伝統板・第二

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お月さん - 伝統

2015/04/04 (Sat) 04:39:37

今日(4月4日)は、皆既月食が観測できる日です。

月が地球の影に完全に隠れる日。
太陽・地球・月が一直線に並び、月が赤黒く見える「皆既月食」。
今回は、20時54分~21時6分に完全に隠れ、赤銅色の満月になるらしい。

お天気次第では、肉眼で見れるそうなので、土曜のお花見シーズン、
夜桜を見ながら貴重な赤い月も見上げることができる地域が多いのではないでしょうか。

方角は東から南東にかけて。午後7時15分から月が欠け始め、午後8時54分から
9時6分までの約12分間、月がすべて地球の影に入る皆既月食となります。

次回日本で見ることができる皆既月食は、2018年1月31日になるそうです。


ちなみに、4日は旧暦で言うと2月16日になります。
この日の満月と桜に関しては、800年ほど前の下記の歌がよく知られています。


 「 願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 」 西行


西行法師が桜の花咲く如月(旧暦2月)の望月(満月)の日に亡くなりたい
と願ったその日で、その願いどおりになったとされています。
春の気が満ちてゆくような、ちょうど今時分の春の穏やかさだったのかもしれません。


<参考Web:皆既月食を観測しよう 2015
       → http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20150404-lunar-eclipse/ >

・・・

今宵の月は満月ですので、今夕の神想観は、浄円月観で、どうでしょうか。


淨圓月觀

(正坐瞑目合掌し、普通の神想観の如く、
 無限の智慧、愛、生命、供給、歓び、調和の世界を観じたる後、次の如く繰返し祈る)

 神よあなたの無限の愛を吾れに流れ入れ給いて、
 吾れに於て愛の霊光燦然として輝き給え、
 然して、すべての人の罪を赦しすべての人々を愛したまえ。

(以下思念を次の通り繰返します)

 神の無限の愛吾れに流れ入り給いて吾れに於て愛の霊光燦然と輝き給う。

(坐れる自身の身長と同じ位の空色の淨圓月の雰囲氣に包まれている自分を内観します)

 吾れに淨圓月の雰囲氣ただよう。
 吾が雰囲氣は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。
 
 すべての人々に平和と喜びを与え、すべての人の罪を赦し、
 すべての人を愛するのである。

(前に戻って繰返し念ずるのであります)


・・・・・


 *補足~「詳説 神想観」(「浄円月観」)より

この神想観は自分の雰囲気をやわらかく、あたたかく、人に平和と喜びを与えるような、
そういう雰囲気をよくするにふさわしい神想観であります。

まず普通の神想観の如く、無限の智慧、愛、生命、供給、歓び、調和の世界を観じたる後、
(あるいは最初から直接)次の如く繰返し祈ります。


『天地一切の創造主(つくりぬし)にましまして、吾が御親にまします神よ、
あなたの無限の愛を吾れに流れ入らしめ給いて、吾れに於いて愛の霊光燦然と輝き給いて、
すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛し給え。』

これが祈りの言葉であります。

我々が人の罪を赦そうと思ってもなかなか腹が立って赦せない。
怨み骨髄に徹し、嫉妬心が起ったり、損得利害の考えが起きてきて
どうしても赦す事ができない。

しかし、それは人間で赦そうと思うからできないのであります。
そこでこういう祈りが必要になる。

神の無限の愛が自分に流れ入って、そして神の愛が自分において人々を赦すので
自分が赦すのではない。

人を赦さないで憎んだり、怨んだりして人を縛る心を持つと自分自身の心が縛られ
その人の雰囲気が峻しい雰囲気になっている。
そして人が何となく近寄りがたく親しみがなくなる。

そこですべての人々を赦し、すべての人々を愛するような雰囲気になりますと
人が自然と親しみやすく、近よりやすく、その人の為に何でもしてやりたいと思うようになって、
おのずから店も繁昌し、事業も協力者を得て成就するという事になるわけであります。


それでこの祈りを数回一心不乱に繰返しまして、その祈りがきかれたと思いまして出来るだけ
ゆっくり息を吸いながら空気を吸うと思わず、光り輝く神様の愛が流れ入ると観じながら。


『神の無限の愛吾れに流れ入りたまいて吾れにおいて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾れに浄円月(じょうえんげつ)の雰囲気ただよう。吾れに浄円月の雰囲気ただよう。』

こう念ずるまで息をずっと吸っているわけであります。
吸い終わってもう息が入らないでも息を吸っておるつもりで
じっと息を止めていればよろしいのであります。

『吾れにおいて愛の霊光燦然と輝きたまう』

と念ずるときには光り輝くものが流れ入ってその念ずる言葉と調和して自分を中心に
黄金色の光が自分からさして、そしてちょうど自分の背より一尺くらい大きい位の黄金色の
ガス状みたいな後光(オーラ)が自分を取り囲んでいるような気持ちになり、

静かなる空色の浄(きよ)く円(まど)かなるお月様のような光を放っている、
その雰囲気をじっと見詰めるのであります。

それで下腹に力を徐々に入れながら、”みずおち”を引っ込めてその辺の息を下腹に落して、
下腹に息をじっと保ったままその雰囲気をじっと見詰めて、

『吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。
すべての人々に平和と喜びを与え、すべての人々の罪を赦し、
すべての人々を愛するのである。』

こういうふうに下腹に息を軽く入れて保ったままで
「吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。すべての人々に平和と喜びを与え」
―― その自分まで息を下腹に保ち、

その次の「すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである」 
―― こう念ずる自分、息が自然と洩れて下腹が少し引っ込む位の気持ちになる。
それで息がでるとまた息を吸う。

吸うときは「神の無限の愛吾れに流れ入り給いて吾れにおいて愛の霊光燦然と輝きたまう。
吾れに浄円月の雰囲気ただよう。吾れに浄円月の雰囲気ただよう」、
息を吸い終るとその息を下腹に落し、

「吾が雰囲気は、やわらかく、あたたかく、清く、うるわし。すべての人々に平和と喜びを与え」
―― こう念じている時分が一番下腹に息が入って下腹がふくれている時分です。

そして、「すべての人々の罪を赦し、すべての人々を愛するのである」
―― という時分に息がもれ、下腹がちょっとくぼんだような状態になる。

これを繰り返します。

   (*以下は、谷口雅春先生・著『詳説神想観』(P228)より )

「浄円月観」を行った後、

「神の無限の愛、吾れに流れ入り給いて愛の霊光燦然と輝き給い吾れに浄円月の雰囲気漂う。
浄円月の雰囲気いよいよその輝きを益して全地上を覆い、全人類をして愛と平和の想いを
満たし給う」と繰り返し念ずるのがのが好いのであります。

・・・・・

           <感謝合掌 平成27年4月4日 頓首再拝>

浄円月の十大願 - 伝統

2015/04/05 (Sun) 04:40:03


       *『生命の實相』第39巻仏教篇(P205~206)より


次に掲ぐる浄円月の十大願を毎日聖経読誦の後または、神想観実修の直後に朗々と誦して、
自己の潜在意識に、月の円満なるがごとく円満なる実相を印象せられますならば、自己の
雰囲気が浄化されて円満となり、人生に処しても何事も都合良く行くようになるのであります。


《浄円月の十大願》

(1)月の円満なるがごとく自心も欠くることなし。
   われ万徳を具足し、一切種智を成就せん。

(2)月の潔白なるがごとく自心も潔白なり。
   われ自性潔白にして性徳円満なることを実現せん。

(3)月の清浄なるがごとく自心も無垢なり。
   われ月のごとく自性清浄にして本より貪染(どんぜん)なからんことを期す。

(4)月の清涼なるがごとく自心も熱を離れたり。
   われ慈悲の水をそそいで、瞋恚(いかり<しんい>)の火を消さん。

(5)月の明照(みょうしょう)なるがごとく、自心も照朗(しょうろう)なり。 
   われ本より無明を離れて光明遍く照らす。

(6)月の独一(どくいつ)なるがごとく、自心も独尊なり。
   われ諸仏の尊ぶところ、万法の帰するところなり。

(7)月の円満なるがごとく、自心も偏りを離れたり。
   われ常に中道を極めて永く辺執(へんしつ)を越えんと欲す。

(8)月の遅からざるがごとく自心も速疾(そくしつ)なり。
   われ秘密の輪を転じて刹那に惑を断ち心を浄(じょう)に遊ばしめん。

(9)月の巡転するがごとく、自心も無窮に巡転す。
   われ正法の輪を転じて邪迷(じゃめい)の闇を破せん。

(10)月の遍く現ずるがごとく、自心も遍く静かなり。
    われ一体を分かたずして九界の前に現じ多身を仮らずして十方の土に臨み
    一切苦厄ある者の暗(やみ)を照らさん。

        (弘法大師の阿字円月観の説明の円月の十大功徳による)


           <感謝合掌 平成27年4月5日 頓首再拝>

十五夜お月さん~中秋の名月 - 伝統

2015/09/27 (Sun) 04:36:10


今年の中秋の名月は、今日(9月27日)です!

そして、明日(9月28日)は満月。

9月28日の満月では、スーパームーンを楽しめます。

http://www2.astroarts.co.jp/special/2015moon/index-j.shtml

http://www.tenki.jp/suppl/m_nakamura/2015/09/25/6721.html


<参考Web>

(1)本流宣言掲示板「中秋の名月 (4406)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=907

(2)光明掲示板・第一「中秋の名月 (1997)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=424
   (このWebには、”道産子 さま”による谷口雅春先生の書の紹介があります)

(3)光明掲示板・第三「名月 (177)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=71

           <感謝合掌 平成27年9月27日 頓首再拝>

十三夜 - 伝統

2015/10/25 (Sun) 06:48:55

今夜は、十三夜。

「十三夜に曇り無し」という言葉があるのですが、
今日の十三夜は晴れるでしょうか?


旧暦の8月15日の夜の月を十五夜(中秋の名月)と呼んでいますが、
旧暦9月13日の夜の月を十三夜と呼び、古来から、月見を楽しんできました。


今日、10月25日は、満月の2日前の日で、
中秋の名月に次いで、月が綺麗にみえる十三夜。

十三夜は栗の収穫の時期にあたり、栗名月とも呼ばれます。


古くから、片見月を避け、
十五夜と十三夜の月、両方を観るととても縁起が良いと言われております。

             ・・・

中秋の名月は元々中国で行われていた行事が、日本に伝来したものですが、
十三夜の月見の行事は日本独特の風習だそうです。

一説には、宇多法皇がこの月を愛でて「無双」と賞したことが始まりとも、
醍醐天皇の時代(延喜19年、西暦919年)に開かれた観月の宴が
風習化したものとも言われています。


          ・・・

   長月十三夜になりぬ。
   今宵は、宇多の帝のはじめて詔をもて、世に名月と見はやし、後の月、
   あるは二夜の月などいふめる。

         (貞享五年(1688)に芭蕉が書いた「芭蕉庵十三夜」)


          ・・・

   清涼殿の南のつまにみかは水ながれいでたり。その前栽にささら河あり。
   延喜十九年九月十三日に賀せしめ給ふ。題に月にのりてささら水をもてあそぶ。
   詩歌心にまかす

       ももしきの大宮ながら八十島をみる心地する秋の夜の月

         (醍醐天皇の延喜十九年(919)九月十三日の日付がある、『躬恒集』)


          ・・・

   九月十三夜の月をひとりながめて思ひ出で侍りける

       さらしなや姨捨山に旅寝して今宵の月を昔みしかな

         (平安中期の能因法師~『新勅撰集』)


          ・・・

   『山家集』  九月十三夜

       雲きえし秋のなかばの空よりも月は今宵ぞ名におへりける

         (平安後期、西行法師)


          ・・・

   『丹後守藤原為忠家百首』  十三夜月

       先まくりいま二夜をば満てずしてくまなきものは長月の月

         (藤原俊成)


   (九月十三夜~http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/saijiki/13ya.html

・・・

参考Web:十三夜月(栗名月)
      → http://homepage2.nifty.com/turupura/month/10Kuri/menu.html

           <感謝合掌 平成27年10月25日 頓首再拝>

『月の舟』 - 伝統

2017/08/28 (Mon) 18:40:45

『月の舟』(つきのふね)

         *メルマガ「夢の言の葉」(2017年8月28日(月--旧暦閏7月7日---)より

今日は旧暦の七夕です。

『月の舟』とは、月を、大空を渡る舟にたとえていう語。また、半ばの月---
 
 
 
 織姫と彦星の七夕伝説は、中国から伝わったものです。
 
 
 それによると、織姫は、天帝の娘。
 
 七夕の日は、織姫の方から、華麗な車に乗り、
 鵲(かささぎ)が羽を広げてかけてくれた橋を渡って
 彦星に会いにいくことになっています。
 
 ところが、日本人の感覚では、訪ねていくのは男性の方。
 
 そこで、いつしか七夕伝説も、彦星が、天の川を渡って、
 織姫のもとに行くというふうに、変化していきました。
 
 
 旧暦の時代の月は、日付と連動していますから、
 7月7日の月は、いつも半月。
 
 それを、舟に見立てたのでしょう。
 
 『月の舟』は、大空を海にたとえ、
 そこを渡っていく月を舟にたとえた言葉です。
 
 必ずしも、半月だけをさしたわけではなかったようですが、
 江戸時代の歳時記『増(ぞう)山の井』には、
 
 ~月のみふね。月の舟。これ半月を云也(いふなり)~
 
 と記されています。
 
 
 
 現代の七夕は、月とは無関係。
 
 天の川さえよく見えない現代の空に、
 舟は必要ないというわけではないのでしょうけど……。
 
 『月の舟』の存在が、ロマンティックな物語を、
 いっそう引き立てていたような気がします。
 
            <感謝合掌 平成29年8月28日 頓首再拝>

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