伝統板・第二

2559850
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

楽観歓喜 - 夕刻版

2015/04/03 (Fri) 18:45:39

*光明掲示板・伝統・第一「楽観歓喜 (446)」からの継続です。
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=109

・・・

<独楽吟第十七首>

   ” たのしみは まれに魚烹(うをに)て 児(こ)等(ら)皆が
                うましうましと いひて食(く)ふ時 ”


(訳)「わ~い、今日は「ごちそうだ!」
   今日の晩飯のおかずは大奮発して、魚を買い求めたのだ。

   めったにないことではあるが、3人の子供たちは眼を輝かせ、
   歓声をあげながら箸を運ぶ。魚の煮付け料理である。

   「おいしいねえ!」「すごく、おいしいねえ!」
   子供たちの幸せそうな表情を見ていると、
   しみじみ良かったと思う。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。

               ・・・

<独楽吟第十八首>

   ”たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中(うち)に
                    我とひとしき 人をみし時 ”


(訳)たいして期待もせずになんとなく読みすすめていた書物の中に、
   おや? 自分と同じ思想や志をもった人間を見つけることができた。
   たのもしいではないか。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく楽しい気分になるのは・・・。

・・・

橘曙覧は江戸後期の文化九年(1812)五月、越前国(福井)の紙商、
正玄五郎右衛門の子として生まれ、名を五三郎と称した。
 
生家の正玄(せいげん)家は橘諸兄もろえの流れを汲む家柄であったことから、
後年、曙覧はこれを誇りとして橘姓を名乗り、成人して尚事と名をあらためた。
また橘の実が赤いことからその後、曙覧と名を名乗ったという。
 
 
彼の生きた文化・文政期(いわゆる化成期と呼ばれる)は、
交易を求めてロシア、イギリスなどの船が来航し、
一方各地で旱魃、風水害、百姓一揆などがあって、疫病も流行するなどした。

世は定まらず、人心が不安定な時期が続き、
政治の舵取りが次第に難しくなって来たときである。

 
曙覧は2才で母を失い,15才の時、父は45才の若さで他界した。
父の死後、曙覧は仏門(日蓮宗妙泰寺)に入り、
そのの寺の住職・明導について仏教の教えを受けた。

明導は漢籍に明るく、詩歌にも通じていたので、
この時様々な学問的な基礎や教養を身につけたと思われる。

やがて、家業に戻りするが商人には向かず、家業をほうっておいて、
福井に来訪していた”漂白の学者”尚平という国学者のもとで古歌や国学に没頭した。

このとき,中根雪江と知り合っている。

曙覧が歌学の道で生きようと決意を固めたのは、飛騨高山に住む本居宣長の高弟、
田中大秀に入門(弘化元年・1844)し、帰郷したあとからである。

田中大秀というのは、江戸後期の国学者として一門を構える大家で「万葉集」のほか
中古の物語・日記文学に優れた功績があり、「竹取翁物語解」は今日でも価値ある名著
とされている。

直接そばで指導を受けた期間は半年と短かったが、
文通ではこれまでずっと指導を受けてきており、
大秀から直々に本居宣長譲りの国学を学び、和歌の道を伝授された。


やがて,曙覧37歳の時、足羽山から町はずれの三ツ橋というところに住居を構え、
そこを「藁屋わらのや」 と名付けて終の住み家とする。

曙覧49歳の九月、その息子、今滋は16歳をむかえて元服(成人)の年齢に成長する。
 
そのお参りに神宮参拝をし、また本居宣長の跡を弔おうと伊勢旅行を計画、
文久元年(1861)九月十一日,白子に至り紺屋という旅籠に宿泊した。  

「独楽吟」は曙覧が53歳の時に詠んだが、
その4年後曙覧が57歳のとき明治と改元された。

曙覧は天皇の治世を熱望して、新しい時代の到来に心を躍らせていたのであったが、
しかし、日本が明治時代になる4ヶ月前,慶応四年(1868)五月二十八日、
明治の御代を見ることなくその生涯を閉じた。

物情騒然たる江戸末期の五十余年、身を強く持して権勢を望まず、富貴を求めず、
清貧に甘んじて,ひたすら風雅の道に喜びを求める生き方を貫き通した人であった。

http://www4.airnet.ne.jp/sakura/blocks_menu/conjyaku_09/akemi/akemi_syokai_1.html )

            <感謝合掌 平成27年4月3日 頓首再拝>

快の言葉が、快の感情と快のエネルギーを生み出す - 伝統

2015/04/05 (Sun) 19:54:33

<独楽吟第十九首>

   ”たのしみは 雪ふるよさり 酒の糟(かす)
              あぶりて食(く)ひて 火(ひ)にあたる時 ”

(訳)雪がしんしんと降っている。
   寒い夜には、火鉢の傍に座って暖をとる。

   酒糟を火にあぶっては、食べる。
   酒はないが、酒糟の香ばしい匂いが、あたり一面に広がっていく。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。

              ・・・

<独楽吟第二十首>

   ”たのしみは 書(ふみ)よみ倦(う)める をりしもあれ
                声(こゑ)知る人の 門(かど)たたく時 ”

(訳)書物を読んでいたのだが、だんだん飽きてきた。
   ちょうどそんな折、タイミング良く、声を聞いただけで
   誰とわかる友人が、「やあ、いるかね」などと言いながら、訪ねてきてくれた。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく楽しい気分になるのは・・・。



・・・

【おめでたいと言われても】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年05月02日)」より

   (佐藤富雄氏の心に響く言葉より…)

   最近は不況だ倒産だと何かにつけてマイナスのニュースにばかり目が向きがちですが、
   だからこそ特に経営者やビジネスマンは、もう何を言われようとも、何があろうとも、
   物事を楽天的に考え、快の言葉を口にしたほうがいいんです。

   おめでたいと言われても、そっちのほうがいいに決まっています。

   営業を仕事としている人の場合にも、商品が売れない理由ばっかり挙げる人と、
   一個でも売れたら喜んで、売れた理由をいっぱい挙げる人がいるでしょう。

   この違いはやがて大変な差となり、販売成績に如実にあらわれてきます。

   「売れた理由」を数限りなく挙げられる人は、知らず知らずのうちに、
   脳内に「成功プログラム」が形づくられていきます。

   どこへ足を運び、どんな人に会い、どんなことを話せば商品がよく売れるのかという
   プラスの情報が脳内で整理され、無意識のうちに体が動くようになっていくのです。


   こういう社員さんがたくさんいる会社の社長さんは本当に恵まれていますね。
   不況のあおりを受けて一時的に売り上げが落ち込んでも、
   比較的早い時期に経営は持ち直すでしょう。

   社長自ら率先して楽天的になり、快の言葉を口にするよう心がけていれば、
   社員もその影響を受け、快の言葉で「成功プログラム」をつくれるようになっていきます。


   これは、夫の出世を望んでいる奥様方、受験生の子供を持つお母さん方も使える手です。

   「あなた、頑張ってたくさんお給料を稼いできてね」
   「今年こそ絶対に大学に受かってようだいよ」

   とプレッシャーをかけるのではなく、


   「今日もおいしいごはんが食べられて嬉しいね」
   「勉強が一段落したら、おいしいおやつでお茶にしようか」

   と快の言葉で家庭を切盛りしていくほうが、
   夫も子供もがぜん元気になって「やる気」になります。

   職場においても家庭においても、快の言葉が快の感情と快のエネルギーを生み出し、
   誰にとっても心地良い環境をつくっていきます。

   しかし誰かが率先して良い流れをつくりださない限り、良い環境は整っていきません。

   まずはあなたが一歩踏み出し、良い言葉の習慣を広げていってください。

    <『100万人の口ぐせ理論 いい「口ぐせ」はいい人生をつくる』大和出版 >

                ・・・

困難な場面や、大変なときにポジティブな言葉を使う人は、
「おめでたいヤツ」とか、「お気楽な人」と言われてしまうことがある。

「ヘラヘラと笑っているんじゃない」とか、「もっと真剣に考えろ」と、言われることも。


「真剣」なのと、「深刻」なのは違う。

ひたいに皺(しわ)を寄せた深刻そうな人には、誰も寄り付かない。

誰も寄せ付けないぞ、とバリアを張る深刻そうな人には、運も、ツキもやってこない。


どんなときも、明るくポジティブな面を見ている人は、まわりを明るく元気にする。

たとえ「おめでたい」と言われても、常にポジティブな言葉を口にしたい。

            <感謝合掌 平成27年4月5日 頓首再拝>

楽しそうに城壁を磨く - 伝統

2015/04/07 (Tue) 17:49:06


<独楽吟第二十一首>

   ”たのしみは 世に解(と)きがたく する書(ふみ)の
       心(こころ)をひとり さとり得(え)し時 ”


(訳)世間では、その意味内容、きわめて難解といわれている
   書物ではあるが、私は独力で、その真髄を理解し会得することができた。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく幸せな気分になるのは・・・。

               ・・・


<独楽吟第二十二首>

   ”たのしみは 銭(ぜに)なくなりて わびをるに
  人の来たりて 銭くれし時 ”


(訳)お金が底をついてしまった。困った。
   いったいどうしたらよいのだろう。

   すっかり気落ちしていると、折り良く知人がやってきて、
   銭をくれるではないか。先日、書を書いてやったのだが、
   その揮毫代だという、助かった。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずありがたく幸せな気分になるのは・・・。



・・・

【楽しそうに城壁を磨く】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2011年11月04日)」より

   (邑井操氏の心に響く言葉より…)

   「人は影の勤めということ肝要(かんよう)也(なり)」
   と言ったのは北条早雲だ。

   辛い仕事や陰の目立たぬ仕事は人の嫌がるもの。
   嫌がる仕事を快く引き受ける人こそ、人から感謝される。
   目立たぬ仕事に打ち込む姿は人々に快い感動を呼びさまさせる。

   やがて押し出され引き上げられ、目立つ仕事と場所が用意される。
   そのとき多くの人から祝福され、支持を得て、思い切り力がふるえる。
   そういう例は非常に多い。

   業界の名リーダーといわれる人などを見ると、
   自然と人から推されて名誉職につく人が多い。

   平生手弁当で人のために親切に骨身を惜しまず働く面倒見の良い人が、
   ぜひお願いしますとトップの座へ祭り上げられる。

   徳のある人とはそういう人を言う。


   下積みや目立たぬ仕事を嫌がらず黙々とやるべきことをきちんとやる。
   その陰の働きに対し、表の働きを求められるのだ。

      <『心をつかみ人を動かす』PHP文庫>

               ・・・

その国では、占領した国の高官を捕虜としてとらえると、城壁を磨かせる仕事をさせていた。
それは危険で、もっとも下級の者のする仕事とされていたからだ。

壁を磨く者たちの顔には、

「なんで俺たちがこんなことをしなければいけないのか。世が世なら…」

という不満と羞恥と絶望が、ありありと浮かんでいた。


ある日のこと、その国の王さまの目に、実に楽しそうに城壁を磨く若者の姿が映った。
気高くさえ見えた。

それは占領した隣の国の王子だった。

やがて、子どものいなかった王さまは、その王子に王位を譲り、
いつしか、城壁を磨く仕事は、選ばれた者のみ許される高貴な仕事となった。

      《新 自分を磨く方法》より



自分に誇りと自信を持っている者は、どんなつらい仕事を与えられようと、
そこに楽しみを見出し、自分の天国を築くことができる。

いかなることがあろうとも、不平、不満、愚痴を言わないと決めれば、
楽しいこと、幸せなこと、ありたいことが、自然と目に飛び込んでくるものだ。

人が嫌がる目立たない仕事だからこそ、そこにやる意味と、価値がある。


「陰徳陽報(いんとくようほう)」という言葉があるが、
目立たないようにする善行は、いずれ表に出て報われる。

どんな仕事がやってこようと、楽しく、ニコニコと、感謝の気持ちで働きたい。

            <感謝合掌 平成27年4月7日 頓首再拝>

天国言葉を使う - 伝統

2015/04/09 (Thu) 19:37:54

<独楽吟第二十三首>

   ” たのしみは 炭(すみ)さしすてて おきし火の
       紅(あか)くなりきて 湯の煮(に)ゆる時 ”


(訳)火鉢の炭に新しい炭をひとつつぎ足した。
   そのままぼんやりして、炭のことを忘れていたが、
   ふと気がつくと炭は赤々と燃え立っている。

   意外なほど強い炎で、鉄瓶の音立てて沸騰させているではないか。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。

                ・・・

<独楽吟第二十四首>

   ”たのしみは 心(こころ)をおかぬ 友(とも)どちと
     笑ひかたりて 腹(はら)をよるとき ”


(訳)私には気がねのいらない心からの友がいる。
   まじめに語り合うこともあるが、たまに馬鹿話をして、
   腹の皮がよじれて死にそうになるくらい笑い合うこともある。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。



・・・


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年04月09日)」

   (中村天風師の心に響く言葉より…)

   だいたいにおいて消極心となるものが、およそ結合すると20数種類あります。
   つまり心を消極的にして人間の心を価値のないものにする劣悪な感情の素因を成すもの。


   第一が「怒ること」
   第二が「怖れること」
   第三が「悲観すること」

   第四が「煩悶すること」
   第五が「苦労すること」
   第六が「悩むこと」

   第七が「憂うること」
   第八が「迷うこと」
   第九が「心配すること」

   第十が「憎むこと」
   十一が「恨むこと」
   十二が「やきもちを焼くこと」

   十三が「排他すること」(あれが好きだ、これが嫌だと)
   十四が「嫌うこと」
   十五が「復讐を思い立つこと」(仕返ししてやろうと)

   十六が「人をあしざまに悪く言うこと」
   十七が「ものを疑うこと」
   十八が「邪推すること」

   十九が「焦慮(しょうりょ)すること」(心の落ち着きを失って焦ること)
   二十が「不平」
   二十一「不満」

   二十二「自暴、やけくそ」
   二十三「自棄(じき)、捨て鉢」

   すべて分割するとみんなこの二十三種類の中から生まれてくる心です。

   この中で第一の憤怒、それから第二の恐怖、第三の悲観と、
   それからずっと向こうへ行ってやきもちを焼く心とかたき討ちをするぞという気持ちと、
   それから好き嫌いを盛んに起こす心と、それからものを疑う心は、
   これは人間以外の動物にも共通してある心であります。


   だからとにかく自分の心を暗くし、さわやかなものにしない思い方や考え方が
   心の中で浮かんでいたら、それはもう、とりもなおさず人間以外の動物が
   持っている心と同じ心に今自分がなっているんだと。

   しかも区役所行くってえと、ちゃんと人間としての戸籍が登録してあるのに、
   区役所の帳簿だけが人間で、思ったり考えていることは動物園へ入っているものと
   五十歩百歩だということを考えなきゃダメだ。

         <『真人生の創造』PHP研究所>

             ・・・

消極的な人は、日頃消極的な言葉を使っている。

それは、斎藤一人さんのいう「地獄言葉」。
「ついてない」、「不平不満」、「グチ・泣きごと」、「悪口・文句」、
「心配ごと」、「ゆるせない」


その逆の積極的な人になるには、「天国言葉」を言うこと。

「ついてる」、「うれしい、たのしい」、「感謝してます」、
「しあわせ」、「ありがとう」、「ゆるします」


消極的な人は、後ろ向きで、否定的、暗く、怒りっぽく、元気・やる気がなく、
イライラして、人がうらやましくて仕方なくて、そして不機嫌。

積極的な人は、前向きで、肯定的、明るく、笑顔があり、元気ハツラツ、
やる気があり、人にやさしく、心が軽やかで、おおらか、そして機嫌がいい。


いつも機嫌が良くて、積極的な人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年4月9日 頓首再拝>

周りの人みんなが笑顔になれる言葉を使う - 夕刻版

2015/04/11 (Sat) 17:52:22

<独楽吟第二十五首>

   ”たのしみは 昼(ひる)寝(ね)せしまに
      庭(には)ぬらし ふりたる雨を さめてしる時 ”


(訳)暑い夏の昼下がり、うつらうつらと昼寝をし、ふと目覚めて
   外を見ると、おや・・・?
   庭がしっとりとぬれているではないか。

   眠っている間にどうやら夕立が来て、通りすぎていったらしい。
   ちっとも気がつかなかった。

   かわいていた庭の草木は、たっぷりと水を含んで、いかにも嬉しそうだ。 
   私も、嬉しい。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。

               ・・・


<独楽吟第二十六首>

   ”たのしみは 昼寝目(め)ざむる 枕(まくら)べに
             ことことと湯の 煮(に)えてある時 ”

(訳)晩秋の昼下がり、昼寝から目覚めると、
   枕元の火鉢に置いた鉄瓶の湯が、ことことと音立てて煮えている。
   昼寝する時には、まだ少しも煮えていなかったのだが。

   さて、そろそろ起きて、書物でもひもとこうか。
   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。



・・・


《周りの人みんなが笑顔になれる言葉を使う》

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年04月03日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   あるところで、一泊二日の泊まり込みの旅行がありました。
   数十人の人が泊まり込み、夜を徹してしゃべり、翌朝も一緒に朝食を食べました。

   朝食の時、隣にご夫婦が座っていました。
   私の顔を見るなり、その奥さんが話しかけてきました。

   「質問してよろしいですか」「どうぞ」

   「実は私の子供なんですが…」というふうに話をし始めました。
   私は、そこで両手でバツを作りながら、にっと笑って「ブー」 と言いました。


   実は、その前夜に数十人でお茶会をやったときに、
   何十人もの人から同じような質問を受けていたのです。

   その質問とは「自分以外の人間を自分の思いどおりにするには
   どうすればよいか」というものでした。

   質問している人は、それぞれ全部、状況が違います。

   自分の思いどおりにしたいその対象は、子供であったり、
   親であったり、夫であったり、妻であったり、職場の同僚であったりはするのですが、

   結局は、自分を取り巻いている人間関係のなかで、気に入らない人を
   「自分の思いどおりにしたい」というのが悩み相談のほとんどでした。

   それを昨夜のうちに何回も何回もくり返し言っていたのです。


   「また、自分以外のことの質問なんですね、実は…自分の質問のようにご本人は
   思っているでしょうけど、結局は自分の思いどおりにしたいということですよね」

   と言いました。

   1分ほどこの方が黙っていました。

   また口を開きました。

   「職場にですねえ…私にすごくつらく当たる上司がいるんです」。

   私はまた笑ってしまって、
   手でバツを作って「ブー」と言いました。


   私は、次のような話を続けたのです。

   「もしかすると、日常生活ではほとんど笑顔がない状態で、そのように行く先々で、
   家庭の中で、職場で、あるいは友人の中で、いつもいつも『これが問題だ、問題だ』と
   言い続けてきたのではありませんか。

   もし、私があなたの上司であったならば、あなたの顔を見たら、
   『これが問題だ、これが問題だ』と言っているあなたに対して、自分に近づいて
   こないように、より厳しく、より冷たい言葉を投げかけるのではないでしょうか。

   『私のそばに寄ってくるな』という意志や作用が明らかに働くと思います。

   『問題だ、問題だ』というふうに問題を熊手で集めてくるのをやめにしませんか」

   と言いました。

   「こんな楽しいことがあってね、こんな嬉しいことがあってね、
   こんな幸せなことが実はあったのよね、こんなおもしろい話に出会ったのよね、
   つい最近読んだ本がものすごくおもしろい本だった」

   そういうように笑顔で話す人がいたら、その人の周りには人が集まると思います。

   その人の口から出てくる言葉が

   「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」
           (この七つを、「七福神」ならぬ「祝福神」と名づけました)。

   そういう喜びの言葉、幸せな言葉というものが外に出てきたら、
   それを喜ぶ人たちがたくさんいます。


   「問題だ、問題だ」と問題点を探し出すよりも、
   受け容れることで自分が楽になるのです。

   そして、受け容れることでさらにそこに喜びを感じ、幸せを感じ、
   さらに感謝を感じることができたならば、その一つひとつの言葉に人々は癒されて、
   明るい気持ちになり、その人の周りに皆さんが寄ってきます。

   そして、周りの人みんなが笑顔になり、笑顔の集団が出き上がります。

          <『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲舎>

              ・・・

心理学の基本に
「他人は変えることはできない。変えることができるのは自分だけ」 というものがある。

同様に、過去も変えられない。

しかし、その過去も、他人も、考え方一つ、見方一つで、
事実は変わらないとしても、自分の思いは変えることができる。

「ああ、あの大きな病気があったから、今の自分があるんだ」 と思うようなことだ。

人を変えようとすればするほど、自分が苦しくなる。

思うようにならないからだ。


たとえ、仮に、身体のどこか1個所が痛かったとしても、
それ以外のすべての箇所が無事で痛くないのなら、そのことを喜び、感謝する。

問題点だけを見ずに、
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ついてる」という言葉を使い、
明るく楽しい面を見るなら、人は幸せに生きられる。


周りの人みんなが笑顔になれる言葉を使い続けたい。

            <感謝合掌 平成27年4月11日 頓首再拝>

楽観と悲観 - 伝統

2015/04/15 (Wed) 18:24:45


<独楽吟第二十七首>

   ”たのしみは 湯(ゆ)わかしわかし 埋(うづ)み火(び)を
              中(うち)にさし置きて 人とかたる時 ”

(訳)親しい友が遠方より来てくれた。
   火鉢の灰に埋めた灰で、ゆっくりと湯をわかす。
   わかした湯で、お茶を入れる。お茶をのみながら、つもる話をつづける。

   湯がなくなったら、鉄瓶に水をつぎ足し、また湯をわかす。
   何度もこれをくり返すが、話はつきることがない。
   ゆっくりゆったりとした時間が流れてゆく。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。


              ・・・

<独楽吟第二十八>

   ”たのしみは とぼしきままに
        人集(あつ)め酒飲め物を 食(く)へといふ時 ”

(訳)気の合う友人たちを招いて酒盛りを開くことにした。
   とはいうものの、なにせ貧しい我が家でのこと。
   ごちそうを出せるわけではない。

   ありあわせのお酒と食物をひとつのこらず並べて、もてなしたのだ。
   「さあ、もっと飲め! もっと食え!」
   友人たちの笑いと歓声。
   酒盛りは、いつはてるともなくつづく。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。


・・・

【楽観主義者と悲観主義者】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年06月10日)」より

   (ウシオ電機会長、牛尾治郎氏の心に響く言葉より…)

   フランスの哲学者アランの名著『幸福論』に、

   「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」

   とあります。

   悲観主義のほうが知性的であるとして重きを置く向きもありますが、
   アランはその深い人間洞察により楽観主義の本質を鋭く捉え、
   人の生き方に示唆を与えてくれています。


   アメリカの経営学者ピーター・ドラッカーは、
   決断に際して4つの優先順位というのを説いています。

   第一に、過去ではなく未来を選ぶ。

   第二に、問題ではなく機会に焦点を合わせる。

   第三に、横並びではなく独自性を持つ。

   第四に、無難で容易なものではなく、変革をもたらすものを選ぶ。

   そして、この4つを選ぶのは見識ではなくリーダーの勇気であると主張しています。

   この勇気こそは、楽観主義の最たるものといえます。


   生前懇意にしていただいていた大平正芳(おおひらまさよし)元総理は、

   「淡(たん)にして事を成し、甘(かん)にして事をこわす」

   という言葉を残されました。


   淡々と着実に事に当たれば成功するが、甘くなれば失敗するという意味です。
   “厳”ではなく“淡”という言葉を使われたところに、
   大平さんの深い洞察が感じられます。

   楽観主義が陥りやすい欠陥は、甘になることです。


   東京オリンピック・パラリンピックの招致決定など、近年にない明るい話題に
   日本が沸いていますが、私たちはここで甘に陥ることのないよう、
   為すべき事を淡々と、着実に実行していくことによって、
   日本の再生を確実なものにしていかなければなりません。

      <『月刊致知 2014年7月号』“巻頭の言葉”致知出版社>

              ・・・

「悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。
楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す」

と言ったのは、イギリスの名宰相、ウィンストン・チャーチル。

何か新しいことをしようとしたとき、
できない理由ばかり探し出し、止めにかかる評論家もどきは多い。

勇気ある挑戦者はどんな困難な中でも、そこにチャンスを見いだす。


ただし、楽観主義者もあまりノーテンキすぎる大きな失敗をする。

「上手(じょうず)の手から水が漏(も)る」ということわざの通り、
どんなに上手な人でも、慢心が生まれると失敗する。


「淡(たん)にして事を成し、甘(かん)にして事をこわす」

おごらず、慢心せず、淡々と事を成したい。

            <感謝合掌 平成27年4月15日 頓首再拝>

何でも好い方面を見る - 伝統

2015/04/18 (Sat) 20:02:04

<独楽吟第二十九首>

   ”たのしみは 客人(まれびと(まらうど))えたる
     折(をり)しもあれ 瓢(ひさご)に酒の  ありあへる時 ”

(訳)不意に客がやってきた。
   久しぶりに酒をくみかわしたい相手である。

   だが待てよ。我が家に酒はまだ残っていただろうか?
   あわてて台所に行き、瓢箪をふってたしかめてみる。
   酒の音がする。あった、あった。良かった。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく楽しい幸せな気分になるのは・・・。

                ・・・

<独楽吟第三十首>

   ”たのしみは 家内(やうち(やぬち))五人(いつたり)
        五(いつ)たりが 風だにひかで  ありあへる時 ”

(訳)家族5人が5人とも、風邪ひとつ引かず、
   毎日を健康に暮らしていられるというのは、

   ああ、
   なんともいえずありがたく幸せなことだなあ・・・。


・・・


絶えず不幸を見出す人になるな

           *『生活読本』より

貴方は世界に対して、良きものを支払っていますか。
微笑みを支払っていますか。悲しみを支払っていますか。

微笑みを支払っているならば、微笑みが周囲からやって来るでしょう。
悲しみを支払っているならば、悲しみが周囲からやって来るでしょう。

大体は、「今日は楽しくない」と思う習慣のある人は
常に楽しくないことに取りまかれるでありましょう。

そう云う人は、天気が曇りであると云っては鬱陶しいと云い、
雨が降ると、ジメジメして気持ちが悪いと云い、晴れていると暑苦しいと云う。
何が来ても不平を云い、面白くないと云う。

御飯が固いと云っては小言を云い、柔らかければお粥のようで不味いと云う。
そして絶えず小言を云っているうちに自分の性格がそこなわれ、
人からは嫌われ、世の中のすべての物は面白くなくなります。


その反対を行いなさい。世の中は屹度幸福になります。
雨が降ったら「ありがたいお湿りです。これで水力電気が沢山とれます。
畑の作物が喜びます」と云いなさい。
曇っていれば「今日の天気は落ち着いていて宜しい」と云いなさい。

晴れていれば「まことに朗らかな快晴で結構です。気分まで晴々します」
と云いなさい。この通りに云わなければならぬのではありません。

何でも好い方面を見て、褒めたり感謝したりするようにしていますと、
終いには、ほめたり感謝したりすることばかりが
あなたの周囲に集まってくることになるのです。

            <感謝合掌 平成27年4月18日 頓首再拝>

喜び上手 - 伝統

2015/04/21 (Tue) 17:36:19


<独楽吟第三十一首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


   ”たのしみは 機(はた)おりたてて
         新しき ころもを縫(ぬ)ひて 妻(め)が着する時 ”

(訳)妻が私のために、自家用の機織機で布を織り新しい着物を縫いあげてくれた。

   「さあさあ、着てごらんなさいな」と妻は微笑む。

   手内職で忙しかっただろうに。
   そのあいまをぬって、わざわざ作ってくれたのだ。

   うれしいねえ、ありがたいねえ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。


               ・・・


<独楽吟第三十二首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


   ” たのしみは 三人(みたり)の児ども すくすくと
               大きくなれる 姿(すがた)みる時 ”

(訳)わが家には、3人の子供たちがいる。
   病気もせずにすくすくと大きく育ってくれている。

   その元気な姿を見ていると、ありがたいねえ、
   うれしいねえ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずありがたく幸せな気分になるのは・・・。


・・・


【喜び方の上手な人】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年05月09日)」より

   (木村耕一氏の心に響く言葉より…)

   織田信長の命で播磨から但馬一円(現在の兵庫県)を平定し、
   安土城へ秀吉が戦勝報告に来た時のことである。

   あいにく信長は三河へ出掛けて留守だったが、
   格別な褒美(ほうび)が用意されていた。

   信長秘蔵の茶釜であり、「乙御前ノ釜(おとごぜのかま)」という名器である。


   留守番から、この茶釜を受け取った時、秀吉は、どれほど喜んだか…。

   司馬遼太郎は『新史太閤記』の中に、次のように描いている。


   『藤吉郎は膝をすすめて拝見し、 「やあ、わしにこの乙御前を」
   と、うれしげにさけんだ。

   やがてするりと立ちあがり、乙御前を小脇に抱き…ずいぶんと重かったが…
   右手をたかだかとあげてひとさし舞を舞った。

   諸事、物よろこびのはげしい男である。

   というより、ひとから好意をうけたとき、
   思いきってよろこぶのがこの小男の流儀であった。

   「やれ、羽柴殿のおかしさよ」

   と安土城の留守番たちはこの無邪気なよろこびように好意をもった』


   こんな様子を留守番から報告を受けたら、
   信長は、膝を打ち、手をたたいて喜ぶに違いない。

   「また、何かしてやろう」という気持ちが自然とわいてくる。


   普段から秀吉は、うれしいことがあったら素直に表現するようにしていた。

   それが周囲の人々からかわいがられ、信用される基となり、
   戦国乱世を生き抜く大きな力となっていったのだ。


   何かをプレゼントした時、相手が、本当にうれしそうにしてくれると、
   こちらの心も幸せになる。

   朝夕の食事でも、当たり前のように黙って食べるよりも、
   作ってくれた人に「おいしいね」「ありがとう」と言うと、
   どれだけ喜ばれるか分からない。

   感謝の心を、少しでも多く、言葉や態度に表す努力をすることは、
   人間関係を保つうえでも大切なことである。

         <『思いやりのこころ』1万年堂出版>

              ・・・

何かをプレゼントしたり、おすすめの映画や店を教えたりしたときに、
思った以上に喜んでくれる人がいる。

喜び方の上手(じょうず)な人だ。

同様に、話を聴くのが上手な人は、
目を真ん丸くして驚いたり、うなずいたり、メモをとったりして、表情やしぐさからも、
「傾聴している」という姿勢が伝わってくる。


だから…

「喜び方の上手な人」は、感謝の言葉があるだけでなく、喜びの表情や、動作という、
全身で喜ぶ姿勢を持っている。

「喜び方の上手な人」には、人から可愛(かわい)がられる「可愛げ」がある。


何をもらっても、ブスっとしている人には、人は寄り付かない。

いくつになっても、喜ぶのが上手な、可愛げのある人でありたい。


            <感謝合掌 平成27年4月21日 頓首再拝>

喜びを表現する - 伝統

2015/04/23 (Thu) 17:35:39


<独楽吟第三十三首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


   ”たのしみは 人も訪(と)ひこず 事(こと)もなく
       心をいれて 書(ふみ)を見る時 ”


(訳)今日は誰も訪ねてくる様子もないし、
   とりたててしなければならない用事もない。

   誰からもじゃまされず精神を集中して書物を読むことができそうだ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


              ・・・


<独楽吟第三十四首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より


   ” たのしみは 明日(あす)物(もの)くると
         いふ占(うら)を 咲(さ)くともし火の 花にみる時 ”


(訳)灯芯の燃えさしの先端が、もし花のように開けば、
   翌日、良いもらい物があるのだようだ。

   俗信ではあるがね、明日、だれか物品をもってやってきてくれると良いのだが。

   そう願いながら、灯火(ともしびばな)の占いをしたら、
   なんと灯芯が花のように咲くではないか。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


・・・


もっとも苦手なタイプ

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年11月30日)」より

   (五木寛之氏の心に響く言葉より…)

   先日、ある雑誌のインタヴューアーから、

   「五木さんがもっとも苦手(にがて)とするタイプの女性は、どういう女性ですか」

   という質問を受けました。

   これはなかなかむずかしい。

   ちょっと考えると簡単に答えられそうで、じつはあらためてふり返ってみると
   返答に窮(きゅう)するところがあります。


   しかし、なんとか質問に答えねばならないので、ふと思いついたことをしゃべりました。

   「ぼくは〈よろこび下手(べた)〉な女性が苦手です」と。


   〈よろこび下手〉とか、〈よろこび上手(じょうず)〉とかいった言葉が
   あるのかどうかは知りません。

   しかし、ぼくの言わんとする感じだけはわかっていただけると思います。


   ぼくの友人の母親に、こんなタイプの女性がいました。

   息子である彼が、親孝行のつもりで有名な観光地へ案内する。

   まあかりに西伊豆あたりのひなびた温泉地だとしましょう。


   「どうです、ほんとうに静かでいいところでしょう?」
   と、ふだんは親不孝な息子が殊勝(しゅしょう)な口ぶりで感心してみせる。

   すると、その母親は必ずこんなふうに応ずるんだそうです。
   「そうね。ここもわるくないけど、わたしは湯布院(ゆふいん)のほうが
   もっと静かでいいと思うわ」

   本当はうれしいんですね。

   息子のたまさかの優しさに心は感謝で一杯なくせに、
   そういう場面になると素直によろこぶことができない。


   「ほんとうにすてきね!うれしいわ」

   と、心の中ではつぶやきながら、それが言葉に出てこない。

   これはひねくれているわけでもなんでもないのですね。

   ただたんに照れているだけなのです。

   つまり、〈よろこび下手〉。

           <『生きるヒント』Gakken>

                ・・・

最悪のいじめは、「無視」という存在の否定。

最高のよろこびは、「共感」という存在の肯定。


共感とは、素直に喜べること。

喜ぶのが上手な人と一緒にいることほど、楽しいことはない。


誰だって、自分のことを認めてもらいたくてウズウズしている。

喜び上手な人は最高に魅力的だ。


            <感謝合掌 平成27年4月23日 頓首再拝>

《すごく喜ぶ人》 - 伝統

2015/04/25 (Sat) 17:32:48


<独楽吟第三十五首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より

   ”たのしみは たのむをよびて 門(かど)あけて
             物もて来(き)つる 使(つか)ひえし時 ”

(訳)「ごめんなさい!」 大きな声がするので、
   玄関の門をあけると、使いの者が立っている。
   贈答品をもってきてくれたのだ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともありがたくうれしい気分になるのは・・・。


              ・・・


<独楽吟第三十六首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より

   ”たのしみは 木(こ(き))の芽(め)煮(に)やして
       大きなる 饅頭(まんぢゅう)を一つ  ほほばりしとき ”

(訳)大好物の饅頭が一つ、私の眼前にある。
   しかもすこぶる大きいやつだ。

   茶をいれ、やおらそいつをつかみ、ぱくりとほおばる。
   おいしいねえ。口の中いっぱいにあんこの味が広がってゆく。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


・・・

《すごく喜ぶ人》

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014-02-07)」より

   (山崎拓巳氏の心に響く言葉より…)

   プレゼントをあげて、すごく喜んでもらえたら、嬉しくなります。
   嬉しいから、すごく喜んでくれる人を、またまた喜ばせたくなります。
   これは物だけじゃなく、情報も知識も人も同じです。

   とにかく「すごく喜ぶ人」の所には、
   素敵なものがあちこちから集まってくるんです。

   だから、というわけではありませんが、おすすめの映画を紹介したもらったとき、
   誕生日プレゼントをもらったとき、仕事のコツを教わったとき、
   食事に誘ってもらったとき、面白い人を紹介してもらったとき
   …いつでも喜びの気持ちを言葉や態度で「思いっきり」示すことが大事。


   たとえいただいたものが、あなたにとって趣味が合わなかったり、
   あまり必要のないものでもなんのその。

   あなたに「なにをしてくれたのか」は問題じゃないんです。

   「なにかをしてくれようとする好意」そのものが貴重なんです。

   逆に相手が照れてしまうくらい、大げさでもいい。
   相手の好意にしっかり気づいて、
   照れずに「ありがとう!」「うれしい!」と伝えましょう。

   「あなたへの好意は、あなたが喜ぶほど集まってくる!」

         <『気くばりのツボ』サンクチュアリ出版>

              ・・・

親が喜び上手(じょうず)なら、
子どもはもっと親を喜ばせようと自ら色々な努力する。

上司や先生が喜び上手なら、部下や生徒も同様に自ら努力する。


喜び上手は、感動上手であり、驚き上手でもある。

喜びや感動や驚きは、多くの人を動かす力を持っている。

「話し三分に聞き七分 うなずき、あいづち、驚きの表情」(田中真澄)

喜び上手な人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年4月25日 頓首再拝>

《楽しいことを探し出す人》 - 伝統

2015/04/27 (Mon) 18:35:36


<独楽吟第三十七首>

   ”たのしみは つねに好める 焼豆腐(やきどうふ)
             うまく烹(に)たてて 食(く)はせけるとき ”


(訳)焼豆腐は私の好物である。
   今夜は妻が焼豆腐を味付けし、おいしく煮込んで
   私に食べさせてくれた。 うまい。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。

       
              ・・・


<独楽吟第三十八首>

   ”たのしみは 小豆(あづき)の飯(いひ)の 冷(ひ)えたるを

       茶(ちゃ)漬(づ)けてふ物に  なしてくふ時 ”

(訳)いただいてあった小豆ご飯が、冷えて固くなっている。
   捨ててしまうのは、もったいない。

   熱いお茶をかきえ、お茶漬けとかいうものにして食べてみた。
   うむ、これが案外においしくてね。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


・・・

《楽しいことを探し出す人》

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   車内に交通安全のお守りをたくさんぶら下げている車ほど、
   事故に遭いやすい、という統計があります。

   心配すればするほどその現象を引き寄せるのです。

   もちろん、単に視界がさえぎられたり、
   目の前にブラブラしているものがあるため
   飛び出し等に敏感に対処できなくなるわけで、三次元的にも損なことですが。

   要するにお守りとは、事故に遭うことを怖れ、
   心配しているから持つのであって、それが運転中視界に入ることは、
   自分の潜在意識に訴えることとなり、ドライブを楽しむどころか、
   まさに恐れていた通りの事故に遭うことになる。

   心配することは損なのです。

   右肩、右腰、右ひざの3箇所に痛みを持っている人がいました。

   その人が、このメッセージを聞いて、

   「いままで、痛いところにばかり関心がいっていた。
   痛くないところに関心を持ち、痛くないからありがたい、
   とそこに関心を持っていったら、痛くなくなるのかもしれない」

   と思ったそうです。

   その方は気功師だったので、体の部品の名前全てを挙げてみた。

   なんと300も挙げられたそうです。

   それを全部書き出し、ここも痛くない、ありがとう、と全てに言っていたら、
   言い終わったときに、なんと3箇所の痛みが消えていた。


   「私の周りには感じのいい人ばかりが集まっている」と思ったとする。
   そういう人の見方をしていれば、今後も実際にその人の周りには
   「感じのいい人」が多く集まってくる。

   反対に、目の前の人に対して「この人は感じ悪い」と
   あらさがしをしながら人を見ている人というのは、
   意識がそっちのほうに行ってしまっているので、
   自分の周りに集まってくる人が、そいう方向に偏ることになるらしい。

   鏡を見るとき、自分の顔を見ながら、
   「ここもシワがよっている、ここも老化している」と、
   老化しているところを見い出していると、

   老化しているところに意識が集まるので、
   老化という「意識の密度=現象の密度」となる。

   つまり、その結果として老化の進行度合いが早まるということです。

   「ここも若々しい、あそこも若々しい」と言っていくと、
   若々しいところに意識が偏ったので、現象として、体全体が若々しくなる
   ということです。

   このように、この事実はあらゆることに応用できることがわかります。

   自分にとって楽しいほうのことについて、喜びを感じ、それを表現すると、
   どうも宇宙はそれを感じ取るみたいで、

   「あなたがそういうことが好きで、喜ぶんだったら、もっとやってあげよう」

   ということになるみたいです。

   そして、「あれが気に入らない、これが嫌だ」ということばかりに
   関心を持って注目していると、今後もそのような現象しか起きてこないようですよ、
   ということがわかってきたのです。

           <『究極の損得勘定』宝来社>

              ・・・

「今が一番楽しい」と思っている人には、楽しいことがもっとくる。

しかし、「あの頃が一番楽しかった」と言う人には、
あの頃以上の楽しい日々はこれからもやってこない。

今が一番楽しいと思っている人は、
楽しいこと、面白いことに関心があり、意識がそちらにあるからだ。

生きていれば、辛いことも悲しいことも嫌なこともたくさんある。

しかし、どんな状況でも、その中から、楽しいこと面白いこと、
素敵なことばかりを探し出そうとする人には楽しい人生が待っている。

心配ばかりしている人には、心配するようなことがやってくる。
なぜなら、神さまも、この人は心配事が好きな人なんだ、と思うから。


どんなときも、楽しいことや素敵なことを探し出す人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年4月27日 頓首再拝>

《明るく軽く真剣に》 - 伝統

2015/04/30 (Thu) 19:41:25


<独楽吟第三十九首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より

   ”たのしみは いやなる人の 来(き)たりしが
              長くもをらで かへりけるとき ”


(訳)日頃から、嫌な人だなあ、と思っている人が訪ねてきたが、
   長居もしないですぐに帰っていった。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずほっとした気分になるのは・・・。


             ・・・

<独楽吟第四十首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より

   ”たのしみは 田(た)づらに行きし わらは等(ら)が
    耒(すき)鍬(くは)とりて 帰りくる時 ”


(訳)夕暮れ時である。
   夕陽をあびながら妻が野良仕事から帰ってきた。

   母親を迎えにいった3人の子供たちの姿も見える。
   けなげにも、小さな肩に大きな耒や鍬をかついでいる。

   母親の手伝いをしたいのだ。
   いいねえ。ほのぼのするねえ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。


・・・


《明るく軽く真剣に》

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014-12-24)」より


   (ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…)

   もしあなたが一夜にして1億円の借金を背負い、裁判に巻き込まれ、
   命まで狙われるようになったら平常心でいられますか?

   実は、実際にそんな状況になっても、人生を楽しんでいた男がいます。

   幕末の革命児、坂本龍馬です。

   「これからは、カンパニーじゃあ!」と、
   意気揚々と貿易会社・海援隊を立ち上げた龍馬。

   龍馬、当時32歳。

   その最初の船出で、いろは丸は紀州和歌山藩の蒸気船・明光丸に衝突。

   いろは丸に乗っていた海援隊は明光丸に乗り込み、命は助かったものの、
   いろは丸は沈没してしまうのです。

   龍馬たちは明光丸の過失を主張。

   しかし、相手は江戸幕府の徳川御三家、天下の紀州藩です。

   一方、海援隊は、脱藩浪士たちの集まり、事実上、フリーターです(笑)。

   王者・徳川御三家Vsチームフリーター。

   これでは勝ち目はない。
   泣き寝入りするしかありません。

   しかし龍馬はあきらめなかった。

   龍馬はなにをしたのか?

   “sing a song”です!

   船を沈没させられた賠償金を取るために作詞作曲で立ち向かったのです!!(笑)


   「船を沈めたそのつぐないは 金をとらずに国をとる
   ♪~はあ よさこい よさこい
   ♪~国を取って ミカンを食らう
   ♪~よさこい よさこい」

   歌を作り、街でみんなにその歌を歌ってもらい、この事件に注目を集めて、
   紀州藩を逃げにくくさせたのです。

   「そんなに逃げていると金を取らずに国ごと乗っ取って、
   和歌山のミカン食べちゃうぜよ、よさこい、よさこい」という歌です(笑)

   さらに、龍馬は裁判を公平にさせるために幕府主導ではなく、
   「万国公法」という世界のルールブックを持ち出した。

   事故から1ヵ月後、
   紀州藩は海援隊に賠償金8万3526両198文を支払うことで事件は決着。

   いまの億単位に当たるお金です。

   なんでこんなにお金を取れたかというと、
   いろは丸の積み荷にミニエー銃400挺を積んでいたと主張したからです。

   しかし、現在までミニエー銃はおろかひとかけらの部品さえ見つかっていません(笑)。


   大ピンチに歌うんです。
   大ピンチに世界に視点を向けて、大芝居。
   そして最後は、ハッタリをかます。

   深刻になっていてはとてもできない。
   眉間にシワが寄っていたのではとても浮かばない発想です。

   龍馬が勝ち取った賠償金はその後、岩崎弥太郎が引き継ぎ、
   そこから三菱グループが生まれ、そのとき「キリンビール」も誕生しています。

   だから、キリンビールのキャラクターのデザインは、頭は「龍」で、足は「馬」。
   つまり、「龍馬」。
   大ピンチを大チャンスに変えた「龍馬」へのリスペクトを込めてのデザインだそうです。


   「なんでも思い切ってやってみろよ。
   どっちに転んだって、人間、野辺の石ころと一緒。
   最後は骨となって一生終えるのだから。
   だから思い切ってやってみろよ」

   これは龍馬が生前残した言葉ですが、この言葉どおり、龍馬は、
   どんな事態でも、深刻にならずに、人生を冒険として生き抜きました。

   それができたのは、人間、最後は、野辺の石ころとなる身(いつか死ぬ身である)
   と、常にハートの真ん中に落とし込んでいたからです。

          <『あした死ぬかもよ? 』ディスカヴァー>

                 ・・・

「真剣と深刻とは違う。悲劇の主人公のような生き方は真剣とは言わない。
真剣というのは、もっと軽いものである。真剣になればなるほど軽くなれる。

『軽さ』の頭に『あ』をつければ『明るさ』になる。
真剣な人は『明るい人』である。

眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せて深刻に生きている人は、
実は一番真剣に生きていないのではないか」(行徳哲男・感奮語録)より


一般的に、何か事あったとき、明るくふるまっている人は、「軽い」と非難される。

額に眉をよせて深刻そうに考え込んでいるような人の方が、大方の受けはいい。

しかし、何かを本気で解決しようとしたら、
それが難問であればあるほど、明るく、軽くなければ、物事は成就しない。

暗くて、重くて、固ければ、柔軟な発想は生まれないからだ。

深刻ではなく真剣に、そして、明るく軽く生きる人には限りない魅力がある。

            <感謝合掌 平成27年4月30日 頓首再拝>

《自分自身が輝き続けること》 - 伝統

2015/05/02 (Sat) 18:37:31


<独楽吟第四十一首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より

   ” たのしみは 衾(ふすま)かづきて 物(もの)がたり
       いひをるうちに 寝(ね)入(い)りたるとき ”


(訳)小さな子供を寝かしつけるために、掛け布団を頭からすっぽりかぶって、

   「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが・・・」
   などと噺をしているうちに、いつのまにか子供も私もすっかり
   寝入ってしまった。いやはやなんとも。

   ああ、しかしこんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。


              ・・・

<独楽吟第四十二首>

            *「楽しみは」新井満(著)、講談社(刊)より

   ”たのしみは わらは墨(すみ)する かたはらに
                  筆の運(はこ)びを 思ひをる時 ”


(訳)小さな我が子が硯に向かい、さかんに墨をすっている。
   その傍らに私は座り、机に広げられた紙の白を眺めながら。
   さて、どんなふううに筆をおろし、運ぼうか、などと思案している。

   我が子が墨をするかすかな音だけが、きこえてくる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しい気分になるのは・・・。


・・・

《自分自身が輝き続けること》

            *メルマガ「人の心に灯をともす(2014.10.1)」より

   (大阿闍梨、塩沼亮潤師の心に響く言葉より…)

   2500年も前にお釈迦様は、与えらえるのを待っている人から自分で転換して、
   明るい方向へ歩んで来ないと幸せにはなれないことをお示しになりました。

   たとえば、家族の中に一人でもお天道様のような人がいたら、
   その家は暗くなりません。

   ところが、家族全員が求めてばかりいる人だったら、
   「どうして、なんで」とお互いに相手の欠点ばかりを指摘して、
   喧嘩が絶えない険悪な雰囲気になってしまいます。

   これは会社も同じでしょう。

   陰と陽というものがあるのは仕方がないけれども、
   自分自身は明るく生きていこうと努力をし、心がけていると、周りが
   「あの人のような明るい人になりたい」と思うようになる。

   そう思ってもらえるのだとしたならば、とても嬉しいことであり、
   もっと努力してみようという心も出てきます。

   しかし、あまりにも陰気な人にかまいすぎてとらわれていると、
   自分が疲れてしまって、いつの間にか輝きを失い、
   暗い闇に落ちてしまいます。

   ですから、相手にお天道様のようになることを強要するのではなく、
   自分自身がお天道様のように、ただそこにいて輝き続けることが
   とても大切です。

   そうして自然と周りに良い影響を与えるような人でいるのがいいでしょう。

   お釈迦様が説いた真理の教えというのは、まさに野に咲く一輪の花の如く、
   ただそこに咲いているという在り方をしなさいということでした。

   野に咲く花が「自分がきれいに咲いているのだから、
   あなたもきれいに咲きなさい」と説法をしているのではない。

   その姿を見ることによって、相手が自ら「私もそういうふうな存在になろう」
   とうなずきとるというのが仏の教えです。

   生きていれば日々いろいろなことが起こりますが、
   すべてプラスに考えて、マイナスもプラスに転じる努力をしていく。

   自分がどんなに辛くても、自分に縁のあった環境の中で何事にもとらわれず、
   自然体で輝き続ける努力をしていくと、
   自分も周りも自然と幸せになっていきます。

         <『毎日がちいさな修行』致知出版社>

             ・・・

たった一人、誰かが部屋に入ってきただけで、座がパッと明るくなるような人がいる。
いつも、陽気で、元気よく、ニコニコと笑いがある人だ。
人を喜ばせ、人に与えることばかりを考えている。

逆に、自らは何もせず、欲しい欲しいと、
求めてばかりいる人が部屋に入ってきたら、座は暗くなる。

親が仕事から帰ってきて、愚痴や不平、不満ばかりを言っていたとしたら、
将来、子どもがその職業を選ぼうとするわけがない。

親が楽しそうに仕事をしているから、子どもはその仕事にあこがれる。
これは、家庭だけでなく、会社でも、組織でもみな同じ。
人を喜ばせ、人に与えることばかりを考えている人は、輝いている。

それは、一言も発せずとも、ただそこにいるだけで、
そこに咲いているだけで、影響力がある人。

自分自身が輝き続ける存在でありたい。

            <感謝合掌 平成27年5月2日 頓首再拝>

《ポジティブな心の姿勢》 - 伝統

2015/05/06 (Wed) 18:31:23

<独楽吟第四十三首>

   ”たのしみは 好(よ)き筆をえて 先(ま)づ水に
       ひたしねぶりて 試(こころ)みるとき ”


(訳)私好みの良い筆が手に入った。
   まず筆先を水にひたし、やわらかくする。
   口にふくんで舌の先でなめ、筆先をそろえる。

   それから墨をつけ、おもむろに試し書きしてみる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず楽しく幸せな気分になるのは・・・。


              ・・・


<独楽吟第四十四首>

   ”たのしみは 庭(には)にうゑたる 春秋(はるあき)の
              花のさかりに あへる時(とき)時(どき) ”


(訳)我が家の庭には、春秋の花々が植えられている。
   これまで毎年のように見てきたが、はて、私はあと何回、
   あの花々を見ることができるのだろうか。

   そう思いながら、なんとか命を永らえて、今年もまた、
   それぞれ満開に咲きほこる。
   見事な花々の姿を眺めることができた。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずありがたく幸せな気分になるのは・・・。


・・・

《ポジティブな心の姿勢》

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2014.6.24)」より

   (ジェフ・ケラー氏の心に響く言葉より…)

   午後1時すぎになって、セーラは空腹を感じ始めた。
   朝から数時間ずっとデスクワークに励んだので、
   近くの喫茶店で軽食をとることにした。

   数分後、サムが同じ喫茶店に入ってきた。
   彼も昼休み中だった。
   サムはセーラのすぐそばに腰掛けた。

   その日、同じウエイトレスがセーラとサムに給仕した。
   ウエイトレスが注文を聞きに来るまで、どちらの客も同じくらい待った。
   きちんと調理されたおいしい食べ物がどちらの客にも出された。
   勘定書きがどちらの手元に届くのにも同じくらいの時間がかかった。

   しかし、状況が似通っていたのはそこまでだ。

   セーラは笑みを浮かべ、足取りも軽く、世の中に対して
   とてもポジティブな気持ちで喫茶店を出た。

   その様子は誰が見ても一目瞭然だった。
   楽観主義が全身からあふれ出ていた。

   セーラは楽しく昼食をとり、ウエイトレスと楽しい会話をし、
   充電を終えて仕事に戻った。

   その反対に、サムは苦虫をかみつぶしたような顔で喫茶店に入ってきた。

   猫背で不自然な姿勢。
   「オレに近づくな」とでも言わんばかりのピリピリした雰囲気。
   ウエイトレスがすぐに注文を聞きに来なかったとき、彼はとても不愉快だった。

   注文した食べ物がなかなか来ないのでイライラした。
   出された食べ物について不満を言い、清算がもたついたことで激怒した。
   
   セーラとサムは同じ喫茶店で同じ態度で対応されたのに、
   なぜこんなに違う経験をしたのだろうか。

   その理由はこうだ。

   セーラは世の中に対してポジティブな心の姿勢であったのに対し、
   サムはネガティブな心の姿勢に固執していたからだ。

        <『できる人とできない人の小さな違い』ディスカヴァー>

               ・・・

世の中においては、万人に共通の、絶対的で普遍的な価値というものはない。
ある人にとってすごく価値のあるものでも、別のある人には全く価値がない、
ということはよくあることだ。

幸福と不幸もまったくそれと同じで、万人にとって共通の幸福や不幸の概念はない。
楽しいことも、怒ることも、感謝も、ゆるすことも、みな同じ。
人によって価値観も許容範囲も、みな違うからだ。

ある人は怒り心頭に達してしまうことでも、
ある人はジョークを言ったりニコニコしていられる。

どちらがカッコよくて粋かは言うまでもない。

どんなときもポジティブな心の姿勢を保つ人でありたい。


            <感謝合掌 平成27年5月6日 頓首再拝>

【おもしろおかしく生きる】 - 伝統

2015/05/09 (Sat) 19:29:26

<独楽吟第四十五首>

          *「楽しみは」新井満(著)より

   ”たのしみは ほしかりし物 銭(ぜに)ぶくろ
    うちかたぶけて かひえたるとき ”


(訳)一目見たとたん、気に入ってしまった。
   どうしてもどうしても欲しい。

   財布の底をすっかりはたいて、
   とうとうそれを買い求めてしまった。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず、楽しい気分になるのは・・・。

               ・・・


<独楽吟第四十六首>

          *「楽しみは」新井満(著)より

   ” たのしみは 神の御(み)国(くに)の 民(たみ)として
                神の教(をし)へを ふかくおもふとき ”


(訳)神の国であるこの日本という国に生をうけた国民として、
   私は神の道の教えの尊さに深く思いをはせよう。

   ああ、こんな時なのだよ。
   心の底からありがたく幸せな気分になるのは・・・


・・・

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月09日 )」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   「悲しんでいる友人を助けたい。どうすればいいでしょう」
   という質問を受けたとき、

   私は、「あなたは本当に、その友人を助けてあげたいと思っているのですか?」と、
   まずお尋ねします。

   本当にそう思うのなら、あなたが考えることは友人をどう元気づけるかではなく、
   『これからあなたがどう生きるか』だけです。


   あなたは、私の本を読んでくださっているのですから、
   今日この瞬間から、どんなにつらいことやイヤなことがあっても、
   いつもニコニコ元気よく、楽しげに幸せに生きていけるはずです。

   あなたの日々の生活を通して、あなたという存在を通して、
   毎日、うれしくて楽しくて仕方ないというあなたの姿を
   その友人に見せ続けていたら、

   友人はそんなあなたに最後には聞きたくなるでしょう。


   「ねえ、どうしてあなたはそんなにいつも楽しくて幸せそうなの。
   いったいあなたは何をやっているの。
   何か悪い宗教でもやっているんじゃない?」


   そのときには「いやー、実は宗教に入っているのよね。
   『ありがとう教』っていうのをやってるのよね」という調子で答えてください。

   その友人がわかってくれなくてもいいのです。


   あなたがずーっとニコニコとうれしそうにしていたら、
   あなたがラクそうに楽しそうに生きていれば生きているほど、
   まわりの人はそれを真似するようになります。

   でも、あなたがいくら一生懸命、心の勉強をしていても、
   本人がつらそうに苦しそうにしていたのでは、
   だれもあなたを真似しようとは思いません。


   “学ぶ”という言葉は、もともと“まねぶ”からきています。
   真似をするという意味です。

   友人のあなたの真似をしたくなるくらい、
   あなたがよろこびそのもの、楽しさそのもの、幸せそのものに
   なってしまうことです。

   そのとき、悲しみ悩む友人はみな、それを“まねび”ます。

   そして、ついには悲しむ人がもうあなたのそばにはいない、
   ということに気がつくでしょう。

         <『すべてを味方 すべてが味方』三笠書房>

             ・・・

人は、理屈や理論ではなく、感情や感性で動く。

だから、どんなに素晴らしい経営論を語る社長がいたとしても、
その社長の生き様(ざま)が、幸せそうで、楽しそうでなかったら、
誰もそれを真似ようとはしない。

中小企業や商店や旅館の跡継ぎの問題も同じで、
社長や主人が、いつも不平不満が多く、苦しそうで、
つまらなそうに嫌々(いやいや)経営していたら、
子どもは絶対に跡を継ごうとはしない。

子どもは親の後ろ姿を見て育つからだ。


人は、いつもニコニコして、楽しそうで、愉快で、面白い人が好きだ。

ニコリともせず、苦虫をかみつぶしたような顔をして、苦しそうで、
つまらなそうな人を好きな人はいない。


親も、教師も、リーダーも、これはみな同じ。

後ろ姿が素敵でなかったら、誰も言うことは聞かないし、真似しようとも思わない。


「どんなに心の勉強をしていても、本人がつらそうに苦しそうにしていたのでは、
だれもそれを真似しようとは思わない」

心の勉強と同時に、その実践が大事。


どんなときも、明るく楽しそうに、おもしろおかしく生きてみたい。

            <感謝合掌 平成27年5月9日 頓首再拝>

【楽しそうに暮らす】 - 伝統

2015/05/11 (Mon) 19:38:00


<独楽吟第四十七首>

   ”たのしみは 戎夷(えみし)よろこぶ 世の中に
    皇国(みくに)忘れぬ 人を見るとき ”


(訳)世の中はこの頃、異民族の精神や外国の文化を
やたらともてはなす風潮ではあるが、

   たまに、皇国である日本国の精神を忘れない気骨のある人物と出会うことがある。

   ああ、こんな時なのだよ。
   心の底からありがたく幸せな気分になるのは・・・

               ・・・


<独楽吟第四十八首>

   ” たのしみは 鈴屋(すずのや)大人(うし)の後(のち)に生まれ 
                 その御(み)諭(さと)しをうくる思ふ時”


(訳)私は敬愛する本居宣長先生の後にうまれて、
   先生の教えを受けて学ぶことができる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずありがたく幸せな気分になるのは・・・
  


・・・

【楽しそうに暮らす】

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014.10.9)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   子どもは育てるのではなくて育つのです。
   勝手に育ちます。

   そして、育つときの条件というのは、一番身近にいる親、
   つまり父親や母親、特に母親の影響が大きいのです。

   なぜなら一緒にいる時間が長いからです。

   その母親が楽しそうに生きていることが重要なのです。

   「なんでお母さんそんなに楽しそうなの」

   「だって楽しいんだもん」…。

   会話になっていないのですが(笑)

   一番身近な母親が楽しそうに生きているのを見て、
   子どもは物事は楽しいととらえれば、すべてのことが明るく楽しくなると
   母親を通して知ることができるのです。

   ところが、一番身近な母親が不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を
   言い続けていると、子どもはそのように物事をとらえるようになります。

   最初のとらえ方が、愚痴や泣き言であるというのを覚えてしまうと、
   子どもは親のやったとおりにまねをし、そのようなやり方を身につけていきます。

   これから結婚して、母親になるかもしれない人は、
   まず大事なのは笑える顔の夫を選ぶことです。

   毎日毎日、朝起きるたびに「面白い顔よね」、
   夫のほうも「お互いさまだよね」と言える。

   これが平和な家庭の第一歩です(笑)。

        <『「ありがとう」のすごい秘密』中経出版>

                ・・・

小林正観さんは、こんなことを語っている。

『古事記』『日本書紀』には、高天原(たかまのはら)に住む
天照大神(あまてらすおおみかみ)のもとに、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が
やってきて狼藉(ろうぜき)を働き、怒った天照大神が天の岩戸に隠れてしまった
という話があります。

天照大神が隠れてしまったので世の中は真っ暗になってしまった。

神々が天照大神に「どうか出てきてください」とお願いしても、頑として出てこない。

人民が岩屋戸の前に来てお願いをしても、出てきてくれなかったのです。

そこで神々はお願いしても出てきてくれないならと、
みんなで喜び岩屋戸の前で踊り、大声で笑いました。

すると、その様子が気になった天照大神は岩戸を少し開けました。

これは神話の中での現象を語っているようですが、
実は大切なことを教えてくれています。

神が嘆きを聞くことはありません。

愚痴や泣き言を聞いてお願いだからなんとかしてください、
つらくて悲しいのですという言葉を聞くこともありません。

楽しくて幸せそうな心、楽しくて幸せそうな人々にだけ関心を寄せるのです。

それが、『古事記』『日本書紀』に書いてある最初のメッセージです。

神は、お願いするのではなく、
面白がって楽しく幸せそうにしている人に対して関心をもちます。

そして、そういう人にかかわろうかと思うようです。

    (以上、同書より抜粋引用)

神さまはどうも、お願いを言う人は苦手らしい。

神さまが好きな人は、うれしい、幸せ、ツイてる、
といつも口に出して、楽しく愉快に暮らしている人。

これは、子どもが親に対して感じる感情も同じだし、
人間関係全般にも同じことが言える。

お願いばかりする人や、不平不満、文句ばかりを言う人を好きになる人はいない。

どんなときも、楽しそうに、機嫌よく、面白おかしく、暮らせる人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年5月11日 頓首再拝>

《ツイている人の心》 - 伝統

2015/05/13 (Wed) 17:35:06


<独楽吟第四十九首>

   ”たのしみは 数(かず)ある書(ふみ)を 辛(から)くして
                うつし竟(を)へつつ とぢて見るとき ”


(訳)何巻もある書物の写本を作るのは、なみたいての苦労ではない。
   毎日少しずつ写しつづけ、何十日もかけてやっとの思いで写し終える。

   それを紙縒(こより)で綴じ、完成した写本を机の上にそっと並べてみる。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえず、楽しく幸せな気分になるのは・・・

  
               ・・・


<独楽吟第五十首>

   ”たのしみは 野(の)寺(でら)山里(やまざと) 日をくらし
       やどれといはれ やどりけるとき ”


(訳)野中の寺や山里を歩きまわっているうちに、日が暮れてきた。
   今から帰るには、あまりにも遠すぎる。

   さて、どうしたものだろうと、思案していると、
   「遠慮しないで、泊まっていきなさい」と親切な人に声をかけられた。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしくありがたい気分になるのは・・・


・・・


ツイている人の心

        *「幸せな気持ちになる不思議な本」福田 純子・著(P41~44)より

あなたの人生はツイていると思いますか、
それともツイていないと思いますか。

何よりも大切なことは、自分自身に対する思いです。
「人生は思いどおり」なのですから、ツキを呼ぶためはまず
自分自身がツイていると思うことから始めましょう。

どうしてもツイていると思えない人は、「ツイてる、ツイてる・・・」と、
10回大きな声で言ってみましょう。
口に十と書くと「叶う」という字になりますから、思いがかなうかもしれませんよ。



さて、次にツキを呼ぶために必要なのは「よかった思考」です。

「愛少女ポリアンナ」は、一日の中でアラ探しではなく、
「よかった探し」をして、しあわせを心に実現させた少女の物語です。


ポリアンナ少女のように、何でもよかったと思える方向に心を運転するのです。

1000円を手にして「なあーんだ、1万円の10分の1か 」と思う人もいれば、
「ワアーツ、100円の10倍だあ 」と感謝いっぱいの気持ちになる人もいます。


「怠け者」と「働き者」という二宮尊徳の話があります。

二人の若者が江戸へ出て働く決心をします。
ところが、水に代金を支払うことになって、一人は
「江戸は水にまでお金を取るなんて、なんとひどいところだろう」と田舎へ戻り、

もう一人の若者は
「江戸では水さえもお金になるのだから、やろうと思えば何でもお金になるんだ」と
働く決心をするという話です。


前者の若者は江戸に出てきた自分のツキのなさを嘆き、

後者の若者は自分のツキを喜んだとも解釈できるでしょう。


どんな環境の中でも前向きに考えることが、
ツキを呼んで、自分にしあわせを引き寄せるコツなのです。

今このとき「私はツイている」と思い込み、声に出してみることから始めましょう。

そして、なぜツイているのかをじっくり逆算して考えて、自分で自身を説得、
納得させてみてはいかがでしょう。

思いの切り替え一つで、自分が驚くほどツキのある人生を歩んできたことを
知ることになるかもしれません。
 
ツキを呼ぶためのいろいろな法則をより早く実現させるのが笑顔です。

ツイている人をまわりに集めて、笑顔でその仲間入りをするだけで必ずツキが回ってきます。
 
ツキには不思議な磁力があるようです。


参考:愛少女ポリアンナ物語
 → http://www001.upp.so-net.ne.jp/meisaku/meisaku/polly/index.html

            <感謝合掌 平成27年5月13日 頓首再拝>

《顔を太陽に向けましょう》 - 伝統

2015/06/02 (Tue) 19:31:16

<独楽吟第五十一首>

          *「楽しみは」新井満(著)より

   ”たのしみは 野(の)山(やま)のさとに 人遇(あ)ひて
                我(われ)を見しりて あるじするとき ”


(訳)野山を歩きまわっているうちに、
   ふと見知らぬ人と出会ったのだが、おどろいたことに
   その人は、私のことをよく知っているのだという。

   さらにおどろいたのは、その人は家に私を招き、
   たいそうごちそうしてくれたのだ。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしくありがたい気分になるのは・・・


               ・・・


<独楽吟第五十二首>

          *「楽しみは」新井満(著)より

   ”たのしみは ふと見てほしく おもふ物
             辛(から)くはかりて 手(て)にいれしとき ”


(訳)一目見たとたん、気に入ってしまった。
   どうしてもどうしても欲しい。
   しかし、私のふところにお金がない。

   さあ、どうする。
   何ヵ月も苦労しながらお金の工面をし、やっとの思いで
   それを買い求め、自分のものにすることができた。

   ああ、こんな時なのだよ。
   なんともいえずうれしく楽しい気分になるのは・・・


・・・

《顔を太陽に向けましょう》

【ただそれだけのこと】

         *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年05月29日)」より

   (ジェリー・ミンチントン氏の心に響く言葉より…)

   ほとんどの人は、幸せの度合いは、
   お金や所有物、ルックスに大きく左右されると思い込んでいます。

   けれども、よく考えてみれば、必ずしもそうではないことに気づくはずです。


   みんなが羨(うらや)む高価な物を自由に買えるお金持ちや、
   だれをも虜(とりこ)にしてしまうような容姿に恵まれた人が、
   必ずしも幸せな人生を送っているわけではないでしょう?

   それどころか、心の内側はみじめで、心配ばかりしている人が少なくありません。


   では、人を幸せにするものとは何でしょうか?

   それは人を不幸せにするものと同じ。
   その人の心の中の思いです。


   不幸せになるのは簡単です。
   生活の中のいやなことばかり、ずっと考えていればいいのです。


   幸せになるのも同じです。
   生活の中のいいことばかり、ずっと考えていればいい。

   単純なことです。


   「わたしが不幸なのはいやなことばかり起こるからだ」と言いたくなるかもしれません。

   でも、だれでも毎日、いいこともあれば悪いこともあります。

   幸せな生き方を選んだからといって、楽しいことばかりが起こるわけではありません。


   けれども、幸せな生き方を選んだ人は、毎日いいことを探し求め、それを見つけます。
   反対に、不幸せな生き方を選んだ人は、毎日悪いことを探し求め、それを見つけます。

   ただ、それだけのことです。


   ヘレン・ケラーが言っています。

   「顔を太陽に向けましょう。そうすれば、影を見ることはできません」

     <『あなたがなりうる最高のあなたになる方法』ディスカヴァー>

                ・・・

毎日、幸せで充実した日々を過ごすか、不幸せで不満の日々を過ごすかは、
その人の見方や考え方の違い。

誰にでも、嫌なことや悪いことは等分に起こる。

これは、容姿がよかろうが、金持ちだろうが、プロスポーツ選手だろうが、みな同じ。

幸せな人と、不幸せな人と、たった一つ違うのが、
その嫌なことや悪いことの中から、何を見つけるのか、探すのか。


幸せな人はいいことを見つけ、不幸せな人は悪いことを見つける。

光を見るか、影を見るか、だ。

「ただそれだけのこと」


常に明るい方を見る人でありたい。

            <感謝合掌 平成27年6月2日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.