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1:夕刻版
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2025/03/03 (Mon) 04:31:40
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【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和七年三月)】
備えあれば患(うれ)えなし
『書経』
儒教の経書である『五経』の一つ。
中国神話に登場する尭・舜から秦の穆公に至る記録をまとめたもの。
古代政治における君主と臣下のやりとりが詳細に記され、
多種多様な教訓が示されており、史書としても価値が高い。
帝王学の名著であり、我が国でも「昭和」や「平成」など
年号の出典として採用されている。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0703/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202503.pdf
<感謝合掌 令和7年3月2日 頓首再拝>
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2:伝統
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2025/03/03 (Mon) 14:10:58
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蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい)
~ 晋書 ~
ふるさとの野菜・山菜で魚介類の味は忘れないものです。
蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と、
鱸(すずき)で作る膾(なます)のおいしい味を思い出し、
故郷を懐かしむ思い慕う状況をいいます。
自分が生まれ育った故郷を大切にしましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k07.html)
<感謝合掌 令和7年3月2日 頓首再拝>
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3:伝統
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2025/03/04 (Tue) 04:52:02
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人は巧にして偽らんよりは、
拙うしても誠あるに如かず
~ 曽我物語 ~
世の中は誤魔化して渡ってはならぬ。
ゴマ化しは必ずばれる。
昔は人生50年といったが今日では人生は70年である。
この長い人生で、一日逃れのゴマ化しで、人生が渡れるであろうか。
神道を志す者に、このやうな者がゐるとは思はれない。
しかし商売の道に長けてゐる人のうちには、
このやうな者のゐることは否定できない。
「巧に偽る」とは、口達者で口でダマ化すことである。
それは長くつづく訳がない以上、人生は口は下手でも、
誠の心を持って、つき合ふ以外にない。
ありのままの姿(言行)で、世を送るのが、
一番人から信用される基だと知っておきたい。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和7年3月<弥生>をクリック)
<感謝合掌 令和7年3月3日 頓首再拝>
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4:伝統
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2025/03/04 (Tue) 14:37:48
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尾藤二洲
良馬は毛にあらず
士たるはその志にあり
人が尊敬を受けるのは
その外見ではなく
人格・人柄という
心の持ち方(志)によって
決まるのである
『静寄軒集』
尾藤二洲 (びとう じ(に)しゅう)
江戸後期の儒学者。別号は約山・静寄軒。伊予国川之江の出身。
幼少時に足を悪くするが、学問で身を立てることをこころざし、
大坂に出て学問に励むとともに私塾を開き朱子学の普及に努め、
幕府の学問所・昌平黌(しょうへいこう)の教授を約二十年間務めた。
柴野栗山・古賀精里とともに寛政の三博士と呼ばれる。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0603/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202403.pdf
<感謝合掌 令和7年3月4日 頓首再拝>
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5:伝統
:
2025/03/04 (Tue) 18:31:29
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虚(きょ)にして人(ひと)を受(う)く
~ 易経 ~
心をすなおにし、先入観をもたないで、
人の話を聞くことが大切であります。
『虚心坦懐』
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k06.html)
<感謝合掌 令和7年3月4日 頓首再拝>
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6:伝統
:
2025/03/05 (Wed) 04:49:16
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神は清浄を欲す、正に従うを以て清浄となす。
悪を以て不浄となす
~ 神道明辨 ~
これも伊勢神宮の教学が、清浄・正直の二つにあることを
明示したものである。
清浄・正直が伊勢の天照大神の御心に他ならないとしたのは、
伊勢神宮の祭りが、この二つを理想として実行されて来ている
ことを物語ったものに他ならない。
さらに清浄・正直と言っても別々のものではない。
正直の言行が、そのまま即ち清浄となるのだとする。
これに反し、正直ではないことは、それが全て悪だとされる。
人間道徳で言う正直も、その根本は信仰的は深い清浄心に
根源があり、そこから発する。
眼に見えない世界の存在に敬虔な眼を向けるのは、
信仰としては肝要である。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和6年3月<弥生>をクリック)
<感謝合掌 令和7年3月4日 頓首再拝>
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7:伝統
:
2025/03/05 (Wed) 14:58:52
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佐藤一斎
春風(しゅんぷう)を以って人に接し
秋霜(しゅうそう)を以って自ら粛(つつし)む
他人には春風のような
暖かさで接し
秋の霜のような厳しさで
自己反省する 『言志後録』
(『言志四録』の一書)
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0503/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202303.pdf
<感謝合掌 令和7年3月5日 頓首再拝>
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8:伝統
:
2025/03/06 (Thu) 04:58:52
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治(ち)にて乱を忘れず
~ 易経 ~
安きにあっても、私たちの生活がいつどうなるか分からない。
乱は世界から家庭、個人レベルまで様々でありますから
決して危機意識を忘れてはいけません。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k05.html)
<感謝合掌 令和7年3月5日 頓首再拝>
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9:伝統
:
2025/03/06 (Thu) 14:45:09
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あさみどりすみわたちたる大空の広きをのが心ともばな
~ 明治天皇御製集 ~
(説明)
神道の教えは、「清く、正しく、睦まじく」生きるにある。
浅緑すみわたりたる境地は、その清浄、正直の心にあたり、
大空の広きは度量の大きさであり、睦和の精神に相当する。
今までの神道では、清浄、正直を二大徳目としてきた。
禊祓いの信仰に生きる神道としては、
この二大徳目が大きく掲げられるのは良い。
然し人生は己れ独り清く生きていく道だけではない。
多数の人と共同生活をする以上、助け合い、伸ばしあい、
許しあう和合の道がなければならない。
これが睦みあう和の道である。
神道にこの睦和の徳目が更に加わることは、
産霊(むすご)の信仰を一層大きく生かすものであり、
神道の教えは愈々広さと深さを増すであろう。
この清浄・正直・睦和の三つの徳目を、一つの歌の中に
まとめて歌い上げたものとして、この御製はありがたく
奉誦される。
他の明治天皇御製にみられる誠の心、誠の道を具体的に
歌い上げると、結局この御製になる。
その意味に於いて、この御製は神道信仰歌としても、
声を大にして朗誦されてよい。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和5年3月<弥生>をクリック)
<感謝合掌 令和7年3月6日 頓首再拝>
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10:伝統
:
2025/03/07 (Fri) 04:46:53
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『論語』
徳は孤ならず
必ず隣あり
誠実な姿勢と言動、人を思いやる心と行動、
これら徳を積むことを心掛けている人は
孤立することなく必ずよき理解者が助けてくれる
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0403/
http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202203.pdf
<感謝合掌 令和7年3月6日 頓首再拝>
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11:伝統
:
2025/03/07 (Fri) 14:54:31
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信言(しんげん)は美ならず 美言(びげん)は信ならず
~ 老子 ~
真実の言葉は、美しくかざらないものです。
美辞麗句など美しくかざれる言葉は、
真実ではないこともあります。
「思います」「考えます」はだれでも言いますが、
まずは実行しなければ意味がありません。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k04.html#m0403)
<感謝合掌 令和7年3月7日 頓首再拝>
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12:伝統
:
2025/03/07 (Fri) 18:49:28
-
勝つ事ばかり知りて
負くる事を知らざれば
害その身にいたる
おのれを責めて、人をせむるな
~ 東照公御遺訓 ~
(説明)
人生は何でも勝てばよいとし、一歩退いて考えることを
しらないものは、却って害がその身に至る。
害は勝利にのみ酔いしれている自分自身が
造り出したものに外ならない。
「人生は反省が大切である」。
反省すれば自分の出処進退について、他人を責めるよりは、
自分を責めることの方が大切なる所以を知ることが出来る。
「勝つ」とは「俺が」という「我」に勝つことである。
「負くる」とは、「我を張ってはいけない」という反省である。
「反省は成功の基」とも「負けるが勝」ともいわれる。
人生は勝敗の裏にひそむ反省心を顧みるか否かにかかる。
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和4年3月<弥生>をクリック)
<感謝合掌 令和7年3月7日 頓首再拝>
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13:伝統
:
2025/03/08 (Sat) 03:39:43
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松下幸之助
好況よし
不況なおよし
正しい経営が行われている限り、
不況こそ好機なのだ。
そして不況は人がつくったものだから、
人に不況が解決できないはずはない。
『松下幸之助 叱られ問答』
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0303/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202103.pdf
<感謝合掌 令和7年3月7日 頓首再拝>
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14:伝統
:
2025/03/08 (Sat) 14:46:31
-
江南の橘(たちばな)、 江北に生ずれば枳(からたち)となる
~ 晏子春秋(あんししゅんじゅう) ~
無情の草木すら、風土によって、その性を変ずるものである。
まして有情の人間は、その居るところの風俗の善悪に従って、
その性の変わるのは当然である。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k03.html)
<感謝合掌 令和7年3月8日 頓首再拝>
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15:伝統
:
2025/03/09 (Sun) 04:52:11
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父母はわが家の神、わが神と
心つくしていつけ人の子
~ 本居宣長・玉鉾百首 ~
(説明)
我が家に今日あるのは、その初め、
父母が、私共を生んでくれたお陰による。
その意味で、自分を生んでくれた父母を、
最も身近な我が家の守り神として大切にすべきである。
更にその祖父母、高祖父母と遡っていけば、
遠い自分の祖先を最も身近な神の一つとして、
真心を尽くして、大切にお仕え申すべきである。
現実の最も身近な父母を、我が家の守り神として、
大切にすることが、神まつりの第一歩であると教えたものである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和3年3月<弥生>をクリック)
<感謝合掌 令和7年3月8日 頓首再拝>
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16:伝統
:
2025/03/09 (Sun) 13:03:55
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斎藤茂太
人生に失敗がないと
人生を失敗する
【斎藤茂太 (さいとう しげた)】
大正五年生まれ。精神科医、随筆家。
歌人で精神科医の斎藤茂吉の長男として東京市(当時)に生まれる。
「心の名医」「モタさん」の愛称で広く親しまれ、
多くの悩める人を勇気づけ、人間関係を楽にしてくれる人生術に多くの人が共感した。
日本精神病院協会の名誉会長を務めながら執筆を続けた。
( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0203/ )
( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202003.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月9日 頓首再拝>
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17:伝統
:
2025/03/10 (Mon) 02:52:59
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病は口より入り
禍は口より出ず
~ 太平御覧 ~
病気というものは全て口から入り、
禍(わざわい)は多く失言からおこるものであります。
流行疫病に気をつけ、風評に惑わらされないように
注意しましょう。
( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k02.html )
<感謝合掌 令和7年3月9日 頓首再拝>
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18:伝統
:
2025/03/10 (Mon) 15:17:12
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神は見徹(みとお)しなり
~ 真野時綱・神家常談 ~
人の世の道徳は、人と人との秩序を保つために必要である。
ここでは眼に見える事柄だけが問題とされる。
これに対し信仰の秩序は、神と人との関係に於いて存する。
ここでは人は見ていなくとも、神だけは見通していられることを知り、
独りを慎むことに見の処し方がある。
神家常談には「神明の照覧という心を、片郁の俗語には、
神は見徹なりといえり。若し独も不実の者ありて、不信の言を吐くとき、
かたえの人、『神は見通なり』といえば、いかなる邪気の者も恐懽の心
忽ち面目に著る事あり」としている一節をとったものである。
( https://hokkaidojinjacho.jp/leaflet/#kotoba
~「今月のことば」令和2年3月<弥生> )
・・・
真野時綱 まの-ときつな
http://www.yasaka.org/KOBO/tokitunaoboegaki.html
神家常談
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0281-001404
<感謝合掌 令和7年3月10日 頓首再拝>
-
19:伝統
:
2025/03/11 (Tue) 04:53:50
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秋篠宮 文仁親王殿下
年久(としひさ)しく 風月(ふげつ)の移ろひ
見続けし 一本の巨樹に 思ひ巡らす
~平成二十七年歌会始お題「本」
秋篠宮 文仁親王(ふみひとしんのう)殿下
上皇陛下第二皇子
【ご誕生】
昭和四十年十一月三十日
【ご称号】
礼宮(あやのみや)
【お印】
栂(つが)
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3103/ )
( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201903.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月10日 頓首再拝>
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20:伝統
:
2025/03/11 (Tue) 14:51:51
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越畔(えっぱん)の思い
~ 春秋左氏伝 ~
(説明)
何事にも自分の職分をよく守り、
又他人の権限をおかさぬように気をつけましょう。
(「畔(あぜ)」とは田畑ごとのの境界線を指し、
「他人の田畑を侵してはいけない」が本来の意味です)
( http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html )
<感謝合掌 令和7年3月11日 頓首再拝>
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21:伝統
:
2025/03/12 (Wed) 04:47:23
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在りきつつ来つつみれども
いさぎよき人の心をわれ忘れめや
~ 新古今和歌集・石清水八幡宮神詠 ~
人生を色々の経験を通して見聞きして来たが、
潔よき人の心を自分(八幡の神)は決して忘れることはない。
「いさぎよき人の心」とは「清浄正直な人の心」のことで、
毎日を清浄正直に送っているものの心こそ、
神の心をそのまま実行してくれる人として、そうした人を
決して自分は見捨てるようなことはしない。
これが石清水八幡宮の神詠とされたのは、八幡の神とは
こうしたみ心のお方であると信ぜられていたことが
神詠として永く語り伝えられたものに外ならない。
鎌倉時代以降、盛んに行われた三社(伊勢・八幡・春日)
託宣の八幡の信仰が、矢張り、「清浄」を第一としていたことは、
この神詠の「いさぎよき心」と同義語だったといえす。
八幡神社の信仰の心を示したものとして尊ぶべきであろう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
~「今月のことば」平成31年3月<弥生> )
<感謝合掌 令和7年3月11日 頓首再拝>
-
22:伝統
:
2025/03/12 (Wed) 15:06:54
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(伴部安崇)
神感(しんかん)は清水へ月の宿るが如く
誠ある人の心には
神明感応(しんめいかんのう)ましますなり
神に祈って何のききめがあるのか、と問う人に対する一つの答え。
月の輝きが、美しく澄んだ清水の表面に、又その奥底まで、影をおとすように、
人にして誠心(誠心誠意)を以て、神に祈るものに対しては、
神は必ず感応ましますものであるとしたものである。
『神道野中(のなか)の清水(しみず)』
・・・
伴部安崇 (ともべ やすたか)
江戸の生まれ、八重垣翁と号した。
跡部光海(あとべ てるみ)の門弟。
垂加神道学者で一般の教化にも当たった。
『神道野中の清水』は、世間一般の人々にわかりやすく神道を説いたものである。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3003/)
( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201803.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月12日 頓首再拝>
-
23:伝統
:
2025/03/13 (Thu) 05:01:06
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伏すこと久しきは、飛ぶこと必ず高し
(伏久者飛必高)
~ 菜根譚 ~
(説明)
長い間うずくまって力を蓄えていることは、
いったん飛び立てば必ず高く舞い上がることができる の意。
長かった冬、雪に耐えて過ごした日々も、
春になればその力を発揮し、
大きな希望と共に活躍が期待できるのであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html#m3003 )
<感謝合掌 令和7年3月12日 頓首再拝>
-
24:伝統
:
2025/03/13 (Thu) 14:37:40
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なにとなくただありがたき心こそ、
伊勢の内外の神の道なれ
~ 度会延佳詠草 ~
(説明)
度会(出口)延佳は江戸中期の伊勢豊受大神宮の権禰宜で、
度会神道学者として令名があった。
伊勢神宮(内外両宮)の神道とは何かと、人に聞かれたとき
「ただ有難いことです」また「有り難いという感謝の心を持つことです」
と教えたという。
正にその通りである。
私が屡々(しばしば)いうように、日本書紀にいう天照大御神の
御心は「恩親心」を持つにありとされている。
「恩親」の二字を何故「むつまじい」と訓ませたのか。
その一字の「恩」こそ、有り難い心であり、お陰に感謝する心に外ならない。
毎日、こうして元気でいられるのも、神のお陰、親のお陰だと
感謝するのが「恩」のあり方である。
生まれてから死ぬまで自分たちの有り方は「有り難い」という心を持ち、
この言葉を申して終わるより外に、道はない。
流石、伊勢神宮の学者として、名言だといえる。
(続神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h30/
~「今月のことば」平成30年3月<弥生> )
<感謝合掌 令和7年3月13日 頓首再拝>
-
25:伝統
:
2025/03/14 (Fri) 04:52:29
-
うそ云ふな ものほしがるな からだだわるな
~ 橘 曙覧 ~
・・・
橘曙覧が伊勢神宮に詣でた折、五十鈴川の水を汲み帰り、
これを墨にすって書き残したという「家訓」の一節。
嘘を言ふな、物を欲しがるな、身体を怠けさせるな。
橘 曙覧 (たちばな あけみ)
文化九年(一八一二)~慶応四年(一八六八)。
越前国の商家の長男として生まれる。
本居宣長の門人・田中大秀に入門し神道・国学を学び歌を詩作した。
後に正岡子規は、源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛した。
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201703.pdf )
( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201703.pdf )
<参考:橘 曙覧 「独楽吟」>
→ ① http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=109
② http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456978
<感謝合掌 令和7年3月13日 頓首再拝>
-
26:伝統
:
2025/03/14 (Fri) 14:00:25
-
至誠は神の如し
~ 中庸・二十四章 ~
(説明)
極めて誠実な考えや行動は、神のような力を持つ、
あるいは「神様のように力が出る」ということであり、
至誠とは「まごころ」のことであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )
<感謝合掌 令和7年3月14日 頓首再拝>
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27:伝統
:
2025/03/15 (Sat) 04:55:05
-
ゆるむともよもや切れまじ
結びの神のあらん限りは
~ 三河花祭歌 ~
(説明)
農村漁村の信仰生活が、年に2回や3回の祭りだけで、
よくも続いて来たものだと、感心させられる。
そこの人々が保守的な性格にもよるであろうが、
同じ行事を毎年繰り返して実行して来たことによることもある。
農業に従事している氏子も、都会に住む氏子も、毎日鎮守の森を仰ぐものも、
おつとめの太鼓の音だけは生活のうちにとけこんでいる。
ゆるんでも総ての筋が、いつまでも続いて切れないように、
神社の信仰と切れないのは、絶えずこの森を仰ぎ、
太古の音を聞いているからである。
ここに神社の森を大切にし、たゆることないおつとめ太鼓を
忘れない道理がある。
これの続かん限り、結び ―― 産霊 ―― すべてのものを生かし、
結んでいく信仰に根を持つ神社信仰の結びつきは、
永遠に絶ゆることがないであろう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h29/
~「今月のことば」平成29年3月<弥生> )
<感謝合掌 令和7年3月14日 頓首再拝>
-
28:伝統
:
2025/03/15 (Sat) 15:36:07
-
くらきよりくらき道にぞ入りぬべき
はるかにてらせ山の端の月
~ 和泉式部 ~
(説明)
暗い心の闇から更に深い暗い道へと迷いこんでしまいそうな私を、
どうぞ世の中をあるがままに照らすという名月よ、
その真の光ではるか先まで照らして導いて下さい。
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201603.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月15日 頓首再拝>
-
29:伝統
:
2025/03/16 (Sun) 04:56:31
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清にして能(よ)く 容(い)るるあり
~ 菜根譚 ~
(説明)
自分は清廉であっても、他人の言動にはある程度
目をつぶるくらいの包容力がほしいものである。
人間関係の中で、孤立しない為には
「己に厳しく、他人に優しく」
特に人生を活(い)きていく時に、必要なことと言える。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html )
<感謝合掌 令和7年3月15日 頓首再拝>
-
30:伝統
:
2025/03/16 (Sun) 12:57:29
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恩を受け恩を恩とおもふなら
恩を報ずる心あるべし
~ 橘 弘政・心の百首 ~
(説明)
人から恩をうけ、その恩を本当に感謝しているなら、
その恩に報いるだけの心を持つべきである。
報恩感謝の四字を口にするが、本当に恩に感謝し、
それに報いるだけのことをしているかと聞かれると、
恥ずかしい限りである。
昔から天地の恩、君の恩、父母の恩、衆生の恩といわれる。
古い言葉ではあるが、これらの恩を時にはしみじみと考え、
その各々に対して自分の処すべき道を考えたことがあるであろうか。
人は自分が自力で生きているように思い勝ちであるが、
実際は天地の恩、人の恩によって生かされているのが本当の姿である。
自分をあたたかく抱きかかえてくれる周囲に対して、
常に感謝の念をもって、これに報いるだけの自分でありたい。
生かされて生きる自分であることにめざめる道がここに開かれている。
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h28/
~「今月のことば」平成28年3月<弥生> )
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
・・・
「橘 弘政」は、江戸時代の外宮(豊受大神宮)の祠官。
本名、久保倉弘政。久保倉氏は神宮両正宮の大工職を家業とする家柄だそうです。
<感謝合掌 令和7年3月16日 頓首再拝>
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31:伝統
:
2025/03/17 (Mon) 04:36:33
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天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけにはいかない。
~ 寺田寅彦 ~
どんな科学の力でも天災ばかりは止められない。
平成二十三年の東日本大震災を始め、様々な天災によって失われた命を偲び、
その記憶を忘れず教訓とし、未来に役立てること。
また被災者と共に皆で助け合い、早期復興を遂げることが大切です。
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201503.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月16日 頓首再拝>
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32:伝統
:
2025/03/17 (Mon) 14:47:03
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桃李言わずして 下(した)自(おの)ずから蹊(みち)を成す
(桃李不言下自成蹊)
~ 史記 ~
(説明)
桃や李(すもも)の樹は何もいわないが、
美しい花を咲かせ、果実を実らせる。
だから自然に人々が集まってきて道ができる。
つまり徳のある人物の下には黙っていても
人が慕い寄ってくるものである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html )
<感謝合掌 令和7年3月17日 頓首再拝>
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33:伝統
:
2025/03/18 (Tue) 04:49:14
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先祖の魂は子孫に伝わる
我が身生まれてあるは、即ち是
先祖の身分れたる故也
~ 林羅山・神道伝授 ~
(説明)
自分を生んでくれたのは両親である。
それ故、両親の魂(心)は自分の魂(心)に引き継がれている。
その両親には又両親があり、遡(さかのぼ)っていけば、
先祖があっての自分であることを思うとき、
先祖の魂(心)が自分に伝わって来ていることを
否定しようとしても、否定し得ない。
それと同じように、自分の肉体も、先祖の肉体を受け継いで、
今日に至っているとする以外にない。
即ち自分の魂(心)も肉体も、自分の両親を介して、
先祖の魂(心)肉体を受け継いでいる。
それ故、自分は先祖の分身(心)であるといえる。
祖孫一体、氏神と氏子とは一体であるとの信仰が、
神道では明瞭である所以を説いたものです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h27/
~「今月のことば」平成27年3月<弥生> )
<感謝合掌 令和7年3月17日 頓首再拝>
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34:伝統
:
2025/03/18 (Tue) 14:57:57
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国民一人びとりが被災した各地域の上に
これからも長く心を寄せ
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを
見守り続けていくことを心より願っています
~ 上皇陛下 (平成26年時・天皇陛下)~
東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば
→ http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201403.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月18日 頓首再拝>
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35:伝統
:
2025/03/19 (Wed) 04:57:43
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徳に常師(じょうし)なし
善を主(しゅ)とするを師と為す。
~ 書経・ 咸有一徳 ~
(説明)
徳というものには決まった先生はない。
善を主とする人を師とするのである。
人の性質を学ぶべき点や善行を見て、
それを手本として真似するだけでも、
徳は高まっていくのであります。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )
<感謝合掌 令和7年3月18日 頓首再拝>
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36:伝統
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2025/03/19 (Wed) 14:33:11
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父母はわが家の神、わが神と
心つくしていつけ人の子
~ 本居宣長・玉鉾百首授 ~
(説明)
わが家の今日あるは、その初め、
父母が、私共を生んでくれたお陰による。
その意味で、自分を生んでくれた父母を、
最も身近な我が家の守り神として大切にすべきである。
更にその祖父、高祖父と遡っていけば、
遠い自分の祖先を最も身近な神の一つとして、
真心を尽くして、大切にお仕え申すべきである。
現実の最も身近な父母を、我が家の守り神として、
大切にすることが、神まつりの第一歩であると教えたものである。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h26/
~「今月のことば」平成26年3月<弥生> )
<感謝合掌 令和7年3月19日 頓首再拝>
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37:伝統
:
2025/03/20 (Thu) 04:57:48
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苦境にあっても天を恨まず
~ 宮城県気仙沼市立階上中学校卒業生代表の言葉 ~
東日本大震災の直後の三月二十二日に、
宮城県気仙沼市立階上(はしがみ)中学校・梶原裕太君が読んだ
卒業生代表の言葉の一文。
以下、抜粋。
「階上中学校といえば『防災教育』といわれ、内外から高く評価され、
十分な訓練もしていた私たちでした。
しかし、自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、
私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というにはむごすぎるものでした。
つらくて、悔しくて、たまりません。
・・・生かされた者として頭を上げ、常に思いやりの心を持ち、
強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことが、
これからの私達の使命です。
・・・後輩の皆さん、階上中学校で過ごす『あたりまえ』に思える日々や友達が、
いかに貴重なものかを考え、いとおしんで過ごしてください。
・・・最後に、本当に、本当に、ありがとうございました」
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201303.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月19日 頓首再拝>
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38:伝統
:
2025/03/20 (Thu) 15:14:01
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河(かわ)は委蛇(いい)を以(もつ)ての
故(ゆえ)に能(よ)く遠(とお)し
~ 説苑(ぜいえん)~
(説明)
河というのもはゆったりと蛇行しているから、遠くまで流れることができ、
山はなだらかな麓(ふもと)があればこそ、高くそびえることができ、
教えの道は優しさがあればこそ、人の心に訴えかけ、
良い行いは率直であるからこそ、立派なのである。
説苑・・・中国、前漢時代の説話集。二〇巻。劉向編。
儒教的立場から様々の伝説・故事を収録。
<感謝合掌 令和7年3月20日 頓首再拝>
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39:伝統
:
2025/03/21 (Fri) 04:20:36
-
つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの
~ 相田みつを ~
(説明)
人間は失敗する。その能力に限りがあるからである。
また、人間は挫折する。夢やあこがれを抱く存在だからである。
失敗も挫折も、それが人間であるあかしと思い、
乗り越えていかなくてはいけない。
『にんげんだもの』
( http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201203.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月20日 頓首再拝>
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40:伝統
:
2025/03/21 (Fri) 15:09:38
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欲観千歳 則審今日
千歳(せんざい)を観(み)んと欲(ほっ)すれば、
則(すなわ)ち今日(こんにち)を審(つまびら)かにせよ
~ 筍子 ~
(説明)
未来を予測する場合、今日のことを明確に知ることが大切である。
未来につながる芽や兆しは現在の中にある。
遠い先のことを取り越し苦労するよりも
当面の問題にどう対処するかを考え、将来の展望をつかむ生き方が望まれる。
<感謝合掌 令和7年3月21日 頓首再拝>
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41:伝統
:
2025/03/22 (Sat) 04:09:33
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己の立てるところを深く掘れ
そこには必ず泉あらむ
~ 高山樗牛 ~
(意味)
自分自身が立っている場所を深く掘れ。
そこには必ず泉がある。
『高山樗牛全集第四巻』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201103.pdf )
<感謝合掌 令和7年3月21日 頓首再拝>
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42:伝統
:
2025/03/22 (Sat) 15:05:25
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天地(てんち)の気(き)、
暖(だん)なれば則(すなわ)ち生(しょう)ず
~ 洪応明・菜根譚(さいこんたん)~
(説明)
「温かい心を忘れないで」
気候が温暖であれば生命が誕生する。
人の性格も同じことで、温かい心を持っていれば
人が自然と集まり、その人や周りの人も幸せになる。
<感謝合掌 令和7年3月22日 頓首再拝>
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43:伝統
:
2025/03/23 (Sun) 04:53:05
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何事のおはしますかはしらねども
かたじけなさになみだこぼるる
~ 西行~
(説明)
西行法師が、伊勢神宮に詣でて、その時の感動を詠んだもの。
仏教に帰依した身の西行は、伊勢神宮の名前を直接出すことを遠慮し、
何がいらっしゃるかはわからないが、
そのありがたさに涙がこぼれると歌ったと伝えられる。
『異本山家集』
<感謝合掌 令和7年3月22日 頓首再拝>
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44:伝統
:
2025/03/23 (Sun) 14:34:03
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心に望み起らば 困窮したる時を 思い出すべし
堪忍は無事長久の基 怒は敵と思へ
~ 東照公御遺訓 ~
(説明)
人は、心に何かやりたいことができても、
いざ実行となると、中々成就することは難しい。
その為には、常々苦労には苦労を重ね、どんな時もこらえ我慢し、
堪忍袋の緒(ひも)はしっかりと諦めて努力する事が大事である。
・東照公御遺訓・・・ 徳川家康が家臣に残した遺訓をまとめたもの
<感謝合掌 令和7年3月23日 頓首再拝>
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45:伝統
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2025/03/24 (Mon) 14:45:02
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庭訓三月(ていきんさんげつ) ―故事成語―
(説明)
「庭訓」とは、論語に記されている孔子とその子供(孔鯉)との故事で、
家庭教育や家庭での親の教えの意。
寺子屋では、「庭訓往来」という本が教科書として広く用いられた。
「庭訓三月」とは、庭訓往来を学び始めても
三月には飽きてしまうことから飽きやすくて長続きしないということ。
「一年の計は元旦に在り」と思って出発しても、
三月ともなればなかなか長続きできない状態もある。
「庭訓三月」であってはいけない。
<感謝合掌 令和7年3月24日 頓首再拝>
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46:伝統
:
2025/03/25 (Tue) 15:10:32
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変(へん)に処(しょ)しては、
まさに百忍(ひゃくにん)を堅(かた)くして
以(も)て成(な)るを図(はか)るべし
(説明)
難関に出会ったときは、ひたすら耐え忍んで初志を貫徹しなければならない。
「変」とは自己にとって十分考えるべきところ。
そこで必要なのは「忍」である。
「百忍」の故事は中国で家族が平和に暮らしている姿を見て、
その秘訣をたずねたところ、「忍」という字を百ばかり書いて表したという。
現代人は「忍」が若干足りないのではなかろうか。
自己の初志を完成するためには十分心すべき事であろう。
菜根譚(さいこんたん)明の時代洪自誠(こうじせい)の編。
二巻からなる。
前編は変に処する道を説き、後編は退静閑居の楽しみを説く。
<感謝合掌 令和7年3月25日 頓首再拝>
-
47:伝統
:
2025/03/26 (Wed) 14:47:35
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「雨過天晴(うかてんせい)」
~ 中国古事 ~
(説明)
中国では、大きな行事の時や何か新しい事を始めようとする時、
雨が降るのは吉兆(きっちょう)とされ、喜ばしいことである。
即ち、雨がその時までの過ち・悩み・苦しみ・悲しみ等々悪いことを
全て洗い流して、雨後に晴天が来るように、
佳いことが沢山舞い込んで来るという。
よく台風一過という言葉もあるが、
明日への希望を持って明るく生きることが大切である。
<感謝合掌 令和7年3月26日 頓首再拝>
-
48:伝統
:
2025/03/28 (Fri) 14:44:00
-
雪は降りつつある
然し春は来りつつある
https://kegojinja.or.jp/kotoba.php
・・・
<参照>
https://seishin2022.com/%E6%98%A5%E3%81%AF%E6%9D%A5%E3%82%8A%E3%81%A4%E3%81%A4%E3%81%82%E3%82%8B/
「二月中旬」 内村鑑三
雪は降りつつある。
然し春は来たりつつある。
寒さは強くある。
然し春は来たりつつある。
風はまだ寒くある。
土はまだ堅く凍る。
青木は未だ野を飾らない。
清きは未だ空に響かない。
冬はまだ我等を去らない。
彼の威力は今尚我等を圧する。
然れど日は稍々長くなった。
温かき風は時には来る。
芹は泉のほとりに生えて、
魚は時々巣を出て遊ぶ。
冬の威力はすでに挫けた。
春の到来は遠くない。
・・・
きょう3月28日は【鑑三忌】
明治・大正期のキリスト教指導者、
内村鑑三の命日。享年70。
足尾銅山鉱毒事件では、
「万朝報」でその実態を世間に訴えた。
また、日露戦争開戦時には、
幸徳秋水、堺利彦らと非戦論を主張した。
・・・
内村鑑三【伝説の講演】”
【伝説の講演】後世への最大遺物|内村鑑三
人生の終わりに「後悔する人」「満足する人」の違いとは。
アバタロー( 2024/11/21 )
https://www.youtube.com/watch?v=iyp0_P_9qEs
<感謝合掌 令和7年3月28日 頓首再拝>
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49:伝統
:
2025/03/29 (Sat) 15:24:01
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忙中閑あり 苦中楽あり
死中活あり 壺中天あり
意中人あり 腹中書あり
https://kegojinja.or.jp/kotoba.php
・・・
<参照>
六中観(1)
https://w.shiawasehp.net/diary/200806/05.html
『六中観』~人生の一原則
https://ig-mas.gr.jp/pages/10/detail=1/b_id=332/r_id=1239/
<感謝合掌 令和7年3月29日 頓首再拝>
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50:伝統
:
2025/03/30 (Sun) 14:23:53
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自ら靖んじ 自ら献ずる
(https://otona-juku.jp/2019/03/18/674/)
・・・
<参照>
自靖自献(じせいじけん)
https://ameblo.jp/takumi-bill/entry-12648440560.html
<感謝合掌 令和7年3月30日 頓首再拝>
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51:伝統
:
2025/03/31 (Mon) 15:35:17
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ゆっくり行く者は 無事に行く
無事に行く者は 遠くまで行く
https://kegojinja.or.jp/kotoba.php
・・・
<参照>
大器晩成 - 生きがいとしての英語
http://senior-english.seesaa.net/article/434795688.html
<感謝合掌 令和7年3月31日 頓首再拝>