伝統板・第二

2533696
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

二宮尊徳(二宮金次郎) - 夕刻版

2015/04/04 (Sat) 17:57:47

*光明掲示板・伝統・第一「二宮尊徳(二宮金次郎) (72)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=45

・・・

《二宮金次郎の像》


薪(まき)を背負い、熱心に読書しながら歩いている姿は勤勉の模範とされております。

明治14年に出版された二宮金次郎の伝記的な書『報徳記』に
「『大学』の書を懐にして、途中歩みなから是を誦し、少も怠らず」と出てきます。

二宮金次郎は、当時人気の人物だったようです。
明治24年の幸田露伴の著書『二宮尊徳翁』の挿絵に、
狩野派の小林永興が、やはり薪を背負った尊徳像を入れました。

これでイメージが定着したようです。

一説に、その構図のヒントになったのは中国の故事にならった「朱買臣図(しゅばいしんず)」。
薪を肩に担ぎ、歩きながら本を読んでいるのは、やはり似ている。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/199060/0/1


二宮金次郎が読んでいる本『大学』は、「正心、修身、斉家、治国」を説くもの。
尊徳が、小田原藩の分家領地の農村改革は、それらの思想で成されたと言われている。

・・・

<関連Web:光明掲示板・第三「傳記 二宮尊徳」>

   <傳記 二宮尊徳 ①>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=264

   <傳記 二宮尊徳 ②>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=341

   <傳記 二宮尊徳 ③>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=483

   <傳記 二宮尊徳 あとがき>
      http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=546


           <感謝合掌 平成27年4月4日 頓首再拝>

【掛け捨ての覚悟】 - 伝統

2015/04/09 (Thu) 19:40:03

              *メルマガ「人の心に灯をともす(2011年05月14日)」


   (二宮尊徳翁の心に響く言葉より…)

   賭(かけ)をして負けるのは、勝とうとすることの変化である。
   商人が不利を招くのは、巨利をむさぼることの変化である。
   脱税や滞納は、しぼりとることの変化である。

   よくこの道理を体認(たいにん)して、
   賭ける者はそのつど銭を賭け捨てにすれば、何の負けもありはしない。

   商人の巨利をむさぼらず、買い主の利益をはかれば、何の不利もありはしない。

   国がしぼり取ることにあせらず、
   良き政治をしいたならば、何の脱税滞納もありはしない。

        (二宮尊徳 語404)


   尊徳は賭けをやるなとはいわず、負ける理由を説明します。

   それは勝とうとする心の裏側であり、勝つ目的のために理性を失ってしまうからです。

   掛け捨ての覚悟をして、まず余財を生み出す正業に精を出すことをすすめているのです。

        <『日本の道徳力』(石川佐智子)コスモトゥーワン>

               ・・・

二宮尊徳は、約200年前の江戸後期に生まれ、「報徳思想」を唱えた。

あるとき、暴風で堤防が決壊し、あたり一面が流されたが、
瓦礫となった荒地を耕し、再生して、みごと地域の復興に尽くしたという。

その功績が認められ、小田原藩や、他藩の農村の再興にその手腕を発揮した。

薪(たきぎ)を背負って読書する二宮金次郎の像が有名だが、
その徳を称えられ、報徳二宮神社としてまつられている。


勝とうとすればするほど、そこに欲が絡(から)み、理性が鈍(にぶ)る。
結果、勝負に負けてしまう。

商売も同じで、大儲けをしようと思えば思うほど、
そこにリスクが発生し、損したときの被害は大きい。
むしろ、お客様を喜ばせるために、損を覚悟の商売をするならば、結果的に利益はあがる。


一攫千金(いっかくせんきん)を願う心は、覇道(はどう)だ。
覇道とは、努力少なくして、「利」多い道。
王道とは、努力多くして、「利」少ない道。

損を覚悟で、世のため人のために、地道に正業に励みたい。

           <感謝合掌 平成27年4月9日 頓首再拝>

借り物の人生 - 夕刻版

2015/04/13 (Mon) 17:40:06


            *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年12月21日)」より

   (二宮尊徳翁の心に響く言葉より…)

   「人と生まれ出たるうへは、必ず死する物と覚悟する時は、
   一日活きれば即ち一日の儲け、一年活きれば一年の益なり。

   故に本来わが身もなき物、わが家もなき物と覚悟すれば、
   跡は百事百般みな儲けなり。(夜話10)」



   (略解)元来わが身わが家も、わが身わが家でなく、
   期限つきの借りものと覚悟すれば、すべてのものごとは、
   思わぬ儲けものの連続ということになる。

        <『二宮尊徳一日一言』(寺田一清編)致知出版社>

             ・・・

自分の身体は自分のもの、と誰もが思っている。

もしそうであるなら、死はやってこないことになる。

なぜなら、この人生が終わったときには、
この身体はお返ししなければならないからだ。


本でも、車でも、洋服でも、自分で買った自分のものなら、誰かに返す必要はない。

しかし、この世を去るときには、何ひとつあの世に持っていくことはできない。

つまり、どんなに高価な宝石であろうと、ほんのつかのまの借り物、ということ。


室町時代の閑吟集(かんぎんしゅう)に、こんな歌がある。

「夢の夢の夢の世を うつつ顔して
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」 

(夢のようなこの世を、わけ知り顔をして。
真面目くさってつまらなそうに生きたところで何になる。
この一生は夢。ただ狂え)


狂えとは、遊んで暮らせということではない。

常軌を逸(いっ)した行動、狂ったように集中した生き方、ということ。


身体も、お金も、物も、すべて借り物。
だからこそ、大事に使わせていただかなければならない。

そして、つかのまの人生。
だからこそ、狂ったように真剣に生きなければならない。


今生きていることは儲けものの人生。
感謝の気持ちで、この人生を大切に生きたい。

           <感謝合掌 平成27年4月13日 頓首再拝>

ー真理は現実のただ中にありー - 伝統

2015/04/16 (Thu) 18:44:07


        *「小さな人生論」藤尾秀昭著より

  
「二宮翁夜話」にこんな一節がある。

二宮尊徳がある村を巡回した時、怠惰、無気力で、掃除もしない者がいた。
その人に、尊徳はこう諭した。

こんな不潔きわまることにしておくと、お前の家はいつまでも貧乏神のすみかになるぞ。
貧乏からのがれたければ、まず庭の草を取って家の中を掃除するがよい。
またこんなに不潔では疫病神も宿るに違いない。

だからよく心がけて、貧乏神や疫病神がおられないように掃除しなさい。

家の中に汚い物があればくそばえが集まるし、
庭に草があればへびやさそりが得たりとばかり住むのだ。

肉が腐ればうじが生じる。
水が腐ればぼうふらが生じる。

そのように、心や身が汚れて罪とかが生ずるし家が汚れて病気が生ずるのだ。
恐ろしいものだぞ。

 
現実を知りつくした人の言葉である。
同時に、この言葉は現実を変革する力を持つ。
つねに自然を師とし実行を友とした人ならではの言葉である。

 
この尊徳の言葉に大きな影響を受けた一人に森信三氏がいる。

「まことの道は天地不書の経文を読みて知るべし」の言葉に、
氏はそれまで尾てい骨のように残っていた大学的アカデミズムから完全に解放された。

真理は哲学書の中になどない。
むしろ、この現実の天地人生のただ中に文字ならぬ事実そのものによって書かれている。
そのことに開眼したのである。

天地不書の経文から何を学ぶか。各人各様の人生の課題がここにある。

http://itazurakko713.blog.fc2.com/blog-entry-378.html


           <感謝合掌 平成27年4月16日 頓首再拝>

【人の喜ぶことを先にする】 - 伝統

2015/04/20 (Mon) 17:43:38

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月04日)」より

   (笠巻勝利氏の心に響く言葉より…)

   二宮尊徳は、親戚の川久保民次郎に下男として働いてもらっていた。
   民次郎が一家を構える年になったので地元へ帰すことになった。

   尊徳は、民次郎に人の間で生きていくための心がけを話した。

   「たとえば、腹が空いた人が他人の家に行って、
   “ご飯を食べさせてください”と言っても、誰も食べさせてはくれない。

   しかし、空腹を我慢して庭の掃除をしてから頼めば、食べさせてくれるかもしれない。
   この心がけがあれば困った時でもなんとかなるだろう」


   続いて、

   「私が若い頃、鍬(くわ)が壊れてしまった。隣家へ借りに行ったら、
   “畑を耕して、菜の種をまくところじゃ。終わるまでは貸せないよ”と断られた。

   そこで、“その畑を耕してあげましょう。耕し終えたら、ついでに種もまきましょう”
   と言って作業を終えた。

   隣家の老人は、ニコニコ顔で、
   “鍬だけでなく足りないモノがあったら、何でも言ってくれ、いつでもいいよ”
   と心を開いた」

   
   尊徳は、さらに言った。

   「お前は、まだ若いから、毎晩、寝る前に草鞋(わらじ)を一足つくれ。
   それを、草鞋の切れた人にやるがよい。
   それで、お礼を言ってもらえれば、それだけ徳を積める。

   この道理をわきまえて、毎日、励めば必ず道は開ける」


   民次郎は、すっかり感心して明るい顔で郷里へ旅立った。

         <『目からウロコが落ちる本』PHP文庫>

             ・・・

自分のことだけを考える人を自己中心的な人、利己の人という。

その反対に、他人の幸せを先に考える人のことを、利他の人という。


オレがオレが、私が私が、と自分の利益を先に考える人は、
人がどんどん離れていき、まわりの協力を得られず、やがて運から見はなされる。

利他の心を持った人は、協力者や仲間が一人ずつ増え、やがて運も味方してくれる。


「人からお礼を言ってもらえれば、それだけ徳を積める」

人の喜ぶことを先にする利他の人でありたい。

              <感謝合掌 平成27年4月20日 頓首再拝>

二宮翁夜話~その1 - 伝統

2015/04/27 (Mon) 18:20:38

参考Web:二宮翁夜話(国会図書館デジタルライブラリー)
       → http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/758842

「二宮翁夜話」(「報徳要典」昭和9年1月1日発行)

福住正兄先生筆記 二宮翁夜話


私が尊徳先生のもとにあったのは7年であったので、折にふれ、事にふれて、
先生の論説や教訓を聞いたことは、大変多かった。

しかし、大きい鐘も、小さいムチで、打っても、
その響きが微かであることをどうにもできない。

その上に、私の耳は、世間で言う、みそこし耳なので、
道の心の深遠なうま味は、皆漏れ去って、残っているは、カスだけである。

このようなカスを書き残すのは、道を惑わす恐れがあるから、
決して人には見せなかったが、今年は61歳になったので、残る年齢も多くはない。

せめて清書だけでもと草稿を作った。
親しい人たちは、出版しろと、言いすすめるけれども、もとから才能も力もなく、
ことに文章を書く技量がないので拒否していたけれども、なかなかそのただ聞いたままの
飾らないつくろわない俗文のほうがよいからと責めてやない。

今は拒絶する言葉もなくて、このように世に広める事とはなった。
出版した次第を一言添える。     

                     福住正兄(ふくすみまさえ)しるす。

               ・・・

《二宮翁夜話 巻之一》~(1)から(38)まで

【1】尊徳先生はおっしゃった。

誠の道は、学ばないでも自ずから知り、習わないで自ずから覚え、
書籍もなく、記録もなく、師匠もなく、そして人々が自得していて忘れない、
これが誠の道の本体である。

のどが渇いて飲み、おなかがすいて食べ、
疲れて眠り、目が覚めて起きる、みなこの類である。

古歌に

「水鳥(みずとり)のゆくも帰るも跡絶えて されども道は忘れざりけり」

というようなものだ。

記録もなく、書籍もなく、学ばず習わないで、明らかである道でなければ誠の道ではない。
私の教えは書籍を尊ばない。天地をもつて経文とする。 

私の歌に

「音(おと)もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかへしつゝ」

とよんだものがある。

このように日々繰返し繰返して、示されている天地の経文に、誠の道は明らかである。

このような尊い天地の経文をほかにして、書籍の上に道を求める学者連中の論説は取らない。
よくよく目を開いて、天地の経文を拝見し、これを誠にする道を尋ねるべきである。

世界の横の平は水面が至っている。
縦の直は、垂針(さげぶり:柱などが垂直かどうかを調べるための道具で、
糸の端に真鍮(しんちゅう)のおもりをつるしたもの)が至っている。

およそ、このように万古に動かない物があるからこそ、地球の測量もできるのだ。
これをほかにして測量の術があろうか。

暦道の表を立て、測量する方法、 算術の九々のようなものも、
みな自然の法則であって万古不易の物である。

この物によってこそ、天文も考えることができ、暦法をも計算することができる。
この物をほかにすればどのような智者であっても、術を施すに方法はないであろう。

私の道もまたそのとおりだ。

天ものいはず、そして、常に行われ百物が成(な)るところの、
不書(ふしよ)の経文(きょうもん)、不言(ふげん)の教戒(きょうかい)、
すなわち 米を蒔(ま)けば米が生え、麦を蒔けば麦が実るような、
万古不易の道理による、誠の道に基づいて、これを誠にする勤めをなすべきである。

(つづく)

              <感謝合掌 平成27年4月27日 頓首再拝>

二宮翁夜話~その2 - 伝統

2015/04/29 (Wed) 18:19:27


尊徳先生はおっしゃった。

世界は、旋転してやまない、寒さがゆけば暑さが来る、暑さがゆけば寒さが来る、
夜が明ければ昼となり、昼になれば夜となる、また万物は生ずれば滅し、滅すれば生ずる。
たとえばお金をやれば品物が来る、品物をやればお金が来るのと同じだ。

寝ても覚めても、いても歩いても、昨日は今日になり、今日は明日になる。

田畑も海山もみなそのとおりで、ここでまきをたいて減らすほどは、山林にて木が生育し、
ここで食べるだけの穀物は、田畑で生育する。野菜でも、魚類でも、 世の中で減るほどは、
田畑や河海や山林で生育し、生れた子は、時々刻々年をとって、

築いた堤防は時々刻々に崩れ、掘った堀は日々夜々に埋まり、
ふいた屋根は、日々夜々に腐る。
これがすなわち天理の常である。

しかし人道は、これと異なる。

なぜかといえば、風雨に定めがなく、寒暑が往来するこの世界に、
羽毛も鱗(うろこ)もなく、はだかで生れ出て、家がなければ雨露がしのがれず、
衣服がなければ寒暑がしのがれない。

ここにおいて、人道というものを立てて、米を善とし、雑草を悪とし、
家を造ることを善とし、破ることを悪とする。
みな人のために立てた道だからである。だから人道というのだ。

天理から見る時は善悪はない。
その証拠には、天理にまかせる時は、みな荒地となって、開闢の昔に帰る。

なぜかといえば、これがすなわち天理自然の道であるからである。

天に善悪はない。
だから稲と雑草も差別しない。
種のあるものはみな生育させ、生気あるものはみな発生させる。

人道はその天理にしたがいながらも、そのうちでそれぞれ区別をして、
ヒエや雑草を悪として、米や麦を善とするように、みな人間の身に
便利(有益)なものを善とし、不便(有害)なものを悪とする。

ここまで来ると天理(天道)とは違ってくる。
なぜならば、人道は人が立てるものだからである。

人道はたとえば料理物のように、三倍酢のように、歴代の聖主・賢臣が料理し、
あんばいしてこしらえたものである。
だから、ともすれば、破れてしまう。

だから政(まつりごと)を立てたり、教えを立てたり、刑法を定めたり、
礼法を設けたり、 やかましくうるさく、世話をやいて、ようやく人道は立つのである。

それなのにこれを天理自然の道と思うのは、大きな誤りである、よく考えるがよい。

              <感謝合掌 平成27年4月29日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その3 - 伝統

2015/05/02 (Sat) 18:39:24


尊徳先生はおっしゃった。


人道はたとえば、水車のようなものだ。
その形、半分は水流にしたがい、半分は水流に逆らって回っている。

まるごとに水中に入れば回ることができず流れてしまうであろう。
また水を離れれば回る事はない。

仏教の僧侶のように、世を離れ、欲を捨てたのは、
たとえば水車が水を離れたようなものだ。

また凡俗の者が教義も聞かず、義務もしらないで、
私欲一偏に執着するのは、水車をまるごと水中に沈めたようなものだ。
ともに社会の用をなさない。

だから人道は中庸を尊ぶ。

水車の中庸は、よろしいほどに水中に入って、
半分は水にしたがい、半分は流水に逆のぼって、
運転が滞らないところにある。

人の道もそのようで、天理にしたがって種を蒔き、
天理に逆らって、草を取り、
欲にしたがって家業を励み、欲を制して義務を思うべきである。

              <感謝合掌 平成27年5月2日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その4 - 伝統

2015/05/03 (Sun) 19:39:41


尊徳先生がおっしゃった。


人道は人造である。
だから自然に行われるところの天理とは別である。

天理とは、春生じ秋は枯れ、火は乾燥するにつき、 水は低いところに流れる。
昼夜運動して万古かわらないものがこれである。

人道は日夜人の力をつくし、保護して成る。
だから天道の自然にまかせるときは、たちまちにすたれて行われなくなる。
だから人道は、情欲のままにする時は、立たないのだ。

たとえばまんまんとした海上は道がないようであるけれども、
船の道を定め、これによらなければ、岩にふれてします。

道路も同じく、自分の思うままにゆく時は突き当ってしまう。
言語も同じく、思うままに言葉を発する時は、たちまち争いを生じてしまう。

これによって人道は、欲を抑え情を制し、勤め勤めて成るものである。
美食や美服を欲するのは天性の自然である。
これをため、これを忍んで家産の分内に随わせる。

身体の安逸奢侈(あんいつしゃし)を願うのもまた同じだ。
好むところの酒を控えて、安逸を戒しめ、欲するところの美食や美服を抑えて、
分限の内を省いて余剰を生じ、他に譲り、将来のために譲るがよい。これを人道というのだ。

              <感謝合掌 平成27年5月3日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その5 - 伝統

2015/05/06 (Wed) 18:37:45


尊徳先生はおっしゃった。


人のいやしむところの畜道(動物の世界)は天理自然の道である。
尊ぶところの人道は、天理にしたがうけれども 、
また作為の道であって自然の道ではない。

なぜかといえば、雨にはぬれ日には照らされ風には吹かれ、
春は青草を食べ、秋は木の実を食べ、有れば飽きるまで食べ、無い時は食べないでいる。
これが自然の道でなくて何であろうか。

居宅を作って風雨をしのぎ、蔵を作って穀物を貯え、衣服を製して寒暑をしのぎ、
いつでも米を食べるようなことが作為の道でなくて何であろうか。
自然の道でないことは明らかである。

自然の道は、万古すたれず、作為の道は怠ればすたれる。
それであるのにその人間が作った道を誤って、天理自然の道と思うから、
願う事が成らず、思う事がかなわないのだ。

そしてついには我が世は憂き世であるなどと言うに至るのである。

人道は荒々たる原野のうち、土地が肥沃で草木が繁茂するところを田畑となして、
これには草が生じないようにと願い、土性がやせて草木が繁茂しない地をまぐさ場として、
ここには草の繁茂する事を願うようなものだ。

これをもって、人道は作為の道であって、自然の道にないというのだ。

遠く離れた所の理を見なければならない。

              <感謝合掌 平成27年5月6日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その6、その7 - 伝統

2015/05/07 (Thu) 20:03:50


二宮翁夜話巻之一~その6

尊徳先生はこうおっしゃった。

天理と人道との差別を、よく弁別する人は少ない。
人身があれば欲があるは、すなわち天理である。
田畑に草が生ずるのと同じだ。

堤防は崩れ、堀は埋まり、橋は朽ちる、これがすなわち天理である。

そうであれば、人道は私欲を制することを道とし、
田畑の草を取り去ることを道とし、
堤防は築き立て、堀はさらい、橋は掛け替えることを道とする。

このように、天理と人道とは、別のものであるため、
天理は万古変ずることなく、人道は一日怠るならばたちまちに廃してしまう。

そうであれば人道は勤めることを尊び、自然にまかせることを尊ばない。
人道の勤めるべきは、己れに克つ教えである。
己れというのは私欲である。

私欲は田畑にたとえれば草である。
克つとは、この田畑に生ずる草を取り捨てることをいう。

己れに克つとは、 自分の心の田畑に生ずる草をけずり捨て、とり捨て、
我が心の米麦を、繁茂させる勤めである。これを人道というのだ。

論語に、己れに克って礼に復(かえ)るとあるのは、この勤めのことである。

        ・・・

二宮翁夜話巻之一~その7

尊徳先生は常におっしゃった、

人間の世界にいて屋根の漏るのを坐視し、道路が破損しているのを傍観し、
橋の朽ちているのを憂えない者は、すなわち人道の罪人である。

              <感謝合掌 平成27年5月7日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その8 - 伝統

2015/05/08 (Fri) 18:34:04


尊徳先生はおっしゃった。


世の中に誠の大道はただ一筋である。
神といい、儒といい、仏という。皆同じく大道に入るべき入口の名である。
あるいは天台といい、真言といい、法華といい、禅というのも、同じく入口の小道の名である。

何の教え、何の宗旨というようなものは、
たとえばここに清水(せいすい)があり、この水で藍をといて染めるのを、
紺屋といい、この水で紫をといて染めるのを、 紫屋というようなものだ。

その元は一つの清水である。

紫屋で私の紫の妙なる事は、天下の反物を染めるもので、
紫ほど尊いものはないとほこり、

紺屋ではわが藍の徳たるや、広大無辺である、だから一度この瓶に入れば、
物として紺でないものはないというようなものだ。

このために染められた紺屋宗の人は、自分の宗の藍よりほかに、
有り難い物はないと思い、紫宗の者は、自分宗の紫ほど尊い物はないというのと同じだ。

これは皆いわゆる三界城内を、躊躇して出る事ができないものである。
紫も藍も、大地に打ちこぼす時は、また元のように紫も藍もみな脱して、
本然の清水に帰るのである。

そのように神儒仏を初め、心学・性学など枚挙にいとまがないが、
みな大道の入口の名である。
この入口がいくつあっても至るところは、必ず一の誠の道である。

これを別々に道があると思うのは迷いである。
別々であると教えるは邪説である。

たとえば富士山に登るようなものだ。
先達によって吉田口から登るものがあり、須走口より登るものがあり、
須山口より登るものがあるとっても、その登るところの絶頂に至れば一つである、
このようでなければ真の大道とはいえない。

しかし誠の道に導くといって、誠の道に至らないで、
無益の枝道に引き入れる、これを邪教という。

誠の道に入ろうとして、邪説にだまされて枝道に入って、
また自ら迷って邪路に陥るものも世の中に少なくはない。
慎まなければならない。

              <感謝合掌 平成27年5月8日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その9 - 伝統

2015/05/09 (Sat) 19:33:12


越後国の生まれで、笠井亀蔵という者があった。
理由があって尊徳先生の下僕であった。

尊徳先生は亀蔵にこうさとされた。

「お前は、越後の生まれである。越後は上国と聞いている。
どうして上国を去って、他国に来たのか。」

亀蔵が言った。

「上国ではありません。田畑は高価で、田徳も少ないのです。
江戸は大都会なので、金を得るのが容易であろうと思って江戸に出てまいりました。」

尊徳先生は言われた。

「お前は過っている。越後は土地が肥沃であるために、食物が多い、
食物が多いため、人が多い、人が多いため、田畑が高価である、
田畑が高価であるために、薄利である、それなのに田徳が少ないという。

少ないのではない、田徳が多いのだ、田徳が多く土徳が尊いために、
田畑が高価であるのを下国と見て生国を捨て、他邦に流浪するは、大きな過ちである。
過ちであると知れば、すぐにその過ちを改めて、帰国しなさい。

越後に等しい上国は他に少ない。
それなのに下国と見たのは過ちである。

これをこんにち、暑気の時節にたとえれば、
ミミズが土中の炎熱にたえかねて、土中はとても熱い、
土中の外に出れば涼しいところがあるだろう。

土中にいるのは愚かであると考えて、地上に出て日に照りつられて、死ぬのと同じだ。
ミミズは土中にいるべき性質で、土中にいるのが天の分である。

そうであればなにほど熱くても、外を願わず、自らの本性に随って、
土中に潜んでいさえすれば無事安穏であるのに、心得違いをして、
地上に出たのが運のつき、迷いから禍を招いたのだ。

お前もそのように、越後の上国に生れて、田徳が少ない、
江戸に出れば、金を得る事が大変容易であろう、思い違いして、
自国を捨てたのが迷いの元であって、自ら災いを招いたのだ。

そうであれば、こんにち過ちを改めてすぐに国に帰って、
小を積んで大を為すの道を、勤めるほかあるまい。

心、誠にここに至るならば、自ずから、安堵の地を得ることは必定である。
なお迷って江戸に流浪するならば、つまりはミミズが土中を離れて地上に出たのと
同じようなものである。

よくこの理を悟って過ちを悔いて、よく改めて、安堵の地を求めなさい。
そうしなければ今、千金を与えたとしても、無益である。
私の言うところに、決して間違いはない。

              <感謝合掌 平成27年5月9日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その10 - 伝統

2015/05/10 (Sun) 17:37:01


尊徳先生はおっしゃった。


親が子を育てる、農民が田畑をつくる、私の道と同じである。

親が子を育てる、たとえどうしようもない子どもであっても、
養育料を請求したりしようか。
農民が田を作る、凶歳であれば、肥料代も仕付け料も皆損である。

この道を行おうと欲する者はこの理をわきまえるべきである。

私が始めて、小田原より下野の物井の陣屋に至ったとき、
自分の生まれ育った家を潰して、宇津家四千石の復興一途に身をゆだねた。
これはすなわちこの道理に基づいたのである。

お釈迦様は、生者必滅の理を悟って、 この理を拡充して
自ら家を捨て、妻子を捨て、今日のような仏道を弘めたのだ。
ただこの一理を悟っただけである。

それ、人は、生れ出た以上は死ぬことのあることは必定である。
長生きといっても、百歳を越えるものは稀である、限りのしれた事である。
若死にといっても長生きといっても、実はごく僅かの違いである。

たとえばロウソクに大・中・小があるのと同じだ。
大のロウソクといっても、火が付いた以上は、4時間か5時間ぐらいであろう。

そうであれば人と生れ出た以上は、必ず死ぬものと覚悟する時は、
1日活きれば則ち1日の儲けである、1年活きれば1年の益である。

それゆえに本来の自分は身体もないもの、家もないものと覚悟するときは、
あとは百事百般皆儲けである。

わたしの歌に 

    かりの身を 元のあるじに 貸し渡し 民安かれと 願ふこの身ぞ

この世は、私も人もともに僅かの間の仮の世であるから、
この身は、仮の身であることは明らかである。
元のあるじとは天のことをいう。

この仮の身を自分の身であると思わず、生涯一途に世のため人のためのみを思って、
国のため天下のために益のある事のみを勤めて、一人でも一家でも一村でも、
困窮を免れ、富裕にし、土地を開拓し、道や橋を整備し、すべての人々が安穏に
この世を渡ることのできるようにと、

それのみを日々の勤めとして、朝夕願い祈って、怠らないわがこの身である、
という心で詠んだものである。

これがわたしの畢生(ひっせい)の覚悟である。

わたしの道を行おうと思う者は、知っていなくてはならない。

              <感謝合掌 平成27年5月10日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その11 - 伝統

2015/05/11 (Mon) 19:47:15


ある儒学者が尊徳先生に言った。
「孟子はやさしいが、中庸は難しい」と。

尊徳先生はこうおっしゃった。

「私は、文字の事はしらないが、これを実地正業に移して考える時は、
孟子は難しく、中庸はやさしい。

なぜかといえば、孟子の時代には、道は行われず、異端の説が盛んであった。
だからその弁明をするため、道を開いたのだ。
したがって仁義を説いて、結局仁義そのものの実践からは遠ざかっている。

君らが孟子をやさしいといって孟子を好むのは、自分の心に合うためである。
君らが学問する心は、仁義を行おうために学んでいるのではない、
道を実践するために修行しているのではない。

ただ書物上の議論に勝ちさえすれば、それだけで学問の道は足りるとしている。
議論が達者で、人を言いまかせさえすれば、
それだけで儒者の勤めは果たしたと思っている。

聖人の道というものが、どうしてそのようなものであろうか。
聖人の道は仁を勤めることにある。五倫五常を行うにある。

どうして弁舌をもって人に勝つことを道としようか。
人を言いまかすことをもって勤めとしようか。
孟子はすなわちこれである。

このようなことを聖人の道とする時ははなはだ難道である。
容易に実行しがたい。
だから孟子は難しいというのだ。

中庸は通常平易の道であって、 一歩より二歩、三歩と行くように、
近きより遠きに及んで、低いとことから高いところに登り、
小より大に至る道であって、誠に行いやすい。

たとえば100石の収入の者が、勤倹を勤めて、
50石で暮し、50石を譲って、国益を勤めることは、誠に行いやすい。
愚夫愚婦にもできない事はない。

この道を行えば、学ばないでも、仁であり、義である。忠であり、孝である。
神の道、聖人の道が一挙に行われるであろう。いたって行いやすい道である。
だから中庸というのだ。

私が人に教えるに、私の道は分限を守るをもって本となし、
分内を譲るをもって仁となす と教えている。

なんと中庸であって行いやすい道ではないか。

              <感謝合掌 平成27年5月11日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その12 - 伝統

2015/05/12 (Tue) 18:43:35


尊徳先生はこうおっしゃった。

道の行なわれる事は難しい。また、道が行なわれないのも久しい。
才能があっても、実行力がなければ、道は行なわれない。

才能・実行力があっても、德がなければならない。
その德があっても、位のない時は行なわれない。
しかしこれは、大道を国や天下に行なう時のことである。

難しいのはもちろんである。

しかし吾々は、どうしてその条件にあう人物や位のないのを憂いとしよう。

茄子をならすには、茄子作りが能くし、馬を肥すには 馬士がよくし、
一家を斉へるにはその家の主人がよく爲る。
或は兄弟親戚が相結び、或は朋友同志が相結んで、この道を行う。

人々が此の道に心を尽し、家々にこの道を行ない、村々にこの道を行ったなら、
どうして国家が復興しないことがあらう。

              <感謝合掌 平成27年5月12日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その13 - 伝統

2015/05/13 (Wed) 17:38:19


尊徳先生はこうおっしゃった。

世の中は無事と云うものの、変事を全くなくすることは出来ない。
これは第一に恐るべきことである。

変事があったにしても、これを補う道があれば、変事のないと同様である。
変事があって、これを補い得なければ、大事変になる。

古語に、「三年の貯蓄なければ、国にあらず」(禮記ー第五巻 王政)と。
兵隊があっても、武具や軍用品が備って居なければ、どうにもならぬ。

只国のみでなく、家も同様、万事有余がなければ、
必ず差支えが出来て、家を保つことは出来ぬ。
まして国や天下は、その備の必要は、云うまでもない。

人は、我が教は倹約を専らにする と。
否、変に備えようとするためである。

又人は、我が道は、積財を勤むと。
否、世を救い世を開かうとするための準備である。

古語に、「飲食を薄うして、孝を鬼紳に致し、衣服を悪しうして、美を黻冕に致し、
宮室を卑うして、力を溝洫に盡す」(論語)と。

能く~此の理を玩味したならぱ吝嗇か倹約か、説明を待たずして明かであらう。

              <感謝合掌 平成27年5月13日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その14 - 伝統

2015/05/14 (Thu) 17:44:23


尊徳先生はこうおっしゃった。

大きな事を成そうとするのなら、小さなことも疎かにせず、
真面目に取り組むことが大切だ。
小さなことが積み重なって、大きなことが成るのだ。

仕事だけでなく、人との信頼関係にも通じる重要な考え方。
二宮翁の話はさらに続く。

器の小さな人間ほど大きな結果を望む割には小さな努力を怠り、
うまくいかないことに機嫌を損ね、できる事もやろうとしない。
だから最後まで何もできずに終わってしまう。

これは小さな物の積み重ねが大きなものを作り上げるということを知らないからだ。
百万石の米でも米の粒が大きいわけではないし、
どんなに広い田んぼも一鍬ずつ鍬を入れることによって耕され、
千里の道も一歩ずつ歩いて行くことによってたどり着くことができ、
大きな山も一簣の土が集まって作られている。

このことを頭に入れて小さなことから頑張っていけば、
最後には大きな成功を収めることができる。
小さなことを疎かにする者は大きな結果を得ることはできない。

              <感謝合掌 平成27年5月14日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その15 - 伝統

2015/05/15 (Fri) 17:49:42


尊徳先生はこうおっしゃった。

万巻の書物があっても、無学の者には詮がない。
隣家に金貸しがあっても、借りる力のないのは致し方がない。
向いに米屋があっても、銭が無ければ買い得ない。

それ故、書物を読もうと思わば、先ずいろはから習い初めよ。

家を興そうと思わば小事より積み初めよ。

この以外に方法はない。

              <感謝合掌 平成27年5月15日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その16 - 伝統

2015/05/16 (Sat) 17:48:18


尊徳先生がおっしゃった。


「多く稼いで、お金は少なく使い、多く薪(たきぎ)を取つて、たく事は少なくする、
これを富国の大本(たいほん)、富国の達道という。

そうであるのに世の人はこれを吝嗇(りんしょく)といい、また強欲という。
これは心得違いである。

人道というものは自然に反して、勤めて立つところの道であり、貯蓄を尊ぶためである。
貯蓄は、今年の物を来年に譲る、一つの譲道である。

親の身代(しんだい)を子に譲るというのも、すなわち貯蓄の法に基づくのである。

人道は、言ってみれば貯蓄の一法のみともいえる。

だからこれを富国の大本、富国の達道というのだ。

              <感謝合掌 平成27年5月16日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その17 - 伝統

2015/05/17 (Sun) 20:07:05


尊徳先生はおっしゃった。

米は多く蔵に積んで少しずつ炊き、薪(たきぎ)は多く小屋に積んで
焚く事はなるだけ少くし、衣服は着られるようにこしらえて、
なるだけ着ないで仕舞っておくことこそ、家を富ます方法である。

すなわち国家経済の根元でもある。
天下を富有にする大道も、その実この外にはないのだ。 

              <感謝合掌 平成27年5月17日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その18「技術を持った大神楽は、儒者に勝る」 - 伝統

2015/05/18 (Mon) 19:40:02


尊徳先生が宇津氏の邸内に寓居されていた。

邸内の稲荷社の祭礼に大神楽が来て、技芸を行った。
尊徳先生はこれを見ておっしゃった、


およそ事はこの術のように行うならば、 百事成らない事はないであろう。
その場に出ては、少しもさわがず、まず体を定め、両眼を見すまし、
棹の先に注意を傾け、脇目もふらないで、一心に見つめ、

器械の動揺を心と腰に受けて、手は笛を吹いて扇を取って舞い、
足は三番叟(さんばそう)のリズムを踏んでも、そのゆがみを見とめて
腰にてバランスをとる、そのテクニックは至れり尽せりだ。

手は舞うといっても、手だけで体までは及ばない、
足は踏むといっても、足だけで腰にまで及ばない、

舞うも躍るも両眼はきっと見つめ、心をしずめて、
体を定めるところは、「大学」や「論語」の真理や聖人の秘訣が
この一曲の中に備っているといってよい。

それをこれを見る者が、聖人の道とはるかに隔たっていると見て、この大神楽の術を賤しむ、
儒学者のようなものが、どうして国家の用に立とうか、ああ術というものは恐るべきものだ。

綱渡りが綱の上で起きても臥しても落ちないのもまたこれと同じだ。
よくよく思わなければならない事である。

<参考Web:http://isegohan.hatenablog.com/entry/2014/08/12/112028 >

              <感謝合掌 平成27年5月18日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その19【物よりも命を惜しめ】 - 伝統

2015/05/19 (Tue) 22:55:50


尊徳先生はおっしゃった。

「松明(たいまつ)が尽きて、手に火の近づく時はすぐに捨てなければならない、
火事があって、危い時は荷物は捨てて逃げ出さなければならない、

大風で船がくつがえろうとするときは、荷物は投げ捨てなければならない、
はなはだしい時は帆柱をも切らなければならない、

この理を知らないものを至愚という。」


              <感謝合掌 平成27年5月19日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その20 - 伝統

2015/05/20 (Wed) 17:36:41

二宮翁夜話巻之一~その20【先に奉仕をすれば、あとからついてくるものがある】

川久保民次郎という者があった。
尊徳先生の親戚(母方が川久保家)であったが、貧乏のため先生の従僕をしていた。
国(小田原)に帰ろうと暇ごいを言った。

尊徳先生はおっしゃった。

「空腹である時、他にいってご飯を一杯めぐんでください、
めぐんでくださったら私があなたの庭をはきましょうと言っても、
決して一杯のご飯をふるまってくれる者はいないであろう。

空腹をこらえて、まず庭をはくならば、
あるいは一杯のご飯にありつく事もあるであろう。

これが己を捨てて人に随うの道であって、
百事行はれがたい時に立ちいたっても、行うことができる道である。

私が若いときに初めて家を持った時、一枚の鍬(くわ)を損ってしまった。
そこで隣の家に行って『鍬を貸していただきたい』と言った。
隣の年寄りの主が言った。

『今からこの畑を耕して菜種をまこうとするところだ。
まき終らなければ、貸せない』と言った。

私は自分の家に帰っても、別に行うべき仕事もなかった。

『わたしがこの畑を耕やして進ぜましょう』といって耕し、
『菜の種を出しなさい、ついでにまいて進ぜましょう』と言って、
耕し、かつ、種をまいて、後に鍬を借りた事があった。

隣の主人は言った。
『鍬に限らず何でもさしつかえる事があったら、遠慮なく申しでなさい。
必ず用だていたしましょう』と言われた事があった。

このようにすれば、百事さしつかえがないものである。

お前が国(小田原)に帰って、新たに一家を持てば、必ずこの心得がなければならない。
お前はまだ壮年である。夜もすがら寝なくても、さわりはあるまい。

夜、寝るひまを励し、勤めて、草鞋(わらじ)一足あるいは二足を作って、
明くる日に開拓場に持っていって、草鞋の切れ破れた者に与えなさい。

草鞋を受けた人がお礼しなくとも、
もともと寝るひまに作ったものであるからそれだけのことである。
お礼を言う人があれば、それだけの徳を積んだことになる。

また一銭半銭をもって応ずる者があればこれもまたそれだけの利益といえる。

よくこの理を心に銘じて、連日怠らなければ、どうして志が貫かれない理があろうか、
何事か成らない理があろうか。

私が幼少の時の勤めもこのほかにはない。
肝に銘じて忘れてはならない。

また損料を出して、さしつかえる物品を用だてることを
はなはだ損だいう人があるが、そうではない。
それは物が足っている人の上の事である。

新たに一家を持つ時は、百事にさしつかえがある。皆損料にて用だてればよい。
世に損料ほど便利な物はない、かつ安い物はない。
決して損料を高い物、損な物だと思ってはならない。

              <感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その21 - 伝統

2015/05/21 (Thu) 19:26:55

二宮翁夜話巻之一~その21【内に誠があれば外に現れる。現れれば必ず認められる】

年が若い者が数名いた。

尊徳先生はおっしゃった。

「世の中の人を見なさい。一銭の柿を買うのにも、2銭の梨を買うのにも、
芯頭がまっすぐな、キズのないものをよって取るではないか。
また茶碗を一つ買うにも、色がよい、形のよいものをよって、なでてみて、
鳴らして音を聞いてみて、よりによってとっているではないか。

世の人は皆このとおりだ。
柿や梨は買うといっても、悪ければ捨ててもいいはずだ、それでさえもこのようである。

そうであれば人にえらばれて、聟となったり、嫁となる者、
あるいは仕官して立身を願う者は、自分の身に瑕(きず)があっては、
人が取らないのは勿論の事ではないか、

その瑕(きず)の多い身でいながら、上に評価されなければ、
上が人を見る眼がないなどと、上を悪く言い、人を咎めたりするのは大きな間違いである。
自ら省みて見よ、必ず自分の身に瑕(きず)があるためである。

人身の瑕とは何か。
たとえば酒が好きとか、酒の上の行いが悪いとか、放蕩だとか、勝負事が好きだとか、
惰弱だとか、無芸だとか、何か一つ二つの瑕(きず)があるはずだ。
買手のないのも当然ではないか。

これを柿や梨に譬えるならば芯頭が曲って渋そうに見えるのと同じだ。
そうであれば人の買わないのも無理はない。
よく考えなければならない。

古語(大学)に、『内に誠あれば必ず外に顕(あら)はる』(「誠於中形於外」)とある。
瑕(きず)がなくて芯頭が真直ぐな柿が売れないという事はあるはずがない。

どれほど草深い中でもヤマイモがあれば、人がすぐに見つけて捨ててはおかない。
また、泥深い水中に潜伏するウナギやドジョウも、必ず人が見つけて捕える世の中である。

そうであれば内に誠有って、外にあらはれない道理があるはずがない。

この道理をよく心得えて、自分の身に瑕(きず)のないように心がけるべきである。

              <感謝合掌 平成27年5月21日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その22 - 伝統

2015/05/22 (Fri) 18:00:03

二宮翁夜話巻之一~その22
   【ことに長じた人は、ものごとの真(まこと)を外見からでも見分けられる】

尊徳先生がおっしゃった。

山芋掘は、山芋のつるを見て芋の善し悪しを知る。

鰻釣りは、ドロ土の様子を見て、鰻がいるかいないかを知る。

良農は草の色を見て、土が肥えているか、やせているかを知る、みな同じである。

これが「至誠神の如し」というものであって、
永年刻苦経験して、初めてわかるものである。

技芸にこの事が多い、侮ってはならない。

              <感謝合掌 平成27年5月22日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その23 - 伝統

2015/05/23 (Sat) 19:45:25

二宮翁夜話巻之一~その23
      【人は、事業が社会のために行なわれることを自覚し、
       それを子孫に伝えて行くことが大事な使命であることを知れ】


尊徳先生が、多田氏にこうおっしゃったことがあった。

私は、徳川家康公の御遺訓という物を拝見したことがある。
それにはこうあった。

『私は、敵国(今川家)に生れて、ただ父祖のかたきを報いようという願いだけ持っていた。
しかし、祐誉上人の教えによって、国を安らかにし民を救うことが天理である事を
知ってから、今日に至っている。

わが子孫は長くこの国を安らかに、民を救おうという私の志を継がなくてはならない。
もしこれに背くような者は、私の子孫ではない。民はこれ国の本であるからである。』


そうであれば、あなたが、子孫に遺言すべきことは、

『私は過って、新金銀引替御用を勤めて、自然に増長して贅沢になっていき、
御用の種金を使い込んで、大きな借金をかかえて、破滅寸前のところを、
報徳の方法によって、莫大な恩恵を受けて、このように安らかに相続することができた。

この恩に報いるには、子孫代々贅沢や怠惰を厳に禁じて、節倹を尽して、
収入の半分を推し譲って、世の中の益になるよう心がけ、貧乏人を救い、
村里を豊かにする事を勤めなくてはならない。

もしこの遺言に背く者は、私の子孫であっても、子孫ではない。
すくに放逐しなくてはならない、婿や嫁はすぐに離縁しなければならない。
私の家や田畑は、本来、報徳の方法によってあるものであるからである。』

と子孫に遺言するならば、神君(徳川家康公)の思し召しと同一で、
孝であり、忠である。仁であり、義である。

その子孫も、徳川家の二代公三代公のように、
この遺言を守るならば、その功業は量ることができないだろう。
あなたの家の繁昌と長久も、また限りがないであろう。

よくよく考えなさい。

              <感謝合掌 平成27年5月23日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その24 - 伝統

2015/05/24 (Sun) 19:33:56

二宮翁夜話巻之一~その24【分度を知り、推譲の心を持つことが一家永続の源】

尊徳先生はおっしゃった。

農業でも商業でも、富んだ家の子弟は、仕事として勤め励む必要がない。
貧しい家の者は生計のために、勤めざるを得ない。
そして富を願うために、自分から精励して勤める。

富んだ家の子弟は、たとえば山の絶頂にいるようで、
登るべきところがなく、前後左右皆眼下である。
このため分外の願を起こし、武士の真似をし、大名の真似をし、
増長に増長して、ついには滅亡してしまう。

天下の富んだ者は皆このとおりである。

ここにおいて長く富貴を維持し、富貴を保つためには、
ただ私の道、推譲の教えがあるだけである。

富んだ家の子弟が、この推譲の道を踏まなければ、
千百万の金があっても、馬糞の上に生えたキノコと何が異なろう。

馬糞茸は季候によって生じ、すぐに腐敗し、世の中の用にならならい。
ただいたずらに生じて、いたずらに滅するだけである。
世に富家と呼ばれる者で、このようになってしまうのは惜しい事ではないか。

              <感謝合掌 平成27年5月24日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その25 - 夕刻版

2015/05/25 (Mon) 17:27:32


   【決定と注意が、ものごとをうまく運ばせる決め手】


尊徳先生がおっしゃった。

百事 決定(けっじょう)と注意とが大事だ。

なぜかといえば、何事であっても、百事 決定と注意とによって、事は成就するのだ。
小さい事であっても、決定する事がなく、注意する事がないならば、百事ことごとく破れてしまう。

1年は12ヶ月である。
そして月々に米が実るのではない。
ただ秋の1ヶ月だけ米は実って、12月米を食べているのは、
人々がそのように決定して、そうできるよう注意しているからである。

これによって見るならば、たとえ米が2年に1度、3年に1度実るものであっても、
人々がそのとおり決定して注意するならば、決してさしつかるようなことなないのだ。

およそ物が不足するということは、
皆、そこのところをしっかりと理解していないところにあるのだ。

そうであれば人々の平日の暮し方も、おおよそこのくらいの事にすれば、
年末になれば余るだろうとか、不足するであろうか、知れない事はないであろう。

これに心を使わず、うかうかと暮して、大晦日になって、はじめて驚くのは、
愚の至り、不注意のきわみである。

ある飯たき女がいうのに、
一日に一度ずつ米びつの米をかきならしてみると、米が急に不足するといふ事は決してなしと。
これは飯たき女のよい注意である。

この米びつをならしてみるというのは、すなわち一家のたなおろしと同じである。

よくよく決定して注意すべきである。

              <感謝合掌 平成27年5月25日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その26 - 夕刻版

2015/05/26 (Tue) 18:09:38

二宮翁夜話巻之一~その26
【対立するものごとは、本来一体であるが、対応する人の拠って立つ場に応じて、捉え方は変わる】


尊徳先生はおっしゃた。


善悪の論は大変難しい。
本来を論ずれば、善も無く悪も無い。
善といって分けるから、悪というものができるのだ。

元々、人間の身の私(わたくし)から成りたっているもので、人道上のものである。
だから人間がなければ善悪というものはない。
人間があって、その後に善悪はあるのだ。

だから人は荒地を開くのを善とし、田畑を荒すを悪とするけれども
いのししや鹿のほうからすれば、開拓を悪とし荒すのを善とするであろう。

世間では、盗みを悪とするが、
盗っと仲間では、盗みを善としこれを制する者を悪とするであろう。

そうであれば、どのようなものが善であろうか、
どのようなものが悪であろうか、この理は明確には理解しがたい。

この理が最も見やすいのは遠近である。
遠近というも善悪というも理は同じである。

たとえば杭を二本を作って、一本には遠いと書き、一本には近いと書き、
この二本を人に渡して、この杭をあなたの遠い所と近い所と、
二箇所に立てなさいと言いつけた時は、すぐに分る。

わたしの歌に
「見渡せば遠き近きはなかりけり
 おのれおのれが住処(すみか)にぞある」
と詠んだ。

この歌、善きも悪しきもなかりけりという時は、人の身には切実であるから分らない、
遠近は人の身に切実でないからよく分るのである。

工事に曲直を望んでも、あまり目に近すぎる時は見えないものである。
だからといって遠すぎても。また眼力が及ばないものだ。

古語に、
遠い山木がない、遠い海には波がない、というようなものだ。

だから自分の身にうとい遠近に移してさとすのである。
遠近は自分の居どころが先ず定って後に遠近はある。
居どころが定らなければ、遠近は必ずない。

大坂は遠いというのは、関東の人であろう。
関東は遠いというのは。関西の人であろう。

禍福・吉凶・是非・得失みなことと同じだ。
禍福も一つである、善悪も一つである、得失も一つである。
元々一つであるもの半ばを善とすれば、その半は必ず悪である。

それなのにその半ばに悪がない事を願う。
これは成就しがたい事を願っているのだ。

人は生れたのを喜べば、死が来る悲しみはこれに随って離れない。
咲いた花は必ず散るのと同じだ。
生じた草は必ず枯れるのと同じだ。


涅槃経にこの譬えがある。
ある人の家に顔かたちうるわしい端正な婦人が入ってきた。
主人がどういうお人ですかと質問した。

婦人は答えて言った。
私は功徳天である、私が来る所は、吉祥福徳が無量です。
主人は悦んで請じ入れた。

婦人は言った。私に随従する婦人が一人あって、
必ず後から来ます、これをも請じ入れてくださいと。

主人は応諾した。

すぐに一人の女が来た。容貌が醜悪で大変醜い。
どういう人ですかと主人が質問した。

この女は答へた。
私は黒闇天である。私が来るところは、不祥災害が無限に起こると。
主人はこれを聞いて大変怒って、すぐい帰り去れと言うと、

この女は言った。
前に来た功徳天は私の姉である。暫くも離れる事はできない。
姉をとめれば私もとめなければならない。
私を出せば姉も出さなければならなと言う。

主人は暫く考えて、二人ともに出すと、二人連れだって出ていった、
という事があったと聞いている。

これは生者必滅、会者定離の譬えである。
死生はもちろん、禍福・吉凶・損益・得失皆同じだ。

元々禍と福と同体であって一円である。
吉と凶と兄弟であって一円である。
百事皆同じである、ただいまもこのとおりだ。

通勤する時は近くてよいといい、火事だというと遠くでよかったという。
これをもって知るがよい。

              <感謝合掌 平成27年5月26日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その27 - 伝統

2015/05/27 (Wed) 19:24:02

二宮翁夜話巻之一~その27
【禍福は表裏一体。人のためになることをすれば福となる】


禍福は二つあるのではない。元来一つである。

近く譬えれば、包丁をもってナスを切ったり、大根を切る時は、福である。
もし包丁をもって指を切る時は、 禍(わざわい)である。
ただ包丁の柄を持って物を切るのと、過って指を切るのとの違いである。

包丁に柄だけあって刃が無ければ、包丁ではない。
歯があって柄が無ければ、また用をなさない。
柄があり刃があって包丁である。
柄があり、刃があるのが包丁の常である。

それで指を切る時には禍とし、菜を切る時は福(さいわい)とする。

そうであれば禍福というのも私ごとではないか。

水もまたそうである。

畦(あぜ)をたてて水を引けば、田地をこやして福(さいわい)である。
畦がなくて水を引くときは、肥えた土が流れて、田の地はやせる、
その禍であることはいうまでもない。
ただ畦が有るのと畦がないのとの違いだけである。

元は同一の水であって、畦があれば福(さいはい)となり、
畦がなければ禍(わざわい)となる、富は人の欲するところである。

しかしながら、自分のためにするときは禍がこれにしたがい、
世のためにする時は福がこれにしたがう。 

財宝もまた同じである。
積んで人のため世のために散ずるならば福となり、積んで散じなければ禍となる。

このことは人々が知らなければならない道理である。

              <感謝合掌 平成27年5月27日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その28 - 夕刻版

2015/05/28 (Thu) 17:57:34

二宮翁夜話巻之一~その28
【事業においては、易しい部分から取り組む】

尊徳先生はおっしゃった。

何事にも変通という事がある。
知っておかなくてはならない。
すなわち権道(けんどう:正しいとはいえないが目的達成のために便宜的にとる手段。方便)である。

困難であることを先にすることは、聖人の教えであるけれども、
これはまず仕事を先にして、それから後に賃金を取れというような教えである。

ここに農家に病人等があって、耕し草刈りが手後れになった場合、

草が多いところを先にすることが世上の常であるけれども、
このような時に限っては、草が少なく、かえって手をつけやすい畑から手入れをして、
草が多いところは、最後にするべきである。
これが最も大切な事である。

いたって草が多く手重のところを先にする時には、大変手間取ってしまい、
その間に草の少ない畑も、皆一面草になって、どちらも手後れになるものであるから、
草が多く手重い畑は、五畝(せ)や八畝(せ)は荒してしまっても「ままよ」と
覚悟をして暫く捨ておいておき、草が少なく手軽なところからかたづけるべきである。

そうしないで手のかかるところにかかって、
時日を費やす時は、僅かの畝歩のために、全体の田畑が、順々に手入れがおくれて、
大変な損となるのである。

国家を復興するのもまたこの理である。
知っていなくてはならない。

また山林を開拓するのに、大きな木の根は、そのまま差し置いて、回りを切り開くがよい。
そして3,4年を経るならば、木の根が自ら朽ちてしまい力を入れないで取れるものである。
これを開拓の時に一時に掘り取らんとする時は労多くして功は少ない、百事そのようである。

村里を復興しようとすれば、必ず抵抗する者がある。
これを処する、またこの理である。
決してかかわってはいけない。障(さは)ってはいけない。

度外において自分の勤めを励むがよい。  

              <感謝合掌 平成27年5月28日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その29 - 伝統

2015/05/29 (Fri) 18:22:10

二宮翁夜話巻之一~その29
【天理、天命とはいえ、その影響を変化させることは可能】


尊徳先生はおっしゃった。

今日は冬至である。
夜の長いのはすなわち天命である。
夜の長いことを憂えて、短くしようと欲しても、どうしよもない。

これを天という。
この行灯(あんどん)の皿に、油が一杯ある、これもまた天命である。
この一皿の油でこの夜の長いのを照すに足りない。
これもまたどうしようもない。

ともに天命であるけれども、人事をもって、灯心を細くする時には、
夜中にして消えるべき灯火も、暁まで達するであろう。

これが人事をつくさなければならない理由である。

たとえば伊勢参りをする者が江戸から伊勢まで、
まづ100里として路用が10円とすれば、生き返り20日として、一日50銭に当る、
これがすなわち天命である。

それなのに一日に60銭ずつ使う時は、2円の不足を生ずる。
これを40銭ずつ使う時は2円の余りが生ずる。
これ人事を以て天命を伸縮するべき道理のたとえである。

この世界は自転運動の世界であるから、決して一所に止まらない。
人事の勤労と怠惰によって、天命も伸縮することができる。

たとえば今朝焚くたきぎがないのは、天命であるけれども、
明日の朝取って来れば、すなわちある。

今、水桶に水が無いのも、すなわちさし当たって天命である。
そうであっても汲んでくればすなわちある。

百事この道理である。

              <感謝合掌 平成27年5月29日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その30 - 伝統

2015/05/30 (Sat) 18:27:09

二宮翁夜話巻之一~その30
【薄きに対しても、厚きを以って応えよ】


尊徳先生が、常陸国(ひたちのくに:茨城県)の青木村のために、力を尽された事は、
私の兄、大沢勇助が、烏山藩の菅谷八郎右衛門とはかって起草し、
小田某に依頼して漢文にした「青木村興復起事」の通りであるから、今ここで繰り返さない。

さて年を経て尊徳先生がその近村の灰塚(はいつか)村の復興を行われた時に、
青木村は、旧年の報恩のためといって、冥加(みやうが:お礼)人足といって、
毎戸一人ずつ無賃で勤労しにやってきた。

尊徳先生は、これらの人達の働きぶりを見て、後に言われた。

「今日来て勤めるところの人夫は、ほとんどが二三男の者であって、
私がその当時厚く世話してやった者たちではない。

これは表に報恩の道を飾ってはいるが、その内情はどうは知ることができない。
そうであれば私はこの冥加人足を出してきたことを喜ばない。」と。


青木村の地頭の役人がこれを聞いて
「私がよく説諭しておきましょう。」と言った。

尊徳先生は、これをとめて言われた。

「これ(心から報恩のために尽力するよう説諭すること)は道ではない。
たとえ、内情はどうであろうとも、旧恩を報いるためと称して、
無賃で数十人の人夫を出してきたのだ。

内情がどうかをおいて、賞賛しなくてはならない。
かつ薄きに応ずるには厚きをもってしなければならない。
これがすなわち道である。 」

と言って、青木村の人夫を招いて、旧恩のお礼として、
遠路出て来て無賃にて私の事業を助ける、大変素晴らしいことだと懇々と賞賛して、
かつ感謝し、過分の賃金を分かち与えて、帰村を命じられた。

一日を隔てて青木村の村民は老若を分たず、皆未明から出て来て、
一日中休まないで働いて賃金を辞退して帰っていった。

尊徳先生はまたいくらかのお金を青木村に贈られた。

              <感謝合掌 平成27年5月30日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その31 - 伝統

2015/05/31 (Sun) 19:36:27

二宮翁夜話巻之一~その31
【言葉の内容にその人の思考方向が見える。常に、善、良、上を志向する考え方を持つ】


尊徳先生がおっしゃった。

一言を聞いてもその人の勤惰は分るものである。

江戸は水でさえ金を払わなくてはいけないと言う人は、怠け者である。
水を売っても金が取れるという人は勤め励む人である。

夜はまだ9時なのにもう10時だと言う者は、寝たがる人である。
まだ9時前だという人は、勉強心のある人である。

すべての事に、下に目を付けて、下に比較する者は、必ず下向きの怠け者である。

たとへば碁を打って遊ぶは酒を飲むよりまだよいと言って碁を打ったり、
酒を飲むのは博奕をするよりよいなどと自分に言い訳して酒を飲むようなものだ。


上に目を付けて上に比較する人は、必ず上向きの人である。

古語に、『一言以て知(ち)とし一言以て不知(ふち)とす』とある。
そのとおりである。

・・・

<参考>
 古語に、『一言以て知(ち)とし一言以て不知(ふち)とす』とは、以下による。

<論語子張第十九>
陳子禽(ちんしきん)、子貢(しこう)に謂いて曰く、
子は恭をなすなり。
仲尼(ちゅうじ)はあに子よりも賢ならんや。
子貢曰く、

君子は一言(いちげん)、もって知となし、一言、もって不知となす。

言は慎(つつし)まざるべからざるなり。
夫子の及ぶべからざるや、なお天の階(かい)して升(のぼ)るべからざるがごときなり。
夫子にして邦家(ほうか)を得たらんには、いわゆる、これを立つればここに立ち、
これを道(みちび)けばここに行き、これを綏(やす)んずればここに来(きた)り、
これを動かせばここに和(やわ)らぐ。
その生(い)くるや栄(はえ)あり、その死するや哀(かな)しまる。
これをいかんぞそれ及(およ)ぶべけんや。

  → http://blog.goo.ne.jp/ronngo0904/e/17a6cdedf1ed16ab1a2f7ecb7541a31f

              <感謝合掌 平成27年5月31日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その32 - 伝統

2015/06/01 (Mon) 17:27:36

二宮翁夜話巻之一~その32
【聖人も、自分で聖人とは名乗っていない。他人が認めた結果、そう呼ばれるだけである】

尊徳先生はおっしゃった。

聖人も聖人になろうとして、聖人になったわけではない。
日々夜々天理に随って人の道を尽して行うのを、他人が称して聖人といったのである。

堯・舜(ぎょう・しゅん:古代中国の聖王)も
一心不乱に、親につかえ、人を憐んで、国のためにつくしただけである。
それを他の人がその徳を讃えて聖人といったのである。

諺(ことわざ)に、聖人聖人というのは誰の事かと思ったら、
おらが隣の家の丘(孔子の名前)が事か、ということがある。
本当にそういう事なのだ。

私が昔、鳩ヶ谷の宿場町を通った時、同町で不士講(ふじこう)で有名な
三志という者を尋ねていったが、三志といっても誰も知る者がない。

よくよく問い尋ねてみれば、それは横町の手習師匠の庄兵衛が事であろう、
といわれた事があった。

これと同じことだ。

              <感謝合掌 平成27年6月1日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その33 - 伝統

2015/06/02 (Tue) 19:34:38

二宮翁夜話巻之一~その33
【老舗は、過去の人達の努力の上に成り立っている。
 それを今の自分の力で成り立っていると勘違いするな。
 また乱世と平時は同じではないから、時代に応じた考え方が必要】


下館侯の宝蔵が火災にあい、
代々、家宝としてきた「天国(あまくに)の剣(つるぎ)」が焼けてしまった。

下館城下で富豪である中村氏に下館藩の役人が尋ねた。

「このように焼けてしまったが、この剣は当家第一の宝物である。
よく研いで白鞘にしまって、蔵に納めおこうと思うがどうだろうか。」

中村はその焼けた剣を見て言った。

「ごもっともな話ですが、そんなことをしてもなんの益がございましょう。
たとえこの剣が焼けないとしても、このように細うございます。
何の用に立ちましょう。
このように焼けてしまったのを、いまさら研いで何の用にたちましょう。
このまましまっておかれればよろしいでしょう」と言った。


これを聞かれて尊徳先生は、大声で叱責された。

「なんじは、大家の子孫に生まれ、祖先の余光によって
このように格式をたまわり、人の上に立って人に敬せられているではないか。
なんじのような者が、そのような事を申すのは、大きな過ちである。

なんじが人に敬せられるのは、太平のお蔭ではないか。
今は太平の世である。

どうして、剣が用に立つとか、立たないとか論ずる時であろうか。
なんじ自身を省りみてみよ。
なんじがなんの用にたっているか。

この天国の焼剣と同じように、実は用に立つ者ではないのだ。
ただ先祖が積んできた徳と、家柄と格式とによって、
やくに立つ者のように見え、人にも敬せられているのだ。

焼身であっても細身であっても重宝と尊ぶのが、太平のお蔭であり、この剣の幸福なのだ。
なんじを中村氏と人々が敬するのは、これまた太平の恩徳と先祖の余蔭である。

用に立つ、用に立たない論ずるならば、なんじのような者は捨ておいてよい。
たとえ用に立たなくとも、当家御先祖の重宝としてこれを大切にするのが、
太平の今日において至当の理である。

私はこの剣のために言うのではない。
なんじのために言うのだ。
よくよく沈思せよ。

かって水戸の殿様が、寺社のつりがねを取りあげて、大砲に鋳造された事があった。
わたしはこの時にも、 御処置は悪いわけではないが、まだ太平の世であるからはなはだ早い。
太平の世には鐘や手水鉢を鋳て、社寺に納めて、太平を祈らせるがよい。

事があった時にすぐにそれらを取り上げて大砲とすればよい。
その時、誰か異議を言おうか、社寺ともに喜んで出すであろう。
このようにして国は保つのだ。

敵を見て大砲を造る、
いわゆる盗人を捕へて縄をなうようだと言う人もあろうが、
通常の敵を防ぐべき備えは、今日足っている。

その敵が容易でないのを見て、自分の領内の鐘を取って大砲を鋳造する、
どうして遅いことがあろうか。
この時日もないほどであれば、大砲があっても、
必ず防ぐ事はできないであろうと言った事があった。

どうして太平の時に、乱世のような論を出す必要があろう。
このように用に立たない焼身であっても宝とする。

ましてや用に立つ剣ならなおさらである。
そうであれば自然とよい剣もでてくるであろう。

そうであればよく研ぎあげて白鞘におさめて、
元のように、ふくさに包んで二重の箱に納めて、重宝とするがよい。

これはなんじのような者に帯刀を許し、格式を与えるのと同じだ。
よくよく心得えておくがよい。」


中村氏は、頭を何度も畳にくっつけて先生に謝った。
時に九月であった。

翌朝、中村氏は句を作って、ある人に示した。
その句に

「じりじりと 照りつけられて みのる秋」と。

ある人はこれを尊徳先生に見せた。
尊徳先生はこれを見て大変に喜ばれ、こうおっしゃった。

「私は昨夜中村氏を教戒した。
定めて不快の念であろうか、怒気が内心に満ちていようかと、ひそかに案じていた。

しかし家柄と大家とをおそれて、おもねる者ばかりだから、しらずしらず増長して、
ついには家を保つ事もおぼつかなくなるだろうと思ったから、やむを得ず厳しく教戒した。

それなのに怒気をたくわえることなく、不快の念もなく、虚心平気にこの句を作った、
その器量は案外大きいように見える、
この家の主人たるに恥じない、この家の維持は疑いない、

古語に、
我を非として当る者は我が師なり とある、

かつ大禹(たいう:古代中国の聖王であった禹)は善言を拝す ともある。
なんじら(門弟)も肝に銘ぜよ。

富家の主人は、何を言っても、ごもっとも、ごもっともと錆つかせる者ばかりで、
と石に出合って研ぎ磨かれる事がないから、慢心を生ずるのだ。

たとえば、ここに正宗の刀があっても、研ぐ事がなく磨く事がなく、
錆つく物とのみ一つところにに置けば、たちまち腐れて紙も切れないようになるであろう。

そのように、三味線引きや太鼓持(たいこもち)などとだけ交っていて、
それもごもっとも、これもごもっともなどと、こびへつらうのを喜んで明かし暮し、
争友の一人もないのは、危ういというべきである。 

             <感謝合掌 平成27年6月2日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その34 - 伝統

2015/06/03 (Wed) 17:38:52

二宮翁夜話巻之一~その34
【家禄や役職上の地位に、他人は頭を下げる】


尊徳先生は、相馬藩から実地研修にきていた高野氏を諭しておっしゃった。

物にはおのおの命(めい)があり、数がある、
猛火が近づいてきても、薪(たきぎ)が尽きてしまえば、火は次第に消えていく。

矢玉の勢いは、当たるところは必ず破り、必ず殺すほどの威力があっても、
弓の勢いがつき、あるいは鉄砲の薬力がつきれば、
草むらの間に落ちて、人に拾われるにいたる。

人もまたそのようである。

自分の勢いが、世に行われていても、自分の力と思ってはいけない。
親先祖から伝え受けた位禄の力と、拝命した官職の威光とによるためである。

先祖伝来の位禄の力や、職の威光がないなら、
どんな人も、弓の勢いの尽きたる矢や薬力の尽きた鉄炮玉に異らない。
草の間に落ちて、人に愚弄されるに至るであろう。

よく思わなければならない。

             <感謝合掌 平成27年6月3日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その35 - 伝統

2015/06/04 (Thu) 18:54:40

二宮翁夜話巻之一~その35
【事業の初期に余力が出たときには、貯めることよりも、
 事業を効果的に進めるために、有効に使うことを考えよ】


同氏(高野丹吾)は、相馬領内衆にぬきんでて、仕法発業を懇願した人である。
よって同氏が預っていた(代官見習いをしていた)、成田村と坪田村の二村に開業が決まった。
そして、なんと仕法を実施してわずかに1年で、分度外の米が400俵も産出した。

高野氏は蔵を建ててその米を収め貯えて、凶歳の備えにしようとした。


尊徳先生はおっしゃった。

村里の復興をはかる者は、米金を蔵に収めることを尊ばない。
この米金を村里のために、遣いはらうことを専らに務めとする。
この遣い方の巧拙によって、復興に遅速を生ずるのだ。

これがもっとも大切なところである。

凶荒の予備に貯えるのは仕法が成就した時の事だ。
今あなたが預っている村里の仕法は、昨年発業したばかりだ。
これから一村を復興し、永世に安穏できる企画を立てるべきときだ。

まずこれこそが、この村にとって急務の事業であろうといふことを、
よくよくお互いに協議して開拓するなり、道路や橋を整備するなり、
困窮した民を救うなり、もっとも務めるべきの急務を先にし、
また村里のために、利益の多い事に着手し、害のある事を除く方法に、遣い払うがよい。

急務の事が皆終わったら、山林を仕立てるのもよろしい、
土性を転換するのもよろしい、非常の飢疫の予備はもっともよろしい。

(同席した門弟を見渡されて先生はおっしゃった)
きみら(門弟)もよくよく思考しなければならない。」

             <感謝合掌 平成27年6月4日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その36 - 伝統

2015/06/05 (Fri) 17:57:12

二宮翁夜話巻之一~その36
【過ぎたるは及ばざるが如し】

ある門弟が事をなすに、やり過ぎる癖があった。
尊徳先生はその者をさとされておっしゃった。


「およそものごとに度といふ事がある。
ご飯を炊くのも、料理をするのも、皆よろしいほどこそが大切だ。

私の仕法の方法もまた同じである。
世話をやかなければ行われないのはもちろんだが、世話もやき過ぎると、また人に嫌われ、
『どうしていいかわかりません、私のことなどほっといてください』などと、
いうに至るものだ。」


古人の句に、

 さき過ぎて 見るさへいやし 梅の花

とある。

ここのところを言い得ていて素晴らしい。

百事過ぎたるは及ばざるに劣るということを心得ておかなければならない。

            <感謝合掌 平成27年6月5日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その37 - 伝統

2015/06/06 (Sat) 19:34:48

二宮翁夜話巻之一~その37

【他人に意見をする前に、自分の心に意見せよ】

浦賀の人、飯高六蔵は多弁の癖があった。
国(神奈川県浦賀)に帰ろうとして、暇ごいにきた。

尊徳先生は飯高をさとして言われた。

なんじは国に帰ったら、必ず人に説く事を止めよ。
人に説く事を止めて、自分の心で、自分の心に意見するがよい。

自分の心で自分の心に意見するのは、斧の柄にする枝を伐り取るのに、
その長さは手元の斧の柄を手本にするという、それよりも近い。
もともと自分の心であるからである。

そもそも意見する心は、あなたの道心である。
意見される心は、あなたの人心である。

寝てもさめても、坐っていても歩いていても、自分の心は離れることがないから、
行住坐臥油断なく意見するがよい。
もし自分が酒を好むならば、多く飲む事をやめよと意見するがよい。

速やかに止めればよし、止めない時は何度も意見せよ。
そのほか贅沢の心が起る時にも、怠け心が起る時も皆同じである。
百事このようにみずからを戒めるときは、これ無上の工夫である。

この工夫を少しずつ積んで、自分の身が修まって家がととのったならば、
これが自分の心が自分の心の意見を聞いたということなのだ。
この時に至ったとき、なんじが説くところを聞く者もあるであろう。

自分を修めて人に及ぶのが道理であるからである。
自分の心で自分の心を戒しめて、自分が聞かないうちは決して人に説いてはならない。

またなんじが家に帰ったら、商業に従事するのであろう。
土地柄といい、祖先代々の家業でもあり結構なことだ。

さりながら、なんじが売買をなしても、決して金を儲けようなどと思ってはいけない。
ただ商道の本意を勤めるがよい。
商人たる者が、商道の本意を忘れる時は、 眼前は利を得てもつまりは滅亡をまねくであろう。

よく商道の本意を守って勤め励むならば、財宝は求めないでも集まり、
富み栄え繁昌することは間違いない。

決して忘れてはならない。


            <感謝合掌 平成27年6月6日 頓首再拝>

二宮翁夜話巻之一~その38 - 伝統

2015/06/07 (Sun) 18:23:04

二宮翁夜話巻之一~その38

【分を守り、社会に譲ることが、仁徳であり、仁の多い社会は繁栄の道を進む】

嘉永5年正月、尊徳先生が私の家の温泉(小田原塔の沢の福住楼)に数日入浴された。
私の兄の大沢精一が、先生に随つて入浴した。
先生は湯桁(ゆげた)に腰掛けて、大沢精一にさとされておっしゃった。


世の中なんじらのような富者で、皆足る事を知らないで、あくまで利を貪って、
不足を唱えるのは、大人がこの湯船の中に立って、かがまないで、湯を肩にかけて、
『湯船が浅すぎる、 膝までも満たない』と、ののしるようなものだ。

もし湯を望みにまかせれば、小人、子どものようなものは、入浴する事ができないであろう。
これは湯船が浅いのではない。自分がかがまないのがいけないのだ。

よくこの過りを知って屈めば、お湯はたちまち肩に満ちて、おのづから十分であろう、
どうして他に求むる事をしよう。
世間の富者が不足を唱えるのも、どうしてこれに異なろう。

一体、分限(ぶんげん)を守らなければ、千万石といえども不足となり、
一度過分の誤ちを悟って分度を守るならば、有余が自然とでてきて、
人を救っても余るほどになるであろう。

湯船は大人はかがんで肩について、子どもは立つて肩につくのを中庸とする。

100石の者は、50石にかがんんで50石の有余を譲り、
1000石の者は、500石に屈んで500石の有余を譲る、これを中庸というのだ。

もし一郷のうちに一人でもこの道を踏む者があれば、人々は皆分を越えるの誤ちを悟ろう、
人々が皆この誤ちを悟って、分度を守ってよく譲るならば、
一郷は富み栄えて、和順する事は疑いない。

古語(大学)に、

一家仁なれば一国仁に興る

という。

よく思わなければならない。
仁は人道の極である。

儒者の説くところは大変難しくて、用をなさない。
近く譬えれば、この湯船の湯のようである。

この湯を手で自分の方にかけば、湯は自分の方に来るようであるけれども、
皆向うの方へ流れ帰ってしまう。

これを向うの方へ押す時は、湯は向うの方へ行くようであるけれども、
また自分の方へ流れ帰る、 
少しく押せば少しく帰り、強く押せば強く帰る、これが天理である。

仁といい、義というのは、向うへ押す時の名である。

自分の方へかく時には不仁となり不義となる、慎まなくてはならない。

古語(論語)に、

己にかつて礼にかえれば天下仁に帰す、
仁をなす己による、人によらんやとある。
己というのは、手を自分の方へ向ける時の名である。
礼というのは、自分の手を、先の方に向ける時の名である。
自分の方へ向けては、仁を説いても義を述べても、皆無益である。

よく思うがよい。

人体の組立てを見よ、人の手は、自分の方へ向いて、
自分のために便利にできているが、また向うの方へも向いて、向うへ押すようにできている。

これが人道の元である。

鳥や獣の手は、これに反して、ただ自分の方へ向いて、自分に便利なだけである。

そうであれば人間である者は、他のために押すのが道である。

そうであるのにわが身の方に手を向けて、わがために取ることのみを勤めて、
先の方に手を向けて、他のために押す事を忘れるのは、人であって人でない、
すなわちケダモノである。

どうして恥かしく思わないでいられようか。
ただ恥かしいだけではない、天理に違うためににについには滅亡してしまう。

だから私は常に奪うに益なく、譲るに益あり、譲るに益あり、奪うに益なし、
これがすなわち天理であると教えている。

よくよく玩味しなければならない。

二宮翁夜話 巻之一 終

・・・

次回からは、二宮翁夜話 巻之二について、新たなスレッドにて進めてまいります。

            <感謝合掌 平成27年6月7日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.