伝統板・第二 171679

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親への感謝・親孝行

1:伝統 :

2015/04/07 (Tue) 04:22:36

*光明掲示板・伝統・第一「親への感謝・親孝行 (14)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=10

・・・

《両親が感動してくれる感謝の伝え方》

        *「「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく」(P148~153)より

「ああ、あの人、本当はありがとうっていいたいのに、言えないんだな。損をしているな」
と思うことがあります。

世の中にはビジネスで、友人と共同経営を試みる人は多いのですが、
それがうまくいくケースは少ないようです。

なまじ近くにいるだけに、経営に関する意見が食い違えば露骨な言い争いになります。

「キミがいたからここまでくることができた。ありがとう」
という一言が、なかなかいえません。

しかし、どんなに意見が違っても、相手に対する感謝を表すことができれば、
事態はまったく変わってくるのです。


もちろん仕事に限らず、相手が恋人であっても家族であっても
感謝の気持ちを口にすることは大事なことです。

とくに、身近な人に対しては、私たちはなかなか素直に感謝を伝えることができません。


母の日、敬老の日、結婚記念日……、
「今日こそ女房にありがとうって言おう」
「おふくろに電話でもして、ありがとうって伝えてみるか」
と、意気込んでいたのに、話し始めたら小言を言われ、

「ちくしょ―、せっかくありがとうって言おうとしたのに……。
結局、喧嘩したっちゃったじゃないか」
なんてことになりがちです。


まずは、
自分に命をつないでくれた、もっとも直接的な存在である両親に、
ありがとうをいう方法を考えてみましょう。

親にありがとうと面と向かっていうのは、けっこう照れくさいものです。

とくに男性は苦手でしょう。

もし、電話で話すのも恥ずかしければ、旅先から葉書を出してもいいでしょう。


「いま富士山に来ています。いつもありがとう」
これだけでもいいのです。

あるいは、親が留守のときにたずねて、おみやげと一緒にメモを置いてきてもいいのです。

「おみやげ置いておくね。いつもありがとう」

もちろん、こんな回りくどいことをせずに直接いうのが一番ですが、
まずは親にありがとうを伝える習慣をつけること。

その方法はいくらでもあるということです。


私は先日、ある経営者から相談を受けました。

その会社の十周年記念に、どんなパーティをするべきだろうかという相談です。

普通、こういうパーティですと有名人とか、
マスコミとか、政治家とかを招きたくなるものです。

「どうだ! 俺の会社はこんなに大きくなったぞ」
経営者としては、こう誇示したいところです。


しかし、その会社が成長できたのは、当然経営者だけの力によるものではありません。

従業員がいたからこそのことです。

そこで私は、こんなアイデアを出しました。

「そのパーティの招待客は、従業員とそのご両親がいいんじゃないの?」

彼はまったく想定していなかった提案をされて、
最初はかなり驚いていましたが、私の意見を取り入れてくれました。


パーティはとても感動的で温かいものになったようです。

従業員たちは、「十周年パーティでは、私たちは接待の下働き要員だね」
と思っていたのが、逆に自分たちを社長が接待してくれました。
そして自分の親までをも呼んで感謝してくれたのです。

「徹君ががんばってくれているおかげで、会社が大きくなりました」

自分たちが一生懸命育てた息子や娘が一人前に働くようになった。


それでも親としては、ちゃんとやっているのか心配している。
そんななかで、社長が、わざわざ感謝の報告をしてくれた・・・。
ご両親にとっては、これほど感動することはないでしょう。


ある会社では、初任給を渡すときの儀式が有名です。

その会社の新入社員は、はじめての給料をもらったら、
必ず両親にブレゼントを渡さなければなりません。

しかも、両親の前で手をついて頭を下げ、感謝の言葉とともに
渡さなければならないことになっています。
これは、業務命令なのです。

しかし、若い新入社員ばかりですから、内心では、
「かんべんしてくれよ―。うちの親はそういうタイプじゃないって」
「昨日も文句ばっかり言ってたオヤジが本当に喜ぶのかよ」
などと思っているはずです。

嫌だけれども、業務命令ですから、しぶしぶ、言われた通りにやってみます。

すると、ほとんどの親が号泣するそうです。

そして、本人はその展開にとっても驚くんですね。

この会社の新入社員は、親に感謝するという習慣を、
こんなに若いときから持てるのですから幸せです。

世間には親を亡くしてはじめて感謝の気持ちに気づく人も多くいるのですから。


もちろん、いくつになってからでも遅いことはありません。

今日からその習慣を持ってみてください。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」~「親への感謝、親孝行」
    →  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=77     

(2)「光明掲示板・第ニ」~「親への感謝・親孝行」
    →  http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=15  

(3)光明掲示板・第三「親への感謝・親孝行」
    →  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=51

           <感謝合掌 平成27年4月7日 頓首再拝>
2:伝統 :

2015/04/16 (Thu) 04:17:21


        *「会社は環境整備で9割変わる!」矢島茂人・著(P30~34)より
         ~「9つの原理原則」の中のひとつ「両親、先祖に感謝する」

環境整備の目的の一つは、高い志を実現するために、心の重心を低くすることです。

心の重心が低い人は、感謝の気持ちを持っています。
まずは身近な両親から感謝を始めましょう。

私たちは、親のおかげで食事をし、服を着て、学校に行くことができ、
社会人としての今があります。

つまり、親がお金を払ってくれなかったら、現在の自分の生活はない。
親とはそれほど重い存在です。

さらに重大な事実があります。

それは、両親がいてくれたおかげで、私たちは命を授かったということです。
両親がいなかったら、今、自分そのものが存在していません。

私たちがこの世でスタートを切った日を「誕生日」といいます。
周りに祝福されて、普段は目にしないご馳走を食べたり、
プレゼントを貰ったり、楽しく過ごす日です。

しかし、考えてみてください。

美味しい物を食べたり飲んだりできるのもすべては自分が誕生したからです。
そして、ここに存在しているのは、両親のおかげです。
両親がいてくれたからこそ、現在の自分があるのです。


ここで提案です。

誕生日を「両親への感謝日」にしてはいかがでしょうか。
「父の日」「母の日」はそれぞれあっても、なぜか「両親の日」はありません。
父母の両方がいてこその自分です。

自分のスタートとなった誕生日を
「両親への感謝日」と考えるのはごく自然なことではないでしょうか。

年に1度の自分の誕生日に、両親への感謝の思いを表せばいいのです。
その日が自分の出発の日、ご縁の原点の日、感謝の原点の日です。
しかも自分の誕生日なら忘れることはありません。

たった年に1度の感謝でも、10年たてば10回になります。
何もしない人はゼロです。
この差はまず縮まりません。

感謝の思いを口に出したり、文字にしたりして気分が悪い人はいないと思います。
いい気分を味わえたら、日頃から自然に感謝の気持ちを持てるようになります。
いつの間にか感謝は年に1度ではなくなっています。

つまり、感謝しない人との差は加速度的に広がっていくのです。

まずは自分の誕生日を両親への感謝日にするところから初めてみましょう。

今の自分があるのは、両親のおかげだと述べました。

さて、両親は誰のおかげで存在できるのでしょうか。
その両親です。

両親の両親、すなわち祖父母は4人います。
さらに、その両親は8人。たった3代前で8人もの存在があります。

計算をどんどん続けると、10代前には実に1024人になります。
それまでのさかのぼる過程の人数を9代前512人、8代前256人・・・
と足していくと合計2046人に達します。

つまり、今の私たちが健康で、飲んだり、食べたりできるのは、
過去に2046人の方がいてくれたおかげなのです。


10代もさかのぼる必要はないでしょうか。
しかし1世代を20年とすると、今から10代前は、300年前。
江戸時代の中頃にあたります。想像もできない大昔というわけでもありません。

大切なのは、10代さかのぼる、さかのぼらないではなく、
感謝の幅を広げるということです。

そうすれば、日常生活の中で繋がっている方にも、
自然と同じ感謝の気持ちが持てるようになります。

たとえ幼少時にご両親と死に別れたために、
「感謝などしようもない」という方も、
「顔を知っている人だけに支えられているわけではない」と
思い至ることができるようになります。

まずは両親への感謝から始めてください。

そして、それが自然にできるようになったら、
感謝の気持ちを先祖へ、周囲の人へと広げればいいのです。


           <感謝合掌 平成27年4月16日 頓首再拝>
3:伝統 :

2015/04/21 (Tue) 04:48:38


           *『真理』第五巻女性篇(P225~227)より

黒住教という宗教があります。
これはもう新興宗教というには余りに古いのでありまして、
宗派神道の方にいれられているものでありますが、この黒住教の黒住宗忠という人は、
幼い頃から非常に親孝行であったのであります。

どれ程親孝行であったかといいますと、何でもたいへん曇っている日に使(つかい)に
行くことになったのでありますが、お母さんが「雨が降りそうだから傘を持って高足駄を
履いて行きなさいよ」とこういわれた。

宗忠は母の言うままに高足駄を履いて出かけると、途中で出逢ったお父さんが「今日は天気だ。
大丈夫だよ、草履を履いて行け」とこういわれた。

そこで「はい」といって、素直に片足に草履を履いて、片足に高足駄を履いて、
《ちんば》をひきながら用達しに行ったという位に、素直な人であったのです。

親孝行という問題、これは現在の民主主義には余り尊ばれていないようでありますが、
しかし、これは大変間違いです。

「孝は百行の基」という言葉もありますように、凡ゆる善徳の根元をなすものが、
この親孝行というものなのです。

真に親孝行であれば富みますし、真に親孝行であれば肉体も健康になります。
何故ならそれは根を培うことになるからであります。

では、親孝行をするということは一体どうすればいいのであるかといいますと、
何も難しいことはないのであります。

親の欲し給う如く、素直にその通りにしてあげたら、これが親孝行なのであります。
親の欲し給わないことを、勝手に人間智慧で、こうしたら善かろうか、ああしたら善かろうか
と思ってやると、親の好まないことを却って親に強制していることがあるものです。

「向わんと擬すれば却って乖(そむ)く」と云う語(ことば)がありますが、
人間智慧のはからいは駄目であります。

           <感謝合掌 平成27年4月21日 頓首再拝>
4:伝統 :

2015/04/27 (Mon) 04:37:22


           *Web:論語ブログ(2014-12-03)より

論語講師用副読本(31)
人生・処世の為の論語 ⑬父母の年は知らざる可からざるなりⅰ

子曰わく、父母の年は、知らざる可からざるなり。
   一は則ち以って喜び、一は則ち以って懼(おそ)る。

里仁第四   仮名論語45頁4行目です。
伊與田覺先生の解釈です。

先師が言われた。
「父母の年は、忘れてはならない。一方では達者で長生きしていることを喜び、
一方では、老い先の短いことを心配する」

「父母の年齢は覚えておくべきだ。
それは長寿を喜ぶ心でもあり、万一を案ずる心でもある。」

これもまた最小限の心遣いです。

いずれも、温かい思いやりに満ちた優しい心情です。
孔子はそうした心情の目覚めを「孝」の徳としたのです。

そして、その精神が「仁」の根本的な考えとしているのです。

「孝経」という「論語」よりもすこし後で出来た書物がありますが、その初めにあります。

「夫れ孝は徳の本なり、教えに由って生ずる所なり」

と軌を一にするものです。

儒教道徳の「孝」は封建制の支柱の一つとなり、形骸化してしまいましたが
「論語」の原点までさかのぼると、本来はそうしたものでなく、
人間として、きわめて当たり前の気持ちから出発しているものであるかが分かります。

孔子の言う「孝」は、人間としての自然な親子の情愛に根ざしたもので、
後世の儒教が封建的な秩序の支柱として親の権威を強調した「孝」とは違うようです。


別の章にはこんなことも書かれています。

孟武伯(もうぶはく)、孝を問う。
子曰わく、父母は唯其の疾(やまい)を之憂う。


為政第二   仮名論語14頁3行目です。
伊與田覺先生の解釈です。

孟武伯(孟懿子の子)が孝行について尋ねた。
先師が答えられた。「父母は唯子の疾を心配するものであります」

魯の重臣の子、孟武伯が「孝とは何でしょう」と尋ねると、
その時、孔子はポツリと一言だけ言いました。それがこの言葉です。

子として、こうした「親心」に思いを馳せること、
それこそが「孝」の基本だと言うのです。

「論語」に記録されている孔子の答え方は、いつもこんな風です。
「孝」にしろ、「仁」にしろ、いわゆる一般的な定義は下さず、
相手の個性や状況に応じて、具体的な例を示しています。

 父母は唯其の疾を之憂う。父母というものは、子供の病気が何よりも心配なのだよ。

子供に向かって百万遍、孝の説教をするよりも、この一言はきいています。
これは実際に自分が親になってみなければわかりません。

月並みですが、「子を持って知る親の恩」という日本の諺は真理なのです。

しかし、それと気づいた時、これはまたお定まりで、親はすでにいなかった。
ということになります。

だから孝行しろというのではありません。
「孝」という行為は、強制されるべきものではないことはもちろん、
人為的に定められた道徳ですらありません。

親子の間に自然に通い合う人情です。

孔子は、それを言おうとしたのでしょう。
「親というものは子供の健康だけが気がかりなものです」という事ですが、
この章の解釈は「健康以外の事で親に心配させない事だ」という説や
「父母の健康こそ心配せよ」という解釈もあります。

父母の真情を知ることが、孝の根本だというのです。
親心とは切ないものです。

こうした切ない親心に対して、孔子は、こう言っています。

子曰わく、父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶこと必ず方あり。

里仁第四    仮名論語44頁7行目です。

伊與田覺先生の解釈です。

先師が言われた。
「父母が生きている中は、あまり遠くへ旅しない方がよい。
やむを得ず旅に出たときは、父母に心配をかけないように心掛けることだ」

遠くまでの旅は、当時の状況を考えれば無理からぬことです。
今日ではそれほどとはいえませんが、子を案ずる親の真情にこたえて、
少なくとも居所は明らかにしておいた方がいいでしょう。

さらに言えば、便りをすることもこれに含まれるのではないでしょうか。

 (http://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-11959959802.html

           <感謝合掌 平成27年4月27日 頓首再拝>
5:伝統 :

2015/05/02 (Sat) 04:28:55


           *Web:論語ブログ(2014-12-04)より

論語の中で何度も出てくる「仁」「義」「礼」「智」「信」というものは、
本来人間の本能として、人の中に自然として備わっていますから、
何らかの時に何時か出てくる可能性があります。

しかし、「孝」という同じ儒教の徳目としてこう並べていっても、
「孝」というものだけは人工的なものですから、本能ではない。
ほっといたら「孝」になるというものではありえません。

「孝」というものだけは、極めて人工的な、人間がお互いの社会の中で、
本能には無いものとして発明したものですから、これは教えない限りでてきません。

他のことは何時か良心に照らして、分かってくるだろうと、それでいいのかも知れません。

しかし、老衰えて行く方々に手を差し伸べるというようなことは、
本能だけでいったら、これは出てきません。
極めて人工的なもので、本能からは出てこないことなのです。

この折角私どもが手にした、高齢化社会というのは皆が長生きできる社会のことです。
この社会を本当に幸せな社会だということにするならば、
うっと、この「孝」ということが引き繋がれて行かないとおぼつきません。

その「孝」はほっといて出てくることではありません。
極めて人工的なことですから、教育の中で教えない限り「孝」というのは出てこないんです。

長い間日本人が親孝行を続けてきて、現在の高齢化社会を達成しました。
良い意味での高齢化社会を達成したのです。
これは決してほっといて出来たことではありません。

江戸時代三百年そして、明治・大正・昭和・平成とずうっと「孝」というものが、
如何に大切かと教えられ続けてきました。

それをいつの間にか、ここ二十年・三十年見失ってしまってきているのではないでしょうか、
何百年という間「孝」を教え続けてきたからこそ、日本人は良い意味での
高齢化社会を達成したのです。

老人が生き延びられる社会を作ったにも関わらず、
あんまり長い間教え続けてきたものだから、いつの間にかほっといても
「孝」というものが成り立つのだと、錯覚があるのではないでしょうか。

その結果ここ何十年来、「親孝行をせよ」なんて言葉を聴いたことも無くなりました。
これは大変危険なことです。
親孝行だけはほっといて目覚めることはありません。それは、本能ではないからです。

ライオンの社会に親孝行はありません。
シマウマの社会に親孝行はありません。
そのため年老いたライオンは餌が捕れなくなる。
走れなくなったシマウマは餌にされてしまうより仕方がありません。

人間だけが「孝」という人工的なことを考え付いて、
高齢化社会を達成することが出来ました。
どうぞ「孝」のことだけは心を留めておいていただきたいと思っています。

   (http://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-11960368757.html

つづく

           <感謝合掌 平成27年5月2日 頓首再拝>
6:伝統 :

2015/05/08 (Fri) 04:48:52


子夏(しか)、孝を問う。

子曰わく、色難し。事あれば弟子其の労に服し、酒食(しゅし)あれば先生に饌(せん)す。
曽(すなわ)ち之を以って孝と為さんや。

為政第二  仮名論語15頁2行目です。
伊與田覺先生の解釈です。


子夏が孝行について尋ねた。
先師が答えられた。「親に向かっての顔色や振る舞いは難しいものだ。
何か用事があれば、弟子(わかもの)が代わって骨を折り、
ご馳走があれば、まず先輩にさしあげる。どうしてこれ位で孝行といえようか」


仮名論語14頁3行目。
孟武伯(もうぶはく)、孝を問う。子曰わく、父母は唯其の疾(やまい)を之憂う。
為政第二   仮名論語14頁3行目です。
伊與田覺先生の解釈です。


孟武伯(孟懿子の子)が孝行について尋ねた。
先師が答えられた。「父母は唯子の疾を心配するものであります」


「論語」には孝という事がたくさん書かれています。
孝という文字は「老と子」を合わせたものです。
そしてヒを取ることを省画と言います。
老からヒを取って子を入れて「孝」となるのです。

文字の形成から言うと老人、老人ということは親といってもいいでしょう。
親が子を抱いている姿ですね。子供から言うと、親をおんぶしている姿になります。
この二つの意味があるんですね。

もともとは、子供を抱いていると言うのが先です。
そういうところから、この文字には「結ぶ」という意味があるのです。
ものごとは対立したら結ばれません。

違った物を結ぶことによって、新しい物が出来ます。
違った物を結び合わせた新しい物を作ることを「創造」と言います。
創造のことを「化成」とも言います。

化の人偏は背の伸びた人で若者、ヒの方は腰の曲がった人で年寄りです。
そういうことで、親と子が結ばれる。そこから新しい文化が創造されて、
それが伝承され、永遠に発展していくのです。

したがって、「孝」は最も高い徳、貴い徳ということで、
よく人名に付けられるのは甚だ意味が深いわけです。

しかし、何時までも抱きしめていては子供の為になりません。
「可愛い子には旅をさせよ」と言って、親に対しては「早く手放さなければいけない」
と言う教えが出てきます。

逆に子供と言うものは、親から離れよう離れようとするものです。
そこに「離れないようにせよ」という教えが出てきます。
教えと言うものはそんなものです。

親には「子供を可愛がれ」という教えは実際には要らないということです。
言わなくても可愛がりすぎるくらい可愛がるというのが親の心情です。
そういう者には「早く離せ」「乳離れを早くさせよ」と言う教えが必要になってくるわけです。

子供はそうではありません。
子供には「離れないで親を大切にするように」という教えがあり、
これが孝行という教えとなるわけです。

そんなことを基本に置きながら説かれているのがこの「論語」です。

(http://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-11960770492.html)

つづく

           <感謝合掌 平成27年5月8日 頓首再拝>
7:伝統 :

2015/05/14 (Thu) 04:38:16


もう少し「孝」に関する章を見ていきましょう。

曾子、疾(しつ)有り。
門弟子を召して曰わく、予(わが)が足を敬(ひら)け、予が手を敬け。

詩に云う、戦戦兢兢(せんせんきょうきょう)として深淵に臨(のぞ)むが如く、
薄氷を履(ふ)むが如しと。

而今(いま)よりして後、吾免れるるを知るかな、少子。


泰伯第八   仮名論語99頁4行目です。
伊與田覺先生の解釈です。


曽先生が病気が重くなって死の近いのを悟り、弟子達を枕元に呼んで言われた。

「私の手や足を出してみなさい。

詩経に「おそれおののいて深い渕に臨むように又薄い氷を履むように」とあるが、

これからはもうそんな気を遣う必要がなくなるだろう。ありがたいことだ。
そうではないかね、みんな」


「曽子、疾有り。門弟子を召して曰わく」曽先生は病気が重くなって死の近いのを悟り、
弟子達を枕元に呼んで言われました。一種の遺言ですね。

「予が足を啓け、予が手を啓け」私の足を見なさい、私の手を見なさい。
どうだ、どこにも傷はないだろう。

「詩に云う、戦々競々として深淵に臨むが如く、薄冰を履むが如しと」
詩経の文句には、恐れおののいて深い渕に臨んで落下・墜落を恐れるように、
又薄い氷を履んで割れて水の中に陥没・沈むのを恐れるように、と歌われています。
そのように細心の注意をはらって、私も体に気をつけてきたのだ。

「而今よりして後、吾免るるを知るかな、小子」
ああ、それもいよいよ死の迫った今から先では、もう心配することはないね。君たち。


曽子は「孝経」の作者ともされてきたように、親孝行としても有名でした。

その「孝経」の中に、「身体髪膚(はっぷ)、これを父母に受く。
敢えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」という言葉があります。

父母から受けたこの身体、そしてこの皮膚、髪の毛一本でさえ、
不慮の過失で損傷・傷つけたりしたりすることの無いように大切にする。
それが親孝行の第一歩だというのです。

親からもらった身体を傷つけないのが孝の第一歩だというのは、大げさなようですが、
親が子の無事を祈りつつ育てたことを考えれば、うなずけるのではないでしょうか。

曽子がその重病の床で門人たちを集めて言ったというこの章の言葉は、
ちょうどそれに当たります。

肉体の損傷というのは、刑罰の入れ墨の刑の例でもわかるように、
現在の我々が考えるよりも、ずっと忌まわしい恐るべきことと思われていたのです。
古代では宗教的な神の怒りにも関わることでした。

それを親孝行に結びつけたのは理性の働きですが、
宗教的な感情はまだ残っていたのでしょうね。

曽子の言葉には五体満足で死に就くことのできる安堵感があふれています。
そして、それを門人たちに示して、死の床での最後の教訓としたのです。

現在は、耳だけではなく体の至るところにピアスをつけて穴をあけたり、
髪を茶色に染めたり、まして最近では若い女性で入れ墨を入れている人が目立ちます。
こんな光景を孔子や曽子が見たら何と言うでしょう。恐ろしいことです。話になりません。

  (http://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-11961974404.html

つづく

           <感謝合掌 平成27年5月14日 頓首再拝>
8:伝統 :

2015/05/20 (Wed) 04:46:45


孝に関しては、こんな章もあります。

宰我問う、

三年の喪は期にして已(すで)に久し。
君子三年禮を為さずんば、禮必ず壊(やぶ)れん。
三年楽を為さずんば、楽必ず崩れん。

舊穀(きゅうこく)既に没(つ)きて新穀(しんこく)既に升(のぼ)る、
燧(すい)を鑽(き)りて火を改む。期にして已(や)むべし。


子曰わく、

夫(か)の稲を食い、夫の錦を衣て、女(なんじ)に於いて安きか。曰わく、安し。
女安くんば則ち之を為せ。夫(そ)れ君子の喪に居る、旨(うま)くを食らうも甘からず、
楽を聞くも楽しからず、居處(きょしょ)安からず。故(ゆえ)に為さざるなり。
今女安くんば則ち之を為せ。宰我出ず。


子曰わく、

予の不仁なるや。子生まれて三年、然る後に父母の懐(ふところ)を免る。
夫れ三年の藻は天下の通喪なり。予や、三年の愛其の父母に有るか。

陽貨第十七   仮名論語273頁7行目です。
伊與田覺先生の解釈です。


宰我が尋ねた。

「父母のためにする三年の喪というのはその期間がすでに長すぎます。
もし君子が自ら三年も礼を修めなかったなら、礼は必ずすたれましょう。
三年も音楽を修めなかったなら、音楽は必ずくずれましょう。

旧穀はすでになくなって新穀が出てまいりましょう。
また火を取る木をすりもみして火を作りかえます。従って一年でやめるべきだと思います」


先師が
「お前は三年もたたないのに、うまい飯をたべ、美しい着物を着ても心は安らかかね」
と尋ねられた。

宰我は「安らかであります」と答えた。


先師は
「お前が安ければそうしなさい、一体君子は喪中にはご馳走を食べてもうまくなく、
音楽を聞いても楽しくなく、家に在っても安らかでない。そこで政務をとらないのである。
今お前の心が安ければ、そうするがよい」と言われた。宰我が出て行った。


先師が居合わせた門人達に
「宰予はなんと不仁なことよ。子が生まれて三年、漸(ようや)く
父母の懐をはなれるのである。一体三年の喪は、世の中の人が誰もやっている
共通の喪である。宰予も三年の父母の保育の愛情を受けた筈(はず)なのに、
忘れてしまったのであろうか」


宰我が孔子に尋ねました。
「親に対する服喪は三年と決まっていますが、一年で十分ではないでしょうか。
君子が服喪のために三年も礼の儀式に参加しないでいたら、
礼制はおろそかになってしまうでしょう。

また、三年も音楽を遠慮していたら、音楽はすたれてしまうでしょう。
そもそも、一年たてば古米は食べつくして新米が出回りますし、
種火だって一年ごとに新しくするのですから」


すると、孔子は言いました。
「では親がなくなって一年そこそこで、うまいものを食い、いい着物を着る。
それでお前は平気なのかね」

「はい、まあ・・・」宰我は答えました。

「では、そうするがいい。親がなくなれば、ご馳走を食ってもうまくない、
音楽を聞いても楽しくない。普通の暮らしをしても落ち着かない。
だから君子は喪に服するのだよ。お前が平気だと言うなら、そうするがいい」


宰我が退室すると、孔子は誰ともなく言いました。
「何と言うことだ。子は生まれてから三年は親の懐に抱かれている。
その親の死後、三年の喪に服するのは常識だろう。
宰我だって、三年は親に抱かれていただろうに」と。


当時、親が死んだら、子は三年間の喪に服さなければならないことになっていました。
その間は公務を退き、衣食住もすべて規定に基づいて粗末にし、
特別の生活をすることになっていたのです。

宰我という門人は、今でいえばドライな人だったのでしょう。
形式と化した「喪」に意義を唱えたのです。
これに対し、孔子は「形式より心の問題だ」と説きました。

三年の喪を乳幼児生育期間と対比させたのは、おもしろいですね。

もともと、「孝」を形式的なものにし、強制してきたのは、後世の儒教なのですが、
儒教の祖である孔子は、形式もきわめて重く見ましたが、
それよりも「孝」の心を大切にしたのです。

心を伴わない見栄や義理と化した今日の冠婚葬祭を考えさされる言葉です。

宰我は、ここでは、三年の喪が長過ぎると言って不人情だと叱られています。

宰我は孔子からは十哲の一人として子貢と同じように、
言語に優れていると評価されていた門下です。

しかし、弁舌の才能があった為に、つい舌が滑らかに動きすぎ、
子貢とは異なってかえって孔子から叱られてばかりいたのでしょう。

http://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-11962386264.html

つづく

           <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>
9:伝統 :

2015/05/26 (Tue) 03:22:58


人が死ぬと、精神は失われ、肉体は腐っていきます。
この精神を「魂(こん)」、肉体を「魄(はく)」として、
魂を魄に呼び戻そうとするのが招魂儀礼です。

この儀礼は、古今東西を通じて、普遍的な死生観に基づいており、
魂を呼び寄せる宗教者がシャーマンです。儒は本来、このシャーマンでした。

招魂儀礼は、祖先崇拝、祖霊信仰が基になり、その子孫が担当します。
しかも子孫もいずれは祖霊になりますから、
その子孫の子孫もまた祭祀を続けていってほしいと願うのも当然のことでしょう。

これを示すと、祖先・・・祖父母-父母-自己-子-孫・・・一族というつながりになります。
整理すると、次の関係に表されます。

1、 祖先との関係-過去
2、 父との関係-現在
3、 子孫・一族との関係-未来

儒は、この三つのものを一つに統合して、

1、 祖先の祭祀(招魂儀礼)
2、 父母への敬愛
3、 子孫を産むこと

この三行為を合わせて「孝」としたのです。
 
そうすると、今の自分の生命は、父の生命であり祖父の生命であり、
はるか昔の祖先の生命であり・・・と、百年前、千年前、一万年前、十万年前、
生命の誕生の時点まで遡って、存在していた事になります。

また、未来も同様です。
自分の肉体は滅んでも、自分の生命は子孫の生命として、
百年後、千年後、一万年後、十万年後も生き続けています。

そこで、「孝」という行為を通して、自分の生命の永遠性、
少なくてもその可能性を実感することができるのです。

その考え方は、死への恐怖も不安も解消することができますし、
永遠の生命を望む人々、ここでは漢民族のもっとも望むものだったのです。

「生命論」これが孝の本質のようです。
儒は、招魂儀礼という古今東西に存在する呪術を生命論に構成し、
死の恐怖や不安を解決する説明を行うことに成功したのです。

この生命論としての「死の説明」を受け入れた者こそ、一般の中国人(漢民族)であったようです。

  (http://ameblo.jp/miyatake-yagikensetsu/entry-11962780741.html


           <感謝合掌 平成27年5月26日 頓首再拝>
10:伝統 :

2015/05/31 (Sun) 04:09:49


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月07日)」より

   (伊與田覺氏の心に響く言葉より…)

   戦前までの日本の教育あるいは思想の中心には「忠孝両全」という言葉がありました。
   「忠と孝」を大きな柱にするというわけです。

   ところが敗戦と同時に、GHQの指示によって、
   忠君愛国にかかわる言葉を教科書からとるように命じられました。

   お年寄りの方はご記憶があるかもわかりません。

   修身などの教科書の中にそういう言葉が出てくると、
   「ここは教えてはならん」と、墨を塗った時期がありました。

   そのときに勘違いしたのでしょう、
   「忠」がダメなら「孝」もダメだろうと勝手に考えてしまった。
   これがいまから60数年前の出来事です。



   「身体髪膚(はっぷ)、之(これ)を父母に受く、
   敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝(こう)の始めなり」

   「身体髪膚」の身体とは、頭、胴、足をいいます。
   髪膚というのは髪と皮膚でありますから、「身体髪膚」で体全体のことです。

   この体はすべて親から受けたものである。
   だから、無茶をして傷つけたりしない。

   「毀傷」の毀は損なうこと、傷は傷つけること。

   これが「孝の始めなり」。

   親からもらった大事な体は授かりものであり、
   考えようによっては預かったものである。

   だからそれを傷付けない。

   これが孝行の始めだよ、といっているわけです。

   孝行の終わりは両親の名が挙がっていくこと。

   「身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚(あ)げ、
   以(もっ)て父母を顕(あらわ)すは、孝の終わりなり」。


   世の中に出て、いろいろと実践躬行(きゅうこう)して名を後世に揚げた。
   立派な人格を築き上げ、完成をし、亡くなった後もその名が人の評判に上がる。

   また、自分の名だけではなく、そのうえに父や母の名も揚げる。
   これが孝行の終わりというものだ、といっています。

   自分の名前が揚がるだけではまだ孝行ではない。
   それによって両親の名前が揚がっていく。

   これが孝行の極め付けであると孔子はいうわけです。


   孔子は何も自分の名前がそんなに後世に伝わり、
   かつ両親の名前が伝わるとは夢にも思わなかったかもわかりません。

   けれども現実にはこうなっているのです。

   孔子という人は2500年後の今日にも名を揚げ、
   父母の名前を顕しているということであります。

   この『孝経』の教えからいうと、非常に立派な孝行息子であるということになりますね。

            <『孝経』致知出版社>

               ・・・

「孝経(こうきょう)」とは、孔子が弟子の曾子(そうし)に
「孝」について話したものを曾子の門人が書き起こしたもの。

世界三大聖人と言われる、キリスト、仏陀、孔子、の三人に共通して言えることは、
三人とも自分の著書がないこと。

今残っている、聖書も、仏典も、論語も、すべてそれぞれの弟子が書いた。


「忠と孝」という言葉が死語のようになって久しい。

しかし、親に孝養を尽くす、親孝行する、ということは、
洋の東西を問わず昔から最も大切な価値観の一つだった。


「身体髪膚」を傷つけないこと。

暴飲暴食をしたり、無茶なことをしたりして体を傷つけたり、
病気をすることは親が一番心配すること。


また、「螢(ほたる)の光(ひかり)」の中にある歌詞、
「身を立て名を揚げ、やよ励(はげ)めよ」は、この「孝経」の言葉に基づく。

身を立てるとは、修養を重ね立派な人間になることだが、
それは同時に、親の名を高めることでなければならない、というのが本来の意味だ。


今一度、孝行の大切さに気づきたい。


           <感謝合掌 平成27年5月31日 頓首再拝>
11:伝統 :

2015/06/06 (Sat) 04:19:00


         *「親孝行アンケート」(2012年8月7日)より

◆ 一番の「親孝行」は『心配させない』『元気でいる』『会う』

《全体TOP10のコメント》

(1)1位『心配させない』

   「心配をかけないで、平凡でいいから地道に生活すること」(50 代・女性)
   「普通に生きること。他人に迷惑をかけない」(30 代・男性)
   「自分が幸せで、いつも笑っていること」(40 代・女性)

(2)2位『元気でいる』

   「家族みんな仲良く元気でいること」(30 代・女性)
   「両親に自分達家族が元気だとまめに近況を伝えること」(50 代・女性)
   「健康で、日々はつらつと生きること」(70 代・男性)

(3)3位『会う』

   「まめに実家に顔を出し、様子を見てあげる事」(40 代・女性)
   「季節ごとに帰省すること」(60 代・男性)
   「今は病院に入院しているので お見舞いに行くこと」(60 代・男性)

(4)4位『長生きする』

   「特別なことは何もしない。単純に親より長く生きることだと思います」(30 代・男性)
   「健康で長生きすること」(50 代・男性)
   「親より先に死なないこと。親の最期を看取ること」(40 代・女性)

(5)5位『孫とのふれあい』

   「孫を連れて遊びに行く」(30 代・女性)
   「孫とふれあう機会を多くつくる」(40 代・男性)
   「娘の成長を見守ってもらうこと」(40 代・男性)

(6)6位『会話する』

   「遠く離れた両親に携帯電話をプレゼントして、2日に1度は30分以上会話」(40 代・女性)
   「時間があれば話し相手になり、気持ちを理解してあげること」(50 代・女性)
   「毎日、たわいのない会話をすること」(60 代・男性)

(7)7位『自立する』(20代:2位)

   「ひとりの社会人として自立すること」(20 代・女性)
   「立派に社会人として独立すること。たまに帰って寿司でも一緒につまむこと」(40 代・男性)

(8)7位『同居する』

   「一緒に暮らし、買い物に行き、親の面倒を見る」(20 代・女性)
   「親と同居して生活の世話をすること」(30 代・男性)

(9)9位『面倒をみる』

   「困ってるときにそばにいて助けてあげること」(40 代・女性)

(10)10位『旅行・レジャー』

   「旅行などの楽しい時間を一緒にすごす」(40 代・女性)

(11)その他

   「日常さりげなく頼り、生き甲斐を持たせてあげる」(40 代・女性)
   「親に適当に心配をかけながら、近くにいて時々顔を見せ、話し相手になる」(50 代・女性)

      (http://www.sumitomolife.co.jp/news/120807.pdf


           <感謝合掌 平成27年6月6日 頓首再拝>
12:伝統 :

2015/06/13 (Sat) 03:40:56


    *Web:世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」(2014/11/29(土) )より

『父母のおんとくは 天より高く 海より深し』


    ○孝を尽くし徳を養う

     かくのごとくの慈愛
     かくのごとくの苦労をつみて
     子の身を養い育てたれば

     人の子の一身
     毛一筋にいたるまで

     父母の千辛万苦(せんしんばんく)の
     厚恩(こうおん)ならざるはなし

              (中江藤樹 翁問答)

 
少年の頃、母が重い病にかかり病床にふせっているとの知らせを聞いた藤樹は、
すぐに故郷に帰り母を見舞いました。

けれども、藤樹の母は

「学問に励まなければならない時に、母が病気をしたぐらいで
故郷に帰ってくるとは何事ですか。」

と厳しく藤樹を叱って、とうとう家に入れませんでした。

そして、去り行く藤樹を見ながら母は彼の孝心に感謝をし涙を流して見送ったのでした。


この話は、親の本当の愛情と学問の厳しさを示す話として戦前の修身の教科書にも出ていました。

その後、藤樹は前にも増して学問に励み27歳の時に年老いた母の面倒をみるために
脱藩をして故郷に帰り、多くの門弟に儒学の一派である陽明学を説いたのでした。

陽明学は中国の明の時代に王陽明によって始められた学問で、
その特徴は「知行一致」、すなわち、人間はただ言っているだけでは駄目で、
必ず実践行動を伴わなくてはならないということでした。

中江藤樹は日本における陽明学の祖となりましたが、
そのながれからは大塩平八郎や幕末に長岡藩を率いて政府軍と戦った河井継之助など
勝敗成否に関係なく、ひたすら自ら信じるところにしたがって人生を生き抜き
「知行一致」を貫いた多くの偉材がでています。

       (http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/63657171.html

           <感謝合掌 平成27年6月13日 頓首再拝>
13:伝統 :

2015/06/20 (Sat) 04:42:26


        *「変わりたいあなたへの33のものがたり」植西 聰・著(story3)より

昔、ある孝行息子が、足腰の立たない父親を背負って、
お殿様のお通りを深々と頭を下げて見送っていました。

すると、その様子がお殿様の目にとまって、
「感心な若者じゃ、褒美をつかわせ」
と言うので、孝行息子はたくさんの物を頂戴しました。

貧しくて食べる物にも苦労していた孝行息子は、大喜びをしました。
そして、その日からますます親孝行をするようになりました。

その話を、親不幸で評判の男が聞きつけました。
「うまいことしやがった。オレもマネをして褒美にありつこう」
そう言って、次のお殿様がお通りになる際、イヤがる父親を無理やり背負って
道ばたで待ち受けました。

ところが、お側づきの家来は、その男が親不孝者だと知っていました。
そして、お殿様に、
「あいつはご褒美を目当てに、あんなマネをしているのです。
けしからん奴でございます」
と言いつけました。

それを聞いて、周りの人たちは、この男に、お殿様からおとがめがあるかと
緊張しました。

しかし、お殿様の反応は意外なものでした。
「ウソでもよいではないか。あの男にも、褒美をつかわせ。
親不孝者が孝行のマネをするとは、よいことだ」
と仰せられたのです。

そして、親孝行のふりをした若者にも、たくさんの褒美が与えられました。

その日以来、このお殿様の領内では、親孝行をするとご褒美がもらえるという
ウワサが広がり、褒美を目当てに、親孝行のマネがはやり出しました。

(中略)

それがウソでも、マネでも、親孝行の行いをされると、親たちは大喜びしました。

そして、自分の親が喜ぶ姿を見て、それまは褒美目当てに親孝行していた
息子たちの、気持ちが変わりました。

「親に喜んでもらえると、自分のうれしい」

そんな親孝行の楽しみに気づいたのです。

その町では、いつしか多くの若者たちが
両親をとても大切にするようになりました。

           <感謝合掌 平成27年6月20日 頓首再拝>
14:伝統 :

2015/06/27 (Sat) 03:51:12

【深い】年老いた父親に、腹が立ち激怒する息子。その瞬間、父親がとった意外な行動とは?

           *Web:TABI LABO(2015/04/30)より

親が年をとり、その言動についイライラしてしまう人も多いのではないでしょうか。
何で分からないんだ、なぜ何度も言わなきゃいけないんだ…。

でも、あなたが子どもの時のことを思い出してください。
一人前の大人になるまでに、親はもっと大変な思いをしてきたかもしれません。
ここで紹介する映像は、つい忘れてしまいがちな親への感謝を思い出させてくれます。



とある昼下がり、初老の父と息子は庭のベンチに座っています。
すると、一羽のスズメが彼らの前に現れました。

「あれは何だ?」と聞く父に、息子は始め「スズメだよ」と答えました。
そのスズメが移動するたびに、父は何度も何度も「あれは何?」と尋ねました。

ついに息子はしびれを切らし、どなってしまいます…。
しかしその後、父がした行動に思わずハッとさせられるのです。

息子から怒鳴りつけられた父は、静かに家に入り、何かを手にして戻ってきました。
日記帳のようなものをめくり、あるページを開き息子に読むように促します。
そして、息子は静かに読み始めたのです。


   今日、3歳になったばかりの幼い息子と公園のベンチに座っていると、
   目の前にスズメが現れた。

   息子は21回、あれは何?と私に尋ねた。

   私は21回「あれはスズメだよ」と答えた。

   すごく愛しくて、私はそのたびに息子を抱きしめた。
   決して腹を立てずに、優しい気持ちで何度も何度も・・・。


読み終えた息子は、父を強く抱きしめました。

(→ http://tabi-labo.com/122614/movie-father-son/  の中に動画があります)


実はこの動画、Youtubeで400万回以上再生され、多くの人に共感されているものです。

ついつい声を荒げてしまう前に、あなたが子どものころに両親がしてくれたことを
思い出してください。

両親が年老いたときに、彼らがしてくれたことをちゃんと返せていますか?

どれだけ両親があなたを愛し、根気強く大切に育ててきたか。

どんなに変わっても、かけがえのない自分の両親なのですから…。

           <感謝合掌 平成27年6月27日 頓首再拝>
15:伝統 :

2015/07/04 (Sat) 04:55:04


           *『真理』第五巻女性篇(P225~227)より

黒住教という宗教があります。

これはもう新興宗教というには余りに古いのでありまして、
宗派神道の方に入れられているのでありますが、
この黒住教祖の黒住宗忠という人は、幼い頃から非常に丘孝行であったのであります。

どれ程親孝行であったかといいますと、何でもたいへん曇っている日に使いに行く
ことになったのでありますが、お母さんが「雨が降りそうだから傘(からかさ)を
持って高足駄(たかあしだ)を履いて行きなさいよ」とこういわれた。

宗忠は母の言うままに高足駄を履いて出かけると、途中で出逢ったお父さんが、
「今日は天気だ。大丈夫だよ、草履を履いて行け」とこういわれた。

そこで「はい」といって、素直に片足に草履を履いて、片足に高足駄を履いて、
《ちんば》をひきながら用達しに行ったという位に、素直な人であったのです。


親孝行という問題、これは現在の民主主義時代には余り尊ばれないようでありますが、
しかし、これは大変な間違いです。

「孝は百行の基(もと)」という言葉もありますように、凡ゆる善徳の根源をなすものが、
この親孝行というものなのであります。

真に親孝行であれば富みますし、真に親孝行であれば肉体も健康になります。
何故(なぜ)ならそれは根を培うことになるからであります。

では、親孝行をするということは一体どうすればいいのであるかといいますと、
何も難しいことはないのであります。親の欲し給う如く、素直にその通りにして
あげたら、これが親孝行なのであります。

親の欲したまわないことを、勝手に人間智慧で、こうしたら善かろうか、
ああしたら善かろうかと思ってやると、親の好まないことを却(かえ)って
親に強制していることがあるものです。

「向わんと擬(ぎ)すれば却って乖(そむ)く」と云う語(ことば)もありますが、
人間智慧のはからいは駄目であります。


           <感謝合掌 平成27年7月4日 頓首再拝>
16:伝統 :

2015/07/12 (Sun) 03:39:01

【1.三大恩のこと】

             *「日新館童子訓」松平 容頌・著 より

人間は三つの恩があって生きている。
父母はこれを生み、藩主はこれを養い、師はこれを教える。

父母がいなければ生まれる事は無く、藩主がいなければ成長する事も無く、
師がいなければ物事を知る事は出来ない。

父母の恩は天地にも等しく、父母がいなければ今の我が身は無い。

母のお腹に宿った時から数ヶ月もの間様々な苦労をかけ、
生まれて後は母は濡れた夜具に眠り、子を乾いた布団に眠らせ、
子が寝れば母は身体を動かさず、夏の暑さ、冬の寒さも感じさせず、
父は子の安寧を祈り、衣服や薬などにも気を配る。

食べる様になれば、箸の使い方、行儀作法や言葉遣いなども教え、
先生を選び、諸事を習わせて物事に優れた人となる様にと願い、
年頃にもなれば嫁の心配もし、家を保ち、
先祖に恥ずかしくない様にと慈愛を持って育て上げる。

そして又、藩主にはその領地で採れる穀物を食べさせて頂き、
領国に住む者皆藩主の恩恵を頂いている。
藩主がいなければ国は乱れてしまう。

藩主から禄と位を受けている者は、先祖から孫子の代までも藩主の恩恵を受けて
養い育てられ、屋敷も従僕があるのも、先祖の徳、子孫への恵みも全てが藩主の
恩恵あってこそである。

親がいなければこの身も無く、藩主がいなければこの身を養う事さえ出来ない。
その恩に報いる様、人の行うべき正しい道を知らなければ、
人の顔を持っていても心は禽獣である。

師の教えに従って正しい道を学び、身を修めれば禽獣とはならずにすむ。

弓術、馬術、読み書き、算術、刀術、槍術など知らねばならぬ事をそれぞれの師に学べば、
物事も上達し、自分自身の嗜みにもなる。これも、大なる恩である。

良き友を選んで自分の過ちを聞けば共に良い方向に進み、これも恩恵を成す。

しかし、この恩恵に報いる事をせず、父母にも孝行せず、兄に対しても従順で無く、
藩主にも忠義無く、師にも敬う心無く、友にも信頼されない者はたとえ学問や諸芸に
通じていても何にもならない。

人を侮り、驕り高ぶり、あるいは遊惰に日々を費やす者は、終いには天の咎めを受ける。
自ら招いた事とは言え、実に嘆かわしい事である。

幼い頃からの躾は知らず知らずのうちに身に付き、いつか持って生まれたものと成り得る。
幼い頃からの毎日の行い、父母、師に良く仕え、良き友と交わる指針となる事を願って
この書を著した。年少の者達の学習にこの書が少しでも役立てば幸甚である。   


           <感謝合掌 平成27年7月12日 頓首再拝>
17:伝統 :

2015/07/20 (Mon) 03:56:23


      *Web:『小学生を勉強好きにする少し変わった導き方』(2011年07月09日)より

《親を憎む者の人生の悲劇》

東京学芸大学名誉教授 『鹿沼景揚』先生の文章
(「生まれ変わりの教育」日本教文社)を参考にしました。


どのような事情があっても、親を憎んでおりますと、
その憎しみによって傷つくのは自分自身です。
(親だけでなく人を憎む者は同様の不幸を呼んでしまう)

憎しみは、相手を傷つける前に自分自身を傷つけてしまうのは、
拳銃の弾が発射されるとき、まず自分の薬莢(やっきょう)の火薬が爆発して、
その薬莢自身を傷つけるのと同じようなものです。

その憎しみが親に向けられている場合は、
他の人の場合とちがった特殊な反応となってあらわれてきます。


《人生に対する劣等感》

親は、自分を生み出した直接の原因者ですから、
その親を憎むということは、自分の出生を呪うということにつながります。

こういう人たちのセルフイメージは、

「俺は、ついでに生まれてきたんだ」とか、
「副産物である」「親の性欲の犠牲になって生まれてきたんだ」
「自分のような人間は幸せになんてなれっこない」

といったようなものです。
 
それは、人生に対する生きがいと誇り、自己を価値ある存在であるといった
自分を尊重し大切に思う心(自己尊厳=じこそんげん)がありません。

したがって、自己を愛せないものは他を愛することができませんから、
自分の子供や、他人に対して傷つけるような行いを平気でしてしまいます。

(昨今の子供への虐待・子殺しなどのニュースがそれを物語っています。
彼らは例外なく自分の親に憎しみを抱いていることが考えられます)

ところが、親に徹底的に感謝が出来るようになると、
どんな劣等感も消え、人生が光り輝いてくるようになり、
その人は幸せな人生を送ることが出来るようになります。



《子供の反抗》

子は親の心の鏡です。
若夫婦が老いた両親に反抗していると、それを鏡に映すように、
子供がその若い親に反抗してくるのです。

子供が素直でない、強情である、反抗する・・・というような姿は、
すべて親を模倣(もほう)しているのです。

子供は実に親を導く人生の先生であります。
子供の姿を見て、自分が親にどのように接したらよいかが分かるのです。
 


《不幸な結婚》

親を憎んでいる者の結婚生活は不幸になります。
妻にとって、夫は「父代理」として父の投影として現れますから、
父を憎んでいると、どうしても夫を愛することができません。

父を通して夫を見るので、はじめから憎しみがうつってしまうことになるのです。

 
夫の場合は、妻の中に母の像を求めていますから、
母との関係が異常であると、妻との間がなめらかに行きません。
 
こういうわけで、父母を敬愛し、父母に感謝していると
結婚生活がうまくいく基礎ができるのです。
 
父母に反抗しながら強行した結婚生活がおおむね破綻に終わるのは、
こういう事情によるのです。

今からでも積極的に親孝行の生活になれば、いつでも新しい幸福が展開してきます。

     (http://ameblo.jp/arigatou22519/entry-10953377384.html

           <感謝合掌 平成27年7月20日 頓首再拝>
18:伝統 :

2015/07/29 (Wed) 04:39:24

             *「理想世界」誌(昭和54年4月号)より
             ~光明掲示板・第一(”山査子 さま”投稿記事)からの抜粋転写

皆さん、“孝は百行の基”という諺がありますが、
親孝行をすると、“牝鹿の脚”に乗るように高いエレヴェーターに昇るんです。
そして別の高い次元の神聖な世界に出るのです。本当です。

それは消極的に他を赦したり、罪あるものを赦すだけじゃないんです。
積極的な徳を積むことになるのです。

現代の、それも戦後の多くの少年や青年は親を愛するどころか親を憎んだりしとるんですね。
それは戦後の教育が占領軍の仕組んだ日本人の徳性を破壊する目的で指導せられているからです。

親を憎んだり怨んだりしているから、魂がこの高きレヴェルへ昇るエレヴェーターに乗れないで、
奈落の底へ降りるようなエレヴェーターに乗っとることになり、自分の生命の価値を見失い、
小学生や中学生で自殺する者が多く出てくるのであります。


《親孝行をしていると、自分の生命の尊厳さが解る》

本当に親孝行の心を起こすと、親を尊敬できるから、
その親から生まれた自分が尊いことがわかるのです。

そんなら親孝行とはどうするんだということになるんですが、
端的に言えば、親のよろこび給うようにしてあげたいという心、
これが親孝行の心なんです。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1207

           <感謝合掌 平成27年7月29日 頓首再拝>
19:伝統 :

2015/08/06 (Thu) 04:38:30


            *『白鳩』誌(昭和42年5月号) より

人間は“神の子”だと子供に教えましても、
人間はお母さんから生まれたのであって、お母さんから生まれた子供が
どうして“神の子”なのかわからないと思う子供もたくさんあるでしょう。

それどころか、「私はお母さんのお腹から生まれたのに、どうしてお父さんの子なの?」 
と訊く子供もあります。 これにはお母さんも時には返事に困ってしまうことがあり勝です。

 
神様は、“生命の種子”を天降して、お母さんになる人のお腹に宿すのです。 
それをお腹に宿してから育てる役目がお母さんです。 

それは植木鉢に朝顔の種子を植えるようなものです。 
“生命の種子”は神様の生命が天降って来るのです。 
その種子が植えつけられて育てる植木鉢の働きをするのが母親の胎内です。 

 
しかし朝顔の種子は植木鉢に植付けてさえ置けばそれで立派に生長して花咲くでしょうか。 
それを立派に生長させて花を咲かせるためには、太陽の温い光に毎日多少とも
当ててやらねばなりません。 

曇っている日も雨の降る日も、気がつかないかも知れないが、
太陽の温い光はふりそそいで来ていて、植木鉢の朝顔は生長するのです。

 
それと同じように父親の温い愛情が常にお母さんのお腹の中に宿っている“生命”にそそがれて、
その“生命”が生長して胎児となり、更に赤ん坊として花咲くように生まれ出るのです。 

だから、子供はお父さんとお母さんとの合作みたいなものなんです。 
だからお父さんにも似ているし、お母さんにも似ているのです。


◆ お父さんがいないでも“お父さんの子”だ

お父さんとお母さんになる人間がいても、
神さまから、「生命の種子」ともいうべき“生命の原理”が天降って来ないと、
お父さんとお母さんとの努力だけでは子供は生まれません。 

だから子供は神から来た“生命”ですから、“神の子”というのです。 
“神さまの生命”は“種子”、お母さんは“土”、お父さんは“日光”というようなものです。 

お母さんのお腹に子供が妊娠してからお父さんが死んだり、
どこかへ往っていなくなったりしても、一度そそがれたお父さんの愛情の温かさは
お母さんのお腹に残っていて、その子供を日光のように育てるのです。 

お父さんはたとい此の世から死んでしまっていても、
霊界でその子供のことを思い愛情をそそいでいるものです。 

お父さんは何かの事情で家庭を離れていても常に太陽の光が注いでいるように、
お母さんのお腹にいる子供のことを思っているものです。 

だからその子供は育つのであり、従って、お父さんがその家庭にいない子供でも
やはり“お父さんの子”なのです。

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/3d6501753b0b10133e6d3a47686d1c6a

           <感謝合掌 平成27年8月6日 頓首再拝>
20:伝統 :

2015/08/08 (Sat) 04:45:57

今日8月8日は【親孝行の日】。

父母を大切にする精神を全国に広めるために、
親孝行全国推進運動本部が1989年(平成元年)に制定。
「8(ハハ=母)8(パパ=父)の語呂合わせ。

・・・

           *Web:福娘童話集より

むかしむかし、あるところに、とても貧乏な母親と娘が暮らしていました。
 
娘はまだ子どもでしたが、身体の弱い母親の為に一生懸命に働き、
仕事の帰りには母親の薬と食べ物を買って帰る毎日を続けていました。
 
そんな健気な親孝行ぶりが評判になって、お城にいる殿さまの耳にも届いたのです。

「病気の母親の為に働くとは、今どき感心な話だ。
 若い娘らしいが、何かほうびを取らせてやりたいのう。
 これ、誰か行って、その評判が本当かどうか確かめて来い」

殿さまに命令された家来が、さっそくその村へ行って色々と聞き回りました。

するとその評判は大したもので、誰もが口々にその娘をほめるのです。
それを聞いた家来も、自分の事の様に嬉しくなって、

「素晴らしい。早く、その娘を見たいものだ」

と、急いでその親子の住んでいる家に行きました。

そして障子の穴から中の様子を見てみると、
ちょうど晩ご飯を食べているところでした。

(うわさ通りの娘なら、きっと自分は粗末な物で我慢をして、
母親に栄養のある物を食べさせているだろう)

家来はそう思って見ていたのですが、よくよく見てみると
母親は黒っぽい妙なご飯を食べているし、娘は白いご飯を食べているのです。

(はて? 聞いていたのとは大違いだな。
まあ、たまにはそんな事もあるのかもしれない)

家来はそう考えて、なおも観察していると、娘はご飯を食べ終わった後、
食事の後片付けもしないで、母親がまだ湯を飲んでいるのに、
さっさとふとんに入って寝てしまったのです。

(なっ、なんだこの娘は! 
親孝行どころか、まったくもって親不孝な娘だ! けしからん!)

家来はカンカンに怒って、お城へ帰ると見て来た事を殿さまに伝えました。

「親孝行のうわさなど、全くのでたらめです。
 近所でも評判が良いので期待をしていたのですが、
 まったく、家の内と外では大違い。

 何と病人の母親には黒い妙なご飯を食わせておいて、
 自分は白いご飯を食べているのです。

 おまけに母親がまだ食べ終わらないうちに、
 あの娘はゴロリとふとんに潜り込んでしまうのです」

それを聞いた殿さまも、カンカンに怒りました。

「それがまことなら、評判とはあべこべではないか!
 そんな娘は、ほうびどころか、きつく罰を与えねばならぬ!
 明日にでも、その娘を召し出せ!」

 次の日、娘はお城に召し出されました。
 その娘を、殿さまが直々に取り調べます。

「お前は母親に、黒い、まずそうな物を食わせて、
自分は白い飯を食っていると言うが、それはどういうわけだ?!」

すると娘は、びっくりした様子で答えました。

「わたしの家は貧乏で、白いお米のご飯は食べられません。
 病気のお母さんには少しでも力がつく様にと、
 粟の入ったご飯を食べてもらっています。
 そしてわたしは、豆腐屋さんにオカラを分けてもらって、
 それを食べているのです」

「へっ? そうなのか?
 ・・・しかしそれでは、母親がまだご膳が終えないうちに、
 お前は夜具の中へ入って寝るというが、それはどういうわけだ?!」

「はい。それはそのまま寝ては、お母さんが寝る時にふとんが冷たいからです。
 わたしが先にふとんに入って、ふとんを温めていたのです」

「なるほど。
 母親の黒いのは粟飯で、お前のは白米ではなくオカラであったか。
 う―ん、お前は毎日そうしているのか?」

「はい、お米なんて、とても買えませんから」

「そして夜具も、お前が温めていたのだな」

「はい」

それを聞いた殿さまは、思わず涙をこぼしました。

「なんとも、けなげな事よ。
 すまぬ、わしは、とんでもない勘違いをしてしまった」

そして家来に命じて、たくさんの褒美を持ってこさせました。

「お前に、この褒美をやろう。これからも、親孝行を続けるのだぞ」

こうして親孝行な娘と母親は、
殿さまにもらった褒美で一生幸せに暮らしたいう事です。

           <感謝合掌 平成27年8月8日 頓首再拝>
21:伝統 :

2015/08/30 (Sun) 04:25:29


        *「生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える」
          飯田史彦・著 (P284~288)より

たとえ、だれがみても「未熟な人間」「いやな人間」と感じる人間であるにしても、
あなたにとっては、この世でたった二人しかいない、「親」という特別な存在なのです。
子供であるあなたこそが、いかなる問題があったとしても、最後まで守り通してあげるべき
ではありませんか。

なぜなら、あなた自身が、その両親を「自分で選んで生まれてきた」のですから。

もしも「手に負えない、いやな親だ」と感じたならば、それこそが、あなたがその両親を
選んだ大きな理由なのです。自分と親とのあいだに重大な問題が横たわっているならば、
あなたが自分に与えた問題であり、挑戦すべき課題なのです。

もちろん、人と人のあいだの問題は、両方の問題であり、
片方だけががまんして済ませるものではありません。

しかし、ほかの人間関係と違って、親と子とのあいだの問題については、
親の方があなたを選んだのではなく、あなたの方がその親を自分の意志で選んだのです。

まず、あなたの方が先に、どのような親であったとしても、
この世に命を与えてくれた両親に感謝し、許し、認め、守ってあげなければなりません。

そして、両親がこの世で最期の瞬間を迎えるまで、
あなたは、精一杯の感謝の言動をとる必要があります。

今度あなたが死の瞬間を迎えたあと、その理由がすべて明らかになるでしょう。

自分がどうしてその両親を選んだのか、その両親を選ぶことにより、
自分は自分にどのような成長を求めたのか、ぜひとも考えてみてください。
そこには、かならず、大きな理由があるはずです。

そして、「しばらく両親と話をしていないなあ」という方、
電話をかけ、今度の長期休暇では、ふるさとに帰ってみてはいかがですか?


なにしろ、この世に命を与えてくれた両親たちと、あとどのくらいこの世でともに
過すことができるのか、わからないのです。あの世でふたたび出会った時、たがいに
懐かしく思い出を語り合えるよう、今この世にいるうちに、両親を精一杯喜ばせて
あげてください。

あなたが両親に対する姿を、あなたの子供たちが、じっと見て学んでいるのです。

           <感謝合掌 平成27年8月30日 頓首再拝>
22:伝統 :

2015/10/02 (Fri) 04:43:19


        *「信仰百話」橋本徹馬・著より

「親は前世における自分の因果を現している。
だから前世の自分がどんなであったかを知りたければ親を見よ」

ということになるのですが、そのような親子関係の中でも、
最も極端な例を挙げてお話します。

この間或る地方の誌友から来た手紙に

「私の父は若い時に、村の娘にいらずらをして私を妊ませ、生まれるとすぐ
その子を里子に出したのが私です。そうして実父はその後他の女と結婚し、
実母も嫁入りをしています・・・・」

とありました。

その人はその事について、私の意見を求めたのではないが、別の事でお返事を書いたあとへ

「前世の因縁を考えると、あなたは実父母を恨むべきではありません」と書き添えました。

突然聞くと、その人が如何にも気の毒であり、その実父母が如何にも無責任極まるように
思われるのですが、然しよく考えて見ると、その人は前世において、
自分もそのようなことをした人に違いない。

その因縁によって現世でそんな目に遭ったのだと思えば、
その人は親を恨むどころではなく、大いに自ら反省しなければならぬのだと思います。


また或るところに、いつも腹立たしげな顔付きをしている人がありました。
「あの人はどこか腹でも悪いのではないか」と噂していましたが、
実は身体は非常に健康なのです。

よく聞いて見ると、その人は実父母を全然知らないのです。
生まれるとすぐに両親がその素性をかくして、その子を他人に渡してしまったのです。

「大きくなってから尋ねようと思っても、全然尋ねようもない親、なんという親だ。
そんなのなら、なんで子を造ったか」というのが、その人のつきざる腹立ちなのです。


けれども若しその人が過去世において、自分もそんなことをした因果があるから、
現世においてそんな目に遭ったのだと思えば、親を恨んでばかりはいられないでしょう。
その人の子は小児マヒです。


もっとヒドイのは、親に殺されそうな目に遭いながら、育って来ている人があります。

そんなのはいくら親を恨んでも足らぬようですが、過去世で自分もわが子に対して、
そんなであったのではないかと思えば、親を恨むどころではないです。


世の親に恨みを持てる子、子に恨みを持てる親は、先ず自分の性格境遇から考えて、
過去世を反省して見る必要があります。

そうして「そうであったか」と自己反省をして、
恨みを忘れるのみか、現世で従来以上に世のため人のためにつくす時、
その人は立派な人となり、幸運にも恵まれるのであると思います。

  ○ 事情の如何に拘らず、親を恨む者は必ず禍をうける。

  ○ どんな親にでも孝行をすれば、必ず善果を得る。
                                        
           <感謝合掌 平成27年10月2日 頓首再拝>
23:伝統 :

2015/10/23 (Fri) 04:01:31

風樹の嘆【ふうじゅのたん】

            *「親の心」木村耕一(編著)より

孔子 風樹の嘆
   ~孝行のしたい時分に親はなし 石に布団は着せられず

 今から約2千5百年前のことである。

 孔子が斉(せい)の国へ向かっていた時、前方から、大きな泣き声が聞こえてきた。
 「大層悲しそうだが、どうも普通ではない」と言って、馬車のスピードを上げさせた。

 少し駆けた所で、号泣している男を発見した。

 孔子は車から降りて、彼に尋ねた。

 「あなたは、どなたですか」

 「丘吾子(きゅうごし)という者です」


 「葬式があったようにも見えませんが、なぜ、そんなに泣くのですか」

 「私は、大変な過ちを犯したのです。晩年になって気がついて後悔しましたが、
 今さらどうにもなりません」


 「どんな過ちか、聞かせていただけませんか」

 「若いころから、私は、学問が好きで、諸国を巡っておりました。
 ある日、学問の道にはキリがないので、これくらいで郷里に帰ろうと思いました。
 年老いた父母のことが心配になってきたのです。

 しかし、家に戻ってみると、両親は、すでに亡くなっておりました。
 木が静かに立っていようと思っても風がやまないように、子供が親を養おうと思っても、
 親はその時まで待っていてはくれません。

 過ぎ去って二度と帰ってこないのは、歳月です。
 二度と会うことができないのは、親です」


 ここまで言って、男は、水中に身を投げて死んでしまった。

 孔子は、弟子たちに、

 「これは一人ひとりが教訓としなければならない大切なことだ。
 この、哀れな男と同じ過ちを犯さないように」と言った。

 「親不孝をしている」という負い目は、誰にでもあるだろう。
 丘吾子の姿は、よほど強い衝撃を与えたようだ。

 すぐに、13人の弟子が、

 「父母のことが心配です。万一のことがあっては、取り返しがつきませんので、
 本日限りで、おいとまを頂きたいと思います」

 と願い出て、孔子の門に別れを告げ、郷里へ急いだという。


 ここから、父母が死んでしまい孝行できない嘆きを「風樹の嘆」というようになった。

 日本でも、昔から、

 「孝行の したい時分に おやはなし」

 「石に布団は着せられず」

 といわれている。 

・・・

<参考>

 漢代の三家の学を伝える『韓詩外伝』(巻九)「風樹の嘆き」では、次のようになっております。

  樹欲静而風不止
  子欲養而親不待也
  往而不可得見者親也

  (樹静かならんと欲すれども風止まず
   子養わんと欲すれども親待たざるなり
   往きて見るを得べからざるは親なり)


 風樹は、風に吹かれて揺れる木のことです。
 木は静かにしたいと思っても風を止めることが出来るわけではないので、
 どうすることも出来ないように、思うとおりには出来ないことと云う意味があります。

 韓詩外伝ではさらに、

 「・・・往(ゆ)きて見るを得(う)べからざる者は親なり」と続きます。

 一旦あの世に行ってしまえば二度と会えない者は親であるという意味です。


           <感謝合掌 平成27年10月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2015/11/05 (Thu) 03:08:17


       *「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
         (P62~63)より

名古屋市緑区の小川真由美さん(44)には高校2年と中学3年の娘さんがいる。
下のお子さんが中学生になった時、2人を残して初めて夫婦二人で5日間の旅行に出掛けた。

自立心を育てるためだ。
特に家事を教えていたわけではないが、弁当も自分たちで作り学校へ持って行った。

さて、今回が3回目。 帰宅すると、洗濯も炊事もちゃんとやっていた様子。
家族がいつもの生活に戻ったある日のこと。

晩ご飯を作っていると、中学生の娘さんがその様子をそばで見ていてボソッと一言。

「お母さんてすごいね」

その日は、牛肉と野菜を使ったちょっと凝った献立だった。
留守中に料理で苦労をしたからか、感心してくれたらしい。

「私がいない間に料理も掃除もアイロン掛けも頑張ったあなたたちの方がすごいわよ」
と褒めた。

すると、
「自分は一品作るだけで大変。お母さんはおいしい料理を手早く何品も作れるからすごいよ」
と言う。

そこへ高校の娘さんが帰って来た。
「あー、やっぱり帰って来て、ご飯が出来ていて、お風呂が沸いているのっていいねー」
とうれしそうに言った。

普段は二人とも「ボタンが取れちゃった、付けといて」とか
「おなかすいたー何かないー」と口にする。

でも、短い期間でも家を空けたことで、当たり前だと思っていたことも、
誰かがやっていること、誰かがやらないと回らないことに気づいた様子。

小川さんはお子さんたちの成長がなによりの喜びだったという。
そして料理を褒められたことも。

《ほろほろ通信/中日新聞 2010.01.31 掲載》


【志賀内からのメッセージ】

過保護に育った私には耳が痛い話です。
いまさらながら亡くなった両親に感謝。


           <感謝合掌 平成27年11月5日 頓首再拝>
25:伝統 :

2015/11/14 (Sat) 04:18:41


       *「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
         (P98~99)より

瀬戸市の加藤太伸さん(57)には、、23歳になる娘さんがいる。
幼いころは、風呂に入る時も寝る時もお父さんと一緒だった。

ところが、小学5年のある日のこと、「お父さんとはお風呂に入らない」と言い出した。
次第に父親を避けるようになる。

高校に入ると加藤さんが帰宅して車の音がするだけで、自分の部屋にこもってしまう。
さらに「お父さんから離れたい」と東京の大学は行き、そのまま就職して戻ってこなくなった。

寂しかった。

そこで加藤さんは、娘さんに毎日のようにはがきを書き始めた。

「おまえの事をいつも思っているよ」と伝えたくて。

でも一度も返事はなかった。


東京へ行って1年目の冬のこと。
奥さんと一緒に、初めて娘さんの元を訪ねた。

「バイトがあるから」と言われ、夜の8時に渋谷駅のハチ公前で待ち合わせをした。

「なぜ夜まで待たないといけないんだ」と聞き返したが、
「どうしても」という。

加藤さん夫婦は「男友達でも紹介されるのか」と心配になった。
そこへ娘さんがやって来た。

ところが「8時まで待って」と言う。
ますます不安になった。
「いったい誰が来るのだろう・・・」

8時になった。
娘さんが「ほら」とビルの大きな電光画面を指差した。

そこには、

「おとん。おかん。めいわくかけてゴメンナサイ」

という文字が映し出されていた。


涙で何も見えなくなってしまった。

「以来、時々メールではがきについてコメントを送ってくれます。
 たまに帰ってくると、私が送ったはがきを日付順にファイルして見せてくれます」

と、加藤さんはうれしそうに言う。

《ほろほろ通信/中日新聞 2009.05.24掲載》


【志賀内からのメッセージ】

泣けました。泣けました。なんて心憎い演出。

ついつい冷たくしていても、わかっているんですよね。
親の気持ちを。

           <感謝合掌 平成27年11月14日 頓首再拝>
26:伝統 :

2015/11/21 (Sat) 04:32:08


         *「生きる勇気が湧いてくる魔法のほめ言葉」沢登 春仁 /土屋 松雄・著
          (P95)より

これは、作家吉川英治の一人娘曙美さんの結婚式前夜の話である。


夕食を3人ですまして、吉川英治が、「オヤスミ」と2階へ上がろうとした時、
「曙美チャン」と文子夫人が、曙美さんを呼び、3人が、お互いに向き合ったその途端に、
お互いの首にかじりついてオイオイ声をあげて泣いてしまった。

その後に続くのが次の会話である。

「御父さんに何か言いたい事があったら、お言い・・・」

「こんな素晴らしい両親をもって、私は本当に幸せです。有難うございました・・・」

それに対して父英治は

「それだけ思ってくれれば、もう、思い残すことはない」

と言った。


これは、日本での娘を嫁がせる前夜の風景である。

だが、最近は、披露宴で両親に対して新婦の感謝の言葉が代読されるようになり、
この前夜の風景がなくなってきている。


           <感謝合掌 平成27年11月21日 頓首再拝>
27:伝統 :

2015/11/30 (Mon) 04:00:36


          *「親が死ぬまでにしたい55のこと」親孝行実行委員会 (著)より


1、親の肩をもんであげる 
2、母子手帳を見せてもらう
3、父とキャッチボールをする

4、親に手料理をふるまう 
5、メールの操作を教えてあげる 
6、親の背中を流す 

7、孫を抱かせてあげる 
8、親を海外旅行に連れて行く 
9、親の好きなところを10個書き出す

10、余命宣告するべきか考えておく 
11、我が家の味を教えてもらう 
12、家族が集う日を決める 

13、親の初恋を聞く 
14、親とケンカしたことを思い出す 
15、家族揃って記念写真を撮る 

16、親と一緒に酒を酌み交わす 
17、自分の誕生日に親へプレゼントする 
18、両親を思い出の場所に連れて行く

19、おふくろの料理を喜んで食べる 
20、親が買ってくれた嬉しかったものを話す
21、携帯電話で親の写真を撮る 

22、父に腕組みしてあげる
23、親子でショッピングに出かける
24、親を一緒にアルバムを見る 

25、親の夢を聞く
26、用事がなくても親に電話してみる
27、親のカレンダーを作ってあげる 

28、親が自分にかけたお金を計算する
29、親の若い頃の写真を見る
30、自分が最初にしゃべった言葉を聞く 

31、親の結婚記念日をお祝いする 
32、自分が生まれたときの話を聞く 
33、大切な品を買い戻してあげる 

34、両親の馴れ初めを聞く 
35、親の誕生日を手帳に記す
36、親の悩みを聞く 

37、初めてぶたれたときの話を聞く
38、親にとって仕事とは何かを聞く 
39、自分で稼いだお金でご馳走する

40、オーダーメイドの服を仕立ててあげる
41、親を人間ドッグに招待する 
42、親を心配させてたことを聞く 

43、親の趣味を共有する 
44、親に手紙を送る 
45、親と一緒にコンサートに行く

46、一緒にディズニーランドに行く 
47、お正月を一緒に過ごす 
48、自分の名前の由来を聞く

49、年末の大掃除を手伝う 
50、親のビデオを撮っておく
51、親に花をプレゼントする

52、親の髪を切ってあげる 
53、親の名前を改めて書いてみる
54、親にありがとうと伝える
55、親に会いに行く 

           <感謝合掌 平成27年11月30日 頓首再拝>
28:伝統 :

2015/12/14 (Mon) 03:35:58


            *「小さな幸せに気づく24の物語」中山和義・著(P13~15)より
 
友人から考えさせられる話を聞いたのでご紹介します。
 
ある小学生の男の子が急な雨に降られて、ずぶ濡れになって家に帰ってきました。
 
お母さんはすぐにお風呂に入れて風邪をひかせないように早目に寝かせました。
 
次の日、いつものように母親が起こそうとしたのですが男の子は起きることができません。
起きようとしても体が布団の上から動けないのです。
 
驚いた母親が医師に見てもらったところ、
進行性の筋ジストロフィーであることが分かりました。

 「この子はながくとも20歳までしか生きられない」

と医師に言われました。

その夜、お母さんはお父さんに子どもの病気のことを話したのですが、
寝つかれなかった男の子は自分が20歳までしか生きることができない
という話を聞いてしまいました。

その後、男の子は車いすに乗りながら学校に通いました。
 
中学生になる頃、お父さんが男の子に、

 「将来、何になりたいんだ? どこの中学に行きたいんだ?」

と尋ねました。男の子は、

「僕をもう、これ以上騙すことはやめてほしい、
僕が20歳までしか生きられないことは話を聞いて知っている。
僕は学校の先生が『一日に一つ良いことをしなさい』と言ったので、
1日3つ良いことをしようと思う。そうすれば60歳まで生きたのと同じになるから…」

と目に涙を浮かべながら話しました。

驚いて何も言えないお父さんに男の子は、

「僕は中学には行かない。それよりも、洋服の仕立て人になるために見習いに行きたい。
死ぬまでにお父さんとお母さんのおそろいの服を作って、
着てもらった姿を見てから死んで生きたい」

と続けて話しました。


人生はどのくらい長く生きたのではなくて、
どのくらい真剣に生きたのかが問われるのだと思いました。

この男の子に負けないように、真剣に毎日を過ごさないといけないですね。

              <感謝合掌 平成27年12月14日 頓首再拝>
29:伝統 :

2015/12/21 (Mon) 04:43:32

天照大御神われに生きる自覚  ―  私たちは父母を通して神につながる

             *『生長の家』誌(昭和45年12月号)より

黒住教祖 宗忠尊師は自己が労咳 〈肺病〉 に罹って次第に病勢が増悪し、
愈々医師が匙を投げ、“ここ数日の寿命だ” と宣告したとき、『孝経』 にある 
『身体髪膚これ父母に受く、これを毀傷せざるは孝のはじめなり』 の語を思い起し、

 
「父母から身体髪膚を受けてこれを傷つけないことすら必要であるのに自分は、
父母の死に接して、父母から受けたところの身体髪膚よりも尚々貴い “心” というものを、
毎日毎日、悲しみによって切りきざんで傷つけていた。 

何という親不孝な者であったろう。 

今日からこの “心” を、たとい生きている間が、もう数日であろうとも、
傷つけることを止めて、明るい心になって楽しませてあげよう」 と決意して、 

 
翌朝、身を潔めて、海岸に出で、将にさし昇ろうとする朝日にむかって礼拝し、
明るい心になり、胸を張って、太陽から輝き出でたる霊光を深呼吸して吸ったとき、
日之大神の聖霊自己に流れ入って、最早 “肉体” の自分ではない。 

「天照大御神われに入って生き給う自である」 との自覚を得られて、
歓喜きわまりなく1週間余も笑いつづけて、その歓喜が静かなる悦びに落ち着いて来て、
自分の身体を顧ると、既に病気は消えていたのであった。


この自覚こそ華厳経の説く 「盧遮那仏われにありて説法したまう」 の
自覚とひとつなのである。 

あらゆる宗教はその神髄に至るとき一つの真理に帰一するのである。

黒住宗忠尊師が 「天照大御神われにありて生く」 の自覚を得られたそ
の心の準備となったものが、親孝行の考えであったことを看過してはならないのである。

もし宗忠が “自分の心を傷つけることは親不孝だからやめましょう” という
反省が起らなかったならば、彼は海岸に出て朝日を礼拝することもなかったであろうし、
また従って、太陽の霊光を深呼吸して、天照大御神のいのちを直受する自覚も得られなかった
に相違ないのである。

人間は “神の子” であり、神につながる我が生命であるけれども、
それは父母を通して、神につながるわがいのちを受けたのであるから、
父母から断絶して親不孝の “心の状態” では、神からの啓示を受けることも
出来ないと言い得るのである。

 
だから大調和の神示には 

「神に感謝しても父母に感謝し得ぬ者は神の心にかなはぬ」 

と示されているのである。

     (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18964363.html より転写)

              <感謝合掌 平成27年12月21日 頓首再拝>
30:伝統 :

2015/12/28 (Mon) 04:41:15


          *Web:房総の昔ばなし より

むかしむかし、ずーっと昔のことでした。

ある秋の昼下がり。神様が御宿の浅間山(せんげんやま)のてっぺんに立って、
田んぼをながめていらっしゃった。

「今年も稲のできぐわいはいいのう。人間も動物も安心して冬を迎(むか)えられる」

神様はひとりごとをつぶやいていると、一羽のトンビがあわてて飛んできました。

そうして、
「神様、神様、たいへんです」
と、早口にいうのです。

「そんなにあわててどうしたのだ」

神様がたずねると

「どうしたのって、小鳥たちのお父さんが病気です。
ひょっとしたら、命があぶないかもしれません」
といいました。神様はすぐに

「そりゃ大変だ。すぐに小鳥たちに知らせなくては」

というが早いか
カーン、カーン
と鐘(かね)をならしました。

「どうした。どうした。何がおきたのだ」
とスズメやツバメやカラスやコウモリが急いで浅間山(せんげんやま)にやってきました。

「じつは、お前たち小鳥のお父さんが病気で命があぶないというのだ」
と神様が説明すると

「それではすぐに一族(いちぞく)を引き連れてまいります」
と言うとそれぞれの家にむかいました。

スズメは
「とりあえず急いでお父さんの所に行かなくては」
とスズメ一族(いちぞく)でお父さんの所に飛んで行きました。
おかげで今にも死にそうな小鳥のお父さんに会うことができました。


ツバメの一族(いちぞく)は
「出かけるのだから、身なりをきちんとしてお化粧(けしょう)をしよう」
とたんねんにお化粧(けしょう)をしました。
おかげで、お父さんの最後には間に合いませんでした。

後でこのことを知った神様は
「スズメ一族(いちぞく)の孝行ぶりはえらい。たいしたものだ。
ほうびにこれからは人間と同じように穀物(こくもつ)を食べることをゆるそう」
とおっしゃいました。

一方、おくれて来たツバメたちにはこうおっしゃいました。
「親の死に目に化粧(けしょう)をしていておくれるとは、何事じゃ。
今後、お前たちは穀物(こくもつ)いっさい口にしてはならない」

「は、はい・・・・・」

「稲の実るころになったら、日本の国にいてはならない」

とおしかりになりました。

一方、遊び好きのコウモリは
「お父さんの病気はすぐによくなるだろう。それよりも遊ぶほうがいそがしい」
とお父さんの死んだのも知らずに遊んでいました。

神様は大おこりされました。

「お前たちは親が死にそうだというのに遊んでいるとは何事じゃ」

顔を真っ赤にして怒鳴(どな)りました。
コウモリはただ下をむいて神様のおしかりをきくしかありませんでした。

そして最後に
「お前たちのようなものは鳥の仲間から追放(ついほう)じゃ」
とおっしゃいました。

鳥の仲間から、のけものにされたコウモリは獣(けもの)の仲間に入ろうと
獣(けもの)たちの所に行きました。

しかし、獣(けもの)たちも
「親不孝(おやふこう)なやつとは仲良くできない」
と仲間にいれませんでした。

それでしかたなく、こうもりは昼間、暗いほら穴(あな)にかくれ、
じっと昔の仲間の小鳥たちの遊び声をきき、夜になるとこっそりほら穴(あな)から出て
食べ物をさがすようにようになりました。

おしまい

      (http://www.boso-legend.com/story/0069/

              <感謝合掌 平成27年12月28日 頓首再拝>
31:伝統 :

2016/01/05 (Tue) 04:02:12


           *Web:三峰川資料館 より

長谷村には昔から次のような民話…孝行猿物語が伝わっています。
 
村に勘助(かんすけ)という腕利きの猟師が住んでいました。

冬も近付いたある日、勘助は火縄銃を手に猟に出たが、
その日は不猟で兔(うさぎ)一匹捕れませんでした。

諦(あきら)めて帰ろうとしていた時、
木の上に大きな猿が一匹居眠りをしているのが見えました。

気が進まなかったが、他に獲物もないため手ぶらで帰るよりはよいと思い、
一発でこれを仕留めました。

後ろの山路で悲しげな猿の声が聞こえましたが、
あまり気にも止めないで家路へと急ぎました。

家に戻り、仕留めた猿の両手両足を縛って囲炉裏(いろり)端に吊(つ)るすと、
皮は翌朝剥(は)ぎ取ることにして、夕食もそこそこにして寝てしまいました。

夜中に物音に気付いて目を覚ますと、
隣の部屋との隙間(すきま)がかすかに明るく見えます。

戸の隙間から覗(のぞ)いて見ると、どこから入って来たのか、
囲炉裏の周りに子猿が3匹います。

一匹が囲炉裏の火で手をあぶっては、四つん這いになった二匹を踏み台に、
吊るされた猿の傷口に手を当て温めていました。

勘助が撃(う)ち殺した猿の子供たちが、親猿を何とか生き返らせようとして、
囲炉裏と親猿の間をしきりに行き来していたのでした。
 
「ああ! 昨日帰りに鳴いた猿は、この子猿たちだったのか! 」
どうにかして親猿を生き返らせたいと、夜中に一生懸命に手当している
子猿たちを見ていると健気(けなげ)に思えてなりませんでした。

「私は、生計を立てようとして、何故(なぜ)こんな情けないことをしてしまったのか」と
先非を悔いました。

子猿たちは、夜明けとともに山へ去っていきました。

親子の愛情に深く心を打たれた勘助は、夜が明けると、親猿を背負って裏山に登り、
大きな一本松の木の根元に葬(ほうむ)って手厚く母猿の霊を慰(なぐ さ)めました。
また、祠(ほこら)を建ててせめてもの心尽くしとしました。

勘助は、猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔して、猟師を廃業しました。

そして、頭を剃(そ)って一心不乱の念仏者になり、
諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出たといいいます。

     (http://www.cbr.mlit.go.jp/mibuso/siryou_kan/05saru.html

              <感謝合掌 平成28年1月5日 頓首再拝>
32:伝統 :

2016/01/12 (Tue) 04:21:07

         *Web:週刊女性 PRIME(2015.11.03)より         

Q:両親は田舎に住んでいる。
  私は仕事で東京で生活している。

  仕事上、地元に帰って親の面倒をみることはできず、
  金銭的な余裕もありません。

  こういった場合はどうしたらよいか?


A:

(1)基本的には「親の面倒や介護は子供が看るのがいちばんいい」。

   育ててくれた恩を忘れないことがとても大切なのです。

(2)子どもは何のために生まれてくるのかというと、
   「親の面倒をみるため」。

   親が子どもを育てることと、子どもが年老いた親の面倒をみることは、
   対の使命なのです。これを繰り返しながら血が繋がっていくのです。

(3)だからと言って、認知症や病状がかなり進んだ親を子どもがひとりで看ていたら
   共倒れになってしまいます。

   それを避けるためには、プロに任せることも必要です。
   そこの線引きは経済状況や家族構成によって変わってきますが、
   自分で「よく頑張った」と思えるくらい面倒みたかどうかが基準になります。

(4)人は恩を忘れると運がぐーんと落ちるのです。
   親は自分にとって恩人中の恩人です。

   まずは、親の役に立とうとすることがとても大切なのです。
   はじめからプロに任せるのは、自分のためにも良くないのです。

   (http://www.jprime.jp/tv_net/human/20292 より要約)

              <感謝合掌 平成28年1月12日 頓首再拝>
33:伝統 :

2016/01/21 (Thu) 04:14:57

         *Web:週刊女性 PRIME(2015.11.16)より   


Q:

基本として『子が親の面倒をみたほうがよい』ということでしたが、
私の場合、両親はかなり遠くに住んでいて、金銭的にもこちらに呼ぶということはできませんし、
親も親で、生まれ育った地元から離れることを望んでいません。

地元の施設に入れたほうがよいと思うのですが、
それでも親の介護は子が見なければいけませんか? 

ちなみに、なるべく帰省して様子を見に行こうと思っていますが、
せいぜいGW、お盆、正月くらいになると思います


A:

(1)神さまは、よほどのことでなければ、
   「こうでなければならない」ということはおっしゃいません。
   ただ、いろんなことで「こうしたほうがよい」とよくおっしゃいます。

   親の介護も「子どもが見なければならない」とおっしゃっているのではなく
   「子どもが親の面倒を見るのが、双方にとってよいのですよ」と
   おっしゃっているのです。

(2)それは、どういうことかというと、
   親からすれば、子どもはいくつになってもかわいいもの。

   そばにいてくれるのは、うれしいし、安心感もあります。
   他人には気を遣ってしまうことでも、子どもなら素直に甘えることもできます。

   また、子どもにとっては、親は“自分を産み育ててくれた大切な恩人“。
   その恩人に恩返しができれば、運もグンと上がり、自分が年老いたときには、
   自分がしてきたように子どもからも恩返しされるので、
   老後も寂しい思いをせずに済むのです。

(3)現役世代にとっては、老後の不安や寂しさはあまり想像できませんし、
   実感することもできませんが、それはとてもつらいものだと神さまはおっしゃるのです。

   “親に味わわせた思いと同じ思いを自分も味わう”ということからも、
   親の面倒は子どもが見ていたほうがよいと神さまは教えてくださるのです。

(4)でも、その状況が許さないのであれば仕方のないことです。
   親も地元から離れたくないというのであれば、お互いがそれぞれ歩み寄ったところで
   一番よい方法を見つける努力をしましょう。

   親は、地元にいることにこだわるのであれば、
   少々の寂しさも受け入れないといけないでしょうし、

   子どもは、自分の老後も親と同じような境遇になるということを
   承知しておかなくてはならないでしょう。

(5)いつも、迷ったときは

   「自分だったら、どうされたいか」
   「どの方法であれば後悔しないか」

   で判断するのが、一番よい答えを導き出せるのです。

(6)いまのあなたの状況からすれば、老後自分が寂しい思いや不安を抱え込まないためにも、
   なるべく親に寂しい思いをさせないように、一緒にいることのできる時間を作って、
   見舞ってあげることを考えるのがよいでしょう。

   (http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/jprime-20151116-20766/1.htm より要約)

              <感謝合掌 平成28年1月21日 頓首再拝>
34:伝統 :

2016/01/30 (Sat) 04:43:28

  『白鳩』誌(昭和49年1月23日)の箴言より

   最近の唯物論的教育を受けたところの若い人のうちには、
   「頼みもしないのに、親が自分を産みやがったので、責任は親にある」 
   などと此の世に生まれたことを感謝し得ない子供が随分あるらしいが、

   人間の‘いのち’は 〃神のいのち〃 の自己顕現であるから、
   そして 〃神〃 は創造者であり表現者であり
   ‘何らかの生物’となって自己表現せずにはいられないのであるから、

   もし「人間」という 〃親〃 を媒介として、あなたに宿っている 
   〃神のいのち〃 が自己表現する機会にめぐまれなかったならば、
   あるいは、もっと下等な生物の親を媒介として 〃あなたのいのち〃 
   は自己表現して、豚や、犬や、鼠などに生まれていたかも知れないのである。


   その事を考えて見るならば、神が、あなたに宿る 〃神のいのち〃 
   (それがあなたの生命だ)を人間であるあなたの両親を通して、
   「人間の形」で此の世に出現せしめられたことが、
   こんなに有りがたいことかがわかる筈なのである。

   両親に感謝せよ。 両親に感謝せよ。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809

              <感謝合掌 平成28年1月30日 頓首再拝>
35:伝統 :

2016/02/07 (Sun) 04:57:55


          *『白鳩』誌(昭和49年1月24日)の箴言より

   生長の家の練成会で、 〃浄心行〃 の修行の終末に近づいたとき
   「お父さん、お母さん、ありがとうございます」の感謝の言葉を
   繰返しとなえる誦行があるのであるが、

   この修行中 〃言葉の力〃 と 〃群集心理の力〃 との併合で、
   本当に両親に感謝する心が沸々と起って来、今までの親不孝の思いを
   起していたことが自然に詫びられて来て、懺悔の涙が湧き起って、
   咽び泣き、すすり泣きする人たちが道場の諸方に出て来るのである。

   こうして潜在意識の中にある 〃迷いの心〃 が涙と共に浄化排泄
   されて病気が忽然と消えるような奇蹟も起って来るのである。

   
   もしあなたの病気が医者にかかっても、なかなか治らないような場合には、
   神から来る生命の流れは、祖先 → 父母 というパイプを通して
   あなたに来ているのであるのに、

   祖先に感謝せず、祖先の供養を怠り、父母に感謝せず、
   むしろ父母を恨んだり、憎んだりしていたために、の神からの 
   〃生命の流れ〃 が、パイプの中の「忘恩の思い」で詰っているから、
   あなたの 〃生きる力〃 が底をついているのであるから、

   祖先供養をして祖先の霊にお詫びし、
   聖経『甘露の法雨』を祖霊の向上のために読誦供養し、
   病臥のままでよいから間断なく 

   「お父さん、お母さん、ありがとうございます」 の語を繰返すとよい。

   これによって不思議に、神の生命の流通パイプがひらかれ、
   重病が治る実例があるのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809

              <感謝合掌 平成28年2月7日 頓首再拝>
36:伝統 :

2016/02/20 (Sat) 04:49:02


          * 生活標語「一日一言」橋本徹馬・著(25日)より。

《親孝行をする者は、いつしか宇宙の繁榮律をつかむのであることを知る人は少ない。》

親不孝をする人の生活は、日々宇宙の繁榮律に遠ざかっているのである。

何人も思案すべき大事である。

            ・・・

《解説》

戦後派の学者のなかには「親孝行無用論」を書いて手柄顔している者があり、
またそのような学者の説をわが意を得たりとして、親孝行などいらぬことだと、
考えている青年も沢山あるようです。

そのような青年にいわせると、親が勝手に生んだのだから、
親には育児の義務があるが、子は孝行をしなければならぬ理由はない。

それよりも、こちらにはあれもして貰いたい、これもしてもらいたいと思うことが沢山ある。
それをしてくれぬ親こそ親の義務をつくさぬものだ。わが子のために十分につくすことも
出来ぬような親なら、はじめから子供を作らねばよいのだなどといいます。

こういう考え方は、わが身のために甚だ好都合のようですが、
昔から親不孝な人が一生栄えためしがなく、晩年にその随ちて行く所は、
孤独と貧窮と病院生活であるから不思議でしょう。

試みに落ちぶれて貧民窟にいる人などによく聞いて御覧なさい。
その大部分は「私も親には随分可愛がって育てられたものですが、不孝ばかりして来ました
・・・こんなに落ちぶれたのも、その罰かも知れません」という人達です。

そのような家の墓所は、これまた大抵無縁墓になっているか、或は一見してこの家は
おちぶれていますということを、物語っているような憐れな感じのするものです。
一家の盛衰が墓の感じに(墓の大小ではない)現われるなど、不思議なようだが事実です。

また長い間肺病などで病院生活をしている者も、たいていは親孝行など全然知らぬ者です。
そうしてそのような身勝手な利己主義が、肺病の治らぬ原因であることも知らぬ、
憐れむべき人々です。

独り立ちの出来ている者にとっては、親は根であり、自分は幹です。
独立していない者にとっては、親は幹であり、自分は枝です。
根を大切にせず,或は幹を大切にしないで、樹木の栄える道理はないのですね。

それでも「子を持って知る親の恩」という昔からの諺の身にしみる者は、まだよい方です。
子を愛することは知っているが、親孝行は一生涯知らぬ人も沢山あります。

そのような人の中には
「これだけ子を可愛がってやれば、大きくなって親の恩を知るであろう」
などと勘定している人がありますが、

親孝行を全然しなかった者が、如何にその子を可愛がっても、
その子は決して孝行者にはならないです。

それこそ天理教に所謂「通り返し」で、親が不孝をしたと同様に、
その子も不孝を繰返すのです。

「お前達は親が勝手に子を生むと思うか。
それなら子の欲しい者は、男の子でも女の子でも、
幾人でも自由に生めるはずであるが、そうはいくまい。

またお前達は自分独りの力で、大きくなったと思うか。
お前達が生まれた時.親の愛がなかったらどうなっていたか。

親は身の皮はいでも子のために尽くし、
子供の病気の時など夜の目も寝ずに看病し、
わが命にかえても子を助けようとするのである。

かく親の愛が山よりも高く海よりも深いのは、
これ造化の心を受けているからであって、
これあるがゆえに、天地も栄え、人間も栄えるのであることを知らぬか」

これが親不孝者に対する、造化の主の憤りの言葉です。

かくて親不孝をする者は、次第に宇宙の繁栄道から遠ざかる反面に於いて、
親孝行をする者は、その行いを通じて造化の理法、即ち宇宙の繁栄道を、
理解し得るに至るのであります。


           <感謝合掌 平成28年2月20日 頓首再拝>
37:伝統 :

2016/04/10 (Sun) 04:39:29


(今回は、本当の親孝行とは何かを考えさせられる情報です。)

     *『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』 
       ~西中務(著)(P100~101) より
     (生長の家「本流復活」について考える(したらば版)byシャンソン:2016/03/18(金) )

ある日、部屋にはいると、母親が正座をして大理石の壺を一心に拝んでいました。
私は不審に思い、声をかけました。

「お母さん、この壺は何ですか?」

「いいから拝みなさい。そうしたら幸せになれるから」

「なにをバカなことを....。この壺はどうしたの?」

「昨日、お前と同じくらいの年の男の人が来たんだよ。
私のことを『お母さん、お母さん』と呼んで、とっても親切にしてくれたんだよ」

母はその壺をその男性から300万円で買ったというのです。

霊感商法の被害にあったのだとわかり、私は目の前が真っ暗になりました。
いくら払ったのかと聞いたら、手付金として70万円を払ったといいます。

私はそのセールスマンに、すぐに電話しました。

「えらい高いツボを母に売りつけてくれたな。息子が弁護士やっちゅうことを知っとんのか! 」

セールスマンは嫌がっていましたが、「3日後に来る」と約束させました。

「お母さん、ボクは弁護士だから任してや。70万円は必ず返したるから、安心してや!」
と何回も言いました。

しかし、母親は押し黙ったまま、大理石の壺をうらめしそうにじっと見つめていました。
そんな母の顔を見たのは、生まれて初めてです。

私はそのとき、後ろから頭をバットで殴られたような衝撃に襲われました。
私が仕事で忙しくゆっくり話す機会もあまりなかったので、
普段から母親は寂しい思いをしていたに違いありません。

「お母さん、お母さん」と慕ってきたセールスマンは、
たとえそれが高い壺を売りつける目的とはいえ、私ができていないこと、
つまり母の心を慰めるという行為をしてくれていたのです。

私は自分を恥じました。

そのセールスマンは、私が弁護士だということに恐れをなしたのか
二度と来ることはありませんでした。

しかし、もはや私はお金を取り返すつもりはなく、
ただ、母に対する申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

セールスマンは、私の至らぬ点を気づかせてくれたのです。

この壺は、母が亡くなった今でも家宝として大切に飾っています。
この壺を見るたびに、私は母を思い出し、「親孝行」の大切さを再確認するのです。

    (http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1416738867/6724 より転写)

           <感謝合掌 平成28年4月10日 頓首再拝>
38:伝統 :

2016/04/22 (Fri) 03:38:01


           *「光明道中記」(4月22日)より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

           <感謝合掌 平成28年4月22日 頓首再拝>
39:伝統 :

2016/07/24 (Sun) 04:33:28


        *Web:日経WOMAN Online(2016年6月28日、29日、30日)
             ~古田土会計 実家までの交通費も支給する「親孝行制度」

《初給料で親にプレゼント~レポートにまとめて会社に提出》

税理士法人古田土会計をはじめとするエムケーコンサルティンググループが
12年ほど前から導入したという「親孝行制度」。

毎年4月21日~5月20日を「親孝行月間」とし、入社3年目までの社員を対象に、
「実家まで両親(社会人になるまでお世話になった保護者)に会いに行き、御礼の挨拶をする。
初めての給料で買ったプレゼントを贈る」という制度です。
実家までの交通費は支給されるのだそうです。

確かに親孝行したことを証明するために、贈り物をしているシーンや御礼の言葉を述べている
シーンを撮影した“証拠写真”と共に、後日レポートにしてチームリーダーに提出。

さらに総務課もチェックした上で“業務完了”となるという徹底したもの。
「業務命令で親孝行」なんて聞いたことがありません。
違和感はないのでしょうか?


 「実は私、反抗期の期間がとても長くて。今回のきっかけで、初めて
  きちんとした形で親に感謝の気持ちを伝えられました」というのは佐竹さん。

いつも家族で過ごしている自宅のリビングに両親を呼んで正座をして、
これまで育ててもらった御礼と「これから社会人として親孝行をしていきます」という思い
を伝えたそうです。

あわせて、遅い時間まで自宅で仕事をすることが多い母親にはデスクライトを、
父親にはベルトをプレゼントしました。

「照れ隠しで冷やかしてくると思っていた」父親からストレートに
「ありがとう」と返ってきた反応や、母親の嬉しそうな笑顔を受けて、
佐竹さんの中で大きな変化が生まれたと言います。

「それまでの私は『自分が何かしたとしても、相手を喜ばせるような大したことは
できないのではないか』と思い込んで、どこか消極的なところがありました。

親孝行を通じて両親が喜んでくれる姿を見たことで、私の行動一つで相手に大きな喜びを
与えることができること、そしてその喜びが何倍にもなって自分に返ってくることを
実感できました」(佐竹さん)

以来、お弁当を作ってくれる母親に「今日もおいしかったよ」「ありがとう」と言った
一言を意識的に伝えられるようになったそうです。

http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/041200068/062200006/?n_cid=nbpwol_else

                   ・・・

《社会人の大先輩、父親から「頑張れ」と激励の言葉も》

近藤さんの場合、親孝行制度を知ってまず浮かんだのは「父親の背中」だったと言います。
「日本中の中小企業を元気にする」という理念を掲げる同社への入社を決めたのは、
中小企業を経営する父親が昼も夜もなく仕事に打ち込む姿勢を見て育ったから。

そのことをずっと伝えたかった近藤さんにとっては絶好の機会となりました。
プレゼントは、なじみ深い近所のお店への招待。

「父は私が物心ついた時から多忙で、顔を合わせて食事をする機会も年に数回程度。
“業務命令”を口実に時間を作ってもらい、なじみのお店で久しぶりに家族揃っての食事が
できたことがとても嬉しかったです」

事前に先輩とリハーサル練習を重ねて覚えておいた御礼の言葉を両親に伝えると、
父親からは“社会人の先輩”として励ましの言葉が返ってきたそう。

「『中小企業経営者にもいろいろいて、大変なこともあると思うけれど頑張れ』
と言ってもらえて感激しました」

友達づきあいを大切にしている母親には、
「お母さんのように、いつまでも友達に囲まれて生活を楽しめるような女性になりたい」と伝え、
母親が一番喜ぶ“姉妹が仲良くしている姿”を見せようと妹にも現金のお小遣いを渡したのだとか。

「どんなことをしたら喜んでくれるのかな、と一生懸命考え、計画して、実行する。
相手に喜んでもらえるために行動するプロセスは楽しいのだとあらためて実感できました。
これはお客様に喜んでいただくために心を尽くす仕事にそのまま生きる学びだと思います」
(近藤さん)


《お金を稼ぐことの重みをきょうだいも実感》

6人きょうだいの2番目として育った渡邊さんは、
両親だけではなく4人の弟・妹にもプレゼントをしました。

「家族へのプレゼントを用意していくと、その分、自分の手元に残るお金が減っていって、
少し寂しい気持ちにもなりました。でもその瞬間、父母のずっと私たち子どものために
犠牲的な愛情を注ぎ続けてくれたことに初めて気づくことができました。
両親の偉大さをあらためて知り、日頃から感謝の気持ちを言葉で表していこうと決意しました」


親孝行の実行は初給料が支給されたその日。
両親へのプレゼントは希望も聞いた上で「現金」にしました。

「封筒に入れた現金を渡すと、その“重み”を手にして特別な思いを味わってくれている様子でした。
大学3年生の弟は『自分で稼ぐってすごいことだな』と言っていました。
これまで弟たちへの誕生日のお祝いも手作りカードくらいしか渡せなかったので……。
そういった反応を見て、私自身は“与える喜び”を感じることができました」


晴れやかな表情で話す新入社員3人の言葉を、目頭を押さえながら聞き入る一人の女性の姿が――。

この人こそが社長と共に親孝行制度の導入を決めた、
エムケーコンサルティンググループ専務取締役の吉田由美子さんです。

http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/041200068/062200007/

                   ・・・

《「親孝行制度」はいつ、何がきっかけで導入されたのでしょうか?》

当社は創業以来、「良い取り組みはどんどん真似よう」という社長の旗振りのもと、
他社の事例研究も積極的に行ってきました。

親孝行制度を導入するきっかけとなったのは、12年ほど前、経営者の勉強会で、
東日本ハウス創設者の中村功先生が提唱されていた「ビジネスの神髄は親孝行にあり」
という考えに出会ったことがきっかけでした。

いわく、「親孝行もできない人間は、お客様に尽くすこともできない。
親孝行を通じて人に感謝されるということは、自分の喜び。人に尽くすということは
、実は己の喜びであることを知る」と。
まさにそうだと膝を打ち、当社でもやってみようということになりました。

 
最初はおそるおそるで、試行錯誤も繰り返し、現在の方式ができあがってきました。


《親孝行は自発的にするもの、というイメージがありますが、なぜ会社が促すのでしょうか?》

もちろん、全員が自発的にできるのでしたら会社が介入する必要もありません。
しかし、わかっていてもなかなかできないのが親孝行ではないでしょうか。
そして昔から「孝行したいときに親はいない」とも言われます。

入社3年目までの社員、特に新入社員に義務付けているのは、
社会人になったばかりのタイミングで「これからは人様にお返ししていく」という
心構えを確認してもらいたいからです。

同時に、「お客様に尽くすこと=感謝の第一歩」として、
まずは社会人になるまでお世話になった親への感謝を伝える機会をもってほしいというのが、
この制度のねらいです。

この制度の意味についての考えは人それぞれだと思いますし、
会社が強制するものでもないと思います。
要は「機会をつくる」ことに意味があると考えているのです。


《「初めての給料でプレゼントを用意し、
御礼の言葉を述べる」というルールを作ったことにも意味があるのでしょうか?》

はい。これは私どもの仕事のやり方すべてに言えることですが、
「型」を決めることが重要だと考えています。

感謝の気持ちは、伝わるように伝えるべし。どれだけ感謝の気持ちがあっても、
相手に十分に伝わらなければ意味がないのです。

伝わるためには、入念に考えられた演出と表現力が欠かせません。
自己満足ではなく、相手に確かに感謝を伝えるための
“型”として最低限のフォーマットを決めています。

経営層が決めたのはこのくらいですが、より確実に感謝を伝えるためのアイデアが
社員から提案されるようになり、型がどんどんブラッシュアップされていったんですよ。

最近は、先輩社員による事前練習会も開かれて、リハーサルもしています。
「親孝行現場の証拠写真を撮る」というのも社員の発案です。


《親孝行制度を実践した新入社員の方々からは「初めて親に感謝の気持ちを伝えられた」
「相手を喜ばせることの価値を実感できた」とポジティブな反応が聞かれました。》

報告を聞くだけで、私も親のような気持ちで胸がいっぱいになり、ついつい涙ぐんでしまいました。
10年ほど前には、「実家の母の足を洗ってあげました」という社員もいましたね。
親御さんから感謝のお手紙をいただいたこともありました。


当社では社員の誕生日も「親孝行の日」と位置付けて、
「産み育ててくれてありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えることを推奨しています。

当社のお客様にはワインやせんべい、和菓子など
贈り物に最適な商品を扱っている企業様もたくさんいらっしゃいますので、
そういった商品を贈り物としてプレゼントすることも薦めています。
その場合には、費用の一部を補助しています。


《働くほどに、親孝行の気持ちが増しそうですね》

親に対してだけではなく、どなたに対しても
感謝の気持ちを育てる土壌をつくりたいと思っています。

私どもの会社の“名物”としてテレビで紹介されることも多い毎朝の朝礼の時間をはじめ、
いつでも「ありがとうございます」「助かりました」「勉強になります」といった
ポジティブワードを積極的に口にするようにしているのです。

仕事中に感じた感謝の気持ちを書きとめて社内で公開する
「サンクスカード」の取り組みも続けています。


《感謝を積極的に表現する環境を育てることで、
組織として得られるメリットとは、どのようなものなのでしょうか?》

私たちは会計のプロとして技術を売る前に、まず人間性を磨くことを第一と考えています。
社員ひとり一人が輝けば、自然とお客様は寄ってくるんです。
人間性を磨くためには、感謝の心。感謝は幸せの源です。
そして、感謝を伝える機会があれば積極的に伝えていく。

最初は「無理やりやらされている」という社員も中にはいるでしょう。
でも、何度も繰り返すうちに、いつのまにか自然にできるようになるというのが、
人間の学ぶ力です。

やってみよう、やったらできた、やってみたら喜んでもらえた……その繰り返しで、
感謝を確かな形で伝える力が磨かれていきます。

感謝を相手に伝えられる人間として成長するための環境を会社が用意し、
感謝を伝えられる社員を育てていくと、常に相手の立場に寄り添った思考や行動ができる
組織へと育っていくのだと実感しています。


その結果として、33年連続増収という成果につながっていくのです。
おかげさまで前期は1年間営業活動なしで170社という業界トップの新規顧客獲得数となりました。
夏のボーナスも大幅アップの予定です。

 
もう一つ、親孝行制度を続けている理由があります。
それは私たちが経営理念のはじめに「一生あなたと家族を守る」と約束しているからです。

日本の企業の95%が中小企業で、雇用者の7割は中小企業に勤めています。
ハイレベルな国際競争は一部の大企業にお任せするとして、
私ども中小企業の最大の存在理由は「社員を幸せにすること」です。

 
そして、社員を幸せにする方法は給料を上げることだけではありません。
一日一日、働きながら、そして家に帰ってからも充実した時間を味わって
「この会社に入ってよかった」と思ってもらえるための工夫を重ねることが、
私たちの中小企業経営者の役割だと信じています。

全国の中小企業を元気にしようと目標に掲げる当社が、まずはその手本となるよう、
これからも社員が幸せに輝くための取り組みをどんどん実践していきたいと思います。


http://wol.nikkeibp.co.jp/atcl/column/15/041200068/062200008/

           <感謝合掌 平成28年7月24日 頓首再拝>
40:伝統 :

2016/08/08 (Mon) 17:37:20

「父・母で一対(ワンペア)」

        *「世界一泣ける父母への手紙」(P228~230)より
          ~玉村環境問題研究所所長 玉村富男


子孫繁栄のため、良き伴侶を求める。
人が半分と書いて「伴」となり、「ともなう」と読む。

より良い半分を人は求め、ようやく一対、つまりワンペアとなり、
子孫をもうけることができる。
言い換えれば、二分の一プラス二分の一で一対となる。

英語で「伴侶」のことを「ベターハーフ」 というが、
東西で表現が一致することに、私は感じ入っている。

東西における表現が一致することを踏まえれば、八月八日をパパとハハの日、
つまり両親の日 とすることに対する抵抗感は薄らぐと思う。

人間にとって一番身近な先祖はチチとハハであり、
二番目に身近な先祖がヂヂとババである。

八月八日は一番身近な先祖の日。
チチとハハそして、 ヂヂとババの先祖をまつるお盆がやってくる。
だからこそ、八月八日を「親に感謝する日」にし、 祝日にすることに偉大なる意義がある。

「八」は末広がりを意味すると、一般には言われている。
どうしてコンピューターの基礎が八ビ ット、八バイトなのか。
そして、どうして音楽の一オクターブが八つの音からなっているのか。
私は、これらがいつも気になっている。

日本語でいちばん多い言葉は「気」がつくものである。
気力、気迫、気概、元気、そしてやる 気。長い間、それに気がつかなかったが、
「気(旧字で「氣」)という字は水蒸気と米とで成立している。

米を食べて気を出し、気を吐くことになる。
「米」という字は八方向を表している。
八方向に気が出なくなることを、「八方ふさがり」と言う。
片仮名のハは破壊のハでもある。
 
私、十人きょうだいの八番目。
旧制の府立第八中学校(現都立小山台高校)の八回生である。
八に対する思いは人一倍強い。
 
人生は駅伝に相似している。チチのチチはヂヂであり、ハハのハハはババである。
先祖と子孫 をつなぐ役割の自分が、
人生駅伝のランナーとして走り続け、いまやヂヂとなった。
 
であるから、八月八日をハハとチチの日にすることには大いなる意味がある。
ハハとチチで 「ハチ」となる。「バチ」が当たるという言葉が頭をよぎる。

「母」という字のベースは「女」である。
子供を育てるチチ、つまり乳首をつけ、はだけないようにふたをして、
「母」なる字ができあがっている。

「親の恩」について少し考えてみる。
鮭の子は親を知らない。
親は卵を産み、精子をかけて一生を終わる。
子育てはしない。

一方、長生きをする動物は、子育てに時間がかかることに気づかされる。

布団のうえでなんの心配もなく、大の字になって寝ていられるのは、
誰のお陰か、よーく 考えてみよ、という字が「恩」である。

誰でも両親を敬い、恩を感じ、心から自慢する。
私もまた、自分の両親を自慢し、両親に感謝したい。

チチは、自分の実弟を越前大野の田舎から、慶應大学の医学部に入れ、卒業させた。
チチとハハは、私の長兄を現在の京都大学医学部に入れ、
ほかの五人の男の子も全員、慶應大学を卒業させた。

私は15歳のときに上京し、高校に入った。
弟は中学(田園調布中学)から東京暮らしを始めている。
実に偉大なチチとハハである。

哺乳動物の特徴は「ヘソ」があることである。
私は平素からおのがヘソを見て、先祖、自分、子孫のことを「哲学」している。

この拙文を終えるに当たり、七十歳になったいま、
改めてチチ、ハハに心静かに伝えたい。

「天国のチチよ、天国のハハよ、七十歳になって親のすごさがわかりました。
私を産んでくれて本当にありがとう」
 
この言葉を、感謝をこめて両親に贈ります。

           <感謝合掌 平成28年8月8日 頓首再拝>
41:伝統 :

2016/08/14 (Sun) 03:18:51

35 兄弟姉妹と争うときは、亡き親を思え  

  *『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』西中務・著(P78~79)より

「親孝行、したいときには親はなし」と言いますが、
亡き親にも親孝行をする方法があります。
それは、親への感謝を、行動で示すことだと私は思うのです。

きっと天国から自分のことを見守ってくれているに違いないと信じています。


徳川家康や織田信長の歴史小説家で有名な山岡壮八さんは、
新潟の貧しい家の出身でしたが、作家を目指して東京に出てきました。

(中略 ~ 伊勢神宮お参りの際、親孝行として母親を連れ、父親の位牌を携え、
      旅館に宿泊したとき、3人分のお膳を取り、旅館代も3人分支払った)


親が生きているうちにしか親孝行ができない。
だから生きているうちにたくさん親孝行をしよう。
そう考えるのはとてもすばらしいことです。

しかし、親を亡くしてしまったからといって、
親に感謝の気持ちを伝えられないと嘆く必要はないのです。

親が生前、果たせなかった夢を果たしたり、お墓参りをしたりすることも
十分、意味のある親孝行です。
親に対する感謝の気持ちを、行動で示すことが大切だと思います。


自分が迷ったときや、つい兄弟と争ってしまったときは、もし親が生きていたら、
こんなとき、なんと言ってくれるだろうか」と考えて行動することも、
親孝行のひとつでしょう。

どんな親であっても、子に幸せになってほしい、と願うはずです。
そして、兄弟姉妹が仲よくすることを喜んでくれるはずです。

したがって、兄弟姉妹が仲良くすることが、何より親に対する孝養だと思います。

親への感謝の気持ちをもって、日々生きていきましょう。

           <感謝合掌 平成28年8月14日 頓首再拝> 
42:伝統 :

2016/09/01 (Thu) 03:32:54


       *「すべては今のためにあったこと」中山靖雄・著(P46~50)より

新入社員の方々にお話をさせていただく時にはいつも、
「初任給だけは、親のために使おうね」
と、そんな話をしています。

これは、信用金庫に勤めているみどりさんという女性が、
初任給をもらった時のお話です。


初任給は、お父さんとお母さんに
ホテルで晩ご飯をごちそうすることにしました。

食事をするホテルで、両親を待っていると、
セメント工場で働いていていつもは作業服姿のお父さんが、
初めてブレザーを着てきてくれました。

嬉しい気持ちで座席について、メニューを見せながら
「お父さん、今日は、初任給でごちそうするんだから、好きなものを食べてね」
と言うと、
「晩ご飯1回くらいじゃ、18年分は取り返せないからな」
と言うのだそうです。

初任給でごちそうするというのに、
そんないじわるなこと言うなんてひどい、
と若いお嬢さんにはお父さんの言葉を受け流すことができない。

できれば今すぐ帰りたいけど、
せっかくだから我慢して食べるだけ食べて帰ろう、
となんとか思い直したのだそうです。

最初にビールが出てくると、
お父さんはみどりさんに
「お前、ビールくらい注いでくれないのか」
と言いました。

みどりさんはビールを注ぐのにも腹が立って、
コップにあふれるほどついでやれと、憎らしく思った時に、
コップを持っているお父さんの手がふと目に入りました。

それは手の筋目にセメントの砂がめり込んだ荒くれだった手でした。

綺麗に洗っても、それでも落とせないセメントの
染み込んだ父のその手を見た瞬間、
「しかたがない親父だな」 という思いでいっぱいだったけれど、

ふっとお父さんの話が素直に聞けるようになりました。

そして、食事を済ませて家に帰ってきました。

お風呂に入ろうとお父さんとお母さんがいる居間の前を通ったら、
お母さんが一生懸命お父さんに、「お父さん、今日はおいしかったね」
と何度も言っているのが聞こえてきます。

お母さんからしてみれば、
お父さんからみどりさんに「ありがとう」と言わせたいのです。

すると、「わかったような口聞くな」 とお父さんが言いました。

本当にしょうがないお父さんだな、とみどりさんがあきれていると、

お母さんが言い返しました。

「だって、そうでしょう。
おいしかったって一言でも言ってやれば、あの子もせいがあったのに。
何よ! 食事中もずっと腕組んで天井向いて、
何が面白いんだ、って顔して、そんな態度ってないでしょう」

「何も知らんとわかったようなこと言うな。
男の気持ちなんかわからんやろ!」
と喧嘩が始まった。

これは、大変なことになるなとハラハラしていると、
お父さんがこう言ったのです。

「腕を組んで、天井を向いていたのは、
下を向いたら、涙が落ちてしまうからじゃないか。
お前らに、男の気持ちがわかるか。バカが」

そう言ったあと、ぽつんとお父さんが、
「俺も、今までにあんなおいしいご飯食べたことなかったな」
と言ったのだそうです。

それを聞いて、みどりさんはもうたまらなくなって、
自分の部屋に戻って布団をかぶって泣きました、

と私に話してくれました。


私たちは、最初のみどりさんのように、
起こった出来事や、言葉を自分なりの受け取り方をすることで、
知らず知らずの誤解をしながら生きていることも多いと思うのです。

でも、こんなふうに、何かちょっとしたきっかけで
本当の思いや、言葉が伝わった時、
その時に起きた誤解が溶けて、それが大きな風になって、
みんなが優しくなれることがある。

誤解があったからこそ、
もっと深くお互いを理解させることもあります。

これも天が与えてくれたかけがえのない出来事なのです。

           <感謝合掌 平成28年9月1日 頓首再拝> 
43:伝統 :

2017/04/22 (Sat) 04:16:52


           *「光明道中記」(4月22日)より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

           <感謝合掌 平成29年4月22日 頓首再拝> 
44:伝統 :

2017/05/14 (Sun) 03:29:34

今日(5月14日)は母の日。

下記はアメリカの新聞に以前掲載された求人広告です。

 「内容は主に危機管理、ほかに多種多様な業務
  労働時間は1日19時間、週135時間程度、時間制限なし、休憩なし
  立ちっぱなしの場合も多く、スタミナは必須
  経済、薬、調理などのさまざまな知識が必要。しかも無給」


これを見た読者から、「法律違反では?」「クレイジーだ」との批判が
寄せられたそうです。
日本であれば「最悪のブラック企業」との非難を受けるのは間違いありません。

しかし、実際にはやりがいがあり、大勢の人がやっている仕事です。

答えは「母親」。

母親の偉大さを再認識してもらうための企画だったというわけです。

また、米人材情報会社は専業主婦の家事労働を以下の10種類に分類し、
主婦の家事労働の対価を試算しています。

  ※職種     (内容)

   保育士     子供の世話
   コック     料理・炊事
   事務員     家計管理等

   洗濯人     洗濯
   清掃作業員   掃除
   設備管理者   住宅のメンテナンス

   CEO(経営者) 家族の中でリーダーシップを発揮している場合

   運転手     子供の送迎
   精神分析医   子供や家族の心のケア

   ハウスキーパー 買い物や介護等、上記以外の家事労働


上記のような労働について、それぞれの作業を外注した場合の時給と労働時間から
賃金を積算し、さらに週40時間を超過した分や休日・深夜について割増しの
時間外手当を支給した場合、主婦の家事労働の賃金(年収)換算額は優に

1000万円を超えるそうです。


・・・

《母は強し》

        *「女性の幸福365章」(P333)より

母性愛の発露した母親は
どんな戦場の勇士よりも勇敢である

戦場の勇士が怯(ひる)むような時にも
子を守るために母親はたじろがない

どんな豪傑も力尽きて起(た)ち上がることのできないほど疲れているときでも
母親は夜半に起きて赤ん坊に乳を飲ませたり
 
病児を徹夜で看護したりするのである
その愛の力の旺盛なことは

まことに荘厳というほかはないのである
女性は弱いようでも彼女が天分そのものを生きるとき
 
決して弱いものではないのである
女性の愛の力の素晴しきことよ!!

・・・

<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板「母の大恩 (964)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=224    

(2)“本流宣言”掲示板「お母さんの偉大な力 (4535)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=943     

(3)“本流宣言”掲示板「いのちが響き合う (8809)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2067     

(4)光明掲示板・第一「母の日~「心に響く”いい話”」」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1546     

(5)光明掲示板・第二「母 (8071)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1610   

(6)光明掲示板・伝統・第一「母の愛」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=28 

           <感謝合掌 平成29年5月14日 頓首再拝>

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