伝統板・第二
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ひかりの一日一言124~ひかりの語録(7月)
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1:伝統
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2025/07/01 (Tue) 04:15:02
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ひかりの一日一言《1日》
想念(そうねん)は力である
―― それが正しき想念であり、利己的目的のみではなく、
自己を高め上げ、自己の他(た)に対する有用性を高めることを
含んでいる念願でありますならば、
神に祈り、その希望を神にゆだねて、
その日その日の務(つと)めを完全に尽くして行くならば、
成就しないと云うことはないのであります。
*「百事如意」(P80)
<感謝合掌 令和7年7月1日 頓首再拝>
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2:伝統
:
2025/07/02 (Wed) 05:09:01
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さて、祈りても、なお思わざる苦難の来(きた)れる場合には、
神想観をして前記の二首の招神歌(かみよびうた)を同様に繰り返して
神我(しんが)一体の心境に入(い)り、
(次に続く)
*二首の招神歌(かみよびうた)
我が生くるは我が力ならず
天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)のいのち
我(わ)がわざは我(わ)が為(な)すに非(あら)ず
天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)のちから
*「百事如意」(P80)
<感謝合掌 令和7年7月2日 頓首再拝>
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3:伝統
:
2025/07/03 (Thu) 03:09:47
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さて、
『今、わが陥(おちい)れる状態は、真(しん)にわが求むる
本当に善きものの来(きた)る前提として神から与えられた
過程(かてい)である。
遠からず、自分はこの状態を通過して、わが真(しん)に
求むる善き状態に入(い)るのである。
神が全能の力を以(も)って斯(か)くなさしめ給うので
あるから、疑うことも心配することも要(い)らないので
ある』
と繰り返して念じて。その『念(ねん)』に全生命が成り切ること
十数分間、毎日この行事を続けると、日(ひ)ならずして苦難の
状態は去り、自由な生命(せいめい)を伸ばし得る状態があらわれて
来るのであります。
*「百事如意」(P80)
<感謝合掌 令和7年7月3日 頓首再拝>
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4:伝統
:
2025/07/04 (Fri) 05:03:32
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私は、本文の前後を通じて国家的に、及び個人的に
貧困を征服する方法を述べて来ました。
その原理は『《物質本来無し》、従って、念(ねん)によって
無尽蔵とも顕れれば、貧窮(ひんきゅう)ともあらわれる』と
云う簡単な言葉に尽きるのであります。
此の簡単な原理を応用して人類が次第に貧困を征服し、
神の子本来の供給無限無尽蔵の状態をこの現実世界にも
具象化せられんことを私は望みたい。
*「百事如意」(P81)
<感謝合掌 令和7年7月4日 頓首再拝>
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5:伝統
:
2025/07/05 (Sat) 05:04:57
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併(しか)し『物(もの)』集まれば、それに捉われるのが普通人の
弱点でありますから、《物が多く集まれば集まるほど『物質本来無』
の真理を常に忘れてはならないのであります》。
『物質本来無』そ真理を悟っている時には、その人の手許(てもと)
にある現在の物質の分量が如何程(いかほど)大又は小でありましょう
とも、その人は無限の富を有(も)っているのでありますが、
自分の名義になっている富に捉われ、その物質を在(あ)るように
思えば ―― 其の瞬間その人は如何に億万長者でありましょうとも、
有限の富になって了(しま)い、渡せば減るように思い、
心さえ豊かであれば、出せば出すほど、使えば使う殖(ふ)える富の
不思議が解らなくなってくるのであります。
其処に富者の陥(おちい)る陥穽(おとしあな)があるのです。
出せば減るという観念をもったが最後、
その人は物質の虜(とりこ)となります。
*「百事如意」(P81)
<感謝合掌 令和7年7月5日 頓首再拝>
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6:伝統
:
2025/07/06 (Sun) 05:02:56
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出せば減ると云う観念を持ったが最後、
その人は物質の虜(とりこ)になります。
併(しか)し物質は本来無いものだから、いくら貯めても
肉体が死ぬときは霊界へ持って行けない。
本来有(あ)るものなら持って行けそうなものだが持って行けない。
本来物質は『念(ねん)』でこしらえたものでありますから、
『念(ねん)』の形式(カテゴリー)の違う霊界へは持って行くことが
出来ないのであります。
*「百事如意」(P81~82)
<感謝合掌 令和7年7月6日 頓首再拝>
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7:伝統
:
2025/07/07 (Mon) 05:03:40
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キリストは
『人(ひと)若(も)し全世界を得るとも魂を失わば何の価値もない』
と申しました。
此の『全世界』と称(しょう)するのは
『物質で出来た外の世界』のことでありまして
『魂(たましい)』とは内的所有の真理のことであります。
有(も)ち得る凡(あら)ゆるものを現世で所有し得ていましても
外的な物質的所有と云うものは二百年とは永続し得るものではない
のであります。
*「百事如意」(P82)
<感謝合掌 令和7年7月7日 頓首再拝>
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8:伝統
:
2025/07/08 (Tue) 04:59:11
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吾々はやがて他界しますが、その時には、一切の物質的所有を捨てて
霊界に移転しなければならないのであります。
(中略)
吾々の霊魂は霊界へ移転しても
心の習慣性を稍々(やや)長く失わないものでありまして、
外的所有に執着する心の習慣をもった霊魂は、
霊界からも地上の所有に執着をもっていてそれに引きつけられ、
得られないものを得ようと迷いつつ、
所謂(いわゆ)る浮かぶことが出来ずに『亡者(もうじゃ)』の
境涯に永くいるのであります。
心霊学ではこれを地縛(ぢばく)の霊と申しております。
*「百事如意」(P82)
<感謝合掌 令和7年7月8日 頓首再拝>
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9:伝統
:
2025/07/09 (Wed) 04:59:35
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霊界にいながら、執着の念力(ねんりょく)により地上の事物に
自分の霊魂を自縛しているのでありますから、
得られないものを得ようとする渇欲(かつよく)であって、
これ程、霊界にいて苦しいものはない。
この状態は、かの食物(しょくもつ)を得んとすればその食物が
火焔(かえん)と化(か)す底(てい)の餓鬼道の苦しみなので
あります。
*「百事如意」(P82)
<感謝合掌 令和7年7月9日 頓首再拝>
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10:伝統
:
2025/07/10 (Thu) 05:02:30
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だから、外的所有と云うものを実在だと思って所有しつづけるのは
多く所有しても非常な危険を伴うのであります。
それで吾々は外的所有を実在と思わない稽古をば、
現世にいる間から稽古をして置かなければならないのであります。
*「百事如意」(P82~83)
<感謝合掌 令和7年7月10日 頓首再拝>
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11:伝統
:
2025/07/11 (Fri) 04:58:44
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《『生長の家』では外的所有を有(も)つ勿れと云うことは云わない、
また外的所有を出来るだけ少なくせよとも云わない》、
外的所有は本来非存在である ―― それは夢幻(ゆめまぼろし)の
如く、蜃気楼(しんきろう)の如く念(ねん)に従って展開する
仮(かり)存在の、有(あ)るが如き形相を示せども
本来『無(む)』のものであると云うのであります。
*「百事如意」(P83)
<感謝合掌 令和7年7月11日 頓首再拝>
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12:伝統
:
2025/07/12 (Sat) 05:04:05
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外的所有が本来『無(む)』である
と云うことが解らなかったならば、
所有が多くとも少なくともその多寡に拘(かかわ)らないで
『有(あ)る』と思うから
心が自由自在を得ないで引っかかるのであります。
*「百事如意」(P83)
<感謝合掌 令和7年7月12日 頓首再拝>
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13:伝統
:
2025/07/13 (Sun) 05:02:28
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外的所有の本来『無(む)』と云う真理を解っておれば、
『無い』ものに引っかかりようがない。
どれだけ所有していても心が引っかかる筈がないのであります。
*「百事如意」(P83~84)
<感謝合掌 令和7年7月13日 頓首再拝>
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14:伝統
:
2025/07/14 (Mon) 04:30:32
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また、そう云う人は無暗に流通を固定させて自分の手許(てもと)に
富を積んで置くことをしないで、
現在必要なだけを、自己の手許に循環流通せしめながら、
他(た)は神立(しんりつ)の大宇宙銀行に預けて置き、
その日その日を有難く取越し苦労なしに生きて行くのであります。
*「百事如意」(P84)
<感謝合掌 令和7年7月14日 頓首再拝>
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15:伝統
:
2025/07/15 (Tue) 04:54:25
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彼は『物(もの)』を所有しているのではなく
『物(もの)』顕(あらわ)す『根本原理』を掌握している
のでありますから、
必要に応じて『念(ねん)』の力を以って呼べば、如何なる富でも、
要するに従って蜃気楼(しんきろう)の如く出現し、
用(よう)終れば蜃気楼の如く消え去るのであります。
*「百事如意」(P84)
<感謝合掌 令和7年7月15日 頓首再拝>