伝統板・第二

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ゆるしはすべてを変える - 伝統

2015/04/09 (Thu) 04:03:47

*光明掲示板・伝統・第一「ゆるしはすべてを変える (42)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=25

・・・

《自分の欠点を赦す》

          *「人類無罪宣言」(P108)より

われらはすべての人を赦さなければならないのである。
すべての人の中には自分自身を含んでいるのである。
自分自身の欠点を赦さなければならないのである。

あなたの欠点に向かって、心の中で次のように唱えて
その欠点を赦すのが一つの良き方法であるのである。

「自分はすでに赦されたり。神によって完全にせられたのである。
もはや欠点もなく浄められたのである。」こう繰り返し繰り返し念じて、
神の光明の中に融けこんで、完全に雪のごとく清浄にせられたる自分を
瞑想するのがよいのである。


すべての事物は、想念の具象化であるから、われわれ自身のうちに、
自己でも他人(ひと)でも呪ったり、憎んだり、不完全だと
責める想念をおこしてはならないのである。

この真理を、キリストは「我らに負債(おいめ)ある者を我らの免(ゆる)したるごとく、
吾らの負債をも免したまえ」と祈るように教えたのである。

だいたい人に罪を着せて、「あいつは悪い奴だ」と思っていて、
自分に幸福が来るはずははないのである。
なぜなら「類をもって集まる」「類は類を招く」のが心の法則であるからである。

「人を呪わば穴二つ」という諺の通り「人を罪する心」をもっているかぎりは
「自分を罪する」(即ち自分を不幸にする)何ものかがあらわれてくるのである。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「ゆるす(釈・赦・許) (6522)」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1234 

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「ゆるし (10842)」
       → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2078

(3)「光明掲示板・第三」内スレッド「ゆるし」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=41


             <感謝合掌 平成27年4月9日 頓首再拝>

昔の痛みをすべてとき放ち、自分をゆるす - 伝統

2015/04/18 (Sat) 04:15:37

      *「こころがやすらぐ本」ルイーズ・L・ヘイ(著)(P158~159)より

人に仕返しをすることはむずかしいもの。
復讐は絶対うまくいかないもの。

なぜなら、あなたが放つものは、必ずあなたのところに戻ってくるからです。
最終的な責任はどこかでとることになるのです。

             ・・・

過去の痛みや怒りにこだわって、この瞬間に新しい経験をすることをゆるさずにいると、
今日という一日を無駄にすごすことになってしまう。

永い間、痛みや恨みをもちつづけているなら、
ほかの誰でもない自分自身をゆるすことが必要なのです。

昔の痛みを感じつづけていれば、今も自分に罰を与えていることになる。

人はよく、ひとりよがりの「憤り」という「牢獄」にとらわれてしまう。
正しくありたい、幸せでありたいと自分で思っているだろうか?

自分をゆるして、もう罰をあたえるのはやまよう。

             <感謝合掌 平成27年4月18日 頓首再拝>

すべてを赦し、寝床に入る - 伝統

2015/04/24 (Fri) 03:31:58


          *「人類無罪宣言」(P108~109)より

人を審判(さばく)ものは、また自分も裁かれるのである。

聖書に「人の負債(おいめ)を赦せ」とあるのは、人に金を貸してあるのに
その借金証文を全部焼いてそれを帳消しにせよという意味ではないのである。
そんなことをしたら商取引は成り立たないのである。

「あいつはわしに損をかけている」という感じをすてて、
「あの人のおかげで商売(その他なんでも)が成り立っているのだ、ありがとうございます」
という気持ちになることである。

憎しみや、呪いや、腹立ちの感じを感謝に変化してしまうことである。

できるならば、憎んでいる人のなまえをいちいちとなえて
「わたしあなたを赦しました。わたしはあなたに感謝しています。ありがとうございます」
と毎朝夕20分ぐらいずつ思念するのがよい。(第38巻)        

わたしは「光明生活法」の中で就寝前の15分間の神想観の方法を説いておいたが、
それを病気の治療に応用する場合に特に注意すべきことは就寝前に、
その日またはそれ迄の日において、呪ってた人々を赦し、憎んでいた人々を恕(ゆる)し、
自分の好まない人達とその過失とをことごとく赦して眠ることである。

眠っている間に最も多く癒しの神力(自然療能)は進行するのである。
あの人があの時あういう態度に出たことはかえって私にとって必要なことだったのである。
私が彼を憎んでいたのは、わたしの観察眼が狭いために、あの人がああいう態度にでたことを、
自分に害があるように思って思い違いをしていたにすぎないのでのである。

本当はあの人がああしてくれたので、わたしのた’め’になったのである。
わたしはあの人に感謝する。何某(なにがし)よ、わたしはあなたに感謝する。
本当に感謝する。

わたしはあなたに感謝し、あなたを祝福するものである。
ありがとうございます。ありがとうございます。

こう精神を静かに調えながら、繰り返し繰り返し念じて、
全き平和の心境に達したとき寝てしまうのである。

             <感謝合掌 平成27年4月24日 頓首再拝>

許しの旅 - 伝統

2015/05/02 (Sat) 04:35:27


      *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)はしがきより


はじめに・・・

私たちは、全員、人生のスーツケースの中に、満たされぬ思い、
不平不満、恨み、憎しみ、敵意などをつめこんでいます。

なぜなら、まわりの人たちがあなたを傷つけるから。
彼らは、ときに意図的に、ときに無意識に、ときにミスから、あなたを傷つけます。

いずれにしても、彼らから受けた傷は、いまだ癒されておらず、いまなお痛むもの。
かさぶたは、まだ、取れていないのです。

かつて私たちを傷つけたあとの似た状況がおこるたびに、
そのかさぶたはうずき始めます。

この重荷から解放されるためには、「相手を許さなければならない」
としたら、あなたはどうしますか?


恨みというのは、一種の『絆』なのです。
恨みが古ければ古いほど、虐待者と犠牲者を結びつける
「目に見えないロープ」は強くなります。

私たちが恨みを抱いているかぎり、私たちと虐待者は絆でつながれているのです。

でも、「許す」必要があるなんて!
しかも、こちらから一方的に許さなければならないなんて!

そんなことをしようとしたら、昔の亡霊があらわれてきっと次のように言うはずです。

「あの人が私にしたことを忘れなさいですって? そんなこと絶対無理よ! 」

あるいは、次のように言うかもしれません。

「あの人のせいで私は今でも苦しんでいるのよ。恨むのは当然じゃない! 」


でも、そこには誤解があります。

「許す」というのは虐待者を自由にすることではありません。
犠牲者を自由にすることなのです。

許すことによって自由になるのは、虐待者である相手ではなくて、
犠牲者であるあなた自身。

あなたが恨みを手放すことによって、
あなたは「目に見えないロープ」から解放され、自由になるのです。

許すというのは、忘れることではありません。
また、相手を罪から解き放つことでもありません。
そもそも、人間である私たちに、そんなことができるはずがないのですから。


許すとは、あなたを過去の杭に縛りつけている目に見えないロープを切って、
もっと自由に、もっと軽やかに、もっと朗らかに道を歩いていく、ということなのです。


勇気を持って最初の段階 ―― つまり、苦しみ、失望、裏切り、暴力の段階 ――
を思い出し、それに直面すれば、心がだんだん、落ち着いてくるもの。
この段階に至りさえすれば、それまで私たちを虜のしていた、
やっかいな恨みの念に、押しつぶされなくてもすむようになります。


「人生」をもっと信頼しましょう。
私たちが、復讐の念を持ち続ける必要はないのです。
私たちが、自分の手を汚す必要はないのです。

「人生」が、私たちの代わりに、必ずそれをやってくれますから。
それが<<原因と結果の法則>>なのです。

ほとんどの場合、私たち自身がやるよりもっと上手に、
そして時にはもっと厳しく、人生が復讐してくれるのです。
だったら、どうして、私たちが手を汚す必要があるでしょうか?

さあ、以上のことを心に刻み、これから長くて困難な許しの旅
―― 私はそれが簡単だとは言いません ―― に出発しましょう。

             <感謝合掌 平成27年5月2日 頓首再拝>

相手の立場に身を置き、理解する - 伝統

2015/05/08 (Fri) 04:45:05


        *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』(P12~15)より

Lesson1 許すのは、相手のためではなく、自分自身のため

     まず最初に、このことを確認しておきましょう。
     これが、許しに至る最初のステップです。
     許すのは、相手のためではありません。

     自分自身のために許すのです。


Lesson2 相手の立場に身を置いてみる

     ほんの一瞬でもいいのです。相手の立場に身を置いてみましょう。
     そうすれば、相手が、誤解をし、間違い、苦しんでいたために、
     私たちを傷つけたのだ、ということがわかるはず。

     そうすれば、あなたは自然に「許す」ことができるでしょう。


Lesson3 理解することは許しにつながる

     相手がなぜそうしたのかがわかれば、
     私たちは、自分が責められたとは思わないもの。
     相手がどういう状況でそのように振る舞ったのか、
     ということを考えてみましょう。

     もしかしたら、その人は、恋人を失ったばかりだったのかも・・・・。
     あるいは、その朝、ご主人とけんかをしたのかもしれません。


Lesson4 あの人は故意にあなたを傷つけようとした?

     仮に、その人が、あなたに対して本当に意地悪で攻撃的で
     あったとしても、それにはきっと、それだけのわけがあるのです。

     おそらく、その人自身、過去に深く傷ついたことがあるのでしょう。
     だから、あんなふうに行動してしまったのです。

     相手を理解することができれば、あなたは苦しまずにすみます。

     私たちは、苦しむからこそ、相手を許せなくなるのです。

             <感謝合掌 平成27年5月8日 頓首再拝>

苦しみを客観的に見てみる - 伝統

2015/05/14 (Thu) 04:31:32


        *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』(P16~18)より

Lesson5 苦しみを客観的に見てみる

     私たちが、攻撃や裏切りにあって感じる苦しみには、
     たくさんの要素が含まれています。

     苦しみを整理してみると、それがスフレのようにふくらんで
     いたことがわかるはず。

     いったん苦しみ出すと、そこに色々な要素が入ってきて、
     苦しみがどんどんふくらんでしまいます。

     そして、その大きくなった苦しみを、全部、相手が与えたと
     思い込んでしまうのです。


Lesson6 『カチンとくる』ことと『心が傷つく』ことを区別する

     傷には、「プライド」に関わるものと、「愛情」に関わるものがあります。
     「カチンとくる」のが前者で、「心が傷つく」のが後者。

     プライドが傷ついた場合、心が傷ついた場合よりも、
     早めに苦しみは和らぎます。
     苦しみを客観的に見ることが、どちらかというと楽にできるからです。

     そんなときは、なるべく早めに、恨み心を手放して、相手を許しましょう。

             <感謝合掌 平成27年5月14日 頓首再拝>

ものごとをクリアに捉えましょう。 - 伝統

2015/05/20 (Wed) 04:40:31


        *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』(P19~22)より

Lesson7 あなたがされたことは本当に恨みや憎しみに値するもの?

     ものごとをクリアに捉えましょう。
     私たちは、ときに、あまりにも激しい反応をしてしまいがち。
     そんなときは、ついつい恨みや憎しみを心に抱きかねないものです。


Lesson8 いま受けた攻撃によって、過去のどんな傷がうずきだしたの?

     私たちは、しょっちゅう心の中で、「共鳴」を経験しています。
     いま小さな傷を受けることで、過去のあらゆる傷がうずき出し、
     響き出し、甦ってくるのです。

     ときには、私たちがまだ幼すぎて、自分を守る術を知らなかったころに受けた、
     古い、古い傷が甦ってくることも。

     そんなときは、心の中をしっかり整理しましょう。
     そうすることで、あなたを傷つけた目の前の人を、
     過度に責めることがなくなります。

     その人がしなかったことまで、その人のせいにするのはやめましょう。


Lesson9 あなたもまた誰かに対して似たようなことをしていない?

     私たちは、知らず知らずのうちに、人を傷つけていることがあります。
     そのことがわかれば、相手を一方的に責めることはなくなるでしょう。

             <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>

許せない思いや恨みという太いロープを切ってしまいましょう - 伝統

2015/05/26 (Tue) 03:17:09

        *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』(P23~24)より

Lesson 10 どうしても許せないときは大きなハサミをイメージ。

     どうしても許せないときは、大きなハサミをイメージ。
     そのハサミで、あなたを結ぶ目に見えないロープを切ってしまおう。


     本当に苦しんでいるのは、血を流しているのは、涙を流しているのは、
     実は相手のほう。

     その姿をありありと心に思い描いてみましょう。

     そうすると、許しへの一歩を踏み出すことができます。

     恨みの思いが甦ってきたら、再び相手の苦しむ姿、相手が血をながしている姿、
     相手が涙を流している姿を心に思い描いてみましょう。


Lesson 11 恨みは、あなたと相手をしっかり結びつける、目に見えない太いロープ


     私たちは、恨みを持てば、相手を自分から遠ざけることになる、と
     思い込んでいるもの(恨みには、拒絶の気持ちが含まれているから)。

     でも、実際には、まったく逆のことが起こっています。

     相手を恨むことで、私たちはますます相手に近づき、ますます
     しっかりと相手に結びつけられてしまうのです。

             <感謝合掌 平成27年5月26日 頓首再拝>

裁きをやめる - 伝統

2015/05/31 (Sun) 04:11:47


        *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』(P25~26)より

Lesson 12 現実をありのままに受け入れる


     人にされたことを、何度も何度も思い返したところで、
     いったい何になるのでしょうか?

     時間の無駄でしかありません。

     すでに起こってしまったことを変える力は、私たち人間にはないのです。

     だとしたら、すでに起こってしまったことはそのまま受け入れ、
     未来に向かって歩き出してみませんか?



Lesson 13 相手の行動を裁くことをやめてみる


     確かにこれは難しいこと。でも、本当に大切なことです。

     傷がどれほど大きくても、相手を裁かないようにしましょう。
     そうして、ひたすら自分の気持ちと向き合うのです。

     私たちは、裁判官になるために生まれてきたのではありません。

             <感謝合掌 平成27年5月31日 頓首再拝>

《自分を害する人にさえ其(そ)の幸福を祈れ》 - 伝統

2015/06/06 (Sat) 04:23:58


          *『 生長の家 』誌(昭和25年5月5日の法語)より

   神はすべてを良くし給う力である。
   神の力が自分より完全にそそぎ出(い)でるためには
   まず吾らはすべての人を赦さなければならないのである。

   すべての人を赦して、而(しか)して後に
   神に対して凡ゆるよきものを願う所の祈りが
   神に対して波長が合うのである。

   十字架の中からキリストが復活した様に
   吾々も亦(また)凡ゆる苦難の中から復活することができるのである。

   キリストは自分を十字架につけた者さえも決して呪(のろ)わず、

   「 神よ彼らを赦し給え、彼らはなすことを知らざるなり 」 といって

   彼を害した人の幸福さえも祈っているのである。



   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=132


             <感謝合掌 平成27年6月6日 頓首再拝>

相手に求めず、自分で癒す - 伝統

2015/06/13 (Sat) 03:38:56


        *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』(P27~29)より

Lesson 14 ひたすら自分の痛みに向き合い、その痛みを癒そう

     サイコセラピー、ヒプノセラピー、リバーシングなどを受ければ、
     私たちは、自分の心のなかを変化させ、比較的簡単に苦しみから
     抜け出すことができます。

     でも、相手を変えることのできる技法は世界中にただのひとつもありません。


Lesson 15 相手を後悔させても、苦しみからは癒されない

     もちろん、相手が、後悔の気持ちを表し、おわびの言葉を言ってくれれば、
     私たちの苦しみはやわらぎます。

     しかし、それを相手に強要することはできません。

     もし、相手があやまりに来てくれたら、それはそれでとても良いことです。
     でも、あやまりに来てくれない場合、いくら待ってもムダになるだけ。

     その待つ時間とエネルギーを、自分の苦しみを癒すために使ったほうが
     いいのではないのでしょうか?

             <感謝合掌 平成27年6月13日 頓首再拝>

許すことで、幸せになれる - 伝統

2015/06/20 (Sat) 04:36:37


      *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P30~33)より


Lesson 16 『目には目を』という考え方はしない!


     「『目には目を』という考え方は、とてもパワフルである。
     これをみんなが実践すれば、世界中の人たちが盲目になるには、
     そう長くはかからない」

     とガンジーは言いました。


     誰かが、どこかで、今日すぐにでも、攻撃と苦痛の悪循環の輪を
     断ち切らなければなりません。

     それがあなただったとしたら・・・・・。

     こんな素敵なことはありません。




Lesson 17 憎しみを捨てて許せば、心は安らぎで満たされる


     憎しみと恨みに心が支配されているあいだは、
     私たちは自分を愛することができません。

     自分を愛することができないうちは、私たちは、
     自分にふさわしくない思いを持ち、態度をとってしまいます。

     そうして、ますます不安になるのです。

     そろそろ、相手を許して心のやすらぎを得てみませんか?



Lesson 18 許すことができたとき、あなたの魂は素晴らしいものになる

     相手を許せたときは、自分の魂の素晴らしさを心から祝福しましょう。

     そうして、自分の魂に「おめでとう!」と言ってあげましょう。

     さあ、あなたはこれから、幸せになるのです。

             <感謝合掌 平成27年6月20日 頓首再拝>

【 復活の力は「 赦し 」から出て来る 】 - 伝統

2015/06/27 (Sat) 04:08:29


          *『 生長の家 』誌(昭和25年5月6日の法語)より

神の愛は永遠に変わらないが、
人間の心が変わって神の愛に
波長が合わなくなるだけである。


キリストが十字架から復活した様に、
凡ゆる不幸の中から復活する力が
自分の中に宿っているのである。


吾はすべての人々を赦す度毎(ごと)に
吾自身が赦されるのである。


神はすべての罪をすでに赦し給うたのである。

自分も亦すべての人を赦したのである。

  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=132


             <感謝合掌 平成27年6月27日 頓首再拝>

「許す」ことで一番得をするのは自分 - 伝統

2015/07/05 (Sun) 04:20:38


      *「つぶやくだけで心がスッキリする魔法の言葉(じゅもん)」
        はづき虹映・著(P53~55)より


《その”こだわり”で損をするのは、あなた》

他人の行為を「許せない」と思うのは、実は相手の行為に非があるからというよりも、
「あなた自身の問題」という場合が多いのである。

「え? どういうこと? 」と思いますか。

相手の言動に、「絶対、許せない! 」と憤懣やるかたない気持ちになるのは、
あなたが「自分の正しさ」の基準で相手を裁いているときだからです。


確かに、相手は反社会的な行動をとったかもしれませんが、そのせいでいつまでも
あなたがイライラして眉間にしわをよせ、口をへの字にしていたら、
どう考えても《圧倒的に損》をしているのは、《あなた》です。

だって、その「許せない行為」をした相手は、そんなことをしたこそすら、
もう忘れてしまっている可能性が高いからです。


《「許す」ことで一番得をするのは誰?》

相手を許さないことで、一番ダメージを受けるのは、実はあなた自身。
いつまでも自分の「正しさ」を掲げて窮屈な思いをするのは、
そろそろやめにしませんか?


相手のためではなく、何より、あなた自身のために許してあげましょう。

「許す」ことは、「ゆるむ」ことです。
「ゆるんだ人」は、「ほどけた人」。
「ほどけた人」が「仏様」になるのです。

人生はゆるむが勝ち!

許せない怒りをためてしまっても、何もいいことはありません。

今ここで、

「まぁ、いいか・・・。しょせん、すべては小さなこと」

とつぶやいてみませんか?

相手を許すことで、一番癒され、得をするのは、自分だということを
ぜひ、おわすれなきよう・・・。

             <感謝合掌 平成27年7月5日 頓首再拝>

許すとは、「あなたのなかの悪しき思いを手放すこと」 - 伝統

2015/07/12 (Sun) 03:33:33


      *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P34~)より


Lesson 19 恨んでも、いいことは何ひとつ起こらない

私たちは、ときに、相手を許すことがまるで禁じられてでもいるかのように振る舞うもの。

また、相手を許すと、相手がまた同じことを
自分や他の人たちにするのではないかと思っています。

でもそんなことはありません。

本当に許された人は、二度と同じことをしません。

相手を恨んだところで、何ひとつ変えることはできないどころか、
むしろ、悪い状況を固定させるだけです。

               ・・・

Lesson 20 相手は恨まれると、また同じことを繰り返す

相手の攻撃によって、私たちのなかに恨みの感情が生まれます。

そして私たちが自分を守るために相手を攻撃すると、相手も同じく、
攻撃を返してきます。
その、相手の攻撃によって、私たちはまた恨み・・・

これを<地獄の輪>(悪循環)と言います。

こうして、恨みの念がどんどん強まっていくのです。

コルシカでは、このようにして、人々は復讐に復讐を重ねてきました。
それがいつ始まったのか、知っている人はもはやひとりもいません。

               ・・・

Lesson21 『許し』と『罪から解き放つこと』は違う

許すことは、相手を罪から解き放つことではありません。

それは、「相手の過ちを白紙に戻し、もう一度同じことをやってもよい
と認めること」ではないのです。

許すとは、「あなたのなかの悪しき思いを手放すこと」です。

             <感謝合掌 平成27年7月12日 頓首再拝>

憎しみの原因は、自分の内部にあり - 伝統

2015/07/18 (Sat) 04:36:58

憎しみの原因は、自分の内部にあり



      我々がある人間を憎む場合、

      我々は彼の姿を借りて

      我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。


                    ヘルマン・ヘッセ

             <感謝合掌 平成27年7月18日 頓首再拝>

許すことは、相手にじっくり考えさせるための良いチャンスになる - 伝統

2015/07/25 (Sat) 03:27:46

Lesson 22 許すことは、相手に自分のしたこととその影響について、
     じっくり考えさせるための良いチャンス!

      *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P37~)より

私たちが恨み心を持っている限り、相手と私たちはいつまでも攻め合います。

相手はこの攻撃性を盾にして、自分の良心と直面せずに済むのです。


でも、私たちが、相手を許したとき、相手に盾がなくなるので、
自分の良心と直面せざるをえなくなります。

その結果、相手がものすごくうろたえることさえあるのです!

             <感謝合掌 平成27年7月25日 頓首再拝>

一度憤った相手は思い出してゆるせ - 伝統

2015/08/01 (Sat) 04:49:22


          *「光明法語」(P112)より

「われすべての人を赦したり」と観じても、
そう漠然と思うだけで赦していないことがある。

それは自分の家はもうすっかり不浄のものを洗ってしまって
洗濯物はないと信じていても、押入の隅っこに「汚れ物」を
つくねて忘れていることがあるのと同じである。

その「汚れ物」を発見し、
それに清らかなる水を灑(そそ)いで洗い浄める事が必要なのである。

過去より今まで嘗て憎み恨み憤りたりし相手を思い起こし、
一々その顔を眼瞼(まぶた)の内に思い浮かべ、

「私は貴方を赦しました。貴方も私を赦しました・・・」と

心の中に唱えるのである。

             <感謝合掌 平成27年8月1日 頓首再拝>

心を点検し、古くなった恨みの気持ちを捨てましょう! - 伝統

2015/08/08 (Sat) 04:50:12


     *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P38~39)より

Lesson 23 まず、あなた自身の幸福を考える


まず、自分の心を点検しましょう。

そして、恨みの気持ちがどれほど苦しみを生み続けるものであるかを、
理解するのです。

許しこそが、解放にいたる道。

許しこそが、幸福にいたる道なのです。

                  ・・・

Lesson 24 過去は、重すぎるスーツケースのようなもの。
     いらなくなった古い洋服は捨てよう。


古びた、傷だらけのスーツケースを想像してください。

そのスーツケースを開けると、
流行おくれの、丈に合わない、すりきれた洋服が詰まっています。

それは、私たちの記憶、すなわち<恨みの気持ち>。

一つそれを手にとって眺め、認め、名前をつけ、そして投げ捨てます。

全部捨てたら、スーツケースを閉め、手に持ち、

そして喜びに満たされて、足取りも軽く、未来に向かって歩き出しましょう。

             <感謝合掌 平成27年8月8日 頓首再拝>

「赦し」の大切さ - 伝統

2015/08/15 (Sat) 04:47:42


         *『「死後の世界」を知れば、人生が輝き始める』
           ダニオン・ブリンクリー (著)・越山雅代 (著) より

《赦し》

(1)「赦し」というのは、そのことが起こらなかったかのように忘れること。
   ありのままに受け入れる。
   そして、その気掛かりなことを自分から解き放ち、自由になること。

(2)誰かに、あるいは何かに、恨みを抱え続けていること、ネガティブな感情に縛られている
   ことは、イコール、その相手にエネルギーを吸い取られ続けている、ということだ。

(3)「赦す」ということには、とてつもない強さとたくましさ、勇気が必要になる。
   けれど、それによって得られるものは、想像できないくらい、尊く、偉大なもの。

(4)「真の赦し」が行われることによって、一人ひとりの魂の愛の質量が増え、
   進化・成長をとげ、それによって世界すら変えてしまう力を持つ。



《「赦す」ことで自分が強くなれる、「自分のため」と割り切ることも大切》

(1)「赦す」ということは、弱い人がすること――と思っている人も少なくない
   かもしれないけれど(かつての私がそうだったように)、これは大間違いだよ。

   「真の赦し」ができれば、本当の意味でその人の人生すべてがパワーアップする。

   赦すことは自分を強くし、強運にする素晴らしいことなんだ。
   そのことを、心にしっかり刻み込んでおくといいよ。


(2)また、「赦せない」なんて否定的な感情をためこむと、それこそ自分が病気になったり、
   運が回らなくなったりする――そういうネガティブな感情は、そんなふうに、
   ダイレクトに自分に跳ね返ってくるものなんだ。


(3)それに、死後の世界で「迷子」になり、エネルギーの低いグレーの場所を
   ウロウロしていつまで経っても天国に行けない魂もいるのだ。

   そういう魂は、誰かに迷子にさせられているわけではない。

   「赦せない。一生恨み続ける」などといったネガティブな思いに縛られている人が、
   「自らの選択」で入って行く場所なんだよ。

   そして、そういう感情、思いをクリアできなければ、永遠にそこに留まることになる――。


(4)そんなの、皆さんも嫌だよね。
   だったら、「自分のため」と割り切って「真の赦し」を実践することが、
   一番賢いと言えるんじゃないかな。

   「自分に対して嫌なことをする人がいたら、その人は、自分の人生劇場の舞台で
   あえて『悪役』を演じてくれているのだ、と思うといい」


《相手の立場になって考えてみる
~バックグラウンドを理解できれば、「真の赦し」は難しくなくなる》

(1)「自分に対して嫌なことをした相手の環境と頭と発想法に、自分を置き換えてみる」
   ことも一つの手だ。

   例えば、その人が子供の頃から、愛情もしつけもない過酷な状況・環境下で育ち、
   愛情や感謝の表し方を知らないとか、貧しい食生活で栄養が偏りいつもイライラしているとか、

   その他諸々、その人がそのようにならざるを得なかった環境を理解すると、
   発想も変わってくると思うよ。


(2)「自分がその人の立場だったら、もっとひどい態度や行動をとっているだろう」
   「もしその人が、人を1人を殺しているなら、私なら100人くらい殺しているかもしれない」
   と、思うこともあるかもしれないね。

   だから、いいとか悪いとか簡単に判断しないことだ。

   その人の行動のバックグラウンドを理解できれば、「赦す」ことも難しくなくなるよ。


(3)それに、自分自身を顧みてみるとね、私たちは皆、悪気がなくても、
   たくさんの人に嫌な思いをさせたり迷惑をかけたりしながら生きているものだよ。

   それでも 周りが赦してくれているからこそ、今の自分がある。

   それなら、自分も「赦す、赦さない」ということにこだわらず、
   自分がたくさんの人たちにしてもらっているように、自分も周りを赦して生きる
   ――それが実は、最も自由と幸福感を味わえる、賢い生き方なんだよ。

・・・

著者の一人「ダニオン・ブリンクリー 」は、臨死体験を3回経験をし、
その体験を数冊の著書にて発表しております。

             <感謝合掌 平成27年8月15日 頓首再拝>

許しは、叡智に至る道 - 伝統

2015/08/23 (Sun) 04:40:21


     *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P40~42)より

Lesson 25 許すために、最高の正義に相手をゆだねよう

別に宗教の信者でなくてもいいのです。

正義を取り戻すことを、正義自体にゆだねるのです。

最高の正義は、みずから、なすべきことをかならずなします。

「復讐するは我にあり」それを信じましょう。


・・・

Lesson 26 不平不満を言わず、相手を許す

相手からされた仕打ちをいくら恨んだところで、なんにもなりません。

恨んだり、不平不満を言ったりすれば、ますます苦しくなるだけです。


そろそろ自分を解放しませんか?


・・・

Lesson 27 許しは、叡智に至る道

劇作家のジョルジュ・クルトリーヌは次のように言っています。


「許しが微笑むとき、知恵が始まる。寛大さのないところに、公正もまたない」


あなたも、微笑んで、許しましょう。

寛大な心があなたを幸福にします。

             <感謝合掌 平成27年8月23日 頓首再拝>

人をゆるせば病気が癒(なお)る - 伝統

2015/08/30 (Sun) 04:50:59

            *『生命の實相』第1巻実相篇(P170~173)より

自動車王ヘンリー・フォードが常に数十冊を手もとにたくわえていて、
悩んでいる友人に会うごとにその一冊を与えることにしていたという書に
『無限と調和する生活』と題するニュー・ソートの本があります。

    (原題“In Tune with the Infinite”、邦訳『幸福はあなたの心で』
     <新選谷口雅春選集9>)

その第44頁に次のような実話がのっています。

「医者をしているわたしの友人が、
激烈なリューマチスにかかって苦しんでいる婦人を見舞ってやったときの話です。

友は、この婦人とその妹との間にはけわしい精神的葛藤があることを知っていましたので、
この婦人の病苦の訴えを親切に聞いてやった後(のち)、まともにこの婦人の顔を注視して、
だんぜんとしかし深い思いやりのある語調で『妹さんをゆるしておやりなさい』といいました。

婦人はびっくりした顔つきで彼の顔をしばらくまじまじ注視していましたが、
『わたくし、どうしても妹をゆるすことはできません』と答えたものです。

そこでこの友は『そうですか、それでは止むをえませんね。この関節の硬直と、
あなたのお心の硬くてゆるし難いこととは親類筋なんですからね』というほかはなかった。

それから数日たった。
友は再びその婦人を見舞にいったのです。

と、軽いかの女の足どりが応接室へ近づいて来ました。
かの女の顔は健康そうに明るく輝いていました。

『どうして治りました? 』とたずねると、

『わたくしあなたの助言に従いましたの。わたくし妹をゆるしましたわ。
二人はもうとても仲善しになりました。するとどうしたわけでございましょう。

二人が仲直りをしたその日から、あの重症のリューマチスが快(よ)くなって、
今では、もうあとかたもありません』と答えたのでありました。」


皆さんはこの実話を聞いて非常に興味深く感じられるでありましょう。
また常に病気に悩む人たちにとっては必ず心当たりがあると思います。

心がゆるしがたくなって愛に背くとき、その人はわれとわが心で堰(せき)をして、
大生命からの生かす力を受けることができなくなるのであります。

だから、わたしはこのページを読まれたのを機会に、読者諸君にむかって、
あなたのすべての隣人をゆるすことを提議したいのであります。


皆さんは自分自身が現在病気でないからとて
他をゆるさなくてもよいということはないのであります。

ある誌友の実話を聞くに、その人は非常に感じやすい子供をもっていられて、
家庭に何か争いごとがあると、必ずその子供が、
医者には原因不明の病気に襲われて打ち倒れるのでした。

わたしはその誌友に会って、いろいろと日常の精神波動のふしぎな影響を話して
修養してもらったところが、今では医者と薬が長年もてあましたその不思議な病気が、
薬を廃して、ただ親の心の持ち方ひとつでおこらないということであります。

これほど鋭敏な感じの子供も少ないではありましょうが、
日常のわれわれの心の持ち方は、ひとり自分のみならず、
自分の家族の健康と運命とにも非常に関係があるのであります。

その上、精神波動が、ラジオのエーテル波動のように無辺の空間に放送されるものである
ということを知るとき、もし、われわれが人を怒れば、自分の精神波動で
(その人の精神力の相違で程度の差こそあれ) 
相手の人を暗殺しつつあることになるということを知らねばなりません。

「女を見て色情を起こすものはすでに姦淫せるなり」とか
「七たびを七十倍たび赦せ」といったイエスは、
精神波動が現実的力であることを知っていたに相違ないのであります。

             <感謝合掌 平成27年8月30日 頓首再拝>

”赦し”の偉大なる功徳について - 伝統

2015/09/06 (Sun) 04:36:31


             *「女の浄土」(P14~15)より

人を憎んでいるときの不快感情は、人を憎んだ人でないと分らないであろう。

その代わり、その憎しみを完全に赦し去ったあとの天空海闊とでも言い得るような
明朗な気持ちは、本当に人を赦した人でないと理解できないかも知れない。

”兎も角”人を憎む感情は、相手を罪ある者として、”縛る”感情であるから、
「縛る者は縛られる」の法則にしたがって、自分自身の生命(せいめい)が縛られ、
囹圄(れいご)の世界に自分自身の心が閉じ込められることになるのである。

もし、私たちが相手を赦すならば、相手を縛っていた感情の綱がほどかれてしまうので
あるから、自分自身をも縛っていた「憎しみの綱」はほどけてしまい

自分の生命(せいめい)が自由を得るので、
人を憎んだのが原因であらわれていた病気ならば、
相手を赦すだけで治ってしまうことになるのである。

             <感謝合掌 平成27年9月6日 頓首再拝>

「許しのなかに、未来がある」 - 伝統

2015/09/14 (Mon) 04:38:38


     *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P43~46)より


Lesson 28 相手の攻撃を大げさにとらえず、ありのままにみる

それがいつも可能だとは限りません。

でも失望と怒りが過ぎ去れば、私たちは受けた攻撃をありのままに
見ることができます。

人間は、過ちを犯すもの。

また、不器用な生き物でもあります。

自分は絶対に間違いを犯さない、とあなたは断言できますか?

             ・・・

Lesson 29 許しによって、過去の苦しみを手放し、苦しみのない未来を創りだす

恨みの念は、私たちを過去に縛りつけます。

いま許しを行うことで、私たちは、過去から解放されるのです。

また未来の苦しみをなくすこともできます。


このように、いま許しを行うことが、過去と未来を変えるのです。

哲学者のジャック・デリダも次のように言っています。


「許しのなかに、未来がある」

             ・・・

Lesson 30 小さな恨みを手放すたびに、自分を祝福する


小さな恨みを手放して、解放感を味わいましょう。

そうすることによって、大きな恨みにつきまとわれることがなくなります。

日々、小さな恨みを手放しましょう。

             <感謝合掌 平成27年9月14日 頓首再拝>

《人を赦すには斯(こ)う考えよ》 - 伝統

2015/09/21 (Mon) 04:50:25


          *『 生長の家 』(昭和26年5月28日)の法語より

   人を赦すことが出来ない人は、神を信じていると云っても実は信じていないのである。
   何故(なぜ)なら、神の造りたまえる世界に何か悪があると信じているからである。

   そして神の造りたまえる人間に悪があり、また神の与えたまうた幸福をその人が自分から
   奪い得ると信じているからである。

   神の造りたまえる人間に悪人はないと云うこと、そして神の自己に与え給うた幸福は何人も
   自己から奪い去ることが出来ないと云うことを本当にその人が信じ得るならば、
   自分に害を与えるかの如(ごと)く見える人達をも容易に赦すことが出来るのである。

   人を赦したとき自分に幸福の門が開かれる。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=110

             <感謝合掌 平成27年9月21日 頓首再拝>

許すことは強い人間の特権なのです。 - 伝統

2015/10/02 (Fri) 04:39:09


     *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P47~51)より

Lesson 31 恨み続けることは、相手を過大評価すること


あなたは、自分を傷つけた人を、いつまで過大評価し続けるのですか?

そんなことをして、いつまで自分の時間とエネルギーを浪費し続けるのですか?

それよりも、もっと大切なことのために時間とエネルギーを使いましょう。

時間もエネルギーも、浪費するにはあまりにももったいない貴重品なのですから。


             ・・・

Lesson 32 何度も恨みの気持ちを思い返すことで、あなたは自分を苦しめた人を正当化している!


恨みの気持ちを持つことは、私たちを犠牲者の立場に置きます。

それは、私たちを攻撃した人が、私たちに与えた立場。

ということは、私たちは、自分を攻撃した人を正当化していることになります。

逆に「許すことによって、
私たちは、相手の行為を意味のない馬鹿げたものにする」のです。



             ・・・

Lesson 33 悪には善をもって応え、あなたを攻撃した人を超えよう


そう、許すとは、要するに、そういうことなのです。

悪に対して悪をもって応えたのでは、あなたは悪をなした相手と
同じレベルの人間になってしまいます。

それでいいのですか?


             ・・・

Lesson 34 許すことによって、威厳を取り戻す


犠牲者の役はさっさと捨てて、自分の人生の主役になりましょう。

その変化を可能にするのは、許すことだけ。

許すことは弱い人間の義務ではありません。

許すことは強い人間の特権なのです。


             <感謝合掌 平成27年10月2日 頓首再拝>

復讐の念を放棄する - 伝統

2015/10/11 (Sun) 04:16:31


    *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P52~55)より

Lesson 35 犠牲者がいなければ、拷問者にはなれない


あなたが犠牲者でありつづける限り、相手はずっと拷問者。

あなたが勇気をもって犠牲者であることをやめれば、
相手は拷問者であり続けることができなくなります。

そして、私たちは、前よりも強くなって甦るのです。


             ・・・

Lesson 36 罰しなければならないという義務はない!


私たちのすべきことは、苦しむのをやめる、ということだけ。

正義を行うのは、私たちの仕事ではないのです。

それは人間の仕事ではありません。

<摂理>の仕事です。

みずから正義を行ったとしたら、私たちは、ますます多くの無用な荷物、
ますます多くの恨みを背負い込むことになるだけです。



せつ‐り【摂理】
「せつり」を大辞林でも検索する

1 自然界を支配している法則。「自然の―」

2 キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。
  神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。

             ・・・

Lesson 37 あらゆる復讐の念を放棄する

確かに、攻撃された瞬間は、復讐するのが当然だと思われます。

しかし、できるだけ早く、そうした考えから離れることが大切。

復讐したところで、苦しみに苦しみを重ねるだけですから。

復讐して本当に幸福になった人は、人類史上、いままでただのひとりもいません。

             <感謝合掌 平成27年10月11日 頓首再拝>

《ただ善事のみ数えよ》 - 伝統

2015/10/18 (Sun) 04:52:25


           *『 生長の家 』(昭和26年7月14日)の法語より

   人が自分に対して行った過ちを数えあげるな。
   小さな過ちを廓大(かくだい)鏡で見て
   増大するような事を避けよ。

   善事はどんな小さな事でも これを廓大(かくだい)して見、
   そしてそれを賞(ほ)め語れ。

   さらば他の人々も諸君の過ちを見のがし、
   諸君の善事を看過(みのが)さないであろう。

   それが心の法則である。

   他人に辛(つら)くするときは 自分も 亦 辛くせられ、
   他人に寛大である者は 自分も亦(また)寛大に取扱われるのである。

   人が自分に対して冷酷だと思う者よ。
   他を怨(うら)むまでに、自分が他に対して
   冷酷でなかったかを反省して見よ。

   そして今まで批難していた人々を赦(ゆる)せよ。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3c09a72ecfeb3c3ee15ff5f39ad5c544

             <感謝合掌 平成27年10月18日 頓首再拝>

許すこととは、あなた自身に勝つということ - 伝統

2015/10/26 (Mon) 04:51:34


    *『幸せの扉を開く許すための81のレッスン』マリ・ボレル(著)(P56~59)より

Lesson 38 復讐することで、あなたを攻撃した人と同じレベルになってしまう


復讐しようなどと思わないことです。

あなたが忌まわしいと思ったことを、あなた自身が行うのですか?

あなたがいやだな、と思った人間にあなた自身がなるのですか?



Lesson 39 許すこととは、あなた自身に勝つということ

許すということは、自分自身に勝つということです。

なぜなら、許すということは、
人間である私たちにとって、とても難しいことですから。

こう考えたとき、
許しとは、<進化>のためにとてつもない武器であることがわかります。

あなたは一度許すごとに、一段進化するのです。



Lesson 40 許すことで、相手に勝とう!

「相手を許すというのは、相手の行為を否定する」ということ。

相手を許し、相手の行為は否定する、ということなのです。


アラブの諺(ことわざ)に次のようなものがあります。

「許しは、勝利のなかでも、もっとも美しい花を咲かせる勝利です」


             <感謝合掌 平成27年10月26日 頓首再拝>

アウシュビッツの生存者エヴァ・コールの、ナチスに対しての許しの言葉 - 伝統

2015/11/05 (Thu) 03:03:54


           *「「脳にいいこと」だけをやりなさい!」マーシー・シャイモフ・著より


人は過去の苦しみから逃れて生きる権利を持っています。
ほとんどの人にとって、許すことには大きな障害が立ちはだかりますが、
それは世の中が復習を期待しているからです。

犠牲者を忘れてはなりませんが、私が苦しみと怒りをもって生き続けることを、
亡くなった家族が望んでいるとも思えません。

私は自分のために許すのです。

許しは自分を癒すこと、自分に力を与えることです。

奇跡の薬と呼んでもいいでしょう。

お金はかからず、効果絶大で、副作用もない薬です。

             <感謝合掌 平成27年11月5日 頓首再拝>

許しは自分を癒し、自分に力を与えること。 - 伝統

2015/11/14 (Sat) 04:21:27


           *「『脳にいいこと』だけをやりなさい!」
            マーシー・シャイモフ・著(P118~121)より

《メアリーの物語「本当の自由を手に入れるということ」》

約20年前のこと、私の人生において、最大級の衝撃を覚える事件が起きました。
家の電話が鳴ったのは午前3時。
嫌々受話器をとると、長男の声が聞こえてきました。

「母さん、どうしよう! ロビーが死んじまった! 」
18歳の末っ子が銃で撃たれたというのです。

目の前が真っ暗になりました。ロビーが死んだ、ですって?
やり場のない、打ちのめされた感覚。 ―― 絶望。

心臓は早鐘のように打ち続けました。

その後、息子を殺した若者ショーンは殺人罪で捕まりました。
ロビーとは顔見知りで、口論になって撃ってしまったというのです。

審問会が開かれるまでの3ヶ月間、
私はショーンに会うことも話すことも許されませんでした。
それは正しい処置だったと思います。

もし彼に会っていたら、怒りに突き動かされて何をしたかわかりません。
もしかしたら、思わず相手の首を絞めていたかもしれません。

ようやくやってきた審問会の日、私は初めてショーンを目にしました。
彼を一目見たとたん、私の身体を煮えたぎるような怒りが駆け抜けました。

「なぜあんなことしたの! 」

評決はその場で下り、予想通り20年から50年の刑が言い渡されました。
審問会が終わると、判事は「ショーンに会わせるので部屋へ来るように」と言いました。

職員の後ろについて判事室への廊下を歩くとき、
心臓の鼓動が一歩ごとに速くなるのがわかるのです。
ようやく息子の命を奪った人間に会うのだ。

ずっとこの時を待っていたのだ、私の気持ちをぶつけるときを。
あの男にどんな罵詈雑言を浴びせてやろうか。
怒りと憎しみでいっぱいで、私にはそれしか考えられませんでした。

ボディ・チェックを受け、小さな鏡板張りのオフィスへ通された時に見たものは、
部屋の隅に立っているショーンでした。

それはオレンジ色の囚人服を着て、手足を縛られ、
頭をうなだれたまま身体を震わせて泣きじゃくっている20歳の男の子でした。

彼は1人のさびしい青年でした。
親も友達も、支えてくれる人もいない独ぼっちの男の子、
どこかにいる別の母親の息子なのです。

私は職員に、ショーンに近づいていいかと尋ねました。
ショーンはそれを聞くと目を上げて、涙に濡れた幼さの残る顔をこちらに向けました。

「ショーン、そばに行ってもいい? 」

ショーンがうなずいたので、私は職員にうながされ、ショーンのそばまで進みました。

次に私がとった行動に、私自身も含めてその場にいた全員が驚いたのです。

私はショーンの身体に両腕を回し、彼を抱きしめました。
ショーンは私の肩に顔をうずめてきました。
誰かに抱きしめてもらうことなど初めてだったのかもしれません。

私の怒りと憎しみは、この瞬間にスーッと離れていきました。

「ねえ、ショーン、あなたを許すわ」

ショーンは驚いたような顔を上げ、私の目を見つめました。

「ロビーが天国ではなく刑務所に行くのだったなら、私はもっと辛かったと思うの。
あなたのために毎日祈っているわ」

私はショーンに手紙を書いて欲しいと頼み、職員に付き添われて部屋を出ました。

どんな評決が下ろうと、もう私の息子ロビーは帰ってこないのです。
ただ、もう1人の青年の人生が、刑によって奪い取られただけなのです。

私の行為を理解できないという人もいます。
しかし、私はけっしてショーンの罪を見逃したのではありません。
「許す」とはそういうことではないと思うのです。

あのとき彼を許したことで、
私は心の奥に渦巻いていた憎しみと復讐心から逃れることができました。
自由になり、心の平安を取り戻し、生きる力を得て、
ロビーの死を受け入れることさえできるようになったのです。

憎しみはどこかで断ち切らなければ新たな憎しみを生むだけでしょう。

私の憎しみは、私で終わりにするのが一番だと、そう思うのです。

             <感謝合掌 平成27年11月14日 頓首再拝>

私は君を憎まない - 伝統

2015/11/22 (Sun) 03:50:39


昨日の”道産子 さま”の記事でも取り上げておりましたが、
ここでも、その詳細を紹介させていただきます。


         *産経ニュース(2015.11.20)より

《妻であり母親である最愛の人を失った遺族の手紙》~【パリ同時多発テロ】

金曜の夜、君はかけがえのない命を奪った。
私の人生最愛の人であり、私の息子の母の命を。
でも、君が僕の憎しみを受けることはない。
君が誰なのか、私は知らない。知りたくもない。

 
私は君に「憎しみ」を贈りはしない。
君はそれを望んでいるだろう。
君は僕がおびえることを、街の人々を疑いの目でみることを、
安全のために自由を犠牲にすることを、期待していただろう。

君の負けだ。

 
今朝、何日も何日も待った末に、ようやく彼女に会えた。
彼女は金曜の夜、別れた時のように美しかった。
そして12年前、私がどうしようもないほどの恋に落ちたときと同じように美しかった。

 
もちろん、私は痛みに打ちのめされている。
そこは君に小さな勝ちを譲ろう。
でも、この痛みは少ししか続かない。

私は、彼女が私たちを常に見守っていると知っている。
そして、私たちは魂の楽園で再び巡り合うことが出来ると知っている。

私たちは2人だけだ。
息子と、私。

でも、世界中のどんな軍隊よりも強い。

なんであれ、君のために使う時間は私に残されていない。
もう昼寝から起きようとしているメルビルの元に帰らなくてはならない。
彼は、まだ1歳と5カ月になろうとしているばかりだ。
彼はいつもと同じようにお菓子を食べる。
私たちは、いつもと同じように遊ぶだろう。

この小さな男の子が一生、幸せで自由であることは、君を恐れさせるだろう。
なぜなら君は、彼の憎しみも得られないであろうから。

http://www.sankei.com/world/news/151119/wor1511190076-n1.html
http://www.asahi.com/articles/ASHCM5V6YHCMUHBI029.html?ref=yahoo

             <感謝合掌 平成27年11月22日 頓首再拝>

『怒りを乗り越えよう』 - 伝統

2015/12/01 (Tue) 04:09:43


            *Web:愛する人に愛される方法(No.011)より


「ひとつ屋根の下」という、大ヒットしたテレビドラマがありました。

過去のあやまちの許しを乞う人に向かって、
登場人物のひとりが言ったセリフが、とても印象的でした。

「許すも許さないも、人間はそんなにえらくない」

自分を傷つけた人を許すことは、非常に難しいことです。
頭では判っていても、なかなかできることではありません。

しかし、許すという行為でさえ、実は、意識の奥に多少の横柄さを含んでいるのです。

「許すか許さないかは、完全に自分の選択にかかっている。
今回は、許してやるから、ありがたく思え」と、人を裁く神にでもなったような気になり、
相手を見くだしていると言えなくはありません。


もちろん、憎んでいる人を許すということは、大変な勇気のいる、すばらしい行為です。
その「許す」ということさえ、見方を変えれば、ふてぶてしいことなのです。
「絶対に許せない」などというのは、ごう慢以外の何ものでもありません。


人格に問題のある人は、必ず、心の中に、誰かに対する激しい怒りを抱えています。
それは、あまりにも耐えがたい苦しみなので、抑圧し、意識の奥に閉じ込めようとして、
ついには本当に忘れてしまうことさえあります。

しかし、いくらごまかしても、無意識の中の怒りの感情が消えたわけではなく、
いつまでもくすぶり続け、表の意識をむしばんでいきます。


人を許すことができず、心に怒りを抱えている人は、どうかあのセリフを思い出してください。

「許すも許さないも、人間はそんなにえらくない」

他人を許すことができないなどと言う権利のある人は、この世にひとりもいないのです。


「他人のあやまちを許せない」という人にかぎって、
自分のあやまちには目をつぶり、簡単に許してしまうものです。

人間は、一生かかっても、完璧にはなりえません。
死ぬまでが修行といえます。

つねに自分をかえりみて、反省し、向上しようとつとめていれば、
他人を批判する暇などないはずです。

人を許せないのであれば、仕方ありません。
もう充分です。こだわるのはやめましょう。
人を裁くという行為は、神や仏にしかできないことです。

許すも許さないも、ありません。
そういうものを超越した、新たな境地を切り開きましょう。
あなた自身のために。

自分を傷つけたのも人間ならば、喜びを与えてくれるのも人間です。

これまで、怒りで目がくらんで見えていなかった、
人の優しさ、温かさに触れることができるでしょう。

「愛」は、「怒り」よりもはるかに強力な、自分を守る武器となるのです。

      (http://www.h5.dion.ne.jp/~takata/01/1.html


             <感謝合掌 平成27年12月1日 頓首再拝>

恨みの感情を生み出さないためには - 伝統

2015/12/08 (Tue) 04:00:20


            *「忘れたいことを忘れる練習」植西聰・著より

ある人の隣の家で火事が起こりました

不幸なことに、隣から火が燃え移って
その人の家も燃えて失くなってしまいました

その人は、「自分の家を燃やされた」と思い
隣の住人を強く恨みました

「人を恨むことは、よくないことだ」
と頭では理解していたのですが
どうしても隣の住人を恨む気持ちを
忘れることができなかったのです

しかし、あるとき
その人は考え方を変えました

それまではずっと
「家を燃やされた」と考えていましたが
それを
「家が燃えた」と考えるようにしたのです

そう考えると不思議に気持ちがラクになって
隣の住人を恨む気持ちを忘れることができたというのです

「あの人のせいで、会社を辞めさせられた」と言う人がいます

そして「あの人」のことをいつまでも恨み
忘れられないでいる人もいます

しかし、「させられた」と考えるのを
やめるという方法があります

単に、「私は会社を辞めた」と考えるほうがいいのです

確かに、「辞めさせられた」という
事実があるのかもしれません

しかし、「させられた」という意識が
強い恨みの感情を生み出します

そうであるならば
「私は自主的に会社を辞めた」と考えて
過去の出来事など忘れてしまうほうが
これからの人生を
前向きに築いていけるのです

恨みの感情を引きずっていたのでは
力強く未来へ向かって前進していくことは
できなくなります

他人から「された」という思いを
自分で「した」に変換することで
ネガティブな思いを忘れることができます

http://1kando.com/23775

             <感謝合掌 平成27年12月8日 頓首再拝>

《真の赦しが人生を変え、世界を変える》 - 伝統

2015/12/15 (Tue) 03:31:51


        *『「死後の世界」を知れば人生が輝き始める』ダニオン・ブリンクリー(著)
          (P228~p230から抜粋)

ダニオン 

     PART1で、私は、二度日の臨死体験のときのパノラマ人生レビューを観ながら、
     一度目との比較を通して学んだことがある
     ・・・と言ったことを、皆さん覚えているかな?

     そう、それは、真の赦しだ。

     そして、真の赦しとは、「そのことが起こらなかったかのように忘れる」こと、
     また、ありのままを受け入れる。
     そして、「その問題から自分を解放し、自由にすること」だ、と言ったと思う。

     戦争や、残酷な行為も、互いに赦すことができないために起きる。
     これまでの人間の歴史は、その繰り返しだった。
 
     けれど、「赦す」ことができれば魂はさらなる成長・進化を遂げる。

     そして世の中の魂のすべてがそのような「真の赦し」を行えば、
     世の中から悲惨な戦争もテロも、残虐な行為もなくなり、真に愛に満ちた、
     平和な世界に、宇宙になるんだ。



雅代 

     ここで、「赦す」という言葉について・・・英語でも許「forgive」という単語を
     使うこともあるようだけれど、日本語の「赦す」ないし「許す」とはちょっと
     ニュアンスの違いもあるように思うので、
     日本人の皆さんには少しだけ、説明しておきますね。

     日本語で「赦(す)」「許(す)」というと、
     例えば恩赦とか許可などの熟語もあるように、なんとなく
     「上から目線」のようなイメージ、ニュアンスになりがちですよね。


     でも、ダニオンの言うように、「真の赦し」とは、

     ひとつには「そのことが起こらなかったかのように忘れる」こと。
     これは、「きれいさっぱり、水に流す」というようなことですね。

     そしてもうひとつは、「人やものごとのありのままを受け入れる。
     そして自分を解き放つ、自由にする」ことなのですが、

     これは英語では、forgive よりもむしろ
     「accept」(=受け入れる)and release(=解き放つ)」に近いかもしれませんね。



ダニオン 

     そうだね。雅代の解説で、皆さんもよく理解できたんじゃないかな。
     相手と自分に違いがあっても、その違いを含め、相手をありのままに受け入れる。
     起こっているできごとを、良いとか悪いとか決めつけずに、ありのままに受け入れる。

     また、自分や世の中の人々を傷つけた人のことも、
     すべて受け入れ、人の過ちも、忘れること。
 
     人に対して嫉妬や怒り、恨みを抱いているのなら、それらを手放す。
     悲しみに暮れているのなら、涙をぬぐって、前を向いて歩いていく・・・。

     こうして、「自分を解き放つ」ことで、私たちは本当の自由を得ることができる。
     その結果、自分の人生も、そして、世界も変えることができるんだよ。

・・・

著者のダニオン・ブリンクリー氏については、
当掲示板内「臨死体験~ダニオン・ブリンクリーさんの場合」にてご確認ください。
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592058

             <感謝合掌 平成27年12月15日 頓首再拝>

人を憎んでいては、健康にはなれない - 伝統

2015/12/23 (Wed) 04:45:48


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、「当に有るべからざるもの」
すなわち「不当有(ふとうう)」であるから、不当有(ふとうう=まちがい)の上に
物を建てたものは、いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、神に対する背反である。
神は「生命(せいめい)」であるから、「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち「生命(せいめい)」に背反して
いる限り、すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

             <感謝合掌 平成27年12月23日 頓首再拝>

《赦さなければ自分がつらい》 - 伝統

2015/12/30 (Wed) 04:06:03


      *「生著の家」(昭和25年11月27日)の法語より

   何人(なんぴと)の過ちをも吾等(われら)は
   是非(ぜひ)とも赦さなければならない。
   赦さなければ、罰せられる者は自分自身であるからである。

   赦さなければ自分が苦しい。
   赦さなければ他に対する「害念」は無数の「害念」の
   波動を引き寄せ、自分自身を害することになる。

   赦さなければ 怒りの念は 自分自身の血管内に毒素を生じ、
   血管及び全身の筋肉及び神経細胞を硬化せしめ、
   肉体の硬直や、関節炎や、神経痛や、胸の病気や、心臓病や、
   あらゆる病気の原因を生ずることになるのである。

   赦しは最大の美徳である。

   人が過ちを犯したとき直ちに赦して、
   更に彼を愛する者は 天国に入ることが出来るのである。

             <感謝合掌 平成27年12月30日 頓首再拝>

《人を赦すことの美徳》 - 伝統

2016/01/08 (Fri) 04:45:43


       *『 生長の家 』(昭和25年12月3日)の法語より 

   「 汝ら審判(さば)くことなかれ、汝らも審判かれざらんためなり 」
   とイエスは教え、

   「 我に負債(おいめ)ある者を我らの免(ゆる)したる如く、
   我らの負債をも免したまえ 」と祈れと教えているのである。


   神の恵み(実相完全なる相(すがた))を
   現象界へ流入せしめるためには、
   まずそのパイプを掃除しなければならないという意味である。

   誰かを非難している想念 又は感情のある限りに於いて、
   神の無限に博大なる恩寵(おんちょう)の霊波とは
   波長が合わないのである。

   ほんの一寸(ちょっと)の良人に対する不満、
   ほんの一寸の妻に対する不満、
   或(ある)いは子に対する、親に対する感謝の念の欠乏さえも、

   あなたの祈りが実現しない原因であることがある。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12273676.html

             <感謝合掌 平成28年1月8日 頓首再拝>

《非難の心は実相の実現を妨げる叢雲(そううん)である》 - 伝統

2016/01/15 (Fri) 04:53:27


         *『 生長の家 』(昭和25年12月8日)の法語

   自分が周囲の人々に対して抱いている念の投影が
   自分の周囲の状態なのである。

   周囲を 「 悪い、悪い 」 と心で非難している間は、
   周囲の悪は去らないのである。

   他(ひと)を 「 悪い、悪い 」 と叢雲のように非難している
   念波のあるところへは、
   実相円満完全の相は実現して来ないのである。

   それは恰も叢雲のあるところには太陽はあれども
   日光は射して来ないようなものである。

   他を非難するばかりでなく、
   自分自身を非難する心さえも同じように
   神の国の円満な実相を投影するための妨げとなるのである。

   すべての人を赦すとは、自分を赦すことも引っくるめてである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12295315.html

             <感謝合掌 平成28年1月15日 頓首再拝>

赦しが、幸福を招く - 伝統

2016/01/25 (Mon) 04:54:01


           *「真理」第九巻生活篇(P97~98)より

吾々が幸福を得ようと思ったならば、
物質は心の結果として反映してあらわれるものであることを知り、
物質を求めるよりも先ず心を調える方に専念することが肝腎であります。

あなたが赦さない心を持っている限り、あなたは幸福になれません。
赦さない心は「縛る心」ですから、そんな心を持っている限り
あなた自身が縛られて幸福になれません。

他(ひと)を赦しなさい。
自分を赦しなさい。

若し何か罪悪感をもっているならば、祈りによって神に赦しを願いなさい。

そしてすでに赦されたと信じて感謝しなさい。

             <感謝合掌 平成28年1月25日 頓首再拝>

如何なる時も相手の内に愛をみよ - 伝統

2016/02/03 (Wed) 04:08:19


           *「幸福を招く365章」(P229)より

真に幸福なる生活を送ろうと思うならば、
周囲の人々に対して絶対調和した心持ちでいなければならないのである。

周囲の人々に怒りや憎しみや恐怖の感情を持っている限りは、
物質的にいくら豊かな生活を送っていてもその人は幸福だということはできないのである。

誰でも愛されたいのに、その相手がこちらを憎んでいるのは、
こちらが相手を愛してあげようが足りないからである。

憎しみの言葉を相手がこちらに投げかけても、実はその人は

「私はあなたに愛されたいのに、愛してくれないから、
私はやむを得ず、やけくそにあなたに意地悪をするのよ」

と心の中では言っているのである。

             <感謝合掌 平成28年2月3日 頓首再拝>

如何なる場合も相手の仏性をみよ  - 伝統

2016/02/11 (Thu) 03:38:48


           *「幸福を招く365章」(P230)より


人の表面の言葉や、行いで、その人の愛を疑ってはならない。
現象をみて人をさばいてはならないのである。

どんな人にも仏性が宿っており、キリストが宿っているのである。

たとい誰かがあなたの感情を害することを云おうとも、また行おうとも、
相手に対して憤りの感情を起すよりも、

「あの人が幸福になりますように」とか
「あの人の“神の子”さんがあらわれますように」とか

祈ってやる気持ちになる方が、自分の心に平和と幸福とが訪れて来るのである。

そして終には相手を感化して、真に相手を深切な人に化することができるのである。

特に自分に病気のある場合は人を憎んではならないのである。

             <感謝合掌 平成28年2月11日 頓首再拝>

人を審判(さば)く心なかれ - 伝統

2016/02/19 (Fri) 03:41:32


         *「幸福を招く365章」(P230)より

外見にあらわれている悪(病気、悪意、不調和等)を存在すると思ってはならないのである。
それは実在するのではなく、「あらわれ」ているに過ぎないのである。

「あらわれ」と云うものは相対的関係で、そう見えるに過ぎないのである。

こちらの心が変われば「あらわれ」は変化して見えるのである。

あらゆる病気、不調和、悪意などは、神が創造らないのであるから、
真に存在するものではないのである。

現象(あらわれ)を見て心がひっかかってはならない。

人を審判く心は、痛みや、狭窄(きょうさく)や、胃潰瘍や、出血性の病気や、
高血圧病の原因である。


             <感謝合掌 平成28年2月19日 頓首再拝>

赦し、仲よく、日の丸の心を持つ - 伝統

2016/02/27 (Sat) 03:28:51


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(P34~36)より

争っていた者が仲よしのなることほど嬉しいことはない。
失われた一匹の羊が帰って来ることは、亡(うしな)われない九十九匹がそこにいるよりも
嬉しいとイエスは言った。

仲直りぐらいありがたいことはない、喜ばしいものはない。

争っていた者が仲直りをしたために、ただそれだけの簡単な出来事のために、
医者で治らない病気が治った実例がたくさんある。

『生命の實相』の巻頭に「汝ら天地一切のものと和解せよ」とある一句を忘れていて
病気が治らないとかこっている人はないか。

あらゆる心の持ち方が整っていても、和解ができていない人は、神の前に
足りない人である。神は《まこと》である。《まこと》は円相である。
《まこと》とは《○(まる)こと》である。○(まる)は和解のしるしである。

まんまるい、まんまるい、あのお月様のような心こそすべての病を治す心である。

なんじの心の中の羊をしらべてみることが大切である。
亡(うしな)われたる羊はないか。
あなたを憎んで去った人はなかったか。

誤解があったならば誤解を互いにほどくこと。
憎んでいたならば赦すこと。
恨んでいたならば恨みを解(と)くこと。

心の思いと、物の負債とにかかわらず、借りものがあったら利息をつけて返すこと。

神の前に出て、もう誰とも仲の悪い人はございません。
争っている人はございません。
すべての憎みと恨みとは完全に水に流しました。

もう誰にも負債はありませんと、おおらかな気持ちで言いうるようになれない人は、
まだ心に病のある人である。

人の世に生活して、それほどの心になれる人は少ないにしても、
それほどの心になれないかぎりわたしたちは神の前にいと小さなる者である。

もしわたしたちが神の前にいと小さき者であるならば、
わたしたちは人を責める資格はない、人を怒る資格はない、人を恨む資格はない。

わたしたちは人を赦すほかに仕方がないのである。

ただわたしたちが、人を赦したときのみ神に赦されるのである。
ただ人と仲よしになったときのみわたしたちは神と仲よしになることができるのである。

仲よしになった時の愉快な心持を本当に知るものは、人と仲が悪くなれるものではない。

人が人と仲よしになれないのは、幸福というものはただ「心の愉快である」ことだという
かくも平明な真理に眼を閉じていて、幸福というものがなんじの心の愉快にあるのでなく、
物の多いということにあると考えたり、虚栄、虚名が多いということにあると考えたりして、
物と、虚栄、虚名を断じて放すまいとして傲然として構えているからである。


傲慢ということはかかる心持を云うのである。
謙虚、《へりくだり》の心持は正直に事物をまともに見る心である。
まちがっていたと気づいたら素直にあやまれる心である。

放たねばならぬ物は素直に放つ心である。
本来ありもせぬ栄えとか虚名とかを、あるかのごとく装おうとする心が苦しむのである。
隠しない心、正直の心は謙虚な心の一面である。
 
無邪気につき合える人というのはこういう謙虚な心持の人である。
相手が警戒心をもって近づいてきて、どうも親しくなれないのは、
こちらに隔(へだ)て心があるからである。

隔てのない心。角のない心。仲のよい心。○(まる)い心。○(まる)はいっさいを包んでいる。
隔てもなければ、角もない、実に実に仲のよい心が日の丸の心である。

            <感謝合掌 平成28年2月27日 頓首再拝>

ひとを許すということ・・・ - 伝統

2016/03/06 (Sun) 04:43:02


            *Web:「幸せになるためのちょっといい話」より

1994年にアフリカの小国ルワンダで起こった
多数派フツ族による少数派ツチ族の大量虐殺のことを
みなさんは憶えているだろうか?


実は私自身、「ルワンダの大虐殺」という言葉は
なんとなく耳にしたことがあるので知っている
という程度で、詳しいことはほとんど知らなかった。


イマキュレー・イリバギザ さんが書いた
「生かされて」という本がある。


イマキュレーさんは24歳の時に
この惨憺たる事件の真っ只中にいて
奇跡的に生き延びることができた。
その壮絶な記録を書いた本だ。




元ベルギーの植民地であったルワンダでは、
1994年、多数派のフツ族と少数派のツチ族の争いが起こっていた。




中央アフリカにある小さな国、
美しい自然に囲まれて育ったイマキュレー。

最愛の両親や兄弟たちとの穏やかな生活。
信仰に生き、地域でも信頼と尊敬を集める父や母、
2人の兄と1人の弟の間で、
イマキュレーは健やかに成長し、
将来は尼僧になりたいと思っていた
天国のような生活がある時、崩れ始める。


「フツ族大統領がツチ族に殺された」というラジオの放送が
きっかけになってフツ族によるツチ族の虐殺が始まった。



父は娘を守るために、ある牧師のところに行きなさいという。

母や兄弟は、ザイールに留学していた
1人の兄を除いて父とともにあった。


ムリンジ牧師は彼の妻がツチ族であったために、心情的であった。
イマキュレーを含む女性6人を、
クローゼットのようなトイレにかくまい守ってくれた。


音を立てることもできない狭い空間の中で、
ギュウギュウに押し込められていた。

外では、「森を探せ、湖を探せ、丘を探せ!教会もだ。
やつらを地球上から一掃しろ!」の狂乱の叫び。

恐怖と不安の連続・・・。そして、疑いや怒りの心。
気持ちを落ち着けるために祈る・・・。

祈りへの集中。

不安が和らぐよう目をさましている間は、ずっと祈り続ける。

「ほんの少しでも、祈ることをやめれば、
悪魔の疑いと自分自身への哀れみという
2枚の刃を持ったナイフが私を襲います。
祈りは私のよろいになりました。」


このような恐怖の日々にあっても
「何か心をいっぱいにするものが欲しいんです。」と
英語を習い始める。
現実世界に戻ったとき、役立つようにと、
「サバイバル」のための英語を身につけていく。


三ヶ月もの間、狭いトイレに6人の女性が息を潜めて隠れ続けた。
命がけでかくまってくれる神父の僅かな差し入れのみを頼りに。



フランスの援軍がツチ族を守ってくれるということで、
ムリンジ牧師の所を出て、キャンプに行くのであるが、
何度も「解放」にはつながらない状況に出会う。


キャンプで出会った人たちから聞かされる虐殺の惨状。
ありとあらゆる人々が両親や兄弟、子どもなど、
家族を失っていた。
死体の山を歩き回るが、涙なんてでない。


この3ヶ月で100万人のツチ族が殺されたとも言われた。


親兄弟を殺され、幸運に幸運が重なって
かろうじて彼女は生き延びることができた。


はらわたが煮えくりかえる怒りと憎しみに悶々として、
「あいつらはけだもの!フツを殺す銃や大砲が欲しい」。
彼らが地獄に堕ちて、火に焼かれて欲しい。
彼らを殺す武器を・・・と復讐に燃え、
怒りで荒れ狂っていた筈の彼女


ところが彼女は、信じられないような行動を取る。


今は解放軍に逮捕された虐殺集団の頭目、
かのかつての良き隣人を訪ね、
やつれて視線を合わすこともできないその姿を
じっと見つめた末に放った言葉。



「あなたを許します。」


愛する家族を残酷な手口で殺した相手を
人は許すことなどできるのだろうか…


でも彼女は許したのです。


彼女が憎しみという感情に心を占領されなかったのは何故か?


それは、彼女の子ども時代にあるようだ。

彼女の両親は、子どもたちには部族、
人種差別について一切教えなかった。

カトリック信者としての躾には厳しいものがあったようだが、
差別の存在は教えず、周りの人々とは人種、宗教関係無く助け合い、
生活の苦楽を共にしていた。

そんな両親の背中を見ながら育った子どもたちは、
はつらつとした自我が形成され、
愛情豊かな心の持ち主となっていたにちがいない。


仇討ちをすれば、憎しみが消えて
心がすっきりするのだろうか。

たとえ、いっときは清涼感が得られるとしても、
それはほんの一瞬。
悲しみは癒えない。
むしろ、さらに新たなる怨念の焔が燃え上がる。




憎っくきやつらを殺しても、やつらが切り刻んだ
愛するあの人は生き返っては来ないのだ。

でも、どこかにあいつがいて、生き続けているのは許せない。
殺しても飽き足らないが生かしてはおけない。
法の裁きが何であろうと、
そいつをぶち殺さないことには気が済まない。


こいつを殺せば、あのひとが天国で
喜んでくれているにちがいないから、
私はこいつを殺さなければがならない。

それは私の義務であり喜びであると思ってしまう。
しかし、そうすれば私は幸せになれるのか。
本当に天国でみんな喜んでくれるのか。


彼女もこんなふうに悶々とした。


が、裸にされ頭骸骨を割られ
手も切り落とされて殺された最愛の兄が、夢の中で


「僕たちが君をまだ 幸せに出来るのを見るのは嬉しいよ。
君は随分ながいあいだ苦しんだね。
でももう、涙と別れる時だ。

僕たちがどんなにすばらしいところにいるか見てごらんよ。
ごらん、どんなに幸せでいるかわかるだろう。」
というのを聞く。

そして、兄の言葉はさらに続く。

僕たちがいまだに苦しんでいると思ってはいけない。
心を癒しなさい。

「君は、僕たちの人生を変えてしまった人々を愛し、
 許さなければならない」。

家族は復讐を期待してはいないのだと。


彼女は、この憎しみと復讐に駆られる気持ちを
「悪魔に占領されている」という。

悪魔が耳元でささやく言葉に気を取られているからだとする。

そして、彼女の愛する人たちの命を奪った張本人も、
彼らの魂は悪魔ではなく、恐ろしいことをやっていても
彼らは神の子どもたちだと。




許すということは、
あなたを傷つけた人、あなたのことを裏切った人、
あなたのことを粗末に扱った人・・・

そのようなつまらない人間の影響を受けずに生きる

ということを自分自身に許可することなのです。


許せないと思っている、つまらない人間の影響を受けずに生きる


そう決断できると、人は心の牢獄から解放されます。
新しい世界が、目の前に広がっていることでしょう。


そして、あなたが許せないと思っていた人が、哀れに思えます。
哀れみは、上位者から下位者に対する感情です。
相手を哀れだと感じた時、あなたは、
その相手を乗り越えているのです。


逆に言えば、許すことができないと、
そのようなつまらない人間の影響下にい続けること、
支配され続けることになります。


あなたは、どちらを選びますか?


日常生活の中でも人に腹を立てることは
しょっちゅうあります。


でも、腹を立てて、
怒りでイライラした時間を費やすということは
実にもったいないことだ。


いまのこの時間はもう二度と取り戻すことはできない。


腹を立てていちばん損をするのは
他ならない自分自身なのだ。


そんなばかばかしいことはない。


人を許すということは
自分自身の人生を豊にすることができる
ということなのだ。


誰のためでもない、
自分のために人を許すということに
真剣に取り組むことも大切だ。

   (http://mugikiri.exblog.jp/8072107/

            <感謝合掌 平成28年3月6日 頓首再拝>

すべての家族を赦すこと - 伝統

2016/03/13 (Sun) 04:53:07


           *「光明道中記」(P50)より

審判(さば)く人、閻魔の庁の御役人のような人、青鬼のようなヒステリックな人、
赤鬼のように興奮した人、こんな人たちが住んでいる世界が地獄であり、
そんな家族の住んでいる家庭が「地獄の家庭」である。

誰の家庭でも此の地獄的分子の多い少ないによって、
その地獄的性質に多少の色合が変化するのである。

赦すこと、すべての家族を赦すこと。
赦さないから、筋肉が突張るものを。
赦さないから、肩が凝るものを。

外部的治療は一時的効果しかない。
癌と心の中に「品」物を「山」のように積んでいるのは愚かなことである。
あなたの癌を治すためには心の中の癌を取り除くことが必要である。

「富める者の天国に入るの難きこと駱駝が針の孔を通るが如し」とキリストは言っている。
心の中に色々の品物を貯え置くのは愚かである。
心は常に空虚が好い。

妻たるものは優しくあれ。
良人に物を言われて、立った儘返事をするようなことでは、その家庭は屹度面白くないであろう。
柔らかい女性の天性はどこまでも柔らかくなければならぬ。


            <感謝合掌 平成28年3月13日 頓首再拝>

《憎み怨(うら)みなき心境になるには》 - 伝統

2016/03/22 (Tue) 03:18:27


        *『 生長の家 』(昭和26年2月18日)の法語より

   誰(だれ)かがあなたに害を加えたと思って
   その罪を憎む観念がもし貴方にあるならば、
   即刻(いますぐ) 「 その罪をゆるしました 」 と心にとなえよ。

   憎むとか怨むとか云うことは感情であるから、
   憎むまい、怨むまいと思っても、
   憎み、怨まずにおれないのが凡夫の心のあさましさである。

   そのあさましさから逃れる道は、 「 憎むまい、怨むまい 」 と
   一所懸命に心に 「 憎み 」 と「 怨み 」 の観念が連想される言葉を
   念じても、憎み怨みは去らないのである。

   そこで 「 私は貴方をゆるしました。私は貴方を愛しています 」 と
   「 罪 」 や 「 憎み 」 と全然反対の語(ことば)を
   度々(たびたび)念ずるようにしていると、

   自然に自分の心が浄化されて来て 憎み怨みなき心境になれるのである。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/0f5da1abadd62d442dcc711c09add780


             <感謝合掌 平成28年3月22日 頓首再拝>

赦せば、人生に奇跡が起きる - 伝統

2016/03/30 (Wed) 04:20:43


          *「幸運に好かれる人が、密かにやっている小さなこと」
            ~ 松田 有利子/著(P168~169)より


病気の人、悪運を背負い込んでいる人の共通点があります。
それは、だれかを憎んでいたり、うらんでいます。

宇宙意識は法則に従います。
潜在意識にインプットされた感情や思いには、主語がありません。
「あいつが憎い、うらんでいる」といった感情は「私自身が憎い、私をうらむ」となります。

つまり、《その強いネガティブなエネルギーは、あなた自身に向かう》のです。
そして、病気、事故、悪運となって表現化されます。


それでは、どうしたらいいでしょう?

答えは一つ。

《「赦す」こと》です。


「それができるくらいなら、とっくにやっているよ! 」というのでしょうが、
裁きは神さまにお任せしましょう。

そのせいで、病気になり、人生が好転しないとしたら、損するのは自分ばかり。
やめたほうが得です。

難しいのは、よくわかるし、できないというのもわかります。
でも、それでも努めて、やめるように心がけましょう。


《たったひと言「赦します」といえば、それでいい》のです。1回でOKです。
それもできないときは、「○○さんのことは、神さまにゆだねます」といいましょう。
放しましょう。


コトタマ(言霊)は強いパワーをもっています。
コトタマのエネルギーは宇宙意識に届き、それが跳ね返ってきます。
そのときは、大好運となって戻ってきます。奇跡が起こります。

             <感謝合掌 平成28年3月30日 頓首再拝>

《赦す者は 愛を増す》 - 伝統

2016/04/07 (Thu) 04:49:39


           *『 生長の家 』(昭和25年2月24日)の法語より

   吾々は 神を愛することによって
   神の恵みを拡大することができるのである。

   一本の草花でも愛することによって
   一そう大きな花を咲かせることができるのである。


   赦すものは 神の愛を拡大する。

   赦さないものは相手を執着の念で縛るだけではなく、
   自分自身の生命をも縛るのである。

   自分自身の生命を縛る事によって
   多くの病気が現われているのである。


   人を赦さないものは、結局 神を信じないものなのである。

   何故なら神の造り給うた此(こ)の世界に、
   彼は悪が存在するということを信じているからである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

             <感謝合掌 平成28年4月7日 頓首再拝>

自分と他人を「許す」ことができると、痛みがなくなるらしい  - 伝統

2016/04/16 (Sat) 03:51:58


         *「ありがとうの神様」小林正観・著(P52~55)より

   「自分は病気だからつらい」と思っている人は、
   「つらい」と言っていること自体が病気を生んでいる可能性があります。

   神経痛や腰痛、痛風やリュウマチなど、神経が痛むときは、
   2つの条件が重なっていると考えることができます。

   「神経がピーンと張っていること」と、
   「神経をピーンと響かせる外的な状況」があることです。


   外的な状況とは、たとえば、風が吹いたり、気温が変化したり、
   自分が聞きたくないひと言を聞いたとき、などです。

   「バカ」と言われたときに、「そうじゃない」と思うことによって、
   張り詰めた神経を響かせてしまうことがあるかもしれません。


   風も天気も、他人からどんな言葉を投げかけられるかも、
   自分ではどうにでもできません。

   しかし、張っている神経を緩ませることはできます。
   神経を緩ませることができれば、外側からビンビン弾かれても、響きません。
   だから、痛くない。

   《「怒ると、痛いらしい」「笑うと、痛くないらしい」という因果関係がわかれば、
    損得勘定として、怒らなくなるし、笑うようになるでしょう。》

   70代の男性から、「医者にかかっても、神経痛がよくならない」
   という相談をいただいたことがあります。

   私が「神経を緩ませてください」と言うと、はじめは「はぁ? 」と
   不思議がられたのですが、その後、数十秒後に、その方は、こう言いました。
   「痛くなくなりました」

   どうして、神経を緩ませると、痛みがなくあんるのでしょうか。


   じつは、《「許す」の語源は「緩ます」であり、神経を緩ませていない人は、
   人を「許せない」人でり、だから、痛いらしい。》

   「あなたがやっていることは、他人に迷惑をかけていますよ」と、
   チクチクと空から痛みがやってくるのです。

   緩ますことは、すなわち、「許す」ことです。
   自分に対して厳しい人は、体が「あなたの厳しさには耐えられません」と
   悲鳴をあげて痛みが起こっているようです。


   また、自分に厳しい人は、他人にも同じレベルで厳しい。
   「自分にとても厳しくて、他人には甘い」という人は少ないと思います。


   人に寛容になるための方法は、自分を許すことです。したがって、
   「いいかげんな人」
   「自分で自分に甘い人」
   「適当な人」になればいい。


   「いいかげん」というのは、「よい加減」のこと。
   「いいかげんで適当な人になる」ということは
   「よい加減で自分の能力に見合った自分の生き方をする」という意味です。

   自分で自分を許すことができたら、他人を許すことができる。
   他人を許すことができたら、緩ますことができる。
   緩ますことができたら、神経の痛みがなくなるらしい。


   日本人は、体験的に「許す」と「緩ます」が同じ語源であることを知っていたのでしょう。
   神経がピーンと張っているときは、心も体も痛くなりやすいことを
   昔から知っている民族だったのです。

            <感謝合掌 平成28年4月16日 頓首再拝>

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