-
1:夕刻版
:
2024/12/02 (Mon) 04:54:15
-
【今月の東京都神社庁よりのお言葉(令和六年十ニ月)】
廣池千九郎
自ら苦労して
これを人に頒(わか)つ
[解説]
自ら苦労して得られた成果を人に
分け与えることは幸せにつながる
廣池千九郎 (ひろいけ ちくろう)
大分県中津市生まれ。教育者、歴史家法律学者。
世界の中で日本の皇室がなぜ連綿と続いているのか、
この問いを探求した結果
「(皇室の)質の高い道徳の実行にある」と結論を見出し
道徳こそが人類の安心・平和・幸福の基礎であると考え、
大正十五年に『道徳科学の論文』を完成させ、
モラロジーを広く世に提唱した。
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0612/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202412.pdf
<感謝合掌 令和6年12月1日 頓首再拝>
-
2:伝統
:
2024/12/02 (Mon) 15:02:17
-
歳々年々人同じからず
~ 劉 庭芝 ~
人は年毎に変ってゆくのであります。
花は毎年同じように咲きますが、
白髪頭・皺の一筋一筋は、
経験の積み重ねであり、努力の賜であります。
年の変わり目、1年を顧みて来年の糧にしましょう。
https://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html
<感謝合掌 令和6年12月2日 頓首再拝>
-
3:伝統
:
2024/12/03 (Tue) 04:51:29
-
天地を直す皇神のみ心を
受けて生まれし人の直霊ぞ
~ 本田親徳・霊魂百首 ~
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和6年12月<師走>号をクリック)
<感謝合掌 令和6年12月2日 頓首再拝>
-
4:伝統
:
2024/12/03 (Tue) 14:43:19
-
本居宣長
人の行ふべきかぎりをば
行ふが人の道
自分の出来ることを
一所懸命にやる
報われる報われないは
人の力の及ばないこと
このことを心得て
大いなる事にあたるべし
『玉くしげ』
本居宣長 (もとおり のりなが)
江戸時代の国学者・文献学者・医師。伊勢国(三重県)松坂の人。
二十二歳で医学の修行のため京都へ遊学し儒学・古典等を修め
国学の道に入ることを志す。
松坂に帰り診療所を開業、そのかたわら源氏物語、古事記など
古典文学の注釈や漢字音文法などの国語学的研究にすぐれた業績を残した。
『玉くしげ』は古道に基づく政治原理をまとめ
紀州藩主・徳川治貞(はるさだ)に献上したもの。
<感謝合掌 令和6年12月3日 頓首再拝>
-
5:伝統
:
2024/12/04 (Wed) 04:55:56
-
窮(きゅう)もまた楽しみ
通(つう)もまた楽しむ
~ 荘子 ~
人生は二度ないものであるから
それぞれの境遇に応じて人生を楽しみましょう。
窮とは貧しいことであり、
通は裕福のさまをいいます。
一年をふり返り新しい目標を考えましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html)
<感謝合掌 令和6年12月3日 頓首再拝>
-
6:伝統
:
2024/12/05 (Thu) 04:55:51
-
清浄に二義あり。
謂ゆる内清浄、外清浄なり。
其の心誠一にして神と交わるものは
内浄の誠一は即ち正直の心なり
~ 日本書紀纂疏(にほんしょきさんそ) ~
清浄の考え方に、古来から二面がある。
内清浄と外清浄とである。
内清浄とは心の清浄であり、
外清浄とは身体の清浄にすることである。
心を清浄にするということの極致は、
自分の心を一つにする、或は真心を持って、心の故郷ともいうべき
神の心と一体になることである。
心の清浄とは具体的には何かと問われるなら、
それは「正直」の二文字以外にないと言える。
この教えは結局、清浄とは何かを明らかにしたもので、
清浄の極致は「正直」の二文字以外にないことを
教えたものである。
この清浄、正直の教えは神社にあっては、その根本の伊勢神宮が
主として強調したものであるが、これが神道一般としても
理に適うものとして、日本書紀の解釈のうちにも取り入れられたのが、
本書の主張である。
「正直の頭に神宿る」という教えが、
伊勢神宮の教化の根本にあることを知っておきたい。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和5年12月<師走>号をクリック)
<感謝合掌 令和6年12月4日 頓首再拝>
-
7:伝統
:
2024/12/05 (Thu) 15:22:49
-
平澤 興
生かされて 生きるや今日の
このいのち 天地(あめつち)の恩
かぎりなき恩
生きていることが
一番ありがたい
生かされている御恩に
感謝しましょう
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0412/
https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202212.pdf
<感謝合掌 令和6年12月5日 頓首再拝>
-
8:伝統
:
2024/12/06 (Fri) 04:56:02
-
俯仰(ふぎょう)天地(てんち)に愧(は)じず
~ 孟子 ~
良心に顧みて、やましい所が無かったならば、
天地に対して少しも愧じる所が無いことをいいます。
一年を顧みて新たな志をたてましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/index.html)
<感謝合掌 令和6年12月5日 頓首再拝>
-
9:伝統
:
2024/12/06 (Fri) 14:58:39
-
慎みて怠ること莫(なか)れ
~ 古語捨遺 ~
景行天皇の御代、日本武尊は東征の途中、伊勢の神宮に詣で、
神宮御奉仕の倭姫命に、御暇乞をされた。
倭姫命は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(後の草薙剣)を
日本武尊に授けられ、この御言葉をはなむけとされた。
人生は常に身を慎み、なまけることなく、精進に精進を重ねよとの意。
成功の基は、これ以外にないとの意である。
古語捨遺には
「日本武命、東夷を征討す。よって道を枉げて伊勢神宮に詣で、
倭姫命にまかりもうしたとき草薙剣を以て、日本武尊に授けて
教えて曰く、慎んて怠ること莫れ」とある。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和4年12月<師走>号をクリック)
<感謝合掌 令和6年12月6日 頓首再拝>
-
10:伝統
:
2024/12/07 (Sat) 04:58:15
-
『大学』
富は屋(おく)を潤(うるほ)し
徳(とく)は身(み)を潤す
豊かな財産があればその家の姿を立派にするが
豊かな徳はおのずからその人の身を立派にする
『大学』 (だいがく)
儒学で尊重される書物の一つ。
五経の「易経」「詩経」「書経」「春秋」「礼記」のうち
「礼記」の一遍であったが、朱子により
「中庸」「論語」「孟子」「大学」の四書となる。
二宮尊徳の石像が読んでいる本が「大学」である。
二宮尊徳はこの書を読み深めて、
各地の農村復興に取り組み報徳思想を唱えた。
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0312/)
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202112.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月6日 頓首再拝>
-
11:伝統
:
2024/12/08 (Sun) 04:56:45
-
歳月人を待たず
~ 陶淵明 ~
月日は人事の如何(いかん)にもかかわらず、
刻々と過ぎていく。
同じ一日は再び来ないのであるから
時を惜しんで勉強することが大切である。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k03.html)
<感謝合掌 令和6年12月7日 頓首再拝>
-
12:伝統
:
2024/12/08 (Sun) 15:17:20
-
神道は本を立て、世を助け、人を救ふ、
この三つより外にあることなし古(いにしえ)を稽(かんが)へて今を照らす
~ 大国隆正・天津祝詞太祝詞考 ~
神の道の根本は、万物を生み給うた祖神(みおやがみ)の心を
重んずることである。
更には人の世は助け合い、人のために奉仕していく以外にないの意。
大国隆正は同署では、上につづけて
「此三つをまた、つづめて見れば、われをむなしくする也。
我を空しくして本を立て、我を空しくして世を助け、
我を空しくして人を救う、これを人の真情とす」
と述べている、
この三つのつづまるところは「無我」(我を空しくする)であるとする。
「無我」「無私」こそは、神人合一の教えの第一歩とすべきである
とされている。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和3年12月<師走>号をクリック)
<感謝合掌 令和6年12月8日 頓首再拝>
-
13:伝統
:
2024/12/09 (Mon) 05:01:35
-
徳川家康
人の一生は重荷を背負うて
遠き道を行くが如し
いそぐべからず
『東照公御遺訓』の冒頭の一節
「不自由を常と思えば不足なし…困窮したる時を思い出だすべし」と続く
『論語』(泰伯第八)の「任重くして道遠し」を踏まえた
徳川家康の処世訓といわれる
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0212/)
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba202012.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月8日 頓首再拝>
-
14:伝統
:
2024/12/09 (Mon) 15:18:40
-
飢寒(きかん)は善心(ぜんしん)を発す
~ 事林広記 ~
貧苦の中に努るものは健康な精神を発する
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k02.html)
<感謝合掌 令和6年12月9日 頓首再拝>
-
15:伝統
:
2024/12/10 (Tue) 04:32:34
-
古(いにしえ)を稽(かんが)へて今を照らす
~ 古事記序文 ~
昔のことを参考にして、今日の在り方を考える。
経験を通して、反省の資とする。
人生はそうしたものである。
古事記序文には
「歩驟(ほしゅう)各々に、文質同じからずと雖(いえど)も、
古を稽へて、以て風猷(ふういん)を既に頽(すた)れたるに繩(ただ)し、
今を照らして以て典教を絶えなむと欲するに、
補はずといふことは莫(な)し」
とある。
時代と共に文化の進み方には速いこともあるし、遅いこともある。
いずれにしても、その時代の文化の発展のためには、
過去の日本の文化を考え、その反省の上に立って
今後の在り方を見通すべきである。
時代の道徳・風俗の衰えも、古のこと(伝統)を考え、
今日の在り方と対比して、教えの基本とすべきであると
いうのである。
(https://hokkaidojinjacho.jp/
→ 「今月のことば」令和2年12月<師走>号をクリック)
・・・
<参照>
古事記序文「古伝承とその意義」
https://nihonsinwa.com/page/163.html
<感謝合掌 令和6年12月9日 頓首再拝>
-
16:伝統
:
2024/12/10 (Tue) 15:32:16
-
文室真人智努
天地(あめつち)と 久しきまでに
万代(よろずよ)に 仕(つか)へ奉(まつ)らむ
黒酒白酒(くろきしろき)を
文室真人智努 (ふんやのまひとちぬ)
天武(てんむ)天皇の孫。
初名は智努王(ちぬおう)。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)四年、
文室真人姓を賜与され臣籍に下る。
同年十一月二十五日の新嘗会(しんじょうえ)の肆宴(しえん)で
応詔歌を奉り、後に万葉集十九巻に採録された。
( http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/r0112/ )
( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201912.pdf )
<感謝合掌 令和6年12月10日 頓首再拝>
-
17:伝統
:
2024/12/11 (Wed) 04:59:57
-
無用の言(げん)を言はざる
~ 吉田松陰 ~
必要のない言葉は「口にしない」
ということを第一の戒めとあいます。
多言であれば、敬いの気持ちを失い、
まごころが散り失せてしまいがちになるからです。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k31.html )
<感謝合掌 令和6年12月10日 頓首再拝>
-
18:伝統
:
2024/12/11 (Wed) 15:12:06
-
眼の前に産土の神立ちまして
魂の善し悪し見給ふものぞ
~ 本田親徳・産土百首 ~
(説明)
「産土の神」は「産す根の神」で、母なる大地を生み
育てている根源の神のことである。
此の大地の上に生活する私達としては、「産土の神」は、
常に大地の上に眼の前に、現在奇(く)し霊(び)のお働きを
以て立ちつづけ、私達の行く末を末永く見守っていて下さる。
私達を見守るといったが、私達の体内にある心 ―― 魂まで、
その善し悪しの心の動きまで見守っていて下さる。
『神は見通し』というが、産土の神はこの大地の神、眼前の神として、
この現在の私達の心の動きを見守っている。
尊び崇めねばならぬ。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
→ 令和元年版「今月のことば」12月 をクリック )
・・・
<参考Web>
(1)産土百首リストと本田親徳
https://transpace.jp/ubusuna-honda-tikaatu/
(2)古神道霊学の先覚・本田親徳①
https://note.com/tsubouchi2016/n/nac5de050bc82
(3)本田霊学
http://www.takamiyahachimangu.com/blog/?p=1799
<感謝合掌 令和6年12月11日 頓首再拝>
-
19:伝統
:
2024/12/12 (Thu) 04:59:38
-
今上(きんじょう)陛下(現上皇陛下)
吹きすさぶ 海風に耐へし
黒松を 永年(ながとし)かけて人ら育てぬ
― 今上陛下御製 北海道行幸啓 襟裳岬にて
(http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/inochinokotoba/h3012/)
( https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201812.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月11日 頓首再拝>
-
20:伝統
:
2024/12/12 (Thu) 15:00:41
-
雨垂(あまだ)れ石を穿(うが)つ
~ 漢書 ~
(説明)
雨の滴(しずく)も長く同じ所に落ち続けば、
硬い石にも穴が空きます。
小さな力が地道に作用し続け、
顕著な効果が現れる例であります。
1年をふり返り、小さな努力を惜しむ事無く
明年につないで参りましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k30.html )
<感謝合掌 令和6年12月12日 頓首再拝>
-
21:伝統
:
2024/12/12 (Thu) 18:45:44
-
神の代の神のみふみを神ながら
とけや神の我れに宣りけむ
~ 橘守部・歌集穿履集選 ~
(説明)
神職として、神の道に入った以上は、神典(古事記。日本書紀)が
自分の心に自分の生活に、入っていなければならぬ。
そのためにも、神代のことを書いた紙のみふみ(神典)を、
神のみ心のまにまに、自分で説き、解けるようにと、神さまは、
自分に対して、一所懸命に心を入れて勉強せよと仰せられている。
このみ心に添い得るだけの努力をしようと、
心に誓い、実行するものだけが、
神の期待、みことよさしに添い得るものといえよう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
→ 平成30年版「今月のことば」12月 をクリック )
<感謝合掌 令和6年12月12日 頓首再拝>
-
22:伝統
:
2024/12/13 (Fri) 04:46:54
-
井上正鐡
天地(あめつち)の御恩(ごおん) 日夜に忘れぬは
神道のはじめと奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)
井上正鐡著「唯一問答書」の一節。
私共を生かしてくださっている天地のお働きを忘れず、
そのお恵みのお陰で生きていることを感謝することこそ
神道のはじめの大切な一歩です。
(井上正鐡著「唯一問答書」
→ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/993835/4 )
井上正鐡 (いのうえ まさかね)
寛政二年(一七九○)~嘉永二年(一八四九)。
幕末の神道家、禊教教祖。
(https://otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201712.pdf )
<感謝合掌 令和6年12月12日 頓首再拝>
-
23:伝統
:
2024/12/13 (Fri) 14:47:06
-
匹夫(ひっぷ)も志(こころざし)を
奪うべからざるなり
~ 論語・子罕 第九 ~
身分にかかわらず、ひとたび志というものを抱けば、
それはそう簡単には奪えないものである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k29.html )
<感謝合掌 令和6年12月13日 頓首再拝>
-
24:伝統
:
2024/12/14 (Sat) 04:56:58
-
「天地の中にみちたる草木まで
神の姿とみつつ恐れよ 」
~兼邦百首歌抄~
(説明)
平安時代以前の和歌は、
外界に見える自然の姿の美しさをそのままに歌ったものが多い。
これに対し鎌倉以降の和歌は、朱子学の影響を受けてか、
外界から内界、即ち心の受けとめ方を問題としたものが多い。
この和歌も後者のひとつである。
天地の心を歌ったもので、古典によると、
天も地も祖神が生み給わったものとする。
故に、天地だけでなく地上に生育する草木にさえも、
神の心を認めねばならぬ。
草木が青々と元気よく生育する姿を見ては、人間もかくあらんと感得する。
草木が風雨に堪える姿を見ては、人間も世の世の苦難に出合っても、
辛抱が大切だと感得する。
世の中は平穏無事ばかりではない。
苦難に堪えなければならない時もある。
また春には若芽に萌える時もあれば、
秋には一葉も残さず落葉することもある。
人生も壮時があれば、老衰もあり、生まれるものは、必ず死歿する。
いわば生者必衰の理のが、
天地、草木の生まれ、草木の色の衰えによって教えられる。
神の道理のきびしさを知らねばならぬ。
兼邦百首歌抄は室町時代の吉田兼邦が百首の和歌を通して、
神道の道型を語ったものである。
(続 神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
→ 平成29年版「今月のことば」12月 をクリック )
<感謝合掌 令和6年12月13日 頓首再拝>
-
25:伝統
:
2024/12/14 (Sat) 14:42:44
-
私が断じて滅びない事を願う一つの国民がある
それは日本人だ
ポール・クローデル
「あれ程度興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。
日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、
他のいかなる国民にもこれ程の資格は無い。
彼らは貧乏だ。然し、高貴だ。」と続く。
日仏間が戦争状態であった昭和十八年、
元駐日フランス大使であった彼が語った言葉。
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201612.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月14日 頓首再拝>
-
26:伝統
:
2024/12/15 (Sun) 04:52:20
-
士(し)を以って
弘毅(こうき)ならざるべからず
~ 論語 ~
(解説)
人は上に立つ人物というのは、
物を見る広い視野と強い意志力、
この2つを持たないと務まらない。
人生には幾度も正念場がおとづれるが、それを乗り越えるためにも、
たえず広い視野を持つ努力を怠ってはならないし、
強い意志力が欠かせないのである。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k28.html)
<感謝合掌 令和6年12月14日 頓首再拝>
-
27:伝統
:
2024/12/15 (Sun) 14:29:05
-
「世の人のここは心のふるさとか
そぞろ詣れば旅ごころ
うたた童にかへるかな」
~吉川英治・伊勢神宮参拝・詠歌~
(説明)
伊勢の皇大神宮は民族の祖天照大御神をお祭りするところ。
我が国民にとって心の故郷である。
一生に一度はお詣りしたいとの念願は、
国民誰しもが心に抱くところ、その念願叶って、ここに参拝したとき、
神路山、五十鈴川の自然と解け合った静寂荘厳の天地にうちに、
祖神を慕う童心に立ち戻るのは、ひとり吉川英治だけであろうか。
この歌は伊勢神宮に寄せる民族の心をゆさぶるものとして
永く愛唱されることであろう。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
→ 平成28年版「今月のことば」12月 をクリック )
<感謝合掌 令和6年12月15日 頓首再拝>
-
28:伝統
:
2024/12/16 (Mon) 04:58:52
-
神道に書籍なし。
天地をもって書籍となし、
日月をもって証明となす。。
吉田兼倶
神道には経典がない。
自然から学び、人々が伝えることで
教えとするのである。
出典『神代上下抄』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201512.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月15日 頓首再拝>
-
29:伝統
:
2024/12/16 (Mon) 14:51:36
-
言順(げんしたが)わされば
則(すなわ)ち事成(ことな)らず
~ 論語 ~
(解説)
ほんの小さな間違いや不正であっても、
無視してしまったら大事故につながってしまうことがある。
ささいな事でもしっかり最初に直しておくと、
それだけ安心して仕事を進められ、達成も確実になる。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k27.html)
<感謝合掌 令和6年12月16日 頓首再拝>
-
30:伝統
:
2024/12/17 (Tue) 05:00:44
-
目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり
~ 明治天皇御製~
(解説)
目に見えない現実的な相手が目の前におれば、
その相手に応じていかにも相対応することが出来る。
しかし、神は目に見えないが実在せられる。
その目に見えない神に向かって恥ずかしくない自分を持ち続けるのは、
その人の「誠」以外にはない。
誰が見ていなくても、神だけは、どこからでも見ていられる。
その神に対しても恥ずかしくない自分を常に維持していくためには、
「誠」以外にはありません。
常にどこにあってもいつまでも、人の道として大切なことは、
「誠」の心である旨を強調されたみ歌です。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
→ 平成27年版「今月のことば」12月 をクリック )
<感謝合掌 令和6年12月16日 頓首再拝>
-
31:伝統
:
2024/12/17 (Tue) 18:16:39
-
”祈り”は真剣に
生きようとするところに
初めて生れる
~ 岡本健治 ~
どうでもよい生き方の人や、生きることを放棄した人に祈りは無縁である。
祈りは限りある人生を精一杯に生き抜こうとする、
真剣な生きざまのあかしである。
出典『朝霧 岡本健治遺稿集』熱田神宮宮庁
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201412.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月17日 頓首再拝>
-
32:伝統
:
2024/12/18 (Wed) 04:59:47
-
近き者 説(よろこ)び、
遠き者 来たる
~ 「近者説 遠者来」論語 ~
(意味)
今そばにいる人達が、喜びや幸せ、やりがいを感じるようになれば、
その噂を聞きつけた人々が自然と集まって来ます。
何かをやり遂げようと思うとき、
手助けが必要な時にはまず身近な人を大切にしましょう。
(http://www.shirayama.or.jp/kotoba/k26.html )
<感謝合掌 令和6年12月17日 頓首再拝>
-
33:伝統
:
2024/12/18 (Wed) 15:15:08
-
それ神道は正直を以て体とそ
愛敬を以て心とし
無事を以て行とす
~ 中江藤樹・神道大義 ~
(解説)
神道の教えの根幹をいって「正直」の二字をまもるにありとしたことは、
神道古来の伝統である。
この「正直」の二字を守り、これを実現させるための心掛けとしては、
愛と敬との二字を守るべきである。
愛とは、すべてのものを包容し、これと調和する精神であり、
敬とは「慎み」の心から発する。
更に日常の生活態度としては、過ちのないよう、混乱のないよう、
即ち「無事」の二字を守って、日常の行為の基準となすべき事の
大切さを説いたものです。
毎日を「無事」で送れたら、それで言うことなしの境地、
またこれが「平常心是道」にも通ずるのです。
(神道百言 一般財団法人神道文化会編より抜粋)
( https://hokkaidojinjacho.jp/kotoba/kotoba-h31/
→ 平成26年版「今月のことば」12月 をクリック )
<感謝合掌 令和6年12月18日 頓首再拝>
-
34:伝統
:
2024/12/19 (Thu) 04:56:37
-
過去は過去として葬らしめよ
そして新しくよき運命を
拓いて行けばいいのだ
~ 志賀直哉 ~
(説明)
過去を引きずって生きていても、いいことはない。
過ぎてしまったことは、どうにもできないものである。
大切なのはこれからだ。
過去のことは清算し、生まれ変わった気持ちで生きていこう。
出典『暗夜行路』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201312.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月18日 頓首再拝>
-
35:伝統
:
2024/12/19 (Thu) 13:19:42
-
山水(さんすい)に得失(とくしつ)なし
得失は人心(じんしん)にあり
~ 夢窓疎石「夢中問答」 ~
(意味)
自然にはもともと損得はない。
それは人間の心が生み出したものである。
自分が生み出した損得勘定に振り回されるのは愚かなことである。
損得は本来無いと考えれば自ずと行動も自然な物になり、
大局に立って物事を見ることが出来るようになる。
*夢窓疎石 ―― 鎌倉時代末から室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧。
七度天皇から国師号を賜り、七朝帝師とも称される。
<感謝合掌 令和6年12月19日 頓首再拝>
-
36:伝統
:
2024/12/20 (Fri) 04:58:56
-
一日に生きることは
一歩進むことでありたい
~ 湯川秀樹 ~
(説明)
一日をただ漫然と過ごすのではなく、
日々、前進することをこころがけたいものである。
『最高の報酬 ー お金より大切なもの 働く人の名言集』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201212.pdf)
<感謝合掌 令和6年12月19日 頓首再拝>
-
37:伝統
:
2024/12/21 (Sat) 03:43:35
-
天何(てんなに)をか言(い)うや、
四時行(しじおこな)われ、百物生(ひゃくぶつしょう)ず
(天何言哉、四時行焉、百物生焉)
~ 論語 ~
(意味)
春夏秋冬が巡り、毎年変わることなく、また春が来る。
草木は茂り、花が咲き、動物達が誕生を喜ぶ。
あらゆる生命のつながりが延々と絶えることなく続く。
この一年を振り返り、言葉を求める前に見ることと感じることを
心掛けてみましょう。
偽りのない心で感じれば、真理に気づくことができるでしょう。
<感謝合掌 令和6年12月20日 頓首再拝>
-
38:伝統
:
2024/12/21 (Sat) 15:33:55
-
其れ恕か。(それじょか)
己の欲せざるところ、人に施すことなかれ
~ 論語 ~
「恕」とは相手の気持ちを思いやる心のことである。
「己」とは自分のこと、「人」とは他人のことである。
自分が嫌だと思うようなことは、自分から他人にしてはならない
<感謝合掌 令和6年12月21日 頓首再拝>
-
39:伝統
:
2024/12/23 (Mon) 04:40:04
-
世の中の よきもあしきも ことごとに
神のこころの しわざにぞある
~ 本居宣長 ~
(意味)
世の中の良いことも、悪いことも
全て神さまの心がなさることなのである。
『玉鉾百首』
(http://www.otorisama.or.jp/kotoba_pdf/kotoba201112.pdf)
・・・
『玉鉾百首略解』 加茂百樹著 → http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/873742/1
<感謝合掌 令和6年12月22日 頓首再拝>
-
40:伝統
:
2024/12/23 (Mon) 14:18:35
-
歳寒(としさむ)くして然(しか)る後(のち)に
松柏(しょうはく)の凋(しぼ)むに後(おく)るるを知る
~ 論語 ~
冬になると他の木々は葉が散ってしまうが、
松とか柏はなかなか葉が落ちないように、
落ち目になってもその信義が揺るがない人は、
信頼感の厚い人として人々に尊敬される。
今年は震災や水害・放射能に苦しめられましたが、その中で
一所懸命くじけず頑張っている人々に心からの応援をし、
一年の最後の月も充実した心構えで来年につなげましょう。
<感謝合掌 令和6年12月23日 頓首再拝>
-
41:伝統
:
2024/12/24 (Tue) 15:11:32
-
全徳の人は得難く一矢あれば一得あり
~ 徳川吉宗 ~
(説明)
全く申し分のない人というのはいるものではなく、
誰でも短所があれば長所もある。
相手に何が不足か感じることがあっても、
どこかに取り柄があるのであるから、
多少の過ちは許してやらなければならない。
<感謝合掌 令和6年12月24日 頓首再拝>
-
42:伝統
:
2024/12/25 (Wed) 18:41:20
-
交際の奥の手は至誠である
~ 澁澤 榮一 ~
(意味)
人とのつき合いで最も大切であり最後に物を言うのは、
相手に誠実を尽くすことにある。
相手に信頼されるためには真心と誠実が第一である。
(https://35635552.at.webry.info/theme/059fc3a80d.html)~消滅
<感謝合掌 令和6年12月25日 頓首再拝>
-
43:伝統
:
2024/12/26 (Thu) 15:12:44
-
其れ恕か。(それじょか)
己の欲せざるところ、人に施すことなかれ
~ 論語 ~
「恕」とは相手の気持ちを思いやる心のことである。
「己」とは自分のこと、「人」とは他人のことである。
自分が嫌だと思うようなことは、自分から他人にしてはならない
<感謝合掌 令和6年12月26日 頓首再拝>