伝統板・第二
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賢者の一日一言(R5年8月)
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1:夕刻版
:
2023/08/01 (Tue) 13:21:22
-
このスレッドでは、過去に紹介した次のスレッドから、
日々の言葉の数々を再度紹介してまいります。
(1)伝統板・第二「リーディング(エドガー・ケイシー)⑭(R3.08)」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8208056
(2)伝統板・第二「イエス・キリスト・一日一言」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8244658
(3)伝統板・第二「松下幸之助に学ぶ 指導者の365日」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7687044
(4)伝統板・第二「佐藤 一斎・一日一言」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7938814
(5)伝統板・第二「ひかりの一日一言77~内に在る天国浄土」
→ https://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8207909
・・・
賢者の一日一言《1日》
(1)【 8月1日 】
もし主があなたの側におられるなら、
いったい誰があなたに立ち向かえるでしょう!
If this attitude is kept,
- if the Lord be with thee, WHO may be against thee!
(602-7)
・・・
(2)【 8月1日 】(93~P84)
具体的な形象を持っている類(たぐい)の階層における
被造物は不可視の内因の結果である。
あなたたちの肉体は猶一層の発展に向けての出発点になるものであり、
その発展は、み霊こそすべてこれ常在・唯一・久遠の本質であり、
力であり、生命であると自覚することによってなされなければならない。
その示現(あらわれ)が愛である。
・・・
(3)【 8月1日 】 結局は社長一人の責任
会社の経営の良否は、
結局は社長一人の責任です。
部は部長、
課は課長一人の責任なのです。
責任者は言うべきを言うだけでは足りないのです。
幸之助は、
「相手に深い感銘を与える話をしてこそ指導者なのだ」
と教えてくれました。
感銘あってこそ共感が生まれ、
経営の良否が決まるのです。
人間としての美しさを磨きあげ相手に深い感銘を与えるのが、
社長の責任です。
・・・
(4)【 8月1日 】 真の孝行、真の忠義
真孝(しんこう)は孝を忘る。
念念是(こ)れ孝。
真忠(しんちゅう)は忠を忘る。
念念是れ忠。
(言晩録 二ニ七)727
【訳】
真の孝行とは、自分が孝行していると殊更(ことさら)に
意識しないものである。
つまり、思うことがすべて孝行なのである。
真の忠義とは、自分が忠義であると殊更(ことさら)に
意識しないものである。
思うことがすべて忠義なのである。
・・・
(5)《1日 意識の下部組織》
人間の心は大体、四層の心を持っていると云うことが出来るのである。
(一)肉体に就いた本能の心である。
幼児が生れながらにして呼吸することを知っており、
母乳を吸うことを知っており、
成人して生殖することを知っている如き心である。
内臓の自動運動の如きは大体この本能の心によって支配されている。
その本源は宇宙大生命より発したものであるが、
肉体保存のために自動的に無意識的に発動して来るものであって、
動物は概ねこの本能の心に支配されているのである。
これは意識の下層部に基礎工事的に与えられているものであって、
動物はこの「本能の心」と云う基礎の上に
極簡単な自覚意識が発生しているだけである。
だから「本能の心」のみに支配されているものは、
意識の上層部がまだ発達していないものであって、
「動物的」だと云われても致し方がないのである。
人間を「動物」だと思わせる『二十の扉』の如きものは、
単なる娯楽放送だとはいえ、談笑のうちに
人間に「動物意識」を増大せしめているのである。
幼児からあれを聞かせられていたら、幼児の潜在意識の底に
「人間とは動物なり」の観念を強く印象することになる。
それでなくとも「人間」をただの唯物的存在だとして、
その動物的本能の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)を
「基本人権の自由」として、
姦通の自由、自分の利益のためにストを決行して大衆に迷惑をかける自由
―― などを正当とみとめる現代風潮に拍車をかけることになっているのである。
幼児に「人間は動物だ」と云うような考えを出来るだけ印象しないようにせねばならぬ。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P207~208)より
<感謝合掌 令和5年8月1日 頓首再拝>
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2:伝統
:
2023/08/02 (Wed) 13:05:36
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(1)【 8月2日 】
たとえ5分でも10分でも良いから、
朝か夜の、あるいは朝と夜の両方の決まった時間に、
何ものにも邪魔されることなく祈りなさい。
そして祈っているように生きなさい。
Set a definite period morning or evening, or both even,
though it be five or ten minutes - let nothing interfere, pray.
Then live like you pray.
(5368-1)
・・・
(2)【 8月2日 】(94~P84)
情念を尽くし、魂を尽くし、心を尽くして汝の神を愛せよ、
汝の隣人を汝自身のごとくに愛せよ。
これが人類という礎石(いしずえ)の立つ律法である。
・・・
(3)【 8月2日 】 人間だから行き過ぎることもある
「人間だから行き過ぎることもある。
そういう場合は、すぐ引き返すこと、
その見極めがなによりも大切だ」
と、幸之助はいつも言い聞かせていました。
「今が、最善だと思っても、
それは、今日の最善であり、
明日の最善ではない」
ものごとは日々進歩しているのです。
生成発展しているのです。
いつ如何なる時でも学び続ける大切さを教えられました。
・・・
(4)【 8月2日 】 親に仕え、子に教える
親に事(つか)うるの道は、己(おの)れを忘るるに在り。
子を教うるの道は、己れを守るに在り。
(言晩録 二ニ八)728
【訳】
親に仕えるには、自分を無にして尽くすことである。
子供を教えるには、自ら徳操を固く守って模範となることである。
・・・
(5)《2日 意識の第二層として自覚組織がある》
人間が動物と異なる所以(ゆえん)は、
自覚意識が著しく動物よりも発達していることである。
単なる本能意識に支配せられずして、
自覚した意識によって本能を支配して行(ゆ)き得(う)ることである。
食欲、性欲そのものを「人間」そのものの欲望として観ず、
人間の自覚意識の発生する単なる土壌として観て、
これを自分の自由に支配し、克服して行(ゆ)くところに、
人間の尊厳があるのである。
然(しか)るに
「人間は肉体なり、肉体の本能の自由が、人間そのものの自由である」
と云うような人生観が横行する現代に於いては、恰も、
「建物とは基礎工事なり、基礎工事を拡大することが建物の拡大なり」とて、
肉体人間を構成するための基礎工事ばかりを拡大して
「人間」と云う建物を忘れている観があるのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P208~209)より
<感謝合掌 令和5年8月2日 頓首再拝>
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3:伝統
:
2023/08/03 (Thu) 15:40:32
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(1)【 8月3日 】
あなたの今の境遇は、物質的にも、精神的、霊的にも、
あなたがより大きなもの、もっと優れたものを
成し遂げるのに必要な成長をもたらすものであり、
あなたは今の状況をやり抜かなければならない。
In the environ as the body finds self in the present
is that necessary for the body-consciousness,
the body-mind, to pass through for that development necessary
for bigger, better, greater things the body may accomplish
in a material, in a mental, in a spiritual manner.
(311-5)
・・・
(2)【 8月3日 】(95~P84、85)
放蕩息子の寓話の中に父の愛が示されている。
息子の放逸、その悔悛、自己自身即、真の霊的状態の恢復。
先づもろもろの艱難辛苦をなめ、せっかく受け継いだ財産も蕩尽し、
やがて自ら進んで一僕(いちしもべ)となるために帰還するが
やがて本来の息子となる。
・・・
(3)【 8月3日 】 企業の赤字は
企業の赤字は、人間でいえば、
体から血が出ている状態です。
「すぐに止めなければ、
出血多量で死んでしまう。
赤字は罪悪だ」
と、幸之助はいつも厳しく叱っていました。
日々努力を重ね、
あと一歩で完成する仕事も、
止めを刺す努力を怠れば、
瞬時に無に帰してしまうものです。
来月赤字をなくすと言っても、
赤字経営者には明日はないのです。
経営は真剣勝負だと、
繰り返し教えられました。
・・・
(4)【 8月3日 】 父の道、母の道
父の道は当に厳中(げんちゅう)に慈(じ)を存(そん)すべし。
母の道は当に慈中に厳を存すべし。
(言晩録 二ニ九)729
【訳】
父たる者は、厳しさの中に慈愛がなくてはいけない。
母たる者は、慈愛のうちに厳しさがなくてはいけない。
・・・
(5)《3日 「本能の心」と潜在意識との関係》
人間に於て過大に発達した「自覚意識」は、
その重量の過大のゆえに、それが更(さら)にその影響を、
基礎工事の「無意識」の中に及ぼしているのである。
従って、人間の「無意識」層には、単なる「本能の心」のほかに、
過重の自意識が印象した「潜在意識」層があるのである。
それが肉体の生理作用を司(つかさど)る「本能の心」と混り合って、
正常の生理作用を抑圧して不完全ならしめることがあるのである。
「野獣が病気をしない」と云うことも、
それは「本能の心」を主として生きているからであります。
「本能の心」は主として大生命からの
基礎的催しであるから健全であります。
動物が過淫のために神経衰弱になった例はないのであります。
自覚意識が働いて、「本能の心」を過大に働かせたり
抑制したりするから其処に病気が起こるのであります。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P209~210)より
<感謝合掌 令和5年8月3日 頓首再拝>
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4:伝統
:
2023/08/04 (Fri) 13:13:09
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(1)【 8月4日 】
覚えておきなさい。
主にあってはあらゆることが実現可能だということを。
Know that ALL things may be accomplished in Him.
(3183-1)
・・・
(2)【 8月4日 】(96~P85)
息子がたとえどのようなことをしたにしても、
父の愛は一切の過ちを消してしまう。
父の愛はそれほどに大きいのである。
この事(こと)がどんなに正しいかは
あらゆる生活の中で証(あかし)されている。
真理に気付いた時過ちは矯(ただ)される。
それはひとつの体験であり、この体験を通じてあなたたちは
種々様々の状態より起ち上がって自分自身(真我)を
悟ることができる。
そのとき過ちは消えて無くなり、真理が太初(はじめ)以来の
真理そのままの相(すがた)を現す。
・・・
(3)【 8月4日 】 たとえ失敗したとしても
幸之助は、
「たとえ失敗したとしても、
それはある一定期間の失敗である。
だから元気を出して、
もう一度挑戦したらええんや。
まわりまわって生成発展ともなり得る」
と言っていました。
不景気でも良いものは売れるのです。
だから、品物がよく、価格も適切なら、
不景気でなくなります。
成功の道は、知恵と、愛と辛抱なのです。
・・・
(4)【 8月4日 】 父と子
父の道は厳を貴(とうと)ぶ。
但(た)だ幼(よう)を育つるの方(ほう)は、
則(すなわ)ち宜(よろ)しく其の自然に従って
之(これ)を利道(りどう)すべし。
助長して以て生気を賊(そこな)うこと勿(な)くんば可なり。
(言晩録 二三〇)730
【訳】
父の子に対する道は厳格でなければならない。
ただし、幼児を育てるときには、その自然のままに従って、
それとなく善い方向に導いてやるがよい、
無理やり力を加えて、子供の生き生きとした活気を
損なうことがなければよいのである。
・・・
(5)《4日 人間の心の四層に就いて》
自覚意識は外界の種々のものを受け取ってそれを処理するばかりではなく、
本能をも適当に管理したり、抑制したり、過剰に駆使することも出来る。
自覚意識は人間の主人公であると云うことが出来る。
しかしそれは本当は過剰であっても、方向を過ってもならないのである。
それは本能の土壌から発生した植物のようなものであって、
土壌の奥にある大生命からスクスクと叡智を吸い上げて、
叡智の導くままに「自覚の心」が伸びて行くことによって、
すべてが順調に行われるのである。
そこで人間の心は次のような四層になっている。
自覚意識層 ―― 潜在意識層 ―― 本能の心層 ―― 叡智層。
叡智層を Super Consciousness(スーパーコンシャスネス)とも云う。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P210~211)より
<感謝合掌 令和5年8月4日 頓首再拝>
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5:伝統
:
2023/08/05 (Sat) 14:53:15
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(1)【 8月5日 】
自分と家族との関係、友人との関係、
仕事で交流する人々との関係の中で、
人は常に自分自身に出会っているのである。
It may be termed that self in its relationships
with those of its own household, those of its own friendships,
its own business associations, is constantly meeting itself.
(1212-1)
・・・
(2)【 8月5日 】(97~P85)
悔い改めが赦しに先行する。
父の愛が解った時初めて心底(ハート)より悔い改めが起り、
その時彼は真に赦されたのである。
かくて彼は彼本来の霊的状態、
すなわち自分自身が神の中にあるという自覚、を取り戻し、
喜んですべての人々の僕となり、
自分が他の人よりして貰いたい通りのことを人々にするようになる。
あなたたちが放蕩息子のようになって始めて
御馳走はあなたたちの前に並べられるのである。
では家の中に入り、兄弟姉妹への愛をもって
今こそご馳走に与(あずか)るがよい。
愛によってのみあなたたちは父があなたたちの為に
準備し給うた御馳走を戴くことができる。
・・・
(3)【 8月5日 】 難局に直面した場合
難局に直面した場合、幸之助は
「まず、
その事実・事態をはっきりと素直に認識することが大事である」
と、言っています。
あわててはいけないのです。
この難局の向こうに成功があることを確信することが大切であり、
難局こそ成功に至る道と信じることが大事なのです。
未来は、
今の生きる振る舞いによって決まるのです。
・・・
(4)【 8月5日 】 過失を責める
人の過失を責むるには、十分を要せず。
宜(よろ)しく二三分を余(あま)し、
渠(かれ)をして自棄に甘んぜず、
以て自ら新たにせんことを覔(もと)めしむべくして可なり。
(言晩録 二三三)733
覔 https://kanji.jitenon.jp/kanjiq/8041.html
【訳】
人の過失を責めるときには、徹底的に責めることはよくない。
二、三分は残しておいてやり、その人が自棄にならずに、
自分で改め立ち直るように仕向けてやるのがよい。
・・・
(5)《5日 現在意識と叡智層との関係》
叡智層は、所謂(いわゆ)る「神の心」であって、
本能の心であろうと、自覚意識(現在意識)であろうと
すべての知性の根元は、此処から発するのである。
そこから発しながら、その根元を忘れ、その根から離れて
ものを処理しようとするところに叡智の無限供給が杜絶せられて、
有限智ではからわれて、躓きが来(く)るのである。
「自覚の心」は土壌から生(は)えた植物の芽みたいなもので、
土壌の底にある叡智の肥料が少なくなれば萎(しな)びてしまうのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P211)より
<感謝合掌 令和5年8月5日 頓首再拝>
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6:伝統
:
2023/08/06 (Sun) 13:24:13
-
(1)【 8月6日 】
もし主があなたの側におられるなら、
いったい誰があなたに立ち向かえるでしょう!
If this attitude is kept,
- if the Lord be with thee, WHO may be against thee!
(602-7)
・・・
(2)【 8月6日 】(98~P85、86)
このことも又、
あなたたちがこの地上で学び取らなければならないことなのである。
これまであなたたちは、自分の尺度で悪いことをしたと
決め込んだ人々に対して愛を出し控えたことがどんなに度々あったことか。
そのような断定はあなたたちの関知することではさらさらないのである。
それはすべて父なる神とその子との間のことがらである。
このことをよくよく銘記するならば、あなたたちは
他を批判することがなくなり、批判という武器はむしろ
まず第一に自分自身に対して向けるようになるであろう。
・・・
(3)【 8月6日 】 背後にある流れ
「ものごとの背後にある流れや、
つながりを見通す目と心を養え」
よく言われた言葉です。
経営の原点です。
物の一面に捉われることは、失敗を呼ぶ。
自然は見えざる絆を、
目に見えるものにするための仲立ちの役目を果たしているのです。
幸之助は素直に外側の自然に目を向けることによって、
自分の内面を深く掘り下げてきたのです。
幸之助の振る舞は、自然そのものでした。
・・・
(4)【 8月6日 】 善行を勧める
責善の言は、尤(もっと)も宜(よろ)しく遜(そん)以て
之(これ)を出(いだ)すべし。
絮叨(じょとう)すること勿れ。讙呶(かんどう)すること勿れ。
(言晩録 二三四)734
【訳】
善行を行なうように勧める言葉は、なるだけ
へりくだって言うべきである。
回りくどく話してはいけない。
わめき騒ぎ立てるように言うのもいけない。
*絮叨~多弁・饒舌
讙呶~かまびすしい。さわがしい。
〇立ち直させるために戒めているのである。
・・・
(5)《6日 現在意識と潜在意識との関係》
雨の一滴一滴(いってきいってき)が川となり、
流れ込んで湖(みずうみ)になるように、
「現在意識」(自覚の心)の一滴一滴、一つの思い、一つの感情は
蓄積されて「潜在意識」の湖水(こすい)となっているのである。
湖水の底部(ていぶ)には、湖水の水を湛(たた)えるための土壌がある。
その土壌は「本能の心によって構築された肉体」にも
喩(たと)えるべきものである。
「潜在意識の湖水」の表面にあらわれている部分が
「現在意識<自覚の心)である。
「潜在意識の湖水」の中にある一滴一滴は嘗(かつ)ては、
現在意識の一滴一滴が流れ込んで出来たものであるがゆえに、
それは嘗(かつ)ては意識の表面にあったものであるから、
思い出そうと思えば思い出せるのは、
湖水の底の水を汲(く)めば汲めるようなものであるが、
必ずしもすべての記憶を汲み出すことが出来ないのは、
湖水の底の水を全部汲みだし得ないのと同じである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P211~212)より
<感謝合掌 令和5年8月6日 頓首再拝>
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7:伝統
:
2023/08/07 (Mon) 14:47:16
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(1)【 8月7日 】
他の人々への祝福の水路になるということ、
これこそが、それぞれの魂が物質界の意識活動に入る目的です。
T o be a channel of blessing to others is that purpose
for which each soul has come into conscious activity in a material world.
(3161-1)
・・・
(2)【 8月7日 】(99~P86)
真っ先に自分自身の過ちに気が付けば
他の人々を前より一層よく理解するようになる。
・・・
(3)【 8月7日 】 わが人生に悔いなし
とにかく働きました。
体の動く間は働き続けたのです。
カレンダーの休みの日も、
自分が満足するまで働いたことを振り返ると、
我が人生に悔いはありません。
しかし、
最愛の女房や家族には多くの迷惑を掛けたと思っています。
許してほしい、
ただただ許して欲しいと素直に思うのです。
しかし、
幸之助の人生に少しでも触れたことは、
再び同じ生き方をしても良いという充実感に満たされています。
幸之助は私の人生の救いの主です。
・・・
(4)【 8月7日 】 誠で禍を打ち払う
形迹(けいせき)の嫌(けん)は、
口舌(こうぜつ)を以て弁ずべからず。
无妄(むぼう)の災は、
智術を以て免(まぬか)るべからず。
一誠字を把(と)って以て槌子(ついし)と
為すに如(し)くは莫(な)し。
(言晩録 二三五)735
【訳】
態度や行動について嫌疑を受けたときには、
口先で弁解しても効果がない。
思い当たる節もなく受ける禍(わざわい)は、
智慧を用いても免れることはできない。
ただ誠の一字を槌(つち)のように振るって、
嫌疑を晴らす以外に方法はないのである。
・・・
(5)《7日 意識の湖底の尚底から神の叡智を汲め》
上(かみ)諏訪に旅行したときに、
それはまだ初春(はつはる)の寒い朝であったが、
諏訪湖の水からポカポカと温かそうな湯気が
立騰(たちのぼ)っていたのである。
きいて見ると湖の底から温泉が噴出しているのだそうである。
その温泉の温度によって諏訪湖の水は寒中でも滅多に凍らないし、
湖面には温かい湯気が立騰(たちのぼ)るのだと聞かされた。
それは「潜在意識」の《湖水》の下に、
そして「本能の心」の《湖底》の下に、
更に流れているものがあることを示している。
そこから神の愛と叡智と生命力とが温泉のように湧き出て
全体を温め、生かし、意識の表面をギコチなく固まらせないで、
心を自由自在に働かせ、愛の温かい湯気をもって、
気持ちのよい生活を送ることが出来るのである。
本能の尚(なお)底にある神智の温泉に汲みたい
と思うものは神想観をするのがよいのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P212~213)より
<感謝合掌 令和5年8月7日 頓首再拝>
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8:伝統
:
2023/08/08 (Tue) 15:06:54
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(1)【 8月8日 】
主の内うちに希望があり、命がある。
このことをよくわきまえなさい。
Rather know that there is hope, life, in HIM.
(295-5)
・・・
(2)【 8月8日 】(100~P86)
あなたたちはこれまでとかく人々を批難しがちであった。
自分が批難されないためには、人を批難せぬことである。
先ず己(おのれ)が目(まなこ)より梁(うつばり)を取り去るがよい。
そうすれば同胞の目(まなこ)の棘(とげ)の取り方も
前より一層解るようになるであろう。
・・・
(3)【 8月8日 】 何度失敗しても
何度、失敗しても、
もう一度勇気を失わなければ、
必ずものになります。
あまり恐れたり、心配しても、
何の得にもなりません。
それは、
人間の可能性を狭めてしまうからです。
失敗した本当の原因は、
その人の心の中にあるのです。
成功するために、
心に理想の灯を点すことが大切です。
心を思い切って変革することです。
・・・
(4)【 8月8日 】 退歩の工夫
鋭進(えいしん)の工夫は固(もと)より易(やす)からず。
退歩の工夫は尤(もっと)も難(かた)し。
惟(た)だ有識者のみ庶畿(ちか)からん。
(言晩録 二三六)736
【訳】
まっしぐらに勇み進んで事を成すのは、元来、簡単なことではない。
しかし、それより難しいのは、時を心得て一歩引き下がることである。
これはただ、見識ある者だけにできることであろう。
・・・
(5)《8日 各個人の意識はその奥底では一体である》
私は神の生命(愛、叡智を含む)の流れを
湖底を流れる温泉に喩えたのであるが、
この喩えは完全ではないのである。
神の生命は単に吾々の意識の底にあるばかりでなく、
吾々の中にも外にも到る處に存在して、それが個人の意識となり、
個人の生命となってあらわれているのである。
その現れている「個人」と云う尖端だけを見ると、
「個人」と他の「個人」とは別々の存在のように見えているけれども、
それは波頭ばかりを見ていると、
互いに波頭と波頭とは別々に見えているけれども、
その底に於いて実質は一体となって続いているように、
すべての人々の生命の実質は互いに一体となって続いているのである。
続いているからこそ人と人とは互いを理解することが出来るのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P213~214)より
<感謝合掌 令和5年8月8日 頓首再拝>
-
9:伝統
:
2023/08/09 (Wed) 13:12:40
-
(1)【 8月9日 】
人から引き立ててもらおうとするな。
むしろ、自分が神から引き立てられることを選べ。
なぜなら、銀も金も神の物であるからだ。
Seek not to find the favor in the eyes of people.
Rather CHOOSE to KNOW thou hast favor with God,
for the silver and the gold is His.
(520-2)
・・・
(2)【 8月9日 】(101~P86)
われわれは到る処でわれわれの媒体を見つけては、
今此処でしているように、
秘められた方法で世界到る処で真理を説いている。
それも物質界だけではなく、自分の存在の本性を
まだ認識していない者のいる内界(複数)(霊界)においても
又説いているのである。
・・・
(3)【 8月9日 】 熱意なき人は、描ける餅の如し
「熱意なき人は、描ける餅の如し。
知識才能も、熱意がなければ無に等しい」
幸之助の好きな言葉です。
人は生きることの素晴らしさを知った時、
すべての生命の尊さを知るものです。
その一念の変革が、
喜びの生き方へと人生を輝かせていくのです。
その時、熱意が生まれてくるのです。
熱意がその人を変え、すべてを変えていくのです。
・・・
(4)【 8月9日 】 緩ならず急ならず
人の事を做(な)すは、須(すべか)らく緩(かん)ならず急ならず、
天行(てんこう)の如く一般なるを要すべし。
吾が性急迫(きゅうはく)なるも、時有りて緩に過ぐ。
書して以て自ら警(いわし)む。
(言晩録 二三七)737
【訳】
人が仕事をするときは、ゆっくりすぎても急ぎすぎてもいけない。
あたかも天の運行のように、自然にするべきである。
私は急ぎすぎる性質であるが、時にはゆっくりし過ぎてしまう。
そのことをここに書いて自らの戒めとするものである。
・・・
(5)《9日 神に波長を合わせよ》
既に自己に与えられている物に、その奥にある神の恵みに、
神の愛に、神の智慧に感謝しなければならない。
吾々は感謝の念によって、神と波長を合わすことが出来るのである。
かくて感謝の念によって神と波長を合わしているうちに
「新しき生命(せいめい)の自覚」が湧き出て来るのである。
次にかかげる向日葵(ひまわり)の花型の図解について考えて見よう。
(向日葵~https://lovegreen.net/languageofflower/p29918/ )
http://www3.cty-net.ne.jp/~fumifuji/structure.html)
この向日葵(ひまわり)の花型の中心を神といたします。
ひとつひとつの花弁は中心から生命(せいめい)を受けて
生長しているのである。
花弁ひとつひとつは引き離せば別々であります。
しかし実際の生命(せいめい)は中心の神からつながっています。
現在意識は点線でもって示した中心からの区画であります。
(花の写真でいうと筒状花の部分)
この現在意識の区画によって各個人は別々の感じを受けるのであります。
現在意識が中心の方へ向けば各人は一体であります。
中心に振り向くのが神への感謝である。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P214~215)より
<感謝合掌 令和5年8月9日 頓首再拝>
-
10:伝統
:
2023/08/10 (Thu) 15:28:55
-
(1)【 8月10日 】
日々に祈れ。
自分のためにではなく、
神の恵みを現すための水路として用いられんがために祈れ。
Pray daily; not for self,
but to be used as a channel of manifestation of the mercy of God.
(2994-1)
・・・
(2)【 8月10日 】(102~P87)
わたしはあなたたち丈ではなく、
あなたたちの俗眼では見えない人たちにも語っているのである。
彼らが真理を会得した時、
彼らは前途に待ち設けている栄光に向かって邁進するであろう。
彼等はその意識が更により高き状態に高まりゆくにつれて
自分がもはや地縛の存在ではなく、
自分が心の中で勝手に造り出していた束縛より放たれ、
無礙、自在であることに気付くであろう。
わたしの言葉を受け容れるがよい
そうすればあなたたちも又、無礙、自在となる。
・・・
(105~P87)
すべての人が神について教えられるであろう、と予言者の中に書かれている。
故に父なる神について聞いたことのある者、学んだことのある者は
すべてわたしの許に来るがよい。
・・・
(106~P87)
光り闇の中にて輝きてあれ、と命じ給うた父なる神が、
わたしの胸(ハート)の中に輝き給い、
光りと神の栄光について悟りとを与え給う。
・・・
《平安と愛あなたたちと偕に在れ》
おお永遠の父なる神よ。
わたしたちすべてに貴神の神性が植えつけられています。
わたしたちは貴神の臨在を体得し、
貴神の神性がわれわれの生命・生活・生涯(ライフ)の中に
御自身をあらわし給い、生きとし生ける者を祝福し給い、
ありとしあらゆる者を貴神に引き寄せ給いつつあることを知りました。
愛なる父よ、貴神の息子が語る時、愛と理解とを以て
貴神のみ言葉に耳を傾ける者、読む者を祝福し給わんことを。
アーメン。
・・・
(3)【 8月10日 】 正しい道は必ず認められる
正しい道は必ず認められるものです。
一時誤解されることがあっても、
長い間にはその正しさが必ず証明されます。
幸之助の変わらぬ信念でした。
人類は、
何かを未来へ伝承していくものです。
いいものは必ず継承されていきます。
温かい心は幸せを、
冷たい心が人々を不幸に、
事業を失敗に追い込むのです。
響き合う心が、必ず正道に光を当てます。
・・・
(4)【 8月10日 】 心はいつも平静であれ
昼夜には短長有って、而(しか)も天行(てんこう)には短長無し。
惟だ短長無し。
是(ここ)を以て能(よ)く昼夜を成す。
人も亦然り。
緩急は事に在り。
心は則ち緩急を忘れて可なり。
(言晩録 二三八)738
【訳】
昼夜には短長があるが、天体の運行は定まっていて短長がない。
短長がないから、昼夜を成しているのである。
人もまた同じである。
物事には、緩急があるが、
心は緩急に左右されず、いつも平静であるのがよい。
・・・
(5)《10日 先ず心の眼(まなこ)を開(ひら)け》
見るためには観なければならないし、
聞くためには聴かなければならないのである。
見ると聞くとは肉体の問題であるけれども、
「観る」と「聴く」とは心の問題である。
心を澄まし心の眼(まなこ)をひらいて
天の声に耳を傾けることが必要なのである。
心の眼(まなこ)を開けば到る処に
神の祝福が充ち満ちているのを見出すことが出来るのである。
多くの人たちは色盲と同じように、
実際にある恩恵の全部を視ることが出来ないで、
この世界を不完全に視ているのである。
汝の心の眼(まなこ)を開き、汝の心の耳を開(ひら)け、
其処に天国浄土が実現するのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P215)より
<感謝合掌 令和5年8月10日 頓首再拝>
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11:伝統
:
2023/08/11 (Fri) 13:22:54
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(1)【 8月11日 】
あたかも、今晩は神と共に過ごすことになっているかのように、
毎日を生きなさい。
そして朝は、
今日も自分を人々への奉仕に役立てられることを神に感謝する。
そのような生き方を心がけなさい。
Live each and every day as if the evening was to be spent
with THY Creator,
and in the MORNING of each day give thanks to the Creator
for that thou may be able to give in service and self to others.
(4185-3)
・・・
(2)【 8月11日 】(1~P91)
神我(キリスト)の声の及ぶ処、それは広大である。
そこは遠く又近くに及ぶ。
偏在するからである。
いずこにあれ、父なる神のいます処わたしも又そこにいる。
いずこにあれわたしのいる処、父なる神常にわたしとともにおわします。
・・・
(3)【 8月11日 】 愚かなことはしない
自分は運がないとか、弱いとか、
自分で不幸を探すような愚かなことは、
絶対にしないことです。
今現在ここに生きている、
それだけでも十分、運があるのです。
生きるということは、
何事かをなし得ることなのです。
自分自身を照らす内面の光が、
幸福を必ず見つけ出してくれます。
この世の中に、
つまらない人間は誰一人もいないのですから。
・・・
(4)【 8月11日 】 意気込みだけで行なう者
凡(およ)そ事を為(な)すに、意気を以てするのみの者は、
理に於いて毎(つね)に障碍(しょうがい)有り。
(言晩録 二三九)739
【訳】
何か事をなすときに、意気込みだけで行なう者は、
道理において、いつもに間違いがあるものだ。
感情を抑え、心を落ち着けて着手しなければならない。
・・・
(5)《11日 心に想うことは、種を蒔くことである》
種を蒔いたら必ず刈り取らねばならない。
吾々が何事かを考えたならば、
その考えた何事かに相応(そうおう)する事件や肉体の状態を、
やがて吾らの身辺にあらわすものだと云うことを
理解しなければならないのである。
宇宙には不可視の実質が充ち満ちていて、
いつでもそれを吾らが想念した通りの事物に
あらわそうと待ちかまえているのである。
吾々が心に何事かを考える。
するとその考えに相応した「コトバ」が、
心の中に又は「発声音」としてあらわれる。
そしてコトバは創造主(つくりぬし)であるから、
コトバの通りに現象があらわれて来るのである。
コトバは宇宙に満つる不可視の実質に形を与え、
それは自然界の法則を通じて実現する。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P215~216)より
<感謝合掌 令和5年8月11日 頓首再拝>
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12:伝統
:
2023/08/12 (Sat) 15:29:34
-
(1)【 8月12日 】
主があなたの力です!これこそが知恵です!
For He is thy STRENGTH! THAT is Wisdom!
(262-104)
・・・
(2)【 8月12日 】(2~P91)
全能なる神のみがおわしまし、それが全(すべ)てである。
存在するものにして神によらざるものなく、又、その子、
神我(キリスト)を経ざるものはない。
これこそが大いなる真理である。
・・・
(3)【 8月12日 】 成功か失敗かの分かれ目が
「100の事を行って、一つだけ成ったとき、
成らなかった九九に目を向け、力を落とすか、
成った一つに目を向け、希望を抱くか。
成功か失敗かの分かれ目が、
こんなところにもある」
と、幸之助は言っていました。
エジソンは九九の失敗の後に、
一つの成功があったとして、発明王になりました。
この一つの成功に、
すべての成功がかかっていると考えて、
成功の法則を見つけだしてほしい。
・・・
(4)【 8月12日 】 恥を知り、悔いるを知る
人は恥無かるべからず。
又悔無かるべからず。
悔を知れば則ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し。
(言晩録 二四〇)740
【訳】
人間には恥を知るということがなくてはいけない。
また、悔い改めるということがなくてはいけない。
悔い改めるということを知っておれば、悔い改める必要はなくなるし、
恥を知ることを心得ておれば、恥をかくということばなくなる。
〇『孟子』は「人は恥なかるべからず、恥なきを恥ずれば恥なからん」
と言っている。
・・・
(5)《12日 自分の想念を選びなさい》
ひとたび法則に当てはまることをして置けば、
あとは吾等自身に何の努力もなくして、
その後(ご)は自動的に実現するものである。
それは恰(あたか)もラジオ・セットを整備して
波長を合わして置きさえすれば、
自動的にラジオは放送された通りに鳴り出すのと同じことである。
吾々がラジオのダイヤルを自分の好むところに合わせて、
自分の好む処の放送をきくことが出来るのと同じように、
吾々は自分の選択したものを選び出してあらわすことが出来るのである。
併(しか)しダイヤルを出鱈目に廻していては、
自分の好まないところの飛んでもない放送がきこえて来る。
それと同じように吾々は自分で想念を選択せねば
自分の好まない出来事が実現して来ても仕方がない。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P216~217)より
<感謝合掌 令和5年8月12日 頓首再拝>
-
13:伝統
:
2023/08/13 (Sun) 18:37:49
-
(1)【 8月13日 】
蒔かれた種は、いつの日か、刈り取らねばなりません。
あなたは人々を失望させました。
今日、あなた自身の失望を通して、あらゆる美徳の中で最も美しく、
そして最も理解され難い忍耐を学びなさい。
THE SEED SOWN MUST ONE DAY BE REAPED.
YE DISAPPOINTED OTHERS.
TODAY FROM THINE OWN DISAPPOINTMENTS YE MAY LEARN PATIENCE,
THE MOST BEAUTIFUL OF ALL VIRTUES AND THE LEAST UNDERSTOOD!
(2448-2)
・・・
(2)【 8月13日 】(3~P91)
世界の平和は神我(キリスト)の中に宿っており、
すべての人々の魂が神我(キリスト)なる生命に気付き、
父なる神の愛と美と力と智と強さとを顕現(あらわ)すことを待っている。
・・・
(3)【 8月13日 】 迷ったまま歩き続けてはいけない
迷ったまま歩き続けてはいけない。
幸之助は
「迷っている間は、じっとしていることや。
光明も見えてくる」
と教えてくれました。
思い通りにいかないのが、人生です。
一つのことにくよくよせず、
何事も結構という心構えで臨みたいものです。
日々生成発展なのです。
・・・
(4)【 8月13日 】 苦と楽
人は苦楽無き能(あた)わず。
唯(た)だ君子の心は苦楽に安(やす)んじて、苦あれども苦を知らず。
小人の心は苦楽に累(わずら)わされて、楽あれども楽を知らず。
(言晩録 二四ニ)742
【訳】
人は誰でも苦楽がないことはない。
ただ、立派な君子の心は、苦楽をそのまま
受け入れて安んじているから、
苦があっても苦しむこと知らない。
一方、小人の心は苦楽に煩わされているから、
楽があっても楽であると気づかない。
〇安岡正篤師の「六然」には「苦中・楽あり」の語がある。
・・・
(5)《13日 一切万物は神の心のあらわれ》
釈迦が悟りをひらいた時、山川草木国土悉皆成仏と知ったのである。
換言すれば山も川も草も木も国も土も悉く皆、
成れる仏だと知ったのである。
成仏と云うのを「仏に成っている」と読んではならない。
「成れる仏」と読まなければならぬ。
「仏に成っている」と読んでは、山川草木国土は始めは仏でなかったが、
やがては仏に成るのだと云う意味に受け取れる。
山川草木国土悉皆成仏とは、実ははじめから
山も川も木も国も土も皆仏であって物質ではなかったと云うことである。
それをお悟りになったことが、釈迦が悟りを開かれたことなのである。
吾々の心が山川草木等をみとめる事が出来るのは、
吾々の心の中(うち)に神の心が宿っており、
一切万物が亦神の心の現われであるからである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P217)より
<感謝合掌 令和5年8月13日 頓首再拝>
-
14:伝統
:
2023/08/14 (Mon) 19:47:21
-
(1)【 8月14日 】
すべての人は、まず第一に、
自分の理想が何であるかを自己の内に探し求め、
それをはっきり自覚する必要があります。
Each entity seeks, and should know first within self,
what is its ideal.
(2205-2)
・・・
(2)【 8月14日 】(4~P91)
父なる神のみが生き給い、しかも神は愛であり、智であり、平和であり、
唯一無二の実在であるというこの真理を認識し、把握することによって、
それが自然と発露してそれ自身を顕現していくようにしさえするならば、
あなたたち全員の裡には常に平安と霊とが変ることなく存在しつづけるであろう。
・・・
(3)【 8月14日 】 転んだら立たねばならない
「転んだら立たねばならない。
赤ん坊でも、転んだままではいない。
すぐ立ち上がる」
絶望した若者は、死の淵にたたずみますが、
「自分の心という家に帰りなさい」
という心の声を聞きます。
そして、心の内で、
真の自分の心と出会うことで再生するのです。
こうして、人生はドラマを生んでいくのです。
人生七転び八起きです。
・・・
(4)【 8月14日 】 人が楽しければ、自分も楽しい
人と事を共にするに、渠(か)れは快事(かいじ)を担(にな)い、
我れは苦事に任ぜば、事は苦なりと雖(いえど)も、
意は則(すなわ)ち快なり。
我れは快事を担い、渠(か)れは苦事を任とすれば、
事は快なりと雖も、意は則ち苦なり。
(言晩録 二四三)743
【訳】
人と仕事を共にするときに、彼が楽しい仕事を担当し、
自分が苦しい仕事を担当するとすれば、仕事は苦しくても
心の中は楽しい気分である。
ところが、自分が楽しい仕事を担当し、彼が苦しい仕事を担当すれば、
仕事は楽しくても、心の中は苦しいものである。
・・・
(5)《14日 人間は本来健全である》
山川草木でさえ「神の心」の現れであるのだから、
人間は無論、「神の心」の現れなのである。
人間以外の一切万物は、神の一徳または数徳が
其処にあらわれているのだけれども、
人間は神の全徳が現れているのである。
創世記に
「神その像(かたち)の如く人を造り、これを男と女に造りたまえり」
とあるのはそれである。
だから人間が健康であり完全であるのは当然のことであるのである。
然(しか)るにその人間が地上に誕生すると、
彼の周囲の人々の精神波動と、人類全体の病的観念との影響を受け、
自己本来の完全円満なる実相をくらましてしまうことになったのである。
併し人間は本来病気ではない。
ただそれは表面が晦(くら)まされ覆われて
実相の健全さがあらわれていないだけである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P218)より
<感謝合掌 令和5年8月14日 頓首再拝>
-
15:伝統
:
2023/08/16 (Wed) 05:05:00
-
(1)【 8月15日 】
(問)彼はどのようにすれば自分を一番コントロールし、
自分の能力を最大限に発揮することができるでしょうか。
(答)外の影響力にあまり左右されず、
もっと内から現れる直感力に頼ることです。
自己の内から出てくる、
静かで小さな声に耳を傾けることを学ぶことです。
(Q) Please advise the body as to how he may best gain control of himself
and utilize his abilities to best advantage.
(A) Depend more upon the intuitive forces from within
and not harken so much to that of outside influences
- but learn to listen to that still small voice from within.
(239-1)
・・・
(2)【 8月15日 】(5~P92)
神我(キリスト)の力は、先ずそれに気づき、
次にそのことを完全に把握し、静寂の時間(複数)を割いて
その間(かん)に主たる汝の神の臨在を一層自覚するようになることに
よって、涵養される。
・・・
(3)【 8月15日 】 失敗も成功につながる
幸之助はいつも私たちに、
「失敗しても、
その失敗によって、
さらにより良き道を発見出来れば、
失敗も成功につながる」
と、元気づけてくれました。
過ちと正しいことを通算して、
正しいことのほうが、
多くなるような働きをしていけばよいのです。
一つの使命に立って仕事をしていけば、
お互いの心と心がつながってくるのです。
力強い仕事も遂行出来るのです。
・・・
(4)【 8月15日 】 短所を隠さない
己(おの)れの長処(ちょうしょ)を言わず、己の短処を護(ご)せず。
宜(よろ)しく己の短処を挙げ、虚心以て諸(こ)を人に詢(と)うべし。
可なり。
(言晩録 二四五)745
【訳】
自分の長所を口にせず、自分の短所を弁護しない。
むしろ、自分の短所を並べて、わだかまりのない気持で、
それを人に相談するとよい。
・・・
(5)《15日 霊は素材、想念は創造(つく)る力》
神が宇宙を創造(つく)った際には、
それは物質を造(つく)る前であるから、物質的資材などは何もない。
神は霊であるから霊を素材として一切のものは造られた。
霊を素材として、それを一定の形に変形する力は
「心」即ち「霊の波動」である。
それは単なる物理的な盲目的波動ではなくて、
智的な波動(即ち想念)である。
「霊」は素材であり、
想念がそれを一定の形に凝固させる力である。
そのことが判れば、如何なる物質的治療法も、
想念を完全に健康の方に転向して置かなければ、
完全に治癒せしめ得(え)ないと云うことになる。
たとえば外科手術をして鼻茸(はなたけ)を切除しても、
鼻茸そのものは「想念」の結果であるから、
その人の想念を変化させなかったら再発するが如くである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P218~219)より
<感謝合掌 令和5年8月15日 頓首再拝>
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16:伝統
:
2023/08/16 (Wed) 18:56:38
-
(1)【 8月16日 】
自分が生きたことで地球を良くしようと思うなら、
すべての人は為すべき義務、役割を持つ。
そして、これこそが地上におけるあなたの目的である。
Each with a duty,
a function to perform if the world would be better for
thou having lived in it,
and this is thy purpose in the earth.
(3481-2)
・・・
(2)【 8月16日 】(6~P92)
真理の把握とは、久遠の神が今、此処に実存し給うことを知ることである。
『父なる神とわたしとは一つである』。
父なる神はわたしより偉(すぐ)れて大きい、
しかしわれわれは共に一体として働くのである。
父なる神なくしてのわたしは何事をも為しえないが、
父なる神と偕であれば、神の為し給う み業はすべてわたしも
それを為すことが出来る、われわれは一体であるからである。
・・・
(3)【 8月16日 】 悩みはあって当たり前
「悩みはあって当たり前。
それは生きている証しであり、
常に反省している証左でもある」
よく幸之助は好んで話しておりました。
悩むのは、
創造しているから悩むのです。
創造の魂は立ち止まることを知らないのです。
生涯、
終わりなき前進を自ら選びとっているのです。
幸之助は、
悩みあってこそ成功があると言っています。
・・・
(4)【 8月16日 】 厚重・真率であれ
人は厚重を貴(たっと)びて、遅重(ちじゅう)を貴ばず。
真率(しんそつ)を尚(たっと)びて、軽率を尚ばず。
(言晩録 二四六)746
【訳】
人は温厚で重々いのを貴び、動作が遅鈍(ちどん)であるのを貴ばない。
また、正直で飾り気のないのを貴ぶが、軽々しい行いは貴ばない。
〇我々は似て非なるものを峻別する見識を養わねばならない。
・・・
(5)《16日 人間の本来の完全さを諦視(ていし)せよ》
人間は本来完全であるから、
その病気を治すと云うことも有り得ないのである。
病気はその人の「完全なる実相」が
包まれ蔽(おお)われているに過ぎないのであるから、
「病気を治す」ということは治すのではなく、
その「覆(おお)い」を除くと云うことにほかならない。
そして覆(おお)いを取り除いて
人間の実相の完全な相(すがた)を見たときが、
所謂(いわゆ)る「治った」と云うことである。
だから「実相覚」によって相手の病気を治そうと思う場合には、
その人は、「人間本来健全である」と云う真理によっく通達し、
現象的にどんなに不完全な相(すがた)が現れて見える場合にでも、
現象の不完全さに心が引っかからず、
「神その造りたるすべてを見給いけるに甚(はなは)だよかりき」
と云う如く、相手の完全なる実相(じっそう)を
神の如き心の眼(まなこ)もて諦視しなければならない。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P219~220)より
<感謝合掌 令和5年8月16日 頓首再拝>
-
17:伝統
:
2023/08/18 (Fri) 04:54:50
-
(1)【 8月17日 】
あなたが友人、隣人、そして敵に為すことは、
あなたが神をどのように理解しているかを反映します。
That ye do TO thy friend, thy neighbor, yea thy foe,
is a reflection of what THOU THINKEST of thy Creator!
(1183-1)
・・・
(2)【 8月17日 】(7~P92)
認識が先ず第一である。
次に十分に把握をし、静寂の時間(複数)を置くようにすれば、
わたしの力[普遍なる神我の力]があなたたち自身の意識の中で発達して行く。
しかし意識は実は只ひとつあるのみであって、
それが全宇宙にわたって具象化しつつあるのである。
それが大生命自身の中なる意識である。
大生命がすべての形態(かたち)あるものを創造(つく)り給い、
その形態(かたち)の中に大生命がその栄光を意識的に顕現しうるように
し給うたのである。
・・・
(3)【 8月17日 】 多くの人が成功しないということは
「多くの人が成功しないということは、
大通りがあるのに、
無理に畦(あぜ)道を歩いて行くからである」
幸之助の哲学です。
事業は、
儲かったり、損したりするものという、
根本観念に間違いがあるのです。
事業経営は、
常に利益が伴うものなのです。
経営の基本の考えに、
間違いがあるということは、
近道だと思って、
無理に畦道を歩いているようなものです。
いつでも、
大道・王道を歩んでいけば必ず成功するのです。
・・・
(4)【 8月17日 】 恩を売るな、名誉を求めるな
恩を売ること勿れ。恩を売れば卻(かえ)って怨(うら)みを惹(ひ)く。
誉(ほまれ)を干(もと)むること勿れ。
誉を干むれば輒(すなわ)ち毀(そしり)を招く。
(言晩録 二四七)747
【訳】
人に恩を売ってはいけない。
下心を持って恩を売れば、かえって人の怨みを招くことになる。
名誉を求めてはいけない。
内容のない名誉を求めても、すぐに人から叩かれるのがオチである。
・・・
(5)《17日 病気を治すには》
吾々は潜在意識の中にある色々の病的観念によって、
それが肉体的病気として《あらわれる》。
病気が《あらわれる》と云うことは、
人間が「本来病気でない、健康だ」と云うこととは矛盾しない。
「本来健康の実相(じっそう)」の上に
「病的観念」が二重写しになっているだけである。
その「病的観念」を拭(ぬぐ)い去りさえすれば、
本来の「完全なる実相(じっそう)」があらわれて来るのであるから、
決して、肉体の症状がどうであろうと、そんなことを考えてはならない。
「病気は無い」のであるから「病気を治そう」と考えてもならない。
「病気を治そう」と考えると、直(す)ぐ「病気」を
心に描くから病気は消えない。
ただ「完全なる実相」だけを見れば好いのである。
「完全なる実相」を見ることによってすら「治そう」と思ってはならない。
「治そう」と云う思いは、既に病気をつかんでいる心であるからである。
《ただ》「《既に》完全である」とのみ見なければならない。
「ただ」である。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P220~221)より
<感謝合掌 令和5年8月17日 頓首再拝>
-
18:伝統
:
2023/08/19 (Sat) 04:49:53
-
(1)【 8月18日 】
あなたの日々との努力のうちに主の栄光の現れていることを、
忍耐をもって、静かに見続けなさい。
Be ye patient; be ye quiet and SEE the glory of the Lord
in that thou may do in thine efforts day by day.
(518-2)
・・・
(2)【 8月18日 】(8~P92、93)
大生命が意識的に自己顕現するために
人間の魂と体とを創造(つく)りたもうたのである。
このことを真に了得(りょうとく)した時、
あなたは神我(キリスト)の力を
自分自身の生活の中に発動するようになる。
・・・
(3)【 8月18日 】 誠実な一念
真に人を動かすのは誠実さだけです。
いかに学識があり、
地位が高くても人の心は簡単には動きません。
命をかけるというほどの一念があって、
初めて人の心は動くのです。
如何なる困難にも対処する力が湧いてくるのです。
もうこれくらいでよいだろうという限界を自らつくってしまえば、
一歩の進歩も望めないのです。
・・・
(4)【 8月18日 】 瑣事と大事
日間(にっかん)の瑣事(さじ)は、
世俗(せぞく)に背(そむ)かざること可なり。
立身・操主(そうしゅ)は世俗に背くが可なり。
(言晩録 二四八)748
【訳】
日常の細かなことは、世間の風俗に反しないようにするのがよい。
しかし、立派な人になろうと目標を立て、
自分で節操を守って行なうときは、世俗に反するところがあってもよい。
・・・
(5)《18日 汝の敵は汝の内にあり》
どんな隠れたる思いも、どんな秘密の思いも
悉(ことご)く「宇宙の心」には知られているのである。
それは「宇宙の心」に印象せられ、それが種となって
成熟する時が来れば形となってあらわれる。
だから汝を害する者は、汝の外にあるのではなく、
汝の内にあるのである。
何事も、自分自身の内にある想念を媒介としなければ、
自分の極めて側(そば)にあっても自分に
近接(ちかづ)くことが出来ないのは、
ラジオ放送の波が自分の極めて側(そば)にあっても
波長が合わなければ実際には現れて来ないのと同じである。
自分の内に類似の波長がある場合には、
その放送源が随分遠くにある場合にでも、
それを自分の身近に引き寄せて実現することになるのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P221)より
<感謝合掌 令和5年8月18日 頓首再拝>
-
19:伝統
:
2023/08/20 (Sun) 01:44:25
-
(1)【 8月19日 】
あなたが他の人に為すことは、結局、自分に為しているのです。
Thus what ye do to others, ye are doing to thyself.
(3198-3)
・・・
(2)【 8月19日 】(9~P93)
あなたたちは物質生活、商取引の生活から抜け出て、
暫(しば)しのあいだ神の国に休らわねばならぬ。
そして、常にあなたたちの生活の中に顕現しようとして待機している
神我(キリスト)の真生命とを自分が着実に成長させかつ
展開させつつあることを確かめるがよい。
・・・
(3)【 8月19日 】 社会のため、人々のため
「社会のため、人々のために、
奉仕・貢献するのでなければ、
事業を大きくする必要はない」
というのが幸之助の哲学です。
事業は何のために行うのかという、
基本を明らかにすることから、
すべてが始まるのです。
幸之助は、
「社会のSOSを解決することが、
事業を起こす目的だ」
と、信じていました。
・・・
(4)【 8月19日 】 相談事への対処
人、我れに就(つ)きて事(こと)を謀(はか)らば、
須(すべか)らく妥貼易簡(だちょういかん)にして事端(じたん)を
生ぜざるを要すべし。即ち是れ智なり。
若(も)し穿鑿(せんさく)を為すに過ぎて、
己(おのれ)の才智を逞(たくまし)うせば、
卻(かえ)って他の禍(か)を惹(ひ)かん。
殆(ほとん)ど是れ不智なり。
(言晩録 二五〇)750
【訳】
他人が自分に相談にやってきたときは、おだやかに簡潔に意見を述べ、
争いの種にならないようにする。これが智慧というものである。
もしも、細部をほじくり突き詰めて、自分の才智を振り回すと、
かえって別の禍(わざわい)を引き起こしかねない。
これでは相談に応ずる智慧がないも同然である。
*妥貼~おだやか
・・・
(5)《19日 現象と実相との関係》
神の霊は宇宙一切のものの根原として凡(あら)ゆる所に
恰(あたか)も物理学のエーテルのように満ちている。
しかしエーテルそのものだと云う訳ではない。
それはもっと次元の異なる不可視の存在である。
それは、「理(ち)」であり、「理念」であり、「原理」であり、
2×2=4の原理が、物質でもなく、眼にも見えないが
到るところに充ち満ちているのと同じように充ち満ちている
と云うことが出来るのである。
2×2=4の原理が、物質の数(すう)の増減によって
何ら影響を受けないのと同じように、
「理念」で出来た「実相(じっそう)」は現象界の増減によって
何等影響を受けることはないのである。
現象の肉体が如何に病気にあらわれて見える時にも、
わが実相(じっそう)は健全である。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P222)より
<感謝合掌 令和5年8月19日 頓首再拝>
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20:伝統
:
2023/08/21 (Mon) 05:00:40
-
(1)【 8月20日 】
どのような状況にあろうとも、それを損失とみなしてはなりません。
むしろ、さらに上にあがるための踏み石としなさい。
Then, do not count any condition lost.
Rather make each the steppingstone to higher things.
(900-44)
・・・
(2)【 8月20日 】(10~P93)
神我(キリスト)がその儘(まま)顕現(あらわ)れ出ているという
態度を持ち続け、その事が自分にとって意味するところのものをよく考え、
ヂッと沈黙したままで待つがよい。
こういう行き方によって着実な生長が得られるのである。
・・・
(3)【 8月20日 】 商品がどのように使われているのか
自分たちが、
苦心して生産した商品が、
世間でどのように使われているか、
もっともっと詳しく知ることが、
経営の第一歩だと、
幸之助は強い関心を払っていました。
「商品はかけがえのない子供のようなもの」
世間でどのように役立っているのか、
どう評価されているのか。
そこに商品のすべてが結集されているのです。
・・・
(4)【 8月20日 】 適材適所
人才(じんさい)には、小大有り、敏鈍(にんどん)有り。
敏大なるは固(もと)より用うべきなり。
但(た)だ日間(にっかん)の瑣事(さじ)は、
小鈍の者卻(かえ)って能(よ)く用を成す。
敏大の如きは、則(すなわ)ち常故(じょうこ)を軽蔑す。
是(こ)れ知る、人才各々(おのおの)用処有り、
概棄(がいき)すべきに非ざるを。
(言晩録 二五一)751
【訳】
人の才能には、小あり大あり、敏い人がいれば鈍い人もいる。
敏捷で才能が大きな者は、もちろん用いるべきである。
ただ、日常の駒かなことは、鈍くて小さい才の者のほうが
かえってよく役立つものである。
敏捷で大きな才能があると、日常の当たり前のことを
軽蔑してしまうところがあるからである。
こうしてみると、人の才能というのは用いるところがそれぞれにあって、
一概に捨て去るべきでないことがわかる。
・・・
(5)《20日 吾々が地上に生れた意義について》
吾々が地上に生を享(う)けて来たのは、
吾々が地上に存在理由があるからである。
換言すれば必要あって神は地上に吾々を生みだしたのである。
従って吾々のうち誰も皆、神にとっても此の世にとっても
必要でない人はひとりもないのである。
この点、諸君は大いに自信を持って好いのである。
併(しか)し、ただ省(かえり)みなければならないのは、
神が地上にあなたを生み出した目的を
実際あなたは遂行しているかと云うことである。
また此の世からあなたが求められている仕事を
完全に与えているかどうかと云うことである。
若(も)しあなたが自己を省みて何ものも此の世に与えておらず、
神から与えられた使命を遂行していないと思ったら、
兎も角、先ず何事でも手近にある人のために成(な)る仕事を
なすことである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P222~223)より
<感謝合掌 令和5年8月20日 頓首再拝>
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21:伝統
:
2023/08/22 (Tue) 04:50:20
-
(1)【 8月21日 】
自分自身をコントロールできるようになるまでは、結婚してはなりません。
なぜなら、あなどって妻をコントロールしようとしても、
そんなことはできないからです!
Don't marry until you have learned to control yourself.
For you would attempt to control the little woman, and you won't do it!
(5249-1)
・・・
(2)【 8月21日 】(11~P93)
この状態は誰かが云うような「空白」状態でもなければ
「空無」の状態でもない。
又、意識が理解もしないうちにやみくもに認容することを
強制されようとする際の緊張状態でもない。
・・・
(3)【 8月21日 】 許されない
「企業が天下の人・モノ・土地・金を使いながら、
社会に何のプラスももたらさないのは許されない」
いつも幸之助は松下の基本理念として、
こういい続けていました。
「本当の経営は、
世のため、人のために行うのだから」
幸之助は、私企業といえども、
人もモノも、金も、皆、公のものととらえています。
公のものを使って、赤字をだし、
公に奉仕できないのは、
罪悪だと強く戒めていました。
・・・
(4)【 8月21日 】 吉凶は心がつくる
人情、吉に趨(おもむ)き凶を避(さ)く。
殊(こと)に知らず、吉凶(きっきょう)は是れ善悪の影響なるを。
余(よ)、歳を改たむる毎(ご)に四句を歴本(れきほん)に題し、
以て家眷(かけん)を警(いまし)む。
曰く、「三百六旬(じゅん)、日として吉ならざるは無し。
一念善を作(な)さば、是れ吉日なり。
三百六旬、日として凶ならざるは無し。
一念悪を作(な)さば、是れ凶日なり」と。
心を以て歴本と為(な)さば、可なり。
(言晩録 二五二)752
【訳】
人情は、吉を求め、凶を避けるものである。
しかし、特に吉凶というものは、その人の行ないの善悪がもたらしたものである
ということを知らない。
私は歳が改まるごとに、次の四句をこよみに書き記し、家族の戒めとしている。
その四句とは、
「三百六十五日、一日として吉日でない日はない。
一念発起して善を行なえば、これが吉日である。
三百六十五日、一日として凶日でない日はない。
一念発起して悪を行なえば、これが凶日である」
というものである。
つまり、自分の心をこよみにすれば、それでよいのである。
・・・
(5)《21日 人類はすべて一体である》
神はあなたの親であり、此の世界はあなたの家庭であり、
すべての人はあなたの兄弟である。
だから、神なる親につながることによって、
あなたは同時にまたすべての人々と一体である
と云うことが出来るのである。
すべての人間はたとい反対の方向に向いているように
見えるときにも、実は、神から与えられた或る使命を果すべく
共同動作をなしつつあるのである。
たとい世界の二大勢力が反対の方向に向かっているように見えても、
その二大陣営の力で推進されて、世界は自然に「一つの世界」の
必要に目ざめて来つつあるのである。
すべての個人、国家は意識すると意識せざるとに拘(かかわ)らず、
神の定(さだ)めた完全使命を遂行しつつあるのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P223~224)より
<感謝合掌 令和5年8月22日 頓首再拝>
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22:伝統
:
2023/08/23 (Wed) 04:27:11
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(1)【 8月22日 】
自分自身をコントロールできるようになるまでは、結婚してはなりません。
なぜなら、あなどって妻をコントロールしようとしても、
そんなことはできないからです!
Don't marry until you have learned to control yourself.
For you would attempt to control the little woman, and you won't do it!
(5249-1)
・・・
(2)【 8月22日 】(12~P93、94)
あなたたちはこのような極端な行き方は避けなければならない。
そして、自分と父なる神との間にはいかなる分離もありえないという
正しい理解に満ちた静けさを、自分の胸の中に保ち続けることである。
・・・
(3)【 8月22日 】 積み重ねが大事
すべての結果は一つひとつの積み重ねで決まります。
表面的な結果も大切ですが、
成果を大事にすると同時に、
その積み重ねの過程が最も大切なのです。
事業は、
目的を果たすこと、
結果を出すことを重視しますが、
それ以上に、
どのような理念で、
どのようにやるのかのプロセスが最も重要です。
それを間違えると結果は正反対になります。
・・・
(4)【 8月22日 】 天才と小才
小才は人を禦(ふせ)ぎ、大才は物を容(い)る。
小智は一事に耀(かがや)き、大智は後図(こうと)に明(あき)らかなり。
(言晩録 二四九)749
【訳】
わずかな才能を持つ人は他人の受け入れを拒んで自己に固執(こしゅう)するが、
大きな才能を持つ人は他人の言動や事物を包容していく。
浅智慧は一時的に輝くことがあるが、
優れた智慧は将来にまで残るような計画を明らかにするものである。
・・・
(5)《22日 「愛されたい」より先ず愛せよ》
誰でも皆愛する相手を持ちたいのである。
その人が歓んでいるのを見ることが喜びであるような
相手を持ちたいのである。
併(しか)し多くの人は「愛する」ことが余りにも少なく、
「愛されたい」のが余りにも多すぎるのである。
そして「与えられたい」過剰のために不平を言い、
そのために「与える」ことを忘れてしまう。
「与える」と「与えられる」とはたがいに平衡するように
なっているのであるから、「与える」事を忘れてしまって
求める事ばかりになったら、自分も亦「与えられなく」なるのである。
時計はネジを廻した発條(バネ)の力だけ回転するのである。
それは与えただけの時間だけ、私たちに時を告げる。
時間は吾々が与えただけのものを投げ返すのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P224~225)より
<感謝合掌 令和5年8月22日 頓首再拝>
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23:伝統
:
2023/08/24 (Thu) 04:30:36
-
(1)【 8月23日 】
結婚は50対50の対等の事柄であり、
あなたがたそれぞれが、自分の内にある最上のものを相手に提供するのです。
This (marriage) is to be a fifty-fifty proposition,
with you each supplying that which is best within yourselves.
(480-20)
・・・
(2)【 8月23日 】(13~P94)
胸(ハート)の中でこう云うがよい。
「わたしの中に留まり給うのは父なる神である。
この神こそがみ業を為し給いつつあるのである」と。
これがあなたたちの個我意識を偏在している神意識に結びつけるのである。
・・・
(3)【 8月23日 】 叱ることほめること
幸之助は人を認め、
ほめることを大切にしました。
反面、
深い愛情をもって厳しく叱ることもありました。
叱られもしないと知らず知らずのうちに、
見方が甘くなり、
弱さともろさが生まれてきます。
叱られるより、
ほめてほしいと思うのが人間です。
しかし、
経営ではそれだけでは許されません。
叱られることを嬉しく思って、
学び続けることが、生きた経営です。
・・・
(4)【 8月23日 】 始まりを正しく
収結(しゅけつ)は固(もと)より難(かた)しと為(な)す。
而(しか)れども起処(きしょ)も亦(また)慎まざる容(べ)からず。
起処是(ぜ)ならざれば、則(すなわ)ち収結完(まった)からず。
(言晩録 二五六)756
【訳】
物事を締めくるのももとより難しいものだが、
物事を始めるときもまた慎重でなくてはならない。
始まりが正しくなければ、終りを全(まっと)うすることはできないものだ。
・・・
(5)《23日 精神統一を上手にするには》
神想観をして「私は中々精神統一が出来ない」と
云って憂えている人があるが、それはみずから
「精神統一出来ない」と云う想念によって却(かえ)って
精神統一が出来にくくなっているのである。
「自分は神の子であり、精神統一が上手である」と
神想観のはじめに10回ばかり念ずるようにしてから、
定(さだ)められた通りの言葉を念ずるならば大変効果が多いのである。
かくして精神統一が上手になるに従って、
学生ならば、勉強が短時間で有効に出来るし、
教師の講義をきくにも精神を統一して聴くから、
充分頭脳に印象され成績がよくなるのである。
仕事をする前にも「吾れ神と偕(とも)にこの仕事を為す。
それ故に精神統一が完全に行われて間違いなく
この仕事を完成することが出来るのである」と
数回念じてから仕事にかかると好成績を得(う)るのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P225)より
<感謝合掌 令和5年8月23日 頓首再拝>
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24:伝統
:
2023/08/25 (Fri) 04:55:58
-
(1)【 8月24日 】
それらの治療によって自分が癒されていることを思い描くとよい。
VISION self BEING aided by those applications.
(326-1)
・・・
(2)【 8月24日 】(14~P94)
あなたたちがわたしを認め、
わたしの生命が久遠に活発々として働いていることを認める時、
わたしはわたしの真性を現す。
わたしの生命の久遠なる特質を認めるのは、
あなたたちの中で顕現している神我(キリスト)なのである。
天上天下にこれ以上の大きな力はない。
天上天下のあらゆる権能(ちから)がわたし与えられているのである。
これがわたしの本能であり、神の愛の現れである。
わたしの生ける臨在が常に活気凛々としてあなたたちと偕(とも)にあることも
思い合わせ、このことがあなたたちにとってどういう事になるかを
胸(ハート)の中で考えるがよい。
その事をよくよく了解(りょうげ)することの中に栄光と平安とは在る。
・・・
(3)【 8月24日 】 必要な存在
すべての人々が必要な存在です。
すべての人々は皆そのことを信じ、
考え、実践し生きていけば、
誰もが幸せになるのです。
「必要でない人間は一人もいない」
と、幸之助は信じていました。
「熱意さえあれば誰でも指導者になれるのです」
と、幸之助は大胆な人事登用をしていました。
・・・
(4)【 8月24日 】 一日を慎む
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日(みょうにち)を迎う。
人生百年此(か)くの如きに過ぎず。
故(ゆえ)に宜(よろ)しく一日を慎むべし。
一日慎まずんば、醜(しゅう)を身後(しんご)に遺(のこ)さん。
恨(うら)むべし。
羅山(らんざん)先生謂(い)う、
「暮年(ぼねん)宜しく一日の事を謀(はか)るべし」と。
余謂う、
「此(こ)の言、浅きに似て浅きに非(あら)ず」と。
(言晩録 二五八)758
【訳】
昨日を送って今日を迎え、今日を送って明日を迎える。
人生百年生きたとしても、これの繰り返しに過ぎない。
だからこそ、一日を慎まなくてはならないのである。
一日を慎まなければ、死したのちに醜名(しこな)を残すことになる。
これは残念なことだ。
林羅山先生がおっしゃった。
「晩年になったら、その日一日ことだけを考えて生きるがよい」と。
私は「この言葉は浅薄なように思えるけれど、決して浅薄ではない
(非常に意味が深い)」と思う。
〇正受老人は「一大事とは今日は今の事なり」と教えている。
・・・
(5)《24日 新しき天と地とを見る》
今、すべての過去の悲しみを拭い去れ。
すべて過去の不快の印象を心より消し去るべし。
そして悦びの世界に新生せよ。
今、あなたはすべての悲しみと不快とを心から拭い去ったのである。
貴方の心の中に残っているものは唯(ただ)、
愛と悦びと美しさと平和と賞讃とのみである。
醜いすべてのものは過ぎ去ったのである。
憎しみも悲しみも争いも既にない!
今貴方は幸福の世界に新生したのである。
慶びの世界に新生したのである。
愛情と讃嘆の世界に新生したのである。
見渡すかぎり唯(ただ)、美しき物のみが充ち満ちているのである。
古き天と地とは過ぎ去り、新しき天と地とが、
喜びの花嫁に愛と平和と賞め合いとの装(よろお)いをつけて
天降って来たのである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P226)より
<感謝合掌 令和5年8月24日 頓首再拝>
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25:伝統
:
2023/08/26 (Sat) 00:38:29
-
(1)【 8月25日 】
もっとも苦しい状況の中にあっても笑う能力がなければなりません。
崇高なものを見る能力と共に、
滑稽な面を見る能力がなければなりません。
Know that there must be the ability to laugh
under the most straining circumstance.
There must be the ability to see
the sublime as well as the ridiculous.
(1823-1)
・・・
(2)【 8月25日 】(15~P94、95)
肉体の彼岸に移った人々はまだ生きている。
そういう人々の中には、まだ肉を保っていると思い込んでいるものもあれば、
まだ夢を見ているものもいる。
しかしいづれは皆、生ける神があらゆるものの中に
神御自身を永遠に顕現しつつある真理に目覚めるであろう。
神の顕現は久遠であり、常在であり、
あなたたちの裡なる神我(キリスト)として展開しつつある。
・・・
(3)【 8月25日 】 チームワークを大切に
事業は一人ではできない。
一人ひとりの実力を高め、
同時にチームワークを大切にしてこそ、
人も会社も新たに発展するものです。
幸之助は、
組織運営の基本に、
パートナーシップを大切にしていました。
同一基盤の上での、
役割分担の違いという考えをもって、
ヨコ・ヨコを何より大切にしていました。
・・・
(4)【 8月25日 】 年相応が大事
少にして老人の態(たい)を為すは不可なり。
老いて少年の態を為すは尤(もっと)も不可なり。
(言晩録 二五九)759
【訳】
若者が老人ぶるのはよくない。
年老いて若者のように振る舞うのは最もよくない。
・・・
(5)《25日 今此処にある極楽を見よ》
食物(しょくもつ)をたべ、飲料を飲む。
それがどうして吾々の生命(いのち)となったり、
「考える力」となったりするのだろう。
物質が生命(いのち)に変り、「考える力」に変る。
これを行う不思議な力が「神」なのである。
神が吾々の内に宿っていたまうのであって、
遠くに求める必要はないのである。
ただそれは肉眼で見えるところの、
縦(たて)横(よこ)厚みの次元の世界でないがゆえに、
それを此の地上の制約から遥かに隔(へだ)たりたる世界として
形容しなければならないので、
遥かに高き「天国」と称したり、高天原(たかあまはら)と形容したり、
十万億土の彼方にある極楽世界と説いたりしたのである。
今此処に神が在(いま)し、
今此処に天国があり、今此処に極楽浄土があるのである。
しかし内在の天国浄土は波長の合わないラジオ波(なみ)が
今此処にあろうとも感じられないこと無限の遠さにあるのと
同じであるから、これを十万億土の彼方(かなた)と謂う。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P226~227)より
<感謝合掌 令和5年8月25日 頓首再拝>
-
26:伝統
:
2023/08/27 (Sun) 05:00:20
-
(1)【 8月26日 】
あなたの目から見て、他の人々にとって喜ばしいだけでなく、
神との関係に照らして、あなたの良心にとって喜ばしいことを行いなさい。
Do that which is not only pleasing in thy sight to others
but that which is pleasing to thy conscience in
thy relationships to thy Maker.
(2082-1)
・・・
(2)【 8月26日 】(16~P95)
そういう風にしての結果は、あなたたちや、あなたたちの接触する人々
全部にとって極めて有益なものとなるであろう。
なぜならば神我 ── 裡なる神の力 ── が現れ出で、
すべての不調和は静かに融け去るからである。
不調和なるものは、あなたたちがそれを信じ込まない限り、
もはやあなたたちの上に力を及すことはなくなるからである。
・・・
(3)【 8月26日 】 気をひきしめよ
どんなにすぐれたものでも、
気のゆるみが大きな事故につながります。
大河の流れも一滴の水が漏れることで大きな洪水の原因になります。
失敗を素直に認め反省し改めることが大切です。
「人は過ちを起こすもの」
と幸之助は考えていました。
だから、
少しでも早くそれに気付き、
素直に反省して、
すぐ手を打つことの重要性を厳しく教えていました。
・・・
(4)【 8月26日 】 老人は慈愛で失敗する
老齢は酷(こく)に失せずして、慈(じ)に失す。
警(いまし)むべし。
(言晩録 二六〇)760
【訳】
年をとると、他人に厳しすぎて失敗することはないが、
愛情をかけ過ぎて失敗することがある。
戒めなくてはいけない。
・・・
(5)《26日 自然良能を盛んにするには》
吾々の内部にいて吾々の生理作用を営ましめている力は
「内在の神」であるのである。
それを物質を「生命(せいめい)」にかえ、
無機物を「考える力」に変ずる不思議なる力である。
この「内部の神」は常に内よりわが「肉体」と云う道具を修理し、
栄養を与え、若返らしつつあるのである。
吾々は常にその力を認めて感謝するようにしなければならない。
認めて感謝するとき内部に宿る神の力は
一層完全に働いて自然良能が盛んになるのである。
それは、神は感謝したら余計働きたまうと云うような意味ではない。
神は常に働きていたまうが、感謝の念が足らぬため、
その働きに波長が合わず完全に顕(あらわ)れないと云う意味である。
すべて感謝は相手と心の調和を得(う)る道である。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P227~228)より
<感謝合掌 令和5年8月26日 頓首再拝>
-
27:伝統
:
2023/08/28 (Mon) 04:57:04
-
(1)【 8月27日 】
人が経験で得てきたものをどのように活用するかということが、
その人を成長させもすれば、退歩させるものにもなるのです。
As to the manner in which an individual uses
that it gains through any experience, makes for the development
or retardment of an entity.
(276-3)
・・・
(2)【 8月27日 】(17~P95)
あなたたちはわたしを、あなたたちとは全く違ったものと心の中で考えている。
聖書にある二千年前の歴史を読んで、あなたはわたしが過去の人物であると
思っているが、しかしわたしは常にあなたたちと偕にいるのである。
各人一人一人の魂に同じ神のみ霊が宿していることを銘記するがよい。
わたしの父なる神の御意志を行なう者が、
わたしの母であり、姉妹であり、兄弟なのである。
・・・
(3)【 8月27日 】 正々堂々
幸之助は自分の人生を振り返って、
「運が良い」
と述べています。
しかし、
結論から言うならば、
やはり実力であるといえます。
幸之助は、
成功は実力の結果だと信じて疑いませんでした。
王道の経営をやる以上、
必ず勝利すると信じていたのです。
姑息な手法に捉われず日々の実力を養い
正々堂々と経営に取り組むべきです。
・・・
(4)【 8月27日 】 老人の心得
吾(わ)れ壮齢の時は、事事矩(のり)を踰(こ)え、
七十以後は、事事矩に及ばず。
凡(およ)そ事有る時は、須(すべか)らく少壮者と商議し
以て吾が逮(およ)ばざるを輔(たす)くべし。
老大(ろうだい)を挾(さしはさ)みて以て
壮者を蔑視すること勿(な)くんば可なり。
(言晩録 二六ニ)762
【訳】
自分が壮年のときは、何事も道徳的規範を踏み越していたが、
七十以後は、何事もそれに到達しない。
だから老人になったら、何か事あるときは若い者相談をして、
自分の及ばないところを補うがよい。
自分が年長であることを鼻にかけて
若い者を見下げるようなことがなければよい。
・・・
(5)《27日 「内部の神」に心を集中せよ》
自己の内に神があることを信ぜよ。
如何なる時にも内在の神はあなたを護っていて下さるのである。
外にどんな擾乱が起ろうとも、肉体に如何なる変化が起ろうとも、
あなたの「内部の神」はその擾乱に巻き込まれることなく
静謐(せいひつ)であるのである。
あなたが心の平和を取り戻すには先ず「内部の神」に心を集中せよ。
そして「内部の神」とあなたとが結ばれるとき、
迷い児になって騒いでいる幼児が父を見つけて
その手を握った時のような平和と落ち着きとを
回復することが出来るのである。
この平和のうちにこそ神の無限の智慧は流れ入って
どんな困難でも快刀乱麻を断つように解決し得る叡智に
導かれることが出来るのである。
この平和のうちにこそ、如何なる病気も完全に克服し得(う)る
自然療能が湧き出て来るのである。
其処より無限の生命と無限の叡智を汲み取り得るものは
まことにも幸いなるかなである。
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P228~229)より
<感謝合掌 令和5年8月27日 頓首再拝>
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28:伝統
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2023/08/29 (Tue) 04:53:17
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(1)【 8月28日 】
忍耐を失ってはなりません。
主を愛し、主の戒めを守る者に対して、
主は遅からざることを覚えておきなさい。
Be not impatient,
but know that He will not tarry
- to those who love Him and keep His biddings.
(262-51)
・・・
(2)【 8月28日 】(18~P96)
わたしの中に生きてい給い、あなたたちの中に生きてい給うのは、
同じ神のみ霊(たま)である。
この真理を認容し了解(りょうげ)することによってまた、
同一の神我(キリスト)があなたたちの中に顕現する。
なぜならあなたたちも又一切のものに対する主権を与えられているからである。
わたしを信ずるものはわたし以上に大いなる事さえ為すであろう。
・・・
(3)【 8月28日 】 一つの仕事が達成されるか否かは
「一つの仕事が達成されるか否かは、
それぞれの持ち場の人が、
責任を自覚しているか否かにかかっている」
事業はなんと言っても、チームワークです。
一人ではできません。
一人ひとりがなぜこの仕事をするのか、
どのような考え方で、
どのようにするかで決まるのです。
だから理念経営の重要性が問われるのです。
目的や意味を理解し、
そこに共感があってこそチームになるのです。
・・・
(4)【 8月28日 】 すべてが学問
多少の人事は皆是(こ)れ学なり。
人謂(い)う、「近来多事にして学を廃す」と。
何ぞ其の言を繆(あやま)れるや。
(言晩録 二六三)763
【訳】
多くの世間の事柄は、すべて学問である。
人は「この頃はするべきことが多くて、学問をやめてしまった」という。
これは何と誤った言葉であることか。
・・・
(5)《28日 内在の 「 神の子 」 をくらましてはならぬ》
吾々が救われるのは吾々の実相によって救われるのである。
神の子である所のすでに救われている実相を認めることが必要である。
神の子をくらます様な何事をも なすな。
自分にいる所の 「 神の子 」 をくらましては
自分自身は滅びるより仕方がないのである。
吾々は自分に宿る 「 神の子 」 を通してのみ、
凡ゆる困難に打ち勝って勝利者となることができるのである。
吾に宿る神の子は、
自己に宿るキリストであり、内在の仏性である。
それに目覚めることが第一である。
*『 生長の家 』(昭和25年5月11日の法語)より
<感謝合掌 令和5年8月28日 頓首再拝>
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29:伝統
:
2023/08/30 (Wed) 05:02:13
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(1)【 8月29日 】
多くの人に大きな喜びを与える人は、
いつも受け取る以上のものを与え続ける人です。
One that may give much joy to many peoples,
always giving, giving, more than ever receiving.
(569-6)
・・・
(2)【 8月29日 】(19~P96)
『神我(キリスト)』(I am)は最奥の神霊意識である。
神我(キリスト)の意識は神の意識であり、子の中に現れる父なる神である。
・・・
(3)【 8月29日 】 混合されてこそ調和がとれる
何事にも差異があって当然である。
それぞれ異なるものがバランスよく、
混合されてこそ調和がとれる。
世の中のものすべてがオンリーワンです。
その一つひとつが、
コラボレーションされて、
社会が成り立っています。
「矛盾を矛盾としないようにするのが、
真の経営者である」
とよく幸之助に言われました。
会社が良くならないのは、
矛盾をそのままにして経営しているからなのです。
・・・
(4)【 8月29日 】 学ぶは一生
老来、目昏(くら)けれども、猶(な)お能(よ)く睹(み)る。
耳聾(ろう)なるも、猶お能く聞く。
苟(いやし)くも能く聞睹(ぶんと)すれば、
則(すなわ)ち此(こ)の学、悪(いずく)んぞ能く之(こ)れを廃せんや。
(言晩録 二六四)764
【訳】
年を取ると目がよく見えなくなるけれども、
それでもまだよく見ることができる。
耳も遠くなるけれど、まだよく聞き取ることができる。
かりそめにもよく見聞きできるならば、
この聖人の学問をどうして止めることができようか。
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(5)《29日 神が汝(なんじ)の内に宿っている》
どんな悪しき形をも よき形に変化し得ないという様な神の力はないのである。
神は 暗黒の中に光を放ち、悪と見ゆるものから善を放ち、
貧しさの中から富を生み出す所の力である。
その神を吾(わ)が内に見出す時には
吾は 如何(いか)なるものの中からも
よきものを生みだすことができるのである。
躓(つまず)きを恐るな。
躓いても すぐ立ち上がって光明に面するのが生長の家の生活である。
神が汝の内に宿っているではないか。
それを思いおこすことが必要である。
神は一切の不幸を幸福に変貌(へんぼう)する力である。
その力が自分の内に宿っているのである。
喜べ喜べ。神を信ぜよ。自己を信ぜよ。
*「生長の家」(昭和25年6月30日の法語)より
<感謝合掌 令和5年8月29日 頓首再拝>
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30:伝統
:
2023/08/31 (Thu) 04:42:51
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(1)【 8月30日 】
あなたが自分自身の真価を発揮するなら、
主がより良い道を与えて下さるだろう。
When thou hast proven THYSELF,
He will give thee the better ways!
(622-6)
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(2)【 8月30日 】(20~P96)
努めてこの真理を堅持することである。
そうすればあなたたち一人々々の生活の中に
この真理の力が発揮されるであろう。
あなたたちはすでに自覚しているのである。
現に生きているのである、この事を自覚するがよい。
かくして、あなたたちの生き方があなたたち一人一人の生活における
最も支配的で最も重要な要因なのである。
・・・
(3)【 8月30日 】 約束を守れ
物を買えばお金を払い、
物を売れば集金する。
この約束事ををきちんと守っていくのが、
経営です。
約束事で、
世間の調和が保たれ、
人々の幸せが保証されるのです。
約束を破る経営は、
王道にはずれた邪道の経営になります。
経営の基本は信頼によって築かれていくのです。
幸之助は約束に厳しい人でした。
生成発展は約束を守ることから始まるのです。
・・・
(4)【 8月30日 】 仕事は迅速に
人事の叢集(そうしゅう)するは落葉(らくよう)の如し。
之(こ)れを掃(はら)えば復(ま)た来(きた)る。
畢竟(ひっきょう)窮(きわ)まり已(や)むこと無し。
緊要(きんよう)の大事に非(あら)ざるよりは、
即(すなわ)ち迅速に一掃して、遅疑(ちぎ)すべからず。
乃(すなわ)ち胸中綽(しゃく)として余暇有りと為(な)す。
(言晩録 二六五)765
【訳】
人のなすべき事柄が群(むら)がり集まる様は、まるで落葉のようなものである。
いくら掃除しても落ちてきて、なくなることがない。
だから、最も大事なことでない限りは迅速に片づけて、ぐずぐずしてはいけない。
それでこそ、心の中にゆったりとした余裕ができるのである。
・・・
(5)《30日 あなたに宿る”生命”は”神” である》
それゆえに”行”が必要である。
行動が必要なのである。
その行動の必要と仕方とを説いたのが私の『人生を前進する』である。
毎日”光 ”をかかげて前進するものはついに、
”暗い過 去の影”を消して光明輝く世界に自分の住む世界を
光転してしまうことができるのである。
『人生を前進する』の本 には、幾たびも過去に地殻が変動し、
一度築かれたものが破壊されて地殻の中に埋没されても、
またその地殻の上に何かを築きあげずには置かなかった
大自然の生命力の 逞しさを説いて、
それと同じ生命力が自分の内に宿っていることを説き、
次の如く結論しているのである。
「諸君に宿っているところの生命力もおよそかくの如きものである。
生命がかくも執拗にたくましく、埋没されても、圧下されても、
滅びることを知らずに伸びることのみを知って退嬰しないのは
生命とは『神』であるからである」(『人生を前進する』 200頁)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1363
*「生長の家」(昭和51年6月17日の法語)より
<感謝合掌 令和5年8月30日 頓首再拝>
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31:伝統
:
2023/09/01 (Fri) 04:49:16
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(1)【 8月31日 】
人が経験で得てきたものをどのように活用するかということが、
その人を成長させもすれば、退歩させるものにもなるのです。
As to the manner in which an individual uses
that it gains through any experience, makes for the development
or retardment of an entity.
(276-3)
・・・
(2)【 8月31日 】(21~P96、97)
あなたたちは自分が久遠に生きるものであること、
自分が生命そのものであること、大生命から離れては生きえないこと、
を今迄に考えたことがあるだろうか。
あなたたちの意識は大生命が肉体の中に自己顕現する媒介なのである。
肉体も又大生命を離れて生きることはできない。
意識は大生命それ自身の中に裡にあって指図する力である。
『わたしは生命である』
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(3)【 8月31日 】 長たるものは
「長たるものは、
すべての責任を自ら負うのが当然、
それは私の責任です、
と言い切れているかどうか」
責任の転換は人の道に外れます。
また、
責任の取り方は非常に厳しいものです。
幸之助は、
責任を果たすとは、
事業計画を100パーセント達成することと言っています。
この他に、
責任の取りようはありません。
そのために長たるものは自分を磨き部下の尊敬の対象となるべきなのです。
・・・
(4)【 8月31日 】 成仏と作聖
尋常の老人は、多く死して仏と成るを要(もと)む。
学人は則(すなわ)ち当(まさ)に生きて聖と作(な)るを要むべし。
(言晩録 二六七)767
【訳】
普通の老人は、多くが死んで成仏することを願う。
しかし、学問を修める者は、成仏を願うより、
生きて聖人となることを念願すべきである。
・・・
(5)《31日 汝の内なる神を自覚せよ》
あなたの内に神 住みたまう。
神はあなたの内に宿りたまいて、夜も昼も絶え間なく
あなたを護っていられるのである。
あなたの内には、あなた自身が自覚していられるよりも
尚(なお)一層偉大なる力が宿っているのである。
あなたは、今 到底自分には出来ないと思われるような
困難を打破する力を持っているのである。
その力は自覚の深まる程度に従ってあらわれて来るのである。
それを自覚するためには毎日、神想観をして
自分の「 実相 」が神の生命であることを諦視すること。
毎日、真理の書の一章を読むことである。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127
*『 生長の家 』(昭和26年6月18日の法語)より
<感謝合掌 令和5年8月31日 頓首再拝>