伝統板・第二

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言葉の力① - 伝統

2015/04/07 (Tue) 04:28:16

*光明掲示板・伝統・第一「言葉の力 (71)」より
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=44

・・・

《善き言葉の花びらを撒いて歩く生活》

           *『白鳩』誌(昭和40年5月号)より

善き《言葉の力》というものは大変な力を持っているものなのです。

《善き言葉》というのは、建設的な言葉です。
善き事が其処にあると想像してそれを言い表す言葉です。
想像されたる《善き事》を既にあるが如く言い表す言葉です。

たとえば、あなたが朝起きた時、『私は神の子必ずよい事が来る』と20回位繰返すのです。 
そしてそれを信念とするのです。 その時本当にあなたに幸福が訪れて来るのであります。

日本人は善き言葉の力を古代から知っていました。 

それですから大祓祝詞とか御禊祓いの祝詞などで
『罪という罪は祓い浄めて・・・・残る罪は有らじと』などと唱えて、

罪本来無しの自覚に入ることによって自己処罰をなくして
幸福生活を得るようにつとめていたのであります。


『坊やはよい子だ、ねんねしな・・・・』などという子守唄を母親が
子供が眠りに入る直前に聞かせながら眠らせるという習慣は、まったく良い習慣であります。

人が覚醒状態から眠りに入ろうとする境目の十数分間は、もっとも潜在意識が
《言葉の力》を受け入れ易い状態になっている時なのです。

その時に母親が『坊やはよい子だ、ねんねしな』といってくれる。
すると子供は母親に見守られながら、母親の慈愛の腕にいだかれたような
安住の受身の心理状態において、もっとも信頼している母親から『坊やはよい子だ』
という歌を、やさしい優しい語調で暗示的に吹き込まれるのです。

そうすると、その子が良い子にならずにはいられないのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/18396898.html

・・・

<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板「言葉の持つ力 (5205)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1100  

(2)光明掲示板・第一「言葉の力」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=216    

(3)光明掲示板・第二「言葉の創化力」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=27

(4)光明掲示板・第三「言葉の力 (213)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=77

           <感謝合掌 平成27年4月7日 頓首再拝>

言葉の印象力 - 伝統

2015/04/17 (Fri) 04:25:11


         *『生きる力の神秘』(昭和7年発行)(P176)より

言葉というものがいかにわれわれに印象力をもつものであるかは驚くべきものがある。

有名なる美術批評家がある絵画展覧会へはいっていったとき、
そこにただ水だけしか描かれていない絵があった。
彼はその絵を平凡な絵だと思ってそのまままさにその絵を素通りしようとした。

その時、その絵の題辞(だいじ)が眼についた
――「地上の万民を一つに結びつける海」と書いてあった。

その題辞(ことば)を見たときその絵のなかに作者が創作(つく)り込もうとした生命が
その美術批評家の心を射た。美術批評家はつくづくその絵を凝視した、そして画廊を出たとき
その絵のみが深く彼の心に刻まれて、他(た)の絵はことごとく忘れてしまっていたのである。

これは「ロンドンの霧は詩人が《言葉》に表現したとき、はじめて存在に入ったのだ」と
オスカー・ワイルドがいったのと好一対で、いずれも言葉の印象力を表わしたものである。

病気が医師の命名を受けていよいよその実在を確固にして治りがたきものとなるのも
言葉の印象力である。言葉の力を無視した医学は医学ではない。言葉の力を慎まないで
恐ろしい病名を患者に宣告したために人の全生涯を暗黒に突き落とした医者も少なくない。

かくして善き言葉は人生を照らす光となり、
悪しき言葉は人生を暗くする悪魔となるのである。

                        (月刊『生長の家』の巻頭語より)

             (『生命の實相』第3巻生命篇上(P159~160)に収録)

           <感謝合掌 平成27年4月17日 頓首再拝>

神事は呪文から~はじめに言葉ありき - 伝統

2015/04/23 (Thu) 04:30:04


        *Web:Fortune Science(2013/09/21)より


みなさん、一所懸命、心に灯をともすということをしてると思います。

手相人相の話なんですけれど。
ところがですね、稀にですよ、100人に一人とか、ホントにそうすごい少ないんですけど、
心に灯をともすことができない人がいるんです。

で、それは、どういう人ですかっていうと、
たとえば手相見てくださいって来るんだけど、まったく人の話聞かない人がいるんです。
ずーっと、自分の話してる人とか、ノイローゼの人とか、心がおかしい人がいるんです。

で、そういう人はどうしたらいいんでしょう?
って質問があるんですけど、これはどうにもならないんです。

なぜかっていうと、心に灯をともすということは、
灯してもらいたいというお互いの意志があって初めてできることなんです。

だから、相手が灯して欲しくない人もいるんです。
そういう人っていうのに、うっかり構うと、ちょくちょく来るようになります。
来るってことはどういうことかというと、必ずその人に迷惑をかけにくるんです。
相手からエネルギーを取るために来るんです。

簡単なこというと、この宇宙の中心に、大日如来ってのがいます。
大日如来は二つの化身がある。
ひとつが、観世音菩薩、ひとつが不動明王。

観世音菩薩の方は慈悲の心ですから、相手に愛を与える。
心に灯をともしたりするんです。
皆さんがやってることは、それなんです。

でも、稀に、そうじゃなくて、いつも、たとえば私が
「あなたは、こういうふうにしたほうがいいですよ」
「それはできないんです」とか、必ず反対意見言う人がいるんです。

この人を救ってやろうというんじゃないんです。
そういう人が来たら、お不動様になって、
「あなたはうちに来ても、もうダメだからよしなさい」って。

たとえば「ありがとうって、いっぱい言うといいよ」って言っても
「ありがとうはいいたくないのよ、言わないわよ」
「心がともなってない」とか
「そんなこと言ったってしょうがないじゃないの」
とか、そういうこと言うんです。

そういう人は切っちゃわなきゃいけないんです。
じゃないと、あなたのエネルギーが奪われるし、お店の環境が悪くなるし、
そこへ来てる人に悪い影響を与えるんです。
ホントに稀なんですけれど、そういう人がいるんです。


で、もう一つですね。
この世の中っていうのは、『うれしき・たのしき・ありがたき』っていう言葉があるんです。
これを、3つの『き』で『おみき』っていうんです。

神様におみきを与える『うれしき・たのしき・ありがたき』
嬉しいなあ、楽しいなあ、ありがたいなあ、ありがとうっていうことだよね。
平坦にいうと、ありがたきっていうのは、ありがとうっていう意味なんです。

今起きてることに、いい事が起きたとき、
「あぁ、ありがたいな、嬉しいなぁ」とかっていうと、もっといい事が起きる。

で、悪いことが起きたとしても、『うれしき・たのしき・ありがたき』っていう、
呪文と同じですから、それを唱えてると『災い転じて福となす』

ところが、今、いい事が起きてようが、普通に起きてようが、
不平不満ばっかし言ってて、ありがとうも言わない。
そうすると、いい事が悪いことになる。

悪いことが起きると、さらに悪く言うんです。
そうすると、悪いことが、大悪になっちゃうんです。
災いが、大災いになる。

どっかで、人っていうのは、今の環境でもね、
食べられるだけ幸せだとか、日本に生まれて幸せだなとか、
魚食べられて、漁師の人たちありがとね、
なんか感謝してみようって、上に上にあがっていく。


で、不平不満言ってると、悪いことが起きるんです。
悪いことが起きると、また不平不満を言うんです。
そうすると、もっと悪いことが起きる。
ドツボの如く悪くなってくるんです。

どんどんどんどん、自分を追い詰めて自分を不幸にして、
やがて自殺しちゃう人もいるんです。

そうすると、また生まれ変わって、途中から出て、中間から、
良くも悪くもないところから始まるんです。


人は、感謝の念を持って、『ありがたいね』とか『うれしいね』とか、
こういう言葉をどんどんどんどん発すればいいんです。

これは、呪文なんです。

心が、伴わなくてもいいんです。

『はじめに言葉ありき』

それで、神事をやっている人というのは、
『はじめに言葉ありき』だって事を知ってるんです。

「心伴え、心伴え」っていうのは、道徳論者なんです。。
神事とは、呪文をいうことから始まるんです。

キリストも釈迦もみな言ってることは、『はじめに言葉ありき』

嬉しいなんて思いなさいじゃないんです。
思わなくてもいいから、口に出すんです。
そうすると、だんだん、思ってくるんです。

だから、あなた幸せだねとか、ありがとうねとか、ありがとうをいっぱい言いな、
って言っても、それをしたくないんです。

したくない、っていうのは、神事じゃないです。
心伴うんじゃないんです。
心から入りなさいじゃ道徳なんです。


神事とは、言葉から先なんです。
わかります?
お経でもなんでもそうなんだよ、お経、全部理解して言ってるんじゃないんだよ?
言うところから始めるの。

こころ伴わなくてもいいの、言ってるうちに必ず心が伴うんです。
キリストも言ってる。
『はじめに言葉ありき』

で、教えてやってもやらない人がいたら、うちとは縁のない人です。
その人はその人の修行の場があるの。
もう少し、いろんなこと体験して、苦しみたい人っていっぱい、いるの。

で、ホントに苦しんで苦しんで、嫌になったとき、
「私は苦しいんです」っていっても変えようとしてない人がいるんです。

苦しいんだっていっても、変えようとしてない人は、大して苦しくないんです。
ホントに苦しかったら、なんでもしますっていうんです。

それを、「こういうふうにしなさい」っていうと、「こういふうにしたくない」
「あれしなさい」っていっても、「あれもしたくない」
その程度は、苦しんでないんです。

人間っていうのは『悩み即菩提』っていうの。
悩めば、なんとかしようと思うんです。

行動を変えるんです。
で、行動を何も変えないで、助けてくださいっていっても助からないんです。

まず、難しくないの、言葉から変えな。
それでも変わらない人がいたら、縁のない人なんだよ。

うちには縁がないから無理ですね、他所いったほうがいいですよ。
そういう人を、どうやって救ってやろうなんて思っちゃダメです。
受け取る気がないんですから。

電気を点けて、光を(灯り)をともしてあげようとしても消す人がいるんです。
「点けないでよ、明るいの嫌なんだから」って消す人がいるんです。
ホントに少ないですよ?。
少ないけど、います。

そういう人に対する、対処方法を覚えてください。
そういう人に関わってると、あなたの灯が消されちゃいますよ。
そうしたら、他人に灯をつけてあげることが、もうできなくなっちゃうんです。

わかりましたか。

以上です。

           <感謝合掌 平成27年4月23日 頓首再拝>

言葉の創化力 - 伝統

2015/04/29 (Wed) 03:40:39


『生命の實相 第一巻』 生長の家七つの光明宣言には、

(1)吾等は生命の糧は愛にして、祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力
   なりと信ず。(生長の家七つの光明宣言 第4条)

(2)吾等は神の子として無限の可能性を内に包有し、言葉の創化力を駆使して
   大自在の境に達しうることを信ず。(生長の家七つの光明宣言 第5条)

   <参考Web:生長の家七つの光明宣言 全文>
          http://catalog.kyobunsha.jp/96/01/

とあります。

             ・・・

(生長の家七つの光明宣言 第4条)愛を実現する言葉の創化力(P18~22)より抜粋

(1)愛は生み育てる力、癒す力であります。
   慈愛の心で少しも恐怖なしに神さまの聖愛が必ず
   この祈りを通じてはたらくと念じつつ、病人のために祈りますと、
   治るべき病気ならば癒えるのでありますし、

   子なき人も神さまの大愛を信仰して「子をお授けてください」と念ずれば
   子が授けられるのであります。

(2)(子どもを育てるに当って)

   愛の心は前々から親にはあるのだけれども、それが賞讃の言葉となって表われ、
   信頼の言葉になって書かれるまでは、その生かす力が完全に発現しなかった
   のであります。

   だから「七つの光明宣言」第四条には生命の糧は愛であっても、
   祈りや愛語や讃嘆の言葉となって表われるまでは、本当にその生かす力が
   完全に発現しないということが宣言してあります。


             ・・・

(生長の家七つの光明宣言 第5条)言葉の創化力を駆使して大自在境に達する
                 (P23~24)より抜粋

(1)この大自在境をわれわれは実相の世界においては今現にもっておる
   のでありますが、現象世界においてはしだいに開発されてくる可能性として
   もっているのであります。

   われわれの「生長」とは実相の世界におけるこの大自在境を現象世界において
   一歩一歩その実現に近づかせることであります。

(2)われわれの内に潜んでいるところの無限大のこの可能性こそわれわれの実相なる
   ところの真如または仏性であります。

   この真如または仏性は、これを発揮すればコトバ(真言)となり、
   名号となり、念力となり、真に驚くべき創造力を発現するのであります。

(3)われわれの実践生活のうえでは思念と発声音と表情とが最も重要な、
   われわれの運命を左右するコトバとなっているのであります。

           <感謝合掌 平成27年4月29日 頓首再拝>

善き言葉のみを語る - 伝統

2015/05/04 (Mon) 04:51:44


         『幸福をひらく鍵』(P80)より

常に善き言葉、明るい言葉、楽天的な言葉、人を賞める言葉、人を勇気づける言葉、
建設的な言葉のみを語りましょう。

言葉はその語る内容である想念を具象化する強力な力をもっているものなのです。

悪しき言葉、暗い言葉、悲観的な言葉、人を貶す言葉、悪口(わるぐち)、
人を傷つける言葉、破壊的な言葉を語ってはなりません。

あなたの語る言葉は周囲に影響を与えると同時に、
自分自身にそれが撥ね返って来て自分を傷つけることになるのであります。

           <感謝合掌 平成27年5月4日 頓首再拝>

言葉に善事(よいこと)のみを語れ - 伝統

2015/05/11 (Mon) 04:45:16

       *『生長の家』(昭和26年4月29日の法語)より

《言葉に善事(よいこと)のみを語れ》

   何事についても絶望的な言葉を吐くな。悲観的な言葉を告げるな。
   言葉は宇宙に放送されて やがて具体化するのである。

   楽観的な言葉を吐けば 楽観的な事柄があらわれて来、
   悲観的な言葉を吐けば 悲観的な事柄があらわれて来るのである。

   世間話を慎め。ゴシップに気をつけよ。
   苟(いやしく)も他(ひと)の悪を語るゴシップに交ることなかれ。

   不景気を語るな。
   常に好景気のみを語れ。
   人の善意のみを語れ。

   何事か悪しきが如(ごと)く見えても、それは現象であり、仮相であって、
   実相ではないのである。

   神のつくり給える実相は 久遠(くおん)に完全であって、
   今も尚(なお)、その完全さが存在するのである。

   言葉の魔術で 実相の完全さを曇らしてはならないのである。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12258815.html


           <感謝合掌 平成27年5月11日 頓首再拝>

《汝(なんじ)の舌にて善き言葉のみを語れ》 - 伝統

2015/05/17 (Sun) 04:42:04


       *『生長の家』(昭和26年5月13日の法語)より

   汝の舌によって憎みの言葉を語るな。
   悪しきことを語るな。
   人を呪(のろ)う言葉を語るな。

   汝の心に悪を思うな。
   怒る勿(なか)れ。
   憎む勿れ。

   そして唯 実相のみを見よ。

   これ汝らが神によって救われんがためである。


   神は無限の愛であるから何ものをも憎み給うことなく、怒り給うことなく、
   永遠に吾々を祝福し給うているのである。

   常に神にふりむけ、そして愛の言葉のみを語れ。
   人のよきことのみを語れ。

   かくれたる所にて凡ゆる人々をほめよ。

   それが自己に於いて神を現わす所の最善の智慧である。
   
   誰かが自分の心を傷つけようとも、
   それは かつて自分が誰かを傷つけたことがあるからである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=132

           <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝>

【言葉が現象を生み出す】 - 伝統

2015/05/23 (Sat) 03:48:47


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月22日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   あるとき、こんなメッセージが宇宙から届きました。

   「言葉が現象を生み出す」

   発した言葉が現象化するというのです。


   仮りに私が「ありがとう」を言い続けていくとしましょう。
   すると「ありがとう」と言いたくなるような状況が降ってくる。
   現象化するというのはそういうことです。


   宇宙に向けて発した言葉は、
   その言葉をもう一度発したくなるような現象を起こします。

   言葉がものを生みだす強力なエネルギーになる、ということです。

   投げかけた言葉どおりの環境に、その後見舞われるのなら、
   もし、恨み言葉を言い続けていると、そのとおりに現象化して、
   また恨み言葉をいわざるを得ないような状況になる。

   それが宇宙の原則。


   私たちが発する言葉には、神が宿っています。

   実践者であるためには、最初に「言葉ありき」。

   言葉があって、それがエネルギー化されて、
   “私”の行為につながっているようです。


   行動するのが「実践者」だと思いがちなのですが、
   その行動を起こす前に「言葉」が存在します。

   まず、言葉を宇宙空間に投げかけると、
   それが熟成されて、エネルギーになるようです。

   それが人の体に溶け込んだときに、
   言葉の方向性に導かれ、体はその方向に行動を起こします。

   結果、発した言葉どおりの現象に出合うのです。


   ということは、心を込めなくてもいいから、
   「ありがとう」をたくさん言っている人には、
   「ありがとう」を言いたくなるようなことが次から次へと起きてくることになります。

   言葉が現象化する。

   まさに「言葉は神なりき」。

   そして「初めに言葉ありき」なのです。

          <『ありがとうとお金の法則』だいわ文庫>

              ・・・

「言葉が現象を生み出す」と言って、たとえば「お金が欲しい」と言ったらどうだろう。

仮に、お金が手に入ったとしても、努力がともなわないお金なら、別の対価が必要となる。

大きなお金になればなるほど、大きな対価を支払わなければならない。

例えば、交通事故で大怪我をしてお金が入ってくるとか。


「ありがとう」という言葉には、対価は発生しない。

人の幸せを願う利他の言葉だからだ。

だが、自分だけがよくなるような利己的な言葉には、当然対価がともなう。


宇宙に投げかける言葉は、人を楽しくさせ、幸せにする利他の言葉。

「ありがとう」をたくさん言っている人には、
「ありがとう」を言いたくなるようなことが次から次へと起きてくる。


「ありがとう」の言葉を多く言う人でありたい。

           <感謝合掌 平成27年5月23日 頓首再拝>

善い言葉は人生の宝 - 伝統

2015/05/29 (Fri) 03:49:38


           *「人生読本」(P157~158)より

善き言葉は人生の宝であります。
何がなくとも「深切」は言葉でできるのです。

貧乏では深切ができない、金がなければ深切ができない
というようなものではないのであって、
私達は深切の第一歩を言葉によって実行する事ができるのであります。

人に深切な言葉をかけてあげる、
人が意気消沈している時にそれを鼓舞(こぶ)して
高め上げるような言葉を出す、これが深切であります。

人が誰も同情してくれない、淋しくなって人生を呪うような心の起った時に、
本当に深切な表情をして、深切な微笑を投げかける、これが深切の実行であります。

誰だって微笑(びしょう)はできるのでありまして、
その深切な微笑がどれだけ相手を生かすことになるか分からないのであります。

私達は、なんにも持っていないから深切ができない
と言うのはあまり物質的な考えに執(とら)われているのであります。

本当に深切にしようと思えば、どんな場合でもできないという事はないのであります。
常に優しい心持をもち、愛に満ちた霑(うるお)いのある心を持ち、
人に接する時、拝み合い感謝し合い、相手を尊敬して、その自信を失わしめない。

これが深切の中の一番深切になるのであります。

どんなに金をやっても或いは物をやっても、本当にその人を尊ばなければ
深切にはならないという事になります。

「貴様みたいな仕方のない奴はこいつやるから持って帰れ」と乱暴な言葉を出して
千円札を放り出したところが、それは深切にはならないで却って恨まれるかも知れません。

物を与えても相手を怒らせるのは、それは深切にならないのです。
物をやらなくとも相手を生かして喜ばすようにすれば、
それが本当に深切をした事になるのであります。

           <感謝合掌 平成27年5月29日 頓首再拝>

言葉が人間を幸福にする - 伝統

2015/06/04 (Thu) 04:36:50


           *『真理』第五巻女性篇(P220~221)より

ともかく言葉が一切を支配しているのです。
ですから、皆さんが幸福になろうと思ったら、
まず、「私は幸福だ」と暇ある毎唱えることです。

「先生私は不幸です。不幸なのにどうして幸福だなんて唱えられますか」
と言う人があるかもしれないが、そうじゃないのです。

わたしの詠んだ歌に、
「漂える雲のかなたにまん丸に澄みきる月ぞわが相(すがた)なる」
と云うのがありますが、お空に雲が漂うておっても、
いまだ一度もお月様には雲がかかったことがないのです。

お月様に雲がかかったように見えるのは、実は地球に雲がかかっていて、
そこから月を見るからです。

           <感謝合掌 平成27年6月4日 頓首再拝>

【人間の体を壊す4つの条件】 - 伝統

2015/06/11 (Thu) 04:08:25


       *メルマガ「人の心に灯をともす(平成26年6月26日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)


   人間の体を壊す4つの条件があります。

   ●酒
   ●たばこ
   ●暴飲暴食

   これら3つは、それぞれ5%程度の影響で、
   この3項目の集積でも20%ほどしか関わっていませんが、
   実は次の4つ目の条件が、体を壊す要因の80%を占めているようです。

   ●不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句

   というものです。


   例えばいくら「健康食品」を食べていても、家庭内でケンカが絶えないことや、
   「あれは体に毒だ」「これも体に悪い」と否定的なことを言っていることのほうが、
   体を壊す影響が強い。

   その健康食品はプラスには働いてくれないでしょう。

   つまり、自分の体に入ってくるものに対して、批判的な言葉を加えれば加えるほど、
   体の中で毒になるということです。

   そして、防腐剤や着色料が入っていても、
   「私の体の一部になってくれてありがとう。栄養になってくださってありがとう」
   と手を合わせ、何でも笑顔でバリバリ食べている人は、意外に元気なのです。


   自分の想念というものは、実はとんでもなく強力に、
   自らの体をコントロールしており、私たちが何気なく言った一言によって、
   体はものすごく律儀に素直に反応しているということです。

         <『究極の損得勘定 損得で考える宇宙法則』宝来社>

            ・・・

「不平不満」、「愚痴」、「泣き言」、「悪口」、「文句」という言葉は
人に向って吐くものだが、実はそれが自分の体を一番、蝕(むしば)んでしまう、
という不思議なことが起こる。

まるで鬼の形相で、他人に文句をいい、批判ばかりしている人は、
つまり長生きできないということ。


この反対の生き方が、
「ツイてる」、「うれしい・楽しい」、「感謝」、「幸せ」、「ありがとう」、「許します」
という言葉を多用する人生。

どんなときも、感謝の気持で生きる人生をおくりたい。


          <感謝合掌 平成27年6月11日 頓首再拝>

「言葉は大事じゃぞ」 - 伝統

2015/06/17 (Wed) 04:46:04


        *本流宣言掲示板からの転写です。


「言葉は大事じゃぞ」 (9217)
日時:2012年05月16日 (水) 11時23分
名前:コスモス

合掌 ありがとうございます。

「全国新聞連合 シニアライフ協議会編」から発行されている「珠玉編 心にしみるいい話」から、
最後に紹介してあった、高知県中村市の主婦、和田静恵さんの心にしみるお話を紹介させて頂きます。

昭和11年、和田さんが小学校4年生の時、学校から帰ると「静よ、藁を打ってくれんかのう」
と祖父に言われ、「ちくっと遊びに行って来る」と言うと、
「戻ったら打ってくれよ」と言う祖父の言葉に、「うん‐‐わかった」と答えて、
友人の所へ出掛けてしまいます。

ついつい時が過ぎて、遅れて家に帰り、母にも叱られつつ、
しまったと思いながら祖父の許へ行くと、祖父は1人で藁を打っていました。

そしてこのように孫娘に諭されたのです。
これは現代の我々にも、実に耳の痛い、しかし大切な言葉です。引用致します。


「静よ、人間はのう、うんと言葉を大切にせよ、よ。
人との出会いも大切じゃが、言葉はもっと大切じゃぞ。--えいか」

――言葉にも、ちゃんと足があってねや。
  言うて良い足、言うて悪い足の、言葉の足がちゃんと二つついちゅうぞ。

  その言葉の足を前後にしっかり踏まえて、言うてよいか、言うて悪いか
  ようく考えて、腹の底からしっかりと、ものを言え。

一度、口から出した言葉は、元には戻らん。

一度、口から出した言葉には必ず責任を持て。
責任のない言葉は信用を失うぞ。

――言葉の足は、信用という大きな、大事な体を支えちゅうがぞ。わかるか?
  何によらず、言葉には必ず責任を持てよ。

――事を頼まれて、出来ないことは安請け合いをせずに、はっきり丁寧に断れ。
  断ることも信用の一つぞ。

――言う口の下、尻からはぐれる出まかせの嘘を言うな。
  人間を見下げる。

――人を笑うな。指を指すなあざけるな。情けを掛けよ。
  情けと意地悪は後日必ず返って来る。

――今、言うた話は、子供の時も大事じゃが、大人になったらなおさらのことぞ。
  よくよく心しちょけよ、えいか。

  (さらに女性としての心構えも諭されます)

――それに、人と出会った時に頭だけコックリするな。
  荷物は必ず左手に持ち替えて、右手を膝の上まで下げよ。自然に頭は下がる。

  それに、人と目が合ってすぐ横を向くな。
  ちょっと首を傾げて笑顔を見せよ。女らしい。


藁を打ちながらゆっくりと話してくれた祖父は、
「もうよかろう。静も約束を果たしてくれた。わしも明日は約束の草履を持って行ける。
だれた(疲れた)のう。おおきに、おおきに。
秋の日は早いのう」と、夕焼けの空を見上げてニッコリしていました。

布のように柔らかく打たれた藁で、お爺さんの作った草履は、出来あがりもきれい。
丈夫で長持ちすると評判で、近所の漁師さんの注文がよくありました。

言葉の責任を教えてくれた祖父は「自分のことは自分でせよ」と言って、
八十歳を過ぎても、布団の上げ下ろしを自分でやっていました。

南国市浜改田で、両親より以上に世話になった祖父母を思い出します。
事あるごとに思い出し、言葉の責任は、私と共に生きるでしょう。(以上)

    (http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2154


          <感謝合掌 平成27年6月17日 頓首再拝>

言葉は人生の彫刻師 - 伝統

2015/06/24 (Wed) 03:02:09


           *谷口清超新書文集2『神は生きている』より

言葉は人生の彫刻師である

正しき言葉は正しき人生を彫(きざ)み、
正しからざる言葉は邪(よこし)まな人生を彫造(ちょうぞう)する。

正しい言葉、光明の言葉をあなたがもし日毎(ひごと)読むならば、
そしてそれを思念するならば、
その言葉の種はあなたの心の中で芽をふくのです。

正しき行為、悩みなき人生が次第にあなたの眼前に展開されて来るのです。

(Web<大宇宙(2013年12月 9日) より)

http://nifty20050416.cocolog-nifty.com/daiuchuu/2013/12/post-5a68.html

          <感謝合掌 平成27年6月24日 頓首再拝>

「真法の寿文」 - 伝統

2015/07/01 (Wed) 04:10:29


      *「つぶやくだけで心がスッキリする魔法の言葉(じゅもん)」
        はづき虹映・著(P4~5)より

私たちは、自分の発した言葉通りの人生を歩むようにできています。
ネガティブな言葉を発すれば、辛い、つまらない人生を味わうことになります。
ポジティブな言葉を発すれば、サイコーに楽しい人生が、目の前に広がることになるのです。

そういう意味では、私たちが普段話している言葉そのものが、
実はすでに「まほうのじゅもん」となっていて、
私たちはその言葉通りの現実を味わっているのです。

「人を呪わば穴二つ」と言われるように、
ネガティブな言葉を発すると、その言葉は
「呪いの文句」とも言うべき、「魔法の呪文」になります。

一方、ポジティブな言葉を発するとき、「魔法」は「真法(まほう)」、
つまり「真実の法則」になります。
そのとき「呪文」は「寿文」(喜びの文句」)になります。

掃除にそれは、「神様に授かった文字・言葉」という意味での
「授文」だと言ってもいいでしょう。


あなたが本当に幸せな人生をおくりたいと思っているのなら、
自分の口から出る言葉を「魔法の呪文」ではなく、「真法の寿文」に変えてください。

「じゅもん」を信じる必要は、ありません。
「じゅもん」は、口を出して唱えるだけでいいのです。

あなたの人生はすべて、あなたが発する「じゅもん」次第です!  

          <感謝合掌 平成27年7月1日 頓首再拝>

言葉から奇跡を起こす! - 伝統

2015/07/08 (Wed) 03:05:36

言葉から奇跡を起こす!
 ~言葉の作用は、宇宙の動きに作用するすごいもの!

        *「奇跡を呼び込む! ありがとうの功徳力」佳川奈未・著(P27~30)より

真言宗の開祖である空海は、三密加持の教えの中で、”言葉は現象をつくるもの”として、
常日頃、どんな言葉を口にしているのか、心の中で何をつぶやいているのかを、
とても尊いもの、肝心なこととして、説かれています。

たとえば、三密加持という教えがありますが、
この三密とは、口密(語密ともいう)、身密、意密、という3つの秘密があって、
その3つの秘密の魔法が合って一致したとき、加持になるというのです。

          ・・・
    
     口密:口にする言葉、心の中でつぶやく言葉
     身密:行為、ふるまい、態度、行動
     意密:思い、イメージ、気持ち

          ・・・

加持とは、加える・持つということですが、三密をした者が、エネルギーを宇宙に
加えたことになり、それを受けた宇宙が、三密にしている者に対して加える者となる
ということで、

すなわち、三密をした人が、宇宙からの恩恵を持てる者になるという、宇宙の法則を
説いているのです。

          ・・・

     なんでもそうですが、
     賭けたエネルギーの大きいほうが、大きな現象を起こしたり、
     大きな結果を手にするというのは、宇宙の法則なのです。  (同書P26)

          ・・・

あなたがいつも、言葉と、実際にやっていること、思っていることの、
この3つが一致していると、すべての思いが叶う(そのとおりになってしまう)
ということなのです。

これは、常日頃、あなたが何を思い、何をし、何を口にしているのかが、
この人生にとっては、とても重要なことであるということを言っているのです。


なぜなら、それら3つのことは、合致することによって、ある種の創造的エネルギーを
持つものとなり、そのエネルギーベクトルは、それに見合ったものとしてなんらかの
方向に働き、結局、それを現実にこしらえてしまうものだからです。

そして、これら、3つの働きである、言葉、思い、行為は、それぞれに影響し合っているので、
どれかが強くなると、連動して他のものも強いものに引っ張られるようになるのです。


言葉の力をあなどってはいけないのです!
言葉というのは、それを象徴するようになってくるものなのですから。

          <感謝合掌 平成27年7月8日 頓首再拝>

ことばは相手を生かすためのもの - 伝統

2015/07/16 (Thu) 04:36:06


             *「女性の幸福365章」(P105)より

失望落胆している人に力づけの「希望の言葉」を与えることは、
金銭を与えるよりもなお大なる施しである。

人の心を傷つけるような言葉を発するのは、精神的殺人である。

言葉でいかに賞賛しても、真に相手の実相を”神の子”として拝んでいない場合には、
彼の潜在意識がそれをよく感じていて、その賞賛の言葉をただ阿諛追従と受け取って、
ある場合には却って不快をすら感ずることもある。


人の痛い所に触れるような言葉を発してはならない。
婦人に関しては特に、顔の欠点や、衣装の欠点を見つけても
それを口に出してはならない。

自分がヒケメを感じている点には成るべく触れないのが愛情である。
そして少しでも自身をもって誇示したがっているらしい点を見つけて
称(ほ)めるようにするがよい。

それが人間関係をよくする満ちである。

頭が禿げかかっている人の前で、禿げの醜さの話などをしてはならない。
他(ほか)の人の頭髪のゆたかさを称(ほ)めてはならない。

人の欠点には触れてはならない。

          <感謝合掌 平成27年7月16日 頓首再拝>

言葉が現象をつくる! - 伝統

2015/07/23 (Thu) 04:30:33

ありがとうの宇宙サイン
~言葉が現象をつくる!  あなたの口にする言葉が宇宙を変える!

        *「奇跡を呼び込む! ありがとうの功徳力」佳川奈未・著(P31~34)より

「ありがとう」の5文字の響きには、次のような意味合いがあるのです。

「あ」 → 響く母音「あ」 → 宇宙創造の音・すべてを振動させる音
「り」 → 響く母音「い」 → すべてを引き上げる音・上昇をうながす音
「が」 → 響く母音「あ」 → 前記の意味に加え、開始・開花・誕生・全般的に呼び覚ます音
「と」 → 響く母音「お」 → 大地にすべてをひろげ渡らせる音・波紋・拡大の音
「う」 → 響く母音「う」 → 大きなエネルギーをためる音・パワーを持たせてくれる音

これらの母音は、すべて、あなたがパワーを得たり、発したり、その影響をひろげたり、
上昇したりする霊脈ルートの音ともなっています。

しかも、ありがとうの5文字のうち4つは、丹田・腹・胸・額というように、
主要チャクラを刺激して、オープンにする音ですから、「ありがとう」というのは、
かなりパワーのある言葉(言霊の強いもの)だということがわかります。

この「ありがとう」の言葉の響き=振動は、次のような意味合いのエネルギーになるのです。

つまり、「宇宙のすべてを振動させ、最初の思いが開花するよう、それを宇宙全般に
知らしめ、大きなパワーとしてひろげていきながら、引き上げられて、ひろまっていく」
というものなのです。

そして、感謝という意味の言葉であるがゆえに、感謝に値することとして、
それが、宇宙に放たれた限り、あなたが感謝したくなるような良いことを受け取る
ということなのです。 

          <感謝合掌 平成27年7月23日 頓首再拝>

心の栄養は善きコトバ! - 伝統

2015/07/30 (Thu) 04:53:30


           *『生命の實相』第一巻(總説篇)(P27~29)

こんなわけで『生長の家』を月々発行して言葉によってこの世を浄め、
人生を住みよくし世界の家庭家庭を明るくし、個人個人を幸福にすることは
生長の家の主要な事業の一つであります。

それは今後皆さんが「心の法則」を深く研究して行かれるに従って
しだいに明瞭になって来ますが、先刻もちょっと言及しましたように
この世界は言葉の力によってささえられているからであります。

ご参考までに東西の経典から言葉の力に関したものを
手あたりしだいに抜き書きしてみましょう。


  神光あれと言いたまいければ光ありき。(『創世記』第一章)

  太初(はじめ)に道(ことば)あり、道(ことば)は神と偕(とも)にあり、道(ことば)は神なりき。
  万(よろず)のものこれに由(よ)りて成り、成りたるものに一つとしてこれによらで
  成りたるはなし。これに生命(いのち)あり、この生命(いのち)は人の光なりき。
                         (『ヨハネ伝』福音書第一章)

  人の生くるはパンのみによるにあらず神の口より出(い)ずる
  すべての言葉によると録(しる)されたり。(『マタイ伝』福音書第四章)


  それ如来の説法は必ず文字による。内外の風気わずかに発すれば、
  必ず響くを名づけて声(ことば)というなり。響きは必ず声(ことば)による。
  声(ことば)はすなわち響きの本(もと)なり。声(ことば)発してむなしからず、
  必ず物の名をあらわすを号して字というなり。名は必ず体(たい)を招く、これを実相と名づく。
  ……声字(ことば)には必ず実相を有し実相には必ず声字(ことば)を有す。
  互いに能所(のうしょ)たり。(真言宗経典『声字(しょうじ)実相義』)



  天地(あめつち)のはじめの時大宇宙(たかあまはら)に成りませる神の名(みな)は
  天之御中主之御言(あめのみなかぬしのみこと)(『古事記』)(成る、鳴る、語源同じ)


  言葉は肉体となりてわれらの中(うち)に宿りたまえり。(『ヨハネ伝』福音書第一章)

 
かくのごとく、東西の経典は筆をそろえて、言葉に生命(いのち)あり、
言葉は必ず体(たい)を招き、言葉はわれらに宿って肉体となることを説いているのであります。

古(いにし)えわれわれ日本人が互いにみこと(みは美称、ことは言(こと))と呼び、
互いを神として敬し合ったのはこのためでありました。

「生長の家」は、この点において
神代(かみよの)日本に還るべきであることを提言するのであります。

われらはなんであるよりもまず言葉すなわち神の子である。
これはじつに否定できない。
言葉によってわれらは清くもなれば醜くもなり、幸福にもなれば不幸にもなるのであります。

皆さんは毎朝歯ブラシで歯を磨かれるでありましょう。
では歯よりも大切な心があることを自覚せられねばなりません。
毎朝歯を磨くのにこの大切な心を磨かないのは不合理であります。

では、心はなにをもって磨くべきでありましょうか。
それは言葉によってであります。

皆さんもし朝起きるとひと声「ばかやろう」と家族を叱咤したならば、
その日いちにち不愉快なことを自覚せねばならないでありましょう。
それは言葉が悪いからであります。

われわれが、自己の人生を幸福にし、家庭を明るくし、環境を良化し、
運命を改善しようと思うならば、毎日すくなくとも二、三回はそのために
作られたる善き、明るき言葉で心を浄め磨かなければならないのであります。

それは実際われわれにとって食事をとるよりもなお絶対に必要なことであります。
それは心の食事であります。

心に善き言葉を食して心を幸福にすれば、肉体は健康化し、運命は良化するのであります。
この目的のために、本書および月刊雑誌『生長の家』は生まれたのであります。

          <感謝合掌 平成27年7月30日 頓首再拝>

言葉の力 ~ ネーミング - 伝統

2015/08/06 (Thu) 04:22:25


            *Web:【ザ・レスポンス】(2015年08月03日)より

人間は“言葉”によってものを考える。漠然と考える人はいない。

人は考え事をするときも、頭の中で言葉を使って喋っている。
だから日本人は日本語で考えるし、米国人は英語で考える。

そして、驚いたことに、人は、商品そのものの価値も“言葉”によって判断するらしい・・・


福岡出身の岡島さんがニューヨークのマンハッタンで経営する博多料理店「HAKATA TONTON」は、
NYミッシュラン5年連続受賞の快挙を成し遂げている大人気店だそう、、、
多くのお客さんは「豚足」を目当てにこの店に通っているらしい。。。



「え? 外人って豚足好きなん? 」

って思うかもしれないが、もちろん好きなわけない。
豚足って、正直、ぼくも苦手なほうだし。。。

が、しかし、そこにはちょっとした工夫があった。
豚足を「豚の足だ。うまいぞ。食べるか?」って言われたら、アメリカ人じゃなくても若干、
気持ち悪いし、引いてしまう・・・じゃあ、どうしたか?  以下、本人談



   >実は僕はメニュー名をあえてTONSOKUと訳さずに書いていました。
   アメリカ人のお客さんは必ず、『TONSOKUって、何? 』と聞いてきます。
   そこで僕は、『フランス人がこよなく愛する料理、ピエ・ド・コションです』
   と答えました。

   すると当然、『それはどんな料理か』と聞かれる。

   その時に初めて、『Pig’s Feet(ピッグズ・フィート/豚の足)です』と
   種明かしするんです。

   そうすると、
   『うーん、フランス人に人気なら食べてみようか』となる(笑)。

   もしメニューにPig’s Feetと書いてしまっていたら、
   気持ち悪がられてブームにはならなかったと思うのです。

      出典http://www.alc.co.jp/gogakuup/blog/2013/08/HimiOkajima-01.html


つまり、豚足をどのように表現するかで、どんな言葉を使って表現するかで、
「気持ち悪い」か「美味しいのかも」の分かれ目となる。

提供されるものが、全く同じものであったとしても、、、だ。


もう一つの博多名物といえば、「明太子」だが、これは最悪だったらしい。

というのも最初、明太子のことを「Cod roe」つまり鱈の卵とメニューに書いたそうだ。

そしたら、気持ち悪いと酷評される。

ところが、メニューの名前を別の「言葉」で表現したとき、、、鱈の卵は大ヒット商品となる...


さて、何てメニューにしたと思う?

ヒント:似たようなもので美味しいイメージがあるもの。

すでにお客さんの中でそういうイメージができあがってるものって何だろう?

わかった?

答えは、、、

   《「博多・スパイシー・キャビア」》

うぉ! マジかと! 最高のネーミングであることは言うまでもない。
そして、それ以来、博多スパイシーキャビアこと鱈の卵は飛ぶように売れるように
なったんだとか。。。

もちろん鱈の卵と言われるのと、
キャビアと言われるのでは全然違うことは説明の必要もない。
キャビアは、欧米人の中で高級食材として確固たるイメージを築いている。

だから、その名前にあやかることで、その確固たる高級食材のイメージを合法的に
「借りる」ことができたわけだ。

この経験から岡島さんは、こう思うようになった。


   >私たちは物を食べているんじゃなくて、言葉を食べているんじゃないか!
   と、そう思うようになりました。言葉って実はすごいんじゃないか、って。
   大切なのは、「物」ではなくて、どう言葉にするかなんですよ。



「言葉」の力はとてつもない。
恐らく、人間が持っている力の中で最も大きい力が「言葉」の力じゃないか。
よくよく考えてみよう。

明太子という商品の味は、全く変わっていない。
内容も全く変わっていない。

しかし、その商品名が変わっただけで、人のイメージは「気持ち悪い」から
「美味しそう」「高級そう」なイメージに変わる。

これってスゴくね?

マーケターとして、ぼくらにとってこの事実はちょーーー重要だ。
あなたの商品の価値が、あるいはその商品の売り上げや、広告のレスポンスが、
「商品名」だけで、断然変わってくるということなんだから、、、



《見落とされてるネーミングの力》

「ネーミング」はほとんどのマーケターが見過ごしている、超パワフルな施策。
名前を変えただけで(商品を変えなくても)売上がドンと伸びた事例はたくさんある・・・


   モイスチャーティッシュ>>>鼻セレブ売上4倍
   フレッシュライフ>>>通勤快速売上10倍
   缶煎茶(かんせんちゃ)>>お?いお茶20年間シェアNo.1


ここに上げた例は、まぁ、特別大成功した部類だろうけど、
この手の話はいくらでもあるだろう。

本だって、全く同じ内容であるにも関わらず、
タイトルを変えて売上部数が断然伸びた、なんて話だってある。
ちなみに今から90年くらい昔に本を1億冊、タイトルだけで売った男がいた。

彼がタイトルのテストをいろいろやっていて、同じ本でもタイトルの付け方で
売れ行きがガンガン変わることを報告している。例えば、、

   自分を心理分析する方法43,000部
   個性の謎21,000部


みたいな感じね。これ同じ本だけど、こんな本のタイトルテストを延々とやった男。
(ちなみに広告スペースが限られていて、文字通りタイトルしか広告に出せなかった)

ポイントは、タイトルの付け方によって、売上や反応がめちゃめちゃ変わる
にも関わらず、ほとんどの人はいい加減にタイトルをつけているということ。

だからこそ、タイトルの決定には、もっと時間とエネルギーをかけなければいけないし、
かけたらかけた分、リターンがある。

http://www.theresponse.jp/47001/?mag=ogawa-150803

          <感謝合掌 平成27年8月6日 頓首再拝>

《善 と 愛 と 深切 の言葉のみを語る》 - 伝統

2015/08/13 (Thu) 04:45:05


             *『 生長の家 』(昭和26年7月11日)の法語より
 
   われは今日、善と愛と深切の言葉のみを語るのである。
   われは それ故に愛と深切のみを刈り取るのである。

   われは 如何(いか)なる悪しき言葉も 
   今より後(のち)口にしないのである。

   自分は 人の行いと其(そ)の動機とをさばかない。
   自分はあらゆる人々の行いに其の善意を見るのである。

   自分は人を軽蔑(けいべつ)するような言葉を決して語らない。
   自分はすべての人々の美点のみを見、美点のみを語るのである。

   自分は言語(げんご)が神であり、創造者であることを知ったのである。
   だから、今後自分は善き事のみを語り、善き事のみが実現するのである。


   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d9d1b98e2cc1f03767bbd615155ac9a0

          <感謝合掌 平成27年8月13日 頓首再拝>

言葉が、「脳」「身体」「人生」を支配する - 伝統

2015/08/21 (Fri) 04:47:27


*「言葉の心理学・生理学」佐藤富雄・著 より

1.最初のひと言が脳を支配する

 ①世の中で成功した人、高い評価を得ている人、人生を悠々と
  充実して生きている人は、言葉の使い方が上手です。

 ②肯定的な言葉、気持ちで取り組む姿勢が変わらないかぎり、
  脳細胞は解決を求めて活動し続けます。

 ③「何とかなる」「できる」は「幸福行き1枚ください」と駅員に告げている。

  逆に「無理だ」「できない」は「不幸行き1枚!」
  と言っているのと同じであります。

  否定的な言葉を発すると、脳細胞は残酷にも、その意向にそって、
  ただちに「できない理由」を山ほど探し出してきます。

 ④「今日も一日素晴らしい日になるぞ」
  「私は何て幸せなんだろう」
  「私の未来はどんどん開けていく」
  この言葉を区切りをつけ大きな声で一度に唱えるのです。

  何であろうと、まずは「肯定」してから始めます。


2.人生上の禁句

 ①「余裕がない」ということは、自分自身の可能性を排除してしまうことと同じです。

 ②「余裕がない」とか「とても無理」という言葉は、人生上の禁句です。
  この言葉があなたの自動目的達成装置を狂わせるからです。


3.選択はあなたにゆだねられている

 ①人には常にいくつかの選択肢が与えられています。
  だが、選択には、良い選択と悪い選択があります。
  同じ選ぶなら、より良い状態をつくり得る選択をすべきです。

 ②選択するのはあくまでも自分ですから、結果が自分にとって不本意でも、
  その責任は誰にも問えません。

 ③考え方から境遇、生き方まで、すべてあなたに委ねられているのです。


4.言葉の持つ2つの機能

 ①外語機能は、コミュニケーション媒体としての役割のほかに、
  さまざまな出来事を自分の内部に記録する働きがあります。

 ②内語機能というのは、内に向かって人間の感性へ重要な働きをする言語機能のことです。
  われわれが感情とか、情緒と読んでいる内容をつくり出す言葉です。

  喜び、悲しみ、愛、憎悪、美への感覚などといった内容を自分自身へ働きかけ、
  あるいは外部から取り入れる機能を持っているのが内語です。

  言葉に感情、感覚が伴った言葉です。
  美しい、悲しい、新鮮、大きいといった言語がそれに当たります。

 ③外語機能が人間の適応行動に強く作用するのに対し、
  内語機能は主として創造行動へ与える影響が強いと言えましょう。

 ④言葉の持つ2つの機能、つまり外語と内語が、心を持った人間をつくり出しています。


5.内語と自律神経系

 ①喜び、悲しみ、愛、憎悪、美への感覚などを表現できる言葉が内語です。
  内語機能を持った言葉は直接自律神経系に作用します。

 ②いつも肯定的で、明るさや新鮮さを感じさせる言葉を使う習慣のある人は、
  無意識に快活で明るく振る舞います。

  同時に快活で明るい自己像をつくりあげていきます。

 ③あなたが使う言葉は、直接自律神経系に伝わり、言葉の意味するものを表現します。

  同時に意識下で自己像に影響を与えます。

 ④自己像を変えたいのなら、自分の求める自己像をつくることができる言葉を、
  意識的に選択して口に出すことによって、自己像改善が可能になります。


6.誉め言葉の効用

 ①自律神経系の働きは一人称しかないから、
  他人へ向けた誉め言葉も自分に向けた誉め言葉も区別がつかない。

  だから、他人をじゃんじゃん誉め上げれば、自分を誉めているのと同じことになります。

 ②良いところを誉めるのですから、一生懸命に誉められる。
  その真剣さは自分自身に跳ね返ってきます。

  誉められると誰もが喜びますが、実際のところ、
  その効果は誉められた対象よりも誉めたほうに大きいと言われています。

 ③誉め言葉の効用は、だいたい言葉を発した側に7割、聞いて真に受けた側に3割です。


7.楽観的か悲観的かでこんなに違う

 ①口ぐせを活用してより良い人生を築くために、欠かせない条件があります。
  それは「もう」の口ぐせはやめて「まだ」にすることです。

  人間の考えていること、意識していることは、すぐに体に反応します。

 ②悲観的な思考にとらわれていると、快感ホルモンとは逆に緊張した
  ときに分泌されるホルモンが出てきます。

  このホルモンは免疫力をさげ老化を促進してしまいます。
  また生活習慣病の引き金にもなります。

 ③楽しいことを考えたり、楽しく感じることをしていると、
  快感ホルモンが脳内に分泌され、いい気分になります。

  快感ホルモンが出ているときは体の調子もいい。
  快感ホルモンは免疫力を上げ、老化を防止してくれます。


8.どんな出来事もいいほうに解釈する(究極のプラス思考)

 ①法則ー1

  自分に起きることは、いかなることも自分にプラスになることである。

 ②法則ー2

  自分に起きることは、いかなることでも自分で解決できることである
  (自分に解決できないことは、自分には起きてこない)

 ③法則ー3

  自分に起きた問題の解決策は、途方もない方角からやってくる。
  (だから、今お手上げ状態でも決してめげてはならない)


9.後悔

 ①自分がこれまで生きてきた過去の中から、良い思いでのみを取り出して見ればいい。

 ②後悔は今を不快なものにし、
  同時に未来をも不快で思い出したくないものにしてしまう。

  後悔は現在にも未来にも良いことはひとつもない。


10.長生きするなら楽天思考の人生を

 ○人生に対する満足度5つの特徴
    <シカゴ大学心理学者 バーニス・ニューガーデン氏>

  ①日々の活動に喜びを見出す。

  ②自分の人生を意義あるものと見なす。

  ③自分は人生の主要な目標を成し遂げたと感じている。

  ④肯定的なイメージを持ち、自分を価値ある存在とみなす。

  ⑤楽天的である。

          <感謝合掌 平成27年8月21日 頓首再拝>

コトバは、「内在の力」を動かして創造の方向を決定する - 伝統

2015/08/28 (Fri) 04:50:28



          *聖経「真理の吟唱」(P52~53)より抜粋
           『内在の生命力を振起(しんき)する祈り』

私は、自己の内に宿る神の力を、常に積極的に建設的に使用せんことを念願するのである。
積極的に建設的に「内在の力」を使用するには、コトバに暗黒的、消極的な悲観的なことを言わず、
心に不平や小言(こごと)や呟きや暗い事を思わないことが必要であるのである。

よき言葉の力は聖典や聖経に書かれてあるから、それを読むことによって、
自己に「内在する神の力」をよき方向に呼びだして使うことができるのである。

すべてコトバで唱えることおよび心で思うことは一種の「祈り」であり、
そのコトバおよび思いの方向に、「内在の力」を動かして創造の方向を
決定することになるのである。

私はいまこの真理を知ったのであるから今より後
決して暗い言葉、呪う言葉、悲しい言葉、不平の言葉などを唱えず思わず、
ただ悦びと感謝と将来の明るい希望の言葉とのみを心に思い、コトバで唱えるのである。

この真理を知らしめ給いし神に感謝いたします。

          <感謝合掌 平成27年8月28日 頓首再拝>

コトバは運命の創り手 - 伝統

2015/09/04 (Fri) 04:45:20


         *「女性の幸福365章」(P123)より


平気で乱暴な言葉を使ったり、乱暴な振舞いをすることが
新しい女性だと思っている人があるが、

言葉は創造力であるから乱暴な言葉を使っていると、
その人の性格まで乱暴になってしまう。

乱暴な動作は心に反映して心まで粗野なものにしてしまう。

顔だけ白粉(おしろい)で美しく装いながら、
言葉や動作を美しく考えないのは自己矛盾の大なるものである。


あなたが運命を好転させようと思うならば、
悪しき言葉を慎まなければならない。

仮初(かりそめ)にも悲観的な言葉を述べてはならない。
悲しみの言葉、恐怖を連想させる言葉、
自信力を破壊する言葉を口からすべらせてはならない。

「言葉は種である」ということを知らなければならない。

そのような言葉が出るのは、
何処からか放送されつつある「迷いの想念」を受信しつつあるのであるから、

早速、心を転じて、一切の善と美と裕さとの根源であるところの神に、
心を振り向けさせるようにしなければならない。

          <感謝合掌 平成27年9月4日 頓首再拝>

《唯、善き言葉のみを語れ》 - 伝統

2015/09/13 (Sun) 04:52:22


           *『生長の家』(昭和25年9月3日)の法語

   吾らは苟(いやしく)も言葉を語るならば、
   善き言葉を語らなければならない。

   苟も言葉を語るならば
   誰かを幸福にする言葉を語らなければならない。

   人を傷け、人を悲しませ、人を憤(いか)らしめる
   ような言葉を語ってはならない。

   人を軽蔑(けいべつ)する言葉を語ってはならない。
   怒気を含んだ言葉を語ってはならない。

   「世の中に軽蔑さるべきものは存在しないのである。
   唯、軽蔑すると云う心のほかには。」と
   知恵の言葉に書かれているのである。

   吾等が唯、優しき言葉、愛の言葉のみを語るとき、
   其処(そこ)に天国が実現するのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=100

          <感謝合掌 平成27年9月13日 頓首再拝>

EQを高めるには、言葉の力の使い方を知ろう! - 伝統

2015/09/20 (Sun) 04:46:40


           *Web:野口嘉則 公式ブログ(2005年03月08日)より

外資系企業に入社した新入社員のA君は、沈着冷静さが持ち味です。
今日、フランスの本社から、アジア担当部長のカトリーヌ・ゴーンがやってきます。

彼女は10日間ほど日本に滞在する予定で、
その10日間、毎日1人の新入社員とランチをともにし、10日かけて、
今年入社した10人の新入社員とのコミュニケーションを取ることになっています。

彼女は、流暢ではないが日本語を話すことができるのです。

凄腕のビジネス・ウーマンと聞いていたので、A君は、
カルロス・ゴーン氏を女性にしたような人を想像し、不安を感じていました。

午前中に到着したカトリーヌを見てA君はびっくりしました。
想像に反してとても美しい人で、A君は女性としての魅力を感じました。

そして、初日の今日は、A君が彼女とランチにいくことになっていたのです。
「こんなに美しい女性と1対1で食事できるなんて! 」A君は感激でした。


お昼になって、A君とカトリーヌは店に入り、席に着きました。
そして、いきなりカトリーヌは、こんなことを言ってきたのです!

「Aサン、アナタノ ニクタイ ステキデスネ! 」



一瞬にしてA君はパニックに陥りました。

「ひゃうっ?ぼ、ぼくのニクタイですか? 」

カトリーヌは、なおもA君の上半身をじっと見つめながら
「ハイ、アナタノ ニクタイ、ステキデス。」と続けました。

A君は戸惑いながらも、できる限り男らしい声で、
「メルシィ(=ありがとう)」と答えました。

そしてお返しにと、カトリーヌの美しさに驚いたことや、
二人で食事できて嬉しいことを熱く語りました。

人生でこんなに舞い上がったことは初めてだったかもしれません。

食事の最後に、カトリーヌは言いました。
「アナタノ ニクタイ オソラク レノマ デスネ?」

「へっ?レ、レノマ? ネ、ネクタイのことですか?たしかにレノマです・・・」
そうです、カトリーヌの言うニクタイとはネクタイのことだったのです。

カトリーヌはA君を先に会社に帰しました。

そして、人事部長から事前にもらってたA君のデータの「長所は沈着冷静」
という所を消して、次のように書きました。

「異常に興奮しやすい性格。女性に対して、常識はずれに軽い。」


A君の勘違いとはいえ、カトリーヌの口から飛び出した「ニクタイ」という、
たった一つの言葉が、沈着冷静なA君をパニックさせ興奮させてしまったことは事実です。

これぞ「言葉の力」です。


あなたも、誰かの言った一言によって、傷ついたことや、やる気になったことや、
腹が立ったことなどがあると思います。

言葉には、それだけのパワーがあるのです。


自分の使う言葉が、周りの人にどんな影響を与えているのか、
あらためて振り返ってみる必要がありそうです。

家族に、部下に、上司に、友人に・・・どんな影響を与えているのか。


また、自分の使う言葉が、自分自身にどんな影響を与えているのかを
チェックしてみることも大切です。


例えば、誰かのことを嫌いになろうと思ったら簡単です。
定期的にその人の悪口を言えばいいのです。

その悪口が独り言であろうと、第三者へのグチであろうと、
いずれにせよその人のことが嫌いになります。

船井幸雄さんは、次のようにおっしゃっています。

「ツキのない人になろうと思ったら簡単だ。
他人の悪口やグチを毎日言って生活したらよい。すぐにツキは去っていく。」


あとは実践ですね。
できる範囲で、肯定的な言葉を増やし、否定的な言葉を減らしたいものですね。

ただ、私達の使ってきた言葉は「習慣」になっています。
「肯定的にいこう!」と思っていても、気がついたら、
これまでの自分に戻って否定的な言葉を使っていることがあります。

そこで、意識し続けることが大切です。

意識し続けるためには、次の3つの方法が有効です。


(1)「言葉の力の大切さ」や「肯定的な思考のパワー」を思い出させて
   くれる情報や文章に、定期的に触れる。
   1日5分でも10分でもいいので、できれば毎日。


(2)言葉の影響力の大きさを痛感するような情報や出来事に出会う。


(3)肯定的な人と付き合う。


以上の3つをやり続けると、
習慣が変わり、自然に肯定的な言葉が出てくる人になるようです。

    (http://coaching.livedoor.biz/archives/15876307.html

          <感謝合掌 平成27年9月20日 頓首再拝>

【言葉のシャワー】 - 伝統

2015/09/30 (Wed) 04:46:41


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年09月29日)」より

   (伊藤淳氏の心に響く言葉より…)

   「人は、パンのみにて生きるのではない。神の言葉によって生きるのだ」(イエス・キリスト)

   真に人の魂を形作っていく言葉は、皆広い意味で神の言葉であり、
   天上的なる言葉、スピリチュアル・ワードといってもかまわないと思うのです。

   なぜ、人間の魂は言葉でできていると言えるのでしょうか。

   有名な狼少女アマラとカマラの話をご存知の方もおられるでしょう。

   赤子のときから、狼に育てられた少女が、
   人間の手に引き取られ、その後どうなったかという話です。

   その話の要点は、生後何年か以内に人間として教育を受けて育てられなければ、
   その後いくら知的な訓練をほどこしても、もはや二度と言葉をしゃべれるようにはならない、
   知性をもった人間とはならないというものです。


   つまり、ヒトの赤ちゃんは、幼少期に言語のシャワーを数多く浴びていなければ、
   その後は永遠に動物のままにとどまってしまうのです。

   この実例ほど、人間にとっていかに言葉が必要不可欠かを示すものはありません。


   いま現在の自分も、過去に浴びてきた無数の“言葉”によってつくられてきたということです。

   私たちの日々の感じ方、自分を平凡でつまらない人間だと思い込む心のあり方も、
   必ずしも客観的な根拠があるものではなく、「現代の大衆消費社会、行動情報社会において
   出回っている、数多くの“言葉の力”によって、そう思わされているだけかもしれない」
   ということなのです。


   金魚は金魚鉢の水の状態に対して無抵抗です。

   その水がとても澄んでいて、滋養に富んでいれば、いつも元気に泳いでいられるでしょう。
   けれども、その水に濁りがあり、栄養分が不適切であったりすれば、
   だんだんと衰弱してしまいます。

   私たちも、さまざまな価値(栄養素)をふくんだ言葉の水のなかを泳ぐ魚のようなものです。

   そうであるならば、普通に自らの健康を気づかう程度には、
   日々大量に摂取していく言葉の吟味にもっと神経をとがらせてもいいのではないでしょうか。

   世の中には、心を腐らせる言葉があまりにも多いのです。


   私たちの元気を根こそぎ奪ってしまうようなマイナス波動をもった言葉が、
   いたるところにあふれています。

   それに対抗するには、上質の栄養素をたっぷりと含んだ言葉のサプリメントを
   ふんだんに摂取するしかありません。

   言葉の力によって、心が汚染されているのであれば、
   それを浄化するのもまた真なる言葉の力です。

      <『言葉には、なぜ現実を変える力があるのか?』きこ書房>

               ・・・

我われは毎日、膨大(ぼうだい)な数の言葉のシャワーをあびている。

良き言葉も、悪しき言葉も。


良き言葉をあびれば、「明るい」「楽しい」「愉快」「うれしい」「しあわせ」な状態となる。

悪しき言葉をあびれば、「暗い」「苦しい「不愉快」「かなしい」「不幸せ」な状態となる。


人に喜びを与えるなら、良き言葉を発すること。

人を傷つけ悲しみを与えるなら、悪しき言葉を発すること。


「人は無数の言葉のシャワーをあびてきた」

良き言葉を大事にする人でありたい。

          <感謝合掌 平成27年9月30日 頓首再拝>

なりたい自分になるための「言葉のコントロール法」とは? - 伝統

2015/10/09 (Fri) 04:26:37


           *Web:野口嘉則 公式ブログ(2005年03月09日)より

次の会話は、「7つの習慣」の著者コヴィー博士が大学で教えていたころの、
コヴィー博士と一人の学生の会話です。


学生「授業を休ませてくれませんか。テニスの合宿に行かなくちゃならないんです。」


博士「行かなければならないのかね? それとも行きたいのかね? どちらだね? 」

学生「いやぁ、本当に行かなければならないんです。」

博士「行かなかったらどんな結果になるんだい? 」

学生「行かなかったらチームからはずされます。」

博士「その結果についてどう思う? 」

学生「いやですね。」

博士「つまり、『チームからはずされない』という結果がほしいから、行くことに
   しようと思っているんだね。では、授業に出なかったらどういう結果になると思う? 」

学生「学ぶ機会を失うでしょうね。」

博士「そうだ。だから、その結果ともう一つの結果を比較して、選択する必要がある。
   私だったら、テニスの合宿に行くことを選択するだろうね。
   しかし、何事にも『ねばならない』とは、絶対に言わないでほしい。」

学生「では、僕は合宿に行く方を選びます。」

          (スティーヴン・R・コヴィー著「7つの習慣」より)


言葉の影響力を知るコヴィー博士ならではのアドバイスですね。

「ねばならない」という反応的な言葉を使っていると、
主体性が失われ、環境や状況に左右されやすい自分になってしまう。
自分が被害者のように思えてきます。

逆に、「・・・したい」「・・・を選択する」という
主体的な言葉を使っていると、自分の主体性が強化されます。



主体性を失わせる言葉には、依存的な言葉もあります。

「夫が、私の考えに理解を示してくれない。」

「妻は、僕が頑張っていることを認めてくれない。」

「上司が、聞く耳を持ってくれない。」

「部下が、素直になってくれない。」

以上のような言葉をいつも言っている人を「くれない族」と言います。

くれない族になると、いつしか他人の言動に依存するようになり、
人生を被害者的なストーリーにしてしまいます。


さてここで、言葉の使い方を変えていく上で大切なことをお伝えします。

それは、「減点主義や完全主義で、自分をチェックしない」ということです。

(仕事から帰ってきた人が)
「あー、疲れた。」

(続いて心の声)
『はっ!しまった!疲れたなんて言ってしまった!ダメだなー。』
→『はっ!自分のことをダメだなんて思ってしまった。いけないな。』
→『おわっ!自分のことを責めてしまってる。』
→『どえっ!私はマイナス思考をしてしまっているのでは・・・』

減点主義、完全主義だと、こんなサイクルに、はまってしまいかねません。


今までも否定的な言葉を使ってきたのであれば、今日も使ったとしても、
それ自体は問題ありません。

大切なことは、徐々に訓練を重ねていくことで、段階的に改善していくことです。

3ヵ月経ったときに、肯定的な言葉を使う比率が、
今日より少しでも高まっていれば、明らかに進歩しているわけです。
長い目で訓練していくことが大切です。


訓練することを楽しむためには、加点主義がいいのです。

肯定的な言葉を使えた時に、
「また、肯定的な言葉を使った!」と、自分を認めればいいのです。


自分の否定的な言葉に気づいたときの、楽しい修正法があります。

(仕事から帰ってきた人が)
「あー、疲れた。(ここで気づいて)なんちゃってー! 」

(おもしろくないことがあったときに)
「ツイてないな。・・なんちゃって! 」

これが「なんちゃって法」です。

自分の否定的な言葉に気づいたときは、否定語を「なんちゃって」と打ち消して、
その後で、肯定的な表現に言い換えてみるのです。

「あー、疲れた。なんちゃってー・・・。うん、今日も充実してたー! 」

「ツイてないなー。・・なんちゃって。・・もしかしたら、このことが、
何かラッキーなことに展開するかも。」


この訓練方法、とても楽しめますよ。
ぜひ、周囲の人たちに教えてあげてください。


それから、あたなの周囲の人たちの「否定的な言葉」を、
あなたが指摘したり、あなたが変えようとしたりしないで下さい。

こういった習慣を変えるには、自ら「変えたい!」と強く思うことが必要です。
他人から指摘されると、そのやる気も削がれてしまいます。

周囲の人に対してできることは、情報を提供してあげることです。


あとは本人が自らやる気になるかどうかは、本人次第です。


指摘したり、ハッパをかけたりするよりは、
「あなたがどんな言葉を使おうと、あなたは素晴らしい人だよ。」
「あなたがどんな言葉を使っても、あなたのことが大好きだよ。」

という受容的な言葉をかけてあげる方が、
はるかに強力なサポートになります。(これも言葉の力ですね)

人は、「自分がそのままで受け入れられてる」という安心感があると、
その自分を変えていこうという意欲と勇気が湧いてくるのです。

   (http://coaching.livedoor.biz/archives/15952863.html

          <感謝合掌 平成27年10月9日 頓首再拝>

コトバの力を活用せよ - 伝統

2015/10/16 (Fri) 04:43:57


        *「幸福を招く365章」(P124)より

すべての事物はコトバによって造られたのであるから、
何事でも成就しようと思ったならば、
先ずコトバによって成就しなければならないのである。

「私は不健康だ」と云いながら、健康を得ることは難しいのである。
先ず健康を得んとするならば、

「神は既にわが健康として、実現したまえり、ありがとうございます」と
コトバによって、その「既に得たること」を表現し感謝するがよいのである。

          <感謝合掌 平成27年10月16日 頓首再拝>

心の力と言葉の力 - 伝統

2015/10/24 (Sat) 04:44:23


             *「幸福を招く365章」(P6~7)より

人間の生命(せいめい)は、宇宙全体の生命(せいめい)の一部分であり、
人間の心は宇宙全体の心の一部分であるのである。

星を造り、太陽を造り、一切万物を造ったと同じ心が、人間に宿っているのである。
だから人間の心は一切のものを造ることが出来るのである。

「心の力」と云うものは単なる空想でも、観念論でもないのである。
現実に立証し得る所の力なのである。

特に信念をもった心の力が、言葉によって発せられるとき、
それは驚くべき大いなる創造力を発揮するのである。

信念をもった宗教家や占い者や医者が、「お前の運命はこうなる」と云ったとき、
その言葉の通りになるのは、心の力が言葉を通して有力に働いた結果である。


          <感謝合掌 平成27年10月24日 頓首再拝>

嫌な言葉は袋の中へ - 伝統

2015/11/04 (Wed) 05:59:28


       *「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
         (P66~67)より

一宮市浅井北小学校の校長先生、平林哲也さん(52)からのお便り。

いじめの問題について「○○するな」という表現をせずに、
子どもたちに伝える方法をずっと思案していたそうだ。

そして、先日のこと。
臨時集会で全校児童を前に、こんな話をしたという。

  
「皆さんが人から言われて嫌だったり、人に言ってしまって
傷つけたりしたと思う言葉を思い起こしてください。

次に自分の口を両手で包みながら、その言葉を人に聞こえないように小声で言って、
ギュッと握り締めてください」


その後、平林さんは大きな袋を取り出し、

「今、握り締めた嫌な言葉を回収します。思いっきり投げ込んでください」

と、全校生徒の間を回った。

「これが、皆の心のトゲになっていたんだね。ずっしり重いよ」

「二度とこの言葉が飛び出さないようにしよう」

と言って、学校で一番の力持ちの先生に登場してもらい、
きつく袋の口を縛ってもらった。

「これでこの袋は二度と開きません。もちろんリサイクルにも出せませんよ」


さて、今度は人から言われてうれしかったり、
人に言って喜ばれたりした言葉を思い出してもらった。

「口に出して教えてほしいな」

と呼び掛けると、たくさんの手が挙がった。
一人一人にマイクを向けて回る。
心に染みる言葉の連続だった。

最後に、

「人が喜ぶ言葉を使おう。ちょっとした親切な行動で、いじめのない学校になると思います。

 困ったり悩んだりしている人がいたら

 『大丈夫? 』って声を掛けてあげてください。


 何かしてもらったら『ありがとう』、

 友達のいいところを見つけたら『すごい』って」
と結んだという。


他の学校や家庭でも参考になれば。
《ほろほろ通信/中日新聞 2006.12.10掲載》


【志賀内からのメッセージ】

大人だって同じですよね。

嫌な言葉を口にしないだけで、人生が変わるはず。

          <感謝合掌 平成27年11月4日 頓首再拝>

実在は、神のアイディア(コトバ)の展開 - 伝統

2015/11/13 (Fri) 04:27:39

           *『神真理を告げ給う』(P41~42)より

すべての実在は、”わたし”のアイディアの展開である。

”わたし”のアイディアとは、”わたし”から離れたものではない。
”わたし”とアイディアとは偕(とも)にある。
”わたし”はアイディアそのものである。

アイディアのことを、『ヨハネ伝』福音書には”コトバ”と書いている。
即ち 「大初(はじめ)に言(ことば)あり、言(ことば)は神なりき」
と『ヨハネ伝』は示しているのである。

”コトバ”とはアイディアを内容とする
「わたし」自身の《いのち》の振動にほかならない。

しかし今は必ずしも”わたし”の言(ことば)でないところの
”悪”を内容とするニセモノの言(ことば)が横行しているために、
その表現が現象界に仮存在としてあらわれ、病気や不幸や貧乏をあらわしている。

だから、『ヨハネ伝』には「言(ことば)は神なりき」と過去形で表現されているのである。

          <感謝合掌 平成27年11月13日 頓首再拝>

一切の存在はコトバにて成る - 伝統

2015/11/21 (Sat) 04:49:34


             *『女の浄土』(P315~316)より

聖書の「ヨハネ伝」の冒頭に

「太初(はじめ)に言(ことば)あり、言は神と偕(とも)にあり、言は神なりき。
この言は太初に神とともに在り、万の物これに由りて成り、
成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。
之に生命(いのち)あり、この生命は人の光なりき」

と録(しる)されております。

 
すべてのものは言(ことば)によって成ったというのがキリスト教の宇宙創造説であります。
「万のもの之に由りて成り」とありますが、

この事物が生成することを「成る」と日本語で申しますのも、
実は、「成る」と「鳴る」とは同一語源でありまして、
すべての事物の本質は、言(ことば)でありますから、鳴りひびくのであります。

 
このことは旧約聖書の「創世記」の冒頭に、

「元始(はじめ)に神、天地を創造(つくり)たまへり。
地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黒暗(やみ)淵(わだ)の面にあり。
神の霊、水の面を覆いたりき、神、光あれと言ひたまひければ光ありき・・・」

とあるのに照合するのであります。

神が天地を創造りたもうたのは「光あれと言ひ給うた」ときに光があらわれ、
次々と、神のコトバによって万物が生じたのであります。

 
神はコトバによって万物を造ったといいますと、神とコトバとは別々のものであって、
神が言葉という道具によって万物を創造られたように思い違いしがちでありますけれど、

「ヨハネ伝」にありますように、「コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき」でありまして、
”コトバ”と”神”とは本来不可分の一体なのであります。

 
日本の古代の言語では、神のことを命(みこと)と申しました。
「みこと」というのは”御言(みこと)”即ちコトバということであります。
「みこと」の”み”は”御”という字で、美称であります。

          <感謝合掌 平成27年11月21日 頓首再拝>    

【朝起きてまっ先に言う言葉】 - 伝統

2015/12/01 (Tue) 04:11:51


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年10月31日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   朝起きて、ベッドから降りる前に

   「ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう…」

   と100回言ったとします。

   
   すると脳は、「不安定な状態」になります。

   「ありがとう」を言いたくなるような現象が起きているわけではないのに、
   「どうして『ありがとう』なのか」がわからないからです。

   そして、合理的な理由や説明がないと不安定になって、
   「ありがとう」の理由を探そうとします。


   「天気がよくて、嬉しい」
   「朝ご飯がおいしそうで、嬉しい」
   「お味噌汁に豆腐が入っていて、嬉しい」と、
   目にするものに対して、「ありがとう探し」をはじめます。

   どうやら、先に「ありがとう」を100個言っておくと、
   「ありがとう」の現象がないのに、現象を一所懸命探そうとするようです。

   脳は、先に口にした言葉に対して、不条理・不合理を認めず、
   合理的な事実に当てはめて解釈しようとする働きがあります。

   先に「ありがとう」と言ってしまうと、その瞬間から、
   脳は「ありがとう」を探しはじめるようにできているそうです。

   起きてから1時間たって、100個「ありがとう」を見つけたら、
   もう一度、「ありがとう」を100個言ってみる。

   すると脳はまた不安定になって、「100個の現象」を探しはじめます。


   反対に、朝起きたときに、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」と
   20回言ったとします。

   すると脳は、今度も合理的な理由を探しはじめます。

   「どうして今日は雲ひとつないんだ。暑くてしかたないじゃないか」
   「頼んでもいないのに、朝ご飯が用意されている」
   「お味噌汁の具はどうして豆腐なんだ。ワカメのほうがいい」

   と、あらゆるものに、「つらい」「悲しい」「苦しい」「つまらない」「嫌だ」の
   原因探しがはじまります。


   「ありがとう」と言いたくなるような現象が起きていなくても、
   まず、「ありがとう」を言う。

   すると、「ありがとう」を言った数だけ、
   「ありがとう」の原因を探し出すことになります。

   ということは、一日中「ありがとう」と言っていれば、
   脳はずっと「ありがとう探し」をするわけですから、
   「ありがとう」に満ちあふれながら一日を終えることができるでしょう。

           <『ありがとうの神様』ダイヤモンド社>

              ・・・

『先に「ありがとう」を100個言っておくと、
「ありがとう」の現象がないのに、現象を一所懸命探そうとするようです』(小林正観)

そうであるなら…

「嬉しい」、「楽しい」「しあわせ」、「ついてる」と先に言えば、
そういう現象がないのに、「嬉しい」、「楽しい」「しあわせ」、「ついてる」ような
現象を探し出す、ということになる。


小林正観さんは、「喫茶店で、心の中でどんなに強く『コーヒーが飲みたい』と思っていても、
『紅茶ください』と言ったら紅茶が出てくる」という。

また、心の中で、「この人はとっても嫌いだ」と思っていても、
出てくる言葉が「ありがとう」だったら、相手も感謝されていると思う。

だから、心で考えるより、言葉の方が何十倍もすごい力を持っているということ。


宇宙の原理として、「投げかけたものは必ず返ってくる」。

先に「ありがとう」を言う人でありたい。


          <感謝合掌 平成27年12月1日 頓首再拝>

すべての物の本質はコトバである - 伝統

2015/12/08 (Tue) 04:12:08


             *『女の浄土』(P316~317)より

すべてのものは、外面から眺めますと、
物質のように見えますけれども、その本質はコトバであります。

それを日本人は古来ちゃんと、潜在意識にそれを悟っておりましたので、
この「湯呑」を指しても、「これは湯呑と《いうもの》である」と言います。
またこの「書物」を指しても、「これは本と《いうもの》、書物と《いうもの》である」
と言います。

そのほか何を指しても、「これは人間というもの」「これは動物と《いうもの》」
・・・などと言うのであります。

「これは物質だ」と言い切らないで、「これは物質と《いうもの》だ」と我々が言うのは、
すべてのものは、それは物質に見えても、実は「《言うもの》」なのだ。
「コトバ」の具体的表現なのだ、本質はコトバなんだと知っているからなのであります。

          <感謝合掌 平成27年12月8日 頓首再拝>   

言葉に宿るパワーを上手に使うコツ - 伝統

2015/12/15 (Tue) 03:26:57


        *「アイムパーフェクト! あなたの中のパワースポットとつながる方法」
         はせくら みゆき・著(P30~33)より

万葉の歌人である山上憶良は『好去好来の歌』の中で、このような歌を詠んでいます。


  神代より 言ひ伝て来(け)らく そらみつ 倭(やまと)の国は
  皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊(ことたま)の 幸(さき)はふ国と
  語り継ぎ 言ひ継がひけり


世界中の言語の中で、日本語ほど母音と子音が美しく、はっきりくっきり分かれ、
整列している言語はないのだそうです。

一説によると、母音は物事を生成していく力を生み、
私心は物事を現象化していく力を生み出す、と考えられています。



また、古代文献のひとつであるホツマツタエ(秀真伝)では、
五母音の持つ音の質を次のように伝えています。


   あ   ウツホ(空)
   い   カゼ(風)
   う   ホ(火)
   え   ミヅ(水)
   お   ハニ(土)


   ホツマツタエの文字(ヲシテ文字)
     → http://hotsuma.org/taketoric/ta010111woshite/1.shtml

わかりやすくいうと、私たちが語る母音そのものが、宇宙の五大要素、
つまり自然界を構成している5つのエネルギーとつながっており、その言葉を発するだけで、
こうした力の元がむくむくと湧き出てくるんですよー ってことなんです。


では、世界では言葉をどうみているかというと、
聖書の「ヨハネによる福音書」には、

   はじめに ことばがあった
   ことば神と共にあった
   ことばは 神であった

とあり、言葉の持つ力は古今東西より、ずーっと言われ続けてきたんですね。


「思い」を形にしたのが「言葉」であり、
「言葉」は最初の「行動」である、

と考えてみてください。

「語る」というのは、立派な行動(行為)の第一歩です。

そして「言葉」は「思い」と「行動」を結ぶ連結器の役割も果します。

ぜひ、「言葉」の持つ力を味方につけて、「行動」のパートナーとし、
あなたの望む目的地まで、確実にいざなってもらいましょうね。


<参考Web:山上憶良:好去好来の歌(遣唐使を送る)
        → http://manyo.hix05.com/okura/okura.koukyo.html >

          <感謝合掌 平成27年12月15日 頓首再拝>   

言葉に行為に “誠” を表現しなければならない - 伝統

2015/12/23 (Wed) 04:47:29

 
           *『生長の家』誌 40年新年号より

私たちは、つとめて美しき言葉、感じのよい言葉、内容のよい言葉を
使うようにつとめなければならないのである。 

更に大切なのは美しき心、清らかな心、実相を観る心をもたなければならないのである。

人間、もし誠実な心を失うならば、他の事が如何に立派であっても何の甲斐もないのである。

菅原道真は 『心だに誠の道にかなひならば祈らずとてや神は守らん』 と歌われたし、
金光教祖は 『實意丁寧』 という語で、この 『誠心(まごころ)』 を表現せられている。


では 『まこと』 とはどういう語源から来るのであろうか。 
黒住教祖はこれを “マルコト” を意味する、
円(まる)くして欠けていない心なのであると言っている。

 
私の解釈では、 “まこと” は “真” であり、 “本物” であり、 “実相” である。 
人の生命の内にやどる真なるもの、 “神なるもの” があらわれる ―― “実相” が
あらわれたものが “誠” なのである。

そう解するとき、
『心だに誠の道にかなひならば祈らずとてや神は守らん』 の意味がよくわかる。

   (http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24581932.html より転写)

          <感謝合掌 平成27年12月23日 頓首再拝>   

言葉は「自分と宇宙をつなぐ道具」です - 伝統

2015/12/30 (Wed) 03:50:34

           *「あなたのまわりに奇跡を起こす 言葉のチカラ」越智啓子・著
             (P23~29)からの要点の紹介です。

(1)「はじめに言葉があった。言葉はかみとともにあった、言葉は神であり、
   この言葉は、はじめに神とともにあった。万物は言葉によってなり、
   一つとして言葉によらずになったものはない。言葉の内にいのちがあった。
   いのちは人間を照らす光であった」(ヨハネの福音書第一章)

   宇宙は、まさに言葉から始まったのです。

(2)言葉が発せられると、宇宙にその言葉の響きがこだまして、
   その言葉に反応するすべてのエネルギーが終結されます。

   同じエネルギーに集まれ~と声かけをするかのようです。

(3)どの言語も同じように宇宙に共鳴しますが、日本語は特別です。
   母音からできているからです。

  ①母音でできている言語は、宇宙に共鳴すると創造性を強く発揮します。
   それは自然界の音に近く、言葉と事象とがとても近い関係なおで、
   言葉からすぐにことを引き寄せるのがより早いのです。

   そして、それが胃尼までずっと続いてきた真実なのです。

  ②古事記のもたくさんの神さまの名前が出てきますが、宇宙が創られたときに、
   母音が主体となってできたので、聖書の言葉は日本語の始まりを表現している
   ことにになります。

   むしろ、聖書よりも古事記のほうが具体的に表現されているかもしれません。

(4)私たちの世界も、自分の思いが言霊になって発せられ、それが宇宙に届いて
   宇宙に満ち満ちている愛の波動と共鳴しながら創られています。

   これは、深遠な「宇宙のしくみ」であり、
   そして自分にも直接関係する「人生のしくみ」でもあるのです。

(5)「言葉のうちにいのちがあった」

  ①「奇跡の人」のヘレンケラーは、すべの名前に意味があって、いのちを表現している
   ことに気づいたときに、三重苦の暗闇から、コミニュケーションができ
   光の世界へと抜け出すことができました。

   そしてついには大学まで行って人を導くまでに成長できたのです。

  ②すべてのものに名前があり、その名前で呼ばれて、三次元で生きています。
   言葉が三次元の世界でととめ大事な世界を創造する道具となっているのです。

(6)思うことが宇宙に届く

  ①何を強く思ったかで、宇宙に届き、自動的にシクエストしたことになり、
   早いものはすぐに表面意識がびっくり喜ぶほど引き寄せます。

  ②思ったことは、早い遅いはあるが、いつか必ず引き寄せるのです。
   宇宙へのリクエストに言葉という道具を使った思いが働くのです。

  ③ふと思ったことを言葉にして発したことで予定が入れ替わることがあります。
   つまり、ふと思ったことを言葉にして発することで、宇宙が反応して
   流れがすっと変わってしまうのです。

  ④宇宙法則の一つ「引き寄せの法則」が働いて、私たちの日々の生活、
   人生そのものは、自分の思いが引き寄せて現実化させています。

   言葉の力は、この「引き寄せの法則」に直接つながっているのです。

(7)世界を創る設計図が言葉なのです

  ①言葉は思いから発せられます。

   思いがあって、それが言葉に変換され、
   それにパワーが入って言霊になります。

   強く思いを表現したいと思ったときに、
   言葉として音声化されて宇宙に発信されます。

  ②魂からのメッセージとして直感が働くと、
   ふと思ったことはかなり強い言葉となり、言霊になります。

   その強い思いが断定的な表現となって、創造主と同じパワーが心の奥から
   出てきて、その言葉にパワーが入り、言霊になります。

  ③言葉は宇宙に届き、宇宙が受け取って世界を創ります。

(8)自分に関する言葉の表現は、とても大切です

  ①自分をどう思っているかが、
   そのまま自分を取り巻く世界にすぐ反映してくるからです。

  ②自分を嫌うと、まわりの人もよそよそしく冷たく接しているように感じます。
   これは、自分の思い込みから始まっているのです。

   これに気づいて、プラスの思い込みに切り替えると、
   自分大好きの流れに変わっていくのです。

   自分を好きなることで、まわりの人々の反応がとてもやわらかく、
   温かみにあすれて好意的になってきます。

(9)自分「大好き」ワーク

  ①「大好き」と声に出して言いながら、自分をしっかりと抱きしめてください。

  ②「大好き」という言葉の響きが心地よく手から出る愛のエネルギーとともに、
   皮膚からと言葉の音から耳に入るルートと一緒になって、
   一気にハートが癒されていきます。

  ③自分を大好きになっていいのです。

  ⑤『アナと雪の女王』の主題歌
   → https://www.youtube.com/watch?v=cvj3-MZO9Tw

   「ありのままでいい」「自分を好きになっていい」

   自分をそのまま受け入れて生きていくという自分を認めて、人との違いを認めて、
   自分は自分でいい、あるがままでいいのだという、人と比べる癖からの卒業の歌です。

          <感謝合掌 平成27年12月30日 頓首再拝>

声を出して言う「言葉」の応用法 - 伝統

2016/01/08 (Fri) 04:43:43


          *「生命の實相」第24巻質疑篇(P80~81)より

ところが声を出して言う「言葉」の応用法は非常に入門しやすいのであります。

この言葉を出して宣(の)べることを祈り(息宣り)と言うのであります。
古来日本では黙祷というということをあまり行わなかったので、
言葉の力を利用して堂々と希望をすることを宣べたのであります。

神は「言葉」であり、言葉は必ず宇宙を動かして、
その宣べたところは必ず実現するという信念をもって祈願するところを宣べたのであります。

「神よ、どうぞ憐れみを垂れたまいてこのことをみこころならば実現せしめたまえ」などと
神に対して嘆願哀訴的な態度で祈るのは、日本人古来の宗教的儀礼ではないのであります。

古来日本人は神の創造力(つくるちから)は言葉を通じてあらわれるので、
神の子たる人間が祈るのは哀訴ではない、嘆願ではない、神の代理として
言葉を発することによって神の創造のみわざをたすけるのだと信じていたのであります。

だからその祈りには権威があります。祝詞や歌などの言葉の力によって、
雨が降ったり、病気がなおったり、そのほかいろいろの禍いが除かれた
というものも無理ではありません。

          <感謝合掌 平成28年1月8日 頓首再拝>

言霊の力~「かつ丼の法則」 - 伝統

2016/01/15 (Fri) 04:42:49


         *Web:心の燃料チャージ(2015-08-08)より


お昼ご飯に定食屋さんに入って、
心の中で「あ~今日はかつ丼食べたいな~」と思っていたとします。
でも、席に注文とりにきた店員さんに思わず「天ぷらうどん」って言っちゃったとします。

そうしたら自分の目の前に出てくるのは何ですか?

そう、「天ぷらうどん」ですよね!!

どれだけ自分がこころの中で強く「かつ丼食べたい!!」って思っていても
口に出した言葉が「天ぷらうどん」だったら、目の前に出てくるのは
「天ぷらうどん」なんです。

ということはどういうことか分かりますか?

「幸せになりたいな~」といつも心で強く思っていても、口から出る言葉が
「あ~やっぱりダメか」、「あ~ツイてないな~」、「あ~やんなっちゃうな」、
「面倒くさいな」、「しんどいな」のように

不平、不満、愚痴、泣き言ばっかり言っていたら、目の前に現れる現実は
やっぱり言葉通り、良くないことが起こっちゃうんです。

だ・か・ら!!

「心で思ってなくてもいいからいい言葉を使おうね! 」

って斎藤一人さんはいつも仰っています。 

そうです。「心で思ってなくていいんです」

私もそうなんですが、よく昔は「心にも思ってないこと言っちゃだめよ」
みたい親によく言われた経験ある方も多いと思いますが、実はそうじゃないんですね。

思ってなくてもいいんです。

思ってなくてもいいから、

「幸せだな~、ツイてるな~、今日も楽しいな~」

って言ってればいいんです。

そしたら、目の前にそういうことが起こってくるんです。
そしてこれが言霊の力なんですね。分かりやすいですよね。

     (http://ameblo.jp/arigatou7339/entry-12059690248.html

          <感謝合掌 平成28年1月15日 頓首再拝>

言葉はエネルギーとなって全世界に放出され、自分に返ってくる - 伝統

2016/01/24 (Sun) 03:09:48


       *「奇跡を呼び込む! ありがとうの功徳力」佳川奈未・著(P5~6)より

言葉は、「音」でできていて、音は「響き」をつくりだし、その響きは、「振動」と
なり、その振動こそが、あらゆる現象をつくるエネルギーなのです。

エネルギーは、必ず、それが何であれ、それに見合った現象をつくるというのが
宇宙の法則です。

言葉は、あなたが口に出して言うと、あなたの耳が聞いていますし、
細胞も聞いているのです。

そして、あなたがまとっているエネルギー体(オーラ)にも、その振動は伝わり、
あなたにまつわるあらゆる現象に、作用しているのです。

ですから、他者に放っている言葉も、自分自身が聞いているのです。

《言葉を口にするということは、その意味をあなたがかかわる全世界に放送したら、
波動を宇宙に放っているということで、そのすべての反響や結果をあなた自身が
受け取るということなのです》

だから、良い言葉をすすんで放送したり、放つことを、
意味があるとかないとか、損とか得とか、議論せず、素直にまずやってみることが、
結局は、自分を助けることになっていたりするのです。

          <感謝合掌 平成28年1月24日 頓首再拝>

良い言葉を使えば、思いどおりの自己像がつくれる - 伝統

2016/01/29 (Fri) 04:21:02


       *「成功を呼ぶ「口ぐせ」の科学」第2章 佐藤富雄・著 より


2.大脳のイメージをそのまま伝える自律神経を活用する

(1)自律神経系は、現実と想像を区別しない

   新しい脳(大脳) 古い脳(大脳辺縁系)
    現 実→
        ↓
     +   →   自律神経系   = 行動
        ↑
    想 像→

(2)新旧ふたつの脳を結びつけるのは想像力

  ①自律神経系は本当にあったことと、想像上の区別がつかない。
   つまり、想像に対して体はあたかも今起きている現実のように反応するのです。

  ②不快なことを考えていると、体にストレスを与えます。
   愉快なことを考えていると、元気がみなぎります。


3.良い言葉を使えば、思いどおりの自己像がつくれる

(1)良い言葉を使うことによる影響

  ①良い言葉をたくさん使うと、言葉それ自体の意味や影響力によって脳が刺激され、
   活性化されます。

  ②良い言葉を使うと、βエンドルフィンなどの快感ホルモンが脳内に分泌され、
   幸せな気分になります。

  ③血行が良くなり皮膚温度も上昇するので、ストレスから、解放され、
   免疫力とやる気が高まります。

(2)自己像は、人生を左右します

  ①過去の思い込みが望む自己像をつくりだし、その結果があなたになっているのです。

  ②「なりたい自分」「こうありたい自分」を積極的にイメージし、
   望みどおりの人生を歩みましょう。

  ③なりたい自己像をイメージする秘訣は、自分に対する劣等意識などを捨て去り、
   「好きな自分」のイメージだけを持つようにすることです。

   「私は仕事ができる」

   「お金に縁があって、一生困ることはない」

   「性格が良いので、誰からも好かれる」

          <感謝合掌 平成28年1月29日 頓首再拝>

【病気の治し方】 - 伝統

2016/02/06 (Sat) 03:19:53


         *メルマガ「人の心に火を灯す(2016年01月28日)」より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   ついでに病気の治し方も教えてあげるからね。
   この話は信じなくてもいいからね(笑)。

   コインには裏と表があります。
   それでモノにはなんでも裏と表があるよね。

   それと同じで病気と健康ってね、裏表のセットみたいなものなんだよ。

   ちなみに、この話は「医者に行くな」っていう話ではありません。
   薬も飲んでいいし、なにも変えなくていいからね。

   ただ、私は心の話をしたいんです。
   心だけのことを言いたいんだよ。

   それで、病気の人は“病気という裏の部分”ばっかり見てるんです。

   それと、病気という言葉自体、言霊(ことだま)が悪いんだけど、
   「自分は病気だ」って言い過ぎるんだよ。


   健康になりたかったら、これをひっくり返して
   「私は健康です」って1日10回くらい言えばいいの。

   元気になりたかったら「私は元気です」って決めつけちゃえばいいの。
   人に会ったら「私は元気です。私は健康です」って言う。

   ただ、医者に行って言っちゃダメだよ。
   「私、健康ですから」って言うと、
   「じゃあ、ここになにしに来たの? 」って聞かれるからね(笑)。

   医者に行ったときだけは事情を言っていいけど、
   あとはね、まわりにいる人って、親とか兄弟とか会社の人とかね。
   言ったって心配させるだけなの。

   治すことはできないの。

   それで、治せない人に「病気です」とかいろいろ言ったところで、
   相手に心配かけるだけだよって。

   それよりも「私、健康です」「絶好調です」って言ってると、
   心が変わってくるんだよ。

   心が変われば、身体っていうのは後からついてくるんです。

   これが「心から治す」っていう治し方なんです。


   病気の人は考え方が病気なの。
   病気のことを考え、病気の話をするんだよ。

   それでいったい、どうやって健康になろうっていうの?

   ひっくり返して言えばいいんだよ。

   「健康になってから言う」じゃダメなの。

   「私は健康です」って1日10回くらい言う。

   そうすると、「健康なんだ」って気がしてくる。

   嘘みたいだけどそういうもんなんだよ。

   ようは、病気という「気」なの。
   元気という「気」なの。

      <『大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。』サンマーク出版>

                 ・・・

一人さんは、しあわせについてこう語る。

「とにかくしあわせって、なにがあっても『100%しわせだ』と思えるかどうかなんです。

イヤなことがあっても「こんなのはしあわせの一部ですから」って言える人に、
しあわせがどんどん訪れます。

『ついてる人には悪いことは起きない』のではありません。
ついてる人にも悪いことは起きます。

ただ、起きても捉え方が違うんです。

いちいち起こることに左右されて、不機嫌になっていたら、
本当のしあわせにはなれないよね」(同書より)


幸せも不幸せも、健康も病気も、運も不運も、すべてはコインの裏表。

言葉が現象を引き寄せる。


暗いこと、嫌なこと、つらいこと、に焦点をあて、
グチや泣き言、不平不満を言っていれば、さらに嫌なことを引き寄せる。

明るいこと、ステキなこと、幸せなこと、に焦点をあて、
「しあわせ」「楽しい」「ステキ」「ありがとう」と言っていれば、
明るくステキな現実を引き寄せる。


「私は健康です。絶好調! 」と唱(とな)えたい。

          <感謝合掌 平成28年2月6日 頓首再拝>

悪しき言葉を否定し、よき言葉を語れ - 伝統

2016/02/13 (Sat) 03:28:29


            *「光明法語」(P28~29)より

《在(あ)るものはただ神のみと思念せよ》

人々よ、よき言葉を語れ。
悪しきことばに惑わされること勿れ。

悲観的なことばを発するな。
悲観的なことばに惑わされること勿れ。

ことばは種であるから悪しきことばは言わぬがいい。
悪しきことばを聞いたならば直ちに心の中でそれを打消すことである。

人もし悪しきことばを語るともその人を非難するな。
人の悪しきことばは吾が心の中にある隠れたる所の想念の影であると思いて
自ら明るくなるように反省せよ。

神のみが實在であるから悪しきものは存在しないものだと否定せよ。

          <感謝合掌 平成28年2月13日 頓首再拝>

言葉の円味(まろみ)は家庭の重要な要素 - 伝統

2016/02/21 (Sun) 06:07:24


           *「光明道中記」(P60)より


言葉は創造の力をもっているのである。

”太郎”と呼べば”太郎”が出て来る。
”次郎”と呼べば”次郎”が出て来る。
”馬鹿野郎”と怒鳴りつければ、相手は狂い立って馬鹿な行為をする。

多くの家庭はその家の主人の言葉の乱暴さによって、
どんなに毒されているか知れないものである。

或る家庭では、その家の主人が妻を呼ぶのに
「オイ、馬鹿」と云う言葉以外で読んだことがない。

「馬鹿と言われて腹が立つが、私を呼んでいるに違いないから、主人の方を向き、
用事をきき、嫌々ながら仕事をしました」と言って述懐された奥様もある。

そう云う家庭の空気が棘(とげ)立ったものであり、不愉快なものであり、不調和なものであり、
従って、その家の運命が暗いものであり、不明朗なものであり、病人が絶えないのは当然である。

優しい言葉、愛称を伴っている言葉は家庭の空気を円満にするものである。
先ず家長から目下の者に、朝起きたとき、
丁寧に「お早うございます」と言い得るようでないと本当でない。

何でも横柄に権利のような態度でせられると、味わいがすっかり無くなって了う。
細君が古くなるほど飽きられて来るのは、何でも権利のような顔をして押が強くなるからである。


          <感謝合掌 平成28年2月21日 頓首再拝>

できるだけ善いことを喋る - 伝統

2016/02/23 (Tue) 04:54:41


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月23日)」より

ある教化団体のある講師があるところへ講演に出かけて行った。
彼はその教化団体で救われ人生観が一変し、性格が一変し、生活が一変したものであるから
そのことを聴衆に語りたかった。

どんなに自分の生活が一変したかということを知らせるには、
自分の過去の生活を述べねばならない。
彼は「わたしはこんなに悪い者だったのです」といって女を騙したことや、酒を飲んだことなどを
過去の生活を懺悔のつもりで50分間も喋り続けた。

そしてこんな浄まった生活になったのはこういう動機であるといって、
その転向の明暗を明朗(はっきり)させるつもりであったのだが、
彼が50分間も自分の過去の罪悪を喋っている間に、
聴衆は「そんな悪い人の話は聴く必要はない」と一人去り二人去りして、
彼が本当によくなったところを話すころには聴衆は四分の一に減ってしまった。

懺悔でも、悪いことをあまり喋りつづける者は、ついに人の信用を墜すものである。

言葉は力であるからできるだけ善いことを喋らねばならぬ。

美人の色の白さを引き立てるための斑点美粧(ビューティ・スポット)も、
それが顔半面イッパイに及ぶようになっては痣(あざ)としてまちがえられる。

光を引き立たす陰影(かげ)は濃く、ただし少量でなければならむ。  

               <感謝合掌 平成28年2月23日 頓首再拝>

《生命の存在自覚がコトバである》 - 伝統

2016/03/03 (Thu) 03:17:40


           *『 生長の家 』(昭和24年2月5日)の法語より

   表現することは
   創造することである。

   凡そ存在するもので
   自己を表現していないものは
   何物もないのである。

   その表現は
   自由意思による動作によって行われる。

   波動は 動作である。
   霊の最初の自由意思による動作が
   コトバである。

   そのコトバは
   生命が自己存在を自覚したるときには
   常に伴うものである。

   「 我れあり 」 の自覚そのものが、
   “ 生命の振動 ” であるがゆえに、
   存在の自覚そのものが コトバなのである。

   これが即ち
   「 太初(はじめ)にコトバあり、
   コトバは神と偕にあり、コトバは神なりき 」である。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12896232.html

               <感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>

人付き合いが変わる言葉の魔法9ステップ - 伝統

2016/03/11 (Fri) 03:45:49

言霊で人間関係が楽になる~人付き合いが変わる言葉の魔法9ステップ


(1)ありがとう

  ①「有ることが難しい」=「滅多にないこと」
   滅多にないことだからこその感謝、ありがとう。

  ②「難しいことが有る」=「どうしてこんなに難しいことがあるのだろう」
   だからこそ、気づく大切な事、ありがとう。

   後者は後からじっくり気づく「ありがとう」なのかもしれません。
   あの時、どうしてあんなに辛かったのか、今になればわかる。だから「ありがとう」

(2)ごめんなさい

   この言葉、実は歴史がながいです。鎌倉時代にはもう原型があったそうです。
   接頭語の「御」に「免」(=許す)という言葉で「御免」と使われていました。

   元は許してくれる相手の寛大さを期待して尊敬をこめて使っていた言葉だと言われています。
   =「どうかあなたの寛大さで許して下さい」と願う言葉だそうです。

   これまた、深い言葉ですよね。

   「ごめん、ごめん」と軽く使われるようになった現代。
   これからは言霊を意識して、そこに相手への尊敬の念を込めて使ってみませんか

(3)大好きです、愛しています

   西洋の人は、日常の挨拶で「I Love You」を使います。

   一方、日本は「言わなくてもわかるでしょ」という、察する文化が妙な形で
   残ってしまっているので、大切な事ほど、大切な人ほど言わないパターンが多いです。


   では、ここからは言霊との付き合い方です

(4)マイナスな言葉を発しない

   気づいていない人が多いのですが、
   発した言葉は相手が聞くと同時に、あなた自身にも響いているのです。

   相手を批判した言葉、相手に向けたキツイ言葉は、
   そのまままっすぐに、あなたに突き刺さり、
   その言葉が持っている「影響力」をあなたに与えます。

   だからこそ!!マイナスになる言葉を発するのを今日からやめてみましょう。

(5)心に響いた言葉を書きとめる

   心に響く・・と言う事はすなわち、
   その言葉の霊的な力をあなたが受け取ったという事です。

   忘れてはもったいないですよね。すぐにメモしましょう。

   いつか、あなたが辛い時、またはお友達が困った時に、
   その霊的な力をもった言葉は、かならずや再び力を発してくれるでしょう。
   そして、そんな素敵な言葉をくれたあなたに、その人は大きな感謝をしてくれるでしょう


(6)相手にマイナスを発せられた時の対処法

   どうしても避けられないのが、このパターンです。
   自分から発する事をどんなに意識できても、
   相手の発する言葉まではコントロールできません。

   相手に、とってもキツイ事を言われたら「ありがとう」と思いましょう。
   言葉にすると、逆に怒らせてしまう事にもなり兼ねないので、心の中で言うのです。

   さっき書きましたよね。「難しいことが有る」=なんでそんな事を言われるかわからない、
   としても、あなたには言われた方が良かった事なのかもしれません。
   でも、それはずっと先にわかる事。

   だから今は「ありがとう」と心の中で言うのです。
   「キツイ事をいってくれてありがとう、いつかその意味が分かる日が来る」って信じて。


(7)言ってしまったら「キャンセル、キャンセル」

   そうはいっても、聖人君子ではないので、思わず言ってしまうヒドイ言葉もあると思います。
   そういう言葉は、言った瞬間に自分がいい思いをしないので、すぐにわかると思います。
   自分が発する言葉はそのまま自分に突き刺さる、の原則ですね。

   いい思いがしない言葉を言ってしまったら「キャンセル、キャンセル」と唱えてみましょう。
   心に届くのをシャットアウトするイメージです。

   やり直せない事はない。誰だって間違いはあるのですから。
   そこに気付いてからのあなたの態度を改めればいいのですよ。


(8)言葉は「タネ」になると認識する

   言葉は「種」に似ていると思います。
   霊的な力を持った「種」。

   そのまま投げかけて、すぐに芽をだすかもしれない。
   何年後かに、ふと芽が出るかもしれない。

   つまり、それくらい人の心に留まる性質があるという事を認識しておきましょう。

     幼い頃に母親からいわれた言葉
     幼い頃に友達からいわれた言葉

   それが何十年も人を苦しめることだってあるのです。
   いえ、現代の現象は、そういった言葉の悪い使われ方で
   心を痛めている状態と言ってもいいかもしれません。

   昔の日本人は言葉をしっかり選んで使っていました。

   今は気軽に、読み直すこともないくらい早くメールができたりするので、
   なおさら危ないという事も気にかけておきましょう。

   自分の思いに沿った言葉は見つからない場合は、素直にそう伝えればいいのです。
   変に慰めたり、下手に謝ったりせずに。

   それくらい「言葉」の潜在的な「種」の要素を認識しましょう


(9)言葉に自ら思いを乗せる

   言葉には「霊的な力」があるというのがコトダマだとお伝えしました。
   だからと言って、依存してはいけないと思うのです。

   感謝の気持ちや、謝罪の気持ちがあるならば、
   やはりその言葉にあなたの思いを意識的に乗せるようイメージしましょう。

   気軽にいわれた「ありがとう」には力がありません。
   簡単にいわれた「ごめんね」には思いがありません。

   言葉では伝えきれないかもしれないけれど、本当にありがとう。
   どんな表現してもつたえきれないかもしれないけど、本当にごめんね。

   そんな心をのせた言葉こと、本当の言霊のパワーを発揮するのかもしれません。

   (http://thechange.jp/word-spirit2-5501.html

               <感謝合掌 平成28年3月11日 頓首再拝>

よいコトバと返事 - 伝統

2016/03/19 (Sat) 04:59:16


            *「智慧と愛のメッセージ」谷口清超先生(著)より

ひとから何か話しかけられたら、気持ちのよい返事をしよう。

判らなければ、「判りません」と言うのがよいのであって、
黙って知らん顔をしていてはいけない。

「言葉」は人格をあらわし、
よきものも悪しきものも自由自在につくり出す力をもっている。

黙っていることがよい場合もあるが、
それは人から問いかけられた時ではないのである。


多くの人は毎日使う言葉を、あまりにも軽々しく考えている。
ひとの悪口を言えば、必ずそれは人から人へと伝わって、
相手の人の耳にとどくものと思わなければならない。

何故なら、人の心は皆一つに連なっているからだ。
俗に「壁に耳あり、徳利に口あり」と言われる通りである。


そのかわり、ひとの善いことやすばらしさを、
その人ではない人に話をしても、いつかはその人の耳にもとどくものだ。

目の前で相手の美点をほめるより、この方がずっとおくゆかしいとも言える。
そしてどのくらい相手を高めあげ、
おたがいに心から打ちとけ合えるか知れないのである。


すべて、この世の中はコトバが支配している。
よいことばはよい世界をつくり出し、美しい言葉は美しい人間社会をつくる。
だから、お互いによい言葉をつかい、気持ちのよい会話をしよう。

ハイという返事の仕方だけでも、ずいぶん人によって違うのである。

こちらが何か問いかけても、黙っていられるのと、
ハイとかイイエとかと、すぐ気持ちよく答えてもらえるものとでは、
相手に対する印象が、全くかわってしまうものなのだ。

ことに大きな団体や会社に属している人は、その人の言葉使いや返事が、
そのままその団体の信用となり、すばらしさ、
又は欠点となって宣伝されるから、注意しなければならない。


仲間だけだと思って、つまらない悪口を言い合っていると、
お客さんがそれを聞いていて、すっかりその団体に失望したという実例もある。


表情も、態度も、みなコトバであるから、明るく、気持ちのよい態度で生活しよう。
そしてそのような明るく気持ちのよいコトバを口にするようにしよう。
そうすれば必ず明るい家庭や、気持ちのよい社会が生まれてくる。
そして国家そのものがよくなって行くに違いない。

もし横柄な態度や、いばったようなコトバや、
無愛想なコトバ使いを聞いたならば、神様が悪い見本を示して、
自分に注意して下さっているのだと思い、相手のマネをせず、
相手に引きずられず、その人の分も引き受けたつもりで、

一層明るく気持ちのよいコトバを使うようにしようではないか。
日本中の人がよいコトバを使えば、日本がよくなり、世界が平和になるのである。

               <感謝合掌 平成28年3月19日 頓首再拝>

【盛り下がる言葉を使わない】 - 伝統

2016/03/27 (Sun) 03:41:54


           *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年01月18日)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   人間には、とてつもなく不思議な力があります。
   寝ている間にあなたの想念がその目的をつかむ。

   これが牽引(けんいん)の法則です。

   牽引の法則を用いるためには、
   あなたの心にそれを引き寄せるだけの力がなくてはなりません。

   では、心はどうしたら力強くなれるのか。

   それが、肯定的な考え方です。
   肯定的な言葉です。

   肯定的な考え方ができるようになると、日常生活すべてにわたって、
   肯定的な言葉で満ちあふれてきます。

   肯定的な言葉のフルコースで、
   あなたの手に、足に、頭に、そして魂に栄養を与えるのです。

   世の中はすべて道理で成り立っているのです。

   日本がよくない国だと思ったら、いい国にすればいいのです。
   日本に生まれて、日本の悪口をずっと言いながら、
   出世したい、成功したい、なんてムシが良すぎます。

   地球を汚すなと声高に叫んでも、叫んでいる本人も地球を汚しているのです。

   自分だけはと思っていても、神様は上から、じぃっと、あなたを見ています。
   あなたが何をやったかを見ています。
   そして、世の中を、人を悪く言っていないかを見ています。

   あなたのまわりに何かに成功した人が現れます。
   あなたのまわりの人間が、宝くじに当たったり、
   親から財産をゆずり受けたり、出世したりするのです。

   そのとき、あなたはその人たちに対して、

   「よかったね」

   このひと言を言ってあげることができますか。

   その言葉が言えるのならば、あなたはテストに合格して、
   さらにその上のレベルに上がれます。

   相手がどう思おうと、
   「きれいだね」「楽しいね」「幸せだね」と、天国言葉を言っていればいいの。

   天国言葉を口ぐせのように言っていると、あふれてくる。
   そうすると、相手に伝わって、まわりの人みんなが天国言葉を使うようになる。

   そうやっていくうちに豊かな波動がどんどん広がっていくんだよ。

         <『斎藤一人 仕事がうまくいく315のチカラ』KKロングセラーズ>

                 ・・・

斎藤一人さんは、「盛り下げることを言っちゃいけない」という。

盛り下げることを言う人は、
「不平不満」、「グチ・泣き言」、「悪口・文句」、「心配ごと」など、
相手を冷やすような言葉を言う人。

それが、地獄言葉。


反対に、相手やその場を「盛り上げる言葉」を使えば、
相手は楽しくて、いい気持ちになり、
場があたたかでニコニコと和やかになり、盛り上がる。

それが、「ついてる」、「うれしい」、「感謝してます」、「しあわせ」、「ありがとう」
という天国言葉。


会話の中で、日頃、その場が「盛り上がる言葉」を使っているのか、
「盛り下がる」言葉を使っているか。

盛り上がる言葉を使う人は、
明るくて、前向きで、元気があって、おもしろそうで、笑顔がある。

盛り下がる言葉を使う人は、
暗くて、後ろ向きで、憂うつそうで、つまらなそうで、不機嫌な人。


いつも、盛り上がる言葉を使う人でありたい。

               <感謝合掌 平成28年3月27日 頓首再拝>

幸運を招く【 愛される言葉の使い方10 】 - 伝統

2016/04/05 (Tue) 04:17:15


           *Web:雅代メソッド(2016/3/30 )より

(1)素直に「ありがとうございます」という感謝の言葉を伝える。

(2)うまく言えないときには「 うまく言えない 」と伝えるだけでいい。

(3)「 ごめんなさい 」をちゃんと言う、言いにくい謝罪の言葉こそ最初に言う。

(4)最初から具体的な返事は必要はない。
   抽象的でもいいから、黙らずにすぐ返事をすることが大切。

(5)「手伝いましょうか」ではなく「手伝わせてください」。

(6)失敗したとき、落ち込んでいるとき、
   「 私も同じ経験があるよ 」と伝えるだけで友人は心から救われる。

(7)「これでいいです」より「これがいいです」。

(8)余裕がないときほど、乱暴になりがちな言葉遣いに注意する。

(9)考え方が対立しそうになれば、
   「 たしかにそうですね 」とちゃんと相手の言葉を聞いてから。

(10)誘いに断っても、「誘ってくれてありがとう」というお礼を忘れない。

               <感謝合掌 平成28年4月4日 頓首再拝>

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