよ。

かくて鼻に感謝し、口に感謝し、すべての内蔵に感謝するのである。


  ( http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12241704.html )


           <感謝合掌 平成27年5月6日 頓首再拝>

モノにもありがとうを言ってください - 伝統

2015/05/12 (Tue) 04:09:11

      *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P33~36)より


感謝の言葉を述べる対象は、生きているものに限りません。

ちょっとまわりを見渡せば、
あなたのために働いてくれているものがたくさんあります。

服、靴、鞄… 、それらは自分で選んで買ったものかもしれませんが、
あなたの生活に合わせて一生懸命働いてくれているのです。

「まずい、会社に遅刻しちゃう―」

あわてて駅まで走っていくことがありますね。
足を動かしているのはあなたでも、地面を必死で蹴ってくれているのは靴なのです。
服も激しい動きに合わせて、あっちが伸びこっちが伸び、大変です。

鞄だって、振り回されながらも必死にあなたの持ち物を守ってくれています。


「モノには命はない」なんて思わないでください。

たとえば、ノートだってちゃんと生きています。
紙はもともと木から材料を抽出しています。
ノートには、ちゃんと植物としての波動があるのです。

それを知れば、乱暴に引き裂いたり、放り投げたりすることはできないはずです。


一流の職人さんは、みんな道具を大事にします。

板前さんなら、包丁の手入れはもちろんのこと、
鍋などの道具もピカピカに磨き上げます。
その道具があってこそ、自分がいい仕事ができると知っているのですね。

スポーツ選手も同様です。

イナローが道具をとても大事にしているのは有名な話ですし、
引退した新庄剛は一つのグローブを修理して使い続けました。

彼くらいになれば、スポンサーからいくらでも新品を提供してもらえます。
しかし、彼がそうしなかったのは、
モノヘの感謝のパワーを知っていたからではないでしょうか。

そして、だからこそ、あそこまで成功を収めることができたのでしょう。


私には医師の知り合いがけっこういますが、彼らの多くが言うには、
薬を飲む時の気持ち次第で、その薬の効き目が違うのだそうです。

「先生、かなり調子がよくなってきました。この薬、効きますねえ」
と言って飲む人には、本当によく効く。

「こんなもの飲んだって変わりゃしないでしょうが」
と、ふて腐れて飲めば、ほとんど効かない。

なぜ、こうした事が起きるのかと言ったら、
それは私たちと薬の間に、いい波動が生まれるかどうかによるのです。


私たちは生きていないものを、ただの物質、塊だと思ってしまいがちですが、
どんなものにも波動があります。
すべての原子に、それぞれ固有の振動数があるからです。


モノを大切にしない人、モノに感謝できない人は、
モノと自分との間に邪気とでもいうべき悪い波動を生んでしまうのです。

これから薬を飲むときには、
ありがとうを言ってから飲んでみてください。

「この薬を飲むことで、私は元気になる。薬さん、ありがとう」

「お腹の具合が悪かったけれど、この薬のお陰で快調になる。ありがとう」

この一言で、今までとは効き日が違ってくるはずです。


そもそも、食事前にいう「いただきます」の意味を、ご存じでしたか?

「あなたの命を、私の命に変えさせていただきます」
という意味なのです。

ついさっきまで、海の中で悠々と泳ぎまわっていた魚たち。
その命を私たちの命に変えさせていただくのが食事なのです。


薬にもお米にも命がある。

それを、自分の命に変えさせていただくつもりで感謝してください。

           <感謝合掌 平成27年5月12日 頓首再拝>

【感謝の思いを自分に課す】 - 伝統

2015/05/17 (Sun) 04:35:06


            *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月02日)」より

   (稲盛和夫氏の心に響く言葉より…)

   「禍福(かふく)はあざなえる縄(なわ)のごとし」ということわざがあります。
   どういうことかというと、よいことと悪いことが織りなされていくのが
   人生というものです。

   だからよいにつけ悪いにつけ、どちらの物事にも、
   感謝の気持ちを持って生きることです。

   福がもたらされたときだけでなく、
   禍(わざわい)に遭遇したときもまた、ありがとうと感謝する。

   しかし、そうはいっても、晴れの日にも雨の日にも、
   変わらず感謝の気持ちを忘れないということは、至難の業(わざ)です。

   たとえば災難にあう。
   これも修行だと感謝しなさいといっても、なかなかそんな気にはなれません。

   むしろなんで自分だけがこんな目にあうのかと、
   恨(うら)みつらみを抱(いだ)くのが人の性(さが)というものです。


   かといって物事がうまくいったとき、幸運に恵まれたときに、
   感謝の気持ちが生まれてくるのかといえば、これもそうではありません。

   よかったらよかったで、当たり前だと思う。

   それどころか、「もっと、もっと」と欲張るのが人間というものです。


   必要なのは「何があっても、感謝の気持ちを持つ」のだと
   心に刻んでいくことです。

   感謝の気持ちが湧き上がってこないときでも、
   とにかく感謝の思いを自分に課す。

   困難であれば、成長させてくれる機会を与えてくれてありがとうと感謝し、
   幸運に恵まれたら、なおさらありがたいと感謝する。

   そう思えるような感謝の受け皿を、
   意識的に自分の心に用意しておくようにします。


   感謝の気持ちを持てれば、どのような場面でも、
   満足感を味わうことができるようになってくると思います。

   そしてどんなに辛くても、常に明るい気持ちで
   理想を掲(かか)げ、希望を持ち続けましょう。

   人生は素晴らしく、希望に満ちています。

   不思議なことですが、人生がうまくいっている人は明るい心を持っています。

   不平不満を言ったり、人を恨んだり、憎んだりしては、
   決して素晴らしい人生を歩くことはできません。

   誰にでも明るい人生が開かれているはずです。

   まずはそのことを信じ、誰にも負けないような努力を重ねていけば、
   必ず素晴らしい未来が待っていると思います。

          <『考え方ひとつで人生は変わる』PHP研究所>

               ・・・

安岡正篤師の言葉に「心の健康三原則」がある。

一つ目が、心中常に喜神を含む

二つ目が、心中絶えず感謝の念を含む

三つ目が、常に陰徳を志すこと


「喜神を含む」とは、どんなに苦しいことがあっても、
心の奥の方には陽気で明るい気持ちがあること。
神とは心の奥深くにある根本的なものを指す。

「心中絶えず感謝の念を含む」とは、
何につけても感謝の気持ちを持つこと。

「常に陰徳を志すこと」とは、人知れず良いことをすること。
人の喜ぶことをすること。


この三原則の根本にあるのは感謝だ。

感謝の心があるからこそ、喜神を含むことができるし、陰徳も積むこともできる。


「感謝の思いを自分に課す」

どんなときも、感謝の思いを自分に課したい。

           <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝>

感謝油 - 伝統

2015/05/23 (Sat) 03:55:19


          *「人生読本」(P103~104)より

《新発売、心に塗る油》

心に塗る油の一種は「感謝油」と申します。
また、「朗(ほがら)か油」という名前の油も売り出されております。
また「愛の油」というのもあります。

どこに、そんな心に塗る油を売っていますか。
よそを探ねるにはおよびません。あなたの心の中に売っているのですよ。
あなたの心の中を掘ればどれだけでも滾々(こんこん)と湧き出て来るのです。

感謝の油は、どういう動力で汲み出すかと言うと、
「ありがとう」という言葉の力で汲み出すのです。

なんでも、「ありがとうございます」という言葉を心に思い、また口に出すのです。
ただ「ありがとう」とさえ思えば、その思いは「心」を潤(うるお)す油となって、
人と人との摩擦はなくなり、不平は無くなり、物事は順調にゆくようになります。

           <感謝合掌 平成27年5月23日 頓首再拝>

【ありがとうと、いわれるように、いうように】 - 伝統

2015/05/29 (Fri) 03:27:47


           *メルマガ「人の心に灯をともす( 2015年05月16日 )」より

   (伊那食品工業会長、塚越寛氏の心に響く言葉より…)

   感謝の気持ちを持つことが大事なのは、誰もがよくわかっていることと思います。
   感謝を感じたら、相手に対してきちんとお礼の言葉を発するべきです。

   伝えることによって、お互いに気分がよくなり、
   良好な人間関係を構築することができます。

   また、感謝をして、その気持ちを言葉に表すだけにとどまらず、
   身近な人たちや、自分と関わりのあるすべての人たちに、
   感謝されるようなことを積極的に行っていきたいものです。

   見返りやお礼を期待して行なうのではありません。

   常日頃から「利他」の精神を発揮していくということです。


   私は若い頃、得意先に営業に行ったとき、
   とてもいい言葉が掲げられているのを見て感激したことがあります。

   「ありがとうと、いわれるように、いうように」

   以来、この言葉を大切にして人生を生きてまいりました。


   日常生活の中で、私たちはつい感謝の気持ちを忘れそうになります。
   感謝を忘れないためには、何事も「当たり前」だと思わないことです。

   健康でいられるのは、元気に生んでくれた両親のおかげ。
   仕事があるのは会社や得意先、仕入先のおかげ。

   奥さんがご飯をつくってくれるのも、ご主人が働いてくれるのも、
   家族が笑顔なのも、みんなみんな「有り難い」ことばかりなのです。

        <『幸せになる生き方、働き方』PHP>

             ・・・

何かを頼みやすい人と、頼みにくい人がいる。

頼みやすい人には、頼みやすい雰囲気がある。

温和で、ニコニコして、穏やかで親しみやすい、
和顔愛語(わがんあいご)の「利他の人」だ。

反対に、頼みにくい人は、人を寄せ付けないような、厳しくて、仏頂面で、
とっつきにくくて、無愛想な「利己の人」だ。


頼まれごとは、ほんの小さなことが多い。

小さな雑事を嫌な顔をせずに淡々と引き受ける。

そして、その頼まれごとを、相手の予測を上回る速度で成し遂げる。

すると、感謝される人になる。


感謝し、感謝される人でありたい。

           <感謝合掌 平成27年5月29日 頓首再拝>

問題そのものに感謝する - 伝統

2015/06/03 (Wed) 04:06:46


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年1月15日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   なにか一つ問題が起きたとき、多くの人は
   「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。

   理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。

   でも、魂的な視点からいうと、自分に起きる問題は
   「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。

   だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、
   いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。


   感謝の反対は「当たり前」。

   同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。

   ということは、感謝を知らないのです。


   だから、病気になったのだとしたら、からだに感謝することを知らなかったんです。
   それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。
   それに気づき、他の具合が悪くないところ一つひとつに感謝すればいいのです。

   必要な治療を受けながら、感謝すればいい。


   そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、最後に問題そのものまで
   感謝できたとき、その問題は消滅するようになっています。

   これはお約束ごとです。

   この世は、そういう仕組みになっています。

   ということは、問題が起きたとき、

   「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」

   と思い、最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。


   でも、最初から問題そのものに感謝するという流れにはいかないものなのです。
   だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。

   周りへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。
   そして、魂が上にあがります。

          <『運命は変えられる』kkロングセラーズ>

               ・・・

一人さんは、何か問題が起きた時は、
「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」と思うことが大事だという。

例えば風邪を引いてしまい、喉(のど)や頭が痛かったとする。

それは、喉や頭以外の、手も、足も、膀胱も、腸も、肺も、心臓も、
無事に動いてくれている、ということ。

その当たり前のことに感謝をしているかどうか。


病気は、当たり前だと思っていることが
実はそうではないのだ、ということを気づかせてくれる。

普段、寒気も感じずに、咳も出ず、鼻水もでないことが当たり前だと思っていないか。

だから、「風邪」に、当たり前の大切さを教えてくれてありがとう、と感謝する。

対人関係も、病気も、会社のトラブルも、全ての問題はこれとみな同じ。


感謝を多くすれば魂が上にあがる。

           <感謝合掌 平成27年6月3日 頓首再拝>

感謝に始まって感謝に終る生活 - 伝統

2015/06/09 (Tue) 03:56:14


           *「女は愛の太陽だ」(P202~203)より

毎朝目覚めた直後、寝床の中で

「神様、ありがとうございます。眠って何も知らぬ間も健康にお守りくださったことを
感謝いたします。今日もまたお護り下さり、お導きくださいますようにお願いいたします」

と念じて起上ること位は、どんな忙しい人でもできるでしょう。

寝床の中で神様にお願いするのは神様に失礼だとお考えになるようでしたら、
起床後、正坐神想観して神様に同じような意味の御礼を申上げるとなお一層よろしい。

その日一日を感謝に始まって感謝に終るというようになさると、
きっとあなたの家庭には幸福が訪れて来るのである。

神は常にあなたを護り給うのであるが、その護りの波長に合うためには
感謝の精神波動を起すことが必要なのである。

神は善であり、智慧であり、愛であり、全能であるから、その神に波長の合う生活を
している限りは、ただ”善”なる事のみあらわれて来て、
悪など決して顕われて来ることはないのである。

人間の手に、もてあました難問題でも、自分を空しくして利己の心を起さず、
唯「愛」の心を起して、而(しか)してその問題を神に委ねるならば、自然に事情が
調和した姿に転回して来て問題の縺(もつ)れは自から解きほぐされて来るのである。

           <感謝合掌 平成27年6月9日 頓首再拝>

感謝が与えてくれるもの - 伝統

2015/06/16 (Tue) 04:13:07


          *「人生に奇跡を起こすたったひとつの教え」MJライアン・著より

(1)感謝すると喜びが感じられる。

(2)感謝すると若返る。

(3)感謝すると気分がよくなる

(4)感謝すると健康になる。

(5)感謝すると心配がなくなる。

(6)感謝すると人に好かれる。

(7)感謝すると恨みが消える。

(8)感謝すると完全主義から解放される。

(9)感謝すると物欲が消える。

(10)感謝すると今を生きられる。

(11)感謝すると心が開く。

(12)感謝すると心が広くなる。

           <感謝合掌 平成27年6月16日 頓首再拝>

《萬物(ばんぶつ)ただ感謝あるのみ》 - 伝統

2015/06/24 (Wed) 03:04:07

             *「生長の家」(昭和25年6月17日)の法語より

   神さま ありがとうございます。

   眠っている間も私の生理作用をつつがなく いとなましめ給い、
   なくてならぬ日常のものを与え給い、
   色々のよきものを あなたは恵み給いました。


   神さま ありがとうございます。
   あなたは愛でいらっしゃいます。

   私はあなたの愛を、
   青空をみても、輝く日光をみても、空気を吸うても、
   梢(こずえ)の若葉をみても感ずることができるのです。

   神さま、私は凡(あら)ゆる所に
   あなたの美しき智慧を感ずることができるのです。

   空の星の動き、
   罌粟(けし)の花の装い、美しき藤の花。

   神さま ありがとうございます。


           <感謝合掌 平成27年6月24日 頓首再拝>

身体は神様からの「大切なレンタル品」 - 伝統

2015/07/01 (Wed) 04:13:00


      *「つぶやくだけで心がスッキリする魔法の言葉(じゅもん)」
        はづき虹映・著(P74~78)より

もしあなたが、「こらから一生、24時間、365日、年中無休で、
無報酬で働いてください」と誰かからかお願いされたら・・・
もちろん引き受けるわけがないですよね。

私たちの「身体」は、お母さんのお腹の中にいるときから、
息を引き取るそのときまで「24時間、365日、年中無休、無報酬」で
働いてくれています。

そんな健気「身体さん」に、あなたはきちんとお礼を伝え、
感謝の言葉をかけてあげたことがあるでしょうか。


《”魂の乗り物”のメンテナンスは大丈夫? 》

「身体」という言葉の語源は「からだま」だと言われています。
「からだま」とは、「空っぽの魂」という意味。

つまり、「身体」とは「魂」がなければ、ただ空っぽのいれ物に過ぎないこと。
「からだま」という言葉は、「魂」こそ「身体」の主(ぬし)であることを
教えてくれています。

そして、この「魂のいれ物」である身体は、両親を通して、神様から貸して
いただいた大切な借り物、レンタル品です。

身体は、私たちの想像を絶するほど精緻な仕組みでつくられています。
どんなに科学技術が発達しても、私たちは何もないところから、たったひとつの
細胞さえ生み出すことはできません。

それはまさに「神業(かみわざ)」と呼ぶにふさわしいほど、その「神業」によって
与えられた「身体」は、私たちがあの世に還(かえ)る際には、
神様にお返しする約束になっているのです。

このように神様からの大切な借り物である身体を粗末に扱ってもいいものでしょうか。

生まれてからずっと健気にがんばって働いてくれている「身体」さんを、
あなたはちゃんと思いやって、ケアしているでしょうか。


《「疲れたなぁ」は身体からの警告サイン》

あなたが「疲れ」を感じるとき、それは「身体」さんがメンテナンスを必要として
いますとサインを出しているときです。

大きな病気や事故、アクシデントに見舞われるのは、たまたまではなく、
そうした身体から発せられる「メンテナンスが必要です! 」というサインを無視した
結果だと言ってもいいでしょう。

身体は、私たちが想像するよりもずっと賢いのです。


あなたが肉体的な「不調」や「疲れ」を感じているときこそ、
「身体」を大切に扱い、「身体」に感謝するチャンスです。

そんなときは、一日の終わり、夜、寝る前に自分の身体に手を当てて、

「私の身体中の細胞さん、血液さん、筋肉さん、各臓器さん、
いつも元気に働いてくださって、本当にありがとうございます」

と、つぶやいてみましょう。


自分の「身体」には、どれだけ感謝しても感謝しずぎることはありません。

ぜひ、この「魔法の言葉(じゅもん)」のシャワーを浴びせてあげてください。

それだけで、「身体」はリフレッシュされ、
確実に軽くなること間違いなしですから・・・。

               ・・・

*ここでの「魔法の言葉(じゅもん)」

     「私の身体中の細胞さん、血液さん、筋肉さん、各臓器さん、
     いつも元気に働いてくださって、本当にありがとうございます」

           <感謝合掌 平成27年7月1日 頓首再拝>

感謝の言葉は、宇宙の宝物を惹き出す暗証番号 - 伝統

2015/07/08 (Wed) 03:04:04


        *「奇跡を呼び込む! ありがとうの功徳力」佳川奈未・著(P19~21)より

”何も言わなくても、こちらが感謝していることくらいは、相手にもわかるだろう!
というのは、こちらの勝手な思い込みです。
相手にはわからないこともあるのです。

だからこそ、本当に芽ばえているその尊い感謝の思いを、
口に出して、相手に伝え、音にして出来事に響かせ、波動にして宇宙に伝え、
エネルギーにして次の現象に影響させると、いいのです。


ありがとうという言葉と感謝の思いは、
宇宙の宝物を惹き出す暗証番号のようなもので、
その言葉があると受け取れる恩恵や豊かさがたくさんあるのです。


そして、その暗証番号を使うたびあなたは何度も、
宇宙の宝物が惹き出せるようになっているのです。


そのことを現実で、形にするには、誰かと接したとき、
「ありがとう」とちゃんと言葉にして口に出して言うことです。
音としてちゃんと宇宙に放つことです。
エネルギーとして世の中にひろげることです。

           <感謝合掌 平成27年7月8日 頓首再拝>

教えてくれた大切なこと - 伝統

2015/07/15 (Wed) 04:13:56


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015-07-14)」より

   (『涙がとまらないすてきな物語』の中から、心に響く言葉より…)

   職場より、バスで帰っていた夕暮れのある日のこと。

   私も、乗車しているお客さんもみんな、
   1日の疲れが出た表情でバスにゆられていた。

   あるバス停で、部活帰りだろうか、
   乗っていた小学5年生くらいの少年がバスを降りようとした。

   そのとき、少年は運転手さんに向かい、大きなハキハキとした声で、

   「ありがとうございました」

   とあいさつして降りた。


   ボーっとバスにゆられていた私は、少々びっくりして乗降口に目を向けた。

   「あぁ、あの子は礼儀正しいなぁ。偉いなぁ」と感心していた。

   すると、少年はバスを降りてからもなお、
   くるりとこちらを向き、一段と大きな声で、

   「ありがとうございました!」

   と再度、深々と頭を下げたのだった。


   正直驚いた。

   バスのお客さんもみんな、少年を見た。

   運転手さんも思わずニッコリし、

   「ありがとう、暗いから気をつけて帰りぃよ」

   と、マイクで返事をされた。


   運転手さんは、すごく嬉しそうな表情だ。

   その瞬間、疲れた表情のみんなの顔がニッコリ和いだ。

   どんよりと疲れが充満していたバスの中が、
   一瞬で温かな気持ちに包まれたのが感じられた。


   本当に数秒の出来事。

   しかし私は、少年にすごく元気をもらったとともに、
   日頃忘れていた純粋さ、感謝の気持ちを思い知らされた。


   「あいさつ」は大事だ、「感謝」は大事だと、何百回、何千回と聞かされてきた。

   でも、「あいさつ」や「感謝」が、
   ここまでキラキラ輝くような力をもっていることを新鮮に実感できたのは、
   もしかしたら初めてだったかもしれない。

   名も知らぬ少年が、とても大切なことを教えてくれた。

   ほんとうにありがとう。


   《熊本県 川崎梓(25歳)》

   <『涙がとまらないすてきな物語: あのときは、ありがとう――』河出書房新社>

               ・・・

「挨拶」「感謝」あるいは「思いやり」という、
人の心を温かくする言葉が大事なことは誰も知っている。

しかし、「誰もが知っている大切なこと」、であっても、
それを実践できているかというと、耳が痛い人は多い。


知っていることと、それができる、ということは天と地ほど差がある。

誰もが知っている簡単なことであっても、
それを実行し、継続できる人は少ないからだ。


本当に大切なことは、実はごくシンプル。

そのシンプルなことの実践によって、まわりに笑顔が広がり、自分も豊かになれる。


「挨拶」や「感謝」の実践者でありたい。

           <感謝合掌 平成27年7月15日 頓首再拝>

不満足なものが出たときに感謝する - 伝統

2015/07/22 (Wed) 05:00:12


             *『白鳩』誌 昭和39年8月号

自分の満足しないものが自分の前にあらわれた時にも感謝しなさい。

満足し得ないということは、あなたが一層よきものを求めているからなのです。
あなたが一層よきものを求めるものは、あなたは、もっと高き理想をもっているからなのです。

その不満足が自分の努力で解消できるものでしたら、
あなたは努力をつくして状態を改善するようにつとめなさい。

その不満足なものは、あなたのうちに宿る力を引き出すために出て来たのですから、
謂ば『内にやどる神』の栄えを顕わさんがためのものですから、
その不満足な状態にも感謝するのがよいのです。

不満足なものを、他の人から出された時には、
相手に対して不平や腹立ちの感情を起してはなりません。

それは相手の人が何か行届かない事をするには色々の原因があるのです。
それはその人が貧しいか、徳が足らぬか、能力が足らぬか、色々の悩みや悲しみに
心を捉えられていて、其処まで考えを及ぼすほどの余裕がないか、
その他、言うに言われぬ事情があるに違いません。

そのような待遇を人から受けた時には、それは神が、そのような人が一層幸福になり、
裕かになり、色々な悩みや悲しみが解消するように、

あなたをして〃祈り〃の徳を積ませるために、
そんな出来事をあなたの前にあらわされているのです。

それですから、その人が本当にすべての事に行き届くほど
裕かに幸福になるように祈ってあげなさい。
そのような人たちにもやはり神の栄えをあらわさんが為に現れていらっしゃるのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/19416073.html


           <感謝合掌 平成27年7月22日 頓首再拝>

自分と他人の間に、助け合いの「夢サイクル」をつくる - 伝統

2015/07/30 (Thu) 04:45:10

      *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P47~52)より


感謝の気持ちを素直に表すことができる人は、
さらに多くの人から手助けをしてもらうことができる幸せな人です。



人生は循環させるもの、そしてお互いに循環させ合うものです。

私たちは毎朝起きて、人と会い、仕事をし、食事をし、お金を使って、
夜になったら眠りにつきます。

人生とは、これらのことをグルグル循環させながら、
スパイラルにより高い境地へのぼっていくものだといっていいでしょう。


さまざまなものを循環させる水車のようなものが、私たちのなかにあると考えてください。
私たちはそれを回し続けなければなりませんが、
感謝上手な人というのは、自分の水車を人に回してもらうことができるのです。

「この間、紹介していただいたレストラン、とってもおいしかったです。
お店の方の感じもよくて最高でした。ありがとうございます」

「ホント? それはよかった。
じゃあまた違うタイプのレストランでいいところあったら紹介するよ」

グルグル水車を回してくれます。



「丁寧なレポートをありがとう。すごくわかりやすかったよ。
おかげで取引先との連絡も滞りなくできたよ。ありがとう」

「そうですか、よかったです。
では、次回の企画についても私なりに調べて、またレポートを提出しますね」  

グルグル水車を回してくれます。

これがなければ、自分の水車を自分一人で回さなければなりません。
しんどい話です。


そして、もう一つ素晴らしいことは、
感謝の気持ちを表すということは、相手の水車も回していることになるのです。


「そうか、あのレストラン喜んでくれたんだな。
だったら今度は中華で探してみたら楽しいな」

「あのレポートは役にたったのね。
だったら、もつといい形でまとめられるように考えてみよう」

相手の中でも水車がグルグル回り始めます。


お互いに相手の水車を回し合える関係。
そんな夢サイクルは、感謝の気持ち一つでできるのです。

自分の水車を回してもらいたいときに、ただ待っていてはどうにもなりません。
自分の水車を人に回してもらうための一番いい方法は、
《感謝の言葉を口にして、相手の水車を先に回してしまうこと》なのです。


夢サイクルの水車をお互いに回し続けるためには、
認め上手、褒め上手、感謝上手になるだけでなく、
素直に自分を出すということも重要です。

《困ったことがあったら、素直に「助けて」という》ことです。

長男や長女はこれがどうも苦手です。
子どもの頃から「しっかり者」であることを期待されてきた彼らは、

「無理なんじゃないか、ちょっと助けてあげないと」

「できないだろう、誰かが手伝ってあげないと」

と思われることで、とてもプライドが傷ついてしまいます。

「どうした? ちょっと疲れているんじゃないか? 」
と問われれば、

「いえいえ、全然。大文夫です! 」
と答えてしまう。

しかし、これでは周囲の人も水車を回してあげようがありません。


「はい。じつは、ちょっと腰が痛いんですよね」
素直に自分を出せれば、結果は違ってきます。

「なんだ、大事にしろよ。いい整体師知っているから紹介するよ」

こうして紹介してもらった整体師にかかることで、
あなたの体調がはくなるし、それは相手にとっても大変な喜びなのです。

《自分を素直に出さないということは、相手を喜ばせる機会も失っている》
と気づいてください。

また、《知らないことを素直に知らないという》ことも大事です。

「この内装、○○がデザインした感じだよね」
と語りかけられて、○○さんを知らないのに、  
 
「ああ、そうだね」
どいっていたら、それでおしまい。進展はありません。

「その人、知らないけど、どういう人なの? 」

「あ、そう? 知らない? 結構かっこいいデザインやるんだ。
でも、そんなに高くないよ。もし興味あったら紹介しようか」

知らないと素直にいえば、誰でも喜んで応援してくれます。


さらに、《相手が褒めてくれたときに、妙な恥じらいは無用》です。

「お、いいカバン持っているじゃない。かっこいいなあ」

「いや、そんなことないですよい安物ですから」

これではなんの進展もなし。


「そうでしょ、いいでしょう。デザインがすご?く気に入ってるんですよね。
褒めてくださって、ありがとうございます。うれしいなあ~」

「どこで買ったの? 教えてよ」

こうして進展させれば、相手の水車もグルグル回っていくのです。


《困ったこと、欲しいもの、やってみたいこと、教えてはしいこと、
これらは素直にどんどん口にしていいのです》。


口に出して十回、いってみると、「叶う」という文字になるじゃありませんか!

隠してモゾモゾするよりも、サクッと素直に表現するほうが、
夢を叶えていく近道なのです。

そして、気取ったあなたよりも、
自然体のあなたのほうがずっと魅力的で、しかも強いのです。

           <感謝合掌 平成27年7月30日 頓首再拝>

いつも感謝しよう - 伝統

2015/08/06 (Thu) 04:27:04


        *谷口清超先生・著「伸びゆく日々の言葉」(P252~253)より

もしあなたが人から感謝されたら、逆に感謝しなければならない。
あなたの愛や深切や功績を認めてくれたからである。

もしあなたが人に叱られたら、感謝しなければならない。
あなたをより一層すばらしくするために、わざわざ忠告してくれたのだから。

もしあなたが無視されたら、あなたは感謝しなくてはならない。
あなたは完全に自由な立場で、この世のトラブルにまきこまれなくても済むからである。


あなたは24時間、心を神の国に遊ばせ、全ての人々に感謝しながら、
仕事に熱中し、陰徳を積むことができる。

何がすばらしいと言って、
神の倉に愛行を積むことくらい、すばらしいことはないのである。

           <感謝合掌 平成27年8月6日 頓首再拝>

【「いただきます」と「ごちそうさま」】 - 伝統

2015/08/13 (Thu) 04:34:23


             *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年08月03日)」より

   (植西聡氏の心に響く言葉より…)

   日本人は、食事を終える時、「ごちそうさま」と言う習慣を持っています。

   「ごちそうさま」は、漢字で書くと、「御馳走様」になります。

   この言葉にある「馳走」には、「忙しく走り回る」という意味があります。


   つまり、それは、
   「食事を作るために、忙しく商店を走り回って食材の買い物をしてくる母親」
   を指しているのです。

   また、
   「食べ物を買うためのお金を稼ぐために、忙しく走り回っている父親」
   を示しているのです。

   それに「御」と「様」という文字をつけることによって、
   「お母さん、ありがとう」「お父さん、ありがとうございます」という
   感謝の意味を表しているのです。


   家族で食事する際に、子どもたちが、
   そのように「ごちそうさま」という言葉によって、
   母親と父親に感謝の気持ちを表すことがとても大事だと思います。

   また、夫が妻に、「ごちそうさま」という言葉によって、
   お互いに感謝することも大切だと思います。

   そのように家族で感謝し合うことによって、
   そこには「穏やかな家庭」が築かれていくと考えられます。


   「いただきます」と「ごちそうさま」は、普段から、
   人に感謝する習慣を持つためのもっともいいトレーニングになると思います。

   そして、「いただきます」と「ごちそうさま」という言葉で、
   普段から感謝する気持ちを養っている人は、仕事場でも友人関係においても、
   人に感謝する気持ちを忘れないで暮らしていけるようになると思います。

   そして、その人自身が「穏やかな生活」を営んでいけるようになるのです。

          <『穏やかに生きるヒント』マイナビ>

                 ・・・

「いただきます」とは、神におそなえしたものを頂(いただ)く、というのが語源。

お米や野菜作ってくれた農家などの生産者、そしてそれを配送したり、
料理を作ってくれた人等々の、食にたずさわるすべての方々に対する
感謝の意味が込められている。

そしてまた、命あるものをいただくことにより、我々が生きていける、という
食材に対する感謝の意味も込められている。


以前、学校の給食のときに、お金を払っているのになぜ、
「いただきます」と言わなければならないのか、と文句を言った親がいた。

すべて物事をお金や損得で考えるという、悲しい思考がそこにある。


現在、世界では9人に1人、約8億人が食べるものがなく飢えているという。

人は思い上がったときに感謝を忘れる。

3度の食事が食べられるという、この奇跡のようなありがたさに気づかない。


感謝を込めて、「いただきます」と「ごちそうさま」を言いたい。

・・・

<参考Web>

(1)本流宣言掲示板「「心を込めて『いただきます』『ごちそうさま』を…」 (425)」
       → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=111

(2)光明掲示板・伝統・第一「素晴らしい日本 (26)日時:2015年01月18日 (日) 04時51分」
       → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=14

           <感謝合掌 平成27年8月13日 頓首再拝>

まず、朝起きたら - 伝統

2015/08/20 (Thu) 04:48:15


         *「女性の幸福365章」(P14)より

まず、朝起きたら、すぐ感謝することです。

眠っている間、全然自己の意識で自分を防御することができない間も、
何者にも害されず、傷つけられず、生理作用も順調に行われて、
再び意識の世界にかえることができたということは、何という悦びでありましょう。

それを恩恵だと考えないのは、あまりにも恩恵に慣れ過ぎているからなのです。
あらためてその恩恵を思い出し、感謝し、悦び、神をたたえることに致しましょう。

そこから今日のあなたの祥福(しょうふく)が約束されるのです。

           <感謝合掌 平成27年8月20日 頓首再拝>

【「今・ココ・私」に感謝していますか】 - 伝統

2015/08/27 (Thu) 04:36:16

         *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P68~70)より

私たちは「いま」しか生きることができません。

いま、「ありがとう」という気持ちでいなければ、
永遠に幸せな日はこないのです。

未来というのはいまの延長でしかありません。
いまの気持ちが、そのまま未来をつくるのです。

いまを感謝の気持ちで生きられない人が、どうやって
感謝できるような未来を生きられるというのでしょうか。


日本人は、今、楽しい状況でも、明日のことを気に掛けています。

ラテン系の人たちにとっては、いまの喜びがすべてであり、
明日のためにその歓喜をドブに捨てるという発想はないのです。

「楽しーい! 」

心からそう思える時間があれば、それを味わい尽すべきであって、
ストップをかける必要なんてない、という非常にわかりやすいロジックで
生きています。

私たち日本人も、ラテンの人々の発想を学ぶ必要があります。


「今の気持ちに満足してはいけない」
「明日のために、今日を頑張らなくてはいけない」

私たち日本人は、こんな教育を受けています。

そして、

「30代を幸せにするために20代を頑張らなくてはならない」

「40代を幸せにするために30代を頑張らなくてはならない」

というループが続きます。



今を楽しんで感謝している20代を過ごしている人が、
30代も40代もずっと幸せに生きていけるのです。



「明日のために今日は少し我慢しておこう」

という生き方は、潜在意識に絶えず不足感、欠乏感、不満感を残すことになります。
その結果、感謝の気持ちが持てないばかりか、人を祝福する気持ちも生まれません。
どこかで人をうらやむことになるのです。



いまの気持ちが、そのまま明日を作るのだということを
忘れないでください。

あなたは今日という日を100%楽しんでいいのです。


           <感謝合掌 平成27年8月27日 頓首再拝>

般若心経に込められた宇宙のメッセージ - 伝統

2015/09/03 (Thu) 04:54:45

      *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」佐藤伝・著(P54~57)より

般若心経は、もともと六百巻もあるお経を凝縮に凝縮を重ね、
本文二二六文字に収めたものです。

この般若心経はいったいどんなことを私たちに教えてくれているのでしょうか。

じつは、般若心経の
「ぎぁてい・ぎぁてい・はらぎぁてい・・・」
ではじまる最後の一文は、こういうことをいっています。

「自由だ、自由だ、自由になった、大宇宙よありがとう」

般若心経が私たちに教えているのは、

「あなたは自由でなんのブロックもない。
宇宙と一体で最高の自由な存在である。
あなたはなにも悩むことはない。

日々、宇宙に向って発信しなさい。
大宇宙よありがとう 」

ということなのです。


仏教の教えは、

一貫して自由であり、何のバイアス(偏見、先入観)やブロックもなく、
《許しと感謝に満ちている》のです。


また、お経にはやたらと「・・・ソワカ」という言葉が出てきます。
これは古代サスクリッド語で「スバーハー」にあたるのですが、その意味は、

「すでにかないました。ありがとう」

「成就しちゃいました。ありがとう」

というものです。

つまり、お経は「《感謝の先取り》」をしているのです。


宇宙には完璧なるシナリオがあって、
私たちはそのシナリオのままに生かされています。

一見いやなことに見えても、そのシナリオにしたがえば、
すべてがいいようになっています。

私たちの人生は、いい方向にいくしかないのだから、
何も不安に思う必要はありません。

すべてはかなうようになっているのですから、
先に感謝してしまおうというのが「・・・ソワカ」の意味です。

安心して感謝して生きることこそ、本質的な仏教の教えなのです。

           <感謝合掌 平成27年9月3日 頓首再拝>

当たり前のことに感謝、それであなたは幸せなのです - 伝統

2015/09/12 (Sat) 04:41:31

あなたは100%幸せなのです

         *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」(P64~67)より

般若心経の本文は「観自在菩薩・・・」ではじまりますが、
この「観自在」という言葉は、《とらわれなくありのままをそのまま受け入れる》
という意味です。

自分のなかの基準でジャッジしないのです。
幸せって、実は100%かゼロか、本当はこの2つしかありません。

たとえば、幸せかかどうか問われたときにも、このジャッジが顔を出します。

「う~ん、半分くらいかな」
「8割方、これでいいんじゃない? 」

こういう人は、つねに何割かの欠乏感を持っています。

「いまよりも、もっと素晴らしい人生があるはずだ」

という幻想を抱いて生きているのです。
つまり、いまは完全ではない、満たされていないと思っています。
ということは、その人は不幸なのです。

本人は8割方は幸せだと考えていても、じつはゼロとかわりないのです。
条件つきの幸せを求めるのは、不幸せのはじまりなのです。

もっというと、《本当はみんな100%幸せ》なんです。
私たちは生きて、呼吸しています。
それだけで、生きているだけで、私たちは100%幸せで、それを誇りに思っていいのです。


《幸せって「なる」ものではなくて、「感じる」ものなのです。》
「ああ、幸せだなあ」
と感じたら、そのとき人はすでに幸せになっているのです。

「ああ、おいしい、幸せだなあ」
「楽しいなあ、幸せだな」

こう感じる時間が多い」人は幸せなのであって、
高価なものを食べられる人やものを多く持っている人が幸せなのではありません。

幸せは、すでにあなたのなかにあるのです。
それをあなたが感じれば、もうそれで幸せ・
当たり前のことに感謝できれば、あなたは100%幸せなのです。


  朝、目が覚めたことに感謝。
  お水がノドを通ることに感謝。
  トイレに行って排泄できることに感謝。
  通勤電車が動いていることに感謝。

こうした当たり前のことこそ、私たちにとってとても大切なこと。
でも、普段からあまりに普通にできてしまっているから、
感謝を忘れてしまうのです。

           <感謝合掌 平成27年9月12日 頓首再拝>

自分の排泄物に、ありがとう - 伝統

2015/09/24 (Thu) 03:46:19

         *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」(P91~94)より


人間がもっとも汚いものと思い込んでいる排泄物に、
ありがとうをいえるようになると、
感謝のステージがかなり高くなります。

意識的にでもいいですから、

今日からトイレで排泄物を流す前に、小声でつぶやいてみてください。

「おしっこさん、循環してくれてありがとう」

「うんちさん、私の健康を守ってくれてありがとう」


こういうことを繰り返しているうちに思い込みがブレークスルーして、
あなたは確実に感謝体質に変わっていきます。

心のなかで思えないことでも、
まず習慣にしてしまうことで、あとから心で理解できる。

そういう逆説的方法も大いにとっていいのです。


私にいわせれば、うんちが汚いなんてよくいえたものです。
それは、ついさっきまで自分の体の中にあったのです。
自分の口から食べたものを、自分の消化器が消化して、自分の肛門から出てきただけ。

ウンチもオシッコも、実は自分自身にほかなりません。

禅宗には、こんな大胆で痛快な考え方があります。

「人間はたんなるクソ袋だ」

私たちは、大小便を肉の袋で包み込んで歩いているだけだというのです。


いまは「脳ブーム」とでもいえるような状況で、
脳に関する研究がさまざまに取り上げられています。
人間の高度さを証明したい気持ちがそうさせるのかもしれません。

しかし、脳だけが偉いんじゃなくて、膀胱や大腸など、
排泄物を溜めておいてくれる臓器は、本当にありがたい存在です。

便秘体質の人は、往々にして、排泄物に強い偏見を持っています。
ウンチが汚くて見たくないという潜在意識が、便秘を引き寄せてしまいます。

もちろん、便秘をしている人も、好きこのんで溜めておきたいわけではありません。
便秘は苦しいですから、 一刻も早く自分の体内から出て行ってほしい
と考えています。

しかし、汚いもの、触れたくないもの、とっとと出て行ってほしいもの、
ととらえている限り、うまく循環してくれません。


第1章で私は、人間関係における水車回しの話をしました。

これは、個人個人の体についても言えることです。

自分の肉体や精神にも水車があるのだと考えてください。
そして、それをぐるぐる回さなければいけません。

このとき、循環のイメージを持てる人ほどすべてがうまくいきます。

便秘をしたなら、汚いと思い込んでいるうんちから逃げるのではなくて、
自分の中を、ありがたい食料と栄養分が循環している様子をイメージしながら、
常温のミネラル・ウオーターをこまめに摂ります。

こうやって自分で水車をぐるぐる回してあげる習慣を持つと、

自然に快便体質に変わっていきます。


仕事がうまくいかなくて精神的に行き詰まってしまったなら、
精神の水車をぐるぐる回してあげましょう。

あなたはどんな方法を選んでもいいのだし、行き詰まる必要なんて一つもないのです。

あなたを苦しめているのは、すべてバイアス(偏見)なのだと気づいてください。

それをブレークスルーするだけで、感謝の対象が何倍にも増えてきます。

「ありがとう」という水で、心の水車をグルグル回すことが、
幸せな成功(ハッピーサクセス) への原動力であり、
すべての問題の最強の解決策なのです。

           <感謝合掌 平成27年9月24日 頓首再拝>

雲の上に出るステージの高い「ありがとう」 - 伝統

2015/10/03 (Sat) 04:39:21


         *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」(P198~202)より


雷が鳴るのも大雨が降るのも、すべて雲の下の世界でのことです。
雲の下で生きていると、雨の降らない世界なんてわかりません。

私は講演会などで地方へ行く機会が多くあります。たまには海外講演もあります。
台風が近づいているような悪天候のときでも、飛行機に乗らねばなりません。
土砂降りの雨のなかを離陸して、分厚い雲のなかに突っ込みます。
窓の外は視界が悪いし、飛行機もひどく揺れます。
このときの気分は決していいものではありません。


しかし、揺れながらも上昇を続け、《雲の上に機体が出てしまうと、世界は一変します》。

そこにはどこまでも続く青い空が広がっています。


私たちは、現実の日常世界で、一刻も早く雲の上に出なければなりません。
そこに行った人だけが見える世界があり、そこには、感謝のステージが高い人だけがいます。

そういう人に囲まれていれば、なおさら、素晴らしい感謝のキャッチボールもできます。


雲の上に出るために、何をしたらいいかと言えば、
自分に意地悪をした人に対しても感謝することでしょう。


葉祥明さんが書いた『リトルブッダ』(佼成出版社)という素晴らしい絵本があります。

読んでいる子どもたちに、あなた自身がリトルブッダなのだと教えてくれるのですが、
この本は、

「《僕に意地悪をした人、ありがとう》」

という一節から始まります。


いやなことをされれば、人は誰でも不愉快な気持ちになります。

「なんだよ、あいつ― 私の前から消えてくれないかな」 こんなふうに思うのはまだましで、

「転んで怪我でもすればいいのに」
「自分よりもひどい目に遭わしてやりたい」

なんて思ってしまいがちです。

しかし、これだと、いつまでたっても雲の上に出ることができないんです。


日々、幸せに暮らしていても、誰かが心に小石を投げてきます。
穏やかだった心の湖に、小石を投げてくる人がいます。

小石どころか大きな石を投げてくる人もいて、水面は波立ち心がささくれ立ちます。


ここで、《ささくれ立った心のままに、自分も石を投げ返してしまったら、
あとはさらに大きな石を投げ合うしかありません。》

しかし、そうせずに、投げられた石の意味を考えていると、やがてその波はおさまります。


投げられた石の意味を考えてみると、それは自分の中にもあることに気づきます。

一方的に石を投げられていたのではなくて、
実は、自分だって、誰かの心に石を投げていたのです。


あなたの心に石を投げていた人は、あなたにそれを気づかせるために投げていたのです。

ですから、それに気づくと、その人は去っていきます。

気づかないで相手に対して怒っているかぎり、
その人は、そこに相変わらず居座って、大小さまざまな石を投げ続けて来るのです。


つまり、あなたに意地悪をする人は、
あなたのために意地悪をしてくれているありがたい存在なのです。


ですから、こういう人たちにも感謝をするべきなんだなと気づき、
実際にありがとうと言えた時に、私たちは雲の上に出ることができます。


「そんなこと、いくら言われたって、感情的に絶対、無理! 」

この気持ち、分かります。


意地悪をされた生々しい記憶がある以上、なかなか難しいですよね。

こういうときこそ、神社・仏閣に行くといいのです。
自分の家ではできなくても、神社やお寺なら話は別です。

そこには、雲の上に出ようとしているあなたを応援してくれる、神さまや仏さまがいます。

神仏の前で、自分が許せないと思っている人に感謝し、その人たちの幸せを祈ってください。


そうすると、どうなるか。

宇宙では、こう判断します。

「ああ、この人はもうこのレベルまで来ているんだな。
だったら、もうその下のことは経験しなくていいね」

こうして、パソコンのOSが入れ換わるように、宇宙のシナリオも書き換わります。

私たちは、自分の宿命は変えられませんが、運命はいくらでも変えることができるのです。

           <感謝合掌 平成27年10月3日 頓首再拝>

《感謝している時、天国を製造しているのである》 - 伝統

2015/10/11 (Sun) 04:22:07


         *『 生長の家 』 誌(昭和46年10月2日)の法語

   窮乏している時に、僅(わず)かな金を恵まれたり、
   住む家のない時に、部屋を貸して貰えたりするならば、
   その恩恵に対して誰でも感謝するのである。

   しかし私たちは眼に見えない多くの物の恩恵に
   感謝を忘れ勝ちであるのである。

   たとえば空気の御恩のようなもの。

   また眼に見えていても、それがあまり豊かであるので、
   それを受けることが当り前だと思って感謝しないもの、

   太陽の光と熱、そして父母(ちちはは)の愛。

   わたしたちは常にあまりに多くの御恩の中に生かされているので、
   却ってそれを忘れ勝ちであるのである。

   私たちは常に多くの恩恵に取り巻かれ、とり囲まれ、
   それによって生かされていることを思い出して感謝するがよい。

   あなたが感謝の念を起しているとき、
   あなたは天国を製造しつつあるのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=32

           <感謝合掌 平成27年10月11日 頓首再拝>

今与えられているものに感謝しなさい - 伝統

2015/10/17 (Sat) 04:50:24


           *「あなたは無限能力者」(P154~155)より

今あるものに感謝しなさい。
屹度(きっと)、何かあなたは神から、又は周囲の誰かから
感謝すべきものを与えられているにちがいないのです。

空気を与えられています。
水を与えられています。
日光を与えられています。

眼を与えられ、耳を与えられ、鼻を与えられ、口を与えられ、手足を与えられています。
・・・・・まだまだ数えあげれば無数でありますが、その今与えられているものに
感謝することから、心の喜びがわき出て来るのです。

心の喜びがわいて来ると、その喜びの心の波長が、
次の喜びを引き寄せる波長となるのです。

何故なら『類(るい)は類(とも)を招(よ)ぶ』と云うのが心の法則であるからです。


           <感謝合掌 平成27年10月17日 頓首再拝>

真理と感謝は車の両輪である - 伝統

2015/10/25 (Sun) 04:35:28


           *『女の浄土』(P31)より

真理の言葉を吟唱すると共に必要なることは、
常に感謝の念を起し、感謝の言葉を唱えることである。

真理が本当にあなたの潜在意識に落ちついたならば、自然に感謝の念が起るのであるが、
また、逆に感謝の言葉を唱えたり感謝の念を起すことによって
真理が潜在意識に深く理解されることになるのである。

真理の言葉と、感謝の想念感情とは表裏一体の働きをなすのである。

感謝は万物の本源である神に向ってすると同時に、
神徳の顕現であるところの天地一切のもの、特に自分の身辺にある者にするがよい。


           <感謝合掌 平成27年10月25日 頓首再拝>

言えなかった「ありがとう」 - 伝統

2015/11/04 (Wed) 06:03:19


       *「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
         (P90~92)より

一宮市の森陽子さん(61)が小学1年のとき、母親が再婚した。

「お父さんは長いことアメリカに行っていて、今度帰って来たんだよ。
だから一緒に住めるようになったの」

と言い、新しい家に連れて行かれた。

森さんは、新しい父親に懐けず母親を困らせた。
幼いながら、実の父親ではないことを感じ取っていたからかもしれない。

しかし、それ以上の理由があった。
義父は外国航路商船の船員で、 1年に40日しか家にいないのだ。
懐けないのも仕方がなかった。

高校1年のとき、森さんは戸籍謄本を見て実の父親でないことを知った。
すると、急に感謝の気持ちが湧いてきたという。

「自分の子でもないのに育ててくれてありがとう」

何度も何度も言おうと思ったが、言いそびれて時が過ぎた。
高校3年の夏のことだった。休暇を終えて再び10ヶ月の航海に出掛けるという朝、
「今度こそ言おう」と心に決めていた。ところが、その日に限って寝坊してしまった。

起きると両親の姿はなかった。
慌てて顔も洗わずに外へ飛び出す。

母親が父親のトランクを自転車の荷台に積んで、
手で押さえながら押して行くのが10メートルほど先に見えた。

でも、走り寄って「ありがとう」と言うことができない。
それに気付いた両親が手招きするが、 涙があふれて追いつくことができない。
そのまま父親は駅からタクシーに乗って旅立ってしまった。

10ヶ月後に帰国した時、あらためて口にしようとしたら、
「言わんでいい」と言葉をさえぎられた。
その後も、何度も機会はあったのに言えなかった。

森さんは20歳で結婚した。

婚礼の前の晩、手をついてあいさつしようとすると、
「何も言わんでいいぞ、早く寝ろ」と逃げるようにして拒まれた。
照れがあったのだろう。

その父親が亡くなって32年になる。
森さんは言う。

「心では分かり合っていたと思いますが、  
とうとう言葉に出して言えなかったことを後悔しています。  
私が天国に行ったら、一番に『育ててくれてありがとう』と言って抱き締めたいです」

《ほろほろ通信/中日新聞 2012.04.22 掲載》


【志賀内からのメッセージ】
森さんから、後日メッセージが届きました。
「新聞に掲載されたおかげで、父親に気持ちが伝わったと思い嬉しかったです」
天国のお父さん、きっと読んでくれたに違いありません。

           <感謝合掌 平成27年11月4日 頓首再拝>

《天地萬物に感謝する日》 - 伝統

2015/11/12 (Thu) 04:55:53


          *『 生長の家 』(昭和16年10月25日)の法語より

   吾々は毎夜電燈として利用している電力、
   毎日工場の機械を運転せしめている電力 ―― 
   これらは物質と云ってよいかどうかは不明であるが、

   ただハッキリわかることは、それは法則の力によって
   吾々に恵福を与えていると云うことである。

   法則の利用の仕方によって、電燈は消え、そして点るのである。
   電気は燈を点すものだとのみ考えると間違いである。

   法則の利用によって、それは明るくもなり、暗くもなり、
   光が殆どなくなって熱にもなり、光が全然なくなって
   動力ともなるのである。

   光となれば、暗夜にも昼のように
   ‘もの’を明るく見せてくれるのである。


   吾々の生命は『物質に頼るな』と云われているが、
   それは『物質に頼り過ぎていて、自己内在の生命の力に目覚めない人』
   に対して、生命の力を自覚せしめるための一喝なのである。


   物質に頼っては可けないが、物質を物質と見ず、物質を
   神のめぐみとして、その法則を発見することを怠らず、感謝して、
   それを利用厚生して行くことは人として謙遜なことであり、
   また決して間違いではないのである。

   ただあまりに物質〈生命力の外的顕れ〉に頼り過ぎると、
   内部の生命力が生きて来なくなる。
   その時『物質に頼るな』と一喝するのは好いことである。

   しかし又その一喝に捉われて、『物質』を軽蔑したり、
   『決して物質を利用せぬ』と頑張るようになるならば、
   それは又偏執であって、
   『物質とは神様だよ』と一喝しなければならぬことにもなる。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346


           <感謝合掌 平成27年11月12日 頓首再拝>

【感謝グループと不満グループ】 - 伝統

2015/11/19 (Thu) 04:16:18


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年11月05日)」より

   (デイビッド・ハミルトン氏の心に響く言葉より…)

   あなたには今、何か不満がありますか?

   「もう少し給料がよかったら」
   「私ばかり家事をやっている」
   「ネットの接続スピードがもうすこし速くならないものか」

   …もちろん、よりよい人生を求める気持ちは大切です。

   しかし、自分にないものばかり数えていると、幸せが逃げていってしまいます。


   
   ある研究では、「感謝すべき出来事」を数えるグループと、
   「不満」を数えるグループに分け、週の最後にそれぞれ5個リストアップする作業を
   10週続けてもらいました。

   「感謝グループ」の人は、特別な出来事がなかった日でも、
   「すばらしい親に恵まれた」「友人に親切にしてもらった」
   「今日も無事に朝を迎えられた」といったことを書いていました。


   一方、「不満グループ」が書いたのは「お金がどんどん減っていく」
   「迷惑なドライバーがいた」「キッチンが汚いのに誰も掃除をしない」
   「友だちを助けたのに感謝されなかった」といった内容です。


   そして、10週間後に両者の幸福感を比べたところ
   「感謝グループ」が「不満グループ」より、25%も高くなっていました。

   何を意識するかで、気持ちにここまで大きな差が出る
   ・・・同じ人生を歩んでいても、心のもちようひとつで、バラ色にも灰色にも見えるのです。


   さらにこの実験では、体の健康度についても調べています。

   「感謝グループ」は「不満グループ」よりずっと病気の症状が少なく、
   しかも90分近く多く運動していました。


   健やかな心は、健やかな行動も促すのでしょう。
   与えられているものに感謝するだけで、心身ともに健康になっていくのです。

   それだけではありません。

   この研究によって、感謝の態度で「思いやり」と「利他の心」が育まれる
   という効用まで明らかになったのです。


   実験期間中、人を助けたり精神的に支えたりしたかという質問に、
   「感謝グループ」の多くの人が「イエス」と答え、
   友人からも、「あなたは優しくなった」といわれていました。

   つまり、親切の習慣が身につき、まわりの人から好かれる温かい人になったといえます。

   さあ、あなたは「感謝グループ」と「不満グループ」、どちらの生き方を選びますか?

      <『「親切」は驚くほど体にいい!』飛鳥新社>

              ・・・

小林正観さんはこう語る。

「神様は、その人が多く口にしている言葉を、
もっとたくさん言わせてあげたいと思うようです。

その人が、その言葉を大好きらしい、と思ったとき、
限りない優しさをもった神様は、その言葉をたくさん言いたくなるように
現象を起こしてくれるらしい。

不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言うのが好きな人は、
そんなにそれが言うのが好きなら、そう言いたくなるようにしてあげよう、
という構造になっている」(喜ばれる・講談社)


神様は、その人が多く口にしている言葉を、
もっとたくさん言わせてあげたいと思うそうだ。

つまり、感謝を多くすれば、感謝したくなるような現象が次々に起こり、
不満を多く言えば、不満を言いたくなるような状況にしてくれる、ということ。


感謝多き人生でありたい。


           <感謝合掌 平成27年11月19日 頓首再拝>

【感謝力を高める】 - 伝統

2015/11/29 (Sun) 04:08:33


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年11月21日)」より

   (野口嘉則氏の心に響く言葉より…)

   「幸せになりたいのですが、幸せになるにはどうすればいいですか?」
   という質問をされることがあります。

   そんなとき私は、

   「幸せは、求めるものではなく、今ここに見出すものではないかと思います」

   と答えています。

   「幸せになりたい」と幸せを求めているとき、
   私たちは「今は幸せではない」と認めていることになり、今の状態に感謝できません。

   この心境で生きる限り、本当の幸せには出合えないのです。


   「お金持ちになれば幸せになれる」と信じている人もいれば、
   「好きな人と結婚できれば幸せになれる」と信じている人もいます。

   しかし、幸せであるかどうかを決める決定的な要因は、
   そういった外的条件ではなく、私たち自身の心のあり方なのです。

   実際、世の中には「金持ちだけど幸せではない」という人もいれば、
   「好きな人と結婚したのに幸せでない」という人もいます。

   今ある幸せに感謝できない限り、どんなに外的条件が満たされても、
   あらたな不満が生まれて、本当の幸せを味わうことができません。


   ここで必要になってくるのが感謝力です。

   感謝力とは、今ある幸せに気づき感謝する能力です。


   嬉しいことや幸運なことがあったときは、誰もがそのことに感謝しますね。

   ところが感謝力が高い人は、とくに何ごともないような平凡な日常においても、
   その中の幸せを見出し、頻繁に感謝をします。

   また、辛いことや困難なことに出合っても、
   それによって成長できることに喜びを見出し感謝するのです。

   つまり、感謝力が高い人にとっては、毎日がありがたいことだらけなのです。


   私の友人から聞いた話です。

   彼が、5歳になる息子さんと公園で遊んでいたとき、
   息子さんが「おしっこ」と言ったので、公園のトイレに連れて行ったそうです。

   そして彼が見ていると、息子さんはおしっこをすませたあと、
   便器のほうに向かって合掌し、軽くおじぎをしたのです。

   何をしたのか尋ねたところ、
   息子さんは「おしっこの神様を拝んだんだよ」と言ったそうです。

   それを聞いて友人は、息子さんの純粋さに感動しました。


   その友人は、「古事記」など日本の神話が好きで、
   息子さんを寝かしつけるときなどに、神話のストーリーをよく話してあげていたそうです。

   「古事記」には太陽の神、海の神、風の神、山の神、野の神、木の神、
   火の神、水の神、食物の神など、さまざまな神様が登場します。

   そして、「おしっこや便の中にも神様がいる」という話が出てきます。

   彼の息子さんは、その話を覚えていたのです。


   「古事記」など日本の神話に一貫して流れているのは、
   神羅万象の中に神を見て、それを敬い感謝する心です。

   ものをただの物質と見るのではなく、現象をただの物理現象と見るのではなく、
   それらを大自然の叡智(えいち)の現れと見て感謝するのです。

   この感性で生きれば、たくさんの神様に囲まれて生活しているという感覚になり、
   太陽を見て感謝し、風を感じて感謝し、火に水に食物に感謝し、
   トイレに行ったときも感謝し…と、生活のすべてが感謝三昧(ざんまい)になります。

   ここに感謝力を高めるヒントがあります。


   感謝の極意は、当たり前のことを「ありがたい」と感謝することです。


           <『心眼力』サンマーク出版>

                ・・・

「ありがとう」の反対は「当たり前」。

ありがとうとは、漢字で書けば「有難し」。

有ることが難(むずか)しいほど珍しいこと、めったにないこと、すなわち奇跡ということ。

奇跡の反対は、当たり前。


我々は明日も、今日と同じ日が続くと思っている。

しかし、この当たり前のような毎日は、本当は奇跡の連続の上になりたっている。

それは、世界のどこかで、毎日のように起こっている、
大きな事故や災害、テロや戦争のニュースを見ればわかる。


『感謝の極意は、当たり前のことを「ありがたい」と感謝すること』

感謝力を高めたい。

           <感謝合掌 平成27年11月29日 頓首再拝>

ありがとう - 伝統

2015/12/07 (Mon) 04:14:55


           *「超ホスピタリティ」鎌田實・著(P74~76)より

介護者の多くは疲れて身もこころもクタクタです。

介護者を疲れさせている原因の一つに、介護が十分に評価されないことがあると思います。
評価で一番嬉しいのは、患者さんから「ありがとう」と言われることでしょう。

しあkし、高齢者の場合、感謝の言葉を口にできないことが多いのです。
判断力が低下していたり、わが身のことだけで精一杯で、
介護してくれている人のことまで気が及ばないこともあるからです。

そうした場合、家族や親戚など周りの人がねぎらいの言葉をかけるだけでも、
介護者の気持ちはずいぶん救われます。

例えば、夫の親を介護しているときに、夫からひと言「ありがとう」と
声をかけてもらえばずいぶん救われるのです。
しかし、この国の男たちは何と感謝の気持ちを表すのが下手なのでしょう。

ときには、プロの看護者や介護者が、患者さんや家族に代って「ありがとう、
あなたのおかげで、いいケアができています。患者さんも感謝していますよ」
と伝えてあげると、喜ばれるでしょう。


いつ終わるか分からない介護を、誰からも評価されることなく、
それでも続けていかねばならない、そんな想像以上に厳しい状況下で、
多くの人が介護をしているのです。


ホスピタリティに満ちた社会にするために、
受け手の側も支えられることに甘んじてはいけない。

(中略)

いつもクレーム屋でいると、相手のこころを燃え尽きさせてしまいます。
それはまた自分の身に返ってきて、ますます満足なホスピタリティが
受けられなくなっていくことにつながります。

私は、(そのような場面や場所でも)できるだけたくさんの「ありがとう」を
配るようにこころがけています。


超ホスピタリティは「ありがとう」の連鎖を生みます。
「ありがとう」が超ホスピタリティを育てます。

「ありがとう」には不思議な地亜kらがあるのです。

超ホスピタリティが幸せの空間をつくるのです。

超ホスピタリティってすごい。

           <感謝合掌 平成27年12月7日 頓首再拝>

【「ありがとう」は魔法の言葉】 - 伝統

2015/12/12 (Sat) 04:34:50


          *メルマガ「人の心に灯をともす」(2015年12月08日)より

   (志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…)

   ストレスの多くは、人間関係から生じます。
   上下の関係なく、ひどいことを言われれば傷つきます。
   接客の仕事をしていれば、お客様から怒鳴られることだってあるでしょう。

   私は以前、金融の仕事をしていました。
   お金を扱っていることもあり、たいへん気を遣う仕事でした。

   それ以上に、お客様とのお付き合いにも神経をとがらせていました。
   お客様のほとんどが、資金繰りに困っている会社の社長さんです。

   彼らはいつもイライラしていて、何か不都合なことがあると感情を爆発させました。
   クレームを受けるのは、日常茶飯事でした。


   そんななかでも、平然としている同僚がいました。
   決して、お客様をないがしろにしているわけではないのです。

   でも、どんなに罵詈雑言を浴びせられても、
   3分後にはいつもの仕事に戻っているのです。

   私は、彼に聞きました。

   「あんなヒドイことを言われて、どうして平然としていられるの?」

   と。すると彼は、

   「その場で、『ありがとう、ありがとう』と心の中で呟いているんだよ。
   そして、言われた言葉を全部聞き流す。
   まともに受けていたら、おかしくなってしまうからね」

   と答えたのです。

   例えば、上司に叱られたとします。

   「ありがとうございます」

   などと答えたら、相手は「え!? 」と言葉に詰まってしまうでしょう。さらに、

   「また教えてください」

   などとつけ加えたら、それ以上のことは言えなくなります。心の中では、

   「素直な可愛いヤツだなあ」

   と思われるに違いありません。


   夫婦や友達との間でも同じです。

   親しい間柄の場合こそ、厳しいことを言われると反発したくなるもの。

   そんなとき、「ありがとう、指摘してくれて」と言うのです。

   「ありがとう」は、つらい言葉を聞き流せるようになる魔法の言葉です。

         <『「ポジティブ練習帳』同文館出版>

                ・・・

「嫌なことがあったら、自分に『ありがとう』という。
また、いいことがあったら、『感謝します』という」

と五日市剛さんは語る。


嫌なことやツライことがあったときは、
ついイライラしてグチや泣き言や文句といったマイナスの言葉が出てしまう。

すると、マイナスの言葉がまたマイナスを呼び寄せ、悪循環になってしまう。


その不幸の連鎖を断ち切る言葉が、「ありがとう」だという。


「禍(わざわい)転じて福となす」

禍を転じて福となす、気持ちを切りかえる言葉が「ありがとう」。

「ありがとう」は魔法の言葉。

           <感謝合掌 平成27年12月12日 頓首再拝>

感謝にはその実を示す報恩行が伴わねばならぬ - 伝統

2015/12/19 (Sat) 05:05:11

           *『生長の家』誌(昭和45年6月号)より
 
常に生命の本源者なる神に心を振り向けて感謝するようにするがよい。

そうする事によって、あなたの心は神につながり、神の祝福の霊波と波長が合い、
神の祝福を充分に受取ることができるのである。 

そのような心境になるとき、神の恵みと供給の霊波とは
常にあなたの日常生活に必要な事物や、協力者となって具体化して、
あなたの身辺にあらわれて来るようになるのである。

あなたが感謝によって、神の祝福の霊波に波長が合うことができている
という自信が出来たとき、不安感情というものが消えてしまい、
心が常に平静であって安定を得ることになるのである。 

そしてあなたの日常瑣末な生活にもまた何等かの大事業の計画遂行にも、
神の善知識の導きを受ける自覚で出来て来るのである。

“我れ是を為す、神と倶になしつつあるのである” という信念が出て来るから、
事にのぞんで、落着いて判断することが出来、決断を要するときには速やかに決断することが出来、
何を行うにも躊躇逡巡することなく、する事為す事肯綮にあたって希望を成就することが
できるようになるのである。

しかし神に感謝するには、思念や口先だけの感謝では、
偽善に陥り、虚礼に陥るおそれがあるのである。

感謝にはその実行としての報恩行を伴わなければならないのである。 

神への報恩行というのは、神の人類光明化の御意志に、世界平和の促進に、
世界平和の中核体としての日本国家の実相顕現に、 
“挺身” “致心” “献資” の三徳を行じて、
この尊き神業に協力するところが人間になくてはならないのである。 

どんなに事業が忙しくとも、家事が多忙であっても、学問の事をゆるがせにできないにしても、
尚、誠心(まごころ)がありさえすれば、“挺身” “致心” “献資” の三徳全部を
行ずることができるし、そのうち一徳位は尚さら容易に出来得るのである。

出来ないのは、やる気がないからである。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24585466.html より転写)

           <感謝合掌 平成27年12月19日 頓首再拝>

【全身に感謝して眠ること】 - 伝統

2015/12/26 (Sat) 04:34:57


              *『白鳩』誌(昭和47年3月号)より

私たちは、自分の肉体を駆使し、又は酷使するばかりで、
それに対して感謝しないで《使い捨て》にしていることが多いのである。

肉体は“人間”の三つの面の中で“物質”としてあらわれているところの
一つの“面”であるけれども、聖経『甘露の法雨』には 
《心の糸を組み合わせて肉体の繭をつくり》 と示されている通り、

念波の波動が「認識の形式」を通して“物質”としてあらわれて見えているだけ
のものであるから、“心”の想いに対して敏感に反応するのである。

私たちが思念する真理の語(ことば)によって胃の腑や、肝臓を激励することや、
『甘露の法雨』を読誦することによって病気が治癒する実例が出る如きは、
肉体は物質として顕われている“心の状(すがた)”であるから、
心に対して感応するものであることを示しているのである。

肉体が単なる物質ではなく、《心の糸が組み合わされて》 
そのような姿をあらわしているものとすれば、〃感謝〃 に対しても
肉体は鋭敏に感応することは当然であるのである。

吾々は今まであまりにも肉体を「物質的道具」の如く思って使うだけで、
感謝したことがなかった。もっと感謝すれば、肉体はもっと永持ちするのである。 

『生命の實相』の生活篇の中には、眠りしなに、脚を撫でさすりながら 
「ありがとうございます」 と感謝語をとなえて眠る品田俊平君のことを
書いておいたのであるが、それを大抵見のがしてしまう人が多いのである。

長く健康を保ちたい人は、眠りしなに脚のみでなく、自分の両掌で、肩から両腕へ、
胸から腹の方へ十回位撫でさすり、いたわりながら 「ありがとうございます」 
と感謝の語(ことば)を繰返し、腹部は大腸の上を左進右退式に円を描くように
丸く掌でさすりながら、「ありがとうございます」 と感謝語をとなえるがよい。

そして大腿部を下へと撫りながら脚に感謝する。 
これは寝床に仰臥のままするのだから、脚の下部へは両手はとどかないが、
とどく気持ちで下方へ向けてさすりながら 

「全身の血行がよくなり、頭に集中していた血液が足部に集中して頭が軽くなり、
神に護られ安らかに眠られる、神さま、ありがとうございます」 
と念じながら眠りに入るがよい。

こうすれば、明日は今日よりも一層健康に若々しくなっているであろう。

   (http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11939/1367099976/2 より転写)
                   
          <感謝合掌 平成27年12月26日 頓首再拝>

すべてに有難きかな! ~そのまま素直な日 - 伝統

2016/01/03 (Sun) 04:27:07


           *「光明道中記」(1月3日)より

 【当り前のことに天地の恵みを自覚して有難いと判るのが悟りである。
                    (「生命の實相」第十二巻)】

一杯の味噌汁、一椀の朝食、天地の恵み茲に凝って吾々を生かしてくれている
と知るのが悟りである。
斯く喜べるところに胃腸の病は存在しないのである。

料理人の調味の酸鹹(すいからい)を言うなかれ。
料理の酸鹹を言う前にかく批評する吾が心が如何に鹹(から)く、
如何に酸(す)っぱきかを思え。

既に空気ありて吾れを生かせり、有りがたきかな。

既に屋(おく)ありて吾れのために雨露(うろ)を防ぐ、有難きかな。

犬に生まれずして人に生まれたり、
外国人に生まれずして日本人と生まれたり、有難きかな。

足ありて歩む、有難きかな。
手ありて物を執(と)る、有難きかな。


到るところに神の恵み満ちてあり。
心の眼覚むれば、娑婆は即ち寂光土ならずや。

到るところに大自然の恵満ちたり。

霜の白きも、木の葉の落ちたるも、霜の上に小鳥の足の印したるも、
日のさし上るも、晴れたるも、曇りたるも、霧深きも、百鳥(ひゃくちょう)啼くも、
白鳩飛ぶも、犬走るも、眼覚めて見れば恵みならざるなし。

心の眼(まなこ)ひらくが新年なり。
歴日が新しくなるに非ず、生命の新生なり。

            <感謝合掌 平成28年1月3日 頓首再拝>

かんしゃくの、くの字を捨てて、ただ感謝 - 伝統

2016/01/11 (Mon) 04:39:34


      *「光に向かって 100の花束より」高森顕徹・著(第11話)より


ある高僧のところへ、短気で困っている男が相談にきた。

「私は生まれつき短気者で困っております。
短気は損気と申しますが、まったく腹を立てた後は、自分も気分悪うございますし、
他人の感情も害して悔やむのですが、後の祭り、どうにもなりません。
なんとか私のこの短気を、治していただきたいと思って参上いたしました」


ニコニコ笑いながら聞いていた高僧は、

「なるほど、聞けばそなたは、なかなかおもしろいものを持って生まれてきたものじゃ。
治してしんぜるほどに、その短気とやらをひとつ、私に見せてもらいたい。今もお持ちかな」

「へえ、短気を今ここへ出して見せろと言われましても、
ただ今は、べつに短気をおこすあてもありませんので。ただ今は、ございません」

「しかし先ほど、そなたの話では、生まれつき持っていると言ったでないか。
持っていれば、身体のどこかにかくれているはずだ。
遠慮することはない、おもいきって出してみなされ」

「いや、ただ今は身体中を探しても、どうも、その短気が見あたりません」

「しかしどこかにあるだろう、どこにあるのかな」

「そう言われると困りますが、今のところ、どこにもありません」

「そうじゃろう。ある道理がないのだ。
そなたは、生まれながら短気じゃと言うが、元来、短気というものはないのだ。

今後、ムラムラとカンシャク玉が破裂しそうになったら、
この短気やろう、どこから出てくるのか出所を探してみるがよい。

どうかしたおりに、そなた自身が出すのだ。
自分が出さなければ、どうして短気が出るものか。
己が出しておいて、生まれつきというのは勝手なことだ」

と諭したという。


 ならぬ堪忍、するが堪忍。大切なのは心であり、心の持ちようである。

  かんしゃくの くの字を捨てて ただ、かんしゃ

            <感謝合掌 平成28年1月11日 頓首再拝>

《具体的に神に感謝するには》 - 伝統

2016/01/20 (Wed) 05:06:16


         *『 生長の家 』(昭和25年12月19日)の法語より

   大地、水、空気、日光、
   これらは宇宙普遍の神の恩恵の具象化したものである。

   吾らは これらすべてに 常に感謝すべきである。

   大地がなければ、住む処なく、作物はつくることが出来ないし、
   水がなければ、空気がなければ、日光がなければ
   生きることは出来ないのである。

   神に感謝するのは、先ず具体的には
   大地に感謝し、水に感謝し、空気に感謝し、
   日光に感謝することから始めなければならぬ。

   既にあるものに感謝することによって、
   次なる恩恵を受ける資格が出来て来るのである。

   新しい着物が欲しければ、現在の着物について不足を云うな。
   而してこれに感謝せよ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12336952.html

            <感謝合掌 平成28年1月20日 頓首再拝>

《相手に感謝する日》 - 伝統

2016/01/28 (Thu) 04:45:02


           *『 生長の家 』(昭和16年10月29日)の法語より

向うに手ごたえがあるからこちらに力が引出されて来るのである。

無限力と云うのは、用もない時にでも重すぎる過剰力を引摺って、
地球の中へ足を‘めり’込ましながら不便利に人生を歩むと云うことではないのである。

向うの手ごたえに随って、敵手2倍力が出て来るのである。
   
固いものを噛むので顎の力が内部から引出されて来る。
豆腐ばかり食べていたらならば咀嚼力が発達しないのである。

手剛い奴に感謝せよ ―― それは自分の力を引出してくれるところの
観世音菩薩の化身であると思って合掌して立対うのである。
   
この時に対立の観念が破れ、天下無敵があらわれるのである。

自分よりも弱い者を対手にしている場合には自分の力は萎縮してしまう。
また自分より強い者が外にいるとして、その外にいる者に頼るような依頼心を出していると、
自分の力は衰弱して助けて貰わなければ起上がることが出来なくなる。

困難は吾等の内に埋蔵する金鉱を掘出してくれる鶴嘴である。
経験は自己の内部より無尽蔵を引出してくれるところの良き機会なのである。

自己が消化し得たものだけが血となり肉となる。
外から来るものはただの素材に過ぎないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346

            <感謝合掌 平成28年1月28日 頓首再拝>

《一切に感謝せよ、奉仕せよ》 - 伝統

2016/02/05 (Fri) 03:49:55


            *「光明法語」(P31)より

この世の中には宿命というものもなければ僥倖というものもないのである。
吾々の成功は吾々の心の産物である。
吾々の失敗も又吾々の心の産物である。

吾が能力を如何に見るかその程度に従ってその人は成功するのである。

吾如何ほどに人々に深切をつくすかその程度に従ってその人は成功するのである。
吾如何ほどに人々を拝むかその程度に従ってその人は成功するのである。
吾如何ほどに人に感謝するかその程度に従ってその人は成功するのである。

あらゆる成功の鍵はあなたの心の掌中にあるのである。

            <感謝合掌 平成28年2月5日 頓首再拝>

感謝される存在になる - 伝統

2016/02/13 (Sat) 03:16:24

感謝される存在になる
~さらに上の段階に行くと幸運が雪だるま式にやってくる!

  *「奇跡を呼び込む! ありがとうの功徳力」佳川奈未・著(P35~37)より


あなたがいつも、目の前の人に「ありがとう」と言う習慣を持って、
気持ちよくお礼を言ったり、相手を思いやったり、何かをねぎらったり、
感謝の思いを持って接していくことになると、あなたのしていることが、
今度は、他の誰かにとって、感謝すべきことになってきます。


すると、今度は、あなた自身が、その人たちから、
「ありがとう」という言葉が頻繁にかけられるようになります。

あなたは、いつも誰かに出逢うたびに、何かしらの感謝を述べられ、
そのことに感謝を返そうとすると、さらに相手もあなたに感謝を送り返してくるので、
そこで感謝エネルギーの増幅が起こるようになってくるのです。

そして、あなたの感謝の気持ちを抱いた人たちは、あなたのために
心あるお礼をしたいという気持ちになったり、あなたの役に立ちたいと思うようになったり、
何かあればサポートしたいという気持ちを積極的に持つようになり、
実際、そのように動きはじめるのです。

人はあなたに感謝を伝えたいというだけで、時間や労力を惜しまず、
力を貸してくれるようになるのです。
また、あなたを引き上げるために、何でもしてあげたいというようになるのです。

そうして、そういう気持ちを、あなたはエネルギーとして受け取るので、
そういった良いエネルギーのシャワーを浴び続けたあなたは、
なにかにつけ、良いことに恵まれるように、なっていくのです。


また、その増幅して大きくなった形で浴びせられたエネルギーは、確実に宇宙にも放たれていて、
人が理屈では考えられないような、ものすごいラッキーなことや、ありえないようなよろこびごとや、
うれしい奇跡のような出来事を、運んでくるようになるのです。

感謝エネルギーは、最も簡単にあなたの人生を上昇させ、幸運を手にする、
高次元エネルギーなので、動かせない事情はないというようなことになるのです。

            <感謝合掌 平成28年2月13日 頓首再拝>

《大急ぎで先ず感謝するがよい》 - 伝統

2016/02/21 (Sun) 06:11:11


          *『 生長の家 』(昭和46年10月30日)の法語より

   金光教には 「 百節の御理解 」 という神言(しんげん)
   百種類があるのである。

   そのなかに 「 大急ぎで頼みに来る人は多いけれども
   大急ぎでお礼に来る人は少い 」 という警句がある。

   病気で医者が手を放したというと、家族が大急ぎで
   「 何とか神様の力で治して頂きたい。
   どうぞ神さまのお蔭(かげ)を頂きますように祈って下さい 」

   と頼みにくるくせに、さて その病気が治ってしまうと、
   ケロリとしてお礼にも来ない人がある。

   来るにしても、‘ 大急ぎ ’ で お礼には来ないのである。

   本当は 「 お礼を言うのが先であるのが最もよいのである 」


   だから イエスがラザロを復活せしめられた時に、
   イエスは先ず
   「 父よ、常にわが祈りを聴き給いし事を感謝いたします 」
   という意味をとなえて神に感謝しているのである。

   吾々もこれに倣(なら)うべきである。



   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=32


            <感謝合掌 平成28年2月21日 頓首再拝>

怒りを昇華する・・・ - 伝統

2016/02/28 (Sun) 03:38:16


         *Web:「幸せになるためのちょっといい話し」より


思い出すだけで胸くそ悪い奴っていませんか?
あるいは、思い出すと恐怖感がでてくる人。
深い悲しみに襲われてしまう人。

あんな奴のこと思い出したくない、と思えば思うほど、
忘れられなくなってしまうものです。

そんな思いに苦しんでいるあなたに、
幸せ請負人(ハッピーナビゲーター)矢野惣一さんが
いいことを書いている。



人間の持つ『喜怒哀楽』は、どれも元は同じエネルギーだそうだ。


電気エネルギーが、光や熱や動力に変換されるように、
人は、感情のエネルギーを、喜びや悲しみや怒りや感謝の気持ちに
変換することができるのだという考え方だ。


なるほどそう言われればその通りだと思う。


感情のエネルギーが喜か楽に変換された時は
ひとは幸せを感じるが、

怒や哀に変換された時には
あまり良い結果にはならない。


だったら『怒・哀』の感情を『喜・楽』に変換すればよい。


そのために必要なのが『感謝』の気持ちを持つことだ。


矢野さんは、次のようなイメージ療法を実行していたそうだ。


1.嫌な相手を人形にして箱の中に入れます。

2.箱に蓋をして、ダイナマイトで、箱ごと爆破します。

3.爆発の時に出た黒い煙に向かって

  「あの人のところに帰りなさい」と言います。

4.黒い煙が去った後には、キラキラとした光の粒子が残ります。

  その光の粒子を、頭のてっぺんに換気扇があるようにイメージして、
  体の中に吸い込みます。


これは、人から受け取ったネガティブな感情を
エネルギーに変えて本人に返し、
ポジティブな感情だけを残してありがたく頂戴する
ためのイメージ療法だという。


私たちは他人から、嫌な思いと、良い思いと、両方を受け取っています。

他人から受け取ってしまった嫌な思いは、
その人に返してあげればよいのです。

けれど、憎しみを憎しみとして返したら、
呪いのわら人形になってしまいます。

この方法では、他人から受け取ってしまった嫌な思いを
“純粋なエネルギー”に換えて、その人に返します。
そのためにダイナマイトで爆破するのです。


あなたからエネルギーを返してもらった人は、
元気になりますし、そのエネルギーを今度は、
優しさや感謝の気持ちに変換することができます。


嫌な想いを相手に返すと、その後には、
その人から受け取った良い想いが残ります。
ガラクタの中に埋もれていた宝物が見つかった感じです。


それが、光の粒子として現れます。
その光の粒子を、ありがたく頂戴しましょう。


そうすることで、その人からポジティブな感情だけを
ありがたく受け取ることができるようになります。

すると、その人に対する「赦し」の気持ちが生じ、
時には「感謝」の気持ちがわきあがってくることさえあります。


矢野さんは、サラリーマン時代、
このイメージ療法を上司に対して使っていました。

その上司は、うまくいったことは自分の手柄、失敗はお前のせい、
部下のヒイキが激しい、という典型的な嫌な上司でした。
どうやら矢野さんは、かなり嫌われていたようでした。


それがこのイメージ療法を1週間ほど続けていたら、
何と、上司がやけに優しくなってきたそうです。


それだけなら、矢野さんの上司に対する接し方が変わったからなのかな、
とも思えるんですが、次のような不思議な変化が起こったそうです。


上司は、慢性的な胃炎をかかえているにもかかわらず、
毎日酒を飲まずにはいられない人でした。


そんな上司が、
「いやぁ~、酒やめると調子ええわぁ! 」
と、社内中を「調子ええわ、調子ええわ」と言って歩きまわっているのです。


不思議はここでは終わりませんでした。


矢野さんの中で、上司に対する感謝の気持ちが沸き起こってきたのです。
あんなにメタクソ言われていた上司に対してです。


それだけではありません。
上司だけでなく、ありとあらゆるものに対して、
感謝、感謝、感謝

感謝の涙が止まりません。

道を歩きながら、飯を食いながら、とにかく涙、涙です。

間もなく矢野さんは会社を辞めました。
上司も「すまなかった」と涙をためて謝罪してくれたそうです。




大切な人を亡くした深い悲しみから抜け出すことができた時、
あなたの中でどんな変化が起きていましたか?

悲しんでいるうちは、涙涸れるまで泣いても、悲しみから抜け出せません。

悲しみが、「感謝」の気持ちに変わった時に、
そこから抜け出すことができたのではないでしょうか。


それは、怒りでも憎しみでも恐怖でも恥ずかしさでも同じだと思います。


そのツライ過去から、自分は何かを学んだのだと「感謝」できた時、
人は、そのツライ過去から抜け出して、成長を遂げることができるのです。



感情は、喜怒哀楽、どれも元は同じエネルギー。
 
 ツライ過去から、自分は何かを学んだのだと
 ネガティブな感情が、「感謝」の気持ちに変換された時、
 人は、そのツライ過去から抜け出すことができる。
   
 そして、感謝の気持ちと共に
 新たな人生を踏み出している自分に気づくのです。

 (http://mugikiri.exblog.jp/4463438/

            <感謝合掌 平成28年2月27日 頓首再拝>

全てに感謝(大調和の神示 ~ 教えの基本) - 伝統

2016/03/01 (Tue) 03:22:48


《七つの燭台の点燈者の神示》


汝ら天地一切のものと和解せよ。

天地一切のものとの和解が成立するとき、
天地一切のものは汝の味方である。

天地一切のものが汝の味方となるとき、
天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。


汝が何物かに傷けられたり、
黴菌や悪霊に冒されたりするのは
汝が天地一切のものと
和解していない証拠であるから省みて和解せよ。


われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき
先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。

汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。


天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。

本当の和解は互いに怺え合ったり、
我慢し合ったりするのでは得られぬ。
怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。

感謝し合ったとき本当の和解が成立する。
神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは
天地万物と和解が成立せぬ。

天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、
争いの念波は神の救の念波を能う受けぬ。


皇恩に感謝せよ。

汝の父母に感謝せよ。

汝の夫又は妻に感謝せよ。

汝の子に感謝せよ。

汝の召使に感謝せよ。

一切の人々に感謝せよ。

天地の万物に感謝せよ。

その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、
わが救を受けるであろう。

われは全ての総てであるから
すべてと和解したものの中にのみわれはいる。

われは此処に見よ、
彼処に見よと云うが如くにはいないのである。

だからわれは霊媒には憑らぬ。
神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。

われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解してわれを招べ。

われは愛であるから、
汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。

             ・・・

<関連Web>

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱「大調和の神示とその講義」
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=141

            <感謝合掌 平成28年3月1日 頓首再拝>

すべてに感謝の日 - 伝統

2016/03/09 (Wed) 04:12:33


今日3月9日は「サン(3)キュー(9)」(THANK YOU)で、「感謝の日」。
過去・現在・未来におけるすべての人・物・事にの感謝の思いを寄せる日です。


・・・


《不足を云う者の処へは善きものは集まって来ぬ》

       *『 生長の家 』(昭和25年12月20日)の法語より

   新しき善きものを欲するならば
   今まで役に立っていてくれたものに先ず感謝しなければならない。

   使ったあとは礼も云わないようなところへは
   善きものは集まって来ないのである。

   若(も)し「 事物 」 に心ありせば、
   「 自分も亦(また)あのように使ったあとは不足を云って
   捨てられるのか 」 と思うと、

   喜んで吾らのところへ仕えるためにやって来る
   「 事物 」 はないであろう。

   しかも 「 事物 」 はすべて心があるどころか、
   心そのものの具象化であるから、

   今までのものに不足を云うような所へは
   決して喜んで集まって来ないのである。

   今ある事物に感謝し、
   此(こ)れから来るよき事物を心に描いて感謝せよ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12338114.html

            <感謝合掌 平成28年3月9日 頓首再拝>

してくれた行為に対して「ありがとう」を伝える - 伝統

2016/03/18 (Fri) 04:15:56


       *「強運のつかみ方」橋本 京明・著(P114~115)より

どんな理不尽な状況であっても、ととも感謝できるような状況であっても、
「感謝」が大事なのです。

覚えておいてほしいのは、「感謝をする」といいうことは、
相手のためではないということ。自分のためです。
自分の得になるから「ありがとう」なのです。

なかなか「相手」に「ありがとう」を言えないようなときには、
してくれた「行為」に対して「ありがとう」を言いましょう。

何に対して感謝を伝えるかを明確にしていくと、苦手な人にも素直に「ありがとう」と
言えるようになっていきます。

「行為に対して感謝を伝える」と割り切れば、腹も立ちません。


「ありがとう」と言っていると、
「ありがとう」を言いたくなることが自分に返ってきます。
自分がしたことがそのまま返ってくる。

すべては「鏡」だからです。

            <感謝合掌 平成28年3月18日 頓首再拝>

《感謝は実相の詳福を現実化するための反射鏡》 - 伝統

2016/03/25 (Fri) 04:56:57


        *『白鳩』(昭和49年1月21日)の箴言より

   テキストにある「人間が大生命なる神の最高の自己顕現であること
   を自覚できるならば」の句の次に、私は「その自覚ができて、
   それを感謝の念をもって受取ることができるならば」の三十一字を、
   後から追加して書き入れることにしたのである。

   それは何故であるかというと、「感謝は実相の生命原理を
   形ある世界に実現するための一つの方法」 〈『信仰の科学』二六五頁〉 
   であるからである。


   神から来れる恵み〈実相〉は天から来る〃光〃みたいなものである。
   それを反射する空気が稀薄であれば、受取る光も薄明になり、
   温度も低くなる。

   更に空気が全然ない真空圏になれば、全然暗黒であり、極寒の状態である。

   これは空気がないために、折角、太陽から光と熱とを送られて来ても、
   〃反射〃という応答がないために、その光と熱とが現実化しないのである。

   それと同じく〃実相〃に於ては既になくてはならぬ必需品はことごとく、
   〃神の子〃たる吾らには、神から与えられているけれども、

   それを受けるに必要な〃感謝〃の心をもって応答しないと、
   その神から既に与えられているものが現実化しないのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809

            <感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝>

《求むるものを先ず心の中に受けて感謝せよ》 - 伝統

2016/04/03 (Sun) 04:49:10


           *『白鳩』(昭和49年1月22日)の箴言より

   それゆえに、聖書にはイエスが「汝ら祈りて何事にても求むるとき、
   既にそれを受けたりと信ぜよ。乃(すなわ)ち汝はそれを得ん」と
   教えていられるのであるけれども、

   私は、そのイエスの語に「感謝」を追加して
   『信仰の科学』の本には次の如く書いておいたのである。

   『感謝は実相の生命原理を形ある世界に実現するための
   一つの方法なのである。
   聖書は「汝ら祈るとき、既に受けたりと信じて“感謝せよ”」と
   教えているのである』

   この圏点を行文の傍点として附したる
   “感謝せよ”の四字は私が追加したのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809

            <感謝合掌 平成28年4月3日 頓首再拝>

Re: すべてに感謝!① - xqyispwtbMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:50:42

伝統板・第二
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